今日(3月3日)の東京新聞によると,被災42市町村長へのアンケート調査の結果,「復興に遅れ」が過半数を占めているという。しかも,9割以上の市町村長が「風化を感じている」という。そして,これからさきの見通しも暗い,と。
同記事の書き出しを引いてみよう。
東日本大震災と東京電力福島第一原発事故で大きな被害を受けた岩手,宮城,福島三県の四十二市町村長のうち過半数の二十四人は,復旧,復興が遅れているか進んでいないと受け止めていることが二日,共同通信のアンケートで分かった。震災や原発事故の風化を感じると回答したのは九割超の四十人に上った。
以上が記事の一部である。そして,「風化を感じる」(九割超)と答えた人の多くが,「東京五輪の話題が被災地への関心離れを助長する」という懸念を示しているという。
いまも記憶に残るあのIOC総会での東京五輪招致のためのプレゼンテーションでは,入れ代わり立ち代わり「東京五輪は復興に役立つのだ」と口を揃えて訴えていた。そして,このことが最終的に東京五輪に票が流れた大きな要因だった,とも言われた。その「復興」が風化しつつあるという。しかも,その理由が東京五輪の話題ばかりが脚光を浴びて,「復興」はその影に隠され,意識から薄れつつあるというのだ。
それだけではない。実際にも,東京五輪にともなう巨大事業の展開が待ち受けていて,「復興」に従事していた大手ゼネコンが被災地から引き上げはじめ,その拠点を東京に移しつつある,というのだ。のみならず,東京五輪がらみの事業規模があまりに巨大なので,人材も資材も不足していて,経費も雪だるま式に膨れ上がっている,という。となると,「復興」はますます後回しにされ,風化の一途をたどるしかない,とも言われている。
そこにきて,新しく選出された都知事は,東京を世界一の都市にする,東京五輪を歴史に残る立派な大会にする,と誇らしげに宣言している。もうすでに,この都知事の頭のなかには「復興」の二文字はほとんど意識されていないに違いない。この点は,「転ぶ」で名をなした組織委員会会長も同じだろう。もちろん,時代錯誤もはなはだしい「強い日本」をとりもどそうなどという頓珍漢なことを言っている首相をはじめ,政府自民党も大同小異だ。もはや,かれらにとって「復興」は,笛吹童子を演じていればいい,という程度のものでしかないのだろう。
と思っていたら,成田─東京─羽田を結ぶ新線建造案に調査費がついたという情報が流れた。総工費6000億円という。これでまたゼネコンがここに集中してくることは間違いない。となれば,人も資材も足りないという情況が,ますます深刻化してくることになる。しかも,この新線建造は東京五輪には間に合わないのだそうだ。
かててくわえて,原発の再稼働だという。いったい,この国はどこに向かって活路を見出そうとしているのだろうか。やっていることがはちゃめちゃである。
入院中に熟読させていただいた『3・11以後この絶望の国で──死者の語りの地平から』(西谷修×山形孝夫著,ぷねうま舎,2014年2月刊)が,いま,わたしの頭のなかで渦を巻いている。やはり,もう一度,読み直そう。わけのわからない濁流に流されないように。そして,自分自身の立ち位置を確保するためにも。
同記事の書き出しを引いてみよう。
東日本大震災と東京電力福島第一原発事故で大きな被害を受けた岩手,宮城,福島三県の四十二市町村長のうち過半数の二十四人は,復旧,復興が遅れているか進んでいないと受け止めていることが二日,共同通信のアンケートで分かった。震災や原発事故の風化を感じると回答したのは九割超の四十人に上った。
以上が記事の一部である。そして,「風化を感じる」(九割超)と答えた人の多くが,「東京五輪の話題が被災地への関心離れを助長する」という懸念を示しているという。
いまも記憶に残るあのIOC総会での東京五輪招致のためのプレゼンテーションでは,入れ代わり立ち代わり「東京五輪は復興に役立つのだ」と口を揃えて訴えていた。そして,このことが最終的に東京五輪に票が流れた大きな要因だった,とも言われた。その「復興」が風化しつつあるという。しかも,その理由が東京五輪の話題ばかりが脚光を浴びて,「復興」はその影に隠され,意識から薄れつつあるというのだ。
それだけではない。実際にも,東京五輪にともなう巨大事業の展開が待ち受けていて,「復興」に従事していた大手ゼネコンが被災地から引き上げはじめ,その拠点を東京に移しつつある,というのだ。のみならず,東京五輪がらみの事業規模があまりに巨大なので,人材も資材も不足していて,経費も雪だるま式に膨れ上がっている,という。となると,「復興」はますます後回しにされ,風化の一途をたどるしかない,とも言われている。
そこにきて,新しく選出された都知事は,東京を世界一の都市にする,東京五輪を歴史に残る立派な大会にする,と誇らしげに宣言している。もうすでに,この都知事の頭のなかには「復興」の二文字はほとんど意識されていないに違いない。この点は,「転ぶ」で名をなした組織委員会会長も同じだろう。もちろん,時代錯誤もはなはだしい「強い日本」をとりもどそうなどという頓珍漢なことを言っている首相をはじめ,政府自民党も大同小異だ。もはや,かれらにとって「復興」は,笛吹童子を演じていればいい,という程度のものでしかないのだろう。
と思っていたら,成田─東京─羽田を結ぶ新線建造案に調査費がついたという情報が流れた。総工費6000億円という。これでまたゼネコンがここに集中してくることは間違いない。となれば,人も資材も足りないという情況が,ますます深刻化してくることになる。しかも,この新線建造は東京五輪には間に合わないのだそうだ。
かててくわえて,原発の再稼働だという。いったい,この国はどこに向かって活路を見出そうとしているのだろうか。やっていることがはちゃめちゃである。
入院中に熟読させていただいた『3・11以後この絶望の国で──死者の語りの地平から』(西谷修×山形孝夫著,ぷねうま舎,2014年2月刊)が,いま,わたしの頭のなかで渦を巻いている。やはり,もう一度,読み直そう。わけのわからない濁流に流されないように。そして,自分自身の立ち位置を確保するためにも。
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