2014年3月2日日曜日

死の疑似体験3回。貧血2回,全身麻酔1回。

 人は自分の死を確認することはできない,といいます。それはそうでしょう。かりに「あっ,死ぬのかな」という予感があったとしても,死線を超えた瞬間にもはや自分は存在しないのですから。その死は他者によって確認されるしかありません。


 その死線を超える疑似体験を2月に3回も経験することになりました。
 まずは,2月4日に貧血で2回,倒れました。まさか,このわたしが貧血で倒れるなどということはまったく予期せざることでした。しかし,現実には倒れたのですから,世の中,いつ,なにが起きるかは予想だにつきません。


 2月4日の夕刻,睡眠不足もあって,午睡をとっていました。そこに親しい友人から電話が入りました。ベッドに横になったまま電話の子機で話をしていました。あまり長話をしていたために子機の電池が切れてしまいました。仕方がないので親機のところまで行こうとベッドから起き上がり,4,5歩進んだ瞬間でした。一瞬にして意識がなくなり,そのまま前のめりに倒れてしまいました。すぐに意識はもどったのですが,全身に痙攣がきていて,からだの自由がききません。それでもスローモーションのように,ゆっくりと体勢をととのえ,ベッドまで這ってもどりました。そのまま安静にしていたら,すぐに眠りに落ちました。


 つぎは,尿意をもよおして目が覚め,恐るおそるベッドの上に起き上がり,しばらくベッドに腰かけたまま様子をみました。意識はしっかりしています。そこでゆっくりと立ち上がってみました。別にふらつくこともなく立っていました。これなら歩いて行けると判断。そして,1,2歩足を運んだかと思った瞬間,倒れていました。この前と同じ。意識がもどったところで必死になってトイレまで這っていき,便座に腰を下ろして排尿。そして,ベッドまで這って戻りました。


 以後の排尿はトイレでは無理だと判断し,ビニール袋を用意して,それで済ませることにしました。そして,翌5日の午後,気分もよくなったので,もうそろそろ立って行けるのではないかとベッドに腰かけたまま様子をうかがってみました。が,なんと急に吐き気がして,あっという間に昼に食べたお粥を吐いていました。これで終わりだと思ったら,つづけて2回目の吐き気。こんどは真っ赤な血を吐いています。吐血です。直感したのは「胃潰瘍」。


 これは尋常ではないと判断し,緊急入院しました。病院ではすぐに内視鏡による胃の検査が行われ「胃潰瘍」と診断。すぐに,輸血がはしまりました。血液の数値がふつうの人の三分の一しかなかったといいます。問題は,この胃潰瘍という診断が二転三転して,最終的には「胃ガン」と診断されてしまったことです。これはいささかショックでした。


 そして,2月17日の手術です。全身麻酔です。事前に麻酔医からくわしくその段取りを聞いていましたので,その指示どおりに応答していきました。そして,最後に「大きく息を吸って」という声を聞いて,そのとおりに大きく息を吸いました。その瞬間,意識がなくなっていました。その一呼吸の間に,自己呼吸は停止し,人工呼吸に切り換えられます。ですから,自己呼吸をしていないという点では明らかに臨死体験にも等しいに違いない,とこれは自分の解釈。それから4時間後,肩をポンポンと叩かれ,名前を呼ばれました。「ハイ」と返事をすると「手術は無事に終わりましたよ」という声。そこですぐに「ああ,そうだった」ともとの意識にもどっていました。


 そして,結論。意識がなくなる瞬間は自分ではまったく関知しないできごとなのだ,ということ。つまり,死の瞬間もこんな風にして突然,やってくるに違いない,と。死ぬという意識もなにもないまま,あっという間に死線を超えていくのだろう,と。だとしたら,死ぬこと自体はなにも恐れるに足りないということ。つまり,死を意識する前に死線は超えてしまっているということ。


 これが本当であるかどうかはわかりません。が,少なくとも,いまのわたしは確信しています。死ぬというできごとはこんなものなのだ,と。だから,いまさら死ぬことを恐れる必要はまったくない,と。死ぬときは死ぬ,死なないときは死なない,ただ,それだけのことだ,と。


 わたしの尊敬していた大伯父が,「まんだぁ,お迎えが来んでなぁ,生きとるだぁやれ」と会うたびに言っていたことの意味が,ようやく少しだけ理解できたように思います。その意味では貴重な体験をさせてもらった,となんとなく感謝したい気持です。あまり自慢できるような体験ではありませんが,これからの人生を考える上では,なにものにも勝る宝物を「贈与」されたような気分です。


 今夜のお恥ずかし話はここまで。

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