「日本のアフリカニストであることを自己否定するところから今日のお話をはじめたいと思います」と語りはじめた真島一郎さん。そして,「西アフリカのコートジボアールをフィールドにして文化人類学の研究者としてのスタートを切りました」ので・・・・・と言うところでわたしの背中に電撃が走った。「えっ,では,あのコートジボアールのダン族の相撲「ゴン」を『季刊民族学』に書いた,あの真島一郎さんではないか」と。
長い間,わたしの頭のなかにはダン族の相撲「ゴン」のことがしっかりと焼きついていて離れることはなかった。なぜなら,霊力・呪力で闘う相撲「ゴン」とはいったいいかなるものなのか,何年もフィールド・ワークをしてこられた真島一郎さんから直接,お話を伺いたいと思っていたからだ。呪術師が送り出す「霊」が力士のからだに乗り移り,力士は元気を取り戻すという。しかも,その「霊」を呪術師が力士のからだに送り込む途中の,空中を移動している「霊」をダン族の人びとはみんな「見えて」いて,「霊」が飛ぶと一斉にみんなの視線が同じ軌跡を追っていく,という。しかし,その同じ場に立っている真島さんにはなにも見えない,と『季刊民族学』で真島さんは書いていらっしゃる。この差はなにか。
でも,その後,何回ものフィールド・ワークをしているうちに,真島さんにも「見える」ようになったのではないか,と密かに期待もしていました。「見える」人間と「見えない」人間が,同時にこの地球上には生きている。この違いをどのように考えていけばいいのか。これがわたしの長年の課題でもありました。その真島さんにようやくお会いすることができました。
それも,なんと,一昨日(7月14日)の西谷修さんが仕掛けたシンポジウム・沖縄「復帰」40年・鳴動する活断層の<第二部>『悲しき亜言語帯』と「自立」をめぐっての,ひとりの討論者として参加していらっしゃったのだ。冒頭に引いたのは,その討論者としての真島さんの発言である。
じつをいうと,いまから5年前に,やはり,沖縄問題をとりあげた西谷さんのシンポジウムの討論者のひとりとして真島一郎さんは参加していらっしゃったのだ。しかし,そのときには,わたしが『季刊民族学』で知っている真島一郎さんとは別人である,と勝手に決め込んでいました。ですから,なんの疑念もなく沖縄に関係するなんらかの研究者に違いない,と。このときの真島さんの発言は『沖縄/暴力論』の中に「神話・耳・場所」という小見出しで収録されています。これを読んだ時点で「おやっ」と思わなくてはいけないのに,頭から別人と思いこんでいたので,なにも感じないままでした。しかも,巻末の「著者略歴」をみれば,「専門は西アフリカ民族誌学」ときちんと書いてあります。これはいまにして思うこと。
しかし,今回のシンポジウムでは真島一郎さんの冒頭の発言で,「まぎれもない同一人物」ということがわかりましたので,お話を聞くわたしの耳も一段と真剣味を帯びてきました。それに呼応するかのように,真島さんの話は刺激的でした。なんと,きっちりと,理路整然とお話をされる方なのだろうか,と感動してしまいました。しかも,その切り口が鋭いのです。こうなってくると,仲里さんや西谷さんはどのように応答されるのだろうか,と興味津々です。が,この応答については,今回は割愛させていただきます。(※長くなりすぎるので)
シンポジウムが終わったところで,思いきって真島一郎さんのところに走りました。で,じつは,これこれで・・・・というお話をさせていただきました。そうしたら,真島さん,とても喜んでくださり,「打ち上げ」のところでゆっくりお話を・・・ということになりました。ところが,「打ち上げ」に参加した人の人数が多かったために座席が遠くなり,ゆっくりお話することはできませんでした。が,別れ際に,また,機会をみつけて西谷さんと一緒にお尋ねしたい,とお願いをしてきました。そして,できれば,わたしのやっている研究会にきてお話をしていただきたい,ともお願いをしておきました。
シンポジウムのときの鋭い言説で論旨を展開される真剣勝負の真島さんとは打って変わって,個人的にお話をすると,まことにフレンドリーでこころの広い,温かい人だということがわかり,安心しました。やはり,ダン族の中で生活できる(させてもらえる)人間は,こうでなくては駄目なんだろうなぁ,とこれまた勝手に想像し,感心した次第です。
いよいよ「霊力」が闘う相撲・ゴンのお話をじかにお聞きすることができると思うと,いまから胸がときめきます。さて,どのタイミングでそれが実現するか,急いで計画を立てなくては・・・と思っています。が,ことしはなにかとイベントが多く,東京で開催できる研究会は年末になりそうです。でも,どこかで実現させなくては,と楽しみです。
以上,長年,お会いしたいと思っていた真島一郎さんとお話することができました,というご報告まで。
長い間,わたしの頭のなかにはダン族の相撲「ゴン」のことがしっかりと焼きついていて離れることはなかった。なぜなら,霊力・呪力で闘う相撲「ゴン」とはいったいいかなるものなのか,何年もフィールド・ワークをしてこられた真島一郎さんから直接,お話を伺いたいと思っていたからだ。呪術師が送り出す「霊」が力士のからだに乗り移り,力士は元気を取り戻すという。しかも,その「霊」を呪術師が力士のからだに送り込む途中の,空中を移動している「霊」をダン族の人びとはみんな「見えて」いて,「霊」が飛ぶと一斉にみんなの視線が同じ軌跡を追っていく,という。しかし,その同じ場に立っている真島さんにはなにも見えない,と『季刊民族学』で真島さんは書いていらっしゃる。この差はなにか。
でも,その後,何回ものフィールド・ワークをしているうちに,真島さんにも「見える」ようになったのではないか,と密かに期待もしていました。「見える」人間と「見えない」人間が,同時にこの地球上には生きている。この違いをどのように考えていけばいいのか。これがわたしの長年の課題でもありました。その真島さんにようやくお会いすることができました。
それも,なんと,一昨日(7月14日)の西谷修さんが仕掛けたシンポジウム・沖縄「復帰」40年・鳴動する活断層の<第二部>『悲しき亜言語帯』と「自立」をめぐっての,ひとりの討論者として参加していらっしゃったのだ。冒頭に引いたのは,その討論者としての真島さんの発言である。
じつをいうと,いまから5年前に,やはり,沖縄問題をとりあげた西谷さんのシンポジウムの討論者のひとりとして真島一郎さんは参加していらっしゃったのだ。しかし,そのときには,わたしが『季刊民族学』で知っている真島一郎さんとは別人である,と勝手に決め込んでいました。ですから,なんの疑念もなく沖縄に関係するなんらかの研究者に違いない,と。このときの真島さんの発言は『沖縄/暴力論』の中に「神話・耳・場所」という小見出しで収録されています。これを読んだ時点で「おやっ」と思わなくてはいけないのに,頭から別人と思いこんでいたので,なにも感じないままでした。しかも,巻末の「著者略歴」をみれば,「専門は西アフリカ民族誌学」ときちんと書いてあります。これはいまにして思うこと。
しかし,今回のシンポジウムでは真島一郎さんの冒頭の発言で,「まぎれもない同一人物」ということがわかりましたので,お話を聞くわたしの耳も一段と真剣味を帯びてきました。それに呼応するかのように,真島さんの話は刺激的でした。なんと,きっちりと,理路整然とお話をされる方なのだろうか,と感動してしまいました。しかも,その切り口が鋭いのです。こうなってくると,仲里さんや西谷さんはどのように応答されるのだろうか,と興味津々です。が,この応答については,今回は割愛させていただきます。(※長くなりすぎるので)
シンポジウムが終わったところで,思いきって真島一郎さんのところに走りました。で,じつは,これこれで・・・・というお話をさせていただきました。そうしたら,真島さん,とても喜んでくださり,「打ち上げ」のところでゆっくりお話を・・・ということになりました。ところが,「打ち上げ」に参加した人の人数が多かったために座席が遠くなり,ゆっくりお話することはできませんでした。が,別れ際に,また,機会をみつけて西谷さんと一緒にお尋ねしたい,とお願いをしてきました。そして,できれば,わたしのやっている研究会にきてお話をしていただきたい,ともお願いをしておきました。
シンポジウムのときの鋭い言説で論旨を展開される真剣勝負の真島さんとは打って変わって,個人的にお話をすると,まことにフレンドリーでこころの広い,温かい人だということがわかり,安心しました。やはり,ダン族の中で生活できる(させてもらえる)人間は,こうでなくては駄目なんだろうなぁ,とこれまた勝手に想像し,感心した次第です。
いよいよ「霊力」が闘う相撲・ゴンのお話をじかにお聞きすることができると思うと,いまから胸がときめきます。さて,どのタイミングでそれが実現するか,急いで計画を立てなくては・・・と思っています。が,ことしはなにかとイベントが多く,東京で開催できる研究会は年末になりそうです。でも,どこかで実現させなくては,と楽しみです。
以上,長年,お会いしたいと思っていた真島一郎さんとお話することができました,というご報告まで。
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