西谷修さんの集中講義「共生論」の第二日目の冒頭で,ドキュメンタリー映像が流され,この映像が意味することがらについての問題提起がいくつかなされました。映像の内容は,1999年9月30日に,東海村JCOの核燃料加工施設内で核燃料を加工中に作業ミスがあり,ウラン溶液が臨界状態に達し,核分裂連鎖反応が起き,そのため至近距離で中性子線を浴びた作業員3名のうちの一人の治療経過を追ったものでした。
この事故は,国際原子力事象評価尺度(INES)のレベル4(事業所外への大きなリスクを伴わない)の事故。日本で起きた最初の原発事故。
作業員3名はヘリコプターで放射線医学総合研究所に搬送され,うち2名は造血細胞の移植の関係から東京大学医学部付属病院に転院し,そこで集中治療が行われました。そのうちの一人であるOさん(当時35歳)の治療を追ったドキュメンタリー。
途中で何回も目を背けたくなるような映像もあって,わたしにはあまりに衝撃的でした。とりわけ,集中治療室の場面は,みずからの経験も想起され,なんとも言えない気持ちに襲われました。実際に,目を瞑ってしまった場面もありました。まさに,極限状態の綱渡り的な治療が行われているわけです。担当の医師も看護師も,それこそ全力でOさんの治療に当たります。その献身的な努力もまた痛ましいほどです。
Oさんの病状は,染色体破壊による新しい細胞の生成不能,白血球生成不能,というようにして悪化の一途をたどります。そして,実妹からの造血幹細胞の移植を受けて,一時的に白血球が増加しますが,すぐに低下。59日後には心停止。急遽,救命処置により蘇生。しかし,ダメージ大。各臓器の機能低下。最終的には治療手段なしとなり,83日目に他臓器不全により死亡。
原子力発電による死者は出してはならない,とする国家的なプロジェクトのもとで,ありとあらゆる医療が展開されます。そして,とにかく一日でも長く延命措置をとることのために医療のすべてが総動員されます。しかし,心停止にいたるまでに,できる手段はすべて執り行われます。が,それでも心停止になってしまいます。にもかかわらず,さらに,心停止後の救命処置が行われ,一時的に蘇生します。それでも最後は,他臓器不全で力尽きてしまいます。
この映像をみたわたしの心境は複雑です。まずは,集中治療室なるものの存在そのものが,わたしの二度にわたる体験とも重なっていて,とりわけ,複雑です。一回目は24時間,二回目は48時間,集中治療室に閉じ込められていました。言ってみれば,死線をさまよいながらの時間の経過もわからないまま,時折,目覚めるだけで,あとはひたすら眠っています。全身は重い鉛のような感覚のまま,ただ横たわっているだけです。自分でからだを動かすこともできません。意識も時折,はっきりするものの,あとはぼんやりしています。
文字どおり,仮死状態です。部屋の中は暗く,長い長い「夜」を経験しました。
Oさんは,おそらく最初から,この仮死状態がつづいていたようです。時折,意識はもどるものの,ほとんどは寝たきり状態。しかも,生還できる可能性はほとんどない状態での集中治療室です。重苦しい空気が流れる中での闘病生活はたいへんだったろうなぁ,と想像してしまいます。
この映像をみながら,ずっと考えていたことは,「いのち」とはなにか,そして,「医療」とはなにか,という問題でした。
西谷さんも,この問題に触れつつ,さまざまな医療現場の問題点を指摘した上で,最後に,ヒポクラテスの考え方を紹介されました。詳しいことは省略しますが,ヒポクラテスは,「生の領域は医師の仕事,死の領域は聖職者の仕事」とはっきり一線を画して考えていた,とのことです。ところが,現代の医療はその一線がなくなってしまった,と。このことの意味がなにであるかを考える必要がある,と。
そして,「核融合」という宇宙の原理を人間の手で破壊するような行為と,生還が不可能とおもわれる重篤の病人(たとえば,末期の癌患者)を最後の最後まで医療の現場にとどめる現代の医療行為は,ほとんどパラレルではないか,と西谷さんはお話を聞きながら考えてしまいました。つまり,「生きる」という生物としての基本的な営みに,人間が医療という名のもとに過剰なまでに介入することの是非がいま問われている,というわけです。もっと言ってしまえば,ものごとの秩序の基準が崩壊しつつあるこんにちの日常をどのように考えるか,という問題でもあります。
とてつもなく重い,しかし,きわめて重要な「問い」を西谷さんからいただいた,そんな授業でした。このテーマは,たとえば,スポーツ文化論のレベルでもみごとに当てはまるものですので,これから慎重に考えてみたいとおもいます。
この事故は,国際原子力事象評価尺度(INES)のレベル4(事業所外への大きなリスクを伴わない)の事故。日本で起きた最初の原発事故。
作業員3名はヘリコプターで放射線医学総合研究所に搬送され,うち2名は造血細胞の移植の関係から東京大学医学部付属病院に転院し,そこで集中治療が行われました。そのうちの一人であるOさん(当時35歳)の治療を追ったドキュメンタリー。
途中で何回も目を背けたくなるような映像もあって,わたしにはあまりに衝撃的でした。とりわけ,集中治療室の場面は,みずからの経験も想起され,なんとも言えない気持ちに襲われました。実際に,目を瞑ってしまった場面もありました。まさに,極限状態の綱渡り的な治療が行われているわけです。担当の医師も看護師も,それこそ全力でOさんの治療に当たります。その献身的な努力もまた痛ましいほどです。
Oさんの病状は,染色体破壊による新しい細胞の生成不能,白血球生成不能,というようにして悪化の一途をたどります。そして,実妹からの造血幹細胞の移植を受けて,一時的に白血球が増加しますが,すぐに低下。59日後には心停止。急遽,救命処置により蘇生。しかし,ダメージ大。各臓器の機能低下。最終的には治療手段なしとなり,83日目に他臓器不全により死亡。
原子力発電による死者は出してはならない,とする国家的なプロジェクトのもとで,ありとあらゆる医療が展開されます。そして,とにかく一日でも長く延命措置をとることのために医療のすべてが総動員されます。しかし,心停止にいたるまでに,できる手段はすべて執り行われます。が,それでも心停止になってしまいます。にもかかわらず,さらに,心停止後の救命処置が行われ,一時的に蘇生します。それでも最後は,他臓器不全で力尽きてしまいます。
この映像をみたわたしの心境は複雑です。まずは,集中治療室なるものの存在そのものが,わたしの二度にわたる体験とも重なっていて,とりわけ,複雑です。一回目は24時間,二回目は48時間,集中治療室に閉じ込められていました。言ってみれば,死線をさまよいながらの時間の経過もわからないまま,時折,目覚めるだけで,あとはひたすら眠っています。全身は重い鉛のような感覚のまま,ただ横たわっているだけです。自分でからだを動かすこともできません。意識も時折,はっきりするものの,あとはぼんやりしています。
文字どおり,仮死状態です。部屋の中は暗く,長い長い「夜」を経験しました。
Oさんは,おそらく最初から,この仮死状態がつづいていたようです。時折,意識はもどるものの,ほとんどは寝たきり状態。しかも,生還できる可能性はほとんどない状態での集中治療室です。重苦しい空気が流れる中での闘病生活はたいへんだったろうなぁ,と想像してしまいます。
この映像をみながら,ずっと考えていたことは,「いのち」とはなにか,そして,「医療」とはなにか,という問題でした。
西谷さんも,この問題に触れつつ,さまざまな医療現場の問題点を指摘した上で,最後に,ヒポクラテスの考え方を紹介されました。詳しいことは省略しますが,ヒポクラテスは,「生の領域は医師の仕事,死の領域は聖職者の仕事」とはっきり一線を画して考えていた,とのことです。ところが,現代の医療はその一線がなくなってしまった,と。このことの意味がなにであるかを考える必要がある,と。
そして,「核融合」という宇宙の原理を人間の手で破壊するような行為と,生還が不可能とおもわれる重篤の病人(たとえば,末期の癌患者)を最後の最後まで医療の現場にとどめる現代の医療行為は,ほとんどパラレルではないか,と西谷さんはお話を聞きながら考えてしまいました。つまり,「生きる」という生物としての基本的な営みに,人間が医療という名のもとに過剰なまでに介入することの是非がいま問われている,というわけです。もっと言ってしまえば,ものごとの秩序の基準が崩壊しつつあるこんにちの日常をどのように考えるか,という問題でもあります。
とてつもなく重い,しかし,きわめて重要な「問い」を西谷さんからいただいた,そんな授業でした。このテーマは,たとえば,スポーツ文化論のレベルでもみごとに当てはまるものですので,これから慎重に考えてみたいとおもいます。
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