2013年10月14日月曜日

「(新技・シライの)あの空中感覚は自由に遊ばせてもらったお蔭です」・白井健三選手談。

 天才だ,いや,英才教育の成果だ,といま話題の人,体操の白井健三選手が今朝(14日)のテレビで生出演していたので,じっくりと耳を傾けていました。ちょうど,わたしの朝食どきだったのでラッキーでした。

 そのなかで白井選手が,わたしにとってはとても興味深いことをいくつも言っていたので,そのなかのもっとも興味を引いたことを書いておきたいとおもいます。結論から言うと,以下のとおり。

 気がついたらトランポリンで遊んでいました。コーチは基本だけ教えてくれて,それ以上のことはやってはいけない,と言われていました。だから,コーチがいないときに,自分で勝手にやってみたい跳び方をして遊んでいました。これがとてもよかったといまは思います。自由に,自分で考え,手さぐりで,ドキドキしながら,いろいろのことを試して遊んでいるうちに,自分なりの空中感覚が育ってきたとおもいます。いまでも,コーチのことばに耳を傾けるけれども,最終的に信じているのは自分の感覚です。少なくとも,中学生になるまでは,競技選手になるための特別の指導を受けたことはありません。両親もきびしく縛るというよりは自由放任主義で,自由に遊ばせてくれました。教えてもらったのは,基本だけです。

 4回半までひねることはできるますが,試合には使いません。着地が安定しないからです。4回半のひねりの練習をしておけば,4回ひねりに余裕が生まれます。そうすれば着地に余裕が生まれます。だから,それで充分です。

 自分の感覚で納得できないことはやりません。あっ,とひらめいたときにはやってみます。これまでもずっとそうしてきました。

 というような具合に,白井選手はなんの衒いもなく,じつに素直にインタヴューに応じていました。高校2年生,まだ,どこかあどけなさを残す童顔で,声変わりもまだかな,とおもわせるような高いトーンの声で,すらすらと答える白井選手の姿はとても好感のもてるものでした。

 なかでも,もっとも印象に残ったのは,「ずっと自由に遊ばせてくれていた」ということばでした。これと同じようなニュアンスのことばを何回も発言していたように思います。わたしがこれまでに白井選手について描いていたイメージは,ずっと,いい環境のもとで,いい指導者に恵まれて,子どものときから英才教育を受けてきたものとばかり思っていましたら,そうではありませんでした。教えてもらったのは基本だけで,あとは,遊びのなかでの好き勝手な創意工夫だった,ということを知って驚きました。

 やはり,もっている子はもっている。もっていない子はもっていない。もっている子は放っておいても自分でその才能を遊びのなかで伸ばしていく。もっていない子はいくらコーチが教えても限界がある。

 世の中では,教育が大事だ,こどものときから計画的な教育が大事だ,といって幼児の段階から習い事に行かせる親が多い。そして,東大に入れるためにはどこの塾がいいとか,どこの予備校がいいとか,と必死になる。その成果はたしかにあって,かなりの確率で東大に合格するらしい。でも,よくよく聞いてみると,そういうコースを歩んできた学生の多くは,合格したところで目的が達成され,バーン・アウトしてしまうといいます。そして,そのあとの伸びがない,と。

 1年くらい浪人したっていい。高校卒業するまでは,のびのびと自分の好きなことに熱中する,そういう経験を通過して,最終的に自分のやりたいことをしっかり見極めた学生の方が,そのあとの伸びがいい,と聞いています。わたしの出会った学生さんたちをみていても,そう思います。

 体操教室も同じで,子どものときから英才教育を受ければ,ある程度までは間違いなく伸びます。しかし,よくても全日本止まり。世界に通用する選手にはなれません。むしろ,だれにも拘束されない遊びの世界で,必死になって創意工夫する能力こそが,自律・自立への道を切り開くのではないか,とわたしは考えています。

 内村選手も,加藤選手も,よく似た環境のなかで育ってきている,と聞き知っています。そして,共通していることは,二人ともかなり自由に遊ばせてもらっていた経緯があるという点です。もっている子は間違いなくそれを伸ばしてきます。もっている子に,つぎはこれ,そのつぎはこれ,といってすべての練習メニューを小出しにしてコーチが与えると,受身のままの優等生らしい,こじんまりとした選手になってしまうだろう,と思います。

 子どもをほんとうにのびのびとその才能を伸ばしてやろうと思ったら,できるだけ手をかけないで,自由に遊ばせることです。子どもは,その遊びのなかで夢中になって創造力を全開させます。この経験が大事なのだと思います。大人が勝手に,さきまわりをして余分な干渉をするのは,かえってその子のもっているものを壊してしまうことになりかねません。

 子どもの成長をじっと見守りながら待つ。この姿勢が大事なのだ,ということを白井選手の話を聞いていて強く思いました。じっと耳を傾けて「聞くことの力」(鷲田清一)の重要性とか,子どもの成長をじっと「待つ」ことのできる「力」が親には大事なのだ,としみじみ思いました。

 目先の結果ではなく,遠い将来を見据え,その子の能力が開花するのをじっと「待つ」,その力こそが親には必要なのだろと,白井選手の話を聞きながら思いました。

 試合で失敗したらどうしようとか思いませんかと聞かれた白井選手は,「思いっきりやって失敗したのならそれでいい。つぎに成功させればいい,といつも自分に言い聞かせています」と応答しています。みごととしかいいようがありません。

 今朝はとてもいいテレビを見たなぁ,と大満足。テレビは基本的に大嫌いですが,ときおり,とてもいいカットに出会うことがあり,やはり,テレビは捨てがたいと思うこともあります。そんなことより,なにより,白井選手がこれからも,いまと同じような素直さで,のびのびと体操競技の才能を伸ばしていってほしいと思います。コーチは,余分なことを言わないように。すでに,白井選手は異次元の世界に生きているのですから。もっとはっきり言っておけば,コーチも知らない世界に白井選手は足を踏み入れているのですから。未知の世界で,白井選手はみずからの感覚を頼りに,さらなる可能性を追求しているのですから。

 天才は孤独です。白井選手のこんごは,その孤独との闘いだろうなぁ,と思います。周囲は,そっと,温かく見守るしかないのでしょう。そして,白井選手のよき相談相手になることでしょう。そのときに,どのようなことばを発することができるか,ピンポイントでそれに応答できる人がコーチだといいなぁ,と陰ながら応援しています。

 とまあ,そんなことを朝から考えていました。いい一日でした。大満足です。
 

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