朝から真っ青の空が広がり,西側の窓から富士山がみえます。久しぶりの景色です。やはり,富士山がみえるとなぜかほっとした気分になります。東京都内には富士見町とか,富士見坂とか,富士見ヶ丘とか,富士の名のつく地名がたくさんあります。しばらく前までは(わたしの学生時代といえば,もう50年前か),東京のあちこちから富士山がみえました。江戸時代の人たちは朝な夕なに富士山を仰ぎ見て,心なごませていたのだろうなぁ,と想像しています。
天気はいいのに,選挙にいく人の姿はいつもより少なめ。あまり盛り上がらなかった証拠です。溝ノ口駅前の選挙運動も,どこか拍子抜けしたようなテンションの低さでした。
候補者は3人。現職市長の後釜に座るべく推された元高級官僚の天下り候補。まだ,44歳という若さです。まったきエリート・コースを歩いた典型的な官僚。選挙広報をみるかぎり,お坊っちゃまだなぁ,という印象が強い。ほかの二人の候補者は,この一週間の間に各3回ほど別々の場所で街頭演説に出くわし,しばらくは耳を傾けてみたことがありました。が,この候補者は一度も演説を聞く機会がありませんでした。偶然にしては少し変だなぁ,と思います。
昨日(26日)の午後には支援者という人から留守電が入っていて,「安倍政権と手と手をとりあって強い川崎市をつくりあげますので,どうぞよろしく」という趣旨のことばが聞こえてきました。が,あれっ?とわたしは思いました。この陣営の人たちはなにを考えているのだろうか,と。安倍首相の諮問を受けた学識経験者のうち80パーセントが反対を表明した「特定秘密保護法」案を,この人たちの意見・意志をまったく無視して閣議決定をし,国会に提出した,とどの新聞も一面トップで批判している渦中だというのに・・・。少しでもこころある人たちはみんな怒っています。そんなことにも気づかないで安倍首相を担ぎだせばいい,という情況判断の甘さ,そして,それをそのまま留守電に売り込もうという無神経さにはあきれてしまいます。この電話のお蔭で,この候補者は間違いなく一票を失いました。
もう一人の共産党推薦の候補の支援団体からも留守電が入っていました。こちらの電話は,なにかメモらしきものを読み上げているのですが,あまりに稚拙で,途中で消去しました。選挙広報をみるかぎりでは,なかなか共感できるスローガンをかかげているのですが,この電話であきらめました。あまりに知性を欠いていたからです。選挙運動はやればいいというものではありません。かえって票を減らすことだってあるのですから。そっと黙っていた方がいい場合もあります。
その点,最後の候補者は41歳。前回の市長選挙でも立候補したのですが(そのときは30歳代),わずか2万票ばかり足りなくて次点だったといいます。この人は,ふだんでも鷺沼駅前に立って演説をしている姿を見かけていました。演説はあまり上手とはいえませんが,川崎市の政治を変えたいという誠意は伝わってきました。この人の主張は,長年つづいている高級官僚天下り市長の時代に終止符を打ちましょう。そして,川崎市で生まれ育った市民を代表として送り出してほしい,つまり市民市長を・・・という単純なものです。もちろん,教育問題などにもかなり踏み込んだ政策を提示しています。
さて,こんな3人のなかからつぎの市長さんを選ばなくてはなりません。この人こそ・・・と思える人は残念ながら一人もいらっしゃいません。が,この3人のなかからだれか一人を選べということになれば,消去法でおのずから決まってきてしまいます。
こんどの選挙結果は意外に早く決着がつくのではないか・・・とそんな予感がしています。
いつものように投票所をでたところで出口調査の人が一人ずつ,少し離れたところでやっていました。が,わたしはどういうわけか,この出口調査の人に声をかけられたことが一度もありません。今日もそうでした。わたしの前後を歩いていた人は声をかけられているのに・・・。これもまた不思議です。そんな出口調査の結果を集計して,予報を流すというメディアのシステムそのものにも疑問をもちます。第一に,メディアが選挙に関与しすぎるというのが,わたしの最大の疑問です。世論調査と称しておこなう選挙前の人気投票の結果を公表するのは,どうみたって「世論操作」でしかありません。統計上の数字は,ある意味では,いかようにも「操作」が可能です。そういういい加減な世論調査結果に有権者の多くは左右されてしまいます。これでは,選挙はやってみなければわからない・・・という期待感が半減してしまいます。
まあ,いずれにしても,横浜市でできることが川崎市ではできないことが,わたしの知っているだけでもたくさんあります。つぎの市長さんには,そのギャップを埋める市政を真剣に取り組んでもらいたいと思います。
とまあ,そんなことを思いながら,ぶらぶらと校門の近くにやってきたら,妙なところに碑が草陰にみえました。いつも,何回も,ここは通っているのに気づきませんでした。近づいてよくみると「濱田庄司」とサインがありました。そこに書かれている内容をみると,濱田庄司は高津小学校(選挙会場)の卒業で,長じてから栃木県益子に移住。陶芸家として名をなした,とあります。なるほど,と納得。といいますのは,わたしが時折,散歩にでるときに立ち寄る寺に濱田庄司の墓があるのです。そこには詳しい説明もなく,ただ「濱田庄司の墓がある」とだけ書いてあります。なぜ,かれの墓が溝ノ口にあるのか,わたしには不思議でした。それとともに,この近辺の公共の図書館や役所に濱田庄司の作品が多いなぁ,とも思っていました。これで,ひとつ疑問が解消です。調べればすぐにわかることなのに,横着をかましているからいけないのですが・・・・。
さてはて,川崎市長選挙の結果やいかに。いまから楽しみ。
〔追記〕(28日)
自民・公明などの推薦を受けた高級官僚天下り市長候補を破って,完全無所属の福田候補が当選しました。自民サイドはまったくの想定外だったとコメントしているようです。これは明らかに「特定秘密保護法」に対する川崎市民の意志表明のひとつだとわたしは受け止めています。ただし,3000票の僅差。
なお,神戸市では,この逆で,わずか5000票差で自民・公明などの推薦候補が当選。あと一息だったのに残念。いずれにしても,アベノミクス人気に翳りがみえてきた証拠。日本国民も,少しは賢くなって,選挙ではっきりとした意志表明をしていけるようにならないと・・・・と思います。
いずれにしても,暴走アメノミクスに歯止めをかける必要があります。これからも手綱をゆるめることなく「監視」していかなくてはなりません。日常的に身近な人たちと,できるだけ話題にしていくこと(嫌われない程度に)が重要なのだと思っています。
取り急ぎ,追記まで。
天気はいいのに,選挙にいく人の姿はいつもより少なめ。あまり盛り上がらなかった証拠です。溝ノ口駅前の選挙運動も,どこか拍子抜けしたようなテンションの低さでした。
候補者は3人。現職市長の後釜に座るべく推された元高級官僚の天下り候補。まだ,44歳という若さです。まったきエリート・コースを歩いた典型的な官僚。選挙広報をみるかぎり,お坊っちゃまだなぁ,という印象が強い。ほかの二人の候補者は,この一週間の間に各3回ほど別々の場所で街頭演説に出くわし,しばらくは耳を傾けてみたことがありました。が,この候補者は一度も演説を聞く機会がありませんでした。偶然にしては少し変だなぁ,と思います。
昨日(26日)の午後には支援者という人から留守電が入っていて,「安倍政権と手と手をとりあって強い川崎市をつくりあげますので,どうぞよろしく」という趣旨のことばが聞こえてきました。が,あれっ?とわたしは思いました。この陣営の人たちはなにを考えているのだろうか,と。安倍首相の諮問を受けた学識経験者のうち80パーセントが反対を表明した「特定秘密保護法」案を,この人たちの意見・意志をまったく無視して閣議決定をし,国会に提出した,とどの新聞も一面トップで批判している渦中だというのに・・・。少しでもこころある人たちはみんな怒っています。そんなことにも気づかないで安倍首相を担ぎだせばいい,という情況判断の甘さ,そして,それをそのまま留守電に売り込もうという無神経さにはあきれてしまいます。この電話のお蔭で,この候補者は間違いなく一票を失いました。
もう一人の共産党推薦の候補の支援団体からも留守電が入っていました。こちらの電話は,なにかメモらしきものを読み上げているのですが,あまりに稚拙で,途中で消去しました。選挙広報をみるかぎりでは,なかなか共感できるスローガンをかかげているのですが,この電話であきらめました。あまりに知性を欠いていたからです。選挙運動はやればいいというものではありません。かえって票を減らすことだってあるのですから。そっと黙っていた方がいい場合もあります。
その点,最後の候補者は41歳。前回の市長選挙でも立候補したのですが(そのときは30歳代),わずか2万票ばかり足りなくて次点だったといいます。この人は,ふだんでも鷺沼駅前に立って演説をしている姿を見かけていました。演説はあまり上手とはいえませんが,川崎市の政治を変えたいという誠意は伝わってきました。この人の主張は,長年つづいている高級官僚天下り市長の時代に終止符を打ちましょう。そして,川崎市で生まれ育った市民を代表として送り出してほしい,つまり市民市長を・・・という単純なものです。もちろん,教育問題などにもかなり踏み込んだ政策を提示しています。
さて,こんな3人のなかからつぎの市長さんを選ばなくてはなりません。この人こそ・・・と思える人は残念ながら一人もいらっしゃいません。が,この3人のなかからだれか一人を選べということになれば,消去法でおのずから決まってきてしまいます。
こんどの選挙結果は意外に早く決着がつくのではないか・・・とそんな予感がしています。
いつものように投票所をでたところで出口調査の人が一人ずつ,少し離れたところでやっていました。が,わたしはどういうわけか,この出口調査の人に声をかけられたことが一度もありません。今日もそうでした。わたしの前後を歩いていた人は声をかけられているのに・・・。これもまた不思議です。そんな出口調査の結果を集計して,予報を流すというメディアのシステムそのものにも疑問をもちます。第一に,メディアが選挙に関与しすぎるというのが,わたしの最大の疑問です。世論調査と称しておこなう選挙前の人気投票の結果を公表するのは,どうみたって「世論操作」でしかありません。統計上の数字は,ある意味では,いかようにも「操作」が可能です。そういういい加減な世論調査結果に有権者の多くは左右されてしまいます。これでは,選挙はやってみなければわからない・・・という期待感が半減してしまいます。
まあ,いずれにしても,横浜市でできることが川崎市ではできないことが,わたしの知っているだけでもたくさんあります。つぎの市長さんには,そのギャップを埋める市政を真剣に取り組んでもらいたいと思います。
とまあ,そんなことを思いながら,ぶらぶらと校門の近くにやってきたら,妙なところに碑が草陰にみえました。いつも,何回も,ここは通っているのに気づきませんでした。近づいてよくみると「濱田庄司」とサインがありました。そこに書かれている内容をみると,濱田庄司は高津小学校(選挙会場)の卒業で,長じてから栃木県益子に移住。陶芸家として名をなした,とあります。なるほど,と納得。といいますのは,わたしが時折,散歩にでるときに立ち寄る寺に濱田庄司の墓があるのです。そこには詳しい説明もなく,ただ「濱田庄司の墓がある」とだけ書いてあります。なぜ,かれの墓が溝ノ口にあるのか,わたしには不思議でした。それとともに,この近辺の公共の図書館や役所に濱田庄司の作品が多いなぁ,とも思っていました。これで,ひとつ疑問が解消です。調べればすぐにわかることなのに,横着をかましているからいけないのですが・・・・。
さてはて,川崎市長選挙の結果やいかに。いまから楽しみ。
〔追記〕(28日)
自民・公明などの推薦を受けた高級官僚天下り市長候補を破って,完全無所属の福田候補が当選しました。自民サイドはまったくの想定外だったとコメントしているようです。これは明らかに「特定秘密保護法」に対する川崎市民の意志表明のひとつだとわたしは受け止めています。ただし,3000票の僅差。
なお,神戸市では,この逆で,わずか5000票差で自民・公明などの推薦候補が当選。あと一息だったのに残念。いずれにしても,アベノミクス人気に翳りがみえてきた証拠。日本国民も,少しは賢くなって,選挙ではっきりとした意志表明をしていけるようにならないと・・・・と思います。
いずれにしても,暴走アメノミクスに歯止めをかける必要があります。これからも手綱をゆるめることなく「監視」していかなくてはなりません。日常的に身近な人たちと,できるだけ話題にしていくこと(嫌われない程度に)が重要なのだと思っています。
取り急ぎ,追記まで。
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