ことしも,早くも3・11を迎えようとしています。あれからすでに丸3年が経過しようとしています。なのに「復興」の掛け声だけが連呼されるなか,現実の「復興」は遅々として進んではいないようです。この時期になると,メディアはかならず3・11特集を組み,通り一遍の報道をし,それなりの問題提起をします。しかし,それらのほとんどはとってつけたような,絵空事としか思えないような,薄っぺらい報道でしかありません。
そんな中にあって,『世界』4月号の特集・復興はなされたのか──3年目の問い,はひときわ気合が入っていて,読む者を圧倒してきます。山形孝夫,外岡秀俊,小熊英二,臼澤良一,大森直樹,白石章,ほかの執筆陣が,それぞれの立場から目の覚めるような論考を展開しています。とりわけ,この特集の冒頭を飾る山形孝夫さんの凝縮した文章が印象的です。題して「記憶の森の未来のために──終わらない喪」。
ちなみに,山形さんの文章の最後の段落を引いてみましょう。
大震災から四度目の春がくる。被災地ではようやく瓦礫の山が視界から消えつつある。それとともに,自分以外の誰にも属さない個別の記憶も,いま抵抗できない仕方で,忘却の過去へ遠のき,深い喪失の運命をたどりつつある。あらためて思えば,大震災によって消滅した現実は,ほんとうは,こうした小さな記憶の共同体──記憶の森であったのだ。東日本の海岸線の小さな集落が,小さな家族が,小さな学校が,小さな野の道がどのように消え,壊れていったか。現に,どのように消えつつあるのか。それを,どのように記憶するか。そのことがいま問われている。それができなければ,わたしたちの大きな物語も,死者たちの声のように,やがて忘却の彼方に消えてゆくだろう。
一人ひとりの「個別の記憶」,こうした「小さな記憶の共同体──記憶の森」が消えていく,と山形さんは嘆きます。いま,問われているのは,これらの記憶がどのように「消えつつあるのか」,それをどのように「記憶するか」ということだ,と。それができなければ,「死者たちの声」のように,「忘却の彼方に消えて」ゆくしかないのだ,と。しかし,そんなことがあってはならない,という強い決意が山形さんの文章から伝わってきます。この「記憶」を起点にして,つぎの第一歩を踏み出さないことには「喪」は終わらない,と。
ここまで深く「死者たちの声」に耳を傾け,みずからの問題として引き受ける山形さんの姿勢に,強く打たれるものがあります。こういう文章に接しますと,わたしもまた,単なる傍観者にすぎないではないか,とこころが痛みます。遅ればせながら,いまからでもいい,もっと気持をこめて「死者たちの声」に身を寄せていく努力をすべきだと深く反省させられます。
もっとも,この文章を読みながら,わたしの脳裏に浮かんでいるのは,山形孝夫さんと西谷修さんとの対談になる『3・11以後この絶望の国で──死者の語りの地平から』(ぷねうま舎,2014年2月刊)に籠められたお二人の濃密な議論です。つまり,「死者たちの声」をしっかりと「記憶」にとどめ,そこを起点にしてみずからの生きるスタンスや行動の規範を導きだそうとする,お二人の熱の籠もった議論です。その議論は,3・11から始まって,宗教の問題から,政治・経済の問題はもとより,ナショナリズムやパトリオティズムを論じ,やがてはヨーロッパ近代の果たした役割はなにであったのかと問い,世界や世界史へと展開していきます。なかでも,キリスト教の正統派とグノーシス派の葛藤に隠された謎が,近年になって解明されつつあり,グノーシス派の教義こそイエス・キリストの教えに忠実であって,正統派はローマ帝国の権力にすり寄るために改竄されたものらしい,という議論は鮮烈でした。なぜなら,世界を制覇しつつあるキリスト教文化圏の論理が根底からくつがえされる可能性がでてきたからです。山形さんのいう「死者たちの声」の射程距離はそこまで伸びているということです。
このことは同時に,わたしのようなスポーツ史・スポーツ文化論の領域にも根源的な問いを突きつけていることを意味します。たとえば,オリンピック・ムーブメントとは,いったい,だれのためのものであったのか,それはまことにむなしい虚構にすぎなかったのではないか,と。
「復興」を考えるということは,個々の生きられた「記憶」から「記憶の共同体──記憶の森」を引き受けた上で,さらなる「記憶の定着」を確保することだ,とまずは指摘しておきたいと思います。そして,そのためのさまざまなヴァリエーションが,この『世界』4月号には満載されています。そういう問題意識を共有しながら,みずからの思考を深めるには絶好のテクストである,とわたしは考えています。
ぜひ,みなさんにもご一読をお薦めしたいと思います。
長くなりましたので,今日のところはここまで。
そんな中にあって,『世界』4月号の特集・復興はなされたのか──3年目の問い,はひときわ気合が入っていて,読む者を圧倒してきます。山形孝夫,外岡秀俊,小熊英二,臼澤良一,大森直樹,白石章,ほかの執筆陣が,それぞれの立場から目の覚めるような論考を展開しています。とりわけ,この特集の冒頭を飾る山形孝夫さんの凝縮した文章が印象的です。題して「記憶の森の未来のために──終わらない喪」。
ちなみに,山形さんの文章の最後の段落を引いてみましょう。
大震災から四度目の春がくる。被災地ではようやく瓦礫の山が視界から消えつつある。それとともに,自分以外の誰にも属さない個別の記憶も,いま抵抗できない仕方で,忘却の過去へ遠のき,深い喪失の運命をたどりつつある。あらためて思えば,大震災によって消滅した現実は,ほんとうは,こうした小さな記憶の共同体──記憶の森であったのだ。東日本の海岸線の小さな集落が,小さな家族が,小さな学校が,小さな野の道がどのように消え,壊れていったか。現に,どのように消えつつあるのか。それを,どのように記憶するか。そのことがいま問われている。それができなければ,わたしたちの大きな物語も,死者たちの声のように,やがて忘却の彼方に消えてゆくだろう。
一人ひとりの「個別の記憶」,こうした「小さな記憶の共同体──記憶の森」が消えていく,と山形さんは嘆きます。いま,問われているのは,これらの記憶がどのように「消えつつあるのか」,それをどのように「記憶するか」ということだ,と。それができなければ,「死者たちの声」のように,「忘却の彼方に消えて」ゆくしかないのだ,と。しかし,そんなことがあってはならない,という強い決意が山形さんの文章から伝わってきます。この「記憶」を起点にして,つぎの第一歩を踏み出さないことには「喪」は終わらない,と。
ここまで深く「死者たちの声」に耳を傾け,みずからの問題として引き受ける山形さんの姿勢に,強く打たれるものがあります。こういう文章に接しますと,わたしもまた,単なる傍観者にすぎないではないか,とこころが痛みます。遅ればせながら,いまからでもいい,もっと気持をこめて「死者たちの声」に身を寄せていく努力をすべきだと深く反省させられます。
もっとも,この文章を読みながら,わたしの脳裏に浮かんでいるのは,山形孝夫さんと西谷修さんとの対談になる『3・11以後この絶望の国で──死者の語りの地平から』(ぷねうま舎,2014年2月刊)に籠められたお二人の濃密な議論です。つまり,「死者たちの声」をしっかりと「記憶」にとどめ,そこを起点にしてみずからの生きるスタンスや行動の規範を導きだそうとする,お二人の熱の籠もった議論です。その議論は,3・11から始まって,宗教の問題から,政治・経済の問題はもとより,ナショナリズムやパトリオティズムを論じ,やがてはヨーロッパ近代の果たした役割はなにであったのかと問い,世界や世界史へと展開していきます。なかでも,キリスト教の正統派とグノーシス派の葛藤に隠された謎が,近年になって解明されつつあり,グノーシス派の教義こそイエス・キリストの教えに忠実であって,正統派はローマ帝国の権力にすり寄るために改竄されたものらしい,という議論は鮮烈でした。なぜなら,世界を制覇しつつあるキリスト教文化圏の論理が根底からくつがえされる可能性がでてきたからです。山形さんのいう「死者たちの声」の射程距離はそこまで伸びているということです。
このことは同時に,わたしのようなスポーツ史・スポーツ文化論の領域にも根源的な問いを突きつけていることを意味します。たとえば,オリンピック・ムーブメントとは,いったい,だれのためのものであったのか,それはまことにむなしい虚構にすぎなかったのではないか,と。
「復興」を考えるということは,個々の生きられた「記憶」から「記憶の共同体──記憶の森」を引き受けた上で,さらなる「記憶の定着」を確保することだ,とまずは指摘しておきたいと思います。そして,そのためのさまざまなヴァリエーションが,この『世界』4月号には満載されています。そういう問題意識を共有しながら,みずからの思考を深めるには絶好のテクストである,とわたしは考えています。
ぜひ,みなさんにもご一読をお薦めしたいと思います。
長くなりましたので,今日のところはここまで。
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