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2014年11月25日火曜日

長野の地震被災地住民には手厚く,沖縄県民の総意は無視して知らぬ顔の政府自民党。

 長野北部の地震災害の大きさが次第にわかってきて驚いています。29㎝も地面が移動した地域もあると聞き,これは一大事だと気づきました。倒壊した家屋も多く,あちこちに地面の段差ができたり,大きなひび割れが生じたり・・・でたいへんなことになっていることが報道されて,このたびの地震災害の大きさがわかってきました。避難生活を余儀なくされている人たちも少なくない,とのこと。遅ればせながら,こころからお見舞い申し上げます。

 シンちゃんはいち早く,被災地のみなさんの救済に乗り出しました。「全力を挙げて救済支援を行う」と宣言して,すばやく被災地に関係者を派遣して,その約束を行動に移しています。とても立派なことだと,まずは,賛辞を送りたいと思います。しかし,すぐに,素直に賛辞を送ることが躊躇されてしまいます。なぜなら,それが選挙を意識した,みごとなまでの計算・打算のもとでの行為にみえてしまうからです。だから,どこかに不快感を抱きながらも,とりあえずは,被災地のみなさんの救済支援を第一に考えたいという,割り切れない葛藤が伴います。

 この不快感には,もうひとつ,大きな理由があります。

 「沖縄県民の意に沿うよう努力する」と,シンちゃんは沖縄県知事選挙前に,沖縄県民に向かって,大見得をきって宣言しました。しかし,その約束をすっかり忘れてしまったかのように,米軍基地の辺野古への移設は「日米協定にもとづき,粛々と進める」(官房長官)と記者会見で,臆することなく,へらりと述べています。わたしはそのときのテレビ放映をみていて,背筋が寒くなりました。この男のしらけきった顔,そして,そこになんの罪の意識もない冷徹さ,これが政府自民党のありのままの「顔」なのだ,と再確認しました。しかも,この官房長官の発言に対して噛みつく記者はひとりもいませんでした。再度,鳥肌が立ちました。

 こんな大嘘を平気でつける,もはや「虚言癖」という病魔に犯されているとしかいいようのないシンちゃんが,この国の指導者なのです。もはや,なにも信じることはできません。

 そのシンちゃんですが,目先の計算・打算だけは目ざとく,利用できるものはなんでも利用するという,なんとも卑しい才能だけは持ち合わせていらっしゃる。これが困ったちゃんの最大のガンですよね。

 ですから,シンちゃんが外遊するたびに,わたしたちはハラハラドキドキしてしまいます。その場の雰囲気によっては,ありもしないリップ・サーヴィスを平然と言いかねないからです。その前科もふんだんに積もっています。ですから,どこで,どのようにして,いったい,なにをしゃべってくるのだろうか,と。不安でたまりません。

 と,こんなことを書き始めると際限がなくなりますので,もとに話をもどします。

 言いたいことは以下のとおりです。

 長野の地震被災地住民に手厚く支援の手を差し伸べるのは,政府として当然のことであり,大賛成です。それと同じことを沖縄県民のためにもやってほしい,ただ,このひとことです。同じ,日本国民の一員なのですから。

 しかし,沖縄県民の総意をかき消すための戦略のひとつとして「解散・選挙」という大義なき暴挙にでた,とわたしは受け止めています。こんなことまでしなければならないほど,シンちゃんは,じつは,沖縄県知事選挙の結果に怯えている,というのが真相のようです。ですから,その反動として,長野の地震災害地には「仏」の顔をみせて,そのバランスをとろうとしている,しかも,それが選挙につながる・・・・と。

 しかし,シンちゃんのほんとうの「顔」も「こころ」も鬼です。冷徹そのままの「青鬼」です。その証拠には,福島の被災者・・・・,これを書き始めると際限がなくなってしまいます。あとは,みなさんの想像力にお任せ,としておきます。

 ただ一言,もう一度だけ,言わせてください。長野の地震被災地住民には手厚く,そのいっぽうでは,沖縄県民の総意を無視して平然としている,この厚顔無恥,計算・打算,虚言癖こそが,いまの政府自民党の本質だ,ということを。

2014年9月18日木曜日

「来年1月までに大きな地震が発生する可能性大」。村井俊治氏の電子基準点観測データの分析から(『週刊ポスト』)。

 日本地震学会のメンツが丸潰れ,という珍現象が起きています。年100億円もの研究助成金を分け合う既得権益にしがみつく日本地震学会は,「地震ムラ」と揶揄されるほどの閉鎖性のつよい学会といわれています。その日本の地震研究の最高権威とされている日本地震学会の「地震予想」がほとんど的中したことがありません。それでも,日本政府はこの地震学会の提供するデータにもとづいて,南海トラフ地震が起きる確率を「30年以内に60~70%」というわけのわからない予想を発表しています。

 それに引き換え,地震学者でもなんでもない,しかし「測量学の世界的権威」者である村井俊治さんの地震予想が,この5月以降,ことごとく的中していて,世の注目を集めています。その村井さんが,最近の電子基準点(全国1300カ所)から送られてくる観測データを分析した結果,「来年1月までに大きな地震が発生する可能性がきわめて高い」と予想しています。これは聞き捨てならない事態です。

 しかし,村井さんのこの予想を政府も日本地震学会も無視しています。大手メディアもほとんど無視しています。なぜか?週刊誌もそれほどの関心を示しません。ただ,『週刊ポスト』(小学館,秋の合併特大号,9.19/26)だけが,かなり念入りな取材をして,問題の所在を明らかにするなかなかいい記事をまとめています。

 この記事の中にも書かれていますが,地震という,それも差し迫った一大事にたいして,なぜ,地震学と測量学,あるいはその他の関連学会は協力して,より精度の高い地震情報を国民に提供しようとはしないのか,これが不思議です。その最大の障害になっているのは地震学会の既得権益にあるようですが・・・。だとしたら,それこそ政府が音頭をとって,あらゆる関連学会が協力するシステムを構築すべきでしょう。ところが,その政府もまた無関心です。長年にわたる癒着構造が,そのまま野放しにされているということなのでしょう。しかし,これは一刻も早く改善し,それこそ「国民の命と安全を守るために」(アベ君の常套句)しかるべき措置をとってほしいものです。ここにも原子力ムラとの癒着と同じ構造がみてとれます。困ったものです。

 さて,本題に入りましょう。
 村井俊治(東大名誉教授・元国際写真測量・リモートセンシング学会会長)は,国土地理院が94年から全国各地に約1300カ所に設置したGPSデータを測定する「電子基準点」からの情報を蒐集し,分析した結果,地震発生との相関関係がとても密接であることに気づきます。そして,この観点からの地震予想をしたところ,百発百中という成果を挙げています。しかし,村井さん自身は,まだまだ荒っぽい予測なので,その分析方法の精度をもっと上げるべく,いまも努力を重ねているところだといいます。

 その方法の核心は,各地の電子基準点で起きている地面の上下動が,一週間の間に「4㎝」以上ある場合には震度3から震度5弱の地震がおきる可能性が大であること,この上下動が「7㎝」を超えるともっと大きな地震が起きる可能性があること,を村井さんがつきとめたことにあります。そして,さらに,7月の後半から8月にかけて連続して起きている地面の上下動が日本各地の広範囲に広がっており,これだけの広範囲の変動は東日本大震災の時の前兆と酷似している,というのです。その結果,村井さんは「来年1月までに大きな地震が発生する可能性がきわめて高い」と警告を発しています。

 こうした情報の詳しいことは,メールマガジン『週刊MEGA地震予測』(http://www.jesea.co.jp/)で確認してみてください。毎週,村井さんが具体的にデータを提示しながら,その分析をし,地震予測をしています。

 『週刊ポスト』はこのJESEAのデータをもとに,詳細な「異常変動マップ」の全国版を作成し,掲載しています。このマップをそのまま転載するわけにもいきませんので,重要なポイントだけを紹介しておきます。このマップによれば,大きく分類すると4カ所で異常変動が起きているといいます。それは,「飛騨・甲信越・北関東警戒ゾーン」「首都圏・東海警戒ゾーン」「南海・東南海警戒ゾーン」「九州・南西諸島警戒ゾーン」の4カ所です。

 わたしの住んでいる川崎市にかかわるところでは,「神奈川県・静岡県の電子基準点変動の推移」(ことしの1月から8月末まで)という折れ線グラフが掲載されています。それによると,7月後半から8月にかけて7㎝,8㎝を超える大きな変動がつづいています。しかも,神奈川県の厚木,湯河原,大井といった基準点で大きな変動が見られる,と指摘しています。

 つづけてこの折れ線グラフについての村井さんの談話を紹介しておきます。
 「近年の研究では,関東大震災の最初の震源が大井近くだったとされている。首都圏全域に大きな影響を及ぼす大地震の兆候である可能性は否定できない」。

 となってくると,ことは重大です。ここまでのところ,村井予測は全部当たっているだけに説得力があります。こうなったら,少なくとも1週間分の水と非常食の備えをしておかなくては・・・と本気で考えてしまいます。日本地震学会,あるいは,政府の見解を聞きたいところです。しかし,これもまた無視することでしょう。

 いずれにしろ,これから村井予測による地震警告は,ますます大きな話題になっていきそうです。でも,そうなると,政府は水面下での強力なメディア・コントロールを仕掛けてくるでしょう。それでも「村井」情報は上記のメルマガで確認することは可能でしょう。ここも消去されるようになったら,もう日本はお終いです。しかし,その可能性も無視できません。困ったものです。

2012年5月20日日曜日

日本一の国民宿舎・鵜の岬(茨城県)を拠点に北茨城の被災地を旅する。

宿泊の利用率が99%を越えるといわれている日本一の国民宿舎・鵜の岬を苦労して確保してもらって,2泊3日で,北茨城を旅してきました。北茨城といえば,おなじみの地震多発地域です。わたしが滞在していたときも,地震がありました(18日の夕刻)。

ちょうど,お風呂に入っていて(9階にある大浴場は見晴らしがよくて最高),いい気分でいました。が,周囲の人はだれも気づいていません。はじめに「ドンドン」と下から突き上げられるような感じだったものが,やがて,ゆらゆらと揺れはじめました。が,そんなに大きな揺れではなかったせいか,だれも気づいてはいないようでした。だから,わたしも黙っていました。が,あとで考えてみれば,みんな見知らぬ人ばかり。気づいていてもこの程度なら大丈夫と判断し,黙っていたのかもしれません。

まあ,そんな具合で,早速,鵜の岬の大浴場で地震の歓迎を受けました。

その翌日,高萩市に住む知人の家を訪ねて,「3・11」の地震体験とその後の様子について詳しくお話をうかがうことができました。やはり,被災者の生の声は迫力があって,報道されている情報とは異質のものでした。

知人の家は,地元の名家で,古いけれどもとてもがっしりした造りの家でした(若い学生時代から通っていますので,熟知していました)。10畳ほどの部屋が四つ,田の字型の構造になっていて,その周囲を廊下で囲むようにできていました。ですから,柱は田の字の線の交差するところの9本が立っていて,その周囲を囲む廊下のところにやはり9本,使われていました。ですから,普通であれば,9本の柱で済むところが,その倍の18本の柱が用いられていました。

それでも揺れが激しくて,ガラス戸のガラスは全部割れてしまい,障子紙も全部,ひとます毎に,みごとに破れて変形し,床の間の土壁も,部屋を仕切ってある土壁も,土は全部剥落して骨になっている竹の井桁だけになってしまった,とのことです。そして,家が少しだけ傾いただけで,屋根の瓦は一枚も落ちることなく,もとのままだったといいます。

で,言われてみて,外にまわって屋根を見上げてみましたら,まったく普通の家の屋根ではないことがわかりました。太い柱と屋根を支えている横木(これもじつに太い)が交叉する部分は,しっかりとかみ合わせてあって釘は使われていません。まるで奈良の古い寺の建築と同じ建て方がしてあります。この家は,明らかに宮大工の仕事だということもわかりました。その上に乗っている屋根もどっしりしていて,瓦も一枚ずつ固定してあって,じつに手の込んだ建築だと,修復に当たった大工さんたちが語っていたということでした。

ですから,障子も襖もガラス戸も,そして壁もボロボロになってしまったけれども,屋根はどこも壊れていなくて,家全体がやや傾いただけだった,とのことでした。

で,この家を取り壊して立て替えるか,この家をそのまま修復させるか,ずいぶんと迷ったそうです。新築にしてしまった方が住みやすいからそうした方がいいという意見の人と,この家は素晴らしい建築なのだからこのまま残して修復した方がいいという意見の人とに分かれたとのこと。いろいろと考え,迷いに迷ったあげく,先祖代々,住んできた家は残したいという気持ちの方が強かったので,修復することにしたそうです。いまは,もう8割方修復が終わっていました。

さらに,びっくりしたのは,屋敷の中にある二階建ての物置です。長年,雨風に打たれて建物の外側の木材はボロボロです。が,びくともしなかったそうです。もちろん,屋根もそのまま。よくみると,校倉造りになっているではありませんか。全部,横木をかみ合わせて,二階部分まで積み上げてあります。奈良の正倉院を思い出しながら,やはり,むかしながらの名建築といわれてきたものは凄いものだ,と感心してしまいました。

周囲の家を見回してみますと,新築の家が多く,それらは全部,新しく建て直したものだそうです。中には,屋根だけ葺き替えた家もあるようです。そして,まだまだ,修理の手が廻らない(人手不足の)ため,ブルーシートで被せてあるだけの家もたくさんありました。

そのようにして眺めてみますと,地震直後の被害の大きさというものが,次第に浮かび上がってきます。

これに加えて海岸沿いの津波による被害が,いまも,そのみじめな姿を残していました。が,この話は,つぎにしたいと思います。

2011年8月7日日曜日

阪神・淡路大震災記念「人と防災未来センター」を見学。

8月6日。ヒロシマのことを思い出しながら神戸にやってきた。神戸は夜の花火祭りをお目当てにした観光客が目立つ。それ以上にわたしの目を驚かせたのは若者たちのゆかた姿。若い男女のペアが圧倒的に多かったが,なかには中年の男女のゆかた姿もあって,微笑ましい。東京でも,最近は若者たちの間でゆかたを着るのが一種の流行のようになっているが,よくよくみると,これは単なる流行ではないなと思う。どうやら,いまの若者たちにとっては「ニュー・ファッション」なのではないか,と思う。つまり,「新しい」もの。だから,とても楽しそうにみえる。

そういう楽しそうな若者たちのおしゃれの集団をかわすようにして,わたしたちはまったく別の目的地をめざした。わたしたちとは,むかしの教え子たち。いまは立派な教員。中堅をささえる大事なポジションにいる。その彼らと年に一度,集まって,さまざまな情報交換をする。今回は,神戸に集まった。夜の懇親会までの間,どこに行こうかといくつかの提案があったが,わたしは躊躇することなく,神戸・淡路大震災記念「人と防災未来センター」を選ぶ。

三宮から一駅の春日野道で下車。徒歩10分。6階建てのとてもモダーンなおしゃれな建物。西館と東館の二棟が並んで建っている。その間は広いスペースになっていて,ここでもくつろげるようになっている。料金は大人600円。小中学生は無料。老人(60歳以上)は300円。

1995.1.17。We don't forget.  ~1.17は忘れない~,と配布されたリーフレットの表紙に書いてある。そうだ,寒い冬のできごとだったと思い出す。早朝,夜明け前。まだ深い眠りのなかにいた。突然の横揺れに眼が覚めた。一瞬,30センチほど頭の方に横滑りしたか,と思った。それから激震がつづく。わたしは,奈良の学園前に住んでいた。

あわてて飛び起きて,すぐにテレビをつける。臨時ニュースが流れ,まもなくヘリコプターからの夜景が映し出される。そのとき,すでに2箇所から火がでていた。まだ,小さな炎だった。それに引き換え,数えきれないほどの報道関係と思われるヘリコプターが飛んでいる。わたしは思わずテレビに向って吼えた。報道ヘリは2~3機でいい。あとのヘリは消火に当たれ。いまのうちなら消すことができる。自衛隊もただちにヘリコプターを出動させて消火に当たれ,とわたしは吼えつづけた。が,むなしいかな,火の手はつぎつぎに上り,あっという間に火災の海に変化。

たしか,死者は6千人を越えたと記憶する。
そのときの記憶をよみがえらせてくれるさまざまな展示が,全部で7フロアーにわたってセットされている。とても贅沢な空間である。映像あり,パソコンあり,記録あり,遺物あり,写真あり,・・・・となんでも並んでいる。が,どこか居心地が悪い。展示されている内容が内容だから・・・ということもあるかも知れない。「1.17」を再現する映像室では,「気分の悪くなった人は係員にお知らせください」という予告まであった。が,どうもそれだけではない。

わたしの場合に限ってと限定しておくが,博物館や美術館は見慣れてきているので,かなり風変わりな特別展であっても,それなりに「なるほど」と思うことがある。郷土資料館なども好きで,機会があれば覗くことにしている。しかし,それらともどこか違う。なぜだろう,と考える。

結論。多くのものを見せすぎる。あれもこれもみんな並べてある。雑然と。言ってしまえば,展示のコンセプトが不鮮明。つまり,「人と防災」の未来を指し示す具体的なイメージがみえてこない。むしろ,こんなに「悲惨」だったのだ,ということばかりが印象に残る。それはそれでいい。ならば,もっと徹底してそこに焦点を当てるべきではなかったか。

ご丁寧にも,今回の「東日本大震災」の「津波」被害の展示も,一番目立つ一階フロアーでなされている。ここから入るのか?と最初から,わたしは違和感をもった。違うだろう?と。そして,もっと違和感をいだいたのは,では,なぜ,フクシマは展示しないのか?ということだった。どこか,ちぐはぐしている。せっかく,「人と防災未来センター」とうたっているのだから,もう少しコンセプトを明確にすることができるはずだ。「防災未来」の最先端のテーマは,いまは「フクシマ」にある。

このセンターの管理主体を確認してみたら,(公財)ひょうご震災記念21世紀研究機構,とある。思わず,これはなんだ?と首をかしげてしまった。この研究機構については,いずれ,きちんと調べてみようと思う。ここになにかがある・・・・と,とこれはわたしの直感。

こういう展示館では,出口にはミュージアム・ショップと軽食がとれるカフェがあるのがふつうだ。ここにも,やはり,同じようなものがある。しかし,ショップはお土産品のみ。わたしのお目当ては「図録」だった。が,それはない。あわてて,入り口まで確認に行った。「このセンターの図録のような,なにか刊行物はありませんか」「このセンターを紹介するリーフレットでもいい」,と。受け付けのお嬢さん二人は「まことに申し訳ございません。当センターでは,そのような刊行物はございません」とまことに丁寧。

そうか,このセンターには「学芸員」のような資格をもった人はいないのだな,と納得。まことに贅沢のかぎりをつくした建物。そこに施された設備も一流。しかし,展示に関してはコンセプトがない。この(公財)ひょうご震災記念21世紀研究機構というものものしいネーミングの影になにかが隠されているのでは・・・・と余分なかんぐりまでしてしまった。残念ながら。美名の影に・・・・?

2011年3月29日火曜日

『原発時限爆弾』の著者広瀬隆の現状認識を聴いて,愕然とする。

 知人に,広瀬隆のロング・インタヴューがYou Tubeで流れている(videonewscom・神保哲生)のでみておくようにと教えられ,早速,それをみた。1時間17分22秒の映像に,まるで金縛りに会ったかのように。そして,ついでに,3月23日に早稲田大学で行われた「福島原発現地報告と『原発震災』の真実」という広瀬隆と広河隆一の二人のセッションまでみてしまった。こちらは,2時間4分40秒。見終わったときには,からだの芯まで冷えきってしまって,しばらくはものも言えなくなってしまっていた。
 このブログをとおして,ひょっとしたら,原発はもはやどうにもならないのではないか,と危惧していたことが広瀬隆によって,みごとに説明されてしまった(ということは,わたしは納得してしまったということ)からだ。くわしいことは,神保哲生のvideonewscomにゆずるとして,一点だけとりだして紹介しておくと以下のとおり。
 原発は鎮圧可能か否か,と問われたら「可能」という方に賭けるしかない,という。そうしないと,このあとの議論が成立しなくなってしまうからだ,と。でも,その確率はきわめて低いのだ,と。なぜなら,福島原発は,全部で10基ある。そのうちの1号機から4号機までが,いま,きわめて危険な状態にある。その4基を鎮圧できる確率は,それぞれ1基ごとに「可能」か「否」かの二分の一でしかない。ということは,4基全部鎮圧できる確率は,0.5×0.5×0.5×0.5=0.0625になる。つまり,100分の6の確率でしかない。しかも,1基が核分裂をはじめれば,連鎖反応を起こして,すべては終わりになる,という。つまり,6基が全部,いってしまう,というのである。となると,チェルノブイリの10倍ではきかない被害が予想される,という。これだけでもう身の毛がよだつ。
 その上,こういう原発が全国に50基ある。それらが4っつのプレートの噛み合った日本列島に散在している。今回の大地震は太平洋プレートの活動によるもので,地下1000㎞だったので,地震の震度そのものによる被害よりは津波の被害の方が大きかった。が,その他のプレートが活動したときの地震は,ほとんどが直下型の揺れになる。そうなると,原発におよぼす影響は強烈なものになる,という。しかも,地震はどうやら活動期に入ったらしい,という。太平洋プレートがこれだけ大きく動いたということは,その分,他の三つのプレートにも大きなひずみがきているのだから,そのひずみ分は,かならず,いつかは地震となって現れる。
 だから,日本列島は,まだ,40基もの原発が働いているのだから,これは「時限爆弾」をかかえているのと同じことだ,という。このことをまじめに考えれば,だれだって,原発を直ちに停止させ,廃炉にしなければならない,という結論にいたるだろう。なのに,相変わらず,全国の原発を停止させるという話にはならない。これはとても不思議なことだ,と広瀬隆はいう。
 のみならず,青森県の六ヶ所村には,すでに3000本の使用済み燃料棒が,大きなプールに保管されている,という。もし,大きな地震がきて,ここに電気系統のトラブルが発生したら・・・・,と考えるだけでもう恐怖で夜も眠れない,と広瀬隆はいう。
 ここからさきの話はもうやめよう。わたし自身が意気消沈してしまう。
 もはや,手の打ちようがないのだ。手詰まり状態で,あとは時間かせぎ・・・。ということは放射能はじゃじゃ漏れ状態にしながら,どこまで時間をかせぐことができるのか・・・。それをじっと見守っているのみ・・・。ただひたすら燃料棒の溶融を遅らせるための「放水」による冷却しかない,のだとしたら・・・。
 「神のみぞ知る」と,つい,うっかり口が滑ってしまった〇〇副大臣の発言は「本音」だったのだ,ということがよくわかる。第一,「臨界」ということばの意味を,東工大出身の首相が知らなかった,というのもなんとも情けないかぎり。なんで,こんな政権のときに,こんな事態が起きてしまうのか,それこそ「神のみぞ知る」ではないか。悔しいことに。

 原発問題については,これを最後に,このブログでは書かないこととする。
 なぜなら,奈落の底に向って突っ走る電車の話はしたくないからだ。
 その代わりに,奈落の底から這い上がるためにはどうしたらいいのか,そのためのロジックを考えてみたい。
 

2011年3月27日日曜日

原発は要らない。節電しよう。

 電気を使い過ぎてきたと思う。こんなにぜいたくに電気を使う必要はない,と今回の原発事故によって知った。ぜいたくを止めて,ふつうの暮しに戻ればいい。それだけで節電は十分にできる。そうすれば,原発は要らない。そういうライフ・スタイルを目指すことを提案したい。
 わたしの住む溝の口駅前に丸井があって,「3・11」以後,節電体制に入った。室内の明かりを通常の半分にしている。最初は暗いなぁと思った。わたしがいつも通り抜ける1階にはフード・コートがあって,食べ物屋さん(いわゆるファースト・フードばかり)が並び,中央の広い空間が共同の食事スペースになっている。ここも,最初は,暗いなぁ,と思った。しかし,毎日,ここを通り抜けているうちに,慣れてきた。いまでは,なんの違和感もない。これていいではないか,と思う。上のフロアーにも必要があって上がってみたが,いつもの明るさとは違い,たしかに暗い。しかし,なんの不自由もない。これでいいではないか,と思う。
 わたしはご縁があって,ドイツとオーストリアにはたびたび長く滞在した経験がある。そのときの経験を思い出す。ドイツもオーストリアも無駄遣いを徹底的に排除する生活習慣を身につけている国だ。最初に,住民登録に行った役所で驚いた。エスカレーターが止まっている。2階に用事があったから,歩いて登ればいいと思って接近したら,突然,動きはじめた。降りたら止まる。なるほど,と納得。その後,大学もそうだし,百貨店もそうだし,あちこち,エスカレーターは人が接近してこないかぎり止まっている。明かりもそうだ。役所も大学も百貨店も暗い(と,日本から行った当初は)思った。でも,必要なところ,たとえば,トイレは真っ暗だが接近するとセンサーが働いて電気がつく。地下鉄の駅も全体的に暗い。しかし,1週間もすれば慣れた。それが当たり前になる。この国の人たちは,長い間,これでやってきた。だから,これが当たり前。日本の明るさに慣れきってしまったわたしが,当初,驚いただけの話。それも,すぐに慣れてしまう。
 そのことを考えると,日本の夜の明るさはなんだろう。どこもかしこも明るい。まるで昼のようだ。これは,どう考えてみても,電気の無駄遣いだ。これに慣れてしまったから,暗くすると,なんとなく変な気になる。しかし,どうだろう。このところの節電で,われわれ日本人もだいぶ慣れてしまったのではないだろうか。これでなんの不自由もない。だとしたら,これからも,この明るさで行こうではないか。なんら困らない。
 これだけで相当に電力は節約できているはずである。
 つぎは,家庭内の電気の使い方を工夫すればいい。その方法はここでは問わない。電気代を去年の同時期よりも3割程度抑えることを目標に努力すればいい。企業も同じ。百貨店も同じ。どこもかしこも,みんな「3割減」を目標に努力すればいい。その目標を達成できたら,減税の対象とする,というような施策もあっていいだろう。
 要するに,これまで,わたしたち日本人は,ドイツやオーストリアの人びとに比べたら,じつに贅沢な暮らし方をしてきたということだ。それを,ごくふつうの生活にもどすだけの話だ。こんなことは気持ちひとつでできる。
 考えてみれば,わたしなどは,生活の電化の歴史を生きてきたようなものだ。パンを焼くトースターなるものが出現したのが,大学生になったとき。電気炊飯器を友人がプレゼントしてくれたのが,大学を卒業したとき。結婚したときに冷蔵庫を買った。テレビと洗濯機は子どもが小学生になってから。エアコンを入れたのは,50歳で大病したとき。それから,オーディオにパソコン,という具合だ。あっという間に,文明化の恩恵に浴し,その中にどっぷりと浸りこんで,生活している。そして,いつのまにかそれが当たり前になっている。しかし,贅沢には限度がある。あまりに贅沢に慣れてしまうと,人間は堕落する。
 このあたりで,人間の生活の基本について,根本から考え直すときではないか,と思う。原発にまで頼らなくては生活ができなくなっていた,その実態をこそ反省すべきだろう。まずは,節電生活からはじめよう。電気の無駄遣いを止めよう。ちょっと我慢するだけで,電化製品がなかったころの生活に比べれば,なんの苦労もなく生活できる。
 ことしの夏はエアコンなしで,どこまで耐えられるか,自己試練の年でもある。一度に全部,止めてしまうことはできないだろう。だから,「3割減」を目標に。
 こういう工夫を積み上げていけば,原発などはなくてもやっていける。
 その代わりにソーラー・システムをもっと普及させればいい。屋根の大部分は未使用のままだ。幸いにも日本は日照時間に恵まれている。これを利用しない手はない。放射能に汚染されることを考えれば,たやすいことだ。自己資本で投資して,余った電力は売れるのだ。長い目でみれば,元はとれる。
 とまあ,こんなことを考えるのだが,素人の浅はかなアイディアに過ぎないのだろうか。みなさんのご意見をお聞きしたいところ。 

2011年3月25日金曜日

「原発」を民間にまかせておいていいのか。国営にすべきでは?

 電気がなくてはわれわれは生きてはいけない,ということを今回の大災害をとおしてわたしたちはいやというほど知らしめられた。ふだんはまったく考えることもなく,当たり前のように思っていたが,そうではない。しかも,年々,無制限に電力消費が増えつづけている。だから,どうしても原発が必要だ,というところに行ってしまう。
 そろそろ,この悪循環を断ち切る覚悟が必要なのではないか,と思う。そのためには「欲望という名の電車」の運行を停止させなくてはならない。が,その議論も大事だが,その前に,まずは,原発を廃止することが前提条件であることは当然だ。とはいえ,いまある原発を,そんなに簡単に廃棄処分にするわけにもいかない。だとしたら,そこにいたるまでの間,原発は民間にまかせっ放しにしておいていいのだろうか。
 この問題について,少しばかり考えてみたい。
 福島に原発が全部で10基あると計算すると,全国には500基を超える原発がある,ということになる。それらは,いまも稼働していて,しかも,全部,民間に委ねたままである。今回のような事態を考えると,原発のような「時限爆弾」をかかえた,きわめて危険なものを民間に任せたままにしておいていいのだろうか,という疑問が湧いてくる。
 あれほど「安全」であるといわれてきた原発が,もろくもその根拠を失った。もはや,だれも原発の「安全」など信じはしない。それどころか「危険」そのものだ,ということがみごとに証明されてしまったのだ。だとしたら,つぎなる策を講ずる必要があろう。
 原発は,こんどのような事態にいたれば,東電などという一企業で対処できるものではない,ということも明らかになった。原発は,国の総力を結集して,ことに当たるしか方法はないのである。その意味で,いまや,日本は「戦争」に突入しているのである。相手は,恐るべき「nuclear power plant 」なる敵である。敵は,突然,宣戦布告もなしに襲いかかってきたのである(いまにして思えば,もう,原発建造の段階から宣戦布告されていた,というべきだろう。それに対して,あまりにも無防備にすぎたということだ)。こうなってしまった以上,屁理屈をいう以前に,国民の身の安全を確保することが最優先課題となる。すなわち,非常事態の出来である。なのに,政府も東電も,この対応の遅さはいったいどうしたことか。
 その間に事態はますます悪化の一途をたどってしまった。その最大の問題点は,「初動」の立ち遅れである。東電が事態の真相を政府に伝えなかった。むしろ,隠匿しようとした。だから,政府ものんびりと構え,アメリカからの原発鎮圧のための支援を断ってしまっている。だが,三日目になって「水素」が建屋内で爆発した。ことここにいたって,政府は慌てた。それから大急ぎで,東電と政府とが一体となった「統合対策本部」を設定した。ときすでに遅しである。
 以後は,「国防」の総力を結集して,手のつけられない相手と戦うことになった。
 一企業の発電装置が異常を起こした。それが自然災害であろうとも,その企業が全責任を負って善後策を講じなければならない。それでも,どうにも困った場合には,政府が救いの手をさしのべることもあろう。しかし,原発に関しては,もはや,なんともならないということがはっきりした。しかも,莫大な額になるであろう国民の税金を投入して,とにもかくにも「敵」に勝利しなくてはならないのである。
 だから,原発は,最初から,国家の管理下におくべきだったのだ。
 それを「安全」と騙って,その管理を民間に委ねた,当時の政治家と政府の責任が,いまごろになって露呈することになろうとは・・・・。
 ジャック・デリダは,かつて,「権力によって抑圧,隠蔽,排除されたものは,いつか,必ず亡霊となって現れる」と書いた。「原発は安全ではない」とからだを張って主張した高木仁三郎のことが想起される。多くの識者たちも,異を唱えた。しかし,民主主義という名の「暴力」のもとに,代議士の数の「暴力」のもとに,押し切られてしまった。
 この話は,また,別のテーマで考えてみることにしよう。
 この時点でいえることは,以下のとおり。
 いまある原発はすべて国家の管理下におくこと,そして,危機管理を徹底させること,であろう。
 もはや,原発の管理を一企業に委ねておくべきではない。危機管理ができないのだから。
 その上で,段階を追って原発を廃棄していくこと,ではないか。

2011年3月24日木曜日

これはもう「戦争」ではないのか。非常事態宣言をすべきでは・・・?

 死者,行方不明者を合わせて2万5千人を越えたという報道の前で,呆然自失してしまう。そして,いまも余震が絶え間なくつづき,それとは別個の大きな地震も起きている。いうなれば,4っつのプレートが一斉に活動をはじめたのではないか,という情況だ。そして,原発は相変わらず危機的な情況から脱出できてはいない。そこでは,自衛隊,消防士,警察官,そして,東電関連の作業員の人たちが,文字どおり命懸けで戦っている。
 これはもう,なんの疑いもない「戦争」ではないのか。だとしたら,早急に「非常事態」宣言をして,そのための体制を整備して,全国民に一致団結を呼びかけるべきではないのか。
 被災地にはまだまだ人の手も物資もとどかないところがあるという。その最大のネックになっているのが,原発事故による放射能汚染への懸念なのだ。これさえなければ,もっと迅速に救援活動もできたはずである。この原発事故の対応が,みるも無残な「後手,後手」である。
 まやかしの平和という「ぬるま湯」に浸りきっていて,みんな「ゆで蛙」になってしまった。もはや,そのぬるま湯から抜け出すことすらままならぬ状態に陥ってしまっている。それが,わたしたちの,いまの,現実の姿だ。情けないが認めるしかない。
 いま,必要なのは,この「ゆで蛙」状態から脱出することだ。平和ボケのぬるま湯から,一刻も早く飛び出すことだ。いまこそ,目覚めなくてはならないときなのだ。
 なのに,今日も朝から甲子園では高校野球をやっている。そして,プロ野球もなんとかして早く開幕をしようとしたが,こちらはストップがかかった。いまもなお,観測史上最大級の大災害や原発事故が起きていることを,まるで他人事のように,遠い太鼓の音くらいにしか聴こえていない(認識していない,自覚していない)人たちがいることに唖然としてしまう。まだまだ多くの人たちが「ゆで蛙」状態の中にいる。
 東京にも放射能汚染がやってきたことが,ようやく公開されるようになった。まずは,東京都の水道水が汚染されていることが明らかになった。乳幼児には危険な数値に達しているので,要注意とのこと。なにごとも,弱者から襲われていく。
 すでに被災地だけではなく,その周辺の地域,それも200㎞も離れた地域にまで放射能の汚染が広がりつつある,という。この事実に対して,まだ手を拱いている政府とはいったいなんなのか。信じられない,としか言いようがない。
 ライフ・ラインが復興どころか,手の施しようもなくつぎつぎに崩壊しつつある現実を,もっともっと重視すべきではないのか。
 もう一度,くり返す。
 これはもう立派な「戦争」ではないのか。だとしたら,早急に「非常事態」宣言をして,生活の根幹にかかわるすべてのことがらを国家の管理下に掌握しなくてはいけないのではないのか。そのための体制づくりを急ぐべきではないのか。そして,なによりもまずは,国民生活の安全確保のために最善をつくすべきではないか。もし,それができないのであれは,少なくとも,それに近い警告を発して,多くの人びとを「ゆで蛙」の惰眠から眼を覚まさせることが急務ではないのか。
 このブログでも書いた,わたしの事務所の近くの「焼き肉屋」さんは,いまも一軒だけ,煌々とネオンを輝かせて平気である。その並びにある大きなお寿司屋さんは,ネオンを消し,店内の灯も落として,ひっそりと営業をつづけている。そのあまりの違いに唖然としてしまう。こんなことが野放しのままである。それはいい意味での「ご協力」のお願いのレベルだから。しかし,そんな生ぬるい手を打っている段階ではないのではないか。
 それは,物資の買い占めと同じだ。まるで野放しのままだ。だから,節電の協力も,買い控えも無視し,自分さえよければいいという自己中心主義が,平気で大通りを歩いている。まだまだ,多くの人びとは,半分は「非常時」を意識しつつ,半分は「ゆで蛙」状態の,中途半端なところにいるように思う。なぜ,そんな状態のままでいるのか。いま,起きていることの危機意識が欠落しているからだ。どうしてか。精確な情報が流れていないからだ。まさに,わたしたちはいま,どこぞの国とまったく同じ「言論統制下」に置かれているのだ。だから,多くの人びとは「ゆで蛙」状態のままでいる。また,政府もそのような状態を意図的に維持しようと必死である。
 そんなことをしていては駄目だろう。いまは,全国民が一致団結して,復興に向けて全力投球をしなくてはならないときなのだ。このことを,もっともっと認知させるための情報をきめ細かく流すことだ。それは,どんなことがあろうと,不可欠であろう。にもかかわらず,それを怠り,人びとの善意にのみよりかかろうとしている。
 いまは,とにもかくにも,原発を鎮圧しないことには,その後の展開はまるで違ってしまう。その結果しだいによっては,天国と地獄の差となることはだれの眼にも明らかなはずだ。だからこそ,いま,その最前線では,文字どおりの命懸けの「戦闘」が展開されているのだ。敵は,いつ「大爆発」を起こすかわからない,とてつもなく強力なアトムで武装した,恐るべき武器をもっている。それに対して,われらはなんと「素手」で立ち向かうしかないのだ。精々のところが「海水」がわれらの武器だ。そんなみじめなところで「戦闘」を強いられている人びとの身にもなってみよ,と声を大にして言いたい。
 しかも,いつの時代も「戦争」に駆り出されるのはきまって「若者」たちである。しかも,その人たちに命令をしているのは,前線から遠く離れた安全地帯にいる「年寄」たちである。
 この最前線に立ち向かっている「若者」たちの恐怖を,わたしたちもまた分けもつ,そういう覚悟が求められている,と考えるのだが・・・・。そのためには,現状を「非常事態」としてしっかりと認識し,「戦闘」態勢のなかにすべての人が組み込まれていくこと,それでなければ,あまりに不公平ではないか。
 みなさんは,どのようにお考えだろう。ご意見などお聞かせくだされば幸いである。

2011年3月23日水曜日

太極拳の稽古のあとのハヤシライス。

 「3・11」以後,初の太極拳の稽古を今日(23日)から再開。全員出席すれば6名なのだが,やはり,震災がらみで2名は欠席。まだまだきびしい情況はつづいている。
 先週の16日は,交通機関が乱れているという理由で中止にしたので,今週は2週間ぶりの稽古。からだはすぐに鈍ってしまっているので,稽古の後半は相当に脚に負担がかかる。それでも(だからこそ),うっすらと汗もかいて,気分も爽快。やはり稽古をやってよかったと思う。そして,なによりも,久しぶりにみんなの笑顔に接することができて,元気をもらう。
 稽古の中心は,もっぱら股関節をゆるめながらの腰の回転と体重移動,それに同調させる腕と脚の動きと目線の運び方,それに呼吸を合わせること。これらの動作を同時にゆったりと同調させることは容易なことではない。それらの軸は,すべて,脚力による安定にかかっている。ほんとうに太極拳は奥が深い。動作はきわめてかんたんなのに,その一つひとつを完璧にコントロールして味をだすことは,きわめて難しい。しかし,それがわかりはじめると,これまた堪らない。まるで坐禅をしているような気分になることがある。つまり,自分の理解のレベルでの稽古しかできない,ということ。すなわち,修証一等。だから,太極拳の奥義をきわめるためには道家思想(道教)をわがものとすることが不可欠となる。
 一汗かいたら,稽古のあとのハヤシライス。話題はもっぱら「3・11」以後のこと。これを全部紹介することはできないので,いくつかの断片を箇条書きにしておく。
 ・慣れるということは恐ろしいことだ。非日常が日常となる。
 ・人間には素晴らしい能力が備わっているのだ。自己を超えていく能力が。
 ・放射能汚染に慣れることは御免蒙りたいが,あちこち節電して暗くなることに慣れるのは大いに歓迎したい。
 ・東京電力のとった「初動」の判断ミスは許しがたい。責任重大だ。
 ・原発のような危険な事業を民間にまかせておくのは間違いだ。国の責任において管理すべきではないか。最終的には税金が投入されることになるのだから。
 ・フランスの原発事情について。
 ・原発作業員の実情。
 ・おすもうさんは,江戸時代の大火事災害復興のための勧進相撲の精神に立ち返って,ちゃんこの「焚き出し」を。
 ・5月場所は「チャリティ」として開催を。
 ・甲子園野球開催を決めた高野連とそれを認めた文部科学省の頭の狂い方。
 ・プロ野球の選手も,まずは,災害復興のために汗を流してから。
 ・その他,もろもろは割愛。
 久しぶりなので話題はつきない。が,ほどほどに終わらせて,来週の再会を期して,解散。
 一週間後には,いくらかでも明るい展望か開かれていればいいのだが・・・・。
 いつものように,鷺沼の事務所にきて,その後の災害情報に関するニュースが聴きたくてラジオをつけたら,甲子園野球の実況中継をやっていた。この無神経さ。この神奈川県ですら,計画停電と電車の間引き運転が実施され,あちこちの電気を消して節電につとめているというのに・・・。人びとはどこに行ってしまったかと思うほど,街行く人はまばら。放射能汚染を避けて,ひっそりと家の中に閉じこもっているというのに・・・・。街のネオンは消え,スーパー・マーケットもガソリン・スタンドも駅舎もみんな照明を落として節電につとめているというのに・・・・。NHKのこの無神経さ。
 この大災害を契機にして,みんなが「正気」をとりもどす絶好のチャンスだと思っていたら,とんでもない。この「正気」をぶちこわしにかかっているのだから。しかも,「教育」という名において。怒り心頭に発して,しばし,仕事も手につかず・・・・。

2011年3月22日火曜日

「避難」生活から一週間ぶりに自宅にもどる。

 停電と電車の間引き運転を避けて,愛知県に住む弟の家に「避難」していた。16日(水)の太極拳の稽古がお休みになったので(電車の間引き運転のため),大急ぎで避難を決意した。
 いつもは,自宅と事務所を往復しながら,自宅の仕事と事務所の仕事を分けて暮らしていた。原稿を書く仕事は事務所,その他の雑用は自宅,という具合に。そうしていたら,いつのまにか重要な資料はほとんど事務所に移動している。だから,原稿を書くには事務所に行かなくてはならない。その足がこれまた不安定。もうひとつは停電。
 折しも,20日締め切りの原稿が2本。「3・11」以後,気もそぞろになっていて,原稿が書けない。書きかけるのだが,集中力が持続しない。細切れ的なアイディアばかりが増えつづけるだけで,文章にはならない。困りはてていた。そこで,ここは「避難」することによって,気持ちを落ち着けるしか方法はないか,と考える。切羽詰まった決断である。そこでとっさに弟に電話をして,行動を起こす。で,結果的には,これが効を奏した。
 2本の原稿のうち1本は短いものだったので,すぐに片づけ,もうひとつの原稿に取り組む。停電に怯えることなく,眠くなったら眠り,目が覚めたら原稿を書く,という態勢に持ち込めたのがよかった。不安解消はなによりの妙薬だった。それでもぎりぎりまで「ながれ」がみえてこない。何回も,書き出すの部分(ここが命綱)を書き直す。問題の設定の仕方が悪いと,書いている途中から「ねじれ」がはじまり,どんどん苦しくなってくる。その逆に,最初の書き出しが的中すれば,あとは放っておいてもどんどん「流れて」いく。そこに到達するまでが,いつも苦労するところだ。今回も,同じように手間取る。
 あるとき,目覚めた瞬間に,書き出しの文章が浮かんでくる。それっ,というわけで急いでパソコンに向かい書きはじめる。それが,なんと19日の早朝。でも,道筋はみえているので気持ちを落ち着けて書く。とりあえず,乱暴に所定の枚数(24枚・400字)まで書き終える。これでほっとする。あとは推敲をするだけだ。
 でも,20日(日)は,「ISC・21」の3月大阪例会で,わたしはプレゼンテーションをやることになっている。で,仕方がないので,この書き上げたばかりの,推敲前の文章を読み上げて,みんなの意見を聞きながら,推敲のポイントをいくつか確認する。とてもいい意見や指摘が得られたので,わたしとしてはとても助かった。あと,1時間もあれば推敲はできる。でも,夜は懇親会。これはなんとしても顔を出したい。しかも,一旦,アルコールが入ってしまえば,原稿に手をつけることなどできない。かえって危ない。とうとう,夜中に,明日の昼までに推敲して原稿を送信します,と編集担当者にメールで懇願。それで安心したのか,おしゃべりに夢中。気がついたら夜中の3時近い。
 大急ぎで眠って,朝風呂に入って,すっきりしたところで推敲にとりかかる。これが意外に時間がかかり,午前11時近くに完成。でも,かなり集中できたので,自分としてはまずまずの満足。いそいで,編集担当者宛てに送信。パソコンはありがたいものだ。持ち歩いていれば,どこにいても仕事はできる。
 こうして避難生活の目的を無事にクリア。難産ではあったが・・・。
 22日の午前中に,お墓参りに行く。お彼岸の翌日だったので,お墓の花は,どこの墓も新しいもので飾られ,いつもとはまったく違う華やかな雰囲気。思っていたよりは日本人から宗教心が失われてはいない,と実感。両親のお墓と祖父(17世),そして大叔父(18世)の墓をまわり,般若心経を唱える。
 夕刻,新横浜駅にたどりつく。新幹線の「こだま」はがら空き。昨日は,大混雑だったが。
 プラットフォームから下に降りてきたら,どこかいつもと雰囲気が違う。すぐに気づいたが,照明が落してある。だから,薄暗い。地下鉄乗場に降りたら,さらに,薄暗い。明るさに慣れきってしまった現代人であるはずのわたしのからだの奥底にある古い記憶が蘇ってくる。
 その記憶は二つある。ひとつは,第二次世界大戦の末期のころの夜である。戦時体制下での灯火管制が行われていた。夜は,どこの家も電灯を最小限にして,暗くし,息を潜めて暮らしていた。そして,空襲警報が発令されると,真夜中でも,手さぐりで防空壕の中に逃げ込む。ここはさらに真っ暗だ。それでも,このときは,家の中で寝泊まりをしていた。
 もうひとつは,三河の大地震のあとの一カ月ほどの避難生活。三河の大地震は,当時の「大本営」は発表しなかったので,戦後になってから,その実態が少しずつ明らかにされたという経緯がある。わたしが国民学校(小学校をこのように呼んでいた)の1年生のときの12月8日。開戦記念日ということで学校はお休みだった。その実態は,大空襲があるという情報にもとづく「休校」措置だった。近所の子どもたちと一緒に路地で遊んでいた。そこに,とんでもない激震である。最初はなにが起きたのかもわからない。ばたっと前に倒れて,四つんばいになっている。そばにいた友だちもみんな四つんばいになっている。そのうちに,四つんばいにもなっていられず,路地の上をころがっている。みんな同じようにころがっている。まだ,なにが起きているのかわからない。少し離れたところにいた次兄が「地震だっ!」と大きな声を発した。そちらに目をやると,次兄は,小さな雌竹の藪にしがみついている。ころころ転がりながら,あちこちに目を向けてみる。防火用水の水が,撥ね上げられるように飛び出している。かなり長い間,揺れていたように記憶する。
 大変だったのは,その後の余震だった。木造2階建ての借家に住んでいたが,危険だというので,雨戸をはずして空き地に囲みをつくり,屋根代わりに「むしろ」をかけて,その中に潜り込むようにして夜を過ごした。真っ暗闇である。しかも,ひっきりなしに揺れている。しかも,けして小さくはない。その上に,寒い。とにかく寒くて震えていた。ほとんど眠ってはいなかったのではないか。なぜなら,昼は日向ぼっこをしながら居眠っていたからだ。
 新横浜の駅から溝の口の駅まで,みんな照明を落していたので(しかも,小雨の降る,どんよりとした空模様だったので),どこもかしこも暗い。そして,溝の口から自宅のあるマンションまでの間に丸井がある。その中を通過していくのが近道なので,丸井に向かう。今日は休業なのかな,と思うほどにそとの照明がほとんど消えている。近づいてみると中に人影がみえる。いつもの抜け道を通る。店のなかの照明も必要最小限に抑えている。
 一週間ぶりに自宅にたどりつく。計画停電は午後6時20分から11時までの間の3時間,とある。いよいよ夜も停電になるのか,と覚悟を決める。その前に夕食を済ませ,いつ停電がきてもいいように食後の一休みとばかりに仮眠をとる。午後9時ころ目覚めてみると電気が点いている。どうやら停電はなかったようだ。が,それにしても,昼の停電ならともかくも,夜の停電はおおいに生活のリズムが狂わせられる。これからさきが思いやられる。
 でも,被災地で難を逃れて避難生活をしている人たちのことを考えるとぜいたくは言ってはいられない。明日からは,不自由な避難生活をつづけている人たちに思いを馳せながら,みずからの生活を律していかなくては・・・としみじみと思う。
 明日は太極拳の稽古日。久しぶりにみんなに会える。このことが無性に嬉しい。先週は交通機関の関係でお休みしたので,なおさらである。みんな,どんな顔をしているだろうか。

 

2011年3月21日月曜日

原発,危機を乗り越えるか,正念場。

 今回の大地震も大津波も想定外,原発の事故も想定外。そして,原発の暴走も想定外。あれもこれもみんな想定外。そこで,とうとう制御不能となった原発の暴走をなんとかしてくい止めようと,「散水」「放水」に取り組む。「今日が限度」だ,と防衛大臣。これもまた想定外。
 なんとまあ,想定外の多いことか。だれひとりとして「わたしの責任です」という人が現れない。みんな責任逃れに懸命だ。そのいいわけが「想定外」。なんと情けない人たちばかりなのだろうか・・・・ということが透けてみえてくる。日本の危機管理はいったいどうなっているのか。ますます不安になってくる。
 その一方で,この決死の「散水」「放水」に取り組んでくれている人びとがいる。そして,その人びとの努力が報われたか,いくらか原発の状態がよくなってきている,との報道。こうなると一気に期待がふくらんでくる。なんとか危機を脱出してくれ,と。日本中が,いや,世界中が祈っている。最先端科学技術の暴走をくい止めるものは,決死の覚悟をして行動する人の力だ。そして,それをじっと見守りながら息をひそめて祈る人たち。こんな現実がみえてくる。
 原発の計器類の修理をし,通電して,自動装置がうまく機能してくれるのだろうか。そこが,最後の生命線。そこをクリアできれば,ようやく,廃炉への道が開けてこようというもの。完全に廃炉にいたるのは,まだまだ時間がかかる。が,なにがなんでも無事に廃炉に到達してほしい。犠牲者を最小限にくい止めつつ。
 その間にも,復興作業は着々と進む。こちらも不眠不休の労力が費やされている。それに触発されて多くの人びとが元気をとりもどし,一致団結に向う。こちらは「情」の世界。理屈を超えて,忍耐と協力が要請される。

 いまも拭いきれないのは,放射能に関する情報がきわめて少ないことだ。もう,10日を経過しているのだから,各地の放射能の測定値を公表してほしいものだ。これを公表するとパニックに陥る,と主張する人たちがいる。しかし,いつまでも公表されないでいることの不安も,じわじわと浸透しつつある。こちらの方も限界に近くなってきている。たしかに,情報開示はむつかしい問題がいろいろとあることはわかる。しかし,パニックに陥ることのないように,基本的な情報を開示する方法はあるのではないか。
 すべてを「想定外」のひとことで言い逃れをしている人たちの無責任さが,日に日に露呈しつつあるいまだからこそ,その不信感を払拭するためにも,情報開示に向けて,もっとまじめな対応をお願いしたいものである。

2011年3月18日金曜日

炉心と使用済み核燃料の温度を下げることに懸命。

 放射能被爆との闘いがはじまった。文字どおり命懸けだ。こういう危険な作業に身を挺して取り組んでくれる人たちにこころから敬意を表したい。
 それにつけても,どこか手順がちぐはぐにみえて仕方がないのは,わたしの思い過ごしだろうか。  
 ヘリコプターで水を撒いたり,放水車で放水したり,というような方法を,なぜ,もっと早い段階でとることはできなかったのだろうか,と。放射能の数値がまだ低い段階でこの方法を採用すれば,もっと作業は円滑に進んだだろうに,と。危険も少なかっただろうに・・・,とつぎからつぎへと疑問が湧いてくる。
 北沢防衛大臣は「今日が限度だと思って決断した」と昨日の段階で見解を表明した。なぜ,「限度」まで待たなくてはならなかったのか。もっと早い段階で,つぎからつぎへと手を打っていくべきではないのか。危険に対する感覚が,どこか「にぶい」のではないか,とこの数日,考えつづけている。それは,東電にしてもそうだし,保安院にしてもそうだし,ましてや,政府執行部にいたってはもうどうしようもない,という印象だ。精確な情報が入ったら,すぐに,つぎの手を打つべく「決断」していかなくてはならないのではないか。その「決断」をする人が,どの機関にも欠落しているように,わたしにはみえてくる。こういう非常事態にこそ,すばやい判断と行動が求められる。にもかかわらず,それがみられない。
 今日になって,驚くべき情報が流れている。地震発生直後に,福島原発の異常を知ったアメリカ政府はただちに,原発を鎮圧するための資材の提供とその道の専門家の派遣を日本政府に申し入れた,という。これを,なんと,日本政府は断った,というのである。その理由は,アメリカ政府の提案は,原発を廃棄することを前提にした鎮圧の方法だったからだ,という。日本政府も東電も,原発を廃棄にすることなく鎮圧することを考えていた,というのである。この「のほほん」ぶりに,わたしは呆れ果ててしまった。一度,トラブルの起きた原発を,しかも,「想定外」の大地震に揺すられて異常をきたした原発を,修理して再利用するという発想がわたしには理解できない。なんといったって原発なのだ。いってみれば,つねに時限爆弾を抱え込んでいるようなものだ。一旦急を告げれば,どんな事態を引き起こすかは火をみるより明らかだ。今回の場合に,なによりも優先されなければならないことは,安全の確保だ。それを,通常の自然発生的な機械のトラブルを修理する感覚で,再利用を最優先させた,というこの「のほほん」ぶりが,わたしには理解できない。
 まるで「ゆで蛙」ではないか。蛙は,熱い湯に入れられれば,ただちに飛びだして逃げる。しかし,水の中にいれておいて,ゆっくりと温めていくと逃げ出す感覚を失う,という。わたしたちは,ぬるま湯の平和や安全に浸りすぎて,危機に対する感覚が麻痺してしまった,というわけだ。われわれ庶民が「ゆで蛙」になるのは仕方がないとしても,組織や機関の「長」たる者までもがそれでは困る。そういう「ゆで蛙」ではないか,と思われる責任者がテレビにもたくさん登場してきて,わたしは呆れ果てている。こんな人たちに日本の危機管理をまかせておいていいのだろうか,と。とりわけ,日本政府の後手,後手にまわる対応をみていてそう思う。困ったものだ。
 でも,そんなことも言ってられない。とにかく,炉心の温度と使用済み核燃料の温度を下げることが当面の課題だ。そして,時間をかせいで,東北電力からの電気を接続して,自動化している機器が作動してくれることを期待するのみだ。それが駄目だった場合の対応はできているのだろうか。最後の最後といわれる手段や方法を,二の手,三の手といまから打っておかなくてはならないことは素人でもわかる。そういう手順もみえてはこない。
 初動のときのアメリカ政府の申し入れを,なぜ,受け入れておかなかったのか。そして,いくつもの選択肢の一つとして,なぜ,スタンバイしておかなかったのか。すぐに,アメリカの方法を用いるかどうかはともかくとして,いつでも踏み切れるカードの一つとしてキープしておくべきではなかったのか。
 このことは,わたしたち自身にもいえることだ。ふだんから危機に関する備えを,少なくとも,自分用のマニュアルくらいは作成しておいた方がいい。いまになって,痛切にそう思う。今回の原発への政府の対応をみていて,大きな教訓をえた思いだ。
 それにしても,いま,必死で,身を挺して原発と向き合ってくれている人びとにはこころから感謝したいと思う。それに引き換え,ヘッドの「ゆで蛙」ぶりには呆れてしまう。この落差,なんとかならないものか,とまたまたテレビに向って吼えている。

2011年3月17日木曜日

精確な情報の開示を,そして,第二のチェルノブイリに至らないよう祈るのみ。

 中日新聞の夕刊(3月16日)には,「レベル6」であるとアメリカの専門家が語っている,という記事がかなり大きく報道された。たぶん,東京新聞にも掲載されたことだろう。
 このアメリカの専門家の発言は,すでに,インターネット上では15日の午後には映像とともに流れていた。それとほとんど同じタイミングで,IAEA(国際原子力機関)の事務局長が「チェルノブイリ以下,スリーマイル島以上」(つまり「レベル6」であるということ)という「現段階での認識」である,ということを記者会見で明らかにしている(詳しくは昨日のブログで触れたとおり)。にもかかわらず,新聞各社はこれをとりあげてはいなかった。もちろん,NHKは一切,この情報には触れていない。しかも,NHKは,某東大教授の口を借りて,「今回の事故はチェルノブイリとはまったく異質のケースである」「そういう心配は無用である」とまで言わせている。この某東大教授が,IAEAの事務局長の発言を知らないはずはない。にもかかわらず,平然と上記のように発言している。
 国際社会は,このIAEAの事務局長の公式発言を軸にして,いろいろの判断や行動を起こしている。だから,外国にいるわたしの友人たちからも,遠く離れろ,というメールがとどく。しかし,国内の新聞もテレビも,このこととはまったく逆のことを言っている。この落差には驚くほかはない。つまり,日本という国家もまた,このような非常事態が起きると明らかに「情報統制」をおこなっている,ということだ。もちろん,その背景には,「混乱を防ぐため」という配慮があることは承知している。しかし,IAEAの認識・判断まで秘匿して,まったく別の認識・判断を提示しつづける,この姿勢には疑問を感じないではいられない。
 こうした流れを見越したかのように,アメリカの政府高官は「日本政府のとっている姿勢を支持する」と発言し,しかも「多くのことを学ばせてもらっている」とまで述べている。そして,この発言については日本の新聞にも大きく報道されている(昨日,夕刊)。しかし,よくよく考えてみれば,「多くのことを学ばせてもらっている」という発言にはいろいろの含みがあるようだ。このことの解釈は,ここではひとまず棚上げにしておく。いずれまた。
 情報が乱れ飛ぶことによる混乱はどんなことがあっても避けなければならない,このことは充分に承知しているつもりである。しかし,都合の悪い情報を秘匿して,楽観的な情報だけを垂れ流しにすることもまた,避けなければならないだろう。少なくとも,IAEAの認識・判断と矛盾しない程度の情報はきちんと開示して,その上でいまとるべき行動はなにか,と国民に提示すべきではないか。もうすでに,政府や東電や保安院の記者会見での発言に不信の念をいだく人は日に日に増えている。その結果,多くの国民が疑心暗鬼になっている。このことの方がどれほど恐ろしいことか。この不信が蔓延してしまうと,もはや,あらゆるコントロールが効かなくなってしまうからだ。これこそが,どんなことがあっても回避しなければならない最悪の事態ではないか。

 一夜明けて,今朝になってネットを流れている外国の情報について少しだけ抜粋。
 ドイツ:成田行き航空機の運行を一時停止。
 イギリス:東京および東京以北に住むイギリス人に対し,そこから退避するよう勧告。インフラ混乱の予想も含めて。
 アメリカ:東北地方に在住のアメリカ人に対して,福島原発から80㎞以上のところに退避するよう勧告。
 ロシア:日本からの渡航者・輸入品に放射能検査を実施。
 海外メディア:一部,撤退。
 プロ野球横浜のアメリカ人選手,一時,帰国。など。
 IAEA事務局長:日本政府の情報開示に苦言。

 こうした情報の混乱する中でも,必死で,原発の大爆発だけは回避しようと,それこそ決死の覚悟で取り組んでくれている人たちがいる。とりわけ,もっとも危険な最先端での業務に従事しているくれている人たちにはほんとうに頭が下がる。こういう人たちがいてくれるお蔭で,わたしたちがその恩恵に浴することができるのだ,ということを夢忘るることなかれ。
 とにもかくにも,原発の大爆発だけは回避しなければならない。そして,第二のチェルノブイリに至らないことを,これは全世界の願いでもあるだろう。制御不能となってしまった原発が,なんとしてでも無事に収束してくれるよう,ひたすら祈るのみである。
 科学には限界がある。その限界を越えたさきにあるもの,それは「祈り」しかないのだ。最後には,人間は祈りに救いを求めるしか方法はないのだ。このこともまた,今回の巨大な災害が教えてくれた貴重な教訓である。 

2011年3月16日水曜日

チェルノブイリ以下,スリーマイル島以上の福島原発の現状とは?

 いまも福島原発は異常な状態がつづいている。しかも,改善のきざしはみえてこない。ますます悪化しているとしかいいようのない状態だ。
 あらゆる方法で,福島原発の実情を把握しようとするのだが,いかんせん,素人の限界を感ずるのみ。情けないが事実だ。でも,ようやくわかってきたことは,やはり,きわめて危険な状態にある,ということだ。
 その根拠は,IAEAの事務局長矢野之弥氏の記者会見で述べている内容だ。情報通の友人に確認したところでは,IAEAには,加盟国は放射能に関するあらゆる事実を報告する義務がある,とのこと。だから,日本国内に流すことのできない情報も,IAEAには報告されているはずだ,というのである。で,そこでの矢野事務局長の発言は「チェルノブイリのレベル7よりは下,スリーマイル島のレベル5よりは上」だという内容。レベル7もレベル5も,素人のわたしにはわからない。ただ,わかることはその被害の大きさだけだ。そこから判断すると,福島原発はレベル6,というのが現段階でのIAEAの評定である,ということ。しかも,これは「現段階」までの情報を分析するかぎり,という条件つきのものだ。最悪の場合には,チェルノブイリ並みの大爆発も視野に入れておかなくてはならない,ということでもある。しかも,すでに,スリーマイル島よりは「上」の水準に達している,ということは厳然たる事実として確認されているということでもある。
 このIAEAの分析とほとんど同じ見解をとっているのが,アメリカの某専門家(インターネットの映像で確認したが,名前を記録するのを忘れた)である。で,少しだけ気になったのは,この専門家は,現状ではレベル6で収束する可能性が高いと考えるが,ひょっとするとレベル7になるかもしれない,と含みを残したことだ。アメリカの学者だから,ほんとうのことを述べている,と考えるとこの発言の意味は重い。日本の学者さんのように,ときの権力に自発的に隷従するような,余分な配慮はしていないと考えるからだ。
 チェルノブイリとスリーマイル島の事故は,原発事故としては世界の「二大事故」と認識されている。その間に割って入るようにして,いま,福島原発は推移している。現状で収束したとしても,これからはフクシマを含めて「三大事故」と呼ばれるようになることは間違いない。
 とまあ,ここまで考えてきたときに,やはり,今回の福島原発の事故はただごとではない,ということが明らかになってくる。少なくとも,昨日の夕刻までのわたしの認識では,ちょっとした不具合が福島原発で起きているなぁ,それにしてはなかなか復旧しないなぁ,なにをやってるのだろう,という程度のものだった。が,いつものNさんから電話をもらって,しばらくお話をうかがっているうちに,いけない,これは自分できちんと情報を確認しないといけない,と初めて目が覚めた。
 その結果,国内向けの情報開示と,IAEAに報告している情報との間にある,あまりの格差の大きさに驚くほかはなかった。現段階でのIAEAの判定は「レベル6」。この数字がなにを意味しているのか,日本のメディアは,もっとわかりやすく説明する必要があろう。もし,このレベルで収束するとしたら,ということは「レベル7で爆発するとしたら」,いったい,どういうことが想定できるのか,わたしはそこが知りたい。そして,もし,チェルノブイリと同じ「レベル7の爆発」が起きるとしたら,福島の場合には,どのような状態が想定できるのか,そこが知りたい。そういうことが視野のうちに入ってくれば,つぎなる行動のとり方もはっきりしてくる。
 ドイツの友人は,明らかに,チェルノブイリと同じことが起きている,と指摘してきた。しかも,早い段階で。ということは,ドイツのテレビや新聞では,早々にそのような判断をくだしていた,ということだ。だから,ドイツでもスイスでも,日本からの難民受け入れの態勢を整えている,とまで言ってきたのだ。フランスでも,早々に,日本への渡航禁止を政府決定した,という。それほどに危険な状態に入っているという認識なのだ。知らないのは日本人であるわたしたちだけだ。
 わたしの思考のスイッチを,もう一度切り換えて,危機意識のレベルを上げなくてはならない,といましみじみと考えている。Nさんの仰るとおり,今回のできごとは戦争と同じだ。いつ,どこから敵が現れるかわからない,未知の世界に踏み込んでしまっているのだ。だから,なにが起きても不思議はない。ということは,つねに,最悪の事態を想定して,行動する以外には方法はない。
 小学校2年生で敗戦を経験したわたしのからだには,第二次世界大戦中の,恐ろしい体験・記憶がトラウマのように埋め込まれている。そういうものが,意味不明のまま,からだの中で蠢きはじめている。そして,これまでのぬるま湯に浸っていたからだとはまったく異なる別のからだに移行しはじめている。それはなにを隠そう,理性もまだ十分にははたらかない未熟な,あるいは,動物性に近い「からだ」への蘇りだ。
 「レベル6」をめぐって,わたしのからだの記憶の古層が騒ぎはじめている。こころを鎮めて,しばらくは,このからだの声に耳を傾けてみようと思う。

原発はいよいよ深刻な事態を迎えつつあるのか。

 今日になって,ますます深刻な情報がつぎつぎと入ってくる。原発の最前線で行われていることは,ひたすら爆発を遅らせることだけであって,それ以上の手立てはなにもないらしい。
 わたしたちが日本のメディアをとおして得ている情報は,完全にコントロールされていて,当たり障りのない無難な情報でしかない。だから,なんとなく大丈夫らしい,という錯覚を起こしている。しかし,外国のメディアに流れている情報は,ほとんどなんのコントロールもされていない生のものだ。そのうちのいくつかを開いてみたら,それはそれは恐ろしくて眼を覆いたくなるような映像が飛び出してくるではないか。
 ドイツの友人が呼びかけているのもなるほどとうなづける。一昨日の段階で,すでに,ドイツでもスイスでもいい,受け入れ態勢はできているからすぐに国外に脱出せよ,というのである。もし駄目なら,できるだけ遠く離れろ。まずは,東京から西へ西へと向かえ。そして,できることならさらに南へ。いっそのこと思い切って沖縄まで飛べ,と。この友人は,日本に長く滞在していたことがあり,日本人の女性と結婚したので,日本の地理にも明るい。
 かといって国外脱出するほどの危機感がないのはなぜだろう。わたしの身辺からはそんな話題ももちあがらないからなのか。無知だからなのか。それとも老化現象なのか。いずれにしても,どこか他人事にみえるのである。差し迫った現実感がまったくない。まるで絵空事である。この浮遊感はいったいなんなのだろうか。
 いま,中国に住んでいる友人(日本人)からも,大変な事態を迎えているようだが,大丈夫かと心配のメールがとどく。かれの言うには,日本列島には500基もの原発があることを中国のテレビで知った。アメリカでさえあの広い国土に1000基だから,それに比べたら日本の原発の数は多すぎる,と知った,という。日本にいるときにはなにも考えたことがなかったが,少し距離をもって眺めてみると,その異常さがよくわかる,というのである。じつは,わたしもこんな数字は初めて知った。いつのまに500基もの原発を建造したのだろうか。
 それにしても,地震列島として知られる日本に,なぜ,原発を建造しなくてはならなかったのか。いまさらながら,不思議ですらある。四つものプレートがぶつかり合っていて,エネルギーが蓄積されれば,かならず大地震がやってくる。そんなことはだれでも知っていることではないか。なのに,なにを基準にして「安全」と説得したのだろうか。そして,説得されてしまったのだろうか。当時の政治家の意図するところはなんだったのか。
 かつて,わたしも住んだことのあるオーストリア(ウィーン)では,原発を建造して,いざ,稼働させるという段階になって,最終的な意志決定のために住民投票を行った。その結果,稼働反対が多数を占めたために,一度も発電することなく封印されてしまった。いまになって思えば,賢明な選択であった。しかも,オーストリアは日本に比べたら,ほとんど地震などというものはないに等しい。それでも原発の危険性を重視し,排除する方向に国民の意志は働いたのである。
 今回の福島の原発は,500基のうちのたった10基にすぎない。この10基は,かりに爆発することなく無事に鎮圧することができたとしても,廃棄処分となることは間違いないだろう。では,残りの490基はどうするのか。
 原発は安全だ,というアピールのためのコマーシャルに出演していた俳優さんやタレントさんは,いまごろどんな気持ちでいるのだろうか。
 それにつけても,どうか,福島の原発が大爆発にいたることなく,なんとか無事に収まってほしいものである。いまは,ひたすら祈るしかない,というのが歯痒い。
 そして,天を仰ぎながら,西からの季節風に乗って,海側に放射能が飛んでいってくれないか,とこれまた祈るのみだ。
 この「祈る」こころから,わたしたちはあまりに疎遠になってしまった。そのこころを,いま一度,取り戻せと神の意思が働いているのだろうか。

2011年3月14日月曜日

いよいよ非常事態に突入。精確な情報と冷静な判断を。

 14日(月)の早朝から計画停電に突入。しかし,需要と供給のバランスをみながら実施を判断するとのこと。わたしの住んでいる地区は,午後に3時間の停電が予定されている。
 この計画停電との関連で,交通機関に大きな影響がでている。都心部は,ほぼ,いつもと同じ状態での運行がなされるようだが,郊外に向かう私鉄各線は,都心から離れれば離れるほどに全面運休が発表されている。都心に近いところでの折り返し運転がほとんどだ。
 都心重視はわからぬではないが,もう少し,大局的な判断はできなかったものだろうか。たとえば,東京23区は,停電はしない(荒川区だけが例外)。なぜか,と考えてしまう。こういうときには,みんな平等に負担を分け合うべきではないのか。
 郊外から通勤しているサラリーマンは電車が止まっていて出勤はできない。となれば,都内の企業の多くは,フル回転での営業はできないはずだ。現に,東海道新幹線は,全面運行予定であったが,運行にたずさわる社員が確保できない(出勤できない)という理由で,まびき運転に変更した。このことに象徴的に表れているように,大手企業も同じはずだ。
 わたしも,今日の出勤は見合わせることにした。いつも利用している田園都市線は朝夕のラッシュ・アワーは平常どおり運行するが,日中は全面運休するという。しかも,あざみ野駅より西方面は全面運休するという。出勤しても大丈夫かな,と一瞬,考えたが,日中に3時間の停電では,仕事はほとんどできない。ここは「不要な外出は控えるように」という通達にしたがった。
 さきほどかかってきた友人からの電話によれば,某ターミナル駅の周辺は,異様な雰囲気だ,という。なぜなら,働き盛りの男性たちが,いくつもの買い物袋を下げて歩いている,この光景は異様だ,と。そして,駅ビルの中にあるスーバー・マーケットに買い物に行ったら,食品のほとんどが売り切れ。缶詰などは影も形もなくなっている,という。あっという間にみんな買い込みに走ったのだろう,と。店員に聞いてみたら,つぎの商品がいつ入ってくるかはわからない,と。みんな被災地に向けて運ばれている,とか。
 電気はアンペアの関係で,西日本の電気をゆずってもらうことはできないそうだが,食品はいくらでも運べばいい。ここはひとつ農林水産省あたりが音頭をとって,きちんとした食品ネットワークをつくって,食の安全確保につとめてもらいたいものだ。そうしないと,パニックが起きる。いや,もう起きているのかもしれない。わたしのようなのんびり屋は,まだ,平然とことのなりゆきを眺めているが,気の早い人たちはすでに買いだめに走っているのだ。
 これも,さきぼと,茨城県で避難所生活をしている人からの連絡でわかったことだが,避難所には食べ物がなにも支給されず,毛布もなく寒さに震えている,という。そこに現れるのが「弁当屋」。しかも,法外の値段で売りつけている,という。背に腹は変えられないから,みんな言い値で買うしかないのだ。こういう悪徳業者が,かならず,非常事態が起きると現れる。困ったものだ。
 こうなると,もはや,戦争状態に入ったとしか言いようがない。大自然との闘いであると同時に,原発との闘いであり,なによりも始末の悪いのは「人間」との闘いである。火事場泥棒とはよく言ったもので,被災地にも「窃盗」が横行している,という(インターネット情報による)。自治体の手のゆきとどかない避難所には悪徳業者が出入りする。スーパーの食品は,車をもった人たちによって,買いだめをされてしまう。こうして,弱者はいつもワリを喰うことになる。そんな世の中であってはならない。と,声を大にして叫んだところで,非常事態にあっては,どうにもならない。
 自民党も野党も,この際,政争は一時休戦にして,一致団結して確かな自治体のネットワークを立ち上げて,国民生活に混乱をきたさないよう,全力を投球すべきときだ。人手が足りないところこそ,ボランタリーを募って,なんとかしてパニックにならないよう,この非常事態をしのごうではないか。
 いよいよ明日からが正念場だ。この非常事態からいかにして脱出するか。
 避難所生活をしている人たちに,きちんとした救援の手をさしのべられるように。
 やらなくてはならないことはあまりに多すぎる。でも,やらなくてはならない。
 そのための知恵と労力を出し合って。