しばらく前にいただいた「蹴鞠」の手拭いを,事務所の一角に飾ってみました。隣の能面「延命冠者」さんとさりげなくいい具合にシンクロ。とても気に入ってます。
これまで長い間,柿の実の熟した手拭いを上野の国立博物館のミュージアム・ショップでみつけ,飾ってありました。これも奈良の法隆寺の「柿食えば・・・・」を思い出させる雰囲気があって,とても気に入っていました。ですが,やはり長い間,同じものを眺めていますと,少しずつ平凡な感じになっていました。
面白いもので,たった一点,壁面を飾る手拭いひとつで,事務所の雰囲気が「パッ」と一変してしまいました。これぞアートの力とでもいうのでしょうか。
この二つのアート作品を眺めていましたら,妄想が妄想を生んで,とてつもなく面白い空想の世界を遊ぶことができるようになってきました。一つは蹴鞠にまつわる逸話。もう一つは能の世界のいまとむかし。あるいは,能楽が足利義満に見出される「前」と「後」の「投企の時間」(J=P.デュピュイ)。
最初に蹴鞠にまつわる逸話。よく知られるように「大化の改新」は中大兄皇子と中臣鎌足とが,談山神社で蹴鞠をしながら談合し,そこからはじまったという逸話。その談合の内実は,蘇我入鹿をだまし討ちにすること,そこからはじまってつぎは・・・,という具合に連鎖していきます。が,この話はここでは割愛。そして,その後がこれまた大問題。
中大兄皇子はのちの天智天皇。そして,天智は自分の子を宿した女性を中臣鎌足に下賜し,生まれた子どもが藤原不比等。天智と鎌足は蘇我一族を全滅させ,大化の改新から律令国家へと大きく舵を切った,時の中心人物。そして,天武の時代になって,不比等はそれ以前の歴史の改竄に着手(記紀の編纂・異説あり)。それが「正史」としてみなされ,持統へとバトンタッチされて,日本の国家としての屋台骨を築き,以後の日本の歴史に大きな影響を与えることになります。こうした大和朝廷と藤原一族の結託の話。
こんなことを考えながら,この蹴鞠の手拭いを眺めて,妄想の世界を楽しんでいます。
もう一つは能面の延命冠者。つまり,能楽の世界。足利義満によって観阿弥・世阿弥親子が見出され,中央権力の注目を集めるまでの能楽は,猿楽,散楽と呼ばれ地方の神社の祭礼を巡りながら曲芸にも似た演芸をみせて小銭を稼ぐどさ回り芸でした。しかも,名前からも明らかなように,いわゆる世にいう阿弥衆でした。それ以前はもっと身分の低い芸能集団の繰り出す芸にすぎませんでした。
つまり,義満の「前」と「後」とでは月とスッポンほどの違いがありました。その流れがいまの能楽界を形成しています。その気位の高さは恐るべきものがあります。しかし,その気位の高さばかりを鼻にかけ,芸の研鑽がおろそかにするあまり,一部の名手を除けば芸が荒れてしまい,どこかに破局の音がするとまで噂されています。
この「前」と「後」の間のあまりの溝の深さが意味するもの・・・・,別の言い方をすれば,破局の「前」と「後」の間の時間,これはJ=P,デュピュイのいうところの「投企の時間」とどのようにかかわってくるのだろうか,などという具合に想像力をたくましくしているところです。
これからしばらくの間は,楽しみがつきることはなさそうです。
ときには,こんな話も骨休めに・・・・。これもまた「投企の時間」?
これまで長い間,柿の実の熟した手拭いを上野の国立博物館のミュージアム・ショップでみつけ,飾ってありました。これも奈良の法隆寺の「柿食えば・・・・」を思い出させる雰囲気があって,とても気に入っていました。ですが,やはり長い間,同じものを眺めていますと,少しずつ平凡な感じになっていました。
面白いもので,たった一点,壁面を飾る手拭いひとつで,事務所の雰囲気が「パッ」と一変してしまいました。これぞアートの力とでもいうのでしょうか。
この二つのアート作品を眺めていましたら,妄想が妄想を生んで,とてつもなく面白い空想の世界を遊ぶことができるようになってきました。一つは蹴鞠にまつわる逸話。もう一つは能の世界のいまとむかし。あるいは,能楽が足利義満に見出される「前」と「後」の「投企の時間」(J=P.デュピュイ)。
最初に蹴鞠にまつわる逸話。よく知られるように「大化の改新」は中大兄皇子と中臣鎌足とが,談山神社で蹴鞠をしながら談合し,そこからはじまったという逸話。その談合の内実は,蘇我入鹿をだまし討ちにすること,そこからはじまってつぎは・・・,という具合に連鎖していきます。が,この話はここでは割愛。そして,その後がこれまた大問題。
中大兄皇子はのちの天智天皇。そして,天智は自分の子を宿した女性を中臣鎌足に下賜し,生まれた子どもが藤原不比等。天智と鎌足は蘇我一族を全滅させ,大化の改新から律令国家へと大きく舵を切った,時の中心人物。そして,天武の時代になって,不比等はそれ以前の歴史の改竄に着手(記紀の編纂・異説あり)。それが「正史」としてみなされ,持統へとバトンタッチされて,日本の国家としての屋台骨を築き,以後の日本の歴史に大きな影響を与えることになります。こうした大和朝廷と藤原一族の結託の話。
こんなことを考えながら,この蹴鞠の手拭いを眺めて,妄想の世界を楽しんでいます。
もう一つは能面の延命冠者。つまり,能楽の世界。足利義満によって観阿弥・世阿弥親子が見出され,中央権力の注目を集めるまでの能楽は,猿楽,散楽と呼ばれ地方の神社の祭礼を巡りながら曲芸にも似た演芸をみせて小銭を稼ぐどさ回り芸でした。しかも,名前からも明らかなように,いわゆる世にいう阿弥衆でした。それ以前はもっと身分の低い芸能集団の繰り出す芸にすぎませんでした。
つまり,義満の「前」と「後」とでは月とスッポンほどの違いがありました。その流れがいまの能楽界を形成しています。その気位の高さは恐るべきものがあります。しかし,その気位の高さばかりを鼻にかけ,芸の研鑽がおろそかにするあまり,一部の名手を除けば芸が荒れてしまい,どこかに破局の音がするとまで噂されています。
この「前」と「後」の間のあまりの溝の深さが意味するもの・・・・,別の言い方をすれば,破局の「前」と「後」の間の時間,これはJ=P,デュピュイのいうところの「投企の時間」とどのようにかかわってくるのだろうか,などという具合に想像力をたくましくしているところです。
これからしばらくの間は,楽しみがつきることはなさそうです。
ときには,こんな話も骨休めに・・・・。これもまた「投企の時間」?
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