結論。やはり,いささか惚けてきたなぁ,と反省。
理由。聴衆のことをすっかり忘れて,自分の関心事のみを書きつらねて,レジュメを用意したこと。つまり,無意識のうちに,いつものように研究会のプレゼンテーション用のレジュメを準備してしまったこと。それもエッジに立つ,ぎりぎりの論点を前面に押し出して。しかも,すでに広報されている講演会のタイトル「オリンピックの未来を考える」を無視して,「オリンピックに未来はあるか」「NO!」などという過激なタイトルをレジュメにつけたこと。
反省。そろそろだれかにマネージメントをしてもらわないといけない,と。
平成24年度 第2回 世田谷区生涯大学公開文化講演会
「オリンピックの未来を考える」 講師/稲垣正浩
という大見出しのポスターやリーフレットまで作成されて,広報されていた講演会。わたしのところにも,メールで送られてきていたので,十分承知の上。
しかし,残念なことに,7月の中旬ころの話だったので,もう,すっかり忘れてしまっていた。頭の中には「オリンピック関連」のことをなにか話すことになっている,という程度の記憶しかない。で,講演会の日程が迫ってきたころに,担当者から,そろそろレジュメを・・・・という連絡が入った。しかし,その前にやらなくてはならない雑用があって,それどころではない。しかし,そうかといって放っておくわけにもいかない。そこで,大慌てで,いま,頭に浮ぶ関心事を抜き出してレジュメにまとめて送信。だから,頭のモードはいつもの研究会や原稿を書くときのまま。
いつもの研究会なら,「オリンピックに未来はあるか?」「NO!」というタイトルは大受けに受けたに違いない。そして,とことん理屈をこねて,それを思想・哲学的なオブラートでつつみこめば,だいたいは満足してもらえる。しかし,そうはいかなかった。
講演会がはじまる15分前くらいに会場に到着すればいいと考え,わたしは近くの喫茶店でコーヒーを飲みながら,レジュメとにらめっこして話の内容を整理する。で,意を決して講演会場に向かう。会場の入り口あたりに男性が二人ほど立っているのが,遠くからみえる。なにごとだろう?といぶかりながら歩いていく。なにやら,異様な雰囲気。挨拶もそうそうに「どうぞ,こちらへ」と応接室にとおされる。
早速ですが,と館長さんからのお話。
講演会用のレジュメのタイトルが最初に聞いていたものと違っているので,もとどおりのタイトルに直してもらえないか,という。わたしとしては,どちらでもいいとは思ったものの,一応,「オリンピックの未来を考える」という間口の広いテーマを,もう少し絞り込んだものがレジュメの「オリンピックに未来はあるか?」「NO!」となったものなので,なんの矛盾もないのですが・・・・,と応答。すると,ここは公共の機関ですし,東京都はオリンピック招致運動に力をそそいでいる,世田谷区としてもそれを支援している,なのでこのままのタイトルではまことに困る,とのこと。この瞬間,惚けてきたなぁ,と気づく。そりゃあそうだ,まずいよなぁ,と。
ああ,わかりました。公表してあったタイトルに統一しましょう,とわたし。館長さん,やっとほっとした顔。タイトルを打ち直して,大急ぎでプリント・アウトして聞きにきてくださった方たちに配布。ですから,時間ぎりぎり。準備ができしだい,すぐに,講演開始。
会場に入って,二度目のびっくり。100名先着順,と聞いていたので,少なくとも5~60名くらいはいらっしゃるのかな,と想定していた。ところが,である。待っていてくださった聴衆は12名。そこに,館長さんと担当の事務官がひとり。計14名。おやおや,である。どうやら,ほとんどの人は生涯大学に通ってきている人らしい。なかには,日の丸のバッジを背広の胸につけたちょっと雰囲気の違う人もいらっしゃる。うーん,こりゃ困った。で,講師紹介の間に急遽,対策を練る。
パラパラとちらばって坐っている人に向かって話をするのはなかなかむつかしい,ということは経験的に知っている。そこで,早速,わたしの方から提案をする。この人数だったら,もっとお互いに近づきませんか。お互いの表情や息遣いも感じられるように,椅子を移動させて,みんなで丸く輪をつくってラウンド・テーブル方式にしてもらえませんか,と提案。みなさん,とても素直に応じてくださったので,まずは安心。
つぎは,話の内容もむつかしいことはカット。だれが聞いてもわかる話に,急遽,変更。そして,話の途中,いつでも割って入ってきても結構なので・・・と提案。少しだけくつろいだ雰囲気が漂いはじめる。でも,途中でハプニングが起きたりして(日の丸のバッジはダテではなかった),なかなかエキサイティングな場面もあったが,聴衆のみなさんのご協力もあって,なんとかわたしの話は無事に終了。最後の30分は質疑応答の時間にセットしてあったので,ここでは,なかなか面白いご意見を聞かせてもらうこともでき,わたしとしては楽しかった。
一般市民向けの講演のやり方については,これまであまり経験がなかったので,とてもいい勉強になった。オリンピックを語るためのポイントは,もっともっと別の切り口から入らないと駄目だということもわかった。たとえば,オリンピックは多くの人を「感動」させるための文化装置である,などといきなり力説したところで,なんのこっちゃ,という程度の反応しかえられない。そして,「感動」の仕組みを,「自己を超えでる経験」などと言ったところで,だから,なんなんだ,となってしまう。もっと身近な事例を挙げながら,諄々と説いた上で,わたしがわたしではなくなる経験,すなわち,自己の他者経験である,というところまで持ち込まなくては意味がない。これは至難の技だ。まだまだ未熟だなぁ,と反省。
ああ,どこまでいっても反省ばかり。でも,こういう反省があるから,つぎへの希望が生まれ,人は生きていかれるのかも・・・などと居直っている。老人は居直るのみ,か。でも,いままでのわたしとはまたひとつ違うステージにでてきたようにも思う。これが唯一の救い。これぞ生きる源泉,か。
また,頼まれればどこにでもいそいそと講演にでかける惚け老人。困ったものである。
理由。聴衆のことをすっかり忘れて,自分の関心事のみを書きつらねて,レジュメを用意したこと。つまり,無意識のうちに,いつものように研究会のプレゼンテーション用のレジュメを準備してしまったこと。それもエッジに立つ,ぎりぎりの論点を前面に押し出して。しかも,すでに広報されている講演会のタイトル「オリンピックの未来を考える」を無視して,「オリンピックに未来はあるか」「NO!」などという過激なタイトルをレジュメにつけたこと。
反省。そろそろだれかにマネージメントをしてもらわないといけない,と。
平成24年度 第2回 世田谷区生涯大学公開文化講演会
「オリンピックの未来を考える」 講師/稲垣正浩
という大見出しのポスターやリーフレットまで作成されて,広報されていた講演会。わたしのところにも,メールで送られてきていたので,十分承知の上。
しかし,残念なことに,7月の中旬ころの話だったので,もう,すっかり忘れてしまっていた。頭の中には「オリンピック関連」のことをなにか話すことになっている,という程度の記憶しかない。で,講演会の日程が迫ってきたころに,担当者から,そろそろレジュメを・・・・という連絡が入った。しかし,その前にやらなくてはならない雑用があって,それどころではない。しかし,そうかといって放っておくわけにもいかない。そこで,大慌てで,いま,頭に浮ぶ関心事を抜き出してレジュメにまとめて送信。だから,頭のモードはいつもの研究会や原稿を書くときのまま。
いつもの研究会なら,「オリンピックに未来はあるか?」「NO!」というタイトルは大受けに受けたに違いない。そして,とことん理屈をこねて,それを思想・哲学的なオブラートでつつみこめば,だいたいは満足してもらえる。しかし,そうはいかなかった。
講演会がはじまる15分前くらいに会場に到着すればいいと考え,わたしは近くの喫茶店でコーヒーを飲みながら,レジュメとにらめっこして話の内容を整理する。で,意を決して講演会場に向かう。会場の入り口あたりに男性が二人ほど立っているのが,遠くからみえる。なにごとだろう?といぶかりながら歩いていく。なにやら,異様な雰囲気。挨拶もそうそうに「どうぞ,こちらへ」と応接室にとおされる。
早速ですが,と館長さんからのお話。
講演会用のレジュメのタイトルが最初に聞いていたものと違っているので,もとどおりのタイトルに直してもらえないか,という。わたしとしては,どちらでもいいとは思ったものの,一応,「オリンピックの未来を考える」という間口の広いテーマを,もう少し絞り込んだものがレジュメの「オリンピックに未来はあるか?」「NO!」となったものなので,なんの矛盾もないのですが・・・・,と応答。すると,ここは公共の機関ですし,東京都はオリンピック招致運動に力をそそいでいる,世田谷区としてもそれを支援している,なのでこのままのタイトルではまことに困る,とのこと。この瞬間,惚けてきたなぁ,と気づく。そりゃあそうだ,まずいよなぁ,と。
ああ,わかりました。公表してあったタイトルに統一しましょう,とわたし。館長さん,やっとほっとした顔。タイトルを打ち直して,大急ぎでプリント・アウトして聞きにきてくださった方たちに配布。ですから,時間ぎりぎり。準備ができしだい,すぐに,講演開始。
会場に入って,二度目のびっくり。100名先着順,と聞いていたので,少なくとも5~60名くらいはいらっしゃるのかな,と想定していた。ところが,である。待っていてくださった聴衆は12名。そこに,館長さんと担当の事務官がひとり。計14名。おやおや,である。どうやら,ほとんどの人は生涯大学に通ってきている人らしい。なかには,日の丸のバッジを背広の胸につけたちょっと雰囲気の違う人もいらっしゃる。うーん,こりゃ困った。で,講師紹介の間に急遽,対策を練る。
パラパラとちらばって坐っている人に向かって話をするのはなかなかむつかしい,ということは経験的に知っている。そこで,早速,わたしの方から提案をする。この人数だったら,もっとお互いに近づきませんか。お互いの表情や息遣いも感じられるように,椅子を移動させて,みんなで丸く輪をつくってラウンド・テーブル方式にしてもらえませんか,と提案。みなさん,とても素直に応じてくださったので,まずは安心。
つぎは,話の内容もむつかしいことはカット。だれが聞いてもわかる話に,急遽,変更。そして,話の途中,いつでも割って入ってきても結構なので・・・と提案。少しだけくつろいだ雰囲気が漂いはじめる。でも,途中でハプニングが起きたりして(日の丸のバッジはダテではなかった),なかなかエキサイティングな場面もあったが,聴衆のみなさんのご協力もあって,なんとかわたしの話は無事に終了。最後の30分は質疑応答の時間にセットしてあったので,ここでは,なかなか面白いご意見を聞かせてもらうこともでき,わたしとしては楽しかった。
一般市民向けの講演のやり方については,これまであまり経験がなかったので,とてもいい勉強になった。オリンピックを語るためのポイントは,もっともっと別の切り口から入らないと駄目だということもわかった。たとえば,オリンピックは多くの人を「感動」させるための文化装置である,などといきなり力説したところで,なんのこっちゃ,という程度の反応しかえられない。そして,「感動」の仕組みを,「自己を超えでる経験」などと言ったところで,だから,なんなんだ,となってしまう。もっと身近な事例を挙げながら,諄々と説いた上で,わたしがわたしではなくなる経験,すなわち,自己の他者経験である,というところまで持ち込まなくては意味がない。これは至難の技だ。まだまだ未熟だなぁ,と反省。
ああ,どこまでいっても反省ばかり。でも,こういう反省があるから,つぎへの希望が生まれ,人は生きていかれるのかも・・・などと居直っている。老人は居直るのみ,か。でも,いままでのわたしとはまたひとつ違うステージにでてきたようにも思う。これが唯一の救い。これぞ生きる源泉,か。
また,頼まれればどこにでもいそいそと講演にでかける惚け老人。困ったものである。
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