2012年9月21日金曜日

『日本の聖地ベスト100』(植島啓司著,集英社新書)を読む。

 愛知県の三河地方に「本宮山(ほんぐうさん)」という名の山がある。豊橋市の市街地からみるとほぼ北の方角に,頂上が三角形のバランスのいい山懐をもった山並みがみえる。その三角形の山が「本宮山」だ。わたしの育った豊橋市大村町からみると「真北」に位置する。だから,子どものころから方角を確認するときには,まず,本宮山の位置をみとどけてから判断する習性が身についていた。

 この本宮山。なぜ,本宮山という名なのか,長い間,疑問に思っていたが植島啓司さんの『日本の聖地ベスト100』を読んで瓦解した。答えは「本宮」(もとみや)の山ということ。つまり,本宮山の麓には三河一宮といわれる立派な構えの砥鹿神社があって,それの「本宮」のある山という意味だ。本宮山のほぼ頂上にはその嶺宮が祀られている。しかも,その奥には「奥の院」がある。つまり,そこがそもそもの「本宮」なのだ。それは,山頂の嶺宮からかなり谷間をくだったところに,ひっそりとある。しかも,鬱蒼とした灌木に囲まれた,その奥まったところには洞窟があり,水がこんこんと湧き出ている。まさに,「聖地」の気配があたりを支配している。

 『日本の聖地ベスト100』の著者の植島さんによれば,洞窟と水脈がセットになっているのが「聖地」の基本条件のひとつであり,そこはまことに辺鄙なところで,なかなか見つけにくいところにある,という。そのはるか手前の,見晴らしのいいところに小さな社を建てて「嶺宮」を祀る。そして,さらに,人びとの住む一番立地条件のいいところに大きな構えの社を建てて,勧請し,神様を祀る。
これが,日本の聖地と呼ばれる神社・仏閣の基本構造である,と植島さんはいう。

 平地に下ったところに大勢の信者たちを集めて,大きな祭祀を司ることのできる立派な境内をもつ神社・砥鹿神社=三河一宮は,そのすべての要件を満たしている,立派な聖地なのだ。

 なるほど「本宮山」。三河平野を睥睨する,もっとも高い山。小学校の6年生になると,みんなが遠足で登る山だ。わたしは小学校の校庭から,みんなで隊列を組んで,一直線に本宮山をめざしたことを昨日のことのように記憶している。大人でも敬遠するほどの,相当の強行軍だ。いま,考えると先生もたいへんだったんだなぁ,と感心してしまう。早朝に出発して夕刻に学校にもどってきたように思う。しかも,相当に疲れて・・・。

 さて,本題の『日本の聖地ベスト100』。わたしは,以前からの植島ファンのひとりで,この人の本はなぜか追いかけて読んでいる。一番最初は,どこかの雑誌で鷲田清一さんとの対談を読んで,すっかりとりこになったことを覚えている。この本との関連でいえば『世界遺産 神々の眠る「熊野」を歩く』(集英社新書)という名著がある。宗教人類学者としての知見をふんだんに盛り込んだ,しかも,だれにも読める,すとんと腑に落ちる名著である。

 ときには,大いに脱線して,きわめて人間的なお話の本も書かれる。『「頭がよい」って何だろう』『偶然のチカラ』などは序の口で,なかには『性愛奥義 性愛の『カーマ・スートラ』解読』という本まである。そのために,しばしば物議を醸しだしたことでも有名だ。しかし,真の意味で,植島さんは宗教人類学者である,とわたしは信じて疑わない。

 その植島さんの卓見によれば,日本の「聖地」は,まず間違いなく鬱蒼と繁った森の奥深くに秘められた「場所」に存在しているという。そして,その聖なる「場所」の多くは,水脈と鉱脈がセットになっているという。水脈には洞窟や瀧があり,さらに竜神にまつわる話があり,子孫繁栄や五穀豊穣の儀礼とも深く結びついているという。また,鉱脈は,古代人のこころを捉える水晶や玉をはじめとする呪術用の呪具の原材料を産出したり,鉄や丹を産出する場所として,むかしから大事にされてきた経緯があるという。

 日本列島は,四つのプレートと多くの火山が生み出す複雑な地形をなしている。それが無数の「聖地」を生み出す源泉になっている,と植島さんは結論づける。大自然の生みなす「聖なるもの」への畏敬の念は,日本人のこころの奥底に,長い時間をかけて構築されてきたものであることを,軽視してはならない,と植島さんは説く。

 なかなか奥の深い本としてお薦めである。

0 件のコメント: