2012年1月19日木曜日

「肩関節をゆるめなさい」・李自力老師語録・その1.

ことしの正月から,大岡山でやっていた稽古を溝の口に移して,昨日(18日)で3回目。中国からもどったばかりの李老師が,ふらりと顔をみせてくださった。すっかりもたれ掛かろうと思ったら,いつものように稽古をはじめなさい,と仰る。仕方がないので,わたしが音頭をとることに。李老師はわたしの指示どおりに準備体操から柔軟運動,基本の動作練習と,わたしの見えない位置に立ち,黙々と稽古をはじめる。わたしはもとより,みんな緊張しているのがわかる。お互いにとても親しい間柄なのに,なんともいえない緊張感がつたわってくる。これが実にいい。

基本の動作練習の途中くらいから,李老師が,みんなの見える位置に移動してきて,率先垂範してくださる。いつものことだが,李老師は,口で説明する前に必ずみずからやってみせてくださる。その上で,最小必要限度のことをピン・ポイントで指摘してくださる。

いつものとおりに,24式が終わったところで,李老師から二つのご指摘をいただいた。
一つは,肩関節をゆるめること。もう一つは,上体を腰の回転の上に乗せること。

いずれも基本中の基本だ。もう,何年,稽古をつづけていることだろう。にもかかわらず,この基本がまだできていないのだ。自分ではできているつもりなのに。情けない。

ただ,「股関節をゆるめなさい」ということばは耳にタコができるほど言われてきたので,ことばとしては理解していたし,その努力をしてきたつもりである。しかし,「肩関節をゆるめなさい」は初耳だった。だから「えっ?」とわが耳を疑った。肩関節をゆるめる,とはどういうことなのか,イメージができない。イメージがつかめない運動はできない。李老師が何回もやってくださる。が,わたしの眼には見えない。みんな真剣だ。わたしの見ているかぎりでは,Nさんの動きが李老師のそれによく似ている。しかし,わたしのそれはまったくダメだ。どこかギクシャクしている。が,Nさんの動きはとてもなめらかなのだ。うーん,とこころの中で唸ってしまう。

半信半疑のまま,何回も見よう見まねのままくり返していると,「そう,そう」と李老師は励ましのことばをかけてくださる。しかし,やっている本人はなにもわかってはいない。かえって困ってしまう。褒められても納得できないのだから。

稽古が終わって,昼食をともにして,解散。鷺沼の事務所にきてから,ドアのガラス部分に映るわが姿を見ながら,「肩関節をゆるめる」のおさらいをする。何回もやってみるが,やはり,わからない。ダメだ,わからないことを何回もやっても仕方がない,と諦めたとき,ストンと肩関節がはずれたようにゆるんだ。えっ,いまのはなに?そうか,はずすんだ,と納得。わたしの身体感覚では,ゆるめるではなくて,はずす,だった。なるほど,肩関節をはずしてやると肘が自然に下がってくる。すると,手首からさきの掌が自然に顔の方に近づいてくる。ゆるめる(はずす)ことによって起こる自然の動きを引き出すこと,ここがポイントなのだ。

どうも,自分で動かそうとする意識が強すぎたらしい。李老師にそっくり真似てやろうとすればするほど,違うものになっていく。そうではなくて,「ゆるめる」ことによって起こる,ごく自然の動きが大事なのだ。そういう動きが立ち現れるように「ゆるめる」(はずす)こと。あとは腕に聞いてくれ,とばかりに力学の法則に委ねてしまうこと。そのさきに,李老師の,柔らかく,粘り強く,そして,力強さまで感じられる動きが待っている(らしい)。

すっかり気をよくして,事務所の片づけ仕事をしていたら,そこに李老師から電話が入る。ちょっと用事があって鷺沼に行くので,事務所に立ち寄っていいか,と仰る。ちょうど,コーヒー・タイムにしようと思っていたところなので,大歓迎。ここで,またまた,太極拳の話になり,とても貴重なお話を伺うことになった。その話は,独り占めにしていたのでは申し訳ないので,このつぎのブログに書くことにしよう。まことに奥の深い,味わい深い話で,わたしとしては大満足。

結論をちょっとだけ言っておけば,タオイズムと道元の思想の接点のようなお話である。

では,次回を楽しみに。

文部省(現文部科学省)の審議会委員をしたときの経験と「自発的隷従」ということについて。

毎日,毎日,憂鬱で仕方がない。朝の新聞からはじまって,テレビ,ラジオ,それにインターネットを流れてくる「ニュース」に触れるたびに,日本の国に未来はない,と絶望的になってしまう。ほんのひとかたまりのある特定のムラの住人たちの利害だけで,この国の意思決定がなされてしまう,その実態が透けてみえてくる。それも,じつに巧妙な仕組みを用いて。そのひとつは「第三者機関」と称する学識経験者による審議機関(ふつうは〇〇〇委員会という)。この機関のほとんどは官僚が設定をし,官僚のシナリオどおりに「承認」されることが前提となっている。

わたしの憂鬱の一因は,かつて,わたしも文部科学省になる前の文部省時代の審議会の委員を勤めたことがあり,多数決による「お手打ち式」に加担した経験が,いまごろになって慙愧の思いとともに鮮やかに脳裏に浮かんでくるからだ。もちろん,わたしは官僚作成の原案に反対意見を述べたのだが,圧倒的少数意見(だれも支持してくれなかった)で否決された。なんともやるせない気分だった。この一件以後,文部省からは,なんの声もかからなくなったことは当然だ。

このとき,堂々と原案に対して賛成意見を述べたわたしの後輩は,いまもその世界で大活躍である。それでいて,わたしに逢うと弁解ばかりする。まことに困った御仁である。本人に言わせれば,だれとも仲良くするための方途だ,という。しかし,それは違うだろう。類は類を呼ぶという。そのとおりで,かれをとりまく人種はみんな似た者同士ばかりである。こういう人種が,日本という国家の意思決定の背後で蠢いているのだから。困ったものだ。

わたしの,たった一回だけの経験がすべてだとは断定しない。しかし,最近の省庁の抱えている〇〇委員会とか〇〇審議会などの様子を,メディアをとおして眺めていると,基本的にはまったく変わってはいない,ということが手にとるようにわかる。そのひとつが「ストレス・テスト」だ。どのような基準で,なにが「テスト」されたのか,そして,どういう理由で「合格」となったのかは,なにも明らかにはされていない。極秘裏に決定されている。つまり,最初に「結論ありき」の「お手打ち式」でしかないのだ。(今朝の新聞でも同じことが報じられている)。

このことが疑われると,さらに,IAEAによるチェックをしてもらう,という。このIAEAこそ,原発推進のために設置された国際機関であり,その片側で「安全」をチェックする,という「お手盛り」機関なのだ。要するに,みんなグルになって「お手打ち式」をやっているにすぎない。ただし,このグルに対して反抗する国家は,徹底的に叩かれてしまう。たとえば,イラクのように。「正義」という名のアメリカの武力によって,国家はボロボロにされてしまう。しかも,一方的な誤認だったことが明らかになったにもかかわらず,だれひとりとして責任をとろうともしない。みんな「仲良しクラブ」のグルだから。日本の〇〇安全委員会も同じようなことをして,平気でいられるのはこういうお手本があるからだ。そのためには,日頃から「自発的隷従」の姿勢を貫かなくてはならない。ムラの一員となるために。

これを阻止できるのは,地元住民の「反対」という意思表示しかない。それでも,沖縄県のように,住民の頭越しに,アメリカとの盟約を盾にして押し切ろうとする政府与党の魂胆も明々白々だ。それを,また,見殺しにするヤマトンチューが圧倒的多数を構成しているのだから,始末が悪い。しかし,いつまでもこんなことを繰り返していてはならない。

その意味で,ことし一年は,まさに「正念場」だ。アメリカや国際社会に「自発的隷従」の姿勢を貫くことだけに熱心で,国民ひとりひとりの「命」など犠牲にしてもいいと平気で考えているムラの住人に対して,こんどこそ声を挙げなくてはならない。これをしも放棄してしまうとしたら,これこそ,日本の国に未来はない。どんなに小さなことでもいい。身のまわりの,できることから行動を起こし,声を発して,自分たちの「命」を守ることを実行に移すことだ。それしか方法はないのだから。

まずは原発を阻止しよう。沖縄の米軍基地を県外へ,そして,国外へ。TPPの阻止を・・・・。課題は多い。が,その原点は「自発的隷従」からの脱却だ。つまり,「事物」と化してしまった日本人から,もう一度,生身の血のかよう人間としての日本人を取り戻すことだ。いつのまにか,わたしたちは「事物」と化してしまったのだ,という自覚をしっかりともつこと。ここから,すべてがはじまる。「自発的隷従」という生き方が,いかに賤しい根性のもとに成り立っていることか,と。

遅きに失した感もなきにしもあらずだが,気づいたときが吉日。そこからスタートを切るしかないのだから。わたしたちの眼に見えないところで,メディアが報道しないところで,すでに,ささやかな自覚に支えられた行動を起こしている人たちが,あちこちにいる,ように思う。いや,そうに違いない,と信じたい。いまは,それしか明日への希望を支えてくれるものはないのだから。

だから,わたしも,「自発的隷従」の軛から離脱して,もっと自由な言動のとれる時空間のもとへと移動していくことにしよう。

2012年1月16日月曜日

とうとう体当たりをくらってしまいました。「ながら歩き」の女子高生から。

今日(16日),午後7時30分ころ,鷺沼駅の裏口の歩道で,「ながら歩き」をしている女子高生に体当たりをされ,跳ね飛ばされてしまいました。駅から出てくるサラリーマンや高校生も見ていましたが,見て見ぬふりをして通りすぎて行きました。体当たりした女子高生は,ふり返りもせず,まだ夢中のまま「ながら歩き」をして行きました。

今冬,もっとも寒かった夜の,もっとも寒いできごとでした。わたしは呆然としたまま,しばらく,歩道にある防護柵につかまったまま,立ちすくんでいました。これが,日本社会の,いま現代の,ひとつのまぎれもない現実のひとつであるのか,と。

新聞やテレビで「ながら歩き」が問題になっていて,あちこちでいろいろ事件になっていることは知っていました。わたし個人としても,何回か,スレ違いざまに「出足払い」を掛けてやろうかという衝動に襲われ,それを「まてまて」と制御するのに精一杯でした。と思っていたら,わたしが跳ね飛ばされていました。なんということか。

ことの経緯を精確に記しておきたいと思います。
鷺沼の事務所をでて,いつものコースを通って,鷺沼駅の裏口の坂道の歩道を登っているときのことです。坂道の中程のところまで登って行ったとき,ちょうど電車から降りた人たちが坂道を下ってきました。相手が大勢なので,自然に,わたしは真ん中を避けて,歩道柵にぴったりと寄り添うようにして登っていました。スレ違う人はお互いに身を交わしながらすり抜けていきます。その中に,「ながら歩き」のまま坂道を下ってくる女子高生がいました。しかも,柵に沿って歩いてきます。わたしは,逃げ場を失って,その場に立ち止まりました。

新聞の報道によりますと,中年の「ながら歩き」は駄目だが,若い人たちの視野は広く,スレ違う人を視野の中に入れていて,瞬間的に交わしていく,とのこと。そのことが,ちらっ,と脳裏をよぎりました。だから,逃げ場のなくなったわたしは立ち止まることにしました。そして,最悪の場合でも,わたしの真ん前にきて,相手も立ち止まるだろう,と判断しました。これが甘かった。

彼女がどういう種類の人かはわかりませんが,一歩も歩みを緩めることなく「ドーン」とそのままわたしに体当たりをして,平然とまっすぐに通りすぎていきました。しかも,なにごともなかったかのように,そのまま「なから歩き」をしていました。これをみて,わたしは「エッ?」「なに?」「これって?」と「?」マークが頭中に広がりました。

わたしはどうなったか。まさか,体当たりをしてくるとは思ってもいませんでしたから,油断もあったかもしれません。それと,坂の登りと下りの差もありましょう。上から降りてくる方が質量が大きかったのでしょう。60キロのわたしを跳ね飛ばしたのですから,相手の女子高生も相当のものです。わたしは,みごとに跳ね飛ばされて,縦軸に一回転して,歩道の防護柵につかまって,かろうじて転ぶ難を避けることに精一杯でした。そのつかまった姿勢のまま,振り返って女子高生を見送っていた,という次第です。まわりの人は,だれも,見て見ぬふりをして,通りすぎていきました。なにか,近年に体験したことのない,正体不明の背筋の寒くなる思いがしました。しばらく,身動きすることもできないほどに。

まさか,わたしがこんな眼に逢うことになろうとは・・・・。身を交わすスペースのあるところでは,これまでも,何回も「ながら歩き」の若者たちとぶつかりそうになったことはあります。そのつど,わたしの方から,身を交わして難を逃れるようにしてきました。しかし,今日は,そのスペースがありませんでした。しかも,立ち止まっていれば,体当たりする寸前に相手は気づいてくれる,と信じていました。それが甘かった。

もうひとつショックだったことは,体当たりした女子高生が,振り向きもせず,失礼の挨拶もなく,平然と立ち去って行ったことです。もはや,何をか況や,です。

とうとうここまできたか,世も末である,と吼えてみたところでどうということもありません。これから,こういう情況になったら,大きな声でみずからの存在をアピールするしかない,と覚悟を決めました。じゃあ,どんな声を出すのか,ともうひとりのわたしがせせら笑っています。よしっ,もう,いまから決めておこう。「ヘェークション」という加藤茶のギャグを借りて。それも思いっきり大きいアクションで。いやいや,思いっきり大きなハクションで。

冷えきったからだを芯から温めるには泡盛・与那国(60度)にかぎる。

このところ,寒い日がつつきます。通常は,夜7時になると鷺沼の事務所の後片付けをして,帰宅します。が,最近になって,ようやく吐く息が白くみえるようになってきました。これまでが暖かすぎたということでしょう。その分,寒いなぁ,と感じます。からだがうまく適応できていない証拠です。

家に着くのは午後8時少し前です。それから夕食です。が,すっかり冷えきってしまったからだはなかなか温まりません。そこで,奥の手を使います(もっとも,これは口実という声もあり)。冷えきったからだを芯から温めるにはこれにかぎります。泡盛の与那国,60度。これをストレートで,キュッと,ほんの少しだけ流し込みます。与那国が舌を滑り,喉を超えて食道を駆け下り,胃の腑でジワーと広がっていくのが手にとるようにわかります。

もちろん,このときに使う盃は,与那国用の極小のもの。信楽焼と備前焼の中間のような,土の地肌がそのままみえる,どろくさい盃です。極小,というサイズは理解できるでしょうか。わたしも,沖縄で初めてお目にかかったもので,ほんとうに小さな盃です。最初は,那覇の国際通りにある泡盛専門店の地下で,出会いました。つまり,泡盛の試飲用のものでした。ちびっとずつ,あれこれ,たくさんの泡盛を試飲するのにちょうどいい,というわけです。

しかし,その後,あちこちで,この小さな盃を眼にするようになり,これはなんのためのものなのか,と聞いてみました。そうしたら,もともとは,サトウキビの刈り入れのときに,暑さで気力がなえそうになったら,60度の泡盛を,この小さな盃で「キュッ」といっぱい飲み干す,そのためのものだ,とのこと。なるほど,と納得。いまでは,それが飲み屋さんにも置いてあるし,一般の家庭にも置いてある,というわけです。

それが,いまでは,わが家にもある,という次第。で,これは使い方によっては,とても便利なものであることが,最近,ようやくわかってきました。これまでは,まさひろ(泡盛)の43度を,ぐい飲みで飲んでいました。一杯で終われば問題はないのですが,二杯目が問題です。二杯目をなみなみと注いでしまったら,あとで仕事になりません。そこで,半分くらいにするのですが,なんとなく物足りないときがあります。そうすると,また,ほんの少しのつもりが半分くらいになってしまいます。このときは,あとの祭りです。

ところが,この極小盃のよさは,一杯ずつ飲んでいって,ああ,このあたりだな,と思ったらそこで打ち止めにすればいいわけです。からだの芯が温まり,気分もいいなぁ,と思ったところで打ち止め。この微妙な量の調節が,自在にできる,ここがポイントです。こういう小回りが効くと同時に,何回も注ぎたしをしていきますので,気分としては,かなりたくさん飲んだという充足感もあります。ここが第二のポイント。

しかし,この極小盃は,60度以上の泡盛を飲むための小道具だということも確かです。試しに,まさひろの43度を,この極小盃で飲んでみると,まことに物足りないのです。ひとくちで,コポッと飲んでしまいます。しかし,さすがに60度となると,そうはいきません。この度数の高い泡盛を,何回にも分節化しながら飲む,というところがミソです。

いつか,どなん(泡盛)の70度が手に入ったら,この極小盃で試してみようと思っています。たぶん,うまくいくのではないか,とそういう予感がします。この予感が大事。もちろん,つぎ足す回数は少なくなるとは思いますが・・・・。当然ですね。

厳寒の夜,冷えきったからだを芯から温めるには,この極小盃で,いまは,与那国の60度が一番。こころの中では,この寒波よ,いつまでもつづけ,と叫びつつ・・・・・。冬の夜の楽しみ。

そうだ。延命庵にも備えおくようにしよう。話題の一つに。

2012年1月14日土曜日

フランスの原発,3分の2は改修工事が必要。その経費は約1兆円とか。

鷺沼の事務所で昼食をとるときには,ラジオのJ-waveを聞くことにしている。理由ははっきりしている。とてもすぐれたDJが何人かいるからだ。そのすぐれたDJの名前を覚えるほどの入れ込みはしていないが,とにかく,何人かは抜群に優秀。

今日は,そのうちのひとりだった(男性,もちろん,バイリンガル)。まず,かかっている音楽がとても心安らぐもので,この人の選曲のセンスのよさがにじみでている。話題はあちこちに飛んでいくのだが,一貫しているのは「脱原発」をはっきりかかげていること,そして,自分の主張をきちんと述べ,その根拠まで提示する。なかなかの人である。

そんな話題のひとつに,フランスの原発の現状に関する情報提供があった。しばらく前に,新聞で,フランスの原発を一斉に「ストレス・テスト」をすることになった,と読んで知ってはいた。しかし,その結果がどうなっているのかまでは知らなかった(ひょっとしたら,今日のホット・ニュースだったのかもしれない)。その内容がじつに衝撃的だった(わたしにとっては)。

その骨子を代弁すると以下のようになる。
フランスの原発の3分の2は,ストレス・テストの結果,改修工事が必要,という判定がくだされ,その改修費用はおよそ1兆円を要することが判明した。フランスは折しも,大統領選挙の前。国民の間で,原発の是非をめぐる議論が沸騰している。立候補予定者もみずからの立場を明確にしなければならなくなってきている。フランスは,これまで,原発もやむなし,という立場をとってきたが,このストレス・テストの結果をうけて,脱原発への選択肢が大きく浮上することになった。

その最大の理由は,二つある。一つは,原発はコストが安いと考えられてきたが,逆に,コストは高くつくということが判明したこと。改修費だけでこれだけの費用がかかり,さらに,廃炉にするにしても30年を要する費用が必要となる。しかも,使用済み核燃料の処理にも膨大な年月と費用がかかることも明確となった。二つには,コストが高い上に,危険を背負うリスクが高すぎる,ということがフクシマによってより現実的になったこと。核エネルギーは,いまだ,完全には,人間のコントロールできる範囲内にはないということ。一度,大きな事故が起きたら,もはや,人間による制御は不可能であること。

この問題を,フランス国民がどのように考えるか,世界が注目することになる。その結果いかんによっては,こんごの世界の趨勢に大きな影響を及ぼすことになりそうだ。日本は,カン君が脱原発への舵を切ったのに,どじょうな野田君がどうも煮え切らない。そして,いまでは,ムラのチカラに流されつつある。こんな状態がつづくかぎりは,フランスの選挙結果に期待する方が早そうだ。ドイツにつづいて,フランスも脱原発の道を歩むことになれば,この影響は絶大である。日本もしぶしぶということになるのであろうか。それでもなお,日本のムラビトたちは,アメリカ親分の顔色をうかがいながら,へなへなと誤魔化しつづけるのだろうか。

いずれにしても,これからさきのフランスで展開されるであろう「原発問題」は目が離せそうもない。小学校から哲学の授業があり,就職試験にも「哲学」を必須とするところが多いと聞く。日本と違って,国民全体が哲学的教養をもとに,さまざまな議論をし,判断をくだしてきた国である。どういう議論の経過をたどるのか,そこに注目したい。

J-waveは,ほかにも女性のDJで素晴らしい人がいる。この人の放送を耳にしてしまうと,途中で止められなくなる,そういう魅力をもっている。ラジオのDJには素晴らしい人たちが活躍している。テレビのお人形さんたち(男も女もふくめて)とは比較にならない。とにかく,自己主張がはっきりしていて,聞いていて心地よい。

取り急ぎ,今日のラジオからの情報の受け売りまで。

2012年1月13日金曜日

どんどん「3・11」以前にもどっていく。それは「復興」ではない。

ムラのチカラがこれほど強いとは思ってもいなかった。最近になって,ムラの存在が日ごとに大きくなってくるのがわかる。そして,どんどん「3・11」以前の態勢にもどっていくのもありありとわかる。東日本大震災もフクシマの原発事故もどこ吹く風。東電の好き勝手がまかり通っている。責任のひとかけらもないかのように。そして,わたしたちの税金が湯水のように東電の「復興」のために注ぎ込まれている。その上,さらに「増税」ときた。なんというこった。

政界,財界はもとより,学界も腰抜け。メディア界も大手はみんな腰抜け。ムラに完全にコントロールされてしまっている。そのチカラたるや恐ろしいほどだ。だから,東電にとって都合の悪い報道はなにも流さない。NHKを筆頭に。それを受け取る国民の大半は,なんの疑念もなく垂れ流し情報をそのまま信じていく。国民の意識のなかから「3・11」の教訓がどんどん消えていく。まだ,一年も経過していないというのに。もう「忘却」のかなたに消え去ろうとしている。

これでは,文字通り,大山鳴動して鼠一匹だ。しかも,着々と事態は改善され,いい方向に進展している,と政府は嘯く。しかも,それが「復興」だと言わぬばかりに。嘘の壁で塗り固めた「復興」。これでは,まったくの「後ろ向き」の「復興」でしかない。「復興」とは「前進」することだ。以前の欠陥をいかに克服して,新しい道筋を打ち立てていくのか,これが「復興」だ。にもかかわらず,以前の欠陥をそのままにして,いや,それどころか後生大事に温存したまま「復興」させようとしている。これは間違いだ。

「3・11」以前のどこが間違っていたのか。なぜ,間違えたのか。そこを明らかにすべきではないのか。そして,それに代わるべき理念・方法・方針を明確にした上で,「復興」の道筋を立てるべきではないのか。いまやっている「復興」はその場しのぎの,付け焼き刃的応急処置にすぎない。それもある程度まではやむを得ないとする寛容の精神が大事だと考えてきた。しかし,ここにきて,ムラが息を吹き返し,さっさと「増税」を打ち出し,そして,内閣改造ときた。

ムラにとって都合のいい政権は,なにがなんでも支えていくだろう。自民党ですらできなかったムラの喜ぶことを,まさか,政権交代した民主党が率先してやるとは思いもしなかった。国民の期待も一気に熱が下がり,とうとう政権支持率が20%を割るか,というところまできているのに。もはや,断末魔の体を晒しはじめているというのに。

「復興」の名のもとにまっさきに取り組まなければならないことは,人間の生きる基盤を確保することだ。経済の国際競争にいままでどおりに参入することではない。それよりさきに,まずは,日々を生きる基盤を奪われてしまった人びとの生活を,どのようにして回復させるか,ということだ。カネよりもイノチを第一に。被災者はいまも夢も希望ももてない状態のまま,じっと耐えているのだ。そこに,ほんのわずかな希望でいい。希望の燈火を点けることだ。それが「復興」の内実だ。そのことのためにこそ「税金」を投入すべきだ。

なのに,なぜ,その前に東電に「税金」を回さなければならないというのか。その前に,東電の責任を明確にし,その上で東電を解体し,発送電を分離させ,そのシステムを確立することではないのか。そのために税金が必要だというのなら,まだわかる。いまのままの東電に税金をつぎ込もうとしている意図は,明らかに原発推進,再稼働に向けての体制づくりの一貫ではないのか。なし崩し的に事実を積み上げていく,「3・11」以前までのやり方をそのまま踏襲しているだけのことではないのか。これは,東電が構築してきた得意の「手」ではないのか。

それを大手のメディアは見て見ぬふりをしている。恐ろしいムラのコントロールのもとで。国民は,それを鵜呑みにしていく。あるいは,マヒしていく。それが日常化していく。このシステムは,沖縄の基地移転問題と同じ構造だ。メディアの無視,そして,国民の無関心。いま,被災者は沖縄の人びとと同じ苦しみを味わわされている。大手の新聞各社も,みごとに,それに足並みをそろえている。

『東京新聞』はひとり「脱原発」路線を強烈に打ち出して,日々,これまでの悪弊を暴き立てている。ときに,おやっ?と思う記事もなきにしもあらずではあるが,徹底して原発批判の手をゆるめようとはしない。と,思っていたら,とうとう,今日の新聞によれば,新聞各社で構成している論説委員会から『東京新聞』は締め出されようとしている,という。なにごとぞ。こんなことが,いま,日本の社会のなかで起きようとしているのだ。

東日本大震災とフクシマ原発事故という天災と人災が一度に押し寄せてきた,この一大事のときに,言論統制まで裏では行われようとしているらしい(すでに,「自発的隷従」という名の言論統制は行われいるのだが)。これも,ムラのチカラであることは明々白々である。これでは,まるで,「ショック・ドクトリン」(ナオミ・クライン)を地でいくような話ではないか。ひょっとしたら,わたしたちの知らないところで,極秘裏に「ショック・ドクトリン」の手法は粛々と浸透しているのかもしれない。気がついたときにはすでに手遅れだ(「原発安全神話」の嘘と同じで)。

どうも,いま,「絆」という名のもとでなされている「復興」は,見せかけだけで,ほんとうの仕掛けはもっともっと別のところで進展しているような気がしてならない。でなければ,民主党政権が,かくも平然と国民の意志を裏切っていられるはずがない。

わたしたちは,二度と,「原発安全神話」のような嘘に騙されてはならない。いま,打ち上げられている「復興」音頭の陰で行われていることに,どう考えても奇怪しいと思われることが多すぎる。その最たるものが,「3・11」以前の体制にもどそうとする「復興」音頭だ。すなわち,ムラの再生だ。これは,どう考えても「復興」ではない。もし,そうだとしたら「絆」のスローガンは,ムラの「絆」の再生であり,「復興」でしかない。それを「復興」とは呼ばない。

一度,足を止めて,「復興」の内実について,しっかりと考えることがいま求められている。のちのちになって,後悔しないで済むように。

2012年1月12日木曜日

今冬,はじめての結露をみる。本格的な寒さはこれからか。

ことしの冬は暖かい。冬の衣裳で少し歩くと汗ばんでくる。寒がりのわたしでも,手袋を必要とすることは滅多にない。ところが,ようやく昨日の夕刻,前線が通過してから,急に冷え込んできた。夜道を歩くほっぺが冷たくなっている。そのむかし,スキーに行っていたころの雪山を思い出す。

今朝,起きてカーテンを引いたら,窓にほんのわずかながら結露ができていた。ああ,ようやく本格的な冬の到来だ,と妙にうれしくなった。やはり,冬は冷えてくれないといけない。暖かいのはありがたいが,いつまでも暖かいと,これでいいのだろうかと心配になってくる。人間の世界がいい加減堕落してしまっているので,せめて自然だけでもきちんと時を刻んでほしい,と思う。冬は寒くなくてはいけない。

いつもの年なら,暮れも正月も,朝起きたらまず最初の仕事は窓の結露を拭き取ることからはじまる。なのに,ことしは,なにもしなくて済む。ありがたいような,これではいけないような,中途半端な気分だ。冬は冬らしくなってくれないと・・・・。寒がりのわたしでさえ,そう思う。

本格的な寒波がやってくると,例年なら,昼間,書斎に籠もっていても,窓の結露は休むことなくつづく。乾いた雑巾できれいに拭き取っても,すぐに窓はくもり,やがて結露し,そのうちに結露した水滴が上から下へと運動会をはじめる。アルミサッシの窓枠からも滴が垂れ落ちてくる。こうなってくると,仕方がないので,また,全部,拭き取る。そして,窓を開けて雑巾をしぼる。しぼり落とされた水がベランダに一本の川をつくる。多いときには,一気に雨樋用の切り込みまで流れていく。

こんなことを,日に何回もくり返す。これが,いつもの冬だ。しかし,今冬はまだない。今朝の結露も30センチ四方くらいの範囲に,ほんのりと,窓にくもりを描いた程度だ。拭き取る必要もなく,しばらくしたら消えてしまった。それでも,今冬,最初のささやかな結露ではある。これから,もっともっと本格的な寒波がやってきて,毎日,結露との闘いがはじまるようになるのだろう。その予兆というべきか。こういう冬は遅くまでつづき,ひょっとしたら,3月になっても雪が舞ったりするかもしれない。

奈良のお水取りのころに(最後の大たいまつは3月10日ころだったか)は,間違いなく冷え込むと,地元の人たちは言っていたことを思い出す。実際にも,奈良に住んでいたころには,よくお水取りの行事を見物に出かけたものである。そして,大たいまつの日は超満員になるので,その前のウィークデーにでかける。すると,ほとんど人もいなくて,これまた不思議な光景だった。お水取りの儀礼は,たしか2週間つづくと記憶している。その間,まいにち「たいまつ」はあの二月堂の階段を駆け上り,欄干のところでひと踊りして,右手に消えていく。これを,ほとんどまばらにしか人がいない,がらんとした広場から見上げているのも,なんともいいものだった。

明日の朝には,もう少し大きめの結露ができるだろうか。どんな結露でもいい。冬なんだから,それらしく,日々,結露が窓いっぱいに広がり,さらに,その結露が垂れ落ちる運動会が盛んに繰り広げられることを,密かに期待する。時節にふさわしく,せめて自然現象だけでも,元気であってほしい。だから,理屈を超えてこれからは,がんがんと冷え込んでほしい。

今朝の新聞を開いて,またまた,憂鬱になってしまった。原子力ムラは衰えるどころか,ますます元気になってきて,再稼働に向けて着々とつぎなる手を打っている,という。わたしのこころはますます寒くなる。このままでは,こころの中に結露ができてしまいそう。そうならないように,なんとか耐える手筈をととのえないと・・・・と,いささか焦ってしまう。困ったものだ。

2012年1月10日火曜日

いつまでつづく泥濘ぞ。非常時の自覚が足りぬ政治家たち。

平和なときの党利・党略の争いは,下手な猿芝居をみるより面白い。しかし,いまは非常時なのだ。そんなときに党利・党略のせめぎ合いをしている場合ではないだろう。なのに,自民党も情けない。かつて,政権をとる前の民主党と同じことをやっている。しかも,「3・11」を通過したあとの,この非常時だというのに。いったい目ん玉ァどこについてんだっ,と怒鳴りたくなる。

土壌・野田首相は,被災地のことで頭がいっぱいだ,という。ならば,もっと泥鰌らしく泥んこになって働けばいい。被災地の人びとの側に立って。なぜ,財界の側に身を寄せてしまったのか。それでは,泥鰌にはなれません。泥鰌を生かすも殺すも自由自在の,泥鰌の飼い主である土壌(財界)の側に身を寄せているかぎりは。それでいて,被災地のことで頭がいっぱい・・・・とは。聞いて呆れる。蛙の面に水,の蛙の顔にみえてくる。

メディアの報ずるアンケート調査によれば,国民の約7割が原発推進に反対しているというのに,なぜ,それを無視して財界の望む原発推進に与するのか。政権交代した民主党の使命こそ,自民党の推進してきた原発を阻止することだろう。にもかかわらず,原発の売り込みに身を入れるのか。それでいて「被災地のことで頭がいっぱい」だという。いい加減にしろ。

「3・11」以後,日本という国家を動かしている中枢にいる人びとが,みんな「嘘つき」だということが丸見えになってしまった。だれもほんとうのことは言わない。責任をとろうともしない。これが日本という国家の中枢の真の姿だ。

政府・民主党が原発推進というのなら,なぜ,自民党は脱原発を言わないのか。早く,民主党政権を倒して,政権を奪還したいのなら,いまこそ,脱原発に舵を切るべきだ。そうすれば,選挙で圧倒的多数を占めることができる。なのに,そうはしない。なぜか。その理由も,すでに,みんな自明のことだ。しかし,だれ一人として,その理由についてのほんとうのことは言わない。ここでもお互いに嘘をつきあっている。民主党も自民党も,原発推進のほんとうの理由は明かそうとはしない。暗黙の了解事項だとでもいうように。

地震・津波による被災からの復興もまだまだ手も足も出せない。原発事故についての収束はもっともっとさきのさきのことだ。気の遠くなるほどさきの話だ。にもかかわらず,政府は収束宣言をし,平時にもどったかのように嘯く。それもこれも,みんな計算と打算にもとづく演出であり,演技だ。そのようなフリをして,いかにも事態が進展しているかのように錯覚させるためだ。もっとも痒いところに救済の手を差し伸べなくてはならない原発による被災者たちを,一番,怒らせてしまっている。なんのための政府なのか。なんのための政治なのか。

いまからでも遅くはない。わたしたちは,いま,非常時を生きている,ということを周知徹底させることだ。その前提で政治に取り組むべきだ。自民党の協議拒否など,もってのほかだ。敵がいま,目の前で武器をもって攻めてきているというのに,協議にも参加しない,とは。戦闘放棄だ。つまり,政治家放棄に相当する。前線にいる兵を見殺しにしていていいのか。日々の生活も,将来も,なにもみえない状況で,喘ぎ苦しんでいる被災者を見殺しにしていていいのか。政治家は,いま,なにをしなければならないのか,それすらわかってはいない。平時のぬるま湯に浸かりすぎた「ゆで蛙」そのままだ。

ことここにいたってもなお,党利・党略にしがみつく政治家とはなにか。いまこそ,超党派で国家存亡の危機を救うために立ち上がるべきときではないのか。そのリーダーシップをとる政治家よ,いでよ。なんの腐れ縁もない,若きリーダーよ,いでよ。そして,いまこそ「国民の命」を守ることを第一にかかげる,若きリーダーよ,いでよ。

明日で,「3・11」から10カ月が経過する。なのに,まったく先行きの展望がみえてこない。原発を止めるのか,再稼働させるのか。それすら明確にできないままだ。無責任,思考停止,なりゆきまかせ,足の引っ張り合い,党利・党略,私利私欲,傍観者,臭いものには蓋・・・,ああ,もういい。いったい,いつまでつづく泥濘ぞ。非常時としての自覚が足りぬ政治家たちよ(もちろん,それを操る原子力ムラの住民たちよ),それでもあなた方は人間か。血の流れている肉体をもっているのか。妻子はいるのか。

テレビを購入して,わずかに10日余り。すでに,テレビを買ったことを後悔している。毎日,毎日,テレビに向って咆哮するばかり。こうなったら覚悟を決めて,毎日,1時間はテレビと格闘することにしよう。「それは違うだろうっ!」と吼えつづけつつ。いまや,テレビは,わたしの反面教師となりつつある。そう思えばありがたくもなる。

なんだか,全共闘時代の血が甦ってくる。はらはら,どきどきの毎日だった,あの時代を生きていた感覚が。もう40年も前の,あの若き日々の記憶が・・・・。そうなのだ。いまこそ,闘うときなのだ。老いの身に一鞭あてて。いざ,鎌倉。

2012年1月9日月曜日

国技館から日本人力士の優勝額が消えた。グローバル化の必然か。

日本の伝統スポーツのひとつ,大相撲がグローバル化するとどうなるのか。この問題については,ながい間,考えつづけてきたつもり。そして,その結果が徐々に現実になって現れつつあることは,みなさんもご承知のとおり。そのうちのもっとも顕著な例は,優勝杯が,2006年初場所を制した元大関栃東(現玉ノ井親方)を最後に,外国出身の力士たちに独占されてしまっている,という事実だろう。情けない話ではあるが,これがありのままの大相撲のこんにちの姿のひとつだ。

8日(日)に初日を迎えた大相撲初場所。その会場である両国国技館には32枚の優勝額が飾られている。そこから日本人力士の優勝額が,とうとう0(ゼロ)になってしまった。そう,2006年に優勝を飾った栃東の優勝額がはずされ,新しい優勝額がそれに代わったからだ。32場所の間,日本人力士はひとりも優勝していないのである。こんな時代がくるとは,いったい,だれが予測しただろうか。でも,これが日本の伝統スポーツをグローバル化した結果の,ひとつの現実なのである。

この初場所から国技館に飾られている優勝額は,モンゴル出身の横綱白鵬が20枚,元横綱朝青龍が9枚,大関日馬富士が2枚,ブルガリア出身の大関琴欧州が1枚。ご承知のとおり,モンゴル出身の力士だけで31枚,残りの1枚はブルガリア出身の琴欧州のもの。

かつて,ハワイ出身の力士たちが大活躍した時代がある。かれらは,その巨体を生かして,馬力で勝負していた。だから,日本人力士もそこそこに対応することができた。若乃花や舞の海のような小兵でも,そのスピードとワザで対応することができた。しかし,モンゴル出身の力士たちは,そうはいかない。みごとに鍛えられた体躯は,スピードもワザも申し分なく,じつによくバランスがとれていて,いうことなしである。そこに,気力が加わる。朝青龍や白鵬の燃え上がるような闘魂は,いまの日本人力士に欠落しているものだ。

こののち,たとえば,白鵬と互角に闘える力士が,いつ,登場するかが注目の的となっている。その筆頭が,琴奨菊であり,稀勢の里であろう。大関に昇進して,いま,もっとも勢いに乗っている力士たちだ。かれらが,どこまで力をつけていくことができるのか,これもまた今場所の楽しみのひとつではある。

さて,大相撲という伝統スポーツのグローバル化については,なにも優勝回数を数えるだけでは,問題の本質は明らかにはならないだろう。しかも,大相撲の場合には,現段階では,特殊な条件(制約)もいくつもある。

たとえば,柔道のグローバル化と比較してみるとわかりやすい。柔道は,オリンピックの正式な競技種目に加えてもらうために,さまざまな努力をして,世界に普及・拡大して行った。そして,多くの支持もえて,その目的は達成された。しかし,そのことによって,柔道はJUDOに変化・変容してしまった(このあたりの説明は省略)。もはや,JUDOは柔道ではない,とさえ言われるようになった。つまり,別の競技種目が誕生したというのである。

それに引き換え,大相撲は,まったく事情が違う。まずは,大相撲を世界に輸出しようとは考えていない。あくまでも「国技」という枠組みを死守しようとしている(ように見える)。したがって,厳密な意味でのグローバル化とは異なる。ただ,力士になるための入門希望者の門戸を世界に開いている,というだけだ。そして,伝統の様式やマナーもこれまでどおり守っていこうというのである。にもかかわらず,眼にみえる優勝額に限らず,眼にみえないところでの変化・変容も,少なからず起きている。

新しい血が混ざれば,必ず,なにがしかの変化は起こる。たとえ,古い革袋のままとはいえ,新しい血はそれなりの働きをする。その実態は,きちんとした調査が必要だが,ある程度までは想像することは可能だ。もちろん,それらは「研究仮説」にとどまるのだが。

そんな眼で,ことしの初場所を楽しむのも一興かと思う。なにも,勝った,負けた,だけが大相撲の楽しみ方ではないのだから。土俵の上での一挙手・一投足のひとつひとつにも,いろいろの意味を読み取ることはできる。そうしたトータルな力士の所作の向こうに透けてみえてくるものはなにか。それを,わたしは大相撲のグローバル化という観点から楽しんでみようと思っている。

自己を超えでるような新しい期待の力士の誕生を,わたしは心待ちにしている。

2012年1月8日日曜日

キャベツやトマトが捨てられている。おかしな社会に一矢。京大の学生さん。

今日の「東京新聞」は,読ませる記事が多かった。ときおり,「ハズレ」の記事もあるが,このところなかなかの打率である。記者たちにも気合が入っているのだろう。読んでいて心地よいものが多い。それいけ,わっしょい,と祭りのような掛け声をかけたくなる。

その中のひとつ。一面左上に「雨ニモマケズ」3・11から,という連載コラムがある。今日の見出しは,「廃棄食材生かす学生」「形悪いだけで捨てる」「おかしな社会変えたい」というもの。京都大学農学部4年生・森雄翼(ゆうすけ)さんの活動が,わたしの眼を引いた。

森さんは,名古屋の中央卸売市場からでる廃棄食材に注目し,これを譲り受けて被災地に運び,仲間の協力を仰いで調理し,被災者に振る舞っている。野菜は運搬の途中で痛んだり,変色したり,つぶれたりすることがある。それらは廃棄食材として,文字どおり捨てられているという。その量は,市場で取り扱われる全量の1割に及ぶという。これを見過ごす手はない,と森さんは動く。

もう,かなり前から,曲がったキュウリはスーパーなどでも見かけなくなった。トマトの大きさもみんな同じ。キャベツの大きさもほとんど同じ。大根の大きさも,ネギの太さも,みんな揃っている。そういうものしか商品として扱われない,ということは小耳にはさんで知っていた。農産物もいつのまにか規格化された工業製品と同じ扱いになっている。おかしな世の中になったものだ,と思っていた。

こうした現実の社会の仕組みのおかしさに対して,行動を起こす若者がいた。それが森さんだ。野菜は輸送の途中で,いろいろのことが起きて当たり前ではないか。そういうきずもの野菜を全部捨ててしまう社会はおかしい。痛んだところは取り除けばいい。味に変わりはないかぎり,なんとか生かす仕組みを考えるべきではないか。それをしない,おかしな社会を変えたい。これが森さんの根源にある問題意識だ。

しかも,こういう生活の基盤から,ものごとを考え直すことこそが「3・11」以後を生きるわたしたちの,もっとも重要な課題ではないか,と森さんは考える。自分の身のまわりを見回せば,これは変だ,と気づくことは山ほどある。ただ,「裕福な生活」に慣れてしまった人間には,なかなか気づけないかもしれない。しかし,ちょっと意識をそちらに向けるだけで,気づくことは多い。

「3・11」以後を生きるということはこういうことだ。そのことを見極めたところで,森さんは行動を起こしている。立派なものだ。やはり,若者たちの柔軟な発想と行動力に期待するしかないのだろうか。その点,頭の固くなってしまった中年以上の(わたしも含めて)人間は,若者たちに見倣わなくてはならない。

地産地消の時代には,農産物のこんな無駄なことは行われてはいなかったはずだ。わたしですら,高校時代に,自分のつくったサツマイモを田舎の小さな市場に卸に行ったことがある。筵の上に,闇かご一杯分のサツマイモを転がして,競りに掛けてもらった。そのサツマイモは畑でとれたそのままのもので,大きさも,形も雑多なままだ。それでも,ちゃんと買い取ってくれた。いまでは考えられないことだ。ただ,あまりの安さに愕然としたことだけは,はっきりと覚えている。

いったい,いつから,大手の資本に支えられた流通に支配されるようになってしまったのだろうか。いまでは,農家の畑で,すでに色や形の悪いものは捨てられ,値崩れを恐れて畑で腐らせている野菜をみることは珍しいことではない。ごく当たり前の光景になっている。そして,わたしたちは,豊作であろうがなかろうが,つねに,高い野菜を買わされているのだ。

どこか,いまの電気代を連想させる。ドイツなどの地産地消の電気代の倍もの電気代を,わたしたちは全国一律に払わされているのだ。それでも原発はコストがかからない,と嘯かれてきたのだ。とんでもない話である。こういう情報をメディアはもっとまじめに流すべきではないか。しかし,そうはいかないのだ。メディアもまた立派な原子力ムラの一員なのだから。

電気の流通も,どこかで風穴を開けて,地産地消のシステムを構築することを考えなくては・・・と森さんの活動をとおして,強く思わされた次第である。まずは,できることから始めよう。農産物についても,独自の地産地消のシステムを築いて・・・・と。

それにつけても,あまりに贅沢な生活の仕方に慣れきってしまったわたしたち自身が,まずは,できるところから,このライフ・スタイルに決別すること。そのための小さな勇気がいま求められている。

2012年1月7日土曜日

暮れに,テレビを購入しました。びっくり仰天の世界が広がっていました。

暮れの押し迫った30日にテレビを購入しました。もともとテレビ大好き人間なので,これがあると「やみつき」になってしまう恐れがあるため,10年ほど経過したテレビが突然「ボン!」と大きな音がして,息絶えたのを機にテレビをもたないことにしました。とてもすっきりした自分の世界をとりもどして,いい気分でいました。

しかし,いろいろの事情があって,急遽,テレビを購入しました。
暮れ・正月は特別なのでしょうが(番組が),それにしても,そこには恐ろしい世界が広がっていました。びっくり仰天です。テレビから遠ざかって,3年ちょっと。この間に,テレビはますます狂った方向に向っている,ということがよくわかりました。

とりわけ,「3・11」をどのように受け止め,通過したか,という反省がまったくない。むしろ,「3・11」をひた隠しにしている姿勢ばかりが目立ちます。たまに,特番があったとしても,ツナミの被災からいかにして立ち上がろうとしているか,という人びとに焦点を充てたものが多い。これはこれでいい。とても大事なことだと思う。しかし,原発の事故のために家・土地を追われてしまった人びとの報道はきわめて少ない。わたしは,意識的に,原発事故についてテレビがどのような報道をしているのか,追いかけている。ところが,これがきわめて少ないのです。

もう少しテレビ・ウォッチングをつづけてから結論を出すべきかとは思いますが,とりあえず,現段階でのわたしの感想を述べておきたいと思います。どう考えてみてもテレビは原発事故の報道を忌避している,としかわたしには思えない。そして,それに代わる地震・津波からの「復興」に視聴者の目を誘導している,と。あとは,おチャラ気の「バカ番組」がゴールデン・タイムを独占していて,視聴者になにも考えさせないで笑わせることに全力を挙げている,と。つまり,視聴者の「思考停止」がその目的。国民総白痴化。

要するに,東電の責任隠しにテレビもまた全力を挙げて取り組んでいる,と。そして,原発事故は天災の延長線上にあるものであって,人災ではない,という姿勢を貫いていること。しかも,原発事故は収束した,と政府は発表。テレビはその路線をひた走る。

しかし,原発が天災によって事故を引き起こすことは「想定内」であったこと,原発がひとたび事故を起こしたら制御不能になること(チェルノブイリで明らかになっていた),その愚を今回もくり返していること,つまり,原発はひとたび「火」をつけたら,その事後処理に膨大な時間と経費を要することは専門家たちはみんな知っていたということ,にもかかわらず前倒しして「火」をつけてしまった結果の「人災」であること,このことをわたしたちは肝に銘じておくこと。これらのことを,決して,忘却の彼方に置き忘れてしまってはいけない。

しかし,テレビは圧倒的多数の愚民を育成するために全力を傾けている。そして,あるタイミングを見計らって,「原発推進は必要なことである」と多数決による政治決定に持ち込みたいのだろう。そんな意図がみえみえ。しかし,多くの人びとはそのことに気づいていない。慢性的テレビ漬けになっている人びとにとっては,これが「ふつう」。

わずか3年余の,テレビ・ブランクが,わたしの感性を「振り出し」にもどしてくれた。だから,とても純粋に,そして,ストレートに,テレビの異形な姿が露になっているのが,はっきりと見える。だから,いまの日本が恐ろしい。

毎日,毎日,ありえないことが,政界でも,財界でも,学界でも,官僚界でも,メディア界でも,そして,世俗界でも,起きている。しかも,それが日常化している。だから,みんなどんどん「マヒ」していく。これが当たり前だ,と。テレビ界はその最先端の「まやかし」づくりに大貢献している。もっともまっとうなニュースを提供しているかのような,大まじめな顔をして。

ビギナーズ・ラックという。久しぶりの,テレビ初心者のみる目は,無欲なだけに,正鵠を射ているのではないかという気がして,いささか恐ろしい。どうか,ここに書いたことが杞憂にすぎなかった,ということになりますように。いまは,静かに祈るのみ。

もう少し長い目で,テレビ・ウォッチングをつづけたい,と思います。
二度と騙されないために。そして,なによりも,わたしたちの「命」を守るために。

「アセスメント」持ち込みは沖縄の普天間基地固定化のための通過儀礼にすぎない,と元外務官僚の佐藤優氏。

「東京新聞」に「本音のコラム」という枠があって,山口二郎氏や佐藤優氏が登場したときは,必ず読むようにしている。なぜなら,わたしなどの時代や社会の読みとりとは次元の違う見解を示してくれることが多いからだ。

1月6日のコラムには佐藤優氏が登場。「みじめな鼠輸送」という見出しで,わたしにとっては衝撃的な見解を述べている。その内容は,正直に言って,ショックだった。なぜなら,防衛庁が,去る12月28日未明に,普天間基地の辺野古移設に関する環境影響評価(アセスメント)を沖縄県庁の守衛室に運び込んだのは,太平洋戦争時代に夜陰にまぎれて輸送を行った「鼠輸送」と同じ方法だったといい,さらに,つぎのように断言しているからだ。

「元外務官僚であった筆者には,普天間問題を担当する外務官僚や防衛官僚が何を考えているかが皮膚感覚でわかる。沖縄の反発を考えれば,辺野古移設の可能性がもはや皆無であると外務官僚,防衛官僚は認識している。そして,それど遠くない時期に日本政府が米国政府に『沖縄の状況に鑑み,普天間飛行場の辺野古移設は不可能になりました』と伝えるようになることも織り込み済みだ。その上で,普天間基地の固定化を考えている。そのための通過儀礼として,今回,防衛官僚は,みじめな『鼠輸送』を行ったのだ。」

これを読んで,なんとも思わない人は,もはや人間ではない。もちろん,エリート官僚は,人間を人間とも思ってはいないから,こんなシナリオを平然と描き,そのまま実践に移していく。そして,最終的には,またぞろ沖縄に基地問題のすべてを押しつけて,頬被りをしようとしている。大山鳴動して鼠一匹である。元の木阿弥とばかりに。

こんなことを「なさしめている」のは,じつは,沖縄問題に無関心を装う(実際に,ほとんどなにも知らない人が多い。知ろうともしない人はもっと多い),本土に生活しているわたしたちだ。そこまで官僚は読み取って,こんなシナリオを描き,政治家を動かしていく。官僚はほんとうに悪だが,それを「なさしめている」わたしたちはもっと悪い。

沖縄に基地問題を押しつけて,「県外移設」を拒否し,知らん顔をしている全国の都道府県知事も,同じく人間ではない。自分たちの府県でも,等分の負担をすべきだし,その用意はある,と答えたのは,あの橋本君,ただひとりだった。やれ独裁者だ,やれハシズムだ,と世間は姦しいが,この人間だけが全国都道府県知事のなかでは,たったひとり「人間」の顔をみせた。あとは,計算・打算の世界で生きている「人非人」たちばかりだ。穏健派を装う,冷徹無比の,自己中心主義者だ。いやいや,こういう人は,わたしの身の回りにもうようよいる。日本人の圧倒的多数はこういう人たちなのだ。そして,そういう人たちが政治を動かしているのだ。これが現実だ。まったくもって情けない。いやいや,またまた過激になってしまった。

こんなことを書くのは,同じ日の「東京新聞」の名物記事となっている「こちら特報部」で,フクシマの汚染土壌などを保管する中間貯蔵施設を福島県双葉郡に建設する政府方針をとりあげているからだ。これを読むと,またぞろ,弱い者に汚染土壌の保管を押しつけて頬被りしようとしている,この構造がオキナワとそっくり同じだからだ。双葉町長は「被害者に責任取らすのか」「町民の使い捨て,許さぬ」と声をあげている。ただでさえ,住む土地を追われ,避難生活を余儀なくされている上に,汚染土壌などの「中間貯蔵施設」を町民がいなくなった土地に建設しようと,政府は考えているのである。なんということか。こんなことを平気でできる政府与党とは,いったい,なんなのか。これを「人非人」と言わずして,ほかになんと呼べるのか。

では,汚染土壌を引き取ってくれる都道府県はあるのか。これまたオキナワと同じで,みんな顔を横に向けて知らぬ顔だ。少なくとも,この汚染土壌は,各都道府県で応分の負担をすべきだ,とわたしは考えるのだが・・・・。いやいや,それより前に,まずは,東京電力の保有する保養施設に持ち込むべきではないのか。そのくらいの責任をとったって,なんの不思議もないのに・・・・。政府はそれすら打診することもできない。東京電力に政府が乗っ取られている。原子力ムラなる恐るべきネットワークの実態が次第に明らかになりつつあるのだが・・・・。

正月の松の内だけは,こういうブログは書くまい,とこころに決めていたが,とうとう我慢できなくなって書いてしまった。いや,書かずにはいられなかった。このまま放置しておくと,日本列島全体がこのまま沈没していくこと間違いなしだから。

ことしこそ,もっとも多難な年になりそうだ。それにしては,危機意識が足りない。その上に政府与党は大あぐらをかいている。完全に舐められている。情けないが,これが現実。



2012年1月6日金曜日

奈良・山焼き講演「3・11」以後のスポーツ文化を考えるための理論仮説について」──バタイユの『宗教の理論』をてがかりにして。

毎年,奈良の山焼きの日には,かつての奈良教育大学時代の教え子たちとの約束で,お里帰りをすることにしている。ことしは,1月28日(土)がその日にあたっている(毎年,1月の第4土曜日が山焼きの日)。そこでは,恒例の講演をすることになっている。場所は,奈良教育大学教職員会館。そして,そのあと,山焼きをキャンパス内の最高のポイントから見物し,もどってきてから,懇親会に入る。こんなことを,かれこれ15年ほどつづけている。

ことしのテーマは,「3・11」以後のスポーツ文化を考えるための理論仮説について──ジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』をてがかりにして,というものである。しかも,お世話をしてくださる井上邦子さん(「ISC・21」1月奈良例会の世話人)の希望で,たっぷり3時間をかけて,存分に語って欲しい,と言われている。

じつは,この長時間講演は,半分はわたしの希望でもあった。というのは,ジョルジュ・バタイユの思想・哲学をてがかりにして,スポーツ文化を語ることは容易なことではない。1時間30分くらいの時間ではとても語れない。だから,講演依頼を受けたときに,思わずわたしの口から,時間をたっぷりくれるのなら・・・と言ってしまった。そこは割り切りの早い井上さんのこと。わかりました,3時間ではどうですか?ときた。そうか,3時間ももらえるのであれば・・・・,ということでわたしも決断した次第。

この講演のタイトルを決めたのは,井上さんから依頼を受けたその日の夜(12月23日,「ISC・21」12月神戸例会の懇親会)のことである。昨日のブログにも書いたように,「スポーツに思想はあるか」という恩師岸野雄三先生の30年も前の「問い」に,なんとかしてわたしなりの「答え」を出さなければと考えつづけていたので,この機会に,その一端を披瀝することはできないだろうか,と考えたのである。その瞬間に,ほとんど直観に近い状態から,突然,口をついて出てきたのが,このタイトルだった。こういう直観は信じたい,というのがわたしの流儀。

もう少しだけ踏み込んでおけば,じつは,もうすでに,3年にわたって続けてきた神戸市外国語大学での集中講義そのものが,「スポーツに思想はあるか」という恩師の「問い」に応答する,ひとつの試みだったのである。その一端は,このブログのなかでも何回にもわたって書いているので,ご存じの方も多いと思う(ジョルジュ・バタイユ著『宗教の理論』読解。スポーツ史・スポーツ文化論の視点から)。いささか難解なテーマへの挑戦であったが,意外に多くの方が熱心に読んでくださった。やはり,自己を超えでていく,蛮勇をふるっての挑戦には,みなさんが温かく見守ってくださるものだ,と痛感した。ありがたいことである。

ここまで書いてきたら,ふと,思い出したことがある。
わたしがフランス現代思想というものを初めて意識しはじめたころのことを。人間にはレディネスというものが大事で,それがないとつぎの段階のステージは開かれてこない。ちょうど,さきほども書いたように,30年ほど前に「スポーツに思想はあるか」という恩師の「問い」に触れ,おろおろしていたときに,西谷修さんとの何年ぶりかの再会があった。このころ,すでに,西谷さんは,ジョルジュ・バタイユをはじめ,エマニュエル・レヴィナスやモーリス・ブランショという人たちの,いわゆるフランス現代思想の黎明期を代表する人たちの,眼の覚めるような思想・哲学を,さまざまな雑誌に紹介したり,翻訳をしたりしていた。その内の一冊が献本として,わたしの手元に届いた(たしか,モーリス・ブランショの『明かしえぬ共同体』だったと記憶する。なぜなら,このころ,大塚久雄の『共同体の基礎理論』という本とにらめっこしながら「共同体」のことを考えていたので,この『明かしえぬ共同体』という本のタイトルをみた瞬間に,なんのこっちゃ,という強烈な衝撃を受けたことを記憶しているから)。これがまた,難解至極,読んでもさっぱり要領をえない。しかし,訳者の西谷修さんの「訳者解説」を読むと,これまた不思議なほどすとんとわたしのこころに落ちた。

これがきっかけとなって,わたしはフランス現代思想の,それまでに学んできた思想・哲学とは,天と地がひっくり返るほどの違いを知り,びっくり仰天しながらも,気づけばすっかりのめりこんでいた。わからないことは西谷さんに教えてもらい,少しずつ,その世界の空気に馴染んでいった。だから,当時,できたばかりの大学院のゼミでも,「共同体」を考えるためのテクストとして,モーリス・ブランショの『明かしえぬ共同体』をとりあげたことを思い出す。しかし,このころは,指導するわたし自身がよくわかっていないのだから,院生さんたちには申し訳ないことをした,と反省している。しかし,そのときの「蛮勇」があったからこそ,いまがある,とわたしは思う。

それから,長い長い,フランス現代思想遍歴をへて,いま,ここに立っている。そのわたしを諦めずに導いてくださったのが,西谷修さんである。みなさんもご存じのように,わたしの「思想・哲学」の師匠である。お蔭で,いまでは,西谷さんとお話しているときが,もっとも幸せな時間である。しかも,毎週,太極拳の兄弟弟子として。いま,振り返ってみると,なんとラッキーだったことか,とわが人生を省みて気が遠くなる思いがする。こんなことは,まずは,ありえない,と。お蔭さまで,わたしは,いま,至福のときを過ごしている。

というようなわけで,こんどの山焼き講演は,わたしの人生の集大成のようなものになる,また,そうしなければいけない,と考えている。そういう意味では,ようやく,ここにきて,大学でいうところの最終講義ができる,と思う。ただし,わたしの言う最終講義とは,これまでの過去の自分をすっぽりと切り捨てるための,そして,まったく新たなスタートを切るための,けじめをつけるための講義を意味する。

この山焼き講演を境にして,「スポーツに思想はあるか」という「問い」への,根源的な「応答」をはじめたいと切に願っている。その長年のわたしの願いが,ことしこそ実現するように,と祈るばかりである。

2012年1月5日木曜日

初夢「スポーツに思想はあるか」という恩師の声で目が覚める。

ことしの初夢に恩師の岸野雄三先生が現れた。なぜ,このタイミングで先生が夢に現れたのか,まことに不思議。でも,考えてみれば,これもご因縁ではないか,とも思えてくる。

最近はお墓参りにも行ってないので,たまにはお出でよ,と声を掛けられたに違いない。その声が,なんと「スポーツに思想はあるか」という問いであった。顔は浮かんでこないのだが,声だけは,間違いなく先生のものだった。いつもの調子で「君ねぇ,スポーツに思想があるか,って考えたことある?」と言われ,びっくりして目が覚めてしまった。

昨夜,眠ったのは2時ころ。目が覚めたのは朝方の5時ころ。ここから眠れない。でも,眠いのである。眠いのだから,そのうちに眠るだろう,とぼんやりしていた。眠気と覚醒のはざまを行ったり来たりしながら,なりゆきに身をまかせたまま横たわっている。虚実皮膜の間(あわい)を,さまざまな妄想が駆けめぐりはじめる。なんのことだろうと,ぼんやりとそのままじっとしている。

そのうちに,「セックスに思想はあるか」という問いがどこからともなく立ち上がってきた。えっ,と驚きながら,つぎはどうなるのだろうか,とぼんやり待っている。そうしたら,小さな声で(だれの声かはわからない),「消尽,消尽」と言っているのが聴こえる。またまた,えっ,と驚く。それでも,まだ,なにかつづきがあるらしい,とぼんやりして待つ。

こんどは,天の上の方から「みんな同じ,みんな同じ」と言っている声が聴こえる。この声が聴こえた瞬間に,わたしは起き上がった。机に向って走り,大急ぎでメモをとる。紙に書き取って,その文字を眺める。「スポーツに思想はあるか」「セックスに思想はあるか」「消尽」「みんな同じ」。こうして対象化してみたら,これは偉いこっちゃ,と気づく。しばらく眺めてから,ふたたび寝床にもぐり込む。これでなんとか眠ることができるだろうと期待した。

ところが眠れない。でも,かなりの眠気が襲ってきているので,大いに期待する。そのうち,夢と現(うつつ)の間を行ったり来たりしはじめる。夢を短くみているのに,目覚めている。もう,どうにでもなれ,と思っていたら,忽然とジョルジュ・バタイユの『エロティシズムの歴史』の本が目の前に飛びだしてきて,ページがめくられていく。そうか,この夢の主(あるじ)はこのテクストだったのか,と合点がいく。なぜなら,新年,最初に手にして読みはじめたまともな本がこれだったからだ。そして,毎日,少しずつ拾い読みをしている。

これまでのような,通読ではなくて,わたしの脳裏に浮かんだキー・ワードに誘われるようにして,その該当箇所を探して,読む。じっくり,熟読玩味する。あきたら,また,つぎのキー・ワードに移る。そういう読み方をしていた。いま,もっともひっかかっているのは「近親婚」。バタイユは,レヴィ・ストロースの研究を引き,その説得力のある論説に敬意を表しながらも,最後のところでは,これですべてだとして納得するわけにはいかない,としてみずからの仮説を模索しはじめる。そのときのバタイユの視線はもっぱら「エロティシズム」の成立根拠に向う。そして,動物のセックスと人間のセックスとの根本的な違いはどこにあるのか,と問う。ここが人間と動物を分かつ,ひとつの重要なポイントになるのではないか,として。しかも,その根底に流れているバタイユの問題意識は「消尽」。

こんなことを,この正月以来,拾い読みしながら考えている。バタイユが,エロティシズムに思想を,そして,セックスを真っ正面に据えた思想・哲学の構築に,哲学者たちはあまりに不真面目だったと批判する,テクストのくだりが脳裏から離れない。そして,このことを考えながら,「スポーツを真っ正面に据えた思想・哲学」(全体的経験としてのスポーツを対象にした思想・哲学)は可能か,と考えていた。だから,こんな夢をみたらしい。

もうひとこと,付け加えておけば,こんなこともあった。昨日(4日)の太極拳の稽古のあと,昼食を済ませ,さらに,タバコを吸いたい西谷さんに付き合ってドトールに入り,二人だけであれこれ雑談をしているときに,たまたま,話がバタイユに及んだ。そして,今日からバタイユの『エロティシズムの歴史』を読みはじめようと思っています(じつは,すでに,読みはじめていたのだが),とわたしが言ったら,それに対して,即座に「ああ,それだったら『宗教の理論』と『エロティシズムの歴史』をベースにして,そろそろ,人間にとってスポーツとはなにか,という本を書くといいですね」と,西谷さんはなんのためらいもなく,当たり前のように仰る。しかし,わたしにとってはまことにありがたい「ひとこと」であった。これで,しっかりと背中を押されたのだから,あとは「Go!」だと。もう,これ以上,躊躇うことはない。

その気になって,夜は,またまた,『エロティシズムの歴史』の拾い読みをし,熟考をくり返す至福の時間を過ごした。その結果が,「初夢」となった,という次第。しかも,恩師の岸野先生の声となって。「スポーツに思想はあるか」。じつは,若いころに(たぶん,わたしが40歳代の後半に入ったころだったと記憶する),同じ問いかけを岸野先生からされている。そのときは,ひとことも応答することができず,背中を冷や汗が流れただけだった。そして,情けなかった。岸野先生はじっとわたしの顔を覗き込むようにして見つめていた。以後,トラウマのように,この問いがわたしの脳裏から離れない。だから,ほぼ,30年以上も,この問いと向き合ってきたことになる。こうしてようやく,岸野先生に応答できるときがきた。

今夜は,夢のなかで,岸野先生に応答しよう。「スポーツに思想はあります」,「そのことをぼくが書きます」,と。「その鍵はバタイユの<消尽>にあります」,と。そして,「先生もご存じの西谷さんから背中を押してもらいました」とも。先生はなんと仰るのだろう?


2012年1月4日水曜日

太極拳の稽古始め。新年から李自力老師の住む溝の口で。

今日(4日)は太極拳の稽古始めの日。会場が大岡山から溝の口に移って最初の日なので,まずは,溝の口駅(田園都市線)改札口に集合。みんな揃ったところで,会場へ。会場は,わたしと李老師が住んでいる某マンションの集会室。

今日は,李老師は中国にお里帰りのため欠席。紅一点のKさんは安曇野の穂高神社での能面展のため欠席。あとの5人で稽古をはじめる。いつものとおりの準備運動をして,基本の運動をし,24式へ。そして,部分練習。細かな動作のチェック。ここまで稽古が進むと,Nさんが元気になる。この人は教えることが根っから好きな人。少しでもみんなを上手にしてやろうと,とても熱心。わたしはどちらかといえば,自分のための稽古がしたい。でも,Nさんが熱心に教えているのをみると,わたしもなんとなくつられて口を出すようになる。で,結局,みんなでわいわい言いながらの稽古となる。これがまた楽しい。若い二人もさることながら,Sさんも真剣そのもの。

しかし,面白いもので,いつのまにか,みんな上手になっている。場のもつ力というものは不思議なものだ。稽古に対するNさんの気迫はたいへんなもので,わたしなどは時折,圧倒されることがある。これではいけないとわたしも気を引き締めて稽古に励む。それが連鎖反応を起こして,いつのまにか,みんな真剣そのもの。これが,一緒に稽古することの意味なのだろう。ひとりではこうはいかない。どこか甘えが残っていて,いとも簡単に自分を許してしまう。しかし,大勢で稽古すると,そんなことは許されない。その場の力をもらったり,また,与えたりしながら稽古場の雰囲気が盛り上がっていく。そうして,これまでできなかったことが,少しずつできるようになっていく。

太極拳の稽古をはじめたころは,李老師が毎週,手取り足取りしながら,細かい指導をしてくださった。が,いつからか,李老師が忙しくなって,毎週の指導は困難になった。仕方がないので,最初の弟子だったわたしとNさんとで自主的な稽古をつづけることにした。もちろん,Kさんも李老師不在でも,この自主稽古に参加してくれた。この3人だけでの自主稽古がしばらくつづいた。そこに,Sさんが加わり,若い二人が加わった。合計6人での稽古が,大岡山でつづいた。李老師は,数カ月に一度,ふらりと顔を出してくれる。これがとても嬉しかった。

しかし,面白いもので,李老師がそこにいるというだけで,わたしたちは緊張した。そして,いつもはできていることが急にできなくなってしまう。しかし,李老師はにこにこ笑いながら,みんな上手になった,と褒めてくれる。そして,ワン・ポイント・レッスンをしてくださる。ありがたいことだ。そして,たまにしかお目にかかれない李老師のえも言われぬ,奥の深い「動き」を脳裏に焼き付けようと必死になる。この全神経を集中させても,見えないものは見えない。しかし,あるとき,ひょいと「見える」ときがある。この瞬間こそが至福のときだ。

禅仏教の道元のことばで言えば「修証一等」である。自分の達したレベルに応じて「見える」ようになる。見えていないものを稽古しても,それは無駄である。いま,見えていることを反復練習しているうちにそれがおのずから身につく。そうすると,また,つぎの「動き」が見えてくる。道元は,修行すること(=修)と悟り(=証)とは同時に進行するもの(=一等)なので,無理に難しい修行に取り組む必要はない,と説いた。

太極拳の稽古も,ほとんど同じ構造になっている,とわたしは理解している。いま,見えていることを反復練習するのみ。そして,それが身につけば,つぎの「動き」が見えてくる。個人差はもちろんある。天才は,数段階をすっ飛ばして,つぎの「動き」が見えてくるらしい。でも,凡才であるわたしなどは,一段ずつ,見えてきたものを「わがもの」とすべく努力するのみ。だから,これまで見えなかった「動き」が見えてきたときの喜びはなにものにも代えがたい。

会場を,大岡山から溝の口に移したのは,李老師がよほどのことがないかぎり,毎週,顔を出します,と言ってくれたからだ。では,月謝を受け取ってください,とわたしたち。いやいや,一緒に稽古するだけのことなので不要,と李老師。勿体ない話。となれば,わたしたちは相当に気合を入れて,しっかりとした稽古をしなければならない。でなければ,罰が当たる。

それはともかくとして,来週からは,李老師の名人芸に触れることができる。途切れることなくからだのどこかが動きつづけている,あの不思議な名人の域に達した「動き」を見ることができる。芸事を習うということは,やはり,一流に触れることが第一だ。それは,武芸も学芸も,どの世界でも同じだ。その意味でも,わたしたちは幸せだ。太極拳の現代の名人に,じかに触れることができるのだから。

と,ここまで書いてきて,はっと気づくことがある。この太極拳の兄妹弟子もまた,並の人たちではない,ということに。世界を相手に新しい思考を切り開いている学芸の名人がいる。能面の世界にアートの新風を吹き込ませている能面アートの名人がいる。そして,出版界の大御所がいる。さらには,将来有望な若者たちがいる。おやおや,見回せば,わたし一人を除いて,みなさん大変な人たちばかりである。それはそれは,恐るべき集団ではないか。

こんな人たちに囲まれて太極拳の稽古ができること,こんな幸せなことはない。
よし,ことしは,気持ちのギアを入れ直して,稽古に取り組むことにしよう。そして,李老師に喜んでもらえるような弟子になろう。そして,なによりも,李老師がつねづね口にする「気持ちがいい」と感じられる太極拳を体験できるよう,頑張ろう。新年だから,このくらいの決意表明をしても許されるだろう。ただし,これが,新年の空手形にならないように。

さて,来週からの稽古が,いまから楽しみ。
ことしは,いい年になりますように。

2012年1月3日火曜日

「校庭に歓声が上がる元気のいい学校をめざせ」,被災地の元小学校校長の談話。

昨夜(2日)テレビでみた「ガレキに立つ黄色いハンカチ 被災地巡る山田洋次監督」(NHK第一)のなかで登場した元小学校校長先生と山田監督との対談が,とてもこころに響くものがありましたので,その印象を書き残しておきたいと思います。もう,先生の名前も小学校の名前も,すぐに忘れてしまっていますので,わずかな記憶が頼りです。

被災地(場所はいろいろのところに山田監督が移動しているので,その地名すら忘れている)のある所に,津波で跡形もなく全部流されてしまってガレキだけになってしまった自分の屋敷跡に,「黄色いハンカチ」を飾ったところ,これが話題になり,その話が山田監督の耳に入ります。山田監督は早速,仮設住宅に避難している元住人宛てにはがきを書いて,「感動した」と伝えます。そして,その地を尋ねていきます。そのとき,映画で使ったホンモノの「黄色いハンカチ」を持参し,プレゼントします。元住人は感激して,涙します。もちろん,わたしも涙。

そうした話題の主を,山田監督が尋ねていき,話を聞き出します。そのひとつに,高台にあった小学校の校長先生が,津波を避けるために子どもたち全員を学校に残して,生徒全員の命を救った,という話があります。その校長先生は,昨年の3月末で定年退職しましたが,つぎの校長先生と一緒に,山田監督との対談に参加して,とても,印象的な話をしています。

単刀直入に言いますと,つぎのような話が,わたしのこころにグサリと突き刺さりました。
以下は,その元校長先生の話の要約です。
「3・11」以前までの小学校の教育を根本から改めなくてはいけないのではないか,と退職後,真剣に考えています。もっともいけないのは教科の勉強に眼を向けすぎて,点数や偏差値ばかりに拘りすぎたことではないか,と。そして,教室の中で,静かに先生の話を聞き,おとなしく勉強する子がいい子だと信じ込んでいたことではないか,と。一番,大事なことは,子どもたちが元気であること,休み時間には校庭に歓声が上がるような,そういう学校をめざすべきではないか,と。教室の中でも,元気が余って,多少は騒然としているくらいの方がいいのではないか,と。

なによりも大事なことは,子どもたちが学校が好きになること。学校が楽しくて楽しくて仕方がない,という環境をつくること。友だちがいっぱいできて,みんなで元気よく遊びまわれる環境を,教師は創意工夫すること。これが小学校教育の根幹ではないか,と。子どもたちの「生きる力」は,この遊びの中から育つのだから,と。喜怒哀楽を素直に表現できる環境を,学校は準備すること。喧嘩をすることも,優しさも,助け合うことも・・・・,ありとあらゆる教育の場を学校は用意すべきだったのではないか,と。この一番,大事な教育が「3・11」以前には軽視され,忘れ去られていたのではないか,と。

教科の勉強は,その上に成り立つものではないか。教育の土台・基礎のないところに,点数主義や偏差値主義に傾いた教育をしてきたこと,ここに「3・11」以前の教育の根本的な誤りがあったのではないか,と。わたしは,いま,本気でこのことを考えている,と元校長先生は情熱を傾けて,山田監督に訴えています。

山田監督は,静かに頷きながら,短いコメントを挟みます。それが,絶妙なタイミングでなされるものだから,元校長先生はますます饒舌になっていきます。そして,「3・11」以後の教育のあり方について熱弁をふるいます。しかも,そのイメージが,よくよく考えると山田監督が,もう,かなり以前から取り組んでいる「学校」とか「同胞(はらから)」というような映画で提示してきた問題であることが明らかになってきます。その極めつけが,じつは,「寅さん」シリーズだったということも。

テレビでは,この元校長先生の話の間に,山田監督の制作した映画のシーンを,いくつも折り込みながら,問題の本質に接近していこうと試みています。寅さんが,生まれ故郷の柴又に帰ってきても,すぐに喧嘩をしたり,イザコザを起こして,また,家を飛び出していくシーンは,その極めつけというわけです。つまり,寅さんは,「社会の常識」という「うわべ」だけの,寅さんに言わせれば「嘘だらけ」の社会規範や了解事項に,どうしても馴染めない,というわけです。「そんなおべんちゃらみたいな,いい加減なことを言われて,喜んでいていいのか。そんな人間なんて信じられない」と,寅さんは啖呵を切ります。

教育という常識も,どうやら理性中心主義的で,一見したところ理路整然としているかにみえるけれども,そこには人間としての情緒や喜怒哀楽といった感情の問題が,ほとんど省みられていないのではないか,と訴えかけているように,わたしにはみえてきます。ここにも,じつは,理性が「狂気」と化してしまっている現実をみることができます。この理性の「狂気」化の頂点に立つものが,人間の「命」を軽視した「原発推進」という考え方だ,ということは,もはや,説明の必要もないことでしょう。

元小学校校長先生の行き着いた結論は,どうやら,そういうところにあったとわたしは類推しています。あの先生の口ぶりからすれば,当然,そういうところまで話は行き着いていたに違いない,と。しかし,ここがNHKの悲しいところ。そういう「原発推進」批判になるような言説は,やんわりと,編集でカットされてしまったに違いありません。

山田監督は,そのあたりのことは十分承知の上で,もっぱら「命」を大切に,という立場を貫いています。ただ,ごく簡単に,天災と人災は区別して考えないといけない,とだけ言っています。すべてをお見通しの上で,放送されるぎりぎりのところで発言をコントロールしていることが,見ているわたしにも伝わってきます。

同じような場面は,吉永小百合との対談や,蒼井優との対談の中にもあって,もっぱら「命」が第一,を繰り返しています。それは,そのまま「原発推進」は困ります,と言っているのですが・・・。まあ,最終的に放送されないよりは,放送された方がいい,そうすれば,いくらかは隠されたメッセージを送り届けることができる,と山田監督は考えたに違いありません。

山田監督は,東京を舞台に,「3・11」を主題にした映画を構想中で,ほぼ,そのシナリオもできあがっているようです。主役は蒼井優さん。ラスト・シーンも決まっているとか。たぶん,山田監督は映画をとおして,自分の主義・主張は的確に提示してくれることでしょう。この映画の完成がいまから待ち遠しい・・・・。

「3・11」以後の教育とはなにか,なにを改めなくてはならないのか,現場の学校の先生たちが,どのように考えているのか,生の声を聴いてみたいと思っています。

箱根駅伝。「21秒の悔しさ」をバネに。東洋大のみせた人間の可能性に感動。

この二日間,箱根駅伝に釘付けになっていました。もちろん,目玉は柏原君のラスト・ラン。勝ち負けを超越した「自分を超えたい」という異次元世界のランがみたかったからです。しかし,その期待に応えただけではなく,東洋大というチームが一丸となって,この1年間を頑張ってきた努力に,こころからの拍手を送りたいと思います。感動しました。ありがとう。

「21秒」差で負けた昨年の箱根駅伝の「悔しさ」を,チーム全員で共有し,自分の記録を1秒でも2秒でも縮めていこう,そのさきに「優勝」の二文字が浮かんでくる,と監督以下,全員が取り組んだ一年の成果が,みごとにことしの箱根での驚異的な記録となって実現した。

10時間51分36秒。総合新記録。2年ぶり,3度目の優勝。昨年,早稲田大学が樹立した新記録を一気に約8分も更新。驚くべき全員の快走の結果でした。

柏原君もまた,自己記録を36秒短縮。この走りもまたみごとでした。ことしは1位でたすきを受けたので,前の走者を追い抜くシーンはなかったものの,少しも足の疲れを感じさせない快走ぶりは,強く印象に残るものでした。ゆったりとした入りから,徐々に調子をあげていく走り,そして,下りに入ると一気にギアを入れ換えての,ぶっ飛ばしの韋駄天走り。驚異としかいいようのない,鍛えられた脚力。そして,強い意志。出身地のいわきの人たちの苦しみを考えれば,ぼくの苦しみは1時間ちょっとのこと,そんな程度の苦しみに負けるわけにはいきません,と柏原君の快走後の談話。

キャプテン柏原君のこの「闘う姿」を全員がみせて欲しい,と監督は選手たちに頼んだ,といいます。ですから,選手がみんな,みずからの「闘う姿」をひとりずつ表現した結果が,この驚異的な総合新記録を生み出す源泉だったことがわかります。ひとりとして守りの走りはしていなかった,というのも強烈な印象でした。

「負けて強くなる」とむかしから言います。しかし,それを実現することは,とてもむつかしいことだと,わたしは考えています。言うは易すし,されど実行は難し。それをチーム一丸となって実現させた監督は大した人物だと,これまた感動。柏原君は「ぼくはキャプテンとしてはチームのためになにもしてあげられなかった。みんなが,ぼくを助けてくれた。そのお蔭です。みんなに感謝したい」と涙がこぼれるような話をしてくれました。

いっときは,スランプに陥って,チーム練習についていくこともできなかった,といいます。落ち込んだまま郷里のいわきに帰ったら,被災のなかで黙々と努力している知人・友人たちがいて,柏原君のスランプについてはなにも言わずに,黙って優しくつつみこんでくれた,そして,被災によってくじけることなく前を向いて一歩一歩,日々,努力を積み上げる姿で応えてくれた,これがボクの今日の走りにつながった,エネルギーを一杯もらった,背中を押してもらった,その人たちにも感謝の気持ちで一杯です,と語っていました。わたしは,何度,涙したことか。

この若者は,なんと素晴らしい人生哲学を身につけたことか。これは,東洋大の選手たちみんなが共有していることなのでしょう。自分の身を削りながら,自分の可能性にチャレンジする精神。自己との「闘い」。それを支える強い意志(意思)。燃え上がるような情念を内に秘めて,目指すゴールに向かって全身全霊を傾ける,日々の地道な努力の積み重ね。自立心。自律心。

こんな選手集団ができあがったら,もはや,敵なしです。ひとりの生きる人間としての強さをわがものとしたとき,アスリートは大きく飛躍するということを,これほどみごとに提示してくれた例も珍しいと思います。アンカーの斎藤君の走りもみごとでした。苦しさを耐えて,耐えて,ひたすら耐えて,それでもからだを前に進める,この根性。そして,みごとに区間新。

ことしの箱根駅伝は感動の渦でした。
東洋大のみなさん,おめでとう!
そして,素晴らしい感動をありがとう!

〔以下は余録〕
ひとつめは,青山学院大の走りに拍手。ことしは5位。地味ながら,毎年,少しずつ順位を上げて,ここまでやってきました。ゴール前まで,順天堂大,中央大と競り合ってきて,最後の最後にみせたアンカーのラストスパートは感動でした。中央大の選手も限界を超える,何回ものスパートを見せてくれ,びっくりしました。こういう競り合いに勝てる選手がいる青山学院大なら,来年は,優勝争いに加わることでしょう。いまから,楽しみ。

ふたつめは,早稲田大学。このチームには,毎年,異色の選手が登場してきます。ことしは,愛知県の時習館高校卒業の山本選手(1年生)。箱根の山登りで,明治大学の名選手と抜きつ抜かれつの大接戦を演じ,最後はきちんと勝ち取る快走が深く印象に残りました。もうひとりは,同じ愛知県の岡崎高校出身の市川選手(2年生?)。早稲田のアンカーを任され,よく健闘しました。残念ながら明治大学の鎧坂選手(日本学生最高速ランナー,オリンピック候補)に抜かれましたが,それでも僅差ですぐあとを追ってゴール。来年につながる走りだったと思います。時習館高校も岡崎高校も,愛知県では指折りの進学校。でも,どちらの高校もスポーツに力を入れていることで知られています。でも,高校時代に全国区で活躍できるほどの強いクラブはありません。東大野球部にも時習館卒のピッチャーがいます。こういう特別の経歴のない無名の選手が活躍するところに,早稲田大学の強さがあると思います。

みっつめは,城西大の活躍。ことしは6位でゴール。青山学院大とともに,来年の活躍に期待したいと思います。いくつものハードルを一つひとつクリアして,ここまで上がってくる選手たちの努力,そして,監督の指導力に,なにか響くものを感じます。

以下は省略。

2012年1月2日月曜日

ウィーンフィルのニューイヤーコンサートを聴く。

久しぶりにウィーンフィルの「ニューイヤーコンサート」を視聴しました。そう,わたしの場合には,まさに,視聴です。なぜなら,クラシック音楽を聴くだけの耳がないので,もっぱら視覚に頼って,この番組を鑑賞した,というわけです。

指揮者の身振りや顔の表情がとても面白くて,もっぱらそちらに関心が向ってしまいます。ことしの指揮者は,マリス・ヤンソンス。どういう経歴の人かは知りません。以前,小沢征爾が指揮したときとはまったく違っていて,そこがとても面白かった。途中で指揮棒を振ることをやめて,両腕をだらりと下げたまま,両眼を閉じ,うっとりとしながらからだを左右に揺さぶるだけのとき(「美しく青きドナウ」の演奏のときもそうでした)には思わず拍手をしてしまいました。

このニューイヤーコンサートには,ほとんど定番となっているウィンナーワルツやポルカがたくさん演奏されます。そのときには,ウィーン国立バレエ団のなかから選ばれたベスト・ダンサーが華麗なダンスを踊ってみせてくれます。その舞台も,なんと,シェーンブルン宮殿やヴェルヴェデーレ宮殿の,かつてのきらびやかな宮廷時代の特別の部屋が使われます。ふだん,一般には公開されていない場所です。その部屋をつぎつぎに移動しながら,男と女のペアリングが微妙な物語を秘めながら,徐々にできあがっていきます。

もうひとつの楽しみは,このニューイヤーコンサートが開催されるウィーン楽友協会の建物を映像でみることです。外観が映し出されたときには,なんだか建物が新しくなったような錯覚さえ覚えました。たぶん,何年に一回かは,きれいに洗って磨き上げることをしていますので,その年に当たったのかもしれません。ふだんは,自動車の排気ガスの影響で,徐々に黒っぽくなっていきますので,ひどいときには「黒い」建物だと勘違いしてしまうほどです。

わたしが初めてウィーンを訪れたとき(ほぼ30年前)には,ウィーンの市庁舎は真っ黒でした。二度目に行ったときには(20年前),ちょうど市庁舎を洗う年でした。ですから,わたしが滞在している間に,黒い建物から白い建物に変化しました。石造建築ですので,それができるというわけでしょう。何回も何回も化粧直しをしている,というわけです。

ウィーン滞在中に,よく散策にでかけたシェーンブルン宮殿のある公園(無料公開)が映し出されたりするのを見るのも,この番組を視聴する楽しみのひとつです。広い,とてつもなく広大な公園ですが,ほとんどくまなく歩いて知悉していますので,風景をみるだけで,からだに刻まれた記憶が呼び覚まされます。ヴェルヴェデーレ宮殿も同じです。ここには美術館も博物館もありましたので,少し遠かったですが,よく通いました。わたしは,美術館・博物館の年間会員になっていましたので,どこも,全部,フリーパスでした。

ニューイヤーコンサートの会場となるウィーン楽友協会の内観も,毎年,少しずつ変化しているように思います。いつも,とてもきれいですが,ことしはとびきりきれいにみえました。古い建物ですので,客席はそんなには多くないので,ここのチケットを手に入れるのは至難の業だといわれています。とくに,ニューイヤーコンサートは,大手の旅行会社がまとめ買いをしてしまいますので,大変です。しかも,楽友協会の年間会員という人も相当数いるわけです。ですから,どうしても聞きたいという人は,一番奥の最上階にある立ち見席のチケットを購入します。わたしも,何度か,この席からコンサートを視聴したことがあります。

演奏時間は,日本時間の午後7時から3時間。日本との時差は8時間ですので,ウィーンの午前11時から午後2時までということになります。ですから,天気のいいときには外の景色がリアル・タイムで映し出されることがありますが,ことしは録画でした。つまり,夏の景色でした。ウィーンの冬は,ほとんど毎日,黒い雲が低く垂れ込めて,太陽がどこにあるのかさえわからないほどです。ほんとうに,暗くて長い冬です。そんなことも思い出しながらニューイヤーコンサートを視聴していました。

また,いつか,ウィーンにでかけてみたい,そんな気持ちが久しぶりにわきあがってきました。
さて,ことしはどんな年になるのでしょう。少しでも,ほんの少しだけでもいい。上を向いて,夢と希望をいだきながら生きることのできる年にしたいものです。

みなさんにとってもいい年になりますように。


2012年1月1日日曜日

あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

あけましておめでとうございます。
ほんねんもどうぞよろしくおねがいいたします。

108の煩悩を鐘で打ち鳴らして・・・というわけにはいきませんでしたが,とにもかくにも,新しい年はこのわたしのところにもやってきました。この108という数字が四苦八苦にも関係していると知り(わたしの好きな作家で禅僧の書いているブログより),ああ,そうなのか,となんだか深く納得。四苦(36)八苦(72),合計108というわけです。

まあ,単純な語呂合わせにすぎませんが,そうでもなさそうに思えてくるから不思議です。四苦は,生・老・病・死の四つ。八苦は,愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦の八つ。 じつは,この四苦八苦については,かなりむかしから気になっていました。なぜ,お釈迦さんは,これらを「苦」と考えたのか,そして,これらの「苦」との折り合いをつけるために,修行しなければならないと考えたのか。修行をしなければ,これらの「苦」を乗り越えることはできないのだろうか,と。

わたしは,あるときから,これらは「苦」でもなんでもない,と考えるようになりました。そして,むしろ,これらこそが「人が生きる」ということの,ありのままの姿ではないか,と。人間は,ひとたびこの世に生をうけたからには,みんなこういう道をとおって,やがて死にいたるものだ,と。そう思えば,これらは「苦」でもなんでもない,と。

おやおや,元旦早々からこんな話をはじめるとは夢にも思っていませんでした。これもまたなにかのご因縁というものなのでしょう。そんなこころに,ふと,させてくれるなにかがこのところ多くあり,いや待てよと考えています。なにか,別世界とのつながりができつつあるのでしょうか。あるいは,ひょっとしたら,ことしは,もうひとつ上のランクで達観できる予告かもしれません。

とまあ,自分にとっていい方に解釈して,新年を言祝ぐことにしましょう。

ことしは,なんと言っても第2回日本・バスク国際セミナーの開催が待っています。神戸市外国語大学の竹谷さんが事務局長として取り組んでいる4年がかり(実際には5年目)の企画です。テーマは「伝統スポーツとグロバリゼーション」です。タイミング的にも,「3・11」を通過して,これからの日本を,そして世界を考えなくてはならない,きわめて重要な年でもあります。フクシマといういつ果てるとも知れない大きな試練,沖縄の基地移転問題,そしてTPPという,いずれも日本の地域に固有の生業と地域に固有の文化のあり方を直撃する大問題を避けてとおることはできません。

「ISC・21」(21世紀スポーツ文化研究所)を主宰するわたしとしては,これらの問題と「21世紀のスポーツ文化」を考えることとは,一直線につながる重大なテーマであると考えています。ですので,おのずから力が入ってきます。ことしも,東京・名古屋・大阪(ときに,神戸・奈良も)の三つの都市を巡回して月1回開催される「月例会」を中心に,多くの企画を考えて,活動を拡大していきたいと夢見ています。紀要の刊行,単行本企画,Web上での情報誌,そして,このブログと,大いに楽しい年になるよう頑張りたいと思います。

また,太極拳の稽古の場所も,大岡山から溝の口に移して,李老師の住むマンション(じつは,わたしも同じマンションの住人)の集会室を借りて行うことになりました。ここなら,たぶん,毎週,稽古をみてもらえるのではないか,と期待して。李老師もつよく薦めてくれた結果の決断でした。といいますのは,稽古の質が高くなってきたので,もう少し広いスペースで稽古をしないと,伸びやかな太極拳にならなくなる,と李老師から注意されたからです。1月4日(水)が太極拳の稽古始めとなります。これまでどおり,西谷さん,柏木さん,関口さん,斎藤さん,藤山さん,そしてわたしと計6名。そこに,李老師が顔をみせてくれれば,最高の稽古となります。

そんなこんな,いろいろ楽しい夢を描いています。
こんなこともふくめて,ことしも去年にもまして,ご支援のほど,よろしくお願いいたします。

取り急ぎ,新年のご挨拶まで。


2011年12月31日土曜日

この一年を振り返って。露呈した日本のありのままの姿に茫然。

いよいよ,ことしも暮れていく。なにがあっても時間は過ぎていく。待ったなし,だ。年々歳々,人はむかしから,こんな風にして生きのびてきたのだろうか,と不思議な気さえする。でも,それが現実であり,ありのままの人間の生きる姿なのであろう,とも思う。

それにしても,この一年は,いつもとはまったく異なる年だった。しかも,ショックだった。もちろん「3・11」がその引き金になっていることは事実だが,それによって露呈してきた,あまりにも不甲斐ない日本という国を動かしている人びとの,犯罪にも等しい「無責任」体制を目の前にしたショックだ。おそらく,この感慨はわたしひとりだけのものではないだろう。

その一方では,哀しみを内に秘めて被災から立ち直るべく渾身の努力をつづけている人びとがいる。その人びとに,貧者の一灯をともすべく義援金を投じた人びとも少なくない。そして,いまもなお,フクシマでは線量計とにらめっこしながら,被曝覚悟で仕事に取り組む人たちがいる。さまざまなボランティア活動に新たな可能性を見出そうと踏ん張っている人たちもいる。なにもできないが,せめて,デモの行進に身を投じて,ささやかな意志表明をしようという人たちもいる。いろいろの人たちが身を寄せ合って,なんとかしてこの難局を乗り切ろうと必死に頑張っている。こちらに眼を向けると,日本も捨てたものではないなぁ,とも思う。

わたしも,ささやかながら,デモにも参加し,現地にも立ち,「3・11」をめぐる発言(講演,シンポ,など)もしてきた。そして,多くの人びとが,もっともっと積極的な意志表明をつづけている。新聞などのアンケート調査によれば,約7割の人が「原発推進」に反対しているというのに,日本を動かす立場にある人たちは,そういう国民の意志を無視して,原子力ムラの住民としての姿勢を崩さない。それどころか,アメリカの「いいなり」だ。

沖縄のアメリカ軍の基地移転問題も,「評価書」搬入に典型的に現れているように,一方的な押しつけをして頬被り。これでボールは投げた。あとは,打者の問題だ,と言わぬばかりに(アメリカに向けての体裁づくり)。敗戦後,すでに70年になろうとしているのに,わたしたちは,いまだにアメリカの軍事基地を沖縄県民に押しつけたままである。せめて県外移設を,という沖縄県民の意志(悲願というべきか)を,どうして酌み取ることができないのか。

「評価書」搬入が大きなニュースになりかけたところに,消費税の増税をタイミングよく打ち上げ,あっという間に「評価書」問題はニュースから消えてしまった。そして,正月を過ぎたころには,本土の人びとの意識からも消えてしまうだろう。こんなことの繰り返しばかりだ。こうして,沖縄だけは,ずっと「継子」扱いにされてきた。もっとも過酷な軍事基地を70年近くも背負わせて。

復興という,だれも否定できない大看板をかかげて,政府民主党は,かつての自民党政権ですらできなかったことを平気でやり通そうとしている。政権交代の大義名分はどこに行ってしまったのか。わたしたち選挙民の意志は,いつのまに「手品」のようにすり替えられてしまったのか。こんな政治をやっていいとはだれも認めてはいない(原子力ムラの住民を除いて)。

沖縄もフクシマもTPPも,みんな「復興」という大義名分のもとに,わたしたち国民はいいように翻弄されている。まさに,「眼くらまし」状態だ。そこから一刻も早く目覚めなくては・・・・と焦るばかり。

来年こそは,正念場だ。アメリカのいいなりになっている政府民主党の思考や眼を,そうではない,と声を大にして叫び,わたしたち国民に向けさせなくてはならない。これができなかったら,日本という国に夢も希望もなくなってしまう。そういう大転換期だ,とわたしは覚悟している。

なにはともあれ,ことしとの別れを惜しみつつも,来年に向けて身もこころも一新して,新たなスタートを切りたいものである。

みなさんも,よい新年をお迎えくだい。

2011年12月30日金曜日

「3・11」の政治利用に励む政府・民主党に絶望。つまりは,原子力ムラの住民たちの思うまま。

とうとう消費税の増税に踏み切った民主党。政権交代の志はどこに行ってしまったのだろう。これでは国民を騙し討ちにしたのも同然だ。こんなことがまかりとおるとなれば,上(かみ)から下(しも)まで,なんでもあり,が大手を振って歩くようになる。若者たちだって,政治に失望するどころか,まじめに努力する意欲を失ってしまう。うまいこと,めくらましをかまして,その場をやりすごせばいい,そういう風潮が世の中にひろまっていく。

この一年を振り返って,わたしは日本という国に失望している。いや,絶望していると言った方がよさそうだ。とりわけ,「3・11」以後の政府与党を筆頭に,野党である自民党,その他の政党も全部ひっくるめて,日本には骨のある政治家がいなくなってしまった,と。だれも責任をとろうとはしない。いざとなると,みんな逃げてしまう。調子のいいところにはしゃしゃり出てくるが,都合が悪くなるとどこかに雲隠れ。「3・11」以後の日本の運命を担った政治家,財界人,官僚,学者,メディア,みんな揃って,なんだか夜盗の集団ではないか,とさえ思う。

信頼して乗り換えた『東京新聞』ですら,今日の朝刊のどこを探してみても,沖縄の米軍普天間飛行場の名護市辺野古への県内移設に向けた環境影響評価(アセスメント)の評価書をめぐる情報はどこにもない。みごとに政府の放った「めくらまし」(大相撲でいう「猫だまし」)にひっかかってしまったのだ。これでは政府の思うツボだ。もう,どうにも身動きできなくなって,無理やり送り届けた「評価書」問題で,沖縄の人びとは暮れも正月もなく,怒りに燃えている(という情報がわたしのところには届いている)。ヤマトンチュウの心ある人びともまた,政府のあまりに一方的なやり方に対して,怒りに燃えている。少なくとも,多くのヤマトンチュウは,こんなことをしていていいのか,と批判的になっているはずだ。

そこに,じつに,タイミングよく消費税の増税を民主党として決定した,という情報である。この情報にみごとに塗りつぶされて,あっという間に,沖縄の「評価書」の問題が,人びとの意識から霞んでいってしまう。これも政治の戦略のひとつだそうだ。つまり,計算しつくした戦略なのだ。だから,なおのこと腹立たしい。

ことほど左様に,フクシマ問題に関する情報も一休みしてしまう。これで,当分の間,消費税の増税問題でメディアを占領することができる,それだけで十分だ,と民主党も政府も「ニンマリ」していることだろう。しかも,「議員削減などの3条件」付きなので,この増税案の実現はほとんど不可能になったともいわれている。だとすれば,単なる時間つぶし,ということになる。なんのための?そう,フクシマ問題をぼやかすための。

つい,昨日のニュースに,福島第一原発では「20年前にも事故」があった,と東電が発表した,というものがあった。これの詳しい情報が知りたい。にもかかわらず,これもまた「増税」でもみ消しにされてしまった。

なにを隠そう,この増税案だって,フクシマの事後処理もふくめ,東日本大震災の「復興」のためという大義名分を立てた「めくらまし」にすぎない。こうして,いま,一番喜んでいるのは「東電」さまである。話題ができるだけ,あちこちに散ってくれた方がいい。その影に隠れるようにして,つぎなる「手」を考えていればいい。

わたしは不思議でならない。「3・11」から9カ月が優に過ぎたというのに,つまり,福島第一原発が暴走をはじめて,大変なことになっているのに,東電の担当者のだれひとりとして「わたしが間違っていました」と名乗りでる人がいないことだ。あるいは,事故原因を,ここまで「ごまかし」つづけていて平然としていられる,その神経に。しかも,われわれは間違ってはいなかった,と居直ってさえいる。恐るべき神経の持ち主たちである。

にもかかわらず,政府は東電の国有化を考えている,という。このまま,丸抱えで。とんでもない。もし,国有化するのであれば,まずは,東電という会社を破産させて(すでに,破産しているのだから),会社更生法にかけて,人心を一新した上で国有化すべきではないのか。

それすらも,しようとはしない。なぜか。原子力ムラの住民が許さないから。つまり,いまや,政府与党など,どこ吹く風とばかりに,一致団結して,自分たちの利権を守り抜くために全力をそそいでいるから。それほどに,東電が長年にわたって,ばらまきつづけてきた「贈与」の恩恵にあずかってきた人びとの勢力は大きいということなのだ。「贈与」という名の「わいろ」,これすらメディアは報道しようとはしない。なぜなら,メディアもまた,東電の「贈与」の恩恵にあずかってきた主流派なのだから。

断っておくが,「贈与」とは,英語では Gift という。この Gift には「毒」という意味もある。「贈与」をいただくということは,同時に「毒」もいただくことになる。長年にわたっていただきつづけた「贈与」の中の「毒」が,いまや,全身にまわってしまっていて,もはや,身動きできないほどの「重体」になってしまっている・・・・。そのことに,原子力ムラの住民たちは気づいているのだろうか。

いまもなお,東大医学部の某助教授(新聞記事なので実名を挙げてもいいのだが)は,朝日新聞社とガン対策協会との共同主催による講演会に招かれて,放射能による汚染は大したことではない,と学校の子どもたちに向けて,もっともらしい話を聞かせている,という(詳しくは,能面アーティスト柏木裕美さんのブログを参照のこと)。

まだまだ,いい足りないことがたくさんあるが,この一年は,国の中枢を形成している人たちが,これほどまでに「嘘つき」であったのか,ということを思い知らされた一年でもあった。このことは,悲しいどころか,情けない。半信半疑ながらも,国の中枢にいる人びとは,もう少し,しっかりしている人びとだと信じていた。しかし,そんなイメージはどこかにすっ飛んでしまっている。それどころか,あちこちに火を点けてまわって,問題の本質をぼやかすことばかりに奔走しているかのようだ。その総仕上げをドジョウ総理はめざしているようにみえて仕方がない。

これでは,沖縄の人びとも,避難生活を余儀なくされている被災者のみなさんも,永遠に救われない。消費税の増税問題は,わたしたちが,いま,真っ正面に据えて考えなければならない「本質」を,いかに逸らし,隠すために放たれた絶妙な一矢なのだ。

わたしたちは,東日本大震災復興のために,という旗振りの影に沖縄の「評価書」問題が隠蔽されようとしている,という事実を忘れてはならない。

「3・11」以後,多くの日本人が賢くなった,とわたしは信じたい。これだけ騙されつづけてきたのだから。これからは,しっかりとしたアンテナを立てて,騙されないようにみずからの身を守るしかない。国はなにもしてはくれない。情けないが,それが現実だ。

来年からは,そこを起点にして出発したい。いよいよ,ことしのどん詰まりを迎えて,自戒を籠めて,こころからそう思う。

〔追記〕
原子力ムラのいいなりになるということは,じつは,アメリカのいいなりになる,ということでもあります。併せてお考えいただければ幸いです。

2011年12月29日木曜日

カズオ・イシグロが『わたしを離さないで』に仕掛けた2重3重の罠を読み解く。

少し前に,映画『わたしを離さないで』のDVD版についての短い評を書いてくれ,という依頼があった。その評の冒頭に「出自の明らかでない子どもたち」と書いたところ,この映画に登場する子どもたちはみんなクローンなので,この書き出しは誤解を招きやすいから一考を要す,という編集者からのコメントが入った。

わたしの記憶では,カズオ・イシグロは原作の小説でも,そして,この映画でも,この子どもたちがクローンであるとは断言してはいない,そう思わせる描写はあるが・・・・,というものであった。だから,驚いて,もう一度,急いでDVDを見なおしてみた。映画の方は,小説よりもはるかにメッセージ性を鮮明にさせ,このストーリーのふところの深さをわかりやすく前面に押し出す手法をとっている(優れたシナリオになっていると思う)。

しかし,再度,確認した結果でも,わたしの記憶どおり,この子どもたちがクローンであるとは断定していない。この子どもたちが成長していく途上で,自分たちの「オリジナル」探しをする話が,映画の中盤のひとつの山場をなしている。その場面では,彼ら自身がみんなクローンではないかという「噂」を信じている様子が描かれている。しかし,その一方では,その「噂」を信じたくないという葛藤も描かれている。けれども,彼らがクローンであるという断定は,どこにもない。

カズオ・イシグロが,この映画のなかに仕掛けた重要な罠のひとつは,この「噂」をめぐる問題系にある,とわたしは受け止めている。それが太い柱となってこの映画を構成するテーマとなっている,と。そして,「噂」というものが,いかに,根拠のない,あいまいなものであるか,いかに,人間はこの「噂」を信じやすいか,騙されやすいか,ということをカズオ・イシグロはこの映画のなかで,きわめて念入りに2重3重に仕掛けている,とわたしは読み解く。ここを見落としたら,この映画の大半は意味を失ってしまう,とすら考えている。

人間は幻想なしには生きてはいけない。いい悪いは別にして,人間は,自分にとって都合のいい,あるいは,納得しやすい幻想は,いとも簡単に信じてしまう。そして,その幻想を大事に温めながら,それに依拠して生きていく。人間にとって,ある種の幻想はきわめて大事なのである。と同時にきわめて危険でもあるのだ。だから,この幻想を,権力者たちは巧みに操る。「噂」はその最たるものだ。

この幻想が,厳しい現実の前でもろくも崩れ落ちていく,それがこの映画のラスト・シーンのクライマックスになっていることは,だれの眼にも明らかだろう。真実の愛が証明されれば恋人同士の延命が,ほんの2~3年とはいえ認められるらしいという「噂」を信じて,トミーとキャシー・Hはその嘆願にでかける。が,そんなものはない,単なる「噂」に過ぎなかったということを知って,その帰途,原野の闇夜に向かって「絶叫」するトミー,その絶望を共有しようとするキャシー・Hとがひしと抱き合いながらも,膝から崩れ落ちていくトミー,それを支えきれないキャシー・H。じつに象徴的なシーンである。

じつは,ここに到達するまでには,いくつもの伏線がこの映画のなかには埋め込まれている。冒頭にでてくる「噂」は,子どもたちの生活の場であり,学びの場である「囲い込まれた」敷地の<外>にでると,生きては戻れない,という「噂」をすべての子どもたちが信じて疑わない,という場面だ。ボール遊びをしていて,敷地の囲いの近くまで転がっていったボールを,だれひとりとして拾いには行こうとはしない。それをみていた新任の先生(女性)が,こどもたちに,なぜ,ボールを拾いに行かないのか,と問い詰めたときのこどもたちの応答がこれだった。「生きては帰れなくなる」という「噂」を信じて疑おうとはしない。

これは,彼らがものごころついたときからの「刷り込み」でもある。その「刷り込み」の最たるものが,将来は「臓器提供者」となるべき使命(ミッション)を,あなた方は背負っているのだ,というものだ。そして,この使命を疑おうともしない。教育というものの恐ろしさを思い知らされる場面だ。戦前の国民学校に入学したわたしは,将来は,「立派な兵隊さんになって,お国のために役立つこと=死ぬ」ことを信じて疑おうとはしなかった。その記憶がまざまざと蘇ってきた場面である。映画のなかの校長先生(女性)のみごとな説話(毎朝,行われている)の語り口。凛とした,あの威厳に満ちた姿勢は,こどもたちをその気にさせる恐るべき力をもっている。

言ってしまえば,意図的・計画的な「洗脳」教育がここではみごとに実践されているのである。このことの恐ろしさは,わたしたち大人でさえ「原発安全神話」を信じ込まされてきた経緯をとおして実証済みだ。こういう「噂」をテコにした「刷り込み」や「洗脳」は,あの手この手で,現実の世界のいたるところで行われている。それらの「怪情報」をいかにかいくぐって間違いのない人生を生きていくべきか,そのリテラシー教育さえ,まじめに議論されている時代だ。この情報化社会の空恐ろしい落とし穴だ。このことは,ここではひとまず,措くとしよう。

この映画は,わたしたち観客をも巻き込んで,この「噂」「刷り込み」「洗脳」を展開している。まずは,映画の冒頭の「DNA」という文字が全面に羅列された映像がつよくわたしたちの脳裏に刷り込まれていく。わたしたちの無意識のなかに「DNA」がスルリと入り込んでくる。しかも,科学の驚異的な発達の結果・・・・,という字幕も入る。これも,みごとなカズオ・イシグロの仕掛けた罠だ,とわたしは受け止めている。だから,映画の主人公たちがオリジナル探しをはじめると,もう,無意識のうちに「ああ,クローンなのだ」と観客のほとんどは,なんの疑いもなくそう思い込んでしまう。しかし,そう断定できる場面はどこにもない。

こうした,カズオ・イシグロの仕掛けた罠は,あちこちに仕掛けてあって,じつはきわめて複雑な構造をなしている。その一つひとつは,映画をみながら確認してみていただきたい。じつに手の込んだ,綿密な計算の上に成り立っていることがわかる。原作の小説はもっともっと精密に,しかも読者の想像力を無限にかき立てる力をもって,描写されている。

映画の方は,すでに,クローンを取り扱った映画だという「噂」は定着しつつある。しかも,完全なるフィクションであるにもかかわらず,さも,現実にありうる話であるかのようなリアリティをもってわたしたちに迫ってくる。しかも,過去の話としてクローンの問題を取り扱っている。しかし,それでもなお,クローンではない可能性をも想像させる仕掛けをカズオ・イシグロは,この映画のなかに埋め込んでいる。それがわたしの理解であり,感動なのだ。

クローン以外の,堕胎児や,捨て子や,場合によっては誘拐されたり,売買されたり,といった具合にして「出自が明らかでない子どもたち」である可能性も,十分に残されている。ヤン・ソギルの小説には,東南アジアのどこかを舞台にした少女たちの人身売買と臓器提供の裏社会を描いた作品がある。これもまた衝撃的な作品になっている。他方,イギリスとはいえ,「過去」の国策として「臓器提供者」を確保するという前提に立てば(つまり,フィクションとして),なにもクローンに限定しなくても(あるいは,クローンと見せかけることによって),「出自の明らかでない子どもたち」を掻き集めてきて「洗脳」することは,十分にリアリティを持ちうることになる。

ここまで想像力を働かせることを,カズオ・イシグロはこの映画のなかで仕掛けている,とわたしは読み解く。つまり,あらゆる想像力をかき立てるべく,さまざまな罠が仕掛けられている,と。また,その方がはるかに映画としてのふところの深さ,奥の深さが増してくる。あまりに,単純に,クローンだと決めつけることを,たくみにカズオ・イシグロは忌避している,とさえわたしは考えている。こうして,この映画の含みもつ空恐ろしさにわたしは襲われる。

だから,仮に,この子どもたちがクローンであったとしても,その「出自」(=オリジナル)が明らかでないことに変わりはない。ここまで,わたしは解釈した上で,「出自の明らかでない子どもたち」という文言を修正する必要はない,と結論を出した。そして,その結論だけをメールで,くだんの編集者に伝えた。編集者からは,わたしの評を読んだ某女流作家から「誤解を招く恐れあり」という指摘があったので,そのまま鵜呑みにして返してしまった,申し訳ない,わたしが確認をすべきことがらでした,という詫びのメールが返ってきた。

この問題については,わたしの敬愛してやまない,この編集者と膝を交えて,とことん議論をしてみたいと思っている。彼がどのようにこの映画を読み解いているのか,を。とりわけ,この映画を「究極のラブ・ロマンス」と見出しを付して評した,プロの映画評論家(新聞に書いてあった)のあまりのお粗末さを,酒のつまみにして。できることなら,ジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』の仮説にもとづいてこの映画を読み解くと,なにが,新たな「知」の地平として浮かび上がってくるのかを。さらには,西谷修の『理性の探求』で提示された「狂気と化した理性」の視点から,この映画を読み解くと・・・・ということも。

「人間の生を理解することもなく,みんな終ってしまう」というキャシー・Hのひとりごともまた,単に,この映画の登場人物たちに限られることではなく,現代社会を生きるわたしたちのすべてが考えなくてはならない普遍のテーマなのだ。「人間の生」とはなにか。「3・11」以後を生きるわたしたちにとっては,もはや避けてとおることのできない,もっとも切実なテーマなのだ。

この議論の場に参加ご希望の方は,お知らせください。定員2名まで。ただし,バタイユと西谷修の本を相当に深く読み込んでいる,というのが前提条件。居酒屋『延命庵』の催しものとして。無料。飲食物持ち込み自由。

2011年12月28日水曜日

『東京新聞』の新規の購読者が増えているそうです。

数カ月前に『東京新聞』の集金にきた若いお兄ちゃんに,「『東京新聞』応援しているからね。頑張って!」と声をかけたら,「ありがとうございます」と言って,ペコリと頭を下げたことがある。その頭の下げ方が気に入ったので,「ブログでも応援してるんだよ」と言ったら,「えっ,そうなんですか?ありがとうございます」と,ふたたび,こんどはもっと深く,ペコリと頭を下げた。いまどきの若者にしては珍しいなぁ,と思っていた。

数日前,ふたたび,そのお兄ちゃんが集金にやってきた。嬉しそうに,ニコニコしている。だから,「調子はどう?購読者は増えている?」と声をかけた。そうしたら,「ありがとうございます。昨日3軒,今日も2軒,購読の申込みがありました」という。「それって,凄いことじゃないの?」とわたし。「はい,そうだと思います」とお兄ちゃん。

「最初のころにはゴタゴタがあってご迷惑をおかけしました」とお兄ちゃん。このゴタゴタとは,『東京新聞』がこれまでの新聞配達店から独立して,独自に新聞配達と集金をはじめたことに対する,それまでの新聞配達店がとった妨害行為(じつに,いやらしい「イジメ」のビラを配布したこと)のこと。「最初はなんだろう?なにごとだろう,と不思議だったけれども,すぐに,単なる「イジメ」だということはわかったよ」とわたし。そして,「そんなことは,もう,心配することはないよ」と。「それを聞いて安心しました」とお兄ちゃん。

「ところで,『東京新聞』の購読者が増えていくのは,なぜか,知っている?」とわたし。「さぁ?」と言って首を傾げるお兄ちゃん。「『東京新聞』が脱原発を宣言して,その方針に添って記事が書かれるようになったからだよ」とわたし。「ああ,そうなんですか」とお兄ちゃん。なんだ,そんなことも知らずに新聞を配達しているのか,とちょっと「ムッ」ときたわたし。折角,いい会話ができているのに・・・,そんなものかなぁ,と。

しかし,それは杞憂だった。というか,逆に驚いた。唐突に,「ぼく,福島出身なんです」という。「どこなの?」「福島第一原発から5キロのところにある村です」「えっ,じゃぁ,避難してきたの?」「そうです」「それで新聞配達をはじめたの?」「そうです」「そうかぁ,じゃぁ,大変だったんだねぇ」「ぼくらは帰ることができるでしょうか」「5キロかぁ,ちょっと大変だよねぇ」「南相馬でも,若い人たちはだれも戻っていない,と聞いています」「安心して住めるようになるまでには,ちょっと時間がかかるんだよねぇ」「もう,絶望でしょうか」。ここでちょっと詰まってしまったが,ここで怯んではいけないと自分を鼓舞して「いや,希望は捨てちゃァ駄目だよ。必ず故郷に戻るんだという希望はもちつづけていた方がいい。これを失ったら,生きがいをなくしてしまうからね」「ぼくもそう思います。でも,遠いさきのことですよね」「時間のことはわからない。でも,希望は持ちつづけようね」「ハイッ,ありがとうございます」と,またまた,ペコリと頭を下げた。そして,「済みません。自分のことをしゃべってしまって」「いやいや,そういう人に直接会って話を聞いたのは初めてだったので,とても勉強になったよ」「ありがとうございます。また,こんごともよろしくお願いします」と言って,帰っていった。

とても,爽やかな,いい青年だった。こうして頑張っている福島の若者が,こんな身近にいたということを知って,なんとなく「じーん」とくるものがあった。そして,しまった,名前を聞いておくのを忘れてしまった。こんど集金にきたら,もう少し話を聞いてみようと思う。できることなら,集金とは別に,ゆっくり話を聞いてみたいと思う。ひとりの人間として。

ほんとうに短い会話だったけれども,久しぶりになにも知らない若者と気持ちの通い合うものを感じて,ちょっとだけ嬉しくなった。こういう会話が,最近は,とみに減ってしまった。もっと積極的に,こういう会話ができる場を確保することが,これからの課題だ。やはり,被災地にでかけ,その現場に立ち,そこでの人との出会いをとおして,わたし自身にゆさぶりをかけていかなくては・・・・としみじみと思う。そうしないと,自閉したまま,自己完結してしまう。これではいけない。フットワーク軽く,ここぞと思うところにはでかけなくてはいけない。

この年の瀬に,こういう若者と出会うことができたのは,やはり,なにかの暗示とでもいうべきか。来年は,もう少しだけ「移動」することを考えてみよう。思い立ったが吉日ということばがある。そのとおりだと思う。忙しさにかまけて,自己のうちに閉じていてはいけない,と。

西谷修さんのブログをみると,じつに軽快に,動いている。有馬記念のレースもちゃんとみているし,ふっと思い立ったように仙台に1泊2日ででかけている。そして,ガンジー金田などという不思議なお坊さんとの出会いを楽しんでいる。漁民の話も書いている。人間だなぁ,としみじみ思う。わたしには,こういう素直な行動力が足りない。

来年は,「離脱」と「移動」──これは,西谷修さんの本のタイトルでもある──をテーマに,新たな人生設計をしてみようと思う。『東京新聞』の新規購読者も増えているというし,城南信用金庫も順調に伸びているというし,新聞配達のお兄さんも元気溌剌だし・・・・,こんどはわたしの順番だ。

来年に向けて大掃除でもしようか。

2011年12月27日火曜日

ついに賀状を断念。暮れ,正月もなし。恥ずかしながら。

いよいよ暮れも押し迫ってきました。
いまも,駅前やスーパーの入り口などで賀状が売られています。その人たちの顔をみていると,どう考えても郵便局の正社員ではなさそうです。どういう人たちなのだろう,と想像しながらそこはかとなく観察しています。なんだかものの哀れを感じます。

ずっと年賀状をなんとかしなくては・・・・と考えつづけていましたが,どう考えても賀状を書くだけの瞬発力と持久力が足りない,ということに気づき,とうとうことしは賀状を諦め,断念することにしました。いよいよそういう時期がきたか,と複雑な気持ちです。賀状大好き人間にとっては,とても寂しいかぎりです。

若いころに,定年退職された先生から「ことしをもって賀状は最後にします」という添え書きのある賀状をいただき,なんとも寂しい思いをしたものです。しかし,わたしの方からは賀状を出しつづけましたが,なんだか空しい気分でした。でも,わたしも,いつのころからか,賀状はもういい,と思うようになりました。とりわけ,肉筆の痕跡がどこにも確認できない賀状が増えはじめたころからは,そう思うようになりました。

かく申すわたしもまた,宛て名書きと添え書きだけは自筆で,あとは印刷になってしまいました。むかしは,版画を彫って,刷って(元気のいいころは3色),宛て名は毛筆で,添え書きは万年筆で,と凝った賀状に仕立て上げ,それを出すことを楽しんでいました。同じことをする友人もかなりいて,毎年,楽しみにしていたものです。が,その数も次第に少なくなり,いまでは例外的にしか版画の賀状は手にすることはできなくなってしまいました。のみならず,表書きまでパソコンでプリントアウト。それが当たり前になってきました。そういう時代なのだなぁ,と感慨一入です。

それでも,賀状を断念する気持ちは複雑です。いくら多忙とはいえ,書こうと思えば書けるはずです。しかし,そのためには肝心要の瞬発力と持久力が必要です。ひとことで言えば気力と体力です。このふたつを賀状にそそぐだけの余力がなくなってしまった,というのが実態です。もういい,暮れ・正月はのんびりと過ごそう,と。そういう心境になってしまった,ということです。これはいいとか,悪いとかの問題ではない,からだの問題だ,と居直って。

その代わりと言ってはなんですが,このブログで新年のご挨拶をさせていただいて・・・・と自分を慰めることにしています。どうか,これまで賀状の交換をさせていただいた方々には,この場をお借りして,お詫びとご報告をさせていただきます。どうぞ,ご寛容のほどを。

しかし,賀状を断念する以上は,賀状に代わる内実のあるコミュニケーションのとり方を新たに工夫する必要があります。人間はひとりでは生きていけませんから。やはり,大勢の人に支えられて生きているという現実に背を向けることだけはしてはならない,と肝に銘じています。

このブログもそのためのひとつの方法だと考えています。が,それだけでは抜け落ちてしまう恩人たちがたくさんいます。その人たちに向けて,日常的に,どのように向き合うかを考えてみたいと思っています。なかなかいいアイディアが浮かびませんが・・・・。

というわけで,恥ずかしながら,ことしは暮れ・正月もなしの日常の生活を送ることにしました。その分,いつもよりも出だしのいいスタートを切りたいと思っています。まあ,そのくらいに追い込まれていることも事実ですので・・・・。

みなさんの,無事の越年を,こころからお祈りしています。



2011年12月25日日曜日

『ボクシングの文化史』(東洋書林・監訳)を手にして感慨無量。

ことしもいよいよ暮れていく,このタイミングで首を長くして待っていた『ボクシングの文化史』(東洋書林・監訳)を手にすることができました。いま,とどいたばかりで,まずは,「監訳者あとがき」をチェック。トンチンカンなことを言ってないか,ここだけは気がかりでした。短い時間の制約のなかで急いで書いたものでしたので・・・。

前のブログにも書きましたが,予定では,12月15日に見本刷り,20日発売,ということでしたので,どの段階で完成品を手にすることができるかなぁ,と心配していました。といいますのは,19日には神戸に入って集中講義に備えていなくてはなりませんので,実際に受け取れるのはそれが終って帰宅してからになるからです。でも,できることなら,実物を持って神戸に乗り込みたいなぁ,という願望はありました。

ところが,20日の朝,訳者のひとり月嶋君に会ったら,もうすでに書店に並んでいます,すでに,1冊購入しました,という。「えっ!?」とわたし。「そんなはずはない」「いいえ,ほんとうです」という会話がありました。

で,実際に手にして眺めたのは23日の「ISC・21」12月神戸例会の席でした。主催者の竹谷さんが持ってきてくれました。そして,「情報交換」の時間帯に,この本を紹介してほしい,と。大急ぎであちこち眺めて,あとは,記憶を頼りに,この本のセールス・ポイントを紹介。

『ボクシングの文化史』,カシア・ボディ著,稲垣正浩監訳,松浪稔+月嶋紘之訳,東洋書林,2011年12月31日,第一刷発行,4,800円,本文570ページ,参考文献・索引など18ページ。

著者はカシア・ボディ。女性です。まずは,この点で,最初の驚きがありました。彼女は,ロンドン大学などの大学で,メディア論,文化論,現代英米文学論などの教鞭をとるかたわら,著述家として活躍。もちろん,大のボクシング・ファン。マニアックなほどのボクシングへののめり込み方が,この本を読んでいてもじかに伝わってきます。ボクシングに寄せる「愛」の深さは微笑ましいほどです。

いわゆるスポーツ史やスポーツ文化論を専攻する研究者とは違って,まずは,文学作品のなかに描かれてきたボクシングの記述を徹底的に洗い出し,そこに図像資料をクロスさせながら,古代ギリシアのむかしからこんにちまでのボクシングの変容を,懇切・丁寧に描き出しています。近代に入ってからは,絵画や彫刻にネットを拡げ,さらに,写真,ラジオ,テレビ,インターネットといったメディアがボクシングにいかなる影響を与えたかを,得意の「メディア論」「文化論」の手法で説き明かしていきます。みごとな手際のよさを遺憾なく発揮して,読者を魅了します。

わたしも,かなり早くから,スポーツ史研究に「文学作品」と「絵画資料」(彫刻も)を持ち込むことによって,新たなスポーツ史研究の可能性がひろがっていることを提示し,実際にいくつかの試みをしてきました(『図説スポーツ史』『図説世界スポーツ史』など,共著)。ですから,この著者のカシア・ボディの炯眼に,こころから同感し,共振・共鳴しながら,この本を読みました。

手にとっていただければ,すぐに,わかることですが,とにかく図像(写真もふくむ)がふんだんに取り込まれていて,それらを拾って眺めていくだけでも,存分に楽しむことができます。その上,カラーの綴じ込みページもあって,豪華そのものです。

巻末には,参考文献,参考映画,参考音源,ボクサー名索引,人名索引まで付してあります。この本を手がかりにして,もっと詳細なボクシング情報を得ようとする読者にとってはまことに便利な本になっています。ぜひ,手にとってご覧になられることをお薦めします。

最後に写真を掲載しておきますので,参考にしてください。


「けんちく体操」をする身体とはなにか。

「けんちく体操」の発想は20年も前にさかのぼる,と「けんちく体操」博士ことイサーム・ヨネ(米山勇)さんはいう(12月15日のトークショウで)。「えっ,そんなに前なんですか?」とは,「けんちく体操」ロボットの3人。つまり,ずっと長い間,温めてきたものを実践に移したのは10年ほど前とのこと。

「けんちく体操」のそもそものはじまりは,小さな子どものころから「建築」に興味をもってもらおう,そのためにはどうしたらいいだろうと考えた結果,自分のからだで「建築」の真似をする「体操」をしてみては・・・・ということだったそうです。初めのころは,みんなに笑われてしまって,何回もめげてしまったこともあったとは「けんちく体操マン」1号こと高橋英夫さん。

大の大人が,開脚姿勢で立ち,両手を頭の上に伸ばして,手の平を合わせて「ハイッ,東京タワー」とやるだけの「体操」。「そんなことをやっていて恥ずかしくないですか」と取材にきた記者に言われて,ショックだったと高橋さんはいう。

この話を受けて,わたしは,つぎのような話をした。
ここに,じつは,重大な問題が露呈している。体操は「まじめに」やるものであって,そんな「おふざけで」やるものではない,とふつうの日本人は思い込んでいる。つまり,学校教育をとおして刷り込まれている。そして,そこになんの疑問もいだかない。

わたしたちの頭に刷り込まれている体操は,ヨーロッパ近代になって登場したもので,そのはじまりは「医療体操」でした。明治のはじめに日本に入ってきた体操も,ドイツの医者シュレーバーの考案した「医療体操」でした。 とくに「姿勢矯正」に主眼がありました。あらかじめ「正しい姿勢」というものを規定して,そこに国民の身体をはめ込んでいくことを目的とした体操でした。まずは,健康なからだの標準が当時の医学の観点から規定され,すべての国民のからだを健康にすることが目的でした。

こうして,日本の富国強兵策の進展をささえる「強い兵士」と「頑強な労働者」を育成することを目指しました。ですから,初期のころの学校での「体操」は軍人によって指導されました。こうして,「体操」から「おふざけ」は一掃されてしまいました。「まじめに」,近未来に向けて努力する「勤勉さ」が近代を生きる人間の規範として浸透していきました。わたしたちは,その延長線上にいるわけです。

ですから,「体操」は健康のためにやるものだ,しかも「まじめに」やるものだ,と信じて疑いません。そこに「けんちく体操」の登場です。しかも,「けんちく」を好きになってもらうためにやる「体操」です。言ってしまえば,一種の「ものまね芸」です。「芸」であるということは,わたしたちが考えている「体操」とはまったく次元の違うものです。むしろ,面白奇怪しくやる「ふざけごころ」があった方が「芸」の幅はひろがります。しかも,そのひろがりは無限です。およそ健康などというものとは無縁です。

しかし,実際にやってみると,これはたいへんな「体操」です。「ふざけごころ」があるので,目指す「けんちく」の表現のためには相当に無理をしてでも頑張ります。そして,みている人に褒められると,ますます頑張ります。夢中になってやっているうちに,からだには相当の負荷がかかってきますので,筋肉痛を起こすことも稀ではありません。

「けんちく体操」は,からだを用いた「アート」の世界に属しているのではないか,というのがわたしが経験した上での理解です。なにより必要なのは「想像力」(創造力でもある)です。直観したイメージを,からだを用いて,どのように表現するか。これが勝負です。しかも,「けんちく」ですから,静止していなければなりません。動きを抑圧した「体操」です。

これまでの体操の領域には「組み体操」というものがあります。ピラミッドやタワーやブリッジを,集団で表現する組み体操をやったことのある人も少なくないと思います。しかし,こちらの目標は「難易度」の高さにあります。ですから,「おふざけ」は禁物です。

さて,この「けんちく体操」をする身体とは,いったい,いかなるものなのでしょう。生身の身体を「けんちく」にしてしまう,というのですから大変です。いわゆる,ヨーロッパ近代に出自をもつ「けんこう体操」は,自然である身体を,近代的健康観に当てはめていく「文化」的産物です。つまり,わたしたちの身体を「自然」存在から「文化」的存在へと変化させるものです。こんにちの,わたしたちの身体は,現代の「文化」そのものです。

しかし,「けんちく体操」をする身体は,この範疇からはいちじるしくはみ出しています。というよりも,むしろ,次元が違うと言った方がいいかもしれません。なぜなら,「けんちく体操」が目指すものは,「けんちく」を愛するこころを育てること,そして,そのために感性ゆたかに「けんちく」を表現することにあります。ですから,言ってしまえば,みずからの身体をどこまで「けんちく」に近づけることができるか,あるいは,「アート」の素材と化すか,ということになります。つまり,身体の「事物化」の極限を追求しているようにみえてきます。なぜなら,どこまで「けんちく」に成りきるか,一体化するか,が勝負なのですから。

ところが,「けんちく」と一体化したからだからは「快感」が湧き出でてきます。ここに,じつは,わたしはヨーロッパ近代が生み出した健康体操とは異なる,ある種の可能性をみています。ひょっとしたら,近代を突き抜けたさきの,後近代の「体操」となりうる可能性があるのでは?と。その意味で,この「けんちく体操」のこんごのなりゆきには注目したいと思っています。

いつか,「けんちく体操」博士のイサーム・ヨネさんをはじめ,「けんちく体操」ロボットのみなさんと,たっぷり時間をかけてお話をしてみたいなぁ,と考えているところです。わたしの研究会で,その場を設けてもいいなぁ,と。あるいは,一献傾けながら・・・・。ああ,やはり,最初のお話はこちらの方が良さそうですね。楽しみがまたひとつ増えました。

※文中に「からだ」と「身体」ということばが混在しています。これは意図的に仕掛けているつもりですので,お含みいただければ幸いです。

2011年12月24日土曜日

真板雅文先生の作品「風の道」を神戸市外国語大学で発見。

神戸市外国語大学での集中講義はことしで3年目。昼休みや,講義の途中の休み時間には,できるだけキャンパスの中を散歩しながら気分転換をはかっている。だから,キャンパス内の様子はだいたいわかっているつもりでいた。

しかし,昨日の散策の途中で,新たな発見があってびっくり仰天。いつも何気なく眺めていた不思議な形のモニュメントの存在が急に気になって,一緒に散策していた神戸市外大の竹谷先生に「あの作品はだれのものですか」と聞いてみた。「いやぁ,作者の名前までは知りません」という。そこで,近くまで寄っていって作者の名前を確認してみた。そこには「真板雅文・1984」とあるではないか。

あっと驚いて,「この人は世界的に活躍したアーティストです」とT先生に得意満面で説明。とはいえ,わたし自身もそんなに詳しいわけではない。もちろん,面識はない。ただ,作品は,とびとびながら現物や写真などでみて,なぜか印象に残っている。鉄,石,木,竹,などの素材をつかった作品が多く,一種独特の雰囲気のある作品だ。

神戸市外国語大学のキャンパスにある作品は,鉄でできている。制作年は1984年。真っ赤に錆びているのは,年数を経たからではなくて,そのような作品として最初から制作されたものなのだろうなぁ,と想像している。一見したところ,広島の原爆ドームを地上に下ろしてきたのかな,というように見える。ちょっと殺伐としたものを感じるのだが,しばらく眺めていると,少しずつ印象が変化しはじめる。しかも,みる位置や角度を変えると,それぞれに別の表情をみせる。そのうちに,変に曲がった鉄の小さな造形が小鳥にみえてくる。小鳥たちが群れて戯れているようにもみえる。そこを「風」が吹き抜けていく。(写真参照)

早朝の表情と,昼休みと,夕方では,その表情を変える。曇り空と晴れではまったく別物にみえる。こうなってくると,毎時間の休みの間にでかけて行って,じっと対面してみる。すると,いつのまにか,作品がこちらのからだに馴染んでくる。いや,からだが,作品に馴染んでいく,というべきか。そして,とうとう会話まではじまっていることに気づく。そのころから,「風」を感ずるようになる。なるほど,「風の道」だ,と。

インターネットで「真板雅文の略歴」というところを開いてみると,このアーティストがどれほどの活躍をした人であるかが一目瞭然である。しかも,驚くほどのご活躍である。世界を相手にした大活躍である。その略歴の最後のところに「野外彫刻・立体造形」(設置年代順)という見出しがある。そこのはじめの方に,「第9回神戸須磨離宮公園現代彫刻展でユニヴァーシアード神戸大会記念賞」(1984年)という記録がある。たぶん,「風の道」はこのときの作品ではないだろうか,とわたしは想像している。

1984年の翌年,1985年には,まさに,ユニヴァーシアード大会が神戸で開催されており,神戸市外国語大学のキャンパスには「記者クラブ」が設置されていたという(当時,毎日新聞社の記者であった玉置通夫さんの話)。大学がこの地に移転してきたのは1986年という(竹谷さんのお話)。ということは,真板先生が,賞をとられた所縁の地に,大学の移転を記念して寄贈されたのではないか,と想像をたくましくしている。

わたしは,能面アーティストの柏木さんをとおして,真板先生の存在を知った。彼女の話では,銀座の文藝春秋画廊で能面の展覧会をやっているときに,真板先生が来られて「貴女の作品は世界にでていく力をもっている」と感想を述べられた,という。それが嬉しくて,ますます制作に熱が入るようになった,という。だから,急に亡くなられたときには(心臓発作)悲しくて悲しくて,涙が止まらなかった,とのこと。そして,とうとう,その泣き顔を能面に写し取り,作品にしてしまった,という。

その作品を展覧会に出品したときに,その会場で,偶然,真板夫人とお会いして,お話をさせていただいたことがある。とても優しい話し方をされる,上品な方だった。そのときには,真板先生が残された作品をどのようにすればいいのか,いろいろの方のご意見を聞くために奔走している,というようなお話だったと記憶する。

それにしても,ご縁とは不思議なものだ。真板先生の作品「風の道」が,1984年のユニヴァーシアード神戸大会記念賞だった可能性があるのだから。(わたしはまず間違いないと確信する)。しかも,いまの予定では,来年8月に開催される第2回バスク・日本国際セミナーのときには,能面アーティストの柏木さんの作品展示と実演が行われることになっている。となると,真板先生の作品「風の道」と柏木さんの作品「悲しくて」とのコラボレーションが成立する。ひょっとしたら,真板夫人も来られるかも・・・・。

とまあ,こんなことを夢見ている。楽しみは多い方がいい。







2011年12月23日金曜日

神戸市外国語大学の集中講義,無事に終了。

三日間で15コマの集中講義が,22日午後5時30分に,無事,終了。なにか感慨深いものがある。なぜなら,神戸市外国語大学客員教授としての,3年契約の,これが最後のお勤めだったことが一つ。もう一つは,バタイユの『宗教の理論』読解の授業に,3年生,4年生と2年間にわたって受講してくれた学生さんたちの反応がすこぶるよかったことだ。

精確にいえば,2010年前期には,マルセル・モースの『贈与論』を読み,2010年後期から,2011年前期,そして,今回の後期と3回にわたってジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』を読んだことになる。さすがに,2年間,とおしてこの授業を受講してくれた学生さんたちの理解は,予想以上に深いものがあり,今回の読解でも,しばしば新しい視点を提示してくれ,わたしを挑発・興奮させてくれた。やはり,柔わらかな思考のできる若い頭脳は,いまのわたしには貴重な存在だ。

講義題目は「スポーツ文化論」。この「スポーツ文化」を,まずは,マルセル・モースのいう「贈与」という視点から考えてみると,なにがみえてくるのか。とりわけ,ポトラッチという概念に分け入って,スポーツ文化の起源との関係を考えてみた。これを受けて,バタイユの『宗教の理論』をベースにした「スポーツ文化」読解にとりかかる。しかし,『贈与論』から『宗教の理論』への橋渡しをするために,バタイユの『呪われた部分 有用性の限界』(普遍経済学の第一部)を通過する必要があった。こうして,バタイユのいう「消尽」「供犠」「贈与」「オブジェ」「事物化」といった重要な概念をなんとか視野の中に収め,『宗教の理論』読解に入っていった。

こうして,『宗教の理論』だけで,1年半,つまり,3期にわたって読解に取り組むことになった。この手続きを踏んだことは,結果論ではあるが,まずまず正解だったと思う。そして,いまは,『エロチシズムの歴史』(普遍経済学の第二部)へと分け入っていくときだ,と考えている。なぜなら,こんにちの「スポーツ文化」の批評を展開するとすれば,やはり,資本主義経済学の枠組みの<外>に立つバタイユの「普遍経済学」という視座が不可欠である,と考えるからだ。つまり,「消尽」をキー・コンセプトにした「経済」の大原則に立ち返るために。

そして,この「消尽」という考え方を基準にして,スポーツ文化を再考してみると,そこにはこんにちのスポーツ文化とはまったく異なった,スポーツの深層に潜むもう一つの姿が浮かび上がってくる。原初の人間にとっての「スポーツ的なるもの」は,ひたすら「消尽」そのものではなかったか。それが,いつから「有用性」の原理に絡め捕られていくことになったのか。そのとき,スポーツ的なるものに,いかなる変化・変容が起きたのか。

その謎解きのための,つぎなる方法が「供犠」と「贈与」ということになる。こうして,スポーツ文化の謎解きをするための三つのキー・コンセプトが立ち上がる。今回の集中講義では,もっぱら,「消尽」「供犠」「贈与」という三つの概念を軸に据えて,スポーツ文化の諸相をとりあげ,あらたな検討を加えることになった。この設定に,学生さんたちは,じつにみごとに反応してくれた。わたしはとても嬉しかった。なるほど,継続するということは大事なことだ,と。広く浅く,あれこれアラカルト的な知をかじるよりは,ジョルジュ・バタイユというひとりの思想・哲学者に徹底的に光を当て,その人の発想を確実にわがものとすること,そして,そこから,スポーツ文化をとらえ直してみること,そのことの方がはるかに実りが大きいと思う。しかも,このバタイユ的視点は,他のあらゆる領域にも当てはめて,応用することができる。

折しも,わたしたちは「3・11」以後を生きなくてはならない。その「3・11」よりもはるかに前から取り組んできたバタイユ読解が,いま,ここにきて,わたしにはきわめて重要な意味をもちはじめている。おそらく,この授業を受けた学生さんたちも,スポーツの世界とは別の,いわゆる外国語を駆使する職種について,その世界で活躍することになるだろう。そういう人たちにとっても(あるいは,そういう人たちであればこそ),バタイユ的思考が,どこかで活かされることになるのではないか,とわたしは期待している。

なにはともあれ,神戸市外国語大学客員教授としての,最低限の職務をなんとかはたすことができたのではないか,とひとまず安堵の胸をなでおろしている。と同時に,万感,胸に迫るものがある。この3年間,わたしの集中講義を受講してくれた学生さんたちに,こころから感謝したい。卒業生もふくめて,みなさん,ありがとう。わたしも,これで卒業です。そして,おそらく,もう二度と集中講義という名のもとで授業を担当することもないだろうと思う。

西田幾多郎は,定年退職のときの最終講義で,つぎのように述べたという。
「わたしの半生は黒板を前にして座した。そして,わたしの残りの半生は黒板を背にして立った」と。なんと直截な表現であることか。そこには,さわやかな風が吹いている。むしろ,潔い風というべきか。そこには,一本の凛とした「風の道」が,浮かび上がってくる。

これは偶然の一致なのか。神戸市外国語大学のキャンパスの中には,「風の道」と題する真板雅文先生のモニュメントが据えられている。もう,何回もこの大学を訪れ,キャンパスの中を散策し,そのつど,このモニュメントにはお目にかかっていたのだが,この作品が,どなたのものであるかは確認もしないでやりすごしていた。が,今回は,そのモニュメントがとても気になり,作者の名前を確認してみた。そこに「真板雅文・1984」とある碑銘を見出したとき,これまた,なんとも言えない感慨があった。これもまた,なにかのご縁というべきか。

以上,神戸市外国語大学の集中講義,無事に終了のご報告まで。

2011年12月21日水曜日

モンゴルの競馬をバタイユ的に読み解くと,それは「消尽」であり,「供犠」であり,「贈与」ではないか。

神戸市外国語大学での集中講義もはや二日目を終了。バタイユの『宗教の理論』をスポーツ文化論的に読解するというテーマでの講義も,これで三期目に入っているので,学生さんの反応がすこぶるいい。当然のことながら,わたしも気合が入ってくる。それに応えるようにして学生さんも熱が入ってくる。そんな相乗効果もあって,充実した時間が過ぎていく。惚けかけた頭が,いつのまにか,大いに活性化して,新たな発見がつづく。嬉しいかぎりである。

加えて,今日(21日)の二日目は,教室に行ってみると,モンゴルのナーダム祭の研究者である井上邦子さんがだれよりも早く到着して待っていてくれた。バタイユのいう「消尽」「供犠」「贈与」という考え方について,理解を深めたいという。そういうことであれば,大歓迎。ならば,というわけで,学生さんが集まる前から,早速,ふたりだけの話がはじまり,知らぬ間に熱が入ってくる。

気がつけば,学生さんは全員集まっていて,始業の時間もとっくに過ぎている。あわてて,井上さんを紹介しながら,話のつづきのまま,授業に入る。まずは,わたしの方からモンゴルの競馬について問いをかける。井上さんが,丁寧に,初めての学生さんたちにもわかりやすく説明をしてくれる。それを聞きながら,わたしはバタイユ的に解釈すると,どうなるのだろうかと考える。

井上さんのお話の概要は以下のとおり。
一番はじめは,野生の馬の捕獲からはじまり,それを飼育する。モンゴルでは,ゲル(住まい)の近くに放牧して飼育する。牡馬は種牡馬1頭を残して,全部,去勢する。牝馬はそのまま育てて,子どもを産ませる。競馬で走る馬は去勢された牡馬から選ばれる。選ばれた牡馬は,まずは,ゲルの近くの杭に「つながれる」。この牡馬を杭につなぐ人のことをオヤチと呼ぶ。こうして,つながれた牡馬は「調教」に入る。調教は1~2週間という短い期間に行われる。放牧してあった牡馬を,競馬馬に仕立てあげるのは容易なことではない。だから,特別な馬として聖別され,徹底した調教が行われる。まずは,躾け。人間の指示に素直に従うように。そして,つぎは,走る距離を伸ばしていく。やがて,人馬一体となるところまで調教する。この間,ラマ教のお経を,暇さえあれば聴かせる。競馬馬は全身を青い絹の布で磨き上げられ,尻尾は工夫して編み上げられる。こうして「聖別」された競馬馬へと仕立てあげられていく。この競馬馬には子どもが乗って,30㎞,50㎞という長い距離を走る。まずは,ゴール地点に集合してから,スタート地点まで移動して,それからスタートする。したがって,結果的には,じっさいの距離の倍を走ることになる。途中で疲れ切った馬は倒れてしまったり,死んでしまうこともある。あるいは,子どもが振り落とされてしまうこともある。馬も子どもも,死と隣り合わせという,ある種の極限状態に向き合うことになる。

これをバタイユ的に読み解くとどういうことになるのか。
動物性の世界を生きていた野生の馬は,捕獲され飼育されることによって人間の「事物」と化す。しかも,牡馬は去勢されることによって,「事物」としてのレベルを高める。さらに,競馬馬として選ばれ「つながれ」たときから,特別の存在として神聖視され,ますます「事物」としてのレベルを高めていくことになる。そして,事物化の極限ともいうべき調教をとおして人馬一体となることを目指す。こうして,人間もまた「事物化」していく。のみならず,人間はひたすらラマ教のお経を唱える。しかも,それを馬の耳に向って唱える。まさに「馬の耳に念仏」である。そこまでして,調教され,神聖視され,人馬一体となった競馬馬を,場合によっては「死ぬ」(「倒れる」)かもしれない長い距離を,馬に子どもを乗せて走らせる。これは,なにを隠そう,「消尽」以外のなにものでもないではないか。しかも,「供犠」そのものではないか。そして,それは広義の「贈与」にも相当するのではないか。

こうした経緯について,じっさいの授業の中では,微に入り細にわたって,可能なかぎりバタイユの概念をもちいて言説化を試みてみた。井上さんも協力してくれて,これまでには考えたこともない,バタイユ的「知」の地平に「初めて」立つことができた。なんと面白い風景がそこに広がっていることか。こんな僥倖にめぐまれながら,至福のときを過ごす。

ほんとうは,もっと詳細に記述しておきたかったことではあるが,時間切れのため,とりあえず,ここまでとする。いずれまた,きちんと整理してみたいと思う。

2011年12月19日月曜日

明日から神戸市外国語大学の集中講義。その主題となる六つのテーマについて。

ことしも残りわずかになってきました。毎年のことながら,時間の経つのは早いものだと,いまではあきらめ顔。わたしの人生もいつのまにか第四コーナーを回って,いよいよホームストレッチにさしかかっている。最後の仕上げの時期というべきか。

そんな中で,明日(20日)から神戸市外国語大学の集中講義がはじまる。早朝の午前8時50分からはじまるので,今日(19日)のうちに神戸に入って,スタンバイ。講義題目は「スポーツ文化論」。用いるテクストは,ジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』。

すでに,2年にわたって,このテクストの「スポーツ文化論」的読解に取り組んでいる。だから,最初から参加している学生さんたちにとっては,すでに,お馴染みのテーマ。しかし,初めての学生さんにとっては,きわめて難解。でも,授業が終ったときには,かならず,なんらかのお土産をもって帰ってもらえるように,こちらも必死。

取り上げる具体的な内容の一部は,すでに,このブログをとおして「公開」しているので,そちらを参照していただきたい。このバタイユのテクストを用いての集中講義はこれが最後となるので,今回は「総ざらい篇」と称して,とくにポイントとなるところを取り上げてみたいと思う。

その最大のポイントは以下のとおり。
人類が動物性の世界から離脱し,人間性の世界に移行するときに,いったい,なにが起きたのか。ひとつは,もの=客体(オブジェ)という他者の発見によって自己が覚醒する,そのプロセスの意味するところを考えること。ふたつには,やがて,自己意識が立ち上がり,理性に目覚めるとき,自己の内なる他者=動物性をどのように止揚しようとしたのか。みっつには,このとき「宗教的なるもの」が同時に立ち上がるのだが,そのことと「スポーツ的なるもの」は表裏の関係にあったのではないか,というわたしの仮説を深めること。つまり,スポーツの原初の姿(起源)を確認すること。それは,祝祭的な時空間とはなにか,を考えることでもある。よっつには,人間の内なる他者=動物性と向き合っていたはずの理性が,いつしか一人歩きをはじめ,「狂気」と化していくのはなぜか,を考えること。科学至上主義ともいうべき理性のたどりついた典型例として「原発」がある。いつつには,スポーツ文化もまた,同じ進展をみるのは,なぜか,と問うこと。たとえば,1000分の1秒を計測することの意味を問うこと。むっつには,21世紀を生きる人間にとって,とりわけ,「3・11」以後を生きるわたしたちにとって「スポーツ」とはなにか,を考えること。

とまあ,なかなか欲の深いことを考えている。しかし,期せずして「3・11」に遭遇した,この年の最後に取り組む集中講義としては,ここまで踏み込まないことには無意味ではないか,とわたしは考えている。なぜなら,これもまた,「いま・ここ」を生きるわたしたちの,避けてとおることのできない重要なテーマであるからだ。その意味では,世界の最先端を突き破る,まったく新しい「スポーツ文化論」の展開を試みようとしている,と言っても過言ではない。日本はいま,あらゆる意味で,世界の最先端をいく「実験国家」でもあるのだ。

いま,スポーツ文化を考えることは,「世界」を考えることでもある。しかも,スポーツ文化は新しい「世界」を切り拓いていく尖兵でもあるのだ。このことを考えるためのヒントが,テクストである『宗教の理論』のなかには満載されている,というのがわたしの読解である。

さて,この課題がどこまで達成できるか,楽しみである。おそらく,大学での集中講義という形式で,このようなチャレンジができるのは,これが最後のチャンスでもあろう。と思うとますます気合が入ってくる。また,新たな発見があるのではなかろうか,という期待も大きい。

今回は,このテクストのほかに,DVDをふたつ用意している。ひとつは,『わたしを離さないで』(カズオ・イシグロ原作)である。「人間の生を理解することもなく,みんな終ってしまう」という主人公のキャシー・Hのセリフがわたしの頭から離れない。人間が生きるとはどういうことなのか,という根源的な問いを,カズオ・イシグロはわたしたちに投げかけてくる。ふたつには,『けんちく体操』(米山勇,ほか)。ついこの間(15日の夜),この人たちのワークショップに参加し,そのあとのトークショウにも加わっておしゃべりをさせていただいた。そのお蔭で,また,あらたな感慨(発見)をもつことができた。しかし,そのときは時間切れで話すことができなかったことがらについて,理論仮説を構築してみたいと考えている。たとえば,事物と化した人間が,これからさき,なにを目指そうとしているのか,しかも,「体操」をとおして。

三日間の集中講義のあとの,23日には「ISC・21」12月神戸例会が待っている。いつもの研究者仲間と意見を交わすことができる。こちらもまた,楽しみのひとつ。そのあとには,「忘年会」。ことしの「締め」となる。

まずは,体調を整えて,万全の体制で臨むこと。
行って参ります。

2011年12月17日土曜日

オリンピックは,いつから「戦争」になってしまったのか。

「五輪警備に英軍1万人超投入,戦艦やミサイルも」という見出しの情報がインターネット上を流れている(読売新聞提供)。びっくり仰天である。もはや,「戦時体制」を敷かないとオリンピックの開催はできないらしい。

いつからオリンピックは「戦争」になってしまったのか。姿の見えない敵を相手に,なにを,そんなに怯えなくてはならないのか。なにゆえに,敵が攻撃してくると考えるのか。いったい,だれが敵をつくっているのか。敵の勢力が少しも衰えないのは,なぜか。つぎつぎに新しい敵が生み出されてくる世界のあり方に,なぜ,もっと疑問をいだかないのか。こんなに恐ろしい敵が存在すると予想されているのに,なぜ,オリンピックを開催しなくてはならないのか。オリンピックとは「平和運動」ではなかったのか。五輪のマークはなにを意味しているのか。オリンピック開催そのものが敵の勢力を増大させる契機になっていることの意味を,なぜ,考えようとはしないのか。オリンピックは反対勢力を排除するだけでいいのか。「テロとの戦い」というパラドックス(背理)について,なぜ,考えようとはしないのか。オリンピックが最大の攻撃対象とされる原因を,なぜ,取り除こうとはしないのか。徹底的に攻撃するだけでいいのか。いつまで,終わりのない「戦争」をつづけるつもりなのか。

こんな疑問が,つぎからつぎへと,浮かんでくる。問いを立てていくと際限がないほどだ。オリンピックは,もはや,「世界」というものの現状を映し出す絶好の素材となっている。いやいや,オリンピックは「世界」の写し鏡なのだ。「世界」の諸矛盾がすべて凝縮されて,露呈される「場」,それがオリンピックなのだ。

インターネット上の情報によれば,以下のようだ。
英国防省は15日,来夏のロンドン五輪の警備に約1万3500人の兵力と海軍艦船や地対空ミサイルを投入することを明らかにした。
英政府は当初,警察約1万2000人の警備態勢を想定していたが,「何十年かに一度の大きな行事で,安全確保に万全を期す」(ハモント国防相)との方針で大規模な兵力が投入されることになった。しかし,「アフガニスタン派遣部隊(約9,500人)よりも多くの兵力が必要か」(BBCテレビ)など疑問の声も出ている。
国防省の計画によると,投入される部隊は,競技会場の警備のほか,爆発物処理に備えるなどの役割を担う。ロンドンのテムズ川には,英海軍で最も大型の強襲揚陸艦「オーシャン」が停泊して警戒にあたるほか,戦闘機が地対空ミサイルを配備して空からの攻撃にも備えるという。

これは,もはや,完全なる「戦時体制」そのものである。さあ,どこからでも攻めて来い,と待ち構えている態勢そのものではないか。ここまでしてオリンピックを開催する意義はどこにあるのか。

去る15日には,2020年のオリンピックを東京に招致することを閣議決定した,という情報が流れている。表向きには,東日本大震災から復興した日本の姿を世界にアピールするため,とうたっている。しかし,本音は,全然別のところにあるのではないか。

もし,東京開催が決まったとすれば,日本もまた,ロンドンと同じような「戦時体制」を敷かなくてはならないだろう。いや,それ以上の警備態勢をとらなくてはならなくなるだろう。ということは,つまり,東京オリンピック招致の最終目標は防衛力(=戦闘能力)の増強にほかならない。すなわち,自衛隊を軍隊化させるための絶好のお膳立てであり,体のいい軍事訓練を行うことだ。こうして防衛予算も拡大させることが可能となる。

そうか,イシハラ君の狙いはそこにあったか。軍事力という点では,中国に舐められ,北朝鮮に舐められ,韓国にもいいようにあしらわれて,イシハラ君は頭にきているに違いない。冗談じゃない,と。近隣諸国から,日本国がこんなに軽くあしらわれていていいのか。これは日本の恥だ,と言いたいのだろう。しかし,そこまであからさまに言うだけの勇気もないので,とりあえず,オリンピック招致という手にでた「野田」ろう。オリンピックの「平和」という名の隠れ蓑を着て,じつは「戦時体制」の強化を狙うこと。衣の下から鎧が透けてみえてくる。

ロンドンの面積は,1,610平方キロ,人口:696万人(1994年),それに引き換え,東京の面積は2,186平方キロ,人口:1,157万人(うち,23区で783万人)。その上,ロンドンは周囲を田園に囲まれた独立都市であるのに対して,東京はその周辺を多くの大都市に囲まれ,いわゆる巨大な首都圏を構成している。その面積も人口も,ロンドンの何倍にも相当する。ここを眼にみえない敵から守るためには,これまたロンドンの何倍もの「軍隊」が必要となってくることは必定だ。いったい,どうやってオリンピックを開催しようと言うのだろうか。

オリンピック招致もまた,原発推進とまったく同じ手法で,強引に推し進められつつある。オリンピックの「平和運動」もまた,原発の「安全神話」とまったく同じ構造をもっていることは,もはや,指摘するまでもないだろう。

東京都民だけではなく,首都圏住民として,いやいや,日本人として,東京オリンピック招致の是非論を立ち上げていかなくてはならない。都民,住民,国民を無視して,イシハラ君とドジョウ君とが手を結んで,オリンピック招致に突っ走っている。しかも,巨額の招致資金を使って。その上,わたしの予想では,東京が選定される可能性はほとんどないにもかかわらず・・・・。無駄な労力と資金の浪費以外のなにものでもないのに・・・・。

2011年12月16日金曜日

イベント「けんちく体操ナイト」を楽しんできました。

昨夜(15日)はイベント「けんちく体操ナイト」(20:00~22:00)があって,しっかりと楽しんできました。場所は,神田・岩本町の「ワンドロップカフェ」。ほぼ,満員になる盛況。

もともと『けんちく体操』なるものとの出会いは,アルシーヴ社の佐藤真さんのご紹介で書評をさせていただいたのが,はじまりです。書評をする都合上,かなり丁寧に読んで(眺めて)いるうちに,意外なことがひらめきました。これはひょっとしたらとてつもない仕掛けになっているのではないか,長い体操史の視点から考えると,ひょっとしたら革命的なできごとではないか,とひらめきました。

が,書評の原稿の方は,わずか800字足らずの分量でしたので,ほんのさわりの部分に触れただけで終わりでした。これだけでは,とても満足できなくなってしまいましたので,このブログを利用して,かなりの分量を2回に分けて書きました。(このブログを検索してくだされば,見つかります)。

そのブログをいちはやく,「けんちく体操ウーマン・1号」こと田中元子さんがみつけて,すぐにコメントを入れてくださいました。一度,お話がしたい,と。わたしも喜んで「ぜひとも」と応対しておきました。が,わたしの方もなにかと忙しくしていて,そのチャンスに恵まれないまま,時間が過ぎていました。

そこに朗報が入りました。『けんちく体操』の書籍版が好評なので,それの映像版(DVD)を制作して12月7日には発売する,ついては,これを記念して「けんちく体操ナイト」なるイベントを開催したい,ついては,その一部となる「トークショー」に出演してほしい,と。タイミング的には原稿をたくさん抱えていて大変なときではありましたが,このチャンスを逃す手はない,と判断して快諾。この日を心待ちにしていました。

以上が,わたしと「けんちく体操」との出会いとこれまでの経緯です。

さて,最初の1時間は,ワークショップがあって,参加者全員で,まずは,「けんちく体操」を体験。
「けんちく体操博士」こと米山勇むさんの指導のもと,パワーポイントを使って,テーマとなる建築物の名前当てクイズからはじまり,正解がでるとその建築物の映像が映し出され,それを2人,3人で表現します。最初は,基本ワザでからだ慣らしをした上で,少しずつレベルをあげて難題に取り組みます。最後は,10人ほどの集団で一つの建築物を表現しました。

わたしは「けんちく体操」なるものを体験するのは初めて。にもかかわらず,すぐに童心にかえって,初対面同士もなんのその,和気あいあいで,声を掛け合い,アイディアを出し合って,一つの作品を仕上げていく。それも,ほんの数分の間に。「けんちく体操博士」の解説によれば,「スピード」も重要な要素だ,といいます。つまり,直感力が求められているわけです。

米山博士の話術にも乗せられて,みんな汗だくになって,夢中になって取り組む姿をみながら,この「けんちく体操」なるものの奥の深さを感じていました。1時間があっという間でした。

これが第一部。約10分ほどの休憩をはさんで,第二部の「トークショウ」に。
けんちく体操博士・米山勇さん,けんちく体操マン1号・高橋英久さん,けんちく体操ウーマン1号・田中元子さん,けんちく体操マン2号・大西正紀さんの4人のなかに,わたしが加わってトークショウのはじまりです。この内容は長くなりますので,機会を改めて紹介したいと思います。

このときの写真を紹介しておきましょう。


わたしの横に立って,メモをとっているのは読売新聞社の伊藤紘二記者。少しあとになるけれども,記事にする,とのこと。写真も撮っていましたので,どんな記事になるのか,楽しみ。
トークの内容については,いずれまた。
取り急ぎ,昨夜のご報告まで。

追記。大阪から二人の友人がかけつけてくれました。また,ご縁をつくってくださった佐藤真さんとも久しぶりにお会いしました。その他にも友人が参加してくださり,嬉しいことでした。

2011年12月15日木曜日

日本余暇学会の講演原稿(近代スポーツ競技と原発は一心同体?)にとりかかろう。

10月に依頼されていた原稿がいまだに書けないままになっている。12月20日が締め切り日。原稿というものは不思議なもので,締め切り日が近づいてこないとエンジンがかからない。今日はすでに15日。のんびり屋のわたしも,ようやく焦りはじめている。さあ,これからだ。

でも,今日の夜は「けんちく体操ナイト」というイベントがあって,そのトークの部に参加することになっている。となると,どことなく「けんちく体操」の方に頭が向かっていて,落ち着かない。今日は原稿には手がつけられない。明日も夜に,ちょっと重要なミーティングがある。こうなると,今日・明日と二日は駄目だ。19日からは,神戸市外国語大学の集中講義に出発。ということは,17日・18日の二日しかもう残りはない。

今日はとりあえず,原稿の骨子だけでも固めておこう。原稿の内容は,10月9日に日本余暇学会で行った講演をまとめる,というもの。しかも,20枚(400字)程度で,という。これもちょっと中途半端なボリュームなので,そこがネックになっている。つまり,50枚くらいだと,かなり前から気合を入れて準備に入るのだが,20枚くらいだったら気分が乗ればすぐに書ける,という甘えがわたしのなかにある。そこが落とし穴だ。

でも,もはや待ったなしだ。すぐにも取りかからなくてはいけない。
そこで,少しだけ準備に入ることにした。

10月に行った講演のタイトルは「『3・11』後の日本人の生活とスポーツ文化の行方」──「公」と「私」のまじわる場所で,というものだった。これはかなり念入りに準備をして,資料も提出して臨んだのだが,結果は支離滅裂の話になってしまい,消化不良をさらけ出したような,恥ずかしいものになってしまった。しかも,時間切れで,落しどころまでたどりつくこともできないまま,話の途中でプツンと終るという情けない結末だった。

1時間30分という講演時間に対して,内容をてんこ盛りにしすぎたのだ。だから,これを思いっきり無駄なところを削って,核心部分だけを抽出する必要がある。20枚の原稿というのはそういうものだ。こちらの方の手加減はいくらか心得がある。しかも,一度書いたものを修正することもできる。しかし,講演はライブなのでそうはいかない。一度,方向を間違えると,とんでもない方向に暴走をはじめてしまう。そうなると,もはや,引き戻すことができなくなってしまう。日本余暇学会では,そういうことが起きてしまった。残念。

だから,原稿の方でなんとか汚名を挽回しなくてはならない。折角,学会誌に掲載してくださるというのだから,ここは,なにがなんでも頑張らなくてはならない。少なくとも,活字にして残すだけの価値のある内容にまとめなくては・・・・。

そこで,まずは,タイトルも少しだけ工夫を加え,書きやすくしようか,と考えている。
たとえば,「『3・11』以後の日本人のライフスタイルとスポーツ文化の行方」──「公」と「私」のまじわる場所で,という具合に。そして,とりわけ,「3・11」以前までのわたしたちのライフスタイルをふり返り,どこに問題があったのかを明確にすること,同時に,「3・11」以前までのスポーツ文化とはなにであったのか,その問題点を浮き彫りにすること,その上で「公」と「私」の問題を考えてみよう,といまのところは考えている。

なかでも,ライフスタイルの問題点としては,あまりに電力に依存しすぎる,わたしたちの「甘え」の構造をしっかりチェックすること,しかも,「過剰」ともいえる家電製品に取り囲まれた安穏なライフスタイルはここ30年足らずのうちに起きた,きわめて特異な現象であること,だから,もう少し手間隙がかかっても質素な生き方を選択すべきところにきているのではないか,と。「ものの豊かさ」の追求から「こころの豊かさ」に舵を切る絶好のチャンスではないか,と。

スポーツ文化については,少しラディカルに問題提起をしてみようと思う。
素朴で長閑な,祝祭的な時空間のなかで展開していた「スポーツ的なるもの」が,近代に入って急速にルールや組織が整備されて,いわゆる「近代スポーツ」としての体裁を整える。そして,このルールのなかでの「競争原理」が推奨され,「優勝劣敗主義」を錦の御旗に仕立て上げ,近代国民国家を支える優れた国民教育に利用されたばかりでなく,植民地政策の尖兵として「近代スポーツ」は予想をはるかに超える大きな役割をはたしたのではないか,と。そして,このロジックは,もののみごとに「資本主義」と歩調を合わせ,みるみるうちに世界に浸透していくことになった,と。

言ってみれば,オリンピックやワールドカップなどは,欧米のスポーツ文化による「世界制覇」をなし遂げた典型例ではないか。この流れは,まさに,「資本主義」による「世界制覇」と表裏の関係にあった,と考えることができよう。

つまり,競争原理,優勝劣敗主義,効率主義,経済原則・・・等々はみんな同じ腹から生まれた兄弟なのではないのか。だとすれば,近代スポーツ競技をささえ,それを過剰な競争原理の世界に導いていき,アスリートたちの身体がぼろぼろになるまで追い込まれていくロジックと,「いのち」の保障もできないまま原発導入に突っ走っていくロジックとは瓜二つではないか,と。

ここまで追い込むことができれば,ここにこそ「公」と「私」の交わる典型的な「場所」を見届けることができるのではないか・・・・とわたしは考えるのだが・・・・。スポーツはだれのためのものなのか,そして,原発はだれのためのものなのか,と。

そして,ここまで考えてくると,「公」と「私」という近代が生み出した二項対立的な思考方法そのものが,すでに限界にきているのではないか,ということが新たに浮かび上がってくる。つまり,「3・11」は,近代が生み出した思考方法や,それによって構築された制度,組織,法律・・・等々にいたるまでの諸矛盾を一気に露呈させてしまった,というべきではないのか。だとしたら,わたしが『スポーツの後近代』(三省堂)でも提起してきたように,時代そのものが「近代」から「後近代」へと転換せざるを得ない情況が,こんどの「3・11」によって,わたしたちの眼前に提示されたと,わたしは考えたい。

さて,これだけの内容のものを,20枚で書く,それだけの力量がわたしにあるかどうか。でも,折角のチャンスなのでチャレンジをしてみたいと思う。

バタイユは『宗教の理論』の「緒言」で,繰り返し述べているように,このテクストは「素描」(エスキス)である,と。運動性の豊かな思想・哲学は,たえず流動的で,つぎつぎに進化していくものであって,最終的な結論などというものはありえない。だから,「素描」をすることが必要なのだ,と。つまり,断言してしまうことによって,その思想・哲学は歩みを止めてしまう。そうではなくて,「未完了」や「不可能性」の思想・哲学に挑むには「素描」(エスキス)がもっとも有効なのだ,ということを説いている。

このバタイユの言説に勇気をもらって,わたしもささやかな,ほんとうに,ささやかな「素描」を試みてみることにしよう。12月19日の朝までには,原稿が仕上がりますように。

2011年12月14日水曜日

城南信用金庫が「脱原発ビジネス」を本格的に支援するという話。

今日(14日)の『東京新聞』に,城南信用金庫の吉原毅理事長の談話が写真入りで大きく取り上げられている。それによると「脱原発ビジネス」を本格的に支援していくという。

早い時期に「脱原発」宣言をした金融機関として注目を浴びてきたので,いまでは城南信用金庫の名前を知らない人はいないだろう。わたしは,その情報を知って,いちはやく城南信用金庫・鷺沼支店に口座を開設した。そのときの話は,すでに,このブログで書いたとおりである。ほんのわずかな,ささやかな普通預金に過ぎないが,吉原理事長の心意気に賛同して,わたしなりの支援の意志を表明したつもりである。

だから,このような記事に触れると,なんだかわがことのように嬉しい。つい,この間も,東電からの電力購入を止めて,PPS(電力の小売業者である特定規模電気事業者)から購入することに決めたという報道があった。こういうシステムがあることを知らなかったわたしは,そういう方法もあるのか,と眼からうろこであった。

この話が,今日のインタビューにも紹介されている。以下は,吉原理事長の談話の一部。
「電気が足りなくなるから原発は止められないという議論がある。ならば東電が供給すべき電力を減らそうと考えた。東電の供給電力のうち,原発で賄っている分を減らせば原発を止められるはずだ。
電力の小売業者である特定規模電気事業者(PPS)から電気を買う。全国に47社あるPPSは,原発を一つも持っておらず,企業から買い取った余剰電力などを販売している。しかも電気代は大手電力会社より安い。原発に依存しない社会にぴったりの選択肢なのに,あまり知られていない。現在,PPSのシェアは3%だが,需要が増えれば事業者は設備を増強し,供給は増える。」

と語り,さらに,「PPSは50キロワット以上の(高圧契約をする)需要家なら利用でき,マンションや町工場,学校も対象になる。変更の手続きも書面で簡単にできる。小冊子をつくり,店頭や営業活動で顧客に説明したい」という。

すでに,ソーラー・システムの導入については支援をはじめており,一戸建ての屋根やビルの屋上などに設置しようとする人たちのための融資と事業者の紹介を行っている。そのためのパンフレットも店頭に置いてあるし,HPにも紹介されている。ソーラーの導入についてはいろいろの方法があるようだが,素人には,このような信頼できる金融機関が間に入ってくれると安心である。わたしが一戸建てに住んでいたら,すぐにも駆け込みたいところだ。

この吉原理事長の談話の下には,城南信用金庫の取引先である相模原市の中小企業有志が,家庭で手軽に使える節電商品を共同開発した,という記事が載っている。各家庭で,いま設定されているアンペア数を可能なかぎり低くするための測定器だという。10アンペア低くするだけで,電気代は相当に安くなる,という。どこの家庭も,標準のアンペア数で設定されているので,やや高めになっている。小家族であれば,一度に使用する電気器具を上手にコントロールすれば,最低のアンペア数で間に合うそうだ。そのための測定器だという。

普通に開発すると1000万円ほどかかるが,複数の事業者がみんな手弁当で負担し,80万円に抑えて,販売価格も5000円程度にしたいと考えている,とか。こういう自発的に「節電」のための器具を開発する人たちもまた,吉原理事長の話を聞いて,一念発起したのだそうだ。これからは,こういう「節電」のためのアイディア商品が,つぎつぎに出回ってくるのだろう。こんな小さな巷の町工場の努力が積み重なると大きな力となる。偉いなぁ,と感心する。それに引き換え,原子力ムラに寄り掛かって,楽して儲ける(数量的合理主義というのだそうな)ことばかり考えている大手メーカーの猛省を促したい。これからは数字ではない,ハートです,と教えてやりたい。

東電はいまもなお,計算方法をごまかして,原発のコストは安い,と主張している。なにをとんちんかんなことを,この後におよんで,よくぞ平気で公表できるものだ,とあきれ返ってしまう。この人たちには,人間の「ハート」はひとかけらもないのか,と直談判がしたくなってきた。社員のすべてがそんな人たちばかりだとは思いたくないが,それでもなお東電という会社にしがみついているところをみると,よほど美味しい汁を吸っているに違いない。そのうちに,だんだんと人間の「ハート」を忘れて,気がつくと「数字人間」になっていくのだろう。

その点,城南信用金庫で働いている人たちは,じつに溌剌としている。なにか困っていると,気づいた人が,デスクの奥の方からでも飛び出してきて応対してくれる。役職に関係なく,気づいた人が対応してくれる。だから,気分がいい。ついつい,「応援してますよ」と声をかける。すると,元気のいい声で「ありがとうございます」とかえってくる。ときには,「みなさんにそう言っていただけると励みになります」という社員もいる。

吉原理事長のコンセプトが社員の末端まで行き届いていることが,直に伝わってくる。1000円でも,2000円でも残高を増やして,ささやかながらも応援していきたいという気にさせてくれる。こんなことでさえ,人間は気分がよくなり,その日一日は幸せになれる。小さな感謝と小さな支援。その積み重ねが人生であってほしい,とみずからに語りかける。こんな日々を少しでも多くしたい,と祈りたい。

「お前,いつから,そんなにいい子になったんだい?」と天の声(笑い)。

2011年12月13日火曜日

バタイユ『宗教の理論』・総ざらい篇・『聖ジュネ』におけるサルトルの悔悟について。

「緒言」の最後の文章の末尾に,訳者注(2)が付してある。その最後の文章とは,前のブログにも書いたが,とても重要な内容を含んでいるので,もう一度,引用しておこう。

「この『宗教の理論』が衝こうとする背理(パラドックス),すなわち個人を『事物』にし,さらにまた内奥性の拒否としてしまうこの根本的な背理は,おそらくある一つの無力さを明るみに出すであろうが,この無力さの叫びこそ最も深奥にある沈黙への前奏曲となるのである。」

この文章の末尾に訳者は,つぎのような注(2)を付しているのである。
「第三資料(タイプ原稿)には,この箇所に次のような手書きの書き込みがある。「『聖ジュネ』におけるサルトルの悔悟を,注として引用すること」。知られているとおり,バタイユはサルトルの『聖ジュネ』(ガリマール,1952年)に関して,重要な論評を行ったが(『クリティック』誌,65号,66号,1952年10月-11月),それは『文学と悪』に収録されている。」

そこで早速,バタイユ著『文学と悪』(山本功訳,ちくま学芸文庫)を引っ張りだしてきて,再読してみる。以前に読んだときにも強烈な印象があったが,こんどは,きちんとした問題意識をもって読むので,これまた非常に面白い。すなわち,バタイユが手書きで書き込みをしたという「『聖ジュネ』のサルトルの悔悟」とは,なにを意味しているのか,ということだ。

その前に,サルトルとバタイユの関係を確認しておこう。サルトルとバタイユは同時代の人間だが,まったく対照的な生き方をした。サルトルは早くから哲学者として脚光を浴び,日の当たる道を歩むが,バタイユは,最初から地下活動をとおして発売禁止になるような著作をペンネームで発行する。しかも,その思想・哲学は時代をはるかに先取りした内容であったために,いわゆるアカデミズムの世界からは無視・排除されてしまった。その残像はいまの日本のアカデミズムにもある。思い切って二人を対比させれば,以下のようになろうか。サルトルはフッサールやハイデガーに学びつつ,実存主義を唱えたけれども,結局は,近代アカデミズムの路線を踏み外すことはなかった。が,それに対して,バタイユは,最初からアカデミズムを否定し,ヘーゲルを超克し,ハイデガーを批判的に乗り越え,ニーチェを生きると宣言した。だから,サルトルは戦後の日本にもいち早く紹介され,『存在と無』などは,わたしの学生時代にも本屋で平積みになっていた。しかし,バタイユは,一部の識者の間では,熱烈に支持されていたが,その著作が日本で紹介されるようになるには,相当の時間を要した。時代がバタイユを受け入れることができるようになるには,あまりに時間がかかりすぎたということだ。しかし,「3・11」以後の,日本のみならず,世界を考える上で,わたしの導きの糸はバタイユにますます傾斜しつつある。いまこそ,『宗教の理論』を精読する絶好のタイミングではないか,とわたしは確信している。

思いがけず長くなってしまったが,ここは重要なところなので,お許しいただきたい。
さて,問題のサルトルが書いた評論『聖ジュネ』である。ジュネとは,わたしたちの記憶に残っている作品でいえば『泥棒日記』がかれの代表作と言ってよいだろうが,作家のジャン・ジュネのこと。いろいろの事情があって,貧民救済施設で育ち,幼少時より悪の道に走り,少年院を転々としながら成長するのだが,成人してもその習性は納まらず,刑務所入りをくり返しながら無頼と放蕩の生活を送った。30歳をすぎたころから,自分の経験を主題とする,読者を驚かせるような小説を書きはじめる。いずれも,悪を礼賛するような内容の小説ばかりなのだが,人間の内奥に潜む普遍の問題についての描写が高く評価された。

サルトルもまた,ジャン・ジュネを高く評価したひとりである。そして,ついには『聖ジュネ』という大作書いて発表。大きな話題を呼んだ。しかし,バタイユは,この『聖ジュネ』を読んで,この作品はサルトルの最高傑作であると持ち上げつつ,サルトルは根底的なところで勘違いをしている,と鋭い批判を展開。その内容を紹介するスペースはここにはないので,それは集中講義の中で行うことにしよう。しかし,さわりの部分だけは,ここで触れておこう。

バタイユがサルトルを評価したのは,サルトルがアカデミズムの閉鎖的な社会から一歩踏み出して,ジュネのような悪を礼賛するような小説を,異常とも思える情熱を傾けて論評する姿勢である。そして,ジュネの作品評論をとおして,サルトル自身もまた,初めて赤裸々な思想・哲学を曝け出している,この姿勢は素晴らしいと褒めたたえる。しかし,ジュネの悪の世界のよき理解者であり,その世界を承認しているかに見せかけておいて,最終的には,ジュネの提起している本質的な問題を読み切ることができないまま,きわめて曖昧な結論にいたる,それは結局はジュネの世界を排除するに等しいのだ,とバタイユはサルトルを断罪する。

つまり,「サルトルの悔悟」とは,ジュネの作品に触れ,それによって啓発されたみずからのそれまでの姿勢に対する悔悟のことを指しているように思われる。しかし,一見したところ,いかにも悔悟の姿勢をとっているようにみえるけれども,実際には,そうではない,とバタイユはいう。その理由は,「緒言」の末尾の文章に暗示されている,とわたしは解釈する。すなわち,「個人を『事物』にし,さらにまた内奥性の拒否としてしまうこの根本的な背理は,おそらくある一つの無力さを明るみに出すであろうが,この無力さの叫びこそ最も深奥にある沈黙への前奏曲となるのである」,というところに。根本的な背理までは,サルトルも理解した上で,ジュネを礼賛したけれども,そして「一つの無力さ」も理解したはずなのだが,「この無力さの叫びこそ最も深奥にある沈黙への前奏曲となる」というところまでは理解が届かなかったのではなかろうか。その点を,バタイユは『文学と悪』の中に収録された批評である「ジュネ」をとおして,詳細に展開している。

これを書きながら,いま,わたしの脳裏に浮かんできたひとつの情景がある。DVDになった映画『わたしを離さないで』のラストの方でのワン・シーンである。臓器提供者としての宿命から逃れられるかもしれないという最後の望みを託して交渉に行くが,それは単なる幻想にすぎなかったということを知り,夜道を走る車を,荒れ果てた原野で止めてもらい,そこから降りてひとりになり,絶望のあまりに「絶叫」する。なすすべはもはやなにもない。個人を「事物」にし(臓器提供者),内奥性の発露(魂の表出としての絵画)も拒否され,まさに「無力さ」が明るみにでてきて,ついに「無力さの叫び」をあげるしかなくなってしまったトミーの姿が,いま,わたしの脳裏にさらなる精気を帯びてまざまざと浮かんでくる。

しかも,バタイユは,「この無力さの叫びこそ最も深奥にある沈黙への前奏曲となるのである」と,なにやら暗示めいた文章で,この「緒言」を閉じている。つまり,「最も深奥にある沈黙」とはいったいなんなのか,それを問い詰めることがこのテクスト『宗教の理論』の最終ゴールなのであろう。そのための「素描」(エスキス)である,と。

さてはて,集中講義が楽しくなりそうだ。
いよいよエンジンがかかってきたようだ。

2011年12月12日月曜日

バタイユ『宗教の理論』・総ざらい篇・素描(未完了,不可能性)ということについて。

バタイユは,このテクストの緒言の冒頭で,つぎのように書き記している。
「この『宗教の理論』は,一つの完成した仕事ならばそうなるはずのものの素描(エスキス)である。私はある運動性に富む思想を,その最終的な状態を求めることなく表現しようと試みたのである。」
という断り書きからはじめている。しかも,この文章の末尾には「注1.」が付されている。そして,その「注1.」を確認してみると,これがまた4ページ(P.163~166.)にもおよぶ長いものである。

その「注1」は,つぎの三つの柱で構成されている。
(a)この「宗教の理論」は,一つのエスキスである。
(b)本書が従った方法に関する一つの重要な保留条項について。
(c)ここでさらに私はこの叙述の一般的な原則を,緒言のうちに提示しておかなければならない。
順次,読解をしてみると以下のとおりである。

(a)この「宗教の理論」は,一つのエスキスである。
本文でも同じことを言っているのだが,このテクストはあくまでも「素描」(エスキス)である,という。なぜなら,思考の成熟を待つ前に,浮かんできたアイディアを,とりあえず書き記しておこうと考えたからだ,とバタイユはいう。つまり「運動性に富む思想」は,そのときどきにわき上がってくる発想を,とりあえず書き記しておくことが重要だというのである。そして,絵画の例をひく。「画家の積み重ねる努力がそのエスキスの形のままで,完成したタブローよりももっと多くの重要性を孕み,もっと興味をそそるように思われる時が生じるという事態である。」その上で,バタイユは,「一軒の家」と「作業現場」という比喩をもちいて,巧みに,このテクストの位置づけをしている。つまり,ある完成された思想は「一軒の家」のようなものだが,つぎつぎにアイディアが浮かびつつある,流動的な思想は「作業現場」のようなものだ,と。だから,このテクストは,いま,まさに,いくとおりにも書き換え可能な「作業現場」で織りなされた思想の一端を書き記したものである,と。

これを読みながら,わたしは画家のピカソのことを思い浮かべていた。写実からはじまって青の時代を経て,という具合につぎつぎと新境地を開いていき,ついには「立体派」と呼ばれるような平面の画布に立体を表現するという独特の手法にたどりつく。そして,さらには,抽象画に到達する。たとえば,ピカソの代表作といわれる「ゲルニカ」という絵を描くにあたって,ピカソは,じつに多くの素描(エスキス)を重ねている。それらの素描は,ときには,完成された「ゲルニカ」よりもはるかに雄弁にある情況を語っていることがある。つまり,素描の積み重ねがバタイユのいう「作業現場」であり,作品「ゲルニカ」が「一軒の家」というわけである。(一頭の牛を抽象画として描いた作品があるが,このときもまた「一軒の家」に到達するまでに,40枚余の素描が「作業現場」では描かれている。その過程(プロセス)が,わたしのような素人には,感動的だった。素描の一枚一枚が,わたしからすれば,立派な「一軒の家」なのだ。)(陶器のような焼き物も,アートの世界では同じ)。

(b)本書が従った方法に関する一つの重要な保留条項について。
ここは短いので,そのまま引用しておこう。
「とり急いで素描したこの概要においては,私は用語法を綿密に定めるまでに至らなかったが,その点に関しては償いようのない不都合であると認めねばならない(もっとも敏速に公表できるという可能性がそのおかげで与えられた面は別として)。
哲学的思考は完了することがなく,その未完了から自らの価値の一部分を引き出すと私は述べたがそれと同じことを,まだ十分厳密に定められていない用語法に関して主張するわけにはいかぬだろう・・・」

(c)ここでさらに私はこの叙述の一般的な原則を,緒言のうちに提示しておかなければならない。
ここも,全文,引用しておこう。
「私は歴史上所与の諸形態(たとえば『供犠』とか『資本主義』のような)を,諸々の事実の歴史的な継起とは別の地点で表している。
私は論理的な順序を考慮しているのであって,年代順的な継起をそうしているのではない。それはちょうど『精神現象学』において,本来的な意味での歴史が外側に残されているのと同じである。どう見ても歴史は,その歴史がまさにそれらの結果としてあるような諸々の要請に,不承不承という仕方によってしか応えようとはしなかったと思える。歴史のめまぐるしい紆余曲折は,おそらく野原のなかで一匹の犬が行う右往左往に似ていたのである。
それにもかかわらず私が動物性から記述し始めるのは,総体としては私が時間の継起とともに展開した出来事を辿ろうとしたということを示すものである。」

以上のことを確認すると,本文の「緒言」では難解だった「未完了」とか「不可能性」の意味が明確になってくる。バタイユは,こうして,何回も何回も「素描」を積み重ねていくことの重要性をはっきり意識して,このテクストも書いていたのである。言ってしまえば,「作業現場」の手の内を,そのまま公表することによって,さらに,思想を練り上げることを目指していたのだ。このことを,わたしたちは銘記しておこう。

2011年12月11日日曜日

バタイユ『宗教の理論』・総ざらい篇・人間性のパラドックス(背理)ということについて・その2.

前回のつづき。
未完に終っているので,その補填をまずさきに。
「いかにして,必要性による行動に服従している思考,有用な区切りを立てるよう定められている反省的思考から,自己意識へと,すなわち本質なき──が,意識的な──存在の意識へと横滑りしていくのか,という問いが結ばれているのである。」

ここで言われている「横滑り」という言いまわしが,バタイユのテクストにはときおり顔を出す。「必要性」や「有用性」の思考から自己意識へと「横滑り」していくという,ここのところをどのように読み解くかが重要なところであろう。

そのキーとなるのは「自己意識」だろう。コジェーヴの引用文のところでも考えたように,動物性のレベルでの欲望からは「自己感情」しか生まれないが,動物性から人間性への移行期にいたってようやくその欲望は「自己意識」を立ち上げるようになる,という。つまり,ここでいう「自己意識」とは,ヘーゲルがいう自己意識とは,若干,異なるということを念頭におく必要があろう。つまり,ここでバタイユがいうところの「自己意識」とは,まだ,理性とは無縁の,きわめて素朴な,人間性に目覚めた原初の人間の自己意識のことである。

そのことは,「自己意識へと,すなわち本質なき──が,意識的な──存在の意識へと横滑りしていく」という文言からも窺い知ることができる。自己意識とは,「本質なき存在の意識」のことであり,それでいて「意識的な存在の意識」でもあるものだから。「本質なき存在の意識」とは,まさに,動物性の世界に片足を突っ込んだままの「存在の意識」と読み替えてもいいだろう。しかし,同時に「意識的な存在の意識」でもある──こちらは,かなり人間性の世界に踏み込んでいる状態のことを指していると考えていいだろう。

そのことが,同時に,「人間的な情況」から「外」にでることをも意味している。ここが,この『宗教の理論』を読み解くときの重要なポイントとなる。原初の人間が,初めて動物性の世界から人間性の世界に足を踏み入れたときの情況は,こんにちのわたしたちが生きている世界である「人間的な情況」からはほど遠いものである。だから,そこの,ある意味では「中間領域」(動物性と人間性の)に接近して,新たな思考を展開するには,まずは,「人間的な情況」から「外」にでなくてはならない,とバタイユは言うのである。この「中間領域」に移動していくことを「横滑り」と表現する(谷口指摘により一部修正)。なぜなら,一足飛びに,動物性の世界から人間性の世界に移行することは不可能だから。つまり,徐々に,徐々に,動物性から人間性へと移行していく状態を,バタイユは「横滑り」と表現したわけである。

ここまで読み解いておけば,二つめの問題点は簡単である。
「この『宗教の理論』が衝こうとする背理(パラドックス),すなわち個人を「事物」にし,さらにまた内奥性の拒否としてしまうこの根本的な背理は,おそらくある一つの無力さを明るみに出すであろうが,この無力さの叫びこそ最も深奥にある沈黙への前奏曲となるのである。」

このテクストが衝こうとするパラドックスが,手短かに,凝縮したかたちで語られている。ここを,どのように読み解くかは,かなりの個人差があろうと思う。だから,とりあえず,わたしの読解を提示しておくので,みなさんで議論してもらえれば幸いである。

まずは,「個人を『事物』にする」というパラドックス。「事物」とは,本文にでてくるルビによれば「ショーズ」のこと。事物の前の段階は,「もの」そのもの(オブジェ)。原初の人間は,まず,他者の存在に気づく。その最初の他者が,すなわち「もの」(オブジェ)。「水の中に水があるような存在」,すなわち,動物性の世界にあっては他者はありえない。しかし,原初の人間は,動物性の世界から,ほんの半歩ほど外に踏み出した瞬間に「水ではない」なにか別の他者の存在に目覚める。それが最初の他者,すなわち「もの」そのもの(オブジェ)。

そのオブジェの存在があるとき意味をもち始めることになる。つまり,役に立つ道具となる。石や棍棒などは,その原初の人間の道具であった。このとき,石や棍棒は他のものたちとは別の「事物」(ショーズ)として,はっきりと人間に認識されるようになる。つまり,人間にとって特別の存在となる。「事物」とはそういう存在のことだ。

しかし,やがて人間は,みずからの存在をも事物とするようになる。道具を事物として取り扱うようになると,人間は道具なしには生活できなくなってしまう。つまり,道具と人間の逆転が起こる。道具を駆使しているつもりの人間が,やがて,道具に人間が束縛されることになり,ついには,道具と人間は同格になってしまう。すなわち,人間の「事物化」である。

このことが,もっとも端的に進行したのは,植物の栽培であり,動物の飼育である。植物を栽培しているつもりの人間が,いつのまにか栽培植物の「事物」になってしまう。動物の飼育も同じである。栽培や飼育という人間の営みが,いつのまにか栽培させられ,飼育させられる関係性のうちに閉じ込められてしまう。こうして,人間はいつのまにか「事物」となってしまうのである。

しかも,バタイユに言わせれば,いったん「事物」なってしまった人間は,もはや,元にもどることは不可能だという。このパラドックスを衝くことが,このテクストの目論見だと,バタイユは手の内を明らかにしている。

これと同じパラドックスが「内奥性の拒否」である。原初の人間は,動物と同じ「内奥性」の世界に生きていたのだが,次第に「内奥性」の世界から人間性の世界に移行するにしたがって,やがて,内奥性を拒否するようになる。かつての故郷である動物性,すなわち,内奥性を忌避し,ついには拒否するようになる。それが,こんにちのわたしたちの現実の姿なのだ。

しかし,そのことによって,わたしたちは説明不能の「無力さ」に襲われることになる。つまり,存在の寄る辺なさのような,一種の「不安」である。ひとたび,その不安に襲われると,わたしたちは当てもない「叫び声」を発したくなる。この叫びこそ「もっとも深奥にある沈黙への前奏曲となる」とバタイユは言う。これこそが,祝祭における酒池肉林へと人間を惹きつけて止まない原動力のことではないのか。だとすれば,そこにこそ「宗教的なるもの」の原初の姿が立ち現れるはずであるし,同時に「スポーツ的なるもの」の出現の契機があるに違いない。こんにちのスポーツが含みもつ「闇」のような魅力の源泉は,じつは,ここに行き着くのではないか。

こんなことをわたしは考えつづけているのだが,はたして,どうなのだろうか。多くの人の意見を聞きたいところである。集中講義の楽しみの一つ。

バタイユ『宗教の理論』・総ざらい篇・人間性のパラドックス(背理)ということについて・その1。

これまでの集中講義の折には,飛ばしてきた「緒言」という見出しの短い文章が,テクストのP.13~17.にかけて掲載されている。これまでは,なにげなく読みとばしていたのだが,久しぶりにここを読んでいたら,「えっ?」,「なぬっ?」という直観のようなものがひらめいたので,少しだけ足を止めて考えてみようと思う。

どこが引っかかったかといえば,終わりの方の二カ所。
一つずつ取り上げて考えてみることにしよう。

まずは最初の部分について。
「哲学というイデーそのものに,ある一つの原初的な問いが,すなわちいかにして人間的な情況から外へ出るのかという問いが結ばれている。いかにして,必要性による行動に服従している思考,有用な区切りを立てるよう定められている反省的思考から,自己意識へと,すなわち本質なき──が,意識的な──存在の意識へと横滑りしていくのか,という問いが結ばれているのである。」

「・・・・いかにして人間的な情況から外へ出るのかという問い・・・」。これがバタイユのいう「哲学というイデーそのものに,ある一つの原初的な問い」だというのである。いかにも,バタイユ的な視覚を感じさせる問いではあるが,では,「人間的な情況から外へ出る」とはどういうことを意味しているのか。ここが,この『宗教の理論』を読み解いていく上でキーになるところだ。

わたしたちは,「人間的な情況」にあることに,なんの不思議も感じない。いな,むしろ「人間的な情況」にあることに満足すらしている。あるいは,「人間的な情況」を維持することに生きがいすら感じている。幸せに生きるということは「人間的な情況」を上手に保つことだとさえ思っている。

しかし,哲学的イデーからすればそうではないのだ,と逆説的な問題提起をバタイユはしている。つまり,「いかにして人間的な情況から外へ出るのか」ということが哲学では重要なイデー(理念)なのだ,というのである。ここには,「外へ出る」というもう一つのキーがある。外とは「ex」。バタイユの基本概念の一つである「エクスターズ」(extase)(恍惚,脱自,脱存)の「ex」である。この「エクスターズ」こそが「外に出る」ことそのものを意味している。

ここには,すでに,立派なパラドックスが仕掛けられている。バタイユは,ヘーゲルのいう「絶対知」を対極に設定して,みずからの知,すなわち「非-知」を拠点にして,かれの思想・哲学を展開していく。したがって,ここに何気なく書かれていることは,バタイユにとってはきわめて本質的で,重要な意志表明なのだ,ということがわかってくる。

となれば,「必要性による行動に服従している思考」とか,「有用な区切りを立てるよう定められている反省的思考」というものが,まさに「人間的情況」に生きる思考である,ということもわかってくる。つまり,近代合理主義的な思考そのもののことである。ヨーロッパ近代の論理は「必要性」や「有用性」に思考の軸を置いていることは,もはや,説明するまでもないだろう。わたしたちの,こんにちの生活の価値観の軸はここにあるのだから。

しかし,ここに軸足をとられているかぎり,哲学的イデーをまっとうすることはできない,とバタイユは考える。そのことの意味を説明するために,長い前ふりが,繰り返し,くりかえし述べられている。それは,緒言の冒頭にあるように「私はある運動性に富む思想を,その最終的な状態を求めることなく表現しようと試みたのである」という文章の根拠,あるいは,言い訳ともとれるものである。しかも,この冒頭の文章の末尾には注1.が付されている。

この注1.は,P.162.から166.にいたる,きわめて詳細にわたるものである。この内容をここで取り扱うことは不可能である。したがって,この内容については,講義の中で丁寧に読み解くことにしたいと思う。

ただひとことだけ,断わっておけば,バタイユは,このテクスト『宗教の理論』に限らず,一度,書いた論考に,あとから何回にもわたって推敲を重ねていく,という手法をとっている。それが「私はある運動性に富む思想を,その最終的な状態を求めることなく表現しようと試みたのである」ということの実態である。

このテクストは,その意味では,本文よりも「注」をしっかりと読み込むことが,バタイユの運動性豊かな思想を理解する上では不可欠である。ということは,今回の集中講義では,もっぱら,「注」に光を当ててながらの読解に主眼をおくことが,これまでの読解を補填する上で有効であろうと思われる。

この稿は,思いがけず,長くなってしまったので,ひとまずここで区切ることにしよう。
つぎのブログでは,二つめの問題点をとりあげることにする。

「原発によらない生き方を求めて」,全日本仏教会が異例の「脱原発」宣言。)

12月1日に全日本仏教会は理事会を開き,「原発によらない生き方を求めて」という宣言文を採択した。その要旨が,今日(11日)の『東京新聞』に掲載されたので,紹介しておきたい。

「東京電力福島第一原発事故による放射性物質の拡散により,多くの人々が住み慣れた故郷を追われ,避難生活を強いられている。乳幼児や児童をもつ多くのご家族が子どもたちへの放射線による健康被害を心配している。
 私たち全日本仏教会は『いのち』を脅かす原発への依存を減らし,原発によらない持続可能なエネルギーによる社会の実現を目指す。誰かの犠牲の上に成り立つ豊かさを願うのではなく,個人の幸福が人類の福祉と調和する道を選ばなければならない。
 自身の生活のあり方を見なおす中で,過剰な物質的欲望から脱し,足ることを知り,自然の前で謙虚である生活の実現にむけて最善を尽くし,一人一人の『いのち』が守られる社会を築くことを宣言する。」

 以上は「要旨」だということなので,実際の宣言文はもっと長いものになっているはず。宣言文の全文は全日本仏教会のホームページでも開けばみつかると思う。あとで,調べてみようと思う。

 いずれにしても,全日本仏教会が「脱原発依存」に踏み切った決断にこころからのエールを送りたい。わたしも道元禅師の教えに帰依する者の端くれにいるひとりとして(別に僧籍にある身ではない),ほっと安堵の胸をなでおろしている。堕落の一途をたどっていた仏教がようやく本来の姿を取り戻しつつある,という点で。

 もともと,鎌倉時代の仏教をみればわかるように,仏教は世の中の諸悪に対して「闘う」姿勢をもっていた。日蓮などはその先頭に立っていた。法然・親鸞にしても,生身で生きる人間にとって仏教とはなにかと問いかけ,その到達点を身をもって提示していた。だから,多くの信者を獲得する力をもっていた。道元もまた,京の都を離れて,福井の地に修行道場を建て,「只管打坐」,ひたすら坐禅に励んだ。贅沢三昧の生き方をすることから遠く離れて,質素な生活の中から仏教の布教につとめている。偉大なる僧たちの共通項はここにある。

 さきの宣言文要旨のなかで,仏教の本来のあり方に立ち返る姿勢が述べられていること,そして,そこから「脱原発依存」を説いている点が,わたしには救いとなった。いま,わたしの周囲でも威勢よく「脱原発」を叫ぶ人が少なくないが,自分の生活態度そのものへの反省もないまま,政府・東電を批判することのみに力をそそぐ人が多いのが気がかりでもある。やはり,「足るを知る」生活,「自然の前で謙虚である」生活,この実現のために「脱原発依存」が必要であることの自覚を,まずは身につけるべきだろう。
 
 『いのち』ということばが二度でてくる。『いのち』を脅かす原発を排除し,『いのち』が守られる社会を築くこと。この単純明快な論理を,まだ,理解しようとしない人びとが少なくないことをこそ,わたしは憂慮する。というよりは,悲しい。情けないとも思う。どうして,こんなかんたんな道理を拒否できるのか,わたしには理解できない。

 これは,イデオロギーでも,信仰でもない。生きものとして身を守る,もっとも基本的な本能のようなものだ。これを否定してしまうような「理性」とはいったい,なんのための「理性」なのだろうか,としみじみ考えてしまう。西谷修さんが『理性の探求』(岩波書店)のなかで,繰り返し訴えていることも,この狂気と化してしまった「理性」を取り除き,「いのち」を前提とした「理性」の復権を求めることにある,とわたしは受け止めている。そして,その根源をなす思想・哲学として,ジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』(ちくま学芸文庫)がわたしの脳裏をかすめていく。

 「いのち」との決別の仕方,「いのち」に向き合うスタンスのとり方,「いのち」を超越する方法,「いのち」のみつめ方(まなざし),「いのち」への接近の仕方,「いのち」との折り合いのつけ方,「いのち」のとりこみ方,などなど。バタイユの『宗教の理論』は,「いのち」と人間がどのように向き合ってきたのか,その折り合いのつけ方が,時代や社会によってどのように変化してきたか,をわたしたちに提示してくれる。

 とりわけ,わたしが興味をもつのは,人間が,動物性の世界から抜け出し,人間性の世界を構築するときに,「いのち」とどのように向き合い,折り合いをつけようとしたのか,という点にある。このとき「理性」が次第にその姿を整えはじめるからだ。そのことと,「宗教的なるもの」の出現とは無縁ではない。しかも,この「宗教的なるもの」に付随するようにして「スポーツ的なるのも」の原初の姿が立ち現れる。つまり,スポーツのオリジンをここまで遡って考えてみたい,という次第である。

 この問題については,20日(火)からはじまる神戸市外国語大学の集中講義で,徹底的にこだわって考えてみたいと思う。「脱原発依存」と「狂気と化した理性」と「1000分の1秒の世界」とは一直線に繋がる連鎖なのだ。この問題系を解く手がかりをバタイユの『宗教の理論』に求めよう,というのが集中講義の趣旨である。

 もう時間が足りないが,全力で準備にとりかからなくては・・・。
 「原発によらないスポーツのあり方を求めて」・・・・「21世紀スポーツ文化研究所」の重要なテーマの一つでもある。

2011年12月9日金曜日

バタイユ『宗教の理論』・総ざらい篇・「欲望」その3.

コジェーヴの言説に耳を傾けてみよう。バタイユが引用した最後のパラグラフで,コジェーヴはつぎのように語る。

人間を受動的な平静さ(キエチュード)の内に維持する認識とは反対に,<欲望>は人間を不安(アンキエ)にし,行動するように促進する。行動はこうして<欲望>から生まれたものであるから,それを充足させようとする傾向を持つけれども,行動がその充足をなし遂げることが可能なのは,その欲望の対象を「否定」すること,それを破壊するか,あるいは少なくともそれを変化させることによる以外ない。たとえば飢えを充足させるためには,食料となるものを破壊するか,あるいは変化させる必要がある。このように全て行動というものは,「否定的」に作用するのである。

このコジェーヴの言説をどのように読み取ればいいのだろうか。まずコジェーヴは,人間としての認識は受動的で平静さの内で維持されるけれども,それとは反対に,動物的な欲望は人間を不安にさせるだけではなく,行動を引き起こさせる,という。このパラグラフからコジェーヴはなぜかさきを急ぐようにして,論旨を急転回させている。ここでのキー・ワードは「不安」(アンキエ)であろう。そして,この不安は,人間的な認識と動物的な欲望との落差(亀裂,矛盾,不整合)によって生ずるものを言っているのであろう。だから,その落差を埋め合わせるために「行動」するようになる,という論の展開になっている。このコジェーヴの指摘する「不安」(アンキエ)と,ハイデガーのいう「不安」(ゾルゲ)とは,考えている位相がかなり違うということを,ここでは注意しておこう(その内容については,授業のなかで解説する予定)。

動物的な欲望が,認識を身につけはじめた人間を不安にし,その不安を解消するために行動を引き起こす。しかし,その行動が欲望を充足させるには,欲望の対象を「否定」する以外にない,という。ここでいう「否定」とは,対象を破壊するか,変化させることを意味している。かつて,「文化の否定性」(川田順造)ということがさかんに議論されたことがあるが,そのひとつの根はここにも存在する。いな,この根こそがもっとも根源的なところに届いている,といった方がいいだろう。その意味で,コジェーヴのいう「否定性」のロジックは注目しておくべきであろう。

飢えを充足させる,というたとえは,一見したところわかりやすいが,なかなかそうそう単純ではない,とわたしは考える。つまり,食料となるものを破壊するか,変化させる必要がある,といとも簡単にコジェーヴは述べているが,はたしてどうか。

バタイユは『宗教の理論』の第一部のなかで,この問題に触れて,かなり重要な問題提起をしている。つまり,この「食料となるものを破壊するか,変化させる」ということの意味について,深い論考を展開している。それによれば,人間が,動物性から離れて人間性の世界に入れば入るほど,存在不安を抱き,ますます不安になってくる,という。その不安を解消させるために,人間性の世界では,食料となるものを「殺して,調理する」ということを始める。それは,美味しく食べるという現代的な意味とはまったく無縁で,むしろ,生き物を殺して食べるということに対する恐怖・不安を解消するための智慧の所産だ,とバタイユは説いている。

動物性の世界にあっては,自他の区別がないので,そのままお互いに食べる/食べられる。つまり,調理などすることはない。その必要も感じない。つまり,自己が食べられることも他者を食べることも同じ位相のできごとにすぎないからである。

しかし,動物性から人間性への移行期にあっては,人間は二つの世界を往来することになる。このとき,人間は動物性へ回帰することを諦め(不可能でもある),逆に,決別を迫られることになる。と同時に,動物性の世界にあっては当たり前であったことに,大いなる不安を抱くようになる。この新たな不安を解消することが,人間にとっての大きな課題となって登場することになる。そのひとつが「食べる」という行為の不安解消の方法だ。

動物のようにそのまま「食べる」ことは,人間にあっては許されない。そこで,まずは,動物を殺すことを供犠として位置づけ,供犠としての儀礼を経たのちの動物を,さらに「調理」することによって,動物性の世界との決別・折り合いをつける。そうしてから,はじめて「食べる」という行為が可能となる。このことが,いわゆる「宗教的なるもの」のはじまりと深く結びついている。そして,同時に,「スポーツ的なるもの」のはじまりもまた,こうした人間の存在不安と深く結びついているのではないか,というのがわたしの現段階での仮説である。

ことほどさように,人間の「行動」はすべて「否定的」に作用するのだ,とコジェーヴは断言する。とすれば,「スポーツ的なるもの」の「行動」はなにを「否定」するために立ち上がり,継承されることになったのだろうか。そこに,なんらかの意味がなければ,原初の「スポーツ的なるもの」は伝承されることなく立ち消えになったはずである。しかし,そうではなかった。

では,いったい,なにが「スポーツ的なるもの」を継承させる原動力となったのだろうか。
この点については,この『宗教の理論』読解のための,耐えざる問題意識として維持していくことにしよう。

以上が,コジェーヴの引用文についてのわたしの読解である。
もちろん,これ以外の読解があって当然である。したがって,わたしの読解とは異なる読解があって,それとのすり合わせをとおして,さらに深い読解を目指したい。

以上,コジェーヴの『ヘーゲル読解入門』からの引用文の読解まで。