思いかえせばあの異常に長くつづいた猛暑日に,わたしのからだもこころも相当にダメージを受けていたようだ。猛暑日のつづく最中は,なんのこれしきの暑さなんか・・・と意地を張って,やり過ごそうとしていた。のみならず,暑いのは得意だとまで豪語していた。しかし,いまから考えてみれば,単なる強がりにすぎなかったようだ。
猛暑日から一気に秋の後半がやってきたのも,知らぬ間にわたしのからだやこころに大きな負荷を与えたようだ。それがいまになってわかる。なぜなら,いまごろになってようやく気合が入りはじめ,攻めの姿勢が感じられるようになったからだ。からだとこころのバランスがよくなってきたことが,からだの芯のあたりから伝わってくる。なぜ,わかるのか。ここちよいから。やることに前向きになってきている自分に気づくから。
考えてみれば,夏の間じゅう,ずっと守りに入っていたようだ。野球でいえば守備のイニング。外からやってくる仕事に受けて立つだけで精一杯だった。目の前の原稿はもとより,ずっとさきの講演やシンポジウムが気になって仕方がない。あれも読まなくては,これも読まなくては・・・・という具合に守りに入ると際限なくやらなくてはならないことが,つぎからつぎへと押し寄せてくる。それに圧倒されてしまって,結局はなにも手につかなくなってしまう。ただ,おろおろするだけ。それだけで日が暮れていく。思考が停止している。ますます焦る。悪の循環。
ここ数日前から,気づけば元気がいい。からだに力を感ずる。弛緩状態だったからだが,どことなく頼もしい。太極拳の稽古をしても,膝から大腿筋,大臀筋から股関節まわりの筋肉まで,必要に応じてビシッと緊張してくれる。だから,ふらつきが少ない。自分でも不思議なほど安定している。とくべつになにかをしたわけでもない。これまでと同じ生活のリズムを刻んでいるだけだ。にもかかわらず,からだに力が漲っている。
からだが充実してくると,気づけば,こころもしっかりしている。山ほど仕事がたまっているのに,なんとかなる,と落ち着きはらっている。これも不思議だ。たぶん,この季節の激変に,しばらくもたついていたのが,ようやく適応してみずからのリズムを取り戻したのだろう。なにより,こころの焦りが消えているのが嬉しい。
こうなると面白いことに,ずっとさきの仕事のことを考えはじめている。しかも,つぎつぎに面白いアイディアが浮かび,それを夢中になってメモっている。それがじつに楽しい。急に天才になったのではないか,と錯覚を起こすほどだ。問題は,そのメモが,数日後には色あせた,単なる愚考になってしまうのではないかという不安。そうならないで,ますます輝かしいメモであってくれ,と祈りながら,毎日,せっせとメモを貯め込んでいる。
ああ,ようやく長いトンネルから抜け出して,見晴らしのいい景色の前に立つことができた,と自分で感動している。それいけ,ワッセイ!だ。野球でいえば「チェンジ!」。いよいよ守備のイニングが終わって,わが方の攻撃のイニングのはじまりだ。
まず,筆頭にわたしの頭のなかを駆け回っているのは,『スポートロジイ』第2号の編集内容。すでに,余るほどの原稿がある。でも,もっといい原稿がほしい。それを,どのようにして発注していくか。そのアイディアもつぎつぎに浮かぶ。じつに楽しい。そのつぎは,すでに決まっている単行本の企画2本の構成。1本は共著,もう1本は単著。まずは,共著の方から。そして,どのように役割分担をしていくかをあれこれ考える。いくつもの案ができていく。どれも一長一短。もっと練り上げていく必要がある。単著の方も,これまでにない画期的なものにしよう,と意気込んでいる。世界中見渡してみても類書をみない,世界でただひとつの本にしよう,と。
とまあ,こんなことを考えていたら,単なる躁鬱症ではないかと心配になってきた。長い「ウツ」を通過して,一気に「ソウ」になる,そういう友人がかつていた。いつも,その季節がくるたびに「ノーベル賞級のアイディアが湧いてきて,楽しくて仕方がない」と延々と電話で話しを聞かされたことを思い出す。わが胸に手を当てて,まだ,これまで躁鬱気味だったこともないから大丈夫だ,とみずからに言い聞かせる。そして,気持ちを引き締めて,「行くぞ,実りの秋」と気合を入れる。
とはいえ,すでに10月も終わろうとしている。ということは,ことしもあと2カ月しか残ってはいない。だとすれば,もっとピッチを上げなくては年が明けてしまう。
それいけ,ワッセイ。なんとか破綻することもなく守備のイニングを守り切ったのだから,こんどはのびのびと攻撃のイニングを楽しもう。でないと,人生,やってられない。
なんだか,自分自身で一人芝居をしているようにみえてくる。それでも構わぬ。行け,行けっ!さて,この先,どうなることやら。この一人芝居,見てのお楽しみ。カッ!
猛暑日から一気に秋の後半がやってきたのも,知らぬ間にわたしのからだやこころに大きな負荷を与えたようだ。それがいまになってわかる。なぜなら,いまごろになってようやく気合が入りはじめ,攻めの姿勢が感じられるようになったからだ。からだとこころのバランスがよくなってきたことが,からだの芯のあたりから伝わってくる。なぜ,わかるのか。ここちよいから。やることに前向きになってきている自分に気づくから。
考えてみれば,夏の間じゅう,ずっと守りに入っていたようだ。野球でいえば守備のイニング。外からやってくる仕事に受けて立つだけで精一杯だった。目の前の原稿はもとより,ずっとさきの講演やシンポジウムが気になって仕方がない。あれも読まなくては,これも読まなくては・・・・という具合に守りに入ると際限なくやらなくてはならないことが,つぎからつぎへと押し寄せてくる。それに圧倒されてしまって,結局はなにも手につかなくなってしまう。ただ,おろおろするだけ。それだけで日が暮れていく。思考が停止している。ますます焦る。悪の循環。
ここ数日前から,気づけば元気がいい。からだに力を感ずる。弛緩状態だったからだが,どことなく頼もしい。太極拳の稽古をしても,膝から大腿筋,大臀筋から股関節まわりの筋肉まで,必要に応じてビシッと緊張してくれる。だから,ふらつきが少ない。自分でも不思議なほど安定している。とくべつになにかをしたわけでもない。これまでと同じ生活のリズムを刻んでいるだけだ。にもかかわらず,からだに力が漲っている。
からだが充実してくると,気づけば,こころもしっかりしている。山ほど仕事がたまっているのに,なんとかなる,と落ち着きはらっている。これも不思議だ。たぶん,この季節の激変に,しばらくもたついていたのが,ようやく適応してみずからのリズムを取り戻したのだろう。なにより,こころの焦りが消えているのが嬉しい。
こうなると面白いことに,ずっとさきの仕事のことを考えはじめている。しかも,つぎつぎに面白いアイディアが浮かび,それを夢中になってメモっている。それがじつに楽しい。急に天才になったのではないか,と錯覚を起こすほどだ。問題は,そのメモが,数日後には色あせた,単なる愚考になってしまうのではないかという不安。そうならないで,ますます輝かしいメモであってくれ,と祈りながら,毎日,せっせとメモを貯め込んでいる。
ああ,ようやく長いトンネルから抜け出して,見晴らしのいい景色の前に立つことができた,と自分で感動している。それいけ,ワッセイ!だ。野球でいえば「チェンジ!」。いよいよ守備のイニングが終わって,わが方の攻撃のイニングのはじまりだ。
まず,筆頭にわたしの頭のなかを駆け回っているのは,『スポートロジイ』第2号の編集内容。すでに,余るほどの原稿がある。でも,もっといい原稿がほしい。それを,どのようにして発注していくか。そのアイディアもつぎつぎに浮かぶ。じつに楽しい。そのつぎは,すでに決まっている単行本の企画2本の構成。1本は共著,もう1本は単著。まずは,共著の方から。そして,どのように役割分担をしていくかをあれこれ考える。いくつもの案ができていく。どれも一長一短。もっと練り上げていく必要がある。単著の方も,これまでにない画期的なものにしよう,と意気込んでいる。世界中見渡してみても類書をみない,世界でただひとつの本にしよう,と。
とまあ,こんなことを考えていたら,単なる躁鬱症ではないかと心配になってきた。長い「ウツ」を通過して,一気に「ソウ」になる,そういう友人がかつていた。いつも,その季節がくるたびに「ノーベル賞級のアイディアが湧いてきて,楽しくて仕方がない」と延々と電話で話しを聞かされたことを思い出す。わが胸に手を当てて,まだ,これまで躁鬱気味だったこともないから大丈夫だ,とみずからに言い聞かせる。そして,気持ちを引き締めて,「行くぞ,実りの秋」と気合を入れる。
とはいえ,すでに10月も終わろうとしている。ということは,ことしもあと2カ月しか残ってはいない。だとすれば,もっとピッチを上げなくては年が明けてしまう。
それいけ,ワッセイ。なんとか破綻することもなく守備のイニングを守り切ったのだから,こんどはのびのびと攻撃のイニングを楽しもう。でないと,人生,やってられない。
なんだか,自分自身で一人芝居をしているようにみえてくる。それでも構わぬ。行け,行けっ!さて,この先,どうなることやら。この一人芝居,見てのお楽しみ。カッ!
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