2012年9月21日金曜日

遅々として進まぬ「復興」。気仙沼の仮設住宅に住む友人・Tさんからメール。

 7月29日のブログに,「蛇の生殺しのような世界を生きています」というメールをくださった気仙沼市の仮設住宅に住む友人のTさんのことを書きました。そのTさんから久しぶりにメールがとどきました。「遅々として進まぬ復興に苛立ちを覚える」という内容の長い手紙と,行政の窓口とのやりとりの記録,それに地方紙の情報と盛り沢山のメールでした。

 メールの地の文章には明らかに疲労の色が現れていて,それを読むわたしを驚かせるに充分なものが伝わってきました。ご本人も「推敲してない文章で申し訳ない」と断っていらっしゃいますが,相当の蓄積疲労の表出ではないか,とわたしは心配しながら想像をめぐらせています。

 Tさんの主たる訴えは,「復興」を担当する行政の窓口の複雑さ,手際の悪さ,無責任さに集中しています(この話,プライバシーの問題もありますので,いささか加工してあります)。Tさんは,ころころ変わる「復興」のための担当窓口の名前に翻弄され,そのつど,説明会が開かれるものの,どうも要領を得ないと困惑していらっしゃいます。そこで窓口で直接交渉すると,隣の窓口で聞いてくれ,という具合にたらい回しにされてしまう。ようやく,この窓口で担当してくれるということがわかって書類を受け取るも,この書類を読み取り,理解するまでに相当の時間と努力が必要だといいます。そして,ようやく書き込んで提出すると,間違いが多く書き直しを命じられる,とのこと。もう少し丁寧に教えてくれてもいいのにと思うものの,担当者の人数が足りないために,後ろに並んでいる人への対応に追われてしまうので,どうにもならないといいます。ですから,ただひたすら「忍」の一字で,我慢し,何回も何回も役所通いをするしかありません,と訴えていらっしゃいます。

 こうした複雑な行政手続きの具体的なご自身の経験を,ひとつの事例として記録にまとめ,それらをPDFにして送ってくださいました。せっかくの記録ですので,わたしも時間を割いて,必死になって読んでみますが,素人であるわたしには理解不能の場面がいくつもでてきます。ほんとうにこんなことが行われているのだろうか,と疑問に思うところも少なくありません。とにかく,たったひとつの簡単な行政手続きを完了するまでに,信じられないほどの時間がかかっている,ということが手にとるようにわかります。

 それでも実際に「補助金」が下りるまでには,まだまだ,気の遠くなるような行政手続きが必要なのだそうです。これが,Tさんが直面している現実であり,日常なのか,と信じられない思いでいっぱいです。いまもなお「蛇の生殺しのような世界」から脱出できないまま,格闘していらっしゃるのかと思うと頭が下がります。

 Tさんから送っていただいた資料を読んでいると,国は,どう考えてみても一般の被災者には「補助金」を下ろしたくないのではないか,と思えてきて仕方ありません。行政の担当者もまた,こんなに複雑な書類を書くことにとまどいを感じつつ,被災者にどのように説明したらいいのか困惑している,というのも一方の現実のようです。この行政手続きという分厚い「壁」の前で,多くの被災者は茫然自失の状態に陥り,思い悩んだ結果,ついには故郷を捨てて,どこかに移住してしまう人も少なくないといいます。

 こんな情報に接して間もないころに,偶然,知り合いの弁護士さんとお会いすることがありました。まだ,比較的若い(とはいえ40歳代の半ば?)この弁護士さんは「3・11」以後,福島の南相馬市を中心にボランティア活動をつづけ,いまも通いつづけているとのことです。その弁護士さんもまた,Tさんが直面していることと同じようなお話をなさっていました。

 あまりに複雑な行政手続きのために,被災者は「もういい」「補助金はいらない」と諦める人が続出しているといいます。それでも諦めないで「補助金」を申請する手続きができるようにと思って必死で支援しているのだ,と。

 そして,補助金支給のための「特措法」(特別措置法)をつくって対応しないかぎり「復興予算」はあっても使えないまま,使い残しているのが現状の姿だと,この弁護士さんも訴えていらっしゃいます。だれの眼にも困っている人は一目みればわかる話なのに・・・・。法治国家の悲しい隘路にはまり込んだままのお役所仕事。せめて,例外措置を。この際にかぎり。

 特別予算を組んだ「復興予算」は,もっとも必要な被災者の手にはなかなかとどかなくて,まったく関係のない「もんじゅ」関連の機関に「42億円」ものカネがいとも簡単に流れていく,この矛盾をわたしたち納税者はきびしく追及していく必要があると思います。「復興予算」がゼネコンには流れやすく,地元の零細な土木業者には流れにくい,という構造も同じです。

 「復興予算」は国が末端まで管理するのではなくて,大枠の予算を地元の地方自治体に応分に配分して,その使い方については現場に一任すべきではないのか。そうしないかぎり,いつまで経っても被災者の手には一銭もわたらないことになりかねません。すでに,一年半を経過しているという現実を考えると悲しくなってきます。

 わたしたちは,なにかとてつもなく大事なものを,カネと引き換えに,どこかに置き忘れてきてしまったようです。原発の問題も,まったく同じ構造です。オスプレイの配備の問題も同じです。

 人間の生き方の根源からの問い直しなしには,日本の真の「復興」はありえない,と日毎に強く考えるようになりました。

『日本の聖地ベスト100』(植島啓司著,集英社新書)を読む。

 愛知県の三河地方に「本宮山(ほんぐうさん)」という名の山がある。豊橋市の市街地からみるとほぼ北の方角に,頂上が三角形のバランスのいい山懐をもった山並みがみえる。その三角形の山が「本宮山」だ。わたしの育った豊橋市大村町からみると「真北」に位置する。だから,子どものころから方角を確認するときには,まず,本宮山の位置をみとどけてから判断する習性が身についていた。

 この本宮山。なぜ,本宮山という名なのか,長い間,疑問に思っていたが植島啓司さんの『日本の聖地ベスト100』を読んで瓦解した。答えは「本宮」(もとみや)の山ということ。つまり,本宮山の麓には三河一宮といわれる立派な構えの砥鹿神社があって,それの「本宮」のある山という意味だ。本宮山のほぼ頂上にはその嶺宮が祀られている。しかも,その奥には「奥の院」がある。つまり,そこがそもそもの「本宮」なのだ。それは,山頂の嶺宮からかなり谷間をくだったところに,ひっそりとある。しかも,鬱蒼とした灌木に囲まれた,その奥まったところには洞窟があり,水がこんこんと湧き出ている。まさに,「聖地」の気配があたりを支配している。

 『日本の聖地ベスト100』の著者の植島さんによれば,洞窟と水脈がセットになっているのが「聖地」の基本条件のひとつであり,そこはまことに辺鄙なところで,なかなか見つけにくいところにある,という。そのはるか手前の,見晴らしのいいところに小さな社を建てて「嶺宮」を祀る。そして,さらに,人びとの住む一番立地条件のいいところに大きな構えの社を建てて,勧請し,神様を祀る。
これが,日本の聖地と呼ばれる神社・仏閣の基本構造である,と植島さんはいう。

 平地に下ったところに大勢の信者たちを集めて,大きな祭祀を司ることのできる立派な境内をもつ神社・砥鹿神社=三河一宮は,そのすべての要件を満たしている,立派な聖地なのだ。

 なるほど「本宮山」。三河平野を睥睨する,もっとも高い山。小学校の6年生になると,みんなが遠足で登る山だ。わたしは小学校の校庭から,みんなで隊列を組んで,一直線に本宮山をめざしたことを昨日のことのように記憶している。大人でも敬遠するほどの,相当の強行軍だ。いま,考えると先生もたいへんだったんだなぁ,と感心してしまう。早朝に出発して夕刻に学校にもどってきたように思う。しかも,相当に疲れて・・・。

 さて,本題の『日本の聖地ベスト100』。わたしは,以前からの植島ファンのひとりで,この人の本はなぜか追いかけて読んでいる。一番最初は,どこかの雑誌で鷲田清一さんとの対談を読んで,すっかりとりこになったことを覚えている。この本との関連でいえば『世界遺産 神々の眠る「熊野」を歩く』(集英社新書)という名著がある。宗教人類学者としての知見をふんだんに盛り込んだ,しかも,だれにも読める,すとんと腑に落ちる名著である。

 ときには,大いに脱線して,きわめて人間的なお話の本も書かれる。『「頭がよい」って何だろう』『偶然のチカラ』などは序の口で,なかには『性愛奥義 性愛の『カーマ・スートラ』解読』という本まである。そのために,しばしば物議を醸しだしたことでも有名だ。しかし,真の意味で,植島さんは宗教人類学者である,とわたしは信じて疑わない。

 その植島さんの卓見によれば,日本の「聖地」は,まず間違いなく鬱蒼と繁った森の奥深くに秘められた「場所」に存在しているという。そして,その聖なる「場所」の多くは,水脈と鉱脈がセットになっているという。水脈には洞窟や瀧があり,さらに竜神にまつわる話があり,子孫繁栄や五穀豊穣の儀礼とも深く結びついているという。また,鉱脈は,古代人のこころを捉える水晶や玉をはじめとする呪術用の呪具の原材料を産出したり,鉄や丹を産出する場所として,むかしから大事にされてきた経緯があるという。

 日本列島は,四つのプレートと多くの火山が生み出す複雑な地形をなしている。それが無数の「聖地」を生み出す源泉になっている,と植島さんは結論づける。大自然の生みなす「聖なるもの」への畏敬の念は,日本人のこころの奥底に,長い時間をかけて構築されてきたものであることを,軽視してはならない,と植島さんは説く。

 なかなか奥の深い本としてお薦めである。

2012年9月19日水曜日

ハラハラ,ドキドキ,日馬富士。勝ちを拾うのも実力のうち。

 今日(19日)のような,こんな危ない相撲をとっていると,またまた,怪我をしてしまう。千代の富士が「ウルフ」という異名で呼ばれた平幕時代の相撲を思い出す。相手の肩ごしに上手をつかんで,そのまま振り回し,強引に投げ飛ばす。投げ飛ばせはいいが,投げ飛ばせないときには「肩関節脱臼」。そして,休場。その結果,エレベーター力士となる。

 お相撲さんに怪我はつきものだ。でも,怪我をしないからだと取り口を身につけないと,上位には上がれない。幕内の力士よりもはるかに大きなからだをした付き人をよくみかける。この人たちは将来有望な力士たちなのだが,その多くは怪我に泣く。そして,そのまま消えていく。その怪我を克服するための「からだづくり」と得意の相撲の「型」(取り口)を身につけた者だけが上位に上がっていく。そして,横綱に到達する。

 千代の富士はその典型的な力士だった。

 ここにきて日馬富士がドタバタした相撲をとっている。今日も,素早く左上手をとり,出し投げを打って,これで押し出せば終わり,という手口だった。が,途中で手順が狂った。相手の態勢がくずれないまま,しかも右の前みつを掴むこともなく,右を差すでもなく,無造作に寄って出ようとした。その結果,相手に双差しになられてしまった。が,ここからが速かった。強引に左手一本で上手投げにでる。そして,倒れ落ちながら相手の頭を抑えたものの,ほとんど同体で土俵のしたに落ちて行った。当然のことながら「もの言い」。

 テレビの映像で確認した結果,わずかに相手の肘が早く落ちていた。

 まことに際どい勝負だった。運がよかったとしかいいようがない。しかし,あの瀬戸際で,ほんの一瞬,体を残すことのできる運動神経のよさも,じつは実力のうちなのだ。足腰のバネが桁外れに優れているということ。こういう能力の高さが横綱になるための必要条件だ。そして,がむしゃらに勝ちを拾うために反応する本能的なからだ。考える以前に反応するからだ。これが現代の横綱には求められる。あとは,怪我をしない取り口を完成させること。

 残り4日間。上位力士との対戦が待っている。気持ちを引き締めて,今日のような相撲をとらないこと。得意の,つっぱり,のど輪,いなしを繰り出してから,素早く左上手をとること。そして,スピードに乗った切れ味鋭い上手投げを打ってから,右で前みつをとり,寄ってでる。この勝ちパターンに持ち込むこと。

 元横綱栃の海に言わせると,ここからさきは一睡も眠れない夜が待っている,と。日馬富士は,そのあたりは図太そうだから大丈夫だろう。気持ちをうまく切り替えて熟睡すること。そして,リラックスすること。場所に入るまでは相撲のことは忘れて,好きなことに熱中すること。子守でもしながら・・・。

 上位に強い日馬富士だ。ここからが本領発揮だ。
 これからの4日間,ほんとうの日馬富士の相撲が見られるはず。楽しみだ。

「センカク」についての記憶をたどっていくと・・・。日本の「勇み足」?

 相撲では,寄り切って勝ったつもりが「勇み足」で負けだった,ということがある。

 今回の「センカク」をめぐる日本政府の対応は,どこかで勘違いをしているのではないか,と思えて仕方がない。また,メディアの報道も,どこかピンぼけな印象が否めない。テレビに登場する評論家諸氏の言っていることも,どこかズレているように思えて仕方がない。

 素人のわたしのごとき者が口出しをすべき問題ではないことは百も承知しているが,ひとりの日本国民として,発言することは許されていいだろう。すでにボケがはじまっていて,わずかにしか残っていないわたしの記憶によれば,政府の対応はもとより,いま,メディアを流れている情報はどこか奇怪しい。つまり,一番大事なところの議論が抜け落ちていて,まるで「センカク」は日本固有の領土であるかのごとき議論が一人歩きをはじめているように,わたしには思えるのだ。

 「センカク」はどちらの国のものでもない「グレー・ゾーン」に位置している,とわたしはこれまで考えてきた。だから,しばらく前までは,地下埋蔵資源について日中共同開発を・・・という方向で話が進んでいたはずだ。その前提になっていたものは,鄧小平が「日中平和友好条約」の批准書交換のために,来日したときに,「センカクの帰属については議論できる情況が生まれるまでは,このままにしておきましょう」という談話だった,と記憶する。だから,自民党政権時代には,その路線が,日中の了解事項として維持されてきたはずである。

 そこに,わざわざ種火を投げ込んだのがイシハラチンタロウだ。「センカクを東京都が購入する」という,とんでもない発言が,突然,飛びだしてきた。わざわざ眠らせておいた子を「叩き起こして」しまうような行動にでた。この陰には,かなり悪質な企みが感じられてならない。つまり,中国嫌いのイシハラを動かしているアメリカの極右との連携である。もし,これが事実だとしたら歴史に残る大事件になりかねない。

 「センカク」を個人が所有しているだけなら,日中関係を現状のまま維持することができる。事実,維持されてきた。それを「東京都」が購入するとなると,話は一気に違ってくる。しかも,それを,さらに「国が購入」するとなると,これは事実上「国境線」を引くに等しい行為となる。となれば,中国としても黙っているわけにはいかないだろう。なんの相談もなく一方的な「宣戦布告」をされたも同然である。

 中国人の金持ちが,北海道の土地を買い漁っていると聞くと,あまりいい気分にはなれないけれども,それは民・民間の法にもとづく商取引だ。しかし,中国という「国家」が北海道の土地を購入するとなると,これは大問題となるのは必定だ。それに匹敵するようなことを,日本政府はやらかしたのだ。なにゆえに,個人が所有している土地(島)を,わざわざ国が購入しなければならないのか。問題はここにある。この背景にある重大な企みをだれも指摘しようとはしない。

 そもそも「センカク」は,日本の敗戦処理のときにも明確な位置づけはなされないままになっていた,と記憶する。そして,さらに,沖縄がアメリカの統治下に置かれていたときにも,あいまいなままにされていたはず(その当時は,米軍の軍事訓練が行われていたとも聞く)。さらには,沖縄の本土復帰(1972年)のときにも,「センカク」の位置づけはあいまいなままだったと記憶する。つまり,ずっと「グレイ・ゾーン」だったのだ。

 この地域の領土問題が話題になりはじめたのは,日中国交回復(田中角栄)後であり,「日中平和友好条約」が締結(1978年)されてからである。あるいは,翌年(1979年)の「米中国交回復」が正式に樹立してからのことではなかったか,と記憶する。そして,そのひとつの結論が「帰属の問題は棚上げ」ということだったはず。

 つい最近,来日したばかりのアメリカの政府高官(すでに,名前も忘れている)も,「センカク」は日米安保の範囲に入る,と発言はしたが,領土については明言を避けた。つまり,グレイ・ゾーンのままだということだ。

 しかし,これは表向きのこと。アメリカの極右とイシハラとノダ(原子力ムラも含めて)とは,どこかで連携がとれているような予感がする。それが原発推進の力であり,オスプレイ配備の力だ。この成り行きをまるで他人事のように,勝手放題に論評している自民党の次期総裁候補たち。ノダ君に言われたことにも消極的にしか協力しない官僚諸氏。

 長くなってきたので,このあたりで終わりにしよう。結論を言っておけば,政権交代の折に,自民党政権からきちんとした「申し渡し」事項,あるいは「引き継ぎ」事項が確認されていないことのツケがここに表出したということ。そのひとつである「センカク」に関する申し渡しもきちんとなされなかったということ。つまり,自民党の手抜き(=無責任)。そして,官僚の手は煩わせないと宣言した民主党政権に対する官僚の無言の抵抗。その結果,民主党政権は手も足も出せない素人集団と化してしまった。だから,やることなすこと,ドジばっかり踏むことになる。このままの状態がつづくと,日本は間違いなく「沈没」する。その先陣を切る種火である「センカク」問題を発端にして,とんでもないことになりかねない。つまり,「ドンパチ」のはじまり。

 それを回避する手だてはただひとつ。「センカク」を個人の所有にもどすこと。そして,「帰属問題は棚上げ」にして,じっくりと話し合いのできる情況が生まれるまで「待つ」こと。鄧小平の深い智慧に学ぶべし。つまり,時期尚早,ということ。

 とんだ「勇み足」で終わってくれることを祈るのみ。



2012年9月17日月曜日

「かかとからつま先へ」,足の運び方は歩くときと同じです。(李自力老師語録・その18.)

 李自力老師の足の運び方は,じつに神経がゆきとどいていて,しかも滑らかで美しい。その美しさはまぎれもなくアートの世界に通じるものだと思います。そのアーティスティックな足の運び方を見習うべく,一生懸命に努力するのですが,なかなかその域に近づけません。

 そこで,これまでにも何回も,足の運び方についてお尋ねしてみました。が,そのつど答えは微妙に違います。それは,たぶん,そのときどきのわたしの上達度に合わせてお話をしてくださるからだと思います。そこで,これまでに伺った李老師の説明をわたしなりに整理してみますと,以下のようになろうかと思います。

 「足の運び方は歩くときと同じです」。つまり,「かかとからつま先へと体重を移動させる,ということです」。これが一番最初に受けた説明でした。そして,人が歩くときにどのように足を運んでいるか,実演してみせてくださいました。そうでない,悪い見本もみせてくださいました。こちらは大笑いしてしまいました。

 それですっかり分ったつもりになって,稽古をしていたのですが,なかなか「歩くときと同じ」ように足が前にでてきません。で,そのつぎに李老師がしてくださった説明は「お尻を巻き込むように」,あるいは「尾てい骨を巻き込むように」すると足は自然に前に送り出されてきます,というものでした。さあたいへんです。この「巻き込む」という身体感覚がピンときません。ふだんはほとんど意識したことのない身体感覚です。

 こちらも意識的に「巻き込む」稽古を積み重ねていくうちに,なんとなくわかってきました。つまり,ときおり絵に描いたようにうまくいくことがあります。しかし,確実に,いつでもできる,というところに達しません。つまり,安定しないのです。

 そこで李老師にお尋ねしてみますと,こんどはつぎのような説明がありました。「軸足にしっかりと体重を乗せて,ふらつかないようにすること」。つまり,どんなことがあっても「軸足がゆるがない」ところまで鍛えなさい,と。また「軸足がふらつくから,足をスムーズに前に送り出すことができないのです」とも。そして,よい見本と,わるい見本とを実演してみせてくださいます。大爆笑しながら,なるほどと納得です。

さあ,こんどは「ふらつかない軸足」「磐石の軸足」をわがものとすべく稽古に専念。しかし,この課題は一朝一夕では達成できません。いまも,まだ,ときどき「ふらついて」しまいます。が,少しずつその回数は減ってきたように思います。が,それでも李老師のようにはなりません。そこで,つぎなる質問を繰り出します。すると,こんどはつぎのような説明がありました。

 「軸足の股関節をゆるめなさい」と。それができれば,「腰がスムーズに回転するようになります」と。つまり,軸足を安定させ,軸足の股関節をゆるめて,尾てい骨を巻き込むようにして足を前に送り出すと,腰は自然に回転する,というわけです。そうして,李老師は,少しオーバーにやってみせてくださいます。またまた「なるほど」と納得。

 しかし,「納得する」ことと,「できる」こととは別問題です。納得した上で稽古をする,ここが大事なところではないかと思います。いまのわたしの段階で李老師が説明してくださったのは,ここまでです。たぶん,もっともっと奥は深いのだろうと想像しています。なぜなら,李老師のアーティスティックな足の運びは,そんなレベルではないからです。

 なぜなら,李老師のからだそのものが「快感」につつまれているように,わたしにはみえるからです。たぶん,全身が「快感」に浸りながら,その「快感」から押し出されるようにして,足が前に運ばれているのではないか。そんな風にみえるからです。だとすると,その域に達するには,まだまだ道は遠く険しい,ということでしょう。

つぎなる課題は,こころの問題になりそうです。
心地よさそうに歩いている人の姿は美しい。
しかし,その前に克服しなければならない課題はいくつもあります。
ただひたすら,納得して稽古する。これあるのみ。

2012年9月16日日曜日

もはやメルトダウンとしかいいようがない民主党政権の迷走ぶり。

 あしたに「原発ゼロ」をかかげたと思ったら,ゆうべには「原発建設継続」を宣言し,夜が明けたら復興予算のうち42億円を「原子力ムラ」に流用しているという記事が踊る。もはや狂気の沙汰どころではない。政権のメルトダウンそのものだ。もはや手のつけようがない。フクシマの原発とまったく同じ状態に陥っている。

 ほんのいっとき,死んだふりをしていた原子力ムラが,黒幕のアメリカさんの強いバックアップを得て,こんどは堂々と表舞台で踊りはじめた。日本という国家はアメリカさんのいいなり。日米安保条約がきっちりと生きている。原子力ムラも原発(電力各社)もすべてはアメリカさんと手を結び,日本の政治を思いのままに動かしてきた。民意がこれほどまでに「原発ゼロ」を求めているというのに,そんなことはどこ吹く風とばかりに無視しつづけている。国民の命よりもアメリカさんのご機嫌を伺うことの方が大事なのだ。すべてはアメリカの国益にもとづく。

 そこまで強い意志をお持ちならば,原発がどうしても必要だというほんとうの理由を,もっと高らかに宣言してはどうか。原発を維持することは最終的に「原爆」を保持することに目的がある,と。すでに,スクープされているように,いま現在の使用済み核燃料だけで,4800発(長崎型原爆)分の原爆を製造することが可能だという。つまり,「核抑止力」として原発は必要なのだ,と。

 ところが「核」は平和利用以外には保持できないことになっているために,口が裂けても言えない。だから,原発にかこつけて「核」を保有したいのだ。ただ,それだけ。それ以外の原発維持の理由はすべて「ウソ」だ。根拠のないでっちあげだ。ドイツ政府の試算でも,原発よりは再生可能エネルギーの方が安上がりだ,とはっきりしている。日本政府の原発政策は,とにもかくにも「原発ありき」のための口実にすぎない。

 オスプレイ配備の問題も同根だ。安全性に問題があるかどうかなどは「眼くらまし」(相撲の手)に等しい。問題は,沖縄の米軍基地をますます強化することにある。民意をねじ伏せてでも沖縄の米軍基地はますます強化されていく。本土復帰の折に約束された「本土並み」の基地問題が,40年を経たいまも,このありさまだ。そこに問題がある。そのことを沖縄の友人たちは声を大にしてわたしにも訴えてくる。そして,いま,民主党政権は「沖縄県民10万人集会」の意志表明をも無視しようとしている。

 原子力ムラの片棒をかつぐ多くのメディアは,こうした問題の本質に迫る情報をいっさい取り扱おうとはしない。そして,それが「世論」を形成しつつある。困ったものだ。あえて指摘しておけば,『東京新聞』でさえ,ときおり,トーンダウンすることがある。おやおや,裏側では相当のプレッシャーがかかっているな,とわかる。

 いまや,日本国民の意志を,ごくふつうの暮しをしている国民の意志を代表する政府も政党も政治家もいない。いまや,日本の中枢部から,完全にメルトダウンを起こしている。手のつけようがない。そして,そこから脱出する手立てもない。フクシマの原発同様,息を顰めて,じっと見守るしかないのか。でも,こちらは決死の覚悟で原発と向き合っている人びとがいる。日本の政府,政党,政治家をなんとかしてやろうという人はだれもいない。

 ことばの正しい意味での「批評家」の存在が霞んでしまっている。なぜなら,本格的な「批評家」をメディアが登用しないからだ。それどころか,完全に排除・隠蔽しようとしている。そして,原子力ムラの片棒をかつぐような節操のない「評論家」たちばかりが徴用され,さも,それが「世論」の良識であるかのように振る舞っている。こうして,国民は完全に「操作」されることになる。

 困ったものだ。さきの選挙で,民主党に一票を投じたわたしは,どのように責任をとればいいのか。日々,悩んでいる。悲しいこと限りなし。

日馬富士の綱とりがみえてきた。絶好調からくる風格。

 今場所の日馬富士の顔つきが変わった。からだも一回り大きくなってどっしりしてきた。それでいて動きは速い。すでにして横綱の風格をにじませている。絶好調が全身に漲り,それがオーラとなって表れている。だれよりも稽古をしたという自信がにじみ出ている。日馬富士が,これまでの世界とは別次元に一歩踏み出した,そういう印象の強い場所になっている。こういう日馬富士に化ける日を心待ちにしていた。

 今場所は13勝で横綱が手に入る。しかも,3大関が休場。二つ星を落してもいいという余裕がある。こうなれば万全だ。調子のいいときの日馬富士は白鵬に負けたことがない。なぜなら,白鵬は日馬富士のスピードについていかれないからだ。これもまた大きな自信につながる。このまま行けば全勝優勝で横綱が転がり込んでくる可能性大である。

 からだの細かった平幕の安馬の時代から,どんな相手にも逃げることなく真っ正面からぶつかり,一歩も引かないという相撲を旨としてきた。その姿勢が好きだった。負けても負けても真っ正面からいく。そして,そこからスピードのある突っ張り,のど輪,いなし,はたき,などの変化で自分十分となる。その相撲を長い時間をかけて磨いてきた。

 しかし,怪我に泣いた。からだが小さい,軽量の弱みといわれた。そのために,大関の手前で足踏みをした。大関になってからも怪我に泣いた。横綱になるチャンスも一度逃がしている。その教訓を生かして,猛然と稽古を積んだ。いつもにも増して稽古に励んだ。つまり,怪我をしないからだをつくった。それが今場所の日馬富士のからだだ。ひとまわり大きくなっている。このからだからにじみ出てくる,自信に満ちた顔,所作などに隙がない。

 そして,こんどが2回目の綱とりのチャンスだ。できることなら,千秋楽まで白星を重ね,全勝同士で白鵬と対決してほしい。白鵬の右からの張り差しをかいくぐって,突っ張り,のど輪,いなしで攻めておいて,左上手をつかみ出し投げを打って体勢をくずして寄り切り,という理想の型に持ち込めるかどうか。今場所のスピードなら可能だ。しかも,相手がよくみえている。

 ここにきてようやく日馬富士の「心・技・体」の3拍子が揃った。見違えるような風格さえ漂わせている。今場所の日馬富士の姿を,テレビではなくて,本場所に行って,この眼で確かめたいところだが・・・・。はたして,そのチャンスがつかめるかどうか,わたしの方に自信がない。できれば,千秋楽の取り組みはみておきたい。その結果いかんによっては,白鵬のこんごがみえてくる。日馬富士の調子がよければ,白鵬のからだよりも大きくみえてくるはずだ。

 相撲にかぎらず,絶好調のときの芸能者(あらゆるジャンルの)にはオーラがでている。とくに,相撲ははだかなので,それがじつによくみえる。からだが輝いてみえるのだ。場合によっては全身から白い粉が吹き出しているようにみえる。それはそれは美しい。力士のからだが美しいと感じられる瞬間だ。場所にでかけて行って相撲をみるわたしの楽しみの,ひとつのみどころである。

 だから,なおさらのこと,今場所の日馬富士のからだをこの眼でみておきたい。
 そのチャンスがつくれるか,どうか。
 今場所は千秋楽まで眼が離せない。
 楽しみな場所だ。

 全勝で綱とりだ。


2012年9月15日土曜日

「視覚の人」から「聴覚の人」へ・奄美自由大学2012。

 奄美自由大学の最終日(9日),島料理の昼食をご馳走になった笠利町大笠利のバンガローの2階のベランダから,絶景の奄美大島北端の海を眺めていました。奄美大島のほとんどの海岸は切り立った山がそのまま海になだれこんでいます。が,唯一,島の北端地域は平坦な土地が広がり,海も遠浅で,美しい珊瑚礁がかなりの沖合まで広がっています。ですから,珊瑚礁独特の波打ちがあちこちにみられます。お腹もいっぱい,ビールの酔いもあって,ベランダの外に両足を垂らして坐り,手すりに両腕を重ねて顎を乗せて,美しい珊瑚礁の波打ちの様子を眺めているうちに,何回も眠りに落ちていました。

 ハッと目を覚ますと目の前に美しい景色と波打ちの音。ときおり通りすぎていく風がソテツの葉を揺らす音。ただ,それだけ。しかし,意識して眼を閉じると波打ちの音がわたしの全身をつつみこんできます。そして,絶え間なく打ちつづける波打ちの複雑な音の組み合わせが少しずつわかってきます。その音にしばらく耳を傾けて,全身をゆだねてみました。リズムもメロディーもありません。ただ,ひたすら波打ちの音が絶え間なく不規則にくり返されているだけです。そのうちに,わたしのからだは波の音のなかに溶け込んでしまいます。波打つときには波と一緒に海面を転がり,そのあとは海面に浮かんだまま一路,汀に向かって進んでいきます。そして,砂浜の上に置き去りにされてしまいます。そこで,ハッとして眼を開いてしまいます。

 すると,こんどは一気にわたしの視覚を美しい珊瑚礁の海が独占してしまいます。と,とたんにわたしの全身をつつんでいた波の音が急に遠ざかり,景色がわたしの意識を独占していきます。そして,波の音は単なるBGMになってしまいます。

 眼を閉じると波の音。眼を開くと美しい景色。わたしの意識とは関係なく,わたしを独占する主役が交代してしまいます。つまり,感覚器官のはたらきに優先順位があるのです。視覚が最優先。

 わたしたちはいつのまにか,眼にみえるものに「信」をおく生き方が習慣化しています。ここから話は一気に飛躍していきます。視覚優先の生き方は,どうやら「近代」という時代の所産ではないか,と。そして,「前近代」までは,その逆で,聴覚優先の生き方がなされていたのではなかったか,と。つまり,聴覚人間から視覚人間へと,「近代」という時代が人間を変化させたのではないか,と。そして,そのとき,ごくふつうに生活している人間にとってなにが起きたのか,と。

 さらに,話を飛躍させてみましょう。近代の初期の発明のひとつに「電気」があります。この電気のお蔭で,わたしたちの生活は飛躍的に変化しました。そのひとつが,闇を照らす明かり(電灯)でしょう。その明かりが,言うまでもなく,わたしたちの環境を一変させてしまいました。これまで「闇」のなかに閉じ込められていた「夜」の時空間が,太陽の照る時空間のなかに組み込まれていくようになりました。そして,都会から闇は追放されてしまいました。不夜城の登場です。

 人間の聴覚は,視覚では捕捉することができない時空間に対して,大いに力を発揮します。つまり,闇の世界の主役は聴覚です。それにつづいて触覚や臭覚や味覚が働くことになります。さらには,第六感というものが登場します。あるいは,気配を感じ取る,直感と言ってもいいでしょう。しかし,科学万能の時代である近代にあっては,第六感も,気配を感じ取る直感も「非科学的」(あるいは「迷信」)という名のもとに,ことごとく抑圧・排除・隠蔽されてしまいました。

 しかし,視覚を遮断された闇の世界では,視覚以外の五感に頼るしか方法はありません。ところが,この五感の機能が「近代」の進展とともに低下するということが起きてしまった,と言っていいでしょう。

 現代社会を生きるわたしたちのからだは,好むと好まざるとにかかわりなく,視覚中心(視覚依存)の生活環境のなかに放り込まれています。その結果として,視覚以外の他の感覚器官の機能低下が起きている,という次第です。しかし,わたしも含めて多くの人びとはそのことを忘れて日常の生活をしています。そのトータルの結果が,現代社会の諸矛盾となって露呈しはじめている,と考えるのはいささか飛躍にすぎるでしょうか。

 奄美自由大学のことしのテーマは「沈黙」でした。この「沈黙」をどのように定義して思考を展開すればいいのかということになりますと,ここにはいささかやっかいな問題があることに気づきます。しかし,「沈黙」というテーマにもまた「近代」という補助線を一本引いて考えてみますと,意外にすっきりとした思考を展開させることができそうです。

 この手法は,じつは,わたしの長年取り組んできたスポーツ史研究やスポーツ文化論では,いまでも用いているものです。ですから,「沈黙」のテーマはわたしの研究にとっても不可欠のものでもあります。

 スポーツ競技の世界にあっても,視覚の及ばない「沈黙」の世界に踏み込むことは,競技力を高める上では不可欠です。しかし,現状では,メンタル・トレーニングだとか,イメージ・トレーニングと言ったスポーツ科学の成果で代替しようとしています。しかし,これは,言ってみればきわめて表層的な応急措置にすぎません。

 奄美大島の北端の珊瑚礁の海を眺めながら,こんなことに思いを巡らせていました。気がつくと,いつのまにか,わたしのとなりに今福さんが,わたしと同じような姿勢で坐って,黙って海を眺めて
いました。お互いに「沈黙」を守りながら・・・・。

2012年9月14日金曜日

明日(14日)の毎日新聞夕刊のコラム「スポーツを考える」にわたしが登場します。

 明日(15日)の毎日新聞夕刊のコラム「スポーツを考える」にわたしの記事が掲載されることになりました。大きさは5段組み,26行どり。その中に見出しと顔写真と略歴が入ります。かなり大きなコラムです。そのゲラが,昨日(13日),落合記者から直接渡されました。記事の最後のところに〔構成・写真 落合博〕とあり,見出しは「3・11後の論理構築を」というものです。なんだか嬉しいような,面はゆいような妙な気分です。

 じつは,一昨日(12日)の段階で,原稿の下書きが落合記者からメールで送られてきて,簡単な修正をして返信したばかりでした。それが,その翌日にはゲラになってでてきたというわけです。新聞社のコラムの段取りというのはこんな風に進むものなのだと感心しました。

 でも,ここまでくるにはかなりの手間がかかっています。

 ある日,突然,毎日新聞社の落合博記者から連絡が入り,一度,お会いしてお話をうかがいたい,とのことでした。オリンピック前でしたので,その話だろうか,それともそれ以外の話なのだろうか,いろいろ考えました。いったいなんだろうと思いましたが,まずは,渋谷の喫茶店でお会いしました。ところが話の途中から,「取材」に切り替えさせてもらっていいですか,ということになりボイス・レコーダーが置かれることに。

 最近の新聞記者の中には,ときおり,とても横着な人がいて,わたしの書いたものを一冊も読まないで〇〇さんに紹介してもらいました,と言ってやってくる人がいます。そういう場合には,即座に,お帰りくださいといってお断りすることにしています。はたして,落合さんはどうかなと半信半疑のままお会いしてみました。落合さんは,とても生真面目に予習をしてこられました。これならばと話に気合が入った瞬間に「取材」ということで・・・ということになりました。

 このときは,喫茶店が騒音でうるさくて,ボイス・レコーダーもうまくわたしの話をひろうことができなかったのではないかと思います。と思っていたら,それからしばらくして,もう一度,取材をということになりました。こんどは,わたしの鷺沼の事務所にきていただきました。ここなら静かに,落ち着いてお話ができると考えて・・・。これは正解でした。顔写真もこのときに撮ったものが掲載されます。

 落合記者から促されるままに,あれもこれも饒舌に語ってしまい,あまりまとまりのない話をしました。ところが,出来上がってきた原稿をみて驚きました。力点のおき方は多少異なるとしても,わたしが言いたかったことをじつに要領よく,限られたスペースのなかでまとめてくださいました。ぜひ,本文は新聞でご確認ください。

 この人は面白いと思いました。わたしのお話したことは,いま考えていることのほんの一部でしかありません。ので,この続編はぜひ「取材」とは関係なく,鷺沼の「延命庵」でやりましょう,ということになっています。3・11後のスポーツをどのように考えていけばいいのか,その思想・哲学的基盤を固めるにはどうすればいいのか,それが喫緊の課題です。3・11前までのスポーツについての考え方をいかに批判的に超克していくか,そのための理論的根拠を明らかにすること,これが「21世紀スポーツ文化研究所」の課題です。

 もう一つ,裏話をしておきますと,落合記者が掲載紙のゲラを直接手渡してくださったのは,なんと柏木裕美さんの画廊企画展の初日の会場・ギャラリーG2でした。ついでに,ギャラリーG2での柏木さんの能面展は圧巻です。来られた方たちが,みんなびっくり仰天されています。しかも,それぞれの業界での一流の人たちばかりです。落合記者もびっくり仰天された人のひとりです。

長くなってしまいました。とりあえず,明日の毎日新聞の夕刊の宣伝まで。

2012年9月13日木曜日

能面アーティスト柏木裕美さんの画廊企画展が今日(13日)からはじまります。

 以前にもこのブログで書きましたように,能面アーティスト柏木裕美さんの画廊企画展が今日(13日)からはじまります。会期は18日(火)まで。テーマは「愛ゆえに」。

 昨日(12日),太極拳の稽古のあとSさんと一緒にセッティングのお手伝いに行ってきました。こじんまりとした2室に,約180面を飾りました。テーマの中心となる「愛ゆえに」と,白の「大般若」の2面を額に,もう1面を漆塗りの板の上に飾りました。あとは,全部,壁面に直接釘を打って,ほとんど隙間なく飾りました。圧巻です。

 加えて,能面の絵と能面の写真の掛け軸の一部を展示。展示できないものは平積みにして,めくってみていただくようにしてあります。なにはともあれ,柏木さんがいま手元に保存している能面のすべてが一堂に展示されています。一人の作家の能面を,それも180面も,一度に見られるということ自体が奇跡のような話です。

 セッティングするための時間と人手の関係で,とりあえず,全部の能面をはじから手あたり次第に並べることにしました。すると,不思議なことに,これまでとはまったく違った空間ができあがり,見る人を圧倒する迫力満点の展示になりました。

 これまでの展示(たとえば,文藝春秋画廊)では,伝統面(能舞台で用いられる面)のグループ,小面100変化のグループ(小面から般若まで),現代人の顔を能面の様式で表現した面のグループ,という具合に展示されてきました。が,今回は,近くに置いてある面から,つぎつぎに釘を打って,そこに掛けていくという無作為・無意識にゆだねることにしました。その結果が,今回の展示です。ですから,一見したところ雑然としています。が,このカオスのような状態こそ「愛ゆえに」のテーマにふさわしいのでは・・・と思えてきますから不思議です。

 ひょっとすると,日替わりのように,作品の展示位置が変化するかもしれません。もうすでに,昨日の段階でも,いくつかの面は移動させたりしています。ようやくそれぞれの能面の位置が落ち着くころには会期が終了しているかもしれません。その意味では,日替わり展示を楽しみに,足を運ぶのも一興かと思います。
 
 画廊に関する情報は以下のとおりです。
 画廊の名前:ギャラリーG2
 住所:中央区銀座2-8-2 日紫ビル1F
 電話:03-3567-1555

 展示されている場所が2室になっていますので,交代でわたしも留守番の応援にでかけることになっています。運がよければ画廊でお会いできるかと思います。あるいは,事前にメールでご連絡くだされば,時間を合わせることも可能です。

 これまでに前例のない能面展であることは間違いありません。
 ぜひ,お出かけください。

2012年9月12日水曜日

「沈黙する身体」・考(奄美自由大学2012)。

 からだの声を聞け,という。しかし,からだは声を発しはしない。「沈黙する身体」。

 声を発することはないが,さまざまなサイン(信号)は発している。歯が痛い,胃が痛い,眠い,からだがだるい,重い,疲れた,などなど。これらはからだの「負」のサイン。この反対に「正」のサインもある。食欲旺盛でなにか食べたい,頭がすっきりしている,からだが軽い,走りだしたい,ジャンプしたい,などなど。気がつく前にからだが勝手に動きはじめることもある。からだの発するサインは,「正」「負」合わせるとじつにさまざま,多種多様である。じつは,ことほどさように,からだはまことに騒々しいのである。声なき声で自己主張をする。それがわたしたちのからだの実態だ。

 これらのうちの「負」のサインを発しないときのからだは,おおむね「健康」だといわれる。つまり,からだのことを忘れている。意識にものぼらない。完全に忘れられた身体。すなわち,「沈黙する身体」。老子のいう「無為自然」。なさざるなし。自然そのもの。すなわち,為すことのない,完全な状態。

 奄美の島々をめぐりながら,こんなことを考えていた。

 今福さんから送られてきた「奄美自由大学2012への誘い──<ウトゥ・ヌ・クラスィン>」のタイトルは「沈黙する島々──鳥籠(ケージ)の声(ウタシャ)に導かれて」とある。<ウトゥ・ヌ・クラスィン>とは「音の暗がり」という島ことば。「音の暗がり」という表現は論理的にはおかしい。しかし,この「論理」という思考のパラダイムから解き放たれたさきに,じつは「人間の根源的な姿への回帰」が可能になるのだろう,とこの案内文は教えてくれる。そして,「小鳥を鳴かせずに鳥籠に入れる」(荘子)ことが可能となるのだろう。

 これはまた,老子のいう「無為自然」と同じ境涯というべきだろう。老荘の世界。この世界は「論理」を超越している。<ウトゥ・ヌ・クラスィン>もまた同様。その「音の暗がり」を尋ね歩いてみませんか,と今福さんは誘う。「群島が古くから受けついできたカナシャル(愛おしい)<沈黙>」を,と。

 奄美大島─加計呂麻島─請島。可能なかぎり「移動溶液」となって,島々を渡り,そして,もどってくる旅の間,ずっと「カナシャル<沈黙>」に思いを馳せていた。

 近代の文明化された社会は,ひたすら科学的合理主義に信をおき,論理的にものごとを考える教育を推し進めてきた。そのゆきついた果てが,いま,わたしたちが直面している現実の社会だ。バタイユのいうところの「有用性の限界」が露呈してしまった社会だ。そこを超えでていくにはどうしたらいいのか。今福さんは,それを『群島─世界論』のなかで展開している。大陸ではなく「群島」の側から逆照射してみようではないか,と。

 この問題は,近代スポーツ競技の世界にも通底している。

 これからも少しずつ,近代論理を超克するための道すじを尋ね歩いてみたいと思う。今回の奄美自由大学の経験もまた,その強烈な刺激となって,わたしのからだの奥深くに刻み込まれることになった。もって瞑すべし,としみじみ思う。

 とりあえず,今回はここまで。





2012年9月11日火曜日

「重くなったり,軽くなったりする身体」の経験・奄美自由大学2012.

 そのむかし,そう,いまから50年以上も前のことです。わたしが山登りに熱中していたころのことです。山に行くとからだが軽くなることに気づきました。でも,それはとてつもなく重いザックを担いで頂上をめざし,山小屋に到着してザックをおろしたときの重力からの解放によるものだ,と思っていました。テントを張ったり,飯盒炊飯の準備をしたり,水汲みに行ったりするときのからだの軽さは,街中の日常のからだの感覚とはまったく別の経験でした。

 しかし,それが山だけのことではない,ということにやがて気づきます。街中でも,聖地と呼ばれるような神社や仏閣,あるいは,大きな墓地などに行くと,からだが軽くなるところと重くなるところがあることに気づきました。そんなことに気づいてからは,あちこち旅にでるたびに,その感覚を楽しんでいました。長く勤務していた奈良という「地」には,いろいろのところにそういうスポットがあることに気づきました。いまは,単なる荒れ地であったり,森になっていたり,古い遺跡であったりするようなところに,「おやっ?」と思うところがあちこちにありました。分け入ってもっと奥まで行ってみたくなるところと,すぐに引き返したくなるところとは,はっきりとしていました。とくに,柳生街道をたどって山のなかに入っていくと,あちこちに,そういう「気配」を感ずる場所がありました。

 60歳をすぎてからの経験では,沖縄の本島でのものがあります。とくに,グスクやウガンショに接近すると,からだが軽くなったり重くなったりすることがあります。総じて,沖縄の本島では,からだが重くなるところが多いのは,仕方がないことではありますが・・・・。

 それと同じようなことが,奄美大島でも起こりました。昨年も「おやっ?」と思っていましたが,あまりいい話ではありませんので,できるだけ独りで「気配」を楽しんでいました。

 が,ことしは帰路に,最南端の請島から加計呂麻島を経て奄美大島に上陸したときに,突然,ひとりの女性が大きな声で「これってなにっ?からだが急に軽くなったぁ!」と叫んだのです。それに釣られるようにして,「わたしも」「わたしも」という声があちこちであがりました。なぜか,女性の声がほとんどで,男性は感じても黙っていたのか(「沈黙」を守って),男性の声は聞かれませんでした。

 わたしはできるだけ聞き役に徹して,「えっ?請島から加計呂麻島では感じなかったのですか?」と聞いてみました。すると,なかには「わたしはそのパターンでした」という女性が何人かいました。が,不思議なことに,その逆の人の声は聞かれませんでした。

 たまたま,ここに集まってきた女性たちにそのような感性の鋭い人が多かったということなのかなぁ,と考えていました。そして,女性よりも男性の方が鈍感なのかなぁ,などとも思ったりしていました。が,あとで聞いてみますと,男性にも何人かは,それに類することを感じたという人はいました。

 わたしは,じつは,奄美に到着したときから,からだが軽くなるのを感じていました。それは去年も同じでした。そして,さらに,加計呂麻島に上陸すると,もっと軽くなるのです。そして,請島に上陸してしばらくすると,さらに「ハイ」になっていることに気づきました。

 民宿の部屋でお茶を飲みながら話をしているうちに,これはなんだろう,と感じたので急いで外にでました。すると,民宿の庭の奥にお地蔵さんが立っていました。やや斜めに海の方を向いていました。しかも,新しくて立派なお地蔵さんです。わたしの育った地方(愛知県豊橋市)では,自宅にお地蔵さんを立てるということは聞いたことがありません。ですので,かなりびっくりしました。そのすぐ隣にはあまり大きくはないけれども,少し変わった石片が並べてありました。こちらはどう考えてみても神道系です。まあ,神仏混淆というところでしょうか。

 どうも,このあたりが「ハイ」になったきっかけのような気がしたものですから,そっと口のなかで般若心経を唱え,小さな鐘が置いてありましたので「チン」とひとつ鳴らしてみました。そして,「あっ!」と気づきました。

 そういえば,民宿の玄関には「永平寺」と書かれた下駄が一足,置いてありました。ということは,この民宿のおやじさんは仏教にも信仰をもつ,しかも曹洞宗に信を置いている人なのだろうか,と。そして,そのことと,このお地蔵さんとは無縁ではないな,とひとりで想像していました。こんなところで「永平寺」と大書された下駄に出会うとは想像だにしていませんでしたので,驚きの経験でした。あとで民宿のおじさんに聞いてみようかなとチャンスをうかがっていましたが,大勢のお客さんの到来でとても忙しくしていて,結局,無理でした。

 この日の夜の宴は,やはり請島という「場」のもつ磁力・威力(偉力?意力?)といいましょうか,驚くべき光景を目の当たりにすることになりました。恐ろしく「ハイ」になる人,頭が痛くなって倒れてしまい起き上がれなくなってしまう人,途中で酔いつぶれてしまう人(これはどこにでもある風景),などさまざまでした。わたしは,その前から「ハイ」になっているのを感じていましたので,ちょっと距離をおいたところに陣取り,黒糖焼酎を舐めながら,「ほんわか」とした酔いごこちにまかせて,ぼんやりと全体の情景を眺めていました。最後には,歌と太鼓のリズムに合わせて,みんなが踊りはじめました。しかも,たいへんな盛り上がりでした。

 この輪に入って行ったら,間違いなく熱狂的に踊りはじめるだろう自分の姿がありありとみえていました。こんな経験も珍しいことでした。心地よく酔った自分と醒めた自分が同居していて,そのいずれでもないわたしのからだ。そして,その境界領域をふわふわと漂うわたしのからだを楽しんでいました。ひとり,ぽつん,と。わたしの「沈黙」。

2012年9月10日月曜日

「奄美自由大学」から無事に帰宅しました。ことしも充実の2泊3日でした。

 9月7日(金)から2泊3日で開催されたことしの「奄美自由大学」から鹿児島経由で羽田に帰ってきました。去年もそうでしたが,とても充実した時間を過ごすことができました。

 まずは,毎年,これを主宰されている今福さんに感謝。そして,現地で全面的にわたしたち参加者をサポートしてくださる濱田kosakさんに感謝。さらに,わたしたちの眼のとどかないところで相当の労力を奉仕してくださっている今福ゼミの学生さんや若い関係者の人たちに感謝。もちろん,宿泊・食事でお世話になった現地の人びとの心温まるおもてなしに感謝。最後に,参加されたみなさんとのそこはかとない触れ合いに感謝。初対面の人が多いなかで,こころ安らぐことのできる幸せをしみじみと感じて帰ってきました。

 ことしは昨年につづき2回目の参加でした。テーマは「沈黙」。お蔭で,なにもしゃべらなくてもいいという勝手な解釈をして,自分のこころや思念の世界に浸ることに専念していました。そんな勝手なことを「黙って」許してくださる場,それが奄美自由大学のひとつの魅力だと,これまた勝手に解釈して,存分に堪能してきました。これらの具体的なことについては,いずれまた,わたしなりの体験として一つずつ書いてみたいと思っています。

 ひとことだけ書いておけば,近代スポーツ競技を超克するための「21世紀のスポーツ文化」を考える上で,貴重な体験になったということです。しかも,深いところにとどくものでした。やはり,「その場」に立つ,ということの重要さをいまさらのように再確認させてもらいました。近代スポーツ競技もまた,もとを尋ねていけば,みんなバナキュラーな特色を色濃く温存している伝統スポーツでした。が,それが大きく変化しはじめるきっかけとなったものが,中世から近代への転換,でした。わたしのスポーツ史研究での議論に置き換えますと,前近代から近代への転換,ということになります。このとき,いったい,なにが起きたのか,ということをスポーツ文化をターゲットにして考えてみよう,というわけです。そして,いま,また,近代から後近代への転換,というとてつもなく大きな転換期にわたしたちはいま立ち合っている,という次第です。

 こんなことを考えながらの奄美自由大学での,じつに多くの,さまざまなかたちで,からだに刻み込まれた記憶を,少しずつ記録に変換する作業に,これからとりかかりたいと思っています。どのくらいのペースでここに再現できるかは未知数ですが,楽しみにしたいと思っています。

 今回は,とりあえず,お世話になった多くのかたがたへの感謝と,無事にもどってきました,というご報告まで。

※このブログを読んでいます,という方との出会いもあり,感動しました。しかも,九州にお住まいの女性でした。藍染めの似合う素敵な女性でした。



2012年9月5日水曜日

ピストリウス「あいつの義足は長すぎる」。ブレード・ランナーとテクノサイエンスの問題。

 オスカー・ピストリウスの3連覇がかかっていたパラリンピック200m決勝で,予想外のことが起きた。ダントツのトップを走っていたピストリウスがゴール寸前で追い抜かれ,まさかの2着になってしまったのだ。さすがのピストリウスも心を乱したのか,記者会見で「あいつの義足は長すぎる」と毒づいてしまった。さあ,こうなるとメディアは黙ってはいない。新聞・テレビはもちろん,ツイッターでも言いたい放題。

 しかし,パラリンピックの背後に秘められているもっとも根源的な問題が,これを契機にして一気に噴出した,と言っても過言ではなさそうだ。

 よくよく考えると,この問題は,なにもパラリンピックに限らない。近代スポーツの進展の裏側には,つねについてまわっていたアスリートと用具・施設の問題なのだ。つまり,一般の生活を営んでいるわたしたちにも通じる普遍の問題なのだ。つまり,人間にとって「道具とはなにか」という根源的な問いが,その背後にあるとわたしは考える。

 早速,映像を確認してみると,なるほど,ピストリウスを追い抜いたアラン・オリベイラ(20歳・ブラジル)のブレードは長い。ピストリウスとオリベイラが並んで写っている写真をみても,そのことは歴然としている。

 しかし,IPC(国際パラリンピック委員会)によれば,義足の長さは選手のからだを計測して,身長に合わせて規定しているという。今回も,すべての選手の義足を試合前に確認し,全員が規定の範囲内である,と判断しているとのこと。その結果がこれだ。つまり,かなりの誤差を認めている,ということだ。

 かつて,棒高跳びの競技が竹とスチールとが同時に用いられていた時代があった。日本の選手が活躍できたのは「竹」を用いていたからだ,という説もある。それから時代がくだると,スチールの性能がよくなり,竹では勝負できなくなる。さらに,グラスファイパーという素材が用いられるようになって,こんにちにいたる。つまり,近代スポーツはテクノサイエンスの進展とともに大きく変化してきている。

 この問題が,プレード・ランナーの場で起きただけの話。こういう不公平が明らかになった段階で,みんなが納得できるルール改正を繰り返してきた。だから,IPCも,ピストリウスの意見を聞く場を後日設ける,と言っている。

 ヒトが人間になるときの契機になったものの一つが「道具」だった。そのときから,よりすぐれた「道具」をわがものとするための競争がはじまる。これが人間の歴史を動かしてきた。バタイユに言わせれば「有用性」の追求である。しかし,その「有用性」には「限界」がある,とも断言している。この問題をバタイユは「一般経済学」と「普遍経済学」に分けて,詳細な議論を展開している。ここに,こんにち,わたしたちが直面している諸矛盾のすべてが凝縮している,とわたしは考えている。

 残念ながら,原発はその典型的な事例になってしまった。

 ブレード・ランナーにとっては「ブレードの性能」が大きく結果を左右する。のみならず,ブレードの性能がさらに高まれば,健常者の記録を上回ることになる。その日の到来するのも,もはやそんなに遠くはない,と言われている。その意味では,ピストリウスは時代の最先端を切り開く革命児だったのだ。そのピストリウスを,さらに上回るアスリートが現れた。それがブラジルのオリベイラだった。

 たしかに,100mのコーナーを回ってからのオリベイラの加速は驚異的だった。約8mもの差(ピストリウスの談話による)を残りの100mで縮め,追い抜くということは,ふつうでは考えられないことだ。しかし,それが可能となる時代の幕が切って落とされた。

 パラリンピックには,現代社会がかかえこんでいる諸矛盾が凝縮しているように思う。それらの一つひとつが可視化される「場」として,わたしは注目したいと思っている。それは同時に,スポーツ文化とはなにか,現代社会を生きる人間にとって「スポーツとはなにか」を考える,絶好のチャンスでもある。その意味で,パラリンピックと本気で向き合いたいと考えはじめている。

2012年9月4日火曜日

わたしが生まれる前のわたしの存在へ。「沈黙」への想像力の飛翔──「物質的恍惚」。

 よく知られているように,ル・クレジオの『物質的恍惚』は,生誕前(=物質的恍惚),生誕後(=無限に中ぐらいなもの),死後(=沈黙)の三部構成をとっています。そして,訳者の豊崎さんの解説によれば,生誕前と死後の世界である「物質的恍惚」と「沈黙」は同じだといいます。わたしがわたしの存在をある程度まで確認てきるのは,唯一,生誕後の生きている間(=無限に中ぐらいなもの)だけのことだ,というわけです。

 たしかに生誕前の「物質的恍惚」の時代も,わたしにとっては「沈黙」以外のなにものでもありません。しかし,ル・クレジオの想像力はたくましく,その「沈黙」の世界がまさしく「無限」のひろがりをもっていることを,わたしたちに指し示してくれます。こんな本を27歳にして世に問うたというのですから,わたしには想像だにできません。しかも,ヒンドゥー教との出会いをきっかけにして,ここまて想念をめぐらすことができたル・クレジオという人の,感性の鋭さと内面の世界のひろがりに,ただ,ただ,唖然とするばかりです。

 あのニーチェがゾロアスター教の影響を受けて書いたといわれる『ツァラトゥストラはこう言った』ですら,ニーチェが40歳を過ぎてからの話です。また,バタイユが,きわめて個人的な神秘体験をもとに書いたといわれる『内的体験』にしても,43歳すぎてからのことだといいます。ですから,ル・クレジオがいかに若くしてその天才ぶりを発揮したかは明々白々というわけです。

 その若きル・クレジオが「物質的恍惚」という,現実にはありえない概念を用いて,明らかにしようとしたことはなにであったのか,しばらくはその「無限」の時空間に向き合って,自問自答しながら格闘する以外にはなさそうです。

 で,まずは,その書き出しを引いてみたいと思います。

 ぼくが生まれていなかったとき,ぼくがまだぼくの生命の円環を閉じ終えていず,やがて消しえなくなるものがまだ刻印されはじめていなかったとき。ぼくが存在するいかなるものにも属していなかったとき,ぼくが孕まれて(コンシュ)さえいず,考えうるもの(コンスヴァーブル)でもなかったとき,限りなく微小な精確さの数々から成るあの偶然が作用を開始さえしていなかったとき。ぼくが過去のものでもなく,現在のものでもなく,とりわけ未来のものではなかったとき。ぼくが存在していなかったとき。ぼくが存在することができなかったとき。眼にもとまらぬ細部,種子の中に混じり合った種子,ほんの些細なことで道から逸らされてしまうに足りる単なる可能性だったとき。ぼくか,それとも他者たち。男か,女か,それとも馬,それとも樅の木,それとも金色の葡萄状球菌。ぼくが無でさえなかった──なぜならぼくは何ものかの否定ではなかったのだから──とき,一つの不在でもなく,一つの想像でもなかったとき。ぼくの精子(たね)が形もなく未来もなしにさまよい,涯(はて)しない夜のうちにあって,行き着くことのなかった他の精子の数々とひとしかったとき。ぼくがひとの養分になるものであって,みずから養分をとるものではなく,組み立てるものであって,組み立てられたものではなかったとき。ぼくは死んではいなかった。ぼくは生きてはいなかった。ぼくは他者たちの体の中にしか存在していず,他者たちの力によってしか力をふるえなかった。運命はぼくの運命ではなかった。極微な動揺が時の流れを走って,実質であるものは種々さまざまな道を辿って揺れていた。どの瞬間に,ドラマはぼくにとって切って落とされていたのか? どの男ないし女の体の中,どの植物の中,どの岩の塊の中で,ぼくはぼくの顔に向かう旅を始めていたのか?

 ほんの少しだけ引用するつもりが,区切ることを拒否するような文章がつづき,とうとうここまで書き写してしまいました。これが,ル・クレジオによる「物質的恍惚」(=「沈黙」)の世界の書き出しです。わたしの存在を確認することなどまったく不可能な世界,それでいて,どこかに,いつかわたしとなるさまざまな要素が,さまざまな他者のなかに分散して存在している,そういう世界。しかも,それでいて,それらの要素がそこはかとなく「わたしの顔」に向かう旅を始めている・・・とル・クレジオは想像力を巡らせています。これが,まだ27歳だったころのル・クレジオの『物質的恍惚』の書き出しの最初のパラグラフです。

 こんな文章が延々とつづきます。しかも,それでいて退屈しないどころか,強烈なインパクトをもって迫ってきます。しばらくすると,身動きできない状態で固まったまま,この本の虜となっています。なぜなら,これまで想像だにしたことのなかった「物質的恍惚」の「沈黙」の世界が映し出され,目の前に展開されているからです。そして,その「沈黙」の世界がなんと騒々しいことか,と耳をふさぎたくなるほどです。

 子どものころ,一度ならず,生まれる前はどうだったのだろうか,死ぬとどうなるのだろうか,と真剣に考えたことがあります。それは,もっとぼんやりとした「空想」の域をでませんでした。が,ル・クレジオの「物質的恍惚」の世界は,不思議なリアリティをもって迫ってきます。しかも,そこに「無限」の時空間が広がり,かつ,音や匂いまでが押し寄せてきます。

 「沈黙」や「無」や「空」が,いかに充実した内実をともなっているのか,ということが明らかになってきます。いま,わたしの頭のなかでは,子どものころから慣れ親しんできた『般若心経』の経文が鳴り響いています。とりわけ,「色即是空」「空即是色」の文言が・・・・・。そして,これらの仏教的世界もまたヒンドゥー教にルーツがあることも・・・・。ですから,わたしにとっては,ル・クレジオの『物質的恍惚』の世界は,仏教(とりわけ,禅仏教)的世界観と二重写しになって迫ってきます。

 ですから,ル・クレジオの『物質的恍惚』は,わたしにとってはなくてはならない座右の書でもあります。気が向いたときに,手が開いてくれたページに眼を落とすだけで,すぐに,その世界の中に入っていくことができます。

 そして,なによりも「訳文」が素晴らしい。

2012年9月3日月曜日

パラリンピック・柔道の試合規定について。

 昨日のブログで「パラリンピックの柔道がおもしろい。これぞ柔道。」を書いたところ,驚くほどの反響がありました。そこにも書いておきましたが,正式の試合規定がわからないので,勝手に想像して書きました。そして,あとで調べた結果について報告するとも書いておきました。

 そこで,早速,近所の本屋さんに行って(かなり大きい),パラリンピック関連の本がないかと尋ねたところ,一冊もないことがわかりました。これはちょっと意外でした。では,雑誌かなにかでパラリンピックの特集をやっていないかと尋ねたところ,こちらもありませんとのこと。おやおや,健常者のオリンピックは前宣伝よろしくたくさんの本が刊行されたのにくらべ,なんという扱い方の違い。簡単に言ってしまえば「売れない」ということなのか。

 障害者アスリートに関する単行本(ノンフィクション)はありましたが,いま,わたしが必要なのはパラリンピックでの柔道の試合規定です。仕方がないので,鷺沼の事務所に行って,ネット情報を調べることにしました。あちこちリサーチしてみましたが,なかなか見つかりません。が,ようやく「公益財団法人日本障害者スポーツ協会の公式HPの奥の奥の方に,以下のような記述をみつけることができました。

 要約しておきますと,以下のとおりです。
 柔道:視覚障害者により行われる。試合の方法は基本的に健常者に準ずる。
 試合は,体重別で,男子は7階級,女子は6階級で行う。
 ルールは,国内大会も国際大会もすべて「国際柔道連盟試合審判規定」および大会申し合わせ事項によって行われる。
 この規定と異なる内容はつぎの3点。
 1.試合は両者がお互いに組んでから主審が「はじめ」の宣告をする。
 2.試合中両者が離れたときは主審が「まて」と宣告し,試合開始位置に帰る。
 3.場外規程は基本的に適用しない。ただし,全盲の選手を保護するため,弱視の選手が故意に利用した場合には適用されることがある。

 肝心要の「組み手」の方法については「両者がお互いに組んでから」としか記述されていません。 相手の襟を右手でとるか,左手でとるか,それぞれ得意の組み手があるはずです。ですから,健常者の柔道ではいわゆる「組み手」争いが起こるわけです。視覚障害者の場合の最初の「組み手」をどのようにするか,という規定がありません。いわゆる相撲で言うところの「けんか四つ」の場合にはどうするのだろうか,というのがわたしの疑問です。

 2日(日)夜の8時のNHKのEテレで,パラリンピックの再放送をやっていましたので,そこで確認することにしました。ちょうど,柔道男子100キロ超級が取り上げられていました。正木健人(25歳,兵庫県・徳島盲学校)選手の試合です。正木選手が今大会の日本選手金メダル第1号というわけです。ですから,かなりの時間をかけて報道してくれました。

 さて,そこで問題の「組み手」です。報道する方にその意識がないので,ほとんど組み終わったところからの映像ばかりでした。正木選手は左手で襟(できれば奥襟)をとるのが得意らしく,すべての対戦相手の襟は左手でとっていました。正木選手と同じ組み手の相手の場合にはなんの問題もないのですが(ごく自然な組み手),けんか四つの場合はいささかやっかいのようでした。

 お互いの襟をとるとき,相手の右手と正木選手の左手が重なってしまいます。袖の方は向こう側になっていて映像では確認できませんでしたが,こちらも,どちらがさきに袖をつかむかによって組み方が微妙に違ってくるはずです。ですから,主審が,かなり念入りに組み手の状態を確認した上で「はじめ」の声をかけていることがわかりました。

 これで試合が成立し,選手の側からもとくに苦情がないようですので,これはいい方法だと思いました。正木選手の初戦だったでしょうか,3連覇のかかった優勝候補のザキエフ(アゼルバイジャン)を相手に,「はじめ」と同時にかなり強引な「足車」の技をかけました。それがみごとに決まって「1本」。相手はなにもしないうちに終わってしまいました。このように,「はじめ」と同時に,すぐに技の応酬がはじまり,手に汗にぎる熱戦が展開します。

 これが「柔道」です。

 健常者の「JUDO」の試合は,みていて面白くありません。視覚障害者の試合の仕方から,とくに「組み手」の方法について,大いに学ぶべきではないか,とわたしは思いました。

 できれば,選手たちが,この「組み手」の方法について,どのような感想をもっているか直接聞いてみたいと思っています。


2012年9月2日日曜日

待望の雨,涼しい風,熱帯夜脱出。ほっと一息。

 ことしの夏はほとんど雨らしい雨も降らず,連日の猛暑。道路のアスファルトの温度が下がらないまま朝を迎える。ますます路面の温度が上がる。建物も同じ。ベランダは焼け焦げそうなほどに温度が上がっている。プールサイドでは火傷をするほどだ。水を撒いてもすぐに乾いてしまう。マンションの窓を開け放っておいても朝から熱風が吹き込んでくる。

 もともとエアコンが嫌いなので,できるだけ自然の風に頼ることになる。しかし,限界をこえると仕方なくエアコンに頼らざるをえない。あるいは,近くのデパートに飛び込む。余裕があるときには近くのスタバに出かけて,コーヒーを飲みながら本を読む。それでも,もともと冷房なるものが好きではないので,長くは居られない。

 冷房のきつい電車は20分が限度。それ以上乗車してlなければならないときは,一度下車して,からだを常温に慣らしてから再度,乗車する。むかしから冷房は体質に合わない質なのだ。その代わり,暑さにはめっぽう強い。みんなが暑い,暑いといって騒いでいても,わたしはほとんど平気。汗もよほどのことがないかぎりかかない。太極拳の稽古のときも汗をかくことはほとんどない。みんなが不思議がるけれども事実だ。

 そんな,暑さには自信のあるわたしも,さすがにことしの夏は参った。夜もエアコンはつけないので,毎夜,びっしょりの寝汗をかいている。第一,寝苦しい。眠りも浅い。すぐに眼が覚める。余分なことばかり考える。枕元のメモ用紙がすぐにいっぱいになる。いいアイディアもあるが,大半はどうでもいいものばかり。

 ほとほと,ことしの夏の,この連日の暑さに弱音を吐きかけていた。
 そこに待望の雨。しかも,土砂降りの雨。それが断続的に襲ってくる。とたんに涼しい風が部屋に流れてくる。そうだ,この風を待っていたのだ。この快感。やはり,自然の風が一番。さっと吹き過ぎていく一陣の風。からだに残るその余韻がまた格別だ。あまり続けて涼しい風が吹くと,こんどは寒くなってくる。まだまだ,からだが涼しい風に慣れていない。だから,強弱のついた風が交互に吹いてくれると嬉しい。

 さっと通りすぎていく風。とたんに全身の細胞が生き返ってくるのがわかる。これまで死んだふりをしていたのだ。全身を新鮮な血液が流れ出す。からだに張りがでてくるのがわかる。しゃきっとしてくるのがわかる。どことなくからだに力がみなぎってくるのがわかる。死んだふりをしていたからだのあちこちが,一気に活性化してくる。全身が大喜びをしている。まるで,血液が細胞に,細胞が筋肉に,筋肉が骨に,それぞれお互いに声を掛け合っているかのように・・・・。

 最初の豪雨が襲ってきたのは昨日(1日)の午前10時ころ。それから断続的に豪雨の襲来。ときには,ものすごい音が遠くから聞こえてきたかと思うと,あっという間にその音の中に閉じ込められてしまう。外をみると雨で周囲の建物もほとんど見えない。まるで水の中にいるような錯覚を起こすほどだ。こんな豪雨も珍しい。でも,長くはつづかない。4~5分でとおり過ぎていく。

 今日(2日)も,断続的に豪雨が襲う。ただし,その間隔が昨日よりは長い。つまり,雨が止んでいる時間が長い。しかし,それでも豪雨がやってくると,ものすごい音がする。だから,きたきた,と声をあげる。それがとても嬉しい。

 なぜなら,ずっと待ち望んだ,ほんとうに心地よい涼風をもたらしてくれるから。この涼風がいつか必ずやってくる,と首を長くして待っていたのだ。

 いま,9月2日(日)のまもなく23時になろうとしている。雨が止んで,涼しい風がそよそよと吹いている。なんとも心地よい。これでなんとか命拾いだ。

 このまま秋に突入してほしい。でも,そうはいかないらしい。まだまだ,暑さはつづくと天気予報。でも,これまでよりはいくらか過ごしやすくなるはずだ。そして,夜には涼しい風が吹くようになるだろう。それを期待したい。

 とにかく,熱帯夜だけは脱出できそうだ。からだが全身でそう言っている。こんな体験は生まれて初めてのことだ。からだは,まだまだ,わたしの知らないいろいろの顔をもっているらしい。そういうまだ見ぬからだの顔と付き合うのも楽しそうだ。わがからだを発見する喜び。だから,生きていることは楽しいのだろう。

 目指すべきは,サクセスフルエイジング。

パラリンピックの「柔道」がおもしろい。これぞ「柔道」。

 ちらりとニュースで眼にしただけなので,詳しいことはわからない。しかし,これぞ「柔道」,と瞬間的に思った。なんだ,やればできるではないか,と。

 すでにご存知の方にはたいへん失礼だが,恥ずかしながら,わたしは障害者のスポーツを観戦する機会がほとんどなかった。だから,ルールなどもほとんど知らないままだ。しかし,少し注意を向けてアンテナを張ってみると,じつにきめこまかな配慮がなされていて,ゆきとどいたルールが考えられていることがわかる。

 パラリンピックの「柔道」のニュースがテレビ画面に流れた瞬間,思わず眼を瞠ってしまった。とりわけ,試合開始の瞬間である。主審が対戦する選手を中央に呼び出し,両選手はお互いに襟と袖をしっかりとつかみ,それを確認した主審が試合開始を宣言する。だから,その瞬間から,つぎつぎに技が繰り出される。試合開始と同時に,おどろくべき速さで攻防がはじまる。みていて迫力満点である。

 たまたま,わたしがみたテレビ画面では,右自然体で組み合って試合開始となったが,左自然体の組み方もあるのだろうか。あるいは,時間を定めて,交互に組み手を変えているのだろうか。もし,そうだとしたら,まことに合理的でいい。利き手の左右は,どちらも譲れない最大のポイントでもあるから,ここのハードルをうまく乗り越えるルールがあれば,「柔道」の試合は面白くなる。この点は,あとでルールを確認しておきたい,と思う。

 それよりなにより,つぎつぎに繰り出される技の応酬がおもしろい。じつに,スピーディで,しかも,技が決まる確率も高い。支えつり込み足,などという技が決まったりする。見ていてとてもきれいな技だ。だから,見ていて,思わず吸い込まれるようにして身を乗り出してしまう。

 ついこの間まで行われていたロンドン・オリンピックの「JUDO」の試合──組み手争いだけで試合のほとんどの時間が消化される──のあのバカバカしさに腹が立っていたので,パラリンピックの「柔道」はまことに新鮮だった。やればできるではないか,と。

 もちろん,格闘技の本質からすれば,お互いに十分に組み合ってからの試合は,ことばの正しい意味での邪道である。組み手争いからはじまるのが格闘の本来の姿ではある。しかし,あれほどまでに組み手争いに時間がとられてしまい,技を仕掛けるタイミングがほとんど見られなくなってしまった,オリンピックの「JUDO」は,「見せ物」としては失格である。もっと面白くする必要がある。だれもがそう思ったはずである。

 そのヒントが,いま,パラリンピックの「柔道」で繰り広げられているではないか。これを学ばない手はない。いいものはいいのだから。

 世界中の「JUDO」関係者に呼びかけておこう。パラリンピックの「柔道」をヒントにした,ルールの大幅な改正を。

2012年9月1日土曜日

17世紀の上賀茂神社の競馬(くらべうま)。連載・第21回目。

 月刊誌『SF』(体育施設出版)に隔月で連載をしているコラムの紹介です。雑誌『SF』などと書くと誤解されてしまいそうですが,「Sports Facilities」の頭文字をとったものです。つまり,「スポーツ施設」。もとの名前は『月刊体育施設』。以前は「文学にみるスポーツ」という連載を長い間(20年以上),やらせていただいていた,わたしにとってはお馴染みの雑誌です。その雑誌に,いまは,「絵画にみるスポーツ施設の原風景」というタイトルの連載をさせていただいている,という次第です。すでに,今回で21回目の連載となります。

 その掲載誌(8月号)が送られてきましたので紹介したいと思います。正式には,2012年8月号,第41巻10号,P.25.に掲載されたものです。内容は以下のとおりです。

「17世紀の上賀茂神社の競馬(くらべうま)」。

 賀茂競馬図屏風(六曲一双)の部分を取り出してみました。左右に六曲ずつの屏風が対になっているものです。それぞれ縦120cm,横275cmもあります。この図は,左側の屏風の一番左側の三曲に描かれています。
 図の上の方には上賀茂神社の社殿が描かれ,下の方に競馬で競り合っている二騎が描かれています。ゴール直前の激しい競り合いです。馬場を区切る埒(柵)の周囲には大勢の人が群がっています。なかには埒の上に立ち上がって応援している人もいます。扇子を片手に,片肌脱いだ埒に腰掛けて応援している人も見えます。ついでに屏風全体に描かれている人びとの姿を追ってみますと,当時のさまざまな風俗が描き込まれていることがわかります。身分もさまざまです。みんなこの競馬を楽しみにして集まってきた人びとです。
 上賀茂神社の競馬は,毎年5月5日に行われる神事のひとつです。五穀豊穣を祈念する走馬の神事が起源だといわれています。5月を代表する京都の年中行事として知られており,多くの屏風絵の題材としてとりあげられています。いまでも社殿に向かって左側に馬場があって,盛大に競馬が行われています。その場所はむかしから変わっていないようです。いまでは見物客がいっぱいで,境内から溢れんばかりですが,この屏風図をみるかぎりでは,競馬をよそに酒宴を張っている人たちがいたりして,のどかな月次(つきなみ)の年中行事であることが伝わってきます。
 17世紀といえば,戦乱の時代が終わり,世の中が落ち着きを取り戻しつつあるいい時代だったようです。ここに描かれて人びとの姿からも,そんな雰囲気が感じられます。平和な時代にあっても,武士にとっては,馬はいざ戦というときの備えとして欠かすことはできません。
 神事として始まった競馬も,いつしか優秀な馬を選び出すための文化装置に変化していきます。全国の賀茂神社の系列では,いまでも熱心にこの競馬が伝承されているのは,その名残りと言っていいでしょう。
 ここでは,神社の境内がスポーツ施設の原点のひとつであったということに注目しておきたいと思います。


能面アーティスト柏木裕美さんの個展が銀座のギャラリーで開催されます。

 日本で唯ひとり能面アーティストを名乗る柏木裕美さんが,銀座のギャラリーで個展を開くことが決まりました。太極拳の李自力老師のもとで一緒に稽古をしている兄妹弟子です。いつも明るく,どなたとも分け隔てなくお付き合いなさる方ですので,みんな仲良しです。わたしもその中のひとりというわけです。

 柏木さんは,これまでにも銀座の文藝春秋画廊で東京能面塾の塾生の方たちと一緒に,2年に一回,展覧会をやって来られた方です。もちろん,その他のところでも,それぞれの企画に合わせた展覧会をたくさんやって来られました。このブログの読者の方のなかには記憶されている方も多いのではないかと思います。

 銀座の文藝春秋画廊で開催されたときには,最終日に,「柏木裕美の能面を語る」という鼎談を,それぞれ2回やりました。演者は,今福龍太,西谷修のお二人にわたしが司会を兼ねて参加しました。これらはいずれも『IPHIGENEIA』(「ISC・21」研究紀要)に掲載されています。今福さんと西谷さんが素晴らしいお話を展開されています。もし,読みたいという方はわたしのところにご連絡ください。送料着払いで送ります。

 このときの鼎談と柏木さんのエッセイ(能面アーティストへの道)を合わせて単行本にしようという企画が,いま,大手出版社で進行中です。こんどの展覧会では,この本に掲載するための写真の撮影も行われる予定です。こちらも,いまから,とても楽しみにしているところです。

 また,海外への出品の話も進行中と聞いています。ひとつは韓国,もうひとつはイタリアだそうです。この話もうまくいくといいなぁ,と楽しみにしています。

 つい最近では,8月6日(月)~9日(木)に開催されました第二回日本・バスク国際セミナーの会場に柏木さんのたくさんの作品を展示していただきました。こちらは神戸市外国語大学の竹谷和之さんを中心にした企画で,わたしもホストのひとりでした。柏木さんには,毎日,能面制作の実演をやっていただき,かつ,お話もしていただきました。スペインのバスク大学から来られた研究者たちも,みんな興味津々で,休憩時間のたびにたくさんの質問を投げかけていました。なかには,購入したいという人まで現れましたが,柏木さんが用意されたおみやげ(能面を写真にとって,きちんと表装されたもの,など)で我慢していただくことにしました。

 もちろん,一般参加の方たちも興味深そうに作品をご覧になり,実演までみせてもらい,とても感動してくれました。能面を,こんなに身近にみるのは初めて,しかも,伝統面から創作面まで,こんなにたくさんの作品をみるのも初めて,と口々に仰っていました。ましてや,目の前で実演までしてもらって,能面の素晴らしさ,奥の深さを知りましたという方が多くいらっしゃいました。

 長年,苦労を重ねてこられた柏木さんですが,ようやくその努力が報われるときがやってきたようです。毎週一回,一緒に太極拳の稽古に励んでいる兄妹弟子の柏木さんが,こうして大きく羽ばたこうとされる現場に立ち会っていられることの幸せを感じます。やはり,身近な人が,エネルギーを蓄え,いよいよその出番がやってくる,その瞬間に居合わせることができるというのは感動的です。そういうわけで,わたしも,これまで以上に応援をしたいと思っています。

 ついでに,柏木さんは,東京と安曇野の二カ所で能面塾を主宰していらっしゃいます。安曇野の方は毎月出かけて行って,3日間,地元の方たち(いずれも名士の方たち)と楽しく能面制作の手ほどきをされています。いつも,太極拳のあとの昼食の折に,安曇野塾の話を聞かせていただいています。柏木さんは心底,安曇野が好きで好きでたまらない,そういう雰囲気が伝わってきます。そして,安曇野の塾生のみなさんが素晴らしい方たちばかりで,毎月,楽しみにしていらっしゃるようです。わたしたちには,安曇野の「かりんとう」が定期的におみやげとしてプレゼントされます。この「かりんとう」がなんともまた美味なのです。

 東京能面塾の話は,かんたんには書けないほどのお話をうかがっていますので,また,機会を改めたいと思います。

 さて,前置きばかりが長くなってしまいました。
 こんどの展覧会の「はがき」ができましたといって送ってくださいましたので,転載しておきます。とてもおしゃれなデザインになっていて,どこか人の気持を誘う,そういう雰囲気に仕上がっています。場所は,GalleryG2(中央区銀座2-8-2。電話:03-3567-1555)。期間は,9月13日(木)~18日(火)。時間は12:00~19:00。約200点もの能面作品が一度に見られる,またとない絶好のチャンスです。土曜日を入れれば3連休になります。どうぞ,ぜひ,銀座にお越しの際には,立ち寄ってあげてください。柏木さんは毎日,会場にいる予定だと聞いています。

 以上,3人の兄妹弟子のひとりとしての応援メッセージまで。
 ちなみに,もうひとりの兄妹弟子の兄は西谷修さんです。