2012年7月13日金曜日

首相官邸前のデモから,いま,もどりました。初めて感じた不思議な感性。なにかが変化している。

いわゆる連帯しているような連帯していないような,それでいてどことなく連帯しているような,でも,どこか違う。これまでのデモとはひと味もふた味も違うなにかが伝わってくる,不思議な感性のようなものが静かに流れている。これが今日の首相官邸前のデモに参加した第一印象。

ひとむかし前のデモに流れていた「団結」のような,うさんくさい縛りがどこにもない。感じられない。みんな勝手にここにやってきて,どこからともなく始まったシュプレヒコールに,みんなそれぞれ勝手に調子を合わせて声を発しているだけ。黙って立っているだけのひともいる。団結しているようであって,じつはバラバラ。バラバラのようであって,基本的なところでは連帯し,団結している。が,そこにはなんの拘束もない。

第一,だれがリーダーで,だれが主催者で,どこで,だれが,どのようにしてこのデモを組織し,動かそうとしているのか,さっぱりわからない。ただ,人,人,人で埋めつくされた首相官邸前周辺の歩道に立っているだけ。前にも後ろにも動けない。ときおり起こるシュプレヒコールに,それぞれのやり方で唱和しているだけだ。

じつに熱心に,シュプレヒコールに応答する中年女性の人もいれば,黙って持参の鈴を鳴らしているだけの若者もいる。ときおり,警官にくってかかる元気のいいおじさんが現れると,そことなく割って入って,静かにもとに引き戻す初老の人もいる。あれあれ,いろいろの役割を,勝手に担ってそれを実行している人もいるのだ,と次第にわかってくる。

しかし,どこで,なにが行われているのか,なにもわからない。ただ,前にも後ろにも動かない大集団の中に孤立しているだけだ。そして,だれひとりとして,この状態を変だとは思っていないらしい。みんな,それぞれにそこに立ち尽くし,それぞれのやり方で意思表示をしている。それでいいのだ,と達観しているかのようだ。若い人たちもじつに落ち着いたものである。

警備に当っている警官の方が顔が引きつっている。そして,困り果てた顔をしている。職務だから仕方なくこの警備に当っているという本音が丸見えだ。だから,楽しみ半分で,おじさんやおばさんが声をかける。ときおり,にっこり笑ったときの警官の童顔が可愛らしい。しかし,難しい微妙な問いかけにはしどろもどろになりながら,できるだけ応答しないようにつとめている。すると,「おれが質問しているのに,なぜ,知らん顔をするのか」とおじさん。「あっ,聞いてませんでした」と警官。「じゃあ,もう一度聞くよ。この前の方に並んでいる装甲車の中には催涙弾を積んでいるのだろ?」とおじさん。「そういう情報についてはなにも知りません」と警官。しかし,はたでみているかぎりでは,この警官は事実を知っていると感じた。やはり,積んでいるんだな,とわたしは理解した。そのおじさんも「やっぱり積んでいるんだぁ」と大きな声。「積んでなかったら積んでない,と言えるはず」とあとのことばを濁した。

わたしのすぐ後ろでは,こどもを抱いたおかあさんが若い女性記者の取材を受けていた。それとなく聞こえてくる応対を聞いていると,もう何回もこの場にきている人らしく,かつてのような組合が組織するデモなどとは違う,静かで,安心できるデモだということを強調していた。

テレビ・クルーが行ったり来たりしながら,何組もとおりすぎてゆく。確認できたのは,TBSとテレ朝だけ。あとは,どこのテレビ局なのか確認できなかった。あるいは,その下請けのテレビ・クルーだったかもしれない。少なくとも,NHKはわたしの立っている前をとおりすぎた様子はなかった。

わたしの立っていたのは,地下鉄の国会議事堂前駅の出口のすぐそば。午後5時少しすぎに,教えられたとおりタクシーを使って首相官邸前の交差点のところで降ろしてもらった。これは正解であった。すでに,地下鉄の出入り口には警官が群れをなしていて,地下鉄に乗る人は入れてくれるけれども,降りて出てくる人はシャットアウトされている。もう,その周辺は人でいっぱいである。

わたしは,その地下鉄駅の出口の反対側でタクシーから降りて,すぐにその人の群れに向かってカメラを構えた。とたんに,警官が寄ってきて,すぐに歩道に上がれという。歩道の花壇の上に立ち,装甲車の間からカメラを構える。すると,いまいましそうに,警官が危ないからすぐに降りろ,という。じつは,わたしはカメラを構えるふりをして装甲車の中になにが入っているのか,必死で観察していたのである。警官はとうにお見通しであった。だから,わたしが花壇の縁から降りるまでじっとわたしの方を見つめたままであった。

そうして,向こう側にわたるにはどうしたらいいのか,と尋ねたら,もっと大きく迂回して向こう側の列の後ろにつけ,という。言われたとおりに横断歩道のあるところまで行って,向こう側にわたる。そして,それとなく前に歩いていく。すでに,行列はできている。仕方がないので,動かないで立ったままの行列の間を縫うようにして前に進む。そして,地下鉄駅の出口の手前のところで行き詰まってしまった。身動きならないので,そこに立つことにした。場所的にはとてもいいところで,警官の動きもよく見えたし,報道関係者の動きもみえたし,デモの組織者らしき人たちの動きもよくみえた。

しかし,このデモ隊のトップがどうして動かないままでいるのか,いま,どういう情況になっているのか,なにもわからないままだ。周囲の人たちも同じだ。しかし,だれひとりとしてそのことに不平をいう人間はいない。ただ,警官が「この辺りは人が過密になっているので,もう少し後ろに下がってください」と呼びかけたときに,「先頭をなぜ止めているんだ。先頭を前に動かせばそれですむことではないか」と食ってかかった初老のおじさんがいた。それに「そうだ,そうだ」と呼応したのはわたしひとりだけ。それどころか,そのおじさんが警官に激しく挑みかかろうとしたら,すぐそばにいたこれまた初老のおじさんが「まあ,まあ」と言って引き止めた。そして,「ここはケンカはしないこと」などと言っていたように思う。

わたしが立っていたところから知り得た情報はこの程度のものでしかない。全体はなにもわからない。だいたい,デモに参加すると,全体の動きはさっぱりわからないものだ。自分のいた周辺のことしかわからない。

夕闇が迫ってきて,反対側の歩道にも人があふれるようになってきたとき,わたしのからだがなにかを察知した。午後7時をすぎると,もっともっと人が多くなり,なにかが起こりそうだ,と。しかも,今日は13日の金曜日。仏教徒のわたしはそんなことはどうでもいいことだが,やはり,気にはなる。2時間近くも立ちっぱなし。ただひたすらシュプレヒコールの繰り返し。少し,飽きてきてもいたのは事実だ。

唯一,わたしの笑いを誘ったのは,橋本某と名乗った男がボリュームをいっぱいにあげたハンドマイクで,「民主党の橋本〇〇です。党員資格を停止されている。増税反対,原発反対,再稼働反対,野田は首相を辞めろ」と吼えて,さっとどこかに消えてしまったときだ。そんなら,なぜ,民主党にしがみついているのか,さっさと離党届けを出して,ひとりでも闘えばいいではないか。そうすれば,そんなにあわてて引っ込まなくても,思いのたけをぶちまけて演説をぶてばいいではないか。腰の引けたヘボ犬の遠吠えをして・・・・,みっともないことこの上なし。あんな程度のことなら,やらない方がずっとましだったのに・・・。笑ってしまった。こんなレベルの人間が議員になっているのが現状なのだ。

こんなハプニングもあって,これはどうやら引き時だ,と直観した。いまごろ(午後10時),あの辺りはどんな雰囲気になっているのだろうか。いささか心配ではある。第一陣,第二陣と人も入れ代わりしているのだろうか。

こんなところが,終章(首相)官邸前に立ったわたしの印象であり,感想である。さて,これからなにを考えはじめるのだろうか,と自分自身に問いかけつつあるところ。いま,一番,けしからんと思っていることは,ほとんどのマスメディアがこの事実を無視しようとしていることだ。いったい,報道とはなにか。わたしたちは,この報道に自由に操られている。許せない。この枠組みの外にでるこころみのひとつが,今回のこの金曜日のデモだ。新しい民意の表明の仕方を,もっと工夫をし,研究をしていかなくてはなるまい。われわれひとりひとりが。本気で。








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