最近になって「ながら歩き」人間が激増。邪魔で仕方がない。のみならず,腹が立つ。最初のうちは少数だったので,まあ,仕方ないかと思っていたが,ここまで増えてくると許せない。なにゆえに,若者たち(わたしからみれば)の「ながら歩き」のために,わたしが必死になって避けて歩かなくてはならないのか。年寄に道を譲るのは若者たちだろうに・・・。
「ながら歩き」。いまさら説明するのも腹が立つ。つまり,携帯とにらめっこしながら歩いている人種のことだ。いま,はやりのスマートフォン(多機能携帯電話)や携帯ゲーム機の画面をみながら,周囲にどんな人間が歩いているのかもまったく無視して,われ関せず,ひたすら自分の世界に没入している。だから,歩いているわたしにぶつかる寸前まで,どこもみてはいない。ぶつかりたくはないので,少し手前でこちらがさきに避けることになる。
これがひとりやふたりくらいならまだ許せる。つぎからつぎへと歩いてくる人間のほとんどが携帯画面とにらめっこ。わたしは,毎日,午後7時に事務所を片づけて帰路につく。鷺沼の駅まで約8分。すでに真っ暗である。ちょうど,都心からもどってくる若いサラリーマンが鷺沼の駅から歩いてやってくる。まあ,言ってみれば,わたしひとりが流れに逆らって歩いていることになる。つまり,帰りの通勤ラッシュの流れに逆行しているというわけだ。
その中の多くの若者たちが携帯とにらめっこしながら歩いてくる。だから,結果的にわたしは右に左にと必死に避けつづけながら歩くことになる。最初のうちは邪魔だなぁ,と思っていた。しかし,いまでは腹が立って仕方がない。いっそのこと,スレ違いざまに膝蹴りでも入れてやろうかと思うほどだ。相手の太股あたりに膝を一発見舞っておいて,「おっと失礼」と言ってこちらがよろけたふりでもしていれば,別にどうということもなさそうだ。・・・・とまあ,そんな妄想をしたくなるほどに腹が立ってきた。もちろん,当分の間は決行する気はないけれども・・・・。
今日の東京新聞の夕刊によれば,もっとひどいことになっているらしい。プラットホームでも「ながら歩き」をしていて列車に接触する事故が増えているという。いい大人が・・・,アホかと思う。単独事故なら放っておけばいい。しかし,駅の担当者によれば,「ほかの利用客にぶつかって,事故の巻き添えにする危険もある」という。だから,転落・接触事故防止のためにホームドアを設置する必要があるのだ,と。一駅に設置する費用はおよそ数億円。コストがかかるのでなかなか設置が進まない,と。
わたしは,個人的には,駅のホームドアが嫌いだ。地下鉄などではプラットホームが狭くなって,なんともやりきれない。JRのオープンの見晴らしのいいホームにもホームドアが設置されつつある。こちらも,なんだか囲い込まれているような圧迫感がある。これまでどおりの風通しのいい,解放感のあるプラットホームの方が好きだ。
酔っぱらいや「ながら歩き」族のために,ホームドアを設置するのだとしたら,そんなものはやらない方がいい。これこそ自己責任の範疇だ。鉄道が走りはじめてこんにちまで,ホームドアなどは不要だったはずだ。ところが,最近になって,自己管理もできないような酔っぱらいや「ながら歩き」をする人間が増えてきている。だから,ホームドアを設置する必要があるという。
そうだろうか。酔っぱらいや「ながら歩き」をする人間のために,なにゆえにそこまでサービスをしなければならないのか。ごくふつうに自己管理ができている人たちばかりであれば,そんな余分なホームドアは必要ない。正体不明になるまで酔っぱらってしまう人間や,危険性をも省みることもなく勝手に「ながら歩き」をする人間に,安全基準を合わせる必要はない。
酔っぱらいは駅から追い出すべきだし,駅構内での「ながら歩き」は禁止すべきだ。でないと,そのうちにぶつかってトラブルを起こすことになる。迷惑千万,この上ない。
とにかく日本の鉄道はお客様本位で,お客さまのわがまままで引き受けてくれる。いつのまにかそんな習慣が身についてしまっている。だから,なにかあると,すぐに駅の責任を問う。それがさも当たり前であるかのように。しかし,あるところで一線を引くべきではないか。とりわけ,「ながら歩き」をしている人間については,守ってやるべきなんの理由もない。それどころか,ふつうに歩いている人間の邪魔だ。そして,ホームにあっては危険だ。こんな連中を保護するためのホームドアなどというのは論外だ。
ホームドアなどない方がどれほど解放的で気分がいいか。少し考えればすぐわかることだ。一般の道路でも「ながら歩き」は他人に迷惑をかけている。だから,さっさと禁止すべきだ。たぶん,まだ,それを規制する法律や条例がないので,いまのところは放置されているのだろう。
いずれにしても,「ながら歩き」などは群衆の中にあっては,迷惑であり,マナーに反する。それを自分で判断して,自粛できない人間が増えていること自体が問題だ。公共のマナーが欠落していくということは,それだけ政治性への意識も欠落していくことになる・・・とハンナ・アーレントなら言うだろう。みんな自分勝手な人間ばかりが増えつづける日本の現実が,「ながら歩き」という現象となってみごとに露呈してきている・・・・とわたしは思うのだが・・・・。
みなさんは,どう思いますか?
「ながら歩き」。いまさら説明するのも腹が立つ。つまり,携帯とにらめっこしながら歩いている人種のことだ。いま,はやりのスマートフォン(多機能携帯電話)や携帯ゲーム機の画面をみながら,周囲にどんな人間が歩いているのかもまったく無視して,われ関せず,ひたすら自分の世界に没入している。だから,歩いているわたしにぶつかる寸前まで,どこもみてはいない。ぶつかりたくはないので,少し手前でこちらがさきに避けることになる。
これがひとりやふたりくらいならまだ許せる。つぎからつぎへと歩いてくる人間のほとんどが携帯画面とにらめっこ。わたしは,毎日,午後7時に事務所を片づけて帰路につく。鷺沼の駅まで約8分。すでに真っ暗である。ちょうど,都心からもどってくる若いサラリーマンが鷺沼の駅から歩いてやってくる。まあ,言ってみれば,わたしひとりが流れに逆らって歩いていることになる。つまり,帰りの通勤ラッシュの流れに逆行しているというわけだ。
その中の多くの若者たちが携帯とにらめっこしながら歩いてくる。だから,結果的にわたしは右に左にと必死に避けつづけながら歩くことになる。最初のうちは邪魔だなぁ,と思っていた。しかし,いまでは腹が立って仕方がない。いっそのこと,スレ違いざまに膝蹴りでも入れてやろうかと思うほどだ。相手の太股あたりに膝を一発見舞っておいて,「おっと失礼」と言ってこちらがよろけたふりでもしていれば,別にどうということもなさそうだ。・・・・とまあ,そんな妄想をしたくなるほどに腹が立ってきた。もちろん,当分の間は決行する気はないけれども・・・・。
今日の東京新聞の夕刊によれば,もっとひどいことになっているらしい。プラットホームでも「ながら歩き」をしていて列車に接触する事故が増えているという。いい大人が・・・,アホかと思う。単独事故なら放っておけばいい。しかし,駅の担当者によれば,「ほかの利用客にぶつかって,事故の巻き添えにする危険もある」という。だから,転落・接触事故防止のためにホームドアを設置する必要があるのだ,と。一駅に設置する費用はおよそ数億円。コストがかかるのでなかなか設置が進まない,と。
わたしは,個人的には,駅のホームドアが嫌いだ。地下鉄などではプラットホームが狭くなって,なんともやりきれない。JRのオープンの見晴らしのいいホームにもホームドアが設置されつつある。こちらも,なんだか囲い込まれているような圧迫感がある。これまでどおりの風通しのいい,解放感のあるプラットホームの方が好きだ。
酔っぱらいや「ながら歩き」族のために,ホームドアを設置するのだとしたら,そんなものはやらない方がいい。これこそ自己責任の範疇だ。鉄道が走りはじめてこんにちまで,ホームドアなどは不要だったはずだ。ところが,最近になって,自己管理もできないような酔っぱらいや「ながら歩き」をする人間が増えてきている。だから,ホームドアを設置する必要があるという。
そうだろうか。酔っぱらいや「ながら歩き」をする人間のために,なにゆえにそこまでサービスをしなければならないのか。ごくふつうに自己管理ができている人たちばかりであれば,そんな余分なホームドアは必要ない。正体不明になるまで酔っぱらってしまう人間や,危険性をも省みることもなく勝手に「ながら歩き」をする人間に,安全基準を合わせる必要はない。
酔っぱらいは駅から追い出すべきだし,駅構内での「ながら歩き」は禁止すべきだ。でないと,そのうちにぶつかってトラブルを起こすことになる。迷惑千万,この上ない。
とにかく日本の鉄道はお客様本位で,お客さまのわがまままで引き受けてくれる。いつのまにかそんな習慣が身についてしまっている。だから,なにかあると,すぐに駅の責任を問う。それがさも当たり前であるかのように。しかし,あるところで一線を引くべきではないか。とりわけ,「ながら歩き」をしている人間については,守ってやるべきなんの理由もない。それどころか,ふつうに歩いている人間の邪魔だ。そして,ホームにあっては危険だ。こんな連中を保護するためのホームドアなどというのは論外だ。
ホームドアなどない方がどれほど解放的で気分がいいか。少し考えればすぐわかることだ。一般の道路でも「ながら歩き」は他人に迷惑をかけている。だから,さっさと禁止すべきだ。たぶん,まだ,それを規制する法律や条例がないので,いまのところは放置されているのだろう。
いずれにしても,「ながら歩き」などは群衆の中にあっては,迷惑であり,マナーに反する。それを自分で判断して,自粛できない人間が増えていること自体が問題だ。公共のマナーが欠落していくということは,それだけ政治性への意識も欠落していくことになる・・・とハンナ・アーレントなら言うだろう。みんな自分勝手な人間ばかりが増えつづける日本の現実が,「ながら歩き」という現象となってみごとに露呈してきている・・・・とわたしは思うのだが・・・・。
みなさんは,どう思いますか?
1 件のコメント:
同感です。
「ながら歩き」のみならず駅のホームドアの話もです。自己責任の範疇を遥かに超えていると思われることでも、自分は悪くない、責任は他にあるという風潮……。
学校現場はそれで振り回されています。
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