2014年5月7日水曜日

『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』(島田裕巳著,幻冬舎新書,2014年3月)を読む。

 わたしの育った穂の国(愛知県の東三河地方)では八幡神社のことを「八幡さま」とか「八幡さん」とか「八幡社」と呼んでいたように記憶します。そして,とても多かったという印象もあります。そうしたら,見出しタイトルに挙げましたように『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』という名の本を書店でみつけました。そうか,やっぱり八幡神社が多いはずだ,と納得しました。

 そこで,すぐに購入して読んでみたのですが,最後まで,なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか,という問いの答えが見つかりません。しかし,よくよく読んでみると,いろいろの八幡神にまつわる話題をとりあげながら,これらがその根拠なのだと言っているようにも読み取ることができます。が,わたしが期待したような内容で,はっきりとこれこれの理由で八幡神社が日本でいちばん多いのだ,とはどこにも書いてありません。

 なぜ,著者の島田裕巳さんはそのような言説を避けたのでしょう。そのことが,かえって,わたしには気がかりになってきます。なのに,島田さんは,わざわざ「八幡は外来,韓国の神だった!」という小見出しまで立てて,その根拠についてかなり詳細に語っています。これだけはっきりと「外来,韓国の神だった」と書かれたものは,わたしにとってははじめてのことです。ですから,逆に驚きました。なぜなら,わたし自身も,宇佐八幡はどう考えてみても半島からの渡来神に違いない,とひそかに考えていたからです。しかし,それを誰憚ることもなく声高に宣言する人はこれまでなかったように思います。そこに,突然,宗教学者とてしの評価の高い,つまり,ある程度の信頼のできる著者として,島田裕巳さんが現れたというのが,わたしの印象です。

 ここまではっきりと島田さんは書いているのに,「なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか」という問いに真っ正面からは応答していない,というのがわたしの不満です。もっとはっきりと言えばいいのに・・・とわたしは考えます。わかり切っているのですから・・・・。

 そこで,わたしが島田さんに書いてほしかったことを代弁してみますと,つぎのようになります。

 韓半島から九州に渡来した宇佐八幡の氏子になる人たちが,またたく間に日本全国に広がっていった,あるいは,八幡神の信仰を旗頭にした氏子集団を形成しながら,全国各地に定住していった,やがて,そういう人たちが全国ネットワークを構築してひとつの大きな勢力をもつにいたった。その数もはんぱではなかった。だから,のちの大和王権もこの八幡信仰をおろそかに扱うことはできなくなって,なにかことあるときには宇佐八幡宮にお伺いを立てる必要が生じてきた。そして,ついには伊勢神宮と並び称される石清水八幡まで建立されるにいたった。そこに神仏習合が起こり,八幡大菩薩が誕生する。こちらは武士の守り神としても多くの支持を集めるようになり,八幡さまの人気は一気に高まっていき,他の神社を圧倒するまでにいたった。

 という程度のことは書いてほしかったのだ。でも,もう一度きちんと,このテクストを読み返してみると,島田さんはもっともっと詳細に八幡さま信仰の広がりを語っていることがわかる。しかし,表題の疑問文に真っ正面から答えることを忘れてしまったようだ。あるいは,意図的に。

 しかし,島田さんがこのテクストをとおして言いたかったことは,もっと他にもいっぱいあったのではないか,とわたしは読後の感想として持った。そのあたりのことを,さりげなく忌避しながら,でも,読む人が読めばそれとなくわかるように,みごとな言説を連ねていることも事実だ。

 それもわたしが代弁してしまうと以下のようになろうか。
 天孫降臨の神々もまた「渡来」系の神々と考えられる。それより先に大きな勢力を築いていて「国譲り」をさせられた出雲神もまた「渡来」系であったと考えられる。というように考えていくと,日本全国の神社のほとんどが「渡来」系の神々を祀っているということになってしまう。それでは具合が悪いというので,百済を経由して伝来した仏教を取り込んで,うまく神道と仏教を習合させることを試みた。その切り札ともいうべき考え方が「本地垂じゃく説」で,神々はみんな仏・菩薩の生まれ変わりとなって天から降ってきたのだ,というみごとなものだ。こうして「渡来」系の神々も,じつはみんな仏教からきているのだという印象を植えつけ,ほんとうの話をもみ消してしまった,というわけだ。なぜ,そんなことまでしなくてはならなかったのか。ここからが,じつは,ほんとうの問いのはじまりである。

 こんなことを思い描きながらこのテクストを読んでいると,つぎからつぎへと新しいアイディアが浮かんでくる。このテクストでは日本にもっとも多い神社10傑を取り上げて,一つひとつ詳細な解説を付している。その10傑の神社もよくよく眺めてみると,おやおや?と思うことがいっぱい湧いてくる。ひとことで言ってしまえば,出雲系の神様が圧倒的に多いということである。が,ここではこれ以上は踏み込まないことにする。

 われわれ日本人は,いずれにせよ,韓半島からにせよ,中国本土からにせよ,あるいは北方の樺太からにせよ,あるいはまた南方諸島からにせよ,あらゆる地方から移住してきた人びとが混血してできあがったことには間違いがない。その人びとが,この土地の気候風土に馴化しながら,特有の骨格や性格や心情を生みだし,独特の美意識に支えられた文化を構築してきたのだ。だから,渡来してきた時期が早いか遅いか,混血の度合いがどの程度のものなのか,ただ,それだけの違いでしかない。それどころか,いまや,世界中の人びとが日本にやってきて住み着く時代を迎えている。日本人はますます混血していく。それが過去から現在までを貫く,人類全体をカバーする自然な流れなのだ。

 一方で,このような認識を保持しながら,この島田さんのテクストを読むと,日本の古代はますます面白い話題が満載であることがわかってくる。その意味で,お薦めである。
 

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