「沖縄の人に会ったら,抱きつきたい」と去るシンポジウムのコメンテーターをつとめた和田春樹さんが発言され,以後,ずーっとこのことばがわたしの耳の奥で鳴り響いている。和田さんの真意がどこにあったのかはわからない。コメンテーターとして与えられた時間があまりに少なかったために,要点だけを語り,語りきれなかった思いのすべてを総括するようにして,わたしの結論は「沖縄の人に会ったら,抱きつきたい」,と発言を締めくくったのだ。
だから,和田さんのこの発言は,聞く人によってそれぞれ受け止め方が違うようだ。現に,和田さんのこの発言を聞いたあとの,他のシンポジストの発言は微妙にすれ違っていた。それはともかくとして,では,お前はどのように受け止めたのか,とみずからに問いかけ,みずから確認しておくことが肝要だろう。
1972年5月15日,沖縄が本土に復帰。そのときの沖縄県民の願いは「本土並み」になること。つまり,米軍政下の支配から解き放たれ,日本国憲法に守られ,基本的人権が保護され,かつ,軍事基地負担から解放されること。これが「本土並み」の中味だ。最小限,これだけは実現されるはずだ,とこのときの沖縄県民は夢を描いた。それから42年目の今日(5月15日)になっても,事態はなにも改善されない。それどころか,事態はもっと悪化しているというのが現実だ。1972年当時は日本全体の59%だった米軍基地が,いまでは74%に増大している。おまけに基地移転問題に対する沖縄県民の意志は完全に踏みにじられ,日本政府は前倒しをして工事着工をもくろんでいる。こんな悲惨な状態におかれている沖縄の現状にたいして,本土の人間は「見て見ぬふり」をして知らん顔。自分たちも負担すべき米軍基地の74%も沖縄に押しつけて知らん顔。だから,5月15日がどういう日であるかも知らない。知ろうともしない。
かくして,沖縄県民は「本土」の人間に見切りをつけ,沖縄独立を視野に入れた新たな試みをはじめている,という。たとえば,沖縄独立学会は「日本国は琉球国から独立すべきだ」という声明文を明らかにしている。この逆説的な表現がなにを意味しているかは明らかだろう。日本国はいつまでも琉球国に凭れかかったままで,甘えているんではない。さっさと独立せよ,と。
こうした経緯をみるだけでも,わたしは琉球の人たちに「おんぶにだっこ」までしてもらって,安穏な生活を享受してきたではないか,といたく反省する。その琉球の人たちが日本国の人たちに見切りをつけて独立を模索するとなったら,日本国のわたしたちはどうすればいいのか。そのとき,困り果てて,はじめて路頭に迷うことになる。
そうして悩み,苦しんでいるときに,琉球の人に出会ったら「抱きつきたい」と衝動的に思うだろう。そうして,日本国を見捨てないで,と。わたしは,和田春樹さんのことばを,こういうコンテクストのなかで受け止める。
去るシンボジウムのコメンテーターのお一人の方は,「沖縄の人に会ったら,だっこしてあげたい」と言い切った。おやおや,この人はなにを勘違いしているのだろうかと思いつつ,ひょっとしたら,琉球の基地をすべて本土で引き受けてやろうではないか,とでも言いたかったのだろうか,などと想像している。
5月15日。少なくとも,この日だけは沖縄のことを本気で考える日にしたい,と念じている。ましてや,忘れることがあってはならない,と肝に銘じておきたい。
だから,和田さんのこの発言は,聞く人によってそれぞれ受け止め方が違うようだ。現に,和田さんのこの発言を聞いたあとの,他のシンポジストの発言は微妙にすれ違っていた。それはともかくとして,では,お前はどのように受け止めたのか,とみずからに問いかけ,みずから確認しておくことが肝要だろう。
1972年5月15日,沖縄が本土に復帰。そのときの沖縄県民の願いは「本土並み」になること。つまり,米軍政下の支配から解き放たれ,日本国憲法に守られ,基本的人権が保護され,かつ,軍事基地負担から解放されること。これが「本土並み」の中味だ。最小限,これだけは実現されるはずだ,とこのときの沖縄県民は夢を描いた。それから42年目の今日(5月15日)になっても,事態はなにも改善されない。それどころか,事態はもっと悪化しているというのが現実だ。1972年当時は日本全体の59%だった米軍基地が,いまでは74%に増大している。おまけに基地移転問題に対する沖縄県民の意志は完全に踏みにじられ,日本政府は前倒しをして工事着工をもくろんでいる。こんな悲惨な状態におかれている沖縄の現状にたいして,本土の人間は「見て見ぬふり」をして知らん顔。自分たちも負担すべき米軍基地の74%も沖縄に押しつけて知らん顔。だから,5月15日がどういう日であるかも知らない。知ろうともしない。
かくして,沖縄県民は「本土」の人間に見切りをつけ,沖縄独立を視野に入れた新たな試みをはじめている,という。たとえば,沖縄独立学会は「日本国は琉球国から独立すべきだ」という声明文を明らかにしている。この逆説的な表現がなにを意味しているかは明らかだろう。日本国はいつまでも琉球国に凭れかかったままで,甘えているんではない。さっさと独立せよ,と。
こうした経緯をみるだけでも,わたしは琉球の人たちに「おんぶにだっこ」までしてもらって,安穏な生活を享受してきたではないか,といたく反省する。その琉球の人たちが日本国の人たちに見切りをつけて独立を模索するとなったら,日本国のわたしたちはどうすればいいのか。そのとき,困り果てて,はじめて路頭に迷うことになる。
そうして悩み,苦しんでいるときに,琉球の人に出会ったら「抱きつきたい」と衝動的に思うだろう。そうして,日本国を見捨てないで,と。わたしは,和田春樹さんのことばを,こういうコンテクストのなかで受け止める。
去るシンボジウムのコメンテーターのお一人の方は,「沖縄の人に会ったら,だっこしてあげたい」と言い切った。おやおや,この人はなにを勘違いしているのだろうかと思いつつ,ひょっとしたら,琉球の基地をすべて本土で引き受けてやろうではないか,とでも言いたかったのだろうか,などと想像している。
5月15日。少なくとも,この日だけは沖縄のことを本気で考える日にしたい,と念じている。ましてや,忘れることがあってはならない,と肝に銘じておきたい。
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