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2015年11月30日月曜日

「非暴力の牙」(クルギ)。ヒップホップで政権を倒す。「まつりごと」(祝祭・政治)の原点に立つ。

 アフリカ・セネガルのヒップホップ集団≪クルギ≫のライブ&国際シンポジウム「非暴力の牙」(11月23日・於東京外国語大学)に参加して,一皮剥ける経験をしました。

 
簡単に言ってしまえば,「ヒップホップ」は,いま流行りの単なる若者たちの文化であって,ラップをしたり,踊ったりするものだ,というわたしの浅はかな認識を根底からひっくり返される,そういう経験だった,ということです。少なくとも,この≪クルギ≫という集団は,そういうとてつもない破壊力をもったラッパーたちだったということです。

 もうひとこと付け加えておけば,かれらのヒップホップは,ときのセネガルの政権をひっくり返すだけの破壊力をもった,ひとつの思想・哲学の徹底した表現であった,ということです。そして,いまは,ヒップホップの「力」を借りて,「社会変革」や「市民による表現と政治」にコミットし,さらには,「経済成長の破局と生者の主権復活」をめざしつつ,世界平和に向けて大きなうねりをつくり出そうとしています。そして,それは着実に成功しつつあります。

 そのことの実態の一部が,23日のライブと国際シンポジウムをとおして,明らかになってきました。わたしはその場に立ち合えたことをとても幸せにおもいました。

 
ひとことで言ってしまえば,ヒップホップは広い意味での「芸能」であり,芸能とは「まつりごと」(祝祭と政治)の根幹をなすものだ,ということをいまさらのように再認識させられた,ということです。つまり,もう一度,「まつりごと」(「政」と「祭」)の原点に立ち返って,世の中の諸矛盾を洗い出してみる必要がある,ということです。ラップは,そのもっとも直截的な方法であり,親しみやすい身近な文化なのだ,と恥ずかしながら知りました。

 その意味で,東京外大での「国際シンポジウム」は衝撃的でした。
 話題の引きだし役に徹した西谷修さんの,ツボをはずさない,みごとなまでの誘導と,広く深い見識にもとづくコメントが光っていました。もちろん,冒頭で,この国際シンポジウム設定の趣旨を話された真島一郎さんの,コンパクトながらもセネガルという国の歴史とクルギの誕生と活動の背景についてのお話が,これまた鮮明な印象を与えるものでした。そして,総合的な司会・進行役を勤められた中山智香子さん。この3人の息の合ったチームワークがみごとでした。

 
シンポジウムでは,リーダーのチャットがひとりで問いかけに応答していましたが,その主な発言の要点は以下のとおりです。

 〇ヒップホップは,政治家のいうむつかしいことばを日常の生活用語に置き換えて,自分たちの日常語で異議申し立てをするものだ。
 〇抽象的なことばでやりとりをしていても,民衆の間に,自分たちの主張は理解され,広まってはいかない。
 〇歌とリズムは,自分たちの思いのたけを,からだをとおして伝えることのできる最大の<武器>である。
 〇わたしたちの最大のコンセプトは「非暴力」ということだ。これは最初から貫いている。
 〇なぜなら,「暴力」による和解はありえないということを経験的に知っているからだ。
 〇「暴力」は,あらたな「暴力」を生み,連鎖反応を起こすだけだ。
 〇空爆もミサイルも平和実現のための武器にはならない。
 〇「非暴力」こそが最大の武器だ。
 〇人のこころを開く,人のこころに響くことばを伝える,人を動かすリズムを刻む・・・それがヒップホップだ。
 〇ヒップホップこそが,わたしたちの武器なのだ。


相方のクーリファのひとことも印象に残りました。
 二人は幼なじみで,子どものころから仲良しだったと聞いていますが,そもそも二人でヒップホップ集団を結成しようとした動機はなにですか,という問いにたいして,つぎのように答えていました。

 わたしたちの家は100mも離れてはいません。チャットの母とわたしの母は同時に「身ごもり」ました。母親同士は毎日のようにおしゃべりをしていました。だから,わたしたちは母親のお腹のなかに,いながらにしておしゃべりに参加していました。ということは,生まれる前から二人はセットだったのです。

 この話は,緊張した話題がつづいていただけに,会場に笑いを呼び,なごやかな雰囲気を醸し出す上で大きな役割をはたしました。どうも,この二人は,チャットがまじめで直球勝負するのに対して,クーリファは,ちょっぴりひょうきんで,意表をつく発言をして,その場をなごませる役割をはたす,そんな関係にあるようです。

 チャットは酒を飲みません。理由は,酔っぱらいが嫌いだから。このあたりにもチャットの性格を読み解く鍵があるようです。

 
シンポジウムのあとでしみじみおもったことがあります。
 それは,「根をもつ」ということ。大地に足が触れているということ。生きる場を確保すること。ここに「生者の主権」があるのであって,「経済成長の破局」はその生者の主権を「根こそぎ」奪い取ってしまうことなのだ,と。「難民」とは,「生きる根」を奪われた人びとのことだ。

 なにか大きな課題をおみやげに頂戴した,そんなシンポジウムでした。

2014年8月30日土曜日

「ロ・カッパ・ローラーズ」のライブを聞きながら考えたこと。それは「自己超越」。

 8月22日(金)・23日(土)と二晩つづけて,沖縄でロックのライブを聞きました。グループの名前は「ロ・カッパ・ローラーズ」。といえば,なんだかそれらしくなりますが,なんのことはないカッパ君こと竹村匡弥とヤッシーこと大城安志の2名に,わたしの知らない若いドラマーが一人加わった,いわゆる即興のバンド。


 まあ,ありていに言ってしまえば,竹村匡弥はカッパの研究者でありミュージシャンであり,わたしの教え子。そして,大城安志は仕事をもちながらプロのロックン・ローラーであり,わたしの娘婿。この二人がなぜか馬が合い,こんどのライブで3回目。1回目は大阪,2回目は奈良。そして,こんどの沖縄での3回目と4回目,という次第です。そこに新しく,若いドラマーが参入。まあ,言ってみれば身内の顔なじみの速成バンド。

 もっと言ってしまえば,リハーサルもほとんどなしの「ぶっつけ本番」。ロックの詳しいことははわたしにはわかりませんが,それなりに楽しく聞かせてもらいました。

 23日のライブは,三部構成。第一部で大城安志がピンで歌い,ギターを演奏。第二部は竹村匡弥がやはりひとりで歌い,ギターで伴奏。第三部で,この2人に若いドラマーが加わり3人の演奏。それぞれ個性がまるで違うにもかかわらず,第三部は不思議な盛り上がりがありました。これぞライブというのでしょうか。


 上の写真は演奏中の大城安志。気合の入った,絶叫に近い,全力で声を張っての迫力のある歌唱と,テクニックも相当なものなのだろうなぁと想像させる(わたしにはよくわからないのですが)みごとな演奏でした。これまでにも聞いたことはあるのですが,いつも遠くから聞いていました。今回,初めて,卑近距離で聞いたこともあって,その迫力が直につたわってきました。この男はいったいなにものだろうか,と。

 伝え聞くところによれば,中学生のときにロックに目覚め,高校生でバンド・デビューし,一時,相当の人気がでてその勢いでプロを目指して上京。何年か臥薪嘗胆の時期を送りますが,ついに夢敗れて沖縄にもどり,アルバイトをしながらロックのバンドを組み,活動をつづけてきたという。そして,いまもロックとの縁を切ることはできず,毎晩,練習に励み,機会があればどこにでもでかけて行ってライブ演奏をするという日々を送っているそうです。


 この写真をみると明らかなように,ロックの世界に忘我没入してしまうと,まるで別人になってしまいます。もはや,この世の人ではなくなり,どこか次元の違う世界の「なにか」に向かって,必死になって「なにか」を伝えようとしているように見受けられました。瀧のように流れる汗をものともせず,全身,バネのようにしてステップを刻み,飛び跳ねての文字通りの熱演です。そうして,次第にかれの世界に聞く者たちを引きずり込んでいきます。いやはや,驚くべき演奏でした。

 こんな激しい演奏のなかに,バラードが一曲入り,これはこれでしっとりと聞かせる自作自演でした。全体的に伝わってくるのは,人間の日常の思いやりややさしさに触れたときの感動をロックにして,全身全霊を籠めて表現しているように,わたしには聞こえてきました。ひとことで言ってしまえば「自己超越」。別の言い方をすれば「聖なるもの」(ジャン=ピエール・デュピュイ)に触れる体験。ロックをとおして人間が生きる喜びの源泉に触れる,その快感を追い求めているように聞こえてきます。かれ自身が,演奏をとおして自己を超え出ていくときの快感と同時に,その向こう側に透けて見えてくる純粋無垢の世界への限りない愛,あるいは憧憬。それがかれのロックの真髄となっているのだろう,と想像してしまいました。

 この際,はっきりとエールを送っておきましょう。間違いなくロック歌手として一流の域に達している,と。ただ,不運にして売れないだけの話。優れた音楽評論家との出会いに恵まれていない,というべきか。でも,その世界での評価は高いらしく,本土からやってくる一流の演奏家の前座を務めることもあるのだそうです。でも,いまは売れても売れなくても,そんなことは超越したところでロックの面白さを探求しているように見受けます。また,ひとつ上のステージの世界を堪能しているのかもしれません。


 片や竹村匡弥の演奏は,大城安志とはまったく対極にあるような演奏で,しっとりと聞かせるものでした。かれとは付き合いが長いので,学生時代から演奏はちょこちょこと聞かせてもらってきました。これまではすべてバンド演奏でしたので,こうして一人語りのような,椅子に座って歌うのははじめてのことでした。

 若いころは「ライオン」の異名をもつ声の大きな,吼えるような演奏でした。バンド演奏とピンでの演奏では本質的に演奏スタイルが違いますので,比較することはできません。が,今回の演奏を聞いていて,味のある,そして伸びのある歌唱力に驚きました。こんなに上手いとは,じつは思っていませんでした。加齢とともに腕も心境も高まってきているのでしょう。

 河童の研究者としても,近年,とても充実してきていて,将来が嘱望されるところにきています。すでに,某大手出版社からオーダーがきているほどです。これまでの蓄積をまとめれば,いつでも本になる,そういう域に達しています。このことと,ロックの演奏は,どうもシンクロしているのではないか,と聞きながら思っていました。

 つまり,河童の研究は,いわゆるヨーロッパ近代が生みだした資料実証というアカデミズムにはそぐわない世界です。その資料実証主義の厚い壁をぶち破っていくことが河童研究には求められます。言ってみれば,それは想像の世界であり,創造の世界でもあります。そのためには,読者を納得させるだけの説得力ある論理構成と情動を突き動かす文章表現が求められます。

 このアカデミズムの壁を突き破るための努力とロックの演奏は,なんの矛盾もなくシンクロする,とわたしは考えています。つまり,硬直してしまったアカデミズムの土手っ腹に穴を開ける営みは,ロックそのものではないか,という次第です。


 この表情からも,やはり,もう一つの「自己超越」の世界が予感されます。歌っている本人が気持よくならなければ,それを聞く人に伝わるわけがありません。ミュージシャンにはそういう世界にみずから飛び込んでいける才能が不可欠です。竹村匡弥には,そういう才能が備わっているように思います。それは日常生活にも現れていて,初対面の人とも,それも大物の研究者とも,すぐに友だちになれる才覚はみていて羨ましいかぎりです。わたしには持ち合わせがない,素晴らしい才能の持ち主だということを,今回,再認識した次第です。いやいや,恐れ入りました。

 というところで,第三部の感想は割愛。

 いずれにしても,この二人の演奏に触れて,わたし自身の認識が大きく変化させられたことを,ここでは正直に告白しておきたいと思います。人間はみんなそれぞれの世界で伸びていく,成長していく,そのよきサンプルに久しぶりに出会った,という心地よい印象が強烈です。

 至福の二晩のライブでした。ありがとう。二人のロックン・ローラーにこころからの敬意と感謝の気持を表して,このブログを閉じたいと思います。謝謝。

〔追記〕
お詫びと訂正。「ロ・カッパ・ローラーズ」はバンドの名前ではなく,ライブの名前だそうです。お詫びして訂正させていただきます。

2013年5月5日日曜日

「ぼくは不完全な死体として生まれ,何十年かかかって,完全な死体となるのである」(寺山修司)。

 土曜日の『東京新聞』を毎週,楽しみにしている。その第一の理由は,福島泰樹の「追憶の風景」というコラムが載っているからである。このコラムの末尾に(ふくしま・やすき=歌人,絶叫ミュージシャン,住職)とあるとおり,この人の生きざまは尋常一様ではない。歌人だから当然といえば当然なのだが,この人の文章がまことにいい。毎回,感動して読んでいる。さすがに絶叫ミュージシャンだけあって,魂の入り方が違う。それを,歌人の研ぎ澄まされた感性に乗せ,一分の無駄もない文章でつづる。迫力満点である。

 今回は,寺山修司を回想している。歌人同志の深い,深い切り結び方が,激しい情熱とともにわたしのこころに突き刺さってくる。壮絶というべきか,うしろを絶つというべきか,エッジに立つ人間同士のすさまじい生きざまが,そのまま直に伝わってくる。

 短歌絶叫のステージ活動を本格的にはじめたのは,ひとえに寺山修司という存在があったからだ,と福島泰樹はいう。そして,寺山修司の遺書となった詩「懐かしのわが家」の一部を紹介している。そのまた一部が,表題に書いたものだ。もう少し長く引用しておこう。つねに「死」と背中合わせで生きていた寺山修司の死生観がみごとに表出している。

 「昭和10年12月10日/ぼくは不完全な死体として生まれ/何十年かかかって/完全な死体となるのである。」
 「そのときが来たら/ぼくは思いあたるだろう/青森市浦町字橋本の/小さな陽あたりのいい家の庭で・・・・」

  寺山修司はネフローゼ症候群という生まれながらの持病と向き合いながら,いつ訪れるとも知れぬ「死」と隣り合わせの生涯を貫いた。だから,「ぼくは不完全な死体として生まれ」と歌う。そして,そんなに遠くはない「完全な死体となる」ことを自覚していた。

 だから,寺山修司はみずからの才能を信じて,生き急ぐかのようにして生涯を駆け抜けていった。高校生で歌人としてデビューし,文学,放送,映画,演劇とあらゆるジャンルを席巻しながら,人生を謳歌した。いくつもの奇行もとりざたされたが,それも含めてかれの人生だった。享年47歳。5月4日が命日。

 そんな寺山修司に向けて,この歌人で絶叫ミュージシャンで住職を名乗る福島泰樹は歌を捧げる。
 さようなら寺山修司/かもめ飛ぶ夏/流木の漂う海よ  泰樹
 あおぞらにトレンチコート羽撃(はばた)けよ寺山修司さびしきかもめ
 頓挫した歌への意志を/受け継ぐ者,/それは私だ。/願わくば寺山修司よ,/われらが魂の絶叫に涙してくれ

 このように福島泰樹は寺山修司に呼びかけ,84年5月から,一周忌の霊前に追悼歌集『望郷』(思潮社)をささげ,追悼絶叫コンサートをつづける。

 こんどの5月10日には,吉祥寺曼陀羅(まんだら)で没後30周年追悼コンサート「望郷」を開催するという。いったい,どんなステージになるのやら,でかけてみたいと思っている。魂の叫びを歌にし,それをミュージシャンとして絶叫演奏できる住職は,なんと幸せなことか。




2013年2月23日土曜日

久しぶりにロック・バンド Ain Figremin のライブを聞く。

  ふだんは大阪を拠点にして活動している Ain Figremin が東京でライブをするというので出かけてみた。21日(木)は高円寺で,22日(金)は府中でやるという。21日はすでに予定が入っていたので,22日に出かけた。

 もちろん,お目当てはリードヴォーカルの三井雄介だ。詳しいことははぶくが,個人的なある事情があって,かれの子どものころから,その成長過程をなぞることができるほどに雄介のことはよく知っている。だから,年々,成長していくその姿はいつも気がかりになっている,と同時に楽しみにもしている。

 今回,わたしが聞くのは,バンドのメンバーが変わってからの初めてのライブである。昨年の暮れにはこの新しいメンバーによるCDが制作されている。そして,その1枚がわたしのところにも届いていたので,すでに何回か聞いている。だから、以前とはだいぶ違う雰囲気になっているなぁ,と感じとってはいた。が,やはり,ライブはもっとその違いを鮮明にしてくれた。

 まずは,Ain Figremin というバンドが驚くほどにレベル・アップし,進化しているではないか。迫力がまるで違う。切れ味が鋭い。雄介のギター・テクニックも歌唱力も抜群によくなっている。しっかりとした目線がいい。たしかななにかをしっかりと見据えている目線だ。だから,引き寄せられる。魅力的だ。それからベースが面白かった。なにせ,裸足でステージに立ち,所狭しとばかりにギターをかかえて演奏しながらこんなパフォーマンスができるかという極限に迫る。本人は必死で,からだごと音をギターに埋め込んでいく。ときには祈っているようにもみえる。ドラムの顔がこれまた印象的だった。ときに泣いているような顔になり,ときには般若の顔になる。しかし,そのほとんどは髪の毛に隠れてみえない。能面アーティストの柏木さんの作品(創作面)に「心眼」という傑作面があり,それを思い浮かべていた。かれもまたドラムと一体化している。雄介の眼が余韻を残す。目力(めぢから)がついたというか,眼力がついたというか,眼がらんらんと輝くようになってきた。もはや,この世のものとは思えない雰囲気がでてきた。そのうち幽体離脱をするのではないか,といささか心配であると同時に楽しみでもある。

 なぜなら,ロックというのは,なにものにも束縛されることのない,そういう幽体離脱寸前の境界領域で遊んでいる音楽ではないか,とわたしは受けとめている。つまり,この世とあの世を自由に往来する音楽ではないか,と。そういうところから音が溢れ出てきて,ことばがそれに乗って天を駆けめぐる。天と地の交信・共鳴・共振。天なる存在に向かって裸足で大地からのエネルギーを吸い上げ天に送り込む(ベース)。すると,こんどは天から大地に雷鳴のごときドラムが響く。ボーカルが必死になって天と地の間に音とことばを繋ぎ止めるかのように,全身全霊を傾ける。このとき,聞く者たちとステージはひとつになる。

 以前,渋谷のライブで聞いたときよりも,はるかに骨太の,逞しいバンドに変身している。雄介も大人になってきたなぁ,としみじみおもう。この間までのひ弱さが消えた。もう,びくともしない,自分で納得のいく立ち位置が決まったという印象だ。さあ,いよいよこれからだ。

 この3人は,おそらく,まったく異なる個性の持ち主で,その音楽性も異なるのではないか,と聞きながらちらりとおもった。それでいて,不思議に噛み合っている。お互いがそれぞれの音楽性をリスペクトしつつ主張し合う,その上で,がっぷり四つに組み合っている。お互いに一歩も譲らないで個性をぶっつけ合うことによって,1+1+1=3,などという単純な和算の範囲を大きく超えでていく可能性を秘めている。3が,6にも9にもなりうる,そういう「大化け」の可能性を感ずる。

 これから面白くなりそうなバンドだ。

 Ain Figremin. 国籍不明の言語。もとをたどればドイツ語もどき。Ein とかけば立派なドイツ語になることを知っている雄介は,わざわざそれをはぐらかす。Figremin もどこかドイツ語にありそうでないことば。雄介のことだから,このことばにあるメッセージを籠めているはず。ありそうでない,なさそうだがあるような気もする,が,やはりない,怪しげなことばの創作。min で終わるところからの連想では「くすり」のイメージか。では,Figre はなにか。あるいは,Fig と re と分離するのか。ならば,こうも考えられる・・・・という具合にことば遊びも際限なくつづく。

 Ain.ひとつでもなくふたつでもない。ひとつから不特定多数まですべてをつつみこもうとでもしているのか。まさに,不定冠詞の王。かたちあるものはやがてくすりによってきえゆくのみか。きえゆくさきにこそりそうのおうこくがまちかまえている,か。

 自他の境界領域を超えでていくことは容易ではない。しかし,かつては自他の境界のない動物性(あるいは,内在性)を生きていたわれわれ人間は,どこかに動物性への回帰願望を抱え込んでいる。それはもはや人間である以上,どこまでいっても避けがたいことなのだ。不可避なのだ。だから,ひとたび,動物性(あるいは,内在性)に目覚めた人間は,動物性への回帰願望に揺さぶられながら,宙づりの「生」を生きることになる。それしかないのだ。

 こんな話を雄介をまじえて,このバンドのメンバーたちと,うまい酒でも酌み交わしながら語り合いたいものだ。その日もそんなに遠くはあるまい。楽しみにしよう。

2013年1月2日水曜日

ことしのウィーン・フィルの「ニュー・イヤー・コンサート」,いささか失望。

 元旦恒例のウィーンの「ニュー・イヤー・コンサート」を楽しみに聞いた。正直に言おう。いささか「失望」。どうして,あんなプログラムを組んだの?と聞いてみたい。耳慣れたウィーンフィルのプロの人たちには,斬新なプログラムでとても素晴らしかった,ということなのかも知れない。しかし,素人のわたしにしてみれば,やはり,新春のウィーンを彷彿とさせてくれるいつもの,お馴染みの耳に馴染んでいるウィーナー・ワルツやポルカが聞きたかった。これが正直な感想。

 去年の一年間のいやな思い出もすべて忘れて,新しい気分で新年を迎えたい,わたしにとってはそのための儀礼でもある「ウィーン・ニュー・イヤー・コンサート」。ウィーンの人びともそう思っているはず。それが,ことしはいささか趣を異にした。これまであまり聞いたことのないシュトラウス系の珍しい音楽を集めて聞かせてもらえたという点では文句はない。しかし,新年のプログラムではなかった,とわたしは思う。毎年,恒例のウィーンの華やかさに欠けた。

 わたしのような素人には,やはり,音楽に合わせて舞われるウィーナー・ワルツが見たかった。ウィーンのシェーンブルン宮殿の,ふだんは公開されていない美しい装飾で飾られた広間をぞんぶんに活用して舞い踊るダンサーたちの,極限の美しさともいうべきダンスが見たかった。加えて,ウィーン・フィルが得意とするポルカを聞きたかった。少しずつ音がずれることによって夢幻のふくらみを思わせるウィーン・フィルならではの演奏を楽しみにしていた。近代音楽にして近代からはみ出していくような,なんともゆるい音の広がりが聞きたかった。なぜなら,その微妙にはずれていて,なおかつ,微妙に心地よい,そういう音楽はウィーン・フィル以外には聞けないから。

 ウィーン・フィルの演奏家たちは,よくよくみているとどことなく顔の赤くなった人が混じっている。ことしも何人かいた。間違いなくワインを飲んで,自分のベスト・コンディションにして,この演奏会に臨んでいるはすだ。日本では考えられないかもしれないが,ウィーンではなんの不思議もない。あたりまえのことだ。なぜなら,もし,それで失敗したら全責任をみずから負うことを覚悟して,この演奏に臨んでいることは間違いないからだ。聴衆もそれを承知して,最終的に,いい音楽を聴かせてもらえればそれでいいという了解事項が成立している。

 これは大学の授業も同じだ。わたしが,以前,世話になったUniv.Prof.Dr.Strohmeyerは,毎週一回,わたしと一緒にランチをとり,そのあと授業をするという時間割があった。そのランチのときに,かれはワインを一本飲みながら昼食をとり,それから授業に臨んだ。授業の途中から,徐々に顔が赤くなってきて,最後には真っ赤になっていた。それでも,授業は徐々に調子が上がってきて,学生たちを大満足させるみごとなものだった。授業が終わると,学生たちはみんな机をコツコツと叩いた,教授への称賛の意を表したものだ。わたしも聞いていて,なるほど,これは素晴らしいと感動したものだ。これを日本でできたらいいなぁ,と羨ましく思ったものだ。

 またあるとき,ウィーン・フィルがベートーベンの第九を演奏するというので,いまは世界遺産になっている修道院まで(ウィーンからかなり遠い)聞きに行ったことがある。そのとき,一緒に案内してくれた,いまは亡きFrau Buchta(Marliese)が,修道院の庭園のなかにあるレストランに連れていってくれた。そのとき,ガーデンのたくさんのテーブルを囲んでワインを飲んでいる,かなり大勢の不思議な集団がいた。Frau.Buchtaが,わたしの耳に口を寄せて,あそこでワインを飲んでいる人たちの顔をよく覚えておきなさい,という。なんのことなのかわからないまま,わかった,と返事をしてそれとなく顔を観察しておいた。

 演奏会場に行ってみたら,わたしたちの席は前から二列目。なんと,目の前にさっきのワインを飲んでいた人たちがずらりと坐っているではないか。そして,よくよくみると何人かの人はすでに顔が赤い。それでも,演奏がはじまるとそれはそれはみごとな集中ぶりだった。この人たちは地方にでたときの方がいい演奏をする,とFrau Buchta。

 毎年のウィーンのニュー・イヤー・コンサートが行われるウィーン楽友会館のホールは,Frau Buchtaに連れられて何回も通った懐かしいところだ。ブログラムの第一部と第二部の間の休憩時間には,多くの人がホールの隣にあるカフェに行って,立ったままおしゃべりを楽しみながらシャンパンを呑む。ゲップがでるといけないので,みんな丁寧にシャンパンのガスを抜くために持参のスティア・バーでせっせとカップをかき混ぜながら,演奏の評論を楽しんでいる。その場にも立ち会わせてもらった経験がある。

 そんなことも思い浮かべながら,毎年,この「ニュー・イヤー・コンサート」を特別の思いで楽しみにしている。が,今回はいつもお馴染みの「鍛冶屋のポルカ」も「美しき青きドナウ」もプログラムから落ちていた。なので,途中で聴くのを放棄してしまった。ひょっとしたら,アンコール曲のなかにあったのかもしれない。しかし,その前に,もういい,という気分になってしまった。わたしの期待していたダンスや,ウィーン乗馬学校の馬の演技や,そして,演奏される曲目によって必ず映し出されるお馴染みのウィーンの風景,などが今回は見られなかった。

 ウィーンの「根の根」ともいうべきヨハン・シュトラウスの名曲の数々を聴きながら,ウィーンのお馴染みの風景を眺めるというのが,この「ニュー・イヤー・コンサート」の楽しみだ,とわたしは期待していたのだが・・・。さて,ことしの演奏をどう思うか,ウィーンの友人の意見を聞いてみようと思って,早速,メールを送信してみた。さて,なんという感想が返ってくるのだろうか。いまから,楽しみ。

2012年10月28日日曜日

今福さんのイベント:トークとピアノの工房<レヴィ=ストロース 夜と音楽>に行ってきました。

 素晴らしいイベントでした。いや,初めての体験でした。ですから,驚きと感動と新たな発見でいっぱいでした。加えて,いま考えつづけている「スポーツを批評する」という企画本についての新しいアイディアもいっぱい湧き出てきて,大満足でした。よし,これで行けると背中を押されたように思いました。あとは,これまでに溜め込んであるメモをもう一度,整理すれば,いよいよ執筆に向けてGOというわけです。

 考えてみれば,この体験には「前奏曲」というか,「序曲」がありました。ことしの夏の「第2回日本・バスク国際セミナー」(8月6日~9日)からずっと鳴り響いている「音」があって,その「音」の延長線上に位置づくもののように思います。その口火を切ったのが,8月6日(月)の国際セミナーの冒頭でなされた今福さんの特別記念講演でした。それも一人二役で,スペイン語で話したことを日本語に直してくれるという,これも初めての体験でした。その直後に,わたしが基調講演をするというプレッシャーの極に達する経験がありました。そして,残り3日間は,日本・バスクの研究者たちによるプレゼンテーションとディスカッションがありました。その最後の締めくくりに,西谷修さんが「グローバル化と身体の行方」とう特別講演をしてくださいました。この講演がまたことのほか大きな衝撃をもたらすものとなりました。その骨子は,西洋近代をとおして,どのように「グローバル化」が進展し,それとともに「身体」はどのように変化・変容してきたのか,ということをじつにわかりやすく,単純明解に提示してくれるものでした。

 その後も,今福さんが主宰する奄美自由大学(9月7~9日)での奄美の島々でのめくるめくような体験があり,さらには「アフター国際セミナー」(10月13日)での西谷修さんを囲む会での,またさらに新しい世界に踏み出す弾み車となる,稠密な時間の経験がありました。ですから,わたしの頭も身体も,今福さんと西谷さんという偉大なる「作曲家」兼「演奏家」による「音」の世界にどっぷりと浸りこんでいます。いってみれば,四六時中,わたしの耳にはいつでもお二人の音楽が鳴り響いています。

 その上での昨日の体験でした。一触即発といってもいいほどのレディネスがあったのも事実です。そこに,素晴らしいピアノの演奏と小沼純一vs今福龍太両氏によるじつに味わいのあるトークとが,みごとに絡み合い,不思議な時空間を醸しだしていました。ですから,あっという間に,レヴィ=ストロースの<夜と音楽>の世界に誘導され,丸裸にされたような感覚のなかで浮游しているわたしがいました。こうなれば,あとは,この「場」の力学に誘われるようにして新しいアイディアがつぎつぎに浮かんでくるだけです。

 「スポーツを批評する」,つまり「スポーツ批評」。そこへの第一歩をどのようにして踏み出すか,いまひとつ踏ん切りがつかないでいました。もう,単行本企画の構想のほとんどはできあがっているのですが,あとひとつ,背中を押すものが欲しかったのです。それが,昨日の今福さんのイベントで果たすことができた,という次第です。もう,あとは迷わず「離脱と移動」(西谷修)に向けて走りだすのみです。

 ちなみに,昨日のイベントのプログラムを紹介しておきますと,以下のとおりです。

 トークとピアノの工房<レヴィ=ストロース 夜と音楽>

 対話 今福龍太×小沼純一
 ピアノ 内藤晃

I レヴィ=ストロースと音楽家たち
 ショパン 練習曲作品10第3番「別れの曲」
 サティ 「ジムノペディ 1番」
 ラヴェル ピアノ編曲版「ボレロ」他

II レヴィ=ストロースのブラジル
 ダリウス・ミヨー 『ブラジルの郷愁』より「ソロカーバ」「ガヴェア」
 エイトール・ヴィラ=ロボス 「ブラジル風バッハ 第4番」Prelude

III レヴィ=ストロースの神話論理と音楽的主題
 バッハ「パルティータ第4番」序曲
 バッハ「ゴルトベルク変奏曲」より
 ドビュッシー「音と香りは夕暮れの大気に漂う」他

日時:10月27日(土)15:00~18:00(開場14:30)
場所:日仏会館ホール(恵比寿駅下車徒歩10分)

 最後にピアノを演奏してくださった内藤晃さんにひとことお礼を。ピアノの音がこんなにもさまざまな表情をするものだ,ということを初めて知りました。まことに弱々しい頼りない音から夢幻に誘う音,そして剃刀のように切れ味鋭い音,さらに直近に落雷があったかとびっくりするような轟音,いやはや,驚くべきわたしの初体験のはじまりでした。いつもは舞台の上で,かなりの距離をおいて聞くことになるリサイタルしか経験がなかったものですから,びっくりしました。この日は,今福さんのアイディアもあって,舞台の上ではなく,聴衆と同じフロアにピアノをセットしてあったからでしょうか。じつに,繊細な音の変化を聞き取ることができました。しかも,内藤晃さんの演奏が抜群にいい。早速,CDを探しに行こうと思っています。

 この日,わたしがどのようなアイディアを頂戴したかは,これから書くことになる本のなかで明らかにしたいと思います。

 それにしても素晴らしいイベントを,今福さん,ありがとうございました。
 登山へのお誘い,赤道直下でのサッカー対決,できるだけ早い時期に実現させたいと思います。よろしくお願いいたします。

2012年1月2日月曜日

ウィーンフィルのニューイヤーコンサートを聴く。

久しぶりにウィーンフィルの「ニューイヤーコンサート」を視聴しました。そう,わたしの場合には,まさに,視聴です。なぜなら,クラシック音楽を聴くだけの耳がないので,もっぱら視覚に頼って,この番組を鑑賞した,というわけです。

指揮者の身振りや顔の表情がとても面白くて,もっぱらそちらに関心が向ってしまいます。ことしの指揮者は,マリス・ヤンソンス。どういう経歴の人かは知りません。以前,小沢征爾が指揮したときとはまったく違っていて,そこがとても面白かった。途中で指揮棒を振ることをやめて,両腕をだらりと下げたまま,両眼を閉じ,うっとりとしながらからだを左右に揺さぶるだけのとき(「美しく青きドナウ」の演奏のときもそうでした)には思わず拍手をしてしまいました。

このニューイヤーコンサートには,ほとんど定番となっているウィンナーワルツやポルカがたくさん演奏されます。そのときには,ウィーン国立バレエ団のなかから選ばれたベスト・ダンサーが華麗なダンスを踊ってみせてくれます。その舞台も,なんと,シェーンブルン宮殿やヴェルヴェデーレ宮殿の,かつてのきらびやかな宮廷時代の特別の部屋が使われます。ふだん,一般には公開されていない場所です。その部屋をつぎつぎに移動しながら,男と女のペアリングが微妙な物語を秘めながら,徐々にできあがっていきます。

もうひとつの楽しみは,このニューイヤーコンサートが開催されるウィーン楽友協会の建物を映像でみることです。外観が映し出されたときには,なんだか建物が新しくなったような錯覚さえ覚えました。たぶん,何年に一回かは,きれいに洗って磨き上げることをしていますので,その年に当たったのかもしれません。ふだんは,自動車の排気ガスの影響で,徐々に黒っぽくなっていきますので,ひどいときには「黒い」建物だと勘違いしてしまうほどです。

わたしが初めてウィーンを訪れたとき(ほぼ30年前)には,ウィーンの市庁舎は真っ黒でした。二度目に行ったときには(20年前),ちょうど市庁舎を洗う年でした。ですから,わたしが滞在している間に,黒い建物から白い建物に変化しました。石造建築ですので,それができるというわけでしょう。何回も何回も化粧直しをしている,というわけです。

ウィーン滞在中に,よく散策にでかけたシェーンブルン宮殿のある公園(無料公開)が映し出されたりするのを見るのも,この番組を視聴する楽しみのひとつです。広い,とてつもなく広大な公園ですが,ほとんどくまなく歩いて知悉していますので,風景をみるだけで,からだに刻まれた記憶が呼び覚まされます。ヴェルヴェデーレ宮殿も同じです。ここには美術館も博物館もありましたので,少し遠かったですが,よく通いました。わたしは,美術館・博物館の年間会員になっていましたので,どこも,全部,フリーパスでした。

ニューイヤーコンサートの会場となるウィーン楽友協会の内観も,毎年,少しずつ変化しているように思います。いつも,とてもきれいですが,ことしはとびきりきれいにみえました。古い建物ですので,客席はそんなには多くないので,ここのチケットを手に入れるのは至難の業だといわれています。とくに,ニューイヤーコンサートは,大手の旅行会社がまとめ買いをしてしまいますので,大変です。しかも,楽友協会の年間会員という人も相当数いるわけです。ですから,どうしても聞きたいという人は,一番奥の最上階にある立ち見席のチケットを購入します。わたしも,何度か,この席からコンサートを視聴したことがあります。

演奏時間は,日本時間の午後7時から3時間。日本との時差は8時間ですので,ウィーンの午前11時から午後2時までということになります。ですから,天気のいいときには外の景色がリアル・タイムで映し出されることがありますが,ことしは録画でした。つまり,夏の景色でした。ウィーンの冬は,ほとんど毎日,黒い雲が低く垂れ込めて,太陽がどこにあるのかさえわからないほどです。ほんとうに,暗くて長い冬です。そんなことも思い出しながらニューイヤーコンサートを視聴していました。

また,いつか,ウィーンにでかけてみたい,そんな気持ちが久しぶりにわきあがってきました。
さて,ことしはどんな年になるのでしょう。少しでも,ほんの少しだけでもいい。上を向いて,夢と希望をいだきながら生きることのできる年にしたいものです。

みなさんにとってもいい年になりますように。


2011年5月8日日曜日

ロック・バンド「Ain Figremin 」 の将来が楽しみ。

以前から約束のあったロックを聴きにいきました。場所は渋谷の「O-West」。
お目当ては「Ain Figremin」(アイン・フィグレミン)。

7つのバンド出演が予定されていたなかの3番目に登場。
これがなかなかいいのでびっくりした。もっともそんな偉そうな評論ができるほどのロックの知識はないのだが・・・・。それでも,とてもよかった。なにがよかったか。

このバンドの演奏は,昨年の末に,はじめて聴いた。昨年のこの種の音楽の新人コンクールで全国優勝したときの演奏がインターネット上に流れているのを聴いた。このときにまず驚いたのは,同じコンクールの最終選考に残った8パンドの演奏とはまるで世界が違うということだった。それは,少なくとも,わたしがロックとして認識している演奏とはちょっと違う「なにか」がそこにあると感じたからだろう,と思う。その「なにか」とはなにか。

激しい情念が爆発していることに変わりはないのだが,どこか「悲しい」のである。「悲哀」といったらいいだろうか。あるいは,「存在不安」。身のおきどころがみつからない,こころのよりどころがみつからない,どうすればいいんだ,と叫んでいるかのように。若者らしく純粋に自己をみつめ,他者をもとめ,どこまでいっても答えはみつからない。そのいらだちに情念のすべてをぶちこんで,爆発,炎上しようとする。どこか「もの哀しい」ものが,そこからにじみ出てくる。

そう,そうなんだよ,と老人のわたしは応答する。自己の存在は,「いま」という瞬間にたちまち消え去っていく。つぎからつぎへと消え去っていく。すべては過去という時間性のなかに雲散霧消していく。だから,未来をもとめるしか方法はない。しかし,その未来もまた,どこにもたしかな手応えを与えてはくれない。それは夢の世界だから。でも,夢がなくては人間は生きてはいけない。だから,その不確かな未来に夢をかけて生きていくしか方法はないのだ。その夢を見失ったとき,人間は,日常性のなかに埋没してしまい,平凡に,日々同じことのくり返しをはじめる。惰性,マンネリ・・・・そう,ハイデガーのいう「頽落」だ。

このバンドは,この「頽落」に我慢がならないのだ。だから,なにがなんでもここから抜け出そうとする。そして,そのさきにしか「生きる」ことの意味はない,と信じているかのように。だから,そこにわたしは哲学者が感じているような「悲哀」や「存在不安」を聴きとる。これが,たぶん,他のバンドとは違う「なにか」の根拠だろうと思う。

以上が,ネットを流れていた演奏を聴いたときの印象。
今回は,それの「ライブ」だ。やはり,ライブに勝るものはない。しかも,この半年くらいの間に,わたしの耳がたしかなら,飛躍的によくなっている。なにが?ボーカルの歌唱力とギターの演奏力が。そして,このボーカルとギターを,ベースとドラムがみごとに支えている。メンバーの気持がひとつに溶け合っている。そして,一種独特の音楽世界をかもしだしている。

バンドのメンバーを紹介しておこう。
Mii:Vocal & Guitar/Hiroaki Yokota:Base/Shinya Okuno:Drums.
all songs & lyrics composed,written by Mii.

なにを隠そう,このMii君に逢いたくて,わたしはこのライブにでかけたのだ。
8年ぶりの再会を楽しみに。そう,2003年の春から夏にかけて,わたしとこのMii君とはドイツのケルンでしばしば顔を合わせた,という過去がある。当時,このMii君は中学生。なのに,わたしが客員教授をしていたドイツ・スポーツ大学ケルンのゼミナールに参加していた。あれから8年。その間も,何回か会うチャンスはあったが,なんとなくすれ違っていた。そして,その間に,あの中学生だったMii君がロック・バンドを結成して,音楽の世界に打ってでたという。そして,またたく間に,大阪から渋谷のO-Westに招かれるようになった。ラッキー・ボーイだ。そのラッキー・ボーイに8年ぶりに会って話ができた。もちろん,演奏が終わってからだが・・・・。

立派な大人の男になっていた。そして,とても自然体なのがよかった。8年の空白を一気に跳び越えて,いい呼吸で話ができた。そして,かれの方から「こんどはゆっくりお酒でも呑みましょう」と誘ってくれた。嬉しかった。こういう若者から誘われることはもうないと思っていたから。

ひとつだけ質問をした。ひとりのファンとして。「Ain Figremin というのはどういう意味?何語?」「ぼくの造語です。ふつうではない,なにか特別なもの,という意味のつもりです」という。なるほど,造語だったか,と感心する。そして「ふつうではない,なにか特別なもの」という意味を与えたのも,とてもいい。ジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』によれば,人間が動物性の世界から抜け出すときの第一歩は,オブジェの発見だった,という。つまり,「ふつうではない,なにか特別なもの」,それがバタイユのいうオブジェの概念だ。ここから人間の理性が立ち上がる。このオブジェからはじまって,それに名づけをしていくのも「ふつうではない,なにか特別なもの」に対してだ。そうして,ついには「神観念」に到達する。「神様・仏様」も Ain Figremin だ。「3・11」以後を生きるわたしたちにとっては「いのち」(命)が新たな意味をもつ Ain Figremin となった。

ボーカルの発声もしっかりしてきたし,ギターの音も素晴らしい。まだまだ,どんどんうまくなる,そういう時期だ。そして,なによりハートがいい。ステージも控え目で,さりげなく現れて,さりげなく去っていく。演奏も途切れることなく,さりげなく音をつなげながら,つぎの曲目に移っていく。この流れもいい。そして,後味がいい。あれだけ激しく爆発しているのに,しんみりしたものが伝わってくる。とてもいい感じだ。

これからの Ain Figremin の活躍を大いに期待したい。
この秋にはCDデビューすると聴いている。いまでも,購入しようと思えばできる。わたしは会場でCDを一枚,購入した。しばらくは,これを聴いて愉しむことにしよう。
ちなみに,HPのアドレスは下記のとおり。
http://ainfigremin.jp/


2011年2月27日日曜日

ペルー・リマのフィエスタで歌いつがれてきたクレオール音楽を聴く。

 このところ音楽とはとんと縁がなくなってしまっていたが,親しくしている編集者から突然CDが送られてきて,聴いてみてくれ,という。なんだろうと思って開けてみたら,ペルーの首都リマのバリオ(貧民窟)のフィエスタ(宴会)で歌い継がれてきた民衆音楽。
 さっそく無心で聴いてみる。にぎやかな雰囲気のなかで男性ボーカルがやさしい歌声を響かせている。ギターとリズム楽器だけの素朴な演奏がつづく。聴いていてとても心地よく響く。自然にからだが揺れ動きはじめる。だが,どこかでからだの動きが抑制されてしまう。動きたいのに,どこかちぐはぐなのである。気持ちはとてもなごんでいるのに,からだがぎこちない。おさまりが悪いのである。なんだろう,このぎこちなさは・・・と考える。
 そこで,やおら,折り込みの解説を読む。いきなり「8分の6拍子」ということばが眼に飛び込んできた。なんじゃ,これは?「4分の3拍子」でもない「8分の6拍子」。2拍子や3拍子,そして「4分の2拍子」くらいまでは小学校のときに教えてもらった記憶がある。がしかし,「8分の6拍子」とはなんじゃい?
 というわけで,もう一度,聴いてみる。しかし,わたしのようなリズム感のない人間にはしっかりとは聴きとれない。何回も何回もチャレンジしてみるが,どうも,いま一つしっくりこない。つまり,感覚的に,とても息が長く,「8分の6拍子」までついていかれないのである。たぶん,わかる人にはすぐにわかるのだろう。でも,わたしにはわからない。理性的に数えれば数えるほどに,わけがわからなくなる。もっと,ぼんやりと聴いていた方がいいのだろう。でも,なんとかして分かろうと努力してしまう。これが間違いのもと。
 男性ボーカルの声はとてもやさしく響いてくるし,メロディもそんなに難しいものはない。だれでも,すぐに口ずさみたくなるような,親しみのある旋律がつづく。だから,こころはとても気持ちよくなる。それにつられるようにしてからだが揺れはじめる。しかし,あるところで,からだは居心地が悪くなる。リズムに乗り切れないのである。妙なところで肩すかしをくってしまう。一種独特のリズムがわたしのからだを揺さぶる。しかし,そのリズムに乗れない。
 あきらめて,解説を読み込むことに。
 白人系の音楽(ワルツ,ポルカ)と黒人系の音楽とがミックスした,いわゆるクレオール音楽。人種も,スペイン系の白人を筆頭に,さまざまな白人と,アフリカから奴隷として移住させられた黒人と,さらには先住民とが混血をくり返していくうちに,何人でもないクレオール人が出現する。その人たちがバリオと呼ばれる貧民窟で世代を重ねていくうちに,フィエスタ(宴会)で即興的に歌われ,歌い継がれていくうちに,「8分の6拍子」という形式とともに誕生した民衆音楽。だから,バリオの住人以外の人に歌って聴かせる歌ではない。自分たちの,仲間うちの楽しみのためだけに歌われる音楽。いうなれば,音楽の源泉に現れる音楽。それが,この混血音楽(ムシカ・クリオーヤ)。
 ということは,白人の身体にも,黒人の身体にも快感を与えない「8分の6拍子」。ただ,ひたすら混血を重ねたバリオの住民にのみ快感を与える「8分の6拍子」。それでいて,わたしのような日本人(つまり,ほとんど日本の旋律しか知らない人間)にも,なにか惹きつける力をもっている,不思議な「8分の6拍子」。
 男性ボーカルの甘い声とメロディが,まずは,わたしたちを「歓待」してくれる。そして,うっとりと聞きほれてしまう。でも,からだまでは同調させてくれない。どこかで軽くいなされてしまう。それは,まるで,リマのバリオの住人としてのアイデンティティを主張しているかのように。歓待といなし,それがバリオの民衆音楽「ムシカ・クリオーヤ」(クレオール音楽)。
 さらに,解説には,19人の名人に1曲ずつ歌ってもらった,とある。しかも,2007年に録音をはじめてCDが完成する2009年までに,19人のうちの4人までもが鬼籍に入ったという。この男性ボーカリストたちの平均年齢がなんと「75歳」。それにしては若々しくて元気のいい声ばかり。この人たちは死の直前まで歌いつづけているということ。
 「8分の6拍子」の歌と踊り。踊りも,どうやら即興らしい。
 ふと,こどものころ,ラジオが我が家に入ったとき(戦後は焼け出されて,借家を転々としていて,とても貧乏だった),どこか遠くの方から聞こえてきたと錯覚を起こした,九州の民謡「五木子守歌」を思い出す。たしか,五木の老人が,その地に継承されてきた歌い方で歌ったものだった。「おど~まぼんぎりぼ~んぎり,ぼんからさきゃ~おらんと~」。ふつうの旋律とはまた違う,ほんの少しだけメロディもリズムも違う,なんとも不思議な歌に聴こえた。ことばも,なにを言っているのかさっぱりわからなかった。でも,なぜか,不思議に惹きつけられるものがあって,いまも,その声を鮮明に思い出すことができる。
 「8分の6拍子」は,西洋の近代音楽のような,形式が数学的に計算され,構成されたものとは違って,どこかリズムもメロディも間延びしつつ,崩れているようでいて崩れてはいない,そういう近代以前の人間の古層に宿る音感を呼び覚ましているのかもしれない。だから,どこか「懐かしい」という感情を呼び戻してくれるのかもしれない。
 それにしても,不思議な音楽に触れさせてもらった。しばらくは,この音楽を聴いて,楽しんでみようと思う。そうすれば,いつのまにか「8分の6拍子」が,わたしのからだと同調するようになるのかもしれない。そうなれたら,楽しさはまた倍増する。まあ,音楽なのだから,まずは,楽しむこと。
 ペルーの,リマの,バリオの,クレオール音楽の話,でした。