2014年7月2日水曜日

Facebookは活用の仕方次第。素晴らしいニュース・ソースがいっぱい。みずからがメディアになれる世界。

 ずいぶん前にFacebookを開設したものの,その活用の仕方をよく理解しないまま放置していました。そして,時折,どんな記事が載っているのだろうかと覗いてみると,まあ,とてものどかな趣味の世界の話題ばかりが並んでいます。ああ,Facebookとはこういう世界なのか,といささか意気阻喪。これだったら,ブログで頑張ってみずからの思考を深めながら,文章を書いている方が,日々新たな自己と向き合うことができると思い,ブログに専念していました。

 ところが,です。あることがきっかけで,西谷修さんのFacebookを覗いてみました。すると,ここにはわたしの想像していたFacebookとはまるで異なる情報が,いわゆる「シェア」されて紹介されています。さらに開いて内容をしっかり読んでみますと,そこには驚くべき世界が広がっていました。なぜなら,日本の新聞やテレビがけして報道しない(しようとしない/できない?)情報が満載でした。これはいけない,と身を引き締めました。

 たとえば,こうです。この間の新宿での焼身自殺未遂事件について,日本のメディアの大半はスルーしてしまいました。つまり,なかったことにしてしまいました。ですから,この事件の内容をわたしたちはほとんど知ることはできませんでした。しかし,Facebookの世界は違っていました。もちろん,Facebookの世界でもいい加減な情報も流れていました。

 が,少し丁寧にレベルの高いソースをたどっていきますと,そこには驚くべき事実が伝えられていました。たとえば,この事件が海外ではどのように扱われているのかという生の証拠を提示する情報が,つぎつぎに現れました。まず,驚いたのは,焼身自殺未遂の現場の映像がそのまま流れていたことです。つまり,ハンドマイクを片手に集団的自衛権の行使容認に反対する演説をし(この音声はこの映像からは聞き取れませんでしたが),そのあとガソリンを頭からかぶり,ライターを取り出して火を点ける一部始終が映像となって流れています。そして,それを直にみていた周囲からは女性の悲鳴があがっている声も聞き取れます。それから,消防隊が駆けつけ放水をはじめ,消火し,自殺未遂者を担架で運び出すまで,すべて映像としてリアルに流されていました。

 この衝撃的な映像が海外のメディアが重視し,そのまま放映し,この映像をてがかりにして,この焼身自殺未遂がなにを意味しているのかを,詳細に論じ,多くの論議を生んでいるというのです。そして,その背景にあるものが何かを分析して,日本という国家がかかえている深刻な問題を抉りだしている,というのです。

 その実例の一つとして,ドイツの新聞記事が取り上げられていました。そこには,ドイツ語の記事の一部がそのまま転載され,しかも,その日本語訳まで投稿者の好意で付されていました。そして,投稿者は,こういう現実をしっかりと見極めて,日本のメディアがいかにいい加減(いや,意図的・計画的に,政府にとってマイナスとなる情報に蓋をしてしまっている,しかも,そのことに一致団結しているかにみえる)であるか,そして,いかに危険な国家となりはててしまっているのか,という警鐘を鳴らしています。

 つまり,海外のメディアには,立派にジャーナリズムの批評精神が生きています。つまり,精確な情報をありのまま流し,それに対する議論を展開し,みんなでその本質を考えようという姿勢が貫かれています。こういう世界であってはじめて民主主義が意味をもち,国家や政治の姿勢が糺され,浄化されていく,というわけです。ここで重要なことは「自浄能力」です。しかし,いまの日本には,民主主義も,ジャーナリズムの批評精神も,なにもありません。それどころか,政府が先陣を切って,国家の最高法規である憲法をないがしろにしようとしているのですから。少なくとも政府は,日本国憲法の精神を遵守するという枠組みのもとで権力を委託されているのであって,その政府が憲法を「遵守」するどころか,その上に立って解釈改憲(壊憲)を行おうとしているのですから,これは明らかに違法行為です。そのことに政府自民党の圧倒的多数の議員(そこに公明党の議員も加わっている)は,まったく無自覚のまま(あるいは知らぬふりをして)暴走しています。もはや,開いた口がふさがりません。

 というような具合に,Facebookは活用の仕方いかんによっては,日本の政府やNHKがひた隠しにしている「生の情報」を,そっくり手に入れることができます。そして,日々,新たになっていくみずからの思考や,生きる姿勢と向き合い,まことに充実した時間を確保することができます。わたしにとっては,あの青春時代の日々の,驚きの発見の連続であった,はらはらどきどきの日常がふたたび戻ってきたように思います。

 いかに,政・官・財・学・報が五位一体となって,情報をコントロールしようとも,国民がそのままメディアの主体となって情報を発信するインターネットの世界を統御することはできません。いや,すでに,インターネット上を流れている情報も,じつは,権力によって委託業者がつぎつぎに消しにかかっていることは承知しています。現に,数分前まで見ることのできた情報があっという間に消えていることは,よくあることです。でも,それに負けないように,これは,と思われる情報はわたしたちの手でつぎつぎに「シェア」して,思いっきり「拡散」させることです。

 その意味で,Facebookのもつ可能性に,わたしは賭けてみたいと,つい最近になって気づいたという次第です。恥ずかしながら,気づいたときが吉日と考え,あえて告白させていただきました。「知るは一時の恥,知らぬは一生の恥」ともいいますので・・・・。

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