毎週金曜日に首相官邸前で脱原発を訴えつづけている三つの団体が,3月9日(日)に国会周辺でデモを行うという呼掛けは,ネットをとおして流れていました。わたしも出かけようかとこころが動きましたが,この寒さにまだ適応できないからだのことを考え,自宅に篭もっていました。ただ,気持だけは日比谷野外音楽堂にとどけ,と念じていました。
今日の新聞によれば,国会周辺デモに3万2000人が集まった(主催者発表),ということです。この数をみて驚きました。というのも,この間の都知事選挙で,脱原発派の候補者が二つに割れたとはいえ,総得票数はわたしが期待していたほどには伸びなかったからです。もっとも,対立候補と目されていた舛添候補をして「わたしも脱原発派です」と言わしめたことによって,脱原発が都知事選の「争点」にはならなかったことも大きかったと思います。
しかし,よく考えてみますと,舛添氏まで「脱原発です」と言わなければ選挙は戦えない,という情況をつくったことは,こんどの都知事選のひとつの大きな収穫であった,ともいえます。主要候補のうち,原発推進を声高に主張したのは田母神候補だけでした。ということは,安倍首相の代弁者以外の候補は,左も右もみんな「脱原発」だ,という現実を導き出したことになります。この事実は重いと思います。
つまり,自民党の中にも,民主党の中にも「脱原発」派の議員はかなりの数を占めていること,ただ,声高に主張できないまま,どこかでチャンスを狙っていること,言うなれば「もの言わぬ脱原発議員」が存在するという事実が明らかになったということです。そして,この議員さんたちが,どのタイミングで本音を主張するようになるのか,そこに,わたしは少なからぬ期待をもっています。
そん風な期待をいだいた人はわたしだけではないと思います。つまり,都知事選の結果は,新たな脱原発運動の出発点になる,と。市民運動を展開してきた人たちも,おそらく,そのような期待をいだいたことと思います。そして,その輪が,これから少しずつ一般市民の間にも広がっていくものと,期待した人も少なくないと思います。
その一つの答えが,3月9日(日)の国会周辺に集結した脱原発デモ,3万2000人という数となって現れたのだ,とわたしは感動すら覚えました。体調さえよかったら,わたしもこの中の一人になれたのに・・・・といささか忸怩たるものがあります。早く体調をもどして,金曜日には首相官邸前に出かけられるようにしよう,といまから楽しみにしているところです。
これからは日に日に暖かくなってきますので,国会周辺に集まってくる人も増えていくのではないか,とこちらも期待したいところです。
いまや,脱原発運動は世界的な展開をみせています。逆に,本家本元の日本の脱原発運動があまりに停滞しているのではないか,と諸外国から批判されるほどです。もはや,脱原発運動は,一国の問題ではありません。国際社会を巻き込んだ,人類全体のテーマでもあります。端的に言ってしまえば,「金」と「命」を天秤にかけて,さあ,どちらを選ぶのかという大きな岐路に,いま,全人類が立たされています。「経済発展」という呪いのかかった呪縛をいかにして打破し,「人命尊重」という思想をわがものとするか,ただ,これだけのことです。
どこまでも既得権益を守ろうとする権力(世界の原子力ムラ)と,その権力に「自発的に隷従」して,そのおこぼれを頂戴しようという歪んだ構造が,もはや臨界点に達しつつあります。もう,すでに,その一角が音を立てて崩れ落ちつつあります。そのことに気づいた人は,間違いなく脱原発に舵を切って,行動に移しつつある,とわたしは受け止めています。
3万2000人という数が,3・11を直前にした一時的現象ではなく,これが出発点となって,これからますます大きな輪になって全国展開することをこころから期待したいと思います。わたしも微力ながら,そのひとりになりたいと念じています。
今日の新聞によれば,国会周辺デモに3万2000人が集まった(主催者発表),ということです。この数をみて驚きました。というのも,この間の都知事選挙で,脱原発派の候補者が二つに割れたとはいえ,総得票数はわたしが期待していたほどには伸びなかったからです。もっとも,対立候補と目されていた舛添候補をして「わたしも脱原発派です」と言わしめたことによって,脱原発が都知事選の「争点」にはならなかったことも大きかったと思います。
しかし,よく考えてみますと,舛添氏まで「脱原発です」と言わなければ選挙は戦えない,という情況をつくったことは,こんどの都知事選のひとつの大きな収穫であった,ともいえます。主要候補のうち,原発推進を声高に主張したのは田母神候補だけでした。ということは,安倍首相の代弁者以外の候補は,左も右もみんな「脱原発」だ,という現実を導き出したことになります。この事実は重いと思います。
つまり,自民党の中にも,民主党の中にも「脱原発」派の議員はかなりの数を占めていること,ただ,声高に主張できないまま,どこかでチャンスを狙っていること,言うなれば「もの言わぬ脱原発議員」が存在するという事実が明らかになったということです。そして,この議員さんたちが,どのタイミングで本音を主張するようになるのか,そこに,わたしは少なからぬ期待をもっています。
そん風な期待をいだいた人はわたしだけではないと思います。つまり,都知事選の結果は,新たな脱原発運動の出発点になる,と。市民運動を展開してきた人たちも,おそらく,そのような期待をいだいたことと思います。そして,その輪が,これから少しずつ一般市民の間にも広がっていくものと,期待した人も少なくないと思います。
その一つの答えが,3月9日(日)の国会周辺に集結した脱原発デモ,3万2000人という数となって現れたのだ,とわたしは感動すら覚えました。体調さえよかったら,わたしもこの中の一人になれたのに・・・・といささか忸怩たるものがあります。早く体調をもどして,金曜日には首相官邸前に出かけられるようにしよう,といまから楽しみにしているところです。
これからは日に日に暖かくなってきますので,国会周辺に集まってくる人も増えていくのではないか,とこちらも期待したいところです。
いまや,脱原発運動は世界的な展開をみせています。逆に,本家本元の日本の脱原発運動があまりに停滞しているのではないか,と諸外国から批判されるほどです。もはや,脱原発運動は,一国の問題ではありません。国際社会を巻き込んだ,人類全体のテーマでもあります。端的に言ってしまえば,「金」と「命」を天秤にかけて,さあ,どちらを選ぶのかという大きな岐路に,いま,全人類が立たされています。「経済発展」という呪いのかかった呪縛をいかにして打破し,「人命尊重」という思想をわがものとするか,ただ,これだけのことです。
どこまでも既得権益を守ろうとする権力(世界の原子力ムラ)と,その権力に「自発的に隷従」して,そのおこぼれを頂戴しようという歪んだ構造が,もはや臨界点に達しつつあります。もう,すでに,その一角が音を立てて崩れ落ちつつあります。そのことに気づいた人は,間違いなく脱原発に舵を切って,行動に移しつつある,とわたしは受け止めています。
3万2000人という数が,3・11を直前にした一時的現象ではなく,これが出発点となって,これからますます大きな輪になって全国展開することをこころから期待したいと思います。わたしも微力ながら,そのひとりになりたいと念じています。
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