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2015年12月7日月曜日

講演「上州の在村剣術と武芸ネットワーク」(髙橋敏)を聞いて。

 12月5日(土)・6日(日)の二日間,第29回目のスポーツ史学会大会が,群馬大学で開催され,上州にやってきました。この大会の特別プログラムのひとつに髙橋敏先生(国立歴史民俗博物館名誉教授)のご講演がありました。タイトルは上記のとおりです。地元・群馬大学の話題にふさわしい内容でしたので,わたしは興味津々でした。

 期待どおり,髙橋敏先生のご講演,まるで講談を聞いているような名弁士ぶりに,おもわず引きこまれてしまいました。これはどう考えてみても素人の語りではありません。間のとり方といい,ことばへの気合の籠め方といい,プロの講談師顔負けの熱弁でした。なるほど,なるほどという説得力があって,みごとなお話でした。

 話題の中心は,上にかかげたように,「上州の在村剣術」を支えた江戸時代の樋口家にありました。表の顔は百姓,裏の顔は武芸の道場主。こういう二つの顔をもった百姓の存在の仕方が,江戸時代にはどうして可能であったのか,という問いと答えがわかりやすく語られました。

 大筋において,なるほどなるほど,と思いながら耳を傾けていましたが,後半に入るにしたがって「おやおや?」とおもうことが多くなってきました。なぜなら,話題のキー・ワードとなるような重要なことばの概念や話題のバックグラウンドとなる歴史的背景が十分に説明されることなく,話が流されていってしまったからです。その主なポイントは以下のとおりです。

 ひとつは「百姓」という存在のとらえ方。つまり,百姓=農民と単純化してとらえてしまっていいのかどうか,という点。百姓とは,文字どおり「百の姓」のこと。その中味は多岐にわたります。たんなる農民集団ではない,ということです。このことの確認がなされなかったこと。

 ふたつには武芸というもののとらえ方。こちらも,武術と武芸の区別がきちんとなされないままに話題が流れていたこと。「武芸百般」といわれるように,武芸の中味も多岐にわたります。と同時に,「武芸」と言ったときの「芸」とはなにかの確認が十分ではなかったこと。

 みっつには天皇制という視点の欠落。江戸時代の天皇制の位置付けは微妙です。武士階級による支配の陰にあっても,なお,ないがしろにはできない存在であったこと,このことと「在村剣術」の伝承とは無縁ではなかったと考えられること。のちの勤皇の志士たちの活躍を考えると,ますます重要な視点ではないかとおもわれるからです。

 よっつには古代史(律令制)にはじまる権力闘争の結果として生ずる敗者の行方が視野のなかに入っていないこと。つまり,支配・被支配の関係が,律令制の進展とともに固定化され,被支配に追い込まれた人びとの生きざまにどのような影響を及ぼすことになったのか,という分析がここでは不可欠ではないか,とおもわれたこと。

 いつつには上州に落ちのびてきた,いわゆる被支配層ともいうべき「河童」族の存在が無視されていること。つまり,権力にまつろわぬ人びとが上州にどのようにして根を下ろしていたのかというまなざしが欠落していたこと。上州といえば,だれもがまっさきに思い浮かべるスーパー・スターである国貞忠治の存在を無視することはできません。こういう人を生みだす土壌が,その背景にはあったはず・・・・。

 むっつには平将門のような人物が輩出した関東一帯の土地の緊張関係についての視点が欠落していて,そういう話題が聞かれなかったこと。

 ななつには・・・・といった調子で,わたしの頭のなかはフル回転していました。もちろん,限られた時間のなかで,あれもこれもすべて説明せよというのは「ないものねだり」にも等しいことであることは十分承知しています。しかし,ごくかんたんに触れていくことは髙橋敏先生くらいの実力者であれば,不可能とはおもえません。ですから,意図的にこれらの視点をはずしているのではないか,と気づいたとき,「おやおや?」という疑問がわたしの中で膨らみ始めたという次第です。

 もっと言ってしまえば,国立歴史民俗博物館に流れている,ひとつの「スタンス」がその背景にはあって,その流れのなかでの髙橋敏先生のご講演であったのではないか,というのがわたしの受け止めたメッセージです。となると,このご講演の意図したところも,それとなく理解できるという次第です。

 とまあ,このブログではこの程度で留め置きたいとおもいます。これ以上に踏み込むには,もっと確たる「場」をセットしなくてはならないと考えるからです。それは,いずれ機会をみつけて・・・考えることにしたいとおもいます。以上,とりあえずのコメントまで。

2015年11月24日火曜日

ヒップホップ集団『クルギ』のチャットと握手してきました。人間として立派。

 世界的なヒップホップ集団「クルギ」が初来日。その初日の公演とシンポジウムが,昨日(11月23日),東京外大で行われました。ちょうど学園祭の最終日ということもあってか,大勢の人が集りました。野外ステージを目一杯動き回りながら,ラップを刻み,ときには笑わせ,ときには怒りの表現が迫力満点で繰り広げられ,会場は熱気につつまれました。

 リーダーのチャット(Thiat )が英語で語りかけていましたので,東京外大の学生さんたちはみごとに反応して,いい雰囲気が醸しだされました。立ち上がり,ちょっぴり不安そうでしたが,途中からは聴衆とも一体化し,後半からは乗りにのって,完全にかれらのペースとなりました。そのすさまじいまでのエネルギーがじかに伝わってくる迫力に圧倒されてしまいました。

 この公演は午後2時40分から行われましたが,そのあと,午後5時30分からかれらを囲むシンポジウムが開催されました。226教室(いつもシンポジウムを開催するときに用いられるかなり広い階段教室)は満席。しかも,すごい緊張感がみなぎっていて,遅れてきた人はドアを開けて,ちょっと覗いただけで,そのまま引き返すシーンも何回かありました。

 中山智香子さんの司会・進行ではじまりました。冒頭で,ヒップホップ集団を招聘する企画をリードした真島一郎さんが,この企画の趣旨について,そういうことだったのか,とこころから納得できるみごとなお話をなさいました。その要点だけを述べておきますと以下のとおりです。

 2011年3月11日(いわゆる「3・11」)の日本のできごとのあと,6月23日にセネガルの首都ダカールで「都市騒乱」(いわゆる「6・23ダカール騒動」)が起きました。この間,真島一郎さんはずっとセネガルに滞在していて,日本の情況・情報を海外から眺め,その一方でセネガルの「都市騒乱」を目の当たりにしていました。それは,ちょうど写し鏡のように両者がお互いを照らし合っているようにみえた,と真島さんは語ります。

 セネガルの鏡の中に日本がみえる。
 日本の鏡の中にセネガルがみえる。

 しかし,セネガルは「債務国」,日本は「ドナー国」。立場はま逆でありながら,両国ともに「非産油国」であること,「石油か核かの二者択一」という点では共通していて,そのもとでの経済発展をめざした両国は,その結果として人間の「命」の軽視へと歩を進め,ついに「破局」を迎えることになりました。

 しかも,両国の政権はともに憲法改正をかかげ,独裁体制を確立しようと試みました。が,セネガルでは,このヒップホップ集団「クルギ」が中心となって,ときの非民主主義的政権を,選挙によって倒し,新しい政権を誕生させました。それと同じような主張をもつ学生集団「SEALDs」が日本では誕生し,ことしの夏はその旋風が吹き荒れました。そして,いまも,全国にそのネットワークを広げ来年の参議院選挙に向けて活動をつづけています。

 この両者に共通しているコンセプトは「非暴力」です。この「非暴力」による民衆の「力」の喚起とはいかなるものなのか,「クルギ」の活動をとおしてその内実・実態を明らかにしたい,というのが今回のシンポジウムの趣旨です。というようなお話を真島さんがなさいました。もちろん,ことば足らずや余分なことも多少加えてありますが,それはわたしの責任です。お許しください。

 このあと,西谷修さんが代表質問をなさって,クルギのリーダー・チャットが応答するという展開でまことに充実した時間が流れました。なんといっても,質問者が西谷修さんである,ということがチャットの話を引き出す上できわめて効果的だった,とフロアーにいてそうおもいました。それは,じつに的確にツボを抑えた質問だったからです。しかも,ときには,みずからフランス語で語りかけて,質問の趣旨を補足説明したりしていましたので,チャットの応答もみごとにその「肝」に触れるものばかりでした。

 詳しいやりとりは割愛しますが,もっとも強烈に印象に残ったのは,チャットは「非暴力」というコンセプトについて,じつに深い思想・哲学的な思考を積み重ねてきている,ということでした。武器による「平和」はありえない,なぜならば・・・・という具合に,西谷さんとチャットの対話がみごとに展開していきました。これは,いま,凄い場面に立ち合っている,と鳥肌が立ちました。このシンポジウム(まだ,これを皮切りに仙台,沖縄とつづく)はいずれ,書籍となって刊行されることは間違いないとおもいますので,詳しいことはそちらに譲りたいとおもいます。

 
こうしたチャットと西谷さんとのキャッチボールのまにまに,西谷さんとチャットのこころが触れ合うような温かさも伝わってきて感動してしまいました。それは,ひとことで言ってしまえば「優しさ」でしょうか。人間としての,相手をいたわり会う「優しさ」「信頼」のようなものが,わたしにも熱く伝わってきました。これはすごいことだ,と感動しました。

 考えてみれば,中山智香子さんといい,真島一郎さんといい,そして,西谷修さんといい,もう全身全霊でヒップホップ集団「クルギ」を熱烈歓迎し,その優しさ・おもいやりのこころは,十二分に「クルギ」のメンバーたちには伝わっていたはずです。

 
そんな全体をつつみこむ「優しさ」の空気のようなものが,わたしのこころにも到達したのでしょう。すっかり感動してしまいました。その勢いをかって,シンポジウムが終わったあと,チャットに直撃。握手を求め,写真も一緒に撮らせてもらいました。もちろん,西谷さんに手助けしてもらってのことですが・・・。もっとも嬉しいことは,チャットと西谷さんとわたしのスリー・ショットが撮れたことです。この写真は大事にしたいとおもっています。

 
チャットには,下手な英語で,娘が沖縄で待っているからと伝えました。すると,話は聞いている,とても楽しみにしている,と返ってきました。このまま,沖縄まで追っかけをしたいところですが・・・・。そうもいきません。残念ながら・・・・。

 なお,このブログではいい足りないことが山ほどありますので,また,機会をみつけて書き足しをしてみたいとおもっています。乞う,ご期待。

2015年10月31日土曜日

立憲デモクラシーの会・公開シンポジウム「安保法制以後の憲法と民主主義」に行ってきました。

〔立憲デモクラシーの会・公開シンポジウム〕

日時:10月30日(金)18:00~20:30
場所:日本教育会館3Fホール(神田神保町)
テーマ:安保法制以後の憲法と民主主義
司会:山口二郎
演者:杉田 敦,五野井郁夫,青井未帆

 かなり大きなホールでしたが,ほぼ満席。盛況でした。
 司会の山口二郎さんはもとより,演者のみなさんも気合十分。気魄のこもったシンポジウムになりました。それに呼応するかのように聴衆もまた一流でした。壇上とフロアの呼吸が合うと拍手が起きたりして,とてもいい雰囲気でした。あの安保法制の議決の仕方をみて,すっかり熱が冷めてしまったかとおもっていましたが,どっこい,前にも増して熱気を帯びていることを知り,大いに勇気づけられました。壇上の演者もそれを聞く聴衆も,これから以後も,みんなやる気十分でした。ちょっと無理をしてでかけてよかったとおもいました。

 まずは,開会の挨拶に立った樋口陽一さんのことばが印象的でした。そのいくつかを紹介しておきますと,「終わりなき長期戦のはじまりである」「学問は多数決ではない」「徹底した相互批判をすることが学問の本質だ」「個でありつづけて,連帯を恐れず」,など,かつての東大全共闘との団交でのやりとりなどを交えたお話が強く印象に残りました。

 
つづいて杉田敦さん。「立憲デモクラシー」ということばが日本の社会にも定着しはじめたことが,今回の安保法制の議論をとおしての一つの成果だったのではないか。じつは,立憲デモクラシーということばは,立憲主義+民主主義という意味なのだが,この二つの主義は相反する要素をもっていて,相互に緊張関係にあることを忘れてはならない。立憲主義は「法の支配」を意味するし,民主主義は「個としての自律性」を守る。憲法は準則ではなく原理である(長谷部)という立場を支持したい。世間には分離解釈の立場をとる人たちがいて,その立場からの批判もあるが,それは憲法解釈には不適切であり,間違っている。憲法はどこまでも権力の暴走を食い止めるための装置なのだから,原理として重視しなくてはならない。それがはずれてしまったら,権力は暴走するのみだ。それが,いまの情況を生みだしている。

 つぎに,五野井郁夫さん。議会制民主主義はみるも無惨に崩壊してしまったが,議会の外での民主主義が大きく育ち,政治の理想を語る文化が誕生した。とりわけ,SEALDs の若者たちの活動が際立っていた。たとえば,プラカードをはじめ,英語が多用されたことが,これまでの抗議行動にはみられなかった新しい傾向として注目されてよい。それは,日本のメディアが頼りにならないので,英語表記を多用することによって外国のメディアに訴え,外国の新聞が大きく取り上げることによって,日本の新聞社などがそれを報道する,という効果を狙ったものだ。これは「ブーメラン効果」と呼ばれる一つの運動の手法である。これがみごとに成功していた。

 
つづいて,青井未帆さん。安保法制は違憲である,という立場から発言したい。憲法を無視し,議会法をも無視して誕生させた安保法制は,違憲以外のなにものでもない。こんな異常なことが議会をとおして起きてしまった。つまり,ルールのない世界に突入してしまったということだ。こんなことは前代未聞である。しかし,なぜ,こんな異常な事態が起きてしまったのか。ひとつには,国民の責任を問わなくてはならない。ふたつには,国会議員に立法府の人間としての特権が認められているという自覚が欠落しているのではないか。議員を自律させるための国民の厳しい監視が求められるだろう。「人間かまくら」的議決は断じて許せない。かくなる上は,わたしたちがルールをつくっていかなくてはならない,そういう現状認識と自覚が必要。わたしたちの「立憲デモクラシー」を作り上げていくこと,そして,法秩序を回復させること,それが重要である。

 
とまずは,シンポジストの基本的な考えがひととおり述べられてから,司会の山口二郎さんからもひととおりの所感が述べられた。そのあと,演者間のディスカッションに。その内容は,とても魅力的なものでしたが,長くなるので,ここでは割愛。

 そして,最後に,山口二郎さんの指名を受けて,西谷修さんがフロアから,立教大学の事例をジョークを交えて報告。つまり,学者の会の研究会のための会場貸し出しを拒否した,そのことの意味とその余波について,を報告。今回のシンポジウムで,初めて会場が笑いにつつまれた時間でもあった。笑いのなかに,じつは,日本の社会が抱え込んでいる「政治的中立」の歪みという普遍のテーマを浮き彫りにする,とても重要な話をされました。

 
以上,シンポジウムを傍聴した感想の,ほんの一部の紹介です。詳しくは,IWJの動画がネット上で流れているとおもいますので,そちらをご覧ください。とりあえず,これにて。

2015年4月5日日曜日

シンポジウム:ICC加盟はパレスチナを救うか。勉強になりました。

 いわゆる「パレスチナ問題」。長い間,ずっと気がかりでした。イスラエルによるガザ地区への無差別攻撃(2014年夏)以後,事態がどのように推移しているのか,詳細がわからなかったからです。日本のメディアはパレスチナ問題にきちんと対応していない(とくに,最近は)ので,わたしを含め多くの日本人はパレスチナの現在がどうなっているのか,ほとんどなにも知りません。

 それでも,アベ君がメタニヤフと握手したことによって,その結果がイスラム国による人質事件へと展開し,いっときは連日,このニュースでもちきりでした。世界中でもっとも握手をしてはいけない人物と握手したアベ君の「無知・無能」ぶりが露呈してしまったわけです。このままでは,日本国はイスラエルに対して武器支援までしかねない,とんでもない方向に向かって舵を切っています。それを止める自民党議員もいないとは,いったい,どういうことになっているのでしょうか。

 このメタニヤフこそ,戦争犯罪人として国際司法裁判所に何回も召喚されているにもかかわらず,すべて無視して,いまもパラスチナ攻撃をつづけています。それを公約して再選された大統領ですから,始末に終えません。しかし,その陰でパレスチナ問題は無視され,国際社会からも孤立したままです。日本の主要メディアも無視したまま放置です。

 いまもなお,イスラエルによるガザ地区の封鎖はつづいているのだろうか,医薬品や食品,などの物資はどうなっているのだろうか,破壊された建物を再建するための建築資材などは足りているのだろうか,そして,いまもなお,イスラエルによる無差別攻撃はつづいているのだろうか,いまもなお,ガザ地区の人びとの野ざらし生活はつづいているのだろうか,などなど。

 これらの疑問がすべて晴れました。それどころか,もっともっと大事なことをいっぱい勉強してきました。

 たとえば,「普遍的管轄権」というものの存在。この普遍的管轄権を行使する権利が日本にもあって,これを行使すれば,プーチンもオバマも立派な「戦争犯罪人」ですので,日本に入国した段階で「逮捕」し,国際刑事裁判所に訴えることができる,そういう法的手続の方法がある,ということを初めて知りました。しかし,その権利を日本政府は行使しようとはしません。なぜなら,日本もまた「戦争犯罪人」と手を結び,その仲間入りを果たそうとしているからです。しかし,この権利を支えている母体が,今日のシンポジウムのテーマにもなっている「ICC」=国際刑事裁判所というものの存在であり,役割だ,ということでした。

 このICCに,パレスチナが大変な外交努力を重ね,ようやく,この4月1日に加盟・発効が認められました。世界で123番目の国となったとのことです。これで,ようやく国家としての承認が得られたということでもあります。この結果,パレスチナは救われることになるのか,それを考えようというのがこの日のシンポジウムの最大のテーマでした。ちなみに,日本は2007年10月に加盟。

 シンポジウムの開催要領は以下のとおりです。
 テーマ:ICC加盟はパレスチナを救うか。
 日時:2015年4月4日(土)13:30~16:30
 場所:青山学院大学・総研ビル11F第19会議室
 シンポジスト:新倉 修(青山学院大学法務研究科教授)
        伊藤和子(ヒューマンライツ・ナウ事務局長・弁護士)
        志葉玲(ジャーナリスト)
 コーディネーター:阿久根武志(世界連邦運動協会事務局長)
 主催:世界連邦運動協会
 共催:ヒューマンライツ・ナウ
 協賛:青山学院大学法務研究科(法科大学院)

 結論は以下のとおり。パレスチナのICC加盟によって,どの程度の効果が現れるのかは未知数だとのこと。なぜなら,ICCは加盟国の条約によって支えられている団体であって,法的に拘束する力はないからだ,とのこと。しかし,パレスチナが刑事告訴をすることは可能になったので,国際社会に向けてパレスチナの主張を表明する道は法的に開けたので,これが有力な「歯止め」になることは間違いないだろう,とのこと。少なくとも,これまでの放置状態・無視状態からは一歩前進した,と言ってよいだろう,とのこと。

 ちなみに,このパレスチナ問題は,そっくりそのまま沖縄問題と重なっているように,わたしの眼にはみえてきました。つまり,人権無視という点で。沖縄の島ぐるみ会議は,当面は,国連に向けて「日本政府による沖縄県人の人権無視」を訴える方針で活動を展開していますが,いずれ,ICCをも視野に入れた活動も展開されることになるのだろう,とそんな感想を持ちました。

2015年1月30日金曜日

アートを学ぶ人たちの前に立つことになりました。驚きと歓喜。

 ある日,突然,小澤慶介さんという方からメールが入ってきました。原則的に知らない人からのメールは開かないことにしています。ですから,このお名前をじっと眺めて,どうしようかと考えました。しかし,そのときの直観は「開け」でした。そこで恐る恐る開いてみました。そうしたら,とても丁寧な文章で,まずはお詫びからはじまり,ご相談の主旨が的確に書かれていて,ほっとしました。意外に直観というものは当たるものだ,とわれながら驚きでした。

 さて,その小澤さんとお会いしてお話を詳しくお聞きしているうちに,ああ,これは断れない,いや,喜び勇んでお引き受けしなくてはいけない,と途中から立場が逆転していました。そこが,まさに小澤さんの炯眼のなさしめるワザでもありました。

 まずは,わたしのブログを追跡して読みました,と切り出しました。そして,読めば読むほどに,この人に講演をしてもらいたいと強くおもうようになりました,と仰る。もう,ここで勝負ありです。その上で,テーマは「東京オリンピック1964と2020」という二つのオリンピックの間に日本人の身体はどのように変化したのか,というもので,それをスポーツというアングルから話してほしい,と仰る。もう,ここまで聞いた段階で,わたしは嬉しくてたまらず,早速,こんなことが言える・・・・というような話をはじめていました。

 小澤さんは聞き上手で,ひとしきり話が盛り上がったところで,そういうお話をぜひともお願いします,となりました。もう,あとには引けません。前にでるしかありません。面白そうなので,ぜひ,やらせてください,ということになりました。

 そんな話が終わったところで,じつは・・・と言って,西谷修さんのお話がでてきました。学生時代に西谷先生のゼミに入りたかったのですが,どうも敷居が高いと自分で判断して,遠くから羨望のまなざしで眺めていました,とのこと。でも,その思いを忘れることができないまま,その後もずっと西谷先生のお仕事は追っかけています,と。そして,いまもなお多くのことを学ばせていただいています,と。で,勇気を出して西谷先生とコンタクトをとって,西谷先生にも講演をお願いしています,とのこと。

 なるほど,そういうことであったか,と。これですべてが瓦解しました。なーんだ,それならそれと最初から言えばいいのに・・・と。でも,小澤さんの偉いのは,やはり,まずは自分で努力をして自分の眼で確かめた上で,自分の意思でわたしとの接触をはかったことです。ますます,小澤さんという人物が好きになってしまいました。

 話が前後してしまいましたが,小澤さんは,NPO法人アーツイニシアティヴトウキョウ〔AIT/エイト〕のMADプログラム・ディレクターをされている方です。MADとは,現代アートの学校:Making
Art Different (アートを変えよう,違った角度で見てみよう)の略称です。

 
そして,NPO法人アーツイニシアティヴトウキョウ〔AIT/エイト〕とは,現代アートを考えるさまざまな「場」をつくるため,2001年に設立したNPO。アーティストやキュレーター,美術館やギャラリーのほか,企業,財団,行政と連携しながら,現代アートの複雑さや多様さ,驚きや楽しみを伝えています,とこのリーフレットには説明されています。

 現代アートの学校MADは5つの「ジェネラル・スタディーズ」,3つの「アドバンス・スタディーズ」,3つの「ゼミ」およびす「MADフェンバーガー」から構成されています。その詳細は下の写真のとおりです。読んでみますと驚くべき内容が提示されています。思わず,わたしが受講してみたくなるようなプログラムになっています。

 
わたしの出番は「アドバンス・スタディーズ」の中にありました。それによりますと,テーマ①「二つのオリンピックの間で変容するカラダ」(2015年4月~6月)という通しテーマで3人の講師が,それぞれのスタンスから話をすることになっています。わたしに与えられたテーマは「オリンピックの変容からカラダを考える」というものです。こうなってきますと,いまから,もう,どんな話をしようかと胸が高鳴ってきます。このワクワク感がたまりません。

 なぜなら,この「アドバンス・スタディーズ」の中の「アートの存在論へ──3.11以後から考える」のテーマのもとで,西谷修さんも「破局に向き合い,創造を思考する」というお話をされることになっているからです。まことにもって光栄です。ありがたいことです。

 
講師一覧をみますと,それぞれの専門の分野で大活躍されていらっしゃる方たちばかりです。そんな中で,たとえアイウエオ順だとはいえ,わたしの名前がトップにでてきますと,これでいいのかなぁ,といささか腰が引けてしまいます。と同時に,ちゃんと責務を果たすべく頑張らねば,という気持にもなってきます。まあ,いまさらどたばたしても仕方がありませんので,少なくとも自分に納得のいくお話ができるように準備をしたいとおもいます。

 
いずれにしましても,アートはスポーツからも養分やエネルギーを得ようとする,このアイディア/姿勢に接し,こういう時代になってきたんだなぁとおもうと同時に,こういうアイディアを展開させる小澤慶介さんは凄い人だなぁ,と感心してしまいます。その小澤さんの期待に応えるべく,わたしも頑張らねば・・・とますます考えてしまいます。

2015年1月13日火曜日

辺野古の違法アセスが泣いている・・・・。日本に未来はない。講演傍聴記。

 沖縄のかかえる問題を考えることは日本国という国の成り立ちの諸矛盾を考えることだ・・・・としみじみ思いました。そして,こんなことをやっていては,ほんとうに日本の未来はない・・・と。政府とはだれのためのものなのか。民主主義とはどういうことなのか,環境アセスとはだれのために行うものなのか,等々,これが,今日(1月12日)の桜井国俊さんの講演傍聴から受けた強烈なメッセージでした。

 連続講演「沖縄の”地鳴り”を聞く」の第3回講演の実施要項は以下のとおりです。
 日時:2015年1月12日(月)午後2時~午後5時。
 場所:法政大学(市ヶ谷キャンパス)ボアソナード・タワー26階
 演目:「日本の未来を奪う辺野古違法アセス」
 演者:桜井国俊(沖縄大学名誉教授/沖縄環境ネットワーク世話人)
 主催:普天間・辺野古問題を考える会(代表・宮本憲一)
 共催:法政大学沖縄文化研究所

 桜井国俊さんの張りのある若々しい声,情熱のこもった,しかも歯切れのいい話の展開が,いまも耳に残って離れません。講演にはいろいろのスタイルがあると思いますが,桜井さんは,これ以上一歩も引けない危機的な情況にある辺野古の違法アセスの問題について,なにがなんでもわかってほしいと切実に訴えかけるスタイルをとり,迫力満点でした。いかに酷い違法アセスが,いま,辺野古の海で展開されているか,その実態を知ってほしい・・・と。

 ここに書いておきたいことは山ほどありますが,とても書き切れませんので,残念ですが,とくにわたしの印象に残ったトピックスだけに限定させていただきます。

 環境アセスメントは,いつから「環境アワスメント」(東京では「環境アワセメント」というそうです)になってしまったのか。日本政府は最初から環境アセスメントには消極的だった。なぜなら,企業利益を守る側に立っていて,国民を守る側には立たなかったからだ。だから,環境アセスメントに関する法の整備もほとんど手つかずのままに放置されている。そのため,裁判闘争に持ち込んでも,事業者有利の現行法に阻止されてしまう。つまり,ことばの正しい意味での司法が機能していない。司法が政治の支配下に置かれているのが現状だ。その結果,環境アセスメントは,単なる「環境アワスメント」に成り下がってしまっている,と桜井さんは主張されます。

 たとえば,こうです。アセス法というものがあって,それによれば,まずは環境アセスメントに関する「方法書」が事業者である沖縄防衛局から提出されます。住民はそれを閲覧して意見を言うことができます。しかし,この「方法書」なるものが4500ページもある膨大なもので,とても,一般市民の手に負えるものではないそうです。しかも,その中に書かれていることはほとんどがどうでもいいことばかりであって,肝心要のポイントはたった一行しか書いてない,と。つまり,飛行場の用途としては「ヘリコプターの離着陸」としか書いてない。そういう,まことに不備な内容になっている。したがって,沖縄環境ネットワークのメンバーが手分けして,この「方法書」を読み,「意見書」を提出します。すると,こんどは「改訂方法書」がでてきます。これには意見を言うことができないルールになっている。つまり,後出しで,さらに新しい条件を追加して,自分たちの都合のいいように「方法書」を改ざんしてしまうというわけです。こうして「法」の網の目をすり抜けていく。これが辺野古での環境アセスメントの常套手段だ,というわけです。

 たとえば,ジュゴンの棲息調査。「方法書」を提出する前に,事前調査と称して,つまり「海底に関する事前調査」という名のもとに海底を引っかき回して珊瑚礁を破壊するようなことを平気でやっている。珊瑚礁を破壊すること自体が違法行為だ。これは,どうやら,ジュゴンを追い出すための作戦でもあったらしい。なぜなら,ジュゴンの遊泳も,藻を食べた痕跡も認められない,したがってこの海域にはジュゴンは棲息していない,と判断できる,と「方法書」に記述されているからだ。ジュゴンはおそらく,海底調査の破壊的な騒音を聞いて,より環境のいい,つまりもっと快適な環境のところに一時的に移動していたにすぎない。なぜなら,その後,何回でもジュゴンの姿は確認されているからです。

 短期間の調査結果にもとづいてジュゴンはいないと断定し,それを既成事実として,つぎの段階の「準備書」を作成し,提出されます。この「準備書」についても公示・縦覧,説明会を経て,意見書の提出という段取りですすめられます。この場合も,「方法書」のときとまったく同じ手法で,するりとかわされてしまいます。それどころか,もっと困る条件が新たに追加されていたりします。つまり,最初から「意見書」に対してまともに応答しようという姿勢はまったく認められない,と桜井さんは主張されます。

 そして,もっと問題を複雑にしているのは,辺野古の基地をつくるのは日本,そして,それを使うのはアメリカ,というこの二重構造です。たとえば,意見書で,どのような使用の仕方をするのか明らかにせよ,と要求した場合に,都合の悪い内容については「アメリカから聞いていない」と誤魔化してかわす。これも常套手段。こうして,まともな応答も得られないまま,もちろん,合意も得られないまま(むしろ,無視されたまま),事態だけが進展していく。この繰り返しだ,というのです。

 こうして,アセス制度の二本柱といわれている「科学性」も「民主性」も,まったく無視されたまま,形式的な手続だけが粛々と進められていく,これが辺野古のアセスの実態である。これは,どう考えてみても「違法」としかいいようがない。でも,裁判をやると勝てない。そこには法の不備が待っているだけだ。

 最後に残された方法は,翁長知事が進めようとしている,仲井真前知事の「承認」手続に重大な瑕疵がなかったかどうかを検証・確認し,それにもとづいて「承認取り消し」の判断をくだすこと。もし,そうなると,こんどは政府が訴訟の手続をすることになる。そうなったときに,はじめて,環境アセスの手続ではなくて,内容(科学性と民主性)が問われることになる。しかも,その二項目について,政府が立証しなくてはならない,という立場になる。ここが勝負どころではないか,と考えている,と桜井さん。

 まだまだ,いろいろありますが,この辺りで終わりにしたいと思います。
 が,最後に,桜井さんが仰ったことのなかで,これだけははずせないとわたしが受け止めたことを書いておきたいと思います。それは,どういう流れの中で語られたのか,はっきりとした記憶はないのですが,桜井さんたちが取り組んでいる「沖縄環境ネットワーク」の3条件,とたしか言われたと思いますが,それを列挙しておきます。

 1.戦争をしない。
 2.子孫に誇れる環境を残す。
 3.自己決定権を確立する。

 以上です。

普天間・辺野古問題を考える会・代表宮本憲一さんのご挨拶。
左に座っているのが桜井国俊さん。

ボアソナード・タワー26階からの夕景。
丹沢山と富士山。

2014年12月21日日曜日

連続講座「”アイデンティティ”をめぐる戦い──沖縄知事選とその後の展望」(島袋純)を聴講してきました。

 氷雨の降るなか,法政大学市ヶ谷キャンパスまででかけてきました。寒さから身を守るために完全武装をして。それでも寒いと震えながら。

 今日(20日)は,連続講座・「沖縄の地鳴りを聞く」の第2回目。第1回目がとても素晴らしい講座でしたので,今回もさぞかし・・・と期待しての聴講でした。ところが,講師の島袋純さんの沖縄からの飛行機が遅れてしまい,約45分遅れの開始となってしまいました。このロス・タイムはまことに残念。それでも島袋純さんは息せき切って駆けつけ,一息入れる間もないまま,熱弁をふるってくださり,わたしたちの期待に十二分に応えてくださいました。

 なるほど,沖縄の人びとが「アイデンティティ」を主張する根拠はそこにあったか,と納得のいく講座でした。そのキー・ワードだけをさきに挙げておきますと,以下のとおりです。主権の回復,人権侵害,立憲主義,主権国家,自治,民主主義,など。

 まずは,今日の講座の開催要領を紹介しておきましょう。
 連続講座・「沖縄の地鳴りを聞く」・第2回
 テーマ:”アイデンティティ”をめぐる戦い──沖縄知事選とその後の展望
 講師:島袋 純(琉球大学)
 場所:法政大学市ヶ谷キャンパス・58年館・855教室
 主催:普天間・辺野古問題を考える会(代表・宮本憲一)
 共催:法政大学沖縄文化研究所

 沖縄はもう黙ってはいない・・・,こんどのこんどこそ,地鳴りのような怒りが沖縄全土に谺している・・・その表出がさきの沖縄県知事選であり,こんどの衆議院議員選挙だったのだ・・・・そして,なぜ,このような結果となったか,と熱弁がはじまりました。

 まずは,冒頭のお話が,わたしには強烈な印象となって残りました。その概要は以下のとおりです。敗戦直後の沖縄の人びとの食料はすべて米軍が支給してくれました。と同時に,物資支給を条件に大量のスパイを養成し,網の目のような情報ネットワークを構築しました。その結果,沖縄の人びとは自由にものをしゃべることができなくなってしまいました。それでも,米軍は沖縄の裏社会にいたるまで隈なく情報を集め,支配の体制を整えました。この流れはいまも続いているように思われます。ですから,アメリカは日本政府よりも沖縄情報については詳しいと言ってよいでしょう。

 ということは,沖縄の今回の「オール沖縄」という組織を構築した上での選挙行動がどのようなものであったのかという点についても,日本政府よりもアメリカの方が情報の量も質も圧倒的に上であろうと思われます。そして,こうした新たな沖縄の動向に対して,アメリカはより有効な支配のための戦略を立てて,新たな工作をしてくるに違いありません。そして,日本政府はアメリカに追随するのみで,その関係性はこれまでと少しも変わることはないでしょう。

 となると,沖縄県民の主張はまたもや無視され,植民地状態から抜け出すことは不可能となってしまうでしょう。しかし,今回の選挙行動は,そんなことも折り込み済みで,いかなる困難があろうとも徹底して米軍基地を排除する,という強い決意表明でした。なぜ,これほどまでに強烈に沖縄県民の意思をひとつにまとめることができたのでしょうか。

 それは,沖縄県民のアイデンティティはなにか,という根源的な問いに多くの沖縄県民が気付いたということです。つまり,沖縄県民をひとりの人間として認めよ,という要求でもあったということです。別の言い方をすれば,主権の回復を,真っ正面から求めたということです。

 1972年の本土復帰以後も,ずーっと沖縄県民の主権は無視されつづけてきました。場合によっては,それ以前よりももっと酷い状態になってきています。そして,この状態は明らかに人権侵害であり,民主主義の否定です。同時に,主権在民を謳った立憲主義にも反しています。簡単に言ってしまえば,憲法違反です。この状態から抜け出すこと,これが「オール沖縄」を組織し,党派を超えて一丸となった,最大の理由です。

 という具合に,島袋純さんの話は佳境に入っていきます。詳細については,とても,ここで書き切れるものではありませんので,割愛します。で,最後に,この講演を締めくくることばとして,一歩,踏み込んだ仮説を提示されていますので,それを紹介しておきたいと思います。それは以下のとおりです。パワー・ポイントからの文言をそのまま転記しておきます。

 自民党憲法改正案では,立憲主義の否定,国際立憲主義からの脱落を意味し,その差別と人権侵害が解消される可能性がなくなる。

 ⇨憲法改正の国民投票をやって,日本全体では可決され,しかし沖縄で改正否決された場合,自らの不可侵の権利を守るために沖縄はすみやかに,立憲主義的プロセスを経て,自らの憲法を制定し,独立主権国家になるべきでは。

 そのための「権利章典」の必要性(人権と憲法制定権力)。

 以上です。この文言の迫力はすさまじいものがあります。しかし,この「沖縄独立」までのことを視野に入れた結果が,今回の沖縄の選挙行動であった,ということです。すなわち,沖縄は,立憲主義を否定するような国家に帰属する必要は,もはや,ない,と覚悟を決めた,ということです。これが「アイデンティティ」をめぐる戦いの実態であった,というわけです。

 ここには,もはや,沖縄と本土という視点はありません。ここにあるのは,沖縄と日本とが対等の関係にあり,真っ向からの立憲主義をめぐる挑戦そのものです。そして,そのことの矛盾に気づかない日本国にはほとほと愛想がつきたので縁を切る,と高らかに宣言しています。

 とうとう沖縄から絶縁状をつきつけられようとしています。さてはて,日本国の住民であるわたしたちが,どの段階でどのように「覚醒」することになるのか,他人事ではなくなってきました。これから,大いに議論をしていかなくてはならない重大な局面を迎えたことになりました。とうとう,沖縄から引導を渡された気分です。

 みなさんのご意見はいかがですか。

2014年12月5日金曜日

「アメリカが他国から攻撃されたとき,日本(軍)に助けてもらおうなどとは思っていない」(マイク・モチヅキ)。

 シンポジウム「安倍政権の歴史認識を問う」──「戦後レジームからの脱却」と外交,を傍聴してきました。議論の意外な展開に立ち会うことになり,ほう,そんなものなのか,と驚きました。その驚きの部分をとりだして書いておきたいと思います。

日時:2014年12月3日(水)19:00~21:00。
場所:法政大学市ヶ谷キャンパス55・58年館532教室。
主催:新外交イニシアティブ(ND)
コーディネーター:猿田佐世(ND事務局長・弁護士)
登壇者:山口二郎(ND理事・法政大学教授)
     マイク・モチヅキ(ND理事・ジョージ・ワシントン大学教授)
     東郷和彦(元オランダ大使・京都産業大学教授)

 シンポジウムの主旨は,当日,配布されたリーフレットに手際よく書いてありましたので,それを転載しておきます。

 この11月,2年半ぶりに日中首脳会談が行われ,日中の関係改善が期待されています。
しかし,「戦後レジームからの脱却」を掲げる安倍首相の下,昨年12月の靖国神社参拝,「慰安婦」問題を巡る河野談話の検証など,近隣諸国や米国を刺激する動きが相次いでいます。
大きく政治が動くこの時期に,戦後処理や歴史認識問題を改めて振り返ります。

 以上の主旨を読めば,このシンボジウムの骨格がみえてきます。なるほど,そういうことかと納得した上で登壇者の話に耳を傾けました。結論から言いますと,三者三様の立場から,それぞれ異なる考えや意見が繰り出され,ハラハラドキドキさせられる,そういうシンポジウムでした。

 まず,冒頭で猿田さんから主旨説明があり,山口,東郷,モチヅキの順に意見陳述が行われ,そのあとフロアからの質問用紙を回収して,司会の猿田さんが質問用紙の問題を整理して,シンポジストに問題を投げかけ,それに応答するという手順で展開されました。

 全部を紹介することはてともできませんので,わたしの脳を活性化させた驚くべき発言と,なるほどと納得させられた話をとりだして書いてみたいと思います。

 驚き,あっけにとられたのは東郷和彦さんの話。そのポイントは以下のとおりです。安倍首相が月に一回の割合で外遊し,日本の主張を世界に広めたことは素晴らしいことだった。集団的自衛権の行使容認を閣議決定したことは,これまでの憲法9条に縛られてきた日本の立場を解き放ち,少なくともアメリカと対等に話ができる第一歩となった。つまり,自立に向けての第一歩だと評価できる。これで,アメリカが他国から攻撃されたときには,日本はアメリカを助けるべく大きな貢献ができるようになった。さらに,従軍慰安婦問題にも触れ,安倍首相を擁護する立場を鮮明にしていました。朝日新聞問題についても同じ。

 わたしは唖然としながら,この人が,かつて外務省でかなりの活躍をされ,注目を浴びた人なのだと知り,開いた口がふさがらない思いをしました。外務省の元役人の発想というものは所詮はこういうものだったのか,といまさらながら驚いてしまいました。そして,いまも,こういう発想から抜け出してはいない,ということに・・・。

 この東郷さんの発言の間,山口二郎さんは苦虫を噛みつぶしたような顔をしていました。腹に据えかねるという気持がフロアにも伝わってきました。もう一人のマイク・モチヅキさんは,呆気にとられたような顔をして東郷さんの顔をじっとみつめていました。まるで,あなたは正気か,と問いかけているような雰囲気でした。

 この東郷さんの話を受けて,マイク・モチヅキさんは,いきなりつぎのような話をされました。アメリカが他国から攻撃されたとき,日本に助けてもらおうなどとは,アメリカ人はだれも思ってはいない,と。だから,日本が集団的自衛権をもつことは,日本の自己満足であって,国際社会的にはほとんどなんの意味もない,と。さらに,従軍慰安婦問題についても,2007年に米下院が非難決議を全会一致で採択したときの経緯にふれて,つぎのように述べていました。日本の有志が従軍慰安婦問題を否定する「意見広告」をワシントン・ポスト紙に全面広告として掲載したことが,アメリカ人の神経を逆撫ですることになり,かえって米下院の反発を買い,「全会一致」という決議決定へと導く原因になった,と。以後,アメリカが日本をみる目は大きく変わった。つまり,不審の目で見始めた,と。そのまなざしは,近年,さらに悪化している,と。このまま日本がいまの路線を突き進むと,完全に国際社会から孤立してしまう,そのことを強く危惧する,と。

 山口さんは,この日,風邪を引いていて調子が悪かったようです。他の人が発言中は,何回も鼻をかみ,眠気を覚ますようなしぐさもみられ,ときにはあくびをかみ殺していました。報道関係者も比較的多かったこともあってか,発言もいつもの冴えはみられず,こんどの選挙に関しても,悲観的観測と同時に希望的観測もできる,という妙なスタンスのとり方をしていて,おやおや,と思いながら聞いていました。どうやら,いつものような過激な発言は,すくなくとも,この選挙期間中だけは慎もうとしているように見受けられました。悪く言えば「自発的隷従」。山口二郎をして,こういう守りの姿勢に入るのか,といささか驚きもしました。

 まあ,全体的な印象としては,こうも立場も意見も違う人を集めて,あえてシンポジウムを仕掛けたコーディネーターの猿田佐世さんの思惑に,いささか意表をつかれた思いがしました。司会者としてもみごとな裁き方をし,この才媛のこんごの活躍に期待したいと思いました。

 以上,ご報告まで。

2014年11月30日日曜日

「沖縄の地鳴りを聞く」。県知事選で何が起きたか?

 沖縄から<地鳴り>が聞こえてくる。この沖縄から響いてくる<地鳴り>の震源地をさぐり,そこでいったいなにが起きているのか,その声に素直に耳を傾けてみようではないか。そして,その声(地鳴り)をこの東京にも広げていこうではないか。そんな主旨の連続講座の第一回目が開催されました。そのショート・レポートです。

 連続講座:沖縄の地鳴りを聞く
 第一回:県知事選で何が起きたか?
 講師:松元 剛(琉球新報)
 日時:11月29日(土)午後1時半開場,2時開会
 場所:法政大学(市ヶ谷キャンパス)58号館855教室
 主催:普天間・辺野古問題を考える会(代表・宮本憲一)
 共催:法政大学沖縄文化研究所

 プログラム的なことに少し触れておきましょう。午後1時30分開場,午後2時開会,午後5時閉会の予定でしたが,終わったのは午後5時30分をまわっていました。それだけ熱気の籠もった,実り多き会だったということです。最初に講師の松元剛さんのお話があり(約1時間半),つづいて松元さんと西谷修さんとの対話があり(約1時間),さらにフロアからの質疑,そして,最後に,主催者である「普天間・辺野古問題を考える会」のメンバーの方たち(和田春樹,前田哲男,宮本憲一,さんほか)からひとことずつのご挨拶がありました。司会進行は岡本厚さん(岩波書店)。雑誌『世界』の編集者・中本直子さんもお手伝い。

 わたしとしては,顔なじみの方が何人かいらっしゃると,とても落ち着いた気分で参加でき,快適な時空間でした。

 さて,問題の「県知事選で何が起きたか?」です。松元剛さんのお話は,理路整然,まことに説得力があって,配布されたレジュメの行間にいっぱいの書き込みをするのに夢中になるほどに,ひきこまれてしまいました。それを書きたいところですが,内容が多すぎて手にあまります。中本さんのお話では,雑誌『世界』の1月号(12月8日ころ発行)に松元剛さんの論文が掲載されるとのことですので,そちらでご確認ください。

 そこで,ここでは,わたしの疑問であった「沖縄県民の自覚と決断」を促した最大の力はなんだったのか,の答えを簡単にレポートしてみたいと思います。

 結論から入りますと,沖縄県民が目覚めた(翁長)のは,沖縄のジャーナリズムの発信力にあった,ということです。その主役を担ったのが,琉球新報と沖縄タイムスの2紙であった,と。

 沖縄では,この2紙が,競い合うようにして,沖縄県民に「真実」を伝える取り組みをしてきました。それも徹底した取材にもとづくもので,確たる根拠をもった情報の提供でした。つまり,説得力のある,確たる情報を提供しなければ,競合紙に負けてしまいます。ですから,お互いが必死です。幸いなことに中央政府の圧力を受けることほとんどありません。ですから,ことばの正しい意味での「真実」に迫る情報の競合が長い間,つづいているということです。沖縄県民の8割の人たちがこの2紙のいずれかを読んでいる,とのこと。そして,残りの2割が全国紙,その他。

 この2紙の競合の結果,このたびの県知事選に際して,沖縄県民を目覚めさせ,確たる認識を浸透させていくことになったポイントをいくつか挙げておきますと,以下のとおりです。

 ひとつには,米軍基地は沖縄経済発展の最大の阻害要因であることを周知徹底させたこど。その結果,沖縄の経済界が,ようやく米軍基地反対の動きに転じたこと。このことが沖縄に岩盤のようにして存在する自民支持の基盤に亀裂を生じさせた,ということ。翁長氏の「目覚め」「転身」はここからはじまったといいます。かくして,中央政府からの補助金頼みの姿勢から脱出し,経済的自立への道を多くの県民が選択した,という次第です。

 ふたつには,米軍基地の存在は,抑止力としてはなんの効果もない,ということの根拠を明らかにしたこと。その結果,米軍基地不要論が多数を占めるにいたった,ということです。本土では,いまでも,沖縄の米軍基地は抑止力として欠かすことはできない,という認識の人がほとんどです。なぜなら,本土のジャーナリズムは政府自民党のいいなりになっていて,ほとんど機能していないからです。その結果,無知のまま,抑止力を信ずるしかない,という次第です。

 みっつには,沖縄のアイデンティティと自己決定権の主張です。と同時に,沖縄差別の撤廃を求める声が次第に大きくなってきたということです。

・・・・・以上,未完。いずれまた。

2014年10月6日月曜日

JSCのでたらめぶり。眼を覆うばかり。「神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会」の集会に参加して。

 新国立競技場建設計画が,いま,正念場を迎えています。そのことにようやく気づいた東京新聞が,今日(6日)も大きな紙面を割いて,記名記事(清水祐樹)を掲載しました。写真を掲載しておきますので,詳しいことはこの紙面でご確認ください。とても簡潔に問題点を浮き彫りにした,とてもいい記事になっています。これを読めば,新国立競技場建設計画の事業母体であるJSC(日本スポーツ振興センター)がいかに杜撰な運営をしているかが一目瞭然です。

 
ざっくり言ってしまえば,入札前日に書類を開封し,入札価格を確認した上で,JSCの「予定価格」を決め,これに基づいて落札会社を決定した,というのです。入札制度を頭から否定した,まったくもって信じられないようなことを,文部科学省所管の下部組織であるJSCがやっているという事実に,唖然とするしかありません。これが泣いても笑っても天下のお役所仕事なのです。

 これが再入札での話です。一回目は,どこの社も予定価格に適していないという理由で落札不成立。やり直しの入札がこれだった,というわけです。そこには,なにか,水面下のドロドロした不穏な動きがあったのではないか,と妄想にも近いげすな勘繰りが脳裏をよぎります。

 さすがに内閣府の政府調達苦情検討委員会も事態を重くみて,入札会社の申しいれた苦情を受理し,審議の結果,JSCに入札の「やり直し」を求めた(9月30日)とのこと。このことによって,7月に始まる予定だった解体工事が12月中旬以降にずれ込むことになった,といいます。

 これで,とうとう6カ月も時間を無駄に消費してしまったことになります。ただでさえ,ザッハ案という難工事が控えていて,予定されている48カ月では施工困難(槇文彦氏をはじめ大手ゼネコン関係者指摘)とみられていますので,このままでは42カ月で工事を完了しなければならなくなってきます。となると,新国立競技場建設計画が初手から破綻していて,とうとう暗礁に乗り上げた,としか言いようがありません。それはデザイン・コンペの審査過程からして異常だったことも含めて・・・・。

 新聞では,入札の不手際に焦点を当てて,説得力のある記事にしていますが,じつはこうした経緯についてはいろいろのところですでに暴かれていて,シンポジウムや報告会,勉強会が開催されています。が,そこには大手のメディアは一社もきてはいません。東京新聞も同じです。

 たとえば,9月26日(金)に開催された「神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会」の集会(日本青年館・3階)では,12人もの各分野の専門家が登壇して,それぞれの問題点を指摘した上で問題提起をしています。そこで得られた情報は,じつは,この新聞記事の内容よりもはるかに濃密なものでした。

 ですから,わたしには,この記事ですら物足りない,というのが正直な実感です。でも,ようやくこういう記事を書いてくれたのですから,ありがたいと思わなくてはなりません。しかも,いまが正念場。これから再再入札が行われて,解体工事がはじまる前(12月中旬)に,なんらかの圧力をかけてストップをかけるしかありません。あの手この手でいくしかありませんが,いまひとつパンチ力に欠けます。

 最後の決め手は,ひょっとしたらIOC本部に向けて,新国立競技場建設計画は「オリンピックムーブメント・アジェンダ21」(「IOCアジェンダ21」と略称することもある)に違反していることを直訴するしかないのかもしれません。そして,すでに,その手は打っているのです。日本野鳥の会は,早くにこの手を用いて,カヌー競技場新設計画を変更させることに大きな成功を収めています。詳しいことはいつかまた書いてみますが・・・。

 というわけで,無理して,将来に禍根を残すようなとてつもない新国立競技場建設計画を推し進める必要はまったくありません。まずは,民意をしっかりと受け止めることから仕切り直しをするのが賢明だとわたしは考えます。そして,現国立競技場を改修して,東京五輪の遺産として未来に手わたす,これが「IOCアジェンダ21」に叶う方法であり,国際社会の趨勢とも一致するものでもあるからです。

 なぜ,JSCはこんな基本的なことがわからないのでしょうか。頭の狂った人間は,自分の頭が狂っているということが理解できません。どこかの宰相と同じです。ですから,暴走するのみです。これに歯止めをかけるのは,わたしたち国民です。それが民主主義というものです。なんとしても,ここは踏ん張りどころです。新国立競技場建設計画も,そして,政治も。

2014年10月5日日曜日

シンポジウム「TPP,国家戦略特区 日本社会の危機を考える」,10月15日(水)早大で開催。

 ご案内です。「TPP参加交渉から即時脱退を求める大学教員の会」事務局から,下の写真のようなシンポジウムが開催されるという情報が流れてきました。メールに添付されたフライヤーをダウンロードして,それをブログに転載しようとしたら,受け付けてくれません。画像形式にしろ,とパソコンがいいます。仕方がないのでパソコン画面を写真に撮って,それをここに貼り付けました。ほんとうは,バックの地は真っ白で鮮明なのですが,不思議なことにパソコン画面の模様が写ってしまいました。まるで,このようなデザインであるかのように。カメラの眼ってすごいですね。いささか見苦しいですが,お許しください。


 わたしの期待は,パネラーの中山智香子さん。『経済ジェノサイド』(平凡社新書)で,新自由主義経済のフリードマンを徹底的に批判し,注目を集めました。個人的にも,東京外国語大学時代の西谷さんを訪ねたときには,ほぼ,間違いなく中山さんにもお会いし,いろいろお世話になっていました。この夏(8月下旬)には沖縄・辺野古にも仲里さんの車で,西谷さんとご一緒させていただきました。充実した時間でした。


 その中山さんが,第Ⅱ部のパネル・ディスカッション「新自由主義経済とは何か──国家戦略特区から見えて来る今日の世界」で登壇されます。まさにうってつけのパネラーというわけです。「新自由主義経済とはなにか」という命題を,中山さんがどのように語られるのか,興味津々です。その前に,もう一度,『経済ジェノサイド』──フリードマンと世界経済の半世紀(2013年刊)を読んで予習をしておかなくては・・・・と愉しみです。

 日時:10月15日(水)18:00~20:30
 場所:早稲田大学国際会議場・第二会議室・3F
 入場無料。ただし,事前予約制。
 mse.studies@gmail.com に「シンポジウム参加」と連絡を。

 パソコン画面を写真に撮りましたので,重要な情報が抜け落ちています。お許しください。たぶん,ネットで検索すると,すぐにわかると思いますので,よろしくお願いいたします。

2014年9月18日木曜日

シンポジウム「どうする米軍基地・集団的自衛権──オキナワの選択」傍聴記。

 恥ずかしながら「新外交イニシアティブ」(New Diplomacy Initiative / ND)という組織があって,沖縄問題に新たな視点からの取り組みをしているということを知りませんでした。しかも,沖縄問題(米軍基地問題)の解決は日本政府にいくら働きかけてもできない,なんの意味もないと見切りをつけ,アメリカ政府に直接訴えるロビー活動に活路を見出そう,という組織です。

 この組織の原動力となっているのが,ひとりの女性,いわゆる「でき女」。その人の名は「猿田佐世」。今回のこのシンポジウムを仕掛けたのもこの人です。


 新外交イニシアティブ(以下,NDと略称)とはいかなる組織なのか。そのときいただいたリーフレットによれば,以下のとおりです。

 NDは,日米および東アジア各国において,外交,政治に新たに多様な声を吹き込むシンクタンクとして,2013年8月に設立。国内はもとより,国境を越えて,各国政府,議会,メディアなどへ直接働きかけ,「新しい外交」を推進する。設立前より,沖縄を初めとする日本の国会議員等の訪米行動を企画・実施し,2012年2月および2014年5月の二度の名護市長の訪米行動のコーディネートを担当(名護市は2013年,NDに団体会員として加入)。

 まだ,できたてのほやほやの組織ですが,沖縄の米軍基地問題を解決するための,まったく新しい可能性を予感させる,しかも,最後の切り札にもなりうるのではないかと思われる,眼からウロコのような組織です。少なくとも,わたしは驚きました。こういう方法があったか,と。しかも,それを民間団体として成立させようというのですから。


 ついでに,その中心人物である「猿田佐世」という人の略歴を紹介しておきましょう。

 猿田佐世(さるた・さよ)〔新外交イニシアティブ事務局長〕
 2002年日本にて弁護士登録。09年米国ニューヨーク州弁護士登録。12年アメリカン大学国際関係学部にて国際政治・国際紛争解決学修士号取得。自らワシントンにてろビーイングを行う他,沖縄・日本の国会議員・地方議会議員,各団体等の訪米行動を企画・実施。大学学部時代から現在までアムネスティ・インターナショナル,ヒューマン・ライツ・ウォッチ等の国際人権団体で活動。著書に『国際人権法実践ハンドブック』(共著,現代人文社)ほか。

 冒頭にかかげたシンポジウムのプログラムをご覧いただければ,おおよそのことは理解していただけると思います。どのスピーカーのお話も熱がこもっていて迫力満点でした。なかでも,東京新聞論説兼編集委員の半田滋さんと,やはり,コーディネーターの猿田佐世さんのお話が強烈に印象に残りました。その詳しい内容については,『虚像の抑止力』──沖縄・東京・ワシントン発安全保障政策の新機軸(新外交イニシアティブ=編,旬報社,2014年刊)をご覧ください。



 シンポジウムのサブタイトルにもありますように,「オキナワの選択」という大きな視座が,この組織には組み込まれています。つまり,最終的には「オキナワの独立」もありうる,という立場です。その根は,なにか大きな力に頼る運動の展開ではなく,自立/自律した,自由で,広い視野から固有の運動を展開していこうというところに伸びているようです。その意味で,この組織のこんごの活動に大いに期待したいと思っています。

 最後にただ一点だけ。いわゆる沖縄米軍基地による「抑止力」の議論は,まったくの虚像であり,なんの根拠もない,ということでシンポジストたちの意見は一致していました。そして,その理由がそれそれのスピーカーの立場から詳細に論じられました。納得の議論でした。

 取り急ぎ,遅くなりましたが,「傍聴記」まで。

2014年9月17日水曜日

「竹内敏晴さんが問い続けたこと」についてのわたしのショート・レポート。

 9月9日に書いたブログ:シンポジウム「竹内敏晴さんが問いつづけたこと」(鷲田清一×三砂ちづる)傍聴記にかなり厳しい批判をしました。批判をした以上は,その根拠を提示すべきでした。が,それだけのスペースがありませんでしたので,そのままにして,後日,わたしのスタンスを提示する,と書きました。しかし,そのままになっていましたので,遅くなりましたが,今日こそその責をはたそうと思います。

 「竹内敏晴さんが問いつづけたこと」・・・・シンポジウムのこの問いに対するわたしの結論は,「人間とはなにか」という根源的な問いであった,ということです。その方法論が「竹内レッスン」。からだとことばをとおして,人間存在の謎に接近していくこと。つまり,人間が存在するとはどういうことなのか。その探索のために編み出されたレッスンのひとつが「じかに触れる」だった,とわたしは受け止めています。

 ひとくちに「竹内レッスン」といいますが,いわゆる世間で行われている「レッスン」とはいささか次元が違います。つまり,先生が生徒になにかを「教える」,そういうレッスンではありません。竹内さんは「先生」と呼ばれることを嫌いました。みんなひとりの人間として生きている。人間同士の関係に先生も生徒もない。お互いに人間として啓発し合いながら生きているのだから,お互いが先生であり,お互いが生徒なのだ,と。だから,「〇〇さん」と敬愛の意味を籠めて呼び合いましょう,と提案されます。

 ですから「竹内レッスン」は,みんなで試行錯誤しながら,その日のテーマの解をさぐっていきます。竹内さんはその「道案内」をする人。そして,みずからもその解を求めて必死に考え,行動を模索します。そして,その瞬間,瞬間のお互いのひらめきをとても大切にします。そして,なぜ,そのとき,そのひらめきが生まれたのか,みんなで考える。そうして,そのひらめきが生まれる前の「原ひらめき」(Urdenken)の「場」に迫っていきます。そして,その「場」こそ「じかに触れる」場ではないか,と。

 以上のわたしの理解は,「竹内さんを囲む会」を5回ほどもつことのできた,なにものにも替えがたい僥倖に恵まれた恩寵です。その会は各回とも4~5時間にわたる,緊張感のある濃密な時間でした。そして,そのあとの懇親会でも2~3時間をともに過ごすことができました。ですから,毎回,公と私の両面の会話を楽しむことができました。

 わたしたちのグループは「スポーツする身体とはなにか」というテーマを共有する仲間たちが集まって,もうすでに長い間,研究会を重ねていました。ですから,竹内さんも「スポーツする身体」にとても興味をいだかれ,わたしたちのスポーツ経験とそこから導き出される「身体」理解に耳を傾けてくださいました。しかも,竹内さん自身が弓の名手です。たしか,わたしの記憶ではこの会の話題は弓の話からはじまったように思います。そこでは,当然のことながら,オイゲン・ヘリゲルの『弓と禅』が話題になり,それから武術する身体に入り・・・・という具合に,一つひとつの話題がきわめて具体的でした。ですから,みんなわがことの問題として受け止めながら,お互いに参加した他者の話に耳を傾け,みずからの意見を述べる,という積み重ねができました。考えてみれば,これもまた「竹内レッスン」のヴァリエーションの一つだったわけです。

 何回か会を重ねたところで,わたしはジョルジュ・バタイユを引き合いに出して,「スポーツする身体」を考える上での一つの根拠となるのでは・・・と切り出したところあたりから,竹内さんの眼の光が違ってきたように思います。わたしのバタイユ読解(主として『宗教の理論』)については,ここでは割愛させていただきますが,このブログのなかでも膨大な量の文章を書いていますので,参照していただければ幸いです。

 竹内さんは,バタイユの思想・哲学については,かなり懐疑的でした。それは,バタイユのキー概念の一つでもある「エクスターズ」(恍惚)をめぐる理解の仕方が,わたしとはかなり違うものでした。そのポイントは,バタイユの「エクスターズ」では「意識」はどうなっているのか,という点での理解の違いでした。そして,当然のなりゆきでしたが,無意識と意識の境界領域をどのように理解するか,というところの議論にひろがり,わたしにはとても刺激的な経験となりました。そして,このテーマはこれからも議論していくことにしましょう,という約束になっていました。

 そんなこともあってか,竹内さんは,ようやくご本人の思想遍歴を語ってくださるようになりました。基本的に,竹内さんは,〇〇がこういうことを言っている,という話し方はあまり好まれない方でした。あくまでも,基本は,みずから編み出した「からだ」と「ことば」のレッスンをとおして到達した竹内さん固有の知見に基づくものでした。しかし,その知見の正さを裏付けるために,思想・哲学の本を命懸けで読んでおられました。にもかかわらず,そのことはほとんど語られることはありませんでした。わたしがしつこく食い下がるものですから,仕方なしに,メルロ・ポンティは・・・とか,マルチン・ブーバーは・・・という具合に,ほんのわずかに小出しにしながら,わたしの問いに付き合ってくださいました。

 そうした対話・議論をとおして,「竹内敏晴さんが問い続けたこと」について,わたしなりにみえてきたことは以下のとおりです。もちろん,ここでも,「じかに触れる」レッスンがわたしの竹内敏晴さん理解の手がかりになっています。(書かれた著書は当然のことです)。

 竹内敏晴さんは一度も口にされませんでしたが,竹内さんの仰る「じかに触れる」場は,わたしには西田幾多郎の「場」の理論とほとんどイコールではないか,ということでした。それは『善の研究』で提示された「純粋経験」(意識が立ち上がる以前の経験)にはじまり,やがて「行為的直観」の概念に到達し,さらに「場」の理論となり,最終的には「絶対矛盾的自己同一」にいたる,このプロセスを竹内レッスンをとおして,みんなで確認しながら,からだで経験し合うこと,そして,そこからみえてくるまったく新たな「場」の地平を共に分かち合うこと,それこそが「竹内敏晴さんが問い続けたこと」の中味だったのではないか,とわたしは考えています。これは竹内さんの信念でもあったと思いますが,自分ひとりでわかっただけでは納得しない,だれもが共有できるものでなくてはほんものではない,という姿勢を貫かれたのではないか。これこそが「人間とはなにか」を問う,竹内さんに固有の方法論であった,と。

 このアナロジーが当たっているとすれば,ならば,バタイユの「エクスターズ」の「場」とも,当たらずとはいえども遠からず,という関係にある,というのがわたしの主張です。この点についての詰めの話をする約束になっていたのですが・・・・。残念です。

 そして,ついでに触れておけば,このバタイユの話とともに,バタイユが日本の仏教に深い関心を示していたことを手がかりにして,わたしは禅仏教の話題を提示し,たとえば道元の『正法眼蔵』や『般若心経』の世界に踏み込んでみました。その瞬間から,これまでにも増して竹内さんの眼の光が一段と厳しいものになっていきました。そして,ほんとうに短い応答でしたが,あっ,竹内さんはこの問題についてもすでに相当に深い洞察をされていらっしゃる,ということを直感しました。そして,このテーマについても少しずつ,具体的な事例を取り上げながら検討していくことにしましょう,と竹内さんは提案されました。つまりは,わたしの話は「空中戦」であって,地に足がついていない,だから,そこからは建設的な知の共有はできない,ということを婉曲に指摘された,ということです。わたしはいたく恥じ入りました。が,これも宿題にして,具体的に考えることにしましょう,という竹内さんのご提案に救われました。

 こういうお約束がいくつもあって,それらを,具体的に一つひとつ,どのように対話・議論が展開していくことになるのか,わたしは期待で胸がいっぱいでした。

 しかし,残念ながら,三鷹の舞台を終えられて,ロビーで握手しながら「あの続きをやりましょうね,楽しみにしています」「はい,わかりました」と約束したのが,今生のお別れとなってしまいました。

 こういう経緯が,竹内さんとわたしの間にはありました。ですから,「竹内敏晴さんが問い続けたこと」のわたしの結論は「人間とはなにか」を問うことであり,その具体的な方法論の一つが「じかに触れる」ではなかったか,と考えた次第です。しかも,竹内さんは自分ひとりが理解すればそれでいいということではなく,その理解を他者(マルチン・ブーバー的にいえば「汝」=Du )と共有しながら,さらに深めていくこと,ここが竹内さんがこだわった重要なポイントではなかったか,とわたしは考えています。

 じつは,まだまだ書かなくてはならないことがたくさんあるのですが,今回は,とりあえず,ショート・レポートということで,ここまでとさせていただきます。

2014年9月12日金曜日

国立競技場解体工事が暗礁に乗り上げる。さあ,チャンス到来。声を挙げよう。

 今日(12日)の東京新聞がスポーツ欄の片隅に,小さな記事「国立競技場解体,月末開始できず」を載せています。もっと大きく扱ってもいいのに・・・とやや不満。ほかの各紙はどのように伝えているのか,あるいは,無視か。と,そんなことを考えながら,メールをチェックしていたら,その中に「神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会」からのものがあり,9月26日に国立競技場問題のシンポジウムを開催するという。すぐに申し込みました。先着200名。

 今日は,この二つの話題を取り上げてみたいと思います。

 まずは新聞記事。


 その要旨は以下のとおりです。
 国立競技場解体工事のための第一回目の入札が成立しなかった会社から苦情申し立てがあって,有識者で構成されている内閣府の「政府調達苦情検討委員会」が,10日付けでその苦情申し立てを受理した,その結果,同委員会が審査して結論を出す期限が10月17日であるため,この審査結果がでるまでは,第二回目の入札で決まっていた解体請負業者との契約執行を一時停止するよう同委員会が要請した,そのため,国立競技場の解体工事が大幅に遅れること,場合によっては再入札もありうるということ,そうなると,新国立競技場の建設の工期が短くなってしまい,ピンチだとISCが考えている,というものです。

 ついでに,もう少しだけ補足しておきますと,第一回目の入札は,たった一社だけが応じたのですが,その入札価格がJSC(日本スポーツ振興センター)の決めていた最低価格よりも低かったために,保留となり,その後の検討の結果,入札不成立となったというのです。この入札価格が低すぎるという理由が理解できない,そこには官製談合の疑義がある,としてこの会社が「政府調達苦情委員会」に申し立てを行ったということです。

 そして,この申し立てを同委員会が受理をしたということは,審査に値する内容である,と判断したとみていいでしょう。そうなりますと,少なくとも10月17日までの結論がでるまでは,解体工事にとりかかることはできないことになります。しかも,この苦情申し立てが認められますと,再入札ということになります。となると,さらに解体工事が遅れ,新国立競技場の工期が短くなり,こんどは五輪までに間に合わなくなる,という可能性もでてくる,ということになります。

 となりますと,建築家の伊東豊雄さんが提案しているような,いまの国立競技場を改修して間に合わせる,という案も浮上してくる可能性がでてきます。

 こうした動きとはまったく別個に,「神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会」が,9月26日(金)にシンポジウムを開催するというのです。シンポジウムのテーマは「それでも異議あり,新国立競技場──戦後最大の暴挙を考える」。この会は,すでに,「文部科学省,日本スポーツ振興センター:神宮外苑の青空と銀杏並木の風景を守ろう!巨額の建設費をかけない,いまある国立競技場を直して使おう!」というキャンペーンを打ち出し,インターネットで賛同者を募ったところ,12日現在で30,817人の賛同を得ているということです。

 わたしも賛同者の一人としてメール・アドレスを登録していますので,経過報告とシンポジウム開催の情報がダイレクトに入ってきたというわけです。さきにも書きましたように先着200名ということでしたので,すぐに申し込みをしました。この会からの情報によりますと,9月23日には建築学会が,10月1日には景観学会が,同様のシンポジウムを企画しているとのことです。それぞれの専門家集団の学会も,すでに,これまでに何回もシンポジウムを開催しています。機運は一気に高まってきています。

 そんな中での国立競技場解体工事着手の一時停止です。しかも,場合によっては再入札ということもありうる,というのです。となると,そのさきはかなり混迷した情況が待ち受けていることになります。ひょっとしたら,大逆転もありうる,という展開になってきました。

 だとしたら,10月17日までに,可能なかぎりのプレッシャーをかけていくことが肝要となります。わたしもその一助になれればと考えています。

 今回のこの新国立競技場の建造をめぐる問題は,最初のデザイン・コンペの方法や審査過程からして,疑問だらけでした。そして,各界から多くの異議申し立てがなされました。が,すべて無視したまま,文部科学省もその事業主体であるISCも,規定の路線をひた走りつづけてきました。もはや,民主主義の精神もどこへやら・・・・,ひたすら自分たちの利益優先だけが独走しています。今日の政府・自民党とまったく同じことが,ここでも繰り広げられています。まことにもって由々しき問題です。

 かくなる上は,自分の持ち場でできるだけの意思表明をしていくしか方法はありません。その山場がようやくやってきました。チャンス到来です。いま,です。やるしかない,のは。

 このブログもそんなつもりで書いています。ご支援をいただければ幸いです。

大野慶人さんの舞踏とトークに感動。とりわけ「竹」というテーマの舞踏とトークに。

 新作ドキュメンタリー『即身仏を訪ねて──涅槃の考古学』完成記念上映とトークとシンポジウム「身体表出の日本的様相」,というイベントがあるというのででかけてきました。わたしの興味は「即身仏」と「身体表出の日本的様相」のこの二つ。

 日時:9月10日(水)14:20
 場所:草月ホール
 主催:「身体表出の日本的様相」実行委員会,アテネ・フランセ文化センター

 行ってみて驚いたのは盛りだくさんのプログラム。14:20にはじまって終わったのは20:00を過ぎていました。そんな時間になっているとはとても思えないほどに,わたしにとっては充実した時間でした。なぜなら,意外な発見と違和感が多々あったからです。結論的に言ってしまえば,映画人と呼ばれる人たちのみている世界が垣間見えたこと,その世界の不思議さと驚きと違和,というところでしょうか。それらの内容については,いずれ分割して書いてみたいと思っています。それほどの内容があるということです。

 とりあえず,今回は,その長丁場のプログラムのなかにあった,小笠原隆夫監督(今回のイベントの仕掛け人であり,上映作品の監督)と大野慶人さんとの「舞踏とトーク」をとりあげてみたいと思います。なぜなら,もっとも感動し,もっとも大きな発見があったからです。

 大野慶人さんは,断るまでもなく,舞踏家大野一雄さんのご長男。敗戦のときに6歳だったということですので,わたしとほとんど同世代。そんな年齢の方だとは知りませんでした。なぜなら,大野一雄さんの舞踏のときに脇役として登場する大野慶人さんは,じつに若々しくて,ソフトでしなやかな舞踏を展開されていたからです。それに引き換え,大野一雄さんの舞踏は動きの無駄を徹底的にそぎ落とした骨の部分を際立たせる,じつに重々しいものでした。

 その大野慶人さんの舞踏が,大野一雄さんの再来か,と思わせるほどの,じつに重々しいものでした。まさか大野慶人さんの舞踏がみられるとは思ってもいませんでしたので,まずは,驚きました。しかも,これは偶然ですが,前から二列目の席に陣取っていましたので,至近距離での舞踏に触れることができました。これはラッキーでした。

 こんな偶然もあって,大野慶人さんのからだの動きの一部始終が,しかも,その繊細な動きの微妙な震えも息遣いも,そして,少しうるんだ眼が宇宙の彼方をみやるような,えもいわれぬまなざしも,というようなありとあらゆるものが一つのかたまりとなって,そうオーラとなってわたしのからだのなかにするりと入り込んできました。

 これはいったいどういうことなのか,と不思議な感覚でした。とりわけ,「竹」というテーマの舞踏が衝撃的でした。タイトルは大野慶人さんが舞踏を終えたあとのトークで知りました。ですから,みているときはタイトルはなにもわかりません。ただ,目の前で大野慶人さんの舞踏が展開されているだけです。タイトルもなにも知らないまま,みているこちらは無心です。ぼんやりとした無意識にも似た無心です。その無心に,大野慶人さんの舞踏が,するりと入り込んできたのです。

 最初の立った姿勢から,まずは,重心をじつに時間をかけてゆっくりと下げていってかがみ込みます。その間,脚も胴体も腕も微妙に震えています。かがみ込んだ姿勢では,なぜか,かかとを浮かせたままの両脚が微細な震動を起こしています。重さと固さと震動とが入り交じった不思議な姿勢をしばらくの間,保っています。そして,その姿勢からふたたび重心を上に押し上げるようにして,じつにゆっくりと静かに,それでいて力強く立ち上がっていきます。ただ,それだけの動作なのに大野慶人さんの呼吸はすでに一杯いっぱいになっています。汗もじっとりと浮かんでいます。眼はうるんでみえます。

 そして,こんどは立位の姿勢から,さらに上に伸び上がっていきます。それも,じつにゆっくりと静かに重心をめいっぱい高くしたところで,こんどは両腕が上に向かって静かに伸びていきます。そして,最後には,ややうるんだ憂いをふくんだ眼が天上高く見上げています。ここまでで,わたしのからだは完全に硬直してしまいました。大野慶人さんのからだとシンクロしはじめているのです。これはいったいどういうことなのか,と自問しながら舞踏に集中。

 ここから大野慶人さんのからだは,ゆっくりと回転をはじめたり,なにかに押されるようにして横に揺れたり,ほんのわずかずつ横に動いたり,と舞踏がつづきます。しかし,どうみても大野慶人さんのからだが,次第にひとつの「物体」に見えてきます。大野慶人さんのからだが限りなく物体になりきっている,といえばいいでしょうか。肉体と物体の境界領域をせめぎ合っているように,わたしの眼にはみえてきました。なにか,原初の生命現象の表出というべきか,ちょっとことばでは表現不能の「なにか」がわたしのからだに入り込んできました。

 この舞踏のあと,大野慶人さんはつぎのようなトークをなさいました。やや甲高い声で,しかし,抑制された静かな声で,ことばを選びながら,こちらもゆっくりと話されました。その内容を聞いていて,なるほどとこれまた驚きました。大野慶人さんは郡司正勝さんから「竹」の話を聞き,大きな感銘を受けたというのです。竹は中が空洞である。からっぽなのだ。竹は中が「からだ」。これがわたしたちの身体を「からだ」と呼ぶようになった語源である,と。

 からだは,中が空洞なのだから,外からなんでも入ってくるし,勝手に外に出ていってもしまう。つまり,出入り自由なのだ。からだとはそういうものだ。だからこそ,なににでも「なる」ことができるし,究極的には「なる」しかないのだ。それがからだというものだ。

 こんな風に郡司正勝さんは話してくださった,と大野慶人さんは静かに語り,さきほどの舞踏のテーマはその「竹」です,バンブー・ダンスです,と仰る。なるほど,とこころの底から得心しました。身に沁みてわかる(この話もなさいました),とはこういうことなのだと,納得。

 こんな風にして,対談者の小笠原隆夫監督をそっちのけにしたまま,つぎからつぎへと惜しげもなく舞踏をし,その舞踏についてのトークを一人語りでし,息継ぐ間もないほどでした。そうして,わたしの中にあった「舞踏」というものに対する構えのようなものが,ひとつずつ取り払われていきました。「紙一重」というテーマの舞踏とトークも強烈でした。また,和紙を思いっきり引っ張りながら伸ばしていき,あるところからはふにゃふにゃな一本の長いひもになる舞踏とトークもまた強烈な印象となって残りました。指人形を使った舞踏にも驚かされました。

 これらの舞踏の一つひとつを語るのは割愛させていただきます。
それよりなにより,大野慶人さんの舞踏が大野一雄さんの舞踏に限りなく近づいていることを知り,じつに驚きました。年齢相応のからだで踊る,それ以上でもないし,それ以下でもない,あるがままのからだで「なるようになる」,そんな,かつての大野一雄さんの境地に慶人さんもまたなりつつある,と感じました。

 舞踏とはなにか・・・とずっと考えつづけていたことの核心に触れる部分に,大野慶人さんの舞踏とトークがみごとに答えてくれました。喉にひっかかっていた骨がポロリと落ちたように思います。それは,肉体と物体の関係性です。じつは,ドイツ語の Koerper はこの両方の意味を含意しています。同時に,死体の意味ももっています。つまり,肉体も物体も死体も,じつは同義なのだ,と。となると,舞踏がこの三つの世界を自在に往来するのは,なんの不思議てもない,と。むしろ,原点回帰というべきでしょう。

 そこで閃いたのが,ジョルジュ・バタイユのいう「動物性」の世界であり,「内在性」の世界です。そして,人間の深層心理には,動物性や内在性への強い回帰願望がひそんでいる,という考え方です。ここからさきのことは,これまでのブログのなかで詳細に論じてきていますので,これもまた,ここで割愛。結論的に触れておけば,人間は生の源泉に触れたいという衝動と無縁ではありえない,ということ。舞踏もまた「生の源泉」に触れたいという衝動に突き動かされている,と。別の言い方をすれば「聖なるもの」(ジャン・ピエール・デュピュイ)との交信・共鳴・共振の表出である,と。

 ここに至りついただけで,わたしは大満足でした。これから機会があれば大野慶人さんの舞踏を追ってみたいと強く思いました。舞台の上まで車椅子で登場し,そこで衣装に着替えたとたんに,ひとりで立ち,踊りはじめた大野一雄さんの舞台はわすれられません。舞踏,恐るべし,です。まさに「身体表出」そのものというべきでしょうか。「表出」とは,そういうものだ,とわたしは理解しています。ここにもひとつ大きな議論が待っています。このことは,いずれ機会をあらためて・・・・。

 とりあえず,大野慶人さんの舞踏とトークが,これまでのわたしの蒙昧な思考のもやもやを,もののみごとに晴らしてくれたことに感謝。

2014年9月9日火曜日

トークイベント「竹内敏晴さんが問い続けたこと」(鷲田清一×三砂ちづる)傍聴記。

 このほど,藤原書店から<セレクション・竹内敏晴の「からだと思想」>(全4巻)が完結したのを記念してトークイベントがなされました。テーマは「竹内敏晴さんが問い続けたこと」。

 日時:2014年9月7日(日)14:00~17:00(開場13:30)
 会場:早稲田奉仕園(スコットホール)

 
ほぼ満席の盛況でした。集まった人のほとんどは竹内敏晴さんのレッスンを長年にわたって受講され,その影響を強く受けた人びとだとお見受けしました。もちろん,竹内さんの著作をとおして多くのことを学ばれた熱烈なファンも多くいらっしゃったと思います。いずれにしても,集まられた人たちは熱烈な竹内敏晴ファンの人たちばかり,と言っていいでしょう。

 竹内さんが逝かれてちょうど5年。9月7日は命日。早いものです。まだ,ついこの間のできごとだとしか考えられません。いまでも,名古屋で竹内敏晴さんを囲む会を企画して,生前5回ほどもつことのできた会のつづきをやりたいという気持で一杯です。が,残念ながら,もはやそれは永遠の夢でしかありません。

 さて,トークイベント。最初に鷲田清一さんの講演があって,つづいて三砂ちづるさんとのトークになりました。

 
正直にわたしの感想を記しておきますと以下のとおりです。
 まずは,ミスマッチ。鷲田さんは竹内レッスンを一度だけ見学,三砂さんは著作をとおしてだけで竹内さんとの面識はなし。したがって,鷲田さんの講演も,そして,トークイベントも竹内さんの著作を手がかりにした,いわば観念論的な思考ゲームに終始することになりました。それはそれで面白い話の展開ではありました。たぶん,ごく一般的な聴衆ばかりでしたら,このトークイベントは異色の組み合わせとして,大成功だったのではないかと思いました。しかし,まことに残念なことに,この会に集まった熱心な竹内敏晴ファンの期待した,肝心要の「竹内敏晴さんが問い続けたこと」の核心には遠く手がとどきませんでした。

 言ってしまえば,竹内敏晴さんの「からだと思想」の表面をかすっただけの,わたしにはなんとも歯がゆいばかりの話の展開でした。ですから,わたしの欲求不満はたまるばかりでした。たとえば,竹内さんが必死に探索され,徐々にその深みにたどりついていかれた「じかに触れる」という,竹内レッスンの核心ともいうべき重要なテーマには,お二人とも言及されませんでした。それは,マルチン・ブーバーの『我と汝』を手がかりにした思考実験であったことを,わたしは竹内さんから直接うかがっています。そして,わたしなりに『我と汝』を読み込み,竹内さんの求める「じかに触れる」世界を,あれこれ思考したことがあります。それは,このブログでも,もうずいぶん前のことですが,書いています。検索してくだされば幸いです。

 ですから,この日に集まった人たちの耳には,たぶん,失望と落胆が少なからずあったのではないか,とわたしは感じました。言ってしまえば,スピーカーよりも聴衆の方が,「竹内敏晴さんが問い続けたこと」については,みずからの「からだ」をとおして熟知していた,と思われるからです。ですから,トークイベントが終わってからの懇親会では,このゲストのお二人は孤立した状態がつづくという,一種異様な場面が表出してしまいました。「これはまずい」と思い,わたしはご挨拶だけでもしておこうかとそのチャンスをはかっていました。が,なぜか,わたしのまわりには何人かの人が入れ代わり話しかけてくださる人があって,しまいには藤原社長さんまで加わるという塩梅でした。

 と,そうこうしているうちに,ゲストのお二人の姿は消えていました。あれれっ?と思いましたが,ときすでに遅しでした。鷲田さんのお顔が少し赤くなっておられたのは覚えています。そろそろいいタイミングかな,とこちらでおしゃべりをしながら様子をうかがっていました。が,まずは,鷲田さんがお一人でドアの向こうに行かれました。それでもわたしは,なにか所要があって,またすぐに戻られるものと思っていました。が,そのままでした。それからしばらくしたら,三砂さんの姿も見当たりません。なんとも寂しいゲストの退場でした。ふつうなら,ひとことご挨拶があって,拍手をもってお送りする,というところなのですが・・・・。

 「竹内敏晴さんが問い続けられたこと」についての私見は,いつか,このブログに書いてみたいと思っています。わたしをその気にさせたのは,鷲田さんと三砂さんのトークイベントが大きな引き金になっていることは間違いありません。言ってしまえば,わたし自身の欲求不満を解消するために。

 というところで,やや辛口の傍聴記になってしまいましたが,ひとまず,この稿を閉じたいと思います。そして,この稿の補足となるべきブログを近々,書いて,全体のバランスをはかりたいと思っています。では,そのときまで。

2014年7月22日火曜日

国際シンポジウム「都市と建築の美学──新国立競技場問題を契機に」(主催・美学会)を傍聴してきました。

 表題のシンポジウムがあるということを20日の橋本一径さんのFBで知りました。新国立競技場問題を美学会がとりあげ,国際シンポジウムをやるということに,わたしはある種の衝撃を受けました。美学会が,どのようなアングルからこの問題をとりあげ,議論しようとしているのか,いまひとつピンとこなかっただけではなく,その美学会までもがこの問題をとりあげ,その問題の所在を明らかにしようとしているという事実に,少なからぬショックを受けました。

 なぜなら,わたしの所属しているスポーツ史学会の理事会が,この問題についてどのような関心を示しているか,そして,どのように対応しようとしているか,という議論がなされているのだろうか,と。少なくとも,現段階ではそのような議論があったとは聞いていないからです。もちろん,わたし自身もスポーツ史学会理事会に対してなんの働きかけもしてこなかったことに,いささか後ろめたさを感じないわけにはいきませんが・・・・。

 ならば,いまからでも遅くはないではないか,と。美学会がとりあげてくれているのに,スポーツ史学会がなにもしないでいていいのだろうか,と。

 そんなことを考えながら,会場の東京大学文学部法文二号館一番大教室に押っ取り刀で駆けつけました。目玉は槙文彦さんの基調講演「都市から建築を,建築から都市を考える」と司会の岡田温司さんの議論の裁き方,と狙いを定めていました。そして,美学という視点から新国立競技場問題がどのように分析されるのか,3人のシンポジストにも期待してでかけました。



 予想どおり,槙文彦さんのお話はみごとでした。建築家の立場から,きわめて冷静に,わかりやすく問題の所在を明らかにされ(これまでに書かれた論文で承知していましたが,それにもましてみごと),原案を一度,ご破算にして,仕切り直しをすべきだ,と提言されました。そして,最後に,この原案で建て替えがなされるとすれば,これは「日本の悲劇」である,と。そして,同時にこれは「外国の喜劇」である,と。

 槙文彦さんのお話の内容を,いま,ここで書くにはスペースが足りませんので,また,機会を改めて書くことにします。問題の根幹だけ書いておきますと,コンペの募集要項からしてまことに「雑」であったこと,加えて審議過程もいい加減,その意味では最優秀賞に選ばれたザハさんは被害者だ,ということ。そして,この責任をとる人を特定できない(みんな責任逃れをして,おれではない,と他者になすりつける体質・体制に大きな問題がある)こと。これはこんにち展開されている政治の手法とそっくり同じだ,とも。

 司会の岡田温司さんとは久しぶりの対面。数年前に神戸大学で開催された日本記号論学会でお会いして以来のことです。そのときの学会のテーマは「判定の記号論」。で,裁判,宗教,スポーツの三つのセクションのうちの,岡田さんは宗教のセクション(「最後の審判」)で,わたしはスポーツのセクション(「スポーツの判定」)で問題提起をし,議論をさせていただきました。そのときの岡田さんの機関銃を撃ちまくるような,猛烈なスピードでまくし立てる語りが強烈な印象として残っていました。そして,その後の数年の間に,どれだけの著作を世に問うたことか,その驚異的なご活躍に驚きもし,畏敬の念をいだきもし,別格の注目をしてきました。

 そんなご縁もあって,岡田さんの司会者としての裁きぶりを期待していました。記号論学会のときには,派手なシャツに真っ赤なパンツ,そして,しゃんとした姿勢と溌剌とした歩き方をなさっていました。が,この数年の間の時間が岡田さんに大きな変化をもたらしたようで,わたしにはまるで別人にみえました。個性的な頭髪とくりくりとした目は以前のままでしたが,髭をつけ(これがシルバー),黒ぶちの眼鏡をかけ,おしゃれなスーツ姿で身を固め,相変わらず格好よさが目立ちましたが,なんと背中が丸くなっていて,話し方も物静か,いささか意表を突かれた思いでした。つまり,ごくふつうの学者さんになりきっていらっしゃる,と。

 ですから,槙さんの素晴らしい基調講演につづいて登壇したシンポジストたちの,こんな言い方をするとまことに失礼ではありますが,あまりに凡庸な話の内容とそれにつけた司会者としてのコメントもありきたり。なかには,わたしとしては許しがたい発言をされたシンポジストもいらっしゃいました。もちろん,じっとがまんして耳を傾けましたが。結論だけ述べておけば,「美学」の視点がどこにも見当たらない,ひたすら,自分の専門領域の,狭い砦のなかに立て籠もった立ち位置からの発言ばかりでした。しかも,これらのシンポジストのなかには美学の専門家はひとりもいらっしゃらない,という不思議な構成になっていました。

 わたしは大いに失望。ただ,槙文彦さんのお話をうかがうことができたことだけが大いなる収穫でした。このお話だけを,別途,このブログで紹介したいと思います。とりあえず,今日のところは,ざっくばらんなわたしの傍聴印象記ということでお許しください。

2014年7月5日土曜日

立憲デモクラシーの会主催の講演会,充実した内容で感動しました。

 昨日(7月4日),学習院大学で開催された「立憲デモクラシーの会」主催の講演会に行ってきました。開催案内には「集団的自衛権を問う──立憲主義と安全保障の観点から」とありましたので,相当に厳しい糾弾がおこなわれるのではないか,と予想してでかけました。ところが,なんとも冷静な,そして深い洞察にもとづく,根源的な「問い」を突きつけられ,「想定外」の感動をおぼえました。参加してよかった,としみじみ思いました。

 プログラムを挙げておきましょう。

 「集団的自衛権を問う──立憲主義と安全保障の観点から」
 第1部
 
  基調講演:三谷太一郎(日本学士院会員・東京大学名誉教授・政治史)
         なぜ日本に立憲主義が導入されたのか・その歴史的起源についての考察
  コメント:加藤陽子(東京大学教授・歴史学)
  司会:山口二郎(法政大学・政治学)
 第2部
  講演:前田哲男(軍事評論家)
     <万物流転>にねじ伏せられた<万古不易>
  コメント:木村草太(首都大学東京准教授・憲法学)
  司会:中野光一(上智大学・政治学)

 冒頭で,この会の代表のひとり山口二郎さんが「安倍内閣の解釈改憲への抗議声明」を読み上げました。これも,大きな声を張るわけでもなく,むしろ,小さな声で控えめに読み上げられました。その内容は三つの柱でまとめられていました。
 A 暴走する政府は民主政治を破壊する
 B 集団的自衛権行使は違憲であり,安全保障にも寄与しない
 C 政府解釈による自衛権の拡大は立憲主義を破壊する
 ここに全文を写し取りたいところですが,割愛させていただきます。たぶん,立憲デモクラシーのホームページにアップされていると思いますので,チェックしてみてください。

 つづいて第1部に入りました。この三谷太一郎先生の基調講演が素晴らしいものでした。まるで,大学の講義を聴いているような,一つひとつ懇切丁寧な解説があって,とても説得力のある内容でした。配布されたレジュメの「はじめに」のところだけ,引用しておきましょう。

 はじめに
 日本における「立憲主義」を二つの側面から考える
  1)権力分立制
  2)議会制
 したがって問題は第一に日本になぜ権力分立制が導入されたのか,第二に日本になぜ議会制が成立したのか,日本における「立憲主義」は何を歴史的母胎として生まれたのか。第三に権力分立制および議会制の下でなぜ複数政党制が成立したのか。要するに日本においては「立憲主義」および複数政党制がなぜ必要であったのか。

 こういうお話は学生時代に聴いておきたかった,と悔やまれるほどの素晴らしいものでした。ひとことだけ,わたしの理解を書いておけば,権力分立制も議会制もその萌芽は徳川幕府に求めることができる,その伝統を明治政府が引き継ぎ,紆余曲折をへながらも,かろうじて立憲デモクラシーの考え方や制度を練り上げてきた,したがって,立憲デモクラシーの理念はいわば国民的財産なのだ,ということです。

 この基調講演に対して,加藤陽子さんがつけたコメントがまた抜群でした。時間があればもっと詳細な展開があったのでしょうが,残念。

 つづけて第2部に。
 軍事評論家の前田哲男さんのお話も,とても魅力的な内容でした。とくに,わたしには軍事評論という世界のことは無知に等しかったので,その内容がとても新鮮に感じられました。しかし,残念なことに時間が押していて,後半は一気に概説をして終わってしまいました。

 この講演に,若き憲法学者の木村草太さんがコメント。こちらも時間があればもっと面白い話の展開になったろうに・・・と惜しまれました。

 まあ,いずれにしても,これだけのプログラムに対して,たった2時間はあまりにも短すぎ。それでも,終了したのは午後8時30分をまわっていました。もっとも,時間が足りなかったなぁ,と惜しまれるくらいがちょうどいいのかも知れません。夕食前でしたが,空腹どころか満腹感(頭の中)でいっぱいでした。

 いま,振り返ってみますと,とりわけ,三谷太一郎先生のお話はわたしにとっては強烈なインパクトを与えました。いつか,時間をみつけて三谷先生のご著書を読ませていただこうと思いました。徳川時代があんなに長くつづいた背景には,ご公儀の権力の分立と合議制が大きな意味をもっていたのか,と気づかされたからです。

 いまもその余韻に酔い痴れています。
 たぶん,IWJで映像が流されると思いますので,もう一度,聴いてみたいと楽しみにしています。

 以上,つたないわたしの感想とご報告まで。

2014年6月24日火曜日

西谷修講演・J=P.デュピュイの『聖なるものの刻印』をどう読むか,を企画しました。

 第84回・「ISC・21」7月東京例会で,西谷修先生にご講演をしていただけることになりました。「ISC・21」というのは,わたしの主宰しています「21世紀スポーツ文化研究所」のことです。この研究所が主催する月1回の研究会を月例会と名づけ,東京,名古屋,大阪,神戸,奈良,などを巡回しながら開催しています。

 で,今回は7月に東京で開催しますので,「7月東京例会」という次第です。この月例会は,原則として一般に公開しています。どなたでも参加は自由です。ただし,参加を希望される方はわたし宛にご連絡ください。座席に制限がありますので,若干の調整をさせていただきます。会費はありません。が,懇親会は実費(頭割り)です。当日,清算します。

 さて,前置きが長くなってしまいましたが,第84回「ISC・21」7月東京例会」の開催要領は以下のとおりです。

 日時:2014年7月19日(土)午後1時~午後6時。
 場所:青山学院大学総研ビル(正門を入ってすぐ右の建物)4階,14404教室。
 プログラム:
  第一部:情報交換会(午後1時~午後2時45分)
       会員の活動報告,ショート・プレゼンテーション,ブック・レヴュー,論文紹介,など。
  第二部:講演会(午後3時~午後6時)
   演者:西谷修先生(立教大学大学院特任教授)
   演目:『聖なるものの刻印』──科学的合理性はなぜ盲目なのか(J=P.デュピュイ著,西谷 修,森元庸介,渡名喜庸哲訳,以文社,2014年刊)をどう読むか。
 
   司会:稲垣正浩(「ISC・21」主幹研究員・神戸市外国語大学特別研究員)
   質疑応答・・・代表質問(会員)ののち,一般参加者に公開。
 以上。

 なお,一般で参加を希望される方は第二部からお願いします。当然のことですが,事前にテクストをよく読んできてください。かなり難解ですので,そのつもりで。できれば,デュピュイの著作はたくさん翻訳されていますので,そちらにも触手をのばしておいてください。西谷先生のお話のなかに,当然,それらの著作についても触れられると思いますので。

 それから,講演会終了後,会費制による懇親会を予定しています。参加希望者はわたし宛に申し込みをしてください。こちらも座席数に限りがありますので,オーバーした場合には調整をさせていただきます。アドレスは,「ISC・21」のHPにあります。

 以上が,開催要領です。

 講演会開催の趣旨は,わたしの個人的な強い要望によるものです。それは以下のとおりです。

 「スポーツ評論」なるものは世に氾濫していますが,いわゆる「スポーツ批評」なるものはほんのわずかしか存在しません。つまり,スポーツの表層に咲く徒花を「評論」することばかり多くして,スポーツとはなにかという問いを根底にもつ「批評」精神が欠落している,というのがわたしの現状認識です。すなわち,スポーツの語りに偏りがあって,スポーツの内実とは縁遠い騙りものが多すぎるという,わたしの反省が根底にあります。これではスポーツのあるべき姿を見失ってしまいます。つまり,スポーツ本来の互酬性に富んだ攻防や,贈与にも等しい美しさや感動からは遠のいてしまいます。そして,ひたすら勝ち負けだけを追求する勝利至上主義ばかりが闊歩することになってしまいます。

 なぜ,そのようになってしまったのか。スポーツもまた「科学的合理性」を追求するあまりに,スポーツのもつ遊戯性やスポーツ全体を見渡す視力を失ってしまったことに由来する,とわたしは考えています。しかも,科学的合理性から導き出されるロジックのほとんどは「盲目」に等しい,ということを見抜くだけの力量を,こんにちのわたしたちは失ってしまったからだ,とわたしは考えています。その最大の理由は,デュピュイのいう「聖なるもの」に対するまなざしや配慮を,非科学的という名のもとに否定してきた近代合理主義の考え方にある,とわたしは考えています。

 しかし,人間は「聖なるもの」を無視して,あるいは,完全に否定して生きることはほとんど不可能です。むしろ,極限情況の最後の最後のところでは,人間は,まず,間違いなく「聖なるもの」のなにかに向かって「祈り」ます。この「祈り」ともいうべき「自己超越」の「場」こそ,スポーツの原初の姿が立ち現れる「場」ではないか,とわたしは考えています。

 ですから,デュピュイのこのテクストを熟読すればするほど,ことばの正しい意味での「スポーツ批評」の源泉をそこに読み取ることができます。

 デュピュイの主張する「破局」論は,そっくりそのままこんにちのスポーツ競技が陥っている破局(臨界点)にも当てはまります。

 こんなことを考えているわたし(および,わたしの研究者仲間たち)に対して,西谷修先生がなにを語りかけてくださるのか,それが最大の関心事です。デュピュイ自身がそうでありますように,アカデミズムの専門分化した狭い視野から抜け出し,西谷修先生が主張される「チョー哲学」から繰り出される「聖なるもの」の読解はいかなるものなのか,全身を耳にして聞いてみたい,といまから楽しみです。

 そこで,ある意味でのわたし自身の踏ん切りがつけば,これからのわたしの「スポーツ批評」を展開するための土俵ができあがる,と考えています。それはまた,デュピュイも西谷先生も強調されますように,目の前に迎えてしまった「破局」(カタストロフィ)を,少しでも「先送り」するための最後の,そして,唯一の方法であり手段ではないか,とわたしは考えています。

 ですから,わたしは,いまから,ドキドキです。夜も眠れないほど興奮しています。かつて,真島一郎先生が語ってくださった「力としかいいようのない空恐ろしいもの」に間違いなく通底する「聖なるもの」の存在,そして,それがこんにちの科学的合理性の網の目をかいくぐって,現代社会の隅々にまで「刻印」されているというデュピュイの指摘・・・・。

 はたして,西谷修先生は,なにを,どのように語ってくださるのか,期待に胸がいっぱいです。

 こんな関心をお持ちの方がたくさん集まってくださると,とてもありがたい,と仕掛け人としては願っているところです。取り急ぎ,私見のご紹介を兼ねて,7月東京例会のご案内まで。

2014年4月27日日曜日

日本(ヤマト)は沖縄(ウチナァ)から独立せよ。基地の当事者意識に目覚めるために。

 久しぶりに鳥肌の立つシンボジウムを傍聴させていただいた。その功績の多くは,コーディネーターを務めた西谷修さんによるところが大であった。この人はいま絶好調だ。コーディネーターとしての最初の話をはじめたとたんに,7人のパネリストたちの顔つきが変わった。身を乗り出すようにして,西谷さんの方を向き,じっと耳を傾けている。切れ味がいいのだ。

 それはシンポジウムのまとめの話でも同じことが起きた。西谷さんは「戦争」とはなにか,と問いかけ二つの大きなポイントがあるとしてそれを提示した。一つは,戦争とは個人の存在(尊厳)を抹殺して全体に奉仕する仕組みであること。つまり,「個」(人間であること)を消してしまう装置なのだ,と。二つには,人間は戦争をすることはできない,ということ。戦争は突発的にはじまるものであって,気がついたときには「巻き込まれて」いる,そういうものなのだ,と。だからこそ,いかなる理由があろうとも戦争だけは回避しなくてはならない,と。そのための叡知を結集しなくてはならない,と。

 短い,ほんとうに短い時間のなかで(パネリストが7人もいて,この人たちも苦労していた),濃密な話をコンパクトに,しかも切れ味鋭く語る西谷さんのパッションに感動した。このシンポジウムを傍聴してよかった,としみじみ思った。

シンポジウム:沖縄の問いにどう応えるか──北東アジアの平和と普天間・辺野古問題
日時:2014年4月26日(土)午後2時開会
場所:法政大学市ヶ谷キャンパス さったホール
主催:普天間・辺野古問題を考える会(http://urx.nu/7cSD)
共催:法政大学沖縄文化研究所

 プログラムは,大江健三郎(作家),我部政明(琉球大学教授),ガバン・マコーマック(オーストラリア国立大学名誉教授)による三つの講演があって,それを受けてシンポジウムが展開された。こちらは,冒頭に触れたようにコーディネーターが西谷修(立教大学教授),そして,シンポジストに佐藤学(沖縄国際大学教授),島袋純(琉球大学教授),遠藤誠治(成蹊大学教授),川瀬光義(京都府立大学教授),古関彰一(獨協大学教授),西川潤(早稲田大学名誉教授),和田春樹(東京大学名誉教授),という錚々たるメンバー。

 冒頭の講演で,大江さんが「われわれはもはや沖縄から問いかけられてはいないのではないか」というテーゼを提示して,話を切り出し,最後には「琉球独立に向けた新しい時代に踏み出した」ように思う,と結論づけた。つづいて我部政明さんが立ち,沖縄サイドからの「問い」を提示するとすれば,「当事者意識」を持ってほしいのひとことだ,と強烈にアピールした。本土の人間が当事者意識を確保するためには沖縄の基地を軽減して,本土に移転することだと強く訴えた。そして,最後のガバン・マコーマックさんは,「普天間飛行場閉鎖・名護市辺野古への新基地建設に関する声明」(声明①世界の識者と文化人による,沖縄の海兵隊基地建設にむけての合意への非難声明,署名人には,ノーム・チョムスキー,ジョン・ダワー,ナオミ・クライン,オリバー・ストーン,などの著名人が名を連ねている)を発進するにいたった経緯について語ってくれた。そして,アメリカ政府の「対日政策委員会」の内部でも,「辺野古移転計画は現実的ではない」という議論がなされている,と力説。

 つづいてシンポジウムに入る。
 シンポジストの選定と時間配分がよかったので,じつに内容の濃い問題提起がつづいた。シンポジスト全員の発言を紹介するだけの余裕はもはやないので,なかでももっとも強烈にわたしの印象に残った島袋純さんのお話の骨子だけを書いておきたいと思う。

 島袋さんはいま,「オール沖縄の再結集」という運動を展開していて,その輪が次第に大きくなりはじめている,と現状を報告。これまでの「立憲主義」に寄り掛かった運動の限界を突き抜けていくために,住民一人ひとりの「人権」を守ることから運動を立ち上げるにいたった経緯を熱く語る。つまり,運動の原点に立ち返って,新たな沖縄(琉球)の再構築のために「オール沖縄の再結集」を呼びかけ,「建白書」を提出することをめざしている,と。この運動は「沖縄独立学会」とも連動しながら,これからの新しい沖縄(琉球)を模索していく,という。そして,現段階では「日本国は琉球国から独立すべきだ」という主張を展開している,と。そして,日本国が琉球国に基地依存をつづけて平気でいられること自体が,日本国の最大の「病理」だ,と断じた。

 この最後のことばを聞いて,わたしは全身に電撃が走った。そうか,「病理」なのだ。そのことすら気づかずに日常の中に埋没してしまっている。この状態こそが,わたしたちヤマトの人間にとっての最大の「病理」なのだ。しかも,その「病理」から脱出するには,琉球国からの日本国の分離独立しかない,と。

 琉球国の日本国からの分離独立ではない。日本国こそが琉球国からでていけ,ということだ。そのとき,初めて日本国を成り立たせるにはどうしたらいいのか,ということに気づく。つまり,基地問題を当事者として考えはじめる契機となる。それしか「薬」はない,と。

 この話に共振したのか,和田春樹さんは,単刀直入に「わたしは沖縄の人に抱きつきたい」と言い切った。コーディネーターの西谷さんも,この話と和田さんのことばに強く共鳴し,最後のまとめの話のなかに盛り込んだ。

 夕闇迫る外壕の土手道を「抱きつく」「抱きつく」とつぶやきながら,沖縄からの自立ということをこれまで深く考えてこなかったわが身を恥じた。「抱きつく」ことも忘れて。美味しいところだけをご馳走になって,あとは無視。「贈与」の精神に悖る。情けない,と。

 戦後70年を経て,いま,ふたたび沖縄が大きな転機を迎えている,しかも,日本国最大の危機とともに(西谷修)。

 時あたかもバラクがやってきて,尖閣諸島は安保条約の第5条に相当すると断言し,その上で「集団的自衛権の行使」を支持した。となると,シンゾウ君は喜び勇んでつぎの行動にでるだろう。その延長線上には,沖縄の米軍基地は,時を待たず「日米軍基地」となり,ついには「日本軍基地」となりはてるだろう。「自発的隷従」を恥じとも思わないシンゾウ君なれば・・・。しかし,あまりにやりすぎると,バラクの思惑とは逆方向に向かうことになるので(すでに,そのような危惧を抱いている),ひょっとしたら,シンゾウ君そのものがバラクによって切って捨てられる日も遠くないのでは・・・と勘繰ったりもしている。

 それにしても,わたしにとってはとても熱くなる,稔り多いシンポジウムであった。コーディネーターの西谷さんにこころから感謝したい。