浅田真央選手が変わった。ソチのときの浅田真央選手とも違う,まったく新しい姿の浅田真央選手が誕生した,というようにわたしの眼には写る。なにかもやもやしていたものが吹っ切れた,そんな感じである。わたしの好きなことばで言えば「自己を超え出た」のだろうと思う。厚く,重い壁を突き抜けて,まったく新しい地平に飛び出した,そんな印象である。だから,いまは,あらゆる呪縛から解き放たれて,スカッとした爽快な気分ではないかと思う。
今回のワールドカップ埼玉大会は浅田真央選手が,まったく新しい境地に到達した,そんな大躍進の場であった,と思う。
第一に滑りが変わった。緩急のめりはりのある,伸びやかで柔らかく,それでいて力強い滑り,ときには観客をぐいっと惹きつける所作もみせる。その瞬間,思わず息を飲む。こころの余裕といえばいいだろうか。なによりも浅田真央選手自身がこころの底から愉しくて仕方がないと思っているに違いない。そんなものが伝わってくる。そう,オーラが出始めたのだ。
第二に,インタヴューに対する応答の仕方が変わった。これまでは,自分が超えなくてはならない課題の話が多かった。そして,その課題を克服すべく頑張る,と。これはこれで誠実な応対で,好感がもてた。彼女の一貫した誠実さ,素直さ,そして賢い応答の仕方は,これまでもみんなに親しまれてきたとおりである。しかし,ワールドカップで変わった。自己のなかに,「自己を超え出た」自己を見出したのだろうと思う。だから,自己を対象化して,あるいは,突き放して,第三者的に語ることができるようになってきた。それはまるで哲学者の語りである。
彼女は,これまでどおりさりげなく語っているので,気づかない人も多い。しかし,気づく人は気づいている。昨日の研究会のあとの二次会で,今福さんとこの話になった。今福さんは「これまでと違う浅田真央選手の語りがでてきた」と仰る。そして「自分をじつに冷静に分析して語る」,このことに気づいて驚いている,と。わたしも「まったく同感です」と意気投合。こんごどうするんだろう,と今福さんは彼女の引退を気にしていた。わたしは「さあ」と言ってお茶をにごす。
しかし,わたしの回答は決まっている。彼女が「ハーフ&ハーフだ」と言ったときから,あっ,これは「引退」だな,と直感した。なぜなら,現役の意欲に燃えているアスリートが五分五分ですなどというはずがない。こう言った時点で,浅田真央選手のこころは決まっている,とわたしは受け止めた。しかし同時に,「引退」の二文字を公言できないなんらかの事情がある,とも感じた。これも直感でしかない。が,わたしの中では確信に近い。
それは,その後のインタヴューでも,次第に明らかになってきた。
たとえば,「世界でわたししかできないトリプルアクセルを成功させることができました。これが,長い間の夢であり,目標でした。ですから,いまはその達成感でいっぱいです」と。だから,「いまは,つぎの目標がありません」ともいう。そして,「また新しい意欲が湧いてくるかどうか,そこが分かれ目になるでしょう」とも。
こういう応答の仕方を聞いていて,わたしは「ああ,やはり,突き抜けてしまったなぁ」と思う。じつに冷静で,少しの曇りもない,透明な視線で自己をみつめ,分析してみせる。しかも,自己をみつめる「まなざし」は相当に深いところに達している,とわたしは直感する。そして,彼女には自己がどのような状態にあるかは,すっかりお見通しだと思う。しかし,そこのところの本音はぐっと禁欲的に抑えている。みごととしか言いようがない。
わたし自身は浅田真央選手の「引退」に異存はない。これまですでに数々の感動の場面に立ち会わせてもらってきた。そのつど,彼女は精一杯ぎりぎりの努力を積み上げ,新しい自己を見出し,磨きをかけてきたのだ。そして,そのフィナーレとも言うべき,今シーズンのソチ五輪からワールドカップにかけての,フィギュアスケート選手としてのクライマックスを迎えた。その晴れの舞台でなし遂げた浅田真央選手の「集大成」とも言うべきスケーティングに立ち会うことができた。それだけで大満足である。
しかし,どこかに「引退」してはならないというようなプレッシャーをかけている人びとがいるらしい。これは単なるわたしの憶測であり,同時に確信である。簡単に言っておこう。浅田真央選手で「一儲け」しようと企んでいる連中がいるということである。大きな大会が終わったので,これから露骨な駆け引きが水面下で展開されることになるだろう。そことの闘いが浅田真央選手を待ち受けている。あとは,浅田真央選手をとりまく「大人たち」がどう判断するかだ。その「大人たち」のひとりは橋本聖子会長である。連盟にとっては最大の金づる。そんなにかんたんに「引退」してもらっては困るのである。
まあ,あまり根拠のない憶測を書いても仕方がないのでやめておこう。でも,「五分五分です」と浅田真央選手が苦衷を吐露する背景には,もっとドロドロしたものがありそうだ。それらはそのうち週刊誌あたりが取り上げて騒いでくれるだろう。
でも,浅田真央選手には自己の信ずる「わが道」をまっすぐ進んで欲しい,とわたしは念じている。そして,それが実現することを。いまは猶予の時間。熟慮を重ねているふりをするためにも時間をかせぐことは必要である。でも,結論に妥協は不要である。
今回のワールドカップ埼玉大会は浅田真央選手が,まったく新しい境地に到達した,そんな大躍進の場であった,と思う。
第一に滑りが変わった。緩急のめりはりのある,伸びやかで柔らかく,それでいて力強い滑り,ときには観客をぐいっと惹きつける所作もみせる。その瞬間,思わず息を飲む。こころの余裕といえばいいだろうか。なによりも浅田真央選手自身がこころの底から愉しくて仕方がないと思っているに違いない。そんなものが伝わってくる。そう,オーラが出始めたのだ。
第二に,インタヴューに対する応答の仕方が変わった。これまでは,自分が超えなくてはならない課題の話が多かった。そして,その課題を克服すべく頑張る,と。これはこれで誠実な応対で,好感がもてた。彼女の一貫した誠実さ,素直さ,そして賢い応答の仕方は,これまでもみんなに親しまれてきたとおりである。しかし,ワールドカップで変わった。自己のなかに,「自己を超え出た」自己を見出したのだろうと思う。だから,自己を対象化して,あるいは,突き放して,第三者的に語ることができるようになってきた。それはまるで哲学者の語りである。
彼女は,これまでどおりさりげなく語っているので,気づかない人も多い。しかし,気づく人は気づいている。昨日の研究会のあとの二次会で,今福さんとこの話になった。今福さんは「これまでと違う浅田真央選手の語りがでてきた」と仰る。そして「自分をじつに冷静に分析して語る」,このことに気づいて驚いている,と。わたしも「まったく同感です」と意気投合。こんごどうするんだろう,と今福さんは彼女の引退を気にしていた。わたしは「さあ」と言ってお茶をにごす。
しかし,わたしの回答は決まっている。彼女が「ハーフ&ハーフだ」と言ったときから,あっ,これは「引退」だな,と直感した。なぜなら,現役の意欲に燃えているアスリートが五分五分ですなどというはずがない。こう言った時点で,浅田真央選手のこころは決まっている,とわたしは受け止めた。しかし同時に,「引退」の二文字を公言できないなんらかの事情がある,とも感じた。これも直感でしかない。が,わたしの中では確信に近い。
それは,その後のインタヴューでも,次第に明らかになってきた。
たとえば,「世界でわたししかできないトリプルアクセルを成功させることができました。これが,長い間の夢であり,目標でした。ですから,いまはその達成感でいっぱいです」と。だから,「いまは,つぎの目標がありません」ともいう。そして,「また新しい意欲が湧いてくるかどうか,そこが分かれ目になるでしょう」とも。
こういう応答の仕方を聞いていて,わたしは「ああ,やはり,突き抜けてしまったなぁ」と思う。じつに冷静で,少しの曇りもない,透明な視線で自己をみつめ,分析してみせる。しかも,自己をみつめる「まなざし」は相当に深いところに達している,とわたしは直感する。そして,彼女には自己がどのような状態にあるかは,すっかりお見通しだと思う。しかし,そこのところの本音はぐっと禁欲的に抑えている。みごととしか言いようがない。
わたし自身は浅田真央選手の「引退」に異存はない。これまですでに数々の感動の場面に立ち会わせてもらってきた。そのつど,彼女は精一杯ぎりぎりの努力を積み上げ,新しい自己を見出し,磨きをかけてきたのだ。そして,そのフィナーレとも言うべき,今シーズンのソチ五輪からワールドカップにかけての,フィギュアスケート選手としてのクライマックスを迎えた。その晴れの舞台でなし遂げた浅田真央選手の「集大成」とも言うべきスケーティングに立ち会うことができた。それだけで大満足である。
しかし,どこかに「引退」してはならないというようなプレッシャーをかけている人びとがいるらしい。これは単なるわたしの憶測であり,同時に確信である。簡単に言っておこう。浅田真央選手で「一儲け」しようと企んでいる連中がいるということである。大きな大会が終わったので,これから露骨な駆け引きが水面下で展開されることになるだろう。そことの闘いが浅田真央選手を待ち受けている。あとは,浅田真央選手をとりまく「大人たち」がどう判断するかだ。その「大人たち」のひとりは橋本聖子会長である。連盟にとっては最大の金づる。そんなにかんたんに「引退」してもらっては困るのである。
まあ,あまり根拠のない憶測を書いても仕方がないのでやめておこう。でも,「五分五分です」と浅田真央選手が苦衷を吐露する背景には,もっとドロドロしたものがありそうだ。それらはそのうち週刊誌あたりが取り上げて騒いでくれるだろう。
でも,浅田真央選手には自己の信ずる「わが道」をまっすぐ進んで欲しい,とわたしは念じている。そして,それが実現することを。いまは猶予の時間。熟慮を重ねているふりをするためにも時間をかせぐことは必要である。でも,結論に妥協は不要である。
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