今日のブログの引き金となる情報源は,すべて古代史研究家の柴田晴廣さんからいただいたものです。それを基にして,あとはわたしの想像力を働かせてみました。すると,意外な世界が透けてみえてくるではありませんか。これにはびっく仰天です。
まずは,柴田さんから教えていただいた情報の概要です。それは以下のとおりです。
加賀前田100万石で知られる前田利家の本姓は「菅原」。したがって家紋は「梅鉢」紋。つまり,菅原道真の流れを汲む家系。菅原道真といえば,その始祖は野見宿禰。つまりは,相撲の家系。その所為か,力士には「梅鉢」紋の家系出身者が多い。それは遺伝子によるものではないか。
梅鉢紋出身の力士で,よく知られている人には以下の人たちがいる。(順不同)
1.栃木山守也(春日野部屋創設者)
2.双葉山定次(時津風部屋)
3.安芸の海節男(双葉山の連勝をストップした力士)
4.佐賀の花勝也(二所の関・八代目)
5.栃錦清隆(栃木山の弟子・横綱)
6.北の富士勝昭(横綱)
なお,情報提供者の柴田さんによれば,調べればもっともっといるだろう,とのことです。相撲史に名を残す名力士だけでも,これだけの人がいるというわけです。これは調べてみると,ちょっと面白いことがわかってくるかもしれません。
なぜなら,これらの名力士の家紋がみんな「梅鉢」紋だということは,先祖の系譜をたどっていくと,菅原道真の「梅鉢」紋にたどりつくことになります。ということは,その始祖である野見宿禰(出雲の人)にたどりつきます。柴田さんの説によれば,力士の遺伝子が脈々と受け継がれていると考えざるを得ないとのことです。だとしたら,名力士として名を残さなかった力士のなかにも,出雲系の力士は相当数いたのではないか,また,いまも相当数いるのではないか,ということになります。以上が柴田さんから提供していただいた情報です。
こんなことを考えていきますと,つぎつぎに面白いことが閃いてきます。たとえば,江戸時代に各藩がお抱え力士を雇い,互いに競わせていた,という表向きの話もよくよく考えてみると,そこにはきわめて重要な「裏」があったのではないか,と勘繰りたくなってきます。また,勧進相撲を組織したり,興行を打ったりした人びとの出自も,ひょっとしたら出雲系の人が多かったのではないか,とおもえてきてしまいます。
もっと飛躍しておけば,大和朝廷の年中行事のひとつになっていた節会相撲も,各地の名だたる力士を掻き集めてきて,朝廷で相撲を取らせ,その年の強かった力士の何人かを朝廷に囲い込んだことの意味も,なにやら雲行きが怪しくなってきます。権力にまつろわぬ怪力の持ち主たちを,地方に野放しにしておくことは,朝廷としては許すことができません。なにがなんでも一定のテリトリーの内側に取り込んでおくことが肝要です。そのための重要な文化装置であったと考えてみますと,またまた別の世界が透けて見えてきます。
さらには,こんにちの地方巡業についても,実際に,どういう人たちが世話をしているのかということになりますと,これはもう想像にお任せしてよいのではないかとおもいます。表向きは地方自治体の許可を得ることが大前提になっていますが,許可を得たあとの話はまた別です。大相撲が,いまも立派な興行形態をとっていることは,江戸時代の勧進相撲以来の伝統に基づくものであることは,よく知られているとおりです。ということは,いまも,基本的には,その流れに乗っていることは否定できません。
大相撲と裏社会との密接不離の関係は,長い歴史的な経緯を無視するわけにはいきません。そして,その裏社会に暗躍する人びとの多くは出雲系ではないか,とこれはわたしの単なる推測にすぎませんが,そんなことを幻視しています。
この幻視をもっとふくらませていきますと,こんにちの大相撲を「神事」として位置づけ,「国技」に指定し,さらに天皇杯まで下賜するということの意味も,なんとなく胡散臭くなってきます。端的に言ってしまえば,なんとしても大相撲にかかわる出雲系の存在を表社会から封じ込めておくことが不可欠である,とする天皇制護持派のトラウマの裏返しではないか・・・と。
とまあ,今回の幻視はこのくらいにとどめておきたいとおもいます。最後に,なぜ,こんなことに拘るのかということについて,わたしのスタンスを明らかにしておきましょう。それは,そうであるとも言えない,そうでないとも言えない,つまり,肯定も否定もできない,そういうグレイ・ゾーンにこそ歴史の真実は宿っているのではないか,とわたしは考えているからです。
こういうスタンスで,日本の歴史,とりわけ古代史の真実に接近する楽しみを,もう,しばらくはつづけてみたいとおもっています。もちろん,野見宿禰がらみで・・・・。
まずは,柴田さんから教えていただいた情報の概要です。それは以下のとおりです。
加賀前田100万石で知られる前田利家の本姓は「菅原」。したがって家紋は「梅鉢」紋。つまり,菅原道真の流れを汲む家系。菅原道真といえば,その始祖は野見宿禰。つまりは,相撲の家系。その所為か,力士には「梅鉢」紋の家系出身者が多い。それは遺伝子によるものではないか。
梅鉢紋出身の力士で,よく知られている人には以下の人たちがいる。(順不同)
1.栃木山守也(春日野部屋創設者)
2.双葉山定次(時津風部屋)
3.安芸の海節男(双葉山の連勝をストップした力士)
4.佐賀の花勝也(二所の関・八代目)
5.栃錦清隆(栃木山の弟子・横綱)
6.北の富士勝昭(横綱)
なお,情報提供者の柴田さんによれば,調べればもっともっといるだろう,とのことです。相撲史に名を残す名力士だけでも,これだけの人がいるというわけです。これは調べてみると,ちょっと面白いことがわかってくるかもしれません。
なぜなら,これらの名力士の家紋がみんな「梅鉢」紋だということは,先祖の系譜をたどっていくと,菅原道真の「梅鉢」紋にたどりつくことになります。ということは,その始祖である野見宿禰(出雲の人)にたどりつきます。柴田さんの説によれば,力士の遺伝子が脈々と受け継がれていると考えざるを得ないとのことです。だとしたら,名力士として名を残さなかった力士のなかにも,出雲系の力士は相当数いたのではないか,また,いまも相当数いるのではないか,ということになります。以上が柴田さんから提供していただいた情報です。
こんなことを考えていきますと,つぎつぎに面白いことが閃いてきます。たとえば,江戸時代に各藩がお抱え力士を雇い,互いに競わせていた,という表向きの話もよくよく考えてみると,そこにはきわめて重要な「裏」があったのではないか,と勘繰りたくなってきます。また,勧進相撲を組織したり,興行を打ったりした人びとの出自も,ひょっとしたら出雲系の人が多かったのではないか,とおもえてきてしまいます。
もっと飛躍しておけば,大和朝廷の年中行事のひとつになっていた節会相撲も,各地の名だたる力士を掻き集めてきて,朝廷で相撲を取らせ,その年の強かった力士の何人かを朝廷に囲い込んだことの意味も,なにやら雲行きが怪しくなってきます。権力にまつろわぬ怪力の持ち主たちを,地方に野放しにしておくことは,朝廷としては許すことができません。なにがなんでも一定のテリトリーの内側に取り込んでおくことが肝要です。そのための重要な文化装置であったと考えてみますと,またまた別の世界が透けて見えてきます。
さらには,こんにちの地方巡業についても,実際に,どういう人たちが世話をしているのかということになりますと,これはもう想像にお任せしてよいのではないかとおもいます。表向きは地方自治体の許可を得ることが大前提になっていますが,許可を得たあとの話はまた別です。大相撲が,いまも立派な興行形態をとっていることは,江戸時代の勧進相撲以来の伝統に基づくものであることは,よく知られているとおりです。ということは,いまも,基本的には,その流れに乗っていることは否定できません。
大相撲と裏社会との密接不離の関係は,長い歴史的な経緯を無視するわけにはいきません。そして,その裏社会に暗躍する人びとの多くは出雲系ではないか,とこれはわたしの単なる推測にすぎませんが,そんなことを幻視しています。
この幻視をもっとふくらませていきますと,こんにちの大相撲を「神事」として位置づけ,「国技」に指定し,さらに天皇杯まで下賜するということの意味も,なんとなく胡散臭くなってきます。端的に言ってしまえば,なんとしても大相撲にかかわる出雲系の存在を表社会から封じ込めておくことが不可欠である,とする天皇制護持派のトラウマの裏返しではないか・・・と。
とまあ,今回の幻視はこのくらいにとどめておきたいとおもいます。最後に,なぜ,こんなことに拘るのかということについて,わたしのスタンスを明らかにしておきましょう。それは,そうであるとも言えない,そうでないとも言えない,つまり,肯定も否定もできない,そういうグレイ・ゾーンにこそ歴史の真実は宿っているのではないか,とわたしは考えているからです。
こういうスタンスで,日本の歴史,とりわけ古代史の真実に接近する楽しみを,もう,しばらくはつづけてみたいとおもっています。もちろん,野見宿禰がらみで・・・・。
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