結論から書いておきましょう。
2020年の東京五輪計画はなにからなにまで,まことに杜撰そのものだ,ということです。
まずは,開催期間の設定。2020年7月24日(金)~8月9日(日)。この期間が,日本では猛暑のつづく期間であることは,だれでも承知しています。それを身をもって体験してもらおう,というので今回の企画もその期間中である7月26日(土)に設定されました。予想どおり東京も猛暑に襲われました。みごとに企画が的中でした。ペットボトル2本を飲み干してもまだ足りませんでした。それも移動中は涼しいバスのなかであったにもかかわらず・・・・です。
この期間について,東京五輪招致委員会は,例のIOC総会で,夏休みに入り行楽のシーズンのはじまる絶好の季節である,と嘯いたのです。この猛暑のなかでプレイする選手たちもさることながら,応援にかけつける外国の観光客も,そして,もちろん日本国民も(チケットが売れ残ると小中学生に動員がかかる)たいへんなことになること間違いなしです。1964年の東京五輪のときは,きちんとした判断が機能していて,10月10日という一年でもっとも晴れの多い特異日を開会式にもってきました。そして,文字通りのスポーツの季節のはじまり。
しかも,7月末から8月はじめにかけては台風がやってくる確率がもっとも高い時期でもあります。こんなことは日本人の常識です。ですから,新国立競技場には「屋根」が不可欠ということになったのかもしれません。あの「屋根」は不要です。このことは,また,いつかしっかりと書いてみたいと思います。
第二点は,東京ベイゾーンに東京五輪のための施設を集中的に新築する,という計画です。このこともざっくりと書いておきますが,結論からいえば,東京都の財政的課題の解消が最優先されている,ということです。ことの発端は,夢の島開発計画を石原知事が荒川修作に依頼したときからはじまります。最初,この二人は意気投合して,いっさいの構想を荒川修作に一任しました。荒川は喜んで,かなり情熱を傾けて,とても面白いアイディアの計画を10年かけて完成させました。しかし,石原知事はこの計画では金が儲からないという理由で,拒否してしまいました。荒川は怒って,東京都内で何回も講演をし,石原都知事を徹底的に批判しました。そのうちの一回をわたしは傍聴しています。ですから,荒川修作の計画のあらましは承知しています。また,関係の本もでていますので,そこでも確認しています。
そこから方向転換をはかった石原知事は,東京都の保有する東京ベイゾーンの土地を売りに出しました。しかし,買い手がつきません。なぜなら,東京湾の埋め立てに従事したゼネコンは,その土地がどういうものかを熟知していたからです。最初の埋め立ては,都内からでてくる生ゴミをそのまま海に放り出して山をなし,その上に土をかぶせただけの土地です。ですから,しばしば有毒ガスが噴出したり,ときには火がついて燃え続けたりしました。しかし,いまではすっかり緑地化が進み,その影すら見えません。しかし,ゼネコンは動きません。
そこへ東京五輪の招致が決まりました。これらの空き地に五輪用の競技施設を新築すれば,最大の難題が解消する,というわけです。あるいは,順序が逆で,これらの難題を解消するために五輪を招致することに全力を傾けた,ということの方が実態に近いと思います。
こうして,晴海埠頭に予定されている選手村を中心にして,半径8㎞以内に,コンパクトに会場を集中させた東京五輪,というキャッチフレーズが生みだされます。しかし,その実態や背景を知るにつけ,世にも恐ろしい悪巧みが満載である,ということがわかってきます。
たとえば,その選手村。晴海埠頭に隣接する一等地が,いまも空き地になっています。その理由は繰り返しません。しかも,この土地は,東京都の条例により,マンションのような人が住む建物は建てられないところです。いわゆる港湾地区は防潮堤の外側に位置するため,人間の居住以外の目的の建造物しか許されていません。そこに,五輪の選手村をつくる,というのです。明らかに,現状では都条例違反です。そのうち,例外措置をとることになるのでしょうが,それにしても「異常」というか,考えることが「狂気」に近いと言うほかはありません。
こんなことをIOCが知ったら,あるいは,世界のトップ・アスリートが知ったら,どういうことになるのでしょうか。しかし,いずれは知られることになるのは必定です。五輪出場を辞退する選手もでてくることでしょう。北京大会のときにその前例がありました。しかし,事態は北京以上に深刻な問題です。大きな地震がくれば,まっさきに津波にさらされる場所です(晴海埠頭の隣ですから)。それに有毒ガスの噴出,地盤の液状化が追い打ちをかけてきます。
東京都民が住むこともできない場所に,五輪の選手村をつくる,というのです。もはや,国際社会に向ける顔もありません。
今回は,たった二つの話題で終わりにしますが,おいおい詳しい問題点などを書いてみたいと考えています。
今回の企画は,新建築家技術者集団が主催したもので,わたしはネット上でこの情報を知り,大急ぎで申し込みをしました。すでに,40名の定員をオーバーしていましたが,特別の便宜をはかってくださって,参加可となりました。朝9時に千駄ヶ谷駅前集合。そこから霞ケ丘国立競技場周辺を歩いて見学(問題のポイントでは,適切な解説つき,これが素晴らしかった)。そのあと,絵画館前の駐車場からバスにのり,ツアーの開始。
コースは駒沢オリンピック公園⇒大井スポーツ公園(昼食)⇒海の森・若洲経由⇒葛西臨海公園⇒夢の島公園⇒辰巳国際水泳場⇒晴海埠頭(選手村)⇒新橋駅・解散(打ち上げ)。
今回のツアーでは,わたしの知らなかった情報がいっぱい得られ,とてもいい勉強になりました。こんごも追加の調査を加えた上で,東京五輪とはなにか,を考えていきたいと思います。
以上,とりあえずのご報告まで。
2020年の東京五輪計画はなにからなにまで,まことに杜撰そのものだ,ということです。
まずは,開催期間の設定。2020年7月24日(金)~8月9日(日)。この期間が,日本では猛暑のつづく期間であることは,だれでも承知しています。それを身をもって体験してもらおう,というので今回の企画もその期間中である7月26日(土)に設定されました。予想どおり東京も猛暑に襲われました。みごとに企画が的中でした。ペットボトル2本を飲み干してもまだ足りませんでした。それも移動中は涼しいバスのなかであったにもかかわらず・・・・です。
この期間について,東京五輪招致委員会は,例のIOC総会で,夏休みに入り行楽のシーズンのはじまる絶好の季節である,と嘯いたのです。この猛暑のなかでプレイする選手たちもさることながら,応援にかけつける外国の観光客も,そして,もちろん日本国民も(チケットが売れ残ると小中学生に動員がかかる)たいへんなことになること間違いなしです。1964年の東京五輪のときは,きちんとした判断が機能していて,10月10日という一年でもっとも晴れの多い特異日を開会式にもってきました。そして,文字通りのスポーツの季節のはじまり。
しかも,7月末から8月はじめにかけては台風がやってくる確率がもっとも高い時期でもあります。こんなことは日本人の常識です。ですから,新国立競技場には「屋根」が不可欠ということになったのかもしれません。あの「屋根」は不要です。このことは,また,いつかしっかりと書いてみたいと思います。
第二点は,東京ベイゾーンに東京五輪のための施設を集中的に新築する,という計画です。このこともざっくりと書いておきますが,結論からいえば,東京都の財政的課題の解消が最優先されている,ということです。ことの発端は,夢の島開発計画を石原知事が荒川修作に依頼したときからはじまります。最初,この二人は意気投合して,いっさいの構想を荒川修作に一任しました。荒川は喜んで,かなり情熱を傾けて,とても面白いアイディアの計画を10年かけて完成させました。しかし,石原知事はこの計画では金が儲からないという理由で,拒否してしまいました。荒川は怒って,東京都内で何回も講演をし,石原都知事を徹底的に批判しました。そのうちの一回をわたしは傍聴しています。ですから,荒川修作の計画のあらましは承知しています。また,関係の本もでていますので,そこでも確認しています。
そこから方向転換をはかった石原知事は,東京都の保有する東京ベイゾーンの土地を売りに出しました。しかし,買い手がつきません。なぜなら,東京湾の埋め立てに従事したゼネコンは,その土地がどういうものかを熟知していたからです。最初の埋め立ては,都内からでてくる生ゴミをそのまま海に放り出して山をなし,その上に土をかぶせただけの土地です。ですから,しばしば有毒ガスが噴出したり,ときには火がついて燃え続けたりしました。しかし,いまではすっかり緑地化が進み,その影すら見えません。しかし,ゼネコンは動きません。
そこへ東京五輪の招致が決まりました。これらの空き地に五輪用の競技施設を新築すれば,最大の難題が解消する,というわけです。あるいは,順序が逆で,これらの難題を解消するために五輪を招致することに全力を傾けた,ということの方が実態に近いと思います。
こうして,晴海埠頭に予定されている選手村を中心にして,半径8㎞以内に,コンパクトに会場を集中させた東京五輪,というキャッチフレーズが生みだされます。しかし,その実態や背景を知るにつけ,世にも恐ろしい悪巧みが満載である,ということがわかってきます。
たとえば,その選手村。晴海埠頭に隣接する一等地が,いまも空き地になっています。その理由は繰り返しません。しかも,この土地は,東京都の条例により,マンションのような人が住む建物は建てられないところです。いわゆる港湾地区は防潮堤の外側に位置するため,人間の居住以外の目的の建造物しか許されていません。そこに,五輪の選手村をつくる,というのです。明らかに,現状では都条例違反です。そのうち,例外措置をとることになるのでしょうが,それにしても「異常」というか,考えることが「狂気」に近いと言うほかはありません。
晴海埠頭のタワーの上から選手村予定地を見下ろす
この写真の左側に野球場が2面。その先は海です。
言ってみれば海抜0m地区です。
こんなことをIOCが知ったら,あるいは,世界のトップ・アスリートが知ったら,どういうことになるのでしょうか。しかし,いずれは知られることになるのは必定です。五輪出場を辞退する選手もでてくることでしょう。北京大会のときにその前例がありました。しかし,事態は北京以上に深刻な問題です。大きな地震がくれば,まっさきに津波にさらされる場所です(晴海埠頭の隣ですから)。それに有毒ガスの噴出,地盤の液状化が追い打ちをかけてきます。
東京都民が住むこともできない場所に,五輪の選手村をつくる,というのです。もはや,国際社会に向ける顔もありません。
今回は,たった二つの話題で終わりにしますが,おいおい詳しい問題点などを書いてみたいと考えています。
今回の企画は,新建築家技術者集団が主催したもので,わたしはネット上でこの情報を知り,大急ぎで申し込みをしました。すでに,40名の定員をオーバーしていましたが,特別の便宜をはかってくださって,参加可となりました。朝9時に千駄ヶ谷駅前集合。そこから霞ケ丘国立競技場周辺を歩いて見学(問題のポイントでは,適切な解説つき,これが素晴らしかった)。そのあと,絵画館前の駐車場からバスにのり,ツアーの開始。
コースは駒沢オリンピック公園⇒大井スポーツ公園(昼食)⇒海の森・若洲経由⇒葛西臨海公園⇒夢の島公園⇒辰巳国際水泳場⇒晴海埠頭(選手村)⇒新橋駅・解散(打ち上げ)。
今回のツアーでは,わたしの知らなかった情報がいっぱい得られ,とてもいい勉強になりました。こんごも追加の調査を加えた上で,東京五輪とはなにか,を考えていきたいと思います。
以上,とりあえずのご報告まで。
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