2015年9月12日土曜日

安倍政権はクーデターをやっている(古賀茂明)。SEALDsのスピーチで。

 9月11日。「9・11」を念頭に思い描きながら,国会前のSEALDsの集会に行ってきました。途中で小雨が降るなか,続々と人が集まってきました。わたしは少しだけ早めの18時には国会前に到着していました。が,まだ,集会がはじまる前でしたので,周辺を,どんな人たちが集まっているのか知りたくて一回りしていました。

 国会前の角の一等地を,一般の人たちにゆずるようにして,周辺を各種の団体が幟旗を立て固めていました。なかには,自分たちでステージを用意して,活動報告会・演説会をやっている人たちもいました。ちょっと立ち止まって聞いていましたら,フクシマの子どもたちの被曝を中心にした内容の活動のようでした。

 18:30~は,<戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会>が主催の統一行動で,いろいろの人が入れ代わり立ち代わりしてスピーチをやっていました。上野千鶴子さんも,ここでスピーチをしました。比較的醒めたスピーチで,わたしとしては意外でした。

 20:45~が,SEALDsの集会でした。さきに集会を開催した「統一行動」の人たちが帰りはじめたころに,SEALDsの集会を目当てにした人たちが続々とやってきました。抗議集会をやるには場所が狭すぎるので,入れ換えをしたというわけです。

 
さて,SEALDsの集会のトップに登壇した古賀茂明さんが,簡潔に,強烈なスピーチをしました。それは,安倍政権がいまやっていることは「クーデター」に等しい,と。

 以下,古賀さんのスピーチを要約。なぜなら,憲法改正には国民投票が必要なのに,集団的自衛権の行使容認という憲法違反の法案を閣議決定ですり抜け,国民投票をスルーして憲法解釈を変更するという「暴挙」にでたからです。これは国民投票によって国民の意思を問わなければならない重大な法案を,閣議決定だけで決めてしまおうという,まさに憲法を無視した「クーデター」以外のなにものでもありません。これは立憲デモクラシーを根底からひっくり返す,つまり,国家のあり方を根底から変えてしまうことを意味しています。すなわち,独裁体制への突入です。これを「クーデター」と言わずしてなんというべきか。こういう「暴挙」に対して,国民の多くの人たちが危機意識をもっているのだとおもいます。この「クーデター」はなにがなんでもストップさせなくてはならない,そういう熱い思いを秘めた人たちがいま,ここに集まっているのだとおもいます。戦争法案を廃案にさせるべく頑張りましょう。

 
小森陽一さんも,気合の入ったとてもいいスピーチをされました。が,割愛。

 
まだ,集会はつづいていましたが,21:00を過ぎたところで,わたしは帰路につきました。18:00に到着してから立ちっぱなし。相当の疲れと生理的欲求と空腹とが限界に達していましたので,ここが引き時と決心しました。

 
帰りの地下鉄・田園都市線も満員で,とうとう溝の口まで立ちっぱなし。さすがに疲れました。喉も乾いていましたので,久しぶりに缶ビール(大)を一本飲みながら,即席の夕食をとりました。ビールが美味い,と感ずる程度に体調ももどっていました。

2015年9月11日金曜日

集団的自衛権の行使=米軍の関与する戦争を手伝うこと,これに尽きる(田中秀征)。

 9月6日(日)のTBS系列の日曜朝のワイドショー番組(関口宏司会)で,ゲストの田中秀征さんが語った戦争法案の本質が,簡潔で,わかりやすく,話題になっています。わたしのFBのネット・ワークでも,複数の人がこの動画を取り上げていました。

 わずか3分少々の時間のなかで,これほどわかりやすく集団的自衛権の行使とはなにか,を説明してくれるとは・・・・,と感動してしまいました。詳しくは,わたしのFBで確認してみてください。

 ここでは,その概要を紹介しておきたいとおもいます。
 田中秀征さんの発言の骨子は以下のとおりです。

 集団的自衛権の行使は,アメリカの関与する戦争を手伝うこと,これに尽きる。

 つまり,日本がアメリカと軍事的に一体化すること,だ。

 それは,つぎの三つを「肩代わり」することを意味している。
 1.資金
 2.人命
 3.危険

 1.については,戦争をするには莫大な金がかかる。そのためのアメリカの資金の一部を肩代わりするため。
 2.については,アメリカに漂っている厭戦気分の源泉になっている「戦死者」の数を減らすこと。つまり,日本の自衛隊員が,アメリカ兵の「人命」の肩代わりをするため。
 3.は,テロリストに脅かされているアメリカの危険を,日本が肩代わりするため。つまり,アメリカを攻撃のターゲットにするよりも,アメリカと一体化した日本を攻撃する方がテロリストにとってはやりやすい,ということ。言ってしまえば,日本がアメリカの「危険」の前面に立つということ。

 さらに,問題なのは,こんなとてつもないリスクを背負うことになる集団的自衛権の行使容認という決定を,閣議決定で済ませてしまったということだ。これは大学入試でいえば,完全なる裏口入学に等しい。こんな姑息なやり方を,国民が認めるわけがない。だから,反対する人が増大するのだ。しかも,もし,決まったとしても,こんな方法でとおした法律は機能しないだろう。

 しかも,もっとやっかいなことは,一度,アメリカと軍事的に一体化してしまうと,もはや取り返しのつかないことになる,ということだ。この二つの国を引き離すためには,何十年かかっても不可能だろう。あるいは,永遠に不可能かもしれない。それほどの重大なことなのだ。そんな重大なことを閣議決定(=裏口入学)でお茶をにごそうというのだ。

 さらには,もし,アメリカが日本の真の友人であるのなら,間違った戦争をやってはいけない,と忠告すべきではないのか。過去のアメリカが引き起こした数々の間違った戦争に対して,日本はなにも言わないで,黙ってつきしたがってきただけだ。それでは真の同盟国とは言えない。

 以上の理由で,どんなことがあっても集団的自衛権の行使を容認してはならない。したがって,戦争法案は廃案にすべきだ。

 これがわたしが聞き取った田中秀征さんの主張の骨子です。
 じつに明解そのものです。もう,これにコメントを付する必要はまったくありません。

 「軍資金」の肩代わりをしまうょう。
 「人命」も肩代わりをしましょう。
 その上,アメリカの背負っている「危険」の前面に立って,その肩代わりもしましょう。

 アメリカにとって,こんな好都合なことはありませんので,表面的には熱烈歓迎でしょう。ですから,アベ君は有頂天です。しかし,その裏では,日本のリーダーはなんというアホなんだろう,と蔑視していることも間違いありません。そういう情報も流れています。

 こうした,信じられないような「自発的隷従」の姿勢と,辺野古新基地問題とは密接にリンクしていることも,はっきりとみえてきます。すなわち,アメリカ軍のための軍事基地も肩代わりしましょう,というわけです。沖縄県民の民意が明確になっているにもかかわらず,アベ政権が基地移転を強行するのも,こうした背景と連携しているからだ,ということがよくわかってきます。

 その意味では,これからはじまる翁長知事のアベ政権との闘いは,日本の未来を決するきわめて重大な意味をもってきます。これは,もはや,沖縄県だけの問題ではなく,日本全体の問題として,すなわち,わたし自身の問題として,しっかりと受け止め,翁長知事支持を表明し,支援をしていかなくてはならない,と肝に銘じておきたいとおもいます。

2015年9月10日木曜日

昨夜の激しい雨のなかの抗議集会。日比谷野外音楽堂,そして,デモ。

 関東地方から北に伸びた雨雲によって,茨城,栃木,などに大量の雨を降らせ,各地で大きな災害をもたらしています。鬼怒川(常総市)では堤防が決壊し,つぎつぎに家屋が流され,必死のヘリコプターによる救助活動が展開されている,とさきほどのニュースで知りました。

 東京でも昨日は激しい雨でした。太極拳の稽古に向かう,ほんのわずかな距離を歩くだけなのに,ズボンの膝下までびっしょり濡れてしまうほどでした。この雨は断続的に一日中,降りつづきました。夕刻になって,小降りになってくれることを期待していましたが,とうとう雨足が弱まることはありませんでした。

 <戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会>が発表している抗議行動の日程によりますと,このところ毎日,抗議行動が組まれています。ついに,9月10日(木)からは国会前座り込み抗議(13:00~17:00)が組まれ,その上に,18:30からは国会前抗議集会が,連日,組まれています。

 昨日(9日)は,18:30~,日比谷野外音楽堂で抗議集会が開かれ,そのあと,銀座と国会に分かれてデモを行う,ということになっていました。ですから,この集会とデモにはなんとか参加したいと考えていました。そのために,午睡までとって体調を整えていました。

 雨も小降りになってきたので,そろそろでかけようかと考えていたら,突然,篠つくような雨が降り始めました。しばらく様子をみていましたが,この降り方は尋常ではないと考え,でかけるのを取りやめることにしました。

 体調はかなりもどってきていますので,少々の雨なら大丈夫と考えていましたが,この雨では駄目だと諦めました。相当の雨対策をしていかないことには,全身,びしょ濡れになることは間違いありません。びしょ濡れになって,からだが冷えてきても大丈夫,というほどには体調はもどっていません。ここは残念ながら,大事をとって見送ることにしました。

 深夜になって,SNSで情報(毎日新聞,23時30分,最終更新)を確認してみましたら,予想どおり日比谷でも激しく雨が降ったこと(写真もあり),みんなびしょ濡れになっていたこと,にもかかわらず,5,500人(主催者発表)が集まった,報じていました。

 別の情報によれば,メイン・ゲストの人たちは早めに引き揚げたようですが,会場を埋めつくした人びとは最後まで,熱心にリレー・スピーチに耳を傾け,シュプレヒ・コールに元気よく応答していたとのことです。しかも,激しく降りしきる雨に濡れながら・・・・。

 この天候の悪条件のなか,集まった5,500人という数は,わたしの想定外でした。この雨では,わたしのような行きたいとおもっていても二の足を踏んでしまう人が続出するに違いない,それでも押し切ってでかける元気のいい人たちとなれば,かなり限定されてしまうだろうなぁ,と天候を恨んでいました。

 にもかかわらず,5,500人です。この数は尋常ではありません。なにがなんでも,戦争法案を廃案にするまでは,からだを張って抗議するのだ,という強い決意の人たちの集団です。あの激しい雨さえ降らなければ,この3倍も4倍もの人たちが集まったに違いありません。そういう重みのある5、500人だとおもいます。

 こういう国民の決然たる意思表明が,残念ながら,いまのアベ政権には直接にはとどきません。しかし,眼にみえないところで,カウンター・ブローとなって,相当のダメージを与えていることは間違いありません。必死で「無視」を決め込み,素知らぬ顔をしながらも,こころの中は穏やかではないはずです。

 たとえば,このところ株価が下落しつづけているとのこと。それも,日本の株価だけは世界的な株価の動向とは異なる動き方をしている,と。中国の経済不況が世界の株価に大きな影響を及ぼしていて,それによって株価が乱高下しているけれども,日本だけは,日本一国だけは,それと関係なく,ただ,ひたすら下落をつづけている,といいます。その理由に,アベノミクス(あるいは,安倍政権)に対する国際的な不信感があること,そして,SEALDsなどの若者たちが反政府活動を展開し,全国的な広がりをみせていることが大きい,としています。

 日本はいまや一枚岩ではない,やがて政権はひっくり返る,と国際社会がみているというのです。わこしたちの地道な抗議行動が,即効的な効果をもたないまでも,じわじわと意外なところで力を発揮しているようです。

 かつての全共闘運動が,完全なる「敗北」であったかのような論評がなされてきましたが,よくよく考えてみると,その後の自民党政権の「手堅さ」を引き出し,こんにちまで曲がりなりにも「平和」な社会を維持してこれたのではないか,という声を聞きます。

 ですから,いま,展開しているSEALDsの活動も,けして無駄にはならないどころか,まったく新しい日本を再生させる大きな原動力になる,とわたしは信じています。かれらの運動は,けして一過性のものではなく,遠く日本の未来を見据えています。「わたし個人の未来よりも,日本の未来の方が重要です」と言い切るスピーチを聞いて,わたしは涙しました。

 かれらは本気です。そういうかれらの純粋な情念に,わたしたち大人が眼を覚まさせられた,というのがわたしの本音です。この覚悟を,いまこそ持とう,とかれらの集会に行くたびに反省させられます。なんという若者たちか,とこころからエールを送りたいとおもいます。

 激しい雨のなかの5,500人。明日,金曜日の国会前集会(18:30~)には,どうか雨だけは降らないでほしい。わたしのような病み上がりの老人のためにも。16日まで,どうか雨だけは降らないように,と祈るばかりです。

 こういう抗議行動があった,という事実をのちのちの政権にしっかりと認識させるためにも・・・・。  

2015年9月9日水曜日

労働者派遣法改正案(=改悪案)が通過。弱者虐待法。経営者,大はしゃぎ。

 今日(9日)の参議院本会議で「労働者派遣法改正案」(じつは「改悪案」)が自民・公明の多数で可決されました。これで労働者は経営者の思いのままに,「雇う」も「雇止め」も自由自在というわけです。経営者は大はしゃぎ。労働者は涙。

 昨日(8日)の委員会審議では,傍聴していた派遣労働者が涙を流し,一時,騒然となったといいます。そして,自民党の議員が,「さっさとつまみ出せ!」と怒鳴ったそうです。これが,現在の自民党の姿を如実にあらわしています。邪魔な者はさっさと排除してしまえ,というわけです。みんなアベ君を見習って,尋常な人間ではなくなってしまっているようです。

 弱い立場の労働者が使い捨てにすることを合法化する,この「悪法」がとうとう現実のものになってしまいました。この結果がどうなるのか。

 わたしの結論をさきに言っておきましょう。この法律は自衛隊員を確保するための悪魔のマジックです。それを拒否するまじめな若者は自殺してしまいます。あるいは,だれでもいいから殺したい,という衝動にかられる自暴自棄の人間を増産することになります。

 もちろん,これは言い過ぎです。でも,こういう方向に大きく道を開くものだ,ということは間違いないとおもいます。なぜ,このような不安をわたしが抱くのか,その理由をかんたんに述べておきたいとおもいます。

 ひとつは,いまの学生さんの多くは奨学金を貸与してもらいながら勉学に勤しんでいます。すると,卒業時には,500万円前後の借金を背負うことになります。大学院などに行けば,もっとその額は大きくなります。すると,卒業後,正社員として雇用されたとしても,毎月,相当の額の返済が必要になってきます。それが,運悪く非正規社員として働かなくてはならなくなった人は,もっと大きな負荷がかかってきます。場合によっては,奨学金返済のために,生活が成り立たなくなってしまう人も少なくないでしょう。こうして,多くの若者たちが夢も希望も失ってしまう,という最悪の状態が待ち構えています。

 そういう若者は自衛隊にいらっしゃい,というわけです。そうすれば,奨学金返済免除,仕送りができるほどの給料と手当てを用意していますよ,と。

 ふたつには,日本の非正規社員の待遇が劣悪な情況にある,ということです。国連の社会権規約委員会の見解によりますと,日本の最低賃金は「最低生存水準を下回っている」,ということです。そして,そこに提示されている非正規社員(パート,など)の一時間あたりの賃金は,文明国のなかにあっては「ぶっちぎりの世界ワースト1」だということです。

 たとえば,日本のパートは正社員の半分にも満たない,とのこと。スイスやスウェーデンでは90%,悪くても60%以上は確保されている,というのです。実際に,最低賃金を比較してみますと,以下のとおりです。

 フランス 9.43ユーロ(約1,311円)
 イギリス 6.31ポンド(約1,055円)
 アメリカ 8ドル(約818円)
 ドイツ 8.5ユーロ(約1,181円)

 これに比べて,日本は600円です。驚くべきことに,アメリカが低賃金である,ということです。それは,貧乏人の若者たちを軍隊に志願させるための,恐るべき装置として機能させている・・・このことは,すでに,よく知られているとおりです。そして,日本もアメリカに倣え,というわけです。困ったら自衛隊に行け,というわけです。

 そのための労働者派遣法改正案というわけです。すなわち,恐るべき「改悪案」そのものです。

 それでも,親に資産があって,子どもを支援することができる場合には,なんとかしのぐことができます。が,そうではない若者はどうすればいいのでしょうか。そして,どうしても自衛隊にだけは行きたくない,という平和主義者は,行くところがありません。ひたすら,非正規社員として,どん底の生活に耐えるしかありません。それにも限度があります。

 その結果,自殺者の多発という事態が待ち構えています。真面目な若者ほど,この方向に向かう傾向があるといいます。

 その自殺者の数も,どうやらコントロールされているらしい。ここ10年ほど,連続して3万人超がつづいていて,マスコミがなにかと問題にしています。しかし,実際には,少なくとも11万人いることは確実だ,といいます。日本の変死者数は15万人。WHOはその半分を自殺者としてカウントするそうです。となると,この15万人の半数と,自殺者の3万人を加えて,約11万人。実際には,もっと多いのではないか,と考えられています。

 自殺とは逆のベクトルの自暴自棄路線に走ると,こんどは「殺人」です。「だれでもいいから殺したかった」という事件が,年々,増加傾向にあります。

 そうした土壌をますます増大させる法律,それが「労働者派遣法改正案」。すなわち「改悪案」。

 この法律は,戦争法案とセットです。65%もの国民が反対している戦争法案がとおってしまえば,そのあとに待ち構えているものは「地獄」以外にありません。

 このさきの「地獄」から脱出するには,つぎの選挙で,徹底的に自民・公明両党の候補者に厳しい批判の眼を向けることです。その上で,投票行動でみずからの意思を表明することです。それ以外にはありません。

2015年9月8日火曜日

なぜNHKは国会中継をしないのか。国民の理解を得る最高の手段なのに・・・・。

  なぜか,NHKが国会中継をやめてしまった。戦争法案審議の最後の詰めの,いちばん大事なときだというのに・・・・。よくも悪くも,広く国民が考え,みずからの理解を深めるためのもっとも重要な「とき」だというのに・・・・。「丁寧に説明する」と約束したアベ君にとっても絶好のチャンスだというのに・・・・。なぜ,やめてしまったのか。

 結論から言っておこう。

 官邸が「勝ち目」がない,「プラスにならない」と判断したからだろう。あの国会討論を聞いていたら,当然だろう。政府がひた隠しにしていた,きわめて重要な「事実」までもが,つぎからつぎへと国会の場であからさまにされ,もはや,答弁不能の事態に追い込まれてしまったからだ。そして,しばしば審議はストップし,そのたびに委員長は理事者を集めて協議。こんな醜態を,官邸としては,もはやこれ以上,国民の前にさらけ出したくはないだろう。支持率がさがるだけだ。

 不利なものには蓋をする。官邸によるみごとなまでの言論統制だ。NHKも「はい,わかりました」とばかりに協力する。それどころか,「自主的に」判断し,「自発的隷従」までする。いまや,完全に,政府自民党の思うがママ,いや,その代弁者そのものである。

 多くの国民が受信料を払っている「公共放送」であることを忘れている。もっと厳密な意味での公正中立の立場に立ち,いま,進行中の重要な案件の情報をありのまま放送すべきである。その意味で,国会中継は,もっとも公正中立な「生放送」だ。ことの善悪は,視聴している国民が判断すればいい。それが民主主義の大原則だ。

 官邸は,戦争法案の,これ以上の審議は「負け戦」だと判断したに違いない。だから,一刻も早く打ち切りたい。そして,「十分審議は尽くした」と嘯いて,強行採決のチャンスをうかがっている。そのなによりの証拠が,国会中継の中止である。うやむやのうちに,なし崩し的に,法案成立の「事実」だけを残せばそれでいい,と判断しているようだ。高村副総裁の発言(国民が反対しても法案は通す)がそれを裏づけている。

 9月6日に名古屋で開催された「国会議員に聴こう」という戦争法案についてのシンポジウムでも,野党各党代表の議員は出席したが,自民党と公明党の議員さんは欠席。ここでも戦争法案を正当化し,国民の前で説得するだけの根拠がもはやなにもない,ということを実証してしまっている。もし,どうしても国民を説得する必要がある,そして,国民の支持を得たいという意思があれば,なにをおいてもここにやってきてみずからのよって立つ根拠を主張すべきではないか。しかし,それがもはやできないところにまで追い込まれてしまっているのだ。しかも,そのことを「自覚」してもいる。にもかかわらず強行採決を虎視眈々と狙っている。

 戦争法案の審議・議論に関して,こんな最悪の終末局面を迎えている以上,とりあえずは,「廃案」にして,仕切り直しをするのが良識というものだ。そして,選挙公約に憲法改正を掲げ,その禊ぎを経てから法案を提出する,これがスジというものだ。こんな判断すら,もはやできない,最悪の状態に政権与党は陥ってしまっている。

 しかも,アベ君は「裸の王様」。とりまきの議員は,みんな「裸」であることを承知の上で,「自発的隷従」。そして,運命共同体。総裁選挙も一致団結して「無投票」に。全派閥が結束して(大臣ポスト欲しさに),野田聖子立候補の突き崩しに対抗した。ここに断末魔の自民党の姿をみる。いよいよ重症患者の態をなしてきた。

 さて,いつ,どこで,どのようにして自民党の「崩壊劇」がはじまるのか,それこそわれわれ国民の「力」の見せどころだ。その「力」を結集するのはいつか,「いまでしょう」。

 NHKの国会中継を力づくで中止させた政府自民党って「気色悪いよね」。アベの「顔もみたくないよね」。一刻もはやく「お引き取りを」。「ア・ベ・ハ・ヤ・メ・ロッ ! 」

2015年9月7日月曜日

『世界』10月号の田中淳哉論文「安保法制NO!」に光明をみる。

 昨日(6日)の新宿・伊勢丹前・歩行者天国でのデモに参加して帰宅したら,『世界』10月号がとどいていました。いつものように,目次を眺め,編集後記(清宮編集長)を読み,そのうしろの広告を眺め,それから,本文をざっと拾い読み。

 そのあと,編集後記に紹介されていた田中淳哉論文を,こちらはじっくりと読みました。とても平易な文章でわかりやすく,説得力がありました。タイトルは,「これからどうする?わたしたちにもできる『安保法制 NO!』」というもの。

 国民の6割以上が「廃案」を求めているのに,それでも政府は議席の数を頼りに強行突破しようとしています。審議もじつにいい加減なままに。アベ君にいたっては,審議の終盤のいちばん大事なときに国会をさぼって大阪のテレビ番組みに出演する始末。ほんとうに国民を馬鹿にしています。国民を舐めています。

 昨日のSEALDsのシュプレヒ・コールがまだわたしの耳にはっきりと残っています。
 「国民 舐めんな!」
 「オレを 舐めんな!」
 「人間 舐めんな!」
 「子どもを 舐めんな!」
 「ジイちゃん 舐めんな!」
 「バアちゃん 舐めんな!」

 そして,つぎのようにつづきます。
 「日本を 守れ!」
 「生活 守れ!」
 「未来を 守れ!」
 「子どもを 守れ!」

 こうした抗議行動は,もはや全国津々浦々にまで浸透しています。まさに,草の根の運動にまで浸透しています。その数の総和が「6割」以上の意思となり,「廃案」を求めています。にもかかわらず,立憲主義も民主主義も無視する政府は,16日には強行突破して,この「でたらめ法案」を成立させようとしています。そして,それはその気になれば,可能です。

 もし,そのようなことになれば,これまで抗議行動をつづけてきた人びとの落胆はいかばかりか,と推測してしまいます。なぜなら,このわたしがそうですから・・・・。いったい,この先,どうなっていくのか,という不安でいっぱいです。この「これからどうする?」という,わたしのような人間に真っ正面から応答してくれたのが田中淳哉論文でした。

 詳しいことは本文に譲りますが(すぐに読めますので,本屋で立ち読みをしてみてください),その中にありました「アクション・リスト」(田中淳哉作成)を紹介しておきましょう。これなら,わたしにもできる,という抗議行動が,初級⇨中級⇨上級⇨達人!までランクづけされて,一覧表になっています。この中のできることからはじめればいい,というとても親切,かつ便利なアクション・リストです。

 
わたしが気に入ったのは,「アピール行動で」の上級に「サイレント・スタンディングする」というものです。これなら,たった一人で行動することができます。しかも,いつでも,どこでも。ただし,ちょっとばかり勇気が必要ですが。2,3人,友だちを誘って「サイレント・スタンディング」するなら,少し楽になるなぁ,などと想像しています。

 これから気の長くなるような闘争がはじまる覚悟で,いま,できることに全力を傾けたいとおもいます。  

2015年9月6日日曜日

安全保障関連法案に反対する学生と学者による街宣行動@新宿伊勢丹前・歩行者天国,に参加してきました。

 9月6日(日)午後3時からはじまる抗議集会に行ってきました。題して「安全保障関連法案に反対する学生と学者による街宣行動@新宿伊勢丹前・歩行者天国」。ときおり,通り雨のように激しく降る雨のなか,1万2000人(主催者発表)が集まりました。

 
伊勢丹の交差点からJR新宿駅東口近くまで,車道も歩道も人でいっぱい。わたしは少し早めに到着したのですが,すでに,人でいっぱい。歩行者天国になっている大通りに交叉する道路にも人がいっぱい。

 
雨が激しく降るたびに,傘・レインコートなどの準備のなかった人たちが,集会から離脱していきます。それでも,その穴を埋めるかのように,つぎつぎに歩道から歩行者天国の道路に人はなだれ込んできます。ですから,歩行者天国の道路はつねに人でいっぱい。

 
いつものように,テンポのいいシュプレヒ・コールがはじまる。
 「憲法 守れ」
 「戦争 反対」
 「勝手に 決めるな」
 「安倍は 辞めろ」
 「人を 殺すな」
 「民主主義って,なんだ」「これだ」
 「立憲デモクラシーって,なんだ」「これだ」

 
まずは,学生たちがリレー・スピーチ。
 ついで,学者たちがリレー・スピーチ。
 そして,政治家たちがリレー・スピーチ。

 民主党からはれんほうさん。歯切れのいい迫力満点のスピーチがつづく。一緒にいたNさんが,水谷八重子の新劇のセリフのように聞こえる,と笑っている。
 社民党からは吉田党首。一生懸命,声を張り上げ,語りかけるもいささか冗長。こういう場のスピーチになっていない。でも,善良な人だというハートは伝わってくる。
 共産党からは志位委員長。若いころに比べたら,演説が上手になったなぁ,と感心するほどのいいスピーチ。何回も,大きな拍手を浴びている。

 
午後5時をまわったところで,雨にも濡れ,からだが冷えてきたので,わたしは帰路につく。Nさんは,もう少しここに残る,ということでお別れ。

 
これでも,安倍は強行突破していくでしょうね。そのあとが大事でしょうね。さて,どんな展開が待っているのか・・・・,などという話を雨宿りしながらNさんとひとしきりする。

 不思議なことに,待ち合わせもなにもしていないのに,Nさんとはいつも現場でばったりと出会う。その割には,他の知っている人には出会わない。なぜか,ご縁を感ずる。

自民・公明両党の地元選出議員に抗議の電話・ファックスを送ろう!

 いよいよ16日(水)に,6割強の国民が反対している戦争法案の強行採決が行われるようです。もう,時間がありません。

 国会前や,都内の各地で,連日,抗議行動の予定が組まれています。ネットで調べればすぐにわかります。行動できる日時を確認して,一回でも多く参加したいとおもいます。

 それも思うにまかせない多忙な方は,自分の選挙区から選出されている自民・公明両党の議員さんに電話か,ファックスで抗議の声を伝えましょう。

 そのとき,注意したいこと以下の点です。
 まずは,こちらの名前(フルネーム)と住んでいる地区を精確に伝えること。
 用いることばは,できるだけ丁寧に。
 そして,気持ちをこめて語ること。
 余分なことは言わずに,簡単明瞭に。

 たとえば,ファックならば,以下のように。
 「わたしは稲垣正浩と申します。川崎市の高津区に住んでいます。戦争法案に断固,反対です。この法案が廃案になるよう,行動してください。もし,賛成の行動をとられた場合には,つぎの選挙では投票しません。別の候補者を応援することにします。よろしくお願いいたします。」

 というような具合です。もっと,短くてもいいと思います。一行でもいい,と思います。とにかく,選挙民としての意思を伝えましょう。

 これは,議員さんにとっては最大の脅威です。こういう声が多く寄せられれば,考えざるをえなくなるはず・・・・。

 それでも,こちらの意思を無視するようでしたら,こんどこそ「落選」させるための運動を展開するだけの話です。

 こうした息の長い運動を覚悟して,いま,できることから始めましょう。

2015年9月5日土曜日

9月16日強行採決だとか。自民・公明の全議員よ,覚悟はいいか。選挙が待っている。

 ついに,アベが「今国会で決める」と宣言し,16日採決で調整に入った,という。

 あんなデタラメな答弁しかできない法案,それも質疑を重ねれば重ねるほどに重大なる「隠された事実」がつぎつぎに明るみにでてくる始末。とうとうNHKは国会中継を取りやめ,アベは国会をさぼって大阪のテレビに出演。つまり,国会で答弁するのが嫌になってしまって,国会逃亡。仲良しクラブに囲まれたミヤネヤ一家と放談する道を選んだ。まことにもって「幼稚」な,わがままな選択。こういう人間が,国のトップにいることの悲劇が,いま,目の前で進行している。

 そして,この情況そのものが,まるごとひっくるめて国際社会の「笑い物」になっている。この事実を必死になって蓋をする日本のメディア。情けない。犯罪にも等しい行為だ。アメリカの議員だって,腹の底ではほくそえんでいる,という。

 中国外交も「面白くない」(歓迎してくれない)というただそれだけの理由で「無視」。それどころか,抗議までして,危機的情況を意図的に作り出してさえいる。そう,戦争法案を正当化するために。やることが稚拙である。ロシアにも抗議をして,緊張感をあおっている。やることなすことが「子ども」の稚戯に等しい。まるでマンガの世界だ。

 政治の貧困。こんなに荒れ野原になったことが,かつてあっただろうか。

 いずれにしても,9月16日には強行採決をするべく,調整に入ったという。

 さて,わたしは,そして,あなたはどうする?
 これから16日までの間にできることはなにか。
 ふんどしを締め直して,覚悟を決めなくてはならない。

今野哲男の『竹内敏晴』(言視舎,2015年刊)を読む。渾身の評伝。「竹内レッスン」理解のためのバイブル。

 今野哲男さんの気魄が伝わってくる渾身の評伝,これがわたしの第一印象でした。竹内敏晴という大きな存在を,しかも,二転三転と,虫が蛹となり,やがて蝶になるように,生き方そのものを変化させざるをえなかった,ぎりぎりいっぱいの実存の「生」を生きた竹内敏晴という存在を,どのように描くかは尋常一様の作家の手には余るものだ,とわたしは考えていました。ですから,今野哲男さんが,さて,どのように描くのか,わたしには興味津々でした。

 しかし,今野哲男さんは,ご自分の全存在を賭けて竹内敏晴という存在に体当たりをするようにして,場合によってはご自分が木っ端みじんに砕け散っても構わないというほどの覚悟をもって,この評伝に全エネルギーを注ぎ込まれました。そういう気魄が全編にみなぎっています。少なくとも,わたしはそのように受け止めました。

 ですから,最初から最後まで,ピンと張りつめた緊張感が持続され,竹内敏晴という人物について多少とも興味・関心をもち,とりわけ「竹内レッスン」についてある程度の理解をしている人間にとっては,息継ぐ間もないほどの迫力で,今野さんの選び抜かれた的確なことばで構築された文章が迫ってきます。そして,読み終わってみると,この本は,最終的には「竹内レッスン」を理解するための貴重なバイブルになっている,としみじみおもいました。

 
その理由は以下のとおりです。

 評伝の書き方にはいろいろの方法やスタイルがあるとおもいます。今野さんは,竹内敏晴の生き方を,時代や社会の思想情況と,みずからを取り巻く「生」の現場とをクロスさせながら,それらと真っ正面から向き合い,いかなる妥協をも許さず,つねに全力で闘い,前へ前へとみずからを駆り立てていく,そういう「生」の探求者として描いているようにおもいます。そして,そこに縦糸のように,「身障者性」という補助線を一本とおして,竹内敏晴の「生」の独自性を際立たせようとしています。「身障者性」とは,竹内敏晴を生涯の前半生の長きにわたって悩ませた「耳疾」「聴覚障害」「吃音」,そこから出来するコミュニケーション障害,そして,「ことば」に対する徹底したこだわりと透徹した思考を導き出すことになった,今野さんの行き着いた,この評伝に流れる通奏低音のようなキー・コンセプトのことです。

 今野さんによれば,竹内敏晴は,この「身障者性」と時代精神の二つとの絶えざる闘いであった,ということになるようです。とりわけ,敗戦後の時代の混沌とした思想情況,とりわけ,左翼的なイデオロギー論争との格闘が,竹内敏晴の演出家としてのスタンスをつくりあげていくことになります。その際,既製の組織に身を寄せることなく,つねに,一匹狼として,自己に忠実に生きることをみずからに課していきます。そのときの導きの糸(Leitfaden)が「身障者性」であり,みずからの「からだ」をとおして確認・把握できるものだけに「信」をおくことでした。つまり,既製のイデオロギー論争に寄り掛かることなく,「ことば」を発する「からだ」の声に耳を傾け,それをみずから信ずる思想・哲学で裏づける,そういう生き方を第一としたということです。

 竹内敏晴の生きた時代を,かれのライフ・ヒストリーと重ね合わせて,簡単に要約しておけば,以下のとおりです。第二次世界大戦が終わるまでの戦中時代,つまり,幼少期から第一高等学校卒業直前まで(第一期),敗戦から東大文学部卒業,そして,「ぶどうの会」での演出家として活動をはじめ,岡倉士郎からの影響を強く受ける時代(第二期),さらに,「ぶどうの会」でのごたごたからみずから身を引き,「竹内演劇研究所」を立ち上げ,そこでの実験に満ちた演出家としての活躍の時代(第三期),そして,さらに,ここでの実験を普遍に広げるべく,まるでとんぼを切るような一大決心ののちに役者ではなく素人を主たる対象とする「竹内レッスン」に全力投球する時代(第四期),という具合です。

 今野さんは,このうちの第二期,第三期,第四期の三つの時代を,竹内敏晴がホップ,ステップ,ジャンプした三つの時期として,敗戦後の時代精神と格闘しながら大きく変容していく姿を丹念に,しかも,今野さんでなければ手のとどかない演劇の世界の舞台裏までを緻密に描き切っています。ここの部分は,わたしにとってはまことにありがたい分析になっていて,わたしが関心をもつ「竹内レッスン」を理解する上でとても役に立ちました。

 その意味で,この本は,「竹内レッスン」を理解するための貴重なバイブルになった,とわたしは受け止めました。

 いずれ,わたしたちの研究会(「ISC・21」月例会)でも,この本をテクストにした合評会をもちたいとおもいます。もちろん,今野哲男さんにもお出でいただいて。そして,それぞれに思い描いている竹内敏晴像について思いの丈を語り合いたいとおもいます。

 今野哲男さん,とてもいいお仕事・・・,いやいや畢生の傑作評伝をまとめられ,こころからお慶びを申しあげます。そして,こんなに素晴らしい評伝『竹内敏晴』をわたしたちに提示してくださり,ありがとうございました。ここから多くのものを学んでいこうとおもっています。どうぞ,こんごとも,よろしくお願いいたします。

2015年9月4日金曜日

「白紙撤回」がつづく。新国立競技場,五輪エンブレムときたら,こんどは戦争法案の番だ。一蓮托生。同罪。

 新国立競技場建造計画が白紙撤回された。とおもっていたら,こんどは五輪エンブレムも取り消して,振り出しにもどる,という。ならば,こんどは戦争法案の番だ。こちらも早々に白紙撤回してもらおう。これらはすべて同根。遺伝子は同じ。同罪。同じアベ政権の無責任体制のなかから批判の対象として表出した事態なのだから。すなわち,一蓮托生。すべて白紙撤回すべし。

 ついでに,東京五輪2020も返上すべし。

 この無責任体制がつづくかぎり,五輪を開催する能力はもはやない。だれも責任をとらない組織が,大きなイベントをコントロールする力などないのは明々白々だ。それをなにより物語っているのが,新国立競技場に建て替え失敗。その責任を問うこともなく,担当大臣を一人加えただけで,あとは組織替えもしないで,同じメンバーが担当している。


しかも,新国立競技場を建造する共通のコンセプトもなにもないまま・・・・。烏合の衆が,別々のロジック(業界ごとのロジック)や力関係(利害・打算)のもとで,しかも密室で,ごそごそと,下心や根回しやえさ(金,地位,権力,など)の渦巻くなかでの「合議」が重ねられているだけ。そして,最後は,声の大きな人の一声で,さも,なにもかもうまく決まったかのようなポーズをとる。しかし,内実はなにも変わってはいない。

 新国立競技場問題も,これから公明正大にゼネコン選びをやると言っているが,その応募条件は基本的には最初のときと変わってはいない。高さ制限も,環境に対する配慮(風致地区)も,周囲の住民に対する配慮も,みんな最初のものと同じだ。このまま,ずるずると話を進めていくと,またぞろザハ案が復活してくる可能性もある。あげくのはては,上限を決めたはずの金額をもはるかに超えていく可能性もある。

 わたしの眼には,単なる責任逃れ(無責任体制の正当化)と国民の批判をかわすための時間稼ぎ(冷却期間)にしかみえない。白紙撤回などというのも,アベの得意とする「ウソ」。

 なぜ白紙撤回しなければならなくなったのか,その理由はなにか,そうなってしまった責任はだれにあるのか,これを突き詰めることが先決ではないのか。こんなことは短期間でやろうとおもえばできる。しかし,もとよりやる気はないのが権力だ。それで済ませられると,国民を舐めている。権力の驕りそのものだ。

 つづいて飛び出してきた問題が,五輪エンブレムの「白紙撤回」だ。これも,もはや,ここに書くのもいやになるというしろものだ。こちらこそ,徹底的に「責任」を問うべきだ。組織委員会には公正なコンペをやる資格も力もない。やれば,またぞろ同じことの繰り返し。第一,応募条件に,なんらかの賞を受賞したことのあるレベルの高いデザイナーに限定し,しかも,デザインの世界の大御所と言われるメンバーで委員会を固め,密室で議論していることが大問題なのだから。

 
さっさと手放して,第三者委員会にでも委託すればいい。
わたしの考えはこうだ。

 デザインの公募は,すべての国民に開かれるべきだ。デザインの専門家などに頼ることなく,幼稚園から小中学校の生徒,高校生をはじめ,あらゆる国民が応募できるように開くべきだ。そうして,国民全体に東京五輪2020への関心と親しみをもってもらうことだ。そうして,われこそは,という人たちにいいアイディアを出してもらうことだ。

 そうして応募される作品は膨大なものになるだろう。その選別方法もいろいろやり方はある。それこそ第三者委員会で頭をひねってもらって,適切な方法を決めればいい。このわたしですら腹案があるくらいだから。そして,最後は,「ベスト10」を選出し,その作品を公表して,国民投票で決めればいい。これが公明正大ということだ。

 これをやれば,たぶん,相当に盛り上がることだろう。それが五輪を招致した最大の理由だったのではないのか。初心にかえって,もう一度,仕切り直しをすることが,いま,なにより求められている。どうでもいい「有象無象」が寄ってたかって,ハイエナのように食い物にしている姿が,ここまで剥き出しに露呈してしまったいま,もう失うものはない。とうのむかしに,国際社会の笑い物にまでなってしまったのだから・・・。

 この二つの案件とまったく同じことが起きようとしている。それが「戦争法案」だ。国会審議の政府の答弁を聞けば聞くほど,この法案を成立させる根拠が,ほとんどなにもないということがはっきりしてきた。第一,閣議決定で憲法解釈を変えたところからして,憲法違反だ。憲法をもっとも守らなくてはいけない政府が,率先垂範して,それを無視するという暴挙にでた。憲政史上初の「暴挙」だ。こんな政府はみたことも聞いたこともない。

 だから,歴代首相も歴代法制局長官も,みんな「廃案」にすべきだ,と声を挙げた。そして,国民の「6割」以上が「廃案」と言っている。「8・30」集会では,12万人が国会を取り巻いた(わたしなどは,国会前までたどりつけなくて,引き返し,霞が関の周辺で行っていた抗議行動に参加していたほどだ)。もはや,これ以上の議論も不要だろう。すなわち「白紙撤回」。

※今日になって,ついに元最高裁長官が発言をした。すなわち,戦争法案は違憲であるとし,廃案を求めている。

 政府は,どうしてもやりたいなら,即刻,「廃案」にして,仕切り直しをすればいい。そして,つぎの選挙公約で「憲法改正」を掲げればいい。そこを通過してからの「戦争法案」だ。

 「白紙撤回」の茶番劇も,新国立競技場⇨五輪エンブレムと進行した。つぎは,戦争法案だ。ホップ・ステップ,そして「ジャンプ」だ。戦争法案は「白紙撤回」の最後のジャンプだ。そこで幕引き。でも,この茶番劇はなかなか収束しそうにない。ホップもステップも,まだまだこれからだ。そして,最後の「ジャンプ」はもっとやっかいなことになりそうだ。

 この三つを並べてみると,ホップもステップも,大したことではない。こんなものは「屁」のようなものだ。言ってしまえば,どうでもいい。最後の「ジャンプ」に比べれば。問題はこの戦争法案だ。これだけは,どんなことがあっても阻止しなくてはならない。日本国の命運にかけても。そして,これから生きていかなくてはならない国民の「命と安全を守る」ためにも「廃案」に持ち込まなくてはならない。

 一蓮托生。三つ揃い踏みで「白紙撤回」。全部,仕切り直し。これが現政権の実力だ。こんな程度の低さから一刻もはやく脱出しなくてはならない。道は険しいが,諦めてはならない。

 9月14日まで,国民が一丸となって,闘うしかない。頑張りたい。頑張りましょう。

2015年9月3日木曜日

『スポーツ学の射程』(井上邦子・松浪稔・竹村匡弥・瀧元誠樹編著,黎明書房,2015年9月刊)がとどく。

 身にあまる光栄というべきか,この本は,わたしの喜寿記念論集として刊行されました。
 まずは,編著者をはじめとする喜寿記念論集刊行委員会のみなさんにこころからお礼を申しあげます。わたしごときの人間にこのような最高のプレゼント(=ギフト=「贈与」)をしてくださり,感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

 「贈与」となれば,それなりの応答をしなくてはなりません。いわゆる「贈与経済」でいうところの応答です。贈与(=Gift)には「毒がある」といいます。この「毒」は「薬」にもなります。まずは,この「贈与」を「薬」としていただきたいとおもいます。そして,この「贈与」はなによりも,わたしの術後のからだにとっての最高の「良薬」にしたいとおもいます。

 つまり,元気になって,毎月の例会に出席し,みなさんからの「スポーツ学」的な挑発を受け止めつつ,こちらからも投げ返す(返礼=贈与を返す)ことができるようになること。養生につとめながら,この道をまっしぐらに歩みたいとおもいます。

 重ねてお礼を申しあげます。ありがとうございました。

 
このテクストは,総勢18名の研究者が顔をそろえ,それぞれの専門領域の研究成果のエキスを論考としてまとめ,寄稿してくださっています。ざっと拾い読みをさせていただきましたが,いずれも「力作」ばかりで,感動しました。やはり活字になりますと,いつもの例会での議論とはまた違った側面が明確になり,ありがたいことです。と同時に,それぞれの研究者の方たちの研究の「深み」を知ることができ,教えられることがたくさんあります。これからじっくりと拝読させていただこうとおもいます。

 ここでは,とりあえず,目次を紹介させていただき,このテクストの紹介に代えさせていただきます。表紙カバーの折り返しの部分のコピーと一緒に。

スポーツを,既存の見方に捉われない視点より追究し,知的冒険に誘う18の論考。
『スポーツ学の射程──「身体」のリアリティへ』
Ⅰ章 <競争>を問う
1.スポーツにおける判定を考える
2.「無気力試合」を「問題」とする問題
3.レースは過酷だったのか
4.スポーツと国家
Ⅱ章 <歴史>を紐解く
1.体罰の起源を探る
2.軟式庭球の名づけ
3.戦時下のプロ野球
4.集団体操時代の「変な体操」
5.学校体育に初めて正式採用された体操
6.20世紀初頭の体操改革運動が残したもの
Ⅲ章 <民俗>をみつめる
1.野見宿禰は河童なのか
2.舞台における<武>からなにが見えてくるのか
3.ヨーロッパ球戯考
4.バスク地方のペロタ球戯と教会
Ⅳ章 <身体>を感じる
1.生きる/動く,からだ
2.身体という盲点と出会うために
3.「からだ」の探求者
4.「生きもの」としてのからだといのちを考える

 ご覧のとおりの,とても魅力的なテーマが並んでいます。ぜひ,手にとって内容をご確認いただければ幸いです。

 なお,一つだけわたしからのコメントを付しておけば,以下のとおりです。
冒頭論文の「スポーツにおける判定を考える」と末尾を飾る論文「『生きもの』としてのからだといのちを考える」は,いずれも近年のわたしの問題関心に対して,それをみごとに投げ返す構成になっていて,すみずみにまで気配りの効いた,素晴らしいテクストになっている,ということです。この二つの論考の間にも,わたしの問題意識にもろに跳ねかえってくる論考が満載です。

 この点については,いつか,合評会の折にでも・・・と考えています。

 それから,最後に,つぎの点も触れておきたいとおもいます。

 思い返せば,わたしが定年で退職するときにも,このメンバーの多くの人が参集して,「退職記念論集」=『スポーツ学の冒険──スポーツを読み解く<知>とはなにか』(船井廣則,松本芳明,三井悦子,竹谷和之編著,黎明書房,2008年刊)を刊行し,「贈与」してくださいました。こんどのテクストは,その意味では,「続編」に相当します。しかも,編著者も前回は,毎月開催しています例会の世話人の4人(船井,松本,三井,竹谷」が担当してくださり,今回は,そのつぎの世代の4人(井上,松浪,竹村,瀧元)が頑張ってくださいました。これで,「21世紀スポーツ文化研究所」が主催する月例会「ISC・21」も,少しずつバトン・タッチがなされ,つぎの時代への扉が開かれていく,とこころの底から喜んでいます。

 この意味でも,今回のこのテクストの刊行は意味深いものだ,とこころから感謝しています。

 最後に,重ねてお礼を申しあげます。
 編著者のみなさん,そして喜寿記念論集刊行委員会のみなさん,ありがとうございました。

高い姿勢で,よいイメージを描きながら,手足は力を抜いてへらへらと動かしなさい。李自力老師語録・その58。

 久しぶりに李自力老師が稽古に顔をみせてくださいました。日中往来の超多忙のなか,貴重な時間を割いてくださり,申しわけないのひとことです。

 今日は,しばらく黙ってわたしたちの稽古をみとどけた上で,わたし個人に対してつぎのような指導をしてくださいました。

 「これは,わたしの個人的な考えですが・・・・」と前置きして,かなり厳しい口調で「高い姿勢で,よいイメージを描きながら,手足は力を抜いてへらへらと動かしなさい」「なぜならば・・・・」というお話をされました。もちろん,わたしの術後のからだのことを念頭に置いてのお話で,特例中の特例というべきかもしれません。しかし,よくよく考えてみますと,以前から何回も言われてきた「高い姿勢で,からだの力を抜いて,楽な気持ちで」という指摘と,基本的には同じことです。つまり,太極拳の「普遍」に通ずる道を指摘されたということです。

 別の言い方をすれば,世阿弥の『風姿花伝』にでてくる「時分の花」を超越した境地をめざせ,ということでもある,とわたしは理解しました。いたずらに低い姿勢をめざして,若さと競合するようなことはやめなさい,と。年齢相応に,そして,術後の「からだ」にふさわしい太極拳をめざせ,と。つまり,弱ったからだに無理を強いて,余分な負荷をかけて稽古をしてもなんの役にも立ちません,と。

 こんな李老師のお話を聞いていたら,道元のいう「修証一等」ということばが浮かんできました。修行と悟りは一つのことである,と。つまり,修行は悟りのレベルに応じて可能なのであって,無理をして修行をしてもなんの役にも立たない,と道元は『正法眼蔵』のなかで説いています。つまり,修行とは悟りの表出なのだ,と。あるいはまた,悟りとは修行そのものであって,それ以外のものではない,と。

 ここまで考えたときに,今日の李老師のことばはとても重いものだ,と気づきました。そして,最後の「とどめ」は,術後の胃(三分の二切除)と肝臓(三分の一切除)に負荷をかけてはいけません,というものでした。低い姿勢で脚に負荷がかかると,それと同じように内臓にも負荷がかかります。その負荷は術後の内臓の回復のためになりません。できるだけ,内臓に負荷をかけないで,ゆったりとした太極拳をめざしなさい。それが術後の太極拳というものです。

 からだ最優先。それに見合った太極拳をしなさい。無理は禁物。そこにもまた太極拳の新たな地平が拡がっています。と懇々と説諭されてしまいました。ここまで言われたら,もはや,返すことばもありません。それどころか,身にあまる光栄,ありがたいことです。

 この説諭のあと,「高い姿勢で,よいイメージを描きながら,手足は力を抜いてへらへらと動かす」太極拳の見本を垂範してくださいました。つまり,よいイメージを描くことに意識を集中させることを最優先にし,あとは,全身の力を抜いて「適当に」手足をへらへらと動かせば,それでいい,と。これがまた,みごとに美しいのですから,困ってしまいます。とても,あんな風にはできません。そうか,高い姿勢とはいえ,そして,力を抜いてしまっても,いや,力を抜いてしまうからこそ,そこに浮かび上がってくる表演は,また,新たな,もう一つの太極拳の醍醐味なのだ,と納得しました。

 かくなる上は,これからの太極拳はそこを目指そう,とこころに決めました。

 今日の稽古はわたしにとっては「値千金」でした。長く記憶に残る稽古になるでしょう。また,そうあらねばならない,とも感じました。ありがたいことです。謝々,李老師!

2015年9月2日水曜日

国会周辺12万人は「大いなる誤解」(すが長官),とんでもない!

 「8・30」の国会周辺12万人,抗議行動が官邸を中心にあちこちに相当のダメージを与えているらしい。その「あせり」の発言が相次いでいます。

 まずは,すが長官。12万人は「大いなる誤解」だ,と発言。なにを,とんちんかんなことを言っているのか。これではますます火に油をそそぐようなもの。国民の怒りがさらに燃え広がる。当然のことながら,支持率もさがる。そういう意味では,まことに結構。もっともっと言ってほしい。

 それにしても「大いなる誤解」とはよく言ったものだ。ということは,歴代首相を筆頭に,歴代法制局長官,法曹界,憲法学者,大学有志の会,ママさんの会,SEALDs,その他(わたしのような人間),みんな「大いなる誤解」をしているということか。ならば,ついでに「誤解」をしていない人たちにどういう人たちがいるのか,教えてほしいものだ。戦争法案賛成のデモもあったそうだが,集まったのはたった「100人」たらずだった,とか。

 つぎに,アベ君。国民の理解がえられていない,と発言。いえいえ,テレビ中継をじっくり拝見させていただいて,この戦争法案は駄目だ,と十分に「理解」し,ただちに「廃案」にすべきだと判断した人たちが全国各地で蜂起しただけの話。もうすでに,「廃案」にすべきだという人が62%に達していることを,しっかりと受け止めるべき。もう,これ以上の国会討論は不要。ただちに「廃案」にして,国会を閉会にすべし。税金の無駄遣い。それが民意を受け止め,その声に従うということ。

 最後は,ハシシタ君。「たった12万人で国政が影響を受けるとしたら,それは民主主義の否定だ」だと。君はほんとうに弁護士さんなのか。法律の専門家が,こんな認識をしているとしたら,とても恥ずかしい。維新の党を分裂させて,なおかつ,新党を設立するという。おやおや,政界から引退するのではなかったっけ。党費を返せ,という抗議の電話が党員から日に100件もかかっているとか。とにかく人騒がせが好きなだけ。この「わが・まま」(my mother )ぶりは,アベ君と同じ。だから,気が合うのでしょうね。

 こういう発言が飛び出してくることをよくよく考えてみると,やはり,相当に焦っているとしかいいようがありません。これらの声は,もはや,断末魔の表出だとしか聞こえません。支離滅裂。冷静さを欠いています。

 国会審議はストップしたまま。いつ再開されるか目処も立たないらしい。それでも「時間」がくると,強行採決に踏み切るのでしょうね。そうは問屋が卸しません。これから,もっともっと大きな抗議行動が展開されることになるでしょう。

 岸信介政権が,激しいデモ攻勢に押しつぶされ,転覆したことを昨日のことのように思い出されます。全共闘闘争についてはいろいろの批判がありますが,いずれにしても,岸政権を倒したお蔭で,「憲法9条」がこんにちまで守られ,曲がりなりにも「平和」が維持できたことはきちんと評価しておくべきだとおもいます。

 今回は,その主役に,SEALDsが躍り出てきました。しかも,じつに素朴な,素のままの思いを,そのまま表現する抗議の仕方が多くの人びとのこころを捉え,動かしています。しかも,かれらは「本気」です。この盛り上がりが,さらに大きくなっていけば,必ずアベ政権は倒れます。そうなると,日本の現代史にその名を残す大きな功績となります。場合によっては,ノーベル平和賞の対象にもなるでしょう。

 今回の「8・30」抗議行動は,日本のメディアは適当に流していますが,海外ではたいへんな反響を呼んでいることがインターネットで知ることができます。アベ政権が,もはや,海外ではまったく信頼を失ってしまっていることも,伝わってきます。ドイツなどは,原発再稼働と併せて,戦争法案を徹底的に批判しています。むしろ,脅威に感じているようです。

 「国民の命と安全を守る」ための法案が,逆に,「国民の命と安全」を脅かしていることを,日本のメディアは伝えていません。とにかく,日本の報道が,こんな状態になってしまったのも,みんな「アベ」の差し金によるものです。それ以前にはなかったことです。たった,ここ数年の間に,日本のメディアは死んでしまいました。

 そのためにも,アベ政権は早々にお引き取り願わなくてはなりません。
 国会前の抗議行動はまだまだ,これからです。頑張りましょう。

2015年9月1日火曜日

血液検査の結果良好。ガン・マーカーも異常なし。久しぶりの診察結果。

 今日(31日)は久しぶりの診察の日。すっかり忘れていて,今朝になって気づきました。午後2時の予約だったので,助かりました。呑気なものです。考えようによっては,診察日を忘れるくらいに順調にきていた,ということでもあります。

 少し早めに行って,採血。その結果がでるまでには1時間少々。その間に,病院の中にあるカフェで昼食(とろろそば)。とろろは食べたあと胃のなかでふくらむことを思い出し,しまったとおもうも手遅れ。途中で中休みをして,それでもいやしいので,全部たいらげてしまう。これがいけないのです。残せばいいのです。胃袋がいらない,と言ってるのですから。でも,近代栄養学に洗脳されてしまっているわたしの脳は「残さず食べろ」と命じます。しかも,そんなことをする必要はない,とわかっているのに,それでも脳にしたがってしまう馬鹿なわたし。

 もどってきて,診察の順番を待つ廊下の椅子で,持参した『竹内敏晴』(今野哲男著,言視舎刊,2015年6月,第一刷)を夢中になって読む。昨日,国会に向かう前に神田の信山社で購入したばかり。じつは,早い時点で,著者の今野さんからメールがあり,読後の感想を聞かせてほしいと言われ,早く購入しなくてはと焦っていたところです。メールをいただいてから入院手術などが割って入ってきてしまいましたので,すっかり後手になってしまいました。しかし,読み始めましたら,これはもうやめられないほどの,今野さんの渾身の力作評伝であることがわかりました。わたしの知らない竹内敏晴ワールドを存分に語ってくれていますので,とても勉強になります。いずれ,わたしたちの研究会でも合評会を・・・と考えながら読んでいます。

 さて,だいぶあって診察室から呼び出し。久しぶりにN医師の診察。にっこり笑顔で迎えてくださり,第一声,血液検査の結果はとてもきれいで問題はありません,と。これでもう帰ってもいいとおもうほど安心しました。が,N医師に促され,診察台に横になり,触診。ひととおり腹部全体を指で押しながら,状態はとてもいいようですね,と。このことばも嬉しいかぎり。

 そのあとで,血液検査の一覧表を手にして,かなり詳細な数値のもつ意味について話をしてくださいました。が,専門的なことはあまりよくわかりませんでしたが,肝臓の具合はこのあたりの項目の数値からわかります,と説明されるとなんとなくわかったような気分になり,安心するものです。ありがたいことです。

 ひととおり説明が終わったところで,次回の診察についての打ち合わせです。次回は10月に,術後3カ月ということで,血液検査と超音波とCTの検査をしましょう,ということになりました。それを見届けたところで,つぎなる対策を考えましょう,とのこと。次回は,わたしの考えをきちんと伝えなくてはいけないな,と覚悟。

 まあ,いずれにしても,まずは結果よし。
 これで,また少し元気になれそうですので,これまでにたまってしまっている仕事を片づけなくては・・・・と前向きに。

 以上,ご報告まで。 

2015年8月31日月曜日

12万人が国会議事堂を包囲。「8・30」抗議行動,参加してきました。

 これまでのデモですら,国会周辺の地下鉄の駅はピーク時には大混乱になるということを知っていましたので,今回はちょっと時間をずらして参加してきました。これが大正解でした。帰宅してからネットでデモ関連の情報をチェックしていたら,地下鉄・永田町駅は大混乱に陥った,と報じています。

 わたしは神保町でひとつ用事をすませて,午後3時に霞が関駅に到着。それでも,駅構内は人でごった返していました。これから抗議行動に向かう人と,すでに引き上げてきて帰路につく人とで,相半ば。駅から外にでた交差点の向こう側の角でどこかの団体がリレー・スピーチをやっていました。当然のことながら,その一帯は人でいっぱい。その脇をなんとか通過して,国会議事堂をめざしました。

 この国会議事堂をめざす歩道も,帰路につく人とこれから向かう人とがすれ違うのが精一杯。なんども立ち止まっては,また,歩きだすの繰り返しです。その間,あちこちから「安倍はやめろ」「戦争法案絶対反対」「集団的自衛権はいらない」「民主主義とはなんが・これだ」といったシュプレヒ・コールが聞こえてきます。あるいは,リレー・スピーチもいろいろのところから聞こえてきます。そんな声に耳を傾けながら,牛歩がつづきます。

 1時間ほど,のろのろと歩いていましたが,このさきは帰る人の分だけ前に進むの繰り返しだと判断して,一旦,引き上げることにしました。午後5時に仕事が終わるので,そのあと国会に行きたいという友人と待ち合わせることになっていましたので,その待ち合わせ場所の近くで一休み。紅茶を飲みながらからだを休めることにしました。

 約束どおりに友人が現れましたので,再度,霞が関へ。さすがに,こんどはそんなに混雑することなく,国会議事堂前の交差点に到達することができました。それでも,かなりの人が抗議行動の余韻に浸りながら,警察官の規制行動を見守っていました。それでも時折,偶発的に「アベはやめろ」のシュプレヒ・コールがはじまります。みんなこれに声を合わせています。

 
すると,ご丁寧にも,「本日の集会は終わりました。お帰りください」と指令車の上に立つ警察官が繰り返し呼びかけています。しかも,「帰る人のために歩道を空けてください。立ち止まらないでください。歩行者の邪魔になります」と繰り返しています。わたしは思わず叫んでしまいました。「めん玉どこについてんだッ!歩くスペースは十分にあるッ!立ち止まっても邪魔にはなっていないッ!なんのためにそこに立ってんだッ!」と。近くにいた人たちの笑いをかってしまいました。


帰り際に面白いものを見つけましたので,写真に撮ってみました。この看板を掲げていたのは,創価学会の会員有志の人たちです。しかも,公明党につきつけるための署名活動もやっていました。こんなまっとうな会員がいるというのに,政治惚けしてしまった公明党は戦争法案に一直線です。こんなかんたんなロジックすらわからなくなってしまっているのか,それとも,いろいろの裏取引があって身動きできなくなってしまっているのか。いずれにしても,情けない話です。

 
いまこそ,公明党は自民党に三行半を突きつければ,歴史に残る快挙となるのに・・・。そして,つぎの選挙で大勝ちすることができるというのに・・・。そんな判断すらできないほどの「思考停止」,そして,「自発的隷従」。なにやってんだか・・・・。

 どこもかしこも,総狂い。みんな狂ってしまうと,それが正義になってしまいます。いまの自民党がその典型。こんなにボス(アベ)が狂ってしまっているのに,だれも文句も言わずに(言わせずに)黙って追従していく党員。ここにも「思考停止」と「自発的隷従」が立派に機能しています。だから,バカのいいなり。やりたい放題。

 それもそのはず。ボス(アベ)そのものが,アメリカのいいなり。「思考停止」「自発的隷従」を率先垂範しているのですから,党員も「右へならえ」をするしかありません。

 そして,とうとう「報道」までが,「犬HK」を筆頭に,そのほとんどが政府のいいなり,「思考停止」「自発的隷従」に甘んずるという体たらく。これでは民主主義は機能しません。若者たちが「民主主義ってなんだ」「これだ」と叫ぶ気持ちがよくわかります。

 最後に,これまた面白い看板を二つ,写真に撮ってみました。
 ご笑覧ください。

 

2015年8月29日土曜日

「8・30」100万人集会を成功させよう!全国各地ですごい盛り上がり。

 明日の「8・30」100万人集会に向けて,全国各地ですごい盛り上がりをみせています。それとなくインターネット情報をサーフしているだけで,その熱気が伝わってきます。これは尋常ではないぞ,とそんな予感がしてきました。

 国会周辺もたいへんなことになりそうで,ついに集結場所を各団体ごとに割り振っています。議事堂前の大通りは遠隔地から駆けつけた人たちと,一般参加の人たちに譲ってくれているようです。その他の団体は,それぞれの拠点を決めて,そこで集会をもち,デモを行うようです。国会周辺を多極的に固めようということなのでしょう。

 わたしの故郷である愛知県豊橋市でも,駅前広場で集会をもち(11時30分集合),そのあとデモを行う予定とか。もともと保守色の強いところで,しかもおとなしい性格の人が多い土地柄もあって,このような政治集会が立ち上がりにくいところです。なのに,ついに立ち上がる人たちがでてきた,ということを知り,感動しました。

 インターネットをみていると,地名をみただけではどこだかわからないような地方の都市や町でも,集会を呼びかけ,デモを予定しています。

 これほど政権が必死になって報道規制をして,国民に真相を教えないでフタをしてきたのに,国民はちゃんとその本質を見破っています。

 その最たるものは,国会討論です。一度でも,国会討論の,じつに馬鹿げたやりとりをみた人は,もう黙ってはいないでしょう。NHKが唯一,国民のために貢献しているのが「国会討論」のテレビ中継です。固定したカメラで,ありのままの,ぶっつけ本番の討論を流してくれています。いいも悪いも,もう,全部,まるみえです。大まじめな野党側の質問に対して,まともな答えをしないで,はぐらかしてばかりの政府側答弁。「イエス」か「ノー」が,短く答えてくれという質問者に対して,まったく答えにならない話をながながとする政府側。そのたびに,「書記を止めてください」という委員長発言とともに,中断。こんなことの繰り返し・・・・。

 共産党の志位委員長の話では,もう「77回」も質疑が中断しているといいます。それほどまでに,戦争法案を正当化するロジックがないために,でたらめの,はぐらかしの答弁をするしかないことが明らかになったのだから,もう「廃案」しかありえない,と志位委員長。

 こういう無意味な国会討論を,たった30分でも聞いてしまった国民は,もはや行動を起こす以外にはありえない,と覚悟を決めているのだとおもいます。

 いま,話題の山本太郎議員の質問が,あまりに核心に触れたために,NHKは中継を打ち切るという「暴挙」まで演じています。もう,でたらめです。こんなことがまかりとおるのですから。

 こんな「暴挙」も全国津々浦々にまで,リアル・タイムで伝わっていきます。むしろ,地方に住んでいる人たちの方が危機意識が高いのではないか,とわたしはおもいます。なんだか,わけのわからないことを,平気で,勝手に進めているアベ政権に,もはや,これ以上まかせておくわけにはいかない・・・と。

 そういう「怒り」の渦が,明日の「8・30」では,一気に噴出することになるでしょう。

 国会周辺10万人,全国100万人,こういう抗議行動が成功すれば,いかに破廉恥なアベ政権とはいえ,相当のダメージを受けることになるでしょう。かつて,岸政権が退陣したときのように,国民の「怒り」の渦を巻き起こして,その孫の政権も同じように退陣させなくてはなりません。

 みんな声を掛け合って,近くの集会に馳せ参じましょう。

 わたしも,明日は,100万分の1になるつもり。国会議事堂前に向かいます。

ああ,ウサイン・ボルト。200m決勝レースでも後半は流している。

 ウサイン・ボルト。200m決勝レースでも,コーナーを廻って直線コースにでてきて,自分が一番だと確認したとたんに,もう流している。ゆったりと楽に流している。にもかかわらず,追ってくる選手たちはその差を詰めることはできなかった。そして,悠々とゴール。いったい,なんという男か。こと200mに関しては敵なしだ。しかも,こんなにも力の差があるとは・・・・。 

 このところ,世界陸上にくびったけ。毎夕食のたびにテレビ観戦。そのまま午後10時までやめられない。困ったものだ。陸上競技がこんなに面白いものだとは知らなかった。たぶん,これはテレビ観戦の効果なのだろう。実際に競技場で観戦するのとはまるで違う世界。これこそ「みるスポーツ」の権化。いったい,テレビの画像をとおして,わたしたちはなにを「みて」いるのだろうか。

 じっさいに,スタジアムに行って,自分の眼で「みる」のと,テレビをとおして「みる」のとの違いはなにか。同じ「みる」行為なのに,どこが,どう違うのか。これは,じつは,とてつもなく重要なテーマなのだ。が,これまであまり踏み込んだ議論をだれもやっていない,と記憶する。今回はその入口の議論だけでも,ちょっとだけ試みてみたい。

 その違いの第一は,「みる」行為の主体がまったく異なるという点にある。テレビ観戦がはじまる前までは(それは,1964年オリンピック東京大会が大きな節目の年だった),スポーツを「みる」ためにはみずからスタジアムや野球場に足を運んで,自分の眼でみた。そして,そこでなにを「みる」かも自分で決めた。自分の興味・関心に合わせて見たいものを「みる」。つまり,すべてその主体は自分自身にある。しかし,テレビ観戦となると,送られてくる映像はすべてテレビ局によって編集されたものである。どの映像を切り取るかはすべてディレクターの主観に委ねられている。わたしたちは,それをただ享受するだけ。没主体。受け身。

 こんなことを繰り返しているから,やがては「思考停止」,ついには「自発的隷従」が透けてみえてくる。テレビとはそういう装置だということがみえてくる。このプロセスについては,しっかりと分析しておくことが肝要だ。なぜなら,いま,問題になっている「だれも責任をとらない社会」の淵源をたどっていくと,その一因に,このからくりが浮かびあがってくるからだ。

 第二のポイントは,映像がアップにされ,リピートされるということ。感動的なシーンは何回でも繰り返し映し出されるということ。これは,テレビならではのメリット。だからテレビ観戦はやめられない。スタジアムではみることのできない決定的なシーンを,テレビは「映像」化して提供してくれる。もっと言ってしまえば,人間の眼にはみえないものまでも映像を解析して,しかも,スローモーションにして,じっくりと「みせて」くれる。肉眼ではみることもできない1000分の1秒の世界を可視化してくれる。しかし,このことの功罪については慎重を要するところだ。

 というような具合に,重要な問題が,随所に隠されている。

 こうした問題とは別に,わたし自身は,決勝レースの直前にアップで映し出される選手たちの顔を楽しんでいる。みんないい顔をしている。いざ,勝負という直前にしか表出しない,えもいわれぬいい顔ばかりだ。緊張の極にいながら,それをなんとか解きほぐそうとしてカメラに向かって満面の笑顔を向けた直後に,ちらりとみせる寂しそうな表情。役者の演技とはまるで次元の違う世界での,人間の真実の顔。

 スーパープレイもさることながら,わたしは選手たちの表情を存分に楽しんでみようとおもう。こんな顔は,こんなときしか拝むことはできないビッグ・チャンスだ。これもまた,「みるスポーツ」の醍醐味のひとつだ。

 ウサイン・ボルトの顔はその意味でも天下一品である。千変万化する素晴らしい顔だ。よくよく観察してみると,やはり,天才の顔だ。どこか根本が違うようにおもう。これからリレーに登場してくるボルトの顔を追ってみよう。また,新しい発見がある,そんな予感がする。

2015年8月28日金曜日

デモに行こう。戦争法案を廃案にするために。8月30日。天王山。

 8月23日に行われたSEALDsのデモが,翌日の東京新聞の朝刊一面トップ記事でとりあげられていました。デモ参加者6500人(主催者発表)。その6500分の1に,ようやくこのわたしも加わることができ,ほっとしています。この日のために体調を整え,準備をした甲斐があったというものです。

 
その日のブログにも書きましたが,SEALDsのデモはまったく新しいスタイルのものでした。以前のような,頭でっかちの,イデオロギーでがちがちのデモとは違って,人間の素直な感情をそのまま表明する,とてもアットホームなものでした。いやなものはいやという。怖いものは怖いという。恐ろしくてふるえるものはふるえるという。なんとなくいやーなものを感じたら「いやーな感じ」という。とにかく感じたことをそのまま表現する。知性よりももっと深いところの深層意識を大事にする。あるいは,無意識を大事にする。

 たぶん,こういうソフトな雰囲気が,SEALDsが支援される原動力になっているのだろう,とデモ行進をしながら,しみじみおもいました。一緒に歩いてくださったNさんは,多くの人のこころをとらえる「力」,行動にまでかりたてる「力」の在り処を,これからはもっともっと大事にしなくてはならない,というような趣旨のことを話してくださいました。それを,知性ではなく,ものごとの「理」(ことわり)ということばで表現し,この「理」こそがこれからの時代にあっては重要なのではないか,と語ってくださいました。

 要するに,ヨーロッパ近代がめざした知性や理性中心主義の限界を打破して,さらに,もう一歩前に踏み出すための思考をそこにみるおもいがしました。そのゆきついたキー・ワードの一つがものごとの「理」ではないか,と。

 いま,国会で議論されている戦争法案は,知性もなければ,ものごとの「理」をも無視して,強引に戦争のできる国家をめざしています。そのためには憲法をも無視し,立憲デモクラシーをも否定して省みないアベ政権の「暴走」です。これは,もはや「暴走」どころの話ではなく「クーデター」です。この無謀な,憲法を大きく逸脱する,根拠なき「クーデター」は,なにがなんでも「ストップ」させなくてはなりません。

 そのための天王山の闘いが,こんどの8月30日(日)の国会包囲10万人デモであり,全国100万人デモだ,とわたしは位置づけています。このデモにも老体に笞打って,でかけてみようとおもっています。そのためには,今週も,いまからしっかりと歩行運動をして,体調を整えておこうとおもっています。

 全国の各地で,いろいろの団体がデモを組んでいます。調べればすぐにわかります。どうか,自分の参加しやすいデモに参加して,みずからの意思を表明しましょう。そして,とにもかくにも「戦争」だけは回避しなくてはなりません。そのためにあらゆる智恵をひねりましょう。そして,「戦争 NO」の行動をとりましょう。

 SEALDsの若者たちは真剣です。「本気で止める」とその気になっています。遅ればせながら,わたしもその一助になれば・・・と願っています。

2015年8月27日木曜日

出雲大社の存在は明治以後,にびっくり!NHK・ぶらタモリの「出雲」で知る。恥ずかしい。

 8月24日(月)の夜に放映されたNHKテレビの「ぶらタモリ」という番組を,遅い夕食をとりながら,ぼんやりと眺めていた。一瞬,チャンネルを変えようかとおもったが,旅先が「出雲大社」だということがわかったので,ちょっとだけ覗いてみて,面白くなかったら変えればいいとおもいながら眺めていた。そうしたら,驚くべき「事実」を知り,びっくり仰天してしまった。

 出雲大社は,明治以前は存在しなかった,というのである。そして,明治以前まで存在したのは杵築大社だ,と。この杵築大社が明治になって出雲大社と改称したのだ,という。おやおや,である。わたしの頭のなかでは,出雲大社は古代からずっとあって,それがこんにちまで継承されてきたのだ,ということになっていた。しかし,そうではない,というのだ。

 そこで慌てて,出雲大社について調べてみた。すると,つぎのようなことがわかった。

 1871(明治4)年,杵築大社を出雲大社と改称。官幣大社に列格。大正時代に勅祭社となる。現在は神社本庁包括に属する別表神社。宗教法人出雲大社教の宗祠。出雲国一の宮。

 これをみるかぎり,わたしがむかしから出雲大社が存在したと信じてきたのは,それは杵築大社のことだった。なぜ,こんなことが起きたのか。その責任は,古代史を語る研究者や作家たちにある。なぜなら,古代出雲を語る記述の最初のところで杵築大社(のちの出雲大社)と断り書きをしていても,あとは,全部,出雲大社で押し通してしまっているからだ。そそっかしい読者のわたしは,杵築大社と呼ばれた時代は創建当時のわずかな期間のことであって,そのあとすぐに出雲大社になったものと勘違いしてしまったのだ。

 たとえば,こうだ。国譲り神話のなかで,オオクニヌシを祀るための大きな社殿を建造した,という話がでてくる。その名前は杵築大社,のちの出雲大社のことである。そして,この出雲大社を守る国造には・・・,という調子で,このあとの説明では,すべて出雲大社という名称を用いている。だから,杵築大社という名称は記憶のなかのかなた遠くに消えてしまう。そして,出雲大社という名称だけが鮮明に残ってしまう。

 こんなことも知らないまま,こんにちまで生きてきたことが恥ずかしい。

 テレビをみていてびっくり仰天したことが,もう一つある。それは「縁結びの神様」として全国に知られるようになったのも,これまた明治以後のことだ,というのである。杵築大社を出雲大社と改称したのをきっかけにして,この出雲大社の存在を全国に知ってもらうために,出雲大社に所属する御師(おし)たちが暦やお札を全国に配ってあるいた。そのときの宣伝文句に八百万の神様が集まる大社にことよせて,「縁結び」の神様である,と言いふらしたのが大当たりして,一気に知られるようになった,という。折しも,鉄道時代がやってきて,出雲大社の近くまで鉄道を引いたので,全国から鉄道を使って参拝客が押し寄せるようになった,と。それはそれはたいへんな賑わいで,町も大いに栄えた,という。

 こうして出雲大社は全国にその名が知られるようになった,というのである。いやはや,伝統はいともかんたんに「創造」されてしまうものなのだ,という典型的な例。わたしたちの多くは,この「創造」された伝統を丸飲みして信じてしまっていた,という次第。

 思い込みというものは恐ろしい。これから気をつけなくては・・・・。くわばら,くわばら。

2015年8月26日水曜日

興林山宗隆寺。陶芸家濱田庄司の菩提寺。溝口神社の隣に。

 たしか以前,この寺にきた記憶がある。しかし,記憶にある寺とはまるで違う門構え,本堂の立派さ,雰囲気の重々しさにしばしとまどう。左手の丘陵に沿った墓地をみると,間違いなく以前,ここにきて,墓地も歩き回った記憶がある。なぜなら,濱田庄司のお墓があるという小さな看板があり,それにつられて,いきなり墓地に入っていった記憶が鮮明に残っているからだ。

 そんなことを思い浮かべながら,じっと山門を仰ぎ見る。「興林山」という山号の扁額が掲げられている。以前はこんな山門はなかったはず・・・。そして,その周囲を囲む土塀もなかったはず・・・。正面の本堂も,もっともっと奥まったところにひっそりと佇んでいたようにおもう。つまり,なんにもないだだぴろい境内と,左側の墓地を区切る金網の柵があっただけのはず・・・。

この山門の周囲でうろうろしていたら,右脇の道路に面して「陶工 濱田庄司の墓」という表示板をみつける。これをみて,ああ,間違いない,と確信。以前(といっても,すでに17年も前の話)は,もっと小さな板ッぴれに「濱田庄司の墓がある」寺,と書いてあっただけだった。でも,それをみて,すぐに墓地の中に入り,濱田庄司の墓をさがした記憶がある。左側の墓地のいちばん奥まったところにその墓はあった。

 
この掲示板のすぐ左脇に,濱田庄司の筆跡を残す碑まで立っている。そうか,こういう文字を書く人だったのだ,としみじみ眺め入る。大きな皿絵や,ときおり,その中に書き込まれている文字はお目にかかったことはあるが,碑文としてみるのは初めて。「昨日在庵 今日不在 明日他行」とみごとに,昨日・今日・明日の時間認識を四文字で言い表している。そういえば,濱田庄司は仏教にも造詣の深い人だったことを思い出す。

 
そうか,以前,ここを尋ねたときからすでに17年もの歳月が流れているのだから,寺のたたずまいも変化して当たり前だ。しかも,こんなに立派になっている。おそらく当代の住職は相当の力量の持ち主に違いない。山門から本堂までの石畳の道もつけて,しかも,以前の本堂とは比べ物にならないほどの立派な本堂を,ずっと手前に引き寄せて,山門からの距離もちょうどいい。

 
本堂に向かって歩いていくと,左側には立派な石段を登っていった先に大きな「祖師廟」が建っている。これも,以前はなかったものだ。本堂の右側には,「善日麿」の像が立っている。善日麿とは日蓮の幼名だと書いてある。そうか,ここは日蓮宗の寺だ,と知る。そして,本堂の正面に立ってみると「宗隆寺」という扁額がかかっている。この寺は日蓮宗の興林山宗隆寺だったのだ。

 
わたしの育った寺は道元さんの曹洞宗だったが,中学時代に日蓮さんに興味をもち,何冊か伝記本を熱中して読んだ記憶がある。しかし,幼名が善日麿だったことはすっかり忘れていた。まずは,お顔をしっかりと拝ませてもらう。童顔とはいえ,しっかりした顔だちである。成人してからの日蓮さんの肖像は,あちこちで拝ませてもらっている。とくに印象に残っているのは,洗足池のほとりに立つ日蓮像だ。見る者を圧倒する迫力満点の大きな顔と鋭い眼力,一度,見たら忘れない,その意味では傑作の像が立っている。だから,この善日麿のお顔に,わたしの眼は吸い込まれていく。まだ,幼児とはいえ,いいお顔である。

 そんな感慨にふけっていたら,若い僧が現れ,5時で山門を閉めるからお帰りください,という。そうか,ちかごろは不用心なので,午後5時には閉め切ってしまうのだ,と納得。しかし,これでは寺本来の姿(機能)からは遠ざかっていくことになる,このことをどうお考えなのか,とつい尋ねてみたくなった。が,ぐっと我慢することに。

 と同時に,17年前は,門構えも囲い(土塀)もなにもなく,だれでも,いつでも,出入り自由,そういう昔からの寺の役割をはたしていた。だから,迷わず濱田庄司の墓を探しに,こころの赴くままに入っていった。しかし,今回は,墓地に入っていくこと,そのことにいたく抵抗を覚える,そういう寺の構え,墓地への入口の重苦しい雰囲気にしり込みをしてまった。不用心という世の中の変化が,寺をも閉鎖的にしてしまうのだ,と山門の外に立ってしみじみと考えてしまう。

 こんな世の中にだれがしたんだ,と自問自答を繰り返す。政治の貧困をこころからおもう。

〔追記〕
この興林山宗隆寺と溝口神社はすぐ隣合わせのところにある。いまは,この寺と神社の間に民家が建っているが,江戸時代の大山街道がにぎわっていたころには,この寺と神社は大きな境内をもち,お互いに接していたのではないか,とわたしは想像する。そして,「赤城大明神」として賑わっていたのではないか・・・とも。

2015年8月25日火曜日

『わたしたちは難破者である』(今福龍太著,河出書房新社,2015年8月刊)がとどく。

 神戸からもどってしばらくは,毎食後,横になって休むことが多くなっていた。やはり,いささか疲れたらしい。だから,鷺沼の事務所に,パソコンを背負ってでかけるだけの気力も体力もなかった。その代わりに,溝の口の周辺を散歩することをこころがけた。それで,いくぶん調子がよくなってきたので,久しぶりに鷺沼の事務所に,パソコンを背負ってでかけてみた。

 すると思いがけない「贈与」が待っていた。今福龍太さんからの新著『わたしたちは難破者である』(河出書房新社,2015年8月刊)がとどいていた。いつもの癖で,すぐにペラペラめくりながら拾い読みをし,最後に「後記」を読む。この「後記」の書かれた日付をみてびっくり。「2015年7月7日」とある。わたしの癌の肝臓への転移がみつかり,切除手術を受けた,まさにその日である。偶然とはいえ,縁は奇なり,である。

 
拾い読みした程度で,今福さんの著作を紹介するのはまことに失礼なのだが,お許しねがいたい。全部を読み切るには,いまの体調だと,まだ,相当の時間が必要だとおもわれるので・・・。

 この著作のなかに収められた一つひとつの論考のいくつかは,わたしの眼にも止まり,どこかで読んだことのあるものだったので,より一層,親しみが湧いた。しかも,それらが,こうして「編集」の手が加えられ,並べ替えられると,また,新しい生命を吹き込まれ,大きな構想の,見違えるような次元の「知」の地平が切り拓かれていくことを知り,感動することしきりである。

 そして,いつもながらの今福さんの美しい文章がわたしのこころを魅了してやまない。しかも,いま,まさに進行中の政治や経済や金融の「妄想」と「暴走」を婉曲に「批評」する,深い「根」をもった思想とことばが,とめどなく流れてわたしに迫ってくる。

 たとえば,プロローグの「あらたなる創世へ」の最後の文章を挙げておこう。

 世よ直れ。ユーヤナウレ。かつての合理世界に復旧しなければ,という強迫観念によって身動きできなくなっている政治や経済世界を後目(しりめ)に,南の島々から,〇(あおぐろ)い森の闇の奥から,こんな声が聞こえてくる。世よ直れ。ユンノーレ。そう,瓦礫のなかから新たな文化のよみがえりを想像することは,生きるなかで人間が経験してきた継続的な「世直し」の第一歩にほかならないのだ。瓦礫からたえず文化を再生させてきた人間にとって,創世は神話における一度きりのものではなかった。

 この短い文章のなかに凝縮された今福さんの「思い」がみごとに映し出されていて,しかも,わかりやすい。これまでの大きな構想で描かれてきた「世界-群島論」をベースに,ベンヤミンの「瓦礫」論という補助線を引いて,わかりやすい「解」を提示してくれている。ここのところをしっかりと念頭におくだけで,この本のいわんとするところは,ほぼ予測できるのではないか,とすらおもうほどだ。あとは,今福さんの「芸」に酔い痴れるだけだ。

 その「解」は本文の冒頭で,たちまち,明らかにされる。題して,「群島響和社会<平行>憲法」。第一縞(こう) 意志 inner will からはじまって,第一二縞 航海 voyages まで,これ以上には凝縮できないとおもわれるほど濃密な縞文がつづく。今福さんの文章に慣れない人にはかなり難解だが,熟読玩味すれば,その意味の伸びていくさきの奥の深さはおのずからみえてくる。

 これを読みながら,わたしの脳裏をかけめぐっていたことは,ヨーロッパ近代の合理主義が「非合理」「不合理」の名のもとに切り捨て,排除・抑圧・隠蔽してきた,遠い原初の人間の時代から引き継いできた「智恵」(=遺産)を,どうやって蘇生させるか,そこに賭ける今福さんの決然たる強い「意志=inner will」だった。それが,同時に,わたしのやってきたスポーツ史・スポーツ文化論に,じかに跳ねかえってきて,さて,わたしならどうする,という自省への道程だった。

 これもまた,わたしのいつもの癖だが,表紙の帯に書き込まれた「コピー」の発するメッセージとも共鳴・共振する,その強度に打たれた。

 背のところには「深いオプティミズム」とあり,表には「座礁し,還るべき故郷も失った現代人よ,難破者であることを引受よ──支配の歴史から自由になった海=群島から発せられた創世への宣言」とあり,さらに,裏には「本書は,現代人という難破者にとっての新しい憲法,新しい倫理,そして新しい音楽や踊りがどのようなものでありうるか,その淡い風景を描きだて初めてのデッサンである」とある。

 わたしは,このテクストの冒頭の論考「群島響和社会<平行>憲法」と,この帯のコピーを読んだだけで,もう,すっかり今福ワールドに惹きつけられてしまった。冒頭の論考には,<序>として,宮澤賢治の「サガレンと八月」からの引用をかかげ,中間のところに<跋>として,ヘンリー・デイヴィッド・ソローの「マサチューセッツ州における奴隷制」からの引用(これは,わたしには仏教の世界観をつよく連想させるものだった)を置き,最後に「断片的コンメンタール」が付されている。そして,この「断片的コンメンタール」が,第一縞から第一二縞までの「縞文」をより深く,より幅広く理解するための,みごとなまでのLeitfaden(導きの糸)となっている。

 しかも,ご丁寧にも,注が付されている。その書き出しは,
 「※本テクストは,川満信一による『琉球共和社会憲法C案(私案)』(1981)の真摯を受けとめ,またその機知の精神にうながされ,2014年5月15日という特別の日付において擱筆された。」とあり,さらに今福さんの所感が述べられている。

 とりあえず,ちょい読みの段階での,わたしの印象をもとに,今福さんのご新著を紹介させていただいた。いずれ,研究会でもテクストとして取り上げて,みんなで議論をしてみたいとおもっている。できることなら,今福さんにもお出でいただいて,合評会のようなことができればいいなぁ,と夢見ている。

2015年8月24日月曜日

社会復帰,第一歩。SEALDs のデモに参加してきました。

 8月23日(日)のSEALDsのデモには,なんとしても参加する,と早くから決めていました。そして,これを「社会復帰の第一歩」とすることも決めていました。そのために,散歩の距離を伸ばしたり,鷺沼の事務所にパソコンを背負って通ったり,とそれなりの準備をしてきました。お蔭で,からだの方もしっかりしてきました。

 言ってみれば,こころとからだの準備をしての,満を持してのデモ参加でした。だれか誘ってともおもいましたが,途中でリタイアすることも想定していましたので,ひとりででかけました。まあ,そういうデモ参加もあってもいいか,と考えて・・・・。集合場所の青山公園に到着し,デモ行進のための隊列を組んでみますと,結構,わたしと同じように,ひとりで参加という人も少なくないことがわかり,少しばかり安心。

隊列を組んで出発の準備
 
集合場所では,簡単なシュプレヒ・コールの練習があっただけで,とりたてて著名人のスピーチも,学生さんたちのスピーチもありませんでした。こんなのもあっていいなぁ,と思いながら出発を待っていました。そうして,いよいよ行進開始。テンポのいいシュプレヒ・コールの声を張り上げながらのデモ行進です。久しぶりのデモで,ああ,ようやく社会に復帰できたなぁ,元気を取り戻すことができてよかったなぁ,と感慨に浸っていました。

デモ行進のはじまり
 
そんないい気分で歩いていたら,突然,歩道からNさんが現れ「病み上がりのおじさんがひとりで歩いているのをみて,これは捨ておけない,介護しなくてはとおもって・・・・」と笑いながら隊列に飛び入りです。わたしとしては,期せずして,もっとも頼りになる僚友が現れたのですから,嬉しくて天にも昇る気持ちでした。何千人という大集団のなかだというのに,こんな出会いが起きるのですから,これはもう偶然をとおりこしているとしかいいようがありません。

ファシスト・アベ・ヒトラー
 
これですっかり安心して,二人でおしゃべりをしながら行進です。昨夜は宮城谷昌光の小説『太公望』を読み始めて,途中でやめるわけにはいかなくなり,とうとう最後まで読んでしまい,寝不足です,とNさん。わたしも,そのむかし,まったく同じ経験をしましたので,『太公望』の話題でひとしきり盛り上がってしまいました。権力を独占している大勢力を少数派が切り崩していき,世の中をひっくり返す,そのプロセスを知りたかった,とNさん。なるほど,単なる娯楽のための読書ではなかったのだ,とわたし。えらく余裕があるんだなぁ,こんな本まで読むのか,と訝っていたわたしが恥ずかしくなってしまいました。

高校生の集団?
 
さて,このデモ,隊列の中に組み込まれて歩いていると,全体でどのくらいの人数になっているのかさっぱりわかりません。ただ,道がカーブしているところで,前後を確認してみますと,どちらも,はるかかなたまでデモの隊列がつづいています。青山公園に集まっていた人数からは想像もつかないほどの隊列の長さです。ひょっとしたら,コースの道路で待ち構えていて,途中から飛び入りした人も相当いるのではないか,とおもいます。いま,確認してみましたら,主催者発表で6500人,とのこと。やはり,途中で待ち伏せして飛び入り,という人が多かったようです。

表参道の交差点でデモを見つめる通行人
 
久しぶりのデモだったからというべきか,いやいやSEALDsのデモだったからというべきか,よくわかりませんが,デモの様子もすっかり様変わりをしているなぁ,とおもいました。それは,かつての労働組合が組織して行うデモとはまるで違いますし,そのむかしの安保闘争時代の学生さんたちが組織したデモとも,もう別次元のはなしです。今日のデモを見るかぎりでも,子どもづれの若い夫婦がいたり,家族全員でやってきたなとおもわれる中年のファミリーがいたり,老人仲間のお友だち風の集団もいたり,とさまざまです。なかには,ベビーカーを押して参加している若いママさんもいます。考えてみれば明るくて,長閑なものです。

 ひところの,暗いイメージのデモとはまったく様変わりをしています。そういう新しい,やんわりとしたデモを立ち上げたのは,やはり,SEALDsの若者たちの大いなる功績というべきでしょう。以前のような,理屈やイデオロギーが先行・支配する思想運動とは違い,もっと情緒レベルの,人としての素直な感情から立ち上がってくる「不安」や「気持ち悪い」や「怖くてふるえる」を原点にした意志表明です。その結果として,このようなまったく新しいデモの形態を生みだしたのだろう,とおもいます。これでいいのだ,いや,これがいいのだ,としみじみおもいました。

 以上,社会復帰の第一歩としてのデモ参加の報告です。

 つぎなる目標は,8月30日(日)です。こちらは天下分け目の決戦になります。国会前10万人,全国100万人を想定しています。もし,これが実現したら,アベ政権は崩壊していくでしょう。その意味で,わたしは,いまから体調管理に専念して,30日のデモに備えようとおもっています。みなさんも,ぜひ,地元のデモに参加して,意思表明をしましょう。日本の将来のために。  

2015年8月23日日曜日

天保14(1843)年の相撲の稽古場風景。

 狭い空間のなかに所狭しとばかりに大勢の力士たちが描かれています。もともと浮世絵ですので,あらゆる情報を一枚の絵のなかにすべて書き込もうと欲張っています。ですから,実際の相撲部屋の稽古場はもう少し広かったと考えていいでしょう。が,それにしても,そんなには広くはなかったことは確かです。なぜなら,当時の木造家屋のなかに確保できる空間には限りがあったからです。

 
かなり大きな寺の庫裡でも,柱のない空間を確保することは容易ではありません。厨房の三和土などは,かなりゆったりとした空間になっていますが,それでも,柱と柱の間はそんなには広くありません。江戸時代に,木造家屋のなかに相撲の稽古用の土俵を設けるとなると,それはそれはたいへんなことだったとおもいます。

 ですから,逆に言えば,この絵は実態にかなり近かったのかもしれません。なぜなら,鉄筋コンクリートのビルのなかに設けられているこんにちの相撲部屋の土俵も,そんなに広いスペースではありません。やはり鉄筋・鉄骨の間隔をそんなに広くとることは建築上,無理があるということではないかとおもいます。ですから,体育館のような特殊な建築でないかぎり,広いスペースを確保することはできない,ということです。したがって,相撲部屋の稽古場は,いまも基本的にはほとんど変わらない,ということです。

 相撲部屋の稽古を見たことのある人ならすぐにわかりますが,こんなに狭いところに大きな力士がよくもまあ大勢集まって稽古をしているなぁ,と驚きます。ですから,交替制で,稽古をすることになります。入門したばかりの新弟子たちは,兄弟子たちが起きてくる前に土俵にでて,自分たちの稽古をします。そして,先輩力士たちが稽古するときには,その世話係となってなにかと面倒をみることになたます。それが,いわゆる「付き人」の役割です。

 その意味で大きな部屋の稽古場はいつも力士たちでいっぱいです。土俵の中は,いつだって二人上がれば,それで独占されることになります。ですから,それ以外の力士たちは土俵の周囲で,鉄砲やら四股やら股割などの稽古を黙々とやることになります。

 巡業などに出ますと,本格的な土俵を確保することはきわめて困難になりますので,いわゆる「山稽古」をすることになります。屋外の平らな場所に土俵の円を描き,そこで稽古をします。これなら,広い空き地があれば,土俵をいくつも描いて,一度に大勢の力士が稽古をすることができます。巡業のときの面白さの一つは,その「山稽古」をみて回ることができることにあります。それこそ,あちこちで稽古をしているのですから,稽古見物のはしごができるわけです。

 敗戦直後の,わたしがまだ小学校の4年生くらいだったときに,相撲の巡業がやってきて,友だちと見物に行ったことを思い出します。わたしは,当時の横綱・照国のファンでしたので,照国の追っかけをして一日をすごしたことを,いまも鮮明に記憶しています。

 照国などといっても,もはやわかる人は少ないこととおもいます。秋田県出身のあんこ型の力士で,色が白くて,イケメンでした。稽古をはじめると,白いからだがピンク色に染まって,それだけでもうっとりさせられました。

 いまの照の富士の「照」は,たぶん,この照国の縁起をかついでのものだとおもいます。「富士」は,東富士,北の富士,千代の富士,などのように,この名のつく横綱はいくらでもいますので,みんな憧れて,この名をもらい受けています。わたしの子どものころは,照国と東富士の両横綱の取組がもっとも人気がありました。これを,わたしはラジオの実況放送で必死になって聞いてしました。実況放送ですから,アナウンサーの語ることばをもとにして,取組の進み具合を自分の頭の中で再構成しながら,必死で聞くしかありません。いま考えてみれば,テレビで見るよりも印象が強烈だったようにおもいます。これはこれでとても味のあるものでした。

 おやおや,いつのまにか,稽古場風景とは関係のない話に脱線してしまいましたので,この稿はこの辺でおしまい。

〔追記〕写真は,雑誌『SF』月刊体育施設,August 2015,からの転載。連載・絵画にみるスポーツ施設の原風景,Vol.39.

2015年8月22日土曜日

ことしのサルスベリの花はことのほかみごと。猛暑が幸いか。その生命力に感動。

 ことしの猛暑が,サルスベリの木には朗報だったのだろうか,例年にない多くの花をつけている。
むかしから,夏の暑い盛りに花をつけるので,夾竹桃とともに人びとの尊崇の的だ。また,精力絶倫の木としても知られている。

 この木は,わたしの住んでいるマンションの管理組合が管理しているもので,いっときは花もつけないから切ってしまえ,という話もあったとか。しかし,いまから3年ほど前,わたしが管理組合の植栽部会に属しているとき,植木屋さんに相談してみると,まわりの木が大きくなりすぎていて,そちらに圧倒されてしまっているからだ,とのこと。まわりの雑木の枝を払ってやって,日当たりをよくしてやれば立派な花をつけますよ,とのこと。

そこで,早速,管理組合の理事会に諮って,周囲の雑木の枝を払ってもらうことにした。どういうわけか,雑木を伸び放題にすることを主張する人たちもいて,すったもんだの末に,ようやくわたしたちの提案がとおった。その3年後の姿がこれである。いまにも枯れそうだったサルスベリが,いまでは存分に枝を伸ばして生き生きとしている。そして,ことしのこのみごとな花である。

 
サルスベリという名を知った子どものころから,この木が好きだった。サルも滑るというその名のとおり,サルスベリの木に子どもたちが登るのは至難の技だった。年に一度,木の皮がはがれてツルツルの幹が剥き出しになる。だから,手がかりがないのだ。となればなおのこと,この木を制してみたくて,何回もチャレンジしたものだ。

親戚の寺の境内に一本だけサルスベリの木があって,泊まり掛けで遊びに行ったときなどに,この木に挑戦したことを思い出す。しかし,なぜか,この木に登ろうとすると祖母が「登ってはいけない」という。理由を聞いても「この木は登ってはいけない木なのだ」としか答えてはくれなかった。なにか,口にしてはいけない理由があるようなそぶりだった。が,最後まで教えてはくれなかった。いまもわからないままだ。

この木の手前には,大きなスーパー・マーケットがあって,毎日,多くの人がここを通りすぎていく。ほとんどの人はあまり関心がないようだが,中には感じ入ったようにじっと眺めている人もいる。そういう人に出会うとなんとなく嬉しくなる。

 
やはり,真夏の盛りに満開の花を咲かす,その生命力はすごいものだとおもう。ほとんどの木が夏には暑さにやられて,勢いが衰えるなかで,花を咲かすのだから・・・。

わたしの住んでいるマンションのすぐ下にあるスーパー・マーケットには毎日のように食材を買いにでかけるので,このサルスベリとも顔を合わすことになる。最近では,「今日も元気か」とこころの中で声をかけながら,逆に,この木から元気をもらっている。もちろん,立ち止まって,しばらく眺めているのだが・・・・。

カメラを持ち出していって写真を撮っていたら,初めて気づいたかのようにサルスベリを振り返り,「ああ,きれい」と言う人もあれば,このおじいさんはなにをやっているのだろう?と訝る人もいる。世の中,いろいろの人がいて面白い。総じて小さな子どもは素直でいい。わたしがカメラを構えている方向をみて,「お母さん,きれいだね」という女の子がいる。それだけで嬉しい。ことばを交わさなくても,この子とは気持が通じている。

ここまでサルスベリが元気になったら,来年もまた立派な花を咲かせてくれることだろう。花の少ない夏にあっては,希少な価値をもつサルスベリの木である。しかも,開花期間が長いのも魅力的だ。幹に近い方から開花していき,次第に先端が開花する。早く咲いた花芽は受粉して青い実となっている。

そばに近寄って,花房を観察してみると,青い実と花とが半々くらい。ちょうど,いまが開花の中頃というべきか。いつごろまで花が咲き続けるのか,これもまた,これからの楽しみ。

溝口神社。伊勢神宮の分霊社。しかも,安産祈願の神社。おやっ?なにかあるな?

 溝の口に引っ越してきて間もないころ,そう17年ほど前のこと,近所を散歩していて「溝口神社」に出会い,へえーっ「溝の口」を守る神社があるんだ,という程度の認識ですっかり忘れていた。しかし,沖縄に嫁いだ娘から「溝口神社」は安産祈願の神社で有名なんだと聞かされ,びっくり。あわてて再度,確認のためにでかけてみた。

 もう少し樹木に囲まれた瀟洒な神社だとおもっていたら,どっこい丸裸の小さな社殿がぽつんと建っていた。もっとも裏道から突然,この社殿の前に立ったので,なおさら驚いた。左側に,社殿に似合わないほど立派な社務所があって,ご祈祷の案内やお札などがずらりと並んでいる。しばらく境内でたたずんでいたら,結構,入れ代わり立ち代わりしてお参りにくる人がいる。しかも,そのうちの半数ほどは社務所に向かい,なにやらお話をしている。なるほど,かなり有名な神社なのだと納得。

ふとみると,小さな提灯がぶら下がっていて,よくみると側面に「伊勢神宮の分霊社」と書いてある。えっ?まさか?とびっくり。

どうして?といぶかりながら参道を歩いていたら,溝口神社の案内板があった。そこには「川崎の祈願所」とあり,御祭神は「天照皇大神」と「日本武尊」とある。そして,「神社のいわれ」が縷々詳しく述べられている。それによれば,もともとは「赤城大明神」(「赤城社」)として建てられた神仏混淆の古社であり(1709年),明治になって神仏分離の令によりこの地域の総鎮守として祀るために,新たに伊勢神宮から分霊を迎え,祭神を天照皇大神と日本武尊とし,社名も溝口神社と改めた,とある。

 
明治維新による神仏分離令なるものの実態のひとつの例がここにある,と初めて知り感動。そうか,天皇制の基盤をさらに確固たるものにするための神仏分離令だったのだ,と。そして,伊勢神宮の分霊社は,そんなに多くどこにでもつくれるものではなかったはずなので,この地域では珍重され,大事にされて,多くの信者をもつことになったのだろう,とこれはわたしの想像。
 
その隣には「ご祈祷」の案内板がある。それによれば筆頭が「安産祈願」,つづいて「お宮参り」,「七五三詣」とある。いずれも「子ども」関連である。これが明治以後のことだとすれば,やはり,ここにも富国強兵を支える人材確保,いわゆる「生めよ殖やせよ」政策の反映をみる思いがする。看板を付け替えた神社にはこんな背景も読み取ることができる。いやはや驚くべき発見。

 
そんなことを思いながら参道を歩いていると,狛犬さんに出会う。こちらもよくみると「子持ち」の狛犬さんだ。なるほど,これで,この神社のなりたちがみえてきた。子孫繁栄と国家安泰がセットとなって,伊勢神宮の分霊社を全国にばらまいていった,その一つがこの「溝口神社」だったのだ。つまりは,明治政府の国策の一環として,この神社は機能した,というわけだ。いまは寂れてしまっているが,いっときは相当に繁盛した神社だったに違いない。

 
神社の参道の入口には,「例大祭」のポスターが掲示してあった。9月12,13日とある。どんなお祭りをするのか,ことしは顔を出してみようかとおもう。とりわけ,神社の中での祈願がどのように執り行われるのか,知りたいところだ。できれば,聞き取りもしてみよう。

 
この神社は,旧大山街道に面している。落語の「大山詣」でも知られるように,江戸時代には,江戸の庶民が精進落としも兼ねて,多くの人が大山神社(神奈川県厚木市?)をめざした。その大山街道からこの神社の参道がついていて,その奥まったところに社殿(当時は,「赤城社」)があったことになる。たぶん,大山詣での旅人も,この赤城社に立ち寄り,一休みしながら,旅の無事を祈願したことだろう。


〔追記〕
安産祈願の神社としては,水天宮と溝口神社とが並び称せられているとも聞き,いささか驚いてもいます。それほどの神社であるとしたら,これまでの経緯を調べてみる必要がある,と考えています。なにゆえに「赤城社」を「溝口神社」に社名を変えたのか,もっと深い理由がありそうだからです。なにかが隠されている・・・・そんな予感がいっぱい・・・・。
 

2015年8月21日金曜日

わかりました。沖縄県知事応接室の「びょうぶ」のこと・第二報。

 早速,複数の方から情報が寄せられました。ありがたいことです。自分で調べればいいのに,手抜きをしてしまいました。

 まずは,もっともオーソドックスな情報。
 それは,沖縄県庁のHPに掲載されているとのことです。すぐに開いて覗いてみますと,なるほどという情報が載っていました。それによりますと,つぎのようです。

 まず最初に目に飛び込んできたのは,一番知りたかった「びょうぶ」の詩文の全文です。わたしが感動した「びょうぶ」の全体が一目瞭然です。なるほど,これが全体像か,とまたまた感動してしまいました。部分だけであれだけの雰囲気を醸しだすだけの力のある書の,これが全体像か,と。やはり,全体を眺めてみると,ますますその迫力が伝わってきます。そして,気がつくといつのまにか一字,一字,じっと見入ってしまっていました。ところどころ意味不明なところもありますが,それでも,なんとなく言っていることの意味は伝わってくるから不思議です。

 
「琉球国は南海の勝地にして・・・・」という冒頭の文言をみるだけで,これは琉球国時代の理想を掲げた一種の決意表明に違いない,と。そして,四行目には,「舟揖をもって万国の津梁となす」という有名なフレーズもはっきりと読み取ることができます。なるほど,翁長知事がしばしば引用する「津梁の精神」はここからきているのだ,ということも納得。

 この「びょうぶ」につづいて,ご丁寧にも,ごく簡単な読みくだし文も掲載されています。これを追っていけば,さらに,その内容のイメージが湧いてきます。

 
 
そして,そのあとには,つぎのような説明がなされています。

 この詩文は,「万国津梁の鐘」に刻まれているもので,それを書家が「びょうぶ」にして寄贈したものだ,とあります。この鐘は,1458年,琉球王国の尚泰久(しょうたいきゅう)王が鋳造させて,首里城正殿に掲げてあったものだ,といいます。そして,「万国津梁」とは,世界を結ぶ架け橋の意味である,と。

 さらに,中日新聞には以下のような解説が掲載されている,という情報もいただきました。

 「びょうぶ」は第一応接室と第二応接室の両方にあるそうで,違う書家のものが飾ってあるとのことです。第一応接室(翁長知事と中谷防衛相が対談した部屋)には,2012年に沖縄の書家の茅原南龍(ちはらなんりゅう)氏が寄贈したものが飾られていて,その大きさは,高さ216㎝,幅344㎝だそうです。わたしが感動したのは,こちらの「びょうぶ」の書でした。

 第二応接室には,1995年にやはり沖縄の書家・豊平峰雲(とよひらほううん)氏によって寄贈されたものが飾ってあるとのことです。こちらの「びょうぶ」も沖縄県のHPにはアップされていますので,自分の目で確認することができます。こちらも立派なものです。が,やや,書体が違っていて,微妙に雰囲気が異なります。

 わたしの好みとしては,第一応接室にある茅原南龍氏の書体の方が好きです。たぶん,翁長知事もそうであるらしく,茅原氏の「びょうぶ」を第一応接室に飾っているのでしょう。政府要人を迎えての対談をするには,この「びょうぶ」の威力をも借りたい,そういう思い入れもあるようにおもいます。それほどに重要な役割を,この「びょうぶ」ははたしている,とわたしは受け止めています。

 なお,この詩文は,相国寺の渓隠安潜(15世紀の仏僧)の手になるものであることが,「びょうぶ」の最後のところに書かれています。

 中日新聞はさらに,つぎのように報じています。

 「万国津梁の鐘」は1978年に国の重要文化財に指定され,沖縄県立博物館・美術館(那覇市)に展示されている。
 沖縄県庁秘書課は「びょうぶの文章は十五世紀中葉の琉球の海外貿易と県民の気慨を表現している。世界と交流し,ともに支え合う平和で豊かな「美(ちゅら)島」を実現しようとの県の目標にも沿っている」と説明する。

 この説明は,わたしの胸にぐさっと刺さるものがありました。なぜなら,わたしが沖縄を理解する上で,あまりに無知で,上っ面しかわかっていない,と忸怩たる思いをいだいていましが,こういう気慨を沖縄県民が共有しているというところから,ものごとを考える必要がある,と気づいたからです。沖縄県民の「根」のひとつが,こういうところにも伸びている,と。

 いい勉強になりました。情報を提供してくださったみなさん,ありがとうございました。これからも,よろしくお願いいたします。

 〔追記〕書家の茅原南龍氏と豊平峰雲氏については,ネットに詳しい情報が流れています。いずれも,沖縄書道界の重鎮です。書体の違いも,ほかの作品を見比べてみますと,よりはっきりしてきます。ちなみに,茅原南龍氏は76歳,豊平峰雲氏は73歳で,いずれもご健在です。こんど沖縄に行ったら,茅原南龍氏の作品を存分に堪能してみたいとおもっています。

2015年8月20日木曜日

李自力老師の「膝」は円運動をしている? その微妙な動きに注目。

 李老師が久しぶりにわたしたちの稽古に顔を出してくださいました。大勢の選手たちを引率して中国遠征を終えて帰国したばかりとか。からだも,いつもよりは絞られていて,やや細くみえました。聞いてみると,とても疲れて少し痩せたとのこと。気配りの人ですので,さぞや想像以上の心労がたまっているのでしょう。

 にもかかわらず,わたしたちの稽古をしっかりと見守り,指導してくださいました。いつものように率先垂範です。久しぶりに拝見する李老師の動きは,やはり,悠然としていて,ためがあり,美しい。

 珍しく(おそらく,初めて),ショート・パンツ姿で来られましたので,膝の動きがはっきりとこの目で確認でき,とても勉強になりました。

 わたしの目に写った第一印象は,膝が円運動をしている,というものでした。これまでは,いつも,ロング・パンツですので,膝の動きを生でみることはできませんでした。しかし,今回は剥き出しの膝を直にみることができました。

 そうか,膝はあんなふうに動いているのだ,とびっくりしてしまいました。

 それは最初の基本の運動のときに気づきました。

 両手を腰のうしろに組んで,脚を前に運ぶ,いわゆる「運歩」の動作のときでした。左脚加重から右脚に体重を移すとき,右脚の膝はやや外側に出ていきます。いわゆる「がに股」の姿勢です。そして,体重が完全に右脚に移ったときも,まだ「がに股」の姿勢です。そこから左脚を斜め前に送り出すときにやや腰を左に回転させます。そのとき,外に出ていた膝もほんのわずかに回転運動をしながら正面に向かい,つづけてゴンブ(功夫)の姿勢に移りながら膝は内側に入っていきます。つまり,右脚一本で立っている姿勢から,左脚を斜め前に送り出してゴンブの姿勢になるとき,膝はほんのわずかに円運動をしている,とわたしの目には写りました。

 早速,真似をしてみますと,動作がとてもスムーズに流れていくことがわかりました。そのあとの動作も同じです。

 左脚前のゴンブの姿勢から,一度,体重を右脚にもどします。このときは,さきほどのま逆の動作になっています。左脚加重から右脚加重にもどすとき,右脚の膝はまっすぐうしろに引くのではなくて,やや右外側に出るようにほんのわずかに円運動をしています。右脚に加重が終わるとすぐに股関節をゆるめて腰を左側にまわします。このときも右脚の膝はわずかに円運動をして左側に向きを変えています。そして,左脚に加重しながらゴンブの姿勢に入ります。このときも右脚の膝はゆっくりと円運動をしながら,内側に入ってきて,前から押されても,しっかりと踏ん張ることのできる脚の構えになっています。

 以上は,前進するときの「運歩」で起こる膝の円運動です。
 これと同じことが,後進するときの「運歩」にも起こります。こちらの方は前進するときとは裏返しの関係になります。ですので,頭のなかで想像していただければわかるとおもいます。

 こんな大事なことに気づいていなかった我が身を恥じるばかりですが,やはり,ロング・パンツの上からはなかなか見破ることのできない「膝」の円運動だとおもいます。たまたま,李老師がショート・パンツで一緒に稽古をしてくださったお蔭です。

 これまでは「股関節」を緩めなさいという指摘ばかりが念頭にありましたが,膝もまた微妙な運動をしていることがわかりました。こんなことは,とりたてて言われなくても,自然にできるようになってくるものだ,と言われてしまえばそれまでです。それもそのはずで,もっとも自然で合理的な動作はそのように行われているのですから・・・。しかし,ほんの少しだけ意識をそこに向けるだけで,たぶん,容易にその動作を身につけることができるのではないか,とわたしは考えました。

 粗形成から精形成へと,いよいよつぎのステップへの第一歩というところでしょうか。太極拳は奥が深い,としみじみおもいます。これからも精進あるのみ,です。