3週間余の入院生活はわたしのからだを一変させてしまったようです。そのことに退院4日目にしてようやく気づきました。そこであわてて,いま発しているわたしのからだの声に耳を傾けてみました。これまでに聞いたことのない声がつぎつぎに聞こえるようになり,いささかあわてているところです。そして,少しずつわかってきたことは,わたしのからだは一度,ゼロにもどってしまって,そこからリセットをしているのだ,ということでした。
一度,ゼロにもどってしまったというのはどういうことかといいますと,つぎのようなことを意味します。全身麻酔をかけられたとき,わたしのからだの筋肉は全身弛緩してしまい,まったく意のままにならない,完全なる他者性にゆだねられることになります。それが,自己呼吸の停止であり,人工(マシーン)の手を借りて呼吸をさせられている状態です。もちろん,術中の4時間は,随意筋もすべて弛緩したままです。ということは,すべての筋肉細胞の活動が一時停止していたということを意味します。これが,わたしのいうゼロの意味です。
手術後も,意識はもどりましたが,わたしのからだは他者のままです。ですから,手術台からベッドに移され,そのままICU(集中治療室)に移動です。そして,午後から翌日の朝まで,完全監視体制のもとに管理されています。心電図は常時グラフを描きつづけ,15分おきに血圧と体温が測定され,その他のわたしの与り知らぬ医療機器がぐるりとわたしを取り囲み,なんらかのデータをはじきだしているのです。排尿ですら,尿管をつけられ自動的に済まされるようになっています。まさに,わたしの身体はわたしの身体であって,わたしの身体ではない,そういう状態に24時間体制で管理されていたわけです。このこともまた,わたしのいうゼロの意味です。
すなわち,二重三重にわたしは「身体の零度」を経験したことになります。
そこから自力で自分のからだを動かすことをはじめるわけです。
最初の課題は,ベッドから起き上がって,両足で床の上に立つ,というものでした。からだをちょっと動かすだけで全身に激痛が走ります。両腕をふとんから出して上に挙げただけで,肩から背中の筋肉に至るまで,激痛です。最初は,これは手術の傷の痛みが全身を駆けめぐっているのだ,と思っていました。だから,寝返りも打てません。さすがに最初のときは看護師さんが幇助してくださり,なんとか立つところまではできました。しかし,顔は激痛にゆがんでいます。そして,この激痛はすべて手術の傷のせいだと判断していました。しかし,いま,冷静に考えるとそれだけではなく,24時間近く弛緩状態にあった筋肉が動き始めるときの激痛でもあった,ということが素直にわかります。
それはすでにこのブログでも書きましたように,退院した日の夕刻,スーパーに食材の買い出しにでかけ,重い荷物をもって帰ってきた直後におきた全身の激痛がそれです。病院では歩行運動は熱心にやってきましたが,上半身の力を使う運動はなにもやっていませんでした。ですから,脳の記憶では大した重量ではない,と思っていてもからだの記憶としてはゼロからのスタートです。たいへんな重労働であったわけです。腹筋をはじめ,背筋,脇腹の筋肉,大胸筋,上腕二頭筋,ありとあらゆる筋肉がずーっと休眠状態だったところに,いきなりの負荷がかかったのですからたいへんです。
それと同じようなことが今日も起きました。ニンジンを輪切りにしてから皮を剥く,というごくなんでもない作業です。ところが・・・です。なんと,三つ目の輪切りの皮を剥きはじめたところで,左右の手の指が一気に痙攣しはじめたのです。最初はなんのことかわけがわからず,じっと眺めていました。次第に痛みが増してきましたので,あわてて湯冷まし状態になっていたやや暖かいやかんに手をあてがい暖をとることにしました。数分後に指の硬直がとれて自由になりました。
なるほど,リハビリテーションということの意味が身にしみて理解できました。親しい友人たちから「ゆるゆる」回復をめざしてください,というメッセージが送られてきたことの意味も,はじめて納得。
恥ずかしいことこの上もありません。
これまで長い間,からだについての自信過剰,健康過信に大あぐらをかいて生きてきたわたしに天誅がくだったのだ,と大いに反省しています。これからは,もう少し丁寧にからだの声に耳を傾ける努力をしたいと思います。それにしても「わたしのからだ」とはまことに不可思議なものであることは間違いありません。そして,まだまだ知る由もない「不思議な世界」が広がっていることも間違いありません。
と考えると人生はまだまだ楽しみがいっぱいです。捨てたものではありません。これからはじっくりとみずからのからだと向き合い,上手に折り合いをつけながら生きていこうと思います。こころもからだもリセットして,ゼロからのやり直しです。そして,「ゆるゆる」と。
一度,ゼロにもどってしまったというのはどういうことかといいますと,つぎのようなことを意味します。全身麻酔をかけられたとき,わたしのからだの筋肉は全身弛緩してしまい,まったく意のままにならない,完全なる他者性にゆだねられることになります。それが,自己呼吸の停止であり,人工(マシーン)の手を借りて呼吸をさせられている状態です。もちろん,術中の4時間は,随意筋もすべて弛緩したままです。ということは,すべての筋肉細胞の活動が一時停止していたということを意味します。これが,わたしのいうゼロの意味です。
手術後も,意識はもどりましたが,わたしのからだは他者のままです。ですから,手術台からベッドに移され,そのままICU(集中治療室)に移動です。そして,午後から翌日の朝まで,完全監視体制のもとに管理されています。心電図は常時グラフを描きつづけ,15分おきに血圧と体温が測定され,その他のわたしの与り知らぬ医療機器がぐるりとわたしを取り囲み,なんらかのデータをはじきだしているのです。排尿ですら,尿管をつけられ自動的に済まされるようになっています。まさに,わたしの身体はわたしの身体であって,わたしの身体ではない,そういう状態に24時間体制で管理されていたわけです。このこともまた,わたしのいうゼロの意味です。
すなわち,二重三重にわたしは「身体の零度」を経験したことになります。
そこから自力で自分のからだを動かすことをはじめるわけです。
最初の課題は,ベッドから起き上がって,両足で床の上に立つ,というものでした。からだをちょっと動かすだけで全身に激痛が走ります。両腕をふとんから出して上に挙げただけで,肩から背中の筋肉に至るまで,激痛です。最初は,これは手術の傷の痛みが全身を駆けめぐっているのだ,と思っていました。だから,寝返りも打てません。さすがに最初のときは看護師さんが幇助してくださり,なんとか立つところまではできました。しかし,顔は激痛にゆがんでいます。そして,この激痛はすべて手術の傷のせいだと判断していました。しかし,いま,冷静に考えるとそれだけではなく,24時間近く弛緩状態にあった筋肉が動き始めるときの激痛でもあった,ということが素直にわかります。
それはすでにこのブログでも書きましたように,退院した日の夕刻,スーパーに食材の買い出しにでかけ,重い荷物をもって帰ってきた直後におきた全身の激痛がそれです。病院では歩行運動は熱心にやってきましたが,上半身の力を使う運動はなにもやっていませんでした。ですから,脳の記憶では大した重量ではない,と思っていてもからだの記憶としてはゼロからのスタートです。たいへんな重労働であったわけです。腹筋をはじめ,背筋,脇腹の筋肉,大胸筋,上腕二頭筋,ありとあらゆる筋肉がずーっと休眠状態だったところに,いきなりの負荷がかかったのですからたいへんです。
それと同じようなことが今日も起きました。ニンジンを輪切りにしてから皮を剥く,というごくなんでもない作業です。ところが・・・です。なんと,三つ目の輪切りの皮を剥きはじめたところで,左右の手の指が一気に痙攣しはじめたのです。最初はなんのことかわけがわからず,じっと眺めていました。次第に痛みが増してきましたので,あわてて湯冷まし状態になっていたやや暖かいやかんに手をあてがい暖をとることにしました。数分後に指の硬直がとれて自由になりました。
なるほど,リハビリテーションということの意味が身にしみて理解できました。親しい友人たちから「ゆるゆる」回復をめざしてください,というメッセージが送られてきたことの意味も,はじめて納得。
恥ずかしいことこの上もありません。
これまで長い間,からだについての自信過剰,健康過信に大あぐらをかいて生きてきたわたしに天誅がくだったのだ,と大いに反省しています。これからは,もう少し丁寧にからだの声に耳を傾ける努力をしたいと思います。それにしても「わたしのからだ」とはまことに不可思議なものであることは間違いありません。そして,まだまだ知る由もない「不思議な世界」が広がっていることも間違いありません。
と考えると人生はまだまだ楽しみがいっぱいです。捨てたものではありません。これからはじっくりとみずからのからだと向き合い,上手に折り合いをつけながら生きていこうと思います。こころもからだもリセットして,ゼロからのやり直しです。そして,「ゆるゆる」と。
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