敗戦後70年。この時間はわたしの人生そのものだ。国民学校2年生で玉音放送を聞いた。そのあとの記憶は鮮明だ。国民学校が小学校になった。しかし,教科書もない。ノートもない。釘一本持って学校に通う。算数の計算は運動場の土がノート代わりだった。計算が終わると,足で消して,また,つぎの計算をする。やがて,新聞をもっと小さく折り畳んだ状態の教科書がとどく。それを竹箆で切って,表紙をつけて,ページがめくれるようにする。全部,自分の手仕事だった。出来上がると嬉しかった。そして,むさぼるようにして読んだ。空襲で焼け出され,読む本はなにもなかったから。
1950年。新制中学1年生のとき,朝鮮戦争がはじまった。恐ろしくて鳥肌が立ったことを覚えている。日本はどうなるのか,と心配で仕方がなかった。しかし,戦争景気とかやらで,物資が少しずつ出回るようになって,食べるものも着るものもなんとか間に合うようになってきた。
そのあとは,とにかく頑張ればなんとかなるという夢と希望に満ちた時代がつづく。中学,高校を終えて東京へ。1956年。まだ,米の配給時代で,米穀通帳をもって上京。外食券食堂で食費を切り詰めて暮らしていた。大学のキャンパスでは教科書法案の反対闘争が展開されていた。耳を傾けているうちに,気づいたら,日比谷の野外公会堂にも足を運んでいた。
政治も不安定で,政党再編が繰り返され,なんとも頼りない時代だった。安保闘争の嵐が激しく吹きまくり,政権の交代も頻繁だった。が,それでも,どの政権も憲法9条だけは死守する姿勢を示してきた。そして,自衛権の行使も容認しない,という姿勢が貫かれた。この軸だけはぶれなかった。歴代自民党政権も,この姿勢にゆるぎはなかった。
にもかかわらず,70年にわたる日本の「財産」を,たったひとつの気まぐれ政権によって全部失うことになろうとは・・・・?いったい,だれが,想像できただろうか。
アベ政権は,閣議決定という姑息なやり方で,憲法解釈の変更を打ち出した。憲法の解釈が閣議で決定できるとなれば,もはや,立憲政治は不要だ。なにからなにまで,政府官邸のやりたい放題だ。そうして,とうとう,安保法制まで議会のルールを無視して(議事録も残せないやり方で),暴力的に決定してしまった。なにがなんでも「戦争のできる国」にしたかった,この本音を最後まで隠しとおして(嘘をつきとおして),押し切った。
蓋を開けてみれば,恐るべき額の防衛費が計上され,辺野古の新基地建設も民意を無視して,これまた暴力的に強引に推し進めている。
こうした政治の暴走は,じつは,とんでもない「演出」であって,もっとも重要な政治課題を隠蔽・排除するためのもっとも効果的な装置として仕組まれたのではなかったか,とわたしは考えている。
なにを隠そう,この大騒動の陰に,人類史に残る大問題である「フクシマ」が追いやられ,隠蔽されてしまい,人びとの意識から遠ざかってしまった。しかも,手も足も出せないまま,「フクシマ」の実態はますます悪化の一途をたどっている。にもかかわらず,そこで起きている事実は,その大半が「秘密・保護」されてしまっている。国民がなにも知らない間に,放射能汚染は,日々,拡散していくばかりである。もはや,日本列島の隅々にいたるまで,その程度の差はあれ,放射能に汚染されていないところはないとすら言われはじめている。太平洋に至っては,垂れ流しの最悪の状態が,いまもつづいている。
いま,わたしたちが直面している最大の政治課題は「フクシマ」だ。これを最優先して取り組まなければならない。なのに,アベ政権は放置したまま,なにもしようとはしない。いわゆる「原子力ムラ」の圧力に屈したまま,いや,それどころか一心同体となって,原発再稼働に走り,原発の輸出に熱をあげている始末だ。
こんな暴走に歯止めがかからない。司法まで圧力をかけて,完全に支配下に収めてしまっている。政権の都合の悪い判決を出した裁判長および裁判官は,すべて「左遷」。出世の道を塞がれてしまっている。だから,みんな黙って,政権の顔色だけをうかがっている。
もはや,世も末だ。
しかし,こんなことは,この政権を倒して,別の理想を掲げる政権を誕生させれば,まだ,なんとかなる。少々,時間がかかるが・・・・。しかし,「フクシマ」は半永久的に手も足も出せないのだ。それでも,いま,できることはある。その,いま「できる」ことに全力投球をするのが政治の仕事ではないのか。それを放置したままである。無責任のお手本を,いまの政権は率先している。
その結果は,世の中の「乱れ」である。倫理も道徳も規範もどこかにすっ飛んでしまったかのような「事件」が連日ニュースを賑わせている。すべては,政治の「貧困」に起因する。総理大臣が嘘ばっかり言いつづけていても,責任を追及されない。それどころか支持率もさがらないという。
無意識のうちに,みんな「狂って」しまっていて,そのことに気づいていない。みんな間違っているが,自分だけは確かだと信じて疑わない,それほどに狂ってしまっている。
騙されてたまるか。「フクシマ」こそが最大の政治課題だ。しかも,喫緊の課題だ。
ことしも,あと二日で暮れていく。このことを肝に銘じて,新年を迎えたい。
1950年。新制中学1年生のとき,朝鮮戦争がはじまった。恐ろしくて鳥肌が立ったことを覚えている。日本はどうなるのか,と心配で仕方がなかった。しかし,戦争景気とかやらで,物資が少しずつ出回るようになって,食べるものも着るものもなんとか間に合うようになってきた。
そのあとは,とにかく頑張ればなんとかなるという夢と希望に満ちた時代がつづく。中学,高校を終えて東京へ。1956年。まだ,米の配給時代で,米穀通帳をもって上京。外食券食堂で食費を切り詰めて暮らしていた。大学のキャンパスでは教科書法案の反対闘争が展開されていた。耳を傾けているうちに,気づいたら,日比谷の野外公会堂にも足を運んでいた。
政治も不安定で,政党再編が繰り返され,なんとも頼りない時代だった。安保闘争の嵐が激しく吹きまくり,政権の交代も頻繁だった。が,それでも,どの政権も憲法9条だけは死守する姿勢を示してきた。そして,自衛権の行使も容認しない,という姿勢が貫かれた。この軸だけはぶれなかった。歴代自民党政権も,この姿勢にゆるぎはなかった。
にもかかわらず,70年にわたる日本の「財産」を,たったひとつの気まぐれ政権によって全部失うことになろうとは・・・・?いったい,だれが,想像できただろうか。
アベ政権は,閣議決定という姑息なやり方で,憲法解釈の変更を打ち出した。憲法の解釈が閣議で決定できるとなれば,もはや,立憲政治は不要だ。なにからなにまで,政府官邸のやりたい放題だ。そうして,とうとう,安保法制まで議会のルールを無視して(議事録も残せないやり方で),暴力的に決定してしまった。なにがなんでも「戦争のできる国」にしたかった,この本音を最後まで隠しとおして(嘘をつきとおして),押し切った。
蓋を開けてみれば,恐るべき額の防衛費が計上され,辺野古の新基地建設も民意を無視して,これまた暴力的に強引に推し進めている。
こうした政治の暴走は,じつは,とんでもない「演出」であって,もっとも重要な政治課題を隠蔽・排除するためのもっとも効果的な装置として仕組まれたのではなかったか,とわたしは考えている。
なにを隠そう,この大騒動の陰に,人類史に残る大問題である「フクシマ」が追いやられ,隠蔽されてしまい,人びとの意識から遠ざかってしまった。しかも,手も足も出せないまま,「フクシマ」の実態はますます悪化の一途をたどっている。にもかかわらず,そこで起きている事実は,その大半が「秘密・保護」されてしまっている。国民がなにも知らない間に,放射能汚染は,日々,拡散していくばかりである。もはや,日本列島の隅々にいたるまで,その程度の差はあれ,放射能に汚染されていないところはないとすら言われはじめている。太平洋に至っては,垂れ流しの最悪の状態が,いまもつづいている。
いま,わたしたちが直面している最大の政治課題は「フクシマ」だ。これを最優先して取り組まなければならない。なのに,アベ政権は放置したまま,なにもしようとはしない。いわゆる「原子力ムラ」の圧力に屈したまま,いや,それどころか一心同体となって,原発再稼働に走り,原発の輸出に熱をあげている始末だ。
こんな暴走に歯止めがかからない。司法まで圧力をかけて,完全に支配下に収めてしまっている。政権の都合の悪い判決を出した裁判長および裁判官は,すべて「左遷」。出世の道を塞がれてしまっている。だから,みんな黙って,政権の顔色だけをうかがっている。
もはや,世も末だ。
しかし,こんなことは,この政権を倒して,別の理想を掲げる政権を誕生させれば,まだ,なんとかなる。少々,時間がかかるが・・・・。しかし,「フクシマ」は半永久的に手も足も出せないのだ。それでも,いま,できることはある。その,いま「できる」ことに全力投球をするのが政治の仕事ではないのか。それを放置したままである。無責任のお手本を,いまの政権は率先している。
その結果は,世の中の「乱れ」である。倫理も道徳も規範もどこかにすっ飛んでしまったかのような「事件」が連日ニュースを賑わせている。すべては,政治の「貧困」に起因する。総理大臣が嘘ばっかり言いつづけていても,責任を追及されない。それどころか支持率もさがらないという。
無意識のうちに,みんな「狂って」しまっていて,そのことに気づいていない。みんな間違っているが,自分だけは確かだと信じて疑わない,それほどに狂ってしまっている。
騙されてたまるか。「フクシマ」こそが最大の政治課題だ。しかも,喫緊の課題だ。
ことしも,あと二日で暮れていく。このことを肝に銘じて,新年を迎えたい。
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