「朝,見にいったら死んどっただげな」。こんな会話を子どものころにはよく耳にしたものです。田舎の小さな禅寺で育ったわたしは,村の衆がどんな風にして死んでいったのか,という情報はふつうの農家の子どもたちよりかなり多かったようにおもいます。ときには,死んだ人を寺の本堂に一晩,寝かせておいて,翌日,焼き場に運ぶということもありました。そういうときには,襖ひとつ隔てた部屋に,わたしたち兄弟3人が寝ていました。夜中にトイレに行くときには,棺桶の横をとおります。小さな村のことですので,生前の顔もよく知っています。
「ケンちゃんとこのおばあさん,死んじゃっただげな」
「うん,昨日の夜も,ちゃんとご飯を食べて寝ただげな」
「そういやぁ,食べる量はどんどん少なくなっていたっちゅうに・・・」
「ほうだらぁのん。あんなに痩せちゃっとったでのん」
「骨と皮しかなかったでのん」
こんな会話が繰り返されていたことを,昨日のことのように思い出します。そういえば,当時(敗戦直後)の村の衆は,みんな痩せていました。体重が16貫(60㎏)もある人は,数えるほどしかいませんでした。とくに,年寄りはみんて痩せていました。
みんな農家ですから,食べ物に特別に困っていたわけではないはずです。しかし,贅沢をしたり,腹一杯食べる習慣はなく,「腹八分目」がそれとなく実行されていたようにおもいます。つまり,みんなつつましく暮らしていたのです。
病気になっても医者には,よほどのことがないかぎり行きませんでした。その代わりに,むかしながらの民間療法がほどこされていました。こういうときは年寄りの出番でした。ほとんどの家は,医者に診てもらうほどの余裕がなかったようです。ましてや,街中の病院に入院するなどということは,余程のことがないかぎり,村ではほとんどありませんでした。みんな多少のことは我慢して耐えていたのです。
貧しい農家では,「年寄りは無駄飯を食うな」ということが平気で言われていました。「一膳しか食べさせてもらえんでのん」とグチをこぼすお年寄りも少なくありませんでした。
そんなお年寄りが,あるときから,ほとんど食事をしなくなってしまうことがあります。こういう話題もすぐに村中を駆けめぐります。
「〇〇さんとこのおじいさん,一口くらいしかご飯を食べんだげなぞん」
「そういやぁ,このごろみるみる痩せてきたのん」
「どっか悪いんじゃないかのん」
「ほんでもどっこも痛いところもないだげな」
「それでも,あんなに痩せちゃったじゃぁ,長いことはないのん」
こんな会話が交わされるようになると,日を経ずして「朝,見にいったら死んどっただげな」という話になります。
『どうせ死ぬなら「ガン」がいい』(宝島新書)の対談者・中村仁一×近藤誠たちによれば,こういう話はむかしからたくさんあって,こういう事例はほぼ間違いなくガンだったのではないか,とのことです。ガンは発症しても本人も周囲も気づきません。病状が進行しても,痛みもありません。ただ,やせ細っていきます。そして,食欲もなくなっていきます。その結果,文字どおり,骨と皮だけになって,最後は眠るようにして死んでいく,と。
これはガンによる「自然死」に違いありません,とお二人の意見は一致しています。もし,これが事実だとしたら,ぜひとも,あやかりたいものだとおもいます。
むかしの偉いお坊さんは,死期を自分で定め,「生き仏」(「生き菩薩」)となることをめざした,といいます。その方法はかんたんです。断食をし,水だけを飲んで痩せていき,坐禅をしたままこと切れることを理想としました。
こんな真似はわたしにはできませんが,ガンが進行していって,徐々に食欲が落ちていき,食べる量も減り,骨と皮だけになって,朝になったら死んでいた,これならできそうです。そして,これこそが,いまのわたしに与えられた「自然死」そのものではないか,といまは心底おもうようになりました。
これができたら,ちょっと,格好よすぎかも・・・・・(笑い)。
でも,いいなぁ。憧れます。
「ケンちゃんとこのおばあさん,死んじゃっただげな」
「うん,昨日の夜も,ちゃんとご飯を食べて寝ただげな」
「そういやぁ,食べる量はどんどん少なくなっていたっちゅうに・・・」
「ほうだらぁのん。あんなに痩せちゃっとったでのん」
「骨と皮しかなかったでのん」
こんな会話が繰り返されていたことを,昨日のことのように思い出します。そういえば,当時(敗戦直後)の村の衆は,みんな痩せていました。体重が16貫(60㎏)もある人は,数えるほどしかいませんでした。とくに,年寄りはみんて痩せていました。
みんな農家ですから,食べ物に特別に困っていたわけではないはずです。しかし,贅沢をしたり,腹一杯食べる習慣はなく,「腹八分目」がそれとなく実行されていたようにおもいます。つまり,みんなつつましく暮らしていたのです。
病気になっても医者には,よほどのことがないかぎり行きませんでした。その代わりに,むかしながらの民間療法がほどこされていました。こういうときは年寄りの出番でした。ほとんどの家は,医者に診てもらうほどの余裕がなかったようです。ましてや,街中の病院に入院するなどということは,余程のことがないかぎり,村ではほとんどありませんでした。みんな多少のことは我慢して耐えていたのです。
貧しい農家では,「年寄りは無駄飯を食うな」ということが平気で言われていました。「一膳しか食べさせてもらえんでのん」とグチをこぼすお年寄りも少なくありませんでした。
そんなお年寄りが,あるときから,ほとんど食事をしなくなってしまうことがあります。こういう話題もすぐに村中を駆けめぐります。
「〇〇さんとこのおじいさん,一口くらいしかご飯を食べんだげなぞん」
「そういやぁ,このごろみるみる痩せてきたのん」
「どっか悪いんじゃないかのん」
「ほんでもどっこも痛いところもないだげな」
「それでも,あんなに痩せちゃったじゃぁ,長いことはないのん」
こんな会話が交わされるようになると,日を経ずして「朝,見にいったら死んどっただげな」という話になります。
『どうせ死ぬなら「ガン」がいい』(宝島新書)の対談者・中村仁一×近藤誠たちによれば,こういう話はむかしからたくさんあって,こういう事例はほぼ間違いなくガンだったのではないか,とのことです。ガンは発症しても本人も周囲も気づきません。病状が進行しても,痛みもありません。ただ,やせ細っていきます。そして,食欲もなくなっていきます。その結果,文字どおり,骨と皮だけになって,最後は眠るようにして死んでいく,と。
これはガンによる「自然死」に違いありません,とお二人の意見は一致しています。もし,これが事実だとしたら,ぜひとも,あやかりたいものだとおもいます。
むかしの偉いお坊さんは,死期を自分で定め,「生き仏」(「生き菩薩」)となることをめざした,といいます。その方法はかんたんです。断食をし,水だけを飲んで痩せていき,坐禅をしたままこと切れることを理想としました。
こんな真似はわたしにはできませんが,ガンが進行していって,徐々に食欲が落ちていき,食べる量も減り,骨と皮だけになって,朝になったら死んでいた,これならできそうです。そして,これこそが,いまのわたしに与えられた「自然死」そのものではないか,といまは心底おもうようになりました。
これができたら,ちょっと,格好よすぎかも・・・・・(笑い)。
でも,いいなぁ。憧れます。
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