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2015年11月17日火曜日

「赤い実のなる木」はアメリカハナミズキだということがわかりました。

 10月25日のブログに「赤い実のなる木」の写真を載せ,この木がなんの木なのか教えてほしい,と書きました。が,だれからも応答がないまま日が過ぎていました。

 11月14日(土)に法事があって帰省し,久しぶりに親戚の人たちと顔を合わせました。その中の一人に従兄弟で植物に精通しているY君がいて,「赤い実のなる木の名前,わかったかん?」という。「いや,わからん」とわたし。「たぶん,ありゃあ,アメリカハナミズキだとおもうだがのん」という。「えっ?どうして?」とわたし。そこから,Y君の植栽に関する蘊蓄話がひとしきりつづきました。お蔭さまで,植物のことに疎いわたしにはとてもいい勉強になりました。

 Y君は,大学で生物を専攻した専門家です。自宅の庭にもさまざまな花や実をつける花卉を植えて,丹念に手入れをしてきたベテランです。中学校の校長を最後にリタイアし,いまは大好きな植栽と農作業を楽しみながら悠々自適の生活を送っています。羨ましいかぎりの人生です。わたしとは6歳ほど(?)年齢は離れていますが,子どものころから親戚のなかでは一番親しくさせてもらっている従兄弟です。

 もう少しだけ補足しておきますと,わたしが尊敬してやまない大伯父(一道和尚)の長男です。一道和尚のことについては,このブログでも何回も書いてきていますので,ご記憶の方も少なくないとおもいます。Y君は,大学受験のときに,英文学に進むか,生物学をやるか,大いに考えた末に生物学を選び,教職の道に進む決意をしました。以後,教員生活をまっとうし,3人の子どもさんを立派に育て,こんにちにいたっています。穏やかな性格の好漢です。

 さて,そのY君の蘊蓄をここに全部書くことはとても不可能ですので,最小必要限度にとどめておきたいとおもいます。

 「あの写真をみて,これはアメリカハナミズキに違いない」とおもったという。そして「あれだけの赤い実をみごとにつけているのをみると,相当の腕前の人が世話をしているなぁ」とおもった,と。「そう,あの木は植木屋さんの屋敷のなかにたくさん植えてある売り物の木の一本だから」とわたし。「ああ,そうだらぁのん。素人ではあれだけの赤い実をつけることはほとんどできんでのん」という。「どうして?」とわたし。ここから話は一気に面白くなりました。

 日本にむかしからあるハナミズキは,花弁の色(白,ピンクがほとんど)を楽しむだけの,どちらかといえば地味な木でしたが,アメリカからハナミズキの木がプレゼントされてから様子が一変しました。アメリカのハナミズキは,春の葉っぱのみずみずしさや初夏の花弁だけではなく,紅葉すると真っ赤になり,しかも落葉したあとに赤い実を残す木で,四季折々に楽しめる木としてアメリカではとても大切にされてきました。ですから,アメリカ人にとっては意味のある重要な木なのです。

 このハナミズキが日本にプレゼントされた背景にはこんな話があります。最初に,日本から吉野桜がワシントンに送られ,満開の花を咲かせ,多くのアメリカ人が感動しました。アメリカ人が,その返礼として選んだのが,このハナミズキだったのです。

 ところが,アメリカ育ちのハナミズキは日本の土壌とはなかなかうまく合わず,背丈だけは大きく育ちましたが,赤い実をつけるのは至難の技でした。そこで,いろいろと創意工夫をした結果,肥やしをやるタイミング,水を与えないでいじめるタイミング,土壌の管理,根切りの技術とタイミング,等々が必要だということがわかってきました。しかし,それをマスターしている人はほとんどいません。ですから,ほとんどのハナミズキは背丈だけが大きく伸びて,みずみずしい葉を生い茂らせるだけの木になっています。ましてや,赤い実をつけるように手入れするのはたいへんなことなのです。

 という話を,寺での法事を終えて会食するために移動中のバスの中で聞きました。そして,料理屋さんに到着すると,その入口の横にアメリカハナミズキがあるのを目ざとくみつけたY君が「この木だらぁ」という。「そうそう」とわたし。赤い葉っぱを少しだけ残していて,2,3個の赤い実がついていました。まぎれもなく,わたしが目にした「赤い実のなる木」でした。これで,完全にわたしの疑問は晴れました。Y君にこころから感謝です。

 もう一度,植木屋さんのアメリカハナミズキをじっくりと鑑賞してみようとおもいます。来年の春から,このアメリカハナミズキがどのように変化していくか,楽しみが増えました。

2015年10月25日日曜日

「赤い実」のなる木。ちいちゃい秋みーつけたぁ。

 鷺沼の事務所に通う,いつもの道沿いに,「赤い実のなる木」を発見。久しぶりに青空が広がったので,ひときわ,美しく映えていました。しばらく立ち止まって鑑賞していましたが,やはり,写真に撮っておこうと考え,ザックからカメラを取り出して撮影。

 
肉眼でみるのと,写真でみるのとでは大いに違うので,撮影にはいつも苦労する。肉眼だと,とてもきれいにみえているのに,写真にすると,これなに?という感じになってしまう。こういうことはよくあることだ。この写真もその一つ。いったい,なにが撮りたかったの?と自問自答。

 
これでは駄目だと考え,アップにしてみれば,この赤い実がきれいにみえるのではないか,と考えて撮ったのがこの写真。いくらか「赤い実」がみえてきた。でも,なんだかもの足りない。肉眼では,もっともっと「赤い実」がくっきりとみえているのに・・・・。

 
では,もっとアップにしてみればどうだろう,と考えて撮ったのがこの写真。ようやく,肉眼でみえている「赤い実」に近くなってきた。それでも,まだ,満足はできない。それほどまでに,肉眼には美しく青空に映えているのだ。もう,これ以上は無理だ,と判断して諦める。

 そして,しばらくは肉眼で鑑賞。きれいだ。ほんとうにきれいだ。おそらく,この枯れ葉が落ちてしまえば,もっと「赤い実」が際立ってくるだろうなぁ,とあれこれ想像してみる。ザックを下ろしたまま道路脇に立ってぼんやり上を眺めているので,道行く人が不思議そうな顔をしてとおりすぎていく。その人たちにしてみれば,なにも立ち止まってみるほどのものではないのかもしれない。しかし,ほとんどの時間を部屋に閉じこもって生活している者にとっては,こんな「小さな秋」発見ですら嬉しくて仕方がないのだ。なぜ?

 こういう光景に出会うと,わたしの記憶は一気に子ども時代に飛んでいく。そして,この赤い実は,竹鉄砲の絶好の弾になるな,とひらめく。でも,この赤い実を弾にするにちょうどいい雌竹を見つけるのはむつかしいかなぁ,とおもったりする。駄目なら,太さの違う雌竹を何本も用意すればいい。そうして,サイズを合わせればいい,などと勝手に想像だけが一人走りしていく。

 至福のひととき。あの時間が止まったかのような,遊ぶ時間がたっぷりあった子ども時代の記憶がつぎつぎに蘇ってくる。

 やはり,道行く人にとっては,変な老人に見えたのだろう。だって,こころ,ここにあらず,という顔で空を見上げているのだから・・・・。

2015年8月22日土曜日

ことしのサルスベリの花はことのほかみごと。猛暑が幸いか。その生命力に感動。

 ことしの猛暑が,サルスベリの木には朗報だったのだろうか,例年にない多くの花をつけている。
むかしから,夏の暑い盛りに花をつけるので,夾竹桃とともに人びとの尊崇の的だ。また,精力絶倫の木としても知られている。

 この木は,わたしの住んでいるマンションの管理組合が管理しているもので,いっときは花もつけないから切ってしまえ,という話もあったとか。しかし,いまから3年ほど前,わたしが管理組合の植栽部会に属しているとき,植木屋さんに相談してみると,まわりの木が大きくなりすぎていて,そちらに圧倒されてしまっているからだ,とのこと。まわりの雑木の枝を払ってやって,日当たりをよくしてやれば立派な花をつけますよ,とのこと。

そこで,早速,管理組合の理事会に諮って,周囲の雑木の枝を払ってもらうことにした。どういうわけか,雑木を伸び放題にすることを主張する人たちもいて,すったもんだの末に,ようやくわたしたちの提案がとおった。その3年後の姿がこれである。いまにも枯れそうだったサルスベリが,いまでは存分に枝を伸ばして生き生きとしている。そして,ことしのこのみごとな花である。

 
サルスベリという名を知った子どものころから,この木が好きだった。サルも滑るというその名のとおり,サルスベリの木に子どもたちが登るのは至難の技だった。年に一度,木の皮がはがれてツルツルの幹が剥き出しになる。だから,手がかりがないのだ。となればなおのこと,この木を制してみたくて,何回もチャレンジしたものだ。

親戚の寺の境内に一本だけサルスベリの木があって,泊まり掛けで遊びに行ったときなどに,この木に挑戦したことを思い出す。しかし,なぜか,この木に登ろうとすると祖母が「登ってはいけない」という。理由を聞いても「この木は登ってはいけない木なのだ」としか答えてはくれなかった。なにか,口にしてはいけない理由があるようなそぶりだった。が,最後まで教えてはくれなかった。いまもわからないままだ。

この木の手前には,大きなスーパー・マーケットがあって,毎日,多くの人がここを通りすぎていく。ほとんどの人はあまり関心がないようだが,中には感じ入ったようにじっと眺めている人もいる。そういう人に出会うとなんとなく嬉しくなる。

 
やはり,真夏の盛りに満開の花を咲かす,その生命力はすごいものだとおもう。ほとんどの木が夏には暑さにやられて,勢いが衰えるなかで,花を咲かすのだから・・・。

わたしの住んでいるマンションのすぐ下にあるスーパー・マーケットには毎日のように食材を買いにでかけるので,このサルスベリとも顔を合わすことになる。最近では,「今日も元気か」とこころの中で声をかけながら,逆に,この木から元気をもらっている。もちろん,立ち止まって,しばらく眺めているのだが・・・・。

カメラを持ち出していって写真を撮っていたら,初めて気づいたかのようにサルスベリを振り返り,「ああ,きれい」と言う人もあれば,このおじいさんはなにをやっているのだろう?と訝る人もいる。世の中,いろいろの人がいて面白い。総じて小さな子どもは素直でいい。わたしがカメラを構えている方向をみて,「お母さん,きれいだね」という女の子がいる。それだけで嬉しい。ことばを交わさなくても,この子とは気持が通じている。

ここまでサルスベリが元気になったら,来年もまた立派な花を咲かせてくれることだろう。花の少ない夏にあっては,希少な価値をもつサルスベリの木である。しかも,開花期間が長いのも魅力的だ。幹に近い方から開花していき,次第に先端が開花する。早く咲いた花芽は受粉して青い実となっている。

そばに近寄って,花房を観察してみると,青い実と花とが半々くらい。ちょうど,いまが開花の中頃というべきか。いつごろまで花が咲き続けるのか,これもまた,これからの楽しみ。

2015年8月6日木曜日

ようやくエアコンが入りました。これでようやくこの猛暑を無事にやりすごすことができそう・・・・。

 昨日(8月4日)で,猛暑日が観測史上最長の5日連続を記録しました。熱帯夜も同じ。なにせ頼みのエアコンが壊れてしまったので,取り替え工事にきてくれるまでの一週間をどうやりすごすか,ありとあらゆる智恵を駆使して,今日(8月5日)を迎えました。

 昨夜は12時すぎたころから,西風が吹くようになり,部屋のなかを涼しい風が通り抜け,久しぶりに熟睡することができました。その西風が今日の午前中も吹いてくれましたので,まずは快適。午後から,この頼みの西風が南に偏るようになり,部屋のなかは無風状態。仕方がないので,とりあえず,安物の扇風機をまわすことにしました。

 猛暑日の5日間の,昨日の夕刻までは,南風が吹いていて,部屋のなかは扇風機をまわしても,ほとんどサウナ状態。熱風がかき回されるだけの話。必死になって水分を補給し,暇さえあれば横になる,という対策をとりました。とうとう,水分補給も胃腸が拒否しはじめ,困ったことになりました。もういらん,というのです。しかし,背中は汗が運動会をやっています。汗がでなくなったらたいへんです。ですから,なんとかして水分を補給しようとするのですが,水もポカリスエットもコーラもサイダーもジュースもいらないとからだが拒否します。困った,と頭をかかえてしまいました。

 しばらくぼんやりと考えていたら,スイカが食べたい,モモがたべたい,ブドウが食べたいと胃腸が言いはじめました。あっ,そうか,果物で水分を補給しようと気づき,すぐに近くのスーパーに走りました。いずれの果物もシーズンを迎えていますので,比較的安く買えることがわかりました。とりあえず,ひととおり購入してきて,冷蔵庫の野菜室に保管。さあ,大丈夫だ,と一安心。

 この作戦は功を奏し,からだが喜んで受け付けてくれました。ありがたい。でも,一度に食べすぎると,弱っている胃腸が騒ぎだします。だから,その直前でやめなくてはなりません。つまり,ちょびちょびと,少しずつ回数を分けて食べることに。これでなんとか生き継ぐことができそうだ,と目処が立ちました。

 昨夜の電話での約束どおり,午後4時に,エアコンの取り替え工事の業者がやってきました。西日の当たる猛暑の真っ盛りでの工事です。業者は汗だくになって一生懸命,やってくれました。なかなかいい人で,気持よく作業が進みました。たった一人でとりかかって約2時間。休む間もなく働いて,ようやく完了。早速,試運転。いろいろなところをチェックしながら,順調に動くことを確認して,業者は帰りました。

 それからずーっとエアコンをつけていますが,汗もかかない快適温度にセットしてありますので,なによりからだが楽をしています。これで夏バテから脱出できそうです。胃腸のはたらきも回復してくることでしょう。

 ということを見届けた上で,明日(6日)から神戸市外大の西谷修さんの集中講義(途中からですが)を聴講しに行ってきます。退院後,初の遠出です。新幹線のなかはゆっくり休むことができますので,大丈夫だろう,とタカをくくっています。

 取り急ぎ,わたくしごとながら,ご報告まで。

2015年3月23日月曜日

東京も開花宣言。このところの暖かさで一気に開花。

 桜の開花というものは不思議です。つい2週間ほど前には,まだまだつぼみが固く,こんなんではことしの開花は遅れるなぁ,と勝手に想像していました。が,ここ数日の暖かさで一気につぼみがふくらみ開花にこぎつけた。例年より少しだけ早いという。

 いつもの鷺沼の事務所に向かう途中でみかけた開花の様子を写真に撮ってみました。ご鑑賞ください。

 
最初の2枚は,あるお屋敷に咲いていた桜2種。ボタンザクラとヒカンザクラか。ちょっと自信がありません。右のヒカンザクラは間違いないでしょう。

そのつぎは,オカメザクラ。こちらはカッパーク公園の入口に咲いていました。木札がついていて,そこに「オカメザクラ」と書いてありました。みごとな咲っぷりに見とれてしまいました。まだ木も若く元気一杯です。オカメザクラという名前も初めてでした。


ここから下の写真は,いつもの植木屋さんの屋敷の開花情況。



。


この植木屋さんのお屋敷はいつ通ってみてもなにかの花が咲いています。ですから,四季折々の花の開花を楽しむことができます。ありがたいことです。

 
河津桜と梅の花びらが混じって散っていました。
この光景もなかなか風情があっていいものです。
 

2015年3月18日水曜日

暖かで穏やかな一日でした。河津桜が散り始め,緋寒桜が開花寸前。

 今日(3月17日)は4月中旬並の気温を記録し,急に春が到来したかとおもわれるほどの暖かい一日となりました。鷺沼の事務所に通う,いつもの植木屋さんの庭の河津桜が散り始めていました。そのすぐとなりの緋寒桜が開花寸前。春爛漫の雰囲気がこの一帯だけに漂っていました。なんとものどかな気分を味わうことができ,ほっとしました。

 
こちはは河津桜。桜は木の上の方から開花をはじめ,散るのもやはり上から。この写真でもおわかりのように,上の方はすでに葉桜になりはじめています。そして,中段から下段にかけて満開の度合いが違うのがよくわかります。左下のところに緋寒桜がちょっとだけ顔を覗かせています。ピンクの河津桜と緋色の緋寒桜が好対照です。


 こちらが緋寒桜の南側の半分。ことしは勢いがいいので,みんなみごとに咲いてくれそうです。こんなに元気がいいのは久しぶりです。一昨年は,蕾のままで枯れ落ちてしまいました。というより,なんとなく元気がなく,蕾もそれほど大きくならないので心配していましたら,やはり,中途半端な蕾のまま枯れてしまいました。なんともいやな気分でした。なにか緋寒桜にとって不都合な気象条件でもあったのか・・・と考えていたら,もしかして・・・?とけして現実になってほしくない妙な妄想までしてしまいました。昨年も,それほど元気があったとはおもえませんでしたが,なんとか開花することはできました。が,ことしは大丈夫なようです。ほぼ完璧な姿で開花することができそうです。もともと,下を向いて開花する種類ですので,どこか沈痛な気持にはさせられる花です。手前の右側は,いまにも開花せんばかりの勢いです。明日には開花することでしょう。

 世の中,暗い話題ばかりがつづきます。ひとつとして明るい話題がありません。ことしは,パッと花見でもして,気分転換をし,その勢いを借りて,フクシマやオキナワの集会やデモにも参加しようとみずからに言い聞かせています。それと,なにがなんでも戦争をする国になることだけは阻止しなくてはなりません。いまの若い人たちに戦争の悲惨さというものをつたえることも,わたしのような戦争体験世代の大事な仕事であり,責任だとおもいます。これまでなんとなく憚られて,あまり話題にもしてきませんでした。それがいけなかったのでは・・・と反省しています。

 いつものことですが,できるところから,ささやかでもいい,行動を起こすことからはじめたいとおもいます。そんな気持にさせてくれる,暖かくおだやかな今日一日の気候でした。

 あと10日もすれば,染井吉野が開花する,と気象庁は発表しています。ことしは少しばかり早いようです。いい天気に恵まれることを祈りたいとおもいます。

2015年3月1日日曜日

もうすぐ春(ハール)ですねぇ。キャンディーズの歌が懐かしい。

 あのころはよかった。なにせ,戦争をしない国をめざしてみんな一致団結していたから。どんなことがあっても戦争だけはしない,と。みんなこころに決めていた。それが当たり前だった。当時は,自民党ハト派も健在だった。

 厳しい冬をやりすごせば,必ず暖かい春はやってくる,とみんな信じていた。そんな気持を代弁するかのようにキャンディーズが,明るく,爽やかに,声を合わせて元気よく歌っていた。子どもに人気があった。この歌を聞きながら,大人もなんとなくほっとしたものだ。みんな希望に燃えていた。元気だった。朗らかだった。笑顔だった。

 それが,どうだ。街中から笑顔がどんどん消えていく。冬の寒さとあいまって,こころなしか,みんな背中を丸めて俯いて歩いている。歩く姿に元気がみられない。スピードもどことなく遅い。足どりが重い。それ以上に気持が重い。

 ニュースも暗く憂鬱になるものばかり。
 ・中一の,離島から川崎にやってきた,バスケットボール好きの,明るい少年が,こともあろうに多摩川の河原で殺されるなんて・・・・。
 ・違法政治献金は「知らなかった」のであれば違法ではないと総理大臣が「居直り」。それを弾劾するジャーナリズムも政治家もいないなんて・・・。
 ・一年も前から高濃度の汚染雨水が垂れ流しになっているのを承知していて隠しつづけていた東京電力。しかも,公表する必要はなかったとおもっていた,だなんて・・・。
 ・沖縄県民の民意にはいっさい耳を傾けようともしない政府自民党。自由民主党という名が廃る。民主主義を頭から否定する政治を臆面もなくやってのける。独裁体制の確立。
 ・目に余る国家権力という名の「暴力」の横行。みんな「みてみぬふり」「だんまり」を決め込むしかないかのように・・・・。
 ・原発再稼働にむけてまっしぐら。だれも止めようともしない,この異常さ。反対運動はいっさい無視(メディアも)。

 もう,これ以上,あげつらうのは止めにしよう。悲しくなるだけだから。

 こうした人間のあざとさをあざ笑うかのように,自然界は自然の摂理を粛々とすすめている。

 久しぶりに浴びる日差しが暖かい。太陽に,いつのまにか勢いがでている,と気づく。
 思わず口をついて出てくる歌。「もうすぐ春(ハール)ですねぇ」(ピンク・レディー)。

 鷺沼の事務所に向かう道路の,いつもの植木屋さんの屋敷の植物がいつのまにか色づいている。しばし,足を止めてカメラを向ける。

 
緋寒桜のつぼみが赤みを帯びて大きくなっている。開花が近い。

 
河津桜がちらほらと咲いている。このくらいのときの方が控えめの春を強く感じさせる。わたしの好きなさくら。

 
ひいらぎの花も開花。これから,どんどん開花していく。毎日が楽しみ。


 レモンの黄色い実が濃緑の葉に映えている。綺麗だ。

 
木蓮(白)のつぼみもふくらみはじめている。これも,もうすぐ開花だ。

 
しだれ桜はもう満開だ。この種類はなんというのだろう。こんど植木屋さんに逢ったら聞いてみよう。とても,気さくに教えてくれる。すっかり顔なじみ。昔気質の心地よい会話が楽しめる。このごろあまり姿をみかけないが,元気なんだろうなぁ,とちょっぴり心配。

 カレンダーをみてびっくり。もう,3月1日(日)なんだ。

※朝早く,お二人の方から「ピンク・レディー」ではなく,「キャンディーズ」だ,とご指摘をいただきました。最初のお一人からのご指摘のときは,「エエッ?まさか?」と半信半疑でした。が,すぐにお二人眼からのご指摘があり,これはもう「白旗」を挙げるしかない,と覚悟。急いで訂正をさせていただきました。ああ,もう,その区別すらできなくなっている・・・・と情けなくなっています。ショボン。

2014年11月1日土曜日

運動会「人間ピラミッド」の是非論をめぐって。

 運動会の人気プログラムのひとつに組体操の「人間ピラミッド」があります。途中で崩れてしまったらどうしようと,これを演ずる児童・生徒たちも,それを見守る父兄たちも真剣そのものです。長い時間をかけて練習をしているわけですが,最終的には,みんなの気持と場の力がひとつになることによって成功を収めることができます。

 運動会で「人間ピラミッド」を成功させる,というひとつの目的に向かって大勢の児童・生徒たちが一丸となることの経験は,学校教育の場面でも数少ない貴重なものではないか,とわたしは考えています。しかし,統計的に処理をしたところ事故が多すぎるとして,高さを競う人間ピラミッドには教育的な意味はなにもないと断定し,即刻,中止すべきだと主張する人もいらっしゃいます。はたして,そんな単純な理論(理屈)で,人間ピラミッドを「全否定」してしまっていいのだろうか,というのがわたしの立場です。

 ここで問題になっている「人間ピラミッド」は,わたしが経験した古典的なピラミッドではありません。世界中に,それぞれに工夫された「人間ピラミッド」がありますが,それとも違います。いま,話題になっている「人間ピラミッド」は,よしのよしろう(吉野義郎)さんの創案に成るものです。よしのさんは兵庫教育大学の大学院で「組体操」の研究に取り組み,その研究成果の一つが「人間ピラミッド」という名の,まったく新しいコンセプトによる組体操です。方法もずいぶん斬新なものです。しかし,この新しい方法の創案によって,組体操「人間ピラミッド」が生まれ変わり,より多くの児童・生徒に楽しんでもらえる教材となりました。

 そのなによりの特色は,大勢の児童・生徒が一団となって取り組むことができるという点にあります。体力のある子も,きわめて軟弱な子も,それぞれに役割分担をすることによって,全体に貢献することができます。つまり,そのポジションによってきわめて難度の高いパートと,だれでもすぐにできるパートの両方を併せ持つ組体操である,ということです。その組み合わせさえ間違わなければ,6段,7段くらいの「人間ピラミッド」は容易に組み立てることができます。ですから,児童・生徒たちにも人気があります。

 問題は,どの高さまでは安全で,それ以上は危険だ,という境界線の引き方・判断の仕方のむつかしさにあります。つまり,先生の指導力と児童・生徒の習熟度によってケース・バイ・ケースの判断をするしか方法はありません。この点さえ,間違えなければ,わたしは組体操「人間ピラミッド」は立派な運動課題であり,誇るべき教育内容である,と考えています。

 まくらの話はこの程度にして,いま話題の「人間ピラミッド」について,いつもの『ひろばユニオン』(労働者学習センター刊,11月号)に拙稿を投じましたので,ご一読いただければ幸いです。

 
 
 
 
なお,読後の感想,ご意見などお聞かせいただければ,なおいっそうありがたいと思います。

2014年9月24日水曜日

組体操,驚異の「10段ピラミッド」の謎。その理論と構造を読み解く。

 前日のブログのづきです。

 組体操の「10段ピラミッド」が話題になっていますが,その是非を問う前に,この「10段ピラミッド」とはどういうものなのか,その理論と構造を確認しておきたいと思います。

 なぜなら,わたしの知っているピラミッドの積み上げ方からすれば,それは不可能だからです。最初に,ネット上で「10段ピラミッド」ということばを見つけたとき,なにを馬鹿なことを言っているのか,とまったく理解できませんでした。そんなことができるわけがない,ありえない,これはわたしの確信でした。

 不審に思って,ネットをあちこち探してみました。そこでわかったことは,ひとくちに「ピラミッド」と言っても,その積み上げ方はさまざまである,ということでした。いま,行われている「ピラミッド」はわたしの知っているそれとは発想の違う,まったくの別物でした。結論的にいえば,積み上げる,というよりは「立ち上げる」と言った方が適切ではないかと思います。

 わたしたちがやっていたピラミッドは,全員が両手・両膝でウマになり,その上に,両手は下のウマの肩・肩甲骨あたりにおき,両膝は下のウマの臀部・骨盤のあたりにおき,さらに,3段目も同じようにして積み上げていきます。正面からみれば二等辺三角形ですが,横からみると単なる一枚の壁です。

 この方法ですと,5段重ねのピラミッドが高校生の,しかも鍛練をつんだ体操部部員の限界でした。5・4・3・2・1という具合に下から順に人数を減らしながら,上に積み上げていきます。5・4・3までは,それほど苦労することもなく積み上げることができました。しかし,最後の2・1は別次元の難度でした。何回も何回も失敗を繰り返しながら,いろいろのアイディアや智恵を出し合い,精度を高めていきました。そうして,ようやく成功したときの喜びは感無量でした。この達成感はえも言われぬものでした。とりわけ,運動会の本番で成功したときの充実感はなにものにも替えがたいものがありました。

 ですから,このわたしの常識からしますと,「10段ピラミッド」なんて,とんでもない,ということになります。サーカスのような特別の訓練をした人たちでも不可能でしょう。それは単純に力学的に考えてみて不可能だからです。なぜなら,一番下の真ん中のウマの上には,単純に計算しても,9人分の体重がかかることになります。仮に一人50㎏としても,450㎏の重力がかかることになります。それを両腕・両膝で支えることはできるわけがありません。

 では,いま行われている「10段ピラミッド」はどういう方法で「立ち上げて」いるのでしょうか。完成した全体の形態をみてみますと,三角錐になっています。つまり,一枚の壁ではありません。そして,よくみてみますと四方から力を中央に寄せ集めつつ,下への重力の負担を軽減する,そういう工夫がこらされた,まったく新しいアイディアから誕生した「新・ピラミッド」であることがわかってきました。

 この「新・ピラミッド」を考案したのが,よしのよしお(DVDネーム,実名は吉野義雄)さんです。かれは兵庫教育大学大学院で組体操の研究に取り組み,まったく新しい,つまり下への重力を軽減しつつ高さを求める,新・ピラミッドの立ち上げ方を編み出した,といいます。

 その原理を短いことばで説明するのはとても難しいのですが,なんとかチャレンジしてみましょう。まず,基本形になるウマの種類は2種類。ひとつは,従来のように両腕・両膝でつくるウマ(A),もうひとつは,両腕をウマの両肩甲骨の下あたりに当てて上体を前に倒し両脚で立つウマ(B)です。この2種類のウマを組み合わせて,「新・ピラミッド」を立ち上げていきます。

 まず,両手・両膝でつくるウマ(A)は最下段の第一列に横並びに置き,第二列目は両手・両脚でつくるウマ(B)が並びます。これが第二段目となります。そして,第三列目は両手・両膝のウマ(A)が並び,第四列目は両手・両脚のウマ(B)が並びます。という具合に第一段目(A)と第二段目のウマ(B)が交互に組み合わさって,まずは土台ができあがります。そして,第三段目からは,すべて(B)のウマで立ち上げていきます。

 そして,この「新・ピラミッド」を立ち上げるためのポイントは二つあります。ひとつは,(B)のウマは両手に3割,両脚に7割の比重で重さを分散させること,つまり,垂直にかかる重力を斜め下に分散させること。もうひとつは,(B)のウマの両脚の間に,最下段のウマ(A)と一段下の(B)のウマが頭を入れ,両肩で上のウマの両脚をブロックすること。

 つまり,重力の分散と負担の大きい両脚のブロック(固定化)を果たそう,というわけです。この発想そのものはみごとなもので,これによってピラミッドの高さを実現するという夢を飛躍的に可能としました。わたしの計算では,7段ピラミッドまでは,少し練習をすれば,比較的簡単に立ち上げることができそうです。しかし,8段目からは異次元の世界に一気に突入します。それは,わたしの試算では,上からの重力が飛躍的に大きくなるからです。

 この境界領域で,たぶん,ピラミッドが一気に崩れてしまい,骨折などの事故が起きているのではないか,とこれはわたしの重力試算による推測です。7段ピラミッドくらいまでは,それぞれのウマとなる位置にふさわしい体格・体重・性格を慎重に選別していけば,たぶん,事故もなく立ち上げることは可能だと,これもまたわたしの重力試算の結果にもとづく推測です。

 以上が,「新ピラミッド」の立ち上げの理論と構造と問題点の概略です。ほんとうは,もっと細かく留意点を説明する必要がありますが,ここでは割愛させていただきます。詳しくは,ネットで確認してみてください。たくさんの実践例と解説が公開されています。

 今回は,これからの議論を展開していくための,基本の確認というところにとどめておきたいと思います。つまり,「新・ピラミッド」とはどういうものなのか,そして,「10段ピラミッド」の立ち上げ方はどうなっているのか,ということの概略を確認しておこうという次第です。その上で,名古屋大学の内田良さんの「言い分」や,賛否両論の内容を分析してみたいと思います。

 ということで,今回はここまで。

2014年9月23日火曜日

運動会シーズンのはじまり。組体操の10段ピラミッドに批判。はたして,どうか?

 「穂の国」の友人・柴田晴廣さんから,「ご存知と思いますが,組体操の危険性についての記事がありました」(http://www.j-cast.com/2014/09/16215983.html)とメールがありました。うかつにも,わたしはなにも知りませんでした。早速,開いてみて,二重,三重にびっくりでした。

 ひとつは,名古屋大学の内田良准教授の主張「組体操は危険だらけで,どこが<教育>なのか。即刻,止めるべきだ」というもの。
 もうひとつは,組体操のブームの火付け役でもあった「よしのよしろう」(吉野義郎)さんの理論と実践の矛盾です。つまり,理論は立派,実践はさきを急ぎすぎ。
 そして,さいごは組体操の是非をめぐる賛否両論の,不毛の議論です。

 以下は,ネット情報をサーフした結果と,わたしの体験からの意見です。

 まずは,わたしの立場について述べておきたいと思います。
 わたしは高校時代から体操競技をはじめ,大学もそういう道に進みました。そして,いまは,体操とはなにか,と問う研究者でもあります。ですから,一通り,体操(競技)の世界(歴史もふくめて)には通暁しているつもりです。組体操は,高校時代に運動会で,体操部の昼休みのアトラクションとして,みなさんに見てもらう経験もしています。

 そのために,ずいぶん工夫をし,練習したことを覚えています。指導してくれる先生はいませんでしたので,体操部の部員がみんなで考え,アイディアを出し合いながらの試行錯誤でした。それはたいへんな苦労をともなうものでした。失敗ばかりの繰り返しで,何回も何回も痛い眼に会いました。しかし,その試行錯誤の繰り返しが,部員全体がひとつになる,とてもいい経験だったといまは回想しています。

 そして,本番でも運動場にマットを敷きつめて,その上で組体操(わたしたちのころは「組立体操」と呼んでいました)を実施していました。それは「安全」の確保のためです。ずいぶん高いところから落ちてしまった場合でも,かろうじて「安全」が確保できるからです。しかし,いま,行われている組体操は,なにも敷いてありません。グランドの土の上で,そのまま実践されています。なぜ,そんなことが平気で行われているのか,わたしには大いなる疑問です。

 さて,くだんの「事故ばかり多くて,なんの利もなし。教育に値しない」と主張する内田良さんは,すでに『柔道事故』(河出書房新社刊)という著書をとおして注目を集めている新進気鋭の教育社会学者です。とくに,学校環境で起きる事故に焦点をあてて,多くの実績を残している学者さんです。一見したところ,完璧と思われる理論武装をして,警告を発しています。柔道必修化にともなう事故多発問題についての分析は,わたしも納得できる,素晴らしいものでした。きちんとした指導者を養成し,その上で柔道の必修化を進めるべきだ,という骨子の主張でした。

 そして,今回の「組体操」についても同じような主張をされています。大筋において,そのとおりなのですが,どこか釈然としません。ひとつは「組体操」を,全否定する,そのスタンスにあります。ひとくちに組体操といっても,その内容は多岐にわたります。きわめて簡単な組体操から,二人組でも難度の高い組体操もあります。人数が増えてもかんたんな組体操もあります。それらについてきちんと斟酌しているようには見受けられません。内田さんの頭の中は,たぶん,10段組みのピラミッドだけが強烈にあって,この危険性を告発すること,そのことがすべてではないかと思われます。ならば,難度の高い「10段組みのピラミッド」は危険ばかりで「なんの教育的価値もない」と,限定して批判をすべきでしょう。それを一把ひとからげにして「組体操」=危険=教育的価値なし,という単純な図式にするところに,わたしは違和感を覚えます。

 なぜなら,この手法はポピュリズムと瓜二つだからです。

 もう一点は,組体操に対する内田さんの理解がどの程度のものか,そこに疑問を感じます。もちろん,多くの取材をとおして,見た目の「組体操」については充分わかっていらっしゃると思います。が,実際に組体操を実践する生徒たちの苦労と実感,葛藤,そして,苦労の末の達成感をはじめ,それを指導する先生の苦心(事故防止のための細心の注意,など)とそれらを克服しながら生徒たちが上達していくプロセス,その手応え,などについては想像の域をでないのではないでしょうか。ですから,いともかんたんに統計的手法を用いて「数量的合理主義」の立場に立ち,事故が多い,だから排除せよ,と単純化して,平気で主張できるのではないか,と。

 つまり,「科学的合理性」に絶大なる「信」をおき,そこに大きな落とし穴があるという自覚が欠落しているのではないか,と。教育社会学が内田さんの研究の根っこにあるのですから,ぜひとも,『聖なるものの刻印──科学的合理性はなぜ盲目なのか』(ジャン=ピエール・デュピュイ著,西谷修ほか訳,以文社刊,2014年)を視野に入れて,さらに研究のレベルを高めていただきたい,そして,その上での批判を展開していただきたい,とわたしは切望します。安易なポピュリズムから脱出するためにも。

 ついでに言っておけば,フクシマの原発事故による学校環境の危険性についても,研究の幅を広げていただければ・・・・と切望します。そういう広い視野に立って,いま一度,「組体操」をめぐる諸問題について論及していただければ・・・と切望します。

 以上,内田良さんの話題に集中してしまいましたが,いずれ,よしのよしおさんの理論と実践についても,そして,賛否両論の不毛の議論についても,書いてみたいと思っています。とりあえず,今回は,ここまで。

2014年9月3日水曜日

富士山登山客が5万人減(山梨側)。なにかが変わりつつある・・・・?

 富士山が世界遺産に登録され,ふたたび富士登山ブームが起きているとばかり思い込んでいました。現に,8月上旬にはイタリアから富士登山をしたいという友人二人がやってきて,なるほどなぁとわたしなりに納得していました。ところが数日前の新聞によると「富士登山客が5万人減(山梨側)」という。思わず「えっ?」と声をあげてしまいました。

 そういえば,富士山がちかぢか噴火する可能性がある,という報道もあります。こんなことがひょっとしたら富士山を忌避する理由にあるのかもしれません。でも,もし,その可能性が高くなってくれば,当然のことながら,富士登山を規制することになるでしょう。しかし,そこまではまだ行ってないようです。

 熟年者の間での,登山ブームは相変わらずのように見受けられます。土,日の早朝には,溝の口駅周辺で登山姿の熟年者の集団をよくみかけます。あるいは,電車の中でも登山を終えて帰ってきたと思われる熟年者に出会うことも珍しくありません。むしろ増えているのではないか,というのがわたしの感想です。

 なのに,富士登山客が減少(山梨側)している,という。
 だとしたら,その理由はなにか。

 他方,海水浴客も減少傾向にある,といいます。たとえば,逗子のことしの海水浴客は20万1300人ほどで,昨年の半分以下に落ち込んだ,といいます。その背景には,海水浴客のマナーが悪くなってきて目にあまるので,それをきびしく規制する措置をとったことが原因ではないか,と推測されています。たとえば,集団でやってきて大音量の音楽を流し,馬鹿騒ぎをする,あるいは飲酒して泥酔する海水浴客が増えている,そのために大音量禁止,飲酒場所を指定するなどの規制措置をとることにした,というのです。これはまあ一般客への「迷惑行為」として規制するのは当然といっていいでしょう。

 しかし,こんなことで海水浴客が減少するとは思えません。しかも,半分以下に。もっとほかに理由があるはずです。

 わたしの意識にあるのは,海水の汚染です。それもフクシマの汚染水の大量の垂れ流しがあります。わたしの知りうるかぎりでは,ネットなどでは,その汚染範囲が相当な海域にまで広がっている,といいます。しかも,それを図示した汚染マップまで掲載されています。その情報の出所もかなりしっかりした研究機関のものです。それをみた瞬間,わたしの脳裏に浮かんだことは「とうとう海水浴もままならない時代に入ったか」というものでした。

 ついでに触れておけば,冬のスキー客も激減していて,スキー場は閑古鳥が鳴いているとさえ言われています。スキーからスノーボードへとスキー場の風景が変わったと聞いたのは,もう,ずいぶん前のことになります。そして,そのスノーボードもブームが去り,静かなスキー場になってしまっていると聞いています。もう,リフトに乗るために長蛇の列,などというのはもはや遠いむかしの物語になってしまったようです。

 なぜ,若者たちがウィンター・スポーツに興味を示さなくなってしまったのか,この理由もまたわたしにはわかりません。遊びの多様化,などという論者がいますが,そんなのは理由にはならないとわたしは思うからです。もっと別のところに理由があるのでは・・・・?とわたしは考えています。それは若者たちだけではなく,この文明化した社会に生きている人間すべての無意識に,なにか大きな変化が起きている,という予感のようなものがわたしの中にはあります。

 しかし,それが何かは断定できないままでいます。あえて推定してみれば,自然離れ。リアル・リアリティからバーチャル・リアリティへの依存。厳しい大自然に向き合うよりは,文明の光に囲い込まれた安楽なバーチャルの世界の遊びの方が居心地がいいと感ずる人が増えてきた,といえばいいでしょうか。それでも,なお,わたしの中には疑念が残ります。もっともっと違う大きな理由があるはずだ,と。それが見えてきません。

 なぜなら,その一方で,市民マラソンのブームは相変わらずです。各地で開催される市民マラソンの大会には応募者が殺到しているといいます。たとえば,東京マラソン。募集人員(約8000人)の20倍を超える人たちが申し込みをしたといいます(8月31日申し込み締め切りの結果)。東京マラソン以外でも,毎年,応募者の数は増えつつけているといいます。

 これはいったいどういうことを意味しているのでしょうか。これはわたしの中の大きな謎の一つです。なにゆえに人びとはマラソンに向かうのか。人びとをマラソンに駆り立てる原動力はなにか。一度でもその魅力に触れてしまったら,もう,止められないとも聞いています。その麻薬のような内実・実態はいったいなんなのでしょうか。

 いってしまえば,一方では自然離れのような現象が起きているのに,他方ではマラソン・ブームがますます増大しつつある,というこの二つの関係がわたしにはいまひとつ納得できないままでいます。もう少し詰めて考える必要がありそうです。

 現代社会を生きるわたしたちの身心に,なにか大きな,根源的な変化が起きている,それも無意識のうちに。この謎解きは重大です。21世紀のスポーツ文化を考える上でのキー・ポイントと言っていいでしょう。このテーマはこれからますます重要な意味をもつことになると思いますので,これからも追ってみたいと思っています。

 というところで,今日のところはここまで。

2014年8月7日木曜日

真夏に咲く花。サルスベリ,夾竹桃。その逞しさにいつもながらの敬意を。

 鷺沼の事務所に通う道筋に植木屋さんの庭があり,春夏秋冬,季節ごとに咲く花を楽しませてもらっています。歩きながら,きれいだよ,とか,すごいね,とか,そのとき感じたことをそのままことばにしながら通りすぎることにしています。

 今日はとうとうリュックサックからカメラを取り出して,写真を撮るね,と声をかけて撮影開始。すると,これは空耳というか,錯覚というべきか,なにか応答したような気がしました。そして,カメラを向けるとなんだか動いているようにみえます。なんのことはない。風が吹いてきただけの話です。で,少し待って静止したのでふたたびカメラを向けますと,また,揺れ動くのです。それは,まるで嬉しくて動いているようにみえます。やはり,喜んでいるのではないか,とわたしには思えてしまいます。こうなりますと,単なる写真のオブジェ(対象)ではなくなってしまいます。感情移入がともない,なんとなく会話をしているような気になってきます。

 まずは,道沿いに一番近い白い花をつけたサルスベリ。すっくと上に伸びた枝の先端に真っ白の花をいっぱいつけています。こんなにたくさんの花を,この真夏の暑い盛りに咲かせる,そのパワーに驚いてしまいます。ほかの植物たちはなんとなく元気がないのに,この白い花をつけたサルスベリだけが特別に元気なようにみえてしまいます。しかも清楚で,一段と気品に溢れているようにみえます。立派だよ,と声をかけてしまいました。


 この白い花のサルスベリのもっと奥の方にピンクの花のサルスベリが咲いていましたので,少しだけ庭に入れてもらって撮影。この植木屋さんの親父さんとは顔なじみになり,会えば挨拶をする間柄ですので,一声かけて(だれもいないのですが),中に入りました。もう,母屋のすぐ近くです。屋根にはソーラー・パネルが張ってあるのがみえます。こんなピンクの花も柔らかな温かみを感じさせてくれます。なんとなくホッとします。いいね,と声をかけました。


 角を曲がった道沿いには,真っ赤な花を咲かせはじめた夾竹桃。これから盛りの時期がやってきて,真夏の間じゅう花をつけています。まさに,真っ赤に燃える太陽のようにみえるときがあります。これからを楽しみにしているからね,と声をかけました。


 最後に大好きな木,泰山木です。母の実家の寺の本堂の前の広庭に,立派な泰山木の木がありました。子どもごころにも,凄い木だなぁ,と畏敬の念をいだいていました。なんとなく近寄りがたい,そんな気がしていました。その記憶が,この植木屋さんの庭にある泰山木をみると蘇ってきます。そして,この泰山木は威厳があるばかりでなく,とても繊細な木でもあります。真夏になると,暑さに参ったという合図か,泰山木の葉が上に向かって直立します。ですから,下から見上げると葉が裏返ったようにみえます。温度に合わせて,まだ,大丈夫な葉は下に垂れ下がっています。ほんとうに暑い日は全部の葉が直立します。まさに,ギブアップという状態になります。今日はまだ余裕があるね,と声をかけました。

2014年4月12日土曜日

八重桜が満開。いつもの道を歩きながらの花見。

 
 
 
 

 安倍政権が,気が狂ったように,いな,まさに狂いっぱなしのまま暴走をつづけるなか,自然は偉大です。どんな世の中になろうと,自然の法則どおりに季節がくれば開花し,実をつけ,落葉し・・・をごく当たり前のこととして繰り返します。

 駄目なのは,動物の世界から<横滑り>して,突然変異を起こした「サル」です。その成れの果ては,ことばを獲得し,考えることを覚え,飛び出してきた自然をみずからの欲望のままに支配しようとしてきた「人間」です。そして,いまではお互いの欲望と欲望とがぶつかり合い,無駄な消尽を繰り返すばかりです。懲りることもなく・・・・。

 フクシマの避難地域の桜の名所も,毎年,間違いなく満開の花を咲かせています。「ことしは,例年よりも綺麗に咲いているような気がする」と元住民の方がボツリとつぶやいた姿をテレビでみました。「だれもみる人がいない・・・・。それがなにより寂しいし,残念だ」とも。みんな避難させられて,だれも住民がいなくなってしまっても桜は無心に生きつづけ,時節がくれば花を開きます。まるでなにごともなかったかのように・・・・。

 それを考えると人間さまは駄目ですね。目先の欲望にとらわれて,全体をみる目が欠落したまま,無駄な労力を費やすことになります。そこから目を覚ますそぶりもみえてきません。どうしてこんな中途半端な動物になりはててしまったのでしょう。

 こんなことを考えているうちに気持が滅入り,落ち込んでしまったわけではありませんが,ことしも花見はできませんでした。仕方がないので,鷺沼の事務所に通う道すがらの花見でよしとすることにしました。鷺沼は駅前のロータリーの桜もみごとですが,旧道沿いの商店街の桜並木もみごとです。ぶらりと一往復することも何回も試みてみました。でも,ひとりだけの花見は寂しいものです。

 やはり,なじみの顔がそろってゴザを敷き,車座になってお重でも開いて,一献傾けながら心置きなくワイワイやるのが一番。でも,それをやるには相当にエネルギーが必要なんだということが,加齢とともにわかってきました。いつしか,歳とともに億劫になり,まあどうでもいいや,と簡単に諦めてしまうのです。これこそ老化現象なのでしょう。

 ことしは,鷺沼の事務所に通ういつもの道すがらの花見で終わりそうです。今日(12日)はカメラを持っていましたので,いつもの植木屋さんの屋敷に咲いている八重桜を撮ってみました。ついでに,この八重桜に並んで植わっている緋色のもみじ,黄緑の新緑が輝いてみえた名前のわからない木,それとヒイラギ。花が終わって実をつけていました。やがて,色づいてくると,これまた美しく輝いてきます。

 この植木屋さんには,一年中,お世話になっています。無断で,立ち止まっては,あちこち眺め,写真を撮らせてもらっています。一度だけ,ここの主人と会話をしたことがあり,いろいろと樹木の名前を教えてもらいました。桜だけでも,河津ざくら,緋寒桜,しだれ桜,染井吉野,八重桜,もう一種類(名前を忘れてしまいました)があります。少しずつ時間差をつけながら開花しますので,この季節はとても楽しみでもあります。

 政界全体の体たらくにこれほど絶望したことが過去にあっただろうか,と思いを巡らしながら鷺沼の事務所での時間を鬱々と過ごしています。救いは自然の力だけです。いつに変わらぬ大自然の運動だけは嘘をつきません。人間もまた自然存在であることを,もっともっと自覚的に生きるすべを身につける必要がある,とわが身に言い聞かせながら・・・・。いまも,空を仰いでいます。
 

2014年1月27日月曜日

ことしの「山焼き」(奈良・若草山)は最高のできばえ。感動。

 ことしの山焼きの日は1月25日(土)。毎年,1月の第4土曜日が奈良・若草山の山焼きの日。かつては成人の日に行われていましたが,最近では第4土曜日に固定されました。そして,この日はわたしの第二の故郷である奈良にお里帰りする日。奈良教育大学に勤務していたころの卒業生たちとの約束である。以後,すでに,25年もつづいている。

 1月25日の奈良の天気は,午前中晴れ,午後からうっすらと雲がでてきましたが,とても暖かい穏やかな日和。山焼きの日としては珍しく暖かい。奈良には19年間,住んでいたので,その間を合わせると44年間もの間,山焼きを眺めてきていることになる。その間,こんなに暖かかったことはない。風もほとんどない。静かな小春日和。夜になっても変わらなかった。

 この天候が幸いしたのか,若草山の枯れ草の乾き具合がちょうどよかったのか,この44年間,山焼きを眺めてきたわたしの感想では,「過去,最高の山焼き」でした。ちょっと文句のつけようのない,ほぼ,完璧な山焼き。

 いつものように,午後6時を過ぎると,とても古典的な打ち上げ花火が上がりました。この花火は都会の,たとえば,隅田川や二子玉川などであげられる近代的な花火とは一味違います。まことに,古都奈良にふさわしい穏やかな,昔ながらの花火です。これを眺めると,ああ,奈良だなぁ,と感傷的になってしまいます。

 その間に,点火する人たちの松明が点々と山全体を覆うように配置されます。少しの間,静かな時間が流れます。そして,満を持していたかのように,点火が始まります。ことしは,とても静かに,厳かに燃えはじめました。なんとなく荘厳の気配が流れました。それほど大きな炎をあげることもなく,かといって火が消えて途切れることもなく,全体が足並みを揃えたかのように着実に燃え広がっていきました。

 若草山は別名・三笠山。三つの笠が折り重なっているようにみえるからです。それを,仮に手前の低い山から順に,第一の笠,第二の笠,第三の笠,と呼ぶことにしましょう。

 まず,ことしの山焼きの点火は第一の笠から始まりました。いつもだと第二の笠も,第三の笠も一斉に点火されるのがつねでしたが,ことしはそうではありませんでした。が,ことしは,一工夫あったらしい。枯れ草の乾燥の具合,風の吹き具合(強弱と風向き),などさまざまな条件によって山焼きはさまざまな顔をみせます。それよりなにより,もっとも注意されているのは,火が大きくなりすぎて事故につながらないように,ということだと聞いています。

その点でも,ことしはさまざまな条件が整っていたようです。風はほとんどなし。煙はまっすぐに上に昇っていきます。ですから,燃えている景色がそのまま丸見えです。写真を撮るとうまくいくだろうなぁ,と想像などしていました。

 第一の笠に点火されると,下からゆっくりと炎が広がり徐々に上に上がっていきます。それが,みごとに足並みを揃えるかのように,横一線で,上に上がっていきます。こんな山焼きは初めてでした。この第一の笠の点火と同時に,第三の笠の上の方の三分の一くらいのところから横一線に点火されました。こちらは急斜面ということもあって,一気に頂上に向かって燃え上がりました。すると,こんどは三分の二くらいのところから点火です。そして,最後に一番低いところからの点火でした。これは,たぶん,第三の笠の一番下から点火すると,上の方の炎が大きくなりすぎるという判断があったのではないか,と思います。

 こうして,第一の笠と第三の笠が燃え終わる直前くらいに,こんどは第二の笠に点火されました。正面からみると,やや見えにくい部分です。が,わたしたちが毎年,眺めるスポットは特別席です。あまり詳しくは書くことができませんが,ある建物の屋上から眺めています。そこからですと,この第二の笠の燃え具合も半分くらいは見届けることができます。この第二の笠がとてもゆっくり,ゆっくりと燃えていきます。その間,こんどは,第一の笠の裏側の谷間の炎が大きくめらめらと燃え上がってくるのが,時折,見えます。ああ,裏側も順調なのだ,と推測しながら,まさに山焼きを堪能することができました。

 ことしの山焼きは「アート」だ,と驚きました。すべての炎が納まるまで,じっと立ち続けていました。それほどに,みごとで,わたしの眼を釘付けにしてくれました。この山焼きは生涯忘れることはないでしょう。それこそ,ビデオで撮影しておきたかったくらいです。でも,わたしの網膜の裏側にはしっかりとこの情景が焼きついていますので,いつでも,リアルに思い出すことはできると思います。その方が,たぶん,美しいに違いありません。

 こんなみごとな山焼きに出会うことができた幸運を,「聖なるもの」に全身全霊を籠めて感謝したいと思います。もう,二度と,こんなにみごとな山焼きに出会うことはないでしょう。それほどのみごとさでした。天に向かって,あらゆる謝辞を述べたい,そんな気分になりました。

 人為と自然との,この素晴らしいマッチング。

 これぞ,これからの,わたしたちが目指すべき理想像のひとつではないか・・・・などと妄想しながら山焼きに別れを告げ,夜の部の懇親会に向かいました。
 

2013年12月24日火曜日

ヒイラギはクリスマスの木?,それとも節分の木?

 今日(24日)は,多くの日本人がにわかクリスチャンになって,クリスマスを言祝ぐ日。あるいは,ただ,クリスマスケーキを食べる日。もちろん,ホテルが満室になる日でもある。なんともはや,日本人が何人でもない,国籍不明人になる,まことにめでたい日。自己を忘れ,自己ではない他者と一体化する日。

 信仰心の篤い仏教徒はひたすら仏に帰依(きえ)することに専念する。真のクリスチャンもまた神にわが身も心も捧げ,イエス・キリストと一体化するためにひたすら祈る。これすなわち,自己を捨てて,他者と一体化することを是とする宗教の原点の姿。自発的隷従の基。

 この議論はともかくとして,なぜ,クリスマスにはヒイラギが飾られるのか,わたしは長い間,不思議だった。同時に,なぜ,節分の日にヒイラギと鰯の頭を戸口に飾るのか,これも不思議だった。そして,なぜ,洋の東西を問わず,「ヒイラギ」なのか,と考えていた。しかし,この問題,考えてみるとなかなか面白い。

 そこで調べてみたら,意外なことがわかって,驚いた。
 まずは,クリスマスとヒイラギの関係。

 ヒイラギは英語で,holly.  この発音が,聖なる夜の英語 holy night の holy とよく似ているので,クリスマスの夜には,holy とひっかけて, holly を飾ることになった,と辞典に書いてあった。なーんだ,そんなことだったのか,といささかあきれてしまった。意外に根も葉もない話が,宗教の世界では大まじめに受け止められ,大まじめに継承されていることが多い。そして,いつのまにか,もともとはこうだったんだよ,という元の話も忘れられていく。この話もその一例。

 でも,ヒイラギの木の枝が,なんともみごとにクリスマスの飾り物にマッチしているように見えるのも,考えてみれば不思議ではある。人間とは不思議なもので,生まれたときから身のまわりにあるものは,なんの抵抗もなく受け入れ,無意識のうちに骨肉化し,一体化してしまう。だから,クリスマスにはヒイラギの木の枝は必須不可欠のアイテムの一つになっている。これもまた,自発的隷従? いや,こちらは無意識の隷従? しかも,この慣習行動に隷従している方が心地よい。まるでだれに束縛されることもなく「自由」にみずから選択しているかのように。かくして,隷従と自由の境界はどこかに消え去ってしまうことになる。

 おやおや,いつのまにか,エチエンヌ・ド・ラ・ボエシの『自発的隷従論』の話になってしまった。それほどに,いま,わたしの頭のなかは西谷さんが仕掛けたラウンドテーブルの議論でいっぱいになっている。自発的隷従は,わたしたちの生活習慣の細部のなかにもさまざまに組み込まれていて,それがある種の潤滑油として機能していることも多い。問題は,自発的隷従が権力関係となって,わたしたちの生活をがんじがらめにして,身動きがとれなくしてしまう,そういう人為的な構造となるところにある。だから,それとこれとは区別して考えないといけない。

 というわけで,こんどは日本の節分とヒイラギの関係について。
 これも調べてみたら,よく知られるように「イワシの頭も信心から」という類のものでしかないということがわかってきた。つまり,豆まきと同じように鬼を家の中に入れないためのまじないでしかない。さらに,もとをたどっていくと,中国から伝わった追儺(金色の眼を四つもった鬼を追い払う儀礼)にゆきつく。この話は調べればすぐにわかることなので,ここでは割愛。

 で,今日は快晴の青空が広がり,とてもいい天気だったので,いつもの植木屋さんの屋敷にあるヒイラギの写真を撮る。ちょうど,いまにも開花する寸前のとてもいいタイミング。しかも,クリスマス・イブ。そのヒイラギの写真を最後に掲げておく。毎年,この花が咲くのを眺めるのも,わたしの楽しみの一つ。冬はとりわけ花が少ないシーズンなのでなおさら貴重な花。真夏の暑い盛りに花を咲かせるサルスベリと同じように,わたしは尊敬している。

 
 
 

2013年7月12日金曜日

私説「エアコン功罪論」。小さい扇風機が大活躍。

 マンションの部屋の給排水管取り替え工事の4日目。畳を上げて床板をはがしての給排水管の取り替えと,天井に穴を開けての給排水管の取り替えが終わり,あとはトイレと浴室の細かいところの給排水管の取り替えを残すのみとなりました。工事をしている間は,窓という窓を全部開け放って自然の風を通します。なにせ,工事をしている職人さんたちは全員作業服(長袖,長ズボン,ヘルメット)で身を固め,汗びっしょりになって仕事をしているのですから。

 9階という高さと風向きがちょうどよかったのか,とてもよく風が抜けて具合がいい。夜も風が抜けるので,そのまま。ですから,テレビから流れてくる猛暑の情報が,身近なようであって遠い話に聞こえてきます。体温を越える気温となると,これはもう自力ではどうにもなりません。こうなると,エアコンを惜しまず使って身を守りましょう,に賛成です。ですが,この4日間,部屋のなかの気温は34℃。これくらいまでは風さえとおってくれれば,それでなんとか適応することができる,ということを学びました。

 そのむかし山を歩いていたころに教えてもらったことですが,山では風速1mにつき1℃下がる,と考えよ,とのこと。これをそのまま都会にも援用すると,この4日間,ほぼ,かなりいい風が吹いていたので,これを仮に風速5mとすると,平均34℃の室温は5℃低くなることになり,平均29℃となります。そうか,29℃なら,なんとかやりすごせるものなのだ,と知りました。

 で,今日(12日)は工事の山場を越えたと判断し,久しぶりに鷺沼の事務所にやってきました。第一の目的は風呂に入ること。工事中は浴室が使えませんので,仮説のシャワー・ルームを使うことになっています。汗をかいていますので,夕刻,行ってみました。が,あまりの汚さにびっくり。1103世帯が住むマンションのうち,すでにほとんどのところは工事が完了していて,わたしたちの住んでいるA棟が最後です。これまで相当の使用頻度ではあったのでしょうが,後始末というか,使用後の清掃ができていない,つまり,マナーが悪いために,汚れっぱなしです。これに懲りてしまって,あとはシャワーも浴びないまま,我慢していました。が,とうとう我慢の限界でした。

 ですから,鷺沼の事務所にきて,すぐに,ぬる目の風呂を入れて,のんびりとリラックスし,歌まで歌いました。ほんとうは熱めの風呂が好きなのですが,炎天下を歩いてきて吹き出すような汗みずくでしたので,まずは,シャワーで汗を流し,それからぬる目の風呂に入りました。やはり,風呂はいい。ほんとうにいい気分。

 事務所の窓は全部開けておいたのですが,なぜか,風が入りません。外の街路樹をみるとわずかですが,枝が揺れていますので,風は強くはないものの吹いてはいます。ですが,風向きが悪いようで,少しも入りません。事務所の窓は北側に二つ,東北側に斜めの窓が一つだけです。ですから,南風と西風の日は事務所にはひとつも風が入りません。今日はそんな最悪の日でした。

 とにかく風呂上がりの汗が扇子を使っても一向に引きませんので,とうとうエアコンにスイッチを入れました。28℃にセットして気分は最高。あっという間に汗は引いて,さっぱり。開けておいた窓を締めて,机に向かいました。ああ,エアコンはいいなぁ,としばらくは堪能していました。が,そのうちに少しずつ気分が悪くなり,吐き気がしてきました。これはいけない,と古い記憶が蘇ってきました。エアコンの効いている部屋で会議をしていて,何回も経験したのと同じだ,と思い出しました。このときには,ちょっと気分が悪いので外気を吸ってきます,と言って途中で退席。ものの10分もすると納まりますが,部屋にもどると,ほどなく同じような吐き気を催します。同僚からは「精神的なものではないか」と冷やかされましたが,わたしは本気(正気ではなく,狂気)で「たぶん,そうだと思います」と答えることにしていました。

 それを思い出しましたので,すぐにエアコンを切って,小型の扇風機をとりだしてきてセット。数年前に2,980円。一応,首振り。音も静かなので,これは便利。ちょうどいま,午後3時。机上の寒暖計は33℃。湿度50%。このパソコンを打っている手の甲にうっすらと汗が浮かんでいます。やはり,相当に暑いことはたしかです。が,夏が得意のわたしとしては,まあ,充分に許容範囲内。まずまず快適です。これなら原稿も書けますし,本を読むこともできます。

 でもまあ,半分以上は野生のままの,非文明人の言うことですので,話半分に聞いてください。でも,半分以上野生のままですので,お蔭さまで,この何十年もの間,風邪というものを引いたことはありません。文明化社会の進展とともに,病気の数も増えてきているといいます。つまり,文明人のからだは弱くなっている,ということ。免疫力の低下,適応能力の低下,恒常性維持能力の低下,などなど。野生人ヤフーは,文明化した人間よりも,はるかに適応能力が高い,と自負しています。このあたりも半分は冗談,半分は本気。

 いえいえ,半分以上は「狂気」,それ以外は「正気」を演じているだけ(辺見庸),かも。
 ああ,もう一度,辺見庸さんの『青い花』を読み返そう。まことにすぐれた,というよりは超越的な,あるいは神がかった文明批評のお手本なのですから。すなわち,スポーツ批評のお手本である,ということ。







2013年3月22日金曜日

「ひずるしいのん」「春だのん」。さくらの「陽光」が満開だぞん。

  わたしの出身地の愛知県豊橋市では,太陽の光が強くなってくる春の挨拶ことばが「ひずるしいのん」,あるいは「ひずるしくなってきたのん」でした。「ひずるしいのん」と挨拶されたら,「春だのん」と応ずる。村人同士はこれでお互いの気持ちが通い合う。なんとものどかな,幼少年時代を過ごした故郷の光景が思い浮かんできます。

 「ひずるしい」は「まぶしい」の三河地方の方言です。もっと精確にいえば,東三河地方の方言です。そして,「ひずるしい」と「まぶしい」はかならずしもイコールにはなりません。標準語の「まぶしい」の使用範囲はかなり広いと思いますが,「ひずるしい」は太陽限定です。それ以外のときの「まぶしい」には使いません。「のん」もまた東三河地方独特の語尾で,「ですね」に相当しますが,わたしには単なる確認の語尾ではなくて,もっともっと暖かい話者の感情が伝わってきます。

 嫁入りの日に娘さんが実家を出ていくときには,近所の人たちがみんなで見送ります。そのときに聞こえてくることばが「けっこいのん」です。「きれいだね」に相当しますが,とてもとても「きれいだね」では納まらない情感がこの「けっこいのん」には籠められています。隣の,よその娘を褒めているのではなくて,まるでわがごとのように嬉しいという気持ちが伝わってきます。自他の区別がかぎりなく薄くなっている,濃密な人間関係の表出といえばいいでしょうか。

 今日(22日)は朝から晴れ上がり,溝の口をでるときに太陽の日差しが強くなってきたなぁ,と思いました。が,鷺沼の駅を降りて改札口をでたとたんに,わたしの口をついてでたことばが「ひずるしいっ!」でした。久しく使ったことのないことばが,無意識のなかから,思いがけず飛びだしたという次第です。ああ,純粋経験だ,とひとりで「ニヤリ」。

 溝の口から電車で7分(急行だと4分),西に移動しただけなのに,鷺沼は「ひずるしい」ほどの太陽が輝いていました。いつもの高台にやってきたときに東の高層ビルの方向を眺めてみると,どんよりと黄砂がかかったような春霞です。東京タワーもスカイ・ツリーもほとんど見えません。振り返って,西の空をみやると,こちらは真っ青な空が広がっています。その境界線が,どうやら多摩川らしくて,溝の口はその多摩川沿いにありますので,どちらかといえば東京の空。鷺沼は東京圏の外の空。

 いつもの植木屋さん(大久保庭園)のところにさしかかって,庭の奥の方をみやると,まだ若木のさくらが満開になっていました。数日前にご主人に教えてもらった「陽光」という種類のさくらです。ピンクの色が鮮やかな,きれいなさくらです。まだ,若木なので,そこはかとなく勢いを感じます。それにしても,みごとな咲きッぷりです。そして,その名前がいい。「陽光」。まさに,今日のこの太陽の光りそのもの。「ひずるしい」。そして,カメラを出してパチリ。


東三河地方の方言には,語源の不明なものがいくつもあります。ですから,ことばの意味を超えて,独特の音のひびきの心地よさが深くこころの隅々まで行き渡ります。それがまた,なんともいえない情感を呼び起こすようです。

 このことと関係するのかどうかわたしにはよくわかりませんが,なんとなく予感のようなものがあります。三河の国の一宮は砥鹿神社。ここの祭神は,なんと「大己貴命(オオナムチノミコト)」。すなわち,「大国主命」。なんと「穂の国」,東三河は出雲族が多く住んでいたところらしい,というわけです。

 あわてて,このあたりの地図を調べてみたら,なんと出雲系の神さまを祀る神社があちこちに遍在しています。なかには,野見神社まであり,これはいよいよもってフィールド・ワークにでかけなくてはいけない,と思っているところです。そういえば,この地方も相撲が盛んなところでした。最近はどうか知りませんが,わたしの子どものころには神社に土俵があって,お祭りのときには子ども相撲が奉納されました。わたしの育った村のとなりの村からは幕内力士も誕生し,つい,この間まで活躍していました。

 三河の国の一宮・砥鹿神社は,この地域では一番高い山・本宮山をご神体としています。小学校の遠足でこの山に登ったことがあります。この山の頂上の手前のピークに奥宮があり,そこには大きな岩があって,これが磐座。神さまの降り立つところ。その裏側を少し下っていくと,水が流れでている「蛇口」。磐座と蛇口は,パワー・スポットの必須要件(植島啓司)。磐座信仰こそ出雲系の神社の基本要件(村井康彦)。奈良の三輪山をご神体とする大神神社の祭神は大国主命。

 「ひずるしいのん」「けっこいのん」などの方言のひびきを思い浮かべている間に,妄想ははてしなく広がっていきます。

 かつての朝鮮通信使は,いろいろの地方で熱烈に歓迎されたという伝承がありますが,この地方もまた例外ではなかったようです。その朝鮮通信使が行ったパフォーマンスを継承したのではないかしたといわれる,この地方に独特の「笹踊り」という民俗芸能が伝承されています。わたしの育った村でもお祭りのときには村の各字を踊りながらまわっていきました。わたしの住んでいた寺の前では,かならず「笹踊り」が行われることになっていましたので,多くの人が集まってきました。わたしは居ながらにして,毎年,それを眺めていました。いつか,大きくなったら,あれを踊るんだ,とこころに決めていました。

 わたしの予感では,この「笹踊り」と方言は無縁ではない,と思っています。そして,その出自は出雲族との関係のなかに求めることができる・・・・とまあ,そんな春の夢をみているという次第です。

 これもまた,パスカルのいう<気晴らし>のひとつ。不幸にならない程度の<気晴らし>にとどめおきたいと思います。

 「ひずるしくなってきたのん」「春だぁ~のん」。


2013年3月15日金曜日

春よ来い,は~やく来い。創作能面「パンドラの箱に残る<もの>」。クォ・ヴァディス。

  ことしの桜の開花は例年よりも早いといいます。東京では17日には開花。一週間後には都内の桜の名所が見頃を迎えるとのこと。この暗いニッポン国にあっては,久しぶりの想定外の朗報です。やはり,大自然は偉大です。世俗の見苦しい騒音など素知らぬ顔,超然としています。やはり,こうでなくてはいけません。

 鷺沼の事務所に通う道筋にあるいつもの植木屋さんの庭の桜は,もう,満開です。ただし,こちらは染井吉野ではなくて,河津桜です。そのすぐとなりにある赤い桜(名前がわからない)ももうすぐ開花です。しかし,さらに奥にある八重桜はまだつぼみも固く,素知らぬ顔をして,これまた超然としています。まさに,わが道をゆくです。同じ桜でも,それぞれに「自立」して,それぞれにマイ・ペースを守っています。立派なものです。


  寒くて暗かった冬が過ぎ去り,春の嵐が吹き荒れているとはいえ,吹く風はどことなく温んできています。冬の寒さから解き放たれ,春は,やはり,新しいなにかがはじまる予感に満ちた,心浮き立つ季節です。ピカピカの一年生も,もうすぐ誕生です。

 能面アーティストの柏木裕美さんが,「パンドラの箱に残る<もの>」というタイトルの作品をブログで紹介されています。わたしは,思わず,アッ,と声を発してしまいました。傑作なのです。これまでの創作能面とはいささか趣が異なる傑作です。これまでの制作のレベルから,なにかまたひとつ突き抜け出たなぁ,と思わせられる傑作です。

 この作品もまた「小面変化」のひとつです。ふつうの小面の周囲から太陽のコロナが広がっていて,しかも,それが小面のうしろに流れていくように,立体的になっています。しかも,この小面の眼が,どこか視点が定まらず,神がかった力をもっています。つまり,太陽神となった小面,というわけです。もっとも,これはわたしの勝手な解釈ですが・・・・。

 しかも,この太陽神の小面が「パンドラの箱」に残っていた最後の<もの>,すなわち<希望>というわけです。このネーミングがこれまたおみごと。ギリシア神話に詳しい人ならば,その意味の深さに感動です。

 柏木さんのブログには,「3・11」によって「パンドラの箱」のふたが開けられ,あらゆる「わざわい」が世に蔓延し,絶望の淵に立たされたいま,最後の望みは<希望>しか残されていない,と結んでいます。この最後に残された<希望>に一縷の救いを求め,そこに生きものとしての<生>のすべてを賭けるしかない・・・と。そんな柏木さんのイメージが,太陽神としての小面となって表出した,ということなのでしょう。いまのわたしたちの未来は,もう一度,人間にとっての宇宙の中心にある太陽から出直すしかない・・・と。



 は~るよこい,は~やくこい,あ~るきはじめたミヨちゃんが,あ~かいはなをのじょじょはいて,おんもにでたいとま~っている。

 そんな春が,フクシマの家・土地を追われた人びとや,津波に襲われて肉親を失った人びとや,そして,米軍基地のみならず危険なタケトンボとも闘わなくてはならない沖縄の人びとや,あるいはまた,体罰やいじめに苦しめられている人びと(体罰はスポーツ界のみならず,家庭でも,施設でも,企業でも日本中のすみずみまで広く蔓延しているという)にも,分け隔てなく,満遍なく訪れることを<希望>してやみません。

 太陽は生きとし生けるもののすべてに,あまねく光と熱を送りつづけてくれます。太陽は,自分のためでもない,だれのためでもない,ただ,ひたすら燃焼するのみです。バタイユのいう「消尽」の原イメージは,まさに,この太陽です。わたしたちの生命もまたその原点は「消尽」あるのみなのです。このことを忘れてしまったときから,生きものとしての人間の悲劇がはじまった,とわたしはバタイユから教えられました。

 生きものとしてのヒトは,内在性の世界から<横滑り>して,人間性の世界をめざしたときから逸脱をはじめました。そして,21世紀を迎えた人類は,とうとうまったき「事物」と化してしまったことにも気づかないまま,思考停止と自発的隷従の「ぬるま湯」に浸って,なんの矛盾も感じなくなってしまいました。

 こうなったら,もう一度,一からやり直しです。そこにしか<希望>を見出すことができません。それがわたしたちがいま,現在,向き合っている現実の世界なのでは・・・,と柏木さんの「パンドラの箱に残る」は,無言のうちに語りかけているように思います。

 歩きはじめたミヨちゃんは,春になったら,どこに向って歩きはじめることでしょう。ミヨちゃんは,そのままわたしたち自身の写し鏡でもあります。わたしたち自身が,あまりに「眼」と「頭」に頼りすぎることなく,「ミヨちゃん」のように,もっと耳を働かせ,匂いを嗅ぎ,皮膚で感じ,味覚を鋭くし,五感のすべてを動員し,かつ,第六感も働かせつつ,トータルに「考える」ことをはじめなくては・・・・と,これはわたし自身への警告です。

クォ・ヴァディス。主よ,いずこへ?


2013年3月13日水曜日

春の嵐が吹きまくる。ニッポン国の未来への警告か。

 3月10日(日)の煙霧にはじまり,東京はこのところ春の嵐が吹きまくっている。今日(13日)もまた,朝から猛烈な突風が吹いている。風に向って歩くと押し戻されてしまう。後ろから吹かれると走らされてしまう。春に嵐はつきものとはいえ,いささか異常な吹き方ではある。

 こころなしか,15日にはTPPへの参加表明をする予定の安倍君への「はなむけ」の煙霧ではないか,と勘繰ってしまう。それだけではない。尖閣問題から竹島問題もふくめて,もっとも仲良くしなくてはならない燐国を敵にまわすような政策に猛進するニッポン国の,未来への警告ではないか,とすら思えてくる。

 いよいよもって救いようのない方向にひた走るニッポン国。この危機的な情況に,「思考停止」し,「自発的隷従」に慣れっこになってしまったニッポン国民は,なんの危機意識もないらしい。だから,現政権に70%もの支持率を与えてしまう。この体たらく。安倍君はますますその気になってしまう。戦争に行けと言われれば行きますよ,という若者も少なくないと聞く。幼少期に恐ろしい戦争を経験した者としては理解不能である。

 政権にべったりのメディアも,このところ連日のように「復興情報」を取り上げている。まるで,もののけに取りつかれたかのように。しかし,よくよく観察してみると,「復興」という問題の本質的な部分はうまく忌避しながら,みんな元気に頑張っている人びとの生活ぶりを追うものが多い。つまり,「情報」として取り扱いやすいものばかりが浮き彫りになっている。しかし,大事なのは,「情報」にもなりえないような,闇から闇へと葬り去られてしまうような,「復興」の陰の部分に,いかにして救いの手を差し伸べていけばいいのか,ということをみんなで共有することではないか。

 この数日間の,突然に襲ってきた「復興」情報の乱舞もまた,わたしには「春の嵐」にみえてくる。ふだんは,ほとんど「復興」情報など扱わないのに,新聞もテレビも「復興」情報で満載である。こうして,ニッポン国の国民の意識が「復興」情報に取り込まれている間隙を縫うかのようにして,「TPP」参加表明ときた。まるで絵に描いたような戦略ではないか。しかも,安倍君は「時間がない」という。なんのための?

 いま参加表明したとしても,3年前から参加した国々によってすでに決まっている取り決め内容については,3カ月後でないと開示されないという。新聞によれば「7月」にならないと,その内容を知ることはなきないという。しかも,すでに決まってしまっている内容については,一切の変更は認められない,という。つまり,なにが決まっているかもわからない条約に,眼を瞑って,参加表明をし,さらに3カ月,じっと待つのだという。

 これでは,条約の内容をなにも知らないまま「めくら判」を押すのと同じではないか。身もこころも丸投げにして,みなさんの取り決められたことに同意します,とまあこんなことをニッポン国はいまやろうとしているのだ。からだは売ってもこころは売らない,最低限の「みさお」さえ放棄して。それはないだろう,と春の嵐が吹きまくる。わたしには,そんな天の声に聞こえる。

 ニッポン国の未来によくない予兆としての春の嵐。煙霧。

 不意に,ちあきなおみの名曲「喝采」という歌が聞こえてくる。「あれは3年前,止めるあなた駅に残し,動きはじめた汽車にひとり飛び乗った・・・・」。その3年後に「あなた」からとどいた手紙は「黒い縁取りがありました・・・・」。

 こんな嵐にも負けずに自然界はいつものように粛々とことを運んでいく。鷺沼駅前のロータリーのなかに立つ白いモクレンが満開である。カメラをとり出して構えていたら,通行人の見知らぬ人が近寄ってきて携帯で撮影をはじめた。一声,二声,ことばを交わした。なぜか,その人は「ありがとうございます」と言って去って行った。一瞬,さわやかな春風が吹いたように思った。


2013年1月31日木曜日

ことしの奈良の山焼きは最高のできばえ。

 毎年1月の第四土曜日は奈良・若草山の山焼きの日。ことしは26日(土)にあった。わたしの第二の故郷へのお里帰りの日でもある。奈良の地を離れてから毎年,欠かさず通っている。もうかれこれ17,8年くらいになろうか。その間,たった一回だけ,関ヶ原に大雪が降り,新幹線が止まってしまったことがある。その年だけは残念ながら欠席。

 奈良には19年間住んで,いろいろの人にお世話になった。その間も山焼きは欠かさず眺めていた。やはり,そのつど不思議な感興がわき上がってくるからだ。山に火を放って燃やす・・・。山全体が燃え上がる・・・・。山に炎が走る・・・,横に,斜めに,真上に。自然が演出する演劇空間の表出である。

 人間がいくら頑張っても少しも燃えない年もある。そうかと思えば,点火して,ものの数分で炎が走って,あっという間に終わることもある。山をどのように燃やすかは,長年かけたノウハウがいろいろあるそうだ。その道のベテランから話を聞いたことがある。それでも,うまくいかないことの方が多いという。それほどに自然界を支配する力は,とうてい人智,人力の及ばないものをふんだんに蓄えているということだ。

 その山焼きが,ことしはみごとだった。これまで眺めてきた山焼きのなかでは最高のできばえだった。少なくとも,35回以上は山焼きを,じっと眺めてきたわたしとしては大満足だった。ことしはいい年になりそうだ・・・・そんな予感につつまれた至福のひととき。寒さにふるえながら,奈良では最高の場所から眺め,感動を味わった。

 ことしは,いつも見慣れてきた山焼きとはいささか趣が異なっていた。まずは,山焼き行事のはじまりを告げる打ち上げ花火がすごかった。いつもはほんのお印程度に打ち上げ花火と仕掛け花火があって,すぐに山焼きの点火に入る。ところが,ことしは,延々と打ち上げ花火がつづいた。これで終わりだろうと思われる8寸玉が大きな音とともに大輪の菊花を咲かせても,しばらくするとまた打ち上げ花火がはじまる。こんなことを何回もくり返す。これをみていて,ああ,奈良は元気がでてきたんだ,としみじみ思う。

 JR奈良駅は見違えるほど立派な近代的な駅に生まれ変わり,駅の西側は再開発されて,さまざまな文化施設が充実している。新しいホテルも建っていて,かつての奈良駅からは大変身である。その奈良駅からまっすく春日大社に登っていくむかしのメイン・ストリートも,道路の拡幅工事とともに両側の商店街も一新する工事が進んでいる。むかしながらの古都奈良をしのばせる古い木造の商店街がほとんど取り壊され,まっさらな鉄筋コンクリートの建物のなかにしゃれた店構えの店が覇を競っている。まだ,工事半ばではあるが,その雰囲気から元気が伝わってくる。

 山焼きの打ち上げ花火は,原則として,この商店街の主たちの寄付で支えられている。だから,打ち上げ花火が延々とつづくということは,みんな頑張って寄付をしているということだ。そういえば,昼中の商店街を歩いている観光客の数もいつもより多いのではないかという印象を受けた。古都奈良の観光をじっくり堪能してもらう作戦がむかしから考えられていたが,なかなか定着しなくて苦労していたように思う。それがようやく効を奏しつつあるようだ。

 この景気のいい打ち上げ花火が終わると,ようやく山焼きの点火である。いつもだと,山全体を囲むように松明を持った人(奈良の消防関係者が総動員されていると聞いている)が,それぞれの松明に点火して,一斉に山に火を放つ。

 ことしは違った。まず最初に二つの集団が若草山の中央の麓から隊列を組んで登っていく。別名三笠山とも呼ばれる若草山の最初の笠の上のところで二手に分かれ,一つのグループは向かって左手(北側)に移動し,もう一つのグループはその場に円陣をつくっている。やがて,この小さな円陣の松明に火が灯され,真暗な山にぽっかりと炎の輪が浮かび上がっている。しばらく,この状態がつづいたところで,左手の山際(森と草原の境界)の下から上に並んだ人たちの松明に火がつく。そして,同時に,若草山の麓に横一線に並んだ人たちの松明にも火がつく。そして,おもむろに山に火を放つ。

 昼中はかなりの強風が吹いていたのに,それがまるで嘘のように,風が止んでいる。だから,放たれた火はあわてて山を走ることはしない。じつに静かに,まずは麓から横一線に,放たれた火が少しずつ草を燃やしながら上に上がっていく。そして,横(北側)からも,ゆっくりと炎が南側に移動していく。つまり,下側からと北側からの炎の線が,ほぼ直線状態で直角に交わったまま,ゆっくりと移動していく。徐々に,徐々に,この直角の二辺が右上に移動していく。こんな絵に描いたような燃え方をみるのは初めてだ。

 草の乾き具合,風向き,風力,などの条件によって,千変万化する山焼きは,火を放ってみないとどのような燃え方をするかはわからない。だから,面白いのだ。毎年,眺めていても飽きることはない。むかしの人はその年の占いにも用いたという。そうだろうなぁ,と思う。現代の山焼きの説明は,山にいる害虫を駆除するのが目的だ,などともっともらしい説明をする。最初にこの山焼きを行事にしようとした人たちが,そんな合理的な発想をもっていたとは考えられない。そんなことはどうでもいいのだ。ことしは,いったい,どんな燃え方をするのだろうか,とそこに神秘的ななにかを感じ取ればそれで十分。人智・人力をはるかに超えるカミと向き合う瞬間を堪能すればいい,とわたしは身を委ねている。だから,ことしも独り,ぽつねんと,立ちつくした。

 ことしはいい年になりそうだ。そして,なんらかの光明が見出せそうだ。

 いまもつづく憂鬱な日々。「3・11」後,連日,信じられないことばかりが,いまも起きている。人間の根幹にかかわるなにかが崩壊しつつある。やはり,「根をもつこと」(シモーヌ・ヴェイユ)を忘れてしまった人間の傲慢のつけが,ここにきて一気に噴出しているのだろう。それは,日本だけに限らず,世界中に。

 わけても,日本の,政治の貧困・無能・無策。いやいや,それどころか「暴走老人」が放った「火」が燎原に燃え広がって,日本人が一気に右傾化しつつある。そして,ついに,東京都民の73%がオリンピック東京招致に賛成だという。わたしのうつ病はますますひどくなるばかりだ。

 が,そんな憂さを,ことしの山焼きは晴らしてくれそうだ。そんな,藁にもすがりたい気分で,ことしの山焼きの結果にほんのわずかでもいい,なんらかの光明を見出したい。

 翌朝,若草山を眺めてみたら,もののみごとに黒い焼け肌をみせていた。虎刈りでもない,斑模様でもない,全面,くまなく広がる黒い山肌。真っ青に晴れ上がった紺碧のパックと好対照をなしていた。そして,この光景を眺めながら,山辺の道を南に車を走らせる。桜井市にある「出雲」をめざして。このときから,なにかが待っている,という予感につつまれていた。