2011年4月5日火曜日

お花見をしよう。元気を出すために。

 鷺沼駅前の桜がちらほらと咲き始めた。つい,数日前まであんなに固いつぼみだったのに・・・・。信じられないほどだ。西日本はもう桜は満開なのだろう。しかし,新聞もテレビも桜前線の情報は一切流さない。「自粛」している,とでもいうのだろうか。やがて,東日本にも満開がやってくるだろう。そして,被災地でも,間違いなく満開はやってくる。そして,人びとはこの桜の開花から元気をもらうに違いない。
 桜の開花は自然が恵んでくれる恩寵だ。これを愛でるこころは「贅沢」とは違う。ひとり静かに花見を楽しんだり,親しい友人たちとそぞろ歩きをしながら,あるいは,軽く一杯やりながら桜を愛で,英気を養うことはむかしからやってきたことだ。花見酒での馬鹿騒ぎは,いつだって顰蹙を買っている。良識ある花見をして,元気をもらい,これからの困難に立ち向かっていこう。
 このご時世だから,贅沢なことは控え,隠忍自重することは当然のことだ。しかし,なにごとに対しても,ただ,ひたすら「自粛」すればいいというものでもないだろう。これからの長期戦を考えると,あまりにストレスを貯め込まない方がいい。どこかで上手に息抜きをしていかないと,スタミナがもたない。こんなご時世だからこそ,控えめながらも,勇気を出して花見をしよう。そう呼びかけたい。花見のできるわが身のありがたさをとおして,かえって,被災地の人びとの困難を思いやるこころが高まってくるのではないか,とわたしは思う。
 われわれが元気を出さなくてはいけない。われわれが落ちこんでしまっていたら,被災地の人びとに救いの手などさしのべることはできない。まずは,みずからを奮い立たせることからはじめよう。ただでさえ,節電,節電で気持が暗くなっているのだから。せめて,花見でもして,元気を出そう。「三日見ぬ間の桜かな」という。いつまでも花見に酔い痴れるわけではない。桜の満開は,瞬間のことだ。その瞬間にこめる桜の心意気をわがものとしよう。そして,その心意気を震災復興に振り向けていこう。
 お叱りを受けるかもしれないが,わたしは真剣にそう思う。だから,こんどの土曜日には万難を排して花見にでかけようと思う。いまは亡きわが親友の霊と会話するために。たぶん,そのかれも「おい,稲垣,元気を出せよ」と言ってくれるだろう。わたしは,そういう花見をしたい,と考えている。花見の仕方は各人各様。それぞれのやり方で,元気をもらおう。
  そして,いま稼働している全国の原発を,どのようにして稼働停止に持ち込むか,どうすればそれが可能なのか,考えてみたいと思う。そして,そのあとは行動だ。そのためにも「元気」が必要だ。
 お花見をしよう。そして,明日の日本へ向けての第一歩を踏み出すためにも。

1 件のコメント:

まゆのほっぺ さんのコメント...

新聞で岩手の酒造会社の方が花見を自粛しないで、と訴えている記事を目にした。世の中自粛ムードだが反対に買い控えで経済が落ち込む危険があるそうだ。本当に東北を支援したいのなら仕事ができる人は仕事を頑張って支援すればいいということも何かのテレビ番組で言っていたことだ。本当に自分が今、何ができるのか問い直してみたい。