愛知県の三河地方に「額田郡」という地名があります。もう,ずいぶん昔,この額田郡は額田王との接点があり,この地方に古代のみやびことばが断片的に残っている,と書かれた本を読んだ記憶があって,ずっと気になっています。そのテクストがなにであったのか,すっかり忘れてしまっていて,探しあぐねています。
額田郡に住んでいる友人のOさんに,地元にそのような伝承は残っていないか尋ねてみたら,そういう話は聞いていない,とおっしゃる。しかし,Oさんの名字も,古代史に登場するある有名な一族と同じですし,優秀な人材が輩出していますので,その末裔ではないかと尋ねてみましたところ,たしかに古い家系図は残っているけれども,そこまではたどれない,とのことでした。
『穂国幻史考』の著者・柴田晴廣さんによれば,穂国(東三河地方の古代の名称)には日本の古代史の謎を解く大きな鍵が隠されている,と力説されています。そして,持統天皇が伊勢から穂国に船でわたってきたという史実を手がかりに,壮大な構想の研究を展開されています。いったい,持統天皇はなんのために穂国にやってきたのか,という問いです。
この持統天皇はいうまでもなく天武天皇の妃であり,額田王は,天武が大海人皇子であった時代に愛された才媛です。そして,大海人皇子との間に十市皇女を生んでいます。しかも,この十市皇女は天智天皇の長子・大友皇子(のちの弘文天皇)の妃となります。言ってみれば,いとこ同士の結婚ということになります。もっとも,この時代の結婚は,なによりも政略が優先されていましたので,驚くには値しません。たとえば,天智天皇の皇女のうち4人までもが叔父である天武天皇の妃になっています。おまけに,額田王は天武から天智に譲渡され,天智にも愛される,という不思議な関係になっています。そのさらに上をいく政略結婚が大友皇子と十市皇女の結婚というわけです。にもかかわらず,その結末は,大友皇子は天武天皇によって自殺に追い込まれます(壬申の乱)。
まあ,以前から,天智天皇と天武天皇の関係というのはどうなっているのか,という大いなる疑問がありました。そして,そのキーマンの役割をはたしたのが額田王ではなかったか,というのがわたしの仮説でした。しかし,このあたりのことはアカデミックな論文には見当たらず,また,市販の概説書を読んでみてもまったく不明のままでした。
そこで,ならば作家の想像力に頼ってみたらいかがなものかと考え,井上靖の『額田王』(新潮文庫)を読んでみました。しかし,わたしの期待は大きくはずれてしまいました。といいますのは,井上靖の主たる興味関心は,額田王を優れた歌人として捉え,その内面の葛藤(神事に仕える女性として,朝廷歌人として,そして,愛を受け止める女性として,母として)を詳細に描くことにあった,と思われるからです。当然のことながら,中大兄皇子と大海人皇子との関係も描かれてはいます。が,おおむねこの兄弟は仲がよく,お互いに協力し合っていたかのように井上靖は描いていて,この二人が,いつ,どのようにしてすれ違うようになるのか,そのきっかけはなにかについては,井上靖には興味がなかったようです。ですから,壬申の乱がどういう理由で始まったのかという背景についても,なにも語ろうとはしていません。
つまり,井上靖の興味は,あくまでも額田王の人間としての内面の葛藤にあって,その他のことは多少どうでもいいという印象が残りました。ですから,この小説の構成も,大海人皇子と額田王との出会いからはじまって,大海人皇子が天武天皇になったところで終わっています。つまり,天皇になったところで額田王は朝廷を退き,天武との関係は完全に立ち消えになる,という設定です。
わたしとしては,この朝廷を退いたあと,額田王の人生がどのように転変していくのか,そこが知りたかったところです。それと,もう一点は,額田王と持統天皇との関係です。どのような接点があったのか,それともなかったのかも井上靖には興味はなかったようです。
持統天皇という,天智天皇の娘にして天武天皇の妃となり,天武なきあとの権力を独り占めにしつつ,後世に大きな影響を及ぼすことになるこの人物と,晩年のことがほとんどわかっていない額田王とがどのような関係にあったのか,わたしには興味のつきないテーマです。なぜなら,このことが「穂国」のその後のゆくえになんらかの影を落としているはずであるし,その影を消すためにさまざまな細工がなされたに違いない,と考えるからです。もっと言っておけば,「穂国」の謎を解くことは大化の改新以後の日本の古代史に秘められたもうひとつの歴史を白日のもとにさらけ出すことになると主張する柴田晴廣さんの説に共鳴するからです。
天智・天武・持統の,この時代にいったいなにが行われたのか,その真相を隠すためにどんな物語が創作され,その物語を補填するための新たな歴史がどのように創作され,それを正当化するための抑圧・隠蔽工作がどのように行われたのか,知りたいことは山ほどあります。権力によって押し流されてしまった歴史の真実,すなわち,W.ベンヤミンがいうところの「瓦礫」や「残骸」,これに注目する「歴史の天使」(P.クレーの「新しい天使」)に応答するための試みを,ここでも適用してみたいとわたしは考えています。
もうひとこと言い添えておけば,崇神天皇と垂仁天皇の時代に起きたことと,この天智・天武の時代に起きたこととが,どこかで共鳴・共振するものを感じるからです。つまり,もっとも肝腎なことを抑圧・隠蔽するための歴史上の工作がこのときに起こったと考えるからです。もっとはっきり言ってしまえば,藤原不比等によって陣頭指揮がとられたとされる記紀編纂事業です。この物語がのちの日本の歴史にどれほど大きな影響を及ぼしたかは想像を絶するものがあります。
その裏で脈々と大きな力を温存していたのが出雲族ではなかったか,その糸口が野見宿禰であり,その末裔・菅原道真であり・・・・という具合です。神社の系譜でいえば,全国にネットワークをもつオオクニヌシを祭神とする神社(一宮の多くがこれ)であり,野見神社や兵主神社です。そして,河童伝承もまた,同じ系譜でさぐることができます。この話をはじめるとエンドレスですので,ひとまず,今日のところはここまで。
天智・天武・持統のこの時代に,伊勢神宮と出雲大社がどのような扱いをうけたのか,興味のつきないテーマがいっぱいです。そこに,額田王(この人の出自は出雲だとする説もある)がからむ,というわけです。しかも,朝廷の神事を司っていたという額田王なのですから・・・・。
見果てぬ夢はどこまでもつづきます。
〔追記〕今日(30日),いま入院している病院の院長先生から『新版・古代の地形から「記紀」の謎を解く』(嶋恵著,海山社,2013年刊)をプレゼントされました。ちょっと読み始めてみたら,とても説得力があってびっくり。この本のレヴューも近日中に書いてみたいとおもいます。
額田郡に住んでいる友人のOさんに,地元にそのような伝承は残っていないか尋ねてみたら,そういう話は聞いていない,とおっしゃる。しかし,Oさんの名字も,古代史に登場するある有名な一族と同じですし,優秀な人材が輩出していますので,その末裔ではないかと尋ねてみましたところ,たしかに古い家系図は残っているけれども,そこまではたどれない,とのことでした。
『穂国幻史考』の著者・柴田晴廣さんによれば,穂国(東三河地方の古代の名称)には日本の古代史の謎を解く大きな鍵が隠されている,と力説されています。そして,持統天皇が伊勢から穂国に船でわたってきたという史実を手がかりに,壮大な構想の研究を展開されています。いったい,持統天皇はなんのために穂国にやってきたのか,という問いです。
この持統天皇はいうまでもなく天武天皇の妃であり,額田王は,天武が大海人皇子であった時代に愛された才媛です。そして,大海人皇子との間に十市皇女を生んでいます。しかも,この十市皇女は天智天皇の長子・大友皇子(のちの弘文天皇)の妃となります。言ってみれば,いとこ同士の結婚ということになります。もっとも,この時代の結婚は,なによりも政略が優先されていましたので,驚くには値しません。たとえば,天智天皇の皇女のうち4人までもが叔父である天武天皇の妃になっています。おまけに,額田王は天武から天智に譲渡され,天智にも愛される,という不思議な関係になっています。そのさらに上をいく政略結婚が大友皇子と十市皇女の結婚というわけです。にもかかわらず,その結末は,大友皇子は天武天皇によって自殺に追い込まれます(壬申の乱)。
まあ,以前から,天智天皇と天武天皇の関係というのはどうなっているのか,という大いなる疑問がありました。そして,そのキーマンの役割をはたしたのが額田王ではなかったか,というのがわたしの仮説でした。しかし,このあたりのことはアカデミックな論文には見当たらず,また,市販の概説書を読んでみてもまったく不明のままでした。
そこで,ならば作家の想像力に頼ってみたらいかがなものかと考え,井上靖の『額田王』(新潮文庫)を読んでみました。しかし,わたしの期待は大きくはずれてしまいました。といいますのは,井上靖の主たる興味関心は,額田王を優れた歌人として捉え,その内面の葛藤(神事に仕える女性として,朝廷歌人として,そして,愛を受け止める女性として,母として)を詳細に描くことにあった,と思われるからです。当然のことながら,中大兄皇子と大海人皇子との関係も描かれてはいます。が,おおむねこの兄弟は仲がよく,お互いに協力し合っていたかのように井上靖は描いていて,この二人が,いつ,どのようにしてすれ違うようになるのか,そのきっかけはなにかについては,井上靖には興味がなかったようです。ですから,壬申の乱がどういう理由で始まったのかという背景についても,なにも語ろうとはしていません。
つまり,井上靖の興味は,あくまでも額田王の人間としての内面の葛藤にあって,その他のことは多少どうでもいいという印象が残りました。ですから,この小説の構成も,大海人皇子と額田王との出会いからはじまって,大海人皇子が天武天皇になったところで終わっています。つまり,天皇になったところで額田王は朝廷を退き,天武との関係は完全に立ち消えになる,という設定です。
わたしとしては,この朝廷を退いたあと,額田王の人生がどのように転変していくのか,そこが知りたかったところです。それと,もう一点は,額田王と持統天皇との関係です。どのような接点があったのか,それともなかったのかも井上靖には興味はなかったようです。
持統天皇という,天智天皇の娘にして天武天皇の妃となり,天武なきあとの権力を独り占めにしつつ,後世に大きな影響を及ぼすことになるこの人物と,晩年のことがほとんどわかっていない額田王とがどのような関係にあったのか,わたしには興味のつきないテーマです。なぜなら,このことが「穂国」のその後のゆくえになんらかの影を落としているはずであるし,その影を消すためにさまざまな細工がなされたに違いない,と考えるからです。もっと言っておけば,「穂国」の謎を解くことは大化の改新以後の日本の古代史に秘められたもうひとつの歴史を白日のもとにさらけ出すことになると主張する柴田晴廣さんの説に共鳴するからです。
天智・天武・持統の,この時代にいったいなにが行われたのか,その真相を隠すためにどんな物語が創作され,その物語を補填するための新たな歴史がどのように創作され,それを正当化するための抑圧・隠蔽工作がどのように行われたのか,知りたいことは山ほどあります。権力によって押し流されてしまった歴史の真実,すなわち,W.ベンヤミンがいうところの「瓦礫」や「残骸」,これに注目する「歴史の天使」(P.クレーの「新しい天使」)に応答するための試みを,ここでも適用してみたいとわたしは考えています。
もうひとこと言い添えておけば,崇神天皇と垂仁天皇の時代に起きたことと,この天智・天武の時代に起きたこととが,どこかで共鳴・共振するものを感じるからです。つまり,もっとも肝腎なことを抑圧・隠蔽するための歴史上の工作がこのときに起こったと考えるからです。もっとはっきり言ってしまえば,藤原不比等によって陣頭指揮がとられたとされる記紀編纂事業です。この物語がのちの日本の歴史にどれほど大きな影響を及ぼしたかは想像を絶するものがあります。
その裏で脈々と大きな力を温存していたのが出雲族ではなかったか,その糸口が野見宿禰であり,その末裔・菅原道真であり・・・・という具合です。神社の系譜でいえば,全国にネットワークをもつオオクニヌシを祭神とする神社(一宮の多くがこれ)であり,野見神社や兵主神社です。そして,河童伝承もまた,同じ系譜でさぐることができます。この話をはじめるとエンドレスですので,ひとまず,今日のところはここまで。
天智・天武・持統のこの時代に,伊勢神宮と出雲大社がどのような扱いをうけたのか,興味のつきないテーマがいっぱいです。そこに,額田王(この人の出自は出雲だとする説もある)がからむ,というわけです。しかも,朝廷の神事を司っていたという額田王なのですから・・・・。
見果てぬ夢はどこまでもつづきます。
〔追記〕今日(30日),いま入院している病院の院長先生から『新版・古代の地形から「記紀」の謎を解く』(嶋恵著,海山社,2013年刊)をプレゼントされました。ちょっと読み始めてみたら,とても説得力があってびっくり。この本のレヴューも近日中に書いてみたいとおもいます。
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