2013年10月31日木曜日

日展で入選を事前に配分していた,とメディアは一斉に批判。では,その代案はあるのか。

  朝日新聞のスクープ記事が大きな話題になっています。わたしはネット情報をみてから,鷺沼の事務所に行く途中のコンビニで朝日新聞を購入しました。なるほど,証拠の手紙まで抑えて,詳細に日展の舞台裏を劈開してみせています。みごとな記事になっています。ネット情報によれば,茂木健一郎さんが絶賛しているとか。

 しかし,わたしのような日展などにまったく縁のない素人でも,かなり以前から「入選事前配分」の話は知っていました。それも「篆刻」部門だけではない,ということも。ですから,美術界では公然の秘密なのだと思っていました。つまり,日展に入選するには「しかるべきルート」を通過することが必要なのだ,と。もっと言ってしまえば,どの先生のところに入門して弟子となるか,これがきわめて重要である,と。

 しかし,よくよく考えてみますと,美術作品のできばえを比較してその優劣を決めるということはいったいどういうことなのか,という疑問がその背後にはあります。たとえば,近代オリンピック競技でも「芸術部門」を設けて,メダル競争をしたことがあります。1928年のアムステルダム大会(オランダ)です。このときに「文学部門」で金メダルをとった作品が,フランツ・メゾーの『古代オリンピックの歴史』です。日本でも翻訳されていますので,ご存じの方も少なくないとおもいます。わたしは,まだ翻訳がでる前でしたので,ドイツ語版で読み,自家用に翻訳もしてみました。ですから,この著作が「金メダル」を授与された作品だということをよく知っています。

 「芸術部門」は,この作品のような文学(歴史書を文学として扱うことにも違和感がありましたが)もあれば,絵画,彫刻,音楽,など多岐にわたっていたように記憶します。これらがどのようにして審査されたのか,調べてみると面白いと,いまごろになって思っています。

 なぜなら,陸上競技のように,速さは時間で,高さや距離は巻き尺で,という具合に「計測」ができ,客観的に「判定」することができます。が,美術作品を判定する客観的な方法というものはあるのだろうか,とその当時,大いに疑問におもいました。それと近いところで,いまも問題になっているのが,採点競技です。体操競技,フィギュアスケート,シンクロナイズド・スウィミング,など。これらは,いずれも「美」の基準を定めて,それを点数化して,比較しています。しかし,そこには問題が山積です。

 ましてや,美術作品となったら,それは,もはや比較のしようがないのではないか,しかも,優劣を決めるなどということは,とんでもないことと言うしかありません。たとえば,ピカソの絵とゴッホの絵を比較して点数化する,という情景を思い描いてみてください。

 それは,わたしの比較的よく知っている書道の世界でも同じです。流派の違う作品の優劣は決めようがありません。たとえば,同じ流派のなかでの優劣の比較なら,その流派の達人がみれば,たちどころに判定は可能でしょう。しかし,流派を越えたとたんに,それは比較の対象とはなりえない,とわたしはおもいます。

 その結果,編み出された方法が,日展方式なのではないか,とわたしはむかしから思っていました。つまり,流派(あるいは,会派)ごとに入選作品の数を配分して,その中で競い合い,判定をしてもらう,というわけです。これは奇怪しいといって批判することはいとも簡単です。そして,多くの人たちが「そうだ,そうだ」といって声を大にして賛同することでしょう。では,それに代わる「判定」の方法を提案しろ,といわれたらどうするのでしょうか。よくも,悪くも,長年にわたって,苦労に苦労を重ねてゆきついた究極の「判定」方法が,おそらくこれだったのではないか,とわたしなどは,ひとまず弁護しておきたいとおもいます。

 代案なしに批判することは簡単です。しかも,いかにも正義に満ちた,非の打ちどころのない立派な批判に聞こえます。では,それがいけないというのなら,それに代わる代案を提示してもらいたい。いったい,どうすればいいのか,メディアの側からの提案が可能なのか,わたしはしばらくの間,この様子を傍観してみたいと思っています。おそらく,まことに馬鹿げた「批判」「批難」「誹謗」「中傷」,これに類するありとあらゆる言説が飛び交うことだろうと思っています。

 しかし,大山鳴動して鼠一匹・・・・・。

 例題・その1。
 ピカソ,ゴッホ,セザンヌ,モネ,ルソー,岡本太郎,横山大観,梅原龍三郎,以下,だれでもいいのですが,それぞれの代表作を並べて,その中から金メダル,銀メダル,銅メダルに相当する人を選べ,といわれたらあなたならどうしますか。

2013年10月30日水曜日

左右の脚力を補正するための方法について・李自力老師語録・その38。

 今日(30日)は3週間ぶりの稽古でした。一回は台風のため,もう一回は会場の都合で,結局2回つづけてお休みになってしまいました。ですので,久しぶりにみんなで顔を合わせました。そこにひょっこりと,わたしにメールをくださっていたWさんが現れました。お名前は存じあげていましたが,お会いするのは初めて。稽古を見学させてください,と仰る。お話を伺ってみますと,10年ほどの経験があるとのこと。じゃあ,一緒にどうですか,ということになり初参加。

 今日はなんとなく李老師が現れそうな予感がしていました。上手に齢を重ねると,とてもうまい具合に予感が働くようになる,とむかしの人は言ってました。いまのことばで言えば,サクセスフル・エイジングということになりましょうか。わたしもいつのまにかほんの少しだけですが予感が働くようになってきました。まだまだ,確率は低いのですが,おやっ?と思うことが多くなってきました。欲得が徐々に減ってきて,人間的な世俗の欲望からほんのわずかずつとはいえ解放されつつあり,それに比例するようにして自然存在にもどっていくような感じです。自然存在,すなわち動物のような存在。ひょっとしたら,かつての動物性の世界への回帰なのかな,と思ったりしています。ですから,いま感じはじめている予感は,別の言い方をすれば,動物的直観?かな,と思ったりしています。そうか,サクセスフル・エイジングとは動物性の世界に帰っていくということらしい。

 というわけで,わたしの予感は今回に関してはぴたりとあたりました。いつものように,思いおもいに準備運動をし,基本の運動の稽古の途中で,わたしの背後のドアのあたりに尋常ならざる空気が流れました。もう,それだけでわかりました。やっぱり,と。そのとたんに稽古場に緊張が走ります。この感じが,日常の稽古とは違って,またとてもいい具合です。なぜなら,李老師にみられているというだけで,いつもの平常心がくずれて,動作も不思議なほどに狂いはじめます。自分でも信じられないほどのおかしな太極拳をはじめています。そこを見逃すことなくワン・ポイント指摘の李老師の個別指導が入ります。

 基本の動作の稽古が終わったところで,今回は,全体的なワン・ポイントの指導が入りました。今日は,「目線」でした。顔が正面を向いたまま眼線だけ後ろに向けるのではなく,目線の動きに合わせて首・頭も後ろにまわしなさい,と。そうして,悪い見本をもののみごとにみせてくださいます。思わず吹き出してしまうほど上手なので,いつも感心してしまいます。いわゆる「ものまね」です。子ども時代の世阿弥が「ものまね」の名人だったそうですが,その世阿弥の芸を上回るほとのうまさです。李老師の偉さは,その上で,きちんとした動作を垂範してくださるところにあります。すると,もののみごとに,まるで違う世界に誘われるような気持になります。この違いはいったいどういうことなのだろうか,といつも考えてしまいます。たぶん,その格差をとおして,ほんものの姿をしっかりと覚えておきなさい,というメッセージなのだろうとわたしは受け止めています。

 それも,いまの段階では,という断り書きにしておきたいと思います。といいますのは,わたしの眼力がさらに高まってきますと,また違った見方がてきるようになってくるからです。これまでも,そういうことの繰り返しでした。

 さて,今日は,レッスンの途中で,わたしとNさんとの間で,左脚が右脚のようには使えないという話になりました。やはり,右利き,左利きは足にもあって,お互いに右利きの足をしていることがわかりました。だから,左脚を軸にした動作は不得手である,というような二人の会話を聞いていた李老師が,それなら,ということでたとえば,バイフウリャンシーをいつもとは反対のやり方をしてみてはどうですか,ということになりました。

 そして,24式は基本的に右足に体重のかかった動作が多いので,どうしても左脚よりも右脚が強くなっていきます。それはごく当たり前のことです。ですから,それを補正するには,左右反対の動作を基本の運動の稽古のなかに取り入れればいい,と李老師は仰います。

 そうしてこんどは,左右反対の動作を李老師が率先して垂範してくださいます。わたしたちは,そのあとを必死で「ものまね」をするのですが,なかなか思うに任せません。これはひょっとすると,右脚を中心にした太極拳の動作にからだがなじんでしまって,左脚を軸にした動作ができなくなってしまっているということではないか,といささか焦りを感じてしまいます。なぜなら,李老師は左右どちらの動作も自由自在にアレンジしてみせてくれるからです。わたしたちにはそれができません。武術である以上はそれはまずい,と考えてしまいます。

 これはもういっそのこと,24式の動作を左右反対にひっくり返して,最初から逆の動作で始めてみてはどうだろうか,といまになって考えています。左右の脚力のバランスを補正するにはこれが一番ではないか,と。李老師はそこまでは仰いませんでしたが,基本の動作のなかで左右反対の稽古も取り入れるべし,とのことですので,それほど間違ったことではないと思います。

 苦手の左脚を強化するための方法は,もちろん,ほかにもいろいろあるでしょう。それは創意工夫することによって,いくらでもその方法を編み出すことは可能でしょう。そのきっかけを李老師は与えてくださった,という次第です。

 以上,如是我聞。
 

川上未映子の新作に「作品の倫理」を問うコラムニスト「アイスマン」氏にひとこと。

 川上未映子の『愛の夢とか』(講談社刊)が第49回谷崎潤一郎賞を受賞した。贈呈式は10月17日。『週刊読書人』(10月25日号)にその記事が載っていて,受賞者挨拶も掲載されている。なるほど,あの作品が谷崎潤一郎賞を受賞したんだ,と密かな隠れファンのひとりとしては嬉しかった。また,一皮剥けたな,と感じていたから。しかし,それが,こういう賞につながるとは思ってもみなかった。だから,逆に,ワンランク・アップしたことを文学界が認めた,このことが嬉しかった。

 別に賞をもらえば偉いとか,そういうことを言うつもりはない。しかし,なにも賞をもらえないでいるよりは,このような大きな賞に選ばれることは,意味のあることだと思う。やはり作家にとっては大きな励みになるはずだから。そして,作家によっては,それを契機にして,さらに進化を遂げていくことも少なくないからだ。

 わたしの好きな山田詠美という作家は,いまでは受賞していない賞を数えた方が早いほど多くの賞を受けている。ずーっと読み続けているので,その変化もよくわかるのだが,やはり,受賞作は新しい試みにチャレンジしていて,それが成功している。が,その反面では,なんでこんな作品を発表してしまったのだろうか,という作品もないではない。とりまきの編集担当者のなかには業績稼ぎのために,作品のできのよしあしの見境もなく,急いで上梓してしまうこともなくはない。たぶん,そんなタイミングのときには,わたしのようなファンの多くは失望したりしているに違いない。しかし,それもつぎの大作を書くための助走であったり,ステップであったりすることもある。だから,すべての作品が完璧でなければならない,とも思わない。もう,そういう時代は過ぎたのではないか,とわたしは考えている。

 その点では,いま人気の村上春樹だってそうだ。やはり,多少の当たり外れはやむを得ないことなのだろうと思う。しかも,好みの問題も絡むので,作品がいいか,悪いかの判定はむつかしい。しばらく時間が経過しないとほんとうの評価が定まらないことも少なくない。個人的には好みの問題の方が優先する。あえて言っておけば,わたし自身は村上春樹はあまり好きではない。でも,あまりに世間がうるさいので,時折,読むこともある。その程度だ。

 川上未映子は,たぶん,いま,いろいろの思考実験を試みているのだろうなぁ,と受け止めている。わざわざ慶応大学の哲学教授の門を叩き,思想・哲学の勉強に勤しんだこともある。作家としての思想的基盤を固めたかったのだろうなぁ,ということはよくわかる。し,多くの作家はそれなりに思想・哲学的基盤を構築するために,密かに努力を重ねている。むしろ,思想・哲学がまるでない作家などは,この世界では相手にされないだろう。

 だから,川上未映子が思想・哲学を下敷きにして,思考実験をしながら作品に挑むこと自体はなんの問題もない。大いに推奨こそされ,非難されるべき筋合いではないだろう。

 が,10月28日の『東京新聞』夕刊のコラム「大波小波」に「アイスマン」(ペンネームなのだろうと思う)氏が,川上未映子の新作「ミス・アイスサンドイッチ」(『新潮』11月号)をとりあげて,きびしい評論を展開している。題して「作品の倫理性」。

 しかし,残念なことにわずかな字数のなかに,あれもこれも詰めこんでいるので,話がいささか抽象的でわかりにくい。いわゆる「空中戦」を挑んでいるわけだが,その真意がなかなかつたわってこない。短い文章なので,引いておこう。その方が誤解がなくて済む。

 川上未映子「ミス・アイスサントイッチ」(『新潮』11月号)には,以前の「ヘヴン」と同様に,顔にネガティヴなしるしを抱えた人物が登場する。前はそれが少年であり主人公だったが,今回は妙齢の女性であり,少年の主人公が彼女に興味を惹(ひ)かれて観察するという,内側からか外側からかの視点の違いがある。
 少年はまだ美醜の感覚を世間から刷り込まれる前の状態で,彼女の容貌になにか普通と違うものを感じてはいても,それを「醜」とは必ずしも捉えない。ここには,美の相対性の問題,また美と倫理の連続性の問題などが示されているが,しかし,作品の中ではその思想の骨格部分だけが目立ち,小説としての肉付けと乖離(かいり)してしまっている。物語や文体のつくられた幼稚さがそぐわないのだ。
 「ヘヴン」のときもそうだったが,その乖離の原因は,要は人物たちが思想に合わせて作りあげられた人形だからであり,それが特に,迫害の対象となる者である場合には,かえって嗜虐性(しぎゃくせい)さえ喚起してしまう恐ろしさがある。どちらの作品もハッピーエンドを迎えるが,それがこの問題を解消することになりはしないだろう。倫理や美を語るなら,作品としての倫理の問題も突き詰めてほしいものだ。(アイスマン)

 という具合である。どうやら,思想が目立ちすぎて,それを補完するだけの小説としての肉付けが足りないこと,「嗜虐性さえ喚起してしまう恐ろしさがある」こと,「倫理や美を語るなら,作品としての倫理」もきちんとすべきこと,の3点が問題だと主張しているように見受けられる。

 しかし,川上未映子の作品は最初のデビュー当時から「嗜虐性」に満ちたものであったし,それを喚起させることは彼女の狙いでもあったはずだ。わたしはびっくり仰天して,胸が高鳴ったことをいまも忘れない。そんな小説は滅多にお目にかかれないからだ。それほどに文体も物語も奇想天外だった。そのことを考えると,美醜の二項対立的な思考や近代的な倫理そのものの無意味性を,彼女はあの「つくられた幼稚さ」で,あえて描いてみせたのであって,それこそがこの作品に込めた彼女の作戦であり,戦略であったはずだ。それを上から目線で評論する「アイスマン」氏の意図が,わたしには不可解である。

 もし,あえて,言うとすれば,純文学としての体裁を整えろ,と「アイスマン」氏は言いたいのかもしれない。しかし,その純文学そのものをも壊そうとたくらんでいるのが川上未映子という作家だとしたら,「アイスマン」氏もまんまとその術中にはまってしまった,ということになってしまうだろう。どうやら,「アイスマン」氏の思想の問題が,逆に,露呈してしまったというのがわたしの読みであるが,はたして,どんなものなのだろうか。

さらに切り返しておけば・・・・,と考えたことがあるがすでに長くなっているので,今回はここまでとする。
 

2013年10月29日火曜日

講演を終えて一夜明け,反省することばかり。「スポーツは政治・経済・メディアとの複合体である」という結論を提起できず・・・。

 いつものことですが,講演が終わった翌日はなんとも砂を噛む思いでいっぱいです。あそこはこのように話すべきだった,ここの部分はもっとふくらませて話すべきだった,などなど。後悔することばかり。もう二度と講演などは引き受けるものではない,と落ち込んでいます。でも,不思議なことに,しばらくすると忘れてしまいます。そして,また,依頼されるとさんざん迷いながらも,最終的には引き受けてしまいます。自分で自分がよくわかりません。

 「オリンピックとはなにか,スポーツとはなにか」という大きなくくりの講演タイトルでしたので,どんな話をしてもそれなりに体裁は整うはずだと呑気に構えていました。ですから,一応の話の道筋だけメモをして,壇上に立ちました。主催者から4~50人程度と伺っていましたので,ゆっくり考えながらお話をさせてもらえれば・・・と考えていました。

 フタを開けてみたら,なんと200人用の教室がほぼ満員。こんなに大勢の方を前にしての講演は久しぶりだったこともあり,壇上に立っていささかあわてました。よく見回してみますと,立派な業績を残された大先輩から,元同僚だった先生,それぞれの専門の世界で活躍されている顔見知りの人たち,出版社の編集者,とうとうの顔ぶれが眼に飛び込んできます。そのたびに,あれあれと思いながら,なかなか話の本筋に入ることができずに,序盤ですでに乱れはじめました。

 もう,こうなると用意していったメモはほとんどなんの役にも立ちません。メモなど無視して,その場のアドリブで流していくしかありません。途中で何回も頭の中が真っ白になりながら,そのつど体勢を建て直そうと努力し,その瞬間に頭に浮かぶことを頼りに,とにもかくにも前に話を進めることに全力投球です。このあたりから冷えきっていたからだがかっかと熱くなりはじめ,わけのわからないことを必死になってしゃべっている自分の姿がみえてきます。なんともやり切れない思いがわたしの全身を覆います。どこかで壁穴をつくって一刻も早くそこから脱出しなければ・・・・と焦るばかり。

 結局,最後まで中途半端な話ばかりで終わってしまいました。が,最後の質疑のところで,司会者からとてもありがたい質問があり,それへの応答でようやく気持が落ち着いてきて,いくらかまともなお話ができたのではないか,と自己弁護しつつ,みずからを慰めています。

 講演が終わってから,何人かの人が集まってきて,あれこれ意見の交換がありました。ここでの話がとても面白かったのですが・・・・。また,いつか,別の機会に・・・ということで散会。そのあと,何人かの若い友人を誘って「打ち上げ」に。この会のおかげでなんとか荒んでいた気持も少し落ち着きました。が,気がつけば最終電車。

 今朝になって,ああ,結論部分をもっと明確に言い切っておくべきだった,と気づきました。それは,「スポーツは政治・経済・メディアとの複合体である」ということです。わたしも含めてそうなのですが,東京体育学会の会員さんのほとんどは,スポーツの経験者です。そうすると,「スポーツとはなにか」と考えるときには,おのずから自分のスポーツ経験から考えはじめます。そこでの経験知が中心になってしまいます。そこから飛び出して,第三者的な広い視野に立ってスポーツを考えるという訓練が十分ではありません。ですから,スポーツについての思考もきわめて限られた範囲に終わってしまいがちです。しかし,時代はもはや「政治・経済・メディア」の力がきわめて強くなり,スポーツもまたそれらとの「複合体」になってしまった,というげです。

 今回の東京五輪招致運動を考えてみればお分かりのとおり,スポーツは政治と無縁ではありません。それどころか,一国の総理大臣が先頭に立ってIOC総会でプレゼンテーションを行わなければならない,そういう時代に突入している,という事実がなによりもの証左でしょう。国会でもつい最近,オリンピックを成功させるための国会決議の採決がありました。山本太郎議員ただひとり反対で,あとの議員のすべてが賛成でした。これもまた不思議な異常現象だと考えています。

 すでに,スポーツが経済のコントロール下にあるということはもはや説明するまでもないでしょう。その詳細については『世界』11月号に「オリンピックはマネーゲームのアリーナか」と題して書いておきましたので,そちらをご覧ください(これのコピーは当日の会場で配布)。わたし自身こんな時代がやってくるとは夢にも思っていませんでした。

 さらに大きな問題はメディアです。わたしたちのこんにちのスポーツに関するイメージのほとんどはメディアによって構成されています。つまり,直接,スタジアムやグラウンドでみるのではなく,圧倒的多数の国民はテレビの映像をとおして,日常的にスポーツと接しているということです。このことを今福龍太氏は「スポーツ・メディア共同体」と名付けています(『近代スポーツのミッションは終わったか』)。極論してしまいますと,わたしたちはメディアによって自由自在にコントロールされている,と言っても過言ではありません。

 そんな意味で,もはや「スポーツは政治・経済・メディアとの複合体である」と結論づけておこうと考えていたわけです。しかしながら,壇上に立った瞬間から思考は千々に乱れ,あっちへよろよろ,こっちへふらりと,まあ,みっともないこと限りなし,でした。

 そんなこともあろうか予測できていましたので,その穴埋めという意味で,『世界』11月号に投じた論考「オリンピックはマネーゲームのアリーナか」を,あらかじめ配布させていただきました。会場にお出でくださった方々には,それを読んで,講演の至らなかったところを補填しておいていただけると幸いです。

 取り急ぎ,お詫びと懺悔のブログまで。
 

2013年10月27日日曜日

雲一つない快晴の今日(10月27日),川崎市長選挙。長年の高級官僚天下り市長を阻止することができるか。

 朝から真っ青の空が広がり,西側の窓から富士山がみえます。久しぶりの景色です。やはり,富士山がみえるとなぜかほっとした気分になります。東京都内には富士見町とか,富士見坂とか,富士見ヶ丘とか,富士の名のつく地名がたくさんあります。しばらく前までは(わたしの学生時代といえば,もう50年前か),東京のあちこちから富士山がみえました。江戸時代の人たちは朝な夕なに富士山を仰ぎ見て,心なごませていたのだろうなぁ,と想像しています。

 天気はいいのに,選挙にいく人の姿はいつもより少なめ。あまり盛り上がらなかった証拠です。溝ノ口駅前の選挙運動も,どこか拍子抜けしたようなテンションの低さでした。

 候補者は3人。現職市長の後釜に座るべく推された元高級官僚の天下り候補。まだ,44歳という若さです。まったきエリート・コースを歩いた典型的な官僚。選挙広報をみるかぎり,お坊っちゃまだなぁ,という印象が強い。ほかの二人の候補者は,この一週間の間に各3回ほど別々の場所で街頭演説に出くわし,しばらくは耳を傾けてみたことがありました。が,この候補者は一度も演説を聞く機会がありませんでした。偶然にしては少し変だなぁ,と思います。

 昨日(26日)の午後には支援者という人から留守電が入っていて,「安倍政権と手と手をとりあって強い川崎市をつくりあげますので,どうぞよろしく」という趣旨のことばが聞こえてきました。が,あれっ?とわたしは思いました。この陣営の人たちはなにを考えているのだろうか,と。安倍首相の諮問を受けた学識経験者のうち80パーセントが反対を表明した「特定秘密保護法」案を,この人たちの意見・意志をまったく無視して閣議決定をし,国会に提出した,とどの新聞も一面トップで批判している渦中だというのに・・・。少しでもこころある人たちはみんな怒っています。そんなことにも気づかないで安倍首相を担ぎだせばいい,という情況判断の甘さ,そして,それをそのまま留守電に売り込もうという無神経さにはあきれてしまいます。この電話のお蔭で,この候補者は間違いなく一票を失いました。

 もう一人の共産党推薦の候補の支援団体からも留守電が入っていました。こちらの電話は,なにかメモらしきものを読み上げているのですが,あまりに稚拙で,途中で消去しました。選挙広報をみるかぎりでは,なかなか共感できるスローガンをかかげているのですが,この電話であきらめました。あまりに知性を欠いていたからです。選挙運動はやればいいというものではありません。かえって票を減らすことだってあるのですから。そっと黙っていた方がいい場合もあります。

 その点,最後の候補者は41歳。前回の市長選挙でも立候補したのですが(そのときは30歳代),わずか2万票ばかり足りなくて次点だったといいます。この人は,ふだんでも鷺沼駅前に立って演説をしている姿を見かけていました。演説はあまり上手とはいえませんが,川崎市の政治を変えたいという誠意は伝わってきました。この人の主張は,長年つづいている高級官僚天下り市長の時代に終止符を打ちましょう。そして,川崎市で生まれ育った市民を代表として送り出してほしい,つまり市民市長を・・・という単純なものです。もちろん,教育問題などにもかなり踏み込んだ政策を提示しています。

 さて,こんな3人のなかからつぎの市長さんを選ばなくてはなりません。この人こそ・・・と思える人は残念ながら一人もいらっしゃいません。が,この3人のなかからだれか一人を選べということになれば,消去法でおのずから決まってきてしまいます。

 こんどの選挙結果は意外に早く決着がつくのではないか・・・とそんな予感がしています。

 いつものように投票所をでたところで出口調査の人が一人ずつ,少し離れたところでやっていました。が,わたしはどういうわけか,この出口調査の人に声をかけられたことが一度もありません。今日もそうでした。わたしの前後を歩いていた人は声をかけられているのに・・・。これもまた不思議です。そんな出口調査の結果を集計して,予報を流すというメディアのシステムそのものにも疑問をもちます。第一に,メディアが選挙に関与しすぎるというのが,わたしの最大の疑問です。世論調査と称しておこなう選挙前の人気投票の結果を公表するのは,どうみたって「世論操作」でしかありません。統計上の数字は,ある意味では,いかようにも「操作」が可能です。そういういい加減な世論調査結果に有権者の多くは左右されてしまいます。これでは,選挙はやってみなければわからない・・・という期待感が半減してしまいます。

 まあ,いずれにしても,横浜市でできることが川崎市ではできないことが,わたしの知っているだけでもたくさんあります。つぎの市長さんには,そのギャップを埋める市政を真剣に取り組んでもらいたいと思います。

 とまあ,そんなことを思いながら,ぶらぶらと校門の近くにやってきたら,妙なところに碑が草陰にみえました。いつも,何回も,ここは通っているのに気づきませんでした。近づいてよくみると「濱田庄司」とサインがありました。そこに書かれている内容をみると,濱田庄司は高津小学校(選挙会場)の卒業で,長じてから栃木県益子に移住。陶芸家として名をなした,とあります。なるほど,と納得。といいますのは,わたしが時折,散歩にでるときに立ち寄る寺に濱田庄司の墓があるのです。そこには詳しい説明もなく,ただ「濱田庄司の墓がある」とだけ書いてあります。なぜ,かれの墓が溝ノ口にあるのか,わたしには不思議でした。それとともに,この近辺の公共の図書館や役所に濱田庄司の作品が多いなぁ,とも思っていました。これで,ひとつ疑問が解消です。調べればすぐにわかることなのに,横着をかましているからいけないのですが・・・・。

 さてはて,川崎市長選挙の結果やいかに。いまから楽しみ。

〔追記〕(28日)
 自民・公明などの推薦を受けた高級官僚天下り市長候補を破って,完全無所属の福田候補が当選しました。自民サイドはまったくの想定外だったとコメントしているようです。これは明らかに「特定秘密保護法」に対する川崎市民の意志表明のひとつだとわたしは受け止めています。ただし,3000票の僅差。
 なお,神戸市では,この逆で,わずか5000票差で自民・公明などの推薦候補が当選。あと一息だったのに残念。いずれにしても,アベノミクス人気に翳りがみえてきた証拠。日本国民も,少しは賢くなって,選挙ではっきりとした意志表明をしていけるようにならないと・・・・と思います。
 いずれにしても,暴走アメノミクスに歯止めをかける必要があります。これからも手綱をゆるめることなく「監視」していかなくてはなりません。日常的に身近な人たちと,できるだけ話題にしていくこと(嫌われない程度に)が重要なのだと思っています。
 取り急ぎ,追記まで。
 

R.ボーデの「表出体操」(Ausdrucksgymnastik )とL.クラーゲスの「リズムの本質」との関係についての論文を読む。西田幾多郎の「純粋経験」に通底するなにかが?

 ある周期で,学会誌の投稿論文の査読という仕事がまわってくる。できることなら断りたいが,長年,お世話になった学会には恩返しの気持もあってできるだけ引き受けることにしている。しかし,引き受けた論文の大半は,とても「疲れる」。なぜなら,掲載可能な論文に引き上げるための問題の指摘は,とてもつもない労力を必要とするからだ。その代わりにいい論文に出会うと,だれよりも早く読ませていただいたことを感謝して,こちらから謝金を払いたいくらいの気持になる。

 今回は,久しぶりにいい論文に出会った。だから,嬉しくなって急いでブログに書いておこうと思い立つ。論文の内容は,1910年代のドイツで起きた「体操改革運動」(Neue Gymnastikbewegung )に関するもので,これまでほとんど明らかにされてこなかった論考である。専門的な細かなことは省略することにして,問題の核心だけは明らかにしておきたい。

 号令の掛け声のもとで行われる,事物と化してしまった機械的な体操を徹底的に批判し,その体操に魂(命)を吹き込んで,真の人間のための体操を実現すべきだ,と主張したルドルフ・ボーデ(Rudolf Bode,1881-1970)の「表出体操」とはいったいなにであったのか,と問いかけた気合の論文である。その補助線の一つとして,ルードヴィッヒ・クラーゲス(Ludwig Klages 1872-1956)の「リズムの本質」を取り上げ,その関係を明らかにし,ボーデの体操にとって「リズム」とはなにであったのかを,深く掘り下げて考察した秀逸の論文である。

 わたしはこの論文を読みながら,いろいろのことを連想し,体操の世界の奥の深さを思いやりながら,至福のときを過ごさせてもらった。たとえば,こうだ。ボーデは腕の振り(Schwung)の運動にリズムの典型的な表出があると主張し,体操運動のリズムの基本は緊張と弛緩の繰り返しにあると考え,それこそが生命のリズムであると考えた。そして,それを実践するための体操学校をはじめていた。ちょうどそのころに,ボーデはクラーゲスと運命的な出会いをする。クラーゲスの「リズムの本質」についての論考を知り,直接,会って教えを請うことになる。ボーデが求めていた哲学的なバックグラウンドが,クラーゲスの「リズムの本質」という考え方のなかにあることを見届け,以後,迷うことなく「リズム体操」から「表出体操」へとさらにその理論と実践を深めていく。

 クラーゲスは断るまでもなく当時の「生の哲学」(Lebensphylosophie)の流れに乗る論客のひとりであった。生の哲学といえば,ニーチェやベルグソン,ディルタイ,シェーラーらの名前が浮かんでくるように,ヘーゲルを筆頭とする合理主義や主知主義に対抗し,「体験としての生」を重視し,それをトータルにとらえようとする立場をとる。もっと分かりやすくいえば,ヘーゲルの「精神」(Geist , 知的精神,あるいは理性)を軸にして人間をとらえようとする立場に対して,クラーゲスらは「魂」(Seele)に思考の軸を置き,その活性化を重視する。

 ボーデはこうしたクラーゲスの主張にこころから共鳴し,それを体操の世界で実現しようと情熱を傾けた。それがボーデの「表出体操」(Ausdrucksgymnastik)として結実した。それは,かんたんに言ってしまえば,頭で考えて行う体操ではなく,魂や情動のおもむくままにからだに「表出」してくる「体操」を体系化しようというものである。

 このさきの話は長くなるので,圧縮しておくと以下のようになる。
 頭で考える前に動きはじめるからだを重視する,この考え方は「純粋経験」と呼ばれるもので,まさに,ベルグソンやW.ジェームズや西田幾多郎らの哲学の基本概念である。すなわち,主観も客観もない,それ以前の「直接的な経験」である。この考え方は,西田幾多郎によって,さらに深められ「行為的直観」として体系化されていく。気がついたときにはからだが動いている,という次元の話である。

 そこが,じつは,人間が存在する,あるいは,人間が生きることの源泉ではないか,と「生の哲学」者たちは考える。つまり,自他の区別のない状態,自他を超越した存在,あるいは,エクスターズ(ジョルジュ・バタイユ)する存在,あるいはまた,禅仏教のいう悟りの境地,などへとつながっていく。この世界は,トップ・アスリートたちもしばしば経験する,という。ドイツの哲学者ハンス・レンク(オリンピック・ローマ大会の金メダリストでもある)もみずからのフロー体験を語っている。

 ボーデの「表出体操」について,ここまで触手を伸ばした論考を,わたしは管見ながらまだ出会ったことがない。今回,読ませていただいた論文の著者は,クラーゲスとボーデとの関係に着目した以上は,このさきは「生の哲学」(Lebensphylosophie )との関連に踏み込んでいくに違いない。そうしたときに,ボーデの「表出体操」が,単なる「表現体操」ではない(ドイツ語では同じ表記となる)ということの根拠を明確に提示することができるようになるのだろうと思う。

 いい論文を読ませていただいたあとは爽快な気分である。今夜は熟睡できそうだ。論文の著者に感謝である。この論文が学会誌に掲載されることをいまから楽しみにしている。おわり。
 

2013年10月25日金曜日

NHKの番組「子どもたちの心の声が聞こえますか?」の番組制作者に問いたい。「いじめ」ってなんだかわかっていますか。

 今日(25日)の午後7時30分のNHKテレビで「子どもたちの心の声が聞こえますか?」という番組が放映されました。ちょうど,夕食時だったので,ご覧になられた方も少なくないと思います。わたしは,番組の最初から最後まで,テレビ画面に向かって「吼え」つづけていました。

 「違う!」「そういう問題ではない!」「いじめの問題をいい・悪いの二項対立で片づけるな」「いじめは子どもの世界だけの問題ではない」「大人の世界のいじめはもっともっと深刻で悪質なんだ」「いじめる子どももいじめられる子どもも,みんな被害者なのだ」「加害者は大人たち全員なのだ」「教員の責任に矮小化するな」「無責任社会の縮図が子どもたちの世界に反映しているだけの話だ」「NHKの番組制作者たちはなにもわかってはいない」(わかっていないふりをしている?)「尾木ママを筆頭に,だれもいじめの本質がわかってはいない」「わかっている人間を出演させろ」「そういう人間はNHKにとって都合が悪いから,最初から排除しているだけではないか」「もっと本気で取り組め」「ほんとうのことを,きちんと言える人間に語らせろ」「もっと立場の違う人に意見を言わせてみろ」「世の中,みんな無責任」「都合の悪いことには口をつぐむ」「いじめられていても見て見ぬふりをする」「そう,見て見ぬふりをする,これが諸悪の根源だ」「そう,アベ君を筆頭に」

 「学校の先生を悪く言うな」「どれだけ多くの善良な先生たちがからだを張った努力のお蔭で,どれだけ多くの子どもたちが救われていることか」「それがなっかたら,学校現場はとっくのむかしに崩壊している」「それが,かろうじて学校現場が持ちこたえているのは,そういう先生たちの身を削る努力のお蔭なのだ」「こうやって学校を悪者にして,我関せず,という姿勢そのものこそが諸悪の根源だ」「そこに光を当てる番組もつくれ」「悪い担任の例を取り上げて,教育現場はこんなものだ,という印象を与えすぎるな」「アホな親はみんなそう思ってしまう」

 つづけて「親」の問題も書こうと思いましたが,もう,気分が悪くなってきて,これ以上のことを書き続ける自分に耐えられませんので,このあたりでやめておくことにします。もちろん,「親」の問題のつぎには・・・・,と連鎖はつづきます。あとは,ご想像におまかせします。

 結論は,「無責任」のひとこと。
 いみじくも,この番組を牛耳っていた尾木ママが,みずから発したことばにすべてが集約されているように思いましたので,それだけは書いておきましょう。

 「わたしは教育評論家ですから,教育現場にはなんの責任もありませんが,いや,かつては教育現場にいましたが,いまは外から眺めて問題の指摘をするだけなのですが・・・」

 これが世の中の「評論家」という肩書で仕事をしている人たちの実体です。つまり,問題の所在を「もっともらしく」(大勢の人に支持されるようなことがらを)指摘するだけで,自分では責任をとろうとはしません。他人事なのです。だから,評論家の言うことなど,その程度のものだと思って聞く必要があるのです。ですが,NHKの番組制作担当者たちは,そのことがわかっていないので(いやいや,責任逃れのために),「評論家」に語らせることによってこと足れり,としてしまいます。評論家という人たちは,そのほとんどが「無責任」ですから。

 そのほかの出演者もひどいものでした。それが,すべて,それぞれの「専門家」といわれる人びとなのですから・・・。ああ,もっとも,大沢あかねちゃんだけは3歳の子をもつ母親代表ということでしたが・・・・。この人の発言も,聞いていて恥ずかしかった。まあ,平均的母親なのでしょうが。それにしても,その他の「専門家」の発言はお粗末そのもの。それに輪をかけたのが「教育評論家」尾木ママの発言。

 その証拠に,「批評家」を名乗る人は世の中にきわめて少ないということを指摘しておきましょう。とりわけ,「教育批評家」を名乗る人を,管見ながら,わたしは知りません。批評家は,みずから発することばに責任をもちます。つまり,みずから発することばによってみずからをも責めつづけ,なんとかして解決の糸口を見出そうと全身全霊を傾けます。すなわち,みずからの「生き方」そのものを問い返しつつ,みずからの選りすぐりの,究極のことばを発しようと全力を傾けます。それは,単なる知的ゲームではありません。一人の生きる人間としての,丸裸の自分をさらけ出す営みでもあります。こういう「批評家」(もちろん,批評家のなかにもいい加減な人もいます)の声を聞きたい。こういう「教育批評家」の声を聞いてみたい。と,わたしは切望します。

 こういう人たちの声は,NHKにとってはまことに都合の悪い人たちの声なのです。なぜなら,歯に衣を着せずに,ほんとうのことを言いますから。「王様は裸だ」,と。「汚染水はコントロールされていません」,と。「東京五輪招致はお金で買ってきました」,と。

 こんなことを言う人は,いまでは「国賊」です。こころの底から国のためを思ってほんとうのことを言う人,すなわち,「国賊」です。そのうち,「特定秘密保護法」の対象となり,「特定危険人物」として犯罪者扱いの対象になります。国家のためになることを,本気で語り,行動すればするほど,犯罪者にさせられてしまいます。国のためにならないことを国民に内緒で「秘密」でする政治家の身を守るために。こんな悪法がまかりとおろうとしています。

 いささか短絡的に聞こえるかもしれませんが,「いじめの構造」を容認してきたわたしたちと「特定秘密保護法」を黙って「見過ごす」(見て見ぬふりをする)わたしたちとは同根です。

 NHKの今夜の番組も,一生懸命に「いじめ問題」に取り組んでいるふりをして,その実態は,ことの本質をはぐらかすことに大きな貢献をしているのと同じです。

 最後にひとこと。わたしがかかわってきたNHKの番組は,すべて,シナリオが用意されていて,わたしの話す内容まで事細かく決められていました。そして,リハーサルで確認してから本番です。わたしは本番では,ときおり,アドリブでセリフを変えたりしました。すると,その部分はほとんどカットされてしまいました。場合によっては,再度,そのカットだけ後日「撮り直し」をして編集されました。要するに「やらせ」です。

そんな,かつてのわたし自身の犯罪を反省しつつ,今夜の番組も見ていました。それでも,どうにも我慢できなくなって,テレビに向かって「吼え」まくるしかありませんでした。学級のなかで,いじめる子が,どこかに欲求不満を募らせていて,身近にいるおとなしそうな子にちょっかいを出す構造と,そっくりでした。テレビは,わたしがいくら「吼え」ても,黙って見過ごしてくれるから,言いたい放題です。だれも止めに入る人もいません。ですから,どんどんエスカレートしていきます。

 そして,とうとう,このブログをとおして「吼え」ることになってしまいました。そのうち,「特定秘密保護法」の対象となって,このブログが閉鎖されることになるかもしれません。わたしの親しい友人の一人は,まず,間違いなく検察の「要注意者」のリストには載っているでしょうね,と言っています。まさか,こんな腰抜けのブログなんか・・・とわたしは笑っています。が,「特定秘密保護法」が成立するとなると,ことはおだやかではなくなります。

 ほんとうの意味での「批評家」に一歩でも,二歩でも近づきたい,その一心でこのブログを書いているだけだ,というのに・・・・。「ほんとうに思っていることを口に出してはいけない」,それがいま子どもたちの世界を覆っている不文律である,ということをNHKの番組制作担当者たちはご存じのはずなのに・・・・。だって,番組制作担当者のあなたたちもまた「ほんとに思っていることを口に出してはいけない」ということを骨の髄までご存じのはずだし,実際にも,そうやって生き延びているのですから。あなたがたは,二重の意味で,「騙り部」です。

 とてもいい勉強をさせていただきました。ありがとうございました。
 今夜はこれで。
 

『継体天皇と朝鮮半島の謎』(水谷千秋著,文春新書,2013年7月刊)を読む。

 大阪・高槻市の郊外に今城塚(いましろつか)古墳がある。同じ高槻市にある上宮天満宮を二度目の訪問をするついでに,案内をしてくれる人があったので,今城塚古墳に足を伸ばしてみた。それが最初の訪問だった。2011年の秋だったと記憶する(あまり確かではない)。高槻市による大々的な発掘調査が終わって,古墳の周辺も整備され,そのすぐ近くに真新しいできたばかりの高槻市立今城塚古代歴史館がある。なにからなにまで,あまりに立派で,なにも知らないででかけたわたしをたじろがせた。

 予備知識がほとんどなにもないというのは恐ろしいものだ。ただ,とてつもなく大きな前方後円墳を目の前にして,その雄大な光景に圧倒され,しばし呆然と眺めるだけだった。そして,なによりわたしを興奮させたものは,古墳の外堤部に並んでいた大量の埴輪群だった。そこには,力士の埴輪が陳列してあって,なるほど,とわたしの胸の内に納得できるものがあった。

 主たる目的である上宮天満宮は,言うまでもなく菅原道真を祀った神社である。そこは,北野天満宮よりも古い天満宮である。だから,「上宮」というのだそうだ。そこには,古い古墳群の一角に野見宿禰を祀った「野身神社」(野身に注目)がある。その神社の正面左側の碑文に書いてあることを,再確認するのが,そのときの最大の目的だった。

 だから,今城塚古墳に力士の埴輪が埋められていた,という事実がことのほかわたしを喜ばせたのだ。しかも,今城塚古墳の南東の位置には,野見町があり,そこには野見神社がある。この野見神社は,ついこの間まで「牛頭天王社」と呼ばれていた,と神社のパンフレットに書いてある。なぜ,牛頭天王社が野見神社になったのか,社務所で尋ねてみたが「わからない」のひとことで応答を拒否されてしまった。なにかある,とわたしは直観した。

 だから,わたしの頭のなかは,今城塚古墳と野見宿禰とはどこかでつながっているのではないか,という思い入れで一杯になった。そんな頭で,完成したばかりの高槻市立今城塚古代歴史館を見学させてもらった。いま,考えてみると不思議なのだが,ここには継体天皇の墳墓である,という断定的な文言はどこにも見当たらなかった。それどころか,継体天皇という文言すら,ほとんど見当たらない。展示物の一番奥の裏側のショウ・ウィンドウのなかの解説文に,ひっそりと「継体天皇の陵ではないか,という説もある」と書かれてあるだけだった。ああ,そうなんだ,というのがわたしのそこでの認識だった。

 しかし,その後,日本古代に関する興味がますます大きくなってきて,その関連の本を何冊か読むことになった。すると,どういうわけか,継体天皇の存在がまことに異様であることがわかってきた。どうやら,雄略天皇と継体天皇との間には,おおきな断絶があるらしいということがわかってきた。では,継体天皇とはいかなる出自の,いかなる事跡をもった天皇なのか,という興味が一気に高まってきた。第一,天皇などと呼べる存在はまだなくて,せいぜい大王として君臨していただけの話ではないか,などと考えはじめていた。

 そして,ふらりと立ち寄った近くの本屋の新書コーナーで,この『継体天皇と朝鮮半島の謎』に出会った。文字通り「出会った」のである。もっと,正直に書いておけば,多木浩二さんの『天皇の肖像』(岩波新書)を探しにいったときのことだ。もっと言っておけば,すでに読んだことのある本なので家にあるはず,それが見つからずに,いらいらしながら探しに行ったときのことだ。

 このテクストには,なんの迷いもなく,今城塚古墳は継体天皇の御陵であると断定した上で論が展開されている。もっとも,「明治以来,政府によって継体天皇陵とされてきたのは,茨木市にある太田茶臼山古墳であった」と著者も断っているように,宮内庁でもその見解をとっているとしたら,高槻市としては,遠慮がちに「継体天皇陵ともいわれている」と書くのが精一杯だったのかもしれない。しかし,いまではほとんどの考古学者はこの今城塚古墳こそ継体天皇陵である,と考えていると著者の水谷千秋氏はいう。

 さて,前置きが長くなってしまって,本論に入る暇もなくなってしまったので,結論的な,わたしの印象だけを記しておきたいと思う。

 継体天皇の実像はほとんど,いまもって,わからないということだ。記録されているのは,出生にまつわる伝承と,57歳で天皇になってからのことだけで,あとのことはまったくわからない,まことに不思議な天皇である,ということだ。

 もっと言っておけば,生まれたときから渡来系の人たちが多く住む,いわゆる混住が当たり前の地域で育っている,ということだ。ということは,ごく当たり前のように混血しており,バイリンガルだったのではないか,と考えられる。だから,天皇になってからも,朝鮮半島との関係はきわめて深く,とりわけ百済王とは昵懇の仲だったことが,こちらは文献資料からも明らかだという。

 では,57歳で天皇になるまでの間,この人がなにをしていたのか,どのようにして力をつけたのか,つまり,地方の大王になったのか,おおよそのことは想像がつく。しかし,著者の水谷氏は,そこには深入りしないで,考古学上の発見(遺物)と文献資料とを突き合わせながら,慎重に歴史家としての推理を積み上げていく。これはこれでとても面白い。しかし,読めば読むほどに,「日本人とはいったいどういう存在の人のことをいうのか」という疑問がむくむくと頭をもたげてくる。

 そして,先住民が混血していることは棚にあげて(あるいは,記憶から消えていて),あとからやってきた人たちのことを渡来人として区別(差別)する,そういう Geisteshaltung (精神的姿勢)は,日本の古代からこんにちまで変わらずに一貫しているのではないか,というのが読後のもっとも大きな感想である。

 わたしたちの祖先は混血に混血を重ねた結果として,こんにちのわたしたちが存在しているのだ,そして,混血は,いまもつづいているのだ,という厳然たる事実を再認識した次第である。わたしのからだの中にも,朝鮮半島や中国大陸はおろか,ポリネシア系の血も流れているに違いない。椰子の実の流れ着いた愛知県・渥美半島(わたしの両親の出身地)には,朝鮮文化も多く残っているし,徐福がやってきたという伝承もあるほどだ。

 というところで,今日のところはおしまい。
 

2013年10月24日木曜日

 「竹内敏晴さんとわたし」の初校ゲラがでました。まもなくセレクション・第2巻が刊行されます。

 もう,だいぶ前に藤原書店の編集者から「竹内敏晴さんとわたし」という大見出しの原稿を依頼されていました。それに応答して「竹内さんの大音声<にんげんっ!>に震撼」というタイトルで原稿を書きました。その校正ゲラがようやくでてきました。

 もう少し精確に書いておきますと,藤原書店の企画で<セレクション・竹内敏晴の「からだと思想>が刊行されることになり(すでに,第一巻はでている),その「月報」に,竹内さんと接点のあった人たちが短文を寄せるというものでした。竹内さんにはとてもお世話になっていましたので,ここはお礼をかねて,なにか書かなくてはと思い,お引き受けしました。

 とりわけ,『ことばが劈(ひら)かれるとき』を読んだ感動がきっかけで,その他の著作も手に入れて精読させていただきました。そのうちに,どうしても直接,お会いしてお話をうかがうことはできないものか,とチャンスを待っていました。

 念ずれば通ず,ではないですが,わたしたちの研究会の仲間のひとりが「竹内レッスン」を受けていることを知り,ぜひに,とお願いをしました。当時の竹内さんは超多忙で,全国を駆け回って「竹内レッスン」を展開されていました。ときおり,名古屋に戻られるので,その折ならば・・・ということで「竹内敏晴さんを囲む会」を名古屋で何回にもわたって開催させていただきました。謝金もなしで,長時間にわたって,わたしたちの質問に懇切丁寧にお答えいただきました。なんとも至福のときでした。いま,考えると冷や汗がでるような「贅沢な時間」でした。

 なかには涙を流しながら,竹内さんのお話に耳を傾ける仲間もいて,その情景がまだ昨日のことのように浮かんできます。人のこころの奥深くまでとどく「ことば」を紡ぎだすことのできる人,その思考の深さはもとより,情感のこもった声,思いやりのゆきとどいた話の展開・・・・。ああ,こういう風に話のできる人になりたいものだ,と仰ぎ見たことをいまも忘れません。

 そんな「竹内敏晴さんを囲む会」のひとこまを書いた原稿が,こんどの「月報」(<セレクション・竹内敏晴の「からだと思想」>の第二巻用)に掲載されるという次第です。「竹内さんの大音声<にんげんっ!>に震撼」のタイトルからもおわかりのとおり,この「囲む会」でも,ことばで説明のてきないことはからだで知ってもらうしかない,という竹内さんのお考えのままに,何回も,ごくかんたんなアドリブの「レッスン」が展開されました。

 ふだんは静かに,ことばを厳選して,無駄をいっさいはぶいた,もっとも的確な表現でお話をされる竹内さんのことばにわたしたちは魅了され,身もこころも惹きつけられていたときのことでした。「それでは,みなさん眼をつむって静かに呼吸をしていてください。わたしが,あることばを大きな声で発しますので,その瞬間にどんなイメージが脳裏をよぎったかを,あとで教えてください」と竹内さん。みんな意識を集中して,じっと呼吸をととのえていました。その数秒後,雷が落ちたかと思うほどの大音声で「にんげんっ!」と一声がありました。わたしはその大音声に震撼し,飛び上がるほど驚きました。

 このときのことは,いまも忘れられません。みなさんが,それぞれに脳裏に浮かんだ瞬間のイメージを語るのを,竹内さんはにこにこ笑いながら,これといったコメントをするわけでもなく,じっと耳を傾けていらっしゃいました。みなさんが,それぞれにまったく違うイメージを語られるのを不思議な思いで聞きながら,わたしの順番を待っていました。このときのことをこんどの原稿に書いてみました。その内容は,ここでは伏せておきたいと思います。意外なことを書いていますので,どうぞ,書店で読んでみてください。いえいえ,ぜひにも,第2巻を購入してみてください。

 こんどは,いつか機会をみつけて,「竹内敏晴さんの思い出を語る会」をもってみたいと思っています。担当編集者にも声をかけて・・・・。もちろん,名古屋で。このセレクションの刊行が終わったあたりで・・・。

2013年10月23日水曜日

ヒトラーのナチズムを想起させる斎藤美奈子さんのコラム「精神の総動員」。おみごと。

 いいわけがましいことですが,昨日(22日)書いた2本のブログは,ヒトラーのナチズムと酷似した雰囲気が濃厚になってきた昨今の日本の安倍政権の猪突猛進ぶりを念頭に置いて書いたものでした。ですから,どこかでヒトラーのことに触れようと思ったのですが,その余裕もないまま,終わらせてしまいました。が,いつか,安倍政権の動向とヒトラーのナチズムのあまりの酷似ぶりについては書こうと思っていました。

 そうしたら,さすがに斎藤美奈子さん。今日(23日)のいつもの「本音のコラム」で,みごとにその点を突いていて,我が意を得たりと拍手喝采してしまいました。その出だしだけでも引いておきたいと思います。その切り出し方といい,テンポといい,心地よいことこの上なし,です。

 「15日の臨時国会における所信表明演説で『意志の力』という語を連発した安倍晋三首相。
 『今の日本が直面している数々の課題』『これらも<意志の力>さえあれば,必ず,乗り越えることができる。私はそう確信しています』
 おおっと,そんな単語を使って大丈夫か。『意志の力』はナチスの常套句(じょうとうく)だぞ。1934年のナチ党全国大会の記録映画のタイトルは『意志の勝利』だぞ。と心配したのだが,それを指摘したのは民主党の海江田万里代表だけで,メディアはみんな無視。揚げ足を取る絶好の機会なのに。」

 ──中略。このあとに「国民精神総動員運動」の口火を切った,当時の近衛文麿首相の演説を引いて,最後に,つぎのように落ちをつけています。

 「『意志の力』や『精神の動員』に頼るようになっちゃおしめえよ,と過去の歴史は教えている。まさか首相はご存じなかった? それとも,知ってて先達に学んだだけかしら。」

 斎藤美奈子節が全開。なんとも心地よきことよ。

 ここにでてくる1934年のナチ党全国大会の記録映画『意志の勝利』,これも1936年のベルリン・オリンピックの記録映画『オリンピア』を撮った映画監督レニ・リーフェンシュタールの作品です。この『意志の勝利』がヒトラーに高く評価され,つぎの『オリンピア』も全権委任されたと聞いています。レニ・リーフェンシュタールについては,いろいろ議論はあるようですが,いずれにしても,両作品ともヒトラー・ナチズムのプロパガンダとして大きな役割を果たしたことは間違いありません。「力」としかいいようのないある「なにか」を,レニ・リーフェンシュタールは追いかけていたことは,第二次世界大戦後に出された写真集『ヌバ』(アフリカの裸族の写真集,ここには「すもう」が登場します)をみれば,とてもよくわかります。

 ちなみに,『オリンピア』(Olympia)は通称で,精確には,『民族の祭典』と『美の祭典』の二部作になっています。この二部作の総称として『オリンピア』が使われているという次第です。なお,この記録映画は,現在でも『民族の祭典』というタイトルで市販されていますので,まだ,ご覧になっていない方はぜひどうぞ。いまの日本や世界の情況を生きるわたしたちに,このレニ・リーフェンシュタールの作品がどのように写るか,試してみるといいと思います。ここには「力」こそが「正義」である,という隠されたメッセージがあらゆるカットとなって表現されているように,わたしは思います。

 ナチス・ヒトラーにとっては,この「力」こそが大テーマでした。よく知られた「ヒトラー・ユーゲント」(Hitler Jugend:ナチズムを体現する青少年運動)の中核をなすテーマは「力」(Kraft)でした。そこでの合い言葉は「歓喜力行」(Kraft durch Freude:喜びに満ちた力)でした。この「歓喜力行」というみごとな翻訳語は,第二次世界大戦中の青少年教育の標語としても用いられていました。わたしは国民学校(小学校ではありません)2年生のときに,大きな声で「カンキリッコウ」と,わけもわからないまま言わされたことを記憶しています。

 日独が,あれほどシンクロした時代はなかったと思います。でも,こんにちのドイツは,日本のフクシマの教訓を生かして,いち早く「脱原発」宣言をし,再生可能エネルギーへと舵を切り,まもなく電力を輸出できるところまできているといいます。アベノミクスとは「正反対」のベクトルを選択して,みごとなまでの決断と実行力を発揮しています。日本とは大違いです。残念ながら,日本は,とてもとても危険な「未来」に向かって突き進んでいる,としか言いようがありません。

 ドイツは徹底してナチズムを拒否し,「力」に頼らない社会をめざしているというのに,なにゆえに安倍晋三首相は「意志の力」を旗印に掲げるのでしょうか。すべては,強い国家,強い軍隊をもつためのウォーミング・アップとして,まずは国民の「意志の力」が必要だからでしょう。

 このまま安倍政権の猪突猛進が野放しにされてしまうと(議会運営上は3年間は可能。だから恐ろしい),東京五輪も気がつけば「ベルリン・オリンピック」の再来をみることになりかねません。「歓喜力行」という旗を先頭に,完全に洗脳された青少年たちが隊列を組んで,「ハイル・ヒトラー」(Heil Hitler !),いな「天皇万歳!」と叫びながら,東京都内の目抜き通りを行進しかねません。そんな悪夢だけは見たくありません。

 そのためにも,まずは,「特定秘密保護法」を阻止しなくてはなりません。風雲,急を告げています。今日も明日も,そして,25日まで,首相官邸前の集会が開かれます。なんとか時間をやりくりして出かけようと思っています。

〔追記〕文意が逆転してしまう文章の乱れがありましたので,急いで訂正させていただきました。ご指摘くださった読者の方にこころから感謝です。ありがとうございました。いつも,かなり慌てて書いていますので,こういうことがないよう注意したいと思います。ありがとうございました。重ねてお礼を申しあげます。

2013年10月22日火曜日

「特定秘密保護法」に異議申し立てをする集会に参加できず,残念。

 どうしても読み切っておきたい本があって,必死になって読んで,さきほど(22日午後10時)事務所からもどってメールを開いたら,緊急のメールが入っていました。親しくしている編集者からの緊急のメールでした。そこには,「天ぷらをあげている場合ではない,すぐに出かけます。ぜひ,参加してほしい」という呼びかけのことばが,なぐり書きになっていました。

 そこには,以下のアドレスが書いてありましたので,大急ぎで開いてみました。
 http://www006.upp.so-net.ne.jp/kansi-no/

 日時:10月22日(火)午後6時30分~8時。
 場所:首相官邸前
 内容:リレートーク(一人3分間 アピール)
  ※人数が多ければ1人1~2分になる場合もあります。
 呼掛け人:田島泰彦(上智大学)

 残念。折角のチャンスだったのに,やりすごしてしまいました。
 慌てて,ネット情報を確認してみました。

 公明党が了承した(このことはすでに知っていました)ので,あとは,25日にも閣議決定をし,国 会に提出の運び・・・という。そして,今国会で成立する公算大である・・・とある。この法案は,安倍晋三政権が年内発足を目指している「国家安全保障会議(日本版NSC)」を創設するにあたって不可欠のものと言われています。いよいよナチス・ヒトラーが登場したときとそっくりの情況が,つぎつぎに準備され,着々と進行していきます。

 もはや,「国民の知る権利」も,したがって「取材・報道の自由」もどんどん制限され,ついには,「特定有害活動」(今夜計画されたような,政府にとって都合の悪い抗議集会)も著しく制限される可能性がでてきました。もはや,政府のいいなりになるしかない社会がすぐそこまできています。長い間の自民党政権でも見られなかった,とんでもない暴走をはじめている,という自覚がいまの自民党や安倍政権には欠落しています。戦後,最悪の政治が,わき目もふらず突っ走っています。

 とにもかくにも,経済の復興(震災からの復興ではない),オスプレイ,TPP,沖縄米軍基地移転,東京五輪招致,等々,めまぐるしく国民の目先を変えるカードを切り続け,なにがなんでも福島第一原発のメルト・ダウン(これがもっとも恐ろしい事態であることを国民の多くが忘れつつある)から目先をそらし,使用済み核燃料の最終処理の方法にも蓋をし(もはや絶望的情況にある),汚染水処理の問題に国民の目先をすり替えようと必死です。そして,まんまと多くの国民はだまされつづけています。

 なにせ,「under control 」と国際社会を相手にして,堂々と嘯いてみせた恐るべき首相のやることです。なにが起こるかは,まったく「想定」できません。やることなすこと,すべて「想定外」で処理しようとしているのですから。となると,だれも責任をもつ必要がなくなります。3・11以後,無責任体制のオンパレードです。

 まずは,目の前に迫ってきた「特定秘密保護法」の阻止に向けて,できることをやるしかありません。どんなに小さな声でもいい。ちょっと変だよ,と声をあげ,できれば,行動を起こしましょう。もちろん限界はありますが,黙って見過ごすわけにはいきません。なにもしないで,じっとしていることは,容認・是認・賛成したことと同じになってしまいます。

 今夜は,ほんとうに,残念。
 アンテナを張って・・・・。
 いや,たった一人でもいい,首相官邸前に行って,それなりの姿勢を示すことからはじめよう。
 山本太郎議員は,たった一人で,すべての国会議員に対して,異議申し立てをしました。このことの意味するところを重く受け止めたいと思います。

 取り急ぎ,今日のところはここまで。

〔追記〕(23日)
上記の集会は,25日まで,毎日,開催されることがわかりました。
たった1時間でもいい。そこに立つだけでもいい。ぜひ,ご参加を。
なお,この情報を拡散してくださると助かります。よろしくお願いいたします。


 

レニ・リーフェンシュタールの映画『オリンピア』を批評。 今福龍太編『多木浩二 映像の歴史哲学』(みすず書房,2013年6月刊)を読む。

 オリンピック・ベルリン大会の記録映画『オリンピア』(レニ・リーフェンシュタール監督作品)が,多木さんが初めてみた映画だという話から,このテクストははじまります。まだ,小学生だった,そうです。1938年。この年は,わたしが生まれた年でもあります。このときには,すでに日中戦争がはじまっていて,戦時色に塗り固められていたといいます。そして,1940年に開催が予定されていたオリンピック・東京大会も,返上するというような時代でした。

 多木浩二さんといえば,わたしの頭のなかでは,映像批評の第一人者にして,哲学者という印象がつよくあります。その多木さんがみた最初の映画が『オリンピア』だった,というのはとても不思議なご縁のようなものを感じます。前にも書きましたが,多木さんが『スポーツを考える』(ちくま新書)という著作を残されたのも,こういうご縁があったからだろうと思います。と同時に,多木さんにとってはスポーツの問題は「20世紀」を考える上で不可欠のテーマであったことも見逃すことはできません。

 少しオーバーに言えば,このテクストは『オリンピア』にはじまって『オリンピア』で終わる,多木浩二さんの渾身の著作と言ってもいいほどです。なぜなら,多木さんの持論である歴史についての考え方を,『オリンピア』を題材にして,縦横無尽に展開されているからです。言ってみれば,大文字の歴史にたいして,小文字の歴史の主張です。つまり,アカデミックなオーソライズドされた学問としての歴史ではなく,その隙間からこぼれ落ちてしまった日常生活のなかの歴史をすくい上げようというわけです。もちろん,この姿勢は,ウァルター・ベンヤミンの主張とも共振・共鳴するものです。つまり,多木少年がこの映画とどのように向き合ったのか,というところからはじまります。そして,興味深いのは,多木少年の眼には,どうして裸の人が多く登場するのかが不思議だったといいます。そこから,多木さん独特の「映像の歴史哲学」が展開されていくことになります。

 第一章の「ルプレザンタシオン 世界を探求する」の冒頭から,『オリンピア』の話がはじまり,ここで,すでに相当に詳細にこの映画のもつ特異性について論じられているのですが,第五章の「オリンピア すべてが映像になるために作られた神話」として,さらに徹底した映像論が展開されています。言ってみれば,このテクストの中核をなす部分はここにある,とわたしは受け止めました。その意味で,スポーツ史・スポーツ文化論をやってきた人間としては,衝撃的な章になっています。なぜなら,映像をどのように読み取るのか,そのことと歴史とがどのようにクロスするのか,とりわけ,アカデミックな血も涙もない形式論理的な歴史を根底から突き崩し,血の通った真の人間の歴史をとりもどすための,具体的な事例として『オリンピア』が俎上に乗せられているからです。

 そして,最後の章となる第六章では,「クンスト 日常の技芸を守る」を論じています。「クンスト」,これはカントのいう Kunst で,「芸術」でもあり,「技術」でもあり,「技」でもあります。それらを総称して,「日常の技芸」と言っているところに,わたしは大いに惹きつけられてしまいました。なぜなら,スポーツもまた,オリンピックのような Spitzensport から一般大衆のための Massensport にいたるまで,その守備範囲がきわめて広く,ともすれば,スポーツを語るときには Spitzensport の方に比重が傾いていきます。が,多木さんは,そうではなくて,日常生活のなかでの「技芸」としての Kunst こそが真の歴史を形成しているのだ,と主張します。

 ですから,多木さんは,みずからのスポーツ経験を語るときに,この映画『オリンピア』をみたときの驚きからはじめるわけです。そこからはじめて,20世紀とはいったいどういう世紀だったのか,そして,その20世紀にとってスポーツ映像とはどのような役割を果たしてきたのか,という普遍の問題へと展開していきます。この視座は,わたしにはなかったものでした。ですから,とても新鮮で,ハッと気づかされました。その意味でも,このテクストは,いつか,わたしたちの研究会でも取り上げ,徹底的に議論する必要がある,と覚悟を決めています。

 最後に,このテクストの冒頭に「歴史の天使」という多木さんの詩文が,エピグラフとして飾られています。この文章がとても美しく,しかも,深いところに触手が伸びていて,わたしは何回も何回も熟読玩味しています。できることなら,ここに全文を写しとりたいほどです。でも,そうもいきませんので,その一部だけ引いておきましょう。

フットワーク
「歴史」にも,乱丁,落丁がある。出来損ないの書物のなかの奇妙な迷路。そんな不思議なエアポケットが,写真の場である。歴史学者が見落とした隙間,瞬間をまた細分した瞬間,空虚をまた空っぽにした空虚。それがほんとうには,まだ見ぬ歴史がはじまる場所である。──以下,略。

 この文章を読んで,ハッと気づかれた方もいらっしゃることと思います。そうです。『スポートロジイ』第2号(2013年7月刊)に掲載されている今福龍太さんの特別講演「身体,ある乱丁の歴史」(P.9~27.)です。

 今福さんは,その種明かしをしてくださった上で,このテクストと講演とを重ね合わせて,一度,みんなで議論をしませんか,と誘ってくださっています。もちろん,願ってもないチャンスですので,かならず実現させたいと考えています。

 なお,この『映像の歴史哲学』の刊行を記念して開催された,吉増剛造・今福龍太トークイベント(青山ブックセンター本店)の内容が『週刊読書人』(第3005号,9月6日)に掲載されていますので,そちらもぜひ読んでみてください。ありがたいことに「バタイユの『動物性』」についてもしっかりと論じてくださっています。また,ベンヤミンについても論じてくださっています。

 ここまで読んだときに,ようやく,今福さんが『スポートロジイ』第2号の合評会の第二バージョンをやりましょう,と声をかけてくださったことの意味がこころの底から納得できました。ありがたいことです。大いに準備をして,その機会に臨みたいと考えています。

とりあえず,今日のところはここまで。
 

2013年10月21日月曜日

NHKスペシャル「シリーズ・病の起源 うつ病の秘密に迫る」をみて,考える。

 「戦争に囲まれてしまった現在の私たちは,芸術や映画や写真などを見ながら,言語化し,考えることがなにより大切なのです」と多木浩二さんは語ります(多木浩二『映像の歴史哲学』,今福龍太編,みすず書房,2013年,P.184)。

 ここで多木さんが言っている「戦争」は,「世界の戦争化・戦争の世界化」という多木さん固有の概念であることを念頭においておくことが必要です。それを平たくかみ砕いておけば,日常生活の「戦争」から,世界「戦争」にいたるまでの,人間の生死をめぐるあらゆる「闘い」というように考えてみるとわかりやすいかも知れません。そういう「戦争」に囲まれてしまった時代を生きる私たちは,映像を見ながら,言語化し,考えることが大切だ,と多木さんは力説しています。

 で,早速,日曜日のNHKスペシャル「シリーズ・病の起源 うつ病の秘密に迫る」を,特別の関心をもってじっくりと(ノートをとりながら)見ましたので,こんどは言語化しながら,可能なかぎり思考を深めてみたいと思います。

 NHKのこのシリーズは,教えられることがとても多いのでいつも楽しみにしているのですが,その一方では,映像の構成の仕方といいますか,映像のもつメッセージ性については,どこか不満というか,違和感を禁じえません。もっとはっきり言ってしまえば,番組制作に携わる人たちの思想・哲学があいまいであること,だから,最先端の科学的な研究成果に依存しすぎてしまい,新たな「科学神話」を生みだすことに貢献してしまっているのではないか,という不満です。

 もちろん,ご覧になった方も多いと思いますが,まずは,わたしがこの映像とどのように向き合い,そこから教えられたことの要点を整理しておきましょう。

 現代病とも呼ばれ,近年,激増している「うつ病」のからくり(メカニズム)を,こんなに単純化して,映像にしてしまっていいのだろうか,という根源的な疑問はひとまずおくとして,わたしも負けないくらい単純化して要点をまとめてみたいと思います。

 うつ病を発症するセンターは脳のなかの扁桃体にあり,そこにストレスがかかるとストレスホルモンを大量に生みだし,脳の神経細胞にダメージを与える,これがうつ病の原因だというのです。それを実験で実証してみせてくれます。なるほど,と納得。問題はここからです。

 この扁桃体のはたらきは,もともとは天敵から身を守ることにあるといいます。つまり,生物の生存競争を生き抜くためのもっとも大事な仕組みだというわけです。ですが,天敵につねに脅かされるような環境に身をおくと,恐怖のあまりストレスホルモンが大量に産出され,神経細胞にダメージを与え,うつ病になる,というのです。ですから,そういう「環境」に身をさらすことを回避する智恵が必要になってきます。これが教えられたことの一つ。

 つぎに教えられたことは,チンパンジーの実験です。感染症にかかったチンパンジーを治療するために一年半ほど群れから隔離してしまったために「孤独」に陥ってしまった,それが原因でストレスが溜まり,うつ病を発症した,という事例です。人間もまた「孤独」に陥るとストレスが溜まりうつ病になる確率が高くなるというのです。

 三つ目は,370万年前にアフリカのサバンナで二足歩行による生活をはじめた類人猿は脳を発達させて「記憶」をわがものとした,これがうつ病発症の大きな原因の一つだ,というのです。つまり,身の危険を「記憶」するようになり,その恐怖の「記憶」が大量に蓄積されることによってストレスが溜まり,うつ病が発症する確率が高くなった,というのです。

 四つ目は,190万年前に人類は「言葉」を獲得したと考えられていて,その痕跡が頭蓋骨のブローカ野(や)で確認できる,というのです。言葉を獲得した人類は,恐怖の体験や記憶を言葉によって語り伝えることが可能となります。すると,そのような恐怖体験を聞くことによってストレスが溜まり,うつ病が発症するようになる,というのです。

 ということは,人類は進化とともにストレスを大量にため込むようになり,うつ病の発症率が高まってきた,ということになります。

 その大きな転機となったのはメソポタミア文明であった,といいます。それは,農耕をはじめたことによって,食料の保存が可能となり,貧富の差が生まれ,階級社会が登場したからだ,というわけです。それに引き換え,いまもなお集団で狩猟採集生活をしているアフリカのハッザ族にはうつ病は皆無だといいます。なぜなら,完全なる平等社会がいまも保持されているからだ,と。つまり,みんなで共同で狩りを行い,とれた獲物はみんな平等に分け合い,そこには貧富の差はまったくないからだ,といいます。

 そして,最後に,現代医学は急速に進展していて,うつ病も治すことが可能になってきた,という事例をいくつか紹介しています。つまり,医科学の未来がわれわれ人類を救済してくれる,という次第です。しかし,治療法が確立すればそれでいいのか,というとそれは違うのではないか,というのがわたしの考えです。むしろ,重要なことはストレスを生みだす原因を除去することの方にあるのは,だれの眼にも明らかです。なのに,話をそちらにはもって行こうとはしません。まったく触れようともしませんでした。なぜ,そういうことになるのか,あえてことばにしなくてもすでにお分かりのことと思います。

 うつ病を発症する原因は,人類の進化の順に合わせて,天敵(生存競争),孤独,記憶,言葉,という四つのキー・ワードで整理されていましたが,そこまで言えるのであれば,それらの原因を除去する方法も,いとも簡単にまとめられるのに・・・・というのがわたしの不満です。

 貧富の差を少なくし,可能なかぎり平等な社会を目指すこと,そういうコンセプトを日常生活の隅々にまで行き渡らせること,こんな単純なことを,なぜ,NHKは言えないのか。ちょっと奇怪しい。それを無視して,最後にとってつけたような結論を出していました。これにはいささかあきれ返ってしまいました。

 それは,TLC(生活改善法)を導入すればうつ病を克服することができる,と。つまり,定期的な運動をしなさい,規則正しい生活をしなさい,といった当たり前のことの列挙です。もう,繰り返すまでもありませんが,問題は,そんなところにはありません。そういうTLCが提唱するような健康的な日常生活が送れなくなってしまっているからこそ「うつ病」が激増しているのですから。まともな日常生活をとりもどすこと,それを不可能にしている原因を除去すること。少なくとも,そちらに舵を切ること。

 いろいろと教えてもらうことも多いのに,せっかくの番組の作り方があまりにも杜撰で,雑である,というのが今回の強い印象でした。そこには,確たる思想・哲学がほとんど見られません。多木さんに言わせれば,日常生活を実り豊かなものにする「クンスト」(Kunst カントの言う意味で)が足りない,ということになるでしょうか。
 

2013年10月20日日曜日

山本太郎議員,たった一人,東京五輪国会決議に反対。信念を貫く。立派。

 「お前なんかに原発問題を語る資格はない」と頭ごなしにした著名な評論家にたいして,「一人の国民として語る資格はある」と反論し,ついにその信念を貫いて参議院議員となった山本太郎さん。どんな政治活動を展開するのかと注目している。「今はたったひとりの党」の党首。つぎの選挙で何人に増えるか,いまから楽しみ。

 その山本太郎さん。去る15日に衆参両議院で行われた,東京五輪開催に向けての政府の努力を求める国会決議に,敢然と「反対」の意思表明をした。全国会議員のなかで,たった一人。衆議院では全会一致。山本太郎さんを除くすべての国会議員は東京五輪に万歳なのだ。空恐ろしい「なにか」(「力」としかいいようのない「なにか」)が国会には蠢いているようだ。山本太郎さんの言い分は,「うそで固められた五輪開催には賛成できない」というもの。

 例によって10月18日の『東京新聞』で確認してみると,以下のようである。

 山本氏は,国際オリンピック委員会(IOC)総会で「(東京電力福島第一原発の)汚染水は完全にコントロールされている」と訴えた安倍晋三首相の演説内容が事実と異なると批判。「原発事故は収束していない。汚染水問題など,お金を使うべきところに使わず,はりぼての復興のために五輪をやろうとしている。うそまでついて招致したのは罪だ」と主張した。

 国会決議の内容は,五輪開催がスポーツ振興や国際交流に意義があるとし,競技場などの施設整備や震災復興の推進を求める,というもの。この決議内容については,もう少し詳しくチェックする必要があるが,いずれにしても,東京五輪開催に異議を申し立てる国会議員は山本太郎さんたったひとりだ,という事実に唖然としてしまう。なんだか,アベノミクスの登場以来,1936年のオリンピック・ベルリン大会のころのような「全体主義」化の匂いがしてきて,薄気味わるい。

 山本太郎さんは,こういう「空恐ろしい」感覚に鋭敏な人らしい。

 IWJ(Indipendent Web Journal:岩上安身責任編集)によれば(2013/10/14),山本太郎さんの直近の政治活動は以下のようである。

 9月22日渋谷駅前でスタートした,山本太郎参議院議員による「反秘密保護法 全国街宣キャラバン」。約3週間をかけて全国を回り,臨時国会招集の前日となる10月14日は,東京に戻り,銀座数寄屋橋交差点前で行われた。

 『沖縄タイムス』(2013/10/14)は,山本太郎議員が辺野古視察「新基地は不要」,と報じている。そして,その記事を抜粋してみると以下のとおりである。

 ・秘密保全法の危険性を訴える全国キャラバンを展開している山本太郎議員は12日,日本政府が米軍普天間飛行場の移転先としている名護市を訪れた。
 ・新基地建設に反対し座り込みが続くテント村で,ヘリ基地反対協の安次富浩共同代表から説明を受け,周辺海域を視察した。山本議員は「原発と根底は一緒。新しく基地を造る必要はまったくない」と話した。
 ・名護市役所も訪れ,稲嶺進・名護市長と意見を交換した。

 特定秘密保護法(秘密保全法)に盛り込まれている「特定有害活動」は政府の裁量で指定できてしまう可能性がある,と危惧する山本太郎さん。たとえば,2013/10/13抗議行動が,特定有害活動に指定されてしまう可能性もある,というわけだ。ひょっとすると,原発も「秘密」指定される可能性だって皆無とはいえない。となると,脱原発活動そのものが大きな打撃を受けることになりそうだ,という次第。だから,山本太郎さんは黙ってはいられない。そこで,全国街宣キャラバンを組んで,沖縄にまで足を伸ばしている。

 その上での「東京五輪に関する国会決議」への反対表明である。

 ゲンシリョクムラというファシズム勢力が,真っ暗闇のくらがりのなかで,もぞもぞとうごめきはじめているのだろうかと思うと「空恐ろしい」。まさに「力」としかいいようのない「なにか」が,そこには存在している。しかも,その「なにか」に国会議員の圧倒的多数が怯え,からめ捕られているとしたら,世も末である。

 その意味で,山本太郎さんの「たった一人の反乱」はきわめて重要だ。
 しかし,この勇気ある政治家としての活動を,ほとんどのメディアは「無視」している。ネコの首輪に鈴をつける勇気と決断が,いま,わたしたち国民に問われている。「一人の国民として発言」する権利を行使しなくてはならない。山本太郎さんのように。アホな評論家の言動に惑わされることなく,わが道を進むべし。

 そうしないと「デモ」もできない社会になってしまいそうだ。
 それこそ「空恐ろしい」ことが現実になってしまう。もう,すでに起きているのだが・・・。
 

2013年10月19日土曜日

ロシア・ソチ五輪「聖火リレー なぜ北極点に」(『東京新聞』10月19日・朝刊より)。スポーツ批評・その14.

 「海底資源狙い 露骨な回り道」,対外アピール「政治利用が五輪汚す」という見出しの躍る今朝の『東京新聞』,「こちら特報部」。「ニュースの追跡」を旗印に,さらにニュースの真相・深層に迫ろうとする,いま人気の紙面。

 見開き2ページにわたって,いま,話題のニュースを追跡。日常的なニュースでは伝えきれない,ニュースの核心部分に触手を伸ばしていく。いずれも記名記事なので,記者の力量が問われる,待ったなしの記者魂が伝わってくる。言ってみれば,開かれた議論の場である。

 この「ソチ五輪聖火リレー」の記事と連動するかのように,その左側には,安倍首相が「積極的平和主義」をアメリカの保守系シンクタンク・ハドソン研究所でのスピーチで掲げたことをとりあげて,その真意を問いただしている。しかも,この発言は,アメリカでは「集団的自衛権行使」と解釈される可能性もある(英語表現のアヤ)という。

 〔積極的平和〕とは「戦争だけでなく,貧困や搾取,差別など暴力がない状態」という定義を確認した上で,その実現に向けての「日本の貢献は?」と,問いかけている。そうして,「核なき世界」を示せ,紛争の仲介役期待,という大きな見出しを掲げ,開発や医療・・・支援,多方面に,と主張している。

 要するに,オリンピックは「国際平和運動」を標榜していながら,その内実は「政治利用」の都合のいいツールとして弄ばれている,これでいいのか,ことばの「正しい」意味での「積極的平和」に向けて,東京五輪の基本コンセプトを構築すべきではないのか,と主張しているようにわたしは受け止めた。

 ブログの表題の話にもどそう。
 聖火リレーで,なぜ,北極点にまで行かなければならないのか,というのがこの特報記事の眼目だ。記事によると以下のような解説があり,眼を引く。

 「北極には陸地がなく,氷が解ければ海だ。他の海と同じように国連海洋法条約が適用される。北極点は,どの国の領海でも排他的経済水域でもないが,海底から陸地に続く大陸棚の延長であれば,一定範囲内で資源の開発権は認められる。ロシアは近年,北極点周辺の海底は自国の大陸棚であると主張している。日本国際問題研究所の小谷哲男研究員(海洋安全保障)は「ロシアの深海潜水艦が六年前,北極点の海底に国旗を打ち付け,周辺の海底資源の独占的な開発権があると訴えた。リレーにも同様の意図がある」とみる。──以下,省略。

 そして,記事の最後に,真田久・筑波大教授(スポーツ人類学)の談話が紹介されている。それによると「聖火リレーは清らかな火を素早く神殿に持って行く古代ギリシアの風習に由来する。政治利用される聖火は,聖火台にともされる前に汚れてしまっているのと同じだ」と嘆いた。

 たぶん,真田教授はもっと多くのことを語ったと思われるが,最終的には記者の都合のいい「落ち」の部分だけに利用されてしまったようだ。それは,わたしの経験からもよくわかる。取材にきた記者は自分の論理展開につごうのいい部分しか使わない。あとは,カットされてしまう。

 おそらくは,真田教授はつきのようにも語っていたはずだ。
 聖火リレーは,ナチスのオリンピックと言われた1936年のベルリン大会にはじまった。当時の組織委員会事務局長を務めていたカール・ディーム(のちに,ドイツ・スポーツ大学ケルンの学長になる)の発案になるものだ。ディームは,プラトンの『国家』の冒頭に描かれたアテネの「聖火競走」をヒントにして,近代オリンピックに応用したのだ。それは,古代オリンピックの聖地「オリンピア」で採火した「聖火」を,近代オリンピックの開催地「ベルリン」まで,リレーして運ぶというアイディアであった。このアイディアはヒトラーにも歓迎され,早速,採用されることになった。しかし,ヒトラーはこのアイディアを「政治利用」することを思いつき,ギリシアのオリンピアからベルリンまでの主要幹線道路をくまなく調べ上げ,どのコースを走るかも綿密に練り上げた。そのコースは,第二次世界大戦がはじまったときに,ドイツ軍が侵入していく上で大いに役立った。つまり,聖火リレーはその当初から「政治利用」される「汚れたイベント」だったのだ。プーチンは目ざとくそれを見習っただけのことだ,と。

 この話はとても有名な話なので,かなりの人たちには常識である。
 たとえば,多木浩二さんは,リーフェンシュタールの撮った映画『オリンピア』をみたときの記憶を頼りに,つぎのように語っている。(ちなみに,多木さんが映画を初めてみたのが,小学生のときで,それがこの映画だったという。)

 「そのときに自分のなかに残っていたイメージというのは,神話的な部分です。それは,いまは聖火リレーと言われている部分です。聖火リレーなるものは,じつはこのベルリン・オリンピックではじまったのでした。そこにはナチの戦略的で地政学的な問題が絡んでいます。だからこそバルカン半島からベルリンまですべての地域をランナーが踏破できるわけです。そういった地政学的条件が聖火リレーという儀式と重なっていました。この映画は,強烈な神話的世界を映しだしたものなのです。そうした側面は子供ながらに,鮮明に頭のなかに残っています。」(多木浩二『映像の歴史哲学』,今福龍太編,みすず書房,2013年6月刊,P.143.)

 結論:聖火リレーは「神話」を生みだすための絶好の文化装置である。したがって,よくも悪くも,いかようにも利用可能なまことに便利なツールなのだ。つまり,「神話的暴力」(ベンヤミン)をめぐるきわめて重要なテーマなのである。このことについては,いつか,もっと深く思考の根を下ろしてみたい。オリンピックとはなにか,を考えるための手がかりのひとつとして。
 

2013年10月18日金曜日

五輪のシンボル・マークはクーベルタンの創案ではなかった。スポーツ批評・その13.

 青・黄・黒・緑・赤の五輪のシンボル・マークは,それぞれ順にオセアニア,アジア,アフリカ,ヨーロッパ,アメリカの五大陸を表し,世界がお互いに手を結んで平和になることを願って,クーベルタンが創案したものだ,とわたしはこんにちまで信じて疑わなかった。が,そうではない,と多木浩二さんは仰る(『スポーツを考える』,ちくま新書,P.59.)。

 その根拠として,「古代オリンピックの聖所に彫られていた五輪の象徴」というキャプションを付して,写真まで提示している。これも,わたしの不勉強で,「えっ?!」と驚いて,わが眼を疑う。断っておくが,わたしの卒業論文は「古代オリンピック競技の起源について」(Urlich Popplov, Die Ursprung der Olympischen Spiele,という当時の最先端の論文〔雑誌:Olympisches Feuer に連載されていた〕を翻訳して,それに若干の考察を加えたもの)である。一応の基礎知識は,その後も追い続けていたので,持ち合わせているつもりである。もっと言っておけば,その研究につづけて,Franz Mezoe,Die Geschichte der Olympischen Spiele を翻訳して(のちに,大島鎌吉さんの翻訳で出版されている),指導教官に提出している。だから,多木さんのアンテナはどこまで伸びているのだろうか,と感心してしまった。

 で,あわてて,あちこち調べてみたら,以下のようなことがわかってきた。しかも,さすがの多木さんも記憶違いをしていたことも明らかになった。

 それは,多木さんの付したキャプション「古代オリンピックの聖所に彫られていた五輪の象徴」にある。古代オリンピックの聖所といえば,一般的にはゼウスを祭神とする「オリンピア」のことを指す。しかし,この「五輪」のマークが彫られていたのは,オリンピアの聖所ではなくてデルフォイのアポロン神殿の祭壇の壁であることがわかった。デルフォイといえば,古代ギリシアにあっては「世界のへそ(中心)」と信じられていた聖地である。古代史に大きな痕跡を残した「神託」の多くはここで出されたものであった。それほどに大きな力をもっていた聖地である。

 しかも,ここでは「ビュティア」という祭典競技が行われていた。古代ギリシアでは「四大祭典競技」と呼ばれるものが行われていて,ビュティアもそのなかの一つ(あとの三つの祭典競技は,オリンピア,ネメア,イストミア)であった。だから,多木さんのキャプションは広義に解釈すれば間違いではないのだが,厳密には,ビュティアである。ちなみに,「古代オリンピックの聖所」といえば「オリンピア」でなくてはならない。

 クーベルタンは,このデルフォイのアポロン神殿の祭壇に彫られていた五輪の紋章に着想を得て,こんにちの「五輪」を制作したというわけである。厳密に言えば,「青・黄・黒・緑・赤」の色分けをして,それを五大陸に当てはめたところが,クーベルタンのアイディアであった。この「五輪」のシンボル・マークを,クーベルタンは1914年のIOC設立20周年記念式典で発表した。

 付け加えておけば,デルフォイのアポロン神殿祭壇に彫られていたこの五輪のマークは,祭典競技を開催するための「休戦協定」について刻まれていた文言のなかにあるものだ,という。そこには,1,000以上ものメッセージが刻まれていて,そのほとんどは「奴隷解放」がその主な内容である,という。

 五輪のシンボル・マークをクーベルタンが創案したとされる背景にはこんな事実が隠されていた,という次第である。いつのまにか,この事実はどこかに消え去ってしまって,新たに「クーベルタン神話」が生まれ,それが事実として巷に広まっていく。おそらく,神話とはこんな風にして誕生するものなのであろう。その是非論については,また,いつか,論じてみたいと思う。

 いずれにしても,五輪のシンボル・マークはクーベルタンの創案になるものではなく,遠く古代ギリシアの世界にまでさかのぼる由来があることが明らかになった。そろそろ,「クーベルタン神話」を脱構築するときを迎えているように思う。少なくとも,2020年の東京五輪招致を機会に,オリンピックにまつわる数々の「神話」を訂正していく努力をしていく必要があるだろう。その主役は,スポーツ史学会が担うことべきではないか,と密かに考えている。

 この問題については,また,いつか問題提起をしてみたいと思う。
 今日のところは,ここまで。
 

2013年10月17日木曜日

クーベルタンとヒトラーの接点を考える。スポーツ批評・その12.

 一度読んだ本はもういいとする悪い習慣がわたしにはある。夏目漱石の『我輩は猫である』は10年に一度は読め,そのつど新しい発見がある,と書いたのは江藤淳だっただろうか。記憶があまり定かではないが,10年生きているとそれなりに成長する,その成長に応じて本の読み方もおのずから変わる,というのだ。なるほど,とおもったものの実行はほとんどしていない。

 多木浩二さんの『スポーツを考える』(ちくま新書)もそういう本だ,ということを今回,久しぶりに再読してみてつくづくそうおもう。こんなに面白い発想の仕方があるのか,という方法はもとより,内容という点でも,驚くべき発見がある。一度,読んだら忘れるはずのない内容なのに,なぜか,すっかり忘れているのだから不思議だ。

 そのひとつが「クーベルタンとヒトラーの接点」である。まさか,近代オリンピックの祖・クーベルタンとあの悪名高きナチズムのヒトラーと「接点」があったとは,だれも思うまい。だから,もし,あったということを知ったら,こんな特ダネを忘れるはずはないだろうに・・・。なのに,すっかり忘れているのだから,不思議だ。人間の記憶などというものはいい加減なものだ。

 多木さんによると,クーベルタンは晩年を,ヒトラーの提供した多額の年金で暮しをたてていたというのである。なぜなら,クーベルタンはヒトラーのプロパガンダとして利用されていたからだ,という。もっとも,多木さんによれば,クーベルタンとヒトラーとの間にはお互いに響きあうものがあったように思うから,別に不思議ではない,という。

 そのひとつの例として,1935年8月4日にベルリンのラジオ放送でクーベルタンが話した内容(タイトルは「近代オリンピックの哲学的基礎」)が取り上げられている。たとえば,つぎのような具合である。

 古代オリンピックの根本的な特徴は,近代オリンピックもまったく同様だが,ひとつの宗教だということである。・・・・オリンピックの第二の性格は,貴族主義であり,エリート主義であるということである。もちろん,この貴族主義とは,もともとは平等であり,個人の身体的な優越性と,訓練の意志によってある程度まで増強できる筋肉的な可能性によってのみ決定されるものである。

 このクーベルタンの発言に対して,いまさらコメントする必要はなにもないだろう。このまま,素直に読み取ればそれでこと足りる。つづけて,もう一点,多木さんが引用しているので,それも紹介しておこう。

 真のオリンピックの英雄とは,私の眼には,成年男子の個人である。私は,個人的には,女性の公的競技への参加は認められない。これは女性が多くのスポーツの実践を控えねばならないという意味ではない。スペクタクルに身をさらすべきでないという意味である。オリンピック競技においての彼女たちの役割は,かつてのトーナメントの場合同様に,勝利者に冠を授けることであるべきだ。

 この二つの引用文を読めば,クーベルタンとヒトラーがお互いに響きあう心性をもっていたであろうことは疑う余地はない。それどころか,クーベルタンにはヒトラーを賛美する傾向があった,とさえいわれていると多木さんは指摘している。そして,「クーベルタンは,実際にはきわめて保守的で,人種と性を差別する白人男性の思想から免れていなかった。しばしば称賛されてきたように人類愛に燃え,同時代の人間の健康に留意している人物ではなかった」とも書いている。

 クーベルタンは私財を投げうって,オリンピック・ムーブメントのために全力をそそいだといわれていて,先祖伝来のフランス貴族の遺産も使い果たし,最後には「破産宣告」まで受けて,落魄のうちに生涯を閉じた,というところまではわたしの記憶にもある。しかし,晩年には,ヒトラーからの高額な年金を頼りに,スイスでひっそりと暮らしていた,という事実は多木さんのこの本ではじめて知ったことである。

 もっとも,これはわたしの不勉強がなせるわざであって,少しく,クーベルタンの事跡を追ったことのある人にとっては,おそらく常識なのだろうとおもう。ただ,そういう人が日本には少ないということなのだろう。と思って,多木さんが用いている出典を確かめてみたら,フランス語で書かれた原典からのものだった。わたしの手のとどかないところに,その情報源があった。多木さんのアンテナの高さに脱帽するのみである。

 クーベルタンについては,そのむかし読んだことのある『オリンピックと近代──評伝クーベルタン』(ジョン・J.マカルーン著,柴田元幸/菅原克也訳,平凡社,1988.)のなかで,相当に詳しく論じられているので,こちらもおさらいをしておかなくてはいけない,と反省。 

 ということで,今日はここまで。

「社会とスポーツの関係は逆転しているが,逆転していないふりをしてスポーツは実践されている」(多木浩二『スポーツを考える』より)。スポーツ批評ノート・その11.

 多木浩二さんが,なぜ,『スポーツを考える』などという本を書いたのか,この本が出た当時(1995年)はなっとくがいかなかった。しかし,つい最近,今福龍太さんから送っていただいた本を読んで,その謎が解けた。

 その本は多木浩二さんの講義録をまとめた『映像の歴史哲学』(今福龍太編,みすず書房,2013年6月刊)である。この本の冒頭に,生まれて初めて見た映画が,小学生のときに見た,レニ・リーフェンシュタールが撮った『オリンピア』(1938年,ベルリン・オリンピックの記録映画)で,強烈なショックを受けた,とある。そして,第5章では,オリンピア──すべてが映像になるために作られた神話,が収められている。しかも,この本のなかの中核的な位置をしめている力作である。言ってみれば,多木さんのその後の人生を決したといっても過言ではない。この本のことについては,いずれ,このブログでもとりあげて論じてみたいと思っている。

 だということがわかると,『スポーツを考える』という本を多木さんが書くことになったとしても,なんの不思議もない。律儀な多木さんのことだから,おそらく,小学生のときに抱いたスポーツの衝撃とその不思議なイメージに対して,みずからその謎解きをした,というのが正直なところかもしれない。いやいや,もっと単純に考えてみても,多木さんが,のちに「映像文化論」に分け入っていく原点がここにあった,というべきだろう。

 いずれにしても,このテクストは多木さんが,かなりの思い入れをこめて書いていることが,全編をとおしてひしひしと伝わってくる。だから,いま,読んでみてもまったく古くなっていないどころか,いまも新鮮で,強烈なメッセージを送り続けている傑作である。

 そんななかから,一つ,これから掘り下げて考えてみたいと思う話題をとりあげてみたい。
 第五章 過剰な身体,のところで(P.131,以下),ミシェル・フーコーのいう「規律・訓練される身体」をとりあげ,ひととおり論評を加えたあとで,現代社会のスポーツの身体は「規律・訓練を離脱する身体」ではないか,と論じている。とても,魅力的な論を展開しているので,多木さんの文章を引用しながら考えてみたい。まず,多木さんは,つぎのように切り出している。

 厳密な言い方ではないが,現在のスポーツのゲームに現れている身体は,すでに,テクノロジーを組み込んだ一種の幻覚の領域に入り込んでいるのではないのか。どんなに筋肉美を誇ろうと,それはかえって幻覚的になり,すでに身体は明瞭な輪郭を失っているのである。身体のこのような状態は,フーコー流の従順な規律・訓練の身体を少なくともイデオロギー的にはもっとも人間的であると見做してきた近代スポーツが,巨大な力に押されて超近代スポーツに発展することのなかで生じてきた。もちろん個々の競技者がそんな身体の変容を促す力を意識しているわけではない。個々の競技者を超えたスポーツという領域が辿る運命であり,それが個々の身体の上に現れているのである。

 かつて,今福龍太さんが「透明な身体」「透けてみえる身体」と表現したことと同じ視線がここに読み取ることができる(『近代スポーツのミッションは終わったか』,平凡社)。それは,近代スポーツから超近代スポーツへと逸脱していくスポーツの運命であり,必然である,というわけだ。この前置きをした上で,多木さんはつぎのように書く。

 それにもかかわらず,スポーツはスポーツとして存在するためには,人間性というすでに不確かになってしまった神話を,自らの核心におかざるをえない。スポーツなるゲームを無償の身体の活動に基礎づける人間学的な思考そのものが,完全な危機的状態において維持されているのである。すでに述べたように,今日のスポーツのさまざまな様相を社会が生みだしたものとして,その原因を社会的要因に求めるのが普通であるが,ほんとうは反対に社会の方がスポーツに可視化され,人間性を顕在化せしめる形式のひとつになっているのである。われわれは社会を実体として,あるいは全体性として捉えうるものとして想定するのではなく,こうしたさまざまな形式によってそのつど経験しているのである。すでに社会とスポーツの関係は逆転しているが,同時に逆転していないふりをしてスポーツは実践されているのである。

 社会とスポーツの関係は,逆転している,と多木さんは断言する。つまり,近代スポーツは近代社会の反映としてとらえることができるけれども,超近代スポーツ(わたしのことばでいえば「後近代スポーツ」)にあっては,もはや社会の方がスポーツによって可視化され,人間性を顕在化せしめる形式のひとつになってしまった,と。にもかかわらず,この逆転が起きていないふりをして,人間性を核心に据えたスポーツが実践されている,という。そこから,さらに多木さんはもう一歩踏み込んで,つぎのように考える。

 こうした根本的な矛盾は,スポーツが暴力を制御してきたゲーム性を解体しないだろうか。暴力がスポーツの領域のどこかから噴出しても不思議でない状態が生じていないだろうか。近年とみに問題になるのは,サッカーのサポーター(フーリガン)の暴力沙汰である。

 というようにして,ノルベルト・エリアスが『文明化の過程』のなかで述べていることに根源的な問いを発している。つまり,前近代まで存在していた暴力を制御することによって近代スポーツというゲームを成立せしめた近代の「文明」が,超近代へと移行するにつれて暴力の制御装置(=近代社会)に破綻をきたしているのではないか,と。しかも,それが人間性という不確かなものを核心に据えなければならない,というスポーツそのものの根本的な矛盾に発しているとしたら・・・,と多木さんは指摘する。

 さて,ここからがわたしの出番である。わたしは,人間性そのものが,動物性から<横滑り>をし,その動物性を否定するところから人間性が立ち上がってきたとするバタイユの理論仮設に依拠すれば,ルールによって制御された暴力(=動物性)は行き場所をうしない,かならずどこかから噴出する,と考える。この仮設は,ジャック・デリダの「脱構築」の理論からも説明が可能である。すなわち,時代が超近代に移行し,まったく新たな超近代スポーツが出現しているにもかかわらず,いまも近代スポーツのルールを護持しようとしている時代錯誤(あるいは,逆転していないふり)を,いかにして超克していくか,がいま問われている喫緊の課題である,と。抑圧・隠蔽された暴力は,いつか,かならず亡霊のように突然,噴出する。

 エリアスから多木さんを通過して,いま,わたしたちはこの地点に立たされている,というのがわたしの認識である。

 とりあえず,ここまでとする。

2013年10月15日火曜日

多木浩二著『スポーツを考える──身体・資本・ナショナリズム』(ちくま新書)を再読。スポーツ批評ノート・その10.

 スポーツを「批評」するということはどういうことなのか,とこのところ考えつづけている。考えつつ原稿を書いている。たとえば,「太極拳」を批評する,とはどういうことなのか,と。実際にその「批評」を書いてみる。いま,イメージしている程度には,なんとか書けていると思う。しかし,書いた自分がいまひとつ納得がいかない。なぜだろう?と考える。

 いま,わたしたちが日常的に目にしているスポーツとは,いったいなんなのか,と。わたしたちが,いま,「日常的に目にしているスポーツ」のほとんどは,テレビの映像をとおしてのものであり,じかにスタジアムで,自分の目でみることの方が圧倒的に少ない。しかも,自分が得ているスポーツ情報も,自分で現場にでかけて行って,自分の目や耳や肌で感じ取っているものではない。そのほとんどは,テレビの映像をとおしてであり,新聞,雑誌などの記事であり,写真である。あるいは,友人がスポーツ観戦してきたときのみやげ話である。

 つまり,受け身でしかない。実際にランナーとして大会に出場したり,定期的に野球なり,サッカーなりをチームをつくってプレイしている人たちは,現代日本の社会にあっては,ごく少数派であることは確かだ。この人たちの感じ取っている「スポーツ」のイメージは,おそらく直接的な体験をとおして形成されているだろう。しかし,それ以外の人びとのイメージする「スポーツ」は,そのほとんどは間接的なものであり,受け身の情報にすぎない。言ってみれば,メディアをとおして得たものばかりである。

 だとすれば,現代(いま)を生きているわたしたちにとって,スポーツとはなにか。スポーツはどこからやってきて,これから,どこに向かって進もうとしているのか。あるいは,スポーツがたどらざるをえない「必然」とはなにか。生身の生きる人間にとってスポーツとはなにか。そこのところの認識が,いま,問われているに違いない。スポーツを「批評」するという営みの一つの拠点はそこにあるのだろう。

 このことにうまく応答できないために,スポーツを批評する原稿が,いまひとつ満足できないでいる。早急になんとかしなくてはならないのだが・・・・。

 そんなことを考えていたら,もう,ずいぶん前に読んだことのある多木浩二さんの『スポーツを考える──身体・資本・ナショナリズム』(ちくま新書,初版は1995年)が脳裏に浮かんできた。あわてて,書庫のなかを探しまわる。

 多木さんは,この本のなかで,ノルベルト・エリアスの『文明化の過程』のはたした功績と限界を論ずるところから始めている。たとえば,「スポーツがイギリスで発生する過程とイギリスの議会制度の発生とが同時代的かつ同質的な関係にあることを指摘しているのは卓見と言うべきであろう」と称賛した上で,以下のように,その限界を指摘している。

 ・・・・スポーツは今では,エリアスが考えてきた近代スポーツの枠組みをはるかにはみだしてしまった。スポーツは一方では近代固有のナショナリズムを乗り越えているが,他方ではあらたなナショナリズムを生みだしてもいる。スポーツは世界的に異常に肥大化した人間活動のタイプになった。ほとんど毎日なんらかのスポーツが行われ,とくにテニスやゴルフの選手たちは一年中,世界を駆け回っていると言ってもいい。

 と前置きした上で,新たに現象しつつある問題点について,つぎのように切り込んでいく。

 スポーツ大会やスポーツ選手の養成に注ぎこまれる資金は巨大化し,テクノロジーとともに用具は変わり,また計時法の精密化のために,ほとんど意味のない百分の一秒の差異を争う結果を生んだ。当然,異常な身体の発達をまつことになり,トレーニング法が開発されるとともに,ドーピング(薬物による身体の増強)が広範に使用される。──中略──。かつて性差が強調されてきたスポーツの世界にも変化が起こった。今では女性が行わない競技はほとんどなくなった。われわれはいかに差別が行われているかを論じる以上に,女性のスポーツを男性スポーツ同様に扱い,その可能性と問題点を指摘すべき時代に入っている。

 と,まずは,スポーツの現場に起きているエリアス以後(1930年代以後)の問題を指摘し,さらに,この現場に「さまざまな言説」(メディア)が群がることの問題をとりあげ,それらが「資本制のシステム」と分かちがたく結びついていることを多木さんは強調する。そして,「スポーツを問うことは社会を問うことなのである」,とずばりと断言する。

 そして,最後につきのように締めくくっている。

 かりにスポーツを社会の表象と見なすなら,こうした表象の変容はもはやこれまでの身体や文化についての社会的な表象の垣根を超えている。これは資本制のシステムと分かちがたい。あるいは虚構のゲームとしてのスポーツの方が,世界化した資本主義のモデルになっていったのではなかろうか。

 こうした多木さんのご指摘を,もうかれこれ20年も前に読んでいたのに,ほとんど忘れてしまっている。にもかかわらず,わたしはいま,多木さんご指摘の問題系の延長戦上に立ち,必死で,つぎなる「批評」のステージを模索している。たぶん,わたしの無意識のなかで,多木さんの蒔かれた種が芽ぶき,枝葉を繁らせ,それがあたかもわたしのオリジナルな発想であるかのごとき錯覚を起こしているにすぎないのだろう。

 つい最近,雑誌『世界』に書いた拙稿「オリンピックはマネー・ゲームのアリーナか」(「魂ふり」から「商品」に変転するスポーツ)も,いま読み返してみると,まさに,この多木さんのご指摘の延長線上にあることがはっきりしてくる。われながら驚きである。そして,いまや,スポーツは世界を考える上では絶好の素材である,と主張するまでにいたっている。

 問題は,多木さんのご指摘からもう20年が経過しようとしているいま,つぎなる「スポーツ批評」のステージをどのようにして切り開いていくのか,それがわたしたちに課された喫緊の課題である。
しかも,「3・11」を通過したいま,フクシマ原発の放射能は飛び放題,汚染水も垂れ流しのまま,そのさきの展望も得られない前代未聞のきびしい現実を目の当たりにしながら,いまを生きるわたしたちにとって「スポーツとはなにか」と問うことの困難が待ち受けている。しかも,ここを避けてとおることはできないのである。

 だから,太極拳を「批評」することの困難もここにある。この問題に曲がりなりにも自分の答えを用意しないことには,すっきりした原稿は書けないのだ。

 多木さんは,ノルベルト・エリアスの論考を手がかりにしながら,その功績を讃えつつ限界を指摘し,「スポーツとはなにか」と考える。それから20年後のわたしは,多木さんの功績を讃えつつその限界を指摘した上で,みずからの思考を展開しなくてはならない。その意味で,この多木さんのテクストは,まことに得難い手引き書でもある。しばらくは,このテクストを熟読玩味しながら,わたしなりの「批評」の方途を見いだしてみたいと思う。

 ちなみに,多木さんのこのテクストは2012年に第6版を重ねている。いまも,多くの人に読み継がれている証拠である。もう一度,わたしたちの研究者仲間で,このテクストについて徹底的に議論をしなくては・・・・と考えている。

 

2013年10月14日月曜日

「(新技・シライの)あの空中感覚は自由に遊ばせてもらったお蔭です」・白井健三選手談。

 天才だ,いや,英才教育の成果だ,といま話題の人,体操の白井健三選手が今朝(14日)のテレビで生出演していたので,じっくりと耳を傾けていました。ちょうど,わたしの朝食どきだったのでラッキーでした。

 そのなかで白井選手が,わたしにとってはとても興味深いことをいくつも言っていたので,そのなかのもっとも興味を引いたことを書いておきたいとおもいます。結論から言うと,以下のとおり。

 気がついたらトランポリンで遊んでいました。コーチは基本だけ教えてくれて,それ以上のことはやってはいけない,と言われていました。だから,コーチがいないときに,自分で勝手にやってみたい跳び方をして遊んでいました。これがとてもよかったといまは思います。自由に,自分で考え,手さぐりで,ドキドキしながら,いろいろのことを試して遊んでいるうちに,自分なりの空中感覚が育ってきたとおもいます。いまでも,コーチのことばに耳を傾けるけれども,最終的に信じているのは自分の感覚です。少なくとも,中学生になるまでは,競技選手になるための特別の指導を受けたことはありません。両親もきびしく縛るというよりは自由放任主義で,自由に遊ばせてくれました。教えてもらったのは,基本だけです。

 4回半までひねることはできるますが,試合には使いません。着地が安定しないからです。4回半のひねりの練習をしておけば,4回ひねりに余裕が生まれます。そうすれば着地に余裕が生まれます。だから,それで充分です。

 自分の感覚で納得できないことはやりません。あっ,とひらめいたときにはやってみます。これまでもずっとそうしてきました。

 というような具合に,白井選手はなんの衒いもなく,じつに素直にインタヴューに応じていました。高校2年生,まだ,どこかあどけなさを残す童顔で,声変わりもまだかな,とおもわせるような高いトーンの声で,すらすらと答える白井選手の姿はとても好感のもてるものでした。

 なかでも,もっとも印象に残ったのは,「ずっと自由に遊ばせてくれていた」ということばでした。これと同じようなニュアンスのことばを何回も発言していたように思います。わたしがこれまでに白井選手について描いていたイメージは,ずっと,いい環境のもとで,いい指導者に恵まれて,子どものときから英才教育を受けてきたものとばかり思っていましたら,そうではありませんでした。教えてもらったのは基本だけで,あとは,遊びのなかでの好き勝手な創意工夫だった,ということを知って驚きました。

 やはり,もっている子はもっている。もっていない子はもっていない。もっている子は放っておいても自分でその才能を遊びのなかで伸ばしていく。もっていない子はいくらコーチが教えても限界がある。

 世の中では,教育が大事だ,こどものときから計画的な教育が大事だ,といって幼児の段階から習い事に行かせる親が多い。そして,東大に入れるためにはどこの塾がいいとか,どこの予備校がいいとか,と必死になる。その成果はたしかにあって,かなりの確率で東大に合格するらしい。でも,よくよく聞いてみると,そういうコースを歩んできた学生の多くは,合格したところで目的が達成され,バーン・アウトしてしまうといいます。そして,そのあとの伸びがない,と。

 1年くらい浪人したっていい。高校卒業するまでは,のびのびと自分の好きなことに熱中する,そういう経験を通過して,最終的に自分のやりたいことをしっかり見極めた学生の方が,そのあとの伸びがいい,と聞いています。わたしの出会った学生さんたちをみていても,そう思います。

 体操教室も同じで,子どものときから英才教育を受ければ,ある程度までは間違いなく伸びます。しかし,よくても全日本止まり。世界に通用する選手にはなれません。むしろ,だれにも拘束されない遊びの世界で,必死になって創意工夫する能力こそが,自律・自立への道を切り開くのではないか,とわたしは考えています。

 内村選手も,加藤選手も,よく似た環境のなかで育ってきている,と聞き知っています。そして,共通していることは,二人ともかなり自由に遊ばせてもらっていた経緯があるという点です。もっている子は間違いなくそれを伸ばしてきます。もっている子に,つぎはこれ,そのつぎはこれ,といってすべての練習メニューを小出しにしてコーチが与えると,受身のままの優等生らしい,こじんまりとした選手になってしまうだろう,と思います。

 子どもをほんとうにのびのびとその才能を伸ばしてやろうと思ったら,できるだけ手をかけないで,自由に遊ばせることです。子どもは,その遊びのなかで夢中になって創造力を全開させます。この経験が大事なのだと思います。大人が勝手に,さきまわりをして余分な干渉をするのは,かえってその子のもっているものを壊してしまうことになりかねません。

 子どもの成長をじっと見守りながら待つ。この姿勢が大事なのだ,ということを白井選手の話を聞いていて強く思いました。じっと耳を傾けて「聞くことの力」(鷲田清一)の重要性とか,子どもの成長をじっと「待つ」ことのできる「力」が親には大事なのだ,としみじみ思いました。

 目先の結果ではなく,遠い将来を見据え,その子の能力が開花するのをじっと「待つ」,その力こそが親には必要なのだろと,白井選手の話を聞きながら思いました。

 試合で失敗したらどうしようとか思いませんかと聞かれた白井選手は,「思いっきりやって失敗したのならそれでいい。つぎに成功させればいい,といつも自分に言い聞かせています」と応答しています。みごととしかいいようがありません。

 今朝はとてもいいテレビを見たなぁ,と大満足。テレビは基本的に大嫌いですが,ときおり,とてもいいカットに出会うことがあり,やはり,テレビは捨てがたいと思うこともあります。そんなことより,なにより,白井選手がこれからも,いまと同じような素直さで,のびのびと体操競技の才能を伸ばしていってほしいと思います。コーチは,余分なことを言わないように。すでに,白井選手は異次元の世界に生きているのですから。もっとはっきり言っておけば,コーチも知らない世界に白井選手は足を踏み入れているのですから。未知の世界で,白井選手はみずからの感覚を頼りに,さらなる可能性を追求しているのですから。

 天才は孤独です。白井選手のこんごは,その孤独との闘いだろうなぁ,と思います。周囲は,そっと,温かく見守るしかないのでしょう。そして,白井選手のよき相談相手になることでしょう。そのときに,どのようなことばを発することができるか,ピンポイントでそれに応答できる人がコーチだといいなぁ,と陰ながら応援しています。

 とまあ,そんなことを朝から考えていました。いい一日でした。大満足です。