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2015年12月29日火曜日

「アメリカ様」からの攻勢。辺野古移設反対運動に追い風。新展開。

 12月28日(月)の東京新聞一面トップに,写真のような記事が掲載されました。辺野古の反対運動に,意外にも「アメリカ様」からも支援の輪が広がりつつある,というのです。これにはいささか驚いています。

 
もっとも,最近の辺野古の反対運動には,アメリカ軍の退役軍人が駆けつけて,ゲート前で気勢を挙げているという情報もあり,少しずつ情況が変わりつつあることは承知していました。しかし,今回のこの情報は,アメリカ本国の地方議会が辺野古移設反対決議をし,その輪が広がる気配だというものです。

 新聞記事によりますと,ことしの9月に,アメリカ・西海岸のサンフランシスコに隣接するバークリー市の議会が反対決議をし,アメリカ政府に対して「環境や人権の面で法律に基づいた措置を取るよう要求し,米政府が移設問題の当事者であり,責任もあることを認めた」とあります。そして,12月21日にはアメリカ東海岸のボストンのすぐ近くのケンブリッジ市議会も反対を決議したとのことです。

 こうした動向は,沖縄とアメリカ・バークリーを結ぶ女性団体の努力が実を結んだものだ,といいます。その団体とは,バークリーやサンフランシスコを拠点とする「真の安全保障のための女性の会」(WGS)で,教師や学生,主婦らで組織されているといいます。この団体がバークリー市議会の諮問機関「平和と正義の委員会」をとおして決議採択を市議会に働きかけた,といいます。

 
それに対して沖縄は,平和団体「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」を1995年に発足させ,翌年の96年には訪米して基地問題を訴え,それ以来,WGSと連携して運動を展開。交流の輪はさらに広がり,このふたつの団体は,韓国,フィリピン,米自治領プエルトリコなど,米軍基地が社会問題化した地域の平和団体とネットワークを形成している,といいます。

 なお,アメリカの女性団体・WGSは,サンフランシスコ市議会にも,同様の決議採決をするよう働きかけている,とのことです。こうした輪が広がりはじめると,最終的には「アメリカの政策決定者を動かすことができる」と,ケンブリッジ市議会で反対決議を提案したナディーム・マゼン市議は語っている,とのことです。

 日本の国内でも,地方議会が辺野古移設に反対する決議を採択した,という情報が聞かれるようになってきています。

 こうした動向は,日米両政府が強気で推し進めている辺野古新基地建造計画に,なみなみならぬ影響力をもつと考えられます。少なくとも,沖縄県民だけにもたれかかった反対運動を勇気づけ,さらに新しい展開をもたらすことになるという点で,大いに注目したいとおもいます。

 民主主義とはなにか,が真剣に問い直される時代にあって,日米両政府は厳しい立場に追い込まれていると言っていいでしょう。わたしたちもまた,ひとりの国民として,しかるべき行動をとり,意思表明をしていくことが不可欠となってきました。真の民主主義を確保するためにも,これからが正念場となってきました。

 一人ひとりの小さな力が集って,初めて大きな力となる,この自明のことを地道に展開する以外にはありません。できるところで,できる範囲の努力をつづけたいとおもいます。

2015年12月1日火曜日

いま,辺野古では国家(=アベ政権)による「暴力」が野放しにされている!!

 いま,辺野古では,連日,国家による「暴力」が野放しにされたままになっている。早朝から,おじい,おばあたちが座り込みをして,裁判の結果がでるまでの間の,工事の中止を訴えている。それを,問答無用とばかりに,本土から送り込まれた機動隊が情け容赦なく「ごぼう抜き」にして排除し,工事をつづけている。なかには怪我人もでて,救急車で病院に運ばれる人もでている。無抵抗の「非暴力」の座り込みをしている老人たちを。

 一方,辺野古の海では,海上保安庁の保安員たちが,小さなカヌーを漕いで抗議している沖縄県民の人びとを海に突き落とし,海中に頭を押さえつけたりして,過剰な警備(=暴力)を行っている。カヌーを漕いでいた人に「死ぬかとおもった」と言わせるほどの,しつこい「暴力」である。こんなことが国家の名のもとで平然と行われている。

 これらの「暴力」行為は,連日,写真入りで,『琉球新報』や『沖縄タイムス』では大きく取り上げられ,詳細に報道されている。沖縄県民にとっては大問題となっていて,日本政府に対する不信感はますます増大するばかりだ。知らぬは本土でのほほんと平和惚けした生活を送っている本土のヤマトンチュだけである。

 なぜか。本土の大手メディア(全国紙,テレビ,など)は,この事実を一切無視して,蓋をしたまま伝えていないからだ。日本政府にとって都合の悪い報道をすると「偏向報道だ」と,すぐに政府自民党から強烈なプレッシャーがかかる。そのプレッシャーのかけ方も,日毎に露骨になってきている。この事実すらもほとんど報道されてはいない。しかし,SNSでは,大問題になっていて,大きな論議を生んでいる。

 テレビからは,名だたる評論家(正論を吐く人)たちが,つぎつぎに姿を消している。そして,政府自民党の都合のいいことしか言わない人だけが,テレビや新聞で生き残っている。いま,テレビに登場している評論家・解説者の部類は,すべて政府自民党の代弁者にすぎない。消された評論家たちはどこにいったのか。みんな,SNSで,FBやブログをとおして激しく抗議の声をあげている。多少の温度差はあるものの,それぞれの立場から,しっかりとした根拠を提示して,激しく政府自民党を批判している。

 しかし,残念ながら,SNSの情報とは無縁の生活を送っている人たちが,圧倒的多数を占めているのが現状だ。だから,アベ政権の支持率が,いまごろになってまたぞろ上がってきているという。この調査の方法も結果も怪しいものだが・・・。こうして,アベ・ファシズムはとどまるところを知らないまま,ますます凶暴化し,暴走しはじめている。

 ただ,唯一の救いは,若者たちの圧倒的多数は,新聞(全国紙)やテレビから離脱し,SNS情報に傾斜しつつあるということだ。選挙権が18歳までさがったけれども,この若者たちのうち,選挙権を重く受け止めている若者たちは,もっぱらSNSをとおして情報を収集し,真面目に勉強しているという。これもまた救いのひとつだ。こういう若者たちの輪が広がっていくと,これまでの選挙行動とはまた違った新しい展開が期待できそうだ。

 いま,辺野古で繰り広げられている「暴力」に対しては,さまざまな分野からの新たな批判が生まれていることも救いのひとつだ。たとえば,昨日(11月29日)は,日比谷野外公会堂では抗議集会が開かれ,そのあと銀座に向かって4500人がデモを繰り広げている。この情報を沖縄2紙は,一面トップにカラー写真つきで大きく取り上げている。辺野古のキャンプシュワブの抗議現場には,加藤登紀子や大江健三郎さんなどの著名人も応援にかけつけている。アフリカ・セネガルからやってきたヒップホップ集団<クルギ>も現場に駆けつけ,抗議の声を挙げている。アメリカの上院議員が辺野古で起きていることは,アメリカにもその責任の一端がある,とアメリカの新聞で発言したことも沖縄2紙で報じられている。また,アメリカの最大手の労働組合も,正式に抗議声明を発表した,という。その他,外国の学者・有識者たちの集団もまた,抗議声明を出している。

 こうした情報もまた,SNSでは,ごくふつうに流れている。もちろん,沖縄2紙(『琉球新報』と『沖縄タイムス』)では,いつも大きなニュースとして報じられている。これらの情報をまったく無視して,流そうとはしないのは本土のメディアだけである。いまや,本土は完全なる情報管理社会と化している。日々,戦時体制にますます近づいている。おまけに,「共同謀議」を取り締まる法案を議会にかける準備までしているという。こうなったら,もはや,おしまいである。

 アベ政権は,完全に,戦争をやる気でいる。そのための言論統制の備えを着々と進めているとしかいいようがない。だから,辺野古で野放しにされている「暴力」などは,アベ政権にとっては当たり前のことをやっているだけだ。これから,もっと厳しく取り締まる,そういう体勢に入りつつある。沖縄の離島にも自衛隊基地を増設したり,ミサイルの発射基地をつくろうとしていたり,矢継ぎ早やにつぎからつぎへと新手を繰り出してくる。

 70年前の戦争を記憶しているわたしとしては「恐ろしさ」で「からだがふるえる」思いである。だから,なんとしてでも辺野古の工事はストップさせなくてはならないし,基地廃絶に向けてわずかに残る命を役立てる以外にはない。そして,憲法9条を旗印にして,世界に向けて「不戦」を呼びかけ,「非暴力」こそが最大の「武器」であることを訴えていかなくてはならない。

 いま,それをしないで,いつ,可能なのか。気持ちばかりが焦ってくる。まずは,声を挙げていこう。できるところから。

2015年11月1日日曜日

いま,辺野古では連日たいへんなことが起きています。

 11月1日(日)。秋晴れ。いよいよ秋たけなわ。昨日はハローウィンで仮装した人たちが渋谷の駅周辺に集まり,大賑わいだったそうです。これからクリスマスに向けて,にわかクリスチャンのシーズンのはじまりといったところ。一見したところ,世の中,なにごともなく平和そのもののようにみえます。が,はたしてそうでしょうか。この見せかけの平和の影で「泣いて」いる人たちがどれほどいるか,と考えるとわたしのこころは晴れません。

 そのうちのひとつ。沖縄・辺野古では,連日,たいへんなことが起きています。沖縄2紙は,連日,一面トップでこの情報を大きく取りあつかっています。もちろん,沖縄のテレビ,ラジオも,毎日,辺野古で起きているありのままの情報を県民に「丁寧に」伝えています。ですから,沖縄県民の多くの人たちが,日を追うごとに露骨に酷くなっていく「沖縄差別」を,からだの痛みとして感じとっています。

 なのに,本土に暮らすわたしたちはどうなのでしょうか。

 「政治的中立」を謳うNHK  は一切無視して,ひとこともこの問題に触れようともしません。そして,このNHKに見習うかのごとく,テレビ局の多くも,ほとんど辺野古問題をスルーして取り上げません。読売,朝日,毎日,日経,などの全国紙も大同小異です。かろうじて,東京新聞をはじめとするいくつかの地方紙が頑張っている程度です。最近では,「日刊ゲンダイ」が大活躍していて,着実に読者を増やしているようです。

 本土のマスコミ,ジャーナリズムがこの体たらくに乗じて,アベ政権は「無法」状態をつくりだし,東京砂漠を「暴走」しつづけています。「丁寧に説明する」と口約束だけしておいて,野党の要請があったにもかかわらず臨時国会は開かず(憲法違反),中国包囲網構築と称して,アジア諸国に金をばらまいて歩いています。国内にはもっと税金を注ぎこんで対応しなくてはならない喫緊の課題が山積しているというのに・・・。

 国民の眼を外に向けさせておいて,その間に,辺野古では眼を覆うばかりの暴力的な警察権力がまかりとおっています。90歳を越えたおばあたちと一緒に座り込みをしていた参議院議員(糸数さん)をも,ゴボウ抜きにして排除しています。おばあたちが「痛い,痛いっ!」と叫んでいるにもかかわらず,一切無視して引きずっていきます。もはや,手段を選ばずといった暴挙が平気で行われています。しかも,工事再開そのものが違法です。きちんとした法的手続すら踏まずに,見切り発車をしています。

 なんといったって,沖縄防衛局を公人ではなく,一私人と見立ててまでして,法を悪用することを政府が率先しておこなっている,それがアベ政権のやっていることです。つまり,防衛局をわざわざ一人の国民とみなして国土交通省に訴えをさせ,翁長知事の工事差し止め要請を破棄させるという,仲間うちの「替え玉」を使っての「猿芝居」まで演じなくてはならないほど,もはや,追いつめられているというわけです。これは「替え玉受験」そのものです。もはや,正攻法で攻める手はない,ということをアベ政権がみずから露呈しているようなものです。まだまだ,アベ政権は,もっともっと見苦しい「猿芝居」を演じないと辺野古の工事を進めることはできません。

 これからアベ政権がいかなる「猿芝居」を演じて,人びとの関心をすり替えていくのか,大いに注目していきたいとおもいます。もはや,見るに耐えないほどのお粗末なお芝居が展開することになっています。予告しておきます。どうぞ,みなさんご注目を。

 そして,そこで演じられていることがらの本質はなにか,そこをお見逃しなきように・・・・。

2015年10月24日土曜日

「日本の中央政府はイカれている」(佐藤優)。

 10月23日(金)の東京新聞「本音のコラム」で,佐藤優さんがきっぱりと言い切っています。これを読んで,わたしの胸のつかえがすーっとおりていきました。

 「国家機関の申し立てを身内の国家機関が判断するのだから,結果はあらかじめわかっている。こんな茶番劇で新基地建設を強要できると考えている中央政府はイカれている。」

 
そう,翁長沖縄県知事が,辺野古の埋め立て承認を取り消したことに対して,防衛省沖縄防衛局が,不服審査請求と取り消しの効力停止を,同じ政府の国土交通相に申し立てた件の話です。言ってしまえば,防衛省がやっていることに対して,沖縄県が文句を言ってきたので,仲間うちの国土交通省にその判断を求めて決着をつけようとしている,という小学生でも笑ってしまうような茶番劇というわけです。

 こんな茶番劇で,お茶をにごして,辺野古埋め立てを「正当化」して,強行突破しようとしているのですから,佐藤優さんのみならず,だれしも「中央政府はイカれている」と,腹立たしくおもうのは当たり前でしょう。

 しかも,この手続は違法だと多くの法律の専門家たちは主張しています。佐藤優さんも指摘していますように,行政不服審査法は,第一条で目的を「国民の権利利益の救済を図る」と明記されているのです。ですから,政府や地方自治体などの行政機関同士の紛争を対象とした法律ではありません。それを無理矢理,防衛省を「私人」と見立てて,この手続は正当であると主張しているのです。いつ,だれが,防衛省のやることを「私人」の場合と同じだ,と(ワル)智恵をつけたのでしょう。こういう詭弁を用いるのは高級官僚の,それもエリート官僚のやりそうなことであって,並の政治家ではここまで頭がまわりません。自分の出世や天下りのためには,あらゆるワル智恵を働かせるのがエリート官僚の「本能」のようなものです。

 そのワル智恵のしり馬に乗って,のうのうと政治権力を振り回すのが,悪党の政治家たちです。その先陣を切っているのか,アベルフ・シンドラーだというのですから,もはや話になりません。佐藤優さんではないですが,「中央政府はイカれている」としかいいようがありません。

 しかも,佐藤優さんは,この短いコラムの最後のところで,きわめて重大な予告をしています。
 「日本の中央政府が,沖縄県の決定を茶番劇で覆そうとするならば,沖縄では,差別が構造化された日本法に対する不服従運動が起きる」と。それも,きっぱりと断言しています。わたしの,あまり多くはない沖縄情報からしてみても,不服従運動が起きる可能性はきわめて大である,とおもいます。それどころか,沖縄独立論に火がつくのではないか,とすら考えています。

 相撲でいえば,「猫騙し」のような手で目くらましをかまし,勝ち星を稼ごうなどという政府は,あまりに幼稚で,甘いとしかいいようがありません。やはり,国家の命運をあずかる政府としては,「イカれている」以外のなにものでもありません。

 情けないかぎりです。だれが? われわれ国民の意識の低さが。政府に舐められてしまう無抵抗ぶりが・・・・。なんとも情けないかぎりです。もっともっと声を出して,意思表明をしていかなければなりません。SEALDs の若者たちのように。

 安保関連法案は通過してしまいましたが,いまのアベ政権は臨時国会も開けないほど腰が引けています。国会前で声をあげ,デモをしたことが,かなりのカウンター・ブローとなって効いている証拠です。これからも手綱を緩めてはなりません。これから,もっともっと抗議行動を持続させ,盛り上げていくことが重要だとしみじみおもいます。

2015年8月21日金曜日

わかりました。沖縄県知事応接室の「びょうぶ」のこと・第二報。

 早速,複数の方から情報が寄せられました。ありがたいことです。自分で調べればいいのに,手抜きをしてしまいました。

 まずは,もっともオーソドックスな情報。
 それは,沖縄県庁のHPに掲載されているとのことです。すぐに開いて覗いてみますと,なるほどという情報が載っていました。それによりますと,つぎのようです。

 まず最初に目に飛び込んできたのは,一番知りたかった「びょうぶ」の詩文の全文です。わたしが感動した「びょうぶ」の全体が一目瞭然です。なるほど,これが全体像か,とまたまた感動してしまいました。部分だけであれだけの雰囲気を醸しだすだけの力のある書の,これが全体像か,と。やはり,全体を眺めてみると,ますますその迫力が伝わってきます。そして,気がつくといつのまにか一字,一字,じっと見入ってしまっていました。ところどころ意味不明なところもありますが,それでも,なんとなく言っていることの意味は伝わってくるから不思議です。

 
「琉球国は南海の勝地にして・・・・」という冒頭の文言をみるだけで,これは琉球国時代の理想を掲げた一種の決意表明に違いない,と。そして,四行目には,「舟揖をもって万国の津梁となす」という有名なフレーズもはっきりと読み取ることができます。なるほど,翁長知事がしばしば引用する「津梁の精神」はここからきているのだ,ということも納得。

 この「びょうぶ」につづいて,ご丁寧にも,ごく簡単な読みくだし文も掲載されています。これを追っていけば,さらに,その内容のイメージが湧いてきます。

 
 
そして,そのあとには,つぎのような説明がなされています。

 この詩文は,「万国津梁の鐘」に刻まれているもので,それを書家が「びょうぶ」にして寄贈したものだ,とあります。この鐘は,1458年,琉球王国の尚泰久(しょうたいきゅう)王が鋳造させて,首里城正殿に掲げてあったものだ,といいます。そして,「万国津梁」とは,世界を結ぶ架け橋の意味である,と。

 さらに,中日新聞には以下のような解説が掲載されている,という情報もいただきました。

 「びょうぶ」は第一応接室と第二応接室の両方にあるそうで,違う書家のものが飾ってあるとのことです。第一応接室(翁長知事と中谷防衛相が対談した部屋)には,2012年に沖縄の書家の茅原南龍(ちはらなんりゅう)氏が寄贈したものが飾られていて,その大きさは,高さ216㎝,幅344㎝だそうです。わたしが感動したのは,こちらの「びょうぶ」の書でした。

 第二応接室には,1995年にやはり沖縄の書家・豊平峰雲(とよひらほううん)氏によって寄贈されたものが飾ってあるとのことです。こちらの「びょうぶ」も沖縄県のHPにはアップされていますので,自分の目で確認することができます。こちらも立派なものです。が,やや,書体が違っていて,微妙に雰囲気が異なります。

 わたしの好みとしては,第一応接室にある茅原南龍氏の書体の方が好きです。たぶん,翁長知事もそうであるらしく,茅原氏の「びょうぶ」を第一応接室に飾っているのでしょう。政府要人を迎えての対談をするには,この「びょうぶ」の威力をも借りたい,そういう思い入れもあるようにおもいます。それほどに重要な役割を,この「びょうぶ」ははたしている,とわたしは受け止めています。

 なお,この詩文は,相国寺の渓隠安潜(15世紀の仏僧)の手になるものであることが,「びょうぶ」の最後のところに書かれています。

 中日新聞はさらに,つぎのように報じています。

 「万国津梁の鐘」は1978年に国の重要文化財に指定され,沖縄県立博物館・美術館(那覇市)に展示されている。
 沖縄県庁秘書課は「びょうぶの文章は十五世紀中葉の琉球の海外貿易と県民の気慨を表現している。世界と交流し,ともに支え合う平和で豊かな「美(ちゅら)島」を実現しようとの県の目標にも沿っている」と説明する。

 この説明は,わたしの胸にぐさっと刺さるものがありました。なぜなら,わたしが沖縄を理解する上で,あまりに無知で,上っ面しかわかっていない,と忸怩たる思いをいだいていましが,こういう気慨を沖縄県民が共有しているというところから,ものごとを考える必要がある,と気づいたからです。沖縄県民の「根」のひとつが,こういうところにも伸びている,と。

 いい勉強になりました。情報を提供してくださったみなさん,ありがとうございました。これからも,よろしくお願いいたします。

 〔追記〕書家の茅原南龍氏と豊平峰雲氏については,ネットに詳しい情報が流れています。いずれも,沖縄書道界の重鎮です。書体の違いも,ほかの作品を見比べてみますと,よりはっきりしてきます。ちなみに,茅原南龍氏は76歳,豊平峰雲氏は73歳で,いずれもご健在です。こんど沖縄に行ったら,茅原南龍氏の作品を存分に堪能してみたいとおもっています。

2015年8月5日水曜日

辺野古,一カ月の休戦。政府と沖縄県とが話し合い。いったい,なにが起きたのか。

 突然の政府自民党の方針変更である。あれほど,辺野古の工事は日米合意にもとづき粛々と進める,裁判闘争も辞さない,という強行姿勢を貫いていた政府自民党の,突然の妥協策の提案である。いったいその背景にはなにがあったのだろうか。

 翁長沖縄県知事の方は,辺野古工事認可の取り下げ(第三者委員会の結論)をちらつかせ,かつ,8月下旬には国連人権委員会での演説を控えている。辺野古に関しては,「県外移設」をかかげ,一歩も引かない姿勢を貫いている。アメリカにもでかけロビー活動も展開してきた。日本のメディアはほとんど相手にされなかったと報じたが,じつは,アメリカ議会の要人たちのこころを動かした,という報道がアメリカではなされていたという。

 日本政府が日米合意を楯にして,強引に辺野古新基地建設をすすめていけば,日本政府のみならず,アメリカ政府もまた沖縄県民の民意を無視する人権問題に加担することになり,国際的な批判を受けることになりかねない。それほどに,沖縄県が張りめぐらせてきた外交戦略は,ここにきて徐々に功を奏しているようだ。

 しかも,アメリカにとって沖縄の米軍基地はもはやそれほど重要ではなくなってきている,という観測も聞かれるようになってきた。しかも,沖縄に米軍基地を置くことによって,不必要な緊張を生みだすのはアメリカにとっても百害あって益少なし,とも言われている。ましてや,抑止力としての機能はまったくはたしていない,というのがアメリカの軍事専門家たちの意見である。

 これまでにも,米軍基地を沖縄から引き払うという提案はアメリカ側から複数回にわたって提案されてきた経緯もある。しかし,そのつど,日本政府は沖縄に米軍基地を置くことを「懇願」し,こんにちにいたっている。いまでも,海兵隊はグアムに引き上げたい,というのがアメリカの本音だという。それを「阻止」しているのは「アベ政権」だ。

 いまも,「戦争法案」の審議中に,しばしば,南シナ海や尖閣諸島を引き合いに出して,危機意識を煽り,ここに睨みを効かせているのは米軍基地であり,米軍による抑止力なのだ,と繰り返し答弁している。これもまたアベのでっちあげたご都合主義の演出にすぎない。しかし,野党議員たちのシンク・タンクがお粗末なために,このまやかしを論破することができないでいる。情けないかぎりである。

 なにがなんでも「戦争法案」を押し通そうという折も折,突然,辺野古の工事を一カ月中止して,政府と沖縄県との話し合いをしようという。いったい,なにごとがあったというのか。

尋常一様ではない,なにかが起きている,とみるのが自然だろう。アベ政権がもっとも素直に行動を起こすのは,アメリカ政府の意向だ。これまでのアベ政権の実績がそれを証明している。もうすでに一カ月も前から水面下の交渉はつづいていたという。

 もっとも,アベ政権支持率の低下の歯止めがなかなかうまくいかない。新国立競技場の「白紙撤回」も,「当たり前だ」と受け止められ,さして効果はでていない。そこに,辺野古の1カ月休戦だ。もっとも素直に考えてみれば,政府与党の苦肉の策で,やはり支持率回復が念頭にあるのでは・・・・というのが大方の推測だ。しかし,こんな後手,後手の,とってつけたような対策で支持率が回復できるとおもっているとしたら,なんと甘いことか。

 ここはやはり,アメリカからなんらかの指示があって,それを受けてのアベ政権の方針転換(それが一時的なものであれ)ではないか,というのがわたしの見立てである。

 この一カ月,どのような推移をたどるのか,みものではある。そして,メディアがどのように報道するのかも,みものである。とくとお手並み拝見というところ。

 沖縄県民の期待は否が応でも高まること間違いなしなので,アベ政権が打つ手を間違えると,命取りになりかねない。その他にも,ヒロシマ,ナガサキ,敗戦記念日,という重要なイベントがつづき,政局も重大な局面を迎えている。目覚めた国民の意思表明も次第に熱くなってきている。この夏は,日本国の命運をかけた「関が原」の戦いになるだろう。その意味でも,あだやおろそかに無為の日々を送ってはならない,と気が引き締まる。

2015年6月27日土曜日

「みるく世(ゆ)がゆやら」。知念捷君(17)の詩の朗読に感動。

 6月23日の「慰霊の日」に挙行された追悼式で,自作の詩を朗読した知念捷君(17)の印象が鮮烈だった。随所にちりばめられた琉球語はまったく理解できないのに,なぜか,わたしのこころの奥深く染み込んでくる。だから,いまも,時折,YOUTUBEで,繰り返し知念君の詩の朗読の部分だけに,じっと耳を傾ける。不思議なことに涙が流れてくる。

 なにがなせるわざなのだろうか,と考えてしまう。これは理屈を超えている。理性の手のとどかない次元の問題だ。人間のこころを打つのは,その次元だ。

 知念君の落ち着きはらった,清々しい態度,顔,透きとおった声,あふれくる感情を抑制しつつ,そこに深い思いをこめる詩の朗読。そして,その途中に織り込まれた「琉歌」。意味はなにもわからないのにわたしのこころを「ぐいっ」と鷲づかみにする。そして,陶酔させられてしまうその声,旋律。なにが起きているのだろうか,とわが耳を疑う。しかし,まぎれもなく遠いどこかにわたしをまるごと誘ってくれる。そして,ふたたび詩の朗読にもどる。

 まるで浦島太郎のような気分だ。

 この知念君の詩の朗読を聞いてしまうと,翁長知事の静かな気魄のこもった平和宣言も,どこか霞んでしまう。なぜか。それは理性のレベルでの深い感動と共感をともなうものではあるが,それ以上ではない。よくぞここまで覚悟を決めて言い切ってくれた,という感動と共感のレベルなのだ。ましてや,アベ君の祝辞は,まったくとってつけただけのことばの羅列を,ただ,朗読するだけだ。そこに人間としての気持が籠もっていない。だから,「戦争屋,帰れ!」と怒声がとぶ。それにうろたえ,泳いだアベ君の眼だけが印象的だった。唯一,人間アベが露呈したからだ。

 やはり,詩のもつ力,琉歌に籠められたさまざまな情感,言ってしまえば芸能の力,これに勝るものはない。それを,また,みごとに演じきってみせた知念君の力量。恐るべし。だから,何回,聞いても,そのつど新たな感動をよぶ。不思議な力が満ちあふれている。

 このときの様子を,沖縄タイムスがネットをとおしてつぎのように伝えている。あまりの名文なので,そのまま書き写しておく。(沖縄タイムス,6月24日 06時00分配信)。

 鎮魂の思いを込めた古(いにしえ)の歌が夏の風に乗り,人々の胸に届いた。

 「戦世(いくさゆ)や済(し)まち みるく世(ゆ)や やがて嘆(なじ)くなよ臣下 命(いぬち)ど宝」

 追悼式で自作の平和の詩「みるく世がゆやら」を朗読した与勝高校3年知念捷君(17)。第1連の琉歌は,「つらね」と呼ばれる独特の節をつけて歌い上げた。凛(りん)とした響きに会場は一気に引き込まれ,呼応するように指笛や拍手も起きた。

 「琉歌には沖縄の人の悲しみも喜びも,価値観もアイデンティティーもすべて含まれる。心に伝わるものがあったらうれしい」。琉球舞踊などの素養があり,「緊張することなく思いを表現できた」と涼やかな笑顔で話す。

 詩では「みるく世がやゆら(今の世は平和でしょうか)」との問いかけが静かに繰り返される。参列者はうなずいたり,目を閉じたりしながら,思いを巡らせている様子だった。

 試作に駆り立てたのは,戦争で夫を失った祖父の姉の姿。会場には,同じような年代のお年寄りも多数詰め掛けた。「戦争が終わってから70年たっても,悲しみを背負っている人がこんなにいると感じた。少しでも寄り添いたい」と誓う。

この記事を読みながら,わたしはふたたび涙する。沖縄にはこんな文章の書ける記者がいる。持ち合わせているハートが違う。沖縄の底力,恐るべし。高校教員や県庁の役人や新聞記者のなかから芥川賞作家や詩人がいくらでも輩出する地力が沖縄にはある。芸能人,しかり。知念君もそういう系譜につらなる逸材に違いない。

 だから,わたしは魅せられてしまうのだ。もう一度,繰り返すが,それは理性の力ではない。芸能の力だ。

2015年6月23日火曜日

6月23日「沖縄全戦没者慰霊の日」。沖縄タイムス,毎日,東京の3紙を読み比べてみてびっくり仰天。

 沖縄タイムス,毎日,東京の3紙に見られるこの温度差はいったいなにか。開けてびっくり玉手箱・・・・というほどの驚きである。

 沖縄タイムスが,ほぼ全紙面にわたって「慰霊の日」関連記事で埋めつくしたのに対して,毎日も東京も眼を皿にして記事を探してようやくほんのわずかな情報を見つけることができるにすぎない。沖縄と本土のこの温度差は,もちろん,ある程度の予測はできたことだとはいえ,それにしてもひどすぎる。

 6月23日。沖縄のすべての戦没者を慰霊する日。

 3月26日の渡嘉敷島への米軍による沖縄戦の戦闘開始,そして,4月1日の沖縄本島への上陸作戦の展開,北谷町にはじまり首里城をめざして南下する米軍の作戦は,当時の最新兵器であった火炎放射器を用いて,あたり一面を焼け野原にする殲滅作戦だった。「ありったけの地獄をひとつにした」首里北方の前田高地の壮絶な戦闘を体験した外間守善さんの手記(『私の沖縄戦記』)が,わたしの脳裏から離れない。しかも,外間さんは敗戦を知らないまま9月までゲリラ兵として戦いつづけていた,という。

 このわずか半年足らずの間に,20万人余の人たちが命を奪われたのだ。しかも,尋常一様の死に方ではなかった。この悲惨な事実については,すでに,多くの媒体をとおして多くの国民の知るところだ。だから,ここでは繰り返さない。

 あれからことしで70年。節目の年だ。

 その重さを配慮してか,総理大臣,衆参議長,関係大臣,それに駐日米国大使,などいつもにも増して多くの要人がこの式典に参列し,挨拶をした。全式典の模様はYOUTUBEでみることができる(約1時間30分)。簡潔にして要を得た翁長知事による平和宣言を聞いたあとの,総理のむなしいことば遊び,衆院議長の漢字の誤読(おそまつ),などは聴くに耐えないものだった。

 そして,なにより光ったのは高校生による自作詩の朗読だった。詩の内容もさることながら,感情を抑制した朗読の説得力,詩の途中に織り込まれた歌唱力,などなど,わたしは強烈な印象をもった。こういうところにも,沖縄の底力が溢れている。芸能界に多くの人材が輩出する土壌が透けてみえてくる。つまり,まっとうな「人間」が育っているということだ。それは,ものの豊かさとは正反対のこころの豊かさがもたらす力だ。

 さてはて,明日の新聞各紙が,この模様をどのように伝えるのか,興味津々。

2015年6月21日日曜日

沖縄のことを語りたかったら,まず沖縄の新聞を読め。そして沖縄のラジオを聞け。まるで別世界だ。

 テレビや新聞で,沖縄のことをさも熟知しているかのように,しかも高みから,平然と論評するヤマトの評論家や知識人のなんと多いことか。わたしは,そのたびに,吼えている。もっと勉強してからものを言えっ!と。かく申すわたしとて,沖縄のことについては,まだまだうぶな初心者だ。にもかかわらず,たった一年余ながら,『沖縄タイムス』を読みつづけただけで,沖縄観がひっくり返り,世界観までひっくり返ってしまうほどの衝撃を受けた。

 本土に生まれ育ち,本土で得られる沖縄情報だけで構築される沖縄観が,いかに歪で,間抜けたものでしかなかったのか,このことをこの一年余の『沖縄タイムス』を読みつづけることによって,痛いほど知った。そして,ときおり,耳を傾ける沖縄のラジオから流れてくる不思議なテンポの会話を聞きながら,まだまだ,なにもわかってはいない,ということを思い知らされる。

 もう,ずいぶん前のことになるが,沖縄の写真家・比嘉豊光さんと,沖縄をこよなく愛し,沖縄のことを知りたいとおもっている本土の若者たちと徹夜で飲んだことがある。豊光さんも相当に酒量がかさんでいたこともあってか,とつぜん「お前らに沖縄のことがわかってたまるかっ!」と吼えて,号泣したことがあった。わたしたちはだれも手も足も出せないまま,静まり返ってしまった。ひと泣きしたあと,豊光さんは,そのままうっ伏して眠ってしまった。

 そのあと,残されたわれわれだけで,豊光さんの真意はどこにあったのだろうか,という話になった。たぶん,こうではないか,ああではないか,というとりとめもない話に終始した。が,結局は,だれもが納得できるもっともらしい回答は得られなかった。

 しかし,いまにしておもうと,ほんの少しだけ豊光さんの気持がわかってきたようにおもう。それは新聞をとおして学んだことも多いのだが,それ以上に,ラジオをとおして伝わってくる沖縄のひとたちの情感だった。つまり,その情感のよりどころが,本土のわたしたちのそれとはまったく違うということだ。それは,端的に言ってしまえば,ことばのイントネーションや沖縄独特の言い回しにあると言ってよいだろう。

 それは,たとえば,わたしで言えば,愛知県豊橋市の育ちなので,情感を籠めた語りとなれば「三河弁」をおいてほかにはない。もはや,法事のとき以外には「三河弁」と接する機会もほとんどなくなってしまったが,それでも「三河弁」を聴くとほっとするものがある。それは,高校を卒業するまで,どっぷりと浸りこんでいた「三河弁」の世界に,一瞬にしてもどることができるからだ。そして,なにより気持が安心するし,温かいものがからだの中を流れはじめる。この情感に支えられた「世界」は,ほかの地域とはまったくの別世界だ。

 これと同じことが,沖縄にも当てはまる,と考えればわかりやすいかもしれない。それでも,まだまだ,とても説明しきれてはいない。つまり,わたしたちが想像する沖縄とは,まったく別の世界がそこには存在しているのだ。豊光さんに言わせれば,そんなものとも,もっともっと違う世界が沖縄には広がっているのだ,と。そして,それをウチナンチュはきちんとからだごと共有しているのだ,と言うに違いないだろう。

 そうした別世界の「根っこ」にあるものが,わたしの想像では,たぶん,沖縄の「芸能の力」ではないか,とおもう。ざっくり言ってしまえば,歌と踊りだ。あの哀愁を帯びた沖縄民謡ときらびやかで美しく,それでいてもの静かな琉球舞踊。あるいは,エイサーのような勇ましく力強い男の舞い踊り。祝いごとには不可欠なカチャーシー。三線が奏でる自由自在な旋律とリズム。ウチナンチュのハートの根っこにはこれらの芸能の「力」がびっしりと埋め込まれている。と,わたしは考えている。

 この世界は,もはや,東京弁や標準語では語り得ない,遠いとおい存在なのだ。つまり,対象化して言語化することが不可能なものなのだ。すなわち,それらは,生まれ落ちたときからからだごと包み込み,徐々にからだの中に染みこんでいき,やがては,それを肥やしにし,バネにして表出してくる沖縄の芸能の「力」となる。そう,それは芸能の「力」としかいいようのないものに違いない。理性をはるかに超越した「情動」とでもいうしかない,ドロドロしてつかみ所のない,それでいて空恐ろしいような「力」の世界だ。

 わたしのイメージとしては,これもまことに勝手な言い方になってしまうが,沖縄は,まるで龍宮城のような世界,そんな存在のようにみえてくる。

 言ってしまえば,沖縄を「理性」だけで語ることはできない,ということだ。

 だから,本土の人間は,沖縄について「論評」はできても「批評」はできない。つまり,無責任で勝手な「論評」(コメント)はできても,全生涯をかけた,あるいは,全体重をかけた「批評」(クリティック)はできない,ということだ。

 この壁を超えるためには,まずは,沖縄の新聞を読むべし。これだけで,あっと驚く体験をすることができる。加えて,ラジオを聴くべし。その奥深くには,もう,気の遠くなるような懐の深さを垣間見ることになる。そして,そのさきのさきには芸能の「力」がうごめいている,そこに触れて初めて沖縄の底力のなんたるかを知ることになるのだろう。

 沖縄の民意が,辺野古新基地建造反対にまとまり,党派を超えた「オール沖縄」の結束が可能となったのも,そういう深い深い「根っこ」を共有できているからに違いない。翁長知事が,自民党出身の政治家でありながら,沖縄の政治のあり方に関しては,その呪縛を解き放ち,「オール沖縄」に居場所を見出したのも,この「根っこ」を分かちもつ,根っからのウチナンチュであるからだ。

 わたしたちヤマトの人間は,そういう世界からあまりに遠いところにきてしまった。「根っこ」を失い,「茹でガエル」に慣れきってしまったヤマトンチュは,もはやゼロから思考をリセットするしかない,とウチナーをみていると,そうおもう。

 いまや,ウチナーはヤマトの師匠となった。教えを乞い,学ばなければならないことが山ほどある。これが,わたしが沖縄の新聞を読み,ラジオを聞いた経験をとおして到達した,現段階での結論である。こののち,また,この見解は変わるかもしれないが・・・・。

2015年6月20日土曜日

『沖縄タイムス』をネット購読して1年余が経過。批評性が高く,魅力的。カラーも多く,記事も面白い。

 沖縄を代表する2紙,すなわち『琉球新報』と『沖縄タイムス』が面白いと聞き,一カ月ほどネットの無料サービスで両紙を読み比べてみて,最終的に『沖縄タイムス』を選んだ。『沖縄タイムス』を選んだ理由はさほどの根拠はない。言ってみれば判官贔屓。『琉球新報』の方がなんとなく上位であるかのような余裕が感じられたのに対して,『沖縄タイムス』はなんとかして追いつき追い越そうとしているような気魄が感じられたからだ。つまり,後追いの印象のあった『沖縄タイムス』の方が必死さが伝わってきたからだ。

 あれからもう一年以上が経過している。『毎日新聞』も,ほとんど同時にネット購読をはじめ,紙媒体は『東京新聞』だけ。つまり,この一年余は,それぞれ視点の異なる3紙を読み比べている,という次第。それぞれに特色がでていて,読み比べてみるとまことに面白い。

 この3紙で比べてみると,面白いのはだんぜん『沖縄タイムス』。なにが面白いかというと,「沖縄」という立地条件に恵まれた地方紙としての情報が満載であるからだ。とりわけ,一面トップを飾る情報が際立っている。つまり,沖縄県民として,もっとも大事な情報はこれだ,というものが如実に表出しているからだ。ちょっとオーバーに言えば,社命をかけている,と言っても過言ではない。それは,おそらく対抗する新聞『琉球新報』との勝負を賭けた一か八かのジャーナリスティックな博打勝負に打ってでるかのような気魄すら感じられる。それほどに気合十分な記事が一面トップを飾っている。その点は,『琉球新報』とて同じだ。だから,沖縄県民にとって,もっとも重要な情報はこれだ,というものが手にとるようにわかる。

 しかし,当然のことながら,大事件になれば,沖縄2紙も,毎日も東京も全部同じニュースが一面トップを飾るということになる。しかし,日常的には,これら3紙ともに一面トップの記事はみごとに分かれている。そこに,3紙の立ち位置のようなものがはっきりとみえてくる。そこが面白い。とりわけ,沖縄県民のまなざしをとおしてみえてくる重要な情報はなにか,ということが『沖縄タイムス』からは如実に伝わってくる。そのまなざしは,これまでのわたしにはなかったものだ。だから,この一年余は,わたしにとっては日々新たな自己との出会いでもあった。

 その沖縄的まなざしは全紙面にわたって見受けられるものでもある。そのうちのもっとも際立ったものは「訃報」欄。この欄の情報の分量ははんぱではない。沖縄2紙ともに,まず,間違いなく,毎日,どこかの紙面の全面のスペースを使って「訃報」だけが掲載されている。沖縄の人に聞いてみると,この情報はとても大事で,毎朝,まっさきに開くのはこのページだという。そして,友人,知人,恩人,職場の関係者らの「訃報」がないかどうかをチェックするのだそうだ。そして,ちょっとでも関係のあった人の「訃報」がでていたら,かならず,だれかに頼んで香典を包むという。その額は関係の深さにもよるが,「1000円」からあるとのこと。つまり,額の多寡ではなくて,そのつながりが大事なのだという。

 ここからみえてくることは,沖縄の人びとの日常的な人間関係の重要さだ。というか,とても密度の濃い人間関係がそこにはいまも生きているということだ。たとえば,人の名前を呼ぶときも,名字ではなく下の名前を呼ぶ。でないと,同じ名字の人がどこにでもいるので,混乱してしまうのだ。年齢性別に関係なく,たけしさん,ゆみこさん,と呼ぶ。近しい関係であれば,たけちゃん,ゆみちゃん,あるいは,たけし,ゆみこ,と呼び捨てになる。そして,その呼び方をしても,けして人を傷つけることのない温情のよくつたわる独特のイントネーションがある。

 この人間関係の密度の濃さは,たとえば,スポーツ面にも表れている。プロ野球やサッカーのようなメジャーな情報は,本土とほとんど同じだが,違うのは,沖縄出身の選手が活躍すると必ず記事になるという点だ。もう一つは,ローカルなスポーツの大会の記事がこと細かく掲載されている点だ。聞いてみると,それらの記事を追っていくと,たいてい一人や二人,だれかの甥や姪,弟,妹,などの名前が見つかるのだそうだ。それも楽しみの一つなのだ,と。そして,中には,中学生の将来有望なランナーが現れたといって写真まで掲載されることもある。とくに,九州大会で優勝すると,写真入りの記事になる。そして,そのことを県民みんなが誇りにおもうというのだ。

 そこからみえてくることは,同じローカルな情報でも,沖縄は一つに結束している,ということだ。たとえば,わたしは愛知県出身だが,浅田真央や鈴木明子といったスケート選手たちを,敬愛はするけれども,郷土の誇りだとはほとんどおもわない。鈴木明子は,同じ豊橋市の出身なので,いくらか郷土愛的なものを感ずる程度で,それ以上ではない。活躍していて立派だなぁ,くらいのものである。だから,新聞を読んでいるだけでも,沖縄県民の郷土愛の強さがひしひしと伝わってくる。この感覚がなんともいえない心地よさを伴う。そして,どことなく羨ましくもある。

 さてはて,もっとあっさりと『沖縄タイムス』の面白さを紹介できるとおもっていたら,どっこい,そうはいかないということがわかってきた。これ以上のことは残念ながら,割愛するしかない。でも,もう少しだけ。もっと面白いのは,地域の祭りやエイサー大会や闘牛などの記事だ。わたしのような本土の人間であっても,それらの記事を読むと,でかけて行ってみたくなるから不思議だ。そういう読者のこころをくすぐるような記事の書き方になっているのだ。ただ,こんな催し物がある,という単なる紹介ではないのだ。そこに,味を引き立てる薬味のようなやさしい情感が籠もっている。記事があたたかい,のだ。

 要するに,沖縄に特化した地域密着型・生活密着型の情報がふんだんに盛り込まれているのだ。だから,本土の中央紙に慣れ親しんだ人間には,こんな新聞があるのかと驚いてしまう。それは本土の地方紙ともいささか趣が異なる。本土でいえば折り込み広告になるような衣料や食品などの広告が,沖縄では新聞紙面を飾っている。一見したところ,どうして?と不思議でもあるが,そうではない。日々の食材を購入するときの重要な情報が新聞をみればわかる。しかも,その日の物価の動向もひとめでわかる。衣料でも同じだ。買い手に情報(知識)があるから,売り手もバカなことはできない。

 ことほど左様に,沖縄の新聞は面白い。そして,これだけは書いておかなくてはならないことがある。それは新聞の発する「批評性」がきわめて高いということだ。つまり,徹底して是々非々の姿勢を貫いていて,事実をありのままに書いている点は,本土の新聞の遠く及ばない点だ。さすがの自民党政権も,沖縄の新聞をコントロールするところまではいっていないようだ。もっとも,そんなことをすれば,たちどころに新聞が書き立てるだろうから,藪蛇というところ。ここでは,正しい意味でのジャーナリズムが生きている。その点,沖縄2紙が競合していることがいい結果をもたらしているようにもおもう。

 たとえば,辺野古で,その日に起きていることはじつに詳細に,連日,報じている。わたしなどは『沖縄タイムス』をとおして,辺野古の大事な情報のほとんどを得ている。本土の中央紙のほとんどがスルーしてしまい,遠く及ばない点だ。もちろん,戦争法案についても,本土の新聞とは,その主張の仕方がまるで違う。戦後70年もの長きにわたってずっと米軍基地と向き合って生きてきた人たちが受け止める戦争法案の意味は,本土の人びとのそれとはまったく次元が異なるからだ。言ってしまえば,つねに「エッジ」に立たされて,ぎりぎりの生活を耐え抜いてきた人びとの鋭いまなざしが,そこにはゆきわたっている。

 こういう新聞を読んでいると,われわれ本土の人間が,いかに「茹でガエル」に成り果ててしまっているかということを痛感させられる。わたしにとっては,もはや,不可欠の新聞だ。『沖縄タイムス』を読むことによって,わたしのスタンスも,絶えず修正を加えていかなくてはならない,そういう厳しさも教えられる。いまやわたしにとっては日々の大事なテクストになっている。そのお蔭で,わたしの心構えを日々に新たに練り上げることができているのではないか,とこころの底から感謝している次第である。

 以上,ご報告まで。

2015年6月13日土曜日

「米兵の父と日本人の母への憎しみとゆるし,盲目のテノール歌手荒垣勉×古舘伊知郎」をみる。

 ほんとうに税金の無駄としかいいようのない国会での茶番が,あまりにも馬鹿馬鹿しくて,みてられない。しかし,それでも黙って見過ごすわけにもいかず,あちこちにアンテナを張って,きちんとした判断ができる程度の情報だけは集める努力をしている。

 このところの日課になっているのは,まずは,この人の情報なら大丈夫という信頼できる人の情報をインターネットをとおして蒐集し,それから,やおら東京新聞を読み,あとは遅い夕食のつづきでNHKの「ニュースウオッチ9」をみて,その流れでテレビ朝日の「報道ステーション」をみること。これだけで一日の大半を費やすことになってしまう。

 とりわけ,テレビのニュースはからだに悪い。肝腎要の戦争法案に関するニュースはおざなりにさらりと流し,どうでもいいニュースを根掘り葉掘り洗い出す。そのつど,テレビの画面に向かって吼えている。お隣から苦情がくるのではないか,と心配しながら・・・。

 それでも「報道ステーション」は,時折,しゃれた情報を工夫して流すことがある。今夜(6月12日)はそんな幸運な日に当たっていたようだ。

 内容は見出しに書いたとおりの「米兵の父と日本人の母への憎しみとゆるし,盲目のテノール歌手荒垣勉×古舘伊知郎」である。

 荒垣勉さんについては,沖縄生まれの盲目のテノール歌手として,これまでにもしばしばテレビにも出演しているので,すでに多くの人が知るところであろう。しかし,どれだけ詳しく荒垣さんのライフ・ヒストリーを知っているかといわれると,わたしも自信がなかった。だから,今日のこの番組をみて,そうだったのか,と納得できることが多かった。そして,考えるところも多かった。

 印象に残ったシーンのいくつかを拾っておくと以下のとおりである。

 荒垣さんが生まれてまもなく両親は離婚し,米兵だった父はアメリカに帰国,母は再婚,祖母に預けられて母と呼び,ときおり訪れる母を姉と呼びならわして育った。産婆さんの不手際で,荒垣さんは光を失う。盲目の子どもとして数えられないほどの苦難に遭遇しながら祖母の愛情のもとで育てられる。

 しかし,自分を棄ててアメリカに帰ってしまった父を探し出して殺してやりたい,と涙ながらに教会の神父さんに訴えたとき,神父さんは黙って抱きしめてくれ,一緒に涙を流してくれた。このとき,はじめて自分の気持を真っ正面から受け止めてくれる人がいると知った,という。以後,教会で聖歌を歌っている間に,その声の音色と精確な音感の才能を見出され,歌手の道をめざすことになる。

 こういう話を古舘伊知郎が上手に引き出す。荒垣さんは,最初は自分を棄てた父を恨んだが,この声と音感は父の遺伝子を受け継いだからだと知り,恨む気持のなかに,徐々に,感謝の気持も芽生えてきた,と語る。そして,悪いことのなかにも学ぶべきことはある,と知った,と。

 また,沖縄で戦争があったこと,そして,米軍基地があったからこそ自分が存在することになったこと,最初は戦争を恨み,米軍基地を恨んでいたが,こうしたことは,いいとか悪いとかというレベルを越えたところの,大きな力によるものであって,わたしの命は神様からのプレゼントだったのだ,と理解するようになった,とも荒垣さんは語る。

 だから,わたしは神への感謝の気持を籠めて,戦争をしない社会をめざし,平和を希求するこころを広めるために歌を唄いつづけるつもりだ,と。

 そうして,やはり辺野古の海を守りたいと語り,古舘と一緒にボートで海をまわる。そして,切々と基地を排除して,平和を守らなくてはならない,と訴える。

 こうした話を聞きながら,荒垣さんには立派な思想があり,哲学がある,としみじみおもった。苦難の人生経験から導き出された立派な哲学がある,と。

 いま,急速にクローズアップされている沖縄問題を考えるにあたって,こういう荒垣勉さんのような人物をとおして,その背景にあるものを浮き彫りにしていくという手法もまた,きわめて重要なことだとしみじみおもった。沖縄問題を考えることは,そんなにたやすいことではない。その意味で,この取組は,久しぶりのクリーンヒットだったとおもった。

 こういう魅力的な報道を期待したい。

2015年5月25日月曜日

ジャン・ユンカーマン監督『映画 うりずんの雨』(6月20日岩波ホール封切り)の予告編について。

 大きな話題になりつつあるジャン・ユンカーマン監督作品『映画 うりずんの雨』の予告編がネットでみられます。とても素晴らしい内容になっていますので,紹介したいとおもいます。
http://okinawa-urizun.com/

 この予告編は映画の映像と,ジャン・ユンカーマン監督へのインタヴューの2本立ての構成になっています。映像もさることながら,監督の語ることばがとても重く,説得力があって,わたしは感動しました。

 ことしは,日本がポツダム宣言を受諾してから「70年」,ペリーが浦賀に現れてから「150年」という節目の年になります。この話がジャン・ユンカーマンの口から飛び出したときに,わたしは思わず「アッ」と声をあげてしまいました。というのは,ペリー来航から「150年」は江戸末期から明治・大正・昭和をへて平成へと考えると,ずいぶん長い年月が経っているということが素直に納得できます。この「150年」という年月を知った上で,ポツダム宣言受諾から「70年」と聞いたとき,「ウーン,もうすでに,そんなに長い年月を経ているのだ」といまさらながらびっくりすると同時に,感動もしてしまいました。なぜなら,この「70年」はまさにわたしの人生そのものでもあったからです。もう少し精確にいえば,1945年の敗戦の年に,わたしは満7歳でした。以後,ものごころがつき,いろいろと敗戦後の日本か舐めた辛酸とともに成長しました。ですから,この「70年」はわたしにとっては,まさに,わたしのライフ・ヒストリーそのものでもあるからです。その「70年」からわずかに「80年」前がペリー来航の年だった,というのですから,これは驚かずにはいられません。つまり,わたし自身が歴史そのものになってしまっている,ということです。

 そして,ジャン・ユンカーマン監督はつぎのように語ります。日本が,戦争を放棄してから「70年」。この年月は,日本にとっては「宝」のような時間です。なぜなら,日本が「70年」もの長きにわたって戦争をしないでここまでやってきた実績は,国際社会も非常に高く評価せざるをえないからです。世界のどの国もこの真似はできませんでした。日本は,いかなることがあろうとも,「憲法9条」を旗印にして,あらゆる戦争に直接,手を染めることなく,じっと「平和」を見据えてきました。この姿勢は,まことに立派なものです。わたしは「憲法9条」をもつ日本国にずっと尊敬の念と強い憧れをいだいてきました・・・・,と。

こう言われてみてはじめて気づく自分のノー天気さにも驚いています。まるで空気のように「憲法9条」を呼吸してきましたので,そのありがたさに気づかないできてしまった,という次第です。しかし,いまや,この「憲法9条」を棚上げにして「戦争法案」を押し通そうとしている政府自民党と向き合うことになり,いまさらながら危機感に襲われています。ここはなんとしても踏ん張らなくては・・・・と。

 さて,映画「うりずんの雨」。英語名では「The Afterburn 」。
 うりずんとは,3月から5月にかけての沖縄の「春」の季節のこと。この大地がめざめ雨が降って大地がうるおいはじめ,植物が一斉に芽吹く,沖縄にとってもっとも大事なシーズンです。この「うりずん」のシーズンに,米軍による沖縄上陸戦が始まりました。3月26日,渡嘉敷島が米国艦隊によって包囲されました。この日はわたしの誕生日ですので,忘れもしません。沖縄の人びとにとっては,この「うりずんの雨」とともに,悲惨な沖縄戦の記憶がよみがえってくる,とそんな思いをこめてこのタイトルをつけたとジャン・ユンカーマン監督は語ります。また,英語名の「The Afterburn 」も,ふつうの英語ではなく,監督の造語。すべてのものが焼き尽くされたあと,という意味と同時に,そのことによって負った「やけど」の傷跡は,時とともに深いトラウマとなって,さらに沖縄の人びとのこころに食い込んでくるという心理学上の症例とを重ね合わせてイメージしている,と監督。こういう話を聞きますと,なるほど,監督のいろいろの思いが籠められたみごとな題名となっているということがよくわかります。

 1995年,12歳の少女を3人の米兵が連れ去りレイプした事件をきっかけに,沖縄の人びとの我慢が限界を越えました。その「怒り」の感情が一気に噴出することになります。そして,このときの抗議行動がアメリカを動かし,基地返還の動きが具体化します。しかし,このときのアメリカの基地返還の提案をうやむやにしてしまったのが日本政府だった,という事実も描き出されています。

 ユンカーマン監督は,このときの3人の米兵に取材を申し入れます。この3人は,いずれも7年の刑を受けてのち帰国。ひとりは取材を拒否,もうひとりは帰国後もレイプ事件を起こして自殺,さいごのひとりが取材に応じてくれ,その映像がこの映画のなかに収められています。その本人の語るには,あんなことをする必要性はなにもなかった,まるで血迷ったかのように,なにもわからないままにあんなことをしてしまった,と。アメリカ兵にとっては沖縄の基地は,そういう心理状態にさせられてしまう構造的な問題をはらんでいるのだ,とユンカーマン監督は述べています。それが「基地」というもののもつ根源的な矛盾なのだ,と。

 つまり,レイプを犯すような人間はモンスターのようなものなのだ。モンスターがレイプを犯すのであれば,それなりの対応の仕方がある。しかし,米軍基地に勤務するアメリカ兵は,ごくふつうの人間です。そのごくふつうの人間がレイプを犯してしまう,「血迷ってしまう」「わけがわからなくなってしまう」,そういう装置が「基地」というものなのだ,と。だから,「基地」は恐ろしいのだ,と。

 この映画は以下のように4部作で構成されています。
 1.沖縄戦
 2.占領
 3.凌辱
 4.明日へ

 沖縄の米軍基地問題を考える上で,つぎの2点を重視している,とユンカーマン監督は語ります。
ひとつは,日本政府がアメリカ政府に対して,基地返還を要求していないこと,もうひとつは,アメリカ政府は沖縄を戦利品だとおもっていること。その証拠に,キャンプ名である「ハンセン」も「シュワブ」も沖縄戦での英雄の名前を当てていることに明らかだ,と。だから,沖縄をどのように使おうと自分たちの勝手だ,と。

 しかし,日米地位協定には「不要になった土地は返還する」と書いてあるけれども,日本政府が返還を要求しないので,アメリカは「戦利品」だとおもってそのままほったらかしにしてある,と。つまり,実際に基地として使っていない不要な土地がたくさんある,という。

 そして,なにより大事なことは,沖縄の人びとの「命」を大事にすること,沖縄の人びとを「人間」として正当に認めること,つまりは「人権」と「民主主義」が沖縄では機能していないことが,最大の問題だ,とジャン・ユンカーマン監督は熱く語ります。

 6月20日(土)の封切り初日の第一回目の上映を見にいこうとおもっています。

2015年5月18日月曜日

「大阪都」構想が敗退。維新の会もこれまで。政治の潮目は変わった。アベに打撃。

 ネット上のニュース速報が,「大阪都」構想の否決が確定,と流している。これを聞いて安堵の胸をなで下ろしている。これで「よしっ!」。

 そして,今日(5月17日)の午後には,インターネットの動画サイトをとおして,「沖縄県民集会」の様子をリアル・タイムでみていた。涙が流れた。最後の翁長県知事のスピーチを聞いて,いよいよ「本気」がでてきた,と。野球場を満席にした「3万5000人」の県民の姿にも感動。

 今日は,二つもいいことがあった。記念すべき日となった。
 大阪府民の良識ある選択に拍手。
 そして,沖縄県民の熱きこころに拍手。

 いよいよ「政治の潮目」が変わったと実感した。

 「5・17」記念日。

 大阪天王山の闘いの本質は,大阪都構想のことのよしあしよりは,大阪維新の会の「信」を問うことにあった。そして,その大阪維新の会が否決された。これで維新の会の拠点が壊滅的な打撃を受けた。当然,中央の政界にも大きな打撃を与えることになる。

 なによりも,まずは,アベ・ショック。完璧なカウンター・ブローだ。これで,「戦争法案」反対の議論も勢いづくことだろう。アベが目論んだ維新の会を巻き込んでの「戦争法案」の議会工作にかげりがでてくる。それでも国会での論議は押し切られてしまうだろう。だから,そこに世論の圧力が割って入る必要がある。ここは一つ,なんとしても世論の反対論議を盛り上げて,廃案に追い込まなくてはならない。そうして,本丸である改憲論議に,とどめの一太刀を・・・・。

 その意味では,闘いははじまったばかりだ。そして,大阪府民がひとつの結論を出してくれた。この勢いに乗って,一気に政府自民党の「暴走」に歯止めをかけなくてはならない。なにしろ,アベのやることはすべて憲法違反のことばかりだ。なのに,それを止められない司法が情けない。民主主義の根幹であるはずの「三権分立」が機能していない。ということは,国家そのものが「破綻」をきたしているということだ。なのに,そのことに気づいている人が少なすぎる。

 こうなったら,最後の砦は「主権在民」を振りかざして闘う以外にはない。

 その模範を示してくれているのが,沖縄県民だ。本土の国民よりも数段,さきを進んでいる。いまや,沖縄県民は日本国の救世主の役割をになっている。この沖縄県民の「海鳴り」のような声が,本土の国民にも,ようやく聞こえるようになってきた。そして,それに応答する本土の声も大きくなってきた。辺野古基金も,わずかな期間に「2億円」を越えたという。そのうちの「7割」が本土からの寄付だという。ふるさと納税も激増しているという。

 まったく新たな局面がいま,つぎつぎに生まれつつある。

 今日の沖縄県民集会に集まった「3万5000人」という数も,わたしの意表を突いた。せめて,1万人は超えてほしいものだと祈っていた。ところが,野球場を満席にする「3万5000人」が朝から集まった。しかも,その集会の最後の進行役をつとめたのは普天間高校1年生の女の子だ。集まった県民の多くも親子連れだ。ここが本土とは大いに違うところだ。

 考えてもみるがいい。たとえば,後楽園球場を,親子連れの市民でいっぱいにして,「改憲反対」集会をやる力がわたしたちにあるか。そして,その集会の進行役を高校一年生の女の子がつとめる姿を想像することができるか。おそらく,だれも想像できないだろう。それほどに,本土の意識は低く,遅れているのだ。

 いまや,本土のわたしたちが学ぶべきは沖縄県民の,この姿だ。

 いずれ,今日の県民集会はインターネットの動画サイトで流れるはずなので,ぜひともチェックしていただきたい。沖縄県民の「海鳴り」の声に耳を傾けてほしい。そして,気づいてほしい。なにが大事なのか,を。

 本土でも,大阪府民がその先鞭をつけてくれた。大阪府民の「のり・つっこみ」の好きな軽い気質はよく知られているが,その一方で「見切り」をつけるのも早いことを知るべし。その「見切り」の早さを,いちばん大事なところで発揮してくれた。あとは,この「見切る」力を全国に広げていくことだ。

 さあ,いよいよ天下分け目の決戦にむけて力を発揮するときがきた。まさに,これからだ。そして,大きな運動を展開して,最後は「選挙」でとどめを刺すことだ。

 いまこそ,声を大にして立ち上がろう。幼き子どもたちの命を守るために。

2015年5月14日木曜日

沖縄独立論・私論。日本国憲法を守るために日本国から分離・独立し,尖閣を棚上げに。

 日本国憲法を無視し,明らかに憲法違反とおもわれる閣議決定をし,その法整備を機関銃のように繰り出すアベ政権にほとほと嫌気がさしてきているのはわたしだけなのでしょうか。憤懣やるかたなく,怒り心頭に発しています。まるで憲法など存在しないかのような振る舞いです。その暴挙としかいいようのない振る舞いは,まるで,立憲デモクラシーをどこかに置き忘れてきてしまったかのようです。ここまでくると,もはや,国家としての体をなしていません。つまり,日本国憲法を無視する国家は,もはや,日本国ではないということです。

 わたしは「第9条」をもつ日本国憲法を,世界に向かって誇りにしたいと考えてきました。ですから,この日本国憲法を無視する国家は,もはや,なんの魅力も感じません。ならば,立憲デモクラシーの精神を護持し,この日本国憲法をそのまま継承する国家を打ち立てることができないものか,と最近になってあれこれ想像力をふくらませていました。

 そうしたら,ありました。沖縄独立論です。いま,沖縄では「沖縄独立学会」なるものが数年前に設立され,熱心に議論がなされていると聞いています。その内容については,あまり詳しくは知りませんが,かなり具体的な研究が進んでいるように聞いています。

 もともと沖縄は独立国家であったわけですし,その実績ももっています。そして,国際社会もそれを認めていた時代があります。近いところでは,明治時代に入る直前の江戸時代末期には,アメリカをはじめヨーロッパの各国が,沖縄との特別の通商条約を締結しています。そのときの条約書が,いま,沖縄の美術館で展示されており,大きな話題になっています。「東京新聞」でも大きなニュースとして流していましたので,ご存じの方も多いとおもいます。

 第二次大戦後にはアメリカの統治下にありながらも,沖縄政府が存在しました。そして,本土とはなんの関係もなく,別個に,直接,アメリカとの折衝をしていました。1972年の本土復帰までは,この沖縄政府が厳然として存在していました。そして,本土復帰運動が盛り上がったときには,川満信一さんなどが個人で創案した憲法草案を公表し,大いに議論となりました。

 ですから,沖縄独立論はけして夢物語ではありません。むしろ,きわめてリアリティをもった議論だと言っていいでしょう。知らない,あるいは,考えられないのは本土の人間の方です。なぜなら,つねに「上から目線」で沖縄を見下してきたからです。それは,いまの政権も同じです。

 沖縄県民の民意を無視して,権力を嵩にかけ,強引に辺野古に米軍の新基地を建造している事実をみれば明らかです。「他の都道府県が引き受けてくれないのだから,沖縄が引き受けろ」と政府高官が公言しているニュースを聞いて,わたしはびっくり仰天してしまいました。これが,アベ政権の本音であり,基本姿勢です。その実態は,翁長県知事と菅官房長官,安倍首相,中谷防衛大臣がつぎつぎに対談をしたときの「全発言」からも明らかです。

 業を煮やした翁長知事は,とうとうアメリカに渡り,アメリカ政府高官との直接交渉に踏み切りました。今月下旬(23日?)には出発するようです。その結果がどのような展開になるのか,わたしは強い関心を寄せています。

 しかし,それでも埒が明かない場合には,おそらく「沖縄独立論」に火がつくのではないか,とわたしは予想しています。

 ここからは私論です。沖縄独立を正当化するための最大の根拠は,沖縄(琉球国)は,日本国憲法を守るために日本国から分離・独立する,というものです。日本国憲法を放棄したかにみえる日本国はもはや日本国ではありません。ですから,その日本国から拘束を受ける必然性もありません。あくまでも日本国憲法「第9条」を死守するために,日本国ではなくなってしまう日本国から分離・独立するのは,きわめて正当な根拠をもつことになります。そして,あくまでも「立憲デモクラシー」を死守する,と宣言すればいいのです。たとえ,アメリカといえども,これを否定することはできません。

 そして,つぎなる手段は,尖閣諸島を「棚上げ」にもどします。そうすれば,中国からの脅威は一挙に解消し,むしろ,友好国として歓迎されるでしょう。そして,最初の「独立国家」承認国となってくれるでしょう。こうして,「第9条」を全面に押し立て,立憲デモクラシーを標榜する国家をめざせば,多くの国が「独立」を承認してくれるでしょう。そして,世界にただ一つの「軍隊をもたない」,「戦争をしない」国家を,世界に向けて発信しつづければいいのです。

 こうなると,平和憲法をかなぐり捨てて「戦争も辞さない」とする日本国から脱出し,沖縄(琉球国)に移住をする人も少なくないでしょう。加えて,沖縄には「原発」はひとつもありません。理想的な国家をめざすには絶好の歴史と文化と立地条件を備えています。

 とまあ,こんなことを考えてみました。そのきっかけを与えてくれたのは,ある日の昼食をとりながらの,いつものNさんを中心にした友人たちとの会話でした。そこでは,もっともっと多くのことが語られました。が,とりあえず,わたしが聞き取り,納得のできた範囲での話題をわたしなりに味付けをして整理してみました。久しぶりに興奮した昼食会となりました。もつべきものはこころから信頼できる「友」です。ありがたいかぎりです。

2015年5月8日金曜日

宮崎駿監督が「辺野古基金」の共同代表に。「命」と「平和」のための「風穴」を。

 あの宮崎駿監督が「辺野古基金」の共同代表になったと知って,感無量である。ようやく映画界(動画もふくめて)の大物のひとりが「手」を挙げてくれたか,と。この人につづいて,大物俳優や芸能界の人びとも手を挙げてほしいものだ。その突破口となってくれんことを・・・。

 文学の世界ではノーベル文学賞を受賞した大江健三郎さんが,オキナワ問題には若いころからかかわり,発言をつづけてきたことが広く知られており,こんにちもなお辺野古基地建造反対運動の先頭に立っている。心強いかぎりだ。しかし,文学の世界でも,大江さんにつづく作家がもっともっと現れていいはずなのに,意外にその足どりは重い。

 いま,ブームを呼んでいるお笑い芸人も,反原発,反基地の意思表明をする人が現れてもいいのにと思うが,ここでも足どりは重い。おそらく,個人的な考えや気持としては反原発,反基地に与している人はかなり多いのだろうと思う。しかし,芸能界を生き延びていくためには「だんまり」を決め込んでいる必要があるのだろう。それでも,ひとりくらいは,反原発,反基地を宣言し,それをネタにして笑いをとる芸人が登場してもいいのに・・・。と思うのだが・・・・。

 もっとも,学者の世界ですら,正論を吐くとメディアから干されてしまう現状を考えると,無理からぬ話ではある。もっと踏み込んでおけば,学者・研究者の間では,昇任人事や研究費の配分などで,無言の圧力がかかっているとも聞く。小出裕章さんが,定年まで「助教」という身分にとどまったのも,わたしには納得がいかない。京都大学をしても,やはり,そうだったのか,と。

 アカデミズムの世界ですらそうなのだから,他の世界ではもっともっときびしい「締めつけ」が有形・無形にのうちに加えられているに違いない。そのもっとも顕著な例は,よほど気心の知れた間柄でないかぎり,反原発,反基地の話題をもちだされると困ったような顔をする人が多いことだ。もっとふつうの話題として,もっと大事な話題として,みんなで意見交換をすべきなのに,どこか「禁」に触れるかのような態度をとり,しらけてしまうことが多い。

 みんなこころのうちに秘めたることのように「だんまり」を決め込む。ましてや,政権が権力を剥き出しにして情報コントロールをはじめている,いまとなっては,ますます「だんまり」を決め込むしか身を守る方法はない。だから,なおのこと反原発,反基地に関してはまるで箝口令を敷かれたように無口になってしまう。

 そんな中にあって,宮崎駿監督が勇気ある行動にでた。とてもありがたいことだ。もっとも,考えてみれば,宮崎駿監督のこれまでの仕事は,いずれも人の「いのち」の大切さや,「平和」を訴える作品で貫かれている。だから,今回の決断は,言ってみれば,「言行一致」を貫くものだ。したがって,当然といえばあまりに当然。しかし,その当然のことが「ゆるされがたい」世の中なのだ。世の多くの人が葛藤するのはこの点だ。「言うはやすし,行うはかたし」とも言われてきた所以である。

 しかし,ここは「命」と「平和」をキー・ワードにして,みずからの生き方,行動の仕方を再点検すべきときだろう。そして,場合によっては,勇気ある行動を起こすべきときだろう。みんな,それとなく感じていながら身動きができないでいた。しかし,そんなムードの漂うなか,宮崎駿監督が「風穴」を開けてくれた。それだけで,とても勇気づけられた人は多いだろう。かく申すわたしも「よし,いよいよこれからだ」という勇気をもらった。

 そして,どのように行動を起こすかはそのときどきの情況に応じて考えるとして,まずは,「辺野古基金」に寄付をしていきたいとおもう。まず,最初の寄付はすでに済ませたが,これからは持続的に寄付をつづけることで「支援」の意思表明をしていこうと考えている。毎月,1000円でもいい。つづけることに意味があると考えて。

 そして,8月には沖縄にでかけ,辺野古基地建造反対運動にも参加してこようと考えている。沖縄に観光ででかける人は多いが,辺野古基地建造反対運動に加わる人は多くはないようだ。ここは,あまりむつかしく考えるよりは,まずは,辺野古の地に立って,いろいろ思いを馳せることだけでいい。つまり,そこで,なにが,どのように行われているのか,自分の眼で確かめ,その「場」の空気を吸うだけでいい。これも立派な観光の目的になりうるのだから。

 いずれにしても,まずは,宮崎駿監督が「辺野古基金」の共同代表になってくれたことを感謝し,喜びとしたい。ありがたいことだ。そして,これからも「支援」をつづけていこう,と。「貧者の一灯」となろうとも。できる範囲のところで,できるだけのことを・・・・。

2015年5月2日土曜日

明らかに潮目は変わった。沖縄県民の意思に全国民が反応。辺野古基金(1億1900万円)の7割が本土から。

 今日(5月1日)の『沖縄タイムス』は一面トップの記事で,つぎのように報じています。この記事を読みながら,わたしの胸は高鳴りました。久しぶりのことです。

 まずは,大見出しを拾ってみましょう。
 「辺野古基金1億1900万円に」
 「7割が県外から」
 「辺野古評価せず 全国45%」
 「政府を評価 40%」
 「否定的世論が上回る」
 「全国4紙も同様」

 これらは共同通信がおこなった電話による調査結果であるとした上で,さらに詳しく分析・評論を加えています。これらの大見出しをみた瞬間に,「明らかに潮目は変わった」とわたしは直観しました。これは驚くべき結果以外のなにものでもありません。わたしの想定をはるかに超えるものだったからです。つまり,沖縄県民の意識は,はるか先にまで進んでいるにもかかわらず,本土の茹でガエルは漠然と政府の方針に従うに違いない,とわたしは踏んでいたからです。

 しかし,そうではありませんでした。辺野古基金1億1900万円という額にも驚きましたが,それ以上に「7割が県外から」という見出しにびっくりしました。じつは,わたしも「貧者の一灯」の精神のもとに,わずかばかりですが寄付をしました。しかし,この総額と県外から「7割」ということを知り,ならば毎月,少しずつでもいいから寄付をしていこう,と考えました。一時に大金を寄付することはできませんが,分割して,少しずつ支援の気持を持続させながら寄付することならできる,と。そして,継続的な支援こそ大事ではないか,と。わたしは,この記事を読んで勇気百倍。よし,これでいける,と元気がでてきました。

 いまこそ沖縄支援をするときがきた,と感慨無量です。昨年の夏に辺野古に二度ほど足を運び,その場に立ち,わたしなりの意思表明をして以来,なんとかできないものか,とずーっとアンテナを張りつづけていました。が,遅々として盛り上がらない本土の意識にいらいらしていました。そして,安倍政権支持率は高いまま。いったい,どうなっているんだ,この国は・・・,と苛立っていました。

 が,翁長知事と菅官房長官との対談が大きな転機となりました。これによって,翁長知事がじつに明瞭に民主主義の重要さと人権の否定を,全国民に提示することができたからです。メディアもこの問題を取り上げざるをえませんでした。そして,具合のいいことに,つづいて安倍首相も翁長知事との対談を行いました。そして,まったく稚拙で強引な論法しか政府にはない,ということも明るみにでました。この二つの対談を見届けたところで,多くの本土の国民も,ようやく「奇怪しい」と気づくことになりました。

 その結果が,この基金の総額となり,本土から「7割」という支持になった,とわたしは受け止めています。かくなる上は,持続的な寄付をとおして沖縄県民支持を表明していくことだ,これが本土の人間の良識ある行為だ,とわたしは信じています。そして,それこそが安倍政権退陣への道を切り拓くきっかけになる,とも信じています。

 天下分け目の「関が原」の戦いの幕が切って落とされました。いよいよこれからです。いまこそ,茹でガエルが眼を覚まし,人間として,生身の生きる人間として,「生」を肯定するための行動に立ち上がるときが到来しました。

 この記事の末尾には,もう一点,興味深い情報が提示されていました。

 日米両政府が合意した新たな防衛協力指針(ガイドライン)について,反対が47.9%,賛成が35.5%,という調査結果がでた,というものです。そうか,ようやく安倍政権の「暴走」に危機感をいだく国民が「47.9%」に達したか,と我が意をえた気分です。そして,政府支持よりも反対が上回った,と。これこそ良識というものです。

 まだまだ予断は許されませんが,それにしても,潮目は明らかに変わった,とわたしは感じ取っています。山が動いた,と。あとは「情報操作」に騙されないリテラシーをわがものとすること。これからは,ネット情報で頑張るしかないのかな,と分析しています。そこは若者たちの得意な分野ですので,その点も期待したいとおもいます。すでに,若者たちは全国平均よりもはるかに高いパーセンテージで「反対」の意思表明をしているとも,同紙は報じています。

 明らかに潮目は変わった。いざ,出陣!

2015年4月24日金曜日

わたしたちは沖縄についてほとんどなにも知らないに等しい。

 わたくしごとながら,娘が沖縄に住むようになってかれこれ20年近くになる。それがきっかけとなって,わたしの眼もいつしか沖縄に向くことが多くなった。そして,沖縄を訪れるたびに新しい発見があって,かなりの情報通になったつもりでいた。しかし,それはとんでもない間違いであったことを知る。

 その理由は,沖縄2紙,つまり,『琉球新報』と『沖縄タイムス』のネット購読者となってみたら,日々,新しい沖縄の日常を知ることになり,わたしの沖縄認識がまったく表面的なものでしかなかったことが明らかになったからである。昨年の4月から購読をはじめたので,ちょうど一年になる。その間に,沖縄という土地・文化のもつ懐の深さと人間性が,本土のそれとは相当に異なるものである,ということをじっくりと学ぶことになった。それは驚くべき経験でもあった。

 ひとくちで言ってしまえば,沖縄には「人間が住んでいる」ということだ。つまり,生身の血も涙もある,人情味豊かな人間関係が,まだ生き生きと躍動している,という印象である。そして,その人間の生きざまを沖縄2紙はしっかりと報道している。それに引き換え,本土のわれわれは血も涙も枯れはてた「モノ化」してしまった人間があまりにも多くなってしまった,ということだ。その上,ジャーナリズムが形骸化してしまい,ことなかれ主義に逃避してしまったから,なおさらのことだ。この違いは天と地ほどもある。

 たとえば,沖縄には,いわゆる「芸能」が人びとの日常生活のなかに深く根を下ろしている。その根幹に三線(さんしん)がある。ちょっとした宴会があれば,すぐに男が三線を弾き始め,みんなが立ち上がってカチャーシーを踊りはじめる。宴会でなくても,嬉しいことがあれば,即興でカチャーシーが飛び出す。そこでは大人も子どもも,男も女も,区別はない。みんな,渾然一体となって,その場でみずからの気持を表現し,楽しむ。つまり,歌と踊りが日常的に根づいている,ということだ。こうして,嫌なことは一刻も早く忘れ,明日への希望につないでいく。これがむかしからのウチナンチュの慣習行動であり,原動力となっていて,それがいまも息づいている。

 この延長線上に,小さな居酒屋やカフェのわずかなスペースを利用してのささやかなライブがある。それも夕食後の午後8時とか,午後9時とかの開演だ。それがいたるところで行われている。それらの情報は,そのほとんどが口コミ情報だ。友だちから友だちへと伝えられ,都合のつく者だけが集まってくる。終わったあとも,演奏者とお客さんとで盛り上がる。つまり,みんな友だちなのだ。それで食べていかれるわけではないので,みんなそれぞれに仕事をもちながら,週末のライブに備えている。そんなライブがいたるところで行われている。

 こういう広い意味での芸能に代表されるように,小中学生のスポーツ大会や,地域の小さな祭りにいたるまで,じつに熱心に行われていて,みんながそれぞれに楽しんでいる。それらが事細かに紙面を飾っている。だから,いま,沖縄のどこでどんなことが行われていて,盛り上がっているかが,その気になれば新聞で知ることができる。本土で暮らしているウチナンチュも,多くの人がこの沖縄2紙を愛読している理由がよくわかる。それだけで故郷情報は完璧なのだ。

こうした人間味あふれる情報もさることながら,それよりなにより,圧巻は,真のジャーナリズムが生きている,ということだ。つねに,ウチナンチュの目線から,政治・経済を論じ,是々非々の姿勢を貫いている。それを2紙が競い合うようにして論戦を展開しているのだ。だから,両紙ともおざなりの情報提供ではすまされない。なぜなら,激しい読者獲得競争がその背景にある。だから,そのジャーナリスティックな議論のポイントは,政治も経済も,みんなウチナンチュの日常生活にとっていかなる意味をもつのか,という点に絞られている。だから,その論旨はじつに明快であり,しかも日常生活の細部にまで伸びていく。

 たとえば,米軍基地問題も,単に安全・騒音だけではなく,沖縄の経済を阻害している最大要因であることを,日々,詳細にデータを提示しながら論じている。そして,政府による沖縄振興予算などは,むしろ,ウチナンチュの経済的自立を阻害するばかりではなく,アイデンティティをも阻害するものであって,なんの役にも立たない,ということもきちんと説明している。そして,その目線の先は,基地を県外に移設したのちの,自律・自立した沖縄経済の活性化に向けられていて,着実にその基盤が構築されつつある。とりわけ,IT関連事業については確実にその基盤が整いつつある。そして,東南アジアや中国と本土とを結ぶ重要なハブ拠点となりつつある。しかもその成果は着実に上がっていて,経済も活性化の一途をたどっている。こういう情報・議論が毎日のように新聞紙上を賑わせている。だから,沖縄県民の意識は,本土のわれわれが知らないところで,はるか先に進んでおり,その実現に向かっている。

 翁長知事が中国や台湾に足を運ぶのは,こうした大きな流れの上に立ち,沖縄の経済的自立を視野に入れた上での政治活動だ。そのことを本土のメディアのほとんどは理解していない。のみならず,翁長知事の行動を疑問視するメディアも少なくない。それどころか,中国のスパイ呼ばわりさえする新聞も登場している。あきれ返ってものも言えない,とはこのことだ。自分たちの不勉強を棚に挙げて,自分たちに理解できない行動はすぐさま批判する。それも完全なる「上から目線」だ。しかも,劣悪なことばで。ここには悪意以外のなにも存在しない。ジャーナリズムの腐敗であり,死そのものだ。そのことに気づいている様子もない。最悪だ。

 沖縄2紙を読んでいて,しみじみと感じるのは,両紙ともに沖縄県民の「生」をしっかりと見つめ,これを擁護する姿勢に貫かれているということだ。辺野古新基地建設に反対する沖縄県民の意識の根っこはここにある。この点は,みごとに沖縄2紙ともに徹底している。そして,しのぎを削っている。だから,論旨はますます冴え渡ってくる。読んでいて,じつによくわかる。沖縄県民が選挙行動で示した「反基地建設」は,こうした磐石な論旨に支えられてのものだ。しかも,一朝一夕のうちにできあがったものではない。深い歴史過程と連動している。しかも,すでに,沖縄県民はそのさきを見据えている。

 日本政府はもはや当てにはならない。沖縄県として自立した立場で,直接,アメリカと折衝をするしかない,と。翁長知事はこうした県民の圧倒的な支持を受けて,いよいよアメリカ政府との直接交渉に向かう。83%の県民の支持を受けて。

 一昨日のブログにも紹介した『沖縄タイムス』の記事も,そうした流れの上に立つ,堂々たる論陣の張り方である。本土のメディアはとても太刀打ちはできないだろう。なぜか。ジャーナリズムの精神を放棄してしまっているから。すなわち,人間の「生」を肯定し,擁護する,人間として生きる原点をどこかに置き忘れてきてしまったから。

 わたしたちは「沖縄についてほとんどなにも知らないに等しい」と表題に掲げた。その理由は本土のジャーナリズムの腐敗・死にある。だから,わたしたちは沖縄のほんとうの姿をほとんどなにも知らないままなのだ。しかも,そこに政府自民党の圧力がかかっている。これから,ますます,沖縄情報は本土では忌避されてしまいかねない。これから最大のピークを迎えるというのに。

 わたしたちは,いまや,沖縄県民を師と仰ぎ,教えを請わなくてはならないところに立たされている。このことだけは,声を大にして叫びたい。われら「茹でガエル」たる同胞に向けて。

2015年4月23日木曜日

政権評価の潮目が変わったか。政府の沖縄対応に「No」,女性たちもアベ政権に「No」。

 新聞各社による政府の沖縄対応についてのアンケート調査の結果が,軒並み「No」をつきつけているという。読売,日経の読者ですら,「No」の方がわずかだが多いという。その他の毎日,朝日になるとかなり大きな差がついているという。沖縄2紙(『琉球新報』と『沖縄タイムス』)にいたっては,圧倒的な差だという。

 そのきっかけとなったのが,菅×翁長対談であり,さらに駄目だしをしたのが安倍×翁長対談だという。この二つの対談によって,沖縄の真実が,はじめて日の目をみたからだ。それまで,沖縄関連情報は,そのほとんどが政府の垂れ流し情報で埋めつくされていた。それに対する批評も評論もないままに。だから,国民の圧倒的多数は,沖縄についての精確な情報をほとんでなにも知らないままでいた。

 ところが,今回の二つの対談によって,いやでも沖縄の真実の声が公にならざるをえなかった。しかも,翁長知事の単刀直入な,わかりやすいことばが,ストレートに読者の胸に落ちた。それに引き換え,菅,安倍の両氏は,翁長発言に対して説得力のある応答はひとつもできなかった。そこには「丁寧な説明」はひとこともなかった。これで勝負あった,となった。

 以後,新聞各社は,温度差はともかくとしても,沖縄の「真実」を独自の取材をとおして書きつぐことになる。ここにきて沖縄情報が,それ以前にくらべたら,信じられないほど多くなってきた。これから,新しい事態がつぎつぎに起こることが予想されているので,ますます,沖縄情報は多くなるであろう。だとすれば,ますますピンチに陥るのは官邸の方だ。これまで一方的に沖縄情報を抑圧し,隠蔽し,排除してきた官邸の悪事が,つぎつぎに明るみにでてくるだろうから・・・。

 こうして沖縄情報が流れれば流れるほど,沖縄の真実は明らかになってくる。そして,これまで無知・無関心だった本土の人たちにも,少しずつ沖縄理解が深まってくる。これは,もはや,止めようのない流れとなってきた。となれば,その行き着く先もみえてくる。

 明らかに,政権評価の潮目が変わった,とみてよいだろう。

 加えて,女性週刊誌がこぞって女性の不安を取り上げ,多くの読者の支持をえているという(『毎日新聞』の特集)。こちらの引き金となっているのは,原発問題と生活不安。つまり,わたしたちの命と生活はこれでいいのか,という女性特有の鋭い感性に訴える記事が圧倒的支持をえているというのだ。この特集はなかなか説得力があって,いい記事になっている。

 ジャーナリズムが死んでしまったとわたしは嘆いてきたが,どっこい,女性週刊誌の世界ではしぶとく生き残っていたようだ。こういう女性たちの声を取材して書かれる記事に対しては,さすがの官邸も手も足も出せないのだろう。あるいは,盲点になっていたか。これからしばらくは女性週刊誌に注目である。

 詳しいことは毎日新聞にゆずるが,ひとつだけ,面白いとおもったことに触れておきたい。

 アベ君は,折あるごとに「女性の力を活用したい」と言ってきた。一見したところ,女性を大事にしていこうとする姿勢にみえるが,さにあらず。これが,上から目線であることに女性たちは反発しているというのだ。つまり,「女性の力を活用」するのはあくまでも「男」たちであって,女性はその道具でしかない,という姿勢が透けてみえてくる,というのだ。これは,菅長官が沖縄の辺野古新基地建設を「粛々と進める」と繰り返していることが「上から目線」だと批判されたのと,まったく同じ道理だ。

 官邸が気づいていない驕り,高圧的な姿勢が,女性たちの鋭い感性に見破られた,と言ってよいだろう。しかも,この姿勢は耐えられない,我慢ならない,というのだ。それが,戦争法案(福島瑞穂発言)の議論にも現れているし,原発再稼働の議論にも感じられるし,ましてや「戦争のできる国家」など,とんでもない,という次第だ。こうして,一度,気づくと,つぎからつぎへと官邸のやることなすことが不安になってくる,と女性たちはいい始めているという。この連鎖反応は大きい。

 女性の感性とは,すなわち,からだに支えられたものだ。女性の,とりわけ,母性からくるものだ。だから,母性本能に直結する「命」の安全への反応は,男の比ではない。ここが目覚め,ここから政権に疑問を感じ,批判が出はじめた,というのだとしたら,これはもう政権にとっては命取りのようなものだ。男は目の前のエサを追いかけることに必死で,森を見失うことが多いが,女性は,子どもたちの「命」がどうなるのか,という長いスパンで身構える。

 官邸はこの虚をつかれた格好だ。いずれにしても,女性たちによる政権党に対するきびしいまなざしが,徐々に頭をもたげはじめていることは事実のようだ。

 ここでも,潮目が変わった,とみるべきだろう。
 なにかがはじまろうとしている。それに期待したい。

2015年4月12日日曜日

翁長雄志沖縄県知事語録。沖縄の夜明け前がひしひしと伝わってくる。

 『世界』5月号の翁長雄志×寺島実郎対談は,ピンチのなかにチャンスありをおもわせる,まさに沖縄の夜明け前の予感でいっぱいです。読んでいてワクワクドキドキしてくるほどの迫力をもっています。沖縄に関してはかなりわかっていたつもりでしたが,沖縄の最先端の議論や世論はもうずっとさきに進んでいるということが手にとるように伝わってきて,茫然自失といった状態です。やはり,ヤマトンチュは駄目だなぁ,危機意識が圧倒的に足りない,と痛感してしまいました。エッジに立たされた人の考えや行動は,それを傍観している人間とは天と地ほどの差がある,としみじみ考えてしまいました。

 ここでは,こまかな議論はともかくとして,この対談をとおして飛び出した翁長知事の,刮目すべき語録をとりあえず採録して,のちの議論の資料として提供しておきたいとおもいます。以下は,翁長知事の発言を順に列挙したものです。

 「琉球・幕末・明治維新 沖縄特別展」が浦添美術館で開催されており,そこには,琉球王国がアメリカ,フランス,オランダと結んだ三条約の琉球側原本を展示しています。このなかで,アメリカの国務省歴史事務所が琉球国について「19世紀半ばには,琉球は日本とアジア大陸との交易に特化した,独立した王国だった」と定義しています。(38ページ)

 私がいま「オール沖縄」や「イデオロギーよりアイデンティティ」とお話ししているのも,歴史の新しい1ページを開いたという気持があります。(P.38.)

 ・・・・時代が来たという感覚と,私自身政治家としてこれ以上望むべくもないところまできて,沖縄のために,沖縄のためにということは日本のために,さらには世界のためにもなるのだという信念,沖縄問題解決なくして日本が一人前になるわけはないという思いを持って,この数年来動いてきました。(P.38~39.)

 沖縄が日本に甘えているのでしょうか,日本が沖縄に甘えているのでしょうか。これを無視してこれからの沖縄問題の解決,あるいは日本を取り戻すことはできない。(P.39.)

 終戦直後から6~7年はまだ産業も何もありませんから,基地関連収入が50%で,生きるか死ぬかというきわめて深刻な話だったのです。基地関連収入はその後復帰時に15%に落ちて,いまは5%を切っています。(P.41.)

 47都道府県の中で,沖縄には日本国から来た在沖大使がいらっしゃるのです。意外と本土の方々はご存じないのですが,何ゆえ沖縄には大使が置かれているのか,また日本国は沖縄というものを一体どのようにとらえて向き合っているのか,このことからもよくわかると思うのです。(P.44.)

 道州制度が始まったら,沖縄の意思は単独州を望んでいます。今日までの議論で県議会関係,経済界,諸団体の多くが単独州として改めて万国津梁(しんりょう)の精神をもってアジア,世界に飛び立っていこうという思いを,沖縄県民ははっきり持っているのです。(P.45.)

 なぜ辺野古の新基地建設に反対するか,それは当然のことながら単に反米という話ではありません。このままでは日米両政府が沖縄のあるべき姿,アジアとの関係をちゃんと話し合わないのではないかという意味からなのです。辺野古について再考することが,日米関係,日米安保体制を問い直し,さらには米中,日中関係を,尖閣諸島をどうするかという,たくさんの課題を整理し改善していくことにつながる。だから私は,まず基地問題に取り組んでいきたいのです。(P.45.)

 2~3年前から,沖縄県民自らが策定をした21世紀ビジョン,まさしくアジアの経済成長と連動していく計画が見えてきています。(P.45.)

 沖縄の歴史,伝統,文化,自然,琉球王朝時代のアジアへの架け橋となるという思想といったソフトパワー,それから東西1000キロ,南北400キロに有人の島が約40,全部入れると160,ここにある海底資源,それから日本の排他的経済水域も,沖縄の広大な海域がある事で世界第7位という優位性がある。これらをベースにしながら,アジアのダイナミズムと連動していこうと考えているところです。(P.45.)

 一番目に先頭を切ったのが6年前に始まったANAの国際物流拠点で,始めた当初は約1900トンでしたが,いまはその100倍になっています。北海道の海産物や長野のイチゴなどが沖縄に集積されて,アジアに24時間以内に持って行ける。逆もまたしかりで,24時間以内にアジアの物産が沖縄から本土へ,という動きが大変活発になってきています。初めて沖縄が日本のフロントランナーとしての役割を果たせるものが,地政学的にも大変いい形で動き出してきました。まさしく日本とアジアの架け橋になるわけです。(P.46.)

 もう一つは情報通信関連産業で,10年前から沖縄に集積して,その労働人口が約3万人となっています。観光産業は約4500億円ですが,情報通信産業は3000億円をうかがうようなところまできています。もともと県として国際海底ケーブルを使う情報通信関連企業の誘致を進めていたのですが,今年度には首都圏と沖縄,香港,シンガポールを結ぶ通信回線が完成する予定です。この海底ケーブル事業には,アメリカのヒューレット・パッカードという2兆円企業や中国からも沖縄立地の話があり,情報通信産業のアジア中心地になる可能性があります。(P.46.)

 以上で,終わりにします。でないと,際限なく,翁長語録がつづくからです。まだまだ,重要な発言がつづきますので,ぜひ,雑誌で確認してみてください。

 とはいうものの,最後にこの一文だけはどうしてもここに書き留めておきたいと思います。

 沖縄の基地問題の解決は,日本の国がまさしく真の意味でアジアのリーダー,世界のリーダーにもなり得る可能性を開く突破口になるはずです。辺野古の問題で,日本と沖縄との関係は対立的で危険なものに見えるかもしれませんが,そうではないのです。沖縄の基地問題の解決は,日本が平和を構築していくのだという意思表示となり,沖縄というソフトパワーを使っていろいろなことができるでしょう。様々な意味で沖縄はアジアの架け橋になれる。

2015年4月8日水曜日

火中の栗に手をつっこんだ菅官房長官。翁長知事の一人勝ち。沖縄県民の支持83%。

 誤魔化しの詭弁は正論には通じなかった。そのことは最初からわかっていたことだ。しかし,政府が翁長知事からの面談要求を無視し,しかも逃げ回っているという批判の声が高まってきたために,方針を転換した。そして,いかにも誠意があるかのようなポーズをとって,いやいや菅官房長官は沖縄県に乗り込んだ。そして,なんとかなるのでは・・・とタカをくくっていたが,そうは問屋が卸さなかった。

 「辺野古の移設を拒否すれば,普天間が固定化されることになる」(ゾッ!)と脅しをかければ,翁長知事の態度も軟化するのではないか,沖縄県民も「それは嫌だ」というのではないか,と菅長官は計算していたようだ。そういう反応を予測して,辺野古の移設は「法的手続にもとづいて<粛々と>進める」のだ,と打ってでた。しかし,それはあまりにも相手を甘くみすぎていたようだ。翁長知事は待ってましたとばかり噛み付き,反論を展開した。つまり,「上から目線」の傲慢な態度だ。そういう発言を繰り返せばくりかえすほど,県民の反発は高まるばかりだ。そうではなくて,選挙をとおして明白になった県民の民意を尊重し,民主主義を否定するような政治はすべきではない,それはたんなる政治の堕落にすぎない,と。

 これで勝負あった,だ。

 それにしても,今回のような公開の対談はとてもいい。ガラス張りですべてが可視化された。なによりよかったのは,本土のメディアも一斉にこの対談を取り上げ,大きく報道したことだ。もちろん,NHKなどのような「粛々と」ということば遣いだけを取り上げ,問題の本質を歪曲したみっともない報道が多かった。がしかし,なかにはきちんと対談の内容を分析し,問題の所在を浮き彫りにしたメディアもあった。

 これでようやく本土の人間の眼にもオキナワ問題が視野のうちに入ってきた。そして,少なくとも政府と沖縄県との見解が根本的に「すれ違っている」くらいの認識はもったはずだ。少しは関心度が高まったはず。そして,もう少し関心をもった人には,インターネットをとおして,菅×翁長対談の「全文」が読めるようになったことだ。ここには嘘偽りはない。生の声を知ることができる。しかも,もっと知りたい人は『沖縄タイムス』や『琉球新報』をみれば,詳細に対談の内容が分析され,問題の根底になにがあるのか,を知ることもできるようになった。これは,これまでの膠着状態のままの,狸と狐の騙しあいのようにみえる世界から一歩抜け出して,両者の見解の相違を公開の場で明らかにした,という点で大きな前進である。

 両者とも,これからも対談を積み上げようと合意したという。ぜひとも,この約束を菅官房長官は守ってほしい。そして,とことん議論をすべきだ。そして,積み上げたその議論を,つぎつぎに白日の下にさらけ出すことだ。そして,この議論に下手な論評は加えないことだ。両者の生の声をそのまま流すだけでいい。それをどのように受け止めるかは読者が判断することだ。権力におもねるようなげすな評論家の意見などは,かえって邪魔だ。

 このようにして,対談を重ねることによって,本土の人間も少しずつオキナワ問題の,なにが,どのように問題なのかがわかってくる。そうして,オキナワ問題は本土の問題なのだ,という認識に到達するだろう。そうしたとき,はじめて「県外移設」ということが意味をもちはじめてくる。

 その第一歩が踏み出された,その事実を高く評価したい。そして,火中の栗に手をつっこんだ菅官房長官の勇気も高く評価したい。そして,つぎなる対談に臨んでほしい。それこそが公約の「丁寧に説明する」ということだ。そして,問題の本質を明確にした上で,国民の信を問えばいい。

 手練手管の菅官房長官がつぎにどんな手を打ってくるのか,楽しみでもある。それに対して翁長知事は迷うものはなにもない。ひたすら,オキナワが歩んできた「歴史」と「民意」を語るだけでいい。こんどの対談の結果,翁長知事を支持する県民が「83%」に達しているという(『沖縄タイムス』)。この数字は政府にとっては脅威だろう。しかし,だからといって対談を拒めば,さらにこの数字は高くなっていく。まずは,真っ正面から向き合うことが先決だ。

 それよりさきに,まずは,工事を一時中断すべきだ。そして,対談を先行させるべきだ。あるいは,沖縄県が請求している海底調査をさせるべきだ。少なくとも,仲井真前知事の「承認」手続に瑕疵がなかったかどうかの調査結果がでるまでは,工事を中止すべきだ。こんな非民主主義的なことをいつまでもつづけていると,海外のメディアも放ってはおかない。すでに,かなりのメディアが直接,取材に入っているという。そして,民主主義と人権が,当面の話題になっているとも聞く。

 こうなってくると日本政府のみならず,アメリカ政府にとっても看過できない事態というべきだろう。権力を嵩にかけての詭弁は,いつか,必ず化けの皮がはがれるものだ。この際,とことん議論を重ねて,「日米地位協定」の存在まで突っ込んでいくことを期待したい。諸悪の根源はここにあるのだから。人を人として扱わない「協定」などが存在すること自体が奇怪しいのだから。アメリカ政府ともあろうものが・・・・。いやいや,アメリカ政府だから,というべきか。

オキナワ問題の正念場だ。こうなったら,遠く本土からも熱い支援をしていきたい,としみじみおもう。いつも書くことだが,まずは,できることから。