パウル・クレーの描いた「新しい天使」を,ヴァルター・ベンヤミンが「歴史の天使はこのような様子であるに違いない」と評したことを多木浩二さんが取り上げ,「歴史の天使」というタイトルの短いエッセイを書いている(『多木浩二 映像の歴史哲学』,今福龍太編,みすず書房,2013年,oS.)。そして,この「新しい天使」の絵は本文の脚注のところに小さく紹介されている(P.122.)。しかし,あまりに小さすぎて,うまくイメージがつかめない。そこで,もう少し大きな絵がないだろうかと思って探したみた。
たまたま手元にあるパウル・クレーの画集をめくっていたら,めざす絵はみつからず,別の「天使」の絵がみつかった。題して「十字架のもう一人の天使」とある。鉛筆で描かれた,いかにもクレーらしい絵である(写真参照。1939年,45.6×30.3㎝)。
ぼんやり眺めているうちに,さまざまなことを連想しはじめている自分に気づき,おやっ?と思う。一般的な十字架の絵から連想される残酷な痛ましい受難のイエス・キリストの像とはまったく次元が異なる絵なのに,なぜか妙に惹きつけるものがある。なぜだろう,と考えていたら,ひょっこりと思いがけない記憶にたどりついた。
それは『ユダ福音書』である。山形孝夫さんと西谷修さんとの対談をまとめた『3・11以後 この絶望の国で』──死者の語りの地平から(ぷねうま舎,2014年)のなかで,この『ユダ福音書』がとりあげられ,熱く語られている。言ってみれば,この本の肝に相当するきわめて重要な部分である。だから,この話を読んだわたしは衝撃のあまり,しばし呆然としてしまったほどである。そして,歴史とはなにか,と頭を抱え込んでしまったほどである。
詳しくは,山形孝夫さんの語りの部分と,そこにも紹介されている山形さんが翻訳された『『ユダ福音書』の謎を解く』(E.ベイゲルス/K.L.キング著,河出書房新社,2013年)にゆずるが,その骨子は以下のとおりである。
わたしたちは,ユダがイエス・キリストを裏切って密告をし,イエスの逮捕・身柄の拘束・裁判,そして処刑というイエスの受難物語を,信じて疑おうとはしていない。それほどに『正典福音書』が広く知られていて,すべてのキリスト教徒がその教えに沿って生きている姿に馴染んでしまっている。そして,ユダとユダヤ人を悪者に仕立て上げ,「裏切り者」のレッテルを貼って,それで納得してしまっている。わたしも,そういうものなのだ,と思い込んでいた。しかし,それはキリスト教が生き延びるために時の権力にすり寄っていき,ほんとうのイエス・キリストの教えを歪曲してでっちあげた,まやかしの物語である,という新たな証拠が見つかったというのである。それが,つい最近になって発見された『ユダ福音書』だというのである。
そして,いま,この『ユダ福音書』読解の研究が深まりつつあり,ますます,このテクストのみがイエス・キリストの教えを純粋に受け止め,伝えているのだ,という結論に至りつつある,というのである。それによれば,イエスは贖罪も殉教も否定しており,それとはまったく逆に,イエスにとって十字架は朽ち果つべき肉体からの自由を意味していた,というのである。つまり,朽ち果つるべき肉体にたいして,それからどのように脱出し,霊的自由を獲得するかが救済なのだ,と説いているというのだ。
だとしたら,キリスト教はこの2000年の長きにわたって虚構の歴史を刻んできたことになる。そして,それはもはや取り返しのつかない歴史である。しかも,ローマ・カソリックが,こんご『正典福音書』を改めて,『ユダ福音書』に宗旨がえをする,などという保障はどこにもない。まず,不可能であろう。あるとすれば,グノーシス派が息を吹き返し,いささかの隆盛をみるかもしれないという程度にすぎないであろう。もうすでに出来上がってしまったキリスト教の「権威」はあまりにも堅固であるためにゆるぎもしないだろうし,ゆるがせもしないだろう。この虚実逆転の宗教思想がヨーロッパの歴史をリードしてきたという現実の前で,わたしはたじろいでしまう。歴史とはこんなものだったのか,と。
それは日本の古代史も同じだ。でっちあげにつぐでっちあげの連続。権力・権威を維持するためには不可欠の手法だ。だからこそ,「歴史の天使」が焦っているのだ。時の権力によって推進される「進歩」という名の「強風」に煽られてしまって,もとに戻れないどころか吹き飛ばされてしまった結果,取り返しのつかないとんでもないカタストローフを目前にしてしまうことに・・・・。
この話はともかくとして,クレーの描いた「十字架のもう一人の天使」は,この『ユダ福音書』の説く「霊的自由を獲得し,救済」されることを目指した真のイエス・キリストの姿に重なってみえてくる。このことがわたしの言いたかったことである。
ちなみに,クレーはつぎのような詩を残している。
この世はぼくを捉えようもない。
死者たちや,生まれてもいない者たちのところで
ちょうどよく暮らしているのだから。
創造の中心にふつうよりちょっと近く。
でもまだ十分に近くにはない。
ぼくから発するのは温かみか,冷たさか?
すべての炎を超えてしまったら,もう分からない。
遠く離れているほどぼくは敬虔な気持ちになる。
この世では時々ひとの不幸を喜んでいるけれど。
でもそれは同じひとつのことの濃淡(ニュアンス)に過ぎない。
坊さんたちはそれに気づくほど敬虔じゃないだけだ。
それで少しばかり腹を立てるのさ,律法学者の奴ら。
(1920年)
たまたま手元にあるパウル・クレーの画集をめくっていたら,めざす絵はみつからず,別の「天使」の絵がみつかった。題して「十字架のもう一人の天使」とある。鉛筆で描かれた,いかにもクレーらしい絵である(写真参照。1939年,45.6×30.3㎝)。
ぼんやり眺めているうちに,さまざまなことを連想しはじめている自分に気づき,おやっ?と思う。一般的な十字架の絵から連想される残酷な痛ましい受難のイエス・キリストの像とはまったく次元が異なる絵なのに,なぜか妙に惹きつけるものがある。なぜだろう,と考えていたら,ひょっこりと思いがけない記憶にたどりついた。
それは『ユダ福音書』である。山形孝夫さんと西谷修さんとの対談をまとめた『3・11以後 この絶望の国で』──死者の語りの地平から(ぷねうま舎,2014年)のなかで,この『ユダ福音書』がとりあげられ,熱く語られている。言ってみれば,この本の肝に相当するきわめて重要な部分である。だから,この話を読んだわたしは衝撃のあまり,しばし呆然としてしまったほどである。そして,歴史とはなにか,と頭を抱え込んでしまったほどである。
詳しくは,山形孝夫さんの語りの部分と,そこにも紹介されている山形さんが翻訳された『『ユダ福音書』の謎を解く』(E.ベイゲルス/K.L.キング著,河出書房新社,2013年)にゆずるが,その骨子は以下のとおりである。
わたしたちは,ユダがイエス・キリストを裏切って密告をし,イエスの逮捕・身柄の拘束・裁判,そして処刑というイエスの受難物語を,信じて疑おうとはしていない。それほどに『正典福音書』が広く知られていて,すべてのキリスト教徒がその教えに沿って生きている姿に馴染んでしまっている。そして,ユダとユダヤ人を悪者に仕立て上げ,「裏切り者」のレッテルを貼って,それで納得してしまっている。わたしも,そういうものなのだ,と思い込んでいた。しかし,それはキリスト教が生き延びるために時の権力にすり寄っていき,ほんとうのイエス・キリストの教えを歪曲してでっちあげた,まやかしの物語である,という新たな証拠が見つかったというのである。それが,つい最近になって発見された『ユダ福音書』だというのである。
そして,いま,この『ユダ福音書』読解の研究が深まりつつあり,ますます,このテクストのみがイエス・キリストの教えを純粋に受け止め,伝えているのだ,という結論に至りつつある,というのである。それによれば,イエスは贖罪も殉教も否定しており,それとはまったく逆に,イエスにとって十字架は朽ち果つべき肉体からの自由を意味していた,というのである。つまり,朽ち果つるべき肉体にたいして,それからどのように脱出し,霊的自由を獲得するかが救済なのだ,と説いているというのだ。
だとしたら,キリスト教はこの2000年の長きにわたって虚構の歴史を刻んできたことになる。そして,それはもはや取り返しのつかない歴史である。しかも,ローマ・カソリックが,こんご『正典福音書』を改めて,『ユダ福音書』に宗旨がえをする,などという保障はどこにもない。まず,不可能であろう。あるとすれば,グノーシス派が息を吹き返し,いささかの隆盛をみるかもしれないという程度にすぎないであろう。もうすでに出来上がってしまったキリスト教の「権威」はあまりにも堅固であるためにゆるぎもしないだろうし,ゆるがせもしないだろう。この虚実逆転の宗教思想がヨーロッパの歴史をリードしてきたという現実の前で,わたしはたじろいでしまう。歴史とはこんなものだったのか,と。
それは日本の古代史も同じだ。でっちあげにつぐでっちあげの連続。権力・権威を維持するためには不可欠の手法だ。だからこそ,「歴史の天使」が焦っているのだ。時の権力によって推進される「進歩」という名の「強風」に煽られてしまって,もとに戻れないどころか吹き飛ばされてしまった結果,取り返しのつかないとんでもないカタストローフを目前にしてしまうことに・・・・。
この話はともかくとして,クレーの描いた「十字架のもう一人の天使」は,この『ユダ福音書』の説く「霊的自由を獲得し,救済」されることを目指した真のイエス・キリストの姿に重なってみえてくる。このことがわたしの言いたかったことである。
ちなみに,クレーはつぎのような詩を残している。
この世はぼくを捉えようもない。
死者たちや,生まれてもいない者たちのところで
ちょうどよく暮らしているのだから。
創造の中心にふつうよりちょっと近く。
でもまだ十分に近くにはない。
ぼくから発するのは温かみか,冷たさか?
すべての炎を超えてしまったら,もう分からない。
遠く離れているほどぼくは敬虔な気持ちになる。
この世では時々ひとの不幸を喜んでいるけれど。
でもそれは同じひとつのことの濃淡(ニュアンス)に過ぎない。
坊さんたちはそれに気づくほど敬虔じゃないだけだ。
それで少しばかり腹を立てるのさ,律法学者の奴ら。
(1920年)
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