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2016年2月4日木曜日

2カ月ぶりの肝臓癌の検診。着実に進行中。

 2月4日(木)午後,2カ月ぶりの検診を受けてきました。肝臓に転移した癌のその後の状態の確認と,その他の臓器への転移の確認です。やったのは,エコーによる綿密な検査でした。これまでの倍以上もの時間をかけて丁寧に行われました。その結果は以下のとおりでした。

 転移した肝臓癌は,間違いなく進行していること,他臓器への転移はなし,というものでした。この肝臓癌については,化学療法で抑えるという方法もありますが,個人差があって効果のほどはやってみないとわからない。切除手術も可能だが,かなりのリストを伴うこと。さて,どうしますか,というのがお医者さんの問い。

 わたしとしては,覚悟の上で抗ガン剤を拒否して,QOLを選んだのですから,いまさら変更する意思はありません,と。すると,わかりました,では,QOLに寄り添った支援をいたしますので,なにか不都合がありましたらいつでも診察を受けにきてください。入院しての支援も可能ですので,念頭に入れておいてください,とのこと。

 以上が,今日の検診結果のあらましです。

 このような選択が正しいかどうかは,お医者さんでも個人差があって意見が分かれるところだとおもいます。わたしの担当医も,ここはむつかしいところですね,と頭をひねっていました。まえ,言ってしまえば,だれにも判断できない神の領域のことだということでしょう。わかりやすく言ってしまえば,天(自然)から授かった寿命というものでしょう。となれば,それを甘んじて受け入れましょう,というのがいまのわたしの心境。

 さあ,これでいよいよ間違いなくカウント・ダウンの状態に入ったといってよいでしょう。その覚悟はできていますので,いまは,なんの不安もありません。あとは,残された余命を悔いのない時間にすること,つまり,授けられた寿命をまっとうすること,とみずからに言い聞かせています。

 だからと言って,このまま放置しておくわけにもいきませんので,いまからでも可能な努力はつづけるつもりです。いろいろの人に教えていただいた「これがいいそうです」と言われる方法のうち,自分でも納得のいく方法を実行に移すこと。それも,すでに,やってきているのですが,まだ,努力が足りないようです。もっと徹底してやってみようとおもいます。それもどこまで効果があるかは未知数です。とにかく,やってみる,しかありません。

 次回の受診は,4月7日(木)を予約してきました。

 というところで,とりあえず,今日の検診結果のご報告まで。

2015年12月18日金曜日

癌患者に太極拳を取り入れている帯津良一医師。

 末期癌のステージ4を生きるわたしは,現段階では,「要観察」となり,「しばらく様子をみることにしましょう」ということになりました。その経緯のこまかなことは省略しますが,主治医との面談の結果,しばらく様子をみるのが総合的に判断して「ベター」だろうというところに到達した,という次第です。

 そうなりますと,こんどは,なにもしないでぼんやりしているわけにもいきません。患者としてできる自助努力はしっかりとやっていかなければ・・・という次第です。そして,そのうちのいくつかは,すでに以前からはじめています。

 そのうちのひとつは,太極拳です。ひとくちに太極拳と言っても,その中味はさまざまです。つまり,「やり方」そのものが重要です。多くの人は,上手になることをめざします。わたしも,ずーっと上手になりたいと願っていました。もちろん,この願望は永遠につづくのでしょう。でも,もうひとつの視点をとりこむことによって,太極拳の稽古の「やり方」(内実)はがらりと変わります。

 それは,最初の癌の切除手術を受けたあと,李老師から何回も何回も指摘されてきたことです。このブログにも,そのことは書いてきました。つまり,可能なかぎり脱力し,だらしなく,てれんこてれんこ「やり」なさい,という指摘です。そして,からだにはできるだけ負担をかけないで,意識だけ,技のイメージをしっかりと描きながら,心地よさを探しなさい,というわけです。

 つまり,この「心地よさ」を探求しなさい,というのが李老師の意図するところです。その「心地よさ」の領野を,少しずつ少しずつ拡げていきなさい,というわけです。そして,それが術後の回復にはとてもいいのだから,と。

 言われたからといって,すぐに,ほいほいとできるわけではありません。しかし,こころがけているうちに,なんとなく,こんな感じのところかな,という領野がわかってきます。いまは,そんなところを目指して,週一回の稽古に励んでいます。しかし,これからは,もう少し回数を増やすよう努力したいとおもっています。ひとりではなかなかできないのですが・・・・。

 と,こんなことを考えていましたら,帯津良一医師も太極拳を癌治療には役立つとして,推薦しており,みずから実践・指導もしているという話を思い出しました。そこで,再度,インターネットで確認してみましたら,つぎのようなことがわかりました。

 みずから病院長をしている病院の患者さんたちと一緒に太極拳を楽しんでいらっしゃる。それも,自分がやって楽しいしから,と。そして,太極拳の稽古をした日は一日,とても調子がいい,と。だから,患者さんたちにもいいはずだ,というのです。ですから,天気のいい日は病院の屋上に集って,みんなで太極拳を楽しむのだ,と。それが癌治療にも効果をあげている,と実感しているともいいます。

 もちろん,太極拳の専門家を指導者に招いて指導をしてもらいつつ,ご自分でも,「時空」と名づけた特殊な太極拳を工夫して,その指導もしている,というのです。しかも,病院だけではなく,池袋に道場を開いて指導・実践をしているとのことです。ですから,帯津医師の太極拳は生半可なものではありません。

 ここで興味深いのは帯津さんが「時空」と名づけた太極拳です。とくに確認したわけではありませんが,「時空」という名前からして,「時間・空間」であり,その中に溶け込んでいくことを目指した太極拳に違いない,とわたしは想像しています。これは,たぶん,李老師がわたしに指示したことと同じ発想からきているな,と。

 帯津良一さんの病院は,癌治療に特化した病院ですので,入院患者はぜんぶ癌患者です。ですから,とりたてて太極拳が上手になる必要性はなにもありません。むしろ,太極拳をやることによって感じられる快感を重視してのことに違いない,というのもわたしの確信です。どうして,太極拳を導入することになったのかという経緯については,ずいぶん前に何冊か書かれた著書のなかに詳しく説明されていますので,そちらをご覧いただきたいとおもいます。

 いずれにしても,帯津良一さんのような名医が,太極拳は癌治療に役立つと考えられていること,そして,みずから実践もされていること,さらには「時空」という太極拳を工夫されていること,病院だけではなく道場まで開いて指導にあたっていること,そして,それなりの実績をあげていらっしゃること,等々,いいことずくめです。

 こうなってきますと,やはり,太極拳の稽古の回数をなんとしても増やしていくしかない,とみずからに言い聞かせています。まあ,これもあまり無理をすると長続きしませんので,ぼちぼち始めることにしたいとおもいます。

2015年12月17日木曜日

「しばらく様子をみることにしましょう」。主治医との面談の結論。

 今日(12月17日),主治医との面談がありました。
 その結論は,「しばらく様子をみることにしましょう」でした。
 主治医としては,いずれの治療方法も決め手になるものはないので,どれかひとつの方法を強くお薦めするということはできません,と。つまり,切除手術,抗ガン剤,放射線,QOL,の四つの選択肢のことです。いずれも一長一短があって,決め手にはなりません,とのこと。

 わたしの結論は,癌治療に方程式はない,ということ。すべて,個別特殊な事例でしかない,ということ。言ってみれば,やってみなければわからないということ。つまり,「決め手」はない,という点で主治医と意見は一致。

 その結果,どうするかは稲垣さんが選択してください,と。そこで,わたしは躊躇することなく,QOLを選択することにしました。そして,2カ月ごとに追跡検査(超音波)をしながら,様子をみる,というところで主治医も同意してくれました。

 次回の検査日は2月4日(木)。

 それまでの間は,自助努力で頑張ってみることになりました。副作用がなくて,癌にはいいらしい,というあらゆる方法をチェックし,自分で納得のできたものを取り入れる,というやり方です。その大原則というか,キー・ワードは,自然治癒力,免疫力,ロー・フード(生野菜),ビタミンC,漢方系,フロー・エッセンス+,太極拳(帯津良一医師推薦・実施),などなど。あとは,好きな仕事に熱中すること,楽しい会話の時間を増やすこと,旅をすること,などなど。

 さあ,こうなったら,楽しいプログラムをたくさん作って,鷺沼の事務所をフル回転させることだ,と夢をふくらませています。わたしとのおしゃべりに付き合ってくださる方,大募集です。筆で文字を書いて遊ぶことに付き合ったくださる方も,大歓迎です。昼でも,夜でも,鷺沼の事務所にきていただければ,大歓迎です。ただし,必ず,メールで予告をしてください。よほどのことがないかぎり,すべて,お受けします。そして,腹の底から笑える時間を増やしたいとおもいます。これもまた,わたし流儀の治療法。自助努力。

 ひとまず,こんなところに落ち着きました。

 最後に,主治医のひとこと。気が変わったら,いつでも別メニューに移っていいですから,と。二人で顔を見合わせて笑ってしまいました。

2015年12月11日金曜日

食欲がでてきました。小食の効果?

 小食をこころがけるようになってから,なんだか食欲がでてきました。これが,小食の効果なのかはよくわかりません。が,小食の結果,どうやら胃腸がフル回転することなく,いくらか休めるようになったことが功を奏し,胃腸が元気をとりもどしたのではないか,と勝手に想像しています。

 これがほんとうだとしたら,とても嬉しいことです。

 なんと言っても,わずか1年5カ月の間に,胃は三分の二切除,肝臓は三分の一切除したのですから,胃腸に相当のダメージがあったことは間違いありません。

 それにもまして,最大のダメージだったのは,抗ガン剤による副作用で味覚が麻痺してしまったことだ,とわたしは感じています。最初の胃の切除手術をしたあとの経過はきわめて順調でした。味覚も大丈夫でした。食欲もありました。しかし,抗ガン剤を服用するようになってから,あっという間に味覚が麻痺してしまいました。なにを食べても味がしません。ご飯にいたっては「砂」を噛んでいるような感覚でした。ですから,まずは食べたくない,拒否です。でも,少しでも食べなくてはという強迫観念にとらわれ,必死で食べました。が,多くは食べられません。かろうじて「梅干し」や味の強い「漬け物」は味がありましたので,それを頼りにしていました。

 抗ガン剤の服用をやめたあとも,味覚の麻痺はつづきました。それは,二回目の肝臓切除手術後も,ほとんど変わりませんでした。仕方がないので,あれこれ試してみた結果,ご飯に「寿司酢」をたっぷりかけてやると,いくらか味がすることがわかり,もっぱら,この方法でご飯を食べることにしました。が,それが,ようやく最近になって,「寿司酢」がなくても,ご飯本来の味が少しだけもどってきました。これはいいな,とおもっていましたら,こんどはなんと「空腹」を感ずるようになりました。

 もちろん,健康だったころの空腹感に比べればまだまだ弱いものにすぎませんが,それでも,たしかに「なにか食べたい」という欲望が湧きはじめていることは間違いありません。おやおやと驚きながらも喜びでいっぱいです。でも,食べすぎないように気をつけなくてはなりません。やや控えめに食べておくと,すぐにまた空腹感がやってきて,気分をよくしています。

 なぜなら,からだが空腹を訴えているということは,なにかが足りないから補給せよというからだからのサインだかです。そのサインを無視して我慢すると,その不足分を,からだのなかに備えてある予備分で賄おうとします。これが,むかし習った「生体防衛反応」というやつで,いざとなるとここにスイッチが入ります。ここにスイッチが入ると,当座の命を維持するためのからだのあらゆる機構が働き始めます。

 広い意味での「恒常性(ホメオスターシス)維持」機構が総動員されるというわけです。ということは,「免疫」に関する機能もフル回転をはじめます。その結果,免疫力も高まることになります。つまり,生命を維持する機能のレベルがアップすることになります。

 ですから,むかしから,一日に一度は胃腸を空っぽにして空腹を味わえ,そういう人は健康そのものだ,といわれてきました。これは,単なる経験知ですが,それには立派な根拠があったという次第です。

 小食の効果は,この空腹感を引きだし,食欲をもたらし,かつ,免疫力を高める,というところにあったとしたら,これは一石三鳥です。

 もうしばらくの間,様子をみてみたいとおもいます。
 楽しみが増えました。

2015年12月6日日曜日

「朝になったら死んでいた」。理想的な「幕引き」。

 「朝,見にいったら死んどっただげな」。こんな会話を子どものころにはよく耳にしたものです。田舎の小さな禅寺で育ったわたしは,村の衆がどんな風にして死んでいったのか,という情報はふつうの農家の子どもたちよりかなり多かったようにおもいます。ときには,死んだ人を寺の本堂に一晩,寝かせておいて,翌日,焼き場に運ぶということもありました。そういうときには,襖ひとつ隔てた部屋に,わたしたち兄弟3人が寝ていました。夜中にトイレに行くときには,棺桶の横をとおります。小さな村のことですので,生前の顔もよく知っています。

 「ケンちゃんとこのおばあさん,死んじゃっただげな」
 「うん,昨日の夜も,ちゃんとご飯を食べて寝ただげな」
 「そういやぁ,食べる量はどんどん少なくなっていたっちゅうに・・・」
 「ほうだらぁのん。あんなに痩せちゃっとったでのん」
 「骨と皮しかなかったでのん」

 こんな会話が繰り返されていたことを,昨日のことのように思い出します。そういえば,当時(敗戦直後)の村の衆は,みんな痩せていました。体重が16貫(60㎏)もある人は,数えるほどしかいませんでした。とくに,年寄りはみんて痩せていました。
 
 みんな農家ですから,食べ物に特別に困っていたわけではないはずです。しかし,贅沢をしたり,腹一杯食べる習慣はなく,「腹八分目」がそれとなく実行されていたようにおもいます。つまり,みんなつつましく暮らしていたのです。

 病気になっても医者には,よほどのことがないかぎり行きませんでした。その代わりに,むかしながらの民間療法がほどこされていました。こういうときは年寄りの出番でした。ほとんどの家は,医者に診てもらうほどの余裕がなかったようです。ましてや,街中の病院に入院するなどということは,余程のことがないかぎり,村ではほとんどありませんでした。みんな多少のことは我慢して耐えていたのです。

 貧しい農家では,「年寄りは無駄飯を食うな」ということが平気で言われていました。「一膳しか食べさせてもらえんでのん」とグチをこぼすお年寄りも少なくありませんでした。

 そんなお年寄りが,あるときから,ほとんど食事をしなくなってしまうことがあります。こういう話題もすぐに村中を駆けめぐります。
 「〇〇さんとこのおじいさん,一口くらいしかご飯を食べんだげなぞん」
 「そういやぁ,このごろみるみる痩せてきたのん」
 「どっか悪いんじゃないかのん」
 「ほんでもどっこも痛いところもないだげな」
 「それでも,あんなに痩せちゃったじゃぁ,長いことはないのん」

 こんな会話が交わされるようになると,日を経ずして「朝,見にいったら死んどっただげな」という話になります。

 『どうせ死ぬなら「ガン」がいい』(宝島新書)の対談者・中村仁一×近藤誠たちによれば,こういう話はむかしからたくさんあって,こういう事例はほぼ間違いなくガンだったのではないか,とのことです。ガンは発症しても本人も周囲も気づきません。病状が進行しても,痛みもありません。ただ,やせ細っていきます。そして,食欲もなくなっていきます。その結果,文字どおり,骨と皮だけになって,最後は眠るようにして死んでいく,と。

 これはガンによる「自然死」に違いありません,とお二人の意見は一致しています。もし,これが事実だとしたら,ぜひとも,あやかりたいものだとおもいます。

 むかしの偉いお坊さんは,死期を自分で定め,「生き仏」(「生き菩薩」)となることをめざした,といいます。その方法はかんたんです。断食をし,水だけを飲んで痩せていき,坐禅をしたままこと切れることを理想としました。

 こんな真似はわたしにはできませんが,ガンが進行していって,徐々に食欲が落ちていき,食べる量も減り,骨と皮だけになって,朝になったら死んでいた,これならできそうです。そして,これこそが,いまのわたしに与えられた「自然死」そのものではないか,といまは心底おもうようになりました。

 これができたら,ちょっと,格好よすぎかも・・・・・(笑い)。
 でも,いいなぁ。憧れます。

2015年12月2日水曜日

『どうせ死ぬなら「ガン」がいい』(中村仁一×近藤誠著,宝島新書)を読む。納得すること多し。

 もうかなり前に,帯津良一さんの本との出会いがあり,ガンに関する本はかなり読んでいました。ガン細胞は自分の細胞の遺伝子に異変が起きるだけなので,抗原抗体反応が表れない。つまり,他者として認識しないので,自覚症状もほとんど感じられないまま,病変だけが進行するというやっかいなしろもの,というわけです。

 ガンについては,そんな程度の認識でしたが,昨年2月に初発の胃ガンが見つかってからは,本の読み方が変わりました。これはとおもわれる本は片っ端から買ってきて,むさぼるようにして読み漁りました。が,どの本も,わたしを納得させることは書いてありませんでした。

 つづいて,知り合いのお医者さんにも,片っ端から質問をし,なにか納得のいく手がかりは得られないものかと,あれこれ努力してみましたが,いずれも心の底から納得のいく答えはありませんでした。一括りに要約してしまえば,「一般論としては」とか,「文献データによれば」という前提つきの説明でしかありませんでした。つまり,末期ガンを生きるわたしという人間が,どのような対応をすればいいのか,という総合的な判断をする根拠は見つからなかったということです。

 その結果,ゆきついた,わたしの理解は以下のとおりです。
 〇切除手術がうまくいく人もあれば,そうでない人もある。
 〇抗ガン剤がうまく効く人もあれば,そうでない人もある。
 〇放射線治療がうまくいく人もあれば,そうでない人もある。
 要するに,個体差がありすぎて,個別の症例に対する決め手がない,ということがわかりました。

 その結論としては,「ガン治療に方程式はない」ということ,そのほとんどは「試行錯誤」でしかないということ,それだけでした。

 そして,うまく治療ができた人はラッキーな人(運のいい人),いつまでもはっきりしない人はアンラッキーな人(運の悪い人),さらに,あっという間に,この世とお別れしてしまう人は,そういう星のもとに生まれた人だと諦めるしかない,これが,いま現在のわたしの到達点です。

 ここまで到達したときに,わたしの眼に,かなり説得力のある本として,帯津良一,中村仁一,近藤誠さんらが書いた本がふたたび蘇ってきました。言ってしまえば,原則として,「放置療法」です。すでに,確立されている治療法がある事例はほんのわずかで,あとは,暗中模索なのだというのです。だとしたら,切除して体力を消耗したり,抗ガン剤や放射線の副作用に悩まされたりして,苦しむよりは,そのまま放置して「生活の質」(Quolity of Life )を維持しながら,元気な時間をエンジョイした方がいい,ということになります。

 ちなみに,治療を一生懸命やった人と,なにもしないで放置した人との寿命は,統計処理をしたかぎりでは,ほとんど変わらない(近藤誠)といいます。しかも,治療に専念した人の最後は,激痛に苛まれ,苦しむ人が多いといいます。他方,放置した人のほとんどは「自然死」に近い,つまり,痛み苦しむことなく,こと切れることが多いといいます。

 だとしたら,どちらを選ぶかは自明のこととなってきます。

 それよりももっと大事なことがひとつあります。それは,自分の命の終わり方をどのようにするか,という「生き方」の結末のつけ方の問題です。つまり,「死に方」です。別の言い方をすれば,どのようにして,与えられた生命をまっとうし,その上で,どのように死を迎えるか,その幕の引き方です。それは,わたしという人間の「生き方」の最終のテーマとなります。つまり,「死ぬ」ということは,わたしの全人生をかけた,最後の「演出」であり,「幕引き」です。この一点に,大げさに言えば,わたしの全人生がかかっている,ということです。もっと言ってしまえば,わたしの人生の総決算だ,ということです。

 このことを考えさせてくれるのも,じつは,癌患者だからです。死ぬとしたらガンで死ぬ。そのことがはっきりしているからです。これは考えようによってはとても幸せなことだともいえます。覚悟の上での死を迎えることができるのですから。

 それでも,できることなら,可能なかぎり「自然死」がいい。昨日まで,ふつうにしていたのに,朝になったら死んでいた・・・・これが理想です。

 こんなところに,わたしの思考がたどりつきつつあるのは,これまでに読み込んできた思想・哲学の本のお蔭であり,仏教関連書の影響が少なくありません。かんたんに言っておけば,「わたし」という自我(近代的自我)から解き放たれたさきに広がる,「いのち」のままに躍動する世界(彼岸)に身もこころも委ねること,これが「生きる」ということの基底ではないか,ということです。

 こんなことを考えさせてくれるきっかけとなった一冊,それがこの本でした。

2015年11月23日月曜日

重粒子線・陽子線治療(癌)という選択肢について。

 しばらく前のブログで,主治医から切除手術と抗ガン剤治療のふたつの治療法の提示があったことを書きました。すると,もう一つの選択肢があるが,そのことも検討してみてはどうか,という提案がありました。提案してくださったのは,むかしの教え子(ご主人がお医者さん)。

 選択肢は一つでも多い方がいい。そして,広い視野から検討した上で,最終的に自分の治療法を選択すべきだと考えましたので,早速,ご主人(N医師)に直接,お会いしてお話を伺うことにしました。場所は京都。これまでにも何回かお会いしたことがありますので,安心して,わたしのこれまでの経過と現状について,ありのままを報告させてもらいました。しっかりと耳を傾けてわたしの話を聞いた上で,あらかじめ用意してくださった印刷物を提示して,お話をしてくださいました。

 A4用紙に,「放射線治療」「重粒子線・陽子線治療」「ラジオ波治療」の3項目に分けて,それぞれの特徴,メリット,デメリットを,素人にもわかることばで解説がしてありました。いわゆる要点を整理したレジュメのようなものです。これを元にして,いろいろとお話をうかがうことができました。ありがたいことです。

 そこに書かれていたことの要点は,以下のとおりです。
 〔放射線治療〕・・・高エネルギーのX線をあてて,病変を治療。局所治療なので,全身への影響は少ない。が,一度照射した部位には再度(一定量以上)照射することはできない。治療法が確立されている。病変の種類により効果が違う。患部周辺に障害の可能性あり。被ばくあり。
 〔重粒子線・陽子線治療〕・・・炭素原子や陽子を使用し患部を照射する。放射線治療にくらべて副作用が一般に少ない。保険適用ではないので,かなりの高額の費用がかかる。治療施設が限定。被ばくあり。
 〔ラジオ波治療〕・・・AMラジオなどの周波数に近い周波数約450キロヘルツの高周波のことで,他の医療機器(電気メスなど)に使用される高周波と同じものを使用。身体に対するダメージが少ない。適用範囲が限定される。被ばくなし。

 これらの情報を元にいろいろのお話を聞かせていただきました。なるほど医療の最先端は日進月歩で,つぎつぎに新しい治療法が開発されているのだ,ということがよくわかりました。

 帰りの新幹線の中で,いろいろと思いをめぐらせながら,さて,どうしたものかと沈思黙考。問題は,わたしの癌がどういう性質のものであるのかを見極めることだ,という点に到達。が,こればかりは推測はできても断定はできない,そういう種類のものだ,ということも思考の中に入れて,さらにその先を考える以外にはありません。

 そのポイントは,これまでの経過をみるかぎりでは,初発が胃癌,転移が肝臓,そして,肝臓にもう一度,という具合に「一点」ものであるということです。つまり,転移が同時多発的に拡散するのではなく,一点ずつ発症しているということです。ということは,ダルマ叩きではないですが,一つ叩くと,つぎにまた別のところからダルマが顔を出す,というそういう種類のものらしいと考えることができそうです。

 だとしたら,一つずつ,しかるべき治療法を用いて対応していけばいいのか,あるいは,もう少し別の視点からの治療を考えた方がいいのか,判断がむつかしいところです。

 もう一点は,わたしの癌の場合は,どうやら速いスピードで病変する種類のものではなさそうだ,ということです。どうやら,ゆっくりとやってくる癌であるようにおもわれることです。だとしたら,のんびりとやってくる病変のスピードに合わせて付き合うという方法もありかな,と考えたりします。つまり,QOL(Quolity of Life )。

 まあ,いずれにしても,もう一つの選択肢が加わったことによって,わたしの思考の幅が広がりました。これらを含めて,もう,しばらく,じっくりと考えてみようとおもいます。

 N医師には,ご多忙のなか,わたしのために時間を割いてくださり,幾重にも感謝する以外にありません。ありがたいことです。少なくとも,精神的には,以前よりは安心して,冷静に考えることができるようになりました。これだけでもありがたいことでした。いずれまた,困ったときには相談に行きたくなるようなお人柄のN医師との距離が縮まったことがありがたいことです。

 こうして,多くの方々が心配してくださっていることを,なによりも感謝しなくてはいけないとみずからに言い聞かせている今日このごろです。これも「大きな流れ」のなかでのできごとと受け止め,おおらかな気持ちで,最終的な決断をしようとおもっています。

 とりあえず,直近のご報告まで。

2015年11月21日土曜日

末期癌を生きる。そのからだとこころ。

 2014年2月に初発の癌がみつかり(胃癌),切除手術。つづいて2015年7月に肝臓への転移がみつかり,切除手術。最初のときが,すでにステージ3のCという診断。転移した段階で,ステージ4に突入。すなわち,末期癌患者の宣告を受けました。短期間の間に二度もの大手術を受け,からだもこころもボロボロ。このダメージは筆舌に尽くしがたいものでした。

 いま,ようやく回復期に入って,さあ,これからという段階でまたまた肝臓の別のところに転移がみつかり(10月),さて,これをどうするかと思案中。主治医(外科)も,さすがに三度目の手術には慎重になり,いくつもの治療法の選択肢を提示してくれました。が,最後はご自分で決めてください,とのこと。

 それを受けて,いま,いろいろの人に相談したり,本を読みまくったり,と慌ただしい生活を送っています。この間にも,わたしのからだとこころは微妙に変化しています。揺れ動くからだとこころ,と言えばいいでしょうか。でも,その割には,自分で言うのも変ですが,意外に本人はケロリとしています。ここにきて,腹が決まりはじめているようです。

 基本的には,大きな流れに身を委ねる,という心境です。いまさら,じたばたしたところでどうなるわけでもありません。いま,肝臓の末端に転移した癌が,これからどのような動き方をするかはだれにもわからないのですから。ここはじっくりと自己と向き合い,そのからだとこころの声に耳を傾けながら,それなりの結論を導き出してみようとおもっています。

 まあ,それにしても1年5カ月の間に二度の手術を受けますと,人間,すっかり様変わりをしてしまうものです。いまや,まるで別人です。外見は,少し痩せたね,と言われる程度ですが,内面はまるで別世界を生きているというのが,わたしの正直な実感です。

 まずは,からだ。癌の宣告を受ける前までは,病気とはまるで縁のない,健康そのものの生活を送っていましたので,記憶に残るような病人のからだというものを経験したことがありませんでした。いまは,そのま逆のからだを生きているのですから,不思議な体験の連続です。たとえば,全身のいろいろの部位から日替わりメニューのように,いろいろのサインが送られてきます。それをどのように読解したらいいのかわかりません。仕方がないので,サインが出てくる元の原因を考え,それに対応するのが精一杯。

 いま,一番多いサインは,胃腸と背中。胃腸は食事をすると,必ず,なんらかのサインを発してきます。まずは,心地よいか,違和感があるか,を知らせてくれます。違和感がある場合には,その原因をあれこれ推測しながら考えます。そして,思い当たることがあればそれに対応して,つぎからはそうならないように気をつけるようにします。それらはじつに微妙なサインも含めると数えきれないほどです。背中にいたっては,まさに日替わりメニューのように痛む場所が転々と移動します。これはいったいなにごとだろうか,と最初は考えあぐねました。が,最近は,だいぶベテランになってきましたので,このサインはこれこれ,こんどのサインはこれだな,という具合にある程度は判断できるようになってきました。こうして毎日,四六時中,からだと会話を交わしていると言っても過言ではありません。

 つきは,こころ。癌については以前から関心がありましたので,かなりの本を読んでいました。たとえば,帯津良一さんの本はほとんど読んでいました。つづいて,近藤誠さんの本もセンセーショナルな内容でしたが,言っていることの根本はよくわかりました。ですから,最初の癌の宣告を受けたときには,手術を受けるべきかどうか相当に考えました。が,それほど動ずることはありませんでした。ただ,「来たか」という驚きはありました。もっとさきにあるとおもっていたものが,手のとどくところにきてしまったか,という一種の感慨のようなものでした。

 それからも癌の本は集中して,かなり読みました。しかし,癌というものの全体像はかなり明確になってきましたが,わたしの「こころ」の問題に応答してくれる本は,あってもほとんどピントがづれていて,役立たずでした。むしろ,いま,そうだったのか,と気づいて再読をはじめているのは『般若心経』であり,道元さんの『正法眼蔵』であり,『修証義』であり,はたまた西田幾多郎の本です。そこに,なんとフリードリッヒ・ウィルヘルム・ニーチェやマルチン・ハイデガーやジョルジュ・バタイユが加わり,一気にジャン=ピエール・デュピュイやジャン=ピエール・ルジャンドルへと連鎖してきています。そして,この人たちにはある共通点があることもわかってきました。ひとことで言ってしまえば,それは「ドグマ」。あるいは,「人間的生存の基底」。はたまた「演出」。つまりは,ルジャンドルの世界に回帰してくるというわけです。

 そして,つまるところ,こころの拠り所というものは自分で決めるしかない,ということ。それが正しいとか,間違っているとかは問題ではなく,いま,このとき,このところにおいて,わたしは「かく考え,そこに信をおく」ということ。すなわち,わたし自身がこころの底から納得するかどうか,ただそれだけ。古いことばを使えば,それは「信心」。いな,これこそが宗教の核心。「信ずる」ということが,どれほど大きな意味を持っているかということが,ようやくわかってきたようにおもいます。

 でも,まだまだ,どのように変化していくかはわかりません。道元さんのことばを借りれば「修証一等」です。つまり,死ぬまで悟りと修行の連続ですから。

 ここまで書いてきて,ふと,脳裏をよぎるのは,やはり『修証義』の第一節です。これもまた道元さんの名文の一つです。

 「生を明らめ,死を明らむるは仏家一大事の因縁なり,生死の中に仏あれば生死なし,但生死即ち涅槃と心得て,生死として厭うべきもなく,涅槃として欣うべきもなし,是時初めて生死を離るる分あり,唯一大事因縁と究尽すべし」。

 「生死を離るる分あり」ということばが,不思議な響きとともにこころにすとんと落ちてきます。よし,これで行こう,と。

2015年11月19日木曜日

「空腹」のすすめ。免疫力を高めるために。

 「癌」という字をよく見れば,「病だれ」に「品物」の「山」。
 つまり──食品を,山ほど食べれば,癌になる──という戒めなのです。

 『かんたん「一日一食」!!』(船瀬俊介著,講談社文庫,2015年8月初版)のP.306.からの引用です。散歩がてらの書店でみかけ,タイトルをみて,この本大丈夫かな,と首をかしげながら中味を拾い読み。やはり怪しいなぁとおもいながら第4章もめくってみる。ここから一気に正攻法。それまでは,もっぱら「体験談」で,いわゆる「ツカミ」の部分。しかし,第4章には,わたしをこころの底から納得させる理論が展開されていました。即,購入。

 「腹八分で医者いらず」
 「腹六分で老いを忘れる」
 「腹四分で神に近づく」
 (P.25.)

 むかしから言われてきた俚言です。科学とは無縁の「経験知」が生みだした智恵の産物です。このむかしの人の智恵が,最近の科学によって立証されるようになってきました。しかし,近代医学(西洋医学)と近代栄養学は,人間機械論の立場に立っていますので,むかしの人の智恵とはま逆の考え方をしています。すなわち,粗食ではなく,栄養価の高いものを,バランスよく,カロリーを計算して,一日3回食べなさい,というわけです。

 その結果は言うまでもなく「過食・運動不足」による肥満の大量生産です。要するに,からだが必要としない余分な栄養分も取り込み,それらが消費されることなくどんどん体内に蓄えられていくというわけです。この過剰な栄養が,じつは,からだには「毒」となり,病気の誘因になっている,と著者の船瀬氏は力説します。だから,減食をして,「空腹」を楽しむようにすれば,余分な栄養である「体毒」は燃焼したり,体外に排出されたりして,健康体をとりもどす,と。のみならず,「空腹」が免疫力を高めるので,悪い病気にとりつかれることも激減する,と説きます。

  この理論的根拠が,第4章にこってりと書き込まれています。そのごく基本的な考え方について述べておきますと,以下のとおりです。

 人間には,もともと「ホメオスターシス」(恒常性維持)という機能がからだに備わっている。からだをつねに一定の状態に保つはたらきのこと。たとえば,体温調節はその代表的なものの一つ。暑いときには汗をかいて体温を放出する,寒いときには身震いして熱を産出し体温を保つ,というわけです。これらは,自分の意思とはなんの関係もなく,からだのなかに備えられたホメオスターシスという仕組みが,自然にはたらくというわけです。このような仕組みが神経系(交感神経と副交感神経)やホルモン系(アドレナリン,インシュリン)をはじめ,からだを一定の状態に保つために,じつに巧妙に張りめぐらされています。

 このホメオスターシスのはたらきこそが,世間でいうところの免疫力であり,自然治癒力というわけです。しかも,このホメオスターシスをフル回転させ,万全の体勢を整えるためのウォーミング・アップが「空腹」状態だ,というのです。つまり,空腹はからだに「生体危急反応」を起こさせ,からだによくない危急状態に備えるのだ,というのです。もし,骨折したり,下痢をしたりしたときには,まずは断食をすることが一番なのだ,と。断食をすることによって,自然治癒力がフル回転し,骨折も下痢も自力で治してしまう,というわけです。

 まさか,骨折は断食とは関係ないだろう,と多くの人は考えます。しかし,シートンの『動物記』に,しばしば登場する狼は,骨折すると穴を掘ってその中にからだを隠し,骨折した前足を入口のところに出して砂をかけて一週間から10日ほど飲まず食わずでじっとしています。そとに出した前足の砂は雨に濡れて固くなり,ギブスの役割もはたしている,といいます。これだけで,狼は骨折が治るまでじっと断食をして待つ,という次第です。

 下痢の場合は,食べないでおくことが一番だ,ということは説明する必要はないでしょう。ことほど左様に内臓疾患の場合には,薬よりなにより,断食が一番だ,と船瀬氏は力説します。しかし,医者にかかると薬を与えられ,それを飲みます。すると,折角の持ち合わせの自然治癒力を発動させる機会を失い,ますます免疫力は低下していく,というわけです。

 そのもっとも典型的な事例が「風邪」です。市販薬がたくさん出回っていますので,自分で適当に薬を買ってきて飲用することは,もはや当たり前のようになっています。しかし,風邪もまた断食をして,自力で治すのが一番。そうすれば,免疫力が高まり,風邪が大流行しても,ひとり超然としていられるというわけです。

 この本は,基本的には,ファスティング(断食,減食,小食,など)によってデトックス(体毒の排出)し,「自己浄化」をめざすことを,微に入り細にわたり,ていねいに説いています。そして,どのような段階を踏んで,一日一食に到達するかを説いています。いきなり断食をしたり,小食にしたりするのではなく,自分のからだの声に耳を傾けながら,「空腹」を楽しめ,と説いています。このあたりのこともふくめて,わたしにはとても納得のいく一冊でした。

 ので,早速,手短にできるところからはじめることにしました。まずは,「空腹」を楽しむことから。つまり,一日に一回は「空腹」の時間をセットして,空腹を感じながら,「いいぞ,いいぞ」と声をかけ,「いま,ホメオスターシスにスイッチが入ったぞ」「さあ,来いっ!」と自作自演の演出を楽しんでいます。何カ月後には,たぶん,一日一食に到達することができるな,という確信のようなものも,いつのまにか芽生えてきています。

 「癌」という文字を筆で書いて飾り,「山のように食べてはいけない。病気になるぞ!」と言い聞かせながら・・・・。

2015年11月9日月曜日

MRIの検査結果がわかりました。

 今日(9日)の午後,MRIの検査結果を聞きに行ってきました。結論は,CTのときと同じでした。つまり,肝臓の末端に「一点」ものの転移が認められる,ということでした。肝臓のほかのところや,それ以外の臓器への転移もチェックしたが,とくに異常は認められなかったとのこと。そういう意味での「一点」ものの転移との診断でした。

 さて,ここからが問題です。担当医の総合的な見立ては以下のとおりです。

 現段階での検査技術でみるかぎり,一点ものであることはたしかである。しかし,肝臓の他の部位に癌の根がないとはいえない。ただ,見つけられないだけかもしれない。これはなんともいいようがないが,一応,視野のなかに入れておく必要がある。

 外科医としては,手術をお薦めする。しかし,短期間の間(二年間)に三度目の開腹手術をすることについては,かなりのリスクを覚悟しなくてはならない。とくに,高齢であること,それに伴う心臓・肺などの循環器系の機能の低下,低体重という体力の問題,などなど。手術をするとしたら,相当,慎重にならざるをえない。したがって,できることなら避けたいところ。

 第二の方法は,化学療法。つまり,抗ガン剤による治療。こちらは,入院して(2泊3日くらい)点滴で行う方法と飲み薬とを併用するもの。こちらの方法なら,まだみえていない癌の根にも効果が期待できる。ただし,この方法で,転移した癌を制圧できるかどうかは,やってみないとわからない。うまく効く人もいれば効かない人もいる。また,抗ガン剤の副作用もないとはいえない。

 いまのところ,この二つの方法を考えている,とのことでした。どちらにするかは,患者さんの意思による,とのこと。いますぐに結論をというわけにはいかないでしょうから,ご検討ください,と。

 一応,検討時間をということで,次回は12月17日(木)に外来の予約をとりました。それまでに,なんらかの結論を出すことにしました。

 帰宅してから,しまった,「QOL」の相談をしてくればよかった,と反省。つまり,この病院は,癌患者の「QOL」,つまり,Quolity of Life を支援するシステムをもっているかどうか,の確認です。でも,そういう対応ができる病院であれば,第三の方法として,これを提示することもできるはずですので,それがなかったということは,やはり,対応できないということなのでしょう。だとしたら,もし,患者がこれを選択した場合,病院はどのように対応してくれるのだろうか,とこのことも相談しておくべきだった,と反省。

 わたし自身としては,ある根拠があって,このQOL にはとても魅力を感じています。この問題は,また,機会をあらためてきちんと書いてみたいとおもいます。

 というわけで,とりあえず,12月17日(木)まで態度保留ということになりました。これから,じっくりと考え,相談できる人には相談に乗ってもらい,わたしの意思で最終決定をしたいと考えています。

 取り急ぎ,ご報告まで。

2015年11月2日月曜日

MRI の検査を受けてきました。結果は9日に。

 11月2日(月)。予定どおり,MRI の検査を受けてきました。朝食抜きで,午前10時から。

 朝から雨。それも風雨。しかも,気温が低い。傘をさして駅まで歩く間に両手が完全に冷えてしまって,痛いほどでした。手袋を・・・と出掛けにちらっとおもったのですが,まだ,早いだろうと判断したのが間違いでした。ひらめきは大事にしなくては・・・。

 病院に到着してもからだは冷えっぱなし。でも,すぐに検査にとりかかるという。少しからだを温めてからにしてほしい,と言えず(気が弱いものですから),そのまま検査室へ。造影剤を注入する針を入れる血管がみつからず,看護師さんが苦労する。しばらくの間,こすったり,叩いたりして,ようやく血管が浮き上がってくる。それで針を刺す。この針がまた長い。しかも,痛い。

 こんなことは初めてでしたが,検査室に入ると,すぐにヘッドホーンをつけられ,これで検査技師の指示を聞き取ってください,という。「大きく息を吸って,吐いて,止めて」という,例のやつだ。なるほど,と納得して横になる。これも初めてでしたが,両腕を頭の上に伸ばしたまま,円筒形の機器の中にベッドが移動して入っていく。この円筒形の機器の中でストップしたまま撮影に入るらしい。その空間がまたけたたましく狭い。

 しばらくしたら,ヘッドホーンからなにか声が聞こえてくるが,はっきりとは聞き取れない。これはいけない,と慌てて「聞こえませんッ!」と大きな声で何回も怒鳴っても,検査技師には聞こえないらしい。円筒形の中で両腕は頭の上に伸ばしたまま,しかも,胴体はしっかりとしたベルトで固定されている。この円筒形の機器の中から出るに出られない。困った。足元をみてみたら,足先が少しだけ円筒形の外にでていることがわかり,急いで,足をバタバタさせる。ようやく,検査技師が気づいて中に入ってきて「暴れないでください」という。冗談じゃあないとおもいながらも,「音声が聞き取れません」と,これまた遠慮がちに言う。「はい,わかりました。音声を調整します」ということで一件落着。

 かとおもいきや,検査がはじまると音声が次第に小さくなっていく。かすかに聞こえてくる「指示」にしたがって,なんとか検査を終える。あとで気づいたのは,ヘッドホーンがぶかぶかで,耳にうまくフィットしていなかった,ということ。これなどは初歩的なミス。

 途中で,「これから10分間,間を空けてから,また検査をはじめます」という。この間,なにも聞こえない,なにも見えない,いやーな気分。この10分間の長いことながいこと。円筒形の中に缶詰にされたまま,眼をつむって,ひたすら待つ。せめて音楽でも流してくれればいいのに・・・などと考える。そのうちに,尿意を催してきて,これとの闘いがはじまる。必死で我慢するのだが,これは無理だと考え,「トイレに行きたいのですが!」と数回,怒鳴ってみても応答なし。冷や汗を流しながら,必死で堪える。やがて,「検査を再開します」という音声。

 これはもう駄目だと諦めて,少しだけ「ちびる」ことに。ほんの少しだけ「ちびった」つもりだったのでけすが,終わってみたら立派に「びしょ濡れ」。薄いブルーの検査着に着替えていたので,大きな,りっぱな「世界地図」が出来上がっていました。「はい,お疲れさまでした」と言って入ってきた看護師さんに,ことの顛末を話す。「ああ,大丈夫ですよ。よくあることですから」とあっけらかんと言われてしまう。そうか,俺ひとりだけではないのだ,と知る。

 このシステムには致命的な欠陥がある。音声が一方通行である,ということだ。これが双方向になっていれば,会話ができる。患者の要望も即座に伝えることができる。しかし,そうではないのだ。だから,検査の途中で尿意を催してもトイレに行くことができず,不本意ながらも「もらす」ことに。こういうことはいくらでも起こりうる。

 もう一点は,円筒形の機器の中に入れられてから,今日の検査は「約40分」ほどかかります,と言われたこと。そのときは,「40分」かぁ,少し長いなぁ,でも大丈夫だろう,くらいにおもっていました。が,この検査室が想像以上に寒く,途中でからだが冷えてきて,「寒い」と吼えてみましたが,応答はありませんでした。いやな予感が現実になってしまい,後悔してしまいました。あらかじめ,「40分」という時間を知らせてくれれば,その前に準備ができたのに・・・・と。

 とまあ,文句たらたら。どこかのタイミングでこの欠陥は修正するよう言わなくては・・・・とおもいながら帰宅。

 結果は,専門医のコンファランスを経て,一週間後の9日(月)にわかる。まあ,どういう結果になろうとも,慌てるな,と自分に言い聞かせている。でも,やはり不安ではある。でも,仕方がない,ともおもう。やはり,かなり「揺れて」はいる。正直に白状してしまえば・・・・。あとは,運を天にまかせる以外にはない,とみずからに引導をわたす。幸運を祈るのみ。

2015年10月26日月曜日

CT検査の結果,転移の疑い。再度,精密検査をすることに。

 26日(月)の午後,CT検査の結果がわかりました。専門医のコンファランスの結果,転移の疑いがあるとのこと。場所は,肝臓の末端の表側に「一つ」。胆管には遠いところなので,外科医としては切除手術を薦めるとのこと。なお,慎重を期して,MRIでの検査をして,その他への転移がないかどうかを確認した上で,善後策を講じたいとのこと。

 その他の血液検査の結果は,総合的にはかなり回復してきており,順調な経過をたどっているとのこと。癌マーカーも反応なし。

 さてはて,参りました。限りなく黒に近い灰色だというのです。おろおろしていても仕方ありませんので,とりあえず,MRIの検査を受けることにして,つぎなる対策を考えることにしました。このままの流れですと,年内に切除手術ということになりそうです。もう一つの選択肢は,もう十分に生きたので,このまま放置して,元気なうちは好きなことをやり,あとはホスピスで,というものがあります。これも悪くはないなぁ,と視野のうちに入れています。

 そろそろ天命をまっとうしたと言ってもいい年齢にきていることも間違いありません。そのこころの準備もある程度はできています。

 しかし,残念なのは,この年齢になって,これまでむつかしくて歯が立たなかった哲学・思想の本が,ようやく読めるようになってきたということです。そして,ものごとを考える上での見晴らしがとてもよくなってきたばかりなので,もう少しだけ深淵を覗き見してみたい,という欲がでてきています。これさえなければ,もう少しかんたんに対応できるところなのですが・・・・。

 もっとも,こういう見晴らしのいいところにでてくることができたのも,癌と向き合い,二度の手術を経験したからかも知れません。なぜなら,それ以前とは,人生観が一変してしまい,まったく新たな地平に立ってものごとを考えることができるようになってきたからです。言ってしまえば,わたしの「生」の破局が,突然,目の前に立ち現れ,この破局との折り合いのつけ方そのものが忌避できない情況に追い込まれてしまったからです。

 こうなると,人間とは不思議なもので,みずからの「死」を視野に入れてものごとを考えることが当たり前になってきます。いままでは,遠いさきのことだとばかりおもってきた「死」が,もうすぐ目の前にきているのですから。もはや,くよくよしても仕方がありません。真っ正面から向き合い,目の前の「死」を少しでもさきおくりすることを考えるしかありません。こうなりますと,意外に,わたしの腹は決まってしまい,すっきりとしてきました。つまり,みずからの「死」を対象化し,一定の距離をもって対処することができるようになってくる,ということです。

 こういう経験は,当然のことながら,初めてのことですので,意外な発見の連続です。心境も驚くほど変化していきます。最終段階でこんな人生が待っていようとは夢にもおもいませんでした。これもまた面白い人生ではないか,とすらおもうほどです。

 つまり,「死」が視野に入ったとたんに,「生」がリアリティをもち始めたというわけです。すなわち,人間が「生きる」とはどういうことなのか,と本気で考えることができるようになった,というわけです。これもまた人生冥利につきると考えますと,人生観も世界観も一変してしまいます。こうして,広い意味での「宗教」が,自然に視野のなかに入ってきます。そして,じつに身近な,切実なテーマとなってきます。すると,道元さんの『正法眼蔵』が,もっと深いところで共振・共鳴できるようになってきます。

 こんな経験をしますと,やはり,もう少しだけ「生きてみたい」という未練が残ります。もう少し生きていたら,もっとよい見晴らしに到達することができるのではないか,と。でも,それは間違いのようです。道元さんに言わせれば,悟りは一瞬のできごとだといいます。しかも,その一瞬が連続していくというのです。死にいたるまで「只管打坐」だというのです。ということは,仏道もまた終わりがないということです。ましてや,人生に満足のいく終わりのあるはずがありません。

 どこかの時点で,「ここまで」と腹をくくる覚悟が必要なのでしょう。
 このあとに残されたわたしの人生は,その覚悟のタイミングをどこでとらえるか,にかかっているようです。それを楽しみにして,いまの一瞬,一瞬を生きていこうとおもいます。

 取り急ぎ,今日の検査結果を踏まえての心境を整理してみました。言ってみれば,自分自身への引導渡しのようなものですが・・・・。

2015年10月22日木曜日

術後3カ月の検診を受けてきました。

 肝臓への転移がみつかったのが6月の上旬。これによって,とうとうステージ4の末期癌の宣告。切除手術を受けるかどうか,さんざん考えた挙げ句,手術を受けることにしました。この段階で,放置するのはもったいない,という主治医の診断が大きな動機となりました。いろいろと詳しい説明を受けて,わたしなりに納得がいきましたので,決意しました。

 手術は7月7日。集中治療室に48時間。初発の胃ガンのときよりも,今回の術後の方がダメージは大きく,相当に堪えました。じっと我慢の日がつづきました。が,術後5日目くらいから,右肩上がりに回復のきざしがみえてきて,よし,復帰できる,と確信しました。気持ちが前向きになったせいか,リハビリ(歩行訓練)にも力が入りました。その結果,18日には退院することができました。入院11日間。主治医も信じられない,とのこと。

 それから3カ月。ここまでくるには,人には言えないからだの不調もありました。が,なんとか騙しだましして,回復曲線を描くように努力しました。いまも,まだ,完璧ではありません。が,かなりのところにまでは回復してきたのではないか,と自己診断をしています。酒も,日常的には飲んでいませんが,みんなと集まったときには,様子をうかがいながら飲んでいます。ひとりでは飲む気持ちにならない,というのが正直なところ。からだは嘘をつかない,とおもっています。ときおり,からだが予想外に元気なことがあります。そのときには「飲もうよ」とからだ催促してきます。ですから,最近は,もっぱら,自分のからだと会話しながら,日々の暮らし方を決めています。

 そんななかでの術後3カ月検診。朝食抜きで,朝一番の予約で病院へ。まずは,採血から。近頃は医療の中心は「血液検査」に移ったようで,患者本人の状態については,ほとんどなにも尋ねられなくなっている。言ってみれば,血液中心主義。医師は,血液検査の結果を,これまでのデータと突き合わせて,確認するだけ。検査・分析も機械が全部やって,その結果を数値化して,パソコンに入力するのも機械。医者はパソコンのディスプレイを覗きながら,若干の説明をしてくれるだけ。結果がよければ,「とてもいい状態ですね」で終わり。なんだか,味気ない。

 今日は,輸血の副作用がでていないかどうかの検査もやるというので(これは事前にわたしの意思を確認してのこと),少し多めに血液をとる。採決した管の数をみて,びっくり。まあ,こんなものかとおもっただけで,数えてもみない。このことがあってか,採決のあとはすぐに,点滴をする。そして,この点滴セットを引きずりながら,エコーの検査へ。これまでと比べるとかなりの時間をかけて丁寧にやってくれました。正面の腹全体と,右脇腹のかなりうしろまで。指示にしたがって「大きく息を吸って,止めて,はい楽にしてください」「少し吸って,少し吐いて,はい,そこで止めて,楽にしてください」などの繰り返し。

 これが終わると,こんどはCT検査。造影剤を注入すると,たちまちにして腹部全体が熱くなり,「気持ち悪くないですか」と確認して,いよいよ検査。といっても,横になった寝台ごと,丸い穴の中を一往復して終わり。呼吸も一回だけ。「大きく息を吸って,はい,止めて,楽にしてください」で終わり。あとは「水分を補給してください」との指示。

 外科の受け付けにもどって,窓口で「水を買いにいってきます」と告げて,院内のコンビニへ。もどって,待合室(といっても廊下)で水を飲みながら,点滴が終わるのを待つ。点滴が終わると,今日はここまで。結果についての診断は,26日(月)の午後。ちょっと間があきますが,結果がどうでるか,期待半分,不安半分。自己診断としては「きわめて良好」と,自分に言い聞かせています。そうしていないと,落ち着かないから。

 最後に会計へ。清算は機械の指示にしたがって行います。「診断カードを入れてください」「カードの向きを確認して,もう一度,入れてください」「確認ボタンを押してください」「お金をいれてください」(あるいは,クレジット・カードを入れてください)「領収書をお取りください」「おつりをお取りください」「診断カードをお取りください」「お忘れ物のないように」「お大事に」。

 なんだか,ジョージ・オウエルの『1984年』の世界が脳裏をよぎります。

 毎回,おもうことですが,いまや,人間は機械にコントロールされている,ということ。医療も,主要な部分は,ほとんど機械。医師はその結果を読み取って,総合的な判断をし,つぎの医療計画を立てるだけ・・・と懇意になった医師が教えてくれました。やがては,ロボット医師が,手術もやるようになるだろう,とのこと。実際に,患者として医療を受けていると,医師が直接,患者のからだに触れたり,問診をしたり,ということはほとんどない。なにか,ベルトコンベアの上に乗せられて,一巡してきて,終わり。なんだか「医療工場」に放り込まれた患者という名の「物体」(Koerper )でしかないではないか,としみじみおもう。

 どこか,基本的なところで,間違っているのではないか,といつもおもう。この点については,いつか,しっかりと考えて書いてみたいとおもう。題して,『患者学のすすめ』。

2015年9月1日火曜日

血液検査の結果良好。ガン・マーカーも異常なし。久しぶりの診察結果。

 今日(31日)は久しぶりの診察の日。すっかり忘れていて,今朝になって気づきました。午後2時の予約だったので,助かりました。呑気なものです。考えようによっては,診察日を忘れるくらいに順調にきていた,ということでもあります。

 少し早めに行って,採血。その結果がでるまでには1時間少々。その間に,病院の中にあるカフェで昼食(とろろそば)。とろろは食べたあと胃のなかでふくらむことを思い出し,しまったとおもうも手遅れ。途中で中休みをして,それでもいやしいので,全部たいらげてしまう。これがいけないのです。残せばいいのです。胃袋がいらない,と言ってるのですから。でも,近代栄養学に洗脳されてしまっているわたしの脳は「残さず食べろ」と命じます。しかも,そんなことをする必要はない,とわかっているのに,それでも脳にしたがってしまう馬鹿なわたし。

 もどってきて,診察の順番を待つ廊下の椅子で,持参した『竹内敏晴』(今野哲男著,言視舎刊,2015年6月,第一刷)を夢中になって読む。昨日,国会に向かう前に神田の信山社で購入したばかり。じつは,早い時点で,著者の今野さんからメールがあり,読後の感想を聞かせてほしいと言われ,早く購入しなくてはと焦っていたところです。メールをいただいてから入院手術などが割って入ってきてしまいましたので,すっかり後手になってしまいました。しかし,読み始めましたら,これはもうやめられないほどの,今野さんの渾身の力作評伝であることがわかりました。わたしの知らない竹内敏晴ワールドを存分に語ってくれていますので,とても勉強になります。いずれ,わたしたちの研究会でも合評会を・・・と考えながら読んでいます。

 さて,だいぶあって診察室から呼び出し。久しぶりにN医師の診察。にっこり笑顔で迎えてくださり,第一声,血液検査の結果はとてもきれいで問題はありません,と。これでもう帰ってもいいとおもうほど安心しました。が,N医師に促され,診察台に横になり,触診。ひととおり腹部全体を指で押しながら,状態はとてもいいようですね,と。このことばも嬉しいかぎり。

 そのあとで,血液検査の一覧表を手にして,かなり詳細な数値のもつ意味について話をしてくださいました。が,専門的なことはあまりよくわかりませんでしたが,肝臓の具合はこのあたりの項目の数値からわかります,と説明されるとなんとなくわかったような気分になり,安心するものです。ありがたいことです。

 ひととおり説明が終わったところで,次回の診察についての打ち合わせです。次回は10月に,術後3カ月ということで,血液検査と超音波とCTの検査をしましょう,ということになりました。それを見届けたところで,つぎなる対策を考えましょう,とのこと。次回は,わたしの考えをきちんと伝えなくてはいけないな,と覚悟。

 まあ,いずれにしても,まずは結果よし。
 これで,また少し元気になれそうですので,これまでにたまってしまっている仕事を片づけなくては・・・・と前向きに。

 以上,ご報告まで。 

2015年7月30日木曜日

この猛暑。ついに壊れたエアコンを買い換えることに。でも,取り付けは一週間後。

 連日の猛暑のなか,とうとう耐えきれずに,長年使わずにきたエアコンにスイッチ・オン。電源は入るもののエアコンとしての作動はせず。暖房にもならず。近くの量販店で相談したら,使用年数から判断して修理はむつかしい,という。仕方がないので,買い換えることに。

 もともとエアコンは嫌い。暑さは平気。汗もほとんどかかない体質。でも,水分だけは補給。もっとも原始的な方法で夏の猛暑もやりすごしてきた。しかし,ことしはそうはいかない。入院生活の後半は快適な環境に守られ,暑さも知らずにすごしていた。二度目の手術ということもあって,体力はさらに低下。ついていた筋肉の大半はそげ落ちてしまい,みじめな姿。

 そこに退院後の連日の猛暑。汗とともに体重がどんどん落ちていく。これはいけない,と反省。太極拳の稽古のあとのランチの折に,それとなく相談。異口同音に「それは駄目ですよ。体力が落ちているのだから,熱中症でやられてしまいますよ。すぐに買い換えて,猛暑に備えるべし」と厳しいおことば。そのとおり,と納得。

 ランチのあと,すぐに近くの量販店に行く。すでに,数日前にそれとなく相談し,ある程度の情報はえていたが,いまひとつ納得できなかったので留保。つまり,応対してくれた店員さんがなんとなく頼りない。が,今回,応対してくれた店員さんは適切に応対してくれ,信頼ができそうだったので,ここで決めようと腹をくくる。

 でも,いまはエアコンの取り付け工事が満杯で,今日(29日)頼んでも工事は一週間後だという。このあとになればなるほど,工事待ちの期間は長くなる,とか。それではなんの役にも立たなくなってしまうので,とりあえず,夕刻に出直して,購入手続をする。

 今朝も朝から高曇。薄日がさしたり隠れたりを繰り返している。風はほとんど無風。気温は鰻登り。朝から汗びっしょり。仕方がないので,扇風機で当座のところをしのぐことに。でも,首も振らない安物のサーテュレーターなので,あまり長いこと風に当たっているわけにもいかず・・・・。随時,つけては切ってを繰り返している。

 外からの風はときおり吹いてくる。マンションの9階なので,とても涼しげな風で気持がいい。が,すぐに止んでしまう。窓は東西にあるので,どちらからでも吹いてくれれば快適。しかし,最近のこの猛暑つづきの風は,ほとんど吹かない。そよそよと吹いていたかとおもうと,パタリと止んでしまう。情け容赦もないとはこのことだ。

 8月5日(水)の朝,工事の電話が入ってきて,時間の確約ができるとのこと。それまではじっと我慢の子。そのうち猛暑も終わるのではないか,と微妙な気分。でも,それまではひたすら耐えるのみ。なんとか体力を温存して,この猛暑を乗り切るしか方法はない。

 早く来い。8月5日。いまはその一念のみ。

2015年7月27日月曜日

退院後,初の診察。どこも問題ありません。アルコールもいいですよ。「エッ?」。一安心。

 今日(27日),退院後,初の診察を受けてきました。まずは,採血して血液検査。それと,胸部と腹部のレントゲン撮影。待つこと約1時間半。

 呼び出しがあって診察室へ。執刀医のN先生がにこやかに迎えてくださる。
 そして,第一声「どうですか,その後の調子は?」
 「順調にきているとおもいます」
 「そうでしょうね。今日の検査結果をみても,どこも問題はありません。肝機能もほとんどもとにもどっています。心配していた体内に体液が貯まったり,水が貯まったりすることもなく,とてもきれいに回復していることが確認できました。術後の経過としてはもはやなんの問題もありません。」
 「なにを食べてもいいですか」
 「もちろん,食事制限すべき理由はなにもありません。」
 「アルコールはしばらく辞めておこうかと考えていますが・・・・」
 「いや,飲んでも大丈夫ですよ。量さえ度がすぎなければ・・・」
 「エッ,ほんとうですか」
 「まだ,術後,日が浅いですから,飲み過ぎないようにさえ気をつけていれば・・・・」
 「まあ,加齢とともに量は減ってきていましたから,飲み過ぎはないとおもいますが・・・」
 「それなら安心です」
 「そろそろ遠出をしようかと考えていますが・・・・」
 「疲れを溜め込まないように気をつけていれば,多少の遠出は問題ありません」
 「ありがとうございました。それでは社会復帰を兼ねて,少しずつ行動半径を広げていこうかとおもいます。」
 「楽しい経験が待っているのであれば,遠出は大いに結構」
 「ありがとうございます。それでは,自分の体調と相談しながら,ペース配分を考えてみたいとおもいます」
 「それがいいとおもいます」

 というようなわけで,アルコールまで解禁。ちょっと信じられない話ですが,ほんとうの話です。でもまあ,アルコールは,もう少しさきまでお預けにしておこうとおもっています。

 いずれにしましても,わたしにとっては朗報。ここで躓いたらどうしよう・・・・という一抹の不安がないわけではなかったからです。こればっかりは運を天に委ねるしかない,と自分に言い聞かせての,初診察でした。

 ですから帰りの足の軽いこと。こんなに快調に歩けるのかとおもうほどのステップにわれながらびっくり。気持の問題は大事です。

 となれば,これから少しずつペースを上げていってもいいな,と皮算用。でも,疲れを残さないように,とN医師からの注意もありますので,それを念頭におきながら・・・・。

 以上,今日の診察の結果のご報告まで。

2015年7月25日土曜日

悔しい。デモに行く気力・体力がもどらない。明日は事務所往復にチャレンジを。

 今夜の「7・24」国会前集会には,日比谷公園と合わせて7万人が集まったという。今日はなんとしてもデモに参加しようとこころに決めていましたが,最後まで迷ったあげく,ついに諦めてしまいました。気力も体力もまだもどってはいない,と判断したからです。

 仮に,電車に乗って国会議事堂前駅に降り立ち,その場にほんの少しの間だけでも立って,一声,二声,叫んですぐに引き返してもいい・・・・とそこまで考えました。が,やはり駄目でした。どうしても,その気にならないのです。やはり,まだまだ,病の途中にあって,どうしても防衛反応の方が強いということがよくわかりました。

 そこで,まずは,明日(25日),鷺沼の事務所往復を試みてみようとおもっています。しばらく,事務所には行ってませんので,郵便物やらなにやらいっぱいたまっているはずです。その処理だけでもしておかないと,ひょっとしたら,重要な郵便物が届いているかもしれません。冷蔵庫の中のものも,処分しなくてはならないものがたくさんあるはず・・・・。

 第一,部屋の空気を入れ換えてやらないと,妙な匂いが定着してしまいます。

 もちろん,以前のように,パソコンをリュックに入れて担いで往復するのは無理だとおもいますので,一番小さなリュックを背負って,まずは「往復」することをめざして・・・・。それもできないようでしたら,これは重症ということになります。

 最大のネックは,筋力の低下です。からだに力が入らない。二回の手術の前までは,有り余るほどの筋肉が残っていたのに,二度の手術で,すっかり底をついてしまいました。こういうからだの状態というものは,初めての体験で,なにからなにまで試行錯誤しながらの模索状態です。

 とりわけ,背筋力の低下が激しい。それとなく手を背中にまわして探ってみますと,いままであったはずの筋肉がそっくりそげ落ちてしまっていて,直に,あばら骨が指先に当ります。もう一点は,腰のまわりの筋力の低下です。椅子に座っていても,長い時間は駄目です。すぐに,ベッドに行ってからだを伸ばしてやらないと,腰のまわりの筋肉が文句をいいます。少しだけでもいい,休ませてくれ・・・と。

 ですから,暇さえあればベッドで横になっています。毎食後,からだを横たえて休み,パソコンを少しいじっては横になり,散歩に行ってきてはベッドに横たわる,そんなぐーたらな生活を送っています。やはり,病人なんだなぁ,と自覚せざるをえません。

 このあたりのところは前回の術後とは大いに違う点です。前回は,まだ,体幹を支える筋力が,かなり残っていました。ですから,退院したその日の夕刻には夕食用の食材を買いにいそいそとでかけました。そして,どっさりと買った食材を,それほど重いともおもわずに持ち帰ることができました。今回はそうはいきません。小分けにして,何回も,スーパーを往復しています。

 とはいえ,鎮痛剤を飲まなくても痛みをやり過ごすことができるようになってきましたので,からだは大分楽になってきました。あと一週間もすれば,パソコンを背負って事務所に通うこともできるようになるでしょう。そこが,一つの目安です。

 そうなったら,金曜日の夜のデモにも参加できるようになるだろう,と希望をもっています。これから正念場を迎える参議院での審議に向けて,微力ながら,わたしも「7万分の1」(今夜の場合であれば)に加わりたいと切望しているところです。

 まずは,焦らず,じっくりと腰を据えて,社会復帰をめざしたいとおもっています。そして,その第一歩は,鷺沼の事務所往復から・・・・と。

2015年7月21日火曜日

自分の「からだ」を取り戻すということについて。

 点滴によって守られ,医科学的に管理された「からだ」から,経口食物によって栄養を補給し,自立(自律)する「からだ」への移行過程の考察。

 あるいは,歩行運動と胃腸の機能回復についての考察。

 歩くことが人間の基本運動であることを再認識するための考察。

 人間の脳はあとから取って付けた程度のものでしかなく,生命維持ということに関しては,ほとんど無能である,このことを実証するための考察。

 あるいはまた,本来の自己を取り戻す(道元禅師)ということの意味内容を明らかにするための考察。

 以上,本論考を完成させるためのサブタイトルをつけてみたら,全部で5本の論文が必要であることがわかった(笑い)。と同時に,これらのサブタイトルをつけてみたら,もう,この論考は完了したも同然であることも明らかとなった(笑い)。

 したがって,本論考は以上で終わり。

 以下は,後産的異物の排泄作用にすぎない。がしかし,この中にこそ本質的なことがらが含まれているのではないかと本気で考えているので,ぜひともご笑覧のほどを。

 医科学,恐るべし。患者本人の意思も意欲もなんのその,患者本人の肉体を完全に自家薬籠中のものとして,自由自在に操作し,ひたすら患部を除去したあとの肉体の機能回復をめざす。それはそれはそれはおみごととしか言いようのないものである。

 患者本人は,ただひたすら「激痛」との闘いだけで,あとはすべて医科学にみずからの肉体を委ねているだけ。その肉体は,ほぼ完璧にコントロールされ,栄養も満点なのであろう。「激痛」さえなければ快適ですらある。顔色はいいし,顔の皮膚もしっとりとしている。不思議なことに術後4日目には性欲すら湧いてくる。なんなんだ,これは?と考えてしまう。ひょっとしたら,生命体の最後の「悪あがき」?だとしたら,やばいぞ,と。でも,そうでもないらしい。翌日も,そのまた翌日も,同じように性欲が頭をもたげてくる。

 ところがである。おかゆからはじまる経口食物をとりはじめ,点滴が一つずつはずれていくにしたがって,この性欲は収まってしまった。完全に点滴が終わり,全粥からご飯になるころには,性欲は陰もなく消え去り,あれこれ想像力をたくましくしてみたところで「ピクリ」とも反応しない。あれれっ?

 ところがである。いよいよ本格的に歩行運動をはじめたころから,徐々に,食欲が湧いてきて,同時に,わたしのからだに「軸」のようなものが蘇ってくる。これはいいぞ,とばかりに距離をのばしていく。一日に2000mを超えたころから,なんと,ふたたび,性欲が立ち現れたではないか。「ナヌッ?」

 執刀医が回診にこられたときに,この話をむけてみる。大笑いして「そんな話は聞いたことがない」と執刀医。そうなんだ。患者には「とくに変わったことはありませんか」と問うだけで,あとは,パソコンのなかにデータ化された血液成分の状態や,レントゲン撮影の画像や,CTスキャンの画像とにらめっこなのだ。患者の病状は,データ化されたものだけで把握され,処方がされていく。

 しかし,生命体にとって性欲は重要である,とわたしは考えている。とりわけ,オスにとっては。健康状態がすこぶる良好なときには,毎朝のようにその「きざし」が立ち現れる。たとえ,一瞬のこととはいえ,これは健康のバロメーターのひとつとして,わたしにとっては重要であると長年,信じてきた。しかも,その性欲が朝だけではなく,読書中にも突然,立ち現れるようになれば,もう完璧である,といまでも信じている。

 だから,いまも,その日がくることをひたすら待ち望んでいる。もはや,ありえないことかもしれない。しかし,不可能ではないはずだ。しかも,ほんとうの意味で,自分の「からだ」を取り戻す,ということはこういうことなのではないか,と密かに期している。

 そんな日が,早やかれ遅かれ,かならずやってくるに違いないと信じて。
 これは,儚い夢,まぼろしなのだろうか・・・と半信半疑ながら・・・・。

2015年7月19日日曜日

娑婆にでてみたら,世の中,とんでもないことになっていた。浦島太郎症候群。

 15日ぶりで娑婆にでてきたら,世の中,騒然。とんでもないことになっていました。まるで浦島太郎症候群です。

 今日(19日)は朝からたまっていた新聞を大急ぎでめくってみました。この短期間のうちに,世の中,こんなことになっていたのかと驚くことばかり。

 しかし,なによりの「朗報」は,アベ内閣支持率が37%(毎日新聞)に急激に下がったこと。しかも,大手新聞社の調査結果も軒並み「30%台」だという。まずは,このことをなにより言祝ぎたいとおもいます。おそらくは、SEALDs の若者たちの大活躍が大きく影響しているものとおもわれます。そして,ようやく国民の多くが「目覚め」,これではいけない,と気づいたということなのでしょう。

 これほど政府・自民党が徹底してメディアに対する言論統制を強いてきたにもかかわらず,やはり,「真実の女神」は立ち現れるものです。今回は,「安保法制」=「戦争法案」というイメージがじわじわとひろがり,とりわけ,若者たちと幼い子どもをもつ母親たちが声を挙げ始めたことが大きな分水嶺となったようにおもいます。

 にもかかわらずコウムラ氏(高村)は,「支持率が下がっても安保法案は必要」と豪語しています。つまりは,民意など聞く耳はもたぬ,と声高らかに宣言しているのです。

 その一方で,新国立競技場問題については,朝令暮改(舛添)にも等しいやり方で,白紙撤回してしまいました。どうだ,やるべきときには「素早い決断」をして,民意に答えるのがアベ政権なのだと言わぬばかりのみごとなまでのスタンド・プレイでした。しかし,その「計算づくの演出」はまるみえで,裏の事情をある程度理解している人間からすると,まるで「猿芝居」そのものです。

 いちはやく『東京新聞』の朝刊は,スポーツ基金を取り崩して建設費にまわし,そのツケを五輪後も毎年,国費で5億円を補填する,という合意が財務省と文科省の間で取り交わされた,とすっぱ抜いています。しかも,エンドレスだという。なんというお粗末。スポーツ基金は選手育成のための助成金を出すための基金。これを建設費に使ってしまってどうするというのでしょう。もう,わけのわからないことを平気でやるのが,いまのアベ内閣です。

 さあ,アベ君は「白紙撤回」などと大見得を切ってみせたものの,その化けの皮ははやくもはがれはじめています。これも,どうやらアベ君独特の計算の上に立つ得意の「大嘘」のようだ。となると,その落としどころをどこに求めて行くことになるのか。みものだ。官邸主導とはいえ,事務局は五輪担当大臣のところに置かれた。水面下では,森喜朗組織委員会委員長を筆頭に,これから,さまざまな裏取引がなされることになるだろう。責任問題と抱き合わせにして・・・・。

 せっかく「白紙撤回」したのだから,これからの会議は国民も参加した公開のガラス張りで行われるのが理想だ。そうすれば,あらゆる疑惑から解放され,みんなが納得のいく結論にいたるはず。それができなかったら,元の木阿弥。またまた,とんでもない「伏魔殿」での「密室会議」のはじまりです。そして,総経費は国民の顔色をうかがいながら,いつしかとんでもない額に達するのではないか,とわたしは推測しています。最後は,「時間がない」で逃げ切る。常套手段。「60日ルール」の応用編。

 建築エコノミストの森山高志さんは,旧国立競技場は使い勝手がよく,建築的にも傑作だったのだから,これを若干の手直しをして復元することを提案している。そうすれば,図面も全部あるし,工期も短くて済むし,経費もかからない,という。しかも,このことは官邸の勉強会でも説明済みだという。

 これを承知の上で,官邸はどの手を打ってくるのか。なにせ,沖縄の辺野古問題では徹底して民意を無視しているし,安保法制でも民意を完全に無視して,平気な官邸である。新国立競技場問題も,最後は,官邸の独断先行で押し切ってしまうでしょう。そういう「体質」なのだから。人の話に耳を傾けることなど,とうてい想定できない。それがアベ政権だ。

 だから「安倍政治をゆるさない」というカードを掲げる女性デモが,静かなブームを呼んでいる。このカードをかかげて静かに行進する。いかにも,女性らしい,がしかし,力強い意思表明ではある。

 どうやら,新国立競技場問題と安保法制とは「セット」で国会論議を呼ぶことになりそうだ。新国立競技場問題は,わたしが承知しているだけでも,もっともっと深いところに根があるのだから,つまり,政権の意思決定の方法は同根という意味で,ワン・セットにしてとことん問題を掘り下げてほしい。野党にそれだけの力があるかどうか,そこが問題だが・・・・。

 いやはや,これから会期末まで,国会から眼が離せない。また,国会前でのデモも眼が離せない。なんとか早く体力を回復して,でかけることができるようになりたいものだ。

 退院早々,大問題に直面。えらいこっちゃ,です。

2015年7月18日土曜日

退院。やっぱり家(うち)はいいのん。まずはベッドの上で大の字になってのん。最高だにぃ。

 病院のベッドじゃあのん,幅が狭(せば)いもんだいのん。両腕を広げて寝るわけにゃあいかんだぁのん。ああ,やっぱり家(うち)の幅の広いベッドはいいのん。大の字になれるで。これで,やっとかめで家(うち)に帰ってきたなぁ,としみじみおもうだぁのん。からど(体)がどえらいよろこんどるだにぃ。

 考えてみりゃぁ,こんどで2回目。前は去年の2月。胃ガンがみつかってのん。ほいでぇ,3分の2を切り取っただぁのん。そんときも,どえらい治りがよくて,手術後11日で退院しただあのん。こんだは肝臓に転移がみつかっちゃってのん。3分の1を切り取っただぁのん。こんだも治りが早くてお医者さんにのん,ほめられただにぃ。こんだは手術後12日で退院。ありがたいことだぁのん。

 2回もこんなことを経験してのん。あれやこれや考えることはどだくさんあるだぁのん。ほいでも,最初に思い浮かぶのはのん。どんだけ多くの人たちに支えられてわし(私)という人間が生きとるか,ちゅうことだのん。直にゃぁ,ほりゃあ,病院の先生や看護師の衆たちのお蔭だあのん。ほりゃあまあ,当たり前のこととしてもだのん。家族や友人たちの温かい励まし・・・・,ここからさきを思い浮かべていったらきりがないでのん。

 なんでわかったかちゅうとのん。スペインでダンス公演をやって帰ってきた人から話を聞いて,びっくりだぁのん。あの衆はのん,成田空港からまっすぐ病院に駆けつけてくれて,いきなり「ハグ」されてのん。日本から指令があって,稲垣先生のために「気」を送れって言われたので,必死になってスペインから送ってくれただげなあ。まっと話を聞いてみりゃあのん。稲垣先生に「気」を送るネットワークがあって,みんなが連絡し合って「気」を繰り返し,繰り返し送ってくれただげなぁ。ありがたいことだあのん。

 そのせいずらのん。一日,一日,わしのからどがぐんぐんよくなるのがわかったでのん。不思議なくらいに。なんでだろなあ,とぼんやり考えとっただあのん。ひょっとしたら,なにか想像もつかない大きな力が味方になってくれとるのかなぁ,とのん。たいていのん。よくなる人たちっちゅうのはのん。こういう力に導かれているのじゃないか,とわしゃあおもうだのん。

 ほいだで,みんなが送ってくれた「気」も,この大きな「力」と一緒になって,わしのからどに届けてくれたのかなぁ,とそうおもうだあのん。そうおもうとありがたくて,ありがたくて,泣けてきちゃうだにぃ。宇宙・天地・自然であるマクロ・コスモスと,わしゃんとう一人ひとりのからどやこころであるミクロ・コスモスとは一直線につながっておってのん。それがお互いに共振・共鳴したとき,なにかが起きる,そういうとんでもないパワーが生まれるっちゅうでのん。

 田舎の小さな禅寺で育ったわしゃあのん。すぐに,道元さんの『正法眼蔵』を思い出すだあのん。そんなかに,そういうことがいっぱい書いてあるでのん。まあ,この話はまたやるとしてだのん。どえらいありがたい「力」に支えられてるっちゅうことを,こんだほど実感したこたあないだあのん。 

 ほいでも3度目はまあいいのん。こりごりだぁのん。
 なんとか救ってもらえるようにお釈迦さまに,まっとまじめにお祈りすることにするだあのん。
 まずは,『般若心経』を朝夕に唱えることから・・・・。
 天地・宇宙と我との一体化を念じて・・・・。

 まずは,家(うち)に帰って,ほッ。