2013年11月21日木曜日

野見宿禰と当麻蹴速の相撲は死者の鎮魂儀礼だった?(森浩一説)。出雲幻視考・その13.

 考古学者の森浩一さんが,近著『敗者の古代史』(中経出版,2013年刊)のなかで,わたしにとっては考えてもみなかった仮設を提示していて,びっくりしました。森さんの説によれば,野見宿禰と当麻蹴速の相撲は,垂仁天皇の妃(サホヒメ)の死を悼む鎮魂儀礼であった,というのです。しかも,奈良・若草山の山頂にある鶯塚は,このサホヒメを埋葬した古墳ではないか,と推定しているのです(P.52~65.)。これには驚きましたが,考古学のオーソリティが言うのですから,これからはこの説も視野に入れて考えないといけないのかな・・・・と考えています。

 森さんの仮設は,『古事記』(『日本書紀』よりも,こちらの話の方が面白いという理由で)の記述をよりどころにして,そこに最新の考古学研究の成果を重ね合わせながら,独自の推理を展開したものです。専門的なことはわたしにはわかりませんが,なるほど,そういう推理も可能なのかとなんとなくわかったような気にさせられてしまいます。

 まあ,古代のことは,少なくとも文書資料に関しては,ときの権力の都合のいいように改竄されていることは間違いないわけですので,そこに考古学という補助線を引いて,検証するという方法はとても魅力的です。そこに,最近では,その地域に古くから伝承されてきた祭祀儀礼や民話・伝説なども重ねていき,多面的に謎だらけの古代の秘密に迫ろうということが盛んに行われるようになり,古代史はいままた新たなブームを呼んでいるようです。

 いささか脱線してしまいましたが,話をもとにもどしましょう。
 サホヒメといえば,天皇である夫を捨て,兄・サホヒコとともに戦って命を落とした悲劇の主人公としてもよく知られているとおりです。このサホヒメを夫である垂仁天皇はこよなく愛していたと言われています。にもかかわらず,兄・サホヒコが天皇に謀叛を起こすことを知り,しかも,その兄から「兄と夫といずれが愛しき」と問われ「兄ぞ愛しき」と答えて,天皇の子を身ごもった身でありながら,兄のもとに馳せ参じて籠城してしまいます。そして,籠城中に男の子を出産,その子がホムチワケで,成人しても口が聞けなかったというあの王子です。ところが,出雲のオオクニヌシを祀る神社を天皇にも等しい立派なものに修復すれば,口が聞けるようになる,という夢見があって,そのとおりにしたら口を聞くようになった,という次第です。

 とまあ,この話をしはじめますと長くなりますので,あとはテクストで確認してみてください。いま,流行りの『古事記・現代語訳』(何種類も本屋さんに置いてあります)にも当たってみると,もっと面白いと思います。が,いずれにしても,天皇は悩み苦しんだのち,サホヒコ・サホヒメの兄妹を殺すことによって決着をつけます。そして,皇后であったサホヒメの葬儀の折の鎮魂儀礼として,垂仁天皇は野見宿禰と当麻蹴速を呼び出して相撲をとらせたのだ,というのが森浩一さんの仮設です。それの補説として,つぎのような有名な話を引いています。

 皇極元年(642年)に,百済(くだら)の大使〇〇(ぎょうき)の前で健児(ちからびと)に命じて相撲をとらせた(『記』)。この相撲は,大使の児と従者が死に,児を河内の石川に葬ったとする記事に続いている。葬儀にさいしての鎮魂のためとみてよかろう(P.61.)。

 さらに,森さんはつぎのような話も紹介しています。
 昭和六〇年(一九八五)八月,日航機が群馬県上野村の山中に墜落して大勢の人が亡くなり,犠牲者のなかに大相撲の伊勢ヶ浜親方の家族も含まれていた。数日後に部屋の力士が土少々を背負って山に登り,墜落現場にミニ土俵をこしらえ,四股(しこ)を踏んだ。鎮魂のためにおこなったのである(P.61.)。

 死者の鎮魂のために相撲をとるという古くからの慣習は,中国,朝鮮半島を通過して日本にも伝わっていた,ということもよく知られているとおりです。ですから,百済からの大使の子どもや従者の葬儀に相撲をとったとしてもなんの不思議もありません。

 しかし,森浩一さんの仮設とはいえ,若干の疑問が残ることも事実です。一つは,よく知られるように野見宿禰は当麻蹴速を「蹴り殺して」います。いうなれば,決闘のようなものです。というより,決闘そのものと言ったほうがいいでしょう。もう一点は,勝った野見宿禰は当麻蹴速が支配していた土地をそっくり頂戴しているということです。純粋な鎮魂儀礼であったとすれば,なにも「蹴り殺す」必要はないはずですし,まして,報償として土地を譲り受けるというのも妙な話です。さらには,サホヒメのための鎮魂儀礼だったとしたら,なぜ,『古事記』にそのように記述しなかったのか,そして,鶯塚のことも,なぜ,記述しなかったのか,という疑問が残ります。もっとも,森さんの推理が事実だったとしたら,それをそのまま記述して後世に残すことにはなにか禁忌に触れることでもあったのかもしれません。

 が,それでもなお,このあまりに有名な両者の相撲が「鎮魂」のための儀礼であったとする森さんの推理は捨てがたいものがあります。もう少し考えてみたいと思います。

 取り急ぎ,今日のところはここまで。

2013年11月20日水曜日

能面の撮影現場に立ち会う。カメラマン,デザイナー,編集者の絶妙のチーム・プレイを知り,感動。

 友人の能面アーティストの本の刊行がいよいよ軌道に乗り,仕事が動きはじめました。そのためのひとつの大きな山場の仕事であるすべての能面作品の撮影が今日(19日)の朝からはじまりました。わたしもお預かりしている能面作品(4面)を持って,撮影現場に馳せ参じました。場所は,能面アーティストのご自宅。全部で130面以上もの作品を撮影するというのですから,大変なことです。

 カメラマン,デザイナー,編集者の3人が揃ったところで撮影開始。わたしの興味は,友人の能面アーティストの全作品が一度にみられることと,プロのカメラマンがどんな風に撮影するのかということと,さらには,デザイナーという人の役割がどういうものなのかということ,の以上3点でした。もちろん,編集者は本の刊行までの全体のマネージメントをしていくわけですので,こういう撮影現場でどのような働き方をするのかということも,大いに関心がありました。

 いよいよ撮影がはじまりましたら,その瞬間からピンとした緊張感がその場にみなぎります。まず驚いたのは,撮影方法でした。一つは作品への光の当て方。ちょっとした光の当て方の違いによって映像がいかようにも変化するということ。カメラマンはデジタルカメラのディスプレイをみながら,矢継ぎ早にシャッターを切っていきます。そして,カメラマンのイメージに近い映像が得られた段階で,こんどは,その映像をパソコンで確認していきます。映像を大きく拡大して細部のチェックをしたり,色の出方を微妙に調整したり,明暗のバランスを確認したりしていきます。その上で,再度,カメラの位置や光の加減を調整しながら,撮影をつづけます。そうして,これでよし,というところまでカメラのディスプレイで確認し,それをパソコンでチェック。最終的な微妙な調整をしていきます。そして,カメラマンは「これだ」という画像を保存していきます。一つの能面の写真の画像が決まるまでに,これほどの手続きを経ていくのだということを知り,驚きつつ感心してしまいました。その間,カメラマンは真剣勝負です。

 その間,デザイナーと編集者は,画像を覗き込みながら,「あっ,いいですねぇ」とか,「もうちょっとアクセントをつけてみて」とか,「優しい表情がいいですねぇ」とか,「この能面は恐さを強調しようか」とか,カメラマンに声をかけながら被写体となる能面をセットしたり,片づけたりしています。そんな作業をしながら,さらに,これらの能面の画像がきれいに印刷できる紙質の相談をしたり,本の大きさ(サイズ)を決めたり,表紙の能面をどれにするか,というような話をしています。さらには,正面アングルからの映像だけではなく,能面によっては横から,上から,下から,あるいは,部分のアップ,という具合にカメラマンに注文をつけていきます。カメラマンはそれらの注文に応じて,驚くような画像を生みだしていきます。それを見たデザイナーと編集者は,誌面の構成の仕方や,能面の種類による分類の仕方や,この画像はこんな風に使おうとか,その瞬間瞬間のアイディアを出し合いながら,本の全体のイメージが共有されていきます。この三者の絶妙な呼吸が,みているわたしにはとても刺激的でした。そして,この三者の阿吽の呼吸がかみ合っているかぎり,この本はいい本になる,と確信しました。

 昼食をはさんだ雑談をとおして,この人たちが「ただ者」ではない,ということが次第にわかってきました。30代から40代の,どちらかといえば若い人たちです。しかも,3人とも,フリーランサーで,独立して立派な仕事をしている人たちです。しかも,話題の質のレベルがとても高いのです。無駄なことは言わず,ポイントを外さない話術を身につけています。ですから,とてもいい雰囲気をかもしだしています。ああ,やはり,どの世界でも一流といわれる人たちは,そのできが違う,と納得してしまいました。

 と同時に,カメラマンの仕事はたいへんなものだ,ということを肌で知ることができました。まず,なによりも体力勝負であること,そして,集中力,持続力,忍耐力,その上に「この画像で決まり」と見極める「眼力」(アーティスティックなセンス)が必要だということです。これは並大抵の仕事ではありません。そして,そのことを熟知しているデザイナーと編集者は,それとなくカメラマンを元気づけることばを発しています。この人たちもすごいものだ,と驚くことが多々ありました。しかも,この人たちに機嫌よく仕事をしてもらえるように,そこはかとなく気配りをする友人の能面アーティストも,いつもながらの,いや,それ以上の気持の籠もった振る舞いをみせ,すごいものだとあらためて認識し直しました。

 やはり,一流は違う,これが今日の撮影現場での体験から得られた結論です。そして,いい本はこのようにして生まれるのだ,と。
 まだまだ,勉強しなくてはならないことは山ほどある,と思い知らされた次第です。

 本が刊行されましたら,実名を挙げて,カメラマンさん,デザイナーさん,編集者さん,そして能面アーティストさん,みなさんのすごさについて,もう一度,語ってみたいと思っています。本は,来年2月刊行の予定だそうです。乞う,ご期待!
 

2013年11月18日月曜日

新国立競技場問題・その1.五輪開催基準を満たすため?とか。

 現在の国立競技場では,オリンピックを開催するためのメイン・スタジアムとしての基準を満たしていない,という。だから,建て替える必要があるのだ,という。単に,老朽化が進んでいるからだけではない,と。今日(17日)の新聞で初めて知った。

 わたしの記憶では,現在の国立競技場もスタンドを増築して,5万人以上の観客を収容できるようになっているはず。それでもなお,オリンピック開催のための基準を満たしていない,という。いったい,何万人の観客を収容せよ,とIOCは言っているのだろうか。そして,その基準をどのようにして定めたのだろうか。新しい付属施設になにを要求しているのだろうか。このあたりの精確で,詳しい情報がほしい(あとで,調べてみたいと思う)。

 もし,この話がほんとうなら,現状のままでオリンピックを招致できるだけのスタジアムをもっている都市はどれほどあるのだろうか。ロンドンですら,新しく建造したし,リオ(ブラジル)もいま新しく建造中という。たぶん,世界中のどこの大都市といえども,ほとんどの都市はIOCの要求する基準に合う競技場を新しく建造しなければならないだろう。ということは,どこの都市で開催することになるにせよ,メイン・スタジアムはすべて新しく建造するしかないのではないか。

 となると,もはや,これからの五輪招致は,大都市の,経済力のある豊かな都市以外は不可能だということになる。どう考えてみても,五輪開催可能都市は,相当に限られてしまうことは間違いない。だとしたら,これからのオリンピック開催都市は一定の基準を満たす,いわゆる先進国の都市の間を順番にまわっていくしかなくなる。五大陸を,可能なかぎり平等に,というオリンピック憲章の理念に反することになる。

 もっと,別の言い方をすれば,途上国で「小さなオリンピック」を小じんまりと開催するなどというコンセプトはもはや通用しなくなってしまった,ということだ。しかしながら,大きいことはいいことだ,自由・平等に競争をして,無限の進歩発展を夢見たヨーロッパ近代の考え方が,いまもそのままIOCを支配しているらしい。この考え方そのものが,とうのむかしに破綻しているというのに・・・。重厚長大という近代の価値観から,むしろ,軽薄短小の小回りのきく価値観が見直されつつあるというのに・・・。

 たとえば,原発問題がそうだ。ドイツではさっさとあきらめをつけ,それに代わる各家,各集落,各事業所,各村,各都市,という具合にできるだけ小さな単位で代替エネルギー(再生可能なエネルギー)の調達に取り組み,すでに大きな成果をあげていると聞く。

 かつてマンモスは,そのからだの大きさのゆえに生物界に君臨したが,逆に,からだの大きさのゆえに環境に適応できなくなり,絶滅してしまった,と聞く。オリンピックも,このままの路線を進むかぎり,その巨大で盛大なるがゆえに人気を博したものの,その巨大・盛大なるがゆえに維持・管理が不可能となり,やがては破綻していくのではないか,とそう思う。

 新国立競技場は,その規模といい,内部施設といい,出来上がれば「世界一」だそうな。その「世界一」の競技場を建設するためには,多少のこと(歴史的景観,やすらぎ,など)は犠牲にしてもいいと考えているらしい。どこぞの首相が考えそうな,経済発展のためなら人命も少々犠牲になるのもやむなし,その部分は「特定秘密」にすればことは済む,などという発想とどこかで通底しているようだ。新国立競技場建造構想が抱え込んでいる問題は,相当に根が深く,複雑怪奇なものであり,けして単純なものではない。その錯綜した力関係については,これから執拗に追求してみたいと思っている。

 その最大のポイントは,だれが得をするのか,だれのために建造するのか,というところにある。

 今日のところは,とりあえず,五輪開催基準を,いまある,あの巨大な国立競技場が満たしていないという事実にびっくり仰天した,というところにとどめておきたいと思う。そして,IOCという組織はいったいなにを考えているのだろうか,と疑問がいっぱい・・・・。

 こういう事実に対して,きちんとした批評をしない/できない土壌の方が,あるいは,もっと大問題ではないか。なぜなら,ここにも「自発的隷従」の陰が潜んでいる。それが当たり前である,それが自然なのだ,と勘違いするIOCを取り巻く不思議な(貴族的な)日常(常識)が,スポーツ界を牛耳っているらしい。われわれ庶民にはとうてい理解不能であるが・・・・。だからこそ,われわれのサイドからの厳正なる批評が重要な意味をもってくるはずだ。また,そうでなくてはならない,とわたしは信じている。
 

2013年11月17日日曜日

日馬富士,絶好調。千秋楽,横綱全勝対決を期待。中日8日目の取り組みの明暗。

 最後の4番だけでも,と無理に時間を空けて,息をこらして見つめました。どの相撲も,わたしの目には強烈な印象が残りました。

 まずは,日馬富士の相撲。この三日間の相撲のなかでは,もっともよかった。相手にすきをみせず,終始,攻めまくった一方的な相撲。こういう相撲がでるようになれば,もう安心。日馬富士の自信がもどってくる。さあ,こい,と。昨日の低い姿勢からの槍で突き刺すような立ち合い。そして,のど輪攻め。残るところを,はたき込み。前々日は,当たった瞬間に右に体を開いて左上手をとり,すぐに出し投げ,寄り切り。そして,今日の相撲。三つのパターンの日馬富士の相撲を白鵬に見せつけた,というべきか。まだまだ得意のヴァリエーションはいくつも残っている。が,そこに至る前に勝負をつけている。絶好調のなによりの証。なにより,足首の状態がいいようだ。だから,思い切った相撲をとることができる。これでこそ日馬富士の相撲だ。後半戦が楽しみになってきた。

 それに引き換え,今日の白鵬の相撲はいささか手順が狂っていた。押しても下がらない,はたいても落ちない,そこでややあわててドタバタした。そのあと,はじめて気合を入れなおして,突き放しにでる。これは強烈だった。ここで勝負あった。勢いあまって土俵下に落ちた白鵬が,呆然として中空をにらんでいる。納得がいかない,という顔。いや,どうしてこんな相撲になってしまったのだろう,といぶかしんでいるようだ。昨日までの,無駄のない,流れるような相撲とはまるで違っていた。豪風を褒めるべきか。今日の相撲をみるかぎりでは,どことなく白鵬に不安が残る。稀勢の里戦あたりがひとつの見極めとなるか。

 稀勢の里が首投げで豪栄道に投げられてしまった。立ち合いすぐに得意の左が入って,ここで勝負あった(と本人も思ったに違いない)と思ったら,とんでもない落とし穴が待っていた。左を差されて右腕が上に上がってしまった豪栄道は,窮余の策で,そのまま右を相手の首に巻いて投げにでる。これは無理だろうと思ってみていたら,首が決まってしまったのか,途中からあっけなく稀勢の里の体が一回転して落ちていった。こんなこともある。が,ほんのわずかな予感がわたしにはあった。豪栄道が最後の塩を握ってそん居しているとき,かれの眼は「狼」のように青白く光ってみえた。あっ,この眼はなにかある,と直感した。いつもの眼ではなかった。

 鶴竜と高安戦。相撲は鶴竜の一方的な相撲だったが,いまひとつ冴えがない。大関に上がってきたときの,あのキラリと光る冴えが,まだ戻ってこない。そろそろスランプから脱して,もうひとまわり大きくなっていいと期待しているのに。どこか怪我をしない相撲を意識しているかのように,やや,相撲が縮んでしまっている。小さい相撲になっている。もっと,攻めるときは思い切って攻めるべきではないか。どこかできっかけをつかめば,また,以前の冴えのある相撲がもどってくると期待している。わたしは,むかしから,この力士はただ者ではない,とにらんでいる。まだ,どこか目覚めないまま低迷しているようだ。今場所は,久しぶりに日馬富士が冴え渡っているのだから,尊敬する横綱の相撲をみて目覚めてほしいものだ。

なぜか,順番が真逆になってしまったが,今日,わたしのみた相撲の感想まで。
今日の相撲をみるかぎりでは,白鵬にやや不安,日馬富士が波に乗るか,という印象。まあ,白鵬が取りこぼすことはありえないので,このまま波に乗った日馬富士と,千秋楽全勝対決となることをこころから期待している。そうして,歴史に残る大一番を展開してみてほしい。

 大いに期待しよう。
 

圧政者の詐術(1)──遊戯(『自発的隷従論』,P.52.)

 エティエンヌ・ド・ラ・ボエシの『自発的隷従論』は,しばらくは手放せないほどにのめり込んでいます。どのページを開いても,すぐに惹きつけられていく,不思議な本です。ですから,これからしばらくは繰り返しこのテクストの内容をとりあげることになりそうです。

 たとえば,P.52以下で,「圧政者の詐術」という見出しを立てて(1)から(5)まで論じています。つまり,圧政者は意図的に詐術を用いて民衆を誑かしているといい,以下の5項目をあげています。すなわち,(1)遊戯,(2)饗応,(3)称号,(4)自己演出,(5)宗教心の利用,の五つです。

 そこで,今回は,その(1)に相当する「圧政者の詐術(1)──遊戯」を取り上げてみたいと思います。ラ・ボエシによれば,圧政者が民衆を誑かす詐術の筆頭が「遊戯」だというのです。ここでいう「遊戯」は,日本語でわたしたちがふつうに理解しているものとはいささか意味が違います。ホイジンガの名著『ホモ・ルーデンス』でもちいられた「ルーデンス」の意味だ,とひとまず言っておけばいいでしょうか。

 「ルーデンス」とは広い意味での「遊び」のこと。ですから,「ホモ・ルーデンス」とは「遊ぶ人間」というほどの意味になります。つまり,人間の存在規定を「遊び」に求めたホイジンガの思想を象徴することばでもあります。

 ラ・ボエシはこのホイジンガが用いた「ルーデンス」(ludens)というラテン語の ludeの語源になったとされる歴史上の話題を紹介しながら,ludus  を用いています。このラテン語に訳者の山上浩嗣さんが「遊戯」という訳語を当てたという次第です。ですから,ひとまず,ありとあらゆる人間の「遊び」「娯楽」「享楽」「遊楽」「スポーツ」などを総称して「遊戯」としたと考えることにしましょう。そして,その「遊戯」が,民衆を誑かすための圧政者の都合のいい道具として用いられた,とラ・ボエシは指摘している,と考えればほぼ間違いはないでしょう。しかも,圧政者の詐術の「筆頭」に「遊戯」が挙げられている,というわけです。(なお,この点については,訳者による詳しい訳注がついていますので,そちらもご確認ください。)

 となりますと,スポーツ史やスポーツ文化論について考えてきたわたしとしては聞き捨てにするわけにはいきません。ラ・ボエシはつぎのように述べています。

  「芝居,賭博,笑劇,見世物,剣闘士,珍獣,賞牌(しょうはい),絵画,その他のこうしたがらくたは,古代の民衆にとって,隷従の囮(おとり),自由の代償,圧政のための道具であった。古代の圧政者は,こうした手段,こうした慣行,こうした誘惑を,臣民の軛の下で眠らせるためにもっていた。こうして民衆は阿呆になり,そうした暇つぶしをよきものと認め,目の前を通り過ぎる下らない悦びに興じたのであり,そんなふうにして隷従することに慣れていったのだった。そのありさまは,彩色本の目にも鮮やかな挿絵を見たいばかりに読みかたを習う小さな子たちとくらべて,愚かさの点では同じくらいであったが,罪の点からすればより深刻であった。」

 この『自発的隷従論』が書かれた1546年(16歳とする説と,18歳・1548年とするのふたつの説がある)当時のフランスという時代や社会のことを,まずは念頭に置いてこの文章を読む必要があります。それともう一点は,ラ・ボエシが16歳(あるいは18歳)のときに書いたという事実です。つまり,「若書きの荒っぽさ」も散見されるということ,ただし,それでもなお問題の核心ははずしてはいないという点も合わせて考える必要がある,ということです。

 おそらく,このような文章を書いた当時のラ・ボエシの念頭には,古代ローマの「パンとサーカスを!」と叫んだ民衆と皇帝の関係があったに違いないでしょう。だからこそ「こうしたがらくた」である「遊戯」は,まぎれもなき「隷従の囮,自由の代償,圧政のための道具」でしかない,とラ・ボエシは考えたのでしょう。つまり,圧政者(皇帝)による愚民化政策の一貫として「遊戯」は大いに役立ったという点に注目し,そういうくだらない「遊戯」が日常化することによって民衆は「思考を停止」し,いつのまにか民衆は「隷従することに慣れていったのだった」とラ・ボエシは指摘します。

 この隷従のからくりを古代の話としてラ・ボエシは語っていますが,これを読むわたしには,これはこのまま現代日本の情況とほとんど同じではないか,と読めてしまいます。その典型的な事例は,こんにちのテレビの番組をみればわかります。いわゆる夕食時のゴールデン・アワーの番組は,まさに,ラ・ボエシがいうところの「がらくた」番組ばかりです。こういう「がらくた」番組がもっとも視聴率をとるというのですから,現代日本人も,「パンとサーカス」を求めた古代ローマ人となんの違いもありません。

 こういう「馬鹿番組」(このなかにはスポーツ番組も含まれます)をひたすら垂れ流すことによって,国民の眼から「脱原発」論を遠ざけ,「沖縄基地問題」を忘れさせ,いま,もっとも議論されなくてはならないはずの「特定秘密保護法」や「TPP」にも蓋をしてしまう・・・・・この恐るべき「暴力装置」に,わたしたちはもっともっと批評の眼を向けるべきでしょう。そうしないかぎり,わたしたちは,無意識のうちに,つまり,まったく自覚のないまま,「隷従することに慣れて」しまい,それが日常化し,気づいたときには立派な「自発的隷従」の軛にはまっている,というわけです。

 わたしたちは,いま,まさに,そういう情況のなかで生かされている,ということです。

 2020年東京五輪の話題もまた,こうした「自発的隷従」を推進していくための立派な「道具」であり,国民をマヒさせるための圧政者にとってはまことに都合のいい劇薬である,ということを私たちは忘れてはなりません。もう,すでに,その劇薬が効き過ぎていて,完全なるマヒ状態を生かされているといっても過言ではありません。少なくとも,そういう「自覚」をもつことから始めなくてはなりません。

 そういうことを,このテクストは,わたしの胸に突きつけてきます。もっともっと深く思考を練り上げていきたいと考えています。今日はここまで。
 

特定秘密保全法に反対する署名活動にご協力を。

 以前,このブログでも取り上げましたが,「特定秘密保護法案」の全文を熟読してみて,これは戦前の「治安維持法」の現代版ではないか,と空恐ろしくなりました。ふたたび,第二次世界大戦の時の戦時体制への備えを,いまから始めようという意図が丸見えです。いったい,この国の憲法第9条はどうなってしまったのか,そして,それよりなにより「国民主権」の憲法の精神を真っ向から否定するものにほかなりません。そんな恐ろしい法案が十分な審議もなされないまま,多数の暴力で押し切られようとしています。

 諸般の事情で,街頭デモには参加できない人も,せめて「署名」運動をとおしてその意志を表明することはできます。国民としての,ささやかな意志を,しかし,決然たる意志を国会議員に伝えたいと考えています。

 以前,「特定秘密保全法への反対を国会議員に請求するキャンペーン」が知人より送信されてきて,それに「賛同」しました。そして,「電子署名」をいたしました。が,それでは署名として認められないとのこと。そこで,本人の手書き署名をして,郵送して欲しいという依頼がありました。もう,残り時間もありませんが,緊急のお願いをみなさんにもいたしたいと考えました。まことに恐縮ですが,こころある人は,ぜひ,下記の方法で署名・郵送をしてくださるよう,お願いいたします。

 いろいろの経緯がありますが,現段階では,下記の団体が署名を国会議員のところに届けてくれることになっています。
NGOs Civilian Platform Japan
http://www.sonegoro.jp

 署名は以下のURLから署名用紙をプリントアウトして,本人の手書きで,名前・郵便番号・住所を記入してください。
https://drive.google.com/file/d/18HkglYx-eJEMjz8b8TqdGDzj84HquZs3cL5Q3ZTgw00IGoxGFgfs48S-hA09/edit?usp=sharing

郵送先は以下のとおりです。
〒279-8799
浦安郵便局留
千葉県浦安市富岡1-19-7
藤原節男様

 以上です。
 お手数をおかけしますが,よろしくお願いいたします。
 わたしも,ささやかではありますが,可能な範囲で,こんごもみずからの意志表明をしていきたいと考えています。重ねて,よろしくお願いいたします。

 取り急ぎ,お願いまで。

※〔追記〕署名用紙をプリントアウトできない場合には,その上に書いておきましたNGOs Civilian Platform Japan のURLを開いてみてください。ホーム・ページの下の方に,署名用紙のファイルを請求することができるようになっています。お手数ですが,よろしくお願いいたします。

2013年11月15日金曜日

戻ってきた尾車親方の名解説。顔も声も調子も違うが,力士への鋭いまなざしと思いやりのことばは以前と同じ。嬉しいかぎり。

 初日の日馬富士の相撲をみて,よし,今場所はいけると確信しました。全体重をかけてわたしはそう思いました。ですから,毎日,最後の取り組みの二番だけはこの眼でみておきたいと心がけています。今日は少し早めに帰宅して(小雨が降っていたので),すぐに大相撲をみました。午後5時20分ころからのいい取り組みに間に合いました。

 テレビを点けてみたら,実況中継のアナウンサーの声もわたしの知らない人だったし,解説の人の声も聞き覚えがありません。あれっ?今日はどういう人が大相撲中継をやっているのかな,と思いながら画面を見入っていました。が,聞こえてくるのは,いつもの元横綱の解説とはまるで違う内容になっていました。しかも,内容がいつもとはまったく違います。

 期待していた豪栄道の取り組みについて,今日の解説者は,みごとに勝負の分かれ目を分析した上で,「今日は負けたけれども,まだまだ,これからです。豪栄道は力があるのだから,自分の相撲を建て直して,内容のある相撲をとることです。そうすれば,大関への道は見えてきます」と言っている。おやっ?と思いました。この物言いは,どこかに記憶がある,と。

 そう,こういう思いやりのある解説は,その昔,尾車親方の語りでした。ですから,わたしは尾車親方の語り以外には記憶がありません。こんな話は尾車親方以外にできるはずはない,と思いつつ,半信半疑でした。やはり,尾車親方かな?と思いめぐらせていました。ところが,声が違う。しゃべる調子も違う。だれだろう?と思いながら耳を傾けていました。

 稀勢の里と豊ノ島が土俵に上がったとき,この相撲は面白いとわたしは密かに期待していました。場合によっては,一波瀾あるぞ,と想定しながら。そして,稀勢の里がしっかりと豊ノ島を自分の正面に組止めて,落ち着いて裁けば,このあとの稀勢の里の相撲が決まる,とふんでいました。そうしたら,まったく同じ内容のことを尾車親方が丁寧に説明していました。わたしは大いに自信を得て,テレビに見入りました。

 その直後にアナウンサーと解説者の顔が画面に登場。おお,この顔はこの間,別の番組でみた病み上がりのままの,尾車親方の顔ではないか。アナウンサーの顔はわたしが初めてみる人。それにしても驚きました。これまで聞いていた解説は尾車親方だったのだ,と。ならば,すべて納得。それにしても,あの語り口はかつての尾車親方のそれとは違います。

 尾車親方のしゃべりは,まだまだ半開くらいか。それにしても,大病後の語りとしてはできすぎ。こんな解説ができるまでに復活しているとは夢にも思っていませんでした。ですから,思わず尾車親方が戻ってきた,と大きな声でテレビに向かって吼えていました。

 しかし,以前のような元気のいい,そしてテンポのいい,それでいて舌がややもつれるような愛嬌のあるおしゃべりではない。全開ではない。しかし,もう,ほとんどそれに近い。それだけでわたしは嬉しくて,琴風,いいぞ!j吼えていました。

 でも,尾車親方は,ことばを選び,慎重に,落ち着いた語りになっていました。以前のような舌がもつれるような,ちょっとばかり愛嬌のある語りをほんのわずかだけのこして,あとは,ごくふつうの人の歯切れのいいしゃべりになっています。全体的には痩せて,顔の肉も落ちています。ふたまわりほど痩せたのだろうと思います。たぶん,口の中の形(口腔)も変わったのだろう,とおもいます。もう,ごくふつうの人と同じ,すっきりしたものの言い方になっています。

 ですから,とても,同一人物がしゃべっているとは思えませんでした。しかし,相撲をみる鋭さとその分析力,それを語るときの理路整然とした語り口,そして,いつも忘れない,負けた力士へのエール(おもいやりのことば),は健在そのものでした。ああ,いいなぁ,としみじみ尾車親方(わたにとっては大関琴風のあの雄姿の方が強い)へのリスペクトが大きく膨らみました。この人とは一度,直に,会って話をしてみたいといまさらながら思います。それは,わたしにとっては「人間的魅力」そのものです。わたしと会ったとき,このひとはいったいなにを語るだろうか,とそれだけがわたしの興味の中核です。

 今日の,最後の取り組みとなった日馬富士と隠岐の海との対決を,尾車親方はどのようにみているのだろうか,とわたしの胸は高鳴りました。しかし,ここでも尾車親方とわたしの見方はほとんど同じ。低い姿勢からの相手の胸元に突き刺さるような鋭い立ち合いが戻ってきたこと,これが戻ってくれば,あとは持ち前の相撲勘とスピードに任せて,自由自在に相手を翻弄することができます。そして,このまま白星を重ねていって,優勝争いはもとより,千秋楽の全勝対決がみてみたいですね,と尾車親方。

 この両者の相撲内容は,日馬富士が真っ正面からいくと見せかけて,体を右にやや開き,すばやく左上手をとって,そのまま出し投げを打って,残るところを寄り切り。これも日馬富士が得意とする相撲の一つ。これを決めるには,鋭い立ち合いあるのみ。このことの重大さを尾車親方も,縷々説明がありました。わたしは嬉しくて,尾車親方と,ほぼ同じようにつぎの取り組みを予想できることに,もう,万歳しかありません。

 さて,これからしばしば尾車親方がテレビ解説に登場して,徐々に,かつての名調子をとりもどしてくれることを,いまから祈っています。この人の相撲解説は,天下一品,アートにも等しいとわたしはこころからのエールを送りたいと思っています。

 大相撲の醍醐味を,わかりやすく,教えてください。尾車親方こそ,その最適任者。 
 わたしはわたしなりのやり方で,大相撲の奥義に迫ってみたいと思います。


島倉千代子,逝く。75歳,寅年。死ぬ3日前までスタジオで吹き込み,とか。 おみごと,万歳。

 この人の声と,あのコロコロところがる節回し,そして,歌に籠められるこの人の深い情感がわたしのからだに,わたしの人生とともにしみこんでいる。突然の訃報を聞いて涙した。なんだか知らないが,涙した。わたしにとってはそういう歌手だった。

 「東京だよ お母っさん」をラジオで聞いたのが最初だった。まだ,高校生だった。なんという歌手なんだろう,とびっくりした。こんな歌い方をする歌手は初めてだった。それまで聞いてきた演歌歌手とはまったく異質のなにかを直感した。すごいっ!と思った。上手・下手を超越したなにかがつたわってきた。それ以後,この人の歌はじっと耳を傾けて聞いた。いい。とても,いい。ことばにならない「なにか」が間違いなくとどいてくる。からだの芯まで,ビリビリと「なにか」が響いてくる。いつも,いつも,いいなぁ,と思いながら聞いていた。ラジオで。

 その翌年に大学受験のために上京した。父の知人の家にお世話になった。その初日に,試験会場を確認しに都心にでた。その帰り道に,東京駅から歩いて皇居前に行き,「東京だよ お母っさん」を口ずさみながら,初めて二重橋の前に立った。その記憶がいまも鮮明に浮かんでくる。いまでも,お千代さんの声が頭のなかで鳴り響く。いいなぁ,といまも思う。

 わたしとお千代さんとは同じ寅年生まれ。一つ年上の丑年生まれに美空ひばりがいて,江利チエミがいて,雪村いずみがいた。こちらは「三人娘」というキャッチ・フレーズで歌に映画で大活躍をしていた。しかし,島倉千代子だけは,ひとり,別個の道を歩んだ。だれとも気軽に馴れ合ったり,馴染むことを拒否するような,孤高の道を歩んだ。つまり,個性がまるで違うのだ。歌の質も違う。どこか孤独感を漂わせる,深い響きがあった。そこが好きだった。

 大学一年生の秋に,島倉千代子ワンマンショウのチケットがあるが,一緒に行かないかと同級生の女の子に誘われた。えっ,おれでいいの?とかいいつつ,いそいそとついて行った。その彼女は,わたしが島倉千代子の熱烈なファンであることを知らないまま,誘ったらしい。わたしは着席するなり,入り口でもらったパンフレットに読みふけり,一緒に行った彼女とはほとんど口もきかなかったらしい。そして,歌がはじまったら,もう,全身全霊を傾けて島倉千代子に聞き入っている。わたしにとっては,初めてのライブである。島倉千代子の歌に生で触れる,初体験。

 終わったあと,彼女は食事に誘ってくれたように思う。が,わたしは田舎からでてきたばかりの木偶の坊。ただ,島倉千代子の歌の余韻に浸りたくて,食事を断り,ひとりで夜の町をさまよっていた。それっきり,彼女との縁は切れた。当たり前である。あまりに,わたしは「ウブ」だった。

 それからしばらくして,テレビが電気屋さんの店頭に並ぶようになり,デモ用のテレビで島倉千代子をみかけると立ち止まって聞き入った。同じ歳の女の子が,それも天才歌手が,輝いていてまぶしかった。すごいなぁ,とひとりで感心していた。なによりも,島倉千代子の純粋なあどけなさというか,おちゃめな可愛らしさというか,いちずな思いというか,彼女の素のこころのようなものが歌をとおして伝わってくるのが,そこはかとなく嬉しかった。

 同郷の出身者ばかりが生活する学生寮で暮らしていたが,わたしが島倉千代子が好きだということは,だれにも言わないで内緒にしていた。その方が日々,充実した生活がてきるように,その当時はまじめに思っていた。たったひとつの秘密を抱え込みながら生きるのは,なんとも楽しかった。というか,ときめきがあった。まだ,初恋も知らないウブな大学生だった。

 島倉千代子はつぎつぎにヒット曲をとばした。そのつど,わがことのように嬉しかった。順番も,もう定かではないが,「この世の花」「からたち日記」「人生いろいろ」など,それぞれに忘れられない思い出がある。それを語りだしたらエンドレスになる。

 それにしても,阪神タイガースの中軸バッターだった藤本選手と結婚したときはショックだった。それは違うだろう,と。やはり,この結婚は長くはつづかなかった。ここからお千代さんの苦難の人生がはじまる。そういう苦難を一つひとつ乗り越えながら,そのたびに,あたらしい歌の境地が開かれていったように思う。

 島倉千代子の個人的な苦難のつづく人生には同情もしたが,それ以上に歌のできばえに意識を集中していた。たとえば,「人生いろいろ」がでてきたときには驚いた。それまでの歌とはまったく雰囲気の違う歌の出現に,大丈夫か,と思ったほどだ。が,そんなことは杞憂だった。歌い込まれるほどに,こちらの耳も馴染んできたのか,しだいに味がでてくる。今夜も久しぶりに聞いたが,いいなぁ,とほんとうに思う。うまい,というより味がある。

 ことしは,気のせいか,なじみの有名人がばたばたと逝ってしまう。まだ,わたしより年上の人なら順番だから仕方がない,とあきらめもつく。しかし,島倉千代子はわたしと同じ歳だ。これは辛いものがある。

 でも,お千代さんは自分の部屋にシタジオを作ってもらい,亡くなる3日前まで歌の吹き込みをやっていた,という。もちろん,死期が近いことを承知の上で。おみごと。立派。お千代さんに万歳を捧げたい。そして,たくさんの思い出をありがとう,とひとこと。

 明日は,DVDを買いに行こう。そして,もう一度,お別れにじっくりと聞いてみよう。あの,だれにも真似のできない「お千代さん節」を。
 

2013年11月14日木曜日

「股関節を緩める」こと,「沈する」こと,「腰を回転させる」こと,「曲線を描く」こと,「尾てい骨を巻き込む」こと。李自力老師語録・その39。

 「股関節を緩めなさい」,とこれまでどれほど言われてきたことか。それはつぎの動作で「力を導き出す」ための準備局面として不可欠です,と。つまり,それは「力を溜める」ことであり,「力強さ」を表出するための最大のポイントです,と。

 じつは,「股関節を緩める」という表現ほど奥が深く,理解が困難な動作はない,とわたしはかねがね考えてきました。なぜなら,なにを,どのようにすれば「股関節を緩める」ことになるのか,自分のからだで感じ取ることができないからです。つまり,膝の屈伸運動や伸脚運動は随意運動ですので,頭で考えて命令すればからだは,それなりに動きます。しかし,「股関節を緩める」という動作はそうはいきません。

 ですから,わたしは,「それらしきこと」を見よう見まねでやってきました。しかし,今日(13日)の稽古で,「腰が回転していない」という厳しい指摘を受けました。そして,それは「股関節を緩め」ていないからだ,と李老師は仰るのです。そして,いつものように「悪い見本」と「正しいお手本」とを実演して見せてくださいました。「悪い見本」は,みごとなほどの「ものまね」で,自分のことながら爆笑してしまいました。その上で「正しい見本」を見せてくださいました。眼で見れば,なるほど,とこころの底から納得です。

 しかし,「股関節を緩める」ということが自分の体感としては,いまひとつ,ピンときません。そこで,勇気を奮い起こして(というのは,質問することが恥ずかしかったので),「股関節を緩める」ということがまだよくわかっていません,それはどういうことなのか詳しく教えてほしい,と聞いてみました。すると,李老師の眼がキラリと光り,やや間があって,つぎのようなお話をしてくださいました。それを精確にここに記述することはきわめて困難なのですが,いつものように「如是我聞」という前提で書いてみますと,以下のとおりです。

 「股関節を緩める」ということばは中国語では「沈する」と言います。それは膝の関節を曲げて「沈する」のではなくて,股関節の部分をほんのわずか「沈する」のです,と。そうして,さまざまなスポーツでも,力強い動きを発動させる寸前には必ず「股関節を緩め」ています,つまり「沈して」います,と。そして,上手,下手の分かれ目は,この「股関節を緩める」というところにある,つまり「沈する」ことが自然にできているかどうかにある,と。

 この「沈する」ことがわかれば,自然の流れとして「腰の回転」運動が,意識しなくても起こります,と。そして,その動作は間違いなく「直線」ではなくて,「曲線を描き」ます,と。そう言って,立ってたばこを吸っている人の「ものまね」をしてくださいました。そして,その横にいる友人に話しかけると,その友人もまた無意識のうちに「腰を回転」させて向き合いますと仰り,その声をかけられる役をわたしに与えました。そして,やってみますと,わたしのからだはなにも考えないのに「腰を回転」させて向き合っています。このとき「沈する」が無意識のうちに起きている,つまり,「股関節を緩め」ている,と仰います。

 そして,それは直線運動ではなく,かならず「曲線を描く」ことになります,と仰ってイエマーフォンゾンの動作を何回も繰り返しやってみせてくれます。わたしたちも一緒に,必死になって,そのあとを追います。が,やはり,どこか違います。さらに,わたしは勇気を奮い起こして質問をしてみます。すると,意外なことに「尾てい骨を巻き込む」ときにも「沈する」のだ,と仰る。「えっ?!」とわたし。李老師はわざわざその部分だけをやってみせてくださいます。なるほど,言われてみれば「沈して」いることがわかります。

 さあ,これは大変なことになった,と初めてわたしは気づきました。なぜなら,力を表出させる動作のとき以外は,つねに「沈して」いる,と気づいたからです。これまでにも「余分な力は抜きなさい」とつねづね言われてきたのですが,つねに「沈する」ことによって,あの李老師の滑らかな,流れるような動作が生まれているということに気づいたからです。

 さあ,こうなったら,稽古あるのみ,です。
 今日の稽古は薄皮を一枚はがしたように,「沈する」世界が見えてきました。これはとてつもなく大きな前進だと受け止めています。李老師に感謝あるのみです。「老師,謝謝!」。これから気持を入れ換えて稽古に励みますので,こんごともよろしくお願いいたします。
 

2013年11月13日水曜日

老人は肉を食え,だどっ?! NHKクローズアップ現代の制作者のみなさん,大丈夫ですか?

 老人は肉を食べてはいけない,とかつて栄養学の権威者といわれる人がテレビで声高らかに仰った。そのとき,わたしは「ヘエッ,そんなもんかねぇ」と半信半疑。でも,その後に登場した多くのテクストも同じように,老人は肉を食べない方がいい,と書いてありました。わたしは大いに疑問を感じながら,栄養学の権威者がそう仰るのなら,そうなのかなぁ,といぶかしげに考えていました。でも,そのころのわたしは(60歳),どういうわけか肉がとても好きで,美味しくて,一週間に2,3回は肉を食べたいと思っていました。ですから,栄養学の先生方のいうことを無視して,「食べたいものは食べる」という原則のもとに,食べたくなったら肉を食べる,を実行していました。そして,魚が食べたくなったら魚を食べる。野菜が食べたくなったら野菜を食べる。つまり,そのときのからだがなにを食べたいと言っているか,そのときのからだの「声」に耳を傾け,それに従うことにしていました。そして,こんにちまで生きてきました。

 まあ,いまさら断るまでもありませんが,わたしは徹底して栄養学などの知見は無視して,いま,なにが食べたいか,というその日,その時のからだの声に忠実にしたがうことを心がけてきたつもりです。それがよかったか,どうであったかは,いまのわたしにはわかりません。が,いまのわたしは,絶好調で,なにも言うことはありません。間違いなく,絶好調です。

 正直に言っておきますと,栄養学を,半分は徹底的に勉強した成果であると思いますが,あとの半分は徹底的に栄養学を無視した結果なのだろう,と思っています。つまり,科学を半分信じて,あとの半分はわたしのからだの声に比重を置きながら,生きてきたということです。

 ところが,今日(12日)のNHKクローズアップ現代の番組をみていて,「冗談じゃあない」とまたまた大きな声でテレビに向かって怒鳴っていました。たぶん,このマンションのとなりの部屋の人ばかりではなく,上下左右すべての人たちに,わたしの怒鳴り声が響きわたっていたと思います。申し訳ありませんでした。お許しください。

 でも,どうしても抑え難い思いを声にすることは,その瞬間くらいは許してもらえるのではないか,とみずからの甘えの気持にもたれかかりながら,本音の気持を声にして思いっきり吼えていました。ご迷惑をおかけしました。もし,よろしければ,こんご,わたしが吼えているときには,どうぞ,押しかけてきてください。いったい,なにごとですか,と。その代わり,あとは,わたしの,Der getrunkener Mensch (単なる酔っぱらい)と成り果てた,もう一人のわたしという人間とお付き合いをしていただきます。

 でも,酔っぱらってからの発言は意外とことの本質をとらえているように思います。そこには,嘘も,計算も,打算もなにもありません。むしろ,わたしの正直な本音が露呈しています。ですから,わたし自身としては,酔っぱらって,夢中になって話していることのなかに,むしろ,真実があるのではないか,と思っています。ですから,どうぞ,ご心配なく。

 今日のテレビで「むかっ」ときた最初は,以下のとおりです。
 冒頭で,三浦雄一郎を紹介しながら,肉をもりもり食べている姿をアップで強調します。そして,すぐに,老人は肉を食べましょう,というキャプションがつづきます。そして,三浦雄一郎さんが元気な秘密は「肉をもりもり食べることにあった」という,まことしやかな,じつにいい加減なコメントをつけて,そこから話を展開していきます。

 このやり方に最初の異議申し立てです。なぜなら,三浦雄一郎さんという人は,並のひとではありません。言ってしまえば,一種の化け物です。平均値から大きくはみ出した,異常に丈夫な人間です。その桁外れな異常な日常を生きている三浦雄一郎さんを,歳をとっても元気でいられるんですよ,というサンプルとして冒頭に提示していることです。

 しかも,そのすぐあとに,88歳でカメラを片手に元気に写真を撮って歩いている関屋さんという女性が紹介されます。そして,元気なことはこれまでと同じように変化していないけれども,歩くときの歩幅が狭くなった,と関屋さんは嘆きます。自宅から駅まで歩くのに,これまでよりも時間がかかるようになって困る,と言わせています。

 映像をみるかぎりでは,とんでもない,年齢不相応に元気一杯です。なのに,関屋さんの一日の食事のメニューを紹介して,これでは栄養不足である,とコメントしています。しかし,どう考えてみても,わたしの一日のメニューよりもはるかに栄養価のあるものを食べていらっしゃいます。なのに,関屋さんの衰えは栄養不足にある,と断定しています。

 ですから,わたしは吼えてしまいます。おれよりいいものを食っているぞっ!,と。じゃあ,おれも栄養不足なのかっ!,と。

 でも,番組では,こういう人は体内の「アルブミン」という蛋白質が少なくなっていて,筋肉が衰え,血管が脆くなっていて,免疫力も低下している,と科学的な根拠を提示し,だから,歩くスピードが低下するのだ,と説明します。そして,その理由を,関屋さんが肉を食べないから栄養失調となり,筋力が低下するのだ,というところにもっていきます。しかも,たった一日だけのメニューを取り上げての説明です。せめて,一週間のメニューを提示してから結論づけてほしい。

 ですから,「えっ?冗談じゃない!」と思わず大きな声をだしてしまうわたし。

 しかも,ご丁寧に,その根拠として,実験データを提示しながら,名古屋大学名誉教授の蔦谷さんが説明してくれます。老人とはいえ,4,50歳代と同じ肉を食べてほしい,と。仰る。ほんまかいな,とわが耳を疑ってしまいます。まさに,木をみて森をみない,そういうサイエンス偏重の典型的な例をみる思いがしました。蔦谷さんは,たぶん,もっと丁寧な説明をしたはずです。問題は,こんなレベルの低い編集をして平気でいる番組制作者の横暴にある,とわたしは考えています。

 しばらく前までのクローズアップ現代は,もう少しきめ細かな分析をした上で,それなりの結論を導き出していたように思います。ここにきて,急速にレベル・ダウンしているように思えて仕方がありません。粗製濫造というべきか,なんともお粗末としかいいようがありません。

 NHKさん,ほんとうに大丈夫でしょうか。
 こんな番組を垂れ流しているようでは,受信料を拒否するしかありません。
 本気でご一考のほどを。


 

2013年11月12日火曜日

NHKクローズアップ現代「「日本スタイルを世界へ 銭湯や健診を輸出」をみて,おやっ?と思う。

 ちょうど我が家の夕食どきとNHKのクローズアップ現代の時間が重なるので,この番組はよくみています。むかしは,いつも感心してみていたものですが,最近,どうも,ちょっと奇怪しいのではないかと思うことが多くなってきたように思います。その理由は三つあります。一つは,話題への光の当て方,批評性がわたしとは大いに異なるからです。もう一つは,ゲスト・スピーカー(専門家と言われる人たち)の人選が偏っているから(つまり,NHK好みの人ばかり),というのがあります。三つ目は,問題の本質を意識的にか無意識的にか隠してしまう傾向がつよいから。

 今日(11日)のテーマは「日本スタイルを世界へ 銭湯や健診を輸出」。かんたんに言ってしまえば,日本の生活文化をアジア諸国に輸出して金儲けをしよう,というお話。取り上げられていたエポックは,銭湯(中国),健診(チベット),食文化(インドネシア)。一見したところ,文化的で平和的で,なんの問題もない,長い将来にわたって採算の合う,とても健全な輸出産業という,ごくふつうの話に聞こえます。しかし,ただ,それだけの話だろうか,とわたしにはザラザラしたなんとも後味の悪い印象が残りました。なぜだろうか,と考えてみました。

 日本の銭湯が中国でいま人気だ,とのこと。映像をみるかぎりでは,日本でもひところ流行した「スーパー銭湯」。それよりもワン・ランク・アップした上等の銭湯のようです。値段は,日本円にして約2000円。けして安くはありません。ところが,家族連れで,続々とおお客さんがやってくるという。中国もお金持ちが多くなったので,それもわからないではない。お客さんは,とても衛生的で,お湯も透き通っていて,気分は最高,と絶賛です。まあ,このあたりの映像をみているかぎりでは,別に問題もなさそうなので,いいとするか,と余裕。たかがお風呂の話ではないか,と。

 つぎは,健診。日本でいう健康診断用のバスをチベットの奥地にまで送り込んで,健康診断をするという話。日本の徳島県の医療機関がチベットと提携して,この健診バスを送り込み,健診結果を日本の医療機関に送り,日本で診断して,その診断結果をチベットに送る,というシステムです。映像をみるかぎりでは,わざわざ病院にまで行く必要がないので,とても助かる,という声が多い。僻地医療としては,まことに便利で,しかもインターナショナルな医療システムとしても注目に値する,と。まあ,そんなものなんだろうなぁ,とまだ余裕。

 三つ目の食文化の話題になったときに,おやおやっ?とわたしのなかに疑問が一気に頭をもたげてきました。インドネシアの食生活は栄養管理が不十分なので,栄養のバランスのとれた日本の食文化を産業として売り込み,成功しているというのです。その手始めとして学校給食の日本システムを持ち込み,十分な栄養管理と食・味覚のインターナショナル化を計る,というのです。つまり,子どもたちの味覚をコントロールしておけば,将来的に日本の食文化や味覚が確実に定着する,というのです。だから,じつに儲かる産業だ,とコメントされます。

 このあたりから,わたしの頭のなかに,なんとも空恐ろしい構図が浮かんできて,いらいらとし始めます。なぜなら,わたしたちの世代は敗戦後のアメリカの占領政策のなかで小学校生活を送っています。そのもっとも大きな影響は,学校給食です。それも,いまの学校給食ではありません。アメリカからの支援物資として大量の脱脂粉乳が配給され(戦争産業の一つとして生産されていた脱脂粉乳が終戦とともに大量に余ってしまったので,その処分として持ち込まれたものだ,という話がある),毎日,昼食は脱脂粉乳とパンでした。

 その基本的な考え方は,日本の食文化は栄養不足だから,脱脂粉乳を飲んで栄養を確保しよう,というものでした。少なくとも,そのように教えられ,むりやり脱脂粉乳を飲まされました。わたしは,意外にも,脱脂粉乳を抵抗なく飲むことができましたが,なかには,どうしても飲めなくて泣いている子も少なくありませんでした。先生は,絶対に残すな,と厳命です。

 いま,考えてみれば,アメリカの食文化の押しつけです。そして,それはもののみごとに成功し,アメリカ産の食品がつぎからつぎへと日本に押し寄せてきます。戦後民主主義教育は,わたしのからだに刻まれた記憶によれば,食文化のアメリカ化からはじまりました。その結果,日本の食文化は大きく変化することになりました。つまり,食文化のインターナショナル化です。いまでは,世界中の食文化が日本を席巻しています。そして,伝統的な日本食の文化は片隅に追いやられてしまっています。

あれほど栄養価が低い,と批判された日本食が,いま,アメリカではもっともバランスのとれた食文化であるとして推奨されているといいます。そんな話を耳にするにつけ,栄養学という学問を,わたしはあまり信じられなくなっています。栄養は科学で計算できる,という神話はわたしの中では崩れつつあります。それと同じことが,いま,インドネシアで日本が行おうとしているのです。

 つまり,欧米コンプレックスの裏返しとして,東南アジアを上から目線で支配しようという,戦前の大東亜文化圏の構想と,わたしにはそっくりそのまま二重写しに見えてきます。言ってしまえば,日本の食文化・味覚による植民地化です。

 もっと言ってしまえば,銭湯も健診バスも食文化・味覚も,日本発のグローバル・スタンダードの押し売りでしかない,ということです。「科学的」,「医学的」というスローガンにもっとも弱い「健康,栄養」という領域に,脅し文句とともに乗り込む新手の植民地主義をそこに見届けることができます。しかも,これらが「平和的」で長期的展望に立つ「採算のとれる」ビッグ・ビジネスではないか,とこの番組では結論づけていました。

 NHKさん,ほんとうに大丈夫ですか。もっと問題の所在を掘り下げて,しっかりとした番組を制作してもらわないと困ります。制作担当者が,なにも知らないで,こういう番組を制作したとしたら,それはそれで問題ですが,知っていてこのように番組を制作したとしたら,もっともっと大問題です。どうも,そんな匂いがしてならないのですが・・・・。
 

2013年11月11日月曜日

絶好調の日馬富士が戻ってきたか。気迫が違う。立ち会いが違う。今場所の活躍を期待したい。

 絶好調の日馬富士が戻ってきた。と,今日の土俵をみてそう確信した。低い姿勢からの鋭い立ち会い。その圧力だけで,相手の松鳳山をはね飛ばした。戻ってきたか,あの絶好調のときの相撲が。今日の立ち会いの一瞬にそのすべてをみた思い。よし,これでいける。この立ち会いを15日間,押し通せるかどうか。

 花道の奥で,出番を待つ日馬富士が,低い姿勢からの立ち会いを何回も何回も繰り返している姿が,たまたま,テレビに映った。わたしは,この姿をみて,そこにいつもとは違う気迫を感じ取っていた。そして,出番を待って,花道の奥で立っている姿をみて,その太ももの太さに驚いた。これまでの日馬富士のそれとはまるで違う,筋肉もりもりの太ももをみて「アッ」と思わず声を出していた。この太ももはこれまでみてきた日馬富士のそれとはまるで違う。これは「いけるっ !」,とことばにはならないなにかとてつもないものを感じ取っていた。

 時間がきて,花道を歩いて入場してくる歩き方が,もう,以前の歩き方とはまるで違う。どっしりとした,地に足がついた,力量感たっぷりのしっかりとした,力のみなぎった足どりだ。これでなくてはいけない,とわたし。よし,これはいけるっ,今場所はいけるっ,ともうこの時点で日馬富士の絶好調をみてとる。久しぶりにみる日馬富士の充実した太ももである。この太ももが戻ってくれば,あとは怖いものはなにもない。

 おまけに,日馬富士の足首に「巻きもの」がなにもない。よほど足首の状態がいいに違いない。そのすべてが今日の立ち会いに出ていた。あの真っ向勝負の松鳳山が逆に吹っ飛ばされた。この恐るべき圧力の源泉は,日馬富士の低い姿勢からの立ち会いとあの太ももの充実ぶりにある,とわたしはみた。この立ち会いが健在であるかぎり日馬富士は大丈夫だ。この相撲をみていた白鵬はなにを思っただろうか,とわたしは興味津々。今場所の千秋楽の横綱対決の一番は,こんごの大相撲の流れを占う,大一番になるのではないか,と気の早いわたしは,もう,いまから楽しみで仕方がない。

 だからこそ,日馬富士に注文をつけておきたいことが一つある。ことしの初場所で全勝優勝をしたときの,あのがむしゃらな気持を取り戻してほしい。なりふり構わず,自分の相撲をとりきること。低い姿勢からの鋭い立ち会いと,そのあとの自在の変化わざとそのバリエーション。一つは,右のどわ。相手をのけぞらせておいての変化。これはきわめて効果的。もう一つは,張手。びしばし張っていい。ルールとして公認の相撲の「手」の一つなのだから。そして,真っ向勝負の頭から当たる立ち会い,一気の押し。相手が,あっと驚き,ひるんだ瞬間の,そこからの変化わざ。あるいは,一直線の押し。

 メディアはアホの塊のようなものだから,横綱ともあろう者が,そんなえげつない手を使って・・・と無責任な批評をする。とんでもない。それこそが日馬富士の相撲なのだ。かつて,栃の海という横綱がいた。日馬富士と同じように小兵であったが,スピード感あふれる相撲で横綱に昇りつめた。しかし,横綱相撲ではない,とアホなメディアが叩いて,あっという間に引退してしまった。わたしの大好きな力士だったので,忘れもしない。

 日馬富士よ。メディアなどは無視していい。あの朝青龍をみろ。あなたの尊敬している朝青龍を。メディアのいかなる批評も無視して,ひたすら自分の相撲をとりきった,あの朝青龍を。あの迫力ある相撲は,わたしの全身全霊を震撼させた。これこそが相撲である,とわたしは確信していた。そして,場合によっては,わたしの眼にはアートに見えた。

 わたしのからだのすべての細胞が,血湧き肉躍る,そんな世界にあっという間に連れていってくれる,そういう相撲を見せてくれた。勝っても負けても,朝青龍の相撲は,見ていて息詰まるほど面白かった。それは素晴らしいアートだった。いやいや,芸能,と言うべきか。

 そういう相撲を,わたしは日馬富士に期待したい。また,そういう相撲をとって日馬富士もまた横綱になった。横綱に登りつめた道(プロセス)を忘れてはいけない。低い立ち会いから相手の胸元めがけて真っ正面から当たり,突っ張り,右のど輪,張手,左からのいなし,左上手からの投げ,あとは,そのときの相撲の流れにのったスピード感あふれる,変化わざに任せる相撲を展開する。これこそが日馬富士よ,あなたの相撲ではないか。そうやって,とにもかくにも「全勝優勝」を重ねて,横綱の地位を獲得したではないか。

 横綱という地位をわがものとしたときの相撲を,日馬富士ファンはみんな待っている。メディアはアホだから,横綱相撲はこうでなくなはならない,とほざく。相撲のなんたるかもわかっていないアホなジャーナリストが。そんなジャーナリストの声は気にする必要はない。まったくない。日馬富士の相撲はこういうものである,と堂々と胸を張って,取り切ればいい。それしかないのだから。

 日馬富士ファンの多くはそれを待ち望んでいる。全身全霊を傾けた,あなたの相撲から,多くのパワーを,わたしもいただいているのです。わたしもかくありたい,と願いつつ。小兵と言われつつ,あるいは,幕内,最軽量力士と言われつつ,ありとあらゆる智恵をふりしぼって,みずからの相撲を作り上げ,横綱となった日馬富士よ。自信をもって,なりふり構わずみずからの相撲を展開してほしい。それこそが,アホなメディアを黙らせる唯一の方法なのだから。

 そして,それこそが,大相撲の醍醐味を多くの相撲ファンに知らしめる唯一最高の方法ではないのか。

 そんなことを,今日の初日の相撲をみて,嬉しくて嬉しくて・・・・,その余韻に浸りながらわたしの勝手な思い入れをありのまま巡らせた次第。

 このあとの14日間の日馬富士の相撲に注目してみたい。その奥にとてつもない世界が広がっているから・・・・。それも,想像を絶するとてつもない世界が・・・。勝っても負けても・・・。日馬富士の相撲とは,そういう相撲なのだから。

 接近せよ,朝青龍の相撲に,そして,超えよ,朝青龍の相撲を。そのとき,日馬富士の相撲がさん然と輝き,浮かび出てくるだろう。わたしは密かにその日がやってくることを心待ちにしている。だれにも負けない日馬富士ファンとして。
 

2013年11月10日日曜日

エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ著『自発的隷従論』(西谷修監修,山上浩嗣訳,ちくま学芸文庫,2013年11月刊),名著です。お薦め。

 11月8日に発売,と西谷さんから聞いていましたので,8日に近くの本屋さんに行きました。溝の口の地方の本屋さんでしたが,たった1冊だけ置いてありました。ラッキーとばかりに即購入。

 まだ,現段階では全部を読み切っているわけではないのに,ここで書くのは気が引けますが,そんなことは言ってられないほどの衝撃を受けましたので,ありのままの感想を中間報告として,とりあえず,ここに書いておきたいとおもいます。

 いま,感じていることを,できるだけ正直にそのまま書いておきたいとおもいます。
 いつものように,まずは,西谷修さんの「解説」から読み始めました。なぜなら,本の内容の核心がどこにあるのかを,西谷さんは,いつもわかりやすく,しかも手抜きすることなく,深いところまで道案内をしてくださるからです。そして,いつも大満足する内容になっています。場合によっては,内容を読まなくても,なんだか全部わかったような気分にさせてくださるからです。

 しかし,今回のこのテクストでの解説は,わたしの想定をはるかに超える,とんでもない内容になっていて,鳥肌が立つ思いをしながら読みつづけました。そして読み終わったときには,あまりの衝撃の強さに唖然としてしまい,完全に「震撼」してしまいました。なぜなら,「自発的隷従」とは,なんのことはない,わたしのこれまでの生き方そのものではないか,と思い知らされたからです。情けないことにそう思わざるを得ませんでした。時折,偉そうに,さも権力に抗うようなポーズをとったり,人前で挑発するような言説を発してみたり,そして,ときにはデモにもでかけたりしているものの,なんのことはない最終的にはわが身可愛さに「自発的隷従」に逃げ込んでいることに気づかされたからです。そして,最終的には,つまり,トータルでみたときには,現体制支持とみなされても仕方がないではないか,と気づかされたからです。

 毎日,新聞を読みながら,文句たらたら,政府自民党はなにをやっておるか,と吼えまくり,テレビのニュースをみながら,これまた吼えまくっています。なのに,なにをやっているかと問われれば,せいぜい,このブログで憂さを晴らしている程度のことでしかありません。つまりは,自己満足にすぎません。ということは,現体制を支持していることとほとんどなにも変わってはいないではないか,ということになります。そのことを,西谷さんの「解説」を読んでいて,冷や汗たらたら,いやというほど思い知らされました。

 「自発的隷従」。これまでに,西谷修さんの書かれた論文のなかにしばしば登場してきたことばですし,西谷さんから直接,エティエンヌ・ド・ラ・ボエシについてもお話を聞いていました。ですから,ほとんどわかったつもりでいました。が,それは大間違いであることを,今回,この「解説」を読んで思い知らされました。

 それによれば以下のとおりです。
 一人の独裁者は,その一人の力によってそれ以外の人びとを支配しているわけではありません。一人の独裁者が選ばれると,その独裁者ににじり寄って,その利益のおこぼれを頂戴しようという人間が現れます。これが「自発的隷従」のはじまりです。つまり,一人の独裁者のまわりに,われもわれもとその利益を分けてもらおうという人間がにじり寄ってきます。そして,独裁者が喜びそうな言動をふりまき,実行します。そうして,独裁者の覚えめでたくなるためにはいかなることも辞さずという姿勢を示します。これが「自発的隷従」のはじまりです。

 こうして,一人の独裁者を支える地位を確保すると,そのまた部下になるための「自発的隷従」者が現れ,つぎつぎにその連鎖が広がっていきます。こうして,一人の独裁者のまわりには,その支持者たちが大勢集まってきて,それらが大きな組織を構成します。この組織が,実は,大きな力を発揮することになります。権力はこうして構築されていく,というわけです。

 ああ,もどかしいかぎり。どうも,うまく説明できません。こうなったら,西谷さんの「解説」から,名文を引いた方が早いとおもいますので,その部分を引いておきます。

 「一人の支配者は独力でその支配を維持しているのではない。一者のまわりには何人かの追従者がおり,かれらは支配者に気に入れれることで圧政に与(あずか)り,その体制のなかで地位を確保しながら圧政のおこぼれでみずからの利益を得ている。そのためにかれらはすすんで圧政を支える。かれらの下にはまたそれぞれ何人かの隷従者がいて同じように振る舞い,さらにその下にはまた何人かの・・・,という具合に,自ら進んで隷従することで圧政から利益を得る者たちの末広がりに拡大する連鎖がある。その連鎖が,脆弱なはずの一者の支配を支えて不動の体制を作り出している。そう見てとって,圧政を支えるその鎖の一つひとつのあり様をラ・ボエシは「自発的隷従」と呼ぶのである。」

 このあとに,驚くべき論の展開が,つまり,西谷読解が,めくるめくほどの勢いで深化し,問題の本質に迫っていきます。そうして,その論の運びに,わたしは完全に「震撼」させられてしまいました。それは,わたしが批判してやまない世の中の構造が,じつは,わたし自身のなかにも立派に存在しているではないか,ということを知らされてしまうからです。「自発的隷従」とは,一人ひとりの人間の存在様態の根源にまで根が降りていく,つまり動物的な防衛本能にも通底する,恐るべき概念装置であるからです。とても一筋縄ではいかない,思想・哲学的な大問題がその背後にあることを知ったとき,わたしは立ち往生してしまいました。

 西谷さんの「解説」はもののみごとにその根底にまで触手が伸びていきます。それが,わたしを「震撼」させる理由です。そのあたりのことは,ぜひ,手にとって西谷さんの「解説」を確認してみてください。

 エティエンヌ・ド・ラ・ボエシの「自発的隷従論」はそんなに長い論文ではありません。しかも,とてもわかりやすい文章です。が,その本文に膨大な訳者注がついています。それをとおして,さらにこの論文が一筋縄ではないことを知ることができます。そして,訳者による懇切丁寧な「解題」があります。さらに,「付論」があって,そこにはシモーヌ・ヴェイユの「服従と自由についての省察」と,ピエール・クラストルの「自由,災難,名づけえぬ存在」が収められています。しかも,「付論収録に寄せて」という西谷さんの短い文章があります。そこには,エティエンヌ・ド・ラ・ボエシとシモーヌ・ヴェイユとの関係,ピエール・クラストルとの接点が語られています。

 もう,これ以上のことは書く必要はないとおもいます。あとは,どうぞ,手にとって読んでみてください。世の中がひっくり返るほどの,新しい発見が随所にあるはずです。わたしも,これから時間をかけて精読してみたいと思っています。そして,いつか,これをテクストにして,いつもの研究者仲間と議論をしてみたいとおもっています。もちろん,西谷さんにもきていただいて・・・・。

 というところで,今日はここまで。
 

2013年11月9日土曜日

東京五輪招致のしわ寄せか。明大のスポーツパーク計画中止。

 2010年から計画していた明大のスポーツパーク計画が中止になった,と11月7日の新聞で知った。もう少し精確にいえば,明大の八幡山グラウンド(世田谷区)が手狭になったので,日野市にあった多摩テックの跡地への移転を計画していた。当初の予定では来年4月にはオープンすることになっていた。しかし,それが東日本大震災の被災地復興のために建設資材や人材が不足し,思うように計画を進めることができなくなっていた。そこに,東京五輪招致が決まった。ますます建設資材も人材も不足することが予想され,事業費も当初計画の1.7倍に膨らみ,こんごますます事業費の高騰が見込まれるために,この計画を中止することにした,と明大広報課が発表。日野市は「地元の大きな期待を裏切る決定だ」と非難し,事業継続を求めているという。

 記事をまとめてしまうとこれだけの話。明大としては東日本大震災がまずは最初の誤算。これはだれの責任でもない。自然災害だから仕方のないこと。そこに大手ゼネコンが大移動して,被災地復興に全力を傾けるのも自然の成り行き。その段階で,すでに建設資材も人材も不足する事態が起きた。当然のことながら,事業費も高騰していく。そこに,東京五輪招致が決まった。向こう7年間にかなり大規模な施設建設ラッシュがつづく。となると,ますます建設資材も人材も不足し,事業費は雪だるま式に膨らんでいく。それは素人にもわかる。明大としては,これ以上の事業費を負担することは不可能と判断した。期待していた日野市はずっこけた。

 面白いのは,新聞の報道の仕方だ。大きな見出しの順番に書いてみると以下のとおり。
 一方的にノーサイド
 明大が計画 スポーツパーク
 多摩テック跡地への移転中止
 震災,五輪・・・事業費膨らみ

 写真も「八幡山グラウンド」と「多摩テックの跡地」を並べて掲載し,かなり大きな記事になっている。しかも,記者の記名入りの記事である。

 この記事を読んだ最初の印象は,明大が日野市との約束を一方的に破棄した,というものだった。だから,日野市は怒っている,と。

 しかし,よくよく考えてみると,明大の決断は仕方のないことだと思う。すでに,事業費が1.7倍になっていることを考えると,これからさき,どれほどの事業費に膨らんでいくかはまったく予測もつかないだろう。二の足を踏むのは当然だ。日野市の気持もわかるが,それほど単純なものではないだろう。

 にもかかわらず,新聞は「一方的ノーサイド」と大きな見出しをつけた。これでは明大が悪い,という印象を与えて当然だ。とはいえ,記事の内容を読んでいくと,仕方がないではないか,ということがわかってくるようになっている。あとは,読者がどう判断するか,だけの話。

 わたしの関心は,東京五輪のための施設建設は大丈夫か,というところに向かう。すでに,新国立競技場の建設費用が,当初の予定を大幅に上回り,その費用をどのようにして捻出するかと苦慮しはじめている。しかも,それ以後の維持費をどうするのか,というところまで議論が広がっている。この問題は,一度,あらためて取り上げてみたいと思っているが,いずれにしても,東京五輪開催のための施設づくりは難航しそうだ。すでに,外国からも,計画があまりに杜撰すぎる,という批判が噴出しているという。

 となると,この問題は明大だけでは済まされない,もっと重要な問題が隠されていることに気づく。つまり,東日本大震災の被災地復興もままならないのに,被災地を元気づけるために東京に五輪を招致しようという理念そのものが,矛盾していることに気づいていない。つまり,東京五輪招致による東京での建設ラッシュは被災地復興を妨害することになり,ますます復興が遅くなってしまうからだ。

 ここまで考えてくると,明大の決断は立派なものである,ということがわかってくる。自分のところはひとまず我慢して,被災地復興を優先させるべきだ,という筋のとおった理念が浮かび上がってくる。

 ここからみえてくることは,東京五輪の施設もできるだけ縮小して,被災地復興の邪魔をできるだけしないように配慮する,という新たな理念の必要性である。ところが,新国立競技場は「世界一」を目指すと河野事務局長は声高らかに宣言している。このノーテンキぶりにはあきれるしかないが・・・・。なんでもかんでも自分の手柄にしたい,そういう了見の狭い人たちが東京五輪招致に結集しているようにみえて仕方がない。

 こうなってくると,東京湾(葛西臨海公園)に人工の激流を起こすカヌー競技場(スラローム・コース)を新たに建設する,などという計画は狂気の沙汰としかいいようがなくなってくる。困ったものだ。

 これからみんなで声を挙げていく以外にはない。すでに,建築家集団がいろいろのシンポジウムや研究会を開いて,異議申し立ての文書を提出したりしている。この動向については,また,いつか書いてみたいと思う。

 今日のところはここまで。

 

2013年11月8日金曜日

「特定秘密保護法案」の全文を読む。おどろきもものきさんしょうのき。なにをかいわんや。

 今日(8日)の『東京新聞』朝刊に「特定秘密保護法案」の全文が掲載されていたので,なにはともあれ赤線を入れながら,最後まで読み通してみた。この種の法文には慣れていないとはいえ,これが同じ日本語の文章なのか,とまずはあきれ返ってしまった。法案の体裁としてはこれで完璧なのかもしれない。しかし,わたしのようなふつうの国民には意味不明。

 なぜなら,片手に『六法全書』でも握りながら,一つひとつ解読していく必要があるからだ。手ぶらではなんのことやらさっぱりわからない。この法案そのものが,ひょっとしたら,国民にわからなくするために「特定秘密」事項に指定され,「保護」されているのではないか,と思うほどだ。とにかく難解で,一通り読むだけで,とんでもなく長い時間を要した。ちかごろ,こんなに苦労して日本語の文章を読んだことがないほどだ。

 たとえば,こうだ。第一章 総則 (目的)第一条,(定義)第二条,とある。(定義)と見出しがついているので,わたしはてっきり「特定秘密」とはなにかという定義が書いてあると思って気合が入った。しかし,とたんにこけてしまった。そのまま引用してみる。

 (定義)
 第二条 この法律において「行政機関」とは,次に掲げる機関をいう。
 一 法律の規定に基づき内閣に置かれる機関(内閣府を除く。)及び内閣の所轄の下に置かれる機関
 これを読んだ瞬間に,えっ?内閣府は行政機関ではないの?とびっくりしてしまう。しかし,そうではない。つぎを読むとわかる。
 二 内閣府,宮内庁並びに内閣府設置法第四十九条第一項及び第二項に規定する機関
 ちゃんと内閣府は入っているではないか。「一」の条文のなかからは「除く」というだけの話。なんで,こんなにややこしい区分けをしなくてはならないのか,素人にはわからない。しかも,この「二」の条文も,これまたわけがわからない。内閣府,宮内庁,まではいい。「並びに内閣府設置法第四十九条第一項及び第二項に規定する機関」とは,なにを指しているのか,どういう機関のことなのか,この条文を読むだけではわからない。しかも,この「二」の条文の末尾にもかっこ書きの注がつけてあって,それが長々とつづき,しかも最後に,それらの機関を除く,とある。こうなると『六法全書』を片手に,一つひとつしらみ潰しに確認していかないことには,なんのことやらさっぱりわけがわからない。
 これが法案の実態だとすれば,これらの条文をどのように「解釈」するのか,というつぎなる議論が立ち現れることになる。憲法ですら,どのように解釈するか,どう読むか,という長年の議論があって,何回も再燃し,いまもなお繰り返されている。

 この摩訶不思議な法案を国会で審議・議論するという。しかも,短時間で。だから,政府与党は,議会で失言さえしなければ,たいていの法案は通過していってしまう。今国会は,政府が圧倒的多数を占めているので,よほどの失言が飛び出さないかぎり,なんなく通過してしまう。だから,なおのこと恐ろしい。

 しかも,議会での審議は国民の意志などはほとんど無視されてしまい,党利党略が最優先してしまう。さらに恐ろしいことに,野党が野党としての機能マヒを起こしていて(「思考停止」),もはやなんの役にも立たないということだ。少なくとも,「特定秘密保護法案」に反対する議員は,時間をみつけて,首相官邸前で繰り返されている市民デモにも参加して,演説をぶつくらいの根性をみせてみたらどうか。それすらしない。なぜ? 国会ファシズムが徹底していて,そこでのマナーにはずれると「処罰」されてしまうことを恐れているからだ。ヤマモト君やイノキ君は,その犠牲となり,血祭りにあげられようとしている。

 これが,じつは,特定秘密保護法案の内実の一端でもあるのだ。しかし,わたしたちがもっとも恐れなくてはならないのは,特定秘密事項の指定は,「行政機関の長」が「必要」を認めれば,即座にそれができる(第二章第三条)と明言されていることだ。しかも,その「必要」には厳密な規定がない。いくら読んでみてもない。ただ,「別表」(第三条,第五条-第九条関係)にその一覧表があるのみだ。その「別表」は,大きくは四つの事項に分類されている。それは以下のとおり。
 一 防衛に関する事項(イ,ロ,ハ,ニ,ホ,ヘ,ト,チ,リ,ヌ)
 二 外交に関する事項(イ,ロ,ハ,ニ,ホ)
 三 特定有害活動の防止に関する事項(イ,ロ,ハ,ニ)
 四 テロリズムの防止に関する事項(イ,ロ,ハ,ニ)
の四つで,それぞれに(イ,ロ,ハ,ニ,・・・・・)という具合に具体的にそれぞれの事項が指定されている。たとえば,わたしなどにも直接,その手が伸びてきそうな「三 特定有害活動の防止に関する事項」がある。この事項には,とことん注意が必要だ。そのトップの項目には「イ 特定有害活動による被害の発生若しくは拡大の防止のための措置又はこれに関する計画若しくは研究」とある。これが「特定秘密」に相当するというのである。となると,「特定有害活動」であると行政機関の長が判断すれば,それによる「被害の発生」も「拡大の防止」も闇から闇へと葬り去られる可能性がある,と読める。もっと言ってしまえば,「特定有害活動」であるという段階で,それを闇から闇へと「措置」することができる,ということになりかねない。となると,いま書いているこのブログも「特定有害活動」になりかねない,という意味で危ない。

 もっとも,わたしのような「へなちょこ」が書くブログなどは大した影響力もないので,大丈夫だとは信じているが,知名度の高い人たちのブログは,そうはいかない。いつもネトウヨなどに炎上させられているブログなどは,とくに危ない。

 そのなによりの証拠は,知名度の高い芸能人は,政治にはいっさい口出ししない。ときどき勇み足をしてしまうと,こっぴどく叩かれる。その典型的な例が,ヤマモト君だ。ところがかれは,逆に居直って,芸能界を飛び出し,政治家に転身した。

 日本という国家の存亡にかかわる重大な時期なので,芸能人も,少なくとも国民的な目線での声は挙げてほしい。いまの,テレビ・メディアで活躍している芸能人の影響力ははかりしれないものがある。だからこそ,声を挙げてほしい。しかし,だれも声を挙げようとはしないだろう。みずからの身の安全を守るために。いや,それ以上に,積極的な「自発的隷従」。こうして,労せずして,権力は維持されていく。そのために芸能人は大いに貢献しているということだ。しかし,世阿弥や利休はそうではなかった。

 ということは,わざわざ「特定秘密」にしなくても「公然の秘密」として,そのようなプレッシャーがすでにかかっていることを国民の多くが承知している。だから,逆に,圧倒的多数の国民が「自発的隷従」の姿勢をくずそうとはしない。わたしなども根性なしなので,ある程度のところでコントロールしながら,あまりに「過激」になることを避けている。でも,ときおり,我慢ならなくなって,このブログでも声を荒らげることになるのだが・・・・。

 でも,こんなのは「特定有害活動」には遠く及ばない。知名度が低いから。それでも,こんどの「特定秘密保護法案」が通過すると,どことなく火の粉がふりかかってきそうで居心地が悪い。

 いやいや,こんなことはきわめて個人的なことで,恐ろしいのは,もっとそのさきに待ち受けている。もうすでに多くの論者が声を挙げているとおりである。つまり,戦前の「治安維持法」そのものの復活である。もう,すでにアベノミクスはその方向に向かってまっしぐらである。そのための法案の連発である。一気呵成に全体主義に突き進もうとしているかにみえる。1930年代のナチスの動きとそっくりだ。さすがのアメリカも,このところのアベ君の言動には,いささかいぶかりはじめている,という。

 思いがけずも,長くなってしまった。みなさんも,ぜひ一度,「特定秘密保護法案」の全文をチェックしてみてください。その上で,みずからの行動を決してください。取り急ぎ,今日のところは,ここまで。
 

元大関・琴風(尾車親方)の「いま」に衝撃。変わり果て,まるで別人。

 元大関・琴風。と言ってもいまの若い人たちにはなじみがないかもしれない。あの「がぶり寄り」を懐かしく思い出せる人は,すでに,みんな中高年になっていることだろう。56歳。まだまだ働き盛り。だが,巡業の土俵づくりの作業中につまづいて土俵下に頭から転落。頸椎捻挫。全身マヒで手術・闘病生活。そして,復帰。

 昨日(7日)の昼食が,いつもよりも遅くなって午後4時。そうめんを茹でて,すすりながらテレビを点けたら,「突撃!アッとホーム」の再放送で,「名大関琴風,奇跡の復活劇に密着」をやっていた。現役時代の大関琴風も,引退後の尾車親方になって登場する解説者としても,わたしは熱烈なファンであった。だから,琴風・尾車親方が頸椎捻挫をしたあとのことを,まったく知らなかったので,この番組をみて涙した。

 なぜ,涙したか。テレビ画面に顔がアップで写っている人が,あの琴風であることに気がつかなかったからである。いったい,いつまで,この見知らぬ人がアップになっているのだろうといぶかりながら耳を傾けていたら,どっこい,この人が元大関の琴風その人だったのである。まるで,別人。どこにも,その面影がない。ただ,痩せただけではない。表情がまるで別人。たぶん,身もこころも大きく変わったのだろう,と推測。それほどの大怪我であり,大手術であり,きびしい闘病生活であり,奇跡の復活だったのだろう。

 尾車親方は三重県出身。中学生のときに相撲部屋に入門。そこから墨田中学に通いながら相撲の稽古にはげんだ。成績優秀で,墨田中学を一番で卒業。そのとき二番だった親友は,その後,東大に進学している。四つ相撲で,寄り身を得意とする型を身につけるのだが,両膝に弱点があり,怪我に苦しんだ。エレベーター力士の異名をもらうほどに,幕内と十両を上下した。膝を痛めるたびに大きく負け越し,治しては這い上がってきた。その間,何回も相撲をあきらめかけた。が,やれるところまで頑張ろうとみずからを励まして,ついに,名大関として讃えられる出世をした。この経験が,今回の闘病生活でも役に立った,と本人は語る。あきらめない気持が大事だ,と。

 ちょっとマンガちっくな顔をした,愛嬌のある顔が,一生懸命に土俵をつとめる,その姿が多くのファンを惹きつけた。まじめな,ひたむきさが土俵にみなぎっていた。得意の型に組止めるやいなや,即座にがぶり寄る。みていてもわかりやすい。その自分得意の型にもちこむために,相手得意の差し手をおっつけてしのぎ,一瞬のすきをついて自分十分の組み手になる。あとは,一気のがぶり寄り。見ていても爽快だった。

 引退後は尾車親方として,しばしばテレビの解説者としても登場した。舌がもつれるようなしゃべり方と愛嬌のある顔にごまかされることなく,話している内容に耳を傾けていると,じつに理路整然としたみごとな解説を展開していることがわかる。勝った力士を褒めるだけではなく,負けた力士へのこころのこもった思いやりのある激励を尾車親方は忘れなかった。ああ,この人は心根のやさしい,人情の厚い人だと,いつも感心しながら耳を傾けていた。そして,相撲の奥深さを教えられた。相撲の攻防の技の展開に興味のある相撲ファンにはたまらない解説だった。頭の回転の速さと人情の機微の両方を兼ね備えた人だ。なんとかリハビリに成功して,ふたたび,解説者として復活することをいまから楽しみにしている。

 NHKのこの番組は,ご存じのように「サプライズ企画」だ。尾車親方には極秘のまま,娘さんが一生懸命にあちこちお願いして回り,多くの協力者を確保していく。部屋の力士は,嘉風が中心になってまとめ,本番に備えて準備を進めていく。最後には,現役時代のライバルだった元大関・若島津(現・松ケ根親方)とその夫人(元歌手の高田みづえ)も参加して,大同団結。尾車親方をびっくりさせる,という番組。

 いまは,別人になってしまった尾車親方が感動のあまり,大きな眼(病気の前までは細い眼)からポロリと涙が流れる。わたしも思わずもらい泣きし,ティッシュに手が伸びる。尾車親方は,ままならぬからだにもかかわらず,付き人の助けを断り,ひとりでよろよろと立ち上がり,しっかりとみんなを見据え,感謝のことばを述べる。このシーンが一番印象的だった。

 もちろん,まだまだ歯切れが悪く,舌ももつれ気味ではあったが,しっかりとした口調で「これからも一生懸命に生きていく。今日はほんとうにありがとう」と言い切った。余分なことは言わない,しかしツボは外さない,印象に残る挨拶だった。完全復帰の日も遠くない,とわたしはこころのなかでエールを送りながら拍手していた。

 そして,インタビューでは,「稽古場では口をきかないことにしている。黙ってみているだけだ。なぜなら,口を開くと,注意をするよりさきに『ありがとう』と言ってしまいそうだから」と笑わせるユーモアもみせていた。この調子なら,きっと復活する。そして,あの名調子の解説を聞かせてほしい。相撲の面白さをこの人ほどわかりやすいことばで,理路整然と話してくれる人は,少なくともわたしが聞いてきたかぎりではいない。

 頭で考える前に「からだが勝手に動く」,そういうからだをわがものとするために稽古がある。しかも,いい加減な稽古をしていては,そういうからだは得られない。稽古の一瞬一瞬も気持を引き締め,全力を傾けることによって「からだが覚える」のだ。こんな趣旨のことを言っていたことを,いまも鮮明に思い出す。とにかく,力士はひたすら稽古を積むことだ,と。それも質のいい稽古を,と。

 あの別人になった顔で,相撲の奥義を語ってほしい,といまから切望している。もし,その夢が実現したら,わたしはノートを片手にテレビにかじりつくことだろう。

 頑張れ,尾車親方!
 

2013年11月7日木曜日

大手銀行も「誤報告」だって? 監督官庁を相手に。嘘つけ! まだ,責任逃れをしようというのか。

 もう,この国の箍のゆるみ具合は尋常ではない。大手銀行が軒並み,監督官庁に「誤報告」をしていただなんて?! そんなことをだれも信用しない。最初から意図的,計画的に「偽装」「虚偽」を装うための「誤報告」と言い訳をしているだけではないか。いよいよ,監督官庁もがまんならじとばかりに,もう一歩踏み込んだ調査に入るらしい。遅きに失している,というのが一般の受け止め方ではないかと思う。

 これからさき,どのような「トカゲの尻尾きり」という演劇が展開されるか,みものである。もう,だれもが熟知しているように,長年にわたって元大蔵官僚や財務官僚が天下って,大手銀行の役員に成り下がっている。だから,大手銀行と監督官庁とは「なあなあ」もいいところ。もちつもたれつの関係を,阿吽の呼吸で保ってきた。だから,少々のおとがめが監督官庁からあっても,大手銀行はあわてることなく,あの手この手で対応しておけばいい,という暗黙の了解があった。が,今回は,あまりにも眼にあまるので(あるいは,暴力団相手ということで世間の眼が厳しいので),それなりの対応をしなければならない,ということのようだ。

 かつて,大手銀行が赤字で焦げついたときも,政府が率先して,わたしたちの税金を惜しげもなく拠出し,救済したことがあった。日本の銀行は,いつから国立銀行になったのだろうか,と首を傾げたことがある。いやいや,それどころか,日本国がいつから社会主義国に成り代わったのか,と本気で考えたことがある。その流れは,いまも,東京電力をみればよくわかる。東京電力に,なぜ,あれほどの税金を注ぎ込まなくてはならないのか。もう,とっくのむかしに一企業としては「破綻」「破産」していることは明々白々なのに。にもかかわらず,政府はなんの手も打とうとはしない。むしろ,癒着しつつ,原発を維持することにまっしぐら。

 腹立たしさを通りすぎてしまって,もはや,情けないというしかない。日本国の政府といえども,なんとも,落ちぶれたものだ。だから,監督官庁も右へならえ,だ。言ってしまえば,同じ穴の虫だ。だから,似たようなもの。官庁の箍が緩んできたとなれば,国家の骨格にかかわる一大事だ。その官庁にてこ入れをする必要がある,という名目のもとに,とうとう「特定秘密保護法案」が今日(6日),審議入り。そのお膳立てをするかのように「国家安全保障会議」(NSC)を可決した。しかも,与党自民党と民主党までもが賛成した。なにを考えているのやら・・・。

 「主権在民」という憲法の大本の考え方を,ことごとく否定するような法案がつぎつぎに提出され,十分な議論をする時間もなしに,議決されていく。圧倒的多数を確保した政府自民党のやりたい放題だ。この姿は,どう考えたって1930年代に登場したナチス・ヒトラーの政権奪取と,その後の議会の運営の仕方とそっくりそのままだ。アベノミクスという名の,経済政策にその名を借りた,まさに歴史の主役に躍り出た「経済」を旗印にした,まったく新たな全体主義国家が,恐ろしい足音とともにその姿を現しつつある。

 プロ野球の楽天が日本一になって,結果よければすべてよし(勝てば官軍,負ければ賊軍)とばかりに,美談ばかりが報道されているが,ホシノセンイチという独裁者がその陰でどれだけの恐慌政治・恐慌指揮をとってきたか(ビンタなどは当たり前),これから徐々に明らかになるとわたしはにらんでいる。もう,すでに,そのような情報が流れはじめているが・・・・。

 世の中,「無責任」と「自発的隷従」が蔓延。だから,「倍返し」とかなんとかの妙なテレビ・ドラマが話題となる。自分では不可能なことの投影でしかない。そんなドラマで昇華してしまってはなんの役にも立たない。そうして,グスグスに緩んでしまった現代社会を生きる人間の士気は,もはや,とどめようがない。

 そんな日本国が,あるいは,東京都が2020年にはオリンピックを開催するという。はたまた,長野オリンピックと同様に,金の収支に関する重要書類が抹殺されてしまっても平気で済まされるような東京五輪が待ち構えている。どこもかしこもやりたい放題。すでに,東京五輪招致でどれだけの金がどのように使われたのか,秘匿の方向にまっしぐら。

 東京五輪もまた,特定秘密保護法に守られて(テロ対策という名のもとに),さらに,やりたい放題になる可能性が大である。かくして,権力側には金が無制限に吸い上げられ,圧倒的多数の弱者は貧困にあえぐことになる。そのためのお膳立てが,TPPを筆頭に,つぎつぎに現実化されようとしている。そして,気がつけば「主権在民」という憲法の根幹にかかわる思想も骨抜きにされ,有名無実になっているだろう。

 今回の大手銀行の不正融資の問題は,たまたま暴力団という融資先が明るみにでてしまっただけの話。すると,急に正義の味方よろしく,政府はその弾圧に乗り出す。しかも,大手銀行という隠れ蓑のもとで。ならば,なぜ,暴力団という組織を,いつまでも放置,あるいは温存しておくつもりなのか,政府与党に聞いてみたい。そころが,これまた,検察も政府も裏で手を結んでいるという噂もないわけではない。

 そして,困ったときの神頼み。「誤表示」「誤報告」。その実態は「偽装」「虚偽」。そして「無責任」。と,ここまで書いてきて気づくこと。これは,まるで,「わがごと」ではないか,と。冷や汗がたらり。


 

2013年11月6日水曜日

「誤表示」と「パソコンの変換ミス」との類似性。無責任の源泉。

 連日「誤表示」ニュースがつづく。もう,いい加減にしてほしい。
 どこの,だれが,いつから使いだしたのか。「誤表示」ということばを。
 メディアは,なんの考えもなく,このことばを垂れ流す。

 一度,よく考えてみよう。
 「誤表示」?

 誤った表示・・・表示が誤っている・・・表示が悪い?・・・表示を正しくすればいい?・・・無責任。
 誤った表示・・・だれかが表示を間違えた・・・間違えたのはだれだ?・・・責任問題。
 誤った表示・・・だれかが違う表示を指示した・・・意図的に・・・犯罪である。

 こんなことを考えていたら,よく似た前例を思い出す。
 「パソコンの変換ミス」ということば。
 わたしが現役だったころ,ゼミや会議のレジュメに「誤字」を指摘されると,「パソコンの変換ミスです。訂正してください」という。学会の発表資料でも同じことが,いまも繰り返されている。いちいち言うのも面倒なので黙っているが,とんでもないことがまかりとおっている。

 パソコンの変換ミスです・・・パソコンが間違えた・・・パソコンのせい・・・責任転嫁・・・無責任。

 パソコンは,指定されたとおりに応答するだけだ。だから,変換ミスをしたのはパソコンの使用者だ。使用者が指示した熟語を正しく見分けることができなかっただけの話だ。つまり,使用者のうっかりミス,使用者の能力不足,使用者は正しいと信じて疑わなかった,といろいろのレベルの違いがそこにはある。それらを全部,覆い隠して「パソコンの変換ミスです」と言い訳をする。明々白々の責任転嫁。無責任。

 近くのスーパーに買い物にいくと,「白身の魚」と表示されたフライが「激安」で売られていることがある。たまたま眼にしたときに,背筋が寒くなった。あッ,ナイル・パーチだっ!まだ,流れてくるのか?それとも,また,新たなナイル・パーチのような魚が別のルートで流通しているのだろうか?いずれにしても「激安」である。

 なにも知らない人は買っていくだろう。あるいは,知っていても買わなくてはならない家政の都合の人もいるだろう。わたしも食指がちらりと動く。以前,食べたことがあるが,ほとんどなんの違和感もない。知らなければ,まったくない。むしろ,とても美味しい。いずれにしても,みごとに消費されていく。だから,そのルートは健在だ。

 「白身の魚」は誤表示なのか,そうではないのか。みごとなグレイ・ゾーンの用語だ。ちかごろの魚売り場の鮭などは,きちんと産地が表示されていることが多い。それによって値段に大きな差がある。が,わかりやすくていい。ここに「誤表示」をされたら,よほどの人でないかぎり見分けはつかない。それをうっかりミスでした場合と確信犯的にやった場合との区別がつかない。つまり,確たる証拠が見つけにくい。

 こうして,無責任体制がどんどん拡大している。そんな社会にだれがしたのか。われわれである。この際,消費者は声を大にして怒るべきである。あるいは,購入拒否/レストラン利用拒否をすべきである。とりあえずは,手っとり早いところから実行していくしかないだろう。

 諸悪の根源の一つに「誤表示」というメディアの垂れ流し的用法があり,それを無批判に受け入れているわれわれの無責任もある。このことをこんごも注視していきたい。そして,できるところから行動を起こすべし,とひとりで怒っている。

 とりあえず,ひとこと,まで。

〔追記〕
※今日(6日)になって,近鉄系旅館の北田社長が「誤表示」ではなく,「偽装表示」であったことを認め,辞任する見込み(YOUTUBE)。内部告発から明白になった模様。さて,他のホテル系の「誤表示」はどこまで頑張るつもりなのだろうか。もはや,だれもがかぎりなく「偽装表示」「虚偽表示」であると信じて疑わないところにきているというのに・・・・。はやり,「責任」をとってけじめをつけてもらいましょう。それとも,ホテル系のレストランでは食事をしないボイコット運動でもはじめますか。とはいえ,その他のところも怪しいかぎりだが・・・・・。

2013年11月5日火曜日

『敗者の古代史』(森浩一著,中経出版,2013年9月刊)を読む。出雲幻視考・その11.

 鳥見山登山を終えて,八木駅で近鉄に乗り,京都に行こうと思ってホームに入っていったら,目の前を京都行き急行が発車していく。まあいいや,つぎの急行を待とうと思って時刻表を確認したら,30分も待たなければならないことがわかる。仕方がないと覚悟を決めて,ホームのなかをうろうろしていたら,本屋さんがあることを知り,ここで時間をつぶそうと入る。

 レジのそばに特別コーナーがあって,そこには奈良の歴史に関する書籍が集めてある。これ幸いとばかり片っ端から本をめくり,ずいぶんいろいろの本が出ているものだと感心していたら,一冊の本が買ってくれと呼びかけてくる。いつものシグナルだ。タイトルは『敗者の古代史』(森浩一著,中経出版,2013年)。そういえば以前に,広告をどこかでみた記憶がある。これがご縁というものなのか。

 目次をみてびっくり。
 いきなり,第一章がニギハヤヒノミコトとナガスネヒコ,とある。あわてて中味を確認する。そこにはとんでもないことが書かれている。

 まず第一に,宗像神社のことが写真入りで紹介され,この神社はニギハヤヒの天降りのときに一緒にやってきた神社ではないか,と森浩一さんは書いている。

 なにを隠そう,この日の鳥見山登山のために等弥神社に向かう途中で,車のなかからわたしが叫びました。「いま,通過したあの神社はなにっ?」と。運転しているTさんが「以前から気になっているんですが,まだ,確認はしていません」という。じゃあ,確認しに行こう,ということになり車を引き返す。そんなに大きな神社ではないが,どことなく独特の雰囲気がある。近づいてみると,鳥居のところに「宗像神社」と書いてある。

 そのときには,まだ,森浩一さんの推測を知らない。ウーン,なぜ,こんなところに九州の神様が祀られているのか,とわたしは考える。いつ,だれが,どんな理由でここに宗像神社をもってきたのか。しかも,地政学的にみれば,まことに複雑な勢力がせめぎ合った場所に。境内をぐるりとめぐって戻ってくると,鳥居の外の右横に「能楽の碑」が立っている,とTさん。しかも,「宝生流発祥の地」とあそこに書いてあります,とTさんがいう。

 えっ!と思わず声を発してしまいました。なぜ,この宗像神社の場所が宝生流の能楽の発祥の地と重なるのか。これはまぎれもなく宗像神社が宝生流の発祥に背後から後援したに違いない。能楽の原形は朝鮮半島にあると記憶しているので,これはまた調べなくてはならないことがひとつ増えてしまった。

 しかも,森さんは,この宗像神社のすぐ近くにある茶臼山古墳は,ニギハヤヒの古墳ではないか,と推測している。このあたり一帯の地名は「外山(とび)」という。なにゆえに「外山」と書いて「とび」と読ませるのか,このことが以前からわたしは気がかりになっていた。そして,だれかの書いた本のなかに(村井さんの本か?),ジンムが苦戦しているときに道案内に現れたという金鵄,すなわち,トビにちなむ地名ではないか,と書いてある。それにしても,なぜ,「外山」なのか。

 ところが,森さんはいとも簡単に「外山(とび)」と「鳥見(とみ)」は同じ意味だと,このテクストのなかで書いている。そして,そこには深入りしていかない。なぜか? 読み方によっては,意図的に避けている。それどころか,完全に忌避している,と思われる。その理由をいくつか挙げておこう。

 一つには,総じて,この地域一帯をニギハヤヒの側から思考し,分析している姿勢が強いことがある。それはこのテクストの題名「敗者の古代史」からくるとも考えられるが,それだけではなさそうである。たとえば,ジンムの記録はニギハヤヒに比べたら,まことに貧弱なものでしかない,ともいう。第一,ジンムに関する古社はどこにも見当たらない,とも。それに引き換え,ニギハヤヒの古社はいたるところに点在している,という。ジンムへの基本的な懐疑が森さんのなかにはあるのかもしれない。
二つには,桜井茶臼山古墳と一般的には呼ばれている巨大古墳を,わたしは「外山茶臼山古墳」と呼ぶことにしている,とわざわざ断り書きをしていることがある。つまり,「桜井」では意味がない。「外山(とび)」と冠を載せることによって,よりこの古墳の実態や性格が浮かび上がってくるからだ,と強調している。
三つには,森さんは鳥見山という表記を用いてはいない。国土地理院の地図でも「鳥見山」と書いてある山を指して「鳥見白庭山(とみしらにわさん)」と,一貫して書いている。そして,ここがニギハヤヒが二度目の天降りをした「大和の鳥見の白庭山」であると,なんの躊躇もなく断定している。この記述をみて,わたしはあっけにとられてしまった。根拠も推理もなにも示すことなく,ここがニギハヤヒが降臨した「鳥見白庭山」だと言い切っているのだから。こんなことは当たり前のことだと言わぬばかりに。

 わたしが,ようやく,この鳥見山こそ「鳥見の白庭山」ではなかろうか,と当たりをつけているというのに,森さんはすんなりとこともなげに断定している。言外には,考古学的ななにか確信があるとでも言わぬばかりに・・・。少なくとも,そんな雰囲気も感じられる。このあまりの自信に圧倒されてしまうほどだ。

 四つには,宗像神社を取り上げ,外山茶臼山古墳をニギハヤヒの古墳と推理し,鳥見白庭山を断定し,これだけの確信的な持論を展開されているのに,なぜか,等弥(とみ)神社についてはひとことも触れていないのはなぜか。森さんともあろう人が等弥神社の存在に気づいていないはずはない。いな,鳥見白庭山の頂上にはみずから登っているはずだし,そのためにはいやでも等弥神社を通り抜けていかなくてはならないのだから。では,なぜ,等弥神社を無視するのか。そこには,現段階では触れることのできない,森さんなりの意を決するところというか,かなり強い意図が感じられる。それは,なにか。

 なぜ,森さんがそのような,一見したところ,優柔不断な姿勢をとるのか,わたしなりにわからないでもないことがある。それは,どう考えてみても天皇制批判につながっていくこと以外のなにものでもないからではないか。

 鳥見(とみ),外山(とび),等弥(とみ)の不思議な連鎖と記憶の問題,あるいは,そこにみられる「詩と真実」については,一度,わたしなりの仮設を展開してみたいと思っている。なぜなら,そこにこそ古代史の謎を解く,ひとつの大きな鍵が隠されているのではないか,と考えているからだ。

 ということで,今日のところはここまで。








 

奈良・桜井の鳥見山に登ってきました。ニギハヤヒとトミノナガスネヒコの拠点はここだったのではないか。出雲幻視考・その10。

 10月4日(月)の午後,霧のなか鳥見山(とみやま)登山を決行しました。Tさんファミリーと一緒です。標高的には高い山ではありませんので,楽しい散策というところ。

 地理を確認しておきますと,三輪山の南,初瀬川を挟んだ対岸に鳥見山があります。ちょうど,山間を流れてきた初瀬川がヤマト平野に流れ出る出口になっています。しかも,伊勢街道の出口でもあります。言ってしまえば,三輪山と鳥見山とが,この初瀬川と伊勢街道に睨みを効かせる上での,むかしからの交通の要所である,と言っていいでしょう。

 しかも,この鳥見山から西南にかけてジンムがヤマトに進出したときに陣営を構え,激戦が展開されたといわれる磐余(いわれ)という地名がいまも残っています。イワレとはよく知られていますようにジンムの別称でもあります。この戦でも,ジンムはニギハヤヒとトミノナガスネヒコの軍に敗退しています。

 その鳥見山の麓に等弥(とみ)神社が祀られています。しかも,この神社はジンムが建立したことになっています。そして,こんにちもなお,皇族たちの篤い支援がつづいていることは神社の境内に立っている碑をみればわかります。つまり,ここには等弥神社の「とみ」と,その背後にある鳥見山の「とみ」だけが,口に出したときの音として「オヤッ?」という「なにか」を感じ取ることができる,そういう関係がみえてきます。

 もっと言ってしまえば,新しい権力が,それ以前の権力の残滓をことごとく消し去り,みずからの権力のシンボルを建造して,その「力」を庶民にみせつける,そういう典型的な事例をここにみることができる,とわたしは考えています。

 そんな意図もあって,まずは,等弥神社の境内を通り,本殿まで進み(このアプローチがなかなかいい雰囲気です),本殿の左手にある稲荷社の赤い鳥居をくぐって,その途中から山道に入っていきます。なんの表示もありませんので,このあたりは直感力に頼るのみです。最初の祭祀場のある所までは幅の広い立派な道が整備されています。一瞬,あっ間違えたかな,と不安がよぎります。が,あとは,そのむかし山歩きをしていたときの,感覚に頼るしかありません。周囲の地形から判断して,ここがもっとも具合のいい登山道に違いないと判断して進みました。

 そんな想定を楽しみながら,直進。その突き当たりにかなり立派な祭祀場があり,そこから奥は,ごくふつうの山道になりました。これで一安心。あとは,なだらかな傾斜地を楽しみながら登っていくことができます。急な坂道は最後のところにあるだけで,あとはほとんどありません。

 わたしが,まず,どこよりもそこに立ってみたかった所は「白庭」と呼ばれている聖地でした。ここでは毎年,いまも等弥神社の重要な祭祀が営まれている,と神社のパンフレットに書いてあります。しかし,その「白庭」とは,ニギハヤヒがヤマトの拠点としたといわれている「白庭山」(しろにわさん)のことではないか,というのがわたしの仮設です。そうなると,わたしの考えている話がとてもすっきりしてくるわけです。

 

 しかし,『出雲と大和』(岩波新書)の著者・村井康彦さんは大和郡山市にある矢田坐久志玉比古神社の伝承をもとに,ここがニギハヤヒが天降った白庭山と書いています(もっと,詳細に書いています)。が,はたして,そうなのだろうか,というのがわたしの疑問でした。村井さんも書いていますように『先代旧事本紀』によれば,「大和国の鳥見の白庭山に降り立った」と書いてある,というわけです。「鳥見の白庭山」という以上は「山」でなくてはならないはずです。そして,ヤマトを見下ろすロケーションであることは不可欠な条件だとわたしは想定しています。なのに,なぜ,村井さんは神社の伝承をそのまま信じてしまったのでしょうか。このことについては,また,別の稿を起こして,考えてみたいと思っています。

 この鳥見山の尾根つながりの「白庭山」を確認できたことで,わたしは大満足。そして,鳥見山の三角点のある「霊〇(田偏に寺)」に向かいました。そこは,すぐ近くにあって,「白庭山」からほんの少し下ったあと最後の登りをつめたところにありました。いまは,木が生い茂っていますが,たぶん,櫓でも組んで,ヤマトの平野が一望できるようになっていたに違いないと思いました。木立の隙間から三輪山がすぐそこ,手にとることができそうな距離にありました。そこから,右に視線を移していけば,巻向山があり,「ダンノダイラ」はあのあたりだなぁ,と眺望を楽しみました。

 
霧だった天気は,途中で雲が切れて青空がみえてきたと思っていたら,また霧につつまれ,ときおり小雨も降るようなあまりいい天気ではありませんでした。でも,下に降りてきたら,雨は止んでいました。天気も回復するきざしがみえていました。

 今日の午後は晴れるという,わたしの「観天望気」はもののみごとにはずれてしまいました。

 Tさんファミリーに八木駅まで車で送ってもらって,そこでお別れしました。が,電車に乗るまでの待ち時間に,偶然というにはあまりにできすぎたハプニングがありました。そのことは,つぎのブログで書いてみたいと思います。

 とりあえず,今日のところはここまで。

※写真提供:竹村匡弥氏。