2012年12月31日月曜日

西谷修編『<復帰>40年の沖縄と日本─自立の鉱脈を掘る』(せりか書房)を読む。

 奥付をみると,12月26日第一刷発行,とある。発行されたばかりのほやほやの本を,西谷さんが送ってくださった。いつもながらの温かい気配りが嬉しい。

 喜び勇んで,パッと開いたところが,偶然にも,真島一郎さんの「異族の論理─死者的な」の冒頭だった。このタイトルに惹きつけられるようにして,いきなり,ここから読みはじめた。沖縄を語るときに「異族の論理」と聞けば,わたしたちの年齢なら,まずは吉本隆明の名を思い浮かべるだろう。そして,吉本のこの論考が当時(1970年ころ)の沖縄の反復帰論に檄をとばすことになり,大きな運動の輪がひろがったはかりではなく,反復帰論の理論武装に火がつき,その思想的な深化を要請することになったことも,よく知られているとおりである。そして,それは恐るべき議論の深まりをみせることになり,結果的には,反復帰論の歴史的な論考がつぎつぎに生まれ,こんにちもなお読み継がれている。

 当時の沖縄の反復帰論を支えた3人の代表的な論者のうちのひとり,川満信一さんの論考に,真島さんが注目し,この人の論考をこのテクストのひとつの重要な柱に据えていることが,これまた無性に嬉しかった。というのも,これまでこのブログでもしばしば書いてきたように,この夏の奄美自由大学(今福龍太主宰)で川満さんと初めてお会いし,親しくお話をさせていただいたからである。しかも,その折に,川満さんの個人誌『カオスの貌』の最新号をいただいた。そこには,みずからの少年時代をふり返ったかのような自伝ともいうべき小説が収録されていた。そして,すぐに吸い込まれるようにして読んだ。ちょっと表現のしようがないほど,深く感動した。なぜなら,川満さんがこれまでいろいろのところで書かれてきた「宮古の原思想」ともいうべき「共生の紐帯」「相扶の力」の,原体験が少年の目をとおしてそのままリアルに描かれていたからである。その日暮らしの貧しさのなかで,お互いに生き延びるための村人たちの智慧の凝集がそこにはあった。ここが人間の生きる「根」なのだ,とじっと目を凝らしている川満さんのまなざしが痛いほどわたしのこころに伝わってくる。そうか,こういう「根」があってこそ,川満さんの「琉球共和社会憲法」の草案が起草されることになったのだ,とこころの底から納得してしまう。(「琉球共和社会」であって,「琉球共和国」ではないことに留意を)

 さらに,真島さんは,川満さんのこうした反復帰論と目取真俊の文学作品や評論とをリンクさせ,ここにも深く「異族の論理」が共振・共鳴しているとして,具体的な分析を試みている。目取真の作品は一度でも読んだことがある人なら,あの作品から伝わってくる異様な迫力をわすれることはないだろう。そして,つぎつぎに生み出されてくる目取真作品を追いつづけることになるだろう。かく申すわたしもそのひとりで,いつのまにか目取真作品を追いつづけている。だから,真島さんに導かれるようにして,わたしの理解をはるかに超えたところでの,川満さんと目取真さんの思想の深みへと誘われていく。そこにまた,仲里効さんの批評(『オキナワ,イメージの縁(エッジ)』2007,『フォトネシア』2009,『悲しき亜言語帯』2012,の批評三部作,いずれも未來社刊)を絡ませて,真島さんは反復帰論の「根」を探り当てようと試みる。

 等し並みにオキナワのことはある程度はわかっていたつもりでいたが,この真島さんの論考を読んで,木っ端みじんに打ち砕かれてしまった。深い思想に裏付けされたオキナワ論が自分のことばで語れないかぎり,それは素人の評論と変わらない。つまり,批評のレベルには達しないということだ。

 それから,あわてて,冒頭の編者(西谷修)のはしがきから慎重に読みはじめる。そこには,このテクストの成り立ちと吉本隆明との関連づけがきちんと述べられている。そして,冒頭論文の西谷修「擬制の終焉」──沖縄「復帰」40年も,それにつづく仲里効さんの「内的境界と自立の思想的拠点──ウンタマギルーの眉間の槍は抜かれたか?のいずれも,(そして,もちろん真島さんの「異族の論理──死者的な」も)吉本論文と連動するものであることが明かされている。つまり,「擬制の終焉」「自立の思想的拠点」「異族の論理」である。

 西谷さんと仲里さんの論考については,ここであえて指摘するまでもなく絶品である。西谷さんのいつものとおりの透徹したまなざしは,わたしにとってはいつものとおりのありがたい導きの糸(Leitfaden)であり,仲里さんの批評性に溢れる濃密な論考は,やはり,ウチナンチュとして苦楽をともにしてきた内側からのまなざしに支えられ,「内的境界」(フィヒテ『ドイツ国民に告ぐ』)ということばの意味をさらに深化させてくれている。そして,仲里さんの批評家としての「エッジ」に立つ鋭い問題の指摘は,ただただ感動するのみである。

 ここまで読んだときに,ふと,そのむかし,恩師の岸野雄三先生から「スポーツに思想はあるか」と問題を投げかけられ,その応答に窮したことを思い出す。そして,いまなら,わたしはなんと答えるだろうか,と腕を組んで考える。

 スポーツは政治とは無関係の,独立した文化領域である,などというユートピア的なスポーツ観(論)がまことしやかに語られ,教えられていた,のどかな時代に先生は「スポーツに思想はあるか」とわたしに問題を投げかけてこられたのである。その頃,先生はマルクスの『資本論』の世界に深く入り込んでいた。そして,「君,『資本論』,読んだ?」とも問われた。背中を冷や汗が流れた。以後,のどに魚の骨がひっかかったように,ことあるごとにこの二つの問いがわたしの意識に蘇ってくる。そして,そのたびに思想,思想と尋ね回るようになった。そのころに,西谷修さんとの出会いがあった。思い返せばもう長い時間が流れている。そして,ずいぶんといろいろのことをご教授いただいた。今回のこのテクストもまた,それである。

 そして,今回は,いきなり真島さんの論考との出会いであった。それも,「ヤマトのアフリカニストとしての自己否定がかかっている」という強烈なことばが,シンポジウムのときの真島さんの発言のなかにあって,それがずっとわたしの頭のなかを渦巻いていた。だから,なおさらである。

 そうか,アフリカをフィールドにして研究してこられた真島さんは,沖縄の問題とアフリカの問題は多少の地平の違いはあるにしても,その根源にある人間の生きる「根」は同じだ,というところに視線を据えて微動だにしない。そんな強い信念・意志のようなものがわたしには伝わってきた。だから,逆に,ここで沖縄が議論されるのと同じ位相でスポーツ文化を語ることができるか,ときびしく問い詰められているようにも,わたしには聞こえてくる。つまり,いま,現実に世界のなかで起きていることは,沖縄であれ,スポーツであれ,アフリカのダン族のすもう「ゴン」であれ,みんな同じ力学のもとに置かれているということだ。それらを,いかに思想のことばで語ることができるのか,それが問われているのだ・・・・と。

 ここまで考えが及んだときに,わたしは恥ずかしくなって,急いで本屋に走った。もう,かなり前に真島一郎編『二〇世紀<アフリカ>の固体形成──南北アメリカ・カリブ・アフリカからの問い』(平凡社,2011)を手にとり,すごい本がでているなぁと思いながら拾い読みをしていた。が,購入するにはいたらなかった。理由はかんたん。7,500円という値段に腰が引けてしまったのである。本との出会いというのは微妙である。タイミングというものが必要だ。つまり,こちらのレディネスがないと本の価値はまるで別のものになってしまう。

 が,今回は違う。こんな田舎の本屋にしては珍しく,本文だけで700ページを優に越える大部の本が置いてあるのだ。ひょっとしたら売れてしまっているのではないか,といささか焦りながら本屋に走る。久し振りのドキドキ体験である。いいなぁ,まるで少年時代にもどったようで・・・・。

 もちろん,本はあった。さて,こんどは真島さんの「序・固体形成論」に挑戦である。しっかり読み込んだ上で,年が明けたら,できるだけ早く真島さんに会いにいこう。そして,3月9日(土)にお願いがしてある講演とその後のディスカッションの進め方についてのご相談を・・・。楽しみである。
もちろん,テーマはコートジボアール・ダン族のすもう「ゴン」について。このすもう「ゴン」がダン族にとっての「根」であることは間違いないのだから・・・・。

2012年12月30日日曜日

年賀状・雑感。

 正月の楽しみは,なんといっても賀状を読むことからはじまります。日頃,ご無沙汰している人からの賀状はとくに楽しみです。ああ,みんな元気にやっているんだ,と安心もします。

 なのに,昨年末には身辺に想定外のことが起こり,とうとう年賀状を欠礼してしまいました。少なくとも成人してから初めてのことでした。いつものように賀状をくださった方々にはたいへん申し訳ないことをした,といまも反省しています。

 ですから,ことしこそきちんと年賀状を出そうとこころに決めていました。が,情けないことに,ことしもとうとう間に合わず,正月になってからとりかかることになってしまいました。残念。

 ことしも,すでに,「喪中につき・・・」というご挨拶状をたくさんいただきました。考えてみれば,わたしもことしは「喪中」の人でした。ですから,賀状は控えるべきか,としばらく考えもしました。しかし,天寿をまっとうした人の場合には,むしろ誇りに思うべし,祝うべしとみずからに言い聞かせ,賀状を出そうと決めました。喪中でも賀状を出すことについては,賛否両論があることも,新聞などで読んで承知しています。そこで,一般論はともかくとして,自分にとって賀状とはなにかと考えました。その結論は,ただでさえ人と人とのつながりが希薄化している時代であるからこそ賀状を出すべし,というのがひとつ。もうひとつは,加齢とともに交際範囲もどんどん減っていく現状を鑑み,賀状は出すべし,というところに落ち着きました。

 それよりも,賀状の内容をどうするか,といろいろ考えてきました。
 若いころには,時間に余裕があったわけでもないのに,何日もかけて版画を彫り,それも何色もの色を重ねる凝った賀状にこだわっていました。また,そういう版画好きの仲間もいて,お互いに交換することを楽しみにもしていました。うーん,あいつ,腕を上げたなぁ,とか。ことしは手抜きをしたなぁ,とか。たぶん,お互いにそんな感想を共有していたのだろう,といまになっては懐かしい思い出です。が,そういう仲間もいつのまにか,出来合いの印刷賀状になり,表書きもパソコン印刷。そこに,ひとことふたこと添え書きがありました。その添え書きも,最近はなくなり,なんとも味わいのない賀状になっています。いまでは,その人の痕跡はどこにも見当たりません。せめて宛て名書きくらいは,手書きで書いてくれればいいのに,などと思ったりしています。そうすれば,相変わらず元気な字だから当分は大丈夫だろう,と想像することもできます。あるいは,字に力がなくなってきたなぁ,ことしは一度,顔をみにでかけようか,と思ったりすることもできます。が,パソコン印刷は,そういう情報もありません。

 人のふりみてわがふり糺せ,といいます。が,情けないことにわたしも,版画はとうに諦め,宛て名書きも毛筆から万年筆に,そして,いまではボールペン。ただ,出来合いの印刷だけはなんとか回避して,自分で文案を考え,パソコン印刷。そこに,干支のゴム印を押して,少しだけ体裁を整えるよう努力しています。さらに,できるだけ,その人に向けた気持ちを籠めたメッセージのある添え書きを書き込むことにしています。が,それでも,いつのまにかマンネリ化してしまい,同じパターンの繰り返しになっています。

 ことしも,そこから大きく抜け出すことはできそうにありませんが,なんとか頑張って毛筆で宛て名書きをすることに挑戦してみようと思っています。筆で文字を書くことは嫌いではありませんので,このあたりから,ことしは少しだけ自分を変えていこうかと考えています。

 気がつけば,戦後民主主義と同時に日本の社会に導入された「生活の合理化」の考え方,すなわち,数量的合理主義,効率主義に,わたし自身のライフ・スタイルも完全に毒されてしまっている,という次第です。その結果は,たとえば,年賀状の書き方に象徴的に現れている,というわけです。そこから抜け出すライフ・スタイルへの挑戦,その第一歩として毛筆の宛て名書きを,という次第です。

 賀状を手にとって,何秒,その人の目で眺めてもらえるか,そして,喜んでもらえるか,そこに思いを籠めて。表書きで「何秒」,裏の挨拶文で「何秒」,じっと眺めてもらえるに値する賀状をめざしたいと思います。できることなら,ひととおり全部の賀状を見終わったあとも,ふたたび,抜き出してきて,眺めてもらえたら・・・・などと夢想しています。

 賀状もまた「贈与」(マルセル・モース)の一種です。そう考えると,賀状なんか,などとないがしろにすることはできません。やはり,なんらかの意味が,このせちがらい現代社会にあっても,持ちつづけているからこそ賀状の交換はいまもなされるのだと思います。そして,そこに形骸化の波が押し寄せてきていますので,この波を押し返して,もっと「贈与」(Gift)としての「毒」(霊魂)を盛り込もう,という次第です。

 これもまた「根をもつこと」(シモーヌ・ヴェイユ)のひとつの重要な営みではないか,と。ヴェイユのことばを借りれば,まさに「魂の欲求」を根づかせるための「義務」である,と。

 賀状をこんなところから,もう一度,考え直してみようと,いまのいま,考えているところです。

2012年12月29日土曜日

ことし最後の『週刊読書人』(新年特大号)がおもしろい。

 毎週金曜日に発行される『週刊読書人』のことし最後の号がとどいた。朝から興奮しながら読んだ。久し振りの快感。

 一面トップは「柄谷行人氏ロングインタビュー<『哲学の起源』刊行を機に>。大きな顔写真をみて,ああ,老人の顔になってきたなぁ,と思って年齢をみたらわたしより若いことを知り,びっくりである。これまでずっとわたしより年配の人だと思い込んでいた。が,そうではなかった。早くから注目され,多くの仕事をしてこられたので,わたしよりもずっと年上の人だと思っていた。が,そうではなかった。これは意外な発見。

いつも楽しみにしているのは,どの本を,だれが,どのように批評するのか,ということだ。今週は三つの書評がわたしの目を引いた。

 ひとつは,合田正人による鈴木順子著『シモーヌ・ヴェイユ 「犠牲」の思想』(藤原書店)。最近,読んだばかりの本だったので,合田さんがどのような批評を展開するのか,とても興味があった。わずかしかないスペースに,あれもこれもと書き込んでいくので,かなり難解な,抽象的な表現が多くなる。これはある程度は仕方のないことだ。でも,前半部分のほめ言葉から,後半部分に入るとかなり手厳しくなる。わたしは,このブログでも取り上げだように,後半に入るにしたがって,鋭さと同時に,それはどうかと思う部分が多くなり,最後の終章にいたっては,ほとんど絶望的だった。さすがに合田さんはそこまでは書いていないが,それでもかなりそれに近い表現をしている。たとえば,「本書の最後の部分で言及されているバタイユやモースの「犠牲」ないし「供犠」との対決が今後要求されるかもしれない」は,わたしとまったく同感である。このことについても,わたしのブログで触れているので,参照していただきたい。

 ふたつには,やまだようこによる鎌田東二著『古事記ワンダーランド』(角川学芸出版発行)。鎌田さんは,もうずいぶん前になるが,わたしの所属しているスポーツ史学会で特別講演をしていただいたことがある。そのご縁で,この人の独特のコスモロジーに立つ論考を何冊か読ませてもらっている。ある意味では隠れファンのひとりでもある。そんな親しみをもっているので,やまだようこさんの書評をとても興味深く読んだ。「うた」の観点から読みほぐす,優れた入門書としても,という小見出しにも惹かれて,やはり,買って読もうという気にさせられてしまった。よく知られているように『古事記』をどう読むかはとてもむつかしい。つまり,虚と実の区別がつかないのである。そこを「うた」の観点から踏み込んでいこうとした鎌田さんの読解は,やはり,魅力的だ。いま,ちょうど野見宿禰のことを考えつづけているので,この本は参考になるかもしれない。

 みっつめは,姜信子さんによる辺見庸著『明日なき今日』(毎日新聞社)。冒頭の見出しに大きく「覚悟を迫る書」と黒地に白抜きの文字が躍る。「おまえはことばのために死ねるか?」という小見出しもあって,文字どおり迫力満点。姜さんの気魄が,この書評のどのことばにも乗り移り,一分の隙もなく,わたしに迫ってくる。いかにも姜さんらしい矜持が光る。ことしの奄美自由大学で初めてご本人にお会いし,ああ,こういう人だったのか,となぜかひどく納得させられた。とくに,深夜,みんな寝てしまってからもつづいた川満信一さんを囲む3人の女性の輪のなかにわたしも加わっていて,とても興奮したことを思い出す。そのとき,姜さんは,まわりの興奮とは別の世界にいるかのように耳を傾け,ことば少なに,これぞという決めのことばを発していたように記憶する。そのとき,姜さんは「わたしは徹底して頭の人間なので,そこからいかにして抜け出すか,そして魂(ということばを用いたかどうかは定かではない)の人間になりたい」という趣旨の発言をされた。このことばが強く印象に残っている。そんなことを思い出しながら,この書評を読んだ。

 姜さんはつぎのように書く。
 覚悟を迫る書である。
 辺見庸は言う。ニッポン人は,国に棄てられても,国にしがみつく。原発安全神話,米軍抑止力神話,経済成長神話,皇軍不敗神話,天皇神話,もう終わったはずの近代の発想と絡み合うさまざまな神話に身を委ねて,「個」であることをみずから捨てる。そして,いまや,目の前には虚無,真暗で何もない空虚。
 ほら3・11以降,福島の乳牛の廃棄処分の乳に白く濁った川のように,白濁したかのような世の中で,われらはますます目を白く濁らせて生きているじゃないか。悲惨なリアリティのその表面だけが見栄えよくコーティングされていくそのスピードで,なんの痛みもないかのように,あっという間に記憶も薄まっているじゃないか。すべての倫理も正義も飲みこんでゆく巨大な海綿のようなもののなかで,破滅の自覚のないまま滅びつつあるじゃないか。たちこめる死の匂いが見事に脱臭されてゆくなかで,ことばも嘘くさく脱臭されるばかりじゃないか。われわれは狂いつつあるじゃないか・・・。そんな辺見庸の声を,ひりひりと聴く自分がいる。

 じつは,辺見庸の本も,ほとんど欠かさず好んで読んできた。かれの全体重をかけた生きざまがそのまま文章になって紡ぎだされる,身を切るような文章に,いつも圧倒されてきた。だから,姜さんが「覚悟を迫る書である」と書いた瞬間から,なぜか,わたしのからだは身構えている。やはり,読まずにはすまされない,と。

 真っ正面から辺見と向き合った姜さんの批評。著者も著者なら評者も評者だ。一歩も譲ろうとはしない。真剣勝負がそこにある。そのピンと張りつめた緊張感が,わたしの怠惰な感性を目覚めさせる。こういう書評を,わたしもいつかは書けるようになるのだろうか。ほんとうに「批評」することのレベルに到達できるのだろうか,と考えてしまう。

 なぜなら,今福さんの『ブラジルのホモ・ルーデンス』サッカー批評原論を読んでから,「スポーツ批評」という土俵を遅ればせてがら,なにがなんでもつくらなくてはいけない,と考えはじめいまもその試行錯誤がつづいているからだ。

 こんなことまで思い起こさせる姜信子さんの書評に接して,わたしは幸せである。来年の奄美でふたたびお会いすることはできるのだろうか。楽しみである。

ということで,今日のところはここまで。

2012年12月28日金曜日

『相撲雑記』(柴田晴廣著,PDF私家版)を読む。野見宿禰の話題が満載。

 12月25日のわたしのブログ「上宮天満宮と野身神社で考える。「奴婢」という記録を社碑に刻んでいることの意味」にコメントを入れてくださった柴田晴廣さんが,表記のように『相撲雑記』(PDF私家版)を送信してくださいました。念入りにもCD版も郵送してくださいました。ありがたいことです。ちょっとだけ,余談ですが,柴田さんのように本名でコメントを入れてくれる人を熱烈歓迎したいと思います。

 じつは,柴田さんには大著『穂国幻史考』という入魂の著作があり,これもすでに送っていただいていました。この本のことについては,ほんの少しだけでしたが,このブログにも書かせていただきました。「穂国」(ほのくに)とは,愛知県三河地方の豊川(とよがわ・川の名前)の右岸にひろがる旧・宝飯郡の古代の名称(略称)です。この地域の歴史を古代から掘り起こしつつ,こんにちに伝承されている祭祀にいたるまで,文献とフィールドワークを重ね合わせながら考察した,もじどおりの力作です。

 この柴田さんの渾身の力作のなかに,野見宿禰の話が盛り沢山に記述されています。この本のなかにも,じつは,今回のブログにコメントを入れてくださったように,「野見」は韓国語の「奴の」の発音にきわめて近いので,野見の姓はそこからきているのではないか,というとても魅力的な仮説が提示されています。もちろん,著作のなかでは,もっと丁寧に順を追って詳しく論を展開しておられます。

 そこに今回は『相撲雑記』を送ってくださった,という次第です。もちろん,今回のこの私家版にも,野見宿禰に関する考察はてんこ盛りです。よくぞまあここまで調べ上げたものだと驚くばかりです。およそ,手にすることのできる文献はもれなく渉猟し,それらをベースにして,柴田さん独特の史観にたつ推理を展開していきます。これがまたきわめて魅力的です。えっ,そうなの?というような発見が随所に見られます。わたしのようなちょいかじりの日本古代史への関心から野見宿禰を推理するなどというレベルをはるかに超えでています。ですから,わたしにとってはとても参考になる,これからの調査のヒントになる,重要な指摘がふんだんに盛り込まれていますので,とても助かります。

 たとえば,愛知県にも野見宿禰がらみの土地や伝承があちこちに散在するという柴田さんの興味深いご指摘があります。それらも一つひとつ資料にもとづいて,地名や伝承が紹介されています。それどころか,柴田さんの生まれ育った土地であり,いまもそこに根を下ろして生活していらっしゃる「牛久保町」も,もともとは宝飯郡であり,つまり「穂国」です。その「穂国」と野見宿禰は切っても切れない関係がある,という柴田さんのご指摘は,初めて読んだときには眼からうろこでした。今回,再読してみて,ますます納得のいくものとなりました。穂国の隣の町が,わたしが小学校から高校卒業まで住んでいた故郷です。とても他人事ではありません。

 このブログにも書きましたが,笹踊りというお祭りのときに踊られるこの地域独特の伝統芸能がありますが,それも共有している土地柄です。つまり,文化圏としてはまったく同じです。そして,なぜ,この地にだけこの踊りが伝承されているのか,柴田さんは丹念に調べ上げて『穂国幻史考』のなかで論じておられます。まあ,言ってみれば,同じ三河弁で郷土史を語り合える,ありがたい友人がひとり増えたという思いです。

 いささか脱線してしまいましたが,もとにもどしましょう。ところで,全国に広がる天満宮の数の多さについては,つとに知られているとおりですが,野見神社の数も数えていくと相当のものになるのではないか,といまごろになって気づいた次第です。それも,柴田さんの研究をとおして,やっと気づいたことです。

 柴田さんのような,いわゆる郷土史家は,日本全国にかなりの方がいらっしゃると思います。が,柴田さんほど素直に,ご自分の興味・関心ひとすじに,とことんテーマを追いつづける方も少ないのではないかと思います。その情熱,バイタリティにはこころから敬意を表したいと思います。日本の権威主義的なアカデミズムは,こういう地道な研究者の存在を無視するのでしょうが,それは間違いだと思います。アカデミックな研究方法や目的意識にがちがちに縛られるあまりに,ほんとうの興味・関心とは遠ざかってしまう研究,つまり研究のための研究から,いかにして脱出するか,ということがこれからの重要な課題だと思います。とりわけ,「3・11」以後を生きるわたしたちにとっては,不可欠です。その意味で,柴田さんの存在は大きいと思います。

 これからの柴田さんのご活躍をこころから期待したいと思います。

 というところで,今日のところはここまで。

〔追記〕
 このブログに関して,柴田晴廣さんから,かなり手厳しいコメントをいただきました。かんたんに述べておけば,「わたしは単なる郷土史家ではない,そんなつもりは毛頭ない」というものです。この点については,柴田さんの名誉にもかかわる問題ですので,わたしなりの考えを応答として,補足のコメントをさせていただきました。とても,重要なことがらですので,ぜひ,ご確認くださるよう,お願いいたします。

2012年12月27日木曜日

野見宿禰・考。上宮天満宮の謎をめぐって。

 上宮天満宮が築造されたときの伝承の概略は以下のようです。

 菅原道真の子孫からは代々,立派な学者が輩出し,朝廷にも重く取り立てられていました。その功績によって,菅原道真の汚名はきれいに拭いさられ,ついには,朝廷から「正一位」の位が道真に追賜されることになります。そして,道真の何代目かの子孫の一人が(名前は調べればすぐにわかるのですが,省略),朝廷からの使者として太宰府に向かいます。その帰路,いまの高槻市に住む豪族のところに宿ります。そして,その翌朝,牛車で出発しようとしたところが,牛がうずくまったまま動こうとはしません。これは変だということになり,この牛の行為の意味を占ったところ,この地にも道真の霊を祀る社をつくるべし,とでます。そこで,大急ぎで道真を祀る社をつくることになります。それが,現在の上宮天満宮だ,というのです。しかも,そこには野見宿禰の墳墓があったというのです。それが,いまの野身神社です。


 この話はどう考えてみても,できすぎです。これだけうまくできているということは,なにか,理由があるはずです。
 ほんとうの話は以下のようではなかったか,とわたしは推測しています。

 菅原家(菅家)の子孫が代々優れた学者を輩出しているという事実から考えてみても,野見宿禰の墳墓がこの地に祀られているということは充分承知していたと思います。ですから,正一位の位を追賜されたのを機会に,始祖の野見宿禰の墳墓のある地に道真の社を築造しようと子孫たちが考えるのはきわめて自然です。その計画を朝廷に願いでて,その許可をえて実行した。だから,上宮天満宮と名づけられたのでしょう。そして,そののちに北野天満宮が朝廷によって築造されることになります。

 
ここにうずくまる牛の話を盛り込むところが,菅原家の智慧だったのかも知れません。つまり,菅家一族の一存で,野見宿禰の墳墓の地に天満宮を築造するのは憚られたのでしょう。そこで,一計を案じて「うずくまる牛」を演出し,菅家の意志ではなく,神の声,神のご意志によるとして,天満宮築造の許可を朝廷からえたのではないか,とまあ,これはわたしの勝手な想像です。そうすることによって,またまた,あらぬ讒言にさらされる愚を防止したのでは・・・?と。

 ですから,高槻市野見町に鎮座する野見神社が,上宮天満宮にある野身神社から野見宿禰を勧請して合祀し,社名を牛頭天王社から野見神社に変える・・・という一連の流れは,わたしにとってはごく自然なことだったと考えられます。が,なぜか,野見神社の社務所では,野見宿禰を合祀した理由はわかりません,と不思議な説明をしています。このことを秘さなければならない,なにか,とくべつの理由でもあるのだろうか,とわたしは逆に勘繰ってしまいます。

 今回のフィールドワークをとおして考えることはたくさんありました。しかも,まだまだ未解決なことばかりです。が,少なくとも,野見宿禰についての,これまでのわたしの理解をはるかに越える重要な情報がえられ,大満足でした。が,宿題も多くみつかりました。これからの楽しみにしておきたいと思います。

 なお,今城塚古墳をめぐる継体天皇に関する情報も,帰宅してから,いろいろの文献で確認してみました。なぜか,埴輪をつくる土師氏と継体天皇とは,これまた密接な関係があったこともわかってきました。しかも,その拠点は越の国であり,この天皇もまた忽然と歴史上に現れます。その天皇の墳墓が今城塚古墳として,なにゆえに高槻市に存在するのか,これもまた謎です。

 野見宿禰も,あるとき忽然と歴史上に登場します。そして,こちらは土師氏の名前を天皇から授かります。そして,埴輪と葬送儀礼の職能集団として大きな勢力を誇ることになります。継体天皇もまた忽然と現れ,なぜか埴輪と深い縁で結ばれています。しかも,この継体天皇がこんにちの天皇家の始祖ではないか,という説が根強く残っています。いまも,それを主張する学者もいます。なのに,なぜか今城塚古墳は宮内庁の管轄ではありません。長い間,放置されたままになっていいました。これもまた不思議なことのひとつです。

そのお蔭といってはなんですが,この古墳は広く市民に解放されていて,古墳の上を散策することもできます。また,発掘された埴輪の一部を模造して,オープン・スペースに展示してあります。それが,葬送の行列になっています。その中に,4体の力士埴輪が含まれています。古代にあっては,力士もまた葬送儀礼と深く結びついていました。野見宿禰が強い力士としてその名を馳せていたというのも故無しとしません。なお,葬祭儀礼と力士の関係は,世界的な現象でもあります。

 以上,とりあえず,今回のフィールドワークをきっかけに,わたしの思考を触発した,わたしにとってはとても面白いと思われることがらについて書き記してみました。この話題はひとまず,ここで終わりにしておきます。なお,ブログですので,資料や典拠についてはすべて割愛しました。お許しのほどを。
上宮天満宮の本殿。
屋根は竹でできているとても珍しい社殿のつくりです。
境内にはおびただしい竹林があるので,それを用いたとのこと。でも,それだけではない,というのがわたしの推理。この写真は,本殿の横から写したもの。正面は左側。







2012年12月26日水曜日

野見宿禰は野見姓を嫌い,菅原姓へ。それでも消えぬ蔑視を考える。

 野見宿禰の「野見」の姓は,なにか不都合があるのか,その字に当て字をして,野身,濃味,濃美,などヴァリエーションとして用いています。能見,能美,などもその流れを汲むヴァリエーションなのかな,とわたしは考えています。しかし,なぜ,「野見」という姓を,わざわざ当て字にして,別の名乗りをしなくてはならなかったのでしょうか。

 野見宿禰は,埴輪の提言(生き埋めという人身供犠を廃止)という功績が認められて,土師氏を名乗ることが許されます。土師氏とは,断るまでもなく,土器や埴輪を制作する専門家としての職称です。これによって,野見宿禰一族は土師氏として立派な職能集団として律令制のもとに公認されることになります。にもかかわらず,野身神社の社碑に記されているように,野見一族には奴婢として生きる野身・濃味・濃美を名乗る集団が誕生します。しかも,それらは東大寺の公奴婢(くぬひ)であり,良民と同格であるということを強く意識して刻まれたものだと考えられます。つまり,野見宿禰が垂仁天皇に取り立てられて立身出世していく片側では,まだまだ低い身分のまま苦労を重ねなくてはならない一族がいたということでもあります。これはとても不思議なことです。

 いったい野見宿禰の出自はどうだったのでしょうか。伝承されているのは,アマテラスとスサノオの誓約(うけい)の結果,生まれたとする天穂日之命ということになっています。そのつながりでしょうか,高槻市の野見神社の祭神は素盞鳴尊と野見宿禰です。しかも,野見神社となる前の名前は,牛頭天王社でした。スサノオ=牛頭天王は同一神と考えられていますから,なんの矛盾もありません。しかし,このような,ある種の操作はのちの人間にとって都合のいいように辻褄合わせをしたものであることは間違いありません。なぜなら,そんなに立派な出自の子孫が,奴婢として扱われたり,土師氏として名乗ることを認められる,ということは明らかに矛盾しています。しかも,野見一族の実態は,葬送儀礼に従事する職能集団にすぎません。

 野見宿禰の子孫は代々,優秀な人材が生まれたらしく,歴代の天皇に篤くもてなされています。それでも,何代目かの野見宿禰は当麻の地の代わりに菅原村への移住を天皇に懇願します。そして,その願いが叶い,菅原宿禰を名乗ることになります。これは明らかに葬送儀礼の職能集団である「野見」一族であるという人びとの記憶を断ち切ることが目的でした。しかし,人びとの記憶はそんなに簡単に消えるものではありません。

 それでも,野見一族,あるいは,それに代わる菅原一族からは続々と優れた人材が誕生します。そのピークをなした人物が菅原道真というわけです。とうとう右大臣にまでのぼり詰めます。ところが,平安貴族たちの妬みを買い,とうとうかれらの讒言により,太宰府に流されることになったことは,よく知られているとおりです。その根拠が,もとを糺せば奴婢であり,葬送儀礼の職能集団の出身ではないか,というものです。つまり,身分の低い者が・・・という蔑視です。

 「野見」という姓そのものが,どうやら葬送儀礼を連想させる身分と密接につながっていたように,いまになっては思われて仕方がありません。野見を,野身,濃味,濃美,と表記を変えてみても,音は同じです。つまり,どの音を当て字にして用いようが,意味は同じです。

 ここで考えなければならないことは,野見宿禰はたまたま天皇に見出され,立身出世をするけれども,その他の一党の人びとはきわめて身分の低い人びとのままだった,ということです。たぶん,もともとの出自は,奴婢にも入れてもらえない,いまでいえは,戸籍もない人びとだったのではないか。ひょっとしたら,河童の仲間?そこから,たまたま野見宿禰のような優秀な人材が輩出したということだったのではないか。と,このフィールドワークをとおして,そのように考えています。

 今城塚古墳から出土した膨大な量の葬送儀礼の行列をなす埴輪,継体天皇(継体大王)のものと考えられている前方後円墳=今城塚古墳,そこから南にくだった野見町に鎮座する野見神社,その野見神社の祭神はもともとは素盞鳴尊一人だったのですが,上宮天満宮の境内に鎮座する野身神社の祭神野見宿禰を勧請して合祀し,いまは二人の神さまが祀られています。野見町に住む氏地内氏子と呼ばれる人びとの思いが,ようやく叶えられたのではないか,というのがわたしの推測です。

 しかも,なによりも,上宮天満宮のこの地への造営の話と野見宿禰の古墳墓といわれる野身神社がここに存在するということの意味が,わたしにとってはきわめて重くのしかかってきます。つまり,伝承されている話は逆ではないか,というわけです。この話は,稿を改めて書いてみたいと思います。

 この謎解きは際限がありません。
 が,今回のフィールドワークをとおして,少しだけ深いところに足を踏み入れることができたかな,と思っています。そして,これからやらなくてはならないこともたくさん見えてきました。古代史の謎解きはまだまだつづきそうです。

 というところで,今日はここまで。

2012年12月25日火曜日

上宮天満宮と野身神社で考える。「奴婢」という記録を社碑に刻んでいることの意味。

 JRの高槻駅から北に向かって伸びている大通りをそのまま歩いていくと,ものの10分ほどで上宮天満宮に突き当たります。大きな鳥居があって,すぐに石の階段がはじまります。登り詰めたところから平らな境内に入っていきます。

 石の階段を登り詰めて,右側をややふり返るようなところに野身神社と書いた幟旗が立っています。幟旗から石段を登ると石の柵で周囲をしっかりと囲まれた中に小さな祠が立っているだけの神社です。ここが野見宿禰の墓で,もとは古墳になっていた,と信頼できる書籍に書かれています。初めてこの事実を知ったとき,わたしは大きな驚きを感じました。なぜなら,なぜ,野見宿禰がこの地に葬られなければならなかったのか,その理由がわからなかったからです。

 たとえば,『記紀』の記述のとおり,出雲出身の人であるなら,出雲の地に葬られているのが自然です。が,奇妙なことに,出雲と野見宿禰の関係性は,どう考えてみてもほとんどなにもありません。出雲には,一般に知られている野見神社もなければ,天満宮もありません。たぶん,なんの縁故関係もなかったのではないか,と最近では考えています。

 では,その出雲とはなにか。奈良県の長谷寺にいく途中に,そのむかし出雲と呼ばれていた土地があったといわれています。しかも,そこには「出雲」と書いた碑がぽつんと立っています。この出雲が,出雲大社のある出雲とどのような関係があったのかも,いまは,わかっていません。が,いずれにしても,野見宿禰が垂仁天皇に呼び出されて,当麻蹴速と相撲をとるときには,ここに住んでいたのではないか,というのがわたしたちの研究者仲間での合意点です。なぜなら,垂仁天皇に呼び出されて,その日のうちに相撲をとった,と記録されているからです。島根県の出雲からやってきたのでは,とても一日どころか,何日も要したことでしょう。

 今回のフィールドワークでは,いささか驚くべき発見がありました。野身神社の手前の石段の左側に「野身神社・野見神社」と書いた碑が立っています。以前,ここを訪れたときには,どうして二つの名前が彫ってあるのかなぁ,くらいの認識でした。でも,今回はちょっと違いました。「野身」と「野見」は同じ一族で,その両方の祖先神,すなわち,野見宿禰を祀っているのだということを,あえて明らかにしているんだなぁ,と納得。でも,あえてそのようにしなくてはならない理由がなにかあるな,と気づきました。

 しかし,です。まさに,しかし,です。この「野身神社・野見神社」と書かれた碑の横になにやら小さな文字が刻まれています。よく見ると,「野身郷・野身里・濃味里・濃美郷」と書かれていて,いずれも天平15年東大寺奴婢,とあります。

 こうなってきますと,わたしの推理は千々に乱れてきます。
 たとえば,野見宿禰は垂仁天皇に仕えることになりますが,聖武天皇の天平時代には,その一族の住む野身郷・野身里・濃味里・濃美郷は東大寺の奴婢であったというのです。奴婢というのは,古代の賤民の総称です。律令制では官有の公(く)奴婢と民有の私奴婢に分けられています。前者は口分田(くぶんでん)を良民なみ,後者は良民の三分の一と定められています。奴婢の総数は良民の10%足らずで,そのうちの大半は民有の奴婢だったと推定されています。この奴婢の制度は10世紀ころにはほぼ解放された,ということです。

 このことを念頭に置いて考えてみますと,野見宿禰とその家系だけは別格に扱われたようですが,それ以外の一族は奴婢として扱われ人たちがいた,ということがわかります。その差別化のためでしょうか,野見ではなく,野身,濃味,濃美,という当て字が用いられています。それでも東大寺の奴婢であったということは,公奴婢であったわけで,良民なみの口分田を与えられていた,ということがわかります。

 ということは,東大寺奴婢と,あえてここに彫り込んであるということは「良民」並の立派な身分であったということを立証するためだった,と読むことができます。ということは,なにを意味しているのだろうか,という新たな疑問が湧いてきます。

 そこには,野見宿禰の出自にまつわる蔑視の問題があるのでは,というのがわたしの推測です。この蔑視の問題は,上宮天満宮の祭神である菅原道真公にいたるまで,ずっとつづきます。昨日の野見神社の社務所の人の説明も,どこか釈然としないのは,どうやらこの蔑視観と関係があるようです。

 さて,ここからさきの推理については,稿を改めて,このブログで書いてみたいと思います。というところで,今日はここまで。
社碑の側面の記録
上の記録の下に刻まれている文字

2012年12月24日月曜日

野見神社(高槻市野見町に鎮座)で考える。野見宿禰を合祀したことの意味。

 今城塚古墳は高槻市の北側の山と南側の平地の中間くらいの台地に位置します。そこから平地に向かってくだって行ったところに野見神社があります。それが高槻市野見町に鎮座している野見神社です。小じんまりとした清楚な神社です。

 しかし,ここの神社の入り口に立っている碑文を読んで,おやっ,と思いました。それによると,上宮天満宮にある野身神社を合祀して,それ以後,この神社を野見神社と呼ぶことになった,と書いてあります。では,以前はなんという名の神社だったのか,という疑問がすぐにわきました。

 そこで社務所の窓口で聞いてみました。すると,以前は牛頭天王社と言っていました。祭神は須佐之尊(素盞鳴尊)です。スサノオノミコトと牛頭天王(ゴズテンノウ)とは同一神ですので,この名で呼ばれていたとのこと。しかし,そこに上宮天満宮にある野身神社の祭神である野見宿禰をこちらに移して合祀したので,それを機会に牛頭天王社から野見神社と名前を変更した,というのです。そして,驚いたのは,こちらから問う前に「なぜ,野見宿禰を祭神として合祀したのか,その理由はわかりません」と言って,ガラス戸を締められてしまいました。

 おやおやと思いましたが,同時に,「やはり」とひらめくものがありました。どこか奥歯にものがひっかかった印象が強く残りました。なぜか,野見宿禰の話には深入りしたくない,という話のようです。どうしてなのだろうか,わたしの疑問はますます増大していきます。なにかがそこに隠されている。秘密のなにかがある,と。

 たとえば,この野見神社(それまで牛頭天王社と呼ばれていた)のある地名は野見町といいます。しかも,この地に野見一族が住んでいたので,この地名が残ったという記録をわたしはすでに確認しています。ですから,いまもその流れを汲む人びとが大勢住んでいるとしてもなんの不思議もありません。むしろ,その方が自然です。でも,そのあたりのことは,これからの調査をまつしかありません。

 が,面白いことに,社務所の前に置いてあった野見神社の社報「斎ひ槻(いわいつき)」には,つぎのような記述があります。

 従来より氏地に居住されておられる方を対象とした氏子様には個別にご案内させていただいておりました諸活動の案内及び特典ですが,氏地外にお住まいの皆様に対しても,今後神社祭事の尚一層の充実・発展を図るため・・・・・

 という具合です。「氏地に居住している氏子様」という表現をみて,びっくり仰天です。ここで,わたしの脳裏にピンとくるのは,奈良県の柳生の里の話です。この柳生の里では,氏子以外の人は居住が許されていない,と聞いています。氏地内の学校に勤務している先生であっても,家を建ててそこに居住することは許されない,とか。ですから,氏地外から通うか,下宿をさせてもらうしか方法はありません。そして,氏地内で生まれ育った人であれば氏地の外で長く住んでいても,いつでももどってきて家を建てることはできる,という話です。奈良の山奥にいくと,氏子や垣内(かいと)だけで構成されている集落があちこちにいまも存在します。

 一般的に祭神を素盞鳴尊にしている小さな神社の多くは,最初にその地に住みついた祖先を祖神とする,といわれています。ですから,全国津々浦々にいたるまで「素盞鳴尊」を祭神とする小さな神社があります。

 このように考えてみますと,高槻市野見町の住民は,どういう人たちなのだろうか,とその内実が知りたくなります。これも,こんごの調査をまつことにしたいと思います。

 もし,野見町に住む氏子さんの多くが,野見宿禰にゆかりの人たちだとしたら,牛頭天王社の祭神に野見宿禰を合祀することになんの依存もないはずですし,むしろ,大歓迎だったのではないかと思います。いやいや,氏子さんたちの強い希望があって,この合祀がかなったのではないか,とわたしは考えたいところです。

 なぜ,このように考えるのか,その理由については,このつぎのブログで書いてみたいと思います。今日のところは,ここまで。

今城塚古墳で考える。力士埴輪と野見宿禰のことを。

 高槻市にある史跡今城塚古墳に行ってきました。そのついでに,野見神社と上宮天満宮をまわってきました。いずれも二回目のフィールド・ワークでしたが,新たにいろいろの発見(気づき)があって,大満足。やはり,現場に立つということの大切さをしみじみと感じました。

 今回のフィールド・ワークの主たる目的は,野見宿禰について考えることでした。野見宿禰については,出雲出身の人ということになっていますが,一説では大阪方面の出身という説があります。古代史は謎だらけですが,この人の存在も多くの謎につつまれています。

 『記紀』の記録を確認してみても,野見宿禰は突然,登場します。それも,よく知られているとおり力士として登場します。そして,その功績により,天皇に仕える重要な人物となり,その子孫も代々,天皇に仕えます。その末裔が菅原道真というわけです。この野見宿禰一族と菅原道真にいたるまでの謎解きをしてみたいとかねがね考えてきました。が,遅々としてその作業は進みません。そのうちに時間切れになってしまいそうですので,なんとか動けるうちに動こうというわけです。

 その手始めに,まずは,史跡今城塚古墳から出土している力士埴輪を,もう一度,この目で確かめることにしました。ここには4体の力士埴輪が,露天に展示されています。よくみると,嬉しそうな笑顔です。片手を挙げて,「やあ,久し振り」と友だちに声をかけているようにも見えます。この力士がなにを表現しているのか,もちろん,どこにも説明がありません。が,この問題は,もっとあとでしっかり考えてみることにします。

 その前に,この今城塚古墳の存在そのものが謎だらけですので,その周辺に思いを馳せてみたいと思います。とりあえず,今城塚古代歴史館で発行しているリーフレットによれば,以下のとおりです。

 今城塚古墳は,6世紀前半に築かれた,二重の濠をそなえる淀川流域最大の前方後円墳です。学術的には,継体大王(聖徳太子の直系の曾祖父)の真の陵墓といわれています。10年間にわたる発掘調査では,日本最大級の埴輪祭祀場や,墳丘内石積,石室基盤工といった当時最先端の土木技術などの貴重な発見が相次ぎました。どうやって造られたか,どのようなまつりが行われたか,しかも誰が葬られたかを具体的に考えることができる唯一の大王墓として,かけがえのない歴史遺産です。

とあります。実際に,この古墳の前に立ってみますと,その大きさに驚きます。中央にある前方後円墳そのものは,あちこち崩れていて,変形していますが(古墳の上を散策できるようになっている),全体像のもつ迫力は満点です。奈良の唐招提寺の近くにある垂仁天皇陵よりも大きいのではないか,とわたしは考えています。その今城塚古墳の内濠を囲む土手の上に,<大王墓の葬送儀礼>の行列が復元されています。その行列は,家,門,塀,太刀,盾,武人,巫女,力士,動物などで構成されています。これを眺めているだけで,さまざまな連想がはじまります。なんとも不思議な人びとの群れになっています。

 このあたりには古墳があちこちに散在していて,それらを総称して三島古墳群と呼んでいます。そこから出土する埴輪の数は膨大なもので,なぜ,これほどの埴輪がこの地から出土するのか,いまのところ不明とされています。ただ,埴輪を製造する技術をもった土師氏の一族が大勢住んでいたのは間違いなさそうです。土師氏を名乗ることを許された最初の人物は,ほかならぬ野見宿禰です。この一族がむかしからここを拠点にして,とてつもなく大きな勢力を誇っていたのではないか,そのひとりが継体天皇として知られる人ではないか,というのがわたしの推理です。なお,今城塚古代歴史館では,継体天皇ということばは使わず,継体大王と呼んでいます。なぜ,そのように表記しているのか,もう少し予備知識をもってから,学芸員の方にお尋ねしてみたいと思っています。

 そこには,大きな謎が潜んでいる,とだけここでは記しておきたいと思います。その理由は,このあとにつづくブログで少しずつ明らかにしてみたいと思います。

後ろは今城塚古墳








とりあえず,今日のところはここまで。

2012年12月22日土曜日

『根をもつこと』(シモーヌ・ヴェイユ著,富原眞弓訳,岩波文庫)読解・その2.

 本を終わりの方から読むということがあってもいいと前から思っている。とりわけ,同じテクストの二度目,三度目の読み込みのときには有効だと,以前から思っていた。このシモーヌ・ヴェイユのテクストもそれに該当する,そういう本だと思う。

 テクストの全体像が見えてきてからの再読解には,むしろ,その方が有効だ。『根をもつこと』の再読解には,ことのほか,そういう読み方が要求されているように思う。このブログの前回の読解も,一番大事と思われるところからはじまった。そして,その読み込みをさらに深くするためには,その前段でどのような思考が展開されているのか,そこを確認する必要がある。

 ここでも,その伝にならい,前回のブログのつづきを追ってみることにしよう。読解・その1.で引用した文章のすぐ前には,つぎのような文章がある。

 ・・・・・全面的な犠牲の瞬間にあってさえ,いかなる集団にたいしても糧にたいして払うべき敬意に類する敬意しか払うべきではない。
 しかるに役割の転倒が生じるのは稀ではない。ある種の集団は糧となるどころか,逆に魂を食らいつくす。このような場合,そこには社会的な病がある。第一の義務は治療を試みることだ。状況しだいでは外科的手段に着想を得る必要もあろう。
 この点でも,集団の内部にいると外部にいるとを問わず,義務は同一である。
 集団がその成員の魂に充分な糧を与えないこともある。その場合は改善策が必要となる。
 あるいはまた,死んだ集団も存在する。魂をむさぼり食らうこともないが,糧を与えて養うこともない。一時的な仮死ではなく息絶えているのが確実なら,その場合にかぎりこれらの集団を滅ぼすべきである。

 引用文の冒頭にある「全面的な犠牲の瞬間にあってさえ」というのは,ヴェイユがスペイン人民戦争の兵士として出願し,銃をもった経験がその背景にある。フランコ将軍派に対抗する人民派にみずからの存在のすべてを犠牲として捧げたこと,そして,人民派に与することこそ魂の生の欲求にしたがう「義務」であると考え,行動したヴェイユの姿勢がそこには籠められている。そういう場合にあっても,「糧にたいして払うべき敬意」以外は,すべて意味はないとヴェイユは断言する。この指摘はきわめて重要である。

 しかし,そこを区分けするのは容易ではない。だから,「役割の転換が生じるのは稀ではない」とヴェイユは指摘する。そして「ある種の集団は糧となるどころか,逆に魂を食らいつくす」という。こういう文章に出会うとわたしの全身に電気が走る。わたしの経験してきた体育会系の少なからぬ集団が,これにみごとに該当するからである。「糧となるどころか,逆に魂を食らいつくす」事例を,わたしは不幸にして多く知っている。もちろん,ヴェイユは,スポーツの世界のことを念頭に置いてこの文章を書いているわけではない。そうではなくて,もっと一般的な集団の事例を念頭において,この問題を取り上げていることは言うまでもない。

 役割が転換してしまった集団について,「そこには病がある」とヴェイユは指摘する。つまり,魂の生の欲求にたいして糧をもたらさない集団は「病がある」と断言する。だから,「治療」が必要なのだ,と。なんと明解なことか。しかも,それがわれわれにとっての第一の「義務」なのだ,と。その義務は,「集団の内部にいると外部にいるとを問わず」同じだ,とヴェイユは断言する。しかも,集団がその成員の魂に充分な糧を与えなかったら,ただちに「改善策が必要になる」という。

 「死んだ集団も存在する」ので,「息絶えているのが確実」なら,滅ぼすべきである,とヴェイユは言い切っている。言い方を変えれば,「死んだも同然の集団も存在する」ので,それが事実なら,ただちにつぶすべきである,ということになろう。

 これに該当するスポーツ界の事例をあげるのは,いとも簡単なことである。あちこちにこのような事例が転がっているから。

 スポーツの集団は,きわめて有効な役割を果たすと同時に,それとは真逆の役割を果たすことも少なくない。スポーツの集団とはそういう諸刃の剣なのである。

 もう一歩だけ踏み込んでおけば,ヴェイユのいう「義務」を履行するということの意味は,きわめて微妙な問題領域を,魂の生の欲求の「糧」となるかどうかを基準にして,慎重に腑分けしていく作業でもあるということだ。

2012年12月21日金曜日

『根をもつこと』(シモーヌ・ヴェイユ著,富原眞弓訳,岩波文庫)読解・その1.

  22日(土)の大阪学院大学で開催される研究会(詳細については「21世紀スポーツ文化研究所」のHP,掲示板を参照のこと)に備えて,シモーヌ・ヴェイユの『根をもつこと』(冨原眞弓訳,岩波文庫)を読み込んでいる。上下2巻の大作にして難解な内容なので骨が折れるが,ようやく全体像がわたしの視野のなかに入ってきた。

 そこで,思いきって言ってしまえば,このテクストの大事な部分は,冒頭の8ページから17ページまでのたった10ページ。ここにヴェイユが言わんとする核心部分が凝縮されている。しかしながら,その密度があまりに高いので,読解にはたいへんなエネルギーを必要とする。しかし,何回も読み返しているうちに,なんとかそのイメージはつかめてくる。もちろん,18日のブログに書いたような,その他の解説書を参照しながら,分け入っていくのであるが・・・・。

 で、その核心部分の10ページの最後のところ,すなわち17ページの終わりのところに,このテクストとしては,おそらくもっとも重要なヴェイユの思想が書き込まれているように思う。今回は,この部分に焦点をあてて,考えてみたいと思う。

 まずは,その部分を引用しておこう。

 最初におこなうべきは,糧や睡眠や熱といった肉体の生の欲求に対応する魂の生の欲求にかんする研究である。これらの欲求を列挙し定義せねばならない。
 これらの欲求を欲望,気まぐれ,空想,悪癖と混同してはならない。また,本質的なものと付随的なものとを識別せねばならない。人間に必要なのは米やジャガイモではなく糧である。薪や炭ではなく暖房である。魂の欲求もおなじだ。同一の欲求に呼応する多様でありながら等価値の充足を認めねばならない。さらにまた魂の糧と,その代替物という錯覚をしばし与える毒とを区別せねばならない。
 このような研究が存在しないとき,たとえば政府に善き意図があっても,その場しのぎの施策をほどこすしか手はなくなる。
 
 さて,この引用文をどのように読み取るのか。私論を述べてみたい。
 まずは,肉体の生の欲求と魂の生の欲求との二つがあって,それらはお互いに対応関係にあるとヴェイユは考えている。肉体の生の欲求については「糧や睡眠や熱」という例を挙げているので,なるほど生命維持のために必要不可欠な欲求であるということがわかる。しかし,それらに対応する魂の生の欲求となると,この段階ではまだ明らかにされてはいない。その具体的な「指標」については,この引用文のあとにつづく18ページから詳細に語られることになる。

 それらの「指標」とは,秩序(魂の第一の欲求にしてその永遠なる運命にもっとも近い欲求,それは秩序である),自由(人間の魂に欠かせない糧は自由である),服従(服従は人間の魂の生にかかわる欲求である),責任(自発性と責任,すなわち自分は有用であり不可欠でさえある存在だという感覚は,人間の魂の生にかかわる欲求である),平等(平等は人間の魂の生にかかわる欲求である),という具合に,以下,序列,名誉,刑罰,言語の自由,安寧,危険(リスク),私有財産,共有財産,真理,という具合に一瞬意表をつく指標がとりあげられている。そして,その一つひとつの指標について簡単に,あるは詳細に解説を加えている。

 このことを視野に入れておけば,「これらの欲求を欲望,気まぐれ,空想,悪癖と混同してはならない」というヴェイユの指摘も容易に理解することができる。「また,本質的なものと付随的なものとを識別せねばならない」も同様である。

 「人間に必要なのは米やジャガイモではなく糧である」というこの文章に,最初,わたしは躓いた。なんのことだろうか,と。しかし,ヴェイユがいろいろのところに書き込んであることをつないでみると,それはごく当たり前のことを言っているということがわかる。つまり,空腹に耐えている人間にとっては,その空腹を満たすための糧が必要なのであって,なにも米やジャガイモでなくてもいい,と。つまり,目先の具体的な食料ではなくて,空腹を満たすために役立つ糧そのものが必要なのだ,と。

 このことがわかれば,つぎの「薪や炭ではなく暖房である」も容易に理解できる。すなわち,からだを温めてくれる暖房が必要なのであって,薪や炭はそのための手段にすぎない。ここのところを混同しないことが,じつは,重要なのだ。薪や炭は暖房だけではなく,その他の目的を達成するための手段でもあるからだ。つまり,冷えたからだには暖房が必要なのであって,薪や炭ではないのだ。

 「魂の欲求もおなじだ」とヴェイユはいう。では,魂の生の欲求となる糧や暖房とは,どういうことなのか,ということになる。それらが,さきに「指標」として挙げた秩序,自由,服従,責任,平等,序列,・・・・・ということだ。これらの内容や意味については,また,稿を改めてじっくりと考えてみることにしよう。

 あと2点ほど,ここでは指摘しておきたい。
 ひとつは,「さらにまた魂の糧と,その代替物という錯覚をしばしば与える毒とを区別せねばならない」というヴェイユの指摘である。ここは,スポーツ文化論を考えていく上でもきわめて重要なポイントのひとつになりうる内容だと,わたしは考えるので,これも改めてとりあげてみることにする。あえて,ここで指摘しておけば,「魂の糧」と「魂の毒」とは紙一重の違いでしかない,ということだ。もっと言ってしまえば,薬はひとつ使用法を間違えると,たちまち「毒」となるのと同義である。このことはこのあとのブログに委ねることにする。

 もうひとつは,最後の文章「このような研究が存在しないとき,たとえ政府に善き意図があっても,その場しのぎの施策をほどこすしか手はなくなる」である。この文章は,ナチス占領下から脱出したのちの新生フランス政府のための基本方針を考えつづけていたヴェイユのことを考えると,とてもよくわかる。つまり,「魂の生の欲求」に対応できる綱領を構築しておくことが急務である,と。それができていないと,政治は「その場しのぎの施策をほどこすしか手はなくなる」という。このテクストはそのための「遺書」にも相当する,きわめて重要なものである,ということもここで指摘しておこう。

 ひるがえって,つい最近あった,どこぞの国の選挙のことを考えると「身につまされる」思いでいっぱいだ。しかし,この指摘は,単に政治だけの問題ではない。わたしの携わっているスポーツ史・スポーツ文化論を考える上でも,きわめて重要な指摘になっている。この視点の欠落しているスポーツ史・スポーツ文化論研究はほとんど意味をなさない「その場しのぎ」のものでしかなくなる,ということだ。

 まさに,21世紀スポーツ文化研究所の基本的な姿勢が問われている。わたしには,そのように読める。重く受け止め,こんごに臨みたい。

2012年12月20日木曜日

「哲学はつねに敗者です」(西谷修)。民主主義の危機とソクラテスの毒杯。

 久し振りに稽古のあとのハヤシライスの時間が盛り上がりました。もちろん,話題の中心は今回の選挙でした。石原慎太郎が引いた引き金ひとつで,40年の日中友好関係が一度に吹っ飛んでしまう,というとんでもない前座から今回の選挙がはじまりました。竹島,尖閣という領土問題をめぐる報道が国民に「強い日本」を希求させる,これまた大きな引き金になりました。のみならず,あっという間に戦争も辞さないという政党まで出現し,唖然としてしまいました。おまけに,その政党を支持する国民が多数を占めることになり,とんでもない数の議席を与えることになりました。わたしにとっては,まさに,青天の霹靂。

 いったい,どうしてこんなことになってしまうのか,といつものようにKさんがNさんに問いかけます。その問いに,Nさんはいつもにもまして丁寧に,そのからくりについて説明してくれます。これが,太極拳の稽古のあとの至福の時。その一つひとつについて,ここでご紹介できるといいのですが,わたしのことば足らずや勘違いなどがあったりして誤解されるといけませんので,残念ながら割愛します。そのうち,どこかの雑誌でNさんの論考が掲載されることになると信じていますので,それまで少しお待ちください。

 そんな話がひとしきり盛り上がったところで,Kさんが「庶民」ということを最近考えさせられることが多くて,と別の話題に入りました。この「庶民」という人たちの思考や行動が,現実にはこんどの自民党支持の原動力になっていたのではないか,と。その庶民という人たちの話を聞いていると,みんな口をそろえて「原発は必要だよね。経済が駄目になってしまうと聞いているし・・・。領土問題は戦争やってはっきり決着をつければいい」と平然と話しています。そして,理詰めできちんとものごとを考えられる人たちの意見というのは,いつも少数意見で,民主主義の多数決原理のもとでは生かされないではないか,と。こんなことを繰り返していたら日本は駄目になってしまうのでは・・・という疑念を提示。このKさんの話を受けて,最後に,Nさんはつぎのような話をされました。

 そうなんですよね。でも,人間というのはむかしからそういう生き物で,けして賢いわけではないのです。圧倒的多数は凡庸で,ことなかれ主義に流されやすいし,めんどくさいことは嫌いです。ですから,胡散臭いことが起こると戦争も辞さない,というところに短絡していきます。そういう人たちによって,長い人類の歴史がつくられてきたのです。その典型的な例がソクラテスの毒杯ですよね。

 若者たちをかどわかす怪しげな議論をする悪い人物,それが当時のアテネ市民がソクラテスにくだした結論でした。そしてとうとう,当時の直接民主制の母体である民会で,ソクラテスを裁判にかけて,死刑の宣告をしてしまいます。このことは,よく知られているとおりです。

 あわてたソクラテスの弟子たちが,二日以内にアテネの外に逃れてしまえば生き延びられるので逃げましょう,と師であるソクラテスを説得します。しかし,ソクラテスはそれを固辞して,みずから進んで毒杯を仰いで死ぬ道を選びます。

 しかし,ソクラテスが毒杯を仰いで死ぬことによって,哲学の存在が後世に広く認知されることになりました。こんにちの哲学の存在は,古代ギリシアのアテネのこうした,愚かな「庶民」によって支えられた直接民主主義による産物でもあったのです。

 考えてみれば,このソクラテスにはじまって,以後,哲学はつねに敗者だったのです。それはいまもつづいていて,きちんとした理性的な判断のできる人の意見はいつも少数意見にすぎないのです。ですから,こんどの選挙結果というのは,この原則どおりでもあったということです。それにしても,ちょっとひどすぎた,という印象は免れませんが・・・・。

 こんな話を聞きながら,わたしはわたしで,また勝手な想像をしていました。現代文明の恩恵をありあまるほど受けた現代日本人は,完全な「茹でガエル」と化し,なにも考えない思考停止があたりまえとなり,カネさえあればなんでも夢がかなえられるという「拝金主義者」となりはててしまい,自分の命を守ることすら忘れて,目先の物欲にそそのかされてしまう,なんともはや情けない姿となりはててしまったものだ,と想念をめぐらせていました。

 こんな人間が(若者もふくめて),中国と戦争をやって戦えるわけがない,ということすら判断できないのが,現代日本人のありのままの姿です。自分さえよければほかのことはなにも考えようともしない,そういう自己中心主義が,こんにちのポピュリズムを構築しており,それが日本社会を動かす恐るべき「庶民」の内実である,というわけです。

 少数意見の正論を吐く人は,ソクラテスの覚悟をもつこと,つまり,敗者であることも辞さないという自覚をもつこと,これがNさんの言外のメッセージだったようです。

 なるほど,覚悟かぁ,とため息をつくばかり。
 まだまだ,覚悟が足りない,と自戒。

2012年12月19日水曜日

『シモーヌ・ヴェイユ「犠牲」の思想』(鈴木順子著,藤原書店,2012)を読む。

 シモーヌ・ヴェイユの『根をもつこと』(冨原眞弓訳,岩波文庫,上・下,2010)の,最初の一行「義務の観念は権利の観念に先立つ」に電撃的な衝撃を受けて,ここしばらくの間,シモーヌ・ヴェイユの著作を読み込む努力をしている。シモーヌ・ヴェイユの存在を意識するようになったのは,今福龍太氏の名著『ミニマ・グラシア』(岩波書店)を読んでからだ。ここではシモーヌ・ヴェイユのホメーロスの英雄叙事詩読解をとおして浮かび上がってくる「恩寵」について,今福氏の独特の世界観とマッチングした美しい人間存在の極限の世界が描かれている。もちろん,その背景にあるものは,シモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』(田辺保訳,ちくま学芸文庫)である。

 わたしを惹きつけたのは,ホメーロスの英雄叙事詩のなかに描かれる英雄と英雄による一騎討ちの,最後のとどめを刺す瞬間に「恩寵」を読み取るヴェイユの読解と,それに反応する今福氏の感性の鋭さである。いわゆる一対一の「決闘」が含みもつ意味について,これほど深く,しかもわかりやすく解き明かしてくれたのは,はじめてのことだった。以後,「決闘」とはなにか,「一騎討ち」とはなにか,と考えるようになった。なぜなら,そこにスポーツのルーツにかかわる重要なファクターのひとつが隠されていると感じ取ったからである。

 この延長線上に,この夏に開催された第2回日本・バスク国際セミナーでのディスカッションがある。テーマは「グローバリゼーションと伝統スポーツ」。このときの冒頭の基調講演を今福氏が引き受けてくださり,伝統スポーツを考える上での貴重なポイントをいくつか提示してくださった。そして,4日間にわたる研究発表とディスカッションのちょうびを飾る特別講演を西谷氏が引き受けてくださり,これまたわたしたちに多くの示唆を与えるものだった。そして,この西谷講演を引き継ぐかたちで,後日,アフター・セミナーを開催。このとき,三井悦子さんの語る,バスク民族の間でとても大事に継承されているダンス「アウレスク」がひとしきり話題となった。

 若い女性が,ひとりずつ登場して,むかしから伝承されているダンスのステップを踏む。そのステップはひとつのパターンがあって,みんな同じステップを踏む。それを,大勢の村人たちが囲んで,みんなでじっと見守る。まったく同じステップを踏んで,また,つぎの踊り手と代わる。これをひたすら繰り返していく。そこにはいわくいいがたい,老若男女を問わず,すべてをひとつにする,一種独特の一体感が生まれ,ある種の陶酔が生まれるという。

 この「アウレスク」をどのように考えたらいいのか,ということについて西谷氏から謎めいた指摘があった。すなわち,みんなが同じステップを踏むこと,そのことに意味があるのだ,と。

 この謎かけにも似た西谷氏の提言を,より深く受け止め,考えるにはシモーヌ・ヴェイユの『根をもつこと』が大きなヒントになるのではないか,とわたしは考えた。そこで,こんどの22日(土)には,この問題を考えるための「ISC・21」12月大阪例会を開催することになった。主催者は,松本芳明氏(大阪学院大)。その必要性もあって,なんども『根をもつこと』を読み返している。とりわけ,第一部の「魂の欲求」のところを。そんなときに,書店で眼にしたのが,表記の『シモーヌ・ヴェイユ「犠牲」の思想』であった。

 このテクストは,これまでの思想史や哲学史,そして,キリスト教の考え方からも距離をもつシモーヌ・ヴェイユの独特の思考と生き方を包括的に解き明かそうとした,意欲的な力作である。それもそのはずで,1965年生まれの著者が,長年取り組んできたヴェイユ研究を,東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻の博士論文として,2009年末に提出したものである。しかも,第5回河上肇賞を受賞したという。

 これは大変だと思いながら読みはじめる。このテクストは,シモーヌ・ヴェイユの思想を「犠牲」という視点から解き明かそうと,丹念に,そして丁寧にヴェイユの思想を一つひとつ解きほぐしていく。その点で,初心者のわたしには,とてもありがたいテクストになっている。そして,最後まで読み終えたときに,ああそうか,この著者もまたヴェイユの『根をもつこと』の冒頭の一文「義務の観念は権利の観念に先立つ」という謎めいた書き出しの部分に強い関心を寄せ,その謎解きをしていたのだ,ということがわかる。

 そして,ヴェイユのいう「義務」という考え方は,「犠牲」(「供犠」と考えてもいい)という思想的裏付けに支えられたものである,ということがわかる。言ってしまえば,マルセル・モースのいう「贈与」にも通底する「供犠」や「犠牲」に支えられた「義務」をとりもどすこと,それが「根をもつこと」の骨子になっている。だから,その「義務」の考え方が否定されてしまうこと,それをヴェイユは「根こぎ」と表現し,それを取り戻すことを「根づき」と表現する。そして,この「義務」をなおざりにし,それに代わって「権利」が表舞台に登場するのはフランス革命以後のことだ,とヴェイユは分析している。

 もっと言ってしまえば,ヨーロッパ近代のものの見方・考え方を根底からひっくり返すことを,ヴェイユは生涯にわたって考えつづけ,それを主張した,ということになる。

 こまかな点については,ここでははぶくが,シモーヌ・ヴェイユ読解にはとても役に立つテクストである。シモーヌ・ヴェイユの思想の核心に触れる部分では,何カ所かにわたって,鋭い分析をみせ,感動的ですらある。しかし,何カ所かについては,わたしには違和感を感じさせるところもあった。ひとつだけ指摘しておけば,ヴェイユの思想とジョルジュ・バタイユの思想とを比較検討するところでの,踏み込み方とまとめ方はこれでいいのだろうか,という疑問が残ったということ。著者は,意外にあっさりと,ヴェイユの言う聖性とバタイユのいう聖性とは違うと断言しているが,わたしはそうは思わない。むしろ,もっと深いところで共振・共鳴するものがある,という立場をとる。

 その根拠については,『スポートロジイ』(創刊号・スポーツ学事始め,21世紀スポーツ文化研究所編,みやび出版,2012)のなかで,かなり詳細にわたって論じているので参照していただきたい。わけても,ヨーロッパ近代の「有用性」の考え方や制度,組織などを(キリスト教の教会制度もふくめて)徹底的に批判していく姿勢は,ヴェイユもバタイユもまったく同じである。

 なるほどと大向こうを唸らせるほどの分析の冴えをみせる部分もあれば,あれっと首をかしげてしまう部分があるのは,研究者としての立ち位置の問題で,それは仕方のないことなのだろう。たぶん,わたしのないものねだりに等しいのだろう。が,いずれにしても,シモーヌ・ヴェイユ読解という点では,とてもよくできたテクストであることは間違いない。

たぶん,これからも何回も読み返すことになるだろう。いいテクストとの出会いであった。

2012年12月18日火曜日

早くも「世論操作」をはじめた『読売新聞』。来夏の参院選も「自公過半数超え」と報道。推計という名の騙り。

 えっ? もう,つぎの選挙運動? それも新聞社が? 眼を疑いたくなるようなニュースが「@niftyニュース」で流れている。びっくり仰天である。それも「参院選でも自公が過半数」という衝撃的な見出しで。読売新聞ならやりかねないし,別に驚くほどのことでもない,とも思うもうひとりのわたしがいるが,それにしても・・・・。

 しかも,もうひとりの醒めたわたしに言わせれば,単なる推計をもとにした読売新聞的結論にすぎない。もっと言ってしまえば,一種の騙りにも等しい。早くも,それらしき風評を流して,世論を誘導する,いつものやり口を繰り出しただけの,まことに無責任な報道の仕方にすぎない。が,それにしても,腹が立つ。なぜなら,この方法で,こんどの衆院選挙はまんまと誘導されてしまった部分が少なくないからだ。ごくふつうの日本人であれば,新聞に書いてあることはそのままほとんど信用してしまう。とりわけ,高齢者には多い。それを承知の上で,こうした推計結果とか,世論調査という名目で,自分たちにつごうのいい結論だけを,それとなく流しつづける。

 だから,腹が立つ。

 ネットに配信されたのは今日の午前9時09分。誤解を招くといけないので,全文を紹介しておくと以下のとおり。

 16日に行われた衆院選の各党の得票をもとに,来年夏に行われる参院選の行方を読売新聞社が推計したところ,自民,公明両党が参院でも過半数を占め,与党が少数の「ねじれ国会」が解消するという結果が出た。

 議席の推計は,各党が衆院比例選で獲得した票を,11月に成立した改正公職選挙法に基づき「4増4減」した選挙区選と比例選に当てはめた。選挙区選では,公明党が改選定数2と1の選挙区で自民党に協力することを前提として,改選定数2以上の選挙区では,各党の得票をドント式で配分し,複数の立候補者が出た場合を想定した。

 推計結果によると,野党各党が個別に候補を擁立した場合,自民党が31ある「1人区」をすべて制するなど圧勝し,14議席の比例選を含めて計62議席を獲得する。公明党も7議席を得る計算だ。仮に来年4月の参院山口補欠選挙で議席を獲得できなくても,自公両党は非改選議席と合わせ,参院(定数242)の過半数122を5議席上回り,ねじれ国会は解消する。野党では,23議席を得る日本維新の会が改選第2党となる。

 以上がネットを流れている文面である。
 まるで,二匹目のドジョウが目の前に待っているかのような書きぶりだ。しかも,こんどの選挙と同じような選挙が,来年夏にも展開されるとすれば,という留保つきの話だ。こんどのような選挙結果を,いったいだれが想定しただろうか。希望的観測という意図が丸見えながら,世論調査の結果として,自民圧勝とメディアは繰り返し報じていた。逆に,選挙結果をみて一番驚いたのは自民党だったのではないか。あまりの圧勝ぶりに驚いてしまったのか,安倍君のあの硬直した表情はなにを意味していたのか。にもかかわらず,読売新聞社は来年夏にも同じことが再現されるという前提に立ち,勝手な「推計」をもとにした結論を,さもありうるかのように書き立てる。この無責任ぶりに,わたしは腹が立つ。

 今回の選挙が,もっとも大事な論点をはぐらかし,民意を煽る上でつごうのいい論点にすり替えた,詐欺にも等しいものだったことはだれの眼にも明らかではないか。それが,もう一度,そのまま再現されると考える読売新聞社の考え方のお粗末さ。もちろん,そんなことは承知の上で,何回も繰り返し同じ情報を流すことが世論操作の上では有利だ,と考える確信犯なのだ。だから,なおさら質が悪い。

 こんどの選挙が,いかに異常で,異例の選挙であったかということは,これからしばらくの間,大きな話題となってメディアを駆けめぐるだろう。今朝の新聞にも,選挙の得票率をはじめとする詳しい選挙行動の分析が満載である。これから,もっと本格的な論説が,たとえば『世界』などで展開されることだろう。

 わたしたちは,安っぽい騙りのようなメディア情報にだまされていてはいけない。これからしばらくは要注意だ。各メディアがどのような戦略で,つぎの選挙に向けて,情報を「操作」しつづけるか,しっかりと見極めていかなくてはならない。

 恐ろしい世の中になったものだ。

2012年12月17日月曜日

改憲派が三分の二以上を占める。恐るべき事態となる。

 選挙とは不思議なものである。民意が反映されるべきはずなのに,そうとはかぎらない。民意とはかけはなれた結果が,民主主義の名のもとに,堂々とまかりとおる世界なのだから。

 6割もあった脱原発派の意志は,どこかに吹っ飛んでしまった。5割あった改憲反対もどこに行ってしまったの?というまことに信じられない結果である。

 いよいよ恐るべき新生日本の開幕である。原発推進,沖縄の基地問題,改憲,軍備,徴兵,増税,TPP,・・・・維新を抱き込んでしまえば,あとは自民党の思うままだ。

 こうなった以上,つぎの参議院選挙がますます重要になってくる。これで参議院も自民党に過半数をとられてしまったら,もう,歯止めがきかなくなって暴走をはじめかねない。かりに,参議院で圧倒的多数を反改憲派で占めたとしても,自民党主導による改憲は可能なのだ。それでも,衆参の大きなねじれは確保しておかなくてはならない。なぜなら,そのつぎの衆議院選挙にプレッシャーをかけることができるからだ。

 こんどの選挙で学んだことは,失政をすれば国民はみんなそっぽを向く,ということだ。自民党が軽々に原発推進や改憲に手を出すと,6割,5割という民意が黙ってはいない。今回の選挙では,もの言わぬ4割が棄権している。ものを言った6割のうちの,さて,何割の人が自民党に票を投じたのか。これは計算をしてみればすぐにわかることだ。

 議席の数こそ小選挙区制のお蔭で圧倒的多数を占めたものの,得票率ではそれほどの大きな差にはなっていない。民主の票があちこちの党に分散しただけの話で,自民は漁夫の利を拾っただけのことだ。自民の政策が圧倒的支持を受けて,それいけの風が吹いたわけではない。むしろ,他党を信ずることができない人びとの票が,仕方なく自民に流れた,一時的現象にすぎない。

 だとすれば,自民のこの圧勝は,まことに脆弱な基盤の上に,たまたま誕生したにすぎない。このことを肝に銘じておくべきだろう。したがって,これからの自民の政治の進め方いかんによって,国民が一斉にそっぽを向く可能性もまたきわめて高いということだ。その意味で政局は当分の間,めまぐるしく揺れ動くことだろう。

 健闘したのはみんなの党。やはり,離合集散をくり返す中にあって,曲がりなりにもみずからの主張を貫いたことが評価されたのだろうと思う。その点,未来の党はあまりに唐突すぎたという印象は免れなかったようだ。これで,生活の影が消えてすっきりしたのではないか。そして,文字どおり,未来としての第一歩を踏み出すことができた,ということだろう。あとは,嘉田由紀子を前面に押し立てて,力のある候補者を参議院選挙に向けて育てていくことだ。彼女のかかげる理想,すなわち「卒原発」は捨てがたい。ここから日本の未来を考えようという姿勢はまことにまっとうなことだと,わたしも考えている。やはり,「命」を政治理念の中心に据えてこれまで取り組んできた滋賀県知事としての実績が,これからもっと広く浸透していくことになれば,新しい党としての魅力がみえてこよう。

 今回の選挙は,結果論としては,まことに恐ろしい事態の進展をみることになってしまったが,ここはもう一踏ん張りして,つぎを目指して頑張っていきたい。そうしないと,ほんとうに日本の未来はなくなってしまう。

 ピンチこそチャンスだという。このピンチに多くの国民が覚醒することだ。そして,選挙をとおしてみずからの意志をきちんと表明していくことだ。その積み重ねしか,いまのところ方法はないのだから。日本の未来を見据えて。


2012年12月16日日曜日

来年の参議院選挙につながる結果のでることを期待したい。

 今日(16日)はきれいな青空が広がった。天気図をみると,鹿児島・沖縄と秋田・北海道を除くすべてが晴れマーク。やや風があるが,思ったより暖かい。午前12時ころ,投票所に向う。いつもより歩いている人が多い。明らかに選挙に向う人たちだ。

 投票所になっている小学校の体育館に到着して驚いた。体育館の入り口から長蛇の列ができているではないか。こんな光景は,この地にきて初めてみる。整理係の人がでて,受け付け番号別に列を指示している。おやおや,である。天気がいいから,しかも暖かいから,みんな気分よく選挙にやってきたに違いない。

 投票用紙に記入する仕切り机も満員。ここでも順番待ち。少し待たないと空きがない。投票を終えたところで,選挙にきた人びとの顔ぶれをじっと観察してみる。老人が多いのにまず驚く。つぎは,子連れの若い夫婦。意外なことに,壮年・青年の顔が少ない。時間帯にもよるから一概にはいえないとしても,この段階では,働き盛りの中年層と若者の顔があまりみられない。どうしたことだろうか,と考える。

 この顔ぶれで最後までいくとすると,選挙の結果はどうでるのだろうか,とあれこれ想像してみる。そして,ここで観察するかぎりでは投票率は,いつもよりかなり高いと感じられる。その結果がどうでるのか。ただ,いつも待ち受けている新聞社の「出口調査」の係の人がいない。もう,結果はわかっているとでもいうのだろうか。

 選挙を終えて,鷺沼の事務所に向う。そして,パソコンを開いてびっくり。投票率が大幅に減少,と読売新聞配信のニュースが報じている。午前11時現在の投票率は14.03%。2009年の同時刻と比べ,7・3ポイント下回っているという。つまり,全国的には投票率は低いというのだ。しかも,大幅に減少だ,と。

 投票率が低くなり,票が分散することになれば,漁夫の利をえるのは自民党だ。それだけはなんとしても回避したいところだ。原発推進,改憲,再軍備を志向する自民党だけは,勘弁してほしい。多少,妥協するとしても,比較第一党くらいのところで収めておきたい。過半数を与えてはならない。少し時間がかかるとしても,しっかりした政党が新たに登場するまで,わたしたちは待つしかない。右翼化した政党同士がお互いに足を引っ張りあったり,あるいは大連合を仕掛けたりして,政局が混乱するかもしれないが,わたしたちは耐えなくてはなるまい。その方が,自民党独裁政権が誕生するよりは,はるかにいい。

 わたしの希望的観測を述べておけば,メディアが足並みを揃えたかのように報じた自民党圧勝の報道が,大いなる誤報であり,明らかな「世論操作」であった,という結果がでること。そういう事実を証明するような選挙結果がでることを待ち望んでいる。少なくとも,かなり予想がはずれる結果になることを。つまり,最後まで意志決定をしていなかった「4割」の無党派層の票が,メディアの予想を覆すような結果になることを。

 そして,この無党派層こそが,つぎの参議院選挙のキャスティング・ボートを握る,というような新たな政治情況を生み出す力につながっていくことを。そうして,若者たちの力が選挙に反映される可能性があるのだという情況を生み出すことを。

 そういう政治情況を,つぎの参議院選挙までに構築すること,そのためには,つぎなる政権党がいかなる政治姿勢を打ち出すか,しっかりと見極めていきたい。そして,その政権党に対して,日本未来の党をはじめとする「原発ゼロ」を強く志向する政党がどのような動き方をするのか,そこをしっかりと見極めていきたい。

 そして,こんどの選挙の最大の論点は「原発」をどうするか,ということであったはずだ。にもかかわらず,みごとにすり替えてしまった右翼化政党をこのまま見すごすわけにはいかない。それだけではない。同じように論点をすり替えられてしまった沖縄の基地の問題,TPP参加の問題,などについても厳しい監視の手を緩めてはならない。

 もう一点だけ。嘉田由紀子さんが党首をつとめる日本未来の党のこんごの行方である。この人のことはあまり情報がなかったので,大丈夫かという心配があった。しかし,こんどの選挙をとおして伝わってきた情報に,わたしは好感をもった。とりわけ,次男さんが語った母のイメージが気に入った。「ひとことで言えば,空気の読めない人。一度,こうと決めたらその道を貫きとおす信念の人。自分の理想を実現するためにはいかなる難関も突破する,強い意志の人」。滋賀県知事に立候補するときから,京都大学探検部の先輩にあたる夫とは意見が合わなくなり,知事に就任してから離婚し,みずから信ずる理想の道を突き進む決意をした,という。こういう人だったら,ひょっとしたら,小沢一郎君をみごとに「飼い馴らす」かもしれない,と期待する。小沢君も約束どおり「表にはでないで,影に徹した」のも,むべなるかな,と思う。

 こんどの選挙結果いかんを問わず,少なくとも,つぎの参議院選挙まで,日本未来の党がどのような動き方をするのか,じっと見届けてみたいと思っている。

 いずれにしても,つぎの選挙になんらかの希望をつなぐことのできる結果が生まれるかどうか,今日の深夜には判明する。楽しみにしたい。

2012年12月15日土曜日

あと一日。最悪のシナリオだけは回避したい。ここは次善の策で妥協することに。

 泣いても笑っても今日一日。こんなに不思議な選挙は初めて経験する。選挙運動期間中に,みるみるうちに日本が軍国主義国家に変身しようとしているのだから。それこそ,どさくさ紛れに,衣の下の鎧まで露わにして,恥も外聞もなく「強い日本」を押し出している。そして,その主張にまんまと乗せられている国民が多いというのだから,これもまた呆れてしまう。困ったものだ。

 戦争を知らない世代は平気なのかもしれない。あるいは,マンガや動画の世界のように,邪魔なものはやっつけてしまえ,というその程度の感性でしかないのだろうか。ヴァーチャルの世界がいつしかリアルの世界に横滑りしてきたような話ではないか。そこのところをゲームやマンガが大好きだったというアベ君はよく知っているのかも・・・。いや,ひょっとしたら,いまもアベ君はその世界をリアルとして生きているのかも・・・・。

 はたして,徴兵制を布いて若者たちを掻き集めれば,それで戦場で戦える軍隊がつくれるとでも思っているのだろうか。日本国民1億三千万のほとんどが「茹でガエル」になってしまったというのに・・・。原発の事故による身の危険を感じても,すでに,筋肉が鈍ってしまって身動きできない「茹でガエル」だ。そんな軍隊はあってもなきに等しい。自衛隊の迎撃ミサイルをみればよくわかる。発射延期などというデマゴギーにまんまと乗せられ,気がついたときには上空を通過していたではないか。これが「茹でガエル」の典型的なひとつの事例だ。

 にもかかわらず,今日の新聞にも「自民党圧勝」の大きな活字が躍っている。しかし,ネット上に流れている『神奈川新聞』の記事がわたしの目にとまった。そして,かなり詳細な取材をへて書かれた記事であることがわかり,わたしは密かな期待を寄せている。そこには,つぎのような趣旨のことが書かれている。

 自民党優勢と聞くが,じっさいに神奈川県西部の選挙区をくまなく取材してみると,意外な実態が浮かび上がってくる,と。そして,自民党優勢はほんとうだろうか,と疑問符をつける。自民党候補者は組織票が思ったほどには伸びないという。民主党候補は街頭演説をしても手応えが感じられないという。それを受けて記者は,選挙の盛り上がりが感じられない,と書く。みんな冷めてしまっているのでは・・・と。

 その結果,自民も民主も票が読めない,という。つまり,これまでの選挙のようなたしかな手応えがないというのだ。だから,結果はまったく予測がつかない,と。あとは,無党派層の動き次第だ,という。その無党派層の多くは,脱原発をかかげる党のどこに一票を投ずればいいか,みんな真剣に考えているらしい,と。この人たちの決断次第で,まだまだ選挙の行方はわからない,と。この情報は,わたし自身がそれとなく感じているものときわめて近い。みんな押し黙って,考え込んでいる。なぜなら,自分が票を投じたいという気持ちになれる党がないからだ。選挙に無関心なのではない。むしろ,いつもよりも高い。ただ,受け皿がないのだ。

 となると,投票率が大きな鍵となりそうだという。投票率が低ければ,組織票が生きてくるので,自民・民主有利。投票率が高くなると,この無党派層の票が増えてくる。その多くが脱原発派に流れていくとすると,自民も民主も危ないというのだ。それを取材記者は肌で感じる,とも。

 あとは,天候が鍵を握る,とも。雨はどうやら避けられそうだが,寒くなると高齢者の動きがにぶくなる。幼児をかかえる若い母親も大変になる。それから,この時期は日没が早い。夏の選挙とは大いに違う。これらの要素が複合的に作用して,選挙行動が決まってくる。しかも,年末は忙しいという人たちも多い。

 で,結論は,まだまだ予断を許さない,と。自民党圧勝という報が流れているにもかかわらず,まだ,意志決定をしていない無党派層の人びとの数が圧倒的多数を占めていることに注目すべきだ,と。この人たちは最後まで意中の党派を明らかにすることはないだろう,とも。しかし,棄権をするとは考えられない,とも。

 こんな情報に接すると,まだまだ捨てたものではないぞ,とわたしは期待に胸をふくらませる。そこで考えるのは,つぎのようなことである。まずは,最悪のシナリオを描く党派だけは断固として回避しなくてはならない。その上で,脱原発をかかげる党派のどこを選ぶか。

 同じ脱原発でも民主は×。信用できないから。むしろ,恥も外聞もなくよくも脱原発などを公約としてかかげたものだとあきれ返っているくらいだ。では,どこにするか。あとは,どこでもいい。それでも,比較的多くの公約にわたしが同意できるところがいい。そして,できることなら比較的大きな影響力をきたるべき政権党に対して与えられるところがいい。つまりは,次善の策を選ぶしか方法はない。こうなると,だいたいのところははっきりしてくる。この際,党や政治家の好き嫌いは捨てる。そして,選挙後の動きを監視しながら,よりよい方向に育っていくことを期待したい。その程度の夢しかないが,今回は仕方がない。

 来年には参議院の選挙が待っている。そこも睨んでおきたい。もし,仮に自民党が政権党となったとしても,選挙期間中の「暴走」の反動がかならず返ってくるはずだ。とりわけ,憲法改正(改悪)については,議論百出するはずだ。それでも数の力で押し切ろうとするか。そのやり方いかんによっては,参議院選挙でまたまた大どんでん返しが起こる可能性もある。

 今日一日,無党派層の人びと(わたしも含めて)は慎重に慎重を重ねて熟慮し,日本の未来を見据えた長期的展望に立つ決断をする日にしよう。そして明日の投票結果を見届けた上で,つぎの参議院に向けての対策を考えることにしよう。

 このブログを書くことによって,わたしの「次善の策」がみえてきたように思う。どこかすっきりはしないが,とりあえずは,自分なりの意思表示を,明日の投票日にはしておきたい。

2012年12月14日金曜日

日本の命運が決まる選挙。戦争の足音が聞こえてくる。恐ろしいことだ。

 いわゆる世論調査なるものの予測が当たるとは信じたくないが,これまでの実績からすれば,当たらずといえども遠からず程度の評価は受けている。選挙運動は今日(14日)をふくめて残り二日間。この間に大きな変動がないかぎり,日本は戦争に向かって突進して行きそうな雰囲気になってきた。恐ろしいことだ。

 日本国民はほんとうに憲法改正(改悪)を望んでいるのだろうか。そして,国防軍を組織したり,徴兵制を布いたり,北朝鮮や中国との戦争も辞さない,と考えているのだろうか。圧倒的多数がそれを望んでいるとは,わたしには信じがたい。しかし,このままいくと多数意見になってしまう。考えただけで空恐ろしいことだ。

 たしかに,多くの日本国民が,しっかりしたリーダーシップを発揮する政府の登場を待ち望んでいる。そのことはよくわかる。わたしとて,政権交代後の民主党政権のぶざまな姿には辟易としてしまったほどだ。もっと「しっかり」しろよ,と。その意味で,民主党に一票を投じた者として忸怩たる思いがある。だからこそ,こんどの選挙では,きちんとした政治理念をもち,「しっかり」としたリーダーシップを発揮してくれる政党・政治家の出現を待ち望んでいた。

 断っておくが,「しっかり」したリーダーシップとは,憲法改正(改悪)や徴兵制を布いて再軍備に向かう極右による強権政治のことではない。この方向性に向かうことそのものの危険性をも適格に判断できる,という意味での「しっかりしたリーダーシップ」のことである。原発問題にフタをしたまま,徴兵制にまで突っ走ろうとする暴走老人と自民党の安倍総裁は,やはり55年体制へと逆戻りする政治をめざしているとしかいいようがない。

 暴走老人に端を発する今回の政治の混乱,そして,極右への傾斜の大きな流れについては,西谷修さんの最新のブログに,詳細に論じられているので,ぜひ,参照していただきたい。もし,この流れが過半数を占めるということになれば,日本の政治的破綻がもたらす悲惨さは目を覆うばかりのものになるだろう,と結んでいる。しかも,ギリシアの経済的破綻の悲惨さが世界を席巻したが,それとはくらべものにならないほどの,とてつもない混乱を世界にもたらすことになるだろう,と結論づけている。このブログを読んで,わたしは全身に電気が走った。

 わたしの勝手な受け止め方からすれば,こんどの選挙は,その結果いかんによっては世界史に記録されるような,とんでもない歴史を刻むことになりかねない,ということだ。じつは,昨日も一日中,西谷さんのブログの内容について考えつづけていた。なんとかならないものか,と。これが,いま,わたしたちの命運を決する民主主義のありのままの姿でもあるのだ。

 そう思っていたら,今朝の『東京新聞』の「本音のコラム」に佐藤優氏が「都知事選と沖縄」という見出しのコラムを書いている。それを読んで,ふたたび,わたしは震撼してしまった。ああ,恐ろしいことが待ち受けている・・・・と。

 ぜひ,『東京新聞』を読んでいない人たちにも・・・と思い,転写しておく。こんなことが,もし,現実になったとしたら,わたしたちに未来はない。せめて,戦争だけはなにがなんでも回避しなければならない。そして,原発もゼロをめざすべきだ。その上で,つぎのことを考えていけばいい。なによりも,まずは「命」を守ることから,わたしたちの思考をとりもどそう。そこからの出直しが,こんどの選挙ではないか,とわたしはこころから信じている。戦争も辞さないなどという無責任な選択だけはしない,これだけは,みなさんにお願いしたい。今回の選挙は「人物」選びではありません。「政党」選びの選挙です。


佐藤優氏のコラム記事


2012年12月13日木曜日

選挙戦,終盤に入って異様な雰囲気が漂う。起こるか「大逆転」!

 今日(13日)をふくめて,あと3日。選挙戦もいよいよ大詰めを迎えて,なんだか怪しげな雰囲気が漂いはじめているような気がしてなりません。なにか,とんでもないことが起こる,その前兆のような胸騒ぎが,このところ日を追って激しくなってきました。大丈夫なのか,ともうひとりのわたしが問いかけてきます。

 北朝鮮の,実質的ミサイル実験を受けて,いよいよ憲法改正(改悪),国防軍の編成(徴兵制まで言及した輩もいる)に向ってまっしぐら,とますます勢いづくかのようにみえる某政党。ここにきていささか翳りが露になってきたかのようにみえる,右寄り路線を明確にしている某政党が,にわかにすり寄るようにして政権に合流しそうな雰囲気。それにつづく右寄り路線の二つの政党も,どうやら吸い込まれていきそうな雰囲気。のみならず,ノダ君まで,連立政権はありうる,というような発言をしたとか,しないとか。いやはや,あきれ返ってものも申せません。

 こうなったら,右寄り路線の大連合政権が誕生しそうだ。だとすれば,憲法改正(改悪)も,いともかんたんにできてしまいそう。となれば,こんどは国防軍だ,徴兵制だ,と強引に押し切られてしまうということになりかねません。このままだと,三分の二以上の議席を確保して,堂々と民主的という名の暴力のもとに,やりたい放題の政権が誕生してしまいそうです。そういう雰囲気をメディアが熱心に創り出しています。この流れは,ヒトラーが政権をとったときと,妙なところで,よく似ています。国家のピンチが,独裁者を生み出す,という点で。

 しかし,日本国家のピンチにはもうひとつあります。こちらの方がもっと大きなピンチです。いうまでもなく「原発」です。ここを,どのようにクリアするかが,まずは先決です。原発推進か卒原発か,これによって国家の基本的な姿勢が決まります。その議論をいかにかわして,目先の国防や経済に,国民の関心を引きつけて,批判の矛先をかわすか,右側政党は必死です。

 で,これまで鳴りを潜めていたオザワ君が「憲法改正議論は危険だ」と雄叫びをあげたらしい,のです。が,すぐに,マスコミは封じ込め作戦にでて,ほとんどの新聞は無視(取り上げない)。ネット上を一瞬ですが,流れていました。しかし,ここまできたらさすがのオザワ君も黙っているわけにはいかない,ということなのでしょう。選挙戦がはじまって,にわかに憲法改正(改悪)と国防軍の話が焦点化してしまいました。そして,さしたる議論の深まりもないまま,「ミサイル打ち上げ」風を追い風にして,一気に選挙で多数を占めてしまおうというのでしょう。なんと,唐突なことか。

 選挙のオザワ君が,最後のさいごにきて,どんな大逆転劇を思い描いているか,意表をつくつぎなるカードはなにか,わたしは興味津々です。共同通信の独自の調査によれば,まだ,4割以上の人が政党も候補者も決めていない,といいます。こんな,選挙の終盤にきて,こんなに多くの国民が意志決定できないまま(しないまま)でいるというのは異例のことだ,と伝えています。なのに,すでに,アベ君は政権をとったかのように,1月中旬にはアメリカ訪問を考えている,と口にしはじめて,といいます。

 そのアベ君が,10日発売の『文藝春秋』に論考を投じています。このタイミングで,です。掲載した『文藝春秋』も,なにを考えているのかと思いますが,投じた方は頭は確かか,と問いたいところです。ハシモト君がツイッターで発信することは選挙違反に相当すると,厳しい警告を受けています。ツイッターが駄目で,雑誌ならいい,という理屈は立ちません。こうなると,ひょっとしたら(かなり確実らしいのですが),このご両人は,選挙翌日には「逮捕」ということも起こりうるでしょう。ハシモト君にいたっては確信犯です。わたしは,まじめにルールを守っている人たちの立場に立ちますから,「逮捕」は当然だと思っています。となると,フクシマ女史も危ないかな? おやおやという人たちが芋ずる式に「逮捕」などという珍事が起こるかもしれません。

 こうなると,残りの4割の,これから意志決定をするという人びとに期待をかけるしかありません。どうか,賢明な選択をしてほしいと祈るばかりです。かく申すわたしも「卒原発」を目指す政党の中の,どこに「信」をおくことができるか,考えに考えを重ねているところです。ですから,わたしも,この残りの「4割」の中のひとりです。これから,大どんでん返しが起こるとすれば,この「4割」の人びとの手にかかっています。

 わたしの記憶では,もう,ずいぶん前になりますが,自民党圧勝とメディアが報じた参議院選挙で,無残な敗北を喫したことがありました。このときも,世論調査という名の操作が熱心に繰り広げられたにもかかわらず,最後のさいごで「雪崩現象」が起きて,大どんでん返し,大敗北という結果になりました。あるいは,これも記憶が定かではありませんが,選挙戦の最後のところで政権党の総裁の「暴言」「失言」で,一気に票がくずれ,大きく議席を失ったことがありました。

 選挙は一瞬で流れが変わるともいいます。
 そろそろオザワ君の出番ではないか,それも蜂の一刺しで。「憲法改正は危険だ」につづく,つぎなる一手は?囲碁好きなオザワ君のことですから,つねに,大局を眺めまわしてから,必殺の一手を繰り出すのではないか,と。

 少なくとも,「原発」ゼロと「憲法」改悪阻止だけは,わたしたちが果たすべき「義務」(シモーヌ・ヴェイユ)である,とわたしは考えています。わたしたちの生存にかかわる「根こぎ」を防ぐためにも。あとのことは,時間をかけて議論すればいい,それからのことだ,と。

2012年12月12日水曜日

原発推進派のみなさん,家・土地・家畜を捨てて,いまも戻ることのできないフクシマの人びとのことを考えたことがありますか。

 突然,大地震がやってきて,そのために原発に異常が発生して,放射性物質がまき散らされ,生まれたときから住み慣れた家・土地・家畜をそのままにして退去命令にしたがわなくてはならなかったフクシマの人びとのことを,そして,いまも戻りたくても戻ることのできないまま避難生活を強いられている人びとのことに思いを致す「こころ」を,わたしたちは失ってはいけません。

 こんどの選挙は,このようにして生活の基盤を,原発によって奪われてしまった人びとを,二度と生み出さない日本にするための,天下分け目の決戦です。この最重要課題をそっちのけにして,論点を別のところにすり替えて,原発問題をあいまいにするための,刺激的な論点をもちだし,多くの日本人に猫だましをかましている政党が,なんと有利に選挙戦を展開している,とメディア(このメディアが曲者ですが)が報じています。そして,やはり,そうなんだ,と思い込む日本人が増えている,とこれまた追い打ちをかけています。

 みんな,目の前の,一旦はわがものとした豊かな生活を脅かされたくない,と考えているようです。このこと事態は,ある意味では納得できます。しかし,そのためには,フクシマの人びとや沖縄の人びとのことは,無視していいと考えているとしたら,それは別問題です。自分の生活や安全が守られるのであれば,ほかの人のことはどうでもいい,とでも考えているとした,それこそ大問題です。自分さえよければ,他人のことはどうでもいい,と。

 しかし,それは大きな間違いです。しかも,根本的な間違いです。他人を切り捨てることは,自分を切り捨てることと同じだ,ということに思いを致すべきです。他者を殺すことは自分を殺すことなのです。他者がいなくなってしまったら,自分の存在は意味をなしません。他者があって,わたしが存在するのです。このことを,わたしたちの多くが忘れています。そして,自分だけよければいい,と勘違いしています。それが「自由」だ,と。

 原発事故で家・土地・家畜を捨てて逃げなくてはならなかったフクシマの人びとのことに,わがことのように深く思いを寄せられる感性を,わたしたちは取り戻さなくてはなりません。なぜなら,明日はわが身に起こることなのですから。わが身のことを大事にしたいと思ったら,フクシマの人びとを守り,救済することを,なによりも優先しなくてはなりません。それこそが,わが身を守るためのもっとも大事な第一歩です。

 原発ゼロを目指そうと覚悟を決めた人びとは,みんな,このことを深く胸に刻んでいます。しかし,不幸にして,偽りの情報にごまかされて,原発がないと駄目だよねぇ,と思っている人びとは,自分の手で自分の首を締めているということに気づいていない,哀れな人びとなのです。そして,目の前の,うすっぺらい「豊かさ」に目が眩んでしまっているだけの話です。

 いま,わたしたちが享受している「豊かさ」はほんとうに人間を幸せにする内実をもっているのでしょうか。むしろ,この,経済的なみせかけの「豊かさ」は,人間を不幸に追い込んでいる元凶なのだ,ということを知るべきです。一昔前,経済史家の大塚久雄は『ものの豊かさとこころの貧しさ』(みすず書房)という著作をとおして,大きな問題を投げかけました。つまり,物質的な豊かさは人間のこころを貧しくしてしまうと。

 わたしは,敗戦後の物資を著しく欠いた,貧しい時代を,小学校2年生から大学生になって以後も,ずっと生きてきました。いま,考えてみると,あの時代の方がはるかに人と人との絆が強く,お互いに助け合おうというこころを多くの日本人が持ち合わせていたように思います。ところが,いまの日本人は,経済的な豊かさを享受するとともに,みんな独立独歩をめざし,他人さまには迷惑をかけない,という閉じた生き方を是としているように思います。その結果として,みんな孤独になっています。

 今日,訃報を知って驚きましたが,小沢昭一さんも,貧しい時代の方が人びとが生き生きとしていた,目も輝いていた,とエッセイに書いています。わたしも,まったく同感です。

 だからといって,貧しくなれ,というつもりはありません。しかし,わたしたちが,将来的に,フクシマの人びとが味わったような辛い経験だけは忌避したいと思うのであれば,ここは原発ゼロをめざすしかありません。ここでは,これ以上は踏み込みませんが,原発を持てば持つほど,わたしたちの未来は絶望的になってしまいます。なぜなら,地震による事故のみならず,もし,そうではないとしても使用済み核燃料棒とは10万年は付き合わなくてはならないのですから。

 原発推進派のみなさん。もう一度,顔を洗って,覚めた頭で,考え直してください。原発を推進していっても,わたしたちの生活そのものは少しもよくはなりません。それどころか,天文学的な負債を背負うことになります。半永久的に,先祖代々,使用済み核燃料棒の奴隷になるしかありません。それだけは,なんとしても回避しなければなりません。

 住み慣れた家・土地を強制的に追われることを,シモーヌ・ヴェイユは「根こぎ」と表現しています。ユダヤ人として追われる立場を生きなくてはならなかったシモーヌ・ヴェイユにとっては,生きることの原点である「根」をもつことの重要性を,ひとりの哲学者として,だれよりも深く理解していたと思います。

 わたしたちは,いま,その「根こぎ」を拒否して,「根づけ」に向かうべき時代を生きています。こんどの選挙は,その二者択一でもあります。

 このことを原発推進派のみなさんに,強く訴えたいと思います。どうか,胸に手を当てて,みずからの良心に問いかけてみてください。お金がなくても,こころの豊かな生活はできます。いな,むしろ,お金と縁を切った方が,こころの豊かな生活はできます。それは多くの宗教が教えているところでもあります。人が「生きる」とはどういうことなのか,という根源的な問題が問われている選挙でもあります。

 しかし,ノダ君も,アベ君も,そこのところを考えることなく,いな,むしろ避けて,場当たり的な対症療法で政治を操ろうとしています。その軛から抜け出すこと,それが今回の選挙に臨むわたしたちのミッションではないか,と考えています。つまり,「根をもつこと」を軸に政治を考えるかどうか,ということです。

今夜はここまで。