2012年1月16日月曜日

冷えきったからだを芯から温めるには泡盛・与那国(60度)にかぎる。

このところ,寒い日がつつきます。通常は,夜7時になると鷺沼の事務所の後片付けをして,帰宅します。が,最近になって,ようやく吐く息が白くみえるようになってきました。これまでが暖かすぎたということでしょう。その分,寒いなぁ,と感じます。からだがうまく適応できていない証拠です。

家に着くのは午後8時少し前です。それから夕食です。が,すっかり冷えきってしまったからだはなかなか温まりません。そこで,奥の手を使います(もっとも,これは口実という声もあり)。冷えきったからだを芯から温めるにはこれにかぎります。泡盛の与那国,60度。これをストレートで,キュッと,ほんの少しだけ流し込みます。与那国が舌を滑り,喉を超えて食道を駆け下り,胃の腑でジワーと広がっていくのが手にとるようにわかります。

もちろん,このときに使う盃は,与那国用の極小のもの。信楽焼と備前焼の中間のような,土の地肌がそのままみえる,どろくさい盃です。極小,というサイズは理解できるでしょうか。わたしも,沖縄で初めてお目にかかったもので,ほんとうに小さな盃です。最初は,那覇の国際通りにある泡盛専門店の地下で,出会いました。つまり,泡盛の試飲用のものでした。ちびっとずつ,あれこれ,たくさんの泡盛を試飲するのにちょうどいい,というわけです。

しかし,その後,あちこちで,この小さな盃を眼にするようになり,これはなんのためのものなのか,と聞いてみました。そうしたら,もともとは,サトウキビの刈り入れのときに,暑さで気力がなえそうになったら,60度の泡盛を,この小さな盃で「キュッ」といっぱい飲み干す,そのためのものだ,とのこと。なるほど,と納得。いまでは,それが飲み屋さんにも置いてあるし,一般の家庭にも置いてある,というわけです。

それが,いまでは,わが家にもある,という次第。で,これは使い方によっては,とても便利なものであることが,最近,ようやくわかってきました。これまでは,まさひろ(泡盛)の43度を,ぐい飲みで飲んでいました。一杯で終われば問題はないのですが,二杯目が問題です。二杯目をなみなみと注いでしまったら,あとで仕事になりません。そこで,半分くらいにするのですが,なんとなく物足りないときがあります。そうすると,また,ほんの少しのつもりが半分くらいになってしまいます。このときは,あとの祭りです。

ところが,この極小盃のよさは,一杯ずつ飲んでいって,ああ,このあたりだな,と思ったらそこで打ち止めにすればいいわけです。からだの芯が温まり,気分もいいなぁ,と思ったところで打ち止め。この微妙な量の調節が,自在にできる,ここがポイントです。こういう小回りが効くと同時に,何回も注ぎたしをしていきますので,気分としては,かなりたくさん飲んだという充足感もあります。ここが第二のポイント。

しかし,この極小盃は,60度以上の泡盛を飲むための小道具だということも確かです。試しに,まさひろの43度を,この極小盃で飲んでみると,まことに物足りないのです。ひとくちで,コポッと飲んでしまいます。しかし,さすがに60度となると,そうはいきません。この度数の高い泡盛を,何回にも分節化しながら飲む,というところがミソです。

いつか,どなん(泡盛)の70度が手に入ったら,この極小盃で試してみようと思っています。たぶん,うまくいくのではないか,とそういう予感がします。この予感が大事。もちろん,つぎ足す回数は少なくなるとは思いますが・・・・。当然ですね。

厳寒の夜,冷えきったからだを芯から温めるには,この極小盃で,いまは,与那国の60度が一番。こころの中では,この寒波よ,いつまでもつづけ,と叫びつつ・・・・・。冬の夜の楽しみ。

そうだ。延命庵にも備えおくようにしよう。話題の一つに。

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