2013年12月23日月曜日

「琉球共和社会憲法C私(試)案」(川満信一・1981年)を読む。

 12月21日(土)の西谷さんが企画したラウンドテーブル「自発的隷従を撃つ」のフィニッシュで登壇された川満信一さんは,その第一声で「これが隷従の顔です」と言ってみずからの顔を指さし,会場を笑いに誘いました。そして,内容のとても重い詩を朗読され,会場のこころが一つになって,これで終わりというところで,唐突に「もう一時間ください」と言って笑いを誘い,爽やかに降壇されました。このユーモアがまた川満さんの魅力でもあります。

 川満信一さんという詩人の存在については,ときおり,どこかの雑誌に掲載されていた詩をとおして,ずいぶん前から,わたしなりに注目してきました。しかし,本人にお会いし,お話をするという機会はありませんでした。ところが,昨年の夏に開催された「奄美自由大学」(今福龍太主宰)で,初めて川満信一さんにお会いすることができました。それも,沖縄の那覇空港でばったりお会いし,奄美大島までのフライトが一緒でした。そんなこともあって,奄美での2泊3日の「奄美自由大学」の期間中,とても近しくお話をさせていただきました。

 なかでも,二日目の夜,それも深夜,12時をまわってほとんどの人は眠りについたというのに,川満さんを囲んで,作家の姜信子さん,田口ランディさん,その中にわたしも入って,大いに盛り上がっていました。その折に,川満さんは仏教の奥深さについてお話をされました。まさか,沖縄の人が仏教についてお話をされるとは思ってもいませんでしたので,わたしもつい興奮して,川満さんのお話に参加させてもらい,ずいぶん深いところまで話が進展していきました。

 そんなことを川満さんがご記憶であったのかどうかはわかりませんが,ラウンドテーブルが開始する直前の時間をみつけて,ご挨拶に川満さんのところに伺いました。すると,「稲垣さん」と声をかけてくださり,「奄美は楽しかったね」と第一声。わたしは感激して両手で握手。川満さんも両手で握ってくださり,感動の一瞬でした。

 このラウンドテーブルのために用意され,配布された,かなり大部の印刷物のなかに「琉球共和社会憲法C私(試)案」のコピーが入っていました。わたしは,ずいぶん前に読んだことのある懐かしさを思い出しながら,再度,この文章を読んでみました。そうしたら,以前,読んだときとはまったく違う,胸の奥深くにまで突き刺さってくる,強烈な衝撃を受けました。

 ヤマトンチュであるわたしは「甘い」「甘かった」という,それ以上の説明の仕方がわからない,とまどいを感じました。それは,1972年に沖縄が本土復帰をはたしたものの,そのときの期待はまったくの夢のまた夢でしかなかったという,絶望をバネにして,ついに本土に見切りをつける川満さんの決意表明がそこに刻まれているからです。

 それが,川満さんの「琉球共和社会憲法C私(試)案」(『新沖縄文学』81年6号)でした。まさに,身を切る思いで書かれた川満さんの「憲法私案」の前文は,つぎのように書かれています。わたしのからだに電撃が走りました。

琉球共和社会憲法
(前文)
 浦添に驕るものたちは浦添によって滅び,首里に驕るものたちは首里によって滅んだ。ピラミッドに驕るものたちはピラミッドによって滅び,長城に驕るものたちもまた長城によって滅んだ。軍備に驕るものたちは軍備によって滅び,法に驕るものたちもまた法によって滅んだ。神によったものたちは神に滅び,人間によったものたちは人間に滅び,愛によったものたちは愛に滅んだ。
 科学に驕るものたちは科学によって滅び,食に驕るものたちは食によって滅ぶ。国家を求めれば国家の牢に住む。集中し,巨大化した国権のもと,搾取と圧迫と殺りくと不平等と貧困と不安の果てに戦争が求められる。落日に染まる砂塵の古都西域を,あるいは鳥の一瞥に鎮まるインカの都を忘れてはならない。否,われわれの足はいまも焦土のうえにある。
 九死に一生を得て廃墟に立ったとき,われわれは戦争が国内の民を殺りくするからくりであることを知らされた。だが,米軍はその廃墟にまたしても巨大な軍事基地をつくった。われわれは非武装の抵抗を続け,そして,ひとしく国民的反省に立って,「戦争放棄」「非戦,非軍備」を冒頭に掲げた「日本国憲法」と,それを遵守する国民に連帯を求め,最後の期待をかけた。結果は無残な裏切りとなって返ってきた。日本国民の反省はあまりにも底浅く,淡雪となって消えた。われわれはもうホトホトに愛想がつきた。
 好戦国日本よ,好戦的日本国民者と権力者共よ,好むところの道を行くがよい。もはやわれわれは人類廃滅への無理心中の道行きをこれ以上共にはできない。

 以上が(前文)で,このあとに第一章 基本理念,そして,第二章,第三章,第四章,第五章,とつづきます。これらの内容については,いつか,また,機会をみつけて論じてみたいと思います。それは,わたしたちがいま生きている資本主義社会を完全に否定した,川満さんの思い描く理想の「共和社会」が描写されています。

 ここからさきは,相当に思考を練り上げてからでないと書けないほどの,濃密な川満さんの思想が織り込まれています。ので,その問題は,またの機会にしたいと思います。取り急ぎ,今回はここまでとしたいと思います。

 まずは,なにより,川満さんの「琉球共和社会憲法C私(試)案」の前文を存分に堪能してみてください。わけても,「琉球共和国憲法」とはいわず,「琉球共和社会憲法」と名づけたところに注目してみてください。その根拠も,この「前文」のなかにみごとに書き込まれています。たとえば,「国家を求めれば国家の牢に住む」以下の文章に明白です。

 そして,この「前文」の最後のところで引導をわたすようにしてヤマトンチュへの決別の辞を書きつけています。すなわち「好戦国日本よ,好戦的日本国民と権力者よ,好むところの道を行くがよい。もはやわれわれは人類破滅への無理心中の道行きをこれ以上共にはできない」と。

 そこに盛り込まれた川満さんの情念はすさまじいものがあります。それでいて,文章全体は詩文のような美しさに満ちあふれています。川満さんの激情と思考の深さに,わたしは感動あるのみです。

 取り急ぎ,今日のところはここまで。
 

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