2014年9月2日火曜日

高校野球・延長50回の是非論。安易なポピュリズムからの批判が続出。冗談じゃあない。競技スポーツは死闘です。

 高校野球軟式の全国大会で,中京高校と崇徳高校が延長50回という前代未聞の死闘を繰り広げ,大きな話題になっています。この死闘を,感動したと受け止める派と,とんでもない虐待だと受け止める派と,馬鹿みたいと受け止める派の,三つ巴の議論が渦巻いているようです。あなたはどの派に属しますか。

 わたしは感動派です。理由はかんたん。競技スポーツはすべからく「死闘」です。自分のからだがどうなろうとも,目前の勝利のためには全力で闘うもの,それがチャンピオンシップ・スポーツの真髄です。たとえば,ボクシングを考えてみてください。一定のルールにもとづく「殴り合い」です。つまり,暴力を合理化し,競技スポーツに仕立て上げただけの話です。実態は,鋭いパンチを繰り出して相手をダウンさせることが目的です。ただし,ボクシングが単なる「暴力」にならないように,レフェリーが両者の間にはいってコントロールします。それでもなお,ボクシングは血みどろの「死闘」以外のなにものでもありまはせん。

 野球でも同じです。少年野球でも,チャンピオンシップを賭けた試合となれば,これはもう立派な「死闘」となります。持てる力のすべてを繰り出して,相手を圧倒するために全力でぶつかっていきます。延長線に入っても同じです。あとは,気力と体力の勝負となっていきます。からだがぶっつぶれようとも,そんなことは意に介しません。選手たちは,ここまできたらなにがなんでも勝つこと以外は考えようとはしません。それがまた競技スポーツの醍醐味の一つです。

 しかし,ネットを流れている議論をみるかぎりでは,どうやら「とんでもない虐待だ」という派が優勢のようです。たとえば,尾木ママがブログで「残念,残虐」と批判しています。それに追随するかのような意見がつぎつぎにでてきています。そして,高校生のからだを守るべきだ,これで肩をつぶして野球人生が終わってしまったらだれが責任をとるのか,高校野球は教育の一環だ,というもっともらしい理由をつけて批判しています。

 これらの意見は,競技スポーツのなんたるかを考えない,単なる素人のポピュリズムにすぎません。選手たちが可哀相だ,とりわけ,投手の負担を考えろ,選手生命にかかわる由々しき問題だ,と読者の同情に訴えて,これこそが「正義」だとばかりに主張します。そして,多くの人がこれに同調します。そして,多数を形成します。するとますます自分たちの主張は「正しい」と確信するようになります。そうして,高野連にプレッシャーをかけて,ルールの変更を迫ることになるでしょう。いずれそうなる可能性がなきにしもあらず,という雰囲気を感じます。

 その前例はアメリカにあります。18歳までの投手は「105球」投げたところで交代することがルールで定められています。しかも,「105球」を投げた投手は,つぎの登板まで「4日間」の休養を義務づけています。いかにも合理的で,もっともらしいルールです。しかし,そうなると,どういうことが起きるのでしょうか。

 まず,高校野球の華である甲子園大会の,あの「熱闘」は成立しなくなってしまいます。つまり,エースが一人だけのワンマンチームは,予選からして勝ち上がるチャンスはなくなってしまいます。ましてや,甲子園は「連投も辞さない」日程で試合が展開します。その結果,強豪チームには投手が3人も4人もいて,しかも,その投手たちがそれぞれに野手でもある,という不思議なチームが出始めています。すると,1イニングの間にピッチャーをとっかえひきかえ登場させ,ワンポイント・リリーフなどというプロ野球のような試合が展開されることになります。

 となると,プロ野球なみの,優秀な選手を他県からもスカウトできる財力をもつ高校だけが甲子園に集まってくるようになります。すでに,その傾向は顕著ですが。これはどういうことを意味しているのでしょうか。結論からいえば,高校野球もすでにマネー・ゲームに向かってまっしぐら,ということです。となると,いわゆる公立高校の出番はほとんどなくなってしまいます。ほんの一握りの強豪校と,圧倒的多数の平凡チームの二極分化が起こります。すでに,その傾向は歯止めがきかない状態がつづいています。ということは,「1%の強豪校と99%の弱小校」への分離と定着化,という構図です。この構図,どこかで聞いたことがありませんか。

 金まみれの,金だけが世の中を支配するような社会がどんどん拡大していくことを,あなたは望みますか。この答えはすでにでています。原発がその典型例です。経済原則(このまやかしの原則)が,アメリカを筆頭に世界を席巻しています。日本のアベノミクスもその路線を突っ走っています。景気がよくなれば人間は幸せになれる,というこれぞポピュリズム政治の典型です。ですから,株価の指数だけがアベノミクスの指標となっています。そこには,人間は介在していません。数字だけの世界です。

 でも,日本の圧倒的多数を占めるポピュリストたちは,この嘘だらけのアベノミクスに騙されつづけています。しかし,そのアベノミクスも,たとえばイギリスのFT紙(フィナンシャル・タイムズ)が一面トップで強烈な批判を展開したように,海外ではきわめて評判が悪いようです。ただ,日本のメディアのほとんどがアベ独裁体制に完全にコントロールされてしまっているために,わたしたちが「盲目」にさせられているだけの話です。

 これ以上の詳しい話はここでは割愛させていただきますが,ことほど左様に,日本のポピュリズムは,アメリカン・スタンダードによるグローバリゼーションに歩調を合わせるかのように,日本の社会を支配しつつあります。これは「恐ろしい」ことです。

 延長50回の是非論は,少なくとも,ここまで根を下ろして議論をしてもらいたいものだ,とわたしは考えています。このほかにも,視野に収めなくてはならない視点はいくらでもあります。そうした広い視野に立つ議論が展開することを期待しています。

 繰り返しますが,競技スポーツは「死闘」です。甲子園の高校野球はその典型です。しかも,これは日本に特有の伝統文化の一つです。しかし,すでに,マネー・ゲーム化の方向に大きく動きはじめています。ここに歯止めをかけて,高校生が純粋に「死闘」を繰り広げることのできる時空間を確保することの意味について,わたしたちはもっともっと深く考える必要がある,と思います。伊達や酔狂で,高校生の甲子園野球がここまでの存在を示すことになったわけではありません。そこには,深い深い意味が隠されています。そこのところを考えること。

 くれぐれも安易なポピュリズムに流されないように。

2014年9月1日月曜日

抗ガン剤治療,診断の結果,第4クールに入りました。

 今日(9月1日・月),主治医の先生の診断があり,病院へ行ってきました。いつものように採血・血液検査があり,加えてCTスキャンによる胃腸の状態の確認(手術後初めて)がありました。その結果,全体的な診断としては,血液の状態も徐々に回復しており,マーカーの値も術後と同じ状態を保っているので,まずまずいい方向に向かっている,とのこと。少し,安心。でも,貧血傾向はまだ残っているので,この点は気をつけていきましょう,とのこと。こちらは,わたしも自覚症状として承知しています,と応答。CTスキャンでみるかぎりでは,胃腸の状態もとくに異常はないので,大丈夫でしょう,とのこと。ということで,この抗ガン剤治療を中断する積極的な理由はないので,もうしばらく,つづけていきましょう,ということになりました。

 以上が総論。各論はもう少し微妙です。というか,じつに楽しいものでした。

 採血,CTスキャンの検査が終わったあと,問診表をわたされました。問いそのものはきわめて単純明解なものばかりでした。たとえば,吐き気がありまか,下痢はありますか,熱がありますか,というような項目が10問ほとあったでしょうか。これまでは,下痢の一回や二回はあって当たり前だと思っていましたので,「ない」と答えていましたが,今回は「ある」に〇をつけました。という具合に,今回は,できるだけ「ある」の方に体重を置いて回答しておきました。そして,特記事項の空白の欄がありましたので,そこには「味覚障害」が苦痛です,と少し具体的に書いておきました。そのほかには,左目の視力の低下,かすみ,ざらざら感,かゆみ,などを記入し,さらに,顔の皮膚がかゆいことも書いておきました。

 すると,主治医の先生の診断の前に,親しくなった若い薬剤師さんから呼び出しがあり,面談をすることになりました。とても丁寧に応対してくださったので,わたしもこころを開いて,気がかりになっていたことをいくつか尋ねました。味覚障害はたいへんでしょうから,これに対応する薬を出すようにしましょうか,と。そして,化学薬品と漢方薬の二つの方法がありますが,漢方でやってみましょうか,と。その根拠に,わたしが眼のかゆみなどは生薬の入った目薬で対応していると話したことをきちんと受け止めていてくださり,だったら漢方薬でと判断されたそうです。とても親身になって考えてくださり,ありがたいことだと思っています。

 面談が終わって立ち上がったら,突如,稲垣さんのブログを読んでいます,と仰る。えっ?!とびっくり。しかも,とても面白く読んでいる,とのこと。おやおや,です。しかも,むかし剣道をやっていたという話は聞いていましたが,いまは,ボウリングをやっています,と仰る。ですから,ボウリングの基本は下半身ですからねぇ,と知ったようなことを話したら,「ええ,そのとおりなんですよねぇ。いま,国体の補欠なので,あとひとふんばりして正選手になりたいと考えています」と仰る。おやおや,です。あまり,余分なことは言うべきでない,と深く反省。「正選手になられるよう,期待しています」とほうほうの態。でも,短い時間ですが,こんな会話ができることは患者としてはとてもありがたいことだと感謝している次第です。

 このあと,しばらく待って主治医の先生の診察がありました。もちろん,わたしの問診表も,薬剤師さんとの面談も,すべて承知の上で,「この治療法に少しナーバスになっていらっしゃるようですが,どんな具合ですか」と問われましたので,正直に,この一カ月にあったことをかい摘んでお話させていただきました。じっと耳を傾けてくださり,一つひとつ丁寧に応対をしてくださいました。詳しいことは省略させていただきますが,抗ガン剤治療の基本的な考え方を丁寧にお話してくださり,わたしなりに理解できましたので,もう,しばらくはつづけてみたいと思っています,と応答。そして,副作用がどうしてもきついと感じたところで,中断ということも含めて相談させてください,とお願い。もちろん,そのときは慎重に考えて判断することにしましょう,N先生。現段階では,中断ということも視野に入れて,もう少し様子をみることにしましょう。

 というところで,診察は一応終わり,先生はカルテやデータを確認しながらひとりごと。そのつぎのことばを待っていましたら,突然,「奈良にはイシイという地名があるでしょう?」と聞かれ,えっ?,と一瞬なんのことかわからず「たぶんあるでしょうが,どこと特定することはわたしにはできません」。すると,古代史にまつわる有名な地名ですが・・・,と仰る。でも,わたしにはピンとくるものがありません。すると,口籠もるようにして「ナガスネビコにまつわる地名で・・・・」と仰る。ああ,それなら「トミ」です,とわたし。トミノナガスネヒコのことですよね,と。すると,そうそう,勘違いしていました,とN先生。そこから,一気に古代史の話で盛り上がりました。看護師さんが呆然として,わたしたち二人の会話を聞いています。わたしは嶋恵さんの書かれた本からいろいろのヒントをいただきました,と話すとその嶋恵さんもまたわたしのブログを読んで,とても興味をもっている,とのこと。そして,トミノナガスネヒコの事跡をどうしても調べる必要がある,と仰っている,と。では,そのときにはわたしにも声を掛けてください,ご案内します,とわたし。そこにあったのは,院長先生の顔ではなく,人間Nさんのありのままのにこやかな笑顔でした。

 こんな会話をしたあと,次回の診察の日を確認して,診察室をあとにしました。

 なんとも晴れやかな気分にひたることができました。ありがたいことです。
 会計を済ませ,薬を受けとったら,急に空腹を覚え(今朝の食事は抜き・CT検査のため)ましたので,病院に付設されているレストランでとろろそばを食べることに。

 よし,こんどの第4クールはうまくいくぞ,とそんな予感でいっぱいのまま,病院をあとにしました。     今月は,いつもにも増していい月になりますように。期待したいと思います。

2014年8月31日日曜日

第50回記念青年ふるさとエイサー祭り,を見学。歌と踊り・・・生の源泉。郷土愛の「根」。

 本場の,生のエイサーを見たいと思っていました。初めて,本場の,生のエイサーを見たのは数年前の渡嘉敷島でした。スペインのバスク大学からのお客さんたちと一緒でした。かれらとは,「日本・バスク国際セミナー」をとおして顔なじみでしたので,一緒に楽しく見学しました。終わってから民宿で夜遅くまで「エイサー」論議で盛り上がりました。わたしにとっても,深く考えるところがあり,とてもいい経験でした。

 それ以外では,東京のデパートなどでの沖縄バザールの催し物の一つとして,数人の人によるエイサーを時折,見かけるだけでした。しかも,この人たちはほとんどセミプロで,沖縄バザールと一緒に各地を移動しているようでした。人数は少ないけれども,とても気合の入った演技で,見るたびに感動していました。そして,「エイサー」とはいったいなにか,と考えてきました。

 あとは,YOUTUBEで流れているエイサーを,気が向くと開いて眺めていました。ひとくちにエイサーと言っても,それを演ずる人びとの住む地域によって,ずいぶんと異なります。とても派手な衣装に身を固めて,大きな動作ではなばなしく演ずる地域もあれば,地味な衣装で,静かに祈りにも似たエイサーを演ずる地域もあります。この地域ごとに違うエイサーとはなにか,とずっと考えてきました。

 たまたま,ひめゆり平和記念資料館の見学を終えた帰路,那覇空港に近い奥武山スポーツ公園でエイサー祭りをやっていると知り,即決でそこに立ち寄ることにしました。すでに,夕闇が迫る時刻でした。行ってみると,野球場でやっているとのこと。入場券を購入して入ってみると,ライトが煌々と輝いていて,すでにスタンドにはかなり多くの人たちがびっしりと座って,飲み食いをしながらエイサーを見物していました。


 日時:2014年8月24日(日)16:00~21:00
 場所:那覇市奥武山野球場(沖縄セルラースタジアム那覇)
 エイサーが一同に集う!!青年たちの甲子園!

 入場したときにもらったリーフレットをみると,前日の23日(土)にも〔創作・郷土芸能の部〕というプログラムが行われたことがわかります。二日間にわたって「青年ふるさとエイサー祭り」が,どうやら毎年,夏の終わりのシーズン・オフの最後の催し物として行われてきて,偶然にも「第50回」という記念の年に出くわした,という次第です。


 どの地域の青年会の演ずるエイサーも,それぞれに特徴があって,その意味の違いなどがわかるともっと楽しめたのでしょうが,なにせ,飛び込みですのであまり詳しいことはわかりません。大づかみのところの知識としては,お盆のときに祖先を迎え・送る儀礼がそもそもの基だ,と聞いています。あとは,白塗りの道化はチョンダラーではないか,ということ。チョンダラーは京太郎の沖縄訛りで,京都出身の芸人が沖縄までたどりついて,その芸の一部が継承されたのでは・・・ということくらいです。上り旗は地域の所在を示し,そのすぐ後ろを瓶を担いだ二人がつづきます。その瓶には泡盛が入っていて,いわゆる祭りの振る舞い酒だったようです。いまでは,形骸化してしまって,瓶のようなものを担いでいますが,踊りの激しさからすれば,たぶん空っぽか,それともつくりものではないかと思います。

 それと,もう一つのルーツにまつわる話としては,一遍上人がはじめたと言われる踊り念仏があります。もし,一遍上人の踊り念仏が流れてきたのだとすれば,これは相当に激しい踊りであっていいことになります。なぜなら,踊り念仏の発端は,ほとんど飢餓状態で旅をつづけていた一遍上人とその弟子たちが,ある日,突然,迫りくる死を目前にして踊り始め,ほとんどトランス状態(憑依)になって踊ったと伝わっているからです。言ってしまえば,死と隣り合わせの踊りです。その系譜がエイサーに流れているとしたら,これはとても興味深いことになります。一遍上人は時宗の開祖で,阿弥陀仏のお札を全国に配ってあるいた人として知られています。その時宗の人がお札を持って沖縄までやってきたとしたら,これまた面白い話だと思います。なぜなら,沖縄には,いわゆる仏教が本土のようには普及しなかったからです。が,そのほんのわずかな仏教の一つの宗派が伝承していた踊り念仏が沖縄にまで達していたとしたら,これも凄いことだと思います。

 が,また一方では,沖縄にはミルクさんという存在がいまでも親しまれています。それは,弥勒菩薩の弥勒のことだそうです。しかし,なぜ,弥勒菩薩の存在が沖縄に伝わったのか,これも興味が湧いてきます。弥勒菩薩は困った人がいると浄土の世界から世俗の世界に降りてきて救済してくれる仏さまとして知られています。ですから,弥勒信仰は宗派を超えて,広く普及していったと言われています。それが,沖縄にまで達していたということなのでしょう。

 エイサーには,このほかにもいろいろの文化要素が入り交じっているように思います。たとえば,太鼓や鐘を踊りながら打ち鳴らすやり方は,韓国の伝統芸能とよく似ています。そのもとは,ひょっとしたら中国かも知れません。沖縄と中国との古くからの交流史を考えてみますと,そんな気もしてきます。たぶん,エイサーにはもっともっと多くの文化要素が組み込まれ,沖縄的に消化吸収され,一種独特の文化としての体裁をもつようになったのだろう,と推測されます。

 こんなことを考えながら,第50回記念青年ふるさとエイサー祭りを堪能しながら眺めていました。このようなエイサーという沖縄に固有の文化が,ウチナンチューとしてのアイデンティティを支える重要な「根」の一つになっているのだろうなぁ,などと考えていました。沖縄の芸能の奥は深いだけではなく,きわめて幅が広く,しかも,日常生活のなかにいまも生きている,この事実には注目していきたいと思っています。カチャーシーなどは,キャンプ・シュワブゲート前の抗議集会でも踊られています。政治と祭りが,いまも同居している,としみじみ思います。

 最後に,プログラムの最終を飾ったうるま市平安名青年会の踊ったエイサーが,わたしの眼にはとても印象深く映りました。それは,全体として,とても静かに,丁寧に踊られていました。まるで,エイサー全体が「祈り」そのものではないか,と思ったほどです。衣装もとても地味で,踊りの所作も派手なものではなく,それでいてどこかにため込まれたエネルギーがふつふつとわき出てくるような,そんな印象をもちました。これが,ひょっとしたら,エイサーの原点に近い形態なのかな,と考えたりしました。



 
 来年もこの時期にきて,〔創作・郷土芸能の部〕も合わせて二日間,この「青年ふるさとエイサー祭り」を楽しんでみたい,といまから楽しみにしています。

 最後の締めは,いつものようにカチャーシー。大勢の人がグラウンドに降りていって,エイサーの演者たちと一緒になってカチャーシー。ウチナンチューが一つになれる文化。これぞ,沖縄の「根」の根幹にある,と言っていいでしょう。

「ひめゆり平和記念資料館」を見学。映像資料に驚愕。戦争する人間の「愚かさ」がひしひしと・・・・。

 8月24日(日)の午後,沖縄のひめゆり平和記念資料館を訪ねました。長年の念願でした。思い返せば,もう,ずいぶん前のことになりますが,別のところで時間を消費してしまい,すでに夕刻になっていましたので,この資料館の入口周辺をちらりと歩いただけで通過してしまいました。それからずっと気がかりになっていました。が,今回,ようやくその念願が叶い,じっくりと時間をかけて見学させていただきました。


 とても綺麗な建物で,上の写真は資料館の入口を横から撮影したものです。左側が正面になります。芝や屋根の漆喰もきれいに手入れがされていて,とても清潔感に満ちていました。このひめゆり平和記念資料館を維持・管理している人たちの,密やかな,内に秘めた心意気のようなものが伝わってきました。この写真はそんなつもりで撮りました。


 正面入口の右側に建つ戦没者・学徒の名前を刻んだ立派な碑が,これです。その手前は,ここもまたひめゆり部隊が医療介護のためにに用いたガマの一つでしょう。こういうガマがあちこちに散在しています。沖縄の島全体が石灰岩が多く,このようなガマが自然にあちこちに出来上がったと聞いています。そこが,防空壕となり,医療施設となり,人びとの命を守る最後の砦となりました。が,このガマで多くの人びとの命が消えていきました。米軍の火炎放射器による攻撃や集団自決もこのガマの中でした。それを思うと,黙って通過するわけにはいきません。おのずから,般若心経が口をついてでてきてしまいました。


 入館したところでいただいたリーフレットの表です。ここにひめゆり平和記念資料館の概要が書かれています。沖縄本島の北部から米軍に追われて日本軍も学徒兵も一般市民も,夜道を這うようにして南下し,この辺りの森やガマを逃げまどった末の,沖縄戦終焉の地がこの周辺でした。ですから,この辺り一帯は多くの人びとの命が散っていった「聖なる地域」でもあります。このリーフレットを読みながら,そんな思いに駆られました。


 リーフレットの裏側です。この資料館の展示コーナーの説明図です。中央の中庭を取り囲むようにして展示室がしつらえられています。順路にしたがって左側から右回りに一巡すると再び入口のカタログなどの販売コーナーにもどってくるようになっています。館内の撮影は禁止されていましたので,どこも撮影することができませんでした。綺麗な中庭は撮影してもいいだろう,と思いましたがなんとなく気が引けて撮ることはできませんでした。

 展示の内容は素晴らしく,これを「撮影禁止」にする理由がわたしには理解できませんでした。日本の美術館や博物館,そして,資料館などのほとんどが展示物の撮影を禁止しています。しかし,ウィーンの美術史美術館のような有名な絵画がずらりと展示されているようなところでも,撮影はできるようになっています。ただし,フラッシュと三脚の使用は禁止です。つまり,プロのカメラマンが撮影し,それで収入を得ることを禁じているだけです。素人が,とりわけ,子どもたちが喜んで写真を撮ることは,むしろ推奨されてさえいます。なぜなら,写真を撮って,友人たちに見せることによって,美術館の楽しさを拡散してくれるからです。イギリスの大英博物館も撮影はOKです。ここは,ところどころに貴重な展示物があって,そこだけは禁止されていますが,それ以外はすべて撮影可です。そういう美術館や博物館の方がヨーロッパでは多いと思います。

 とりわけ,ひめゆり平和記念資料館のような,できるだけ多くの人びとに,ここで起きた悲劇の実態を知ってもらうための啓蒙を目的とした資料館であれば,なおさらのことだと思います。この点は,ひとつ,早急に検討していただきたいことだ,と痛感しながら展示物に見入りました。やはり,強烈な印象を残す展示物がいくつもありました。

 たとえば,慶良間諸島の中の渡嘉敷島への上陸作戦を開始したのは「3/26」という日にちの入った大きな地図がありました。そうか,沖縄上陸作戦のはじまりは1945年3月26日だったのか,とこれは強烈でした。なぜなら,この日はわたしの誕生日であり,わたしもまた愛知県豊橋市の東田国民学校一年生として,防空頭巾をかぶっていろいろの訓練を受けていた,それらの記憶とが,一瞬にして火花が散ったように結びつき,しばらくは震えながら,ぶつぶつと口ごもりながら呆然と立ちつくしていました。そして,少し落ち着いたところで,この日付の入った部分だけでも写真に収めたいという衝動が湧いてきました。が,それすら「館内撮影禁止」という威圧感に負け,諦めるしかありませんでした。

 撮影禁止の理由も根拠もわたしには理解できませんでしたので,大いに不満でした。写真というものは,瞬間の閃き,あるいは感動が引き金となって撮影されるものであり,それがその個人にとってはかけがえのない写真になります。ひめゆり平和記念資料館で,「3/26」が渡嘉敷島への上陸作戦開始の日であることを知ったよ,と言ってその写真を友人たちに拡散したい,この素朴な欲望が「禁止」されている,というわけです。この矛盾をどうか館長さん,できるだけ早く解消してくださるようお願いします。

 終わりの方の展示コーナーで流されていた映像資料は,わたしにとってはきわめつけの衝撃でした。米軍による上陸作戦の映像(渡嘉敷島の海域を軍艦で埋めつくした,船だらけの海)をはじめ,恐るべき艦砲射撃からの砲弾の雨・嵐,上陸してからの火炎放射器による焼き尽くし作戦,などなど。そして,その間に挿入されているひめゆり学徒隊の,奇跡的に生き延びた人たちの(すでに,みんな老婆になっている)証言が,これまた衝撃でした。

 これをみながら,何度も何度も,どんなことがあっても「戦争だけはしてはいけない」と口ずさみ,そして,インドのガンジー首相が唱えた「無抵抗・不服従」という戦争回避のためのスローガンが脳裏に浮かんでは消えを繰り返していました。そして,「憲法九条」をどんなことがあっても守り抜かなくてはならない,という覚悟というか,いや,決意を新たにしていました。

 集団的自衛権の行使容認を推進している安倍政権の政治家諸氏に,この映像で証言しているおばあたちのことばを,のしをつけて送り届けたい,と強く思いました。なかでも「戦争は勝っても,負けても同じです。尊い命を犠牲にするだけのまったく意味のない無駄な行為です」という,きわめつけのことばがわたしの脳裏から離れません。少し冷静に考えれば,だれにでもわかるこの理屈を無視して,戦争をはじめてしまう人間という生き物の愚かさに,なんとしても歯止めをかけなくてはなりません。

 21世紀の最大の課題は,戦争回避と原発廃止のこの二つだと考えています。経済などは,言ってしまえばどうでもいい。生きてさえいかれれば,それでいい。そう,資本主義経済の軛からするりと抜け出して,贈与経済の原点に立ち返る,それだけで済むこと。世界中の知性がそう叫んでいるのに,権力者たちは無視して,金の亡者のままです。諸悪の根源は,ただ,この一点にあります。そこから脱出すること。

 21世紀スポーツ文化研究所のミッションもまた,この一点と深く切り結んでいます。

 唐突ですが,このあたりで一区切りさせていただきます。ここで得た深い深い思いは無限です。また,機会をみつけて,ひめゆり平和記念資料館のことは書いてみたいと思います。ではまた,お元気で。

2014年8月30日土曜日

第151回芥川賞受賞作『春の庭』(柴崎友香)を読む。なにか物足りないのだが・・・・。

 毎年,芥川賞受賞作だけは読むことにしています。その理由は,新しい文学の可能性が若い新人作家によってどのように模索されていて,それが審査員によってどのように評価されるのか,それが知りたいからです。

 ですから,文藝春秋の掲載号を購入して,まずは,「芥川賞選考経過」を読み,つづいて「芥川賞選評」をかなり丹念に読みます。どの選考委員が,どの作品を,どのように評価したか,がかなりわかってくるからです。もう一つの楽しみは,この選評の文章をとおしてその作家の力量が,わたしなりに理解できるように思うからです。そして,究極の楽しみは,芥川賞の選考というものがいかにいい加減なものであるか,ということが透けてみえてくることです。

 第一に,芸術作品を点数化して,比較することの是非論があります。しかも,その点数を合計して順位を決める,この一種マンネリ化した方法にいたっては,もはや言うべきことばもありません。一見したところ,いかにも合理的で,民主主義的で,なんの矛盾もないようにみえます。が,どっこい,そうは問屋が卸しません。なぜなら,芸術作品を評価する客観的な基準はどこにも存在しないからです。すべては,審査委員の「主観」でしかありません。その主観を「点数化」することによって,いかにも比較可能な客観的な評価がなされたかのごとき体裁をとること自体が矛盾です。

 そういう馬鹿げたことが大まじめに,長年にわたって繰り返えされてきたのです。ですから,この馬鹿馬鹿しさのわかっている作家は,審査委員になることを断っている,と聞いています。そういえば,この人が審査委員なのか,といささか奇異な感じもする作家さんもいます。その逆に,たとえば,わたしの好きな作家で,しかも一般的に評価も高い作家が,このメンバーには入っていません。なるほどなぁ,と納得してしまいます。

 とまあ,いささか余分なことを書いてしまいましたが,ことほど左様に芥川賞作品だからといって,過剰に評価する必要はほとんどないに等しい,ということが言いたかったという次第です。しかも,今回は三つの作品がほとんど同列に並んで,なにやら妙な議論が展開したらしいことも,選評を読んでいると透けてみえてきます。ということは,どの作品が受賞作になっても不思議ではなかった,ということでもあります。

 ですから,今回の受賞作は,まあ,運がよかった,という程度に受け止めておけばいいのかな,という印象をもちました。そんな先入観があったからかもしれませんが,今回の受賞作『春の庭』の読後感は,「なにか物足りない」というものでした。過去の受賞作の中にもかなり妙な印象を残した作品もありましたが,それでも,こういう点が新鮮だなぁ,というものが一つや二つはありました。が,今回のこの『春の庭』には,とりたててこれという魅力がわたしには感じられませんでした。なぜなのか。

 いささか古くなった木造二階建てのアパートで暮らす住人たちが,大家さんから立ち退きを求められます。そして,一人消え,二人消え,という具合に住人が減っていきます。立ち退き期限ぎりぎりまで居残る3人のアパートの住人の日常が,とても繊細に描かれていきます。その観察眼がとても秀でている,と選考委員の何人かが評価しています。そして,唯一,物語の仕掛けとして幅をもたせているのが,アパートのすぐ隣にかなり立派な一戸建てのお屋敷があって,この建物の元住人のアーティストが自分たちの部屋の中での暮らしぶりを写真集にして発売し,それを読んで記憶している住人が,新しい住人と仲良しになり,少しずつその部屋の探訪をするという,一種異様な「欲望」が描かれている点でしょうか。月並みなことばで言ってしまえば,他人の生活を「覗き見」して,あれこれ推理する「欲望」ということになるでしょう。

 その「欲望」を残ったアパートの住人たちが分かち合い,共通の話題として仲良しになっていく,その描写がなかなか秀でていると某審査員は選評で書いています。しかし,わたしの中に他人の暮らしぶりを覗き見したり,あれこれ邪推する興味も関心もないためか,なんの感興も湧いてはきません。人情の機微も,どこかドライでいて,それでいてお互いに仲良しを装っているようにも読み取れます。

 この東京砂漠を生き延びるためのオアシスは,せいぜいこんな殺伐としたものでしかない,と言いたいのだとしたら,そんなテーマはもうすでに多くの作家たちによって取り上げられ,描かれてきました。ですから,いまさらとりたてて,つまり,芥川賞の当選作としての賞に値するとは,わたしには思えませんでした。

 この小説の最後のところの描写もまた,全体のコンテクストとはなんの脈絡もない,とってつけたような意味不明なものでしかない,とわたしには感じられました。審査員の何人かも,同じような指摘をしていました。にもかかわらず,この作品を押した,といいます。なぜか。この作者・柴崎友香は,すでに芥川賞の候補に4回もなっていて,日常性を描く視力と筆力はすでに高く評価されてきたけれども,今回はそのレベルを超え出て新境地を開いた,というのがこの作品を押した選考委員たちの言い分のようです。ですが,どこが,どのように新境地を開いたのか,という点についてはだれも語ってはいません。

 わたしのような素人の小説好きには,なんとも平凡なアパート生活者たちの日常が描かれている,それだけではないか,という程度の感想しかもてませんでした。どこか「物足りない」のです。ないものねだりにすぎないのかも知れませんが・・・・。

 でも,なんといっても,天下の芥川賞作家の作品です。なにか,わたしのような凡人には理解不能ななにか秀でたものがあるのでしょう。これは相性の問題かも知れません。ですから,それはそれでいいとしておきましょう。唯一,救われるのは選考委員のなかにも,この作品をまったく評価しないという人もいたことでしょうか。

 この作者が受賞後の新作で,どのような作品を提示してくるのか,それを楽しみにすることにしたいと思います。以上が,わたしの独断と偏見を前提にした読後感です。その意味では嘘偽りはありません。ということで,今回はここまで。

「ロ・カッパ・ローラーズ」のライブを聞きながら考えたこと。それは「自己超越」。

 8月22日(金)・23日(土)と二晩つづけて,沖縄でロックのライブを聞きました。グループの名前は「ロ・カッパ・ローラーズ」。といえば,なんだかそれらしくなりますが,なんのことはないカッパ君こと竹村匡弥とヤッシーこと大城安志の2名に,わたしの知らない若いドラマーが一人加わった,いわゆる即興のバンド。


 まあ,ありていに言ってしまえば,竹村匡弥はカッパの研究者でありミュージシャンであり,わたしの教え子。そして,大城安志は仕事をもちながらプロのロックン・ローラーであり,わたしの娘婿。この二人がなぜか馬が合い,こんどのライブで3回目。1回目は大阪,2回目は奈良。そして,こんどの沖縄での3回目と4回目,という次第です。そこに新しく,若いドラマーが参入。まあ,言ってみれば身内の顔なじみの速成バンド。

 もっと言ってしまえば,リハーサルもほとんどなしの「ぶっつけ本番」。ロックの詳しいことははわたしにはわかりませんが,それなりに楽しく聞かせてもらいました。

 23日のライブは,三部構成。第一部で大城安志がピンで歌い,ギターを演奏。第二部は竹村匡弥がやはりひとりで歌い,ギターで伴奏。第三部で,この2人に若いドラマーが加わり3人の演奏。それぞれ個性がまるで違うにもかかわらず,第三部は不思議な盛り上がりがありました。これぞライブというのでしょうか。


 上の写真は演奏中の大城安志。気合の入った,絶叫に近い,全力で声を張っての迫力のある歌唱と,テクニックも相当なものなのだろうなぁと想像させる(わたしにはよくわからないのですが)みごとな演奏でした。これまでにも聞いたことはあるのですが,いつも遠くから聞いていました。今回,初めて,卑近距離で聞いたこともあって,その迫力が直につたわってきました。この男はいったいなにものだろうか,と。

 伝え聞くところによれば,中学生のときにロックに目覚め,高校生でバンド・デビューし,一時,相当の人気がでてその勢いでプロを目指して上京。何年か臥薪嘗胆の時期を送りますが,ついに夢敗れて沖縄にもどり,アルバイトをしながらロックのバンドを組み,活動をつづけてきたという。そして,いまもロックとの縁を切ることはできず,毎晩,練習に励み,機会があればどこにでもでかけて行ってライブ演奏をするという日々を送っているそうです。


 この写真をみると明らかなように,ロックの世界に忘我没入してしまうと,まるで別人になってしまいます。もはや,この世の人ではなくなり,どこか次元の違う世界の「なにか」に向かって,必死になって「なにか」を伝えようとしているように見受けられました。瀧のように流れる汗をものともせず,全身,バネのようにしてステップを刻み,飛び跳ねての文字通りの熱演です。そうして,次第にかれの世界に聞く者たちを引きずり込んでいきます。いやはや,驚くべき演奏でした。

 こんな激しい演奏のなかに,バラードが一曲入り,これはこれでしっとりと聞かせる自作自演でした。全体的に伝わってくるのは,人間の日常の思いやりややさしさに触れたときの感動をロックにして,全身全霊を籠めて表現しているように,わたしには聞こえてきました。ひとことで言ってしまえば「自己超越」。別の言い方をすれば「聖なるもの」(ジャン=ピエール・デュピュイ)に触れる体験。ロックをとおして人間が生きる喜びの源泉に触れる,その快感を追い求めているように聞こえてきます。かれ自身が,演奏をとおして自己を超え出ていくときの快感と同時に,その向こう側に透けて見えてくる純粋無垢の世界への限りない愛,あるいは憧憬。それがかれのロックの真髄となっているのだろう,と想像してしまいました。

 この際,はっきりとエールを送っておきましょう。間違いなくロック歌手として一流の域に達している,と。ただ,不運にして売れないだけの話。優れた音楽評論家との出会いに恵まれていない,というべきか。でも,その世界での評価は高いらしく,本土からやってくる一流の演奏家の前座を務めることもあるのだそうです。でも,いまは売れても売れなくても,そんなことは超越したところでロックの面白さを探求しているように見受けます。また,ひとつ上のステージの世界を堪能しているのかもしれません。


 片や竹村匡弥の演奏は,大城安志とはまったく対極にあるような演奏で,しっとりと聞かせるものでした。かれとは付き合いが長いので,学生時代から演奏はちょこちょこと聞かせてもらってきました。これまではすべてバンド演奏でしたので,こうして一人語りのような,椅子に座って歌うのははじめてのことでした。

 若いころは「ライオン」の異名をもつ声の大きな,吼えるような演奏でした。バンド演奏とピンでの演奏では本質的に演奏スタイルが違いますので,比較することはできません。が,今回の演奏を聞いていて,味のある,そして伸びのある歌唱力に驚きました。こんなに上手いとは,じつは思っていませんでした。加齢とともに腕も心境も高まってきているのでしょう。

 河童の研究者としても,近年,とても充実してきていて,将来が嘱望されるところにきています。すでに,某大手出版社からオーダーがきているほどです。これまでの蓄積をまとめれば,いつでも本になる,そういう域に達しています。このことと,ロックの演奏は,どうもシンクロしているのではないか,と聞きながら思っていました。

 つまり,河童の研究は,いわゆるヨーロッパ近代が生みだした資料実証というアカデミズムにはそぐわない世界です。その資料実証主義の厚い壁をぶち破っていくことが河童研究には求められます。言ってみれば,それは想像の世界であり,創造の世界でもあります。そのためには,読者を納得させるだけの説得力ある論理構成と情動を突き動かす文章表現が求められます。

 このアカデミズムの壁を突き破るための努力とロックの演奏は,なんの矛盾もなくシンクロする,とわたしは考えています。つまり,硬直してしまったアカデミズムの土手っ腹に穴を開ける営みは,ロックそのものではないか,という次第です。


 この表情からも,やはり,もう一つの「自己超越」の世界が予感されます。歌っている本人が気持よくならなければ,それを聞く人に伝わるわけがありません。ミュージシャンにはそういう世界にみずから飛び込んでいける才能が不可欠です。竹村匡弥には,そういう才能が備わっているように思います。それは日常生活にも現れていて,初対面の人とも,それも大物の研究者とも,すぐに友だちになれる才覚はみていて羨ましいかぎりです。わたしには持ち合わせがない,素晴らしい才能の持ち主だということを,今回,再認識した次第です。いやいや,恐れ入りました。

 というところで,第三部の感想は割愛。

 いずれにしても,この二人の演奏に触れて,わたし自身の認識が大きく変化させられたことを,ここでは正直に告白しておきたいと思います。人間はみんなそれぞれの世界で伸びていく,成長していく,そのよきサンプルに久しぶりに出会った,という心地よい印象が強烈です。

 至福の二晩のライブでした。ありがとう。二人のロックン・ローラーにこころからの敬意と感謝の気持を表して,このブログを閉じたいと思います。謝謝。

〔追記〕
お詫びと訂正。「ロ・カッパ・ローラーズ」はバンドの名前ではなく,ライブの名前だそうです。お詫びして訂正させていただきます。

2014年8月29日金曜日

「九条の会」弾圧,「国会デモ規制」検討,「沖縄と安倍政権」(佐藤優)。29日の『東京新聞』から。

 今朝(8月29日)の『東京新聞』の一面トップのニュースに愕然としてしまいました。もはや世も末だと。憲法九条を守るという活動を,とうとう地方自治体(国分寺市)までもが排除しはじめた,というのです。その理由が「内容が政治的」だから,と。


 「9条の会」が,いろいろの地域でそれぞれ独立して,草の根的な運動を展開していることは衆知のとおりです。わたしの住んでいる川崎市高津区にも「9条の会」が組織され,街頭にでてビラを配ったり,講演会や勉強会を開催しています。それは,いわゆるプロの活動家ではなく,ごく一般的な市民の有志の集まりです。

 それも,日本国の骨格を支える「憲法」を守る,という国民としてのきわめてまっとうな運動です。そして,その中核をなす「9条」を守ろう,という運動です。学校教育でも熱心に教育されてきた重要なカリキュラムの一つでした。いやいや,いまも,きちんと教育されているはずです。わたしの学生時代には「憲法」という科目が必修でした。この単位を取得しなければ大学を卒業することはできませんでした。

 それを「なにを血迷った」のか,国分寺市ともあろう地方自治体が,自主的に安倍政権に「自発的隷従」をするかのように,「9条の会」に「圧力」をかけてきたのですから・・・・。もはや,開いた口がふさがらない・・・・。国分寺市民は黙ってはいないだろう,とわたしは期待しています。「冗談じゃあない」と声を挙げてほしいところです。

 しかも「国分寺まつり」に出店を出すことを「まかりならぬ」というのです。「まつり」は「まつりごと= 政」であって,どのような「まつり」もすべて「政治的」です。政治的でない「まつり」は古来,わが国には存在しません。「9条の会」を弾圧すること自体が,まさに「政治的」です。

 この調子でいくと,世界でも類をみない,国民に自国の憲法を教えてはいけない,という世にも不思議な国家が誕生しそうです。世界中の「笑いもの」になってしまいます。なにより,おそろしいのは,政権が狂いはじめると,あっという間にあちこちの地方自治体までもが「狂い」はじめてしまうという,この「連鎖」です。そのうち憲法のことを口にしただけで,「白い眼」でみられる社会が出現するのではないか,と不安になってきます。


 この一面トップのニュースのすぐ左隣の記事が,この写真です。こちらも,もはや開いた口がふさがらない,そういう事態です。一体,政府自民党の政治家の頭はどこまで「狂って」しまったのでしょう。自分たちに都合の悪いことは,ことごとく排除してしまえ,というきわめて単細胞的な発想しかできない「大馬鹿者」,いやいや桁外れの「愚者」の集団でしかありません。こうした「馬鹿さ」加減に歯止めをかける議員もいない,なんたる堕落した政党なのか,あきれはててしまいます。

 「奢れるものは久しからず」といいます。精確には「奢る者は心つねに貧し」(『譚子化書』)といいます。いつまでも国民の眼を欺くことはできません。嘘に嘘を重ねてきた安倍政権です。ほんとうにどこまで嘘をつきつづけるのか,いつか,必ずその嘘で固めたお城はあっという間に崩壊するでしょう。国民はそれほど愚かではありません。ただし,いまのところは「猫騙し」が効果を発揮している・・・・かにみえるだけのことです。

 それに気づいたのか,内閣改造だそうです。こちらも壁紙を張り替えるだけの話。党内の不満分子のガス抜き。政権を維持するための小手先のお遊び。国民のことなどかけらも考えてはいません。ただひらすら権力を持続させるための「保身」あるのみ。


 今日の新聞の最後のきわめつけは,佐藤優の本音のコラム「沖縄と安倍政権」。この記事に解説や感想は不要でしょう。ありのままの沖縄の現状を簡潔にまとめたコラムです。ただし,最後の3行はぎくりとさせられます。「その結果,沖縄の分離傾向がかつてなく強まるかもしれない」と結んでいます。「分離傾向」ということばに籠められた佐藤優さんの思いは単純一様ではありません。かれの著作を読めばよくわかることですが・・・・。このことについては,また,機会を改めて検証してみたいと思います。

 このことと関連してひとこと。これも今日の同じ『東京新聞』の広告欄に載っていた本のコマーシャルです。川満信一・仲里効編『琉球共和社会憲法の潜勢力』(未來社,2600円)。この本は,これまでとこれからの沖縄を考える上では必読の書と言っていいでしょう。いつかまた,この本のことについても書いてみたいと思います。

 長くなってしまいました。今日のところはここまで。

2014年8月27日水曜日

「辺野古移設反対・80%」を超える(『琉球新報』・8月25日)。沖縄県民の怒り,歴然。

 しばらく前のアンケート調査で,すでに「辺野古移設反対」が70%を超えているという『琉球新報』の報道がありました。それも当然だろうとわたしは受け止めていました。わたしが沖縄県民であったら,公約違反をした仲井真知事を許すことはできません。完全なる「裏切り」行為です。詐欺師であり,ペテン師です。そんな人を知事として認めることはできません。

 そういう沖縄県民の怒りが,なんの説明もなしに唐突にはじまった辺野古崎周辺海域の工事の開始,しかも,無謀ともいえる強引な「暴力」をもって漁民の抗議行動を排除する政府自民党のやり方で,さらに火が点いたとしてもなんの不思議もありません。その結果というべきでしょう。「辺野古移設反対」が,ついに「80%」を超えた(『琉球新報』8月25日)ということです。

 沖縄県民の8割を超える人が反対している,というこの事実はとても尋常とはいえません。それどころか緊急事態の発生にも匹敵する重大事です。沖縄県知事としては,急遽,しかるべき対応が不可欠です。にもかかわらず,仲井真知事は政府自民党のやり方を「擁護」するのみで,顧みるそぶりもありません。

 となれば,仲井真知事に対する不信感はますます増えていくことになるでしょう。ですから,仲井真知事の再選はありえない,とつとに政府自民党も読み切っています。その上での辺野古崎周辺海域の工事の「前倒し」開始であることも明らかです。そうして,基地移転を既成事実化することだけが目的の今回の「暴挙」です。

 こうして,辺野古移設反対を主張して当選した稲嶺名護市長につづき,11月に選出される知事もまた辺野古移設反対の候補が当選するとなると,基地の辺野古移設が膠着状態に入ることは間違いありません。そうすれば普天間基地がそのまま継続することになってしまいます。となると,沖縄県の基地負担は半永久的に継続することになってしまいます。

 そんなことになってしまっては元も子もありません。そこで,唯一残された選択肢は,沖縄県知事選挙の「圧倒的勝利」です。8割はおろか9割に達するほどの「圧勝」です。そういう沖縄県民の総意としての「意思表明」を選挙で示すことです。そういう驚異的な「圧勝」を現実化させ,この事実を国際社会に訴えることです。となれば,アメリカだって黙視するわけにはいかないでしょう。日本政府がいかにこじつけを駆使して,強烈な圧力をかけようとも,もはや,なんの意味もなくなるでしょう。そのゆきつく先は,アベ政権の崩壊です。

 このシナリオ以外に沖縄県民の選択肢はない,というのがわたしの読みです。しかも,こうなることを本土の人間として,こころから願っています。なぜなら,11月の沖縄県知事選挙の行方は,日本国の命運がかかっているからです。それは,10月に行われる福島県知事選挙とも連動していくことになります。言ってしまえば,関が原の戦いでもあります。

 ですから,これから秋にかけては,本土にいる私たちもまた,いたるところでフクシマとオキナワの惨状を訴える抗議行動を展開して,両県の知事選挙にエールを送る努力を惜しんではなりません。その意味で,こんどこそは本土で安穏な生活を送っている,フクシマもオキナワも眼中にない,残念ながらわたしたちの同胞たちにも「目覚め」てもらわなくてはなりません。

 こんなことを,今回の沖縄旅行中に,二度にわたってキャンプ・シュワブゲート前の抗議行動に参加し,辺野古崎周辺海域を巡りながら,考えました。もちろん,限られた範囲ではありますが,沖縄県民との直接の接触によっていろいろの情報を得た上でも,同じことを考えました。

 日本国はいまたいへんな時期を迎えている(いろいろの意味で),こんな思いがさらにさらにわたしの中で膨らみつづけています。ピンチはチャンスということばがスポーツ界にはあります。その意味では,いまが最大の「チャンス」なのだ,とみずからに言い聞かせつつ・・・・・。

沖縄4泊5日の旅からもどってきました。濃密な日々。刺激的な出会い。

 8月22日(金)から26日(火)まで,4泊5日の沖縄の旅を満喫して,もどってきました。沖縄滞在中もブログを書こうと思ってパソコンも持参したのですが,毎晩,深夜まで居酒屋めぐりで,ホテルに戻ったらそのままバクスイ。きわめて健康的であるような,不健康であるような・・・・。でも,自分の好きなことに熱中できることはなによりの幸せです。

 22日(金)と23日(土)は連夜で,カッパ・ロッラーズなるロックのライブ。これがまた強烈なものでした。そして,ようやくロックなるものの本質が少しみえてきた,そういうライブでした。と同時に,沖縄におけるライブの位置づけというか,ウチナンチュのライブの楽しみ方が,生活の中に浸透している,という印象をもちました。もう一点は,ロックン・ローラーが自己超越し,その世界で自分自身がほかの誰よりも憑依している,ということがわかりました。このことについては,このブログで取り上げて,詳細に語ってみたいと思っています。ライブが終わるのが夜の10時過ぎ。それから夕食とドリンク。沖縄タイムを満喫です。

 23日(土)の昼中は,キャンプ・シュワブゲート前の抗議行動に参加。「県民2000人集会」の企画。場所が那覇からも遠く,しかも不便なところですので,そこまで到達するのがたいへん。車で送ってもらい,帰りは拾ってもらって,という参加でした。にもかかわらず,目標の「2000人」をはるかに超えて「3600人」が集まりました。実行委員会が用意したバスの台数が足りなくて,ここに到達できなかった人がかなりいた(新聞報道)ということですので,実際にはもっと多くの人が参加したことになります。午後2時にシュプレヒコール,国会議員団の挨拶,デモ行進。この場の熱気は相当なもので,沖縄県民の人たちのこころのうちを垣間見る思いがしました。

 24日(日)は「ひめゆり平和記念資料館」へ。ここも本島の南端ですので,那覇からはかなりの時間がかかります。しかし,ここの資料館で流している「映像資料」(当時の戦争の実写フィルムとわずかに生き残った「ひめゆり」の元隊員だった女性たちの回想フィルム)が,わたしにはきわめて強烈でした。そして,戦争を引き起こす人間の「愚かさ」がいやというほど見せつけられ,いかなる理由があろうとも,戦争だけは回避しなくてはならない,としみじみ思いました。このときになにを考えたかも,いつか,このブログで取り上げてみたいと思っています。

 その日の帰路,奥武山運動公園にある野球場で開催されていた「第50回記念エイサー祭り」に立ち寄りました。これがまたとてもみごとなものでした。これまでいろいろのショーとしてみてきたものや,インターネットで眺めてきたものとはまったく違った印象を受けました。それは野球場という場所から生みだされるスケールの大きさとエイサーを演ずる人たちの心意気がまるで異なるということでしょう。各地域の予選をへて選りすぐりの青年団によるエイサーです。同じエイサーと呼ばれている踊りが,こんなに多くのバリエーションがあるのか,と驚くほどでした。終わったのが夜の8時過ぎです。それから那覇までもどって夕食+トリンケン。これらのエイサーを眺めながら考えたことも,いつか,このブログで書いてみたいと思います。

 25日(月)は朝10時県庁前から出発するバス(「島ぐるみ会議」がチャーター)に乗って,再度,キャンプ・シュワブゲート前の抗議行動に参加するために,午前9時30分にならんでチケットを購入。先着順ということでしたので,乗り残されることのないように・・・という備えです。すでに,長蛇の列になっていましたが,そこに,N.O.さんから携帯に電話が入り,N.I.さんが車で案内してくれることになり,いま,県庁前に向かっています,という。あわてて,バスのチケットをキャンセル。返金は「カンパ」することに。車に乗り込んでみたら,N.C.さんが乗っていて,ひとり分の空席がある,ということがわかりました。車中,話しがあれこれ盛り上がり,また,バスでは不可能な寄り道をいっぱいしてくださり,いろいろの場所から辺野古崎周辺海域を眺めることができました。このときの経緯もいつかこのブログで書いてみたいと思います。

 この日の夜は,午後7時開演のシンポジウム「どうする米軍基地・集団的自衛権」(「新外交イニシアティブ」主催)に出席。午後9時30分に終了。それからN.O.さん,N.C.さんと合流して,夕食+トリンケンに。ここでのシンポジウムについての講評とそこから派生する思考の展開がとても刺激的でした。たとえば,政治的な抗議行動には,単なる二項対立的な意思表明だけではなく,もっと祝祭的な要素(「まつりごと」の本来の意味で)を加味して,多くの人間の共感を呼ぶことが重要なのだ,そして,そこには「ノロ」の大集結も不可欠だ,などというようなお話です。この夜はさすがに午前様にならないところでお開きに。それらの内容についてもいつかこのブログで書いてみたいと思っています。

 このほかにもいろいろありましたが,公けにできるお話はこの程度。
 今回の沖縄旅行の概要はこんなところです。各論については,また,のちほど。以上,とりあえずのご報告まで。

2014年8月23日土曜日

8・23「沖縄県民2000人大集会」に参加してきました。大盛況。

 8月23日午後2時に,キャンプ・シュワブゲート前での「沖縄県民2000人大集会」が,参加者全員によるシュプレヒコールによって開始されました。「島ぐるみ会議」をはじめとする超党派による県民の大集会です。実行委員会の開会時の発表では,当初の目標であった「2000人」をはるかに超える参加者に感動し,こころから感謝します,とのこと。しかも,まだ続々と人は集まってきていました。それはそれは,びっくりするほどの熱気にあふれていて,そこはかとなく沖縄県民のみなさんの強い意思を感じることができました。

 シュプレヒコールのあと,沖縄県選出の衆議院議員さん(3人)の挨拶と参議院議員の糸数慶子さんの挨拶がありました。ほかの議員さんの挨拶は意外に平凡なもので,なにも記憶には残っていませんが,糸数議員さんの話は印象に残りました。「昨日,ジュネーブから戻りました。国連の場を借りて,沖縄県民の人権を脅かす由々しき事態が,いま米軍基地移転をめぐって,辺野古崎周辺海域で展開されています。この窮状を救うべく,国際社会のみなさんのご理解とご協力をいただきたい,とお願いをしてきました」(ここで大きな拍手)。

 キャンプ・シュワブゲート前を走る道路の両側にある「歩道」での集会です。そこに2000人を超す人間が集まっています。ですから,ゲート前を中心にして左右300m(計600m)もの細長い集団を形成しています。歩道は移動するのも困難なほどの人(立っている人,座り込んでいる人)であふれ返っていました。もちろん,ゲート前周辺の土手の上にも人がいっぱいです。

 連日,座り込みをして抗議している人たちは青いテントを張って陣取っています。わたしたちが駆けつけ,その前を歩いていきますと笑顔で拍手をしてくださいます。なんだか恐縮してしまいました。こちらこそエールを送り,感謝の気持を表現したいところなのに,逆でした。なんと気持の温かい人たちなのだろう,と感じ入ってしまいました。

 本土のメディアはどこもきてはいませんでした。NHKをはじめ,民放も,そして,大手新聞社の取材班も眼にすることはありませんでした。ただし,沖縄のテレビ局と主要新聞社の取材は,だれの眼にもはっきりとわかりました。それと,意外に目立ったのは,外国の記者とおぼしき人たちがカメラマンと一緒に,あちこちでマイクをもってインタヴューをしていたことです。なかには,たった一人でノートを片手に,なにげなく参加者に声をかけ,熱心に話し込んでいる姿もありました。

 なのに,こんどもまた本土の主要メディアは無視するのでしょうか。
 これはこんごの検討課題としておきましょう。

 とりあえずは,今日,撮ってきた写真だけでも列挙しておくことにしましょう。

連日,座り込みをしている人びと。その前を通りがかった稲嶺名護市長さん(青いシャツを着てうちわをもっている人)を拍手で迎えています。
 
キャンプ・シュワブゲート前の警備員の人びと。その前にあるのがあの悪名髙き三角型鉄板。いつもですと,この後ろに警察官,そのまたうしろに自衛官が横一列に並んでいます。なぜか,今日はこれだけの警備。これもまた「みせかけ」なのでしょう。
 
ゲート前の土手の上にも大勢の人が立っていました。
 
琉球大学学生会と沖縄国際大学学生自治会の巨大な立て看板。
 
実行委員会のバスの屋根に立つ国会議員の人びと。赤いジャケットと白い帽子の人が糸数慶子議員。
 
沖縄大学の学生さんたち。
 
この抗議行動に参加した諸団体の登り旗。
 
〔追記〕
※その後の沖縄のメディアの報道によれば,3800人もの県民が集結したとのことです。この交通の便の悪いところに(那覇から車で約2時間,名護市からも約30分というロケーション),これだけの県民が集まったということに,感動を覚えます。
 
※この同じ日に,首相官邸前でも同様の抗議行動(デモを伴う)が展開された,と報道されています。いよいよ全国的な運動に展開していくのでは・・・と期待しています。
 

2014年8月22日金曜日

NHK籾井会長の辞任を求めるNHK元職員1500人とアベ政権との対決。

 まずは,籾井会長の辞任要求を提出したNHK元職員1500人の勇気と品位のある行動にこころからエールを送りたいと思います。この行動はなにを隠そう,アベ政権との勇気ある対決そのものだからです。

 NHKの看板番組の一つであった「クローズアップ現代」をつぶしてしまったのもアベ政権です(とわたしは確信しています)。国谷裕子キャスターによる国民目線からの鋭い切り込みが,アベ政権の弱点をみごとに露呈させてしまったことが,アベ政権の沽券にかかわる一大事になってしまった,だから「許しがたい」「由々しき事態である」として,国民の見えないところで悪魔の手が伸びた,とわたしは推測しています。その直接的なきっかけとなったのが,つまり,アベ政権の「逆鱗」に触れるきっかけとなったのが,菅長官の「クローズアップ現代」への出演でした。

 わざわざ菅長官が出演するということは,とりもなおさず政権の宣伝に一役買うことであり,NHKも当然のことながら協力するものと信じて疑わなかったに違いありません。ところが,案に相違して,「国民目線」が優先されてしまった,というのがことの真相のようです。

 このときの映像はインターネットで確認できますので,ぜひ,ご確認ください。菅長官が,いつもの調子で,集団的自衛権の正当性をへらへらと述べたのに対し,国民はとても納得できないまま大きな不安をいだいている,と突っ込んだのが国谷キャスターです。それでも,菅長官は,いい加減な「3原則」を楯にして,のらりくらりの応答をつづけます。国谷キャスターは,言いたいことの8割は抑えて,それでも国民の多くは納得できないだろうとして,やんわりとした質問をつづけます。途中から菅長官の顔がひきつってくるのが手にとるようにわかります。明らかに国谷キャスターに敵愾心をいだきはじめています。それでもひるむことなく国谷キャスターは質問をつづけます。しかも,菅長官の応答の途中で時間切れで,この番組を終わってしまいます。

 この番組が終わったあとに,菅長官サイドからあれこれあったとかなかったとかが,週刊誌などで取り沙汰されています。ことの真相は藪の中ですが,なにかがあったことは確かなようです。それも国家権力を背景にした強烈なものであった,とわたしは推測しています。その最たる根拠は,菅長官が「そんな事実はない」と否定した上で,「この問題をこれ以上,追求するつもりはない」として放棄したことにあります。ほんとうに「事実ではない」のであれば,その事実関係を調査し,その責任者を追求すべきでしょう。それを,明らかに忌避しています。それこそが菅長官の「うしろめたさ」の表出以外のなにものでもない,というのがわたしの言い分です。

 このことと,元職員1500人の署名運動とは直接の関係はありません。その前に,籾井会長の言動そのものが,NHKの規定に違反している,というのが理由です。もう,これ以上は黙認するわけにはいかない,として立ち上がったのがこの元職員1500人です。この行動をアベ政権がどのように受け止めるか,そして,どのような対応をするのか,ここが天下分け目の天王山です。NHKのごんごの命運を占う上でもきわめて重大なポイントとなってきます。

 当然のことながら,いま渦中にある国谷キャスターのこんごの処遇の問題にもつながってきます。つまり,「クローズアップ現代」が復活するか,あるいは,そのまま国谷キャスターの退陣となるか,というところにつながっていきます。のみならず,国谷キャスターがNHKを去るということになると,これまた一大事になります。なぜなら,フリーになった国谷キャスターは,ことの真相を「暴露」する可能性がでてくるからです。となったら,アベ政権の命取りになる可能性もでてきます。さてはてNHKの命運やいかに・・・・。

 いま,水面下ではたいへんな「やりとり」が展開されているに違いない,とわたしは推測しています。アベ政権としては,すんなりと籾井会長を取り下げ,「クローズアップ現代」を復活させるわけにもいきません。さりとて,これを拒否すれば,事態はますます悪化の一途をたどることになりかねません。となると,前代未聞のとてつもない「泥試合」が,これからしばらくはつづくことになりそうです。

 そろそろ持病の「腹痛」が出そうな気もしてきました。強権をふりまわす恐怖政治家は,意外にからだが弱いものです。なにか都合の悪いことがでてくると,すぐに持病も頭をもたげてきます。そういう意味で,「腹痛」も間近ではないか,とそんな気がしてなりません。

 NHK元職員1500人の勇気と品位ある行動が,国家の姿勢を糺す引き金になってくれることを,わたしは密かに期待しています。その意味で,これからも応援していきたいと思っています。

〔追記〕
「クローズアップ現代」は25日から復活されるという情報が友人から入ってきました。わたしの早とちりでした。が,しかし,どのようなかたちで復活するのか,これもみものだ,と思っています。しばらく,注目してみたいと思います。取り急ぎ,お詫びかたがた感想まで。
 

2014年8月21日木曜日

いま,キャンプ・シュワブと辺野古崎周辺海域でアベ政権の「暴力」が剥き出しになっています。

 本土のメディアのほとんどが,いま,沖縄のキャンプ・シュワブゲート前と辺野古崎周辺海域で起きているアベ政権の剥き出しの「暴力」,それも目も当てられない無茶苦茶な「暴力」について,無視しつづけています。政権とメディアが一体となって,またもや,沖縄「切り捨て」を実行に移しています。知らないでいるのはわたしたちヤマトンチュだけです。

 沖縄の「琉球新報」と「沖縄タイムス」だけは,県民目線から,連日,アベ政権の「暴力」を一面トップで報じています。わたしのFBでは,いろいろの人から流れてくるキャンプ・シュワブと辺野古崎周辺海域で起きている情報をシェアして,流していますので,そちらをご確認ください。インターネットでは,リアルな写真つきで,その実態が流れています。それはそれは,これが人間「アベシンゾウ」のやることか,と目を覆うばかりです。

 アベシンゾウの「二枚舌」はつとに知られているとおりですが,それにしても,あまりに酷すぎます。表面では,稚拙というか,バカの一つ覚えというか,同じ「きれいごと」の繰り返しでメディアも巻き込んで押し切ろうとし,その裏ではあくどい「取引」が展開されています。その最たるものが,いま,沖縄で展開されている,というわけです。

 そのひとつが「国民の命と安全を守る」という常套句です。これまでの政権は,「国民の命と安全を守る」ために憲法9条を守ってきたのに,アベ政権ではそれをひっくり返し,解釈改憲を閣議決定して,それがあたかも政権をになう者の責任であるかのごとく主張してやみません。これは,明らかに憲法違反です。わたしごときが言うまでもなく,憲法の専門家の大多数が「憲法違反」の声を挙げているとおりです。

 その「国民の命と安全を守る」ために,辺野古崎への米軍基地移転は必要だ,とアベ政権は主張します。このときの「国民」とはだれのことか。それは本土に住む「国民」のことであって,沖縄に住む「国民」はその犠牲になる,ということを意味します。それを誤魔化すために,尖閣諸島をもちだし,まっさきに攻撃されるのは沖縄だ,と煽り立てます。しかし,だまされてはいけません。尖閣問題は,もとの「棚上げ」状態にもどせば,紛争は解決です。中国もそう主張しています。その中国との「約束ごと」を一方的に破棄して,「わが国固有の領土である」と宣言したのがアベ政権です。そのために,戦える軍隊が必要になり,集団的自衛権の行使容認が必要となってしまっただけの話です。その負債を,すべて沖縄県民に押しつけ,本土では涼しい顔をして「国民の命と安全」を享受して平然としている,というのがわたしの現実認識です。

 「丁寧な説明をして,ご理解をえる」・・・これもまたアベシンゾウの常套句です。米軍基地反対をスローガンにして当選した仲井真知事を「寝返らせ」(公約違反で,即辞表を提出すべきなのに,アベ政権に守られて再選をめざす,というこの厚顔無恥もあきれてものが言えません),その裏切り知事の言質を根拠に,沖縄県民にはなんの説明もなしに,まったくの唐突に,辺野古崎周辺海域の調査・工事にとりかかりました。それも過剰警備のもとに。

 たった5杯のカヌーを,海上保安庁の監視船をはじめ,自衛艦まで出動させて取り囲み,「これ以上近づいてくると,体当たりをくらわすぞ」と脅しています。カヌーからは「近づいてはいけない海域を教えてください」と繰り返し,ハンドマイクで問いかけているのに,それは「無視」して,「これ以上,近づいてはいけません。危険です」を繰り返すのみ。

 しかし,さすがの海上保安庁の役人の中には「海の安全を守るのがあなた方の仕事でしょう」「海で漁をすることを職業としているわたしたちの安全を守るのもあなた方の仕事でしょう」「なのに,なぜ,わたしたちを危険な目に合わせなくてはいけないのか」というカヌーからの呼びかけに,じっと耳を傾け「無言」の監視をつづける船もあった,とネット情報では流れています。まともな人間であれば,だれでも気づくことです。

 こうしたアベ政権の,矛盾だらけの,一方的な「暴力」に対して沖縄県民も黙ってはいません。連日,多くの県民がキャンプ・シュワブゲート前に「座り込み」の抗議行動をつづけています。23日には「2000人県民大会」がキャンプ・シュワブゲート前で予定されています。25日(月)(毎週月曜日,午前10時,県庁前)には「島ぐるみ会議」がバスを仕立てて,キャンプ・シュワブゲート前に向かうという情報も入っています。しかも,25日の夜には「シンボジウム」も予定されています。こちらには,すでに申し込みを済ませました。

 わたしはまったく偶然にも,明日の22日から26日まで沖縄に滞在する予定を,もう,半年も前から組んでいました。それが,ほんとうに偶然にも,沖縄の,いや,日本の分水嶺ともいうべき運命の時期に重なりました。当初の予定をできるだけ圧縮して,残りの時間を,可能なかぎりキャンプ・シュワブゲート前と辺野古崎周辺海域で起きていることをこの目に刻み,しかるべき抗議の意思表明をしたいと考えています。

 いま,沖縄で起きているアベ政権の断末魔とも思われる「悪あがき」に,みなさんも注目して,情報を収拾してください。インターネットには,これでもか,というほどのリアル・タイムの情報が流れています。それも匿名ではありません。すべて,責任の所在がはっきりしたものばかりです。しかし,これらの情報もまた,数時間後には「消去」されていることが頻繁に起きています。その「消去」をしているのもまたアベ政権です。恐るべき時代への突入です。このあとに待っているのは「恐怖政治」だけです。もうすでに,自発的に,アベ政権に「隷従」する自治体もあとを絶ちません。各地の教育委員会も同様です。

 いま,立たずしていつ立つのか,とみずから老骨に鞭打って,明日からの沖縄に臨みたいと考えています。いまのアベ政権は,ほんとうに「断末魔」の「悪あがき」を,恥じることなく展開しています。NHKの「クローズアップ現代」は,なぜ,消えてしまったのか,とくとお考えください。

では,行って参ります。

2014年8月20日水曜日

李自力老師,今日(8月20日)は来日16周年の記念日です,とのこと。

 今日(8月20日)は,朝から猛烈な暑さ。ことし一番の暑さではないか,とわたしのからだは言っています。稽古場につくなり,みなさんは汗びっしょり。もちろん,稽古中も汗びっしょり。それでもわたしのからだはあまり汗をかきません。水分摂取不足かな?といささか心配。

 めずらしく稽古の途中で,汗をふきなさい,水分も補給して,と李老師から指示がでました。でも,わたしのからだからは汗がほとんどでていません。むかしから夏でもあまり汗をかくことはありませんでした。そういう体質でした。が,みなさんの汗をみていると,やはり,いまのわたしのからだは普通ではないなぁ,とちょっぴり不安。でも,からだが水分を要求していないのだから,これでいいのだ,とみずからを納得させています。

 でも,昼食のときにはサービスの水がとてもおいしかったので,お変わりしました。これで,まあ,ふつうかなぁ,と少し安心。と,突然,「今日,8月20日で,わたしの日本滞在は満16年になります。北京で暮らした時間よりも日本の時間の方が長くなりました。故郷の昆明には19歳までいましたので,まもなく昆明よりも日本の生活の方が長くなります」と,李老師。

 みんなびっくり。ああ,そうですか,と。時間が経つのは早いものですねぇ,と。じゃあ,一度,どこかのタイミングで「暑気払い」をしながらお祝いをしましょう,とこれはわたしのこころの内。そういえば,兄弟弟子のNさんも定年一年前に退職して私学に転職。ことしになって訳本(『聖なるものの刻印』,以文社)も単著(『アフター・フクシマ・クロニクル』,ぷねうま社)も出版していらっしゃいますので,そちらのお祝いも兼ねて・・・とわたしのこころの内。弟弟子のMさんも,精力的に訳本を刊行。最近では,猫がらみの翻訳『猫の音楽』(勁草書房)もでて,新境地を披瀝されています。妹弟子のKさんは,能面アーティストを名乗りながら,最近では能面の絵に開眼。こちらも精力的に描きつづけていらっしゃいます(Kさんのブログに公開中)。もう一人の弟弟子は,心機一転,減量に成功。最近は,自転車で稽古場までやってきます。汗びっしょりかきながら,とてもいい表情になってきました。少し明るくなったということか。最後は,わたしのからだ。大事にいたることもなく,なんとかことなきをえようとしているように感じられます。で,まずは,みんなひっくるめて,「暑気払い」を,と考えた次第です。

 それにしても李老師の16年間。日本武術太極拳連盟のナショナル・チームのコーチとして招聘され,この長きにわたる功績。このことは,なによりも,李老師の人格者としての素晴らしさ,そして太極拳に関する識見の深さ,すばらしい指導力,加えていまも現役として表演をなさるその実力が高く評価されてきた,それらのトータルの評価以外のなにものでもありません。さらには,日中太極拳交流の架け橋としての実績。その間,大学院に入学し,苦労して論文の書ける日本語を習得。そして,立派な博士論文『日中太極拳交流史』を書き上げ,すぐに単行本として刊行もされました。これは名著です。わたしもドクター・ファーザーとして,少なからずお手伝いをさせていただきましたので,その内容のレベルの高さは承知しています。こんごも長く古典として生き残る立派なご著書と言って過言ではありません。その後も,中国で開催される太極拳に関する研究会やシンポジウムには,なくてはならない存在として,毎回のように招聘されていらっしゃいます。そして,これからの太極拳の行方についても深い洞察をなさっていらっしゃいます。

 この李老師の博士論文が完成し,論文審査が終わってから,わたしは恐るおそる太極拳の弟子入りを申し出ました。もちろん,李老師はこころよくお引き受けくださいました。そのときに,わたし一人だけではもったいないと思い,Nさんをお誘いしました。それから,まもなく10年になろうとしています。その間にいろいろの人の出入りがありました。が,なんとなく,いまのメンバーに定着しました。でも,来年4月には仲間に入れてほしいという人もいらっしゃって,それも楽しみの一つになっています。そうだ,こちらも李老師への感謝の意を籠めて,「暑気払い」のプログラムの中に加えることにしよう。

 考えてみれば,わたしたちの太極拳仲間は,ほとんど飲み会なるものをしたことがありません。別に嫌いなわけではないのですが,なんとなく,それぞれにご多忙で,やるべき仕事が山ほどある人ばかりです。ですから,それとなく,忘年会も,打ち上げも,なにもしないままできてしまいました。が,そろそろ,そういうこともいいではないか,という心境になってきました(これは,わたしひとりだけかもしれませんが)。

 お断りしておきますが,週一回の稽古の時間は,みんな真剣そのものです。まったく手抜きなしで,全力投球をしています。そのピーンと張りつめた雰囲気がまたたまりません。一流の仕事をなさっている人たちが放つ,なんともいえないオーラのようなものを感じます。それらが一つになったときの快感はまた特別のものです。

 最近では,李老師が,この緊張感を解き放つかのように「リラックス,リラックス」を連発されます。ときには,みずからジョークを飛ばして雰囲気を和らげたりしてくださいます。また,ときには,悪いクセの見本を面白おかしく,もののみごとに演じてみせてくださいます。これがまた絶品です。みんな腹をかかえて大笑い。そうしておいて,つまり,こころもからだも緊張から解き放たれたところで,「はい,もう一度,24式を」と指示されます。

 李老師という人は不思議な人です。お付き合いが長くなればなるほど,味がでてくる,そういうお人です。やはり,一道に秀でた人というのは,まずは,人間としてのできが違う,としみじみ思います。晩年になって,師匠も一流,弟子仲間も一流,そういう人たちと週一回,時空をともにすることができる,この巡り合わせにこころから感謝したいと・・・・最近はとくに思うようになりました。

 李自力老師の「16周年」を,そういうもろもろの感謝の気持を籠めて,どこかでセットしたい,としみじみ思う,今日の稽古でした。老師,謝謝。

2014年8月19日火曜日

『かもめのジョナサン』完成版(新潮社,2014年刊)を読む。失望。

 正直に言って,失望。とってつけたような「Part Four」。「自由」と「愛」ということばを多用し,なにか崇高な理想を描いているかにみえるが,中味は空疎。理が先走ってしまって空中分解。自滅してしまった,というべきか。

 もう,ずいぶん前の話になるが,そう,1974年版の「Part Three」までの『かもめのジョナサン』を読んだときは,素直に感動した。これは,まるでスポーツのトップ・アスリートたちが到達するであろう「ゾーン」の世界を描いたものだ,と感じたからである。ちょうど,「ものの豊かさ」がゆきわたりはじめ,物欲に眼がくらんだ人びとの精神の荒廃が,なにかと取り沙汰された時代だった。そして,アメリカからはヒッピー文化が伝わり,日本でも一種のブームを呼んでいたころだ。「こころの貧しさ」に警鐘を鳴らす本もまた出回りはじめたころだった。

 だからこの本は不思議な魅力を備えた本として,多くの読者を獲得した。そして,絶賛された。わたしもその中のひとりだった。だから,ちょうどそのころ連載していた「文学にみるスポーツ」の題材としても取り上げた。つまり,ジョナサンのストイックなまでに飛行技術を探求する姿が,トップ・アスリートたちの姿と二重写しになってみえてきたからである。それはそれで一つの読み方として間違っていたとは思わない。

 しかし,今回,「Part One」から「Part Four」まで一気に読んだ感想は,「失望」そのものだった。それは「Part One」を読み始めた冒頭から,違和感が浮き彫りになって,その違和感がしつこく最後までとりついて離れようとはしなかった。

 その違和感とは,ジョナサンが仲間の群れのかもめたちを見る視線,と言っていいだろう。つまり,群れのかもめたちが,ただ,餌をわがものとするためだけに飛行することの無意味さに気づいていない,という「上から目線」にはじまる。それは,くる日もくる日もただ餌をわがものとするためだけに飛行し,ただ,それだけの繰り返しで生涯を終えていくことの虚しさを,「無意味だ」と言って切って捨てる描写にある,と言い換えてもいい。

 著者のリチャード・バックの頭には,「食べる」ことしか,生き物の最重要課題はないかのように,それ以外のことはいっさい触れようともしない。「生きる」とはどういうことか,という根源的な問いが著者の頭にはあって,それに対する疑問をジョナサンにしきりに語らせる。ただ「食べる」ことのために飛行するのなら,「生きる」に値しない,と。そして,平凡な日々を送る群れの仲間を「上から目線」で卑下し,群れを無視して単独行動をとりはじめる。そして,ついにはその群れから追放されることを,勝ち誇ったかのように描く。つまり,「自由」を獲得したのだ,と言わぬばかりに・・・。

 しかし,それは違うのではないか,とわたし。

 かもめにとって飛行するのは,まずは「食べる」ことを確保するためだ。しかし,それだけではない。かもめの生涯は,「食べる」「眠る」「生殖する」の三つが少なくともベースにあって,これがかもめの「生」の基本である(人間も生き物という点では同じ)。このことと,著者が主張する「自由」と「愛」は切っても切れない関係にある,とわたしは考える。しかし,リチャード・バックは「食べる」ことだけを取り上げ,それで「よし」とする。

 もっとはっきり言ってしまおう。リチャード・バックは「生きる」ことの意味を追求しつつ,「セックス」についてはなにも語らない。なぜか? そこには二つの理由があるように思う。一つは,キリスト教的世界観にあってはセックスは「原罪」であり,一種の「タブー」であること。もう一つは,ヨーロッパの伝統的な「哲学」にあってはセックスは思考の対象外であること。リチャード・バックもまた,その世界にどっぷりと浸かり,それでよしとしている,とわたしは受け止める。言ってしまえば,ヨーロッパ・キリスト教文化圏に生きる人間としての「制約」を,無意識のうちに体現しているのだ,と。

 1974年版からは,すでに40年という時間が経過している。その間,わたし自身の世界観や人生観(思想・哲学もふくめて)もまた大きく変化した。とりわけ,「9・11」を経て,「3・11」を通過したいま,未来のない「破局」と向き合って「生きる」ことを余儀なくされ,その意味を根源から日々,問い続けなくてはならない,そういう「とき」に身をゆだねるしかない,となっては・・・・。

 しかし,著者リチャード・バックもまた,こんにちの「破局」には気づいているのである。この完成版の序文の最後のところに,つぎのように書き記している。引いておこう。

 「・・・・・カモメたちは,世界の自由の終わりを見たのか?
 ついにあるべきところに置かれた最終章 Part Four は,そうは言わないだろう。誰も未来を知らなかった時に書かれたものなのだから。しかし,いまわたしたちはその未来を知ってしまっているのである」。

 完成版のPart Four が,とってつけたような陳腐なものにみえる原因はここにあったのだ。著者も承知の上で,この最終章を「40年前」に書いたそのままを,「とってつけたように」加えたのである。なぜ,こんなことをしたのか。なぜ,40年後の「いま」を踏まえて修正を加え「完成」としなかったのか。理解不能である。

 わたしが「失望」を感じた概要は以上のとおりである。

 なのに,メディアはこぞって,この「完成版」を持ち上げ,絶賛する。なぜなのか。わたしにはこのことの方が「不気味」(Unheimlichkeit)である。そして,なぜか,空恐ろしくなってくる。

2014年8月18日月曜日

木田元さんが逝く。85歳。こころからの哀悼の意を表します。

 わたしのハイデガー理解は,木田元さんの著作によってだった。それまで,いろいろの人のハイデガー解説本を読んでみたが,いまひとつ納得がいかなかった。というより,なにを言っているのか理解不能でした。しかし,木田元さんのものは,じつにわかりやすく,こなれていました。ですから,木田元さんが書かれたハイデガー本はほとんど全部読んだと思います。読めば読むほどに理解が深まり,読むのが楽しみでした。そのお蔭で,ジョルジュ・バタイユ理解も深まりました。ありがたいことでした。

 その木田元さんが逝った。85歳。考えてみれば,希有なる人生を歩まれた,叩き上げの哲学者。自分が納得するまで,妥協を許さぬ知へのあくなき挑戦の結果が,わたしのような人間にまでハイデガーをわからせてしまう,深い洞察を生んだのだろうと思います。『闇屋になりそこねた哲学者』(晶文社,2003年⇒ちくま文庫)によれば,若き日の木田元さんが古本屋で手にしたハイデガーの『存在と時間』の訳本が,なにを言っているのかさっぱりわからず,でも,なにか重要なことを言っているらしいと予感し,この本を理解するにはドイツ語で読むしかないと決意し,それから東北大学哲学科への進学をめざした,といいます。そうして,まずはドイツ語を習得し(3カ月後には『存在と時間』を読めるようになった,とのこと),つづけて一年に一つずつ,ラテン語,ギリシア語,フランス語を習得し,語学の幅を広げていきます。まさに血のでるような研鑽を積み,徹底してハイデガー読解に挑んでいきます。

 柔道で鍛えた強靱なからだで,一度は病魔に倒れるもみごとに復帰され,やはり凄い人だなぁと感心していました。が,とうとう完全復帰を果たすことなく,最後は肺炎に襲われてしまいました。もう少し,人生をふり返った余談を書き残してくださるものとばかり思っていました。が,残念なことにその期待には応えてもらえませんでした。

 竹内敏晴さんとの対談『待つしかない,か』──二十一世紀身体と哲学(春風社,2003年)は,わたしたちが竹内さんと昵懇の間柄になってからの著作でしたので,とても興味深く読ませていただきました。竹内さんは演劇の現場から編み出した,竹内さん固有の身体論をベースにした,生身で生きる人間の哲学を展開すれば,それを受けて木田元さんは「反哲学」(西洋の形而上学に縛られない哲学の立場)という木田元さん固有の哲学で応答する,とても息の合った対談でした。その竹内さんもまた,病魔に襲われ,あっけなくお別れしなくてはなりませんでした。わたしたちの研究会との約束もペンディングになってしまいました。残念の極みでした。

 木田元さんの書かれた『反哲学史』(講談社,1995年⇒講談社学術文庫)を最初に読んだとき,びっくり仰天し,わたしの頭の中がひっくり返されたような衝撃を受けました。わたしの頭の中には,いわゆる西洋の伝統的な「哲学史」がベースにあって,それが唯一絶対のものだと信じて疑わなかったからです。それに対して,木田元さんは「反哲学」という考え方を打ち出されたのでした。このあたりが木田元さんの真骨頂だったように思います。

 わたしはこの本に勇気をいただき,スポーツの「哲学」の可能性を探る決意をしました。といいますのは,わたしの恩師の岸野雄三先生から,「君,スポーツに哲学はある,と思うかね」と問われ,絶句したことがあり,そのまま答えを導き出せないまま尾を引いていたからです。この問題をなんとかしなくては・・・と苦慮していたからです。

 ですから,木田元さんの「反哲学」の土俵を借りれば,「スポーツの哲学」はなんとかなるのではないか,とひらめきました。そして,なんとかしてみよう,と模索をはじめました。そこに,忽然とジョルジュ・バタイユの思想・哲学が,わたしの手のとどくところに現れました。その後押しをしてくれたのも,冒頭で触れたように木田元さんのハイデガー解釈でした。それで,一気に世界が開かれた思いがしました。いまは,その延長線上の思考を重ねているところです。

 この木田元さんの「反哲学」をもっともっと大きな視野から,それもまったく次元の異なるレベルから発想されたのが西谷修さんの仰る「チョー哲学」ということになるのでしょう。そして,そのベースになっているのが,ジョルジュ・バタイユの思想・哲学であり,ルジャンドルの「ドグマ人類学」ではないか,とこれはわたしの勝手な推測です。最近では,そこにジャン=ピエール・デュピュイの『聖なるものの刻印』──科学的合理性はなぜ盲目なのか(西谷修・森元庸介・渡名喜庸哲訳,以文社,2014年)が加わるのかな,とこれまたわたしの推測です。

 いささか脱線してしまいましたが,木田元さんの提起された「反哲学」から受けた衝撃は,以上に述べてきましたように,計り知れないものがありました。その木田元さんが,とうとう逝かれてしまいました。謹んで,こころからの感謝と哀悼の意を表したいと思います。もう一度,『闇屋になりそこねた哲学者』でも読み返しながら,木田元さんの面影を忍びたいと思います。合掌。 

2014年8月17日日曜日

対談「社会規範が液状化するスパイラル」(西谷修×小森陽一,『世界』9月号を読む。深く納得。

 お二人の息の合った対談が,読んでいて心地よいのです。すでに,何回も朝日カルチャーセンターで対談を重ねてきていらっしゃるお二人ですので,お互いに開かれた関係がしっかりと出来上がっています。ですから,余分な前提もなにもなしに,いきなり問題の本質に切り込んでいきます。そこが心地よいのだと思います。

 それに,なんといっても,テーマ「社会規範が液状化するスパイラル」が魅力的です。わたしには,まだ,よくわかっていなかったことがらがみごとに解消される内容で,深く納得してしまいました。なぜなら,,「どこかで大きな地殻変動が起きている」という漠然としたわたしの疑問にもののみごとに応えてくださっていたからです。その理由を「社会規範の液状化」ということばで言い当ててくださり,一気にわたしの中の疑問が氷解しました。

 子どものころ,みんなで順番に将棋の駒を一つずつ積み上げていく遊びをしたことを思い出します。慎重に積み上げていくと,かなり高いところまで到達します。が,どこかでバランスが崩れると一気に倒壊してしまいます。

 それと同じようなことが,ことしの「7月1日」に,日本の政治の世界で起こりました。集団的自衛権の行使容認に関する閣議決定。この閣議決定は,言ってしまえば,憲法9条を無視した「憲法違反」です。「解釈改憲」などということばを編み出し,あたかも合法であるかのごとき「毒」を撒き散らし,国民にめくらましをかましておいて,憲法9条をないがしろにしてしまう,そんな暴挙にでた日,それが「7月1日」。

 このできごとを小森さんは「まさしくクーデターです」と断言し,西谷さんは,「本当にそうです」と応答。さらに,この7月1日が「歴史的な日」だという意味は,あらゆるレジディマシーの足元が崩されたということです,と応じています。

 その前の段階の議論のなかで,西谷さんは,つぎのようにも発言されています。
 「・・・憲法はこの国や社会の基本法です。あらゆる法の参照軸です。そして,様々な法律ができる際の枠組みを決めています。それが強引かつ勝手な解釈で変えられると,根幹が崩れて規範のいわば液状化が起こります。要するに政府自らが無法状態を作り出すということです」。

 解釈改憲による集団的自衛権の行使容認の閣議決定とは,憲法を無視した暴挙であり,政府自らが無法状態を作り出す,そういう規範の液状化を引き起こす,きわめて重大な事態を率先垂範してみせた,ということです。

 「規範がなかったら人間社会は成り立たない。最初の規範を受け入れることで,コミュニケーションが可能になります。憲法は,社会を成り立たせる法システムの,最初の基軸です。これを液状化させていいのかと,問いたい」,とも西谷さんは発言されています。ここが「社会規範が液状化するスパイラル」ということの肝だと受け止めました。

 思い起こせば,すでに一年前には,この規範の液状化ははじまっていました。政府のやることなすこと,はちゃめちゃでした。それを批評する論者はことごとくメディアから排除され,イエスマンだけを取り立てる,そういうメディア対策を政府は強烈に推し進めてきました。その結果が,こんにちのメディアのこの体たらくです。この流れに抗して,雑誌『世界』は必死になって防戦の論陣を張ってきています。その一つの重要な警鐘が,この小森陽一・西谷修対談となって表出しているのだ,と思います。

 以上が,わたしの読後の感想の要点です。じつは,この対談は多岐にわたる問題を取り上げ,「いま,現在」わたしたちが熟慮しなくてはならない,きわめて重要な視点をいくつも提示してくれています。その見出しだけでも紹介しておきたいと思います。

 社会規範が液状化するスパイラル
 「歴史的」閣議決定の日に考える
 1.閣議決定が意味するもの
 2.憲法が持つ規範とは
 3.再軍備へ向けたアメリカの思惑
 4.「歴史的な日」7・1
 5.多国籍企業は何をもたらすか
 6.教育改革がむかう場所
 7.靖国問題が照らす英霊の創出
 8.憲法九条が成し得る国際貢献
 9.第二次安倍政権崩壊の兆し
10.社会の液状化をふせぐ市民の声

 以上です。ぜひとも,ご一読のほどを。

 

2014年8月16日土曜日

友あり,遠方より来たりぬ。イタリアはモデナから。

 しばらく前に日本にいく予定,というメールが届いて,それっきりになっていましたので,それとなく気がかりになっていました。そのイタリアの友人から14日の夕刻になって,明日(15日)会いたいと突然のメール。すでに東北方面を旅してきて,最後に富士山を眺めたいと思って三島のホテルを予約した,という。その間隙を縫っての再会です。急いで時間調整をして,15日午後6時に品川駅で待ち合わせることに。

 少し早めに所定の場所で待っていましたら,かれらも早めに到着。すぐに予約をしておいた渋谷の沖縄料理店・うりずんに向かいました。二年ぶりの再会。主役はボーイ・フレンドと一緒にやってきたミケーラさん。彼女は,ヴェネツィア大学で日本語・日本文化を専攻。卒論は,日本の戦争文学の研究。そのときに,いくらかお手伝いをした記憶がありますが,研究の視点がみごとでびっくりしました。ですから,日本語でなに不自由なく会話ができます。彼氏とは英語で。彼氏は音楽の先生。なかなかの好漢。

 もとをたどれば,ミケーラさんがまだ学生だったときに一人旅で来日。鹿児島から沖縄に渡るフェリーの船上で,娘と出会い,以後,親交を深め,こんにちに至る,ということです。その間,わたしたち家族でイタリア旅行を計画したときに(2003年,ドイツ・スポーツ大学ケルンの客員教授として招聘されたときの夏),ミケーラさんには家族ぐるみでお世話になりました。ヨーロッパ中が猛暑に襲われ,日本でも経験したことのない暑さのなか,ローマの遺跡めぐりをした記憶がいまも鮮明に蘇ってきます。ミケーラさんは,わざわざ,わたしたちのために一週間休暇をとって,車を運転してふつうの観光客では行かれないイタリアの穴場を案内してくれました。汽車の旅とはまた一味違うものがありました。ありがたいことでした。

 イタリアの思い出はまだまだ山ほどありますが,それは割愛。
 このお二人,もうすでに2週間,日本に滞在していて,東北のお祭をみてきたとのこと。青森のねぶた祭,秋田の竿燈祭,石巻の友人のところの村祭,などを堪能して,東京に戻ってきたとのこと。青森のねぶた祭がとても印象に残ったようでしたので,その由来である坂上田村麻呂の話と蝦夷の英雄アテルイの話をしてあげました。この話ははじめて聞く,と言って喜んでいました。たぶん,彼女のことですから,事前に相当調べてきていて,予備知識も充分だったはず。そのアテルイのお墓が能登の明通寺にあるという話も(こちらは,西谷さんの集中講義で仕入れたばかりの,わたしにとってもホットな情報)。

 15日の夜は三島のホテルに宿泊,ということでしたので,早めに渋谷うりずんをでて,品川駅へ。天気がよければ富士山を眺めて,それから関西(大阪)に向かうとのこと。大阪にもたくさんの友人がいるようで,時間のやりくりが大変の様子。もちろん,奈良・京都へも足をのばすつもり,と。そこで1週間を過ごして,イタリアに帰るとのこと。全部で3週間のバカンスだそうです。

 こんな話を聞きながら,帰りの電車のなかで,はたとわが身をふり返り,なんと「貧しい」人生であったことかと情けなくなってしまいました。わたし自身としては大満足だったはずなのに・・・。

 日本人で3週間のバカンスをとって,外国旅行を楽しめる人が,はたして何人いるだろうか,と思わずにはいられませんでした。ヨーロッパ人にとっては当たり前の話。しかも,3週間は短い方で,ふつうは一カ月は完全に休みがとれるとのこと。これは,わたしの知っているドイツやオーストリアでも同様です。日本の「豊かさ」などというものは,単なる「数字」の上だけのことであって,内実はなにもないに等しい,こころのゆとりという点ではまことに「貧しい」ものでしかない,ということを思い知らされた次第です。

 8月15日。日本人にとっては忘れることのできないポツダム宣言受諾の日。すなわち,連合国軍に対して,無条件降伏をした日。このときの連合国のなかには,中国もソ連も入っていた,という事実を忘れてはなりません。中国が,折あるごとに「歴史に学べ」と日本に要求してくるのは,こういうことです。こんな話もミケーラさんとしてみようかと考えましたが,やめておきました。また,いつか,時間のあるときに,じっくりと深い話もしてみたいなぁ,と思いながら品川駅でお別れしました。

 久しぶり(2年ぶり)のイタリアはモデナ(ローマの北にある歴史的に由緒ある古都)の友人との再会でした。このあとも楽しい旅であることを祈りつつ,今日のところはここまで。

2014年8月15日金曜日

抗ガン剤治療,第3クールが終了。今回は眼,鼻,喉に副作用。でも,まずまずのところか。

 8月14日で抗ガン剤治療の第三クールが終了しました。この間,神戸での集中講義聴講(あしかけ5日間)が入っていましたので,どうなることかといささか心配ではありました。が,大したこともなく,無事に通過。ところが,最後の5日間に副作用がでてきました。家にもどってきて,やれやれという安堵感もあって,たまっていたものが一気に表出したということでしょうか。

 味覚障害は以前と同じ。食欲の減退も以前と同じ。顔の皮膚が痛痒いのも以前と同じ。薬を飲んで一時間後くらいに頭がぼーっとしてくるのも以前と同じ。それらに加えて,今回は眼,鼻,喉に違和感がでてきました。これはちょっと意外でした。

 眼はドライ・アイのような感じ。ざらざら感と痒みと充血したように赤くなるのは,むかし経験したことのある結膜炎とよく似た症状。目薬(生薬系)をさしてやると一時的に回復。でも,まもなくもとに戻る。これも薬を飲んだあと数時間つづく眠気と同じ症状で,あとはもとに戻ります。なので,それほど心配はしませんでした。たぶん,これから休息期間に入りますので,自然に消えていく症状だろうと推測。

 鼻は,最初は左の鼻孔に違和感。そのうち,水っぱながツルーと落ちるようになり,やがて右の鼻孔にも。三日目くらいにはふつうの鼻をかむような状態に。そして,その間隔もしだいに長くなってきましたので,こちらも休息期間に入れば自然に治るのではないか,と推測。

 喉は,最初はむず痒い感じ。そのうちに軽く咳がではじめ,おやおやと思っていましたが,こちらは2,3日で消えました。意外に早かったので,ちょっぴり驚き。自然治癒。よしよし,まだ,いくらか免疫力が残っているわい,と安心。

 というようなわけで,最後の5日間で体重が1キロほど減退して,51.5キロ。これはまずいので,休息期間の間になんとかとりもどす予定。52キロ代から53キロ代まではなんとかとりもどしたいところ。はたしてうまくいくかどうか。

 主治医のおっしゃるには,体重はそんなにかんたんには回復しないので,あまり焦らないでじっくり構えましょう,とのこと。わたしの場合には,とくに消化器系に相当のダメージがきていますので,仕方のないところかもしれません。去年のいまごろは,まだ,食欲旺盛で,ほんの少し気をゆるめただけで2~3キロはすぐに増える体質だったのが嘘のようです。まあ,慌てずにのんびりと抗ガン剤治療に付き合うことにしましょう,とみずからに言い聞かせています。

 さて,月の後半,どれだけ回復するか楽しみにしたいと思います。
以上,現状の自己分析とご報告まで。

 

来春着工予定の辺野古崎周辺海域の調査掘削を,なぜ,前倒しして「いま」なのか。わけがわかりません。

 安倍首相という人はどういう人格の人なのだろうか。こんな首相はこれまでみたことも聞いたこともありません。嘘をついても平然としていらっしゃる。ひょっとしたら,ご自分が嘘をついているという自覚すらないのかもしれません。だとしたら,これはもはや「虚言癖」というご病気以外のなにものでもありません。葬送に,いな,早々にご退陣願うほかはありません。

 辺野古崎への基地移転は,沖縄の負担軽減のためだ,と仰る。言っていることの意味がわかりません。しかも,辺野古崎への基地移転に関しては,丁寧な説明をする,と仰った。いったい,どんな説明をされたのでしょうか。なんの説明もないまま,いきなり,14日早朝から,辺野古崎周辺海域の調査掘削のための準備にとりかかりました。この作業は,来春にとりかかる予定,となっていたはず。そして,それまでの間に沖縄県民の理解と協力を得るために「丁寧な説明をする」と約束されたはず。なのに,この暴挙です。もっとも卑劣な「嘘つき」の仕上げです。おまけに首相はいま,のんびりと「夏休み」をエンジョイしていらっしゃる。

 沖縄の主要新聞である琉球新報や沖縄タイムスは,本土の新聞社とは違って,徹底して沖縄県民の立場で論戦を展開しています。テレビも同様です。ですから,沖縄県民のほとんどすべての人が,いま,辺野古崎周辺海域でなにが起きているのかを,こころの痛みとともに見守っています。この点が本土とはまったく違う点です。それでも金の亡者たち(仲井真知事のような人たち)は,移設賛成の立場をとります。なぜなら,巨大な金が沖縄にばらまかれるからです。その金が,沖縄県民の基本的人権と命の代償である,ということも承知の上で。

 しかし,安倍首相のこの暴挙は,まさに,自殺行為にも等しい,とわたしはみています。たとえば,11月に予定されている県知事選挙にとって,なんのメリットもない,それどころか致命傷だ,と考えるからです。そして,選挙の結果,仲井真知事の再選がかなわなかったときには,もはや辺野古崎への移設は宙に浮くことになります。しかも,「島ぐるみ会議」は「建白書」の実現に向けて,日本政府ではなく,アメリカ政府と直接の直談判をすると宣言しています。なぜなら,頼りにしてきた日本政府こそが沖縄県民の意思をねじ曲げて,アメリカ政府におもねってきた事実が歴然としてしまったからです。

 今回の政府のとった暴挙は,沖縄県民の意思決定に大きな影響を及ぼすことは間違いないでしょう。これから連日のように,政府のとりつづける暴挙を,新聞もテレビも容赦なく弾劾しつづけることになるだろうからです。となると,「県内移設も仕方ないか」とあきらめかけていた県民も,ついに反旗を翻すしかない,と覚悟を決めることになるでしょう。潮目がはっきりとしてくることは間違いありません。

 それほどまでに,今回の安倍首相の「嘘つき」は,政権の致命傷になる,とわたしは考えています。また,そうなることを願っています。でなければ,日本は救われません。そして,情けないことではありますが,またもや,本土のわたしたちは沖縄県民の良識に「おんぶにだっこ」してもらうしかありません。ほんとうに情けないかぎりですが,沖縄県民のみなさんに「縋る」しかありません。

 その負い目を少しでも軽減すべく,わたしはわたしなりの方法で,できる言動を展開していこうと考えています。昨日のブログに書いたこともそのうちの一つの選択肢です。それ以外にも方法はいろいろあります。できるところから,一つひとつ実践に移していくのみです。

 まずは,「虚言癖」症候群が高じて,ついに完璧な「虚言症」となりはててしまった安倍首相のご退陣に向けて,その道筋を開くことからはじめたいと思います。

 ご参考までに,沖縄の「いま」は,YOUTUBEに,リアルタイムで情報が大量に流れていますので,ぜひともご覧になってみてください。日本政府のとっている行動がいかに「トチ狂って」いるかが,いやというほどに伝わってきます。たった6杯のカヌーによる抗議行動に,自衛隊の護衛艦まで出動してのものものしさです。これは「狂気」以外のなにものでもありません。しかも,税金の無駄使いです。まるで,マンガの世界をみるようです。ぜひとも,ご確認のほどを。

2014年8月14日木曜日

キャンプ・シュワブゲート前に結集を呼びかける目取真俊さんに応答したい。

 FBにもシェアしておきましたが,目取真俊さんのブログ(「海鳴りの島から──沖縄・ヤンバルより」)に注目したいと思います。行動する作家・目取真俊さんのキャンプ・シュワブゲート前での連日の抗議行動には頭が下がります。遠く離れている川崎からもこころからのエールを送りたいと思います。そして,この夏休みの間に,一度は,キャンプ・シュワブゲート前に立って,ささやかながら抗議行動に加えてもらいたいと思っています。

 目取真俊さんはブログで必死に訴えていらっしゃいます。
 「難しい理屈はいらない。戦争のための軍事基地をこれ以上沖縄に造らせたくない。辺野古のちゅら海を守りたい」。この純粋無垢な主旨に賛同される人はキャンプ・シュワブゲート前に結集して欲しい,と。

 折しもお盆休みの真っ只中を,狙い撃ちしたかのように今日(14日)の午前には,辺野古崎周辺海域へのブイ設置を開始しています。沖縄県民の意思を踏みにじるばかりか,沖縄県民の基本的人権と命をも犠牲にして(これはまるで供犠だ),基地移転を強行突破しようとしています。この恐るべき現実を,本土のメディアはほとんど無視して,なにごともなかったかのように振る舞います。無視するということは容認を意味します。恐るべき暴力です。なにも知らないまま黙っているわたしたちもまた同罪です。

 わたしも,これ以上,黙っているわけにはいきません。なんとか,この夏休みの間に時間を割いて,沖縄に飛びたいと思っています。そして,キャンプ・シュワブゲート前に足を運びたいと考えています。こんな老人になにができるわけでもありませんが,枯れ木も森の賑わいと考え,目取真俊さんの呼びかけに微力ながら応答したいと考えています。

 電力問題と同じで,米軍基地問題も,東京から遠く離れた土地の住民にその負担を押しつけ,そのおいしいところだけをいただいて,それが当たり前のように振る舞ってきました。しかし,もう,これ以上,この状態を放置しておくわけにはいきません。それはあまりにも無責任です。いな,シモーヌ・ヴェイユに言わせれば「義務」の放棄です。それは,人間として生きるための「根」をもたない,勝手気ままな人間(自分さえよければあとは知らんぷりをする人間)であることを宣言しているのも同然ということになります。

 もう一度,生き物としての人間の原点に立ち返って,いま,わたしたちはなにをしなければならないのか,なにをどのように考えなくてはいけないのか,素直に反省すべき時代に立ち会っています。いま,現在のわたしたちの選択が子々孫々にまで大きな影響を及ぼすことになるのは,火を見るより明らかです。

 ささいなことでいい。身近なところから,生きるということの原点に立ち返って,総点検すること。そして,まずは,できることからはじめること。そういう小さな積み重ねこそが大事だと思っています。いきなり,高嶺の花ともいうべき理想に飛びついてもはじまりません。こつこつと大地に足がついた努力こそが稔りをもたらすのだ,と思います。

 目取真俊さんのブログを一度,確認してみてください。こころの叫び声が聞こえてきます。わたしたちもその何分の一でもいい,なにかをはじめようではありませんか。いまこそ,行動を起こすべきときだと,わたしはみずからに言い聞かせています。まずは,隗より始めよ,です。

 なにかとてつもないことが,眼に見えないところで起きている・・・・・そんな予感に苛まされている今日このごろです。じっとしていてもはじまりません。この不安を払拭するためにも,行動を起こすしかない,と覚悟を決めました。まさに「遅れてやってきた青年」のように。

 目取真俊さんに感謝。サングラスをかけたおっかないおじさんですが・・・・。