2012年10月7日日曜日

三浦しをん『舟を編む』(光文社)を読む。その2.

その1.からのつづき。

 ことばの海を自在に漕ぎ渡るための舟を編むために孤軍奮闘する国語辞典『大渡海』編纂室の10年間の物語。国語辞典を編纂する編集者たちが,どれほど情熱を傾けて「ことば」と格闘しつづけていることか,まずはそこに惹きつけられてしまう。そうだろうなぁ,そうでなければできない仕事だよなぁ,と。そして,その情熱がしだいに周囲に伝染し,いつのまにかじつに多くの人びとの支援をえていく。やがて強力なチーム・ワークを生み出し,作品としての『大渡海』が誕生する。とても感動的な作品になっている。

 この本を読みながら,かつて三省堂の『大辞林』第2版にかかわっていたときのことを思い出していた。すでに掲載されているスポーツ用語の語釈のチェック,追加すべきスポーツ用語の選出,それらの語釈・用例の記述,などが主な仕事だった。まさか国語辞典の原稿を書くことになるとは思ってもみなかったので,いささか憚られるものがあった。国語辞典に関してはずぶの素人だ。スポーツ用語については考えたことはあるが,国語というものをしっかりと考えたことはなかった。だから,スポーツ用語を「国語」として取り扱うとはどういうことなのか,まずはそこから考えた。

 仕方がないので,すでに持っていた『大辞林』初版と『広辞苑』第2版以外の,大型の国語辞典を買い集めることからはじめた。そして,一つの同じことばの「語釈」が辞典によってどのように違うかを比較検討することにした。それは驚くべき経験であった。こんな不思議な世界があるものなのか,と一瞬眩暈がしたほどである。ウソだと思ったら,書店で,同じことばの「語釈」を読み比べてみてほしい。とても愉しい「遊び」であることを請け合います。

 たとえば,「右」「左」の語釈。あるいは,「東」「西」「北」「南」の語釈。さらには,「男」「女」の語釈。あまりに当たり前すぎて,わたしたちが日常的には引くことのないことばを選んで,読み比べてみてほしい。抱腹絶倒しそうな語釈が,まことしやかに記述されている。

 一つだけ紹介しておけば,この作品にも取り上げられている話に「男」ということばの語釈がある。『広辞苑』には,「人間の性の一つで,女でない方。男子。男性」とでている。では,「女」はどうか。「人間の性別の一つで,子を産み得る器官をそなえている方。女子。女性。婦人」とある。こういう語釈ではいけないのではないか,と作品の中の辞典編集者は主張し,新しい「語釈」を試みる。かれの主張は,これでは語釈としての意味をなさないのではないか,しかも,性同一性障害に苦しむ人たちは不快を覚えるのではないか,というものである。そうして,新しい「語釈」に挑戦していく話が描かれている。

 わたしがかかわった『大辞林』初版には「クリケット」という見出し語があって,これにはいささか驚いた。なぜなら,「クリケット」は日本人にとって「国語」なのか,という疑問がわたしの中にはあったからだ。クリケットということばを知っている人は少なくないだろう。だから,カタカナ語辞典のなかにあるのは不思議ではない。しかし,国語なのか,といわれるとわたしには心もとない。が,もっと驚いたのは,この「クリケット」ということばの語釈だ。なにを言っているのかさっぱりわけがわからない文章になっている。クリケットを知っていて,ゲームもしたことのあるわたしが読んでも,その文意はまったく不明なのである。そんなものが掲載されている。

 これには,さすがのわたしも呆れ果ててしまった。そこで,仕方がないので,まったく新しい語釈を試みることにした。少し長くなったが,なんとかゲームの仕組みがわかるようにした。それも,何回にもわたる担当編集者とのやりとりの結果,到達したものだった。だれが読んでもわかる語釈。無駄なことばをすべて削除した語釈。これ以外にはいいようがない語釈。しかも,他の辞書の真似にならない語釈(著作権にひっかかる)。などなど,語釈というものはまことにたいへんな作業だということを知った。

 新しく追加することばの語釈は,他の辞典が見出し語として採用していないかぎり,わたしの書く語釈がオリジナルとなる。だから,じつに新鮮で愉しかった。しかし,すでに掲載されていることばの語釈を「訂正・修正」するときは,とても神経を使い,他の辞典の語釈とバッティングしないかどうか,一つひとつ確認する必要があった。でも,これはこれでとても勉強になった。ことばの語釈というものは一種の「生きもの」のようなもので,時代や社会とともに変化していくものだ,ということも知った。だから,国語辞典が何回も版を重ねて改訂されることの意味もわかった。

 この作品では「愛」ということばの語釈をめぐる議論が,とても魅力的に描かれていて,しかも,その「愛」がこの作品の通奏低音として鳴り響いているのだ。そして,「舟を編む」ということは人が「生きる」ということと同義であり,「愛」なしには辞典の編纂は不可能だというところに流れていく。その手法がまことにうまい。

 三浦しをんさんの作品は,わたしが読んだかぎりでは,どれを読んでも「厭味」がない。読後感が,じつに爽やかなのである。ほのぼのとしたものが,そこはかとなく伝わってきて,心地よい。そして,「生きる」ということに希望が湧いてくる。これが三浦しをんという作家の体質なのだろう。作品のタイトルにも不思議なメッセージ性があって,ユーモアと深い人間洞察力とことばのセンスのよさが凝縮しているように思う。

 暗い世の中なればこそ,三浦しをんさんのような作品が,わたしたちのこころを救済してくれる。そういう作品として,この『舟を編む』をお薦めしたい。必読。

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