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2015年11月5日木曜日

ヒップホップ集団《クルギ》を迎えて,ライブとシンポジウム「非暴力の牙」開催のご案内。

 東京外国語大学の真島一郎さんから,写真のようなフライヤーがとどきましたので,ご紹介させていただきます。アフリカニストを自認され,セネガルと深くかかわって来られた真島さんの入魂の企画と受け止めました。これはなにがなんでも参加させていただこうとおもっています。23日(月)のプログラムはもとより,場合によっては,28日(土)の琉球大学でのシンポジウム「ヤナマール,新たな非暴力のかたち」も追っかけてみようかな,と密かに計画中です。

 もちろん,ついでに辺野古にも足を伸ばして・・・・・。


このフライヤーでは字が小さくて判読できないとおもいますので,必要な情報について補足しておきますと,以下のとおりです。

 〔主催〕東京外国語大学グローバルスタディーズラボラトリー(Global Studies Laboratory)。
 科学研究費基礎研究(B)「統治思想としての<オイコノミア>」

 〔日程〕
 2015年11月23日(月・祝)※入場無料・予約不要。
 ライヴ&国際シンポジウム「非暴力の牙」
 14:40~15:40 クルギ野外ライヴ 東京外国語大学 外語祭野外ステージ
 17:20~19:40 国際シンポジウム「非暴力の牙」 外国語大学研究講義棟226教室
             〔講演〕クルギ(チャット&キリフ&DJゼー)
             〔発言者〕西谷修/土佐弘之/桑田学/真島一郎/中山智香子

 2015年11月24日(火)※予約制 連絡先:hibouryokunokiba@gmail.com
  「社会変革の作り方」
 16:00~19:00 東京・馬喰町ART+EAT  tel:03-6413-8049
                                   https://www.art-eat.com/

  2015年11月26日(木)※予約制 連絡先:hibouryokunohito@gmail.com
  17:30~19:30(若干変更の可能性あり)仙台・センダイコーヒー(カフェ)

 2015年11月28日(土)
 「ヤナマール,新たな非暴力のかたち」
 9:30~12:00 沖縄・琉球大学
            〔出演〕阿部小涼/西谷修/土佐弘之/真島一郎/中山智香子
 〔関連企画〕
 11月29日(日)夜 沖縄・爆発コラボ・ライヴ「ヤナマール」


ラップ集団「クルギ」(Keur Gui )については,わたしのような者でも,どこかで聞いたことがある名前だな,とおもうくらいですから,いまさら説明をする必要はなかろうとおもいます。上のフライヤーにも詳しく紹介されていますが,残念ながら読めません。どうしても知りたい方はネットで検索してみてください。大量の情報を手にすることができます。

 最後に,このフライヤーのキャッチ・コピーを繰り返しておきたいとおもいます。

 非暴力の牙
 世界の鏡に照らして
 ≪3・11≫以後の思考を脱領土化する
 社会変革の新たな波動を牽引する
 ヒップホップ集団≪クルギ≫
 セネガルより来日!

 奮って参加してみてください。わたしも楽しみにしているところです。

2015年10月17日土曜日

「踊る人間」とはなにか。P.ルジャンドルはなにを語ったのか。

 ドグマ人類学者=J.P.ルジャンドル。と,まずは位置付けておこう。わたしの畏敬する西谷修さんもまた,時折,みずからをドグマ人類学者と名乗ることがある。しかしながら,「ドグマ人類学」という学問はまだ承認されてはいない。なぜか?西洋近代由来のアカデミズムの限界,とだけひとまず応答しておこう。

 では,いったいドグマ人類学でいう「ドグマ」とはなにか。ルジャンドルによれば,人間は「ことばを話す生きもの」だ,という。この人間の話す「ことば」そのものが「ドグマ」なのだ,という。わかりやすくしておこう。たとえば,日本語では「木」と名づけたオブジェが,英語では「tree」,ドイツ語では「Baum」という具合に,用いられる言語によってことなる。どれが「正しい」のか,その根拠はなにもない。それぞれの言語が勝手にそう呼び習わしてきただけのことだ。すなわち,「ドグマ」。もともとは,宗教の「教義」のことを意味する。いま,わたしがチャレンジしている道元の『正法眼蔵』もまた立派な「ドグマ」ということである。たとえば,道元の思想の中核をなす概念のひとつ,「修証一等」。すなわち,道元の「思い込み」。

 これ以上の議論は,ルジャンドルのテクストに委ねよう。あるいは,今日(10月17日)の午後に展開される研究会での議論を待つことにしよう。

 そう,今日,10月17日(土)13:00より,青山学院大学で,「ISC・21」10月東京例会が開催される。そのテーマがJ.P.ルジャンドルの舞踊論。ルジャンドル読みの第一人者と言われる森元庸介さんにお願いをして,ルジャンドルの舞踊論を紹介していただくことになっている。題して「演出,あるいは人間的な生存の基底。ピエール・ルジャンドルのダンス論を中心に」(仮)。

 この演題をいただいたときギクリとした。そうか。「演出」なんだ,と。そこに「人間的な生存の基底」がある,と。ルジャンドルは「ダンス論」を語りながら,「人間的な生存の基底」を解き明かそうとしていたのだ,と。それを,ひとことで言ってしまえば,「演出」,なのか,とわたしはある種の衝撃を受けた。そうか,人間が「存在」するとはどういうことなのか,を語っているんだ,と。

 なぜ,この演題に衝撃を受けたのか。

 わたしは長い間,「スポーツする人間」とはなにか,という大きなテーマを追ってきた。人間は,なぜ,スポーツをするのか。生身を生きる人間にとってスポーツとはなにか。言ってしまえば,哲学的なテーマを追ってきた。

 そこから派生して,では,「武術する人間」とはなにか,を考えるようになり,やがては「舞踊する人間」とはなにか,と考えてきた。当然のことながら,そのさきに現れてくる風景は「人間が生きる」とはどういうことなのか,という問いであった。生命が躍動するということはどういうことなのか。それを支える衝動の「根」はなにか。

 そうして,いつしか,「芸能」とはなにか,と考えるようになる。そこにみえてくるのは,「歌い,踊る」生身の人間の姿である。アメノウズメの世界である。

 ルジャンドルのダンス論を読み込んでいって,森元さんが到達したひとつの結論が「演出」だったのか,とこれはわたしの受け止め方である。しかも,そこに「人間的な生存の基底」を見届けようとしたのが,ルジャンドルの「ダンス論」なのか,と。そして,これもまた立派な「ドグマ」。

 今日の森元さんのプレゼンテーションに向けての,わたしのレディネスは以上のとおり。厳密には,もっともっと付け加えたいところであるが,この程度にとどめておこう。その方が単純明快でわかりやすい。

 コメンテーターを,新進気鋭のイスラム研究者・小野純一さんにお願いがしてある。もちろん,西谷修さんも参加してくださるので,ルジャンドルの「ダンス論」を議論する上で不足はない。そこに,全国からわたしの研究者仲間が集ってくる。お膳立ては整っている。あとは,本番を待つのみ。珍しく鼓動が高鳴ってくる。

 いい研究会になる,そんな予感に満ち満ちている。嬉しい。

2015年7月5日日曜日

J=P.ルジャンドルの「舞踊論」をテーマに。「ISC21」10月東京例会の予定が決まる。

 かねてから,J=P.ルジャンドルの古典的名著の一つと言われている「舞踊論」(『他者たらんとする情熱』,1978年)が,日本ではまだ紹介されていません。ルジャンドルが研究者としての道を歩みはじめた初期のころの論文で,念入りにこってりと多岐にわたる内容を詰め込んだ力作だと聞いています。しかも,難解きわまりないとも。

 この手ごわいテクストを,ふつうの読者ではとても読みきれない難物を,日本におけるルジャンドル読解の第一人者といわれる森元庸介さんに,わかりやすく紹介していただけることになりました。お願いをするときは,胸が高鳴りましたが,エイヤッ!と気合を入れました。西谷修さんからも,森元さんがいい,と推薦をいただいていましたので,背中を押されました。

 いまのところの予定としては,以下のとおりです。
 主催:「ISC・21」10月東京例会
 日時:2015年10月17日(土)午後3時~6時。
 場所:青山学院大学
 テーマ:J=P.ルジャンドルの「舞踊論」(=『他者たらんとする情熱』1978年)について。
 プレゼンテーター:森元庸介(東京大学准教授)
 コメンテーター:交渉中

 ルジャンドルの「舞踊論」は,おそらく本邦初公開になるとおもいます。ので,この情報を聞いたわたしの友人たちから,どのような準備をすればいいのかという問い合わせが殺到しています。そのように問われても困るのですが,なにせ,ルジャンドルのことですので,ありきたりの「舞踊論」ではないことは容易に想像できます。

 そのことは論文のタイトル『他者たらんとする情熱』からもある程度の推測ができます。きわめて哲学的であると同時に,精神分析学的でもあるのでは・・・というのがわたしの見立てです。ですから,いま,日本語で読める「舞踊論」のテクストはあまり参考にはならないのではないか,とわたしは想像しています。

 ですので,手っとり早いのはルジャンドルの著作を手当たり次第に読むこと。そして,ルジャンドル的思考の特徴・傾向を理解しておくこと。その「舞踊論」的ヴァージョンが展開されているのだ,と考えるしかないのでは・・・と現段階ではおもっています。まだ,さきが長いですので,どのような準備をすればいいか,森元さんはもとより,西谷さんにもうかがってみようとおもいます。

 ルジャンドルの著作のうち,日本語で読める文献は以下のとおりです。
 1.『第Ⅷ講 ロルティ伍長の犯罪 <父>を論じる』,西谷修訳,人文書院,1998.
 2.『ドグマ人類学総論 西洋のドグマ的諸問題』,西谷,嘉戸,橋本,佐々木訳,平凡社,2003.
 3.『西洋が西洋について見ないでいること』,森元庸介訳,以文社,2004.
 4.『第Ⅲ講 真理の帝国 産業的ドグマ空間入門』,西谷修訳,人文書院,2006.
 5.『ルジャンドルとの対話』,森元庸介訳,みすず書房,2010.
 6.『西洋をエンジン・テストする キリスト教的制度空間とその分裂』,森元庸介訳,以文社,2012.
 7.『同一性の謎 知ることと主体の闇』,橋本一径訳,以文社,2012.

 いずれも深い洞察にもとづいたテクストばかりですが,比較的読みやすいのは3,5,6,7,でしょうか。とはいえ,重要なのは1,2,4,です。思考力と忍耐力を鍛えるにはとてもいいテクストです。ぜひ,挑戦してみてください。

2015年6月17日水曜日

陸上競技もラグビーもコンサートもできる新国立競技場,そんなものはつくれません(森山高至)。

 昨日(6月16日)の夜,「神宮外苑と国立競技場を未来に手わたす会」の第二回目の勉強会が開催され,それに参加させてもらいました。建築エコノミスト森山高至さんが講師をつとめられ,とてもわかりやすい,ためになる勉強会でした。

 実施要領は以下のとおりです。
 日時:2015年6月16日(火)19:00~21:00
 場所:日本建築家協会・建築家会館本館1Fホール(渋谷区神宮前2丁目3-6)
 テーマ:緊急開催・まだまだ終わらない公開勉強会・2.
 講師:森山高至(建築エコノミスト)

 この勉強会にさきだって,緊急の記者会見が行われました。森まゆみ,大橋智子,清水伸子さんらの共同代表(11名)の方たちが雛壇にならび,それぞれに発言をされました。まずは,「新国立競技場現行案に対する緊急市民提言」を提示し,森まゆみさんからその趣旨説明がありました。とても静かな会見でしたが,なぜ,いまごろになって,こんな不可思議なことが起こるのか,理解に苦しむ,というそこはかとない怒りの感情が伝わってきました。

 
提言は以下の8項目です。
 1.現行案をあきらめること。
 2.過去の競技場を指針とすること。
 3.アスリートやスポーツ関係者の意見を集約すること。
 4.周辺を含めた総合的な検証を行うこと。
 5.既存の環境と現在の住民を尊重すること。
 6.現実の難題を考慮し,誰もが納得できる施設にすること。
 7.既存施設の活用を検討すること。
 8.第三者検証委員会を設置すること。

 わたしもこの会の活動に賛同し,できるだけ機会をとらえてはいろいろの企画に参加させていただいてきました。この会の共同代表のお一人である大橋智子さんは,4月に開催したわたしたちの研究会にも参加してくださいました。そんなご縁もあって,賛同者のリストにも名前を連ねさせていただきました。

 
 
さて,本題の森山高至さんの講演は,新国立競技場建造に関する問題の核心部分に焦点をあて,じつにわかりやすく語ってくださいました。そして,O(ゼロ)から仕切り直し,というわたしの意見とまったく同じ結論を提示され,こころの底から納得させていただきました。そのさわりの部分だけを紹介させていただきますと以下のとおりです。

 新国立競技場の現行案は,陸上競技場もラグビーもコンサートもできるものにしようという発想そのものが根本的に間違っているだけではなく,技術的にも建造は不可能だし,つくったとしても莫大な維持経費がかかるだけで意味がない,というものでした。

 その比喩として,つぎのようなお話をされました。車でいえば,スポーツカーも,ワゴン車も,ダンプカーも,たった一台の車でそれらのすべての用途を満たす車をつくれ,と言っているようなものだ。最先端技術を駆使して理想的なスポーツカーをつくれといわれればこれは可能である。ワゴン車の理想を追求した夢のような車をつくれといわれればこれも可能である。ダンプカーの頑丈で壊れない理想的な車をつくれといわれればこれも十分可能だ。しかし,これらの三つの理想を全部網羅して,たった一台の車で実現せよといわれたら,それは不可能であるということは,だれの目にも明らかだ。

 こんな馬鹿げたことを,知ってか知らずにか,競技場づくりでやろうとしているのだ,と森山さんは熱弁をふるう。このお話にはだれもが納得し,おおきく頷いていました。わたしもまったく同感。

 ラグビーやサッカーなどのボール・ゲームは,陸上競技場兼用だと走路のレーン(8レーンがふつう)の分だけ観客席とピッチとの距離が離れてしまって,間近でプレイを鑑賞する興味が半減してしまう。それを埋め合わせるためには,スタンドの基礎部分に移動式客席を設備しなくてはならない。このためのコストも無視できない。のみならず,ラグビーなどのボール・ゲームは一度,試合をすると芝が痛んでしまって,修復をし,使用可能になるのに約1週間はかかる。したがって,ラグビーなどのボール・ゲームでは試合会場をいくつも用意して,そこを巡回しながら予選を闘う必要がある。つまり,連日,同じ競技場を使うことはできない,ということだ。

 そこに,コンサートが参入するという。ここに屋根の敷設の問題が生ずる。たとえ屋根を開閉式にしたところで,芝は腐ってしまう。だから,トヨタ球技場は,屋根を取り外すことにした。これは,建築の専門家ならだれでも知っていることだ。なのに,コンサートを開催して,維持管理費をはじき出そうというのだ。相矛盾したことを,強引に推し進めようとしている。まったく理解に苦しむ,と森山さんは問題の所在を明確にしてくださいました。

 これ以上は長くなってしまいますので,まだまだ,魅力的な森山さんのお話があったのですが割愛させていただきます。あとは,森山さんのブログ(こちらは詳細に,かなり専門的な話にまで及んでいますが,とても勉強になります)でご確認ください。「森山ブログ」で検索すれば,すぐにでてきます。

 また,「神宮外苑と国立競技場を未来に手わたす会」の活動も,詳しくはホームページでご確認ください。これまでの活動の経緯がじつに丁寧に記録されています。新国立競技場建造に関する資料としても抜群です。
http://2020-tokyo.sakura.ne.jp

 以上,取り急ぎ,ご報告まで。 
 

2015年3月19日木曜日

「東京五輪2020を考える」研究会,青山学院大学で開催,のご案内。

 積極的平和主義などという欺瞞に満ちたモットーをかかげ,戦争のできる国家に向けてまっしぐら。こんな国家が平和運動のシンボルともいうべき五輪を開催することにもまことに熱心。この矛盾。一方では,フクシマやオキナワを無視・放置したまま,外国には惜しげもなく金をばらまく。のみならず,原発を売り歩く死の商人まで買って出る首相。他方では,長い間,慣れ親しんできた1964東京五輪のオリンピック・メモリアルである国立競技場をわざわざ解体して,国威発揚とばかりに超巨大な新国立競技場の建設に向けて突っ走るJSC(文部科学省の下部組織)ならびに五輪組織委員会(森喜朗会長)。良識ある識者たちの再三にわたる警告や市民団体によるデモンストレーションを無視して。

 こんな情況のもとで開催が予定されている東京五輪2020。いったい,この五輪とはそもそもなにか。だれのための五輪なのか。それを2020年に東京で開催することの意味はなにか。国際社会はどうみているのか。そういう素朴な疑問や巨視的で,しかも思想・哲学的な視点も交えながら,東京五輪2020とはなにか,をトータルに考えてみようという研究会を企画しました。興味・関心をお持ちの方はぜひ参加してみてください。

 研究会開催要領は以下のとおりです。

 テーマ:東京五輪2020を考える。
 日時:2015年4月25日(土)13:00~18:00。
 場所:青山学院大学・総研ビル8階第10会議室(正門のすぐ右の建物)
 プログラム:
  第一部:13:00~14:45.レギュラー・メンバー対象。
      研究活動報告(参加者全員),情報交換,こんごの研究活動の方針,など。
  第二部:15:00~18:00.一般公開。
      シンポジウム「東京五輪2020を考える」
      プレゼンテーター:西谷 修,稲垣正浩,もう一人交渉中。
     ※一般参加の方で,初めての方は〔inagaki@isc21.jp〕宛にメールでご連絡ください。
      会場の関係で,人数の調整をさせていただきます。その場合には先着順。
      その他,問い合わせも上記のメール・アドレスまで。
                                         以上。

〔追記〕
 研究会終了後,いつものように懇親会(約2時間)を開催します。こちらも公開です。ぜひご参加のほどを。会費は実費・当日集金。参加申し込みは,4月21日(火)までに,メールで。

2015年1月23日金曜日

「野見宿禰」論──瓦礫の山からの幻視考・「歴史の女神」(W.ベンヤミン)に寄り添って。研究報告・覚え書き。

 1月24日(土)は奈良・若草山の山焼きの日。この日は,わたしの第二の故郷・奈良へのお里帰りの日。奈良教育大学を退職して上京依頼,毎年,欠かしたことはありません。奈良教育大学の教え子たちとの約束です。この日には帰ってきて,なにかお話をする,というのが恒例となっています。数えてみれば,ことしで27回目。途中,雪のために新幹線が止まってしまった年が一回だけありました。その年以外は,毎年,山焼きをじっくりと鑑賞してきました。奈良に住んでいた19年を加えると,計46年も山焼きを眺めてきたことになります。いまや,山焼き評論家を自認しています。

 さて,山焼きが終われば,楽しい懇親会。一年の空白を埋めるために,それぞれにこの一年のできごとについての報告があります。それがなによりの楽しみの一つでもあります。教え子たちが年々,立派な人間に成長していくさまを,この眼で確認できることの喜びは,また,格別です。教師冥利につきるというところ。

 それはともかくとして,その前に,集まってきた教え子たちに向かって,わたしからの報告をしなければなりません。その要旨を少しだけまとめておきたいと思います。

 ことしのテーマは,「野見宿禰」論──瓦礫の山からの幻視考・「歴史の女神」(W.ベンヤミン)に寄り添って,です。

 野見宿禰については,もうすでに長い間,考えつづけてきました。お蔭で,かなりのことがわかってきました。しかし,それでもなお,核心部分については,杳として不明です。ひたすら想像力をふくらませて,あれやこれやと幻視を楽しむ程度でしかありません。まあ,古代史の世界はどうしても不明なことが多く,仕方のないことではあります。しかし,それでもなお,真相(深層)に迫りたいという欲望は絶ちがたくこころの奥底に蠢いています。

 この欲望がつづくかぎりは野見宿禰の実像を追ってみたいとおもっています。それを支えてくれる理論がW.ベンヤミンの「歴史の女神」という考え方です。ベンヤミンもまた,近代歴史学が主張した資料実証主義の可能性と限界を見届けた上で,その限界のさきに存在するはずの歴史の真実に迫ろうと考えていました。資料実証という嵐が吹きまくり,これはと思われる資料はすべて渉猟されてしまい,残るは瓦礫の山でしかありません。それでもなお,資料実証という「風」に吹き飛ばされそうになりつつも,その「風」に必死で耐えて立ちすくんでいる「歴史の女神」を見出したい,この女神に接近したい,とつねづね考えてきました。

 その世界は,確たる証拠はなにもありません。そこは虚実が入り交じった,混沌の世界でもあります。しかし,その虚実の皮膜の間(あわい)にこそ,歴史の女神が微笑んでいるに違いない,とW.ベンヤミンは考えました。わたしもまたこの謂いにならって,野見宿禰の真実という「歴史の女神」に接近してみたいと密かに企んでいる次第です。

 その企みのいくつかは断片的にこのブログにも書いてきました(検索してみてください)。それらの点と点をつないでいきますと,これまたまったく新しい野見宿禰像が立ち現れてきます。これがまたたまらない魅力です。その要点を整理してみますと,以下とおりです。

 崇神と神武は同一人物であるという説に立てば,崇神のつぎの垂仁は,ヤマトの大王(天皇の諡号が用いられるのは推古説と天武説の二つがありますが,それまでは天皇を名乗る人はいなかったわけですので,「大王」と呼ぶのがふさわしいと考えています)の二代目ということになります。つまり,出雲から譲り受けたばかりのヤマトをいかに平定し,新たな秩序を構築していくか,という神武・ヤマトの草創期ということになります。つまり,まだまだ混沌とした,素朴な権力しか存在しなかったはずです。その草創期に「出雲の人」野見宿禰を召し抱えた垂仁はいったいなにを考えていたのでしょうか。まつろわぬ豪族・当麻蹴速と相撲(決闘)をとらせた話は有名です。それだけではなく,野見宿禰は埴輪を提案して,古墳時代に新しい息吹を吹き込みます。つまり,大王の死にともなう人身供犠を廃止します。これは,言ってみれば,大改革です。

 のみならず,埴輪を焼く技術をもっていたので,その特技を活かして「土師」氏を名乗ることを垂仁から許されます。以後,土師氏はその勢力を全国に向けて拡大していくことになります。そして,埴輪を焼くだけではなく,古墳の造営や葬送儀礼にも深くかかわっていくことになります。そうした特殊な職能集団として,その勢力は全国の津々浦々にまで及んでいきます。その証拠は,スサノオやオオクニヌシやノミノスクネを筆頭とする,いわゆる「出雲」族の神様を祀る神社が,他の神社を圧倒するほどの数で存在しています。しかも,これらの神社は,こんにちもなお存続しているということが,なによりの根拠です。なかでも,オオクニヌシは全国にひろがる「一の宮」ネットワークの中心をなしています。

 しかし,それにしては,日本の歴史の表の世界に出雲族はほとんど登場してきません。もっぱら,日本史の裏の世界で隠然たる力を発揮しながら,天皇家と一定の距離を置きつつ,あるバランスを保っていたようです。唯一の例外は,菅原道真だけです。かれは桓武天皇との縁故(桓武は幼少のころから道真の塾で教えを受けていた)もあって,重用され,大きな権力をわがものとします。しかし,その一方では,葬式屋の末裔ではないかと蔑まれ,藤原一族からは蔑視されています。そのねじれた関係の結果が,冤罪による太宰府への島流しです。でも,その後の「大騒ぎ」(藤原一族の相次ぐ死,天皇家の災害,など)があって,北野天満宮に祀られ,祇園祭も生まれ・・・とつながっていきます。しかし,菅原道真の子孫は代々,立派な学者が誕生したことはわかっていますが,その後の消息はみえていません。

 もう一点は,神武に抵抗し,最後まで戦い抜いた出雲の最後の大王・トミノナガスネヒコの存在です。滅ぼされたとはいえ,ヤマトを支配していた大王です。その残党はあちこちに生き延びていたはずです。どのような「手打ち」がなされたにしろ,まだまだ燻りつづける火の粉は残っていたはずです。そういう情況のなかでの,「出雲の人」野見宿禰の登場です。このように考えると,垂仁がなにを野見宿禰に期待したかは明らかです。

 ついでに記しておけば,ヤマトに野見宿禰を祀った神社はそれほど多くはない,という事実です。むしろ,地方の方が多いというのは,いったい,なにを意味しているのでしょうか。たとえば,最近,フィールドワークをしてびっくりしてしまった龍野市とその周辺地域です。地図を開いて,あちこち眺めれば眺めるほどに,この地域からは一種異様な雰囲気が感じられます。それも微妙にねじれた関係性があちこちに見出されます。その中心に存在するのが,野見宿禰の墳墓といわれる野見宿禰神社です。にもかかわらず,野見宿禰神社は龍野神社に合祀されている神社という位置づけです。しかも,龍野神社の祭神は関が原の戦いで武勲を挙げた武将です。なにゆえに,野見宿禰がこのような祀られ方をしなければならないのか,そこにはなにか確たる根拠がありそうです。わたしの幻視によれば,なにやら空恐ろしい仕掛けが隠されているように思います。場合によっては,アンタッチャブルな世界につながっているやも知れません。どうやら,「歴史の女神」はそのさきで微笑んでいるようです。

 そのあたりのことは,当日,口頭で述べてみたいと思います。文章にして残すには,いまの段階では,どことなく憚られますので。

 長くなってしまいましたので,このブログはこの辺で終わりにしたいと思います。当日,時間があれば,そして,場の力をもらえたら,もっともっと面白い話をさせてもらおうと楽しみにしています。とりあえず,今夜はここまで。

2013年10月10日木曜日

講演「オリンピックとはなにか,スポーツとはなにか」(東京体育学会主催)が決まる。これから7年間の闘いの始まり。



 しばらく前に,かつての同僚であった船渡和男さんからメールがあり,講演をしてほしい,とのこと。テーマはなんでもいい,ということでしたので,お引き受けしました。ちょうど,『世界』の原稿を書き上げたばかりのころでしたので,わたしの頭のなかは「オリンピックとはなにか。スポーツとはなにか。」この二つが渦巻いていました。ですから,迷うことなく,即座にテーマはこれでいこう,と決断。すぐに,船渡さんに返信メールを送りました。

 そうしたら,こんなに立派なポスターをつくってくださいました。このポスターが東京体育学会の会員のみなさんに,情報として流されるはずです。わたしもかつては会員でしたので,この学会がどんな活動をしてきたかというおおよそのところは承知しています。ただし,あまり熱心な会員ではありませんでしたが・・・・。ですから,何人の方が聞きにきてくださるかはまったくわかりませんが,まずは,それなりの準備をして・・・と考えています。

 お世話をしてくださった船渡さんには,『世界』11月号(10月8日発売)に寄せた拙稿「オリンピックはマネーゲームのアリーナか──「魂ふり」から「商品」へ 変転するスポーツ」のコピーを,当日の参加者に配布してくださるよう,お願いをしておきました。わたしの記憶では,実験系の会員の方たちが熱心に活動されていたように思いますので,この方たちが,こういう話をどのように聞いてくださるのか,いまから楽しみではあります。

 じつは,10月28日は,わたしにとっては特別の日でもあります。それは,研究者としての道を歩むことになったきっかけを与えてくれたKarl Gaulhofer の命日であるからです。第一次世界大戦後のオーストリアの体育改革を推進し,そのコンセプトとなった Natuerliches Turnen (自然体育)を提唱した中心人物がカール・ガウルホーファーでした。

 この人との出会いは,学部3年生だった年の秋に早稲田大学で日本体育学会が開催され,そこに設営されていた書籍販売会場の洋書コーナーでした。会員でもないのに物珍しさからふらりと初めて日本体育学会という場に足を踏み入れました。黒の学生服を着て角帽を被り(当時は当たり前の格好でした),いろいろの会場を覗かせてもらいました。会費も払わずにもぐり込みました。ですから,名札をつけていません。が,だれもとがめる人もいませんでした。おおらかな時代だったと思います。

 その洋書コーナーに,Karl Gaulhofer, Margaret Streicher の Natuerliches Turnen, 全5巻が並んでいました。まだ,ドイツ語もたいして読めないのに,あちこち拾い読みをしながら,当てずっぽうにあれこれ内容を想像していました。そのうちに,この本はひょっとしたら,それまでの体育の考え方を根底からくつがえす画期的な本なのではないか,と思いはじめ,ついには,確信に変わっていました。そして,そのとき持っていた金を全部はたいて購入しました。とても勇気を必要とする決断でした。

 こうした出会いがあったお蔭で,大学院の修士論文は「Natuerliches Turnen (自然体育)の研究」でまとめることができました。この論文で,はっきりと研究者を目指そうと決心しました。以後,大学に勤務するようになり,在外研究員として向かったのもかつてKarl Gaulhofer  が勤務していたウィーン大学でした。わたしの在外研究を引き受けてくれた Dr.Hannes Strohmeyer さんに挨拶に行く前にウィーン大学のスポーツ科学研究所を下見してみました。そうしたら,その一角に,Karl Gaulhofer の記念碑を見つけました。

 ちょうど,ウィーンに向かったのが10月の中旬でしたので,生活の基盤をととのえて,そろそろご挨拶にと思ったときが,10月28日の数日前のことでした。ですから,ご挨拶には,この10月28日に,と決めました。地下鉄の駅で花束を買って,でかけました。そして,初めて会うDr.Strohmeyerさんに,開口一番,「今日はどういう日かご存じですか」と質問。かれは首をひねって「わからない」と。そこで,わたしは「この花束をKarl Gaulhofer  に捧げたい」と言った瞬間に,Dr.Strohmeyerさんは顔を真っ赤にして,「Denkmal(記念碑)の場所は知っているか」と聞きますので,「わたしが案内します」と自信満々のわたし。

 これがDr.Strohmeyer さんとの最初の出会いでした。お蔭で,すっかり意気投合して,仲良しになることができました。あとは,家族ぐるみのお付き合いをさせていただき,今日にいたっています。

 そんな記念すべき日に,東京体育学会で講演をさせていただけるのは,わたしにとってはなにものにも代えがたい光栄です。ですから,なにがなんでも気合を入れて,悔いの残らない講演にしたいと,いまから楽しみにしているところです。多少,話が脱線したとしても,『世界』の掲載論文が配布されていると思えば,安心です。できるだけ,会員のみなさんの印象に残る話題に絞り込んでお話をしてみたいと考えています。

 どなたでも参加できるようですので(会費も申し込みも不要),時間と興味のある方はどうぞ,お出かけください。楽しみにお待ちしています。では,会場で。

2013年10月1日火曜日

第76回「IOC・21」10月東京例会を開催します。

標記の例会を下記の要領で開催しますので,興味・関心をお持ちの方はぜひご参加ください。傍聴するたけの方も,一応,わたし宛にメールでご連絡ください。
           記
1.日時:2013年10月5日(土)13:00より18:00まで。
1.場所:青山学院大学・総研ビル8階・第11会議室。
      (総研ビルは,正門を入ってすぐ右手にある建物です)
1.プログラム:
 第一部:情報交換(13:00より14:30まで)
      ブックレヴュー,論文紹介,フィールドワーク,近況報告,など。
 第二部:『スポートロジイ』第2号の合評会(14:45より18:00まで)
      基調報告:稲垣正浩(21世紀スポーツ文化研究所主幹研究員)
      コメンテーター:交渉中
      全員でディスカッション
      途中で一回,休憩をとります。
 以上。

※第一部は,主としてレギュラーの会員による情報交換が行われます。
※例会のメインは第二部です。意外な顔ぶれがそろう予定ですので,ご期待ください。
※第二部に参加される方は,原則として『スポートロジイ』第2号を熟読の上,ご持参ください。
※当日,数冊は会場に用意しておく予定です。実費販売の予定。
※なお,例会終了後,約2時間ほどの懇親会をもちます。会費:3500円。参加希望者は,10月3日までに稲垣までご連絡ください。メール・アドレス:inagaki@isc21.jp
※問い合わせも,上記メール・アドレスに。
※それでは,当日お会いできますことを楽しみにしています。