鶴竜が開眼した。終盤の4日間の相撲は,それまでの鶴竜とはまるで別人だった。眠れる獅子が眼を覚ましたかのような,見違えるような相撲をみせた。日に日に高まる重圧をバネにして,まるでそこから解き放たれたように自在にからだが動いた。しかも力強く,理詰めに。それは鶴竜にとっても「自己を超え出る」ような体験ではなかっただろうか。
わけても14日目,白鵬との一番。鋭い踏み込みから両手で相手の体を突き起こし,間髪を入れずに顔を突きたて,白鵬はいやがって顔をそむけてしまった。あとは両まわしを引きつけて寄ってでた。足腰のいい白鵬も残し切れずに土俵を割った。まさか,こんな相撲を鶴竜がとるとは白鵬も予測だにしなかったに違いない。これで本割で二場所つづけて白鵬を退けた。この大一番を制した鶴竜は,間違いなく相撲道のもうひとつ上のステージに飛び出した。大横綱となるための,大きな開眼である。
12日目の日馬富士との一戦も内容的にはじつにみごたえがあった。あの鋭い日馬富士の立ち合いを封じ込めるほどの力強い踏み込みをみせた。だから,一歩も下がることなく五分の立ち合いとなった。そして,間髪を入れず右からの強烈ないなしを繰り出す。日馬富士はたまらず一回転して向き直ったときには鶴竜の充分な体勢で組み止められ,なんなく寄り切られてしまった。この鋭い踏み込みと右からのいなしは,これからの恐るべき武器の一つになりそうだ。この一番が,鶴竜開眼の第一歩だったかもしれない。
考えてみれば,鶴竜は二場所つづけて上位陣には負けなしの全勝なのだ。一つも星を落としてはいない。この実績は素晴らしいものだ。ということは,鶴竜開眼の第一歩は先場所からはじまっていたことになる。そして,その延長線上に今場所があり,さらに磨きがかかったかのような今場所の終盤の力強い相撲の展開となった。
この相撲にさらなる磨きがかかると,間違いなく鶴竜はこれまでにないまったく新しいタイプの大横綱になるだろう。このことを断言しておこう。
その最大の根拠は鶴竜がモットーとして心がけている「平常心」。
「平常心是道」。これは禅僧の心構えである。中国では老子のタオイズムのスローガンの一つとして知られる。人間の能力が最大限に発揮される状態は「平常心」だ,というのである。なにものにもとらわれない,あるがままの状態。このとき全方位的に人間の感覚が研ぎすまされるという。鶴竜はこのことを熟知しているようだ。
ふつうにとって勝つ人が横綱なのだ。無理しなければ勝てない人は横綱ではない。と,鶴竜は語っている。「平常心」で相撲をとること。そして勝つこと。それが横綱だ,と鶴竜は考えている。そのためにこつこつと努力して稽古し,一つひとつ階段を上がるようにして,いろいろのことを身につけること,それがおのずから土俵に顕れる,相撲とはそれ以上でもそれ以下でもない,という。そして,それを実行してきた。少し時間がかかったが,そういう相撲がみごとに身についた,その証がこの二場所の鶴竜の相撲となって顕現した。
鶴竜のいう「平常心」。それは土俵上の鶴竜の顔に表れている。あの童顔がいい。まるでちびっ子相撲の力士のようだ。勝っても負けても同じ顔をしている。ほとんど感情を顔に出さない。それでいて内には気力を秘め,自分の相撲をとりきることに全力をあげる。ある意味では勝ち負けを超越しているかのようだ。いまある力を出し切ること,そこに集中している。
白鵬のように相手を睨み付けたりしない。日馬富士のように闘志を全面に表したりもしない。いつも,あの童顔のまま。そして,平常心を心がける。いつもあるがまま。こんな手ごわい相手はいない。まったくつかみ所がないのだから。
まったく新しいタイプの大横綱の誕生をこころから期待したい。
そして,来場所から鶴竜がみせてくれる相撲を大いに楽しみにしている。
まだまだ,これから二度も三度も「化ける」可能性を秘めている力士,それが鶴竜だ。どこまで強くなるのか,期待に胸が膨らむ。
まずは,おめでとう`! 鶴竜開眼。
わけても14日目,白鵬との一番。鋭い踏み込みから両手で相手の体を突き起こし,間髪を入れずに顔を突きたて,白鵬はいやがって顔をそむけてしまった。あとは両まわしを引きつけて寄ってでた。足腰のいい白鵬も残し切れずに土俵を割った。まさか,こんな相撲を鶴竜がとるとは白鵬も予測だにしなかったに違いない。これで本割で二場所つづけて白鵬を退けた。この大一番を制した鶴竜は,間違いなく相撲道のもうひとつ上のステージに飛び出した。大横綱となるための,大きな開眼である。
12日目の日馬富士との一戦も内容的にはじつにみごたえがあった。あの鋭い日馬富士の立ち合いを封じ込めるほどの力強い踏み込みをみせた。だから,一歩も下がることなく五分の立ち合いとなった。そして,間髪を入れず右からの強烈ないなしを繰り出す。日馬富士はたまらず一回転して向き直ったときには鶴竜の充分な体勢で組み止められ,なんなく寄り切られてしまった。この鋭い踏み込みと右からのいなしは,これからの恐るべき武器の一つになりそうだ。この一番が,鶴竜開眼の第一歩だったかもしれない。
考えてみれば,鶴竜は二場所つづけて上位陣には負けなしの全勝なのだ。一つも星を落としてはいない。この実績は素晴らしいものだ。ということは,鶴竜開眼の第一歩は先場所からはじまっていたことになる。そして,その延長線上に今場所があり,さらに磨きがかかったかのような今場所の終盤の力強い相撲の展開となった。
この相撲にさらなる磨きがかかると,間違いなく鶴竜はこれまでにないまったく新しいタイプの大横綱になるだろう。このことを断言しておこう。
その最大の根拠は鶴竜がモットーとして心がけている「平常心」。
「平常心是道」。これは禅僧の心構えである。中国では老子のタオイズムのスローガンの一つとして知られる。人間の能力が最大限に発揮される状態は「平常心」だ,というのである。なにものにもとらわれない,あるがままの状態。このとき全方位的に人間の感覚が研ぎすまされるという。鶴竜はこのことを熟知しているようだ。
ふつうにとって勝つ人が横綱なのだ。無理しなければ勝てない人は横綱ではない。と,鶴竜は語っている。「平常心」で相撲をとること。そして勝つこと。それが横綱だ,と鶴竜は考えている。そのためにこつこつと努力して稽古し,一つひとつ階段を上がるようにして,いろいろのことを身につけること,それがおのずから土俵に顕れる,相撲とはそれ以上でもそれ以下でもない,という。そして,それを実行してきた。少し時間がかかったが,そういう相撲がみごとに身についた,その証がこの二場所の鶴竜の相撲となって顕現した。
鶴竜のいう「平常心」。それは土俵上の鶴竜の顔に表れている。あの童顔がいい。まるでちびっ子相撲の力士のようだ。勝っても負けても同じ顔をしている。ほとんど感情を顔に出さない。それでいて内には気力を秘め,自分の相撲をとりきることに全力をあげる。ある意味では勝ち負けを超越しているかのようだ。いまある力を出し切ること,そこに集中している。
白鵬のように相手を睨み付けたりしない。日馬富士のように闘志を全面に表したりもしない。いつも,あの童顔のまま。そして,平常心を心がける。いつもあるがまま。こんな手ごわい相手はいない。まったくつかみ所がないのだから。
まったく新しいタイプの大横綱の誕生をこころから期待したい。
そして,来場所から鶴竜がみせてくれる相撲を大いに楽しみにしている。
まだまだ,これから二度も三度も「化ける」可能性を秘めている力士,それが鶴竜だ。どこまで強くなるのか,期待に胸が膨らむ。
まずは,おめでとう`! 鶴竜開眼。
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