2012年7月26日木曜日

日本のメディアはいつから「世論操作機関」と化したのか。

 フランスのル・モンド紙が,日本のメディアはなぜ毎週金曜日に行われている首相官邸前デモを報道しないのか,と疑問を投げかけているという。つまり,毎週,デモに参加する人数が増えつづけているのに(20日には10万人に達した・主催者発表),それを無視する日本のメディアが,フランスでは大きなニュースになっているというのだ。この異常さに,多くの日本人が気づきはじめているというのに,多くの報道各社はなぜか頬被りをして知らん顔のままだ。

 さすがのNHKも具合が悪いと気づいたのか,ほんのちょっぴりだけ,とってつけたような報道をするようになった。しかし,まったく腰が引けているのは,手にとるようにわかってしまう。民放テレビはもっとひどい。まったく無視したままのテレビ局がほとんでだ。大手新聞社も同様だ。近くの図書館で土曜日の新聞をひととおりチェックを入れるようにしているが,それはそれはみごとなものである。最近では,朝日新聞がいくらか目覚めたのか,少しずつ分量が増えはじめている。が,あとは毎日がつづくくらいのもの。読売,日経にいたってはまったく無視。その姿勢たるや恐るべしだ。

 「3・11」は,いろいろの意味で日本の中枢部にはびこる恥部が曝け出されることになったが,それにしも眼を覆いたくなるほどのみじめさ,無残さだ。これほどまでに堕落し,腐敗していたとは気づかなかった。その中心に「原発」があったということも知らなかった。そして,いまでは有名になってしまった「原子力ムラ」の住民が日本の中枢部に居すわっていて,自由自在に政治を「操作」していたこと,そして,いまも「操作」していることも明々白々となってしまった。にもかかわらず,まだ,平然とその権力を行使して恥じるところがない。なぜなら,そのことを批判するメディアがあまりにも少なすぎるからだ。だから,いまでも,多くの国民はその実態を知らないままでいる。

 東電の電気料金値上げの手続きをみていれば,この国の狂い方が手にとるようにわかる。まるで東電にはなんの手落ちもなかったかのようだ。全部,津波が悪いのだから,国民みんなで負担せよ,と。政府も手を拱いて,見て見ぬふりをしているだけだ。そして,最後は談合して「認可」するのみ。それを報道各社はなんの批判も加えることなく垂れ流し。かりに批判があったとしても,犬の遠吠えのような記事でしかない。情けなくなってくる。

 いま,首相官邸前で繰り広げられている金曜デモは,かつての安保闘争にも匹敵する規模になっているのだ。あのころのメディアは安保闘争のデモを,一面トップにもってきて大々的に報道していたではないか。脱原発を主張する首相官邸前デモは,それほどの大きな意味をもつ,ごくふつうの国民による直接的な意思表示であるにもかかわらず,いっさい無視をして平気なメディアとはいったいなんなのか。

 以前から変だと思っていたことのひとつに,選挙のたびに行われる新聞各社の「世論調査」がある。投票日が近づくと頻繁にくり返される。そうして,さも,民意がこんな風に変化しているよ,と教え諭すような振りをして暗示をかけ,「世論を操作」していたのだ,ということが今回のデモ報道の姿勢からして丸見えになってしまった。

 いったい,いつから,日本のメディアは「世論操作機関」と化してしまったのか。

 若者たちは,はるかに敏感なので,とっくのむかしに新聞もテレビも信用してはいない。だから,新聞を読まないし,テレビも見ない。もっぱら,インターネットを流れる情報を自分で選んで,読み比べている。そして,冷めた眼で日本の中枢部の狂った「理性」を批判的に眺めている。しかも,基本的に大人を信用してはいない。わたしのような世代が抱いていた,かつての若者特有のロマンなどかけらもないようだ。じつに現実的なのだ。

 なのに,つい最近になって不思議な現象が出はじめているように思う。それは,週刊誌の編集方針が変わりはじめている,ということだ。簡単に言ってしまえば,原子力ムラ路線の記事よりも,脱原発路線の記事の方が売れる,ということに気づきはじめたらしい。週刊誌の立ち読みはどこでもできるので,時折,めくりながらチェックを入れてみる。なかなか面白い発見がある。大手出版社が刊行している週刊誌なのに,意外に過激な脱原発記事を展開しているときがある。週刊誌の記事ほど信用ならないものはないが,それでも,多くの読者がいて,大いに「世論操作」する力をもっているのだから,むしろ要注意だ。だから,週刊誌が脱原発路線を「シャットアウト」したまま放置しておくのではなくて,そこから抜け出して,少しずつながら脱原発の主張を取り込もうとしつつあることは歓迎したい。

 むかしから読んでいるからそのまま同じ新聞を読みつづけるというのではなくて,どの新聞に「信」を置いて(そんな新聞は皆無に等しいが,それでもいくらかいいと思われるものを選んで)読むか,考えるべきときがきている。そして,テレビも漫然とつけっぱなしにするのではなくて,見たい番組を選んでみることを心がけるべきだろう。そうしないことには,いつまで経っても「世論操作機関」としての姿勢を崩そうとはしないだろう。

 わたしたちにできることはそんなささやかな抵抗でしかない。でも,こんなささやかな抵抗こそが,すべての意思表示のはじまりであり,やがてはデモにも参加して,自分なりのやり方で行動を起こすことにもつながっていく。まずは,読者,視聴者として,もうちょっとだけ「批評」のまなざしを向ける努力をしよう。このことが,いま,日本を変えていくための第一歩であるように思う。

メディアに,無意識のうちに「暗示」を掛けられ,「操作」されないように,ご用心を。

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