いつものことながら,西谷修さんの仕掛けるシンポジウムは,絶妙なタイミングで強烈なメッセージを送り届けてくれました。至福のとき,というのはこういう時間をいうのだろうと思います。西谷さんのさいごの締めのことばにもありましたように,ひとりひとりが,それぞれの問題を受け止めてお帰りいただき,みずからの解を求めていっていただきたい,そのための場としてお役に立てれば・・・・というのにまことにふさわしい場であり,時間でした。
テーマ:沖縄「復帰」40年 鳴動する活断層
日時:7月14日(土)14:00~17:30
場所:東京外国語大学(府中キャンパス)研究講義棟226教室
13:30 プレリュード『Condition Delta OKINAWA』上映(約30分)
<第一部>「復帰」40年を考える
提題 西谷修「擬制の終焉」
基調講演 仲里効「思想の自立的拠点」
<第二部>『悲しき亜言語帯』と「自立」をめぐって
討論者 土佐弘之(国際政治社会学)
中村隆之(クレオール文化)
中山智香子(社会思想)
真島一郎(文化人類学)
米谷匡史(東アジア)
主催:東京外国語大学大学院GSL/科学研究費研究「生命統治時代の<オイコス>再考とポストグローバル世界像の研究」
このプログラムをにらんでいるだけで,さまざまなイメージを浮かべることが可能なほどの多彩・多才なひとびとが集まってのシンポジウムでした。
まず,プレリュードとして上映された映画のエンディングに流れた監督の名は「チュー・リー」。どこかで聞いたことがあるような,いや,初めて聞くような・・・・と思っていたら西谷さんから<第一部>の冒頭に説明がありました。「仲」という文字は中国語にはもともとなかった文字らしいので,精確に中国語風に標記するとすれば「中」,そして「リー」に相当する漢字は「里」でしょう,と。ここで会場は笑いにつつまれる。ゲストの仲里さんをみたらにこにこ笑ってらっしゃる。お二人のとてもいい関係と雰囲気が会場をつつみはじめる。
こうして,<第一部>の西谷修さんの提題「擬制の終焉」が始まりました。
このお話が,いつもにもまして鳥肌の立つほどのみごとなものでした。ああ,今日も西谷さんは絶好調。この「復帰」40年という節目の年に吉本隆明が他界したこと。そして,われわれ世代に「ものを考える」ということを教え,「世界を考える」ということを教えてくれた,その意味ではこの「40年」を考える上では,きわめて重要な役割を果たした人だったこと。そして,振り返ってみれば,戦後の日米安保条約にはじまる日米関係の「擬制」(日本の「自発的隷従」),沖縄の(日本に潜在主権を残しながらの)米国統治の「擬制」,日米関係の再構築が課題であったはずの政権交代の「擬制」(それは沖縄基地問題でいきなり馬脚を露すこととなる),原発問題を契機に露呈された日本という国家の統治構造の「擬制」,その結果としての統治構造のメルト・ダウン。そして,オスプレイ,尖閣諸島,などの問題。中略。沖縄の人びとは「復帰」40年をとおして,結局は,本土はなにもしてはくれないということがはっきりした,と認識。そこから「自立」の道を模索しはじめている情況,そこにこれからの可能性が期待されること。とりわけ,グローバル世界の中で日本がどうしていくのか,沖縄の「自立化」の動きが重要なヒントになること,沖縄を考えることは世界を考えることだ・・・・という趣旨のことを説得力のある,情感の籠もった語りで話してくれました。
この西谷修さんの提題を受けて,仲里効さんの基調講演「「思想の自立的拠点」がはじまりました。いつものように,仲里さんはゆっくりと,ことばを噛みしめるようにして沖縄がめざす「自立」とはどういうことなのかを,「復帰」40年をとおしてみえてきた拠点について諄々と説いていかれました。長い時間をかけて練り上げられた仲里さんの思想が,わたしたちにもわかりやすく伝わってきます。ちょうど今回は,仲里さんの三部作(『オキナワ,イメージの縁(エッジ)』,『フォトネシア-眼の回帰線・沖縄』,『悲しき亜言語帯』)が完結した時期でもあり,仲里さんもまた絶好調。
<第二部>『悲しき亜言語帯』と「自立」をめぐって・・・・は割愛(書きはじめたらエンドレスになること間違いなし)。ひとことだけ。この豪華な討論者のキャスティングをみただけで,どんな話が展開したかは想像可能だろうと思います。
さいごに,このシンポジウムのために配布されていたリーフレットのキャッチ・コピーがみごとなので,それを引いておきたいと思います。
『沖縄・暴力論』からはや5年,その間にアメリカでも日本でも「政権交代」があり,沖縄は一時クローズアップされた。だが,その後東北地方を襲った大災害とともに後景化し,原発事故と同じように,何ら実質的な対処がなされないまま「再稼働」(オスプレイ配備?)だけが急がれている。40年間基地の減らない沖縄は,「本土」に対しいまや公然と「差別」を語り,「統合」に見切りをつけてグローバル世界での「自立」を展望しようとしている。沖縄の地熱は高まっている。政治が経済の下僕と化すばかりのこの地殻の変動期,いま一度「沖縄と日本」の接合と分離を問い直す。
このコピーを,どうぞ,熟読玩味してみてください。
やがて,このシンポジウムもまた文章化され,単行本となって刊行されるものと思います。そのときを楽しみにしたいと思います。
以上,ご報告まで。
0 件のコメント:
コメントを投稿