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2015年12月28日月曜日

「共生論」の理論的根拠満載の集中講義(西谷修),終了。

 12月21日(月)から25日(金)まで,5日間(23日は休日につきお休み)にわたる西谷修さんの集中講義(全15コマ)が無事に終了しました。テーマは「共生論」。

 思い返せば,なんと濃密な時間の連続であったことだろう,としみじみおもいます。「共生論」を展開するにあたって,これほどの広がりと深さがあるとは,じつは予想していませんでした。といいますのは,わたしも早くからイヴァン・イリッチの「コンビビアリティ」の考え方に共感し,これこそが近代スポーツ競技の論理を超克するためのキー概念になりうると確信し,折にふれ,さまざまな形で提案をしてきたからです。

 ただし,わたしの場合には,きわめて単純に,近代スポーツ競技の「競争原理」はすでに限界に達している,それに代わる原理は「共生」(コンビビアリティ)しかないだろう,したがって,これから目指すべきスポーツは「共生スポーツ」(コンビビアル・スポーツ)であるべきだ,という程度のものでした。そのことに気づくターニング・ポイントとなったのは,核エネルギーの開発でした。これを「自由競争」の原理にゆだねておくことは,もはや不可能となった,と考えたからです。

 そのとき,近代スポーツ競技を支えてきた「競争原理」も,すでに限界に達している,と強く意識しました。そのときから,「スポーツ史」のテクストを書くときには,「前近代-近代-後近代」という時代区分を設定することにしました。すなわち,近代と後近代を分かつメルクマールとして核を設定し,そこからスポーツの歴史を見直す必要があると考えた,というわけです。ヒロシマ・ナガサキに原爆が投下されたときから,時代はすでに近代の終焉を迎え,それに代わるべき時代,すなわち,後近代への移行がはじまった,と考えたわけです。

 しかし,西谷さんの「共生論」は,そんな単純なものではありませんでした。その思考の及ぶ範囲も深さも,そして,強度も,とてつもないものであることを知る,得がたい集中講義でした。それでもなお,今回の集中講義はそのさわりの,ほんの一部にすぎません,というところで終わりました。いずれ,西谷さんの徹底した近代批判と,その応答としての「共生論」は,一冊の単行本になるに違いないとおもいます。そのとき,西谷さんの「共生論」の全体像がみえてくるものと期待することにしましょう。

 ここでは,西谷さんの「共生論」を支える理論的根拠と思しきキー・コンセプトのうち,鮮烈な記憶に残ったものだけを,箇条書きにして紹介しておきたいとおもいます。

 1.メタ・フィジック(形而上学)という哲学のスタイルのもつ限界。
  考えないでいることの困難─メタ・レベルでの思考(自分の世界の外にでて考える)
  ことば,文字の役割
  魂,霊,などの世界の欠落
 2.古代ギリシアのポリス国家の成立
  ポリティックスのはじまり
 3.ヨーロッパ・キリスト教世界
  すべては神の創造物であるという考え方の限界
 4.生きもの─生物とはなにか,ということの再考
  生物と放射線は相反する存在─自然という枠組みの崩壊
  遺伝子操作,IT技術,など
 5.経済学とはなにか
  コストの価値付け,ユーティリティ,産業社会,市場原理
  値段のつけられないものがある・・・・人間の尊厳,魂,霊魂,など
  マルセル・モースの「贈与論」と自由経済(近代経済学)
 6.グローバリゼーションの内実
 7.東海村の事故から見えてくること
 8.コンビビアリティ
 9.成長の限界(ローマ報告・1972年)
10.宇沢弘文著『社会的共通資本』
11.水俣病公害を考える
12.近代(性)という構え(考え方,価値,社会編成の原理,など)
  agriculture とindustry
 「自由」というものの見方の出現の根拠,その勘違い
13.リベラリズム(自由主義)
 新自由主義(ネオ・リベラリズム)
14.Da-sein と Mit-sein (ハイデガー)
15.avec etre (ジャン=リュック・ナンシー)

 以上です。これらの各論については,これから少しずつこのブログでも取り上げて考えてみることにしたいとおもいます。ということで,今日のところはここまで。

2015年12月25日金曜日

「共に生きる」(共生論)の根拠を産業公害から考える(西谷修),を聞いて。

 産業(industry )とはなにか。「人が生きる」こととこんにちの産業(industry )はどのようにリンクしているのか。ここに,現代社会を生きるわたしたちが考えなくてはならない根源的なテーマがすべて隠されている,と西谷さんは語りはじめました。

 集中講義第3日目(12月24日)の講義の主要なテーマは,現代産業公害論と共生論,でした。そして,産業公害を考える嚆矢となった水俣病公害とはなにであったのか,を真っ正面から捉え直し,そこに隠されていた公害問題の本質はなにであったのか,を諄々と説いていく,じつに熱の籠もった講義でした。

 まずは,NHKアーカイブからの,当時の映像をたっぷりと鑑賞した上で,西谷さんの講義がはじまりました。水俣病問題は,当初,なにが原因であるかもわからない奇病として放置されたままでした。しかし,やがて熊本大学医学部の先生たちが,その原因は企業(新日本窒素)が海に垂れ流していた有機水銀にあることを確認し実証して,その事実が明らかになります。つまり,垂れ流しにされた有機水銀が魚に蓄積され,それを食べた人が発症する病気である,と。

 こうして,被害保障をめぐる長い長い裁判闘争がはじまります。その経緯を,映像によってたどりながら,問題の本質を明らかにしていきます。そして,最後に,西谷さんはつぎのように締めくくり,産業公害をとおしてみえてくる「共生論」についての問題提起をされました。そのわたしなりの理解を要約しておきますと,以下のとおりです。

産業(industry)
自然(資源)⇨工場(製造)⇨製品・商品(消費)
         ⇩                ⇩
         廃棄物            ゴミ(廃棄物)
         ⇩
         環境汚染
         ⇩
         被害⇨弱者集中

水俣病・・・・・・個人/会社(企業,法人)
         ⇩             ⇩
         犠牲⇨責任追及   国が公益を重視・保護
         ⇩             ⇩
         漁民(少数)      水俣市・市民=公共性を重視    
         ⇩             ⇩
         企業利益のコスト   一般市民の多くは無関心

 以上は,板書されたことがらの概要です。これらについては,詳細な説明が必要なところですが,ここでは割愛させていただきます。そして,こうした公害問題の構造は,水俣病(’60年~),薬害エイズ(’90年代),フクシマ(2011年~)にも共通していて,いまも,少しも変わってはいません。とりわけ,フクシマの放射能汚染は半永久的に解決不能の最大の公害であることに注目すべきである,と。これらのことがらについても,残念ながら割愛。

 そして,一足飛びにまとめ(結論)に入りたいとおもいます。

 〔共に生きる〕=共生(conviviality)の三つの局面
 1.人はひとりでは生きられない。人は社会を構成して生きている。すなわち,人間と社会の共生。
 2.人間は自然と共にある。人間は自然の恵みをいただいて生きている。すなわち,人間と自然との共生。
 3.次世代(胎児性)と共に生きている。すなわち,人間と未来の共生。

 以上。いまは時間がありませんので,メモ風のものだけを書き残しておくにとどめたいとおもいます。また,いずれ機会をみて詳細・細部について考えてみたいとおもいます。とりあえず,今日のところはここまで。

2015年12月23日水曜日

「いのち」とはなにか。そして,医療とはなにか。西谷修さんの問いかけ。

 西谷修さんの集中講義「共生論」の第二日目の冒頭で,ドキュメンタリー映像が流され,この映像が意味することがらについての問題提起がいくつかなされました。映像の内容は,1999年9月30日に,東海村JCOの核燃料加工施設内で核燃料を加工中に作業ミスがあり,ウラン溶液が臨界状態に達し,核分裂連鎖反応が起き,そのため至近距離で中性子線を浴びた作業員3名のうちの一人の治療経過を追ったものでした。

 この事故は,国際原子力事象評価尺度(INES)のレベル4(事業所外への大きなリスクを伴わない)の事故。日本で起きた最初の原発事故。

 作業員3名はヘリコプターで放射線医学総合研究所に搬送され,うち2名は造血細胞の移植の関係から東京大学医学部付属病院に転院し,そこで集中治療が行われました。そのうちの一人であるOさん(当時35歳)の治療を追ったドキュメンタリー。

 途中で何回も目を背けたくなるような映像もあって,わたしにはあまりに衝撃的でした。とりわけ,集中治療室の場面は,みずからの経験も想起され,なんとも言えない気持ちに襲われました。実際に,目を瞑ってしまった場面もありました。まさに,極限状態の綱渡り的な治療が行われているわけです。担当の医師も看護師も,それこそ全力でOさんの治療に当たります。その献身的な努力もまた痛ましいほどです。

 Oさんの病状は,染色体破壊による新しい細胞の生成不能,白血球生成不能,というようにして悪化の一途をたどります。そして,実妹からの造血幹細胞の移植を受けて,一時的に白血球が増加しますが,すぐに低下。59日後には心停止。急遽,救命処置により蘇生。しかし,ダメージ大。各臓器の機能低下。最終的には治療手段なしとなり,83日目に他臓器不全により死亡。

 原子力発電による死者は出してはならない,とする国家的なプロジェクトのもとで,ありとあらゆる医療が展開されます。そして,とにかく一日でも長く延命措置をとることのために医療のすべてが総動員されます。しかし,心停止にいたるまでに,できる手段はすべて執り行われます。が,それでも心停止になってしまいます。にもかかわらず,さらに,心停止後の救命処置が行われ,一時的に蘇生します。それでも最後は,他臓器不全で力尽きてしまいます。

 この映像をみたわたしの心境は複雑です。まずは,集中治療室なるものの存在そのものが,わたしの二度にわたる体験とも重なっていて,とりわけ,複雑です。一回目は24時間,二回目は48時間,集中治療室に閉じ込められていました。言ってみれば,死線をさまよいながらの時間の経過もわからないまま,時折,目覚めるだけで,あとはひたすら眠っています。全身は重い鉛のような感覚のまま,ただ横たわっているだけです。自分でからだを動かすこともできません。意識も時折,はっきりするものの,あとはぼんやりしています。

 文字どおり,仮死状態です。部屋の中は暗く,長い長い「夜」を経験しました。

 Oさんは,おそらく最初から,この仮死状態がつづいていたようです。時折,意識はもどるものの,ほとんどは寝たきり状態。しかも,生還できる可能性はほとんどない状態での集中治療室です。重苦しい空気が流れる中での闘病生活はたいへんだったろうなぁ,と想像してしまいます。

 この映像をみながら,ずっと考えていたことは,「いのち」とはなにか,そして,「医療」とはなにか,という問題でした。

 西谷さんも,この問題に触れつつ,さまざまな医療現場の問題点を指摘した上で,最後に,ヒポクラテスの考え方を紹介されました。詳しいことは省略しますが,ヒポクラテスは,「生の領域は医師の仕事,死の領域は聖職者の仕事」とはっきり一線を画して考えていた,とのことです。ところが,現代の医療はその一線がなくなってしまった,と。このことの意味がなにであるかを考える必要がある,と。

 そして,「核融合」という宇宙の原理を人間の手で破壊するような行為と,生還が不可能とおもわれる重篤の病人(たとえば,末期の癌患者)を最後の最後まで医療の現場にとどめる現代の医療行為は,ほとんどパラレルではないか,と西谷さんはお話を聞きながら考えてしまいました。つまり,「生きる」という生物としての基本的な営みに,人間が医療という名のもとに過剰なまでに介入することの是非がいま問われている,というわけです。もっと言ってしまえば,ものごとの秩序の基準が崩壊しつつあるこんにちの日常をどのように考えるか,という問題でもあります。

 とてつもなく重い,しかし,きわめて重要な「問い」を西谷さんからいただいた,そんな授業でした。このテーマは,たとえば,スポーツ文化論のレベルでもみごとに当てはまるものですので,これから慎重に考えてみたいとおもいます。

2015年12月22日火曜日

集中講義「共生論」(西谷修)を傍聴。二日目が終わりました。

 神戸市外国語大学で行われています西谷修さんの集中講義を傍聴させてもらうために,12月20日(日)から神戸市の学園都市にきています。期間は,12月21日(月)午前8時50分から,25日(金)午後6時30分まで。テーマは「共生論」。

 西谷さんの「共生論」は,なにもいまにはじまったことではなく,かなり前からいろいろの書き物の中に登場してきているきわめて重要なテーマです。直近では,『世界』1月号の特集・終わりなき「対テロ戦争」の冒頭に寄せられた論文「テロとの戦争」という文明的倒錯,の最後の結論部分に,以下のように述べられています。

 では,「テロリズム」に対してはどうするのか? それが起こらないようにするにはどうすればよいのか? 単純なことだ。絶望や残忍さやそれによる憎悪,あるいは癒しがたい不正が世界に蔓延しないようにする。たとえば今現在パレスチナ人が置かれているような状況を国際社会が座視しないことだ。そうすれば,イスラーム国のようなものに同調して,無関係な人びとを巻き添えに自爆するような若者はいなくなるだろう。もっと一般的に言えば,それぞれの国が「生きうる社会」を作るべく努力すること。そうすれば誰もが生きることを望み,他者と共に生きる豊かさを知るようになるだろう。

 以上のように,ここではテロリズムを無くすにはどうすればいいのか,という問いに対して「共生論」で応答しています。すなわち,「共に生きうる社会」を作るべく努力すること,と端的に指摘した上で,そうすれば「他者と共に生きる豊かさを知るようになるだろう」と結んでいます。

 しかし,西谷さんの「共生論」はそれだけにはとどまりません。今回の集中講義の冒頭でも話されましたが,若いころから「戦争論」に取組み,多くの論考を世に問うてきました。同時に,思想・哲学の分野でも「存在論」や「共同体論」に深く分け入り,人間が「生きる」ということはどういうことなのかを考えてきました。当然のことながら,その思考は「死」や「宗教」の問題に伸びてゆき,やがては「ドグマ人類学」(ルジャンドル)や「経済」(宇沢弘文,デュピュイ,など)に行き着きます。そして,いつしか,みずからの寄って立つ思考の基盤を「チョー哲学」と名づけるしかないような,前人未到の世界に分け入っています。

 そうした思考作業を経て,とりわけ,「3・11」を経験し,デュピュイの「破局論」を経て,くっきりとその姿を現してきたのが「共生論」(イヴァン・イリッチにはじまるコンビビアリティの思想)だったのではなかったか,とこれはわたしの推測です。つまり,西谷さんの思想遍歴の最新の結論と言ってもいい「共生論」が,今回の集中講義のテーマである,という次第です。

 となれば,どんなことがあっても,この集中講義を聴講しない手はない,と即断しました。そして,あっという間の二日間が終わりました。全日程の半分が終わったというわけです。もう,予想をはるかに超える濃密な内容の話を,じつにわかりやすく説いて聞かせる,それはそれはみごとな講義の連続です。まもなく78歳になんなんとする老人が,若い学生さんたちの中に混じって,ちょこなんと座している姿をご想像ください。そして,かつて学生時代には経験したこともない,ワクワク感で満たされた,至福のときを過ごしている老人の姿を・・・。

 明日(23日)は休日のためにお休み。その代わりに,出石神社まで足を伸ばし,フィールド・ワークにでかける予定です。こちらは,河童研究者のTさんが案内役をつとめてくれます。ありがたいことです。もちろん,西谷さんもご一緒です。お互いに,出石神社を歩きながら,なにを感じ,なにを考えるか,いまから楽しみです。

 一息入れて,後半の集中講義に入る,という次第です。
 この一連の講義の具体的な内容についても,できれば,このブログで取り上げ考えてみたいとおもいます。
 が,とりあえずは,前半の集中講義が終わったことのご報告まで。

2015年8月7日金曜日

術後,初の遠出。神戸市外大で西谷修さんの集中講義を聴講。すっかり元気を取り戻す。

 8月5日の夕刻,エアコンの取り替え工事が終わるまで,猛暑日と熱帯夜に苦しめられ,心身ともに弱り切っていました。しかし,エアコンの力,恐るべし。たった一晩で,水分補給意欲も食欲もすっかり取り戻し,よし,これなら行けると判断し,神戸市外大に向かいました。

 いつものように新横浜駅で,権兵衛のおむすび2個とちらん茶を買って新幹線へ。久しぶりに朝からおいしくいただく。まもなく爆睡。眼が醒めたら名古屋を通りすぎていました。これですっかりからだに力がもどり,むつかしい本を取り出して読む元気もでてきました。

 新神戸駅では,わたしのことを気遣ってくれた竹谷さんが迎えにきてくれていました。想定外でしたので,ちょっとびっくり。あわてて,「どうしてここにいるの?」と尋ねてしまいました。すぐに,わたしの背負っているパソコン入りのザックを取り上げ,「こんな重いものを背負っていてはいけません」とお叱りを受けてしまいました。

 学園都市駅に着いたらちょうど12時。もう,腹が減っていて,すぐにそば屋さんへ。いつも注文する「鴨なんそば」を注文。おいしくペロリと食べて,その足で宿泊施設の支払いと鍵をもらって部屋へ。不要な荷物を置いて,すぐに大学へ。

 西谷さんは,わたしの顔をみるなり,「大丈夫ですか」と気遣ってくださる。今日になって,すっかり元気をとりもどしたことを短く報告。

 午後の3コマ。西谷さんの名講義を聞かせていただいて,さらに奮い立つようにしてこころというか,精神の元気がもどってきました。やはり,思い切ってでかけてきてよかった,とこころの底からおもいました。この授業を聞かせていただいただけで,もう,帰ってもいい,とおもうほどの充実した内容でした。

 話題は別に目新しいものではなく,西谷さん得意の「戦争論」の一端。それも,「テロとの戦争」の意味するところを,深く深く掘り下げて,そこに浮かびあがってくる思想・哲学的な新しい知の地平を,じつにわかりやすく説いてくださいました。西谷さんには『テロとの戦争』という著作もあり,改訂版も出たりして,すでに,何回も読んですっかり承知しているつもりでいました。

 しかし,昨日(6日)の講義はそうではありませんでした。疲労の極に達しているとおもわれるからだに鞭打つようにして,しだいにスイッチが入り,ボルテージも上がって,しかし,静かな小さな声を絞り出すようにして語りかけてくださいます。完全な西谷ワールドの出現です。つぎからつぎへと話の組み立てがおのずから立ち上がってくるような話術にささえられながら,その思想・哲学的な深みへと,耳を傾ける者の思考を誘ってくださいます。

 後半の話は,とくに,陶酔しながら聞かせていただきました。「ああ,やはり神戸まででかけてきてよかった」としみじみおもいました。こういう冴え渡った知の地平に触れることが,いかに,いまのわたしには良薬であることか,としみじみおもいました。内容については,また,機会を改めて紹介させていただくことにして,とりあえず,すっかり元気を取り戻した,というご報告まで。

 〔追記〕この集中講義のあとの,夕食には,「竹谷庵」なるスペシャル・カフェで「ローフード」のフルコースをご馳走になり,この食事もまた,わたしのからだには最高のプレゼントになったことも,今朝の目覚めのよさによって証明されています。これで,今日(7日)も一日,なんとか元気に過ごせそうです。ありがたいことばかりです。神戸はいいところ。

2014年12月27日土曜日

神戸市外大の西谷修さんの集中講義からもどりました。「狂気の一線を超える」というお話を。

 年の瀬の迫った12月22日(月)・24日(水)・25日(木)の三日間,朝8時50分から午後5時30分まで,ぶっ通しの西谷修さんの集中講義を受講させていただきました。一日5コマ,計15コマ(半期分)というハードなスケジュールです。途中,23日(火)は祝日でしたのでお休み。折角の骨休めの日にもかかわらず,西谷さんは京都の同志社大学で開催されたシンポジウムに出向。ですから,西谷さんは計4日間,びっしり詰まったスケジュールをこなされたことになります。その集中力と持続力には,ただただ頭が下がります。驚くべき元気さです。

 22日からの集中講義とはいえ,朝8時50分開始ですので,前日の21日(日)の夕刻には神戸市外大の用意してくれた宿舎に到着してスタンバイ。最後の25日(木)は打ち上げと称して,西谷さんと懇意にしているわたしたちの仲間と,近くの温泉施設で一泊。ですから,西谷さんとしては,結局は6日間が,この集中講義のために費やされたことになります。ずっとご一緒させけいただいたわたしとしては至福のとき。まさに,濃密な時間でした。

 繰り返しになりますが,集中講義の題目は「医療思想史」。わたしはこのテーマでの講義を受講するのは二度目でしたが,西谷さんはそのことを意識されたのか,一回目のときには話されなかった内容をふんだんに盛り込んでくださいました。とりわけ,身体論にかかわる重要なポイントをいくつか取り上げ,それを医療思想とクロスさせる展開をしてくださり,とてもありがたく,いい勉強になりました。といいますのも,ここで西谷さんが展開された話題は,そのまま,スポーツ思想史,あるいは,スポーツ哲学としてアレンジすることが可能だからです。

 たとえば,ヒポクラテスについての,西谷さんの驚くべき洞察が,これでもか,これでもか,とつぎからつぎへと繰り出されました。その骨子は,ひとことで言ってしまえば,ヒポクラテスの医療が合理的な経験知と宗教的な儀礼との端境で実施されていたこと,そして,それはなにを意味していたのか,を問うものでした。

 そのうちの,わたしにとって印象深かった話題のひとつは,ヒポクラテスの医療に関する考え方にありました。ヒポクラテスの医療は,医者が手をつくせば治る可能性のある病人だけを対象とし,手をつくしても不可能だと思われる病人は聖職者の手にゆだねるべきだ,という姿勢を貫いたということです。つまり,ある程度までは医療をほどこしても,もとの健康をとりもどせないと判断された病人については,無理に医療の手をつくすことはしない,という考え方です。そして,その病人については,聖職者によって,癒されつつ死を迎えるべきだ,という考え方です。

 別の言い方をすれば,人間には「生きる力」がもともとあって,その「生きる力」をも凌駕してしまう病気や怪我については,もはや医療の対象にはせず,聖職者に委ねる,という考え方です。

 この考え方はこんにちの医療を考える上できわめて重要な示唆を含んでいると言っていいでしょう。ひるがえって,こんにちのスポーツ選手たちのからだを考える上でもきわめて重要な示唆を含んでいます。もともともって生まれたからだの資質に支えられて競技力を向上させていく,これはごく自然な流れだといっていいでしょう。古代ギリシア時代の競技者はこの考え方の上に成立していて,それ以上の競技力は神への祈りによって得られるものだ,と考えられていました。

 しかし,こんにちの競技者のトレーニング方法は,自然の流れからは大きく逸脱しているとしかいいようがありません。その極致が,ドーピングです。自力では足りないというので,他力(薬)で競技力を補おうという,近代科学のいう「合理性」に支えられた発想です。それでも,さすがにこれは行き過ぎだというので,禁止しています。しかし,完全に禁止し,完璧に管理することは不可能だとも考えられています。

 こんにちの医療システムも,競技力向上システムも,すでに,狂気の一線を踏み越えてしまった領域に乱入している,と言っていいでしょう。しかも,もはやその「狂気」の歯止めがきかなくなってしまっています。こうした情況は,こんにちのわたしたちの生活のあらゆる場面にみてとることができます。大問題です。ですから,この問題をどのように考えればいいのか,というのがこんにちの最大の課題でもあります。

 というような具合です。こんな話題がてんこもりになっている西谷さんの集中講義でした。これからノートを整理しながら,考えるべきヒントを抽出し,一つひとつ検討していきたいと思っています。三日間,15コマの,しかも濃密な思考のてんこもりのご馳走を,これからじっくり時間をかけて消化していかなければなりません。大きな宿題をたくさんいただく,素晴らしい集中講義でした。

 講義の最後のところでさらりと触れられましたが,この「医療思想史」は数カ月後には単行本になって世にでるとのことです。この本が出たら,おそらく大きな話題を呼ぶことになるでしょう。わたしはいまからそれを楽しみにしているところです。

 ということで,今回はここまで。

2014年12月23日火曜日

西谷修さんの集中講義初日聴講・神戸市外大。哲学とはなにか。

 今日(22日)から,神戸市外大で西谷修さんの集中講義がはじまりました。講義題目は,哲学特別講義。テーマは医療思想史。昨年,東京外大で西谷さんの同じ題目の授業を聴講させていただいていますので,わたしにとっては今回で2回目。感銘を受けた本をもう一度読み返す,それに似た印象を受けました。名講義です。

 その中のひとつを紹介しておきましょう。それは集中講義の冒頭でお話をされた「哲学とはなにか」です。細かなことは省略しますが,まずは,哲学の課題は「真・善・美」を明らかにすることにあると切り出し,その中心課題である「善」とはなにか,というお話をされました。

 そのもっとも優れた著作として西田幾多郎の『善の研究』(1912年,明治43年)があります。この著作は日本語で書かれた最初の哲学の本であります。しかも,西田の処女作であると同時に,哲学の核心部分に光を当てて,真っ向勝負にでた素晴らしい本です。西田は善について語ることはほとんど困難であると断わりつつ,その核心部分に脇目もふらずに迫っていきます。その意味で哲学のもっともまっとうな本であると言っていいでしょう。

 善とはなにか。これをわかりやすく説明すれば,以下のようになります。

 気持がよい──気持が悪い,という言い方をします。この場合の「気持がよい」が善である,と考えてよいでしょう。「気持が悪い」よりは,「気持がよい」方が生きる意欲がわいてきます。つまり,生きることを肯定するベクトルが「善」ということになります。

 ものがある,人が生きている,世界がある,人がいる・・・・・つまり,この世が存在することを肯定すること,人がここちよく生きることが肯定されること,これが「善」のベクトルであります。

 もう少し具体的な話に置き換えてみるならば,元気が出る,自分の気持がよくなると他人も気持よくなる,人を助ける・喜ばれる・嬉しい・お互いにここちよくなる,花に水をやる・花が元気になる・嬉しい,というような具合になります。

 つまり,存在という哲学のもっとも本質的なテーマが肯定されること,そして,それが意識化されること,これが「善」に向かう力となります。

そして,「善」には三つの要素があります。それが,「真・善・美」です。つまり,知的活動にとっての善が「真」,感覚にとっての善が「美」,そうしたものの存在を肯定するのが「善」です。

 繰り返しになりますが,より善く生きる=気持がいい=ここちよい=ひとりではできない=ケア(医療),という等式が成立します。生きるということをお互いに肯定すること,それが「善」である,ということになります。

 「医」のはじまりは「猿の毛づくろい」にある,と言います。毛づくろいは,お互いにやり合う,猿同士がここちよくなるためのマナーであり,健康法でもあります。つまり,この視点から「医」を考えること,そして「医療」とはなにかと問い直すこと,これは「善」の研究でもあります。つまり,哲学なのです。言ってしまえば,「通俗哲学」。この集中講義のテーマである「医療思想史」とは,「善」とはなにかを問う,わたし流の「通俗哲学」のひとつの手法でもあります。すなわち,哲学特別講義というわけです。

 というような観点から,医療思想史を考えてみたいと思います。

 という具合で,まあ,ずいぶん勝手なアレンジをしていますが,わたしが受け止め得た西谷さんのお話の,今日の冒頭部分のもっとも印象に残ったところです。

 取り急ぎ,今日の集中講義から。

2014年8月9日土曜日

西谷修先生の集中講義「戦争・メディア・スポーツ」を聴講。感動の3日間でした。

 西谷修先生のご講義は,とくべつのお許しを得て,これまでも何回も聞かせていただいてきました。そして,そのつど,新しい発見があって,生まれ変わるような経験の連続でした。今回もまた,これまでにもまして濃密な時間を過ごすことができました。とりわけ,今回は集中講義ということで,一日5コマずつ,三日間で15コマの授業を一気にシャワーのように浴びることになりました。もう,頭の中はてんやわんやです。あれやこれやの新知識の飽和状態です。これからノートの整理などしながら頭を冷やす必要がありそうです。

 場所は,神戸市外国語大学。期間は8月6・7・8日の三日間。8日の夜はわたしたちの仲間(7人)と一緒に有馬温泉へ。一泊。夕食後も,朝食後も集中講義の番外編を聞かせていただき,なんだかもったいない,という思いでした。至福のとき。

 さて,講義題目は「戦争・メディア・スポーツ」。このテーマで西谷先生はなにを,どのように語られるのか,わたしなりに想定してでかけました。しかし,その想定は全部はずれてしまいました。まさか,こんなに気宇壮大なお話をされるとは,まったく考えてもみませんでした。古代から現代までの典型的な戦争のトピックスを取り上げ,分析しながら,そこからみえてくる,これまでとはまったく異なる斬新な世界像や歴史や宗教や思想や人間像などについて,詳細に論じてくださったからです。それらの具体的な内容については,これから何回にも分けて,このブログに書いてみたいと思っています。今回は,その概要というか,わたしがとくに興味を惹かれた部分を取り上げて,その概略を書いておきたいと思います。

 たとえば,戦争という切り口からみえてくるヨーロッパ・キリスト教世界のなんとも異形としかいいようのない真相でした。そして,わたしの中にあったこれまでのヨーロッパのイメージは一新されてしまいました。こんにちのアメリカの傍若無人ぶり(たとえば,「テロとの戦争」という名のもとに展開されたアフガニスタンやイラクへの侵攻,など)は,古代ローマ帝国がキリスト教を国教としたとき以来,みゃくみゃくと受け継がれてきた世界制覇に向けた「唯我独尊」的なふるまいである,というように。そして,その猫の首に鈴をつける勇気あるねずみは一匹もいない,というこんにちの実態。ひたすら,「テロ」と名づけることによってすべてを正当化して恥じない,その姿勢とそれに従属するヨーロッパ・キリスト教連合国,などなど。

 あるいは,フランス革命。長くつづいたフランスの絶対王制をひっくり返し,市民の自由を獲得するための勇猛果敢な戦いでしたが,その自由を手にした結果として,その自由を守るための兵役義務が新しく生まれることになった,というそのパラドックス。しかも,その自由を守るために編成されたナポレオンの率いた義勇軍は,それまでの傭兵とは比較にならない強力な軍隊であったこと。つまり,戦うことの意味をしっかりと自覚した,ほんとうの意味での兵士の誕生であり,集団であったこと,など。

 そして,このできごと(革命)がどのように伝達されたか,というメディアについての詳細な論の展開がありました。

 こうした戦争とメディアの関係を論じながら,ここにスポーツの含みもつ問題性を連結させて論じながら,スポーツの特質をえぐり出してくださいました。ここが,わたしの聴講したかった「目玉」に相当する部分です。これらについても,問題を整理して,これからこのブログで書いてみたいと思っています。

 今日のところは,とりあえずのご報告ということで,ひとまずここまで。

2013年12月14日土曜日

「保健衛生」という考え方と全体主義国家の関係について。医療思想史・その5.

 「保健衛生」。このことば自体はなにも目新しいものではありません。ごくふつうに「保健衛生」,となにも考えないで,ごく当たり前のように使っています。しかし,N教授は,このことば,漢字をよくみてみなさい,とおっしゃる。わたしも言われるままにじっと見入ってみました。が,それがどうしたというのでしょうか,と訝しく思っていました。

 が,N教授は,このことばを分解して,つぎのように説明してくれました。
 「保健」とは,健を保つ。「健」とは健康のこと。つまり,健康を保つ。
 「衛生」とは,生を衛る。「生」とは生活でもあり,生命でもある。つまり,命を衛る。
 すなわち,健康を保ち,命を衛る。
 これが「保健衛生」ということばの成り立ちであり,その意味です,と。

 それだけなら,なるほど,で終わります。しかし,ここからがN教授の「医療思想史」のすごいところです。この「保健衛生」は,だれのためのものか,と問います。だれが,だれのために,そして,なんのために,このことばを編み出し,用いるようになったのか,と問います。わたしはスキを突かれたと気づき,あっ,と声を発していました。思い当たる節があったからです。

 それは明治政府の文部大臣森有礼が打ち出した「富国強兵」策でした。教科書にも書かれていますように,かれの打ち出した「富国強兵策」はみんな知っていることです。国を富ますためには優れた労働者が,そして軍隊を強くするためには強い兵士が必要だ,とこれを日本近代の国民国家のスローガンにかかげたわけです。いかなる重労働にも耐えうる身体と意志をもった,よく働く労働者と,強い軍隊を支える身心ともに頑健な兵士を養成すること,これが日本近代の国民国家を支える国民を育成するための喫緊の課題でした。そのために,まずは日本国民の間に「保健衛生」という考え方を浸透させる必要がありました。

 そこで,まずは,体操伝習所にアメリカのアモースト大学医学部を卒業したリーランド博士を招き,アモースト大学で行われていた身体測定や体力測定を取り入れ,一年間の発育・発達の実態を把握することになりました。やがて,この体操伝習所の卒業生たちが全国に散っていき,同じことを学校現場で児童・生徒たちを対象にして行うようになります。かくして,丈夫で健康なからだをもつことが日本国民としての美徳として高く評価されるようになります。

 病気をしない丈夫なからだの持ち主,すなわち,健康であることが国民の理想として掲げられました。そうして,病気をしないための予防医学としての「衛生学」が,まずは広く知られるようになりました。手を洗いましょう。うがいをしましょう。歯を磨きましょう・・・・という具合にして衛生の考え方が国民の間に浸透していくことになります。こんにちのわたしたちもまた,外出から帰ると手を洗います。うがいをします。この慣習行動は明治以後にできたものです。それ以前の日本人はそんなことはしていませんでした。

 かくして,「保健」(健康を保つ)と「衛生」(生活/生命を衛る)という概念がセットになって,ごく当たり前のように,なんの疑念もなく国民の間に理解されることになります。こんにちの学校の「保健体育」という教科の淵源はここにあります。健康を保ち,からだを育てるための知識と方法を教える教科の根拠はこの「保健衛生」という考え方からでてきます。

 問題は,さきにも書きましたように,「保健衛生」も「保健体育」も,いったい,だれが,だれのために,そして,なんのために,ということを問う必要がある,とN教授は仰います。そして,この関係を丁寧に説明しながら,この考え方がじつは全体主義国家の根幹をなすものであることを,じゅんじゅんにに説いてくれます。その説得力のある論理に唖然としながら,ノートをとることさえ忘れてしまうほどでした。

 それは,国民の身体が国家に絡め捕られていくプロセスであり,健康という美名のもとに国民の健康もまた国家の資産として確保されていく,そのプロセスのお話でした。

 ここからはわたしの感想ですが,こんにちでは「健康管理学」という学問があり,体育学部の学生であれば必須科目になっているはずです。この「健康管理学」という表記もよくよく考えてみるとおかしなものにみえてきます。その点,「保健衛生学」はまだましな方です。健康を管理する学問とはいったいどういう学問なのか,と考えてしまいます。健康ということばの概念がまずは曖昧です。どこまでが健康であって,どこからは健康ではないのか,その境界線を引くことはほとんど不可能です。その健康を「管理」するというのです。だれが,なんのために?

 この学問は,わたしの記憶に間違いがなければ,アメリカから日本に移入された学問です。つまり,キリスト教文化圏で生まれた学問です。それは「健康」という物品を「管理」するという,工場の製品管理と同じ発想です。つまり,健康を「モノ化」した発想です。国民の健康を「モノ」としてとらえる発想です。そこには,もはや,人間は存在しません。必要なのは,「健康な身体」だけです。それを,だれが,どのように利用しようというのか。母子手帳にはじまる国家による健康の「管理」に疑問をいだく人は,いまや,ほとんどいないことでしょう。

 しかし,よくよく考えてみれば,なにゆえに国家によってわたしたち国民の健康が管理されなければならないのか,とても不思議です。ここには,だれかが国民の健康を必要としており,なにかの役に立てようとしている,という明確な意図が働いています。そこのところをN教授は,もっともっと注意深く考える必要がある,と説きます。その謎が解けてくれば,いま,わたしたちがどのような国家に生まれ,生きているのか,ということがはっきりしてくるという次第です。

 N教授が「医療思想史」にこだわる理由が,わたしにも少しずつわかってきました。このあとの講義がいまから楽しみです。とりあえず,今日のところはここまで。
 

「医療」を成り立たせている条件をチェックしていくと,社会の成り立ちがみえてくる。医療思想史・その4.

 N教授の「医療思想史」の講義が佳境に入ってきました。とりわけ,12月13日(金)に行われた講義は,これまでにも増して,いまのわたしにとってはありがたく,きわめて有益なお話でした。

 にもかかわらず,もう長い間,医療思想史のレポートを,このブログに書くチャンスを見失っていました。お断りするまでもなく,「特定秘密保護法」なる,とんでもない悪法を,ほとんど審議することもなく強引に議会を通過させ,成立させてしまった政府与党のやり方に抗議していたからです。なんとも許しがたい暴挙としかいいようがありません。が,闘いはこれからです。まずは,注意深く政府与党の言動をチェックしながら,再来年春(2015年)に予定されている国政選挙で決着をつけるべく,息の長い運動を展開していかなくてはなりません。

 というような具合に書き始めますと止まりませんが,ここは禁欲につとめることにしましょう。

 さて,昨日の医療思想史。もう,何回もお断りしていますが,ここで書かれる内容は,N教授のお話のほんの一部であり,あくまでも,わたしが聞き取れた範囲のものでしかありません。そのむかし,お釈迦さんのお話を聞いた弟子たちが集まって,わたしはこのように聞いた(「如是我聞」)という話を集めて「経典」を編纂しました。この伝でいえば,このブログはわたしの個人的な,まったく恣意的な「如是我聞」であって,N教授には一切の責任はありません。そのことを再度,お断りしておきたいと思います。

 なかなか本題に入っていくことができません。前置きばかりが長くなってしまいます。これはわたしの悪いクセ。お許しください。

 N教授は,授業の冒頭で,「医療を成り立たせている条件をチェックしていくと,社会の成り立ちがみえてくる」と述べた上で,「ひとくちに医療といっても,さまざまな側面をもっているので,いささかやっかいではありますが・・・」と断わりながら,大筋,つぎのようなお話をされました(と,わたしは聞きました)。

 古代ギリシアの医聖ヒポクラテスの時代には,医療の対象は,まずは「人」を診ることに主眼がありました。つまり,病んでいる人を癒すことに力点がおかれました。まずなによりも,癒す力が医者に求められものでした。ですから,ヒポクラテスはアスクレピオス神殿の聖域の中で医療に従事していました。つまり,ここでの医療は聖なるものと俗なるものの境界領域で成立していたことがわかります。

 が,やがて医療の対象は,病んでいる人の病気の原因を追求し,その原因を取り除く方向に向かいました。つまり,病気を因果関係でとらえ,その原因を取り除くことが医療の目的となります。ここで起きたことは,人を診ることから病気を診ることへ,という大きな転換です。もっと言ってしまえば,人間不在の医療がここからはじまるというわけです。その根っこにある考え方は「合理的思考」「科学的思考」です。人間の頭で合理的に説明ができる領域に医療が取り込まれていった,と言ってもいいでしょう。

 こうして科学的合理主義が医療の中心に位置づけられるようになります。すると,病気の原因もさらに細分化されていきます。腹が痛い原因は,内臓器官のどこにあるのか,が追求されていきます。すると,病気全体から,胃なら胃,腸なら腸(大腸か,それとも小腸か)という具合に,臓器に医療の対象が移っていきます。こうして,じつに明快に原因が説明され,治療が施されるようになりますと,いわゆる「科学万能神話」が誕生することになります。ここでは,人間も病気も不在となり,医療の対象は臓器に集中していきます。

つぎの段階は,臓器のなかの「細胞」の異変に科学的関心が移っていきます。臓器から細胞へと関心が移り,さらには,細胞のなかの遺伝子へと医療の関心は移っていきます。その結果,ゆきついたのが,いま話題の「iPS細胞」というわけです。この「iPS細胞」のもつ問題性についても詳しい説明がありましたが,わたしの手には負えませんので割愛。(ただ一点だけ。自然界には存在しない細胞を人工的に造りだして,それを生身の人間のからだに取り込もうということの意味,つまり,人間の存在論にかかわる重大な問題を内包しているということ。しかも,その問題についてはなんの議論もなされないまま実用化に向けてまっしぐら。国家も産業資本も国民の多くも後押ししています。さて,この問題をどうするのか。)

 臓器がどうしても治らないなら,臓器ごと取っ替えてしまえばいい,という恐るべき発想から「臓器移植」が登場します。こういう発想を支えている背景にはキリスト教的人間観があるというお話もされ,その根拠も懇切丁寧に説明がなされました。その発想が,自動車の部品交換と直結していることも,詳しい説明がありました。つまり,人間機械論の問題です。

 臓器移植は,それだけではなく,免疫抑制という医療にとっては,根源的な矛盾を抱え込むことになりました。つまり,病気を治す原動力は免疫力ですが,その免疫力を抑制しないことには,他者の臓器を自己の体内にとりこむことはできません。つまり,抗原抗体反応を起こして,他者の臓器を排除しようと免疫力がはたらくからです。つまり,ここでの医療は,移植した臓器を優先させるのか,もともとのからだを重視するのか,その微妙なバランスのもとに「生命」を維持しなければならない,というまったく新たな事態に遭遇することになりました。(この背景には,ジャン=リュック・ナンシーの『侵入者』による問題提起があります。)

 さらには,免疫抑制剤という新薬の開発が活発になります。新薬開発とともに特許競争もはじまります。こうして,臓器の売買もふくめて,医療は産業化されていきます。かくして,医療産業に大きな資本が投入されることになり,医療は気づけば,完全に「経済」原則のもとに管理されることになってしまいました。かくして,こんにちの医療は完全に経済に絡め捕られて,だれのための医療かという新たな問題が登場しています。

 もはや,そこには「人間」は,ひとかけらも存在しません。経済活動の一環としての,つまり,金儲けとてしの医療しか存在しません。医療が,あっという間に「商品化」され,「金融化」され,立派な経済活動の対象となってしまった,という次第です。

 とまあ,わたしは至らぬ説明しかできませんが,それでもなお,N教授がわざわざ「医療思想史」という講義題目を立てて,まったく新しい研究分野を開拓していこうとしていることの意味が,そこはかとなく伝わってくるのではないでしょうか。このあとの展開が楽しみです。

 というところで,今日のところはひとまず,おしまい。
 

2013年11月1日金曜日

「<医>における<信>」ということについて。ヒポクラテスにみる二つの<信>の問題。医療思想史・その3.

 N教授の医療思想史のゼミがますます佳境に入ってきました。と書きましたが,それは同時にかなり込み入った内容になってきたということでもあります。ノートをとりながら,何回も鳥肌の立つ思いをしながら聞かせていただいているのですが,家に帰ってからノートをみると肝心要の部分が抜け落ちてしまっています。つまり,聞くことに集中してしまって,聞きほれてしまっているのです。そのためにボイス・レコーダーを用意していくのですが,それをセットすることまで忘れてしまっているという情けなさです。

 というわけで,これから書くことは,わたしのわずかな記憶と印象を頼りに書くことですので,間違っていることもお含みおきください。でも,わたしにとってはどうしても書いておきたい重要な内容を含んでいますので,あえて,そこに挑戦してみたいというわけです。つまり,いま,文章化しておかないと,また,きれいに忘れてしまいかねないからです。

 そのテーマが表題に書きましたように「<医>における<信>」というものです。この関係が,ヒポクラテスをとおして浮き彫りになってくる,しかも,ヒポクラテスの<医>の問題を考えるときの核心部分に相当する,とN教授。そして,ヒポクラテスは二重の意味で<信>の問題と深くかかわっていたというわけです。

 それを,わたしが理解しえた範囲で整理しておくと以下のようになりましょうか。

 医師であるヒポクラテスは全知全能ではないことを自覚しています。しかし,病者からは全面的な信頼を受け,身を投げ出すようにして命を信託されてしまいます。すると,さすがのヒポクラテスといえどもたじろいでしまいます。ですから,そのたじろぎを支えるための装置が必要になってきます。そうして,当時,広く知られていた医神アスクレピオスに助けを求めます。そして,アスクレピオス神に絶対的な<信>を置くことによってヒポクラテスは安心立命し,<医>に専念します。つまり,ヒポクラテスの時代の<医>は,こういう意味で,ある種の「特別の職能」であった,というわけです。

 いったい,ヒポクラテスの時代の<医>とはなんだったのか,微妙な問題がその周辺には漂っていたように思います。つまり,論理的な<医>と,人知を超越するところの<医>との狭間で揺れ動く,そういう意味での微妙さの問題です。

 そのもっとも分かりやすいポイントは,ヒポクラテスの<医>はアスクレピオス神殿で行われていた,という事実です。しかも,ヒポクラテスはアスクレピオスの末裔であると名乗り,父祖代々医業を引き継いできたと主張します。ということは,ヒポクラテスの始祖はゼウス神ということと同じことを意味します。すなわち,アスクレピオスの父はアポロン神,そのアポロン神の父はゼウス神ですから,ヒポクラテスの始祖はゼウス神というわけです。

 ここから,もう一つの知見が開けてきます。アポロン神は「神と人間の中間」にある神だとされています。そのアポロンがみずからの太股を切り裂いて,死んだ妻の体内にあった未熟児を埋め込んで育てます。そうして誕生したのがアスクレピオスだといいます。しかも,アポロン神は,このアスクレピオスをケンタウロスに預けて育ててもらいます。ケンタウロスはご存じのように半人半獣です。いわゆる冥界に住む魔物ですが,同時に,ケンタウロスは「癒しの力」をもっていました(このあたりのことは,じつは,とてつもなく深い,動物と人間の関係を考える上で,重要な内容を含んでいます。その点については別稿で考えてみたいと思っています)。この「癒しの力」をアスクレピオスはケンタウロスから伝授されます。こうして医神アスクレピオスが誕生することになります。

 つまり,アスクレピオス自身が神の世界から人間の世界に限りなく近いところにありながらも,なおかつ,神の世界に片足を残しているというわけです。その末裔であると名乗るヒポクラテスもまた,人間の世界に誕生しますが,こころのどこかにゼウス神を始祖とするアスクレピオス神への信仰心(信頼・信託・委託)がしっかりと根付いています。

 ですから,ヒポクラテスはアスクレピオス神殿に身をおき,そこで<医>を営むことになります。そして,冒頭に書いたように,ヒポクラテスは病者の<信>を引き受け,こんどはアスクレピオス神への<信>にすがって,みずからの<医>を展開したというわけです。

 このような位置に立ちながら,ヒポクラテスは「死にゆく病者」と「生命力を残している病者」とを区別して,「死にゆく病者」は聖職者の仕事,医師は「生命力を残している病者」を支援することだ,と考えました。それでも,病者を支援する仕事は「禍々(マガマガ)しい仕事」であり,穢れ(ケガレ)に触れる仕事ですから,そこから救済されるためにもアスクレピオス神を信ずることによって<医>に取り組んだというわけです。ここのところはきわめて重要なことだと,わたしは受け止めています。<医>は,こんにちのわたしたちが考えるような単純なものではない,つまり,科学合理主義で片づけられるような問題ではない,という意味で。

 もう一点だけ,触れておかなくてはならないことは,つぎのような神話です。アスクレピオスは,ケンタウロスから冥界に通ずる「癒しの力」を引き継いでいましたので,あるとき,死者の前で嘆き悲しむ親族に請われて,不本意ながら,死者を生き返らせてしまいます。このことを知ったゼウス神は,怒り狂ってアスクレピオスに雷を落として感電死させてしまいます。孫を殺したのです。理由は,医は地上の生命を支援するためのものであるのに,地下の死の世界に踏み込んで,死者を生き返らせるという領域侵犯をなした,これは許せない,というわけです。

 もちろん,この神話はゼウス的コスモロジーのもとでの話です。しかし,それだけの問題で済ませてしまっていいのでしょうか,とN教授は暗示しているように,わたしには聞こえました。

 この神話がヒポクラテスの頭のなかには避けがたい大原則として刻印されていたと言っていいでしょう。ですから,<医>は生命力のある病者を支援することであって,死にゆく病者に手を出してはならない,というヒポクラテスの掟(誓い・医の倫理)を徹底させることになります。

 この問題は,現代医療の問題を考える上で,ある根源的な示唆を含んでいるのではないか,とわたしは受け止めています。まだまだ,考えなくてはならない問題が山のようにあります。今日のゼミは,わたしにとっては忘れられない,記念すべき日であったように思います。

 というところで,今日のレポートはおしまい。








 

2013年10月12日土曜日

治癒神としてのイエスの話(医療思想史・その2.)。

 快晴の秋晴れ。風やや強し。10月11日午後0時10分。是政橋を歩いている。是政駅20分発の電車に乗らないと,先週につづけて今日も遅刻になってしまう。必死になって早足であるく。なんとか間に合って,授業(12時40分始まり)に滑り込む。

 教室に入ってみると,ほとんどまだだれもきていない。入り口近くのソファーにKさんがぽつねんと座っていて,ご挨拶。そのうちにどどっと院生さんたちが入ってくる。先週とは少し顔ぶれが違うような気がする。が,そんなことはいっさいお構いなくN教授は授業を開始。

 今日もノートに書き切れないほどの刺激的(わたしにとって)な話がてんこ盛り。どの話題もみんな刺激的。嬉しくてたまりません。そんな話のなかから,なにか一つ取り出すとすれば,「治癒神としてのイエス」の話でしょうか。

 先週の授業のときに配布してくださった〔MIMA医療思想史 参考文献〕についてのプリントの解説からお話がはじまりました。全部で33冊の文献に,さらに追加として4冊,それにN教授の書かれた関連文献が5冊。こちらの文献一覧もまたてんこ盛りです。そのトップに挙げてある文献は,1.ヒポクラテス『古い医術について』,岩波文庫,1962年,です。この本の解説が,まずは,たっぷりと丁寧に展開され,そのあと何冊かの解説をされたあとに,7.山形孝夫『聖書の起源』講談社現代新書,1976年のお話がありました。

 まずは,なぜ,医療思想史の授業に『聖書の起源』なのか,とN教授は院生さんに問いかけます。みんなきょとんとしています。それもそのはず,聖書と医療とはなんの関係もない,と一般的には考えられていますから。でも,一冊でも聖書を読んだことのある人であれば,イエスがいろいろの病いにたいして奇跡を起こしたり,たくさんの「癒し」を行っていたことを思い出すでしょう。

 このテクストについては,つぎのようなコメントが書かれています。
 ※治癒神としてのイエスを明確に描き出し,人間にとっての信仰と医術との根源的な関係を示唆する本。

 まずは,山形孝夫さんはイエスを「治癒神」と位置づけた上で,キリスト教信仰と医術との根源的な関係について多くの示唆を与えてくれる,とN教授は語ります。たとえば,五大福音書を一つひとつ読み解いていくと,イエスは困っている人,苦しんでいる人,悩んでいる人,などを癒すことに専念していることがわかってきます,と。癒すことが苦しみからの「救い」となり,そこが信仰の入り口になる,というわけです。言ってみれば,イエスは身体の医者ではなかったけれども,間違いなく魂の医者ではあった,と。

 と同時に,そこから類推できることは,古代・中世のキリスト教文化圏における医術は,生きる者の救済に重点が置かれていて,死にゆく者には医術を施してはいない,ということです。なぜなら,死にゆく者とは,神のいる国,すなわち,天国に昇っていく者のことであり,それは苦しみでもなんでもありません。むしろ,幸せなことです。つまり,キリスト教を信仰する者は,死ぬこと自体を恐れたり,苦に病んだりはしません。天国に昇天できる素晴らしいできごととして,むしろ,歓迎されたのではないか,と。場合によっては,恍惚として死んでいった,と。

 だから,生きる者(生きる可能性をもった者)の医術は施したけれども,もはや,生きる可能性をなくした者にはなにも手を出しません。天国への旅立ちの邪魔をしてはいけないからです。ですから,生きる者は生きる,死ぬ者は死ぬ,とはっきり割り切っていたというわけです。

 このことがなにを含意しているかは,すでに,おわかりのことと思います。現代の医療の考え方や姿勢,そして制度としての医療体制とのあまりの差異に,驚くほかはありません。つまり,なにがなんでも「生かす」ことを最優先する考え方との差異です。もっと言ってしまえば,植物人間になってもまだ「生かす」という発想との,あまりの開きにわたしたちはだじろいでしまいます。

 こういう現実がどのような経緯によって生まれてきたのか,この医療思想史の授業をとおして考えていきたい,とN教授。そして,そういうことを考える絶好の素材を『聖書の誕生』(山形孝夫著)は提供してくれる貴重な文献である,という次第です。

 というところで,今日のところはおしまい。



 

2013年10月5日土曜日

N教授の後期の授業がはじまる。題して「医療思想史」。サルの毛繕いの話,など。

 初日だけはどんなことがあっても遅れてはいけない,と心して出かけたにもかかわらず,到着したら授業はすでにはじまっていました。午後からの授業と聞いていましたので,てっきり午後1時からと思い込んでいました。ですから,少し余裕をもってと考え,12時50分に教室に入りました。ところが,もう,授業ははじまっていました。わたしの頭のなかは,???,なぜ?

 身を縮めるようにして,入り口のすぐ近くの椅子にすごすごと座りました。まるで,学生時代に遅刻したときの気分です。すでに,授業はいいペースで進んでいます。N教授には申し訳ないことをしてしまった,と反省しながら急いでノートを取り出して・・・。N教授はちらりと視線を向けただけで,無視して話をつづけてくださり,安心しました。

 前期の授業は学部学生さん用の火曜日の授業でしたが,後期はN教授のお薦めで金曜日の大学院生用の授業に変更です。テーマは「医療思想史」。以前から,断片的なお話は伺ったことがあり,どくべつに興味をもっていました。医療の対象となる身体と,スポーツする身体とは,なんとなく近い関係にあるのではないか,と思い描いていたからです。その予感は,はずれてはいませんでした。この二つの身体は,深い深い思考の末の根っこのところでは一つになる,ということが初日の導入のお話でピンときました。これは面白くなるぞ・・・・,と遅刻したことも忘れて夢中で耳を傾けていました。あっという間に授業は終了。密度の濃い時間は短い,と痛感しました。幸せです。

 さて,今日のお話のとっておきのお話を少しだけ書いてみたいと思います。
 その一つめは,医療の「医」ということばへのN教授のこだわりの話,二つ目は,人間が生きているかぎり「医」はどの時代にもどの地域にも存在したという話,そして三つ目は,「サルの毛繕い」の話,です。

 まず,医療の「医」について。この文字の旧漢字は,医とルマタ(漢字のつくり)とその下に酉を加えた三つが一つになったものと,もう一つは酉の代わりに巫を加えたもの(旧漢字でここに表記できないのが残念,近々,漢字ソフトを追加します)。この漢字の成り立ちの説明が,わたしにはことのほか面白くて印象に残りました。医は矢を入れた箱,ルマタは矢を射る人,酉は酒。この読解は,毒を塗った矢を放ち,その毒のついた矢で傷ついた人を酒で洗い流す・・・・これが「医」のもともとの意味だというお話。そして,もう一つの酉の代わりに巫のつく文字は,巫女が祈り(呪術)をささげることによって傷を癒す,というお話。しかも,この旧漢字の二つの医は,癒と同義であったのだ,といいます。ですから,医とは,傷ついたからだ,疲労困憊したからだ,病変の起きたからだ,などに「手当て」をして,からだを癒し,もとのからだにもどすことだ,というお話に痛く感動してしまいました。なるほど,「手当て」して「癒す」ということが「医」の原点であるというわけです。ここから,医療,医学,医師,医術,医業,医薬,などということばが生まれてくるのですが,英語でいえば medicine の一語で終わり。このことが,なにを意味しているのかについては,これからの授業のなかでお話します,とのこと。ウーン,いきなり奥の深いお話です。

 二つ目は,人間が生きているかぎり,かならずなんらかのからだの異変は起こるので,それにどのように対応するか(手当てするか)という智恵や経験である「医」は,どの時代にも,どの地域にも存在していた,というご指摘。これは,言われてみればそのとおりですが,「医」は人類の歩みとともに,それぞれ地域や時代の特色を持ちながら蓄積されてきた智恵であり,経験である,とあらためて言われてハッと気づくものがありました。それは,日常の気づきとはまったく別の気づきでした。そうか,「手当て」とはそういうことだったのか,と。「触れる」ことによってはじまる分割/分有。したがって,このことと宗教的なるものの出現とも同根ではないか,と。だとすれば,スポーツ的なるものの始原とも同根ではないか,と。

 そして,最後は「サルの毛繕い」のお話。おサルさんがお互いに毛繕いをし合う姿は,わたしたちにもお馴染みの光景です。お互いに,身も心もゆだねて,交代しながら,心地よさそうに毛繕いをしてもらっているときのおサルさんの姿は,それを眺めているわたしたちまで,なんとなく癒される思いがします。そして,このおサルさんの毛繕いのことを考えてみれば,癒しである「医」の原点もみえてくる,というお話でした。そして,おサルさんは温泉にも浸かります。このときの温泉の中に身を沈めて目を細めている姿もまた,癒しそのものであり,「医」の原初の姿が浮かんでくる,という次第です。そうか,「医」の始原は,言ってみれば動物性の世界にまでその根が伸びている,ということがわかってきます。

 もちろん,これ以外にも聞かせてもらってよかったなぁ,というお話はてんこもりでした。が,それらは大事に胸のうちに秘めておいて,いずれ,スポーツの始原の問題を考えるところで復元してみたいと思います。

 で,授業の最後のところで,ひとこと,ポツリとN教授が仰ったことばがぐさりとわたしのこころに突き刺さりました。それは,この「医」の始原の次元と,こんにちの生命科学が対象とする「医」の次元との,あまりに大きな隔たりがどこからくるのか,この授業をとおして考えてみたいと思います,というN教授のことばでした。そうか,いまや,「手当て」などという発想はこんにちの医療現場からはほど遠いものになってしまっている,この現実がなにを意味しているのか,しっかりと目を向けていこう,とN教授は仰っている,と納得でした。

 さて,これからの半年間,至福のときが待っている,と思うと楽しくてこころが浮き立ったきます。もう,8年間もの間,東京医科歯科大学の大学院で講義をしてこられた「医療思想史」のエキスを,わたしは聞かせてもらえるのですから・・・・。
 

2013年7月24日水曜日

NHKスペシャル『封印された原爆報告書』について考える(聴講生レポート・その12.)

 1回(先々週)はわたしの都合でお休み,もう1回(先週)は大学のスケジュールの関係で休講。3週間ぶりの聴講生体験でした。N教授もお元気そうで,肩の力の抜けたゆったりとした態度で,とても内容のある授業をしてくださいました。今日で前期の授業は終わり。つまり,最終の授業。その締めくくりは「メディア」のお話。そのサンプルとして,ドキュメンタリー・NHKスペシャル『封印された原爆報告書』(NHK広島局制作,2010年8月6日放映,その後,何回も放映されているとのこと。ただし,視聴率はきわめて低いとも)を鑑賞しました。

 そのための前ふりのお話と,鑑賞したあとのショート・コメントが,どきりとさせられる素晴らしいものでした。

 結論から入ります。視聴覚メディアは,最近になってインフラに大きなコストがかかりすぎるために(たとえば,スカイ・ツリーの建設など),いつのまにか国家事業として取り組む必要が生じ,報道機関のもつ公共性との関連もあって,いまでは政府のコントロールのもとに位置づけられることになってしまったこと,ここに大きな問題がひとつ存在すること。もうひとつは,「市場の力」がメディアに強く働くようになってしまったこと,その結果,コマーシャル映像を流すスポンサーの影響をもろに受けることになってしまったこと,そのために,どうでもいいバラエティや食べ物・料理番組や紀行・旅ものがゴールデン・タイムを占有することになってしまったこと,その結果,国民としてしっかり考えなくてはならない重要な時局の報道はすっかり影をひそめてしまったこと,等々,これらの問題をとう考え,克服していかなくてはならないのか,という問題提起が最初になされました。

 そうしたことを考えるためのサンプルとして,表記のようなドキュメンタリー番組をみんなで鑑賞することになりました。これは文字どおりヘビーで,深刻な問題提起をふくんでいました。その概要をかんたんに触れておけば以下のとおりです。

 1945年8月6日,ヒロシマに新型爆弾が投下された直後に,陸軍省医務局のスタッフが現地に入り調査を開始します。そして,延べ1,300人もの日本の医師や科学者が,2年以上もかけて,181冊の報告書(全部で1万ページを超える)を作成します。その内容は,たとえば,200人の遺体を解剖した結果であったり,2万人以上もの人を対象にした聞き取り調査であったり,被爆者の日記であったり,と多種多様です。あるいは,旧陸軍病院・宇品分院には,約6000人もの被爆者が収容され,ムシロのようなふとんに寝かされたまま,治療の手も薬も間に合わず,ほとんど放置されていた,というような映像がつぎからつぎへと,これでもかというほど流れてきます。この段階で,みている者は圧倒されてしまいます。

 こうして原爆の被災国の医師・科学者がまとめた,原爆投下の直後からのきわめて貴重な調査結果をまとめた報告書が,なんと,そっくりそのまま加害国であるアメリカに提出された,というのです。しかも,この報告書はワシントンにあるアメリカ公文書館に,65年間にわたって厳重に保存されていた,といいます。そのため,被爆者のその後の救済に役立つためならばと死を目前にした被爆者たちの献身的な協力もむなしく,その人たちの善意も無視されたまま,放置されていた,というわけです。

 そのため,たとえば,原爆投下直後に広島市に肉親を探しに入って被曝したいわゆる「入市被爆者」が,国によって原爆被爆者として認められないまま放置されることになりました。が,65年後に,アメリカの公文書館に保管されていた『原爆報告書』のなかに,「入市被爆者」の日記(当時,医学生)があることがわかり,それによって初めて国は「入市被曝」を認めることになった,という話が登場します。しかも,その日記を書いた元医学生は,いまは84歳になり,闘病生活を送っています。映像は,その元医学生へのインタヴューも映し出しています。頭脳はまだ明晰なのに,からだは横たわったまま動けない状態です。なんとも,痛ましいとしかいいようがありません。

 このようにして,当時の生き証人を(すでに,90歳を超える高齢者ばかり)訪ね歩き,一つひとつ証言をとりつけていきます。痛々しいばかりの映像がつづきます。みていて耐えられないほどの息苦しさを覚えます。

 しかし,問題は,このさきにあります。
 原爆の被爆者をはじめ,医師や科学者たちが,みんな一致協力して原爆被害の『報告書』をまとめたにもかかわらず,その『報告書』が被爆者救済のためには用いられないまま「封印」されていた,という事実です。つまり,敗戦国日本は,2年以上もかけて必死になって作成した『報告書』を,率先してアメリカの調査団に提出してしまいます。それが国益につながると考えたのですが,結果的には,そのまま「封印」されてしまい,なんの役にも立たなかったという事実です。その結果として,被爆者はなんの恩恵も受けられないどころか,被爆者の認定もごく限られた人だけに限定されてしまい,あとの被爆者は国家から無視されつづけてきた,という事実です。そうした矛盾した実態がもののみごとに描かれています。

 日本という国家は,いまもなお,弱者を切り捨て,犠牲にしたまま省みることをせず,権力に近い強者のための政治しか行わない,というこの情けない実態のひとつの原点がここにも確認できる,という次第です。この姿勢は,そのまま,フクシマにも引き継がれ,国は可能なかぎり蓋をしたまま無視しつづけようとしています。フクシマの事故処理はまだまだこれからが正念場なのに,国ははやばやと終結宣言をして,なにもなかったかのように振る舞っています。しかも,だれも責任をとらないまま,傍観者を装っています。

 それが,こともあろうに,選挙が終った翌日には,東電がフクシマの汚染水が海洋に垂れ流しになっている事実を公表しました。こんなことは,もう,とっくのむかしからわかっていたはずなのに,ひた隠しにしたまま,詭弁・虚言を弄してきました。が,自民党圧勝の選挙結果を見届けるようにして,汚染水の海洋垂れ流しの事実を認めるという,このタイミングしかない,といわぬばかりのやり口の汚さには呆れ果てるほかはありません。が,これが日本の権力のやり口であり,情けないことながら,現実です。

 こういう体質は,むかしもいまも変わってはいない,ということをこの秀逸なドキュメンタリー『封印された原爆報告書』は,もののみごとに教えてくれています。

 いま,メディアが流す情報のほとんどは,政治権力と市場の力によって,管理され,コントロールされているといっても過言ではありません。だからといって,では,すべてのメディアの存在を否定してしまっていいのかといえば,そうではない,とN教授は仰います。なぜなら,メディアと人間との関係は,水と魚の関係にあって,お互いになくてはならない関係にあるからだ,というわけです。つまり,人間が生きていくにはメディアは必要不可欠なものなのだ,と。そして,なかには,このドキュメンタリーのようにきわめて秀逸なものも産出される可能性を秘めているのだ,と。だから,わたしたちは,このような優れたドキュメンタリーを擁護することによって,よりよいメディアを育てていくことが重要なのだ,とN教授は言外にほのめかしていたようにおもいます。

 以上,ことば足らずのレポートになってしまいました。が,これで,前期のN教授の授業を聴講させていただいたレポートはお終いです。次回は,後期の授業からになります。しばらく,お休みです。

 前期の授業を聴講させていただいた結論的な感想を少しだけ。大学の授業は,世の中の経験を積み,いろいろと悩み,考えたのちに,もう一度,聴講すべきだ,と痛切に思いました。なぜなら,学生時代にこのようなN教授の授業を聞いたとしても,その理解度はどれほどのものなのか,たかが知れています。が,いまは,N教授のお話が,もののみごとにストンと腑に落ちてきます。そして,新たに考えるべきヒントがつぎつぎに見いだされます。聴講していて,毎回,毎回,とてもエキサイティングでした。

 みなさんもリタイヤしたら,ぜひ,もう一度,大学の聴講生になることをお薦めします。ただし,いい先生を見つけ出さなければいけません。わたしにとってのN教授のように。

2013年7月4日木曜日

「メディア・リテラシー」で自衛せよ。(聴講生レポート・その11.)

 4週間のフランス出張からもどられたN教授の授業が7月2日(火)から再開されました。やや日焼けした顔をよくみると顎のラインがすっきりしています。おやっ?と思って全身を観察すると,以前より細身になっていらっしゃる。余分な肉は落したい,と以前から仰っていたので,さては,パリで密かに・・・?と勘繰ったりしながら,久し振りに楽しい授業を聞かせてもらいました。

 間が開いたせいか,最初のうちはシラバスのことを気になさって,その辻褄合わせの調整をなさっていましたが,いつのまにか教卓の前に立って,フリーハンドで熱弁を展開。こうなるとN教授の面目躍如というところ。やはり,シラバスなどに縛られないで,いま,現在の,その場の力に反応する臨機応変のお話の方がはるかに迫力があって,魅力的です。授業は「生きもの」なのですから。

 いつもにも増して刺激的なお話が多かったのですが,7月2日(火)の講義で,もっともわたしのこころに響いてきたお話は「メディア」の問題系でした。その中核になっているテーマは「メディア・コントロール」と「メディア・リテラシー」だと受け止めました。

 講義の冒頭で,カタール政府の肝入りで立ち上げられた放送局「アルジャジーラ」をとりあげ,このアラブ世界・アラブ人の目線から,つまり,攻撃される側から湾岸戦争(1990年)を報道するということの画期的な意味についてお話をされました。それは,それまでの戦争報道は,つねに圧倒的戦力を誇る攻撃側からの情報のみが垂れ流しになっていて,世界中のほとんどの人びとの,いま,行われている戦争のイメージを固定化するはたらきをもっていました。

 わたしも記憶していますが,戦闘機の頭にテレビ・カメラを設置して,そのカメラが映し出す映像をみながら,まるで実況中継をしているかのような報道が常態化していました。いま,標的のどこどこに命中しました。こんどは,どこどこの標的を狙っています。これです。この建物はテロリストの拠点になっていて,ここを爆撃することが重要です。照準が定まったようです。発射しました。みごとに的中しました・・・というような報道が日本のテレビにもそのまま流れていたわけです。

 ところが,そこには爆撃されて死んでいく人びとの姿はどこにも映ってはいません。しかし,実際には,大量の人間が無差別に(つまり,多くの市民を巻き込んだまま)殺されているわけです。その実態を,攻撃される側に入り込み,みずからの身の危険も辞さずという決意のもとに,爆撃され死んでいく人びとの実態を同じ地に立って,映像化して世界に向け発信していく,それがアルジャジーラという放送局でした。もちろん,アルジャジーラの多くのジャーナリストがアメリカ軍の攻撃を受けて,死んでいきました。いな,アメリカ軍はアルジャジーラのジャーナリストたちを標的にして,殺すことに血眼になっていました。

 わたしたちは,このアルジャジーラの報道をとおして,はじめて湾岸戦争のもう一つの側の実態をしることができたわけです。それでもなお,日本のメディアは,アルジャジーラの報道をほとんど無視していました。が,インターネット情報をとおして,少し頑張ればわたしたちでも眼にすることができました。

 ここで問題になっているのが「メディア・コントロール」ということです。第一に既得権益を守ろうとする人びと(日本のメディアのほとんどはそういう人びとに独占されています)にとっては,都合の悪い情報は一切流しません。その結果,どうなるのか。アメリカ軍は「正義」のためにテロリストを撲滅しているのだ,というグローバル・スタンダードを世界中の人びとに「刷り込む」ことに成功するわけです。いまでも,アメリカは「正義」の国であると固く信じている日本人が驚くほど多いのはその成果の賜物といっていいでしょう。ですから,わたしのように,それは違うよ,アメリカが聖書に対して「正義」を誓うのであれば,テロリストと呼ばれる人びと(アメリカが勝手に名づけているだけ)はイスラム教を守るための「聖戦」(ジハード)を戦う「正義」そのものだ,と主張すると白い眼でみられて多勢に無勢というみじめな扱いを受けてしまいます。どちらも「正義」を主張している以上,両者の言い分にとことん耳を傾けて,その上で,自分の考えを固めるしかありません。それが良識ある人間のすることだ,それこそが責任ある言動だ,とわたしは信じています。

 この「メディア・コントロール」の力はすでに日本の社会のなかには根強く浸透しています。ですから,わたしたちがいま,日々,受け止めている情報の大半は,まちがいなく既得権益を守る人たちにとって都合のいいものばかりです。そうでない情報はきれいに排除されています。つまり,メディアによる「浄化作用」が,意図的・計画的にはたらいています。

 たとえば,政権交代をはたした小沢一郎が,検察もメディアも一致団結して,よってたかってあること・ないことをでっち上げて叩きつぶしにかかりました。しかし,どこまで叩いてみても,裁判でそのことを立証することはできませんでした。まるで,イラクに大量破壊兵器が隠されているという前提で,イラクを叩きつぶしてみたものの,大量破壊兵器はみつからなかった,というアメリカと同じです。しかも,小沢一郎の検察調書のなかには「嘘」ででっちあげたものまであったにもかかわらず,その調書を作成した検事は不起訴です。イラクをつぶしてしまったアメリカも無罪です。こんなことが,いま,平然と日本をふくめた世界で起きているわけです。

 最近では,メディアによる「国賊」呼ばわりによる「制裁」です。この構図は,アメリカとテロリストの関係とそっくりです。政府自民党の考えに反することを言ったり,行動したりすると「国賊」扱いにされてしまいます。わたしなどは,このブログを書いたり,デモにも参加したり,改憲反対のシンポジウムにも聴講にでかけます。もはや疑いようのない「国賊」です。でも,あまりに小物ですので,まだ,「国賊」と名指されたことはありません。

 いま,その矢面に立たされているのが鳩山由紀夫です。最近,刊行されたばかりの(6月27日発行)『「対米従属」という宿痾』(鳩山由紀夫/孫崎亨/植草一秀共著,飛鳥新社)で,徹底的に裏付けになる資料まで明示して,みずからの考えを主張しているのに,今日発売の『週刊新潮』と『週刊文春』が鳩山由紀夫つぶしにやっきになっている大見出しが躍っています。『戦後史の正体』というベストセラーが話題になっている外交の専門家・孫崎亨もまた,鳩山由紀夫の言動の正当性を支持し,政治・経済の専門家でありアメリカの情報通でもある植草一秀もまた,鳩山由紀夫を支持する根拠をきわめて明確に提示しているにもかかわらず,それらに対する反論ではなくて,たんなる「誹謗中傷」だけで鳩山叩きを展開しています。

 ここで問題になるのか「メディア・リテラシー」ということです。どちらの言い分が正しいのか,どちらの言い分にわたし自身は「信」をおくのか,それを決定するための徹底的な情報の分析です。どちらの「言い分」にもそれなりの根拠があるはずです。ですから,両者の「言い分」に,まずは耳を傾けること,そこからはじめるべきでしょう。しかし,相手を頭ごなしに一方的に否定するだけでは議論ははじまりません。たとえば,「尖閣諸島が係争地であるということを認めるところから仕切り直しをするしか,中国との国交正常化はありえない」と,しかるべき根拠を提示して主張する鳩山由紀夫を「国賊」のひとことで切り捨ててしまいます。これでは,議論もくそもありません。ヘイト・スピーチそのままです。情けないことに。それでもなお,深く考えようとはしない(「思考停止」している)多くの国民を「メディア・コントロール」の力で誘導することが,真の「国益」になるのだろうか,と考えることが必要です。どちらが「国賊」で,どちらが「国益」になるのか,しっかりと見極める力が,いま,国民に問われています。

 今日(4日)は参院選の告示日です。もう,すでに「メディア・コントロール」がさまざまなかたちで展開しています。これから,ますます,激しくなってくることでしょう。それらの「メディア・コントロール」を突き抜けていく「メディア・リテラシー」で自衛するしか,いまのわたしたちにできることはありません。そして,ひとりでも多くの人たちと議論を闘わすことが必要です。ほんの少し冷静になって,情報を集め,話し合うだけで,だれが,いつ,どこで,どんな風にして,「嘘」をでっちあげ,それをまことしやかな情報に仕立て上げて,メディアをとおして流しているか,じつに鮮明にみえてきます。

 N教授の名講義を聞きながら,わたしが考えたことの一端を,レボートにしてみました。ご批判をいただければ幸いです。

2013年6月5日水曜日

戦争とはなにか。人間の全存在を賭けた<全体的体験>である。聴講生レポート・その8.

 5月21日(火)もダブル・ヘッダーの授業が行われました。N教授の日常的な多忙さの一端は,わたしにもわかるほどなので,相当に睡眠時間をけずっての日々のはずです。にもかかわらず,元気に,この日もみごとな授業を展開されました。ありがたいことです。

 さて,この日の前半の授業のテーマは「戦争とはなにか」でした。すでに授業を聞いてから,相当に長い空白の時間が流れていましたので,ノートを見ながら,もう一度,ボイスレコーダーで講義を聞き直しました。聞きながらノートに「朱」を入れていきましたら,できあがったノートが真っ赤になっていました。ノートは二度とらなくては,まともなものにはならない,ということがよくわかりました。それほどに,N教授の講義内容の密度が濃いということです。

 このレポートも,ですから,講義の全体を要約するなどということはとても不可能なことを承知で書こうとしています。そこで困りはてていましたら,いいアイディアが生まれました。それはもう思い切ってN教授の講義内容を換骨奪胎して,わたしの考えたことにすり替えてしまう,という方法です。ここだけを聞くと,なんという身勝手な奴だ,とお叱りをうけるかもしれません。しかし,そうではありません。N教授の教えをそのまま実行すると,こういうレポートをこそ期待されているのではないか,とこれまたわたしの勝手な解釈です。

 この授業の冒頭で,N教授は,つぎのように切り出されました。
 社会のあらゆることがコンビニ化していて,いま,まさに,How to reduce the head (the brain).という時代に入ってしまっている。つまり,思考を放棄させる方向に,世の中全体が動いている。しかし,大学というところは,コンビニ化する社会に抗するために存在するのだ。だから,学生さんたちは講義ノートをとりなさい。そうして,考えるきっかけをつくりなさい。そこから自分なりの思考を練り上げていきなさい。わたしはそのための「肥やし」を提供する。そのつもりで,この授業に取り組んでいます。どんな話の断片からでもいい。そこを契機にして,自分の思考を鍛えることが大事です,と。

 ※(このことが,「思考停止」から脱出し,「自発的隷従」の姿勢を超克するための,つまりは,「自立」/「自律」するための唯一の方法です・・・これは,わたしの補注です。授業ではこのようなことばはありませんでしたが,これまでのN教授の著作やブログを読んできたわたしには,このような声も聞こえてきた,という次第です。)

 というわけですので,「戦争とはなにか」というこの日の,いつもにも増して熱の入ったN教授の講義を聞いて,わたしがもっとも深く思考したことの一部をここに書き記しておくことは,これこそがN教授のお考えに応答することだ,と考える次第です。

 それを,ひとことで言ってしまいますと「戦争とは,人間の全存在を懸けた<全体的体験>である」ということになります。この理解も,じつは,N教授がまだ若かりしころに,わたしに語ってくれたことの記憶にもとづく,わたしなりのまとめです。

 なにかの研究会(たぶん,わたしが主宰した研究会)の折に,N教授が,戦争の話をしてくださいました。それをひとことでいえば,戦争とは人間の<全体的体験>である,という結論を導き出されたように記憶しています。その結論に応答するようにして,わたしは,スポーツもまた人間の<全体的体験>だと考えていますが,その認識でいいでしょうか,と問いかけました。そのときのN教授の答えは,それはよく似ている部分がたくさんあるでしょうが,原理的に,そして,本質的に,戦争のもたらす<全体的体験>とはまったく別のものです,というものでした。わたしは納得ができなくて,さらに食い下がって,スポーツの場面で起こる<全体的体験>の事例をいくつも列挙して,とりわけ,人間が人間ではなくなる「エクスタシス」の話をもちだしました。それでも,N教授はにっこり笑って「とても近い,あるいは,疑似体験はいくつもあるでしょうが,そういうものを<全体的体験>とはいいません」というお話でした。

 それでもわたしは納得できなくて,その後もずっと考えつづけていました。N教授のいう<全体的体験>とはどういうことなのか,と。そして,戦争とはなにか,と。そうして,N教授の書かれた『夜の鼓動に触れる──戦争論』(東大出版会)や『戦争論』(岩波書店)や『<テロル>との戦争』(以文社)などの著作を読み漁りました。そうして,かなりのところまでは理解できるようになっていましたが,いまひとつ,もやっとしたものが残っていました。が,この日の講義を聞いて,それらがすべて木っ端みじんにすっ飛んでいき,こころの底から納得しました。まるで,青天の霹靂のような経験でした。そうか,戦争が導き出す,そして,有無を言わせず,否が応でも,人間が向き合わざるを得なくなる<全体的体験>の内実とは,こういうものだったのか,と。しかも,この日の講義の最後には,もっと驚くべき指摘がありました。もはや,その<全体的体験>すら意味をなさない,まったく異質の,あるいは次元の異なる≪戦争≫がすでにはじまっている,とN教授は指摘されたのです。その瞬間に,『<テロル>との戦争』のことが脳裏をよぎりました。

 これでわたしとしては,このレポートは終わりです。

 しかし,ここまで書いた以上,わたしが納得したことがらの,ほんのさわりの部分だけでも,講義内容の断片を列挙しておくべきかとおもいます。ことば足らずになることを覚悟の上で,ごく簡潔に書いておきますと以下のとおりです。

 如是我聞。

 〇戦争は定義できない。この講義の前提としては,近代の国家間の争いごと,と設定して論を立てている。もう少し大きくとらえるとすれば,人間の集団(政治的共同体)間の組織的な武力衝突,ということになる。
 〇戦争は,異常な状態,つまり,非常時であり,敵のモノを破壊し,ヒトを殺すことが最優先される。つまり,平常の「社会」や「文化」のあらゆる規範がすべて反故にされ,敵を殲滅するためのあらゆる手段が最優先される。
 〇戦争は万物の生みの親である(ギリシア)。人類の歴史は戦いの歴史であった。その結果がこんにちの文明社会を築いた(ヘーゲル)。
 〇戦争は,個に対する集団の圧倒的優位,そして圧倒的勝利をもたらす。これが戦争の特徴である。
 〇戦争は,集団を分断し,敵味方に分ける。そして,あらゆる個人は犠牲になる。つまり,敵を殺すことが最大の目的となる。そうして,個人の存在を無化する。
 〇戦争は,人間であることを排除しなくてはならない。すなわち,「人でなし」になることが必然化される。そこを通過することによって,人間は魔物にもなり,神にもなり,英雄にもなる。
 〇こうして神や英雄となった英霊は,あらたなる共同体の栄養剤となり,共同体を活性化させ,補強する役割をになうことになる。
 〇近代戦争は,20世紀で終わりを告げ,この20年ほどは戦争の名に値しないことが起きている。その内実は,単なる害虫駆除にも等しい。圧倒的な格差のもとでの,一方的殺戮が展開されている。
 〇戦争は,人間の力ではコントロールできない。しかも,その戦争は,ほんのちょっとしたきっかけ(事故のようなできごと,など)によってはじまる。はじまったらだれも止められない,それが戦争というものである。
 〇戦争は「起こるもの」であって,気づいたときにはみんな巻き込まれている。

 以上が,わたしのこころを大きく揺さぶり,戦争が人間の全存在を賭けた<全体的体験>である,ということを納得させた,おおよその概要です。実際には,N教授のこころの籠もった語り部のような,わかりやすい事例が,つぎからつぎへと展開し,上に書いたことがらに「肉付け」がされていきます。ですから,だれのこころにも深くN教授の思い入れが伝わってきます。

 ですから,この他にも,ここに書き記しておきたいことが山ほどありますが,とりあえずはこの程度にして,あとは禁欲しておくことにします。あとは,これからも書きつづけることになるであろうこのブログのための「肥やし」として,楽しみに残しておきたいとおもいます。

 取り急ぎ,今日のところは,ここまで。

2013年5月17日金曜日

ナポレオンの軍隊はなぜ強かったのか。国民主権誕生の背景。聴講生レポート・その7。

 先週の授業の終わりに,6月はフランスに4週間出張することになったので,その補講をこの授業のあとにつづけて行いたい,というN教授の提案がありました。この授業は午後4時から午後5時30分まで。そのあとといえば,午後5時40分から午後7時10分まで,となります。が,意外なことに困るという学生さんはいませんでした。まあ,この授業のあとのルーティン化された予定はあるけれども,この場合には仕方ないと学生さんたちが自主的に判断したのかもしれません。

 という前提もあって,今日(14日),早速に,このあと補講を行うということになりました。つまり,平常の講義の延長戦というか,ダブル・ヘッダーというわけです。いやはや,N教授のこのバイタリティには驚くほかはありません。この授業の前にはゼミナールがあって,しばしば延長して,この授業に遅れて駆け込んでくるというのが常態化していましたから。それでも,疲れた様子もみせずに,気合の入った授業を展開されています。すごい先生だなぁ,と思います。

 さて,その突然の延長戦のテーマは,近代的な戦争を支える「人間」でした。つまり,近代国民国家を支える国民は同時に国民兵でもある,という話です。その国民兵を養成するためには,近代の生み出したメディアが重要な役割を果たすことになります。そして,いつものように,近代の国民兵にいたる,その前提となる「戦う人」はどのように変遷してきたのか,という長い人類の歴史を総ざらいするところからN教授は切り出されました。しかし,その詳細は多岐にわたりますので,残念ながら割愛。いつものように,わたしの関心事に引きつけてのレポートに入ります。

 如是我聞。

 主権国家体制ができあがるということは領土が固定化するということです,とN教授。しかも,その領土は国民のものであり,国民が主権者として登場することを意味します。前近代までの,国王や教皇の領土から国民の領土へと,大きな変化が生まれます。そのきっかけとなった大きなできごとのひとつが,フランス革命です。このフランス革命を経たことによって,フランスでは「自由・平等・博愛」が国民統合のひとつのシンボル(合言葉)となります。そうして,ようやく手にした「自由」を守るためなら死ぬことも辞さない,そういう国民が生まれてきます。ナポレオン軍の自由兵は,これまでにはなかった新しい自覚と信念に支えられて戦う強力な兵士たちでした。つまり,「自由」のためにはみずからの命を投げ出してもいい,という自覚をもった兵士たちでした。ですから,ナポレオン軍は向うところ敵なしの,強力な軍隊を組織することができました。

 その結果,ナポレオン軍がめざましい活躍をしたことは西洋史の教科書にも書かれているとおりです。そのあまりの強さに驚愕したドイツのクラウゼヴィッツはその秘密をさぐります。そうして書かれたのが,いまも戦争論のバイブルともいわれるクラウゼヴィッツの『戦争論』(岩波文庫)です。N教授がお薦めの本の一冊です。ついでに言っておけば,N教授にも同名の著書があります。わたしは名著だと思っています。

 かくして,近代国民国家を支える強力な軍隊を組織するために,すぐれた兵士を養成することが喫緊の課題となります。それは傭兵とは違う,国家に対する主権者としての自覚をもつ国民による兵士の育成です。日本近代の「富国強兵」策もまた,その流れに乗るものです。ヨーロッパ列強もこぞって,ここに力を注ぎます。

 かくして,立憲君主制のもとでの国王といえども,国民の代表ではあるけれども「国民の利益を守るために統治するのだ」と主張するようになります。つまり,「国民の利益」を最優先しないことには国家を「統治」することは不可能である,そういう情況が生まれてきます。ここから国民を中心とする考え方,すなわち「国民主権」という考え方が誕生します。すなわち,国民の利益を守ることが国家の使命である,ということが明確になってきます。こうして,近代の国民国家の憲法には,国民主権の考え方が色濃く盛り込まれることになります。わが国の憲法に謳われた「主権在民」の考え方の根はここからきています。このことを,わたしたちはややもすれば忘れがちです。が,この事実をわたしたちは重く受け止めなくてはなりません。

 (※この話を聞きながら,わたしはあっては欲しくない妄想にふけっていました。どこぞの国では,この国民主権という考え方はヨーロッパから押し付けられたものであって,自分たちのものではない。しかも,これは古い考え方であるから,現代の時流に合わせて,憲法を<改訂>する必要がある,と本気で考えています。そして,政府の思うままに国民を統合し,統治する必要がある,と主張しています。しかも,国民の主権を奪った上で,軍隊を組織して国民を戦争に駆り立てようというのです。主権を奪われた国民軍は,単なる傭兵と変わりません。時代錯誤もはなはだしい,こんなことを平気で主張する,どこぞの政府高官たちはいったいなにを考えていのだろうか,と憤りさえ感じながら,N教授の話を聞いていました。しかし,N教授はひとことも,この問題には触れることはありませんでした。それどころか,「気づけよ」「気づけよ」と言っているように,わたしには聞こえました。よくよく考えてみれば,N教授は大学の講義のなかでは,あくまでも事実関係の歴史的根拠を明らかにする,そして,そのロジックを明らかにすることに徹しておられるようです。これまでわたしが馴染んできた,大学の授業とは関係のないシンポジウムやワークショップや講演などで,N教授が,みずからの思想・信条を吐露する語りとは,まったく別のものです。つまり,大学という制度のもとに縛りつけられた学生さんを相手にする「講義」では,たんたんと事実関係を明らかにするという姿勢を貫いていらっしゃるようにおもいます。それに引き比べて,みずからの著作や講演のような,ひとりの自由な人間としての言説とは,はっきり区別されているようにおもいました。)

 この「国民主権」(「主権在民」)という考え方がどのようにして誕生するのか,そのプロセスをこのブログできちんと説明するのはきわめて困難です。そこで,ここではその骨子について,わたしは以下のように理解しました,ということだけを書いておきたいとおもいます。

 前近代までの「戦う人」はあらかじめ決まっていました。ヨーロッパでいえば騎士階級が,日本でいえば武士階級がその任にあたっていました。つまり,国王(城主)との主従関係が前提にあって,その国王(城主)のために命をかけて戦う人びとです。封建制度のもとでは,このシステムが充分に機能していました。しかし,次第に「戦う人」の手が足りなくなってきます。そうすると,こんどは「傭兵」というシステムが導入されることになります。しかし,この傭兵は命懸けで戦うということはしません。与えられた職務をまっとうして,給料をもらえば,それでいいのです。命を落してしまっては,なんの意味もなくなってしまいます。

 その上で,N教授は,戦争にメディアという補助線を引いて,戦争とそれに従事する兵士たちにどのような影響を及ぼすことになったのか,と問題提起をします。そして,このことについて,詳細な説明をしていきます。そして,そこから,ヨーロッパ近代がどのようにして立ち現れてきたのか,ということを明らかにしていきます。

 たとえば,100年戦争とも呼ばれる宗教戦争の引き金になったのは,聖書のドイツ語訳(ルター),フランス語訳(カルバン)がなされ,しかも,グーテンベルグの印刷技術の開発によって,大量に聖書が印刷され,多くの人が直接,その内容に触れることができるようになったからだといいます。それまでの聖書はラテン語で書かれていたために,聖職者によって解説してもらう必要がありました。つまり,聖職者による情報のコントロールが思いのままでした。しかし,聖書が母語で読めるとなれば,その読解は,一気に多様化していきます。人びとは,直接,聖書をとおして自分の頭で考えるようになります。そういう目覚めた人びとによって展開された「宗教戦争」は終わりのない戦いの様相を呈することになってしまいます。

 つまり,独占的であった教会権力が母語に翻訳された聖書の登場によって,あえなく齟齬をきたすことになってしまいます。こうして,ニーチェのいう「神は死んだ」という時代に突入していくことになります。

 ここからさきが,じつは,とても大事なところなのですが(メディアがなにゆえにこれほどまでに大きな力をもつことになったのか,という話はどこかできちんと書いておきたいとおもいます),今回は,とりあえず,ここまでとします。わたしとしては「国民主権」(「主権在民」)という考え方が登場してくる根拠が明らかにされただけで大満足の授業でした。

 N教授にこころから感謝しています。

2013年5月16日木曜日

「戦争」とはなにか,を考えることによって浮かび上がってくる「世界」のイメージについて。聴講生レポート・その6.

  如是我聞(にょぜがもん)。仏教経典の冒頭によく登場することばです。お釈迦様の話をわたしはこんな風に聞きました,という断り書きです。弟子のアーナンダがお釈迦さんの話されたことばを忘れないように書き留めるときに,誤解を避けるために,わたしの聞いたのはこんな話でした,とまずは断りを入れたわけです。というのは,同じ話を聞いても,弟子によってはその受け止め方が異なっていたからです。

 わたしのこのレポートも,N教授の話されたことをまんべんなく整理し,その要点を書くというものではありません。なにせ,90分にわたって話される内容は多岐にわたります。そして,そのいずれもきわめて重要な内容をふくんでいます。ですから,それらをすべて書き記すとなると,こんなブログではとても網羅することは不可能です。ですので,あくまでもわたしの独断と偏見に身をゆだねて,いま,現在のわたしの関心事に響く内容の部分だけをとりだしてきて整理しておく,というのが正直なところです。その点をどうぞお含みの上で,読んでいただけると幸いです。

 さて,如是我聞。

 今回の講義のテーマは「戦争」でした。
 「戦争」ということばが,いつから,どのようにして用いられるようになったのか,その意味するところはなにか,というところから講義がはじまりました。

 まずは,「戦争」ということばを疑うこと,わたしたちは「戦争」ということばがアプリオリに存在したと考えがちですが,じつはとても新しいことばであることが,少し考えるだけでわかってきます。それは明治以後のことばです。いうまでもなく,英語のwarの翻訳語です。

 それ以前までの日本語では,「役」「乱」「変」ということばが用いられ,これらは内容によって使い分けがなされていました。それが近代に入ってからは「戦争」ということばで統一されることになりました。そこには深いわけがありました。

 たとえば,こんな具合です。西南の役,戊辰の役,などといいます。が,これを西南戦争とか,戊辰戦争と表記することが,最近になって多くなっています。が,ことばの正しいつかい方としては間違いです。「役」は朝廷や政府に駆り出された人たちが戦うことを意味します。つまり,兵役による戦いのことです。すなわち,「役」ということばの裏側には為政者に対して抵抗/反抗する勢力を征伐するという意味がふくまれています。それに対して,「戦争」は主権国家同士の戦いを意味することばです(この点については,のちほど,詳しく説明します)。

 いっぽう「乱」は,「将門の乱」というように用いられます。いわゆる内戦状態の戦いです。両者の言い分が対等で,どちらにも義が成立する戦いです。将門の乱は天慶の乱ともいいます。いわゆる律令国家体制の崩壊を象徴する事件でした。それに対して「変」は,「本能寺の変」のように,こちらはクーデターを意味します。織田信長のもとで武将として仕えていた明智光秀が主君の織田信長を襲った戦いです。まさに意表をつく,ありえない戦いです。ですから「変」というわけです。

 このほかにも「冊封」(奴倭国)とか「処分」(琉球),あるいは「植民地」という支配・統治の仕方もありますが,これらについては,ここでは省略。

 つづいて「戦争」です。こちらは近代的な主権国家が成立してからの,主権国家同士の戦いを意味します。日清戦争は,日本が主権国家として戦った最初の戦争です。ついで,日露戦争という具合です。いずれも,日本と清国,日本とロシア,といった主権国家間での戦争です。そうではない場合には,内乱とか,動乱とか,紛争,などが用いられます。あるいは,たんに「戦い」と呼ぶわけです。「テロとの戦い」とか,「正義のための戦い」などは,主権をもたない,あるいは見えない相手に対して強国が一方的な「正当化」をして,巨大な暴力を行使する事態が存在します。しかし,この場合には攻撃される相手側にも,まったく同じ「正当化」が成立します。「聖戦」(ジハード)と呼ばれるのは,こういうケースです。(このあたりのところは,N教授が意図的にパスしたと思われますが,N教授のお話をうかがいながら,わたし自身の頭のなかで思い描いていたことを,わたしの独断で付け加えています。)

 では,「戦争」することのできる国家(主権国家,国民国家,法治国家)はいかにして成立するのか,というきわめて重要なテーマについて詳細な説明がありました。この問題をここで簡潔に書くにはわたしの能力を超えていますので,割愛させていただきます。ただ一点だけ触れておけば,主権国家となるためには,周囲の資格をもった主権国家の承認を得なければならない,ということです。独立国家を宣言しても,周囲の国家がその独立を認めないかぎり,独立国家とは言えません。つまり,国際社会に認められるかどうかが,ひとつの大きなポイントとなります。もっともわかりやすい見方は,新たに独立した国家の国連加盟が承認されるかどうか,ということになります。ですから,近代の戦争は,すべて主権が認められた国家間の戦いを意味します。

 そして,日本という国がどのような経緯で主権国家を形成していくことになったのか,ということが詳細に語られていきます。こうして,「戦争」ということばの成り立ちを考えることによって,近代という時代のより本質的な特色がもののみごとに浮き彫りにされる,という次第です。

 授業の最後のあたりで「近代になって編み出されたことばを用いて,前近代を語ることの愚」というお話が,ちらり,とありました。このフレーズが,なぜか,わたしのなかではいたく響くものがありました。このことについては,また,機会をあらためて考えてみたいとおもいます。

 また,N教授の著作のなかで「戦争は人間にとっての全体的体験を意味する」という趣旨の文章があったことも,この講義をうかがいながら,わたしの頭のなかを駆けめぐっていたことも付け加えておきたいとおもいます。

 とりあえず,今日のところはここまで。

2013年5月10日金曜日

史上初のグローバル世界をつくったのはキリスト教・聴講生レポート・その5.

 世界をひとつのまとまりとして考えはじめたのは,いつからなのでしょうか。そして,それはどういう人たちだったのでしょうか。という問いかけから,第5回目の講義がはじまりました。今日もまたわたしの意表をつく,驚くべき視点からの話の展開になりました。それは,まさにわたしの蒙を啓かれるような,感動的な経験でした。

 まずは,一番,わたしのからだに響いてきた,きわめて重要だと思われるところから書いておきたいと思います。

 アプリオリにひとつの世界があると考えた人たちは,キリスト教徒たちです。この人たちにとっては『聖書』の世界がすべてでした。つまり,世界は神がつくった領域であり,ひとつの完結したものであり,その世界の外にはなにもない,と考えていました。神がつくった世界全体は,人間の経験領域とはまったく別の世界を意味していました。その世界は人間には計り知れない広いひろがりをもっているけれども,それらは有限であると同時に,その境界はあいまいである,とも考えられていました。

 こうしてキリスト教徒たちは,神がつくりたもうたものとして,アプリオリに世界を思い描いていました。そして,それが世界のすべてである,と。ですから,新大陸が発見されたとき(キリスト教徒の側からすれば「発見」,先住民からすれば要らぬお節介),ヨーロッパに住むキリスト教徒たちは驚天動地の経験をさせられることになりました。なぜなら,聖書に書いてないことが起きたからです。その結果,世界認識と聖書の記述との間に大きな齟齬が生じることになります。それ以後,キリスト教の権威が大きくゆらぐことになります。

 かくして,アメリカ大陸は,キリスト教世界の<外>に忽然とその姿を現します。言ってしまえば,コロンブスという一介の船乗りがインドに到達したと思ったら,キリスト教のいう世界の<外>に飛びだしてしまった,というわけです。グローバル世界を思い描いてきたキリスト教徒のなかから,もうひとつのグローバル世界を導き出すという珍事が起きると同時に,キリスト教的世界観をゆるがし,その権威を失墜させるという,とんでもない事態が引き起こされることになりました。

 その結果,なにが起きたのか。それまでのキリスト教世界では,『聖書』による神学的支配が厳然としていましたから,なにかもめごとが起きても,それを解決するための「最後のことば」はローマ教会から発せられ,それに従うことによって一件落着という経緯をとるのが,当たり前のことでした。しかし,そうはいかなくなってしまった,という次第です。

 別の言い方をすれば,神学的理念のもとで世界が生まれ,グローバリゼーションが生まれたにもかかわらず,そのグローバル化の衝撃によってキリスト教の権威が崩壊するという,自縄自縛というべきか,自分で自分の首を締めるようなことが起きたというわけです。

 こうしたことが引き金となってプロテスタンティズムの運動が盛んになり,ついには,100年戦争とも呼ばれる宗教戦争がはじまります。いつはてるともなくつづく戦争に人びとはほとほと嫌気がさしてきます。

 そうして,神の名による戦争は止めよう,という考え方に呼応するようにして主権国家体制が誕生します。つまり,現世的利益が優先するシステムを編み出します。ローマ教会にとって代わって,世俗の王権=国家(state=ある状態)が登場します。そして,世界を決定する言説も,キリスト教の『聖書』から法律へと移行していきます。つまり,神学的支配から政治的支配への移行です。こうして,神の手の内にあった人の生は,神から国家へと移譲され,やがて,ナショナリズムへという流れを生み出します。

 こうして,こんどは宗教戦争に代わって,主権国家同士の利害をめぐる戦争が登場してきます。いわゆる近代戦争のはじまりです。戦争となれば,いわゆる兵糧の調達が喫緊の課題となります。そして,どれだけの兵糧を確保できるかが,戦争の勝敗の分かれ目になってきます。こうして,国家のカネのやりくり,すなわち,political economy が重要な課題になってきます。アダム・スミスの『国富論』やジェームス・スチュアートの『政治経済学原理の研究』などの著作が登場するのも,こういう背景からです。そして,国家から分離した「自由競争」にゆだねられた「経済」が活性化していくことになります。

 それが,こんにちの「経済至上主義」を生み出し,フリードマンの新自由主義を標榜する「経済」によるグローバリゼーションが世界を席巻することになります。

 以上が,世界の「神学的支配」,「政治的支配」「経済的支配」の三段階についての,大急ぎのスケッチというわけです。

 ここに書き記したことは,わたしがスポーツ史やスポーツ文化論を考えていく上で,不可欠と思われることがらを優先しています。この他に,じつは,一神教とはなにか,ということについて懇切丁寧な解説がありました。この日の講義の半分以上は,じつは,この一神教の話に終始していました。なぜなら,この一神教によるグローバリゼーションの問題が,いま,わたしたちが「世界」を考える上で不可欠だからです。

 わたしの関心事とつなぎ合わせておけば,こんにちの市場経済は,ついに,わたしたちの身体までをも金融化していく,つまり,身体が商品として市場経済の手に委ねられていく,眼を覆いたくなるような現実の進みゆきは,こうした一神教的世界観を無視して考えることはできない,という事情があります。

 ですから,今回の講義は,わたしにとっては,なにからなにまで,きわめて重い課題についての深い思考に裏付けられた素晴らしい講義であった,とからだのなかにずしんと落ちてきました。ありがたいことだと思っています。しばらくの間は,わたしのからだの中を唸り音が鳴り響き,駆けめぐることになるでしょう。至福のとき。

 取り急ぎ,今日のところはここまで。

2013年5月6日月曜日

「世界を表象する」・聴講生レポート・その4.

 4月30日(火)。第4回目の授業は,世界について考える,世界を表象する,とはどういうことなのかを考えてみよう,というテーマでした。メディアには,大きく分けて,ことばとイメージのふたつの側面があります。そのうちのことばについては,すでに,2回の講義をとおして考えてきました。今日は,メディアのもうひとつの側面であるイメージについて考えてみようというわけです。

 つまり,世界というイメージはどのようにして表象されるようになったのか,というわけです。こんにちのわたしたちは,世界ということばからさまざまなイメージを思い描くことができます。しかし,日本人が「世界」について考えられるようになったのは明治以後のことだとN教授は仰います。なぜなら,明治以前には世界という日本語がなかったからだ,というわけです。明治になって,world という英語が日本に入ってきて,その翻訳語として仏教語のなかの「世界」を当てはめたのが,今日的な意味での「世界」という日本語のはじまりだそうです。

 では,江戸時代までの日本人は,「世界」をどのように考えていたのでしょうか。それは,「世の中」とか「世間」として考えられていたのだそうです。ですから,江戸時代までの日本人にとっての「世界」は,自分の眼や耳で見聞きして得られた情報にもとづいて,思い描かれる「世間」や「世の中」でしかありませんでした。

 もちろん,地球全体を世界としてとらえ,地図で表象しようという試みもありませんでした。なぜなら,その必要性がなかったからです。

 というようなところから講義がはじまり,世界というイメージを表象する「世界地図」は,いったい,だれが,どのようにして思い描くようになったのでしょうか,と問いかけます。そして,地図は,いつでも自分のいるところを中心にして,そのイメージをふくらませていく,という特質があります。言ってしまえば,自己を中心にした世界認識のイメージが基本にあります。ですから,人間は世界のどの場所に立つかによって,あるいは,どの地域で生活するかによって,ものの見方や考え方が大きく規制されてしまいます。つまり,政治現象の根っこにはこうした地理的条件が大きく作用するというわけです。そこに着目した学問として地政学(Geopolitik)が誕生します。余談になりますが,ナチス・ヒトラーがこの学問を悪用した話は周知のとおりです。

 こんにちでは地政学的な視点を抜きにした国際関係学(論)やグローバル化社会は考えられないほど重要な学問となっています。その基本をなすものが「世界を表象する」世界地図だというわけでしょう。

 こういう問題意識が,たぶん,N教授のなかにはあって(授業では,ややこしい理屈はほとんど語ることなく,さらりと流しながら,重要なことをわかりやすく説いてくださるので,うっかりするとごくふつうの話に聞こえてしまうことが少なからずあります),古い世界地図からこんにちの世界地図にいたる経緯を,懇切丁寧に話してくださいます。

 この経緯は,N教授のおっしゃる「電動紙芝居」を用いて(プリントアウトされたものも配布),詳細にわたって展開されました。「前3世紀の世界図」(エラトステネス 前275-194)からはじまって,「プトレマイオス図」(83-168頃),「バグダッド中心の世界図(13世紀)」(ヘカタイオス図・前5世紀がベース?),「エルサレム中心の地図」(13世紀),「ワルトゼーミュラーの世界図」(アメリカを記した最初・1507年),「ブラウ図」(1635),「両半球図」(Frederick de WIT c1670),「16世紀末日本(世界図屏風)」,「太平洋中心」(17世紀日本で作成)(※このとき,はじめて日本が世界地図の中心に描かれる),「現代の標準世界地図──西洋中心」,「日本の常用世界地図の例」(※わたしたちが学校の教室でみなれた地図・日本中心),「オーストラリアの世界地図(南半球)」(※オーストラリアが地図の中央上の部分にある。南極が上に描かれ,南北が逆転する),などを手がかりにして。これらのN教授の解説については残念ながら割愛。

 ただし,ひとつだけ,書き加えておきたいことがあります。
 N教授が力説されたことのひとつ。
 アメリカという地名は「ワルトゼーミュラーの世界図」の間違いによって,世界中にひろまってしまった産物のひとつだ,ということです。つまり,制作者のワルトゼーミュラーの勘違いによって「アメリカ」という地名が固定してしまった,というわけです。ここにも長いお話があるのですが,ここまでにしておきます。

 もうひとつ。アメリカは二重の意味で「自由」の国だった,というお話。ワルトゼーミュラーの世界図が制作されるまでは(つまり,コロンブスがこの大陸に到達するまでは),大西洋の西はすべて海で,大陸があるとは考えられていなかった。もちろん,アメリカは『聖書』にも書いてない「新世界」であった。そのため,西半球はだれの所有でもなかった(神の所産でもない),という意味で「自由」であったこと,しかも,その海の上には杭が立てられないので,だれが自分のものにしようと「自由」であったこと。だから,西半球には手を出すな,というアメリカ孤立主義が誕生した。こうして,アメリカ的「自由」と「民主主義」が成立したこと。だから,アメリカこそ地政学的産物であったこと。つまり,地図そのものがジオ・ポリテックスであったこと。などなど。

 このように考えてくると,世界地図を表象するということの意味が,幾重にも,重い内容を含み持っていることがわかってきます。「世界」について考えるということもまた,地政学的な視点が不可欠である,という次第です。

 以上が,わたしの聞きえた,あるいは,理解しえたN教授の今回のお話の要点です。

 次週は「近代の世界は?」というテーマでお話くださるそうです。