ようやく気持が前向きになってきました。もっと早くに企画を立ち上げなくては,と思いつつもなかなか気持が動きませんでした。しかし,食事の量が増えるにしたがって,気持もしっかりしてきたように思います。やはり,太極拳の稽古をはじめたのがいいきっかけになったように思います。
じつは,もう去年のうちに「今福龍太氏を囲む会」の構想はできあがっていました。その直接的なきっかけは,今福龍太編『多木浩二 映像の歴史哲学』(みすず書房,2013年)を今福さんから送っていただいたことでした。一読してすぐに,この本はわたしたちが長年つづけている研究会(「ISC・21」月例研究会)で取り上げ,みんなで議論しなくてはいけない本だとわかりました。今福さんもそんなことを想定してわたしに本を送ってくださったのだと思います。
なぜなら,『映像の歴史哲学』の内容は,最初から最後まで,レニ・リーフェンシュタールが監督したベルリン・オリンピックの記録映画「オリンピア」をとりあげ,これを題材にしてその歴史哲学を多木浩二さんが熱っぽく語っているからです。そして,それをよくよく読むと,これまでに無意識のうちに作り上げられていたベルリン・オリンピックのイメージが,音を立ててくずれ落ちていく,そんな経験を余儀なくさせられます。
多木さんは,この映画を構成している個々の映像がどのようにして撮影されたのか,そのバックグラウンドを詳細に分析しながら,映像のもつもうひとつの意味を見出していきます。そして,オリンピックとはなにか,さらに,スポーツとはなにか,と問いかけていきます。
多木さんには,『スポーツを考える』──身体・資本・ナショナリズム(ちくま新書)という著作もあって,スポーツについても造詣の深い人であったことはよく知られているとおりです。その多木さんが,生まれて初めてみた映画が,この1936年のベルリン・オリンピックの記録映画だった,しかも,きわめて衝撃的だった,その一つは裸体が惜しげもなく映し出されたからだ,とも語っています(『映像の歴史哲学』)。それが多木さんが小学生のときの記憶だ,というのです。
このときから,多木さんの頭のなかでは映像とスポーツはセットになっていて,のちのちの映像文化論を構築する上で大きな影響を及ぼしたようです。この本の帯には「本当に主題になるのは「歴史」のなかには登場することのない歴史である」と大きな文字が躍っています。わたしのことばに置き換えれば,大文字で語られる「歴史」ははたしてほんとうの意味での歴史といえるのか,そうではなくて,小文字で語られる歴史こそが,つまり,日常生活のはしばしで出会う歴史こそが,生身のからだを生きる人間の歴史ではないのか,と問いかけているように思います。
本書を編集した今福さんの「後記」にはつぎのような文章が埋め込まれています。
歴史を問い,歴史を批判し,出来事の歴史を乗り越えたところにある深層の「歴史」の断面を,ほとんど神話化された歴史の形象を,その日常への不意の顕れを,ひたすら凝視すること。表象やイメージとてし出現する「歴史」の揺らぐ実相を相手にした多木浩二の思想的実践は,その意味で,日々を生きる人間の個人的感情や記憶と,それらが実を結ぶためにはたらいている歴史的過程への深い考察とともに一つの帆にはらんで進む,世界という荒れ狂う海への冒険航海の試みだったといえるだろう。
わたしたちは,いまや映像としてスポーツを丸飲みしています。その映像には,かならずだれかの意思がはたらいています。つまり,映像を切り取り,それをテレビや映画をとおして公開するということは,そこにはかならずなんらかの意図がはたらいています。その意図された映像を,わたしたちはほとんど無意識のうちに丸飲みして,スポーツに感動し,スポーツとはこういうものなのだと理解したつもりになっています。それが,こんにちのスポーツについての大方のイメージを形成していると言っていいでしょう。
しかし,スポーツとは,そんな表層的な,薄っぺらなものなのでしょうか。そうではないはずです。
スポーツの現場で日々,悪戦苦闘しているアスリートやコーチ,監督などが全身全霊をとおして理解しているスポーツと,わたしたちが映像をとおして理解したつもりになっているスポーツとの間には,大きな大きな溝が横たわっています。このとてつもなく大きなギャップはいったいなにを意味しているのでしょうか。
たとえば,こんなこともみんなで考えてみようと思い立ち,今福龍太編『多木浩二 映像の歴史哲学』をテクストにして,「今福龍太氏を囲む会」を企画してみました。そして,その場の力を受けて,今福さんがどのような即興レクチュアをしてくださるか,これがまた格別の楽しみでもあります。
幸いなことに,あの多忙な今福さんがわたしたちのために時間を割いてくださるというので,みんな大喜びです。今福龍太氏が多木浩二の思考をとおしてスポーツ文化を語る,とても魅力的な研究会です。興味のある方はどうぞ傍聴にきてください。
研究会の開催要領の詳細は,「21世紀スポーツ文化研究所」のホーム・ページ(掲示板)に公開しますので,そちらをご覧になってみてください。
じつは,もう去年のうちに「今福龍太氏を囲む会」の構想はできあがっていました。その直接的なきっかけは,今福龍太編『多木浩二 映像の歴史哲学』(みすず書房,2013年)を今福さんから送っていただいたことでした。一読してすぐに,この本はわたしたちが長年つづけている研究会(「ISC・21」月例研究会)で取り上げ,みんなで議論しなくてはいけない本だとわかりました。今福さんもそんなことを想定してわたしに本を送ってくださったのだと思います。
なぜなら,『映像の歴史哲学』の内容は,最初から最後まで,レニ・リーフェンシュタールが監督したベルリン・オリンピックの記録映画「オリンピア」をとりあげ,これを題材にしてその歴史哲学を多木浩二さんが熱っぽく語っているからです。そして,それをよくよく読むと,これまでに無意識のうちに作り上げられていたベルリン・オリンピックのイメージが,音を立ててくずれ落ちていく,そんな経験を余儀なくさせられます。
多木さんは,この映画を構成している個々の映像がどのようにして撮影されたのか,そのバックグラウンドを詳細に分析しながら,映像のもつもうひとつの意味を見出していきます。そして,オリンピックとはなにか,さらに,スポーツとはなにか,と問いかけていきます。
多木さんには,『スポーツを考える』──身体・資本・ナショナリズム(ちくま新書)という著作もあって,スポーツについても造詣の深い人であったことはよく知られているとおりです。その多木さんが,生まれて初めてみた映画が,この1936年のベルリン・オリンピックの記録映画だった,しかも,きわめて衝撃的だった,その一つは裸体が惜しげもなく映し出されたからだ,とも語っています(『映像の歴史哲学』)。それが多木さんが小学生のときの記憶だ,というのです。
このときから,多木さんの頭のなかでは映像とスポーツはセットになっていて,のちのちの映像文化論を構築する上で大きな影響を及ぼしたようです。この本の帯には「本当に主題になるのは「歴史」のなかには登場することのない歴史である」と大きな文字が躍っています。わたしのことばに置き換えれば,大文字で語られる「歴史」ははたしてほんとうの意味での歴史といえるのか,そうではなくて,小文字で語られる歴史こそが,つまり,日常生活のはしばしで出会う歴史こそが,生身のからだを生きる人間の歴史ではないのか,と問いかけているように思います。
本書を編集した今福さんの「後記」にはつぎのような文章が埋め込まれています。
歴史を問い,歴史を批判し,出来事の歴史を乗り越えたところにある深層の「歴史」の断面を,ほとんど神話化された歴史の形象を,その日常への不意の顕れを,ひたすら凝視すること。表象やイメージとてし出現する「歴史」の揺らぐ実相を相手にした多木浩二の思想的実践は,その意味で,日々を生きる人間の個人的感情や記憶と,それらが実を結ぶためにはたらいている歴史的過程への深い考察とともに一つの帆にはらんで進む,世界という荒れ狂う海への冒険航海の試みだったといえるだろう。
わたしたちは,いまや映像としてスポーツを丸飲みしています。その映像には,かならずだれかの意思がはたらいています。つまり,映像を切り取り,それをテレビや映画をとおして公開するということは,そこにはかならずなんらかの意図がはたらいています。その意図された映像を,わたしたちはほとんど無意識のうちに丸飲みして,スポーツに感動し,スポーツとはこういうものなのだと理解したつもりになっています。それが,こんにちのスポーツについての大方のイメージを形成していると言っていいでしょう。
しかし,スポーツとは,そんな表層的な,薄っぺらなものなのでしょうか。そうではないはずです。
スポーツの現場で日々,悪戦苦闘しているアスリートやコーチ,監督などが全身全霊をとおして理解しているスポーツと,わたしたちが映像をとおして理解したつもりになっているスポーツとの間には,大きな大きな溝が横たわっています。このとてつもなく大きなギャップはいったいなにを意味しているのでしょうか。
たとえば,こんなこともみんなで考えてみようと思い立ち,今福龍太編『多木浩二 映像の歴史哲学』をテクストにして,「今福龍太氏を囲む会」を企画してみました。そして,その場の力を受けて,今福さんがどのような即興レクチュアをしてくださるか,これがまた格別の楽しみでもあります。
幸いなことに,あの多忙な今福さんがわたしたちのために時間を割いてくださるというので,みんな大喜びです。今福龍太氏が多木浩二の思考をとおしてスポーツ文化を語る,とても魅力的な研究会です。興味のある方はどうぞ傍聴にきてください。
研究会の開催要領の詳細は,「21世紀スポーツ文化研究所」のホーム・ページ(掲示板)に公開しますので,そちらをご覧になってみてください。
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