2012年1月7日土曜日

暮れに,テレビを購入しました。びっくり仰天の世界が広がっていました。

暮れの押し迫った30日にテレビを購入しました。もともとテレビ大好き人間なので,これがあると「やみつき」になってしまう恐れがあるため,10年ほど経過したテレビが突然「ボン!」と大きな音がして,息絶えたのを機にテレビをもたないことにしました。とてもすっきりした自分の世界をとりもどして,いい気分でいました。

しかし,いろいろの事情があって,急遽,テレビを購入しました。
暮れ・正月は特別なのでしょうが(番組が),それにしても,そこには恐ろしい世界が広がっていました。びっくり仰天です。テレビから遠ざかって,3年ちょっと。この間に,テレビはますます狂った方向に向っている,ということがよくわかりました。

とりわけ,「3・11」をどのように受け止め,通過したか,という反省がまったくない。むしろ,「3・11」をひた隠しにしている姿勢ばかりが目立ちます。たまに,特番があったとしても,ツナミの被災からいかにして立ち上がろうとしているか,という人びとに焦点を充てたものが多い。これはこれでいい。とても大事なことだと思う。しかし,原発の事故のために家・土地を追われてしまった人びとの報道はきわめて少ない。わたしは,意識的に,原発事故についてテレビがどのような報道をしているのか,追いかけている。ところが,これがきわめて少ないのです。

もう少しテレビ・ウォッチングをつづけてから結論を出すべきかとは思いますが,とりあえず,現段階でのわたしの感想を述べておきたいと思います。どう考えてみてもテレビは原発事故の報道を忌避している,としかわたしには思えない。そして,それに代わる地震・津波からの「復興」に視聴者の目を誘導している,と。あとは,おチャラ気の「バカ番組」がゴールデン・タイムを独占していて,視聴者になにも考えさせないで笑わせることに全力を挙げている,と。つまり,視聴者の「思考停止」がその目的。国民総白痴化。

要するに,東電の責任隠しにテレビもまた全力を挙げて取り組んでいる,と。そして,原発事故は天災の延長線上にあるものであって,人災ではない,という姿勢を貫いていること。しかも,原発事故は収束した,と政府は発表。テレビはその路線をひた走る。

しかし,原発が天災によって事故を引き起こすことは「想定内」であったこと,原発がひとたび事故を起こしたら制御不能になること(チェルノブイリで明らかになっていた),その愚を今回もくり返していること,つまり,原発はひとたび「火」をつけたら,その事後処理に膨大な時間と経費を要することは専門家たちはみんな知っていたということ,にもかかわらず前倒しして「火」をつけてしまった結果の「人災」であること,このことをわたしたちは肝に銘じておくこと。これらのことを,決して,忘却の彼方に置き忘れてしまってはいけない。

しかし,テレビは圧倒的多数の愚民を育成するために全力を傾けている。そして,あるタイミングを見計らって,「原発推進は必要なことである」と多数決による政治決定に持ち込みたいのだろう。そんな意図がみえみえ。しかし,多くの人びとはそのことに気づいていない。慢性的テレビ漬けになっている人びとにとっては,これが「ふつう」。

わずか3年余の,テレビ・ブランクが,わたしの感性を「振り出し」にもどしてくれた。だから,とても純粋に,そして,ストレートに,テレビの異形な姿が露になっているのが,はっきりと見える。だから,いまの日本が恐ろしい。

毎日,毎日,ありえないことが,政界でも,財界でも,学界でも,官僚界でも,メディア界でも,そして,世俗界でも,起きている。しかも,それが日常化している。だから,みんなどんどん「マヒ」していく。これが当たり前だ,と。テレビ界はその最先端の「まやかし」づくりに大貢献している。もっともまっとうなニュースを提供しているかのような,大まじめな顔をして。

ビギナーズ・ラックという。久しぶりの,テレビ初心者のみる目は,無欲なだけに,正鵠を射ているのではないかという気がして,いささか恐ろしい。どうか,ここに書いたことが杞憂にすぎなかった,ということになりますように。いまは,静かに祈るのみ。

もう少し長い目で,テレビ・ウォッチングをつづけたい,と思います。
二度と騙されないために。そして,なによりも,わたしたちの「命」を守るために。

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