2012年7月19日木曜日

「からだで感じなさい」「からだの声に耳を傾けなさい」・李自力老師語録・その14.

 7月18日の稽古で教わったことはたくさんありました。約2カ月ぶりの李老師のご指導でしたから,わたしたちの我流が目についたようです。その指摘はすぐに納得できましたので,修正は可能だと思います。それにつけても李老師の「ものまね」のうまさには,いつものことながら,感動してしまうと同時に笑いころげてしまいました。たとえば,わたしの悪いクセをオーバーにやってみせてくれます。見ていて,あんなことをやっているのか,と恥ずかしくなってしまうくらいうまく見せてくれるのです。ですから,二度と李老師に「ものまね」されないように絶対に直そう,という気持ちを新たにしてくれます。

 そういえば,能の世阿弥もこどものころは「ものまね」の名人としてその名を馳せた人でした。やはり,名人はなにをやってもすぐできるということなのでしょう。こんなことを書くと叱られそうですが,李老師の「ものまね」芸はほんとうに見せ物としても通用しそうです。

 さて,それはともかくとして,今回指摘された大きな課題のひとつは「からだで感じなさい」というもの。なるほどと思いつつも,どこか漠然としていてつかみどころがありません。いよいよ禅問答の域に入ってきました。

 わたしのいまの課題は上半身の力を抜くこと。これは前から言われていたことではあるのですが,その上半身,とくに「肩」の力を抜くことがなかなか思うようにできません。若かりしころ,体操競技をやっていた関係もあるかも知れません。体操競技は演技の要所,要所はからだを引き締めて,きちんとしたポーズをとります。そのクセが残っているのかもしれません。ですから,太極拳をやっていても,決めのポーズ(とくにゴンブの姿勢)をとるときには,なんだか体操競技の着地のイメージが湧いてきてしまいます。

 もう一点は,わたしの勝手な解釈なのですが,書道のように,最初は楷書をきちんと身につけて,その上で行書を,さらに上達したら草書を,というように段階を踏めばいいと考えていました。そして,いまは楷書の段階だから,一つひとつの動作をきちんとやらなくてはいけない,ということにこだわっていました。しかし,それは間違いだったようです。

 太極拳をする身体(わたしの場合は24式)は,そういうものではありません,と李老師。自然の流れに身をまかせることが大事,と。

 考えすぎは駄目,やりすぎも駄目,上手な人の「ものまね」も駄目,そういうものはすべて忘れなさい。自分のからだが徐々に解きほぐされ,こころも自由になってくる,そこのところにすべてを委ねなさい,そこに無限のひろがりが待っています。そこを探しなさい,と李老師はおっしゃる。

 そこを「からだで感じなさい」。からだはいろいろのメッセージを発信しています。そのメッセージを受け止めることです。あるいは,「からだの声に耳を傾けなさい」。からだはおりおりにさまざまな「声」を発しています。その「声」を聞く耳を育てなさい。身もこころも解き放たれたときに聞こえてくる「声」です。全身全霊で受け止める「声」です。集中して,忘我没入するとと聞こえてくる「声」です。そこを目指しなさい。と李老師はおっしゃる。

 その第一歩が「からだで感じなさい」ということのようです。でも,それを言われた瞬間に,わたしのなかにある変化が起きました。ことばにはなりませんが,「あっ,あのことかな?」というひらめきのようなものがありました。そうして,稽古の最後に,みんなで「24式」を流したときには,なんとなく「肩」が軽く感じられ,これかな?という「感じ」がありました。

 なにか,ようやく,長いトンネルを抜け出て,「からだで感じなさい」の入り口が見つかったように思いました。ここから入っていけばいい,という安堵の気持も湧いてきました。

 さて,この禅問答のような公案をどこまで深めていくことができるか,楽しみがひとつ増えました。ふだん,ほとんどしない自主稽古も,これから増えるかも・・・・と楽しみです。

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